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2024年 6月25日福岡の甥からTELがあり長姉の訃報を知る。83歳だった。数々の思いが心をよぎるが霞にかかったようで肝心なことが記憶から欠落してるような気がする。又一人血縁が旅立った。6月26日今日6月26日通夜、明日27日葬儀ということで今日昼過ぎの新幹線さくらでで博多に向う。祇園のアパホテルにチェックインし喪服に着替えた後地下鉄、タクシ-を乗り継ぎ下山門の葬儀式場しらゆりセレモニ-ホールに。亡き姉と対面した後に18時より通夜、その後会食。帰りは姪の車で送ってもらってホテルに戻る。6月27日10時に葬儀式場に。1時間ほど控室で親族と過ごし11時から葬儀。12時30分頃出棺雨が降り出す、涙雨だと喪主甥のつぶやき。マイクロバスにのり13時過ぎに福岡市の斎場-刻の森に到着。最後のお別れをする。そののち控室にて会食。15時過ぎに親族一同15名ほどでお骨拾いマイクロバスにて式場へ戻り告別式終了。再び姪の車で送ってもらってホテルに戻る。深夜は豪雨だったらしい。6月28日朝10時半ホテルをチェックアウト後に新幹線さくらにて神戸に戻る。自宅へは14時半ごろ戻る。
June 28, 2024
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今年も亡き叔父がわが家の新築祝いに送ってくれたツツジが満開となった。優しかった叔父の面影がこのツツジの満開の時期にいつも鮮明になる。2012年に亡くなったのでもう12年前になる。ツツジなどたくさんの植木を送ってくれたのは1985年だから39年前。狭い場所で良く生きながらえているのは本当に嬉しい。
April 23, 2024
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久し振りに博多の姉がわが家に来てくれた。
August 26, 2023
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2023-08-10昨年11月以来博多へ新幹線で帰省前々から娘婿が墓参りをしたいといっていたのでこれを機会に私の姉ともかいしょくすることにした。この前夜はいつものように友人Sと博多駅裏の居酒屋で一献傾ける。その後ホテルで宿泊。2023-08-11あくる朝墓参のためこれも前夜から私とは別に車で神戸から博多へ来てくれたていた娘家族4人と西区の駅で合流し墓参りをした。その後長姉の家に行き仏前に義兄に線香をあげた。それから大渋滞の道を博多へ出て皆で赤らくで昼飯を食べた。長姉と甥、次姉とその姪二人、私、私の娘家族4人で計10人娘家族は東区の次姉の家に行く。姪の娘二人も来たと画像をくれた。私は一人分かれて博多駅に行き新幹線で帰神。
August 10, 2023
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法事のため福岡へ。11月3日 新幹線さくらで新神戸から博多へ。地下鉄で1駅の祇園のアパホテルにチェックイン。荷物を置いたあと、取って返した博多駅で友と再会し駅前の居酒屋で一献傾ける、お互い年を取った。2時間後ホテルへ引き返し前泊。11月4日 九大病院近くの松月院で11時から法事、故人の兄弟、子供12名。働きもので定年後は趣味にも没頭していた義兄を偲んで木魚と念仏を聞きながら焼香。その後会食1時間余。帰りの新幹線の時刻に間があったので東区の姉の家に行き姉や甥姪たちと歓談。その後西区の甥の車で博多駅まで送ってもらい又新幹線さくらにて新神戸に帰ってきた。友や親類と嬉しい時間を過ごした2日間、久しぶりのいい旅ともなった。
November 4, 2022
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今を去ること37年前に新築祝いに叔父から送られてきた『久留米つつじ』が今年も満開となりました。土の少ない狭いところに植えているのに、健気に毎年きれいな花を咲かせて楽しませてくれます。こちらのツツジは3種類あるのですがまだチラホラです。アザリアは、一時枯れてしまってあきらめていたところ2-3年前から根元から芽が出だして咲き始めました。まだツボミなので開花したら追加します。追加画像
April 26, 2022
