全94件 (94件中 1-50件目)
9月11日…。「あの日」から、まる3年です。アフガンも、イラクも、2001年9.11から戦争悲劇を運命づけられていた。いま、改めてそう思います。今朝の朝明けの空を眺めていました。そして、いろいろ考えました。これからの時代のことを。このサイトのことも…。
September 16, 2004
コメント(73)
強い台風16号は三十日午前、鹿児島県串木野市付近に上陸した後、九州全域を風速二五メートル以上の暴風域に巻き込んで縦断、午後五時すぎに山口県防府市付近に再上陸し、四国や中国地方などを暴風域に巻き込みながら北北東に進んだ。台風は午後十時ごろ、鳥取県の沿岸から日本海にいったん抜けた。 台風はさらに速度を上げながら北陸沖を北東に進み、三十一日の日中に東北か北海道に接近または上陸する恐れがある。 宮崎、鹿児島、香川の三県で五人が死亡、愛媛県沖ではベトナム船籍の貨物船から乗組員四人が海に転落し行方不明に。九州、中四国、東海で計百二十二人が負傷し、三万八千人以上が一時避難した。陸上自衛隊は宮崎、鹿児島両県からの災害派遣要請を受けて住民救出などに当たった。 西日本では大雨により過去数年間で最も土砂災害の危険性が高まっている地域があり、気象庁は西日本から北日本にかけて大雨による土砂災害や暴風、高潮への厳重な警戒を呼び掛けた。三十一日は台風南側の強風域が広がるため、収穫期の農産物への被害も懸念される。三十一日午前零時現在、京都府舞鶴市の北北西約九〇キロを時速約六五キロで北東へ進み、中心気圧は九七〇ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は三五メートル。
August 31, 2004
コメント(2)
増田俊男の時事直言!http://www.chokugen.com/opinion/frame_new.htm戦略国家アメリカを知らねば、何もできない!アメリカは二つの国家からできている8月12日、原油価格はNYMEX(ニューヨーク・マーカンタイル取引所)で45ドルを越した。市場始まって以来21年ぶりの高騰である。原油の需給関係は決して逼迫していないのにこんなに原油価格が高騰するのは間違いなく「何者」かの仕業である。サウジの増産の余地が少なくなったとか、米国の備蓄が減ってきたとか、ロシアのユーコスが生産を停止するだろうとか、イラクの反米強硬、シーア派のサドル師民兵が石油パイプラインを爆破するとか、続々とまことしやかな情報の洪水。こうした情報をマスコミやアナリストが流すのは、確信犯の一部は別にして、決してメディアが意図的に流しているのではない。マスコミにこうした情報を流す超国家的システムが存在するからである。たとえばイラク情報で言うなら、CIAやメディアの特派員とリンクした国家的組織が存在していたことが既に証明されたではないか。イラクに大量破壊兵器や化学兵器の存在を証明するアメリカへの情報提供は英国が国家として責任を持って行ったことであり、また国連の安保理でアメリカのパウエル国務長官が、イラクが化学兵器の移動をしているシーンとして見せたビデオもCIAの責任によるもの。最近になってビデオの映像は化学兵器とは無関係であったとペンタゴン(国防省)から発表された。英国からの情報もデタラメのビデオ映像も国家の責任情報であったことを忘れてはならない。私はパウエル国務長官の国連安保理でのビデオがテレビに流れた直後の本誌(時事直言)で、「とんでもない馬鹿げた話だ、運んでいるのは水だよ」と述べて注目を集めた。最近になって私が言った通りだったことが明らかになったのは存知の通り。アメリカには、政治経済的にアメリカを攻撃して世界に見せ付けるアメリカと、攻撃に対抗して戦うアメリカが共存していることを忘れてはならない。「真のアメリカを知らねば一歩先も読めない」は私の口癖である。オイル価格急騰も「造られたもの」!さて今日の原油高騰はマニュピレーション(市場操作)である。朝から晩まで原油高騰を煽るガセネタの渦はやはりイラク戦争を仕掛けた時と同じく国家的情報操作の結果である。 アメリカの国家情報操作のポリシーは常に「仕掛け」と「追いはぎ」である。餌を仕掛けておいて魚がよってきたらさっとすくい上げるやり方である。アメリカが大事に守っていることは、「仕掛け屋」と「すくい屋」を別に分けていることである。「すくい屋」は「おれは仕掛けを知らなかった」と言い、「しかけ屋(CIAと国務省)」と「すくい屋(国防省)」と喧嘩をして見せる。さらに仕掛けがデタラメであったことを「すくい屋」が明らかにして、いかにも「グル」でなかったことを証明してみせる。では原油高騰の捏造で二つのアメリカからなる一つのアメリカは一体どんな利益を狙っているのだろうか。風が吹くと桶屋が儲かるアメリカの国益というより、アメリカの宿命は世界にアメリカの借金を払わせ続ける基軸通貨ドルの防衛と、恒常的双子の赤字補填のための黒字国家からの資金集めである。かつてのクリントン時代のITのような魅力ある産業がない今日、世界からの資金導入を可能にするのは利上げしかない。金利を上げれば日本のようなゼロ金利や低金利国からアメリカに資金が移動する。そうかといってかつてのクリントン時のように一気に世界資金をアメリカに集中させるとインフレになる。0.25%のような少々の利上げでは逆に日本のように好況が約束されている国にアメリカら資金が流出するおそれもある。投機筋にオイル高騰情報を与え世界の投機資金を株式市場から商品市場へ誘導すれば、NY主導で当然上がるはずの日本の株まで下げ続けることができる。こうして世界資金を商品市場に集め、オイル価格を上げ続けることで株式市場への資金還流を防いでおく。アメリカとしては商品市場からアメリカの株式市場へ資金が急激に流入することなく、わずかな利上げを重ねながら徐々に資金が移動するように計画している。原油価格の急騰は、世界の先進国の中でアメリカが最も有利。日本、中国、ヨーロッパは原油輸入の依存度が圧倒的にアメリカより高いから原油価格の高騰は即経済に打撃を与える。ところがアメリカは原油の値上がりと共に国内産原油への依存度を上げればいいから、打撃は少ない。原油高騰は比較的にはアメリカに有利、他の先進工業国に不利なのである。今後こうしたアメリカの原油価格高騰の優位性に加えて、インフレを押さえる程度の継続的利上げで国際資金をアメリカに誘導しながら一方では金融資産の増大で家計の含み資産の増大化をはかり消費拡大に繋げようとしている。商品市場というクッション的資金プールからアメリカの株式市場へ資金移動を実行する時期は近い。そうなると、「イラクの化学兵器を積んだと言われた車は実は水を積んでいたのだ」と同じような発表がオイル高騰に導いた情報にもなされることになる。お楽しみに!二つに見えるアメリカは実は一つであることが分かる。私は本当のアメリカを知れば知るほど愉快になる。愉快な国を利用して儲けましょう。
