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2025.08.27
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カテゴリ: 森 信三
森信三先生の修身教授録

第33講「敬について」

「敬とはどういうことかと申しますと、それは自分を空しうして、相手のすべてを受け入れようとする態度とも言えましょう。

相手のすべてを受け入れるとは、積極的に申せば、相手のすべてを吸収しようということです。

相手のすべてを吸収しようということは、相手の一切を奪わずんばやまぬということだといえましょう。

ですから真に徹底した敬というものは、生命の最も強い働きに外ならぬわけです。

すべて尊敬するとか敬うというのは、自分より優れたものを対象として発するところの働きです。

ですから敬うとは自分より優れたものの一切を受け入れてこれを吸収し、その一切を奪いとって、ついにはこれを打ち越えようとする強力な魂の、必然な現われと言ってもよいでしょう。

世間では、人を敬うということは、つまらないことで、意気地のない人間のすることでもあるかのように、考えられているようですが、これは大間違いです。・・・

人間というものは、単なる理論だけで立派な人間になれるものではありません。

理論が真に生きてくるのは、それが一個の生きた人格において、その具体的統一を得るに至って、初めて真の力となるのです。





同時にこのように一人の生きた人格を尊敬して、自分を磨いていこうとし始めた時、その態度を「敬」と言うのです。・・・



古い水を捨て去って、初めてそこに新たな水を満たすことができるのです。」

修身教授録は、将来小学校の先生になろうとする大阪の天王寺師範学校の生徒に森先生が一言一句が「実践」につながる修身(文字通り「身を修める」学)を語ったものである。森先生はそれを書写力の一番遅い生徒を最前列の窓辺にかけさせ、その書く速度を見ながら話された。
これが「修身教授録」という稀有の書がこの世に残り、いつまでも私たちを啓発しつづけるゆえんである。
この書はまず第一に先生を目指す生徒に語られている。

「諸君らが、将来教師となって最も大事な事柄は、まず生徒たちが、尊敬心を起すようになることでしょう。

それには一応内外二つの道が考えられましょう。

外から入る道としては、教師自身が、礼を正しくするということです。

内面的な道としては、教師自身が、生徒から敬われるだけの人間となることです。

しかしこの後のほうは、実に容易ならぬ問題です。

というのも、生徒達に対して自分を敬えとは、言えたことではないでしょう。

万一さような事を言ったとしたら、これほど滑稽なことはないでしょう。

そしてなんらの効果もないどころか、あるのはただ逆効果のみです。

ではどうしたら生徒が教師を敬うようになるでしょうか。

それには結局教師自身が、尊敬する人格を持つということでしょう。

実際人々から尊敬されるような人は、必ず自分より優れた人を尊敬しているものです。

そこで教育の根本問題は、どうしたら生徒たちが、自分を尊敬するようになるだろうかなどと、【あくせく】することではなくて、
まず教師自身が、自分の尊敬する人を求めて、生徒とともにその方の教えを受けるというような、謙虚な態度から出発すべきでしょう。」





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最終更新日  2025.08.27 03:10:04
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