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12月9日 晴 ベルリン発
午前9時より藤山氏が来て、そして11時20分下宿を出発し、フリードリッヒストラッセ駅に行って、広田氏と会って、これより3人で乗車した。藤山氏はここでたもとを分かつ。これより同地を出発して午後2時30分ハンノバーに到着し、ホテルブリストルに宿をとる。この日3人で当市中を散歩した。
12月10日 曇
午前9時よりハンノバーの近くのケールチング村ケールチング兄弟会社へ行き(電気及び器械製造所)、社長ケールチング氏に面会する。これより社長の案内で同工場を見物する。当工場の器械の運転はすべて電気による。また電気はガスの原動器に依りて発す。そもそもこの応用を見ることは私たちが欧米に到着して以来当所が始めてである。また工場の規模は盛大でさらに整頓していることには感銘を受けた。午後1時になって社長自ら馬車を御して私たち3人をホテルに送る。また午後2時30分社長自ら馬車を駆って私たちを迎え、そして同車して工場に行き、これより精糖器械の原動機に電気を応用することの利益をケルチング氏は主張して、その効用を説明した。午後5時になって、明日の再会を期してホテルに帰った。
*「二宮先生と余が欧米観」鈴木藤三郎著( 「二宮翁と諸家」 )
「 ▲ドイツ観 ドイツにおいて余はハノーバー府という都会を去ること約2里ばかりの処にある「ケールチング」工場を見舞うた。ここは「ケールチング」工場の職工を以て、実に500有余戸の一村落を形成しておる。ケールチングは当時64歳の矍鑠(かくしゃく)たる老人であったが、この翁の一生も優に立志篇中の材料を供給するに足るので、聞くところに由ると、彼は25歳まで鋳鉄職工であったが、その年「ケールチング」式暖房室機を発明して、財産を作り、遂に工場を起こして、今日では世界的にその工業を拡張し、万事よく整頓してほとんど間断する処を見出さないほどである。余はハノーバー府の旅館より通って1週間ばかりこの工場を視察したのであったが、ある日彼れ余に問うて曰く『君は欧米各国を歴遊して来られたから、定めし見聞が広いであろう、余不幸未だ米国を見ず、我が工場また終(つい)に固陋の弊あるを免れざらん。乞う我が為めに我が工場の欠所を語れ』と。『余曰く、なし、されども強いて言わば、余にただ一の疑問あり、貴場の盛大完備せる。これを英米の工場と比較して毫も遜色なし。ただ貴場の設計室極めて壮観を呈し、かつ聞く所によれば技師は31名の多数に上れり。けだし英米においてかつて見ざるの現象たり、知らずこれ何の故ぞ』と。彼拍手して曰く『善いかな言や、君の疑問まことに理りあり。されど我が工場に有給の技師は、たった一人である。その他は皆な工科大学卒業生が、実習の為めに来場せるものであって、彼らは自費自弁であるいは3年あるいは5年、実地の練習をここに試み、然る後他の工場より招聘し来たるを待っておるので、設計室のごときも余が国家に対する義務なりとして、多少装置を施せる次第である』と。総じてドイツにおいては工学士が大学卒業後、4,5年実地練習を試み、その上なお有給の技手となってから、特別なる功績あるにあらずんば容易に技師長となることが出来ないのである。即ち一人前の人物となるには、少なくとも大学卒業後10か年を要するので、余はケールチングが余に語る所、及びその実際の状態を見て、ドイツ工業の発展する所以、決して偶爾(ぐうじ)にあらざるを悟った。」
12月11日 晴
午前9時ケルチング会社より馬車で迎えが来て、これより私たち3人で同会社の工場へ行く。そして午前11時40分の汽車でハンノーバーを出発して再びブランシュワイに行く。(これはケールチング会社社長が設置する電気で分離器械を動かす器械を実際に見るためで、またこの日はケールチング工場の技師フリッケ氏が案内に同行してくれた)午後2時ブランシュワイに到着し、これよりセルビッグ及びランゲ会社に行く(分蜜器械製造場)、工場及び同会社で電気を応用した分蜜器の試験を見る。これより午後5時当所を出発して6時30分ハンノバーに到着し、直ちにホテルブルストルに帰る。
12月12日 晴
午前9時30分より広田氏の案内で市内に設置する電気鉄道会社に行って、原動器械場を見物した。(250馬力の新式コンバオンド器械4台があった)、また最新式の電車に設けた蓄電器を見る。これよりホテルに帰って、昼食して、午後1時30分発の汽車で午後3時ヒブランシュワイに行く。このとき駅までランゲ会社の技師1人の出迎えがあった。これより同氏の案内で当所精製糖及び氷糖製造会社に行く。G・H・グラッソウ及び子息会社に行き、社長グラッソウ氏に面会する。同氏自ら案内して工場を見物する。当社は精製糖及び氷砂糖の製造所で、私たちがヨーロッパに渡って以来このような工場は初めて見る。最もこの工場主はランゲ会社社長と兄弟であるので特に私たちに見物を許したのだという。すべて厚意により十分な説明を受けた。これより午後6時40分ブランシュワイを出発して同8時10分ハテバーのホテルに帰る。