August 14, 2004
コメント(0)
元日本兵恩給拒否のワケ東京新聞 特報http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040802/mng_____tokuho__000.shtml 「被害者はわしではない」-。軍人恩給の受給を拒み続けている元日本兵がいる。岐阜県飛騨市の尾下大造さん(82)だ。尾下さんには恩給は「口止め料」と映る。戦禍の記憶は薄れ、「国際貢献」の名の下、再び“戦場”に兵士たちを送り込む時代が来た。飛騨の山村で、恩給と「沈黙すること」を拒んできた元日本兵の目に、五十九回目の戦後の夏はどう映っているのか。 (中山洋子) 敗戦の翌年、一九四六年初夏のことだ。田で草むしりをしていた尾下さんに、兵隊仲間の一人が「ハンコ持って役場に来い」と声をかけた。男は「恩給あたるで」と言った。 実際に軍人恩給制度が復活したのは五三年からで、戦後すぐの恩給運動は実らなかったが、尾下さんの「反発」はこのときから始まっている。「深いこと考えとったんでなしに、ただムカムカっとした」 「東京は焼け野原で、豊橋(愛知県)の工場も焼け、名古屋もやられた。広島や長崎では何十万人も(原爆の)後遺症に苦しんでいる。日本中がひどい目に遭って、まだ何の手当てもできんときに、生きて帰ったもんが恩給とろうという根性にものすごい腹立った」 尾下さんは敗戦後、材木会社で働いていた。林業が衰退していく中で、暮らしが楽なはずはない。だが、尾下さんは地元出身の元将校らに支給申請を促されるたびに拒んだ。業を煮やした県の担当者が当時、商工会に勤めていた妻に「あんたんとこはまだ改心せんか」と迫ったこともあった。 七〇年に脅迫とも感じていた支給申請を促す連絡や通知を止めてほしいと、県の人権擁護委員会に手紙で訴えた。手紙には、恩給を受給することは「私のなにかが許さないのであります」と記した。が、その後も通知は続いた。■連隊の記念誌『うそばかり』 有形無形の圧力をはねのけ「わしはもらいとない」とかたくなに拒み続けた「なにか」は、軍国少年だった尾下さんを変えた自らの戦争体験につながる。 「恩を売られとない。ものを言えんようになる。子どもや孫を戦争にやりたきゃ(恩給を)もらやいい。だけど、わしはやりとないで、もらわん」 材木商の二男として生まれた尾下さんは四〇年十二月、十八歳で陸軍に志願する。「ニッポンはロシア相手に勝ったきっつい(強い)国だと。そういうことばかり聞かされ育った」 志願も戦前の「皇紀(元年は神武天皇即位の年)」で紀元二千六百年の区切りの年にした。一方で「早いこと行って、早いこと帰ってきた方がいい」という気持ちもあった。 富山東部四八部隊に入隊し、中国北部、フィリピンと転戦、ベトナムで終戦を迎えた。所属した連隊が制作した記念誌を開きながら「いいこといっぱいした、と書いて残して。うそばっかりや」と憤る。 戦場ではレイプも強盗も日常茶飯事だったという。「わしはせなんだ」と話しながら、声を絞った。「でも、ツメ跡は残した」 四一年のことだ。「川があって、堤防の外側にヨシがあって。中国の女の人が逃げ込んでおったので、上等兵が軽機関銃で撃ちました。タタタタタンと出るやつ。中国の嫁さんたちが撃ち抜かれて結局、死ななあかんのな。地獄の光景や」 尾下さんは、思わず上等兵に「何でこんなことするの」と怒鳴った。当時、尾下さんは十九歳、上等兵は三つ年長の二十代前半の若者だった。「ムカムカしたでや」と言い放った。 「戦争しとればそんなことばっかりやがいや。人間は性悪説やな。普通やったら、孫子の代まで恥になると思うから、悪いこともこらえとんのな。それが戦争になったら、悪いことするんやで。善良な人でもそうなってまう」 「大きい戦(いくさ)のときはそんなことしとれん。小さい村に敵の兵隊の情報があって、十人ほどで討伐に行くときや。敵がおれば追っかけるが、おらんわな。帰りしなに村ん中探(さが)いて歩いて、荒らして盗んで、若いおなごが隠れとると、レイプして殺(ころ)いてまう」 四二年、フィリピンのネグロス島で、住民を殺すように命じられた。上官の命令は絶対だ。虐待に加担するのが嫌だった尾下さんはとっさに「おまえやれ」と部下に押しつけた。部下は男の胸を突きそこない、尾下さんは川に落ちた男の頭を撃った。男は「おれは死にたくない」と現地の言葉で叫んだという。 将校は手を汚さない。「後ろの方におって、ただ(戦場に)行っとったものもいっぱいおる」と吐き捨てるように言う。 総務省によると、本年度予算で恩給受給者数は旧文官も含めて百二十八万人。97%が旧軍人とその遺族で、支給総額は一兆六百六十億円に上る。最低支給額が保障されており現在、短期でも一人当たり年に五十六万八千四百円、遺族もほぼ同額が支給される。 軍人恩給の支給対象は原則、十二年以上軍に在職した者だが、三七年の日中戦争以降は特例規定があり、戦地に赴任した場合は、時期や地域によって最大で一カ月が四カ月分に計算される。つまり、激戦地での赴任が続くと最短で三年の勤務で支払い対象になる。 尾下さんの場合、五年五カ月の在籍期間のうち、中国などの戦地で約四年半を過ごしたため、十四年以上勤務したとみなされる。■『選挙のためでは』と憤り 軍恩連盟や日本遺族会など受給者団体は、言わずと知れた自民党の有力支持団体だ。首相による靖国神社公式参拝を訴えており、小泉首相が自民党内で基盤を強めたのも、両団体に「首相になれば公式参拝する」と公約したため、といわれる。同首相は首相就任後、二〇〇一年八月から〇四年一月にかけ計四回、靖国神社に参拝。拝殿で「内閣総理大臣」と記帳した。 尾下さんは「票のためだけに、心にもないようなもんに、参られたのでは死者は浮かばれん」と憤る。 「わしに抱かれて死んだ仲間もおるの。わしが靖国に祭られるつもりがないからといって、この人たちもそうやとは言えん」と前置きしつつ、こう繰り返す。 「遺族も(公式参拝で)うれしいばっかでない。戦死者を本当に参る気持ちがあるなら、内々に一人で参ればいい」 この夏、自衛隊はイラクで多国籍軍に加わった。政権を揺るがすような反対運動はなかった。それが尾下さんの目には「きっつい(強い)国」と教えられて育った状況と重なる。 「(戦前、戦中)日本は悪いことせなんだんや、という空気が広がっている。(最近では)政治家も選挙民も、自衛隊に鉄砲ようけ持たせて外国へやるのを、いいことやという」と嘆きながら、つぶやいた。 「わしのようなもんがようけおってもいいはずなのになぜ、誰もしゃべらん」
