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2025.11.13
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カテゴリ: 報徳記を読む
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二宮翁夜話巻の3

【39】尊徳先生がおっしゃった。
用をなす材木は、皆四角である。
しかしながら、天が人のために四角なる木を生じない。
だから満天下の山林に、四角の木はない。
また皮もなく骨もないカマボコのようにハンペンのような魚がいれば、人のために便利であるけれども、天はこれを生じない。
だから満々たる大海に、そのような魚は一尾もない。
またモミもなくヌカもない、白米のような米があれば、人の世にとってこの上もない利益があるけれども、天はこれを生じない。
だから全国の田地に、一粒もこんな米はない。
これをもって、天道と人道と異なる道理を悟るがよい。
また南瓜(kぼちゃ)を植えれば必ずツルがある。
米を作れば必ず藁がある。
これもまた自然の理である。
ヌカと米とは、一身同体である。
肉と骨もまた同じである。

それなのにヌカと骨とを嫌って、米と肉とを欲するのは、人の私心だからであって、天に対しては申訳けないではないか。
しかしながら、今まで食った飯も腐れば食うことのできない人体であるから、仕方がない。
よくよくこの理を明らかにしなければならない。
この理を明らかにしなければ、私の報徳の道は了解することが難かしく、実行することが難しい。



【39】翁曰く、
世の中、用をなす材木は、皆四角なり、
然りといへ共、天、人の為に四角なる木を生ぜず、
故に満天下の山林に、四角なる木なし、
又皮もなく骨もなく、鎌鉾(かまぼこ)の如く半片の如き魚(うお)あらば、人の為弁利(べんり)なるべけれど、天是を生ぜず、
故に、漫々たる大海に、斯の如き魚一尾もあらざるなり、
又籾もなく糠(ぬか)もなく、白米の如き米あらば、人世此の上もなき益なれ共、天是を生ぜず、故に全国の田地に、一粒も此の米なし、
是を以て、天道と人道と異なる道理を悟るべし、
又南瓜(かぼちや)を植へれば必ず蔓あり、米を作れば必ず藁あり、
是又自然の理也、
夫れ糠と米は、一身同体なり、
肉と骨も又同じ、
肉多き魚は骨も大なり、
然るを糠と骨とを嫌ひ、米と肉とを欲するは、人の私心なれば、天に対しては申訳けなかるべし、然りといへども、今まで喰ひたる飯もすへれば喰ふ事の出来ぬ人体なれば、仕方なし、
能々此の理を弁明すべし、
此の理を弁明せざれば、我が道は了解する事難く行ふ事難し。





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最終更新日  2025.11.13 00:00:07


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