氷砂糖はすべて□氷である。上等の値段は100ウエート(すなわち50キロ)につき、ドイツハンブルグ港渡しで英貨20シリング、また黄色の2等品で同18シリングであるという、(当工場でこの品物を販売するに、自国ドイツが最もよく、これに次ぐのがオランダであるという)
12月13日 晴 日曜
午前8時25分ハンノバーのホテルを出発し、駅で広田氏と袂を分かつ。これより同地を出発して正午12時ハンブルク港に到着し、ホテル・ド・オイロープに宿をとる。この日日曜で市内を散歩し、当地の有名な湖水の景色を見る。
12月14日 晴 午後より降雪32度
午前9時より日本名誉領事マルチンブルカード氏事務所に行き、主人に面会する。この領事は日独商業を直接にして、将来大いに双方の利益を計ろうと大いに尽力しているという。そして私の望んだ当地の製糖工場にそれぞれ使いをやって見物の許可を問い合わせてくれた。しかし当地は先年以来直接日本に砂糖を輸出している関係から断然見学を拒絶された。(この領事マルチンブルカード氏は先年日本の横浜及び神戸に9か年居住していたという。日本語も日用のことは話せる)これより同氏の紹介で当所パウルスホツフ・ラボイゼン96番地のカル・メーチル商店の店主シモンズ氏に面会する。同氏もまた諸工場の見学許可を求めるため電話で数ヶ所に紹介した。これより同店においてドイツ工業器械製造家組合事務長シュルツ氏に面会して精糖器械について数時間質問する。これよりシモンズ氏の案内でセザントパリウスに行って、夜景を見る。
12月15日 降雪 30度
午前9時よりカール・メーケル商店に行き、シモンズ氏に面会する。これより同氏の案内で当地のミツテルキヤナル1番地のガスプコオンズ工場に行き、(電気原動機(ダイナモモーター)製造所)社長に面会する。これより同氏の案内で工場を見る、この工場はすべて電気を応用して器械を運転した。これよりまたグロウベ・ブライヘン25番地のシュッツケルト及び会社の支店に行き、支配人に面会して電灯器械の設計について質問し、さらにまた同社へ見積りを注文して去る。これよりまたドイツ国器械工業家事務所に行き、所長シュルツ氏に面会して設計上の相談をする。これよりまたカール・メーケル商店に行って、主人シモンズ氏に会い、同氏の案内で当地の商品取引所に行き、商品取引所の事況を見る、(数千人群集してその盛大なことは世界第一だと称する)、午後5時よりシモンズ氏の厚志で私たち2人を自宅に招かれた。よって市中汽車に乗ってスヴハンズベツクレーベンストラツセ27番地に行き、夕食の饗応を受ける。午後9時ホテルに帰る。
12月16日 降雪
午前8時30分メーヤー氏に当ホテルで会合しアルコール器械の図面及び代価表を見る。これよりシモンズ氏の店員案内で、当地アルテルボール4番地のエキズボールト及びラーゲルハウス・ゲゼルシャフトの工場であるレプゾルト街67番地より78番地のルドドイツセイ・スピリットベルケ(北ドイツ酒精工場)に行き、アルコール製造所を見る。これよりカール・メーケル商店に行き、主人シュモン氏に面会して、当地の砂糖見本を取り調べて値段を聞く。これよりホテルに帰り、このとき名誉領事マルチンプルカード氏が訪ねてきて、しばらく談話した。午後3時よりドイツ器械工業家事務所に行き、所長シュルツ氏及び技師ルドヴィウグ・レイボルト氏に面会して、精糖器械の設計について質問し、その他の談話を5時までする。これからホテルに帰る。このときシュモン氏は妻君・長男を連れて私たちの今夜当地を出発するについて、別れに来る。しばらく談話して去る。これより旅装を整え、夜10時30分当ホテルを出発し、当ハンブルグ府の駅より11時8分発の汽車に乗って、オランダに向かって出発する。
12月17日
晴
午前11時40分オランダのフルツシンゲン港に到着する。これより当所で蒸気船に乗り込んで、海上平安で午後8時イギリスのクインバラ港に着船する。これより直ちに汽車に乗って、同10時イギリスのロンドン・ビクトリア駅に到着する。これより馬車に乗って11時20分ハムステット・パウラメントヒル16番地のチャップマン方の宿に帰る。
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.11.17
補註 「鈴木藤三郎伝」鈴木五郎著 その… 2025.11.16
「報徳産業革命の人 報徳社徒 鈴木藤三郎… 2025.11.15