August 9, 2004
コメント(0)
北海道新聞 社説 http://www.hokkaido-np.co.jp/Php/backnumber.php3?&d=20040724&j=0032&k=200407241272 またも暗い記録の更新である。警察庁のまとめによると、昨年一年間の全国の自殺者は三万四千四百二十七人で過去最多となった。 しかも、一昨年より7・1%も増えているから、事態は深刻さを増すばかりある。 交通事故死者の四倍以上もの人たちが自ら尊い命を絶っている社会は、正常ではない。こんな事態をいつまでも続けてはいられない。国はもとより社会全体で、自殺の予防に全力で立ち向かう必要がある。 昨年の特徴は、「経済・生活問題」が動機とみられる自殺が八千八百九十七人と、初めて八千人を突破したことだ。特に北海道は、自殺者千七百四十五人のうち五百四十二人までを占め、動機の一位(全国は二位)となった。 長引く不況が災いしているのだろう。リストラや倒産、負債や生活苦などで追い詰められ、生きるのに疲れ果てて死を選ぶ。そんな切なく、やり切れない姿が浮かび上がってくる。 小泉純一郎首相は、自殺者急増を受けて、景気対策に力を入れると言った。当然である。同時に失業者の雇用や経営難にあえぐ中小零細業者への支援にも力を入れるべきだ。 企業も従業員をもっと大事に思い、安易なリストラに走るようなことはやめにしてもらいたい。 このほかにも、自殺の動機はさまざまある。大事なのは、欧米と比べて立ち遅れている自殺予防対策を強力に推し進めることだ。 中でも、うつ病対策は急がれる。自殺者の八割までが、うつ病など精神疾患を抱えていると言われている。 だが、本人や周囲の「心の病」への理解不足や、肩こりや腰痛など身体症状として現れやすいこともあって、適切な治療を受ける前に死にいたる例が多いのが悔やまれる。 他の病気と同様に、「早期発見・早期治療」が強く望まれる。道外では新潟県松之山町のように、うつ病の実態調査や啓発活動などを続けた結果、かつては全国屈指の高さだった高齢者の自殺率が十四年間で四分の一以下と劇的に減ったところもある。 道も、遅ればせながら住民検診に抑うつ度などを調べるスクリーニングの導入や、道民向けの自殺予防リーフレットづくりなどに乗り出している。住民の命にかかわる話である。市町村にも積極的な取り組みを求めたい。 むろん、家族や職場の同僚なども、身近な人が発するうつ病や自殺のサインを見逃さず、治療を受けやすい環境を整えることが大事だ。 予防対策では、思い悩んでいる人たちが気軽に相談を受けられる体制の充実や、自殺の原因分析や予防研究の強化など、課題は山積している。 みんなの努力で、「自殺大国」の汚名を一日も早く返上したい。
August 3, 2004
コメント(0)
最高気温が連日三〇度を超える真夏日が続き、エアコンやビールなど夏物商品の売れ行きが好調だ。猛暑は本年度の国内総生産(GDP)を約二兆円押し上げるとの試算もあり、景気回復の追い風になると期待が高まっている。 (経済部・砂上麻子、栗原淳)■定 番 三九・五度と東京都心では観測が始まった一九二三年以来、最高気温を記録した日もある七月。家電量販店ビックカメラでは、東京、大阪、名古屋など全店舗合計でエアコンの販売額が昨年の三倍に達した。 売れ筋は省エネや空気清浄機能を強化した機種で十万円前後のモデルが中心。「冷夏で買い替えがなかった昨年の反動。人気機種では在庫が底をついた」と広報担当者は話す。 ビアガーデン向けなど業務用ビールも好調だ。七月以降、キリンビールのビール・発泡酒合わせた出荷量は前年同期比15%増で推移。ビール業界では気温が一度上昇すると、ビールの消費量が大びんで百万本増加するとの試算がある。 昨夏は冷夏に泣いただけに「暑さが続いてもらえれば」(広報室)と期待。夏の定番商品が順調に売れ行きを伸ばしている。■効 果 アテネ五輪開幕を控え、デジタル家電ブームにわく電機業界。猛暑が「高額商品の両雄は並び立たず」という業界の“常識”を覆した。松下電器産業の川上徹也専務は七月二十九日の二〇〇四年四-六月期決算発表の席上で「テレビとエアコンという十万円を超す高額家電がそろってヒットしている。これは珍しい現象だ」と相好を崩した。 一方、夏場に向けて旭化成とアオキインターナショナルが共同開発した新素材の涼感スーツ「ベルモーレクールスーツ」は今年六月の発売以来、二カ月足らずで年間目標の七割を売り上げるヒット商品となった。 太陽熱をはね返す素材を生かし、暑さが和らぐと評判を集めた。「完売して在庫がない店も出ている」(アオキ広報担当者)ほどの人気。一着約七万円という高めの価格も、まったく障害にならなかった。■後押し 「猛暑は日本経済回復の追い風になる可能性がある」。第一生命経済研究所主任エコノミストの永浜利広さんは夏の平均気温と経済成長率との関係を試算した。 永浜さんによると、今年七-八月の平均気温が一九九四年並みの猛暑(東京・大阪平均で二九・三度)になれば、ビールやエアコン、清涼飲料水など夏物商品の消費額が九千四百二十四億円増加。豊作による農業生産は五千六百三十九億円増え、二次的波及効果も含めたトータルで本年度の実質GDPは一兆九千五百八十一億円増加する。これはGDPの伸び率を0・35%押し上げる効果がある。 冷夏だった昨年は「おでん」や「中華まん」「温かい缶コーヒー」が売れ、温泉地に人気が集まったが、こうした商品・サービスの売り上げの減少分は五百八十四億円と限定的。永浜さんは「猛暑で家計の消費行動に大きな変化が及ぶことも考えられる」とみる。 気象庁の調べでは、東京都心部の七月の平均気温は上旬が二七・三度、中旬は二九・〇度。最高気温が三九・五度に達した二十日以降も最高気温が連日三〇度を超えた。八月もこの暑さが続けば、本格的な「猛暑景気」が到来しそうだ。
