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2025.01.28
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カテゴリ: 報徳記を読む
報徳記を読む 報徳記  巻之二【1】 先生墾田役夫を賞す その3



1人、寺院、テキストのイラストのようです

物井村の荒地を開墾したとき、年老いた人夫が来て開墾に随った。
一日中 木の根株を掘り続けて休まない。
「わしはもう年老いていて力がない。
 若いもんと一緒に休んじゃ、仕事にならぬ」
そう言って人が休めといっても、休まず木の株を掘り続けた。

開墾が終ってから、尊徳先生この老人を陣屋に呼んでこう尋ねた。

「おまえの生れはどこの国か」

老人答えてこう言った。
「わたくし常陸(ひたち)の国の笠間領の村の者でございます。
 家は貧乏ではございますが、せがれが一人前となり、
うちの仕事は息子にまかせ、生活の足しにしようと思い、この地に参った次第です。あなたさまはこの老いぼれをお捨てにならず、若いものと同様に仕事をあてがい、賃金も同じようにくださいました。まことにもったいないことでございます。」



「お前は、皆の衆にぬきだして丹精の働きをしてくれた。
 わずかではあるけれど、褒美としてこれを与えよう」

 老人大いに驚いて、いったんその金おしいただいて受け取ってから、
謹んでお返しをした。

「身に余る恩恵でございます。しかしながらこのような褒美をもらういわれがございません。
 わたくしは年老いて力なく一人前の仕事もできませんのに、賃金は同じようにいただきました。それだけでももったいないこと。さらにその上、いわれのない大金のご褒美をくださっては、身のおきどころがございません。決して受け取るわけにはまいりません。」

尊徳先生にっこり笑ってこう諭した。

「私はこの地を再復するために、多くの人夫を使っている。
 その人々の働きを見定めないで、いい加減に褒めたり叱ったりなどすることないぞ。
 お前がこの数ヶ月の仕事ぶりもちゃんと見てきた。
一度たりと自分の力を認めてもらおうとすることなかった。
大勢の者が起こしやすいところを選び、開き方が多いことを競って見せようとするなかで、お前はひとり黙々とみんなが嫌がる木の根っこ、力をつくして掘っていた。
人が休んじゃどうかと尋ねても、わしは年老い力が足りぬ、どうして若い者と一緒になって休んでなんでおられよう、そう言っては一日中見栄えのしない骨折りに精出していたことを見ていたぞ。
木の根っこを掘り出すこと数知れず、そのお蔭で開墾は思ったより早くできた。これは全くおまえが実直に働いてくれたお蔭だぞ。
お前はうちが貧乏だから、稼ぎにきたとそういった。
それだのに目の前に与えた金さえ辞退した。
そのきれいな心がけ、他人の及ぶところではない。
今、与えるこの金は、天がお前の正直なその心をばあわれんでお下しになったと思うがよい。早く持ち帰って貧苦を逃れ、老後を養う足しとせよ。」

老人は尊徳先生の言葉に感動し、涙を流し、先生を合掌し何度も拝んで謹んで15両の大金を押し頂いて故郷へと帰っていったということだ。

尊徳先生はこの老人に父親の面影をみていたのかもしれない。
父 利右衛門(りえもん)は、体が弱く、金次郎が12歳のとき、大病し、治ったものの医者に払う薬代がなく、やむなく田地を売り払い2両の金を工面して代金を医者のところに払いにいった。
医者の村田道仙は、「あんたの家は貧乏なのに、この金はどうしたのだ」と尋ねた。
「まったくおっしゃるとおりの貧乏に違いない。家が貧乏だからといって治療を受けたお礼をしないわけにいかない。先祖代々受け継いだ田地を売って御礼しに来たのです」
村田道仙は、はらはらと涙を流してこう言った。
「わしは謝礼などもらわなくとも飢える気遣いはない。
 あんたは、家代々の田地を失い、いったんの義理をたてるはいいけれど、これからどうして妻子を養うつもりなのか。わしがあんたの病気を治したばかりに、かえって艱苦が増すのを見るのに忍びない。早くその金で田地を買い戻すがいい。わしへの謝礼など心配するには及ばない。」
医者の慈愛を喜びながら、利右衛門(りえもん)は聞き入れない。
そこで村田道仙はさらに言った。

「貧富は車のようにめぐるものじゃ。あんたも今こそ貧乏だが、また富むときがこないとはいえない。その富んだとき、この謝礼をするならば、わしもこころよく受けましょう。」

 利右衛門(りえもん)は大いに感激し、いくたびも頭を下げて、それでも一両だけ強いて謝礼におさめ、一両をうちへと持ち帰った。
金次郎は自宅で父親の病後の足元が気にかかり、門口にたって待っていた。
利右衛門が医者の言葉に喜んで手足舞うように戻ってきた。
「お父さん、どうしてそのように喜んでおられるのですか」
「お医者さんの情け深い言葉はこれこのようじゃった。お蔭で残ったこの金で、かわいいお前たちを養える。それがうれしくてたまらんのじゃ。」

尊徳先生はこのときの父の喜びと医者の慈愛の言葉を生涯忘れなかった。
そしてこうしてことあるごとに、年老いた正実な者を見ると賞嘆して恵まずにはおられないのだ。

また、「二宮先生語録」(斎藤高行著:佐々井典比古訳)の366に尊徳先生の言葉をこう伝える。
「衰えた村を復興するには、篤実精励の良民を選んで大いにこれを表彰し、一村の模範とし、それによって放逸無頼の貧民がついに化して篤実精励の良民となるよう導くのである。
ひとまず放逸無頼の貧民をさし置いて、離散滅亡するに任せるのが、わが法の秘訣なのだ。
なぜかといえば、彼らが悔悟改心して善良に帰するのを待ち受けて、これに田地を与え、屋敷を与えるのだから、恨みを懐くことはできず、また善良に帰さないわけにはいかないのだ。」