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義兄の49日の法要のため福岡へ先月に続き帰省した。朝6時前に家を出て新神戸から空席が多い新幹線(さくら9時27分)博多に着いた。。出席者20名余 九大病院近くのお寺で法要、その後会食、そして八田の姉の家に行き又甥や姪とも歓談した。それからいつものように姪に宿泊のホテルに送ってもらってチェックイン。オープンしたての祇園駅前のアパホテル。キャンペーン中なのか、カレーをもらった。客室、安い割には、今までとまった博多駅周辺のホテル同等以上で満足。5時に博多駅の筑紫口で約束していた前原のMさんに会って近くの居酒屋で3時間ほど歓談。8時ごろホテルに帰着。一団と冷えているが雪はなくTVを見ながら就寝。朝5時に起床、外を見たが雪は無し。地下鉄で福岡空港へ。なんだかずいぶん広くなっている、前回この空港を利用したのはどのくらい前だったかよく覚えていない。7時発の満席のJAL便で8時過ぎに伊丹に着いた、風は冷たいが何と快晴。待ち時間30分を空港で過ごしバスで三宮経由我家まで帰ってきた。どこででも雪がなく拍子抜けしたが、予報が外れて本当に良かった。
December 25, 2021
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畑に行った帰りに霊苑に行った。孫に男子がいるのでもうそろそろ作っといた方がいいかなと、前回説明を受け大体場所など決めていたので今日は契約に行った。実際に墓標を作るのはもう少し先になる。
December 24, 2021
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今年も40年ほど前に叔父に送ってもらった久留米つつじが咲きました。昨年まではもう枯れたと思っていたアザリアが復活し花をつけています。この時期になると映画に連れていってくれたり模型の船を作ってくれた今は亡き優しかった叔父を思い出すのです。
May 13, 2021
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家の前の通路と壁の40cmX3mほどのほどの狭い空間にあるつつじが今年も律儀に咲いてくれました。昨年も書いたように叔父から35年前に送ってもらったつつじでこれから自分の中では叔父の名前をつけてツネヨシツツジと呼ぶことにしました。孫もきれいだと言って3世代にわたり愛でることが出来ているわけで、毎年優しかった亡き叔父を思い出します。 これも そしてこれも アザリアはもう枯れたと思っていたが枯れ木の根元から芽がふいて花が咲きだした。
May 3, 2020
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私の知る限り、母親は4人兄弟、父親も4人兄弟でしたので血縁のある叔父、叔母はあわせて6人いました。そのうち最後の一人郷里福岡に住む父方の叔母がなくなりました。この叔母の子供、私の従弟が昨年亡くなりましたので相次ぐ夭折に時の流れを感じざるを得ません。合掌!!
March 17, 2019
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家内が倒れて以来始めて3年ぶりに帰省しました。亡き父の27回忌法要のためです。博多駅では外国人が目立ち、地下鉄では中国語が飛び交っていました。今年2月に神戸市から支給された敬老パスは、この福岡市の地下鉄でも、ICカードとして便利に利用できました。お墓で線香をあげそれから皆で会食しました。姉一人、甥夫婦、姪夫婦と子供一人、姪と子供一人と私で9人でした。前回の法事よりずっと人数が減っていて時の移り変わりを感じざるを得ませんでした。辛子明太子は子供たちの分もお土産にもらったので、自分用に辛子蓮根を買ってきました。店は黄色一色です。店員さんがポーズをとってくれました。行は満席でしたが帰りはガラガラでゆっくりできました。
July 21, 2018
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娘夫婦から古希の祝いにに額入りの我々夫婦の似顔絵とカタログショッピングを貰った。カタログショッピングの中から有馬温泉の二人一泊を選んだ。息子からは近くのステーキハウスで食事の申し入れがあった。暖かくなったら出かけよう。
February 17, 2018
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膝に人口関節を入れる手術をして入院している長姉を見舞うため福岡へ。7/30 朝の新幹線さくらで新神戸から博多へ。まず次姉のいる東区へ、仏様に参って次姉夫婦と姪4人で食事。姪の車で長姉の入院先の高宮の福岡整形外科病院へ1時間余。そして西区のお墓へ参る。とって返して博多駅へ。暑かったので車の移動は楽だった。今は3児の母になった姪に感謝。約束の時間に10分遅れてS君と再会、近くの居酒屋へ。行く途中すごい夕立、傘を買う破目に。1軒目は寒すぎたので早々に引き揚げ2軒目に。最近定宿にしている駅から1分のホテルFORZAへ。7/31 西新駅で11時にT君と待ち合わせ。 近くの福岡博物館で昼食を一緒にとることに。行って見ると ”官兵衛展”をやっていたので見ることに入場料1300円と少し高い。がシニア割引で1100円。見終わるのに1時間以上かかった。その後館内のレストランで一緒に昼食「官兵衛籠盛膳」。福岡は官兵衛で盛り上がっているようだ。ただ筑前52万石は官兵衛の子長政が徳川家康より拝領したもので、ここに来た時はもう隠居の身だった。