August 1, 2004
コメント(0)
脳梗塞(こうそく)からの復帰を目指し、リハビリテーション中のアテネ五輪野球日本代表の長嶋茂雄監督(68)が五輪期間中も日本にとどまり、直接指揮を執らないことが三十一日までに決定的となった。 三月に脳梗塞で倒れた長嶋監督はリハビリが順調に進み、右半身のまひなどは残るものの、つえを使わずに歩行することも可能になっている。病気再発の可能性は極めて低いが、同監督に近い関係者によると、アテネまでの長時間の飛行機移動や現地での猛暑などを考慮。既に医師は現地入りを許可できないことを本人サイドに伝えており、指揮を断念するしかない状況になっている。 今後、正式に長嶋監督のアテネ行き中止が発表された場合でも、監督登録は変更せず、あくまで「長嶋ジャパン」で戦う方針。八月十五日から競技が始まる五輪本番では、中畑清ヘッドコーチ(50)が監督代行として指揮を執る見通し。
July 31, 2004
コメント(0)
この22日、今井君と高遠さんの講演会が開かれ、ようやく公の場で自分の気持ちを語れるまでに回復したように思われる。おそらくトラウマは残るだろうが、それでも元気で人々の前に顔をみせてくれた。私は、テレビのニュースでその様子を見た。思えば、今井君がここを訪ねてきてから、まだ1年半にも満たない。 実は、彼は、うちの子どもと同じ小学校、中学校の出身である。しかも、下の子どもが仲良くしている近所の子の兄の友だちだったというから、私には、覚えがなくても、その辺で遊んでいた男の子たちのうちの一人だったのだ。そんなことを、ここに来てすぐのころ、彼と話した記憶があり、私は、今井君をどうしても子どもたちが遊んでいた世界の延長線上で考えてしまう。しかし、実際は、今の彼の提示した道が、おそらく平和に遊んでいた子どもだった彼の延長線上にあったとは、にわかに信じられない。それほど、今の彼の世界が、かつての世界とは異質なものになってしまったのではないだろうか。 それが、私には奇異に感じられる。子どもが成長し、選んだ運命がその人を案内していく先に、広がる世界。それがかつて考えてもいなかった世界だったら、それは、あまりに大きな戸惑いとなるに違いない。おそらく、今井君だけでなく、ご家族にとっても、同じことが言えるのだろう。 しかし、今、今井君は、きちんと、現実をみつめて、今回の事件のことについて、語り、書いている。今井君の手記「ぼくがイラクへ行った理由」(コモンズ刊、7/20初版発行)もこのほど出版された。 彼は、実は、今回の事件で大きく成長する糧を貰っているのだ。「未来のジャーナリスト」としても、一人の人間としても・・・その糧が大きく膨らむまで、若い彼がどう過ごすのか、どう生きるのか。そして、何を得るのか。 手記の中の彼の言葉は、時に慎重だが、時折、持ち前のちゃめっ気も明るさもにじみ出ている。だから、すっかり元気な今井君に戻る日も近いはずだ。あるいは、もう心の中ではふっきれて、「未来」が戻ってきているかもしれない。 ふたたび、羽ばたいていこうとしている今井君に、限りない声援を贈りたい。(エコろじー編集人 稲田陽子)
July 28, 2004
コメント(0)
東京新聞 特報 http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040722/mng_____tokuho__000.shtml うだるような暑さが夜になってもおさまらない。東京都心では20日、40度近い観測史上最高の暑さを記録、「有史以来の暑さ」との指摘も。すでに本紙が紹介した東京湾岸に並ぶ高層ビル群が海風を遮る「トーキョー・ウオール」がヒートアイランド現象を悪化させているのか。酷暑を超えた“獄暑”のメカニズムを探ってみると。 (蒲 敏哉、中山洋子) 「関東大震災が起きた夏も暑かったけど、今年は生まれてこの方なかった暑さだね。まるでサウナ風呂だよ」。二十一日正午ごろ、JR新橋駅日比谷口のSL広場。宝くじ売り場ボックスの女性店員(87)はうんざりしながら汗をぬぐう。 駅の南側には、汐留のビル群が“壁”のようにそびえる。それを眺めながら「山ができたみたいだね。海風が本当に来なくなった。代わりに吹いてくるのは熱気ばかり」と顔をしかめる。 首都圏の気温は二十日、東京で一九二三年の観測始まって以来最高の三九・五度を記録。千葉県市原市では地域気象観測システム(アメダス)のデータで四〇・二度を記録した。二十一日も高気圧に覆われ、東京は未明も三〇度を超える蒸し暑さ。最高気温も三八・一度と高いままだ。 消費者金融の看板を前後に抱える“サンドイッチマン”氏(64)は「木陰を選んで立つんだが、靴底から熱がさかのぼり耐えられない。どう考えても異常な暑さだ。仲間内では天変地異でも起きるんじゃないかと話しているよ」と苦笑する。 JR品川駅高輪口のショッピングセンターでは、主婦(32)がベビーカーの前でうずくまっていた。 「ちょっと買い物に出ただけなんですが、日陰がなくてまいってます」と二歳五カ月の長男に清涼飲料水を与えていた。「熱気は大人の顔の高さより、子どもの方が影響が大きいと聞いてます。子どもの汗がすごいので、首の後ろにタオルを添えて対策をとっています」と疲れた表情だ。 記録的な熱波の一方で、日本海側の新潟、福井県は十三日から断続的な集中豪雨に見舞われ、少なくとも死者十八人、約二万七千軒が床上、床下浸水に見舞われた。 熱波と豪雨に因果関係はあるのか。 都心のヒートアイランド現象を気象的側面から研究する防衛大学校の小林文明助教授は「日本海側から発達した梅雨前線に沿って、新潟、福井に積乱雲が流れ込み、豪雨を降らせた。大雨が降った分だけ熱く乾いた空気ができ、今度は山を越えて太平洋側の首都圏に流れ込むフェーン現象が起きた」とメカニズムを説明する。その上で「すでに今夏、東京湾岸に壁のように林立するマンションやオフィスビルが、本来、海から吹き込むはずの涼しい風をふさぐなどしてヒートアイランド現象が発生している。二つの現象の相乗効果が今回の異常高温を生み出したのでは」と分析する。 都内では夏季、局地的集中豪雨が頻発し、ちょうど五年前の一九九九年七月二十一日、練馬区で一時間雨量一三一ミリを記録、男性一人が死亡した。 小林助教授はこう警告する。「二十日も豪雨にはならなかったが、積乱雲が発生した。