夕立と 姿をかえて 山里を 恵むなさけぞ はげしかりける

「夏の夕立は、雷は鳴りはためき、稲妻はひらめき渡り、烈風暴雨なんとも名状すべからざる暴虐の姿であるけれども、
天の心はそうではなく、慈愛に満ちて人民のために降らしたまう恵みの雨である。
このように激しくなければ、炎熱蒸すような暑さから生じた田畑の諸虫は死なないからだ。
聖賢の怒りもまたこのようであり、怒りは悪徳ではあるけれども。慈仁心より人を罰する怒りは大いに世のためになるのである。
わが仕法で、衰退した村を復興するとき、遊惰無頼でどうにもいたしかたない人物は、いったん懲らしめてその家をつぶして、突き放すことがある。
これはまた復興の一策である。そう先師が仰せられたことがあった。」(「二宮翁道歌解」福住正兄)




【1】 先生墾田役夫を賞す

時に役夫一人年すでに六十、日々此の場に來りて開墾す。
終日木根(ぼくこん)を掘って止まず。
人休めども休まず。
人之に休めよと云へば、老人答えて曰く、
壯者は休むと雖も終日の働き餘(あまり)あり。
予(われ)既に年老い力衰へたり。
若し壯者と共に休まば何の用を爲さんやと。
小田原の吏之を見て、彼の老人日々木の根而巳(のみ)に心を用ゐるは、開發の勞人と共にするを厭へばなり。
日毎の働き他の役夫の三分が一にも至らず。
先生何の故に斯くの如き無益の老人を退けざるや、明知の一失なりと云ひて竊(ひそか)に之を嘲る。
後數日にして開墾成就せり。
邑民の勞を慰し、他邦の役夫を歸村せしむ。
時に此の老人夫(らうにんぷ)を陣屋に呼び、先生自らこれに問ひて曰く、
汝の生國何(いづ)れぞや。
老人答えて曰く、
某(それがし)常陸國(ひたちのくに)笠間領某村の農民なり、家貧なれども我が子既に長ぜり。
耕田の事は彼に任じ、少しく貧を補はんが爲に君の開墾し給ふを聞きて此の地に至れり、君此の老人を捨て玉はず、壯者と共に役を命ず、又諸人と等しく賃銀を給ふ、其の惠み感ずるに餘りありと云ふ。
先生是(こゝ)に於て金拾(じふ)五兩を與(あた)へて曰く、
汝衆人に抽(ぬき)んでて丹精の働を為したるが故に聊(いささ)か賞美として之を與ふる也と。
老人大いに驚き、金を頂き、謹みてこれを戻し、色を變(へん)じて曰く、
君の恩恵身に餘(あま)れりと雖も、某(それがし)何を以て此の賞に當(あた)らんや。
前にも申せし如く、老父の力役夫に當(あた)るに足らず、然るを等しく賃金を給ふ。
是をも身に餘(あま)れりとせり。
今其の實なくして大金の賞を得ること、某(それがし)身を置くに處(ところ)なし。
何ぞ是を本意(ほんい)とせんや。
某(それがし)決して賞に應(おう)ぜずと云ふ。
先生曰く、汝辭(じ)することなかれ。
我此の地を再復せんが爲に多くの役夫を用う。
豈(あに)其の人々の事実を察せずして猥(みだり)に事を行はんや。
汝數月の働きを見るに、曾(かつ)て己の功の顯(あらは)れんことを欲せず。
衆皆起こし易き地を撰(えら)み、爭ひて其の開田の多少を示さんとす。
汝獨(ひとり)衆人惡(い)む處の木根(ぼくこん)を穿(うが)ち、力を盡(つく)して怠らず。
人休めども休まず。
之を問へば勞力足らざるが故に休まずと、終日力を勞して其の勞力も顯(あらは)れざるに似たり。
汝諸人の嫌ふ所に力を盡して木根(ぼくこん)を穿(うが)つこと數を知らず。
平易の開墾に比すれば其の勞倍せり。
此の故に開田大いに速かなるを得たり。
是全く汝正實(せいじつ)の爲す所也。
之をも賞せずして、諸人と共に同視せば、爾来(じらい)何を以て土功を挙んや。
汝家貧なるが爲めに他邦に出で勞力すと云へり。
然ども目前與(あた)ふる所の金だも辭(じ)す、其の廉直他人の及ぶ所にあらず。
今與(あた)ふる所の財は、天汝の正實を憐み下し玉ふものなりと思ひ、速に持ち歸りて貧苦を免れ、老を養ふの一端ともせば、我も亦之を悦ぶなりと教へ再び之を與(あた)ふ。
是(こゝ)に於て老人先生の言に感動し、流涕(りうてい)衣(い)を沽(うるお)し、合掌拜伏(はいふく)して證辭(しやじ)を盡くすこと能はず。
再三金を戴いて故郷に歸れり。
小田原の吏、邑(いふ)民共に始めて老人の常人にあらざるを知り、先生の善人を賞すること厚くして、其の意中の明敏なることを驚歎せりと云ふ。





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最終更新日  2025.01.28 00:00:21


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