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2006.02.09
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カテゴリ: いろいろメガネ
芽吹き



副知事が知事に立候補し、信任投票のような選挙が行われてきました。
過去の長野県は55年体制をそのまま反映するような政治的枠組みで、自民党系会派と社会党会派が県内の政治勢力を2分する形で支配してきました。
戦後ずっと、その県会の2大政党が、相談(談合)しながら知事候補を決めてきました。
県議会(最大会派)が知事を(候補者として)指名し、県議会で指名されること=知事の椅子が約束されたような状態だったので、戦後は3人だけという長期にわたる知事の座にもかかわらず、知事は県議会の意向で動く番頭さんのようなものでした。
県議たちはもっぱら、地域と県とのパイプ役としての役割を強調し、いかに県の予算を獲得してくるかが力量としてアッピールされてきました。
ちなみに、長野県には北高南低といわれる南北格差がありました。北信地方にはオリンピックや新幹線やが誘致され、道路や施設では南信にくらべ立派な物が多かったようです。
県内でみると、日に数十台しか通らないのに高規格道路が整備される一方、下伊那といわれる県南地域では、すれ違いもままならない林道のような曲がりくねった細い道が、主要道として放置されていたりしました。
その南信でも、大物県議を出していた伊那では、大きな県的施設や競技場なども次々にでき、その県議の引退近くには、お土産でしょうか夜空を煌々と照らす大きなサーチライトつき竜のモニュメントまで完成されました。(さすが、信州の夜空を照らす趣向には地元民の批判も強く、現在は消灯したままです)
今になって、一つひとつ指摘してゆけば、数え切れないほどのムダな施設が県議たちの予算ぶんどり合戦によって、県議の力量まかせなアンバランスな配分をされてきたのです。

2000年の知事選挙では、共産党を除く県会すべての会派が副知事だったI氏を知事候補に指名し、共産党推薦の候補との一騎打ち(といえば聞こえはいいが、いわば信任投票)といういつものパターンに持ち込まれようとしていました。
それまでずっと、県議会実力者たちの談合による知事で押しつけられてきたこともあり、さすが県民のなかからも疑問の声がわき上がってきました。
ある県民が、新聞に「こんなことでいいのか、知事選び」という内容で投書したことがきっかけになって、県民が主体性をもって知事を選ぼうという機運が自然発生的にわき起こりました。
そうして、ひそかにこれぞと思う幾人かの人を俎上にあげ検討されてゆきました。
しかし、すでにI候補は県議会のほとんどの会派や、市町村長、市町村議会の支持をとりつけ、知事後継者として活動を始めていたのです。そのため、これはと思う人も二の足を踏んでなかなか立ち上がろうとしませんでした。
その経過から名前が浮上してきたのが、現知事の田中康夫です。彼の自伝的女性遍歴を赤裸々に書いた有名な「ペログリ日記」なとどから、心配する声もありましたが、文学のなかのことと政治とは別です。
文学は面白くなければなりませんから、書いていることがすべて作者の事実とは違うのです。ということは僕も力説しました。
しかし、その時点では誰も勝てるとは思っていませんでした。
それにしてもこのままでは長野県はあまりにも恥ずかしい。ドンキホーテと呼ばれるかも知れませんが信州再生のために戦って欲しいという県民の要請に、
「よし、自分の命をかけてやりましょう」
と引き受けてくれたのが田中康夫でした。
もちろん、引き受けて貰うにあたって白紙委任というわけにはいきません。
長野県の財政は、オリンピックの乱費や県議たちの予算ぶんどり合戦など、前県政の放漫経営もあって危機的状態でした。
これまでと同じ状態で予算を組んでいけば、数年で県財政の破産状態ともいえる財政再建団体に転落する寸前にまで悪化していました。

ただ一矢報いるというのでは困る。信州再生のために、知事として最低限貫いて貰いたいこと、やって欲しいこと、やっては困ることを出し合いました。
ちなみに、田中康夫擁立の可能性を探るために、始めて南信を訪れたときには僕も同席して、ひとつだけ注文をつけました。それが、どの政党とも節度ある距離を置いて、常に県民の側の視線で働いくことを約束して欲しい、ということです。
そのときの田中康夫とのやりとりは、以前に日記の中に書きました。

信州再生へのビジョンは、案ずるより産むが易しで、僕らの考えているようなものよりはるかに斬新で画期的なものでした。
ことに脱ダム宣言でもわかるように、環境行政に対する思想、行財政改革、利権体質破壊、地域文化再構築への考えかたは、目をむくほど大胆ですばらしいものでした。
ここまでやって大丈夫だろうかと、それまでの県政での経験しか知らなかった県民の多くは半信半疑で聞いたものでした。ただ、保険の約款のように小さい文字でぎっしり書いてあったので、どれほどの県民が読んだのかはわかりませんが…。
しかし、いかにしてもこれまでの県政の、淀みきった流れだけは断ち切らなければならない、というのがその当時の県民の願いでした。

それから以降は、もう日本中の皆さんが知てのとおり、7割という支持を受けて当選し、県議会の横暴による罷免を受けた出直し選挙でも圧倒的支持を受けて当選しました。

長くなりましたので、田中県政の課題などは明日の日記に書くことにします。




たいよう












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Last updated  2006.02.11 01:04:37
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