July 31, 2014
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天神の明蓮寺で朝11時から。ホテルを10時にチェックアウトして地下鉄で天神まで行きそこからは徒歩で向かった。昨年49日の法要を行った場所であり、用心のため地図も用意していたのだが昨日の酒が残っていたせいか道に迷ってしまった。ちょうど小さな交番があったので中に入ったら4人もの警察官がせまい交番の中に座っていた。一番若い警官が親切に場所を教えてくれた。さっきすぐその横を通ったのだが見逃していた。法要が小一時間で終わった後みんなで天神に戻り会食した。往復の新幹線の中で昨日駅で買った「のぼうの城」上下読了。
May 5, 2014
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明日の法事のため博多へ行った。今回は連休で博多はどんたくの祭りのためか駅周辺でのホテルは確保できず、中洲のホテルに泊まることになった。博多駅から地下鉄で中洲まで2駅。地下から地上に出るとそこは祭りの真っ最中だった。沿道は人だかりで皆パレードを楽しんでいた。ホテルに向かう商店街は祭りに参加してる人が小さな山車を引いていた。ホテルの前の公園も色とりどりの衣装を着た祭りの参加者でいっぱいだった。5時に待ち合わせの博多駅に行き友人と1年ぶりに会って近くの居酒屋で飲んだ。例によって何時にホテルに戻ったかよく覚えていない。
May 4, 2014
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娘の二人目の子が生まれた。朝5時過ぎ、男の子3020gr。家内は面会にいったが私は預かっている娘の長女の世話があり留守番。一人目と同様切迫流産気味で最後は入院したが、母子とも健康で良かった。息子の孫と合わせ三人目になった。
August 30, 2013
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昨日博多の甥が我家を訪問。教員免状の更新研修を受けるため京都に行く途中に立ち寄った。せっかく神戸に来たのだからと近くのステーキハウスに家内と3人で行った。多分十何年前に両親が我が家に来たときに寄って以来。まあ満足してくれたようで、今朝は我が家を出て京都に向かった。
August 3, 2013
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娘夫婦が孫娘と一緒に家に来て誕生祝いをしてくれました。寿司とビールそれにケーキで2時間あまり楽しい時間を過ごすことが出来ました。
January 5, 2013
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今日は朝11時前にに息子がそれからしばらくして娘夫婦と孫が来ました。いつものようにお節料理を食べながら歓談しました。孫娘はまだ8ヶ月くらいで、今日はあまり機嫌よくなかったようです。平和な1日は終わりました。お節と焼き鯛お節とバラ寿司 がめ煮(筑前煮)は撮り忘れお雑煮 かつお菜が入っているのが博多の雑煮お菓子
January 2, 2013
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朝10時 長姉宅を発つてバスで東区に住む次姉宅へ。福岡市の西から東に横断することになる。天神でバスを乗り換え1時間余。次姉宅で昼食を取り次姉の義母の見舞いに、近くの病院まで義兄の車で行く。そのあと博多駅まで送ってもらい皆に別れを告げる。土産物を買い新幹線に。購入していた指定券の時間より早く終わったので自由席に乗る。始発駅なのでガラガラかと思っていたが最後まで殆ど乗客はこの車両に私一人だった。
July 30, 2011
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NHKFMの土曜夜10時のFMシアターで「鳥を放つ日」を聞いた。東京に住む甥の脚本によるもので、今回は本人作であった。カンボジア人の母親と日本人の父親に生まれた中学生イサムが人種偏見などにあいながらも家族や友人とのぶつかり合いの中育っていく物語。終わりがさわやかだったので後味も良かった。50分の放送時間アッという間に終わった。身内ということを抜きにしてまあ良くできた「本人しかできない作品(甥の弁」だと思う。もっともっとこれからも放送される作品を作ってほしいと思う。