都心に乱立する高層ビルは、これまでと全く異なる風の流れを起こす可能性がある。今後は、予測困難な集中豪雨が、都心のさまざまな場所で局地的に発生する恐れがある」 「有史以来の暑さ」と冗談交じりに断じるのは、気象予報士の森田正光氏だ。 「日本では平安時代から鎌倉時代にかけて一番暑かった。兼好法師が『家の造りは夏を旨とすべし』と書いたころだ。平均気温は一度くらい高かったとみられている」と説明する。 「最近の夏は、最低気温が高くて、平均を底上げしている。コンクリートやアスファルトが熱を蓄え、それで“熱帯夜”になる。過去にはなかったメカニズムによるものなので、“有史以来”というのもあながち冗談ではない」と話す。 さらに森田氏は「七〇年代の都内の最高気温は、七八年の三六・三度だった。八〇年代は三八・一度、九〇年代は三九・一度と、十年ごとに少しずつ極値が塗り替えられている。二〇〇〇年からの十年間では、もういつ四〇度になってもおかしくない」と指摘する。 「トミザワおじさんの天気のはなし」などの著作がある日本気象協会の富沢勝氏も「氷河期と間氷期の気温差は、平均で三度くらいと言われている」と前置きしながら、東京の気温上昇は「自然の現象というよりは、人間がかかわっていることが大きい」とみる。 「大正八(一九一九)年七月の都内の平均気温は二〇・七度、八月は二二度だった。一昨年は七月で二五・一度で、八月は二八・八度。今年はもっと高くなりそうだが、わずか八十五年間で平均気温が四、五度も高くなっている」 そして「東京は温帯、小笠原諸島は亜熱帯に属するが、感覚ではもはや都心は亜熱帯より暑い」と話す。 三十二年前に来日したギニア大使館顧問のオスマン・サンコン氏(55)も「日本に来て、こんなに暑いのは初めて。まいった」とこぼす。「アフリカでも夏は四五、六度になるが、サラッとしていて、いい風が吹く。最近の日本の夏はオーブンで焼かれているみたいだ。さすがアマテラスの国だ、太陽がずっと近い。国の家族や友人らにも『アフリカより暑い』と説明しているが、信じてもらえない」 実際、最近では、暑い地域の動植物を都内で見かけることは珍しくない。国立科学博物館附属自然教育園の萩原信介主任研究員は「九州や四国にしかいなかったナガサキアゲハはここ数年、都内でも生息している。外来種のインコなどもペットとして持ち込まれたものが繁殖し、中国南部が発祥のキウイフルーツも都内で野生化している」と説明しながら「亜熱帯クラスの動植物が生育できる環境になっている」と話した。 京都大の山元龍三郎名誉教授(気象学)は「最近では、年ごとの変化が激しくなっている」と指摘する。 分かりやすいのが「冷夏の次が猛暑」という現象だ。昨年は冷夏だったが、十年前にもコメ輸入が行われた九三年の大冷夏から一転、翌九四年は八月に観測史上最高の三九・一度を記録した猛暑となった。 山元教授は「暑さだけではなく、雨も少ない年があったり、集中豪雨になったりと、変動の幅が広くなっている。原因はまだ解明されていないが、温暖化の一つの側面である可能性が考えられる」と話した。 前出の富沢氏は「二酸化炭素による温室効果も、都心部で海からの風が遮断されているのも人間が作り出している環境だ」と繰り返しながら警告する。 「東京の暑さを回避するには、クーラーに頼らない環境づくりが必要だ。公園面積を広げ、土や樹木を多くし、道路の舗装も透水性の高い素材にする。東京湾も埋め立てる一方ではなく、水を残すことなどが解決につながる。そしてCO2排出量削減目標を定めた京都議定書を守ることだ。議定書を否定し続ける国にシッポを振っている限り、百年後には、四〇度は当たり前になる」
July 23, 2004
コメント(0)
東京、甲府などで39度台の記録的猛暑となった20日、関東地方を中心に熱中症の被害が相次ぎ、21都府県で計189人が病院に運ばれた。 共同通信の午後11時現在のまとめによると、都県別の内訳は東京36人、埼玉28人、千葉25人、静岡19人、神奈川16人、茨城14人、京都8人、群馬7人、栃木6人、山梨5人、岐阜、愛知、滋賀各4人、三重3人、岡山、広島、福岡各2人、長野、大阪、兵庫、徳島各1人。 列島最高の40・2度を記録した千葉県では、千葉市中央区で女性(68)が路上で意識を失い入院。山梨県塩山市では90歳の女性が脱水症状で倒れているのをホームヘルパーが発見、救急車で運ばれた。 茨城県では、牛久市などのゴルフ場3カ所で、プレー中の計3人が倒れた。
July 20, 2004
コメント(2)
朝日新聞 社説http://www.asahi.com/paper/editorial.html 実は、参院選は自民党の勝利だった。もし選挙の結果を知らずに昨日の小泉首相の記者会見を聞いたら、そう思ってしまった人もいただろう。 自信を込めた目標の51議席を下回り、公明党を加えた与党の合計でも改選議席の過半数は得られず、第1党の座を民主党に奪われた。その現実を認めまいとするように、首相は言った。「自民党と公明党を合わせると、すべての委員会で過半数を確保できた」 2大争点だった年金と自衛隊のイラク派遣問題。世論調査で年金法に7割以上の人が、多国籍軍への参加には約6割が反対していたことを紹介してから続けた。「逆風のなかで、よく安定多数を与えてくれた。やはり全体を見てくれているんだなあ」 よく平気でこんなことを言えたものだ。安定多数を維持できたのは、自民が圧勝した3年前の選挙で当選した議員がそっくり残っているからではないか。こんどの選挙結果の意味は別である。 首相の言葉は、選挙に表れた有権者の政権批判が誤りなのだと言わんばかりだ。手法の強引さや国民への説明不足、「人生いろいろ」発言の独りよがりが手痛いしっぺ返しを受けたというのに、自戒の念などさっぱり感じられない。 「野党の意見にも耳を傾けて改革を促進しろという声だと受け止めて、しっかり進めたい」と言いつつ、どう耳を傾けるかは語らない。選挙結果は反省の材料ではなく激励だということだろう。 もちろん、表向きの強がりに違いない。世論を支えにしてきた政権が、初めて厳しい審判を受けた。衝撃の深さは、歯切れのいい言辞が影を潜め、疲れが目立つ首相の表情からもうかがわれた。 とはいえ、弱みを見せたり、誤りを認めたりすることを、首相は嫌う。郵政民営化は「決着済み」と強調し、9月末までに案をまとめると言い切った。目標を掲げて突き進むことが、求心力の回復につながると踏んでいるのだろう。 しかし、郵政民営化一つをとっても、本社の調査では、選挙区で当選した自民党議員のうち「賛成」が5人、「反対」は15人だ。参院が安定多数だから改革が進むという簡単な状況ではない。 青木幹雄参院幹事長は選挙中に「51議席を取れなくても、首相がやめる必要はない。しかし、参院で負けた首相は全くの死に体だ」と語っていた。 ただちに「死に体」になるとまでは言えまい。自民党内に、首相を引きずり降ろそうという動きもない。 だが、もともと党内に基盤がない首相には、世論の支持を引き戻す以外に政権を再び浮揚させる手はない。権力の維持を優先して自民党の古い体質と妥協すれば自殺行為だ。そこに矛盾がある。 首相は会見で「無党派層の共感」を得ることが大切な時代となったと力説したが、ひたすら公明頼みが現実だ。 こんな政権が、これから2年余りももつのだろうか。
