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【27】尊徳先生はおっしゃった。
「仏書に、光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨という。
光明とは太陽の光をいう。
十方とは東西南北乾坤巽艮の八方に、天地を加えて十方という。
念仏衆生とは、この太陽の徳を念じて慕う、一切の生物をいう。
天地の間に生育する物、命あるものはもちろん、無情の草木であっても、皆大陽の徳を慕って、生きることを念とする、
この念ある物を仏国ゆえに念仏衆生というのである。
神国であれば念神衆生と読めばよい。
だからこの念のある者はもらさず、生育をyとげさせて捨てることがないという事で、太陽の大徳を述べたものである。
我が国の天照大神の事である。
このように太陽の徳は、広大であるが、芽)を出そうとする念慮、育とうとする気力がない物は仕方がない、
芽を出さんとする念慮、育とうとする生気ある物であれば、皆これを芽を出させ、育たせるのである。
これは太陽の大徳である。
我が無利足金貸付の法は、この大陽の徳にかたどって、立てたものである。
だからどんな大借であっても、人情を失わず利息を滞りなく済せている者が、またぜひとも皆済して他に損失をかけるまい、という念慮がある者であれば、たとえば、芽を出したい、育ちたいという生気のある草木に同じであれば、この無利子金を貸して引き立てるがよい。
無利子の金であっても、人情がなく利子も払わず、元金をも踏み倒そうとする者は、すでに生気のない草木と同じで、いわゆる縁なき衆生である。
【27】 翁曰く、
仏書に、光明遍照(こうみやうへんせう)十方世界、念仏衆生(ねんぶつしゆじやう)摂取不捨(せつしゆふしや)といへり。
光明とは太陽の光を云ふ。
十方とは東西南北乾(いぬゐ)坤(ひつじさる)巽(たつみ)艮(うしとら)の八方に、天地を加へて十方と云ふなり。
念仏衆生とは、此の大陽の徳を念じ慕ふ、一切の生物を云ふ。
夫れ天地間に生育する物、有情(うじやう)蠢動(しゆんだう)の物は勿論、無情の草木と雖(いへども)、皆大陽の徳を慕ひて、生々を念とす。此念ある物を仏国故に念仏衆生と云ふなり、神国にては念神(ねんしん)衆生と読むべし。
故に此の念ある者は洩さず、生育を遂させて捨て玉はずと云ふ事にて、太陽の大徳を述べし物なり。
則ち我が天照大神(あまてらすおほみかみ)の事なり。
此の如く太陽の徳は、広大なりといへども、芽を出さんとする念慮、育てんとする気力なき物は仕方なし。
芽を出さんとする念慮、育たんとする生気ある物なれば、皆是を芽だたせ、育たせ給ふ、是れ太陽の大徳なり。
夫れ我無利足金貸附の法は、此の太陽の徳に象(かたど)りて、立てたるなり。
故に如何なる大借といへ共、人情を失はず利足を滞りなく済し居る者、又是非とも皆済して他に損失を掛じ、と云ふ念慮ある者は、譬へば、芽を出したい、育ちたいと云ふ生気ある草木(くさき)に同じければ、此の無利子金を貸して引立べし。
無利子の金といへども、人情なく利子も済さず、元金をも蹈倒(ふみたふ)さんとする者は、既に生気なき草木に同じ、所謂(いはゆる)縁無き衆生なり。
之を如何(いかに)ともすべからず、捨て置くの外に道なきなり。
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