October 10, 2010
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朝9時半に投宿した久留米ホテルを出て、西鉄電車で福岡天神へ戻る。地下鉄で下山門へ行き、駅前のタクシーに乗る。松原の墓に行きタクシーを待たせて盤若心経を唱え墓参りを済ませる。その足で姉の家に行く。昼飯を食べた後、姪の車で姪の子供も一緒に継母が世話になっているグループホームへ。一時間余継母に話しかけたりして過ごす。今日は姪の可愛い娘もいたせいか結構機嫌が良く笑い顔がたくさん見られた。再び姉の家に戻り涼みながら高校野球を見る。甥が帰ってきたので皆で夕食に出かける。梅の花帰ってきて甥と一緒に”龍馬”のTVを見てるとグラバーのせりふに「10分だけなら話を聞く」というのが合った。江戸時代の時間で「分」を使っていたのか、私の読んだ本や見た映画にその記憶はない。帰って来てネットで調べてもやはりない。???早めに寝たせいもあって明け方3時に眼がさめた。寝間に「ゲゲゲの女房」の本があったので読んだ。 脚本化により原作にない登場人物が多いことに驚かされる、
August 15, 2010
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娘夫婦の主催で息子夫婦共々6人で近所のレストランで会食をした。台風も関西から遠のいたみたいで雨も上がり食事中に窓から見える山の深緑がすがすがしく心地よかった。その後我が家に来てみんなでお茶を飲みながら歓談した。息子も娘もこの1ヶ月前くらいに体調をくずしたが今は良くなっているので健康がやはり一番と感じた次第。
August 12, 2010
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頭を打って堺の病院に入院している義兄を見舞った。車椅子だと聞いていたがもうあるけるほどに回復していたが高齢なのでリハビリにこれからまだ時間がかかるらしい。その後肝臓を患って尼崎の病院に入院している義姉を見舞った。こちらも回復傾向にあるが同じく退院の目処はまだついていない。今日の天気はバカ陽気で4月~5月の気温だった。上着も脱ぐくらい大阪や尼崎の日射しはきつかった。義兄、義姉とも本格的な春が来る頃には直ってほしいものだ。
February 23, 2010
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我が家でここに越してきてから20年あまり九州はツツジの産地久留米市に隣接する小郡市のおじさんから送ってもらったツツジが同じ場所にずっと同じ大きさで毎年花を律儀に咲かせてくる。ツツジも好きな花のひとつ。
May 17, 2009
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5月9日と10日に故郷福岡に行って来た。5月9日4年ぶりに学校の同窓生Sと博多駅で落ち合った。時間が早かったのでコーヒーショップで1時間ほど語らった後居酒屋の開店時間とともに場所をそこに移した。彼は一度企業に勤めていたがUターンし中学校教師となった。校長の時に鬱病になり定年を待たず退職している。いつものように酒が入ってからの事は半分も覚えていない。9時過ぎに引き揚げ姉の家に泊まった。5月10日午前中にグループホームの義母を見舞った。今年もどうやら私の顔は分かったようだった。昼から昨年と同じ筑前堀というひなびた炉端焼き屋に入り皆で飯を食べた。昨晩結構飲んだので今日は飲めないかと思ったのだが料理がうまかったのでビールや焼酎が結構いけたのだ。帰りに義兄の車で博多駅まで送ってもらった。からしめんたいを買い、そこから空港に行き寄る九時半過ぎに家に帰って来た。義母の個室に飾ってあった誕生祝いの寄せ書き 炉端焼きに出たニジマス 福岡高速道から見た博多湾の潮干狩り
May 11, 2009