July 17, 2004
コメント(0)
フィリピン政府は方針を急転回させ、イラクから「人道派遣部隊」を撤退させるとアルジャジーラに告げた。 フィリピンのトラック運転手アンジェロ・デ・ラ・クルスの処刑を思いとどまらせることを期待し、そして明らかにクリス氏を拘束する者の要求の主要部分に応じたものとして、フィリピン政府はイラクから自国軍隊を撤退させることを約束した。 フィリピン外務副大臣外相ラファエル・セキスが、拘束者に宛てた声明を読み上げた。「われわれは諸君の要請に応じて、可能なかぎり速やかに、イラクに派遣しているわが国の人道派遣部隊を撤収する」とセキスは言った。 それより先、ハリド・イブン・アル・ワリド旅団を名乗るイラク人グループは、マニラ(=フィリピン政府)が7月20日までに全部隊を撤退させるという彼らの要求を受け入れなければ、火曜日までにクルスの首を斬ると脅していた。 日曜日には、フィリピン大統領アロヨが彼らの脅しに屈することをぶっきらぼうに拒否した。「わが政府の立場は、国際社会に提供されたわれわれの委任を変えることはありえないというもので、変更はない」とバグダッドにいるフィリピン外交官が語った。
July 14, 2004
コメント(0)
朝日新聞 社説http://www.asahi.com/paper/editorial.html 「20代から見て、50~60代の人に投票するのは生物学的に抵抗がある。候補者がみんな同じおじさんに見える」 そう言ったのは公共政策を学ぶ女子学生だった。東京と横浜の大学で、参院選について学生たちと話し合った時のことである。候補者との間に、まるで別な生き物であるかのような隔たりを感じる。それが投票しない理由だというのだ。 3年前の参院選について、総務省が世代ごとの投票率を調べた。対象としたのは、全国約5万の投票区のうち投票率が標準的だった150区だ。それによると、150区全体の投票率は59%だったが、20歳から29歳までの投票率は34%。その差は25ポイントもある。一方、投票率が最も高かったのは65~69歳の層で、何と76%だ。20代の2倍以上である。 全国の20代の人口は1640万人だ。もし、この世代の投票率が全世代平均の投票率にまで上がったら、約400万票が新たに生まれる計算になる。前回参院選の比例区で自民党が集めた票の5分の1にあたり、民主党や公明党の得票の半分に近い。共産党とほぼ同じで、社民党を上回る。議席に反映すれば、与野党の力関係を大きく変えうる規模だ。 若者みんなが同じような投票をするわけではないだろう。しかし、若者たちの票はそれほどに政治への影響力を秘めている。 どうすれば投票に行きたくなるか。学生たちは色々な方策を考えてくれた。 「20代しか立候補できないような議席の枠を設けたら?」。地域ごとに代表を選ぶ仕組みがあるなら、世代の代表を国会に送る仕組みがあってもいい。自分たちの代表を選べるのなら投票に行く。そんなアイデアが出た。 「コンビニで投票できるようにしてほしい」「インターネットでもできればいい」という意見もあった。これには、あまり手軽に投票できるようにすると、テレビで顔を売ったような人ばかりに票が集まる、という反論が出た。 「私の国とちがって日本の学生は政治的な話をほとんどしない」「投票に行く文化を育てるには、信頼するに足る候補者が要る。難しいけど」。これらは米国から来ている留学生たちの感想だ。 世代別に見れば、日本の政党や政治家の目は年配の有権者の方に向いている。投票に行く若者が少ないから、政治家の方も若者を大事にしない。 経済が過去の成長の蓄えでもっているうちは、若者も富の分配にありつけたし、それほど困らなかった。だが、これからはそうではない。 政治に沈黙して損をするのは若者自身だ。若い世代の負担が増えて、将来の給付が下がる年金問題ひとつとってもわかる。自衛隊の活動や憲法問題だって、一番切実なのは若い世代のはずだ。 400万票の圧力で、政治の目を奪ってはどうだろう。
July 10, 2004
コメント(0)
湾岸戦争で使用された劣化ウラン弾の被害に苦しむイラクの実態を知ろうと、県内七つの非政府組織(NGO)でつくる「県NGOネットワーク」は七月三日午後二時から、長崎市平野町の長崎原爆資料館ホールでイラク人医師を招いた講演会を開く。四日は、原爆による放射能障害の治療実績のある長崎大医学部で講義を受ける予定。 講演するのは、バグダッド中央教育病院のダーハム・ハッサン医師(30)=小児科=。長崎大での講義にはバスラ・サドル教育病院のアサド・アウドゥルーアミール・カラフ医師(34)=血液学=も加わる。二人は一月から半年間、名古屋大で小児がんや白血病治療を研修中。 イラクでは現在、一九九一年の湾岸戦争前に比べ、がんや白血病患者数が十倍以上に増加。治安悪化に伴い、薬や医療器具が不足し、十分な治療ができない状態という。 同ネットは、被爆地長崎からの支援の一つとして、長崎大医学部にイラク人医師の研修受け入れを働き掛けており、今回の講演会は研修への足掛かりを築く狙いがある。 同ネットの川端強さんは「がんや先天性異常が多発しているイラクは、広島、長崎の放射能障害治療に期待を寄せている」と話す。研修が実現した場合、同ネットが滞在費など負担する計画。
July 1, 2004
コメント(0)
