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2025.04.28
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カテゴリ: 坐禅
「生活即禅」18

   入浴道徳、入浴偈
 沐浴身体、当願衆生、身心無垢、内外皎潔、これは入浴場の教えである。沐浴する時は当(まさ)に願わくは衆生も自分も共に内外皎潔身心無垢自分の垢を落とすばかりでなく、残ったお湯を冒涜せず清浄にまた後の人を自分の垢でなるべく汚さないようにするばかりでなく、心まですがすがしく清らかになることが必要である。いつか銭湯で見た広告に標語が書いてある。
   垢を落して心を磨け
 それは垢を落して心を磨けというのである。大変面白い心を磨いたらその周囲界隈を冒涜はしない。それで宗教は生活であるから風呂へ入ること、それ自身がもはや修行である。
 修養ということはただ坐禅の時だけに限られているのではなくいつでもそうである。
然るに大きな身体を石鹸だらけにしてづぶんと飛び込む。そして油ぎった石鹸だらけのタオルを風呂の中で絞って顔をブルンブルンとやる。次に入るものは堪ったものじゃない。金魚をすくうようにそれをすくって桶でかい出して入らなければならぬ。そういうことをするとあいつは風呂を汚すからというので一番後回しにされるか、あるいは風呂をたてても知らせぬというようになって、いつの間にかその人は、一番最初に風呂に入る資格を失ってしまう。私が初めて東京に来て銭湯に入った時、入れ墨をした男が、一生懸命水をかぶっているのだが、八分通りは向こうに飛ぶ。その水が外の男に引っかかった。そうするとかけられた男が「おいおい気をつけろ。水がひっかかるじゃないか」「なに後ろに眼がないから堪忍しろい」「なに後ろに眼がないから堪忍しろいこの馬鹿野郎」というのでぽかりとやったから堪らない、お風呂の中で大立廻りが始まった。これは立派な態度でしょうか。これが君子とか神様仏様の風呂の入り方かよく考えて見れば分る。風呂の流しの所で向こうをむいて妙な格好をしている。よく見れば小便をしておるのです。これは前に廻って顔を見ないでもコンマ以下の人間だということが直ぐ分る。こういうような風呂の入り方にも修養があるのです。(「生活即禅」p.51-53)





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最終更新日  2025.04.28 13:00:10


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