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週末有馬温泉で恒例の麻雀をやり、明くる日の新幹線で故郷福岡に向かった。目的はグループホームに入っている義母の見舞い。昼前に到着し、姉弟で昼飯を食べるため指定のレストランへ。地下鉄が乗り入れている筑肥線の今宿駅から車で10分の「筑前堀」という炉端焼きの店。「こんな店、良く知っていますね。通でなければ地元の人も知りませんよ。」とタクシーの運転手。後で聞いたら甥の学校の先輩の店だった。周りは山できれいな孟宗竹が雨に濡れている。それぞれ客室はバンガロー見たいに独立している。店の人の対応がおっとりしており昔の雰囲気に浸りほっとする。料理は鶏肉、牛肉、魚介類でした。最近は余り肉類は食べられないのですが何故かたくさん食べられた。変わった果実酒がいろいろありこれも楽しめた。覚えているのは「ぐみ」の果実酒で結構いけました。その日は長姉の家に泊まり。当日参加予定の次姉は嫁ぎ先に母親(88歳)がころんで背骨を圧迫骨折したので急遽欠席。その明くる日、甥に送ってもらってグループホームに義母を訪ねた。どんどん物忘れが進んでいるようだが、私の名前と顔は想い出してくれ来たかいがあった。それから次姉の家に向かった。ちょうど昼時だったので昼飯に鮨を用意していてくれ皆で食べる事になった。皆といっても日曜日なので次姉の子供3人、孫6人も遊びに来ておりそれはにぎやかというより騒乱状態といった方がいいかも。その後姪の車で病院に行き次姉の母親を見舞った。思ったより軽傷でで2週間で退院出来るとのことだった。引き返し再び次姉の家でしばらく歓談した後、又姪の車で博多駅まで送ってもらった。辛し明太とひよこを買って帰ってきた。飲み続けでその元気がなかったこともあったので、今回は旧友との再会はなし。
May 27, 2008
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昨夜は姉の家に泊まりました。甥が午前中時間があるからと佐賀県境に近い山にある「白糸の滝」に連れて行ってくれました。彼は高校の教師で今日は昼から部活指導に行けばいいいいだけだからと。白糸の滝は街から近いので夏は手頃な行楽地になっています。車で50分です。そんなに大きな滝ではありませんが、さすがに近くに行くと水しぶきででひんやりします。せっかく来たからと名物の滝の水を引いたそうめん流しでそうめんを頂きました。朝ご飯を食べてそんなに時間がたっていなかったのに思わず皆「うまかー!」の声が出ました。眼下は魏志倭人伝での最初の上陸地「伊都国」です。一大卒(駐屯兵)がいたところで遺跡がいたるところにあります。昨夜の雨が塵を洗い流したせいか空気は澄みわたっていて絶景でした。帰って来てから昨日私が帰省していることを知って連絡をくれた幼ななじみのTwoちゃんが昼飯を一緒に食べようと迎えに来てくれました。鳥料理がうまいと言ってくれましたが、聞いてみるとちょっとボリュウムがありそうなコースだったので「魚料理」が良いといったら車で30分の海辺の旅館がある芥屋まで連れていってくれました。彼が現役時代に接待によく利用していたところとのことです。昔話などしながら食事をして帰途につきましたが、突然「きよちゃんの家、知っとうね」と言われて「知らんばい」というと国道から曲がるとすぐそこが姪のきよちゃんの嫁ぎ先でした。このTwoちゃんは彼女の仲人、そしてきよちゃんの旦那の親戚でもあるのです。畳屋さんで盆前が一番忙しい時期だというのに彼女の両親、旦那も出てきてくれて手づくりの梅ジュースを飲みながら小一時間歓談して、土産にそのジュースを貰いそこを後にしました。そしてTwoちゃん家に寄りました。Twoちゃんのお母さんが90歳の誕生日を迎えたばかりだと聞いていたので祝いの花束を持っていったのです。ちょっと足が悪いですが後はうらやましいくらいのきわめて健康体です。もよりの姪浜駅まで送ってもらいました。ちょっと学生時代の友と飲もうかなとも思いましたが思い直し博多駅で「からしめんたい」を買って帰路に着きました。最近あまり飲めなくなってしまったようなのでそれはいつかわからないけど次回にしました。ふるさとはいいなあと又思いました。白糸の滝 流しそうめん 伊都の国
August 7, 2007
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故郷 福岡へ行きました。次姉と駅で落ち会って、暑いのでタクシーを拾ってお墓へ。線香をあげてから長姉の家に行ってみんなで昼食をしました。そこに来てくれていた姪の車で義母がお世話になっているグループホームに。足の骨折以来車椅子生活となり認知症になり心配していましたが、幸い私の顔は分かってくれました。夜は閉鎖されたゴルフ場跡地にできたレストラン「梅の花」で食事をしました。敷地が十分なせいか、予約した個室もゆったりした広さで庭を見ながらでした。神戸の同じ店とは雲泥の差でした。田舎はいいなーと思いました。
August 6, 2007