6/26朝、バクバ近郊で、レジスタンスが政党事務所や警察署など計4カ所を連続して襲撃、地元警官らと交戦になり計9人が死亡した。シーア派の「イスラム革命最高評議会(SCIRI)」の地方事務所では、小型ロケット砲攻撃で3人が死亡。その数時間後、アラウィ首相の「イラク国民合意(INA)」地方事務所も爆破された。負傷者は出ていないという。政府関係庁舎も銃撃されて警備員らが応戦し、レジスタンス4人が死亡(1人は爆弾を巻いたチョッキを着ていた)。警察署でも交戦があり、レジスタンス2人が死亡した。ヒッラでは夜、2発の爆弾が爆発し、イラク市民40人以上が死亡、約40人が負傷。目撃者によると、爆発は2台の自動車に仕掛けられた爆弾によるものという。クルド人自治区アルビルでは、クルド地域政府の文化省近くで自動車爆弾が爆発。アルビル地域政府のマフムード・ムハンマド文化相が負傷、警護担当者が死亡、少なくとも40人が負傷した。キルクークでは、パトロール中の警察官が襲われ1人が死亡した。マフムディヤでは、レジスタンスの襲撃を受け、警察官ら3人が死亡した。
June 29, 2004
コメント(0)
バークーバ発、6月24日: イラクの暫定政府が米国から部分的な主権を手に入れる6日前になって、レジスタンス戦士は今日、米軍とイラク政府を標的にした一連の統一した攻撃をバグダッド、モスル、ラマディ、バークーバで展開した。 イラク保健省によると、イラク人レジスタンスと米軍との激しい戦闘で、住民85人が殺され、320人が負傷した。それによると、バグダッドの北東50キロに位置する小さな街バークーバでは、朝早く、レジスタンス戦士による攻撃と米軍による空爆によって、13人の死亡者、15人の負傷者が出た。 散発的な戦闘は、米軍が街を封鎖したあと、今日の午後もバークーバ周辺で続いている。 米陸軍第1歩兵師団のある軍曹(名札はジョンソンと読める)は、朝5時30分、市内をパトロールしていた米軍をレジスタンス戦士が待ち伏せ攻撃し、米兵2人を殺して7人を負傷させたと話した。このことは、のちにイラク多国籍軍の記者発表でも確認された。 ジョンソン軍曹は、最初の攻撃のあと、彼の部隊が戦車の支援を要請したと話した。 攻撃のすぐあと、反乱者がバークーバ西部のムフラク地区を掌握したようだ。現地の住民たちは、占領軍が待ち伏せ攻撃を受けた同地区から撤退していったと話した。 その地区の近くに住む29歳の技師アメル・アルワンは、「今朝、ムジャヒディンがムフラク地区で占領軍を撃退した」と言った。彼はまた、今朝早く、住民がムジャヒディンと呼ぶレジスタンス戦士が全市にチラシを配ったことも話した。 チラシは住民に、米軍が市を攻撃するだろうから、自宅から出ないようにと住民に呼びかけていた。 このあとの攻撃は明らかに朝の待ち伏せ攻撃を連携したもので、米軍によると、少なくとも30人のレジスタンス戦士が軽火器とロケット砲で市中心部にある警察署を攻撃した。 住民たちは次のように言った--攻撃を受けて21人のイラク人警察が殺され、それでイラク人戦士が警察署を掌握した。 住民によると、同時に、レジスタンス戦士は迫撃砲とロケット砲、自動小銃でバークーバ中心部にある青いドームの地方行政庁舎を攻撃し、その後、この建物を占拠した。 バークーバの中心部に住むアブデル・ヒューマンは、「それだけ多くの戦闘が今朝ここであったんだ」と言った。「ここでは自由の戦士があらゆる事態を掌握し、アメリカ軍を市の外に追い払った」。 ディヤラ州の警察署長ワリド・ハリドは、バークーバの状況はすぐに抑制できるものだ、とアルジャジーラTVに告げた。 のちに、レジスタンス戦士はハリドの自宅を燃やした。 匿名にしてくれと求めたうえで、地元のある部族長は、「レジスタンス側は(イラク人警察)21人を殺した」と言い、「それは彼らが占領軍に協力していたからだ」と説明した。 元バース党実力者だったイラク暫定首相イヤド・アラウィは、バークーバの攻撃はサダム・フセインのバース党政権残党によるもので」彼らは「孤立している」と非難した。 しかしバークーバでの目撃者は、警察署と地方庁を攻撃した戦士(ムジャヒディン)のなかにはザルカウィへの忠誠を宣言する者もいて、ザルカウィの戦士が飾りにつけるのとよく似た黄色のヘッドバンドをしていたと語った。 バークーバの住民は、午前9時、米軍機が3発の500ポンド爆弾をサッカー場近くに投下したと話した。これは米第1歩兵師団スポークスマンのオブライエン少佐の話と一緒だ。 米軍側は、この爆撃でレジスタンス戦士が攻撃前に使っていた三つの建物を破壊したと発表した。 占領暫定当局の渉外担当補佐ケン・バッカスは、バグダッドの保健省で、バークーバ総合病院の理事長とその助手が攻撃の最中に暗殺されたと発表した。彼は今朝、事務所でおこなう長いインタビューを断った。「国家非常事態のただ中にあるんだ」と彼は言った。 イラク駐留米軍の作戦部副官キミット准将は、イラク諸都市での戦闘は昼までに静まったと報道陣に語った。 しかし12時15分、米軍のアパッチ攻撃ヘリ2機がはっきりと見えたし、戦闘のさなかにある都市の一部を機銃掃射していた。表面上は、誰も米兵を立ち入り禁止にしていなかった。 ブラッドリー戦闘車両に乗り込んだアメリカ軍は、市の郊外でわれわれの車にも撃ってきた。 市内では、爆弾の破裂音が午後1時頃にも幾度か聞こえ、大通りにはほとんど人影はなく、店は戦闘の続行を恐れて閉店していた。 しかし米軍部隊は市内のどこにも見あたらなかった。 パイロットのいない無人偵察機が不気味に頭上を飛びまわり、その一定した雑音がバークーバ全市に米軍の存在を示す唯一の動く標識だった。 住民の多くが、占領軍が周期的に民家への急襲作戦を実施し、また市内のパトロールを続けることによって、レジスタンス(抵抗)を扇動してきたのだと非難した。 この地方のひじょうに大きな部族のメンバーであるハジ・ファイサルは、次のように言った。--「ムジャヒディーンは祖国のために占領者であるアメリカ軍と戦っている。われわれは皆、このレジスタンス(抵抗運動)を受け入れる」。 地元のイラク人技師カータン・マムードも同じ見解だった。 「われわれは占領者を好きになれない。ここでは占領者を好きな者は誰もいない」。 現在のバークーバは、4月のファルージャを不気味に思い出させる。 4月4日、米海兵隊が多くの住宅地を掌握できずにファルージャの全市を封鎖した。米軍が彼らの治安権限をイラク人警察と民間防衛軍、ムジャヒディンに譲るまで、1ヶ月に及ぶ包囲攻撃が続いた。 バークーバ市郊外の戦闘現場は、ファルージャの4月の戦闘を移植したかのようにみえる。街の出入り口につながる幹線道路の真ん中には、銃弾で穴だらけにった1台の車が取り残され、撃ったあとの薬莢の山が、戦車に押しつぶされた踏み跡を残す凝固物近くまで100フィートも連なっている。 運転手の息絶えた死体は、黒い弔旗でおおわれた車両の傍に横たわったままだ。 ジョンソン軍曹は、車が戦車にぶつかってきたので、兵士が運転手を殺したと話した。しかし、なぜ車のフロントガラスには何も損害がないのか、彼は説明しなかった。 今日、キミット准将は記者団に、「合同軍は情勢に自信があると感じている」と語った。 神経を張りつめて検問に立つことで、幹線道路への出入りを午後3時に確保できた。ジョンソン軍曹は市内には米軍は一人もいないと言い、市内はレジスタンス戦士でいっぱいだと説明した。 最悪の事態は過ぎたかと尋ねると、ジョンソンは、「暖めているところだろう」と答えた。