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昨夜は台風接近で心配しましたが一夜明けても台風の影響はなく義兄の法事にK市まで行って来ました。途中もう高齢の部類に入る義姉夫婦をA市でピックアップしました。一般道、阪神高速神戸線、名神高速、一般道、阪神高速湾岸線を乗り継いでちょうど2時間。台風の接近予報のため道はがらがらにすいていました。法事は読経50分、会食2時間それから2番目の義姉の家により泉州名物の玉葱などを貰って帰ってきました。帰り道ところどころにのぞく青空。秋空みたいに高く、最近みたこともない澄み渡った美しさでしたちょっとビールを飲み過ぎて疲れました。(運転は家内なので飲酒運転はありません)松坂が打たれながらも味方の援護で勝ちを拾ったニュースを見ながら寝てしまいました。台風がこなくて良かったの一日でした。今日の魚くんはボホール島の南に位置するバリカサグ島のミゾレチョウチョウウオです。
July 15, 2007
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毎年大叔母の命日法要のため大阪天王寺の○心寺に行っています。今年は12月18日(月)の今日神戸から阪神高速を通り小一時間かけてお参りしました。彼女のお骨はこの寺に納めているのです。彼女は明治生まれで若くして故郷福岡から単身、大阪や東京に出て苦労しました。大阪で所帯を持ったものの子供達や夫に早世されました。晩年になり、故郷が懐かしく彼女の叔父(hanadaiの祖父)の元を訪れた時にまだ学生だったhanadaiと会いました。それからつながりができて、結局彼女の最後を看取ったのはhanadaiの家内です。彼女の生前の望み通り夫が眠るこの○心寺にお骨を託しました。告別式もこのhanadaiの父親、従兄弟そして彼女の大阪の知人を呼んでこの一心寺の一角開山堂で行いました。そういうわけで毎年命日の知らせが○心寺から届き法要します。今年で19回目です。恵まれなかった大叔母に合掌。せがき法要 表門を守る仁王(?)様
December 18, 2006
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毎年「夫の転勤で大分に住んでいる姪」から師走になると『殻付き牡蠣(かき)』を送ってきます。しかしいつも忘れていて送ってきてから今年も来たかという感じです。その牡蠣がクール宅急便で今日着きました。さっそく夕食のおかずになります。殻をこじあけるのはhanadaiの役目です。酢の物、牡蠣フライ、焼き牡蠣、いつもこのパターンですが今日は酢の物と焼き牡蠣にしました。例年と違うのは今年は焼き芋に使った七輪を食卓の上に置いて焼き蠣にしました。炭火の暖かさは格別です。アッという間になくなりました。忘れずにいつも送ってくれる姪に感謝です。
December 17, 2006
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福岡の地下鉄はプラットフォームにゲートが付けられています。新幹線のこだま停車駅についている、電車が止まってから乗降口の前で開くゲートと同様のものです。神戸では無人運転のポートライナーに当初から導入されているし、関空も。福岡の地下鉄は当初はそれは付いてなく、最近(2年前にはなかったように思う)導入されたのでしょう。経費削減の折り安全を重視した姿勢が嬉しい。神戸も、大阪も地下鉄には付いていません。札幌や最近行ったことがないか東京はどうなんでしょう。地下鉄の終着駅 姪浜駅は地上駅となっている。
December 13, 2006
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福岡にいる継母が大腿骨を骨折し手術することになりました。明日が手術日であり、急遽福岡に行くことにしました。84歳なので今後の回復が心配です。近くの姉が面倒みていますので、彼女をねぎらう意味もあります。朝が早いので今日は早く寝るつもりです。
October 31, 2006
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昨年癌で急逝した義兄の1周期の法要のため9時過ぎ家を出ようとしたら外は時ならぬ豪雨。これは大変と思ったが時間もあるので出発。幸い三宮に入る頃は小ぶりになり名神を走ってる頃には曇り空。尼崎の義姉夫妻を拾い岸和田へ・ちょっと早く着いたのでコーヒーショップで喉を潤し12時20分前に到着。12時より法要約1時間。その後会食2時間。そしていつものようにもう一人の義姉の家に行きそうめんを馳走。家の前の畑でリタイアした義姉のつれあいが作っている泉州タマネギを半端な量でなく30kgほど貰って6時に帰宅。何もしていない(運転も酒を飲んでいるので妻任せ)けど疲労困憊(ちょっとオーバー)。
July 2, 2006
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義兄の1周忌のため大阪のK市を訪れる。神戸より阪神高速神戸線、名神高速を乗り継ぎA市で義姉夫婦をピックアップする。それから阪神高速の湾岸線に乗り上げ一路K市へ。春の嵐に見舞われゆっくり走ったものの、この雨で行楽客がすくないせいか道路はどこもすいていて予定より早くついた。 朝11時より読経が始まり小1時間。12時から会食し3時に終了。帰りにもう一人の義姉のところによりお茶を飲み野菜を貰う。帰路まだ雨は残っていたが峠はこしたようだ。食べすぎ、飲みすぎのため晩飯は抜き。早く寝た。
February 26, 2006
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初風呂に入り雑煮を食べた。 今日は年賀状が少ない。昔は1月2日の年賀状はなかったような。 昼過ぎに娘夫婦が来る。 昼飯を一緒に食べた後5人で近くといっても車で20分の八幡様に初詣に行く。 おみくじを引いたら末吉だった。 ここ最近大吉を引いた記憶がない。 昔は大吉しかないのじゃないかと思うほど大吉ばっかり引いたものだが。 お札と破魔矢の昨年分を返し、今年の分を購入する。 ふと見上げると葉が落ちたイチョウの木にハゼみたいな赤い葉が。 他の木が枝に寄生しているみたいだ。
January 2, 2006
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今年もお正月様が来た。朝9時に起きたらなんと快晴だ。昨年まで毎年山からご来光を見ようと朝6時に家を出て近所の山の高台に行くのを恒例としていたが今年は天気が良くないとの予報を信じ朝寝を決め込んでいたのだ。 10時親子3人と猫一匹で正月を祝う。屠蘇を飲みお互いの健康を感謝する。そのあと中国人のRさんに貰った金粉入りの清酒を熱燗にして喉をうるおしながらおせちを食べる。我が家は九州式で数の子、黒豆、がめ煮(筑前煮)、かまぼこが必須。くりきん、たづくし、こんぶ、焼鯛は関西に来てから食膳に上るようになった。子供向けにハムやから揚げもあったりするがこれは余分。雑煮は鳥のスープに縁起物のこぶとするめを必ず入れる。関西では手に入りがたい”かつお菜”はここ数年田舎から送ってくれるので喜ばしい。餅は杵付餅にしたいが残念ながら家庭ではちょっと難しい。神戸に来て20年東芝の”もちっ子”でいつも12月30日につく。今年は急に思い立ち家内ともども着物を着ることにした。考えてみると私が着物を正月に着るのは30年ぶりだ。箪笥の中の着物は昔のままであった。着てみると意外と暖かい。3が日を着物で過ごすことにした。物置から下駄も探してこなければ。年賀状を見ながらおだやかな正月を迎えている。
January 1, 2006
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朝 姉と一緒に甥の車で義母の家に。線香を用意して祖父母と父母が眠る墓へ久しぶりの挨拶。義母を連れて病院に行くという姉に別れを告げる。 博多駅から鹿児島本線に乗って亡き友の待つ宗像へ。彼は昨年HANADAIがタイ駐在中に天に召された。東郷駅で下車しTELで来意を告げた後タクシーで向かう。細君は留守で忘れ形見の娘さんが留守番。背が高いため、聞いて見ると中学生で178cm。両親のDNAをそのまま引き継いでいる。学校も会社も1年後輩のくせに先に逝ってしまった友の遺骨に遺影を前にしばし合掌。今回予定の5箇所の仏様へのお参りがこれで終了。博多に引き返し、友と一献傾けようかと迷ったが2日酔い気味だし帰りの便は予約してなかったので今回はパスすることにした。東郷駅から鹿児島本線を下り小倉駅へ。さすがに昨日と違って駅は大混雑。指定券は勿論売り切れだった。神戸に帰る方法を考えながら土産ものを見ていたら偶然、名古屋勤務の時に、毎日のように酒を飲み交わした友人がいた。休暇で帰省し明日から仕事とのこと。彼の列車時間がせまっていたので再会を期して分かれた。こちらもホームに上がり 満員ののぞみをやりすごし広島行きのこだまを待つ。理由はこの列車の自由席には行列がなかったため。着いたこだまは何とがらがら。広島まではゆうゆうと座って行けた。しかも座席は2人用が二つの広い座席。 広島に着くと十数分待ちでで始発の新大阪行きの列車が滑り込んできた。当然自由席の座席を確保。安心すると空腹を憶えたので車内販売の弁当を買った。腹がくちると眠くなる。昼寝をむさぼりながら新神戸に着いた。ちょっとだけ疲れた。
August 16, 2005
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急に思い立ち福岡の田舎に帰ることにした。目的は仏様参りである。あさ8時前に高速バスで伊丹に到着。8時40分発のJAL便に乗り込む。機内はガラガラさすがに今日移動する人は少ない。アッと言う間に板付に到着。地下鉄で天神へ。あの地震で窓ガラスが雨のように降った福ビルはもう何事もなかったかのように修復されている。西鉄電車にて小郡駅に行き、そこから急だが今からお参りに行くと電話。タクシーで母方の実家、今は叔父夫婦が住んでいる。何と家が新しく建て変わっている 新築の家では、宴会のざわめきが聞こえる。お盆なので人が集まっているのだろう。仏壇へ挨拶もそこそこに、宴会に飛び入りし叔父叔母はじめ従兄弟やその子供と酒を酌み交わす。名物の馬刺を見つけ舌鼓をうつ。うまい。叔父さんの声「Hちゃんは焼き茄子が好きだったねえ」そう、子供の頃の夏休み、ここ母方の実家に来て好きな焼き茄子をやまほど食べるのが楽しみのひとつだったのだ。農家だからいくらでもあったのだ。早速準備してくれる「うまい」しかし今回はほろにがい味がして涙が出そうになる。 夕方そこを辞してもう一人の亡くなった叔父の仏壇に参り天神にバックする。義母、姉二人、義兄、甥が待つ居酒屋に行き2月以来の顔会わせ。そのまま石丸に住む長姉の家に行き仏に参った後倒れるように就寝。途中の記憶が飛んでいる。さすがに飲み疲れた。
August 15, 2005
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今年3月に義兄(長兄)が天に召された。そしてこの7月末その次兄が癌のためあっけなく昇天。今日はその告別式のため大阪のK市に行った。途中兵庫県A市で義姉夫婦をピックアップした。日曜のため車がすいており2時間でK市の式場に着いた。義兄のなかでは一番優しい人だった。そのためか参列者が非常に多く小さな式場に入れないひとがたくさんいた。考えてみれば、このK市で告別式に参加するのは4回目になる。結婚式は何度か覚えていない。それだけ自分も関西に根づいたということなのだろうか。朝8時半に出発し帰宅したのは夜9時だった。歳をとると冠婚葬祭の葬が多くなるのは必然なのだが。
July 31, 2005
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思ってもみなかった。まさか福岡で地震が起こるとは。昔からまったく地震がなく、これといった断層もないと聞いていたので。西区と東区に義母、姉兄が、前原市に知人が住んでいたので即TELした。地震発生後15分までは連絡できたがそれ以後はまったく通じなかった。姉兄、母親は連絡がすぐについたが、前原市の知人に翌朝までTELがつながらなかった。 結果は皆被害は軽微で、けがなし。墓石の倒壊もなし。幸いだった。日本に住む限り地震と台風からは逃れられない。日頃から準備し、うまくつきあっていくしかない。
March 20, 2005
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少し早いと思ったが7時前に我家を出発し車で告別式会場岸和田シテイホールに向かう。土曜日のため通常1時間半はかかるところを1時間で到着。導師読経・焼香・喪主挨拶・お別れ後出棺・斎場搬入・昼食・収骨・初7日法要・夕食と通常の一連の儀式が終了し義姉夫婦を尼ヶ崎の自宅まで送って神戸の我が家へ到着したのは夜8時。 とにかく親類が多いのが特徴。ざっと数えて仏の2親等までが50名。お互いに「顔は見覚えがあるが誰かな」「年賀状は出しているが顔は知らない」などという相手が結構いるのだ。こういう法事でしか顔を会わさない親類は義母の7回忌以来だからもう7-8年も会っていないことになる。と言うことでお互いを確認し会う場面が結構見られる。知っている相手でも久しぶりに近況を語り合う。これが法事の祭の仏の役割(導き)なのだろう。合掌・・・・・・
March 5, 2005
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朝8時頃義姉のTELにより、岸和田の義兄の死を知る。昼から仮通夜の席に向かう。湾岸道路を走り約2時間。すでに大勢の兄弟姉妹甥姪等で、明日以降の打ち合わせをしており大混雑。79歳の安らかな寝顔に少しホッとする。思えば約30年の縁。こちらの引っ越し先に度々顔を出してくれたが、タイに赴任したときは入院でついに来られなかった。晩飯歓談後7時過ぎに退席し帰宅する。 明日本通夜、明後日告別式。明日は妻のみ出席、タイマイは退社した会社の送別会。余り気乗りしないが義理がありどうしても出席しなくてはならない。義兄も笑って了解してくれるだろう。告別式に再び湾岸を走る。 昼からの涙雨が夜半まで続いている。
March 3, 2005
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