June 27, 2004
コメント(0)
「人を殺すことが何故いけないのか」これについては、かなり深刻な事態に日本は陥っていると思います。社会現象的に、人殺しはかなりポピュラーになってきています。このことは、海外にいるfukoさんにもお分かりと思います。そしてその背景にあるのが、「殺人はいけない」という感覚の麻痺だと思います。「殺人はいけない」という感覚は、まず政治にあります。その証拠に、パレスチナで、イラクで、アフガンであまりにも残虐な戦争と言う殺人が行われているのに、日本政府はこれを「いけない」と言うどころか、積極的に支援しています。また、今井くんたちが殺されようとしていたのに、武装集団を逆上させるような言葉を平気で吐き、さらにブッシュに支援をお願いしたりした。その言動のすべてが「人質は殺されても仕方ない」と言っているかのようでした。こうした感覚が「正義」「当然」「仕方ない」となっているのですから、日本の社会に「人を殺すことが何故いけないのか」が麻痺して当然です。これは「戦争が何故いけないのか」についても、全く同じです。だからぼくは、「殺人」「戦争」というものを問う必要があると考えています。これに関することで、つい先日ある雑誌に書いた原稿がありますので、参考までに以下にその一部をご紹介します。(以下は、記事全体の中の、書き出しの一部です) *********佐世保の「少女殺人事件」はなぜ起きたのだろう?【リード文】いのちが、ひどく、軽くなってはいまいか。いのちが、あまりにも粗末に、されてはいまいか。いのちから、喜びが、消えてはいまいか…。戦争、犯罪、病気、自殺、虐待、自虐…。こんな世の中に、なぜなってしまったのか。いったいどこに、希望の出口があるのだろう…。大気では、オゾン層が破壊され、Co2が増えだした。大地でも、農薬汚染と、自然破壊が続いている。水の浪費と、水循環の、人為的な妨害&破壊…。恐るべき自然破壊が、人間の狂気を誘っている。「破壊」は、自然の摂理への人間からの「破戒」でもある。空、海、水、命に、人間もまた、連なっているのだから…。●軽くあしらわれるいのち佐世保で、痛ましい事件が起きた。それは、奇怪にして、異常な事件には違いなかったが、しかしそれは、どこででも、いつでも起こりうる不気味さを秘めている。世の親たちは、それが決して他人事ではなく、我が身を襲うかもしれない出来事として、身震いしたに違いない。なぜ、凶悪事件が?この問いは、これまでにも絶えず反芻され続けてきた。そのたびに「いのちの尊さを教えなければ」と大人たちは口にした。が、言葉だけで、いのちの尊さは伝わらない。その一方で大人たちは、いのちを踏みにじる数々の愚挙愚行を繰り返し、その構造的な仕組みを、放置し続けているのだから。戦争がしかりだ。そこでは、人間が虫けらのごとく扱われ、拷問や首切りどころか、結婚式でさえ一瞬のうちに吹き飛ばす。また、苦しむイラク民に手を差し伸べようと、勇気を抱いて出かける者を「非国民」のごとくののしり、他国民の悲劇やいのちは、意にかえさない。戦争では人のいのちが、あまりにも軽く粗末に扱われている。●実はみんなが犠牲者?雑草を嫌い、虫たちを徹底排除する感覚もしかりだ。近代畜産では、生き物をいのちあるものと考えず、生産効率と経済効果を求め、過剰の抗生物質や薬物を投与し、鳥インフルエンザが発生すれば、膨大な数の鶏をいとも簡単に抹殺する。ん? 人間のため?実は、この「殺し文句」こそが、要注意なのだ。また、食料増産のためと言って、大量の化学肥料と農薬を使い、人間に便利だからと言って、過剰な化学物質を平気で使用する。その果ての、食の極度の劣化、病的住居、シックスクール…。その中で、いま子どもたちに、まぎれもなく異変が起きている。食、住居、学校、風土&環境のあまりにも急激なシック(病的)化が、いかに人間の精神と健康を蝕み、異常をきたしているか。その調査研究データも、事例も、実は山ほどにある。一言で言って、農薬や化学物質の複合的な害毒が、人を疲れやすく、キレやすく、おかしくしてしまっているのだ。なのに、その報告を無視し、その環境を放置したままで、いくらしつけや教育を、偉そうに言葉にしてみても全く意味がない。その意味で、加害者も、またこの悲劇の深刻な犠牲者なのだ。こうして「人間のため」という空々しい殺し文句が、自然をとことん破壊し尽くし、人間を狂わせ、その結果、皮肉にも、いまや人間を殺し始めた。自然を破壊した人間たちに、いま自然からの逆襲が始まっている。●「国益のため」の愚行いのちを虫けらのごとく扱う戦争が、なぜ起きるのか?その一因に、「石油」がある。石油やガスがなければ、経済も暮らしも維持できない。だからこそ、持続可能な自然エネルギーにシフトしていこうとこの6月に世界が注目する「ボン会議」が開催されたのだった。が、結局は、日本とアメリカでは完璧に無視された。いったい、なぜ? この問いの奥にあるものこそ、しっかり見つめなければならない。そしていま、「日本のため・国益のため」と、日本の自衛隊が多国籍軍に加わり、イラクに残留することが宣言されるに至っている。さらに「有事法案」があっさり国会で決議され、60年前のあの「国民総動員体制」がいつでも再現できることになる。そしてそれは、中東での石油問題で、敷かれる可能性が高い。石油確保に危機が訪れたら、それこそ日本の「有事」だからだ。実際、昨今のイラク、サウジの動きを見るに、それは十分に起こりうる(いな、起こしうる)ことなのだ。●悲劇の風景の背後を見る空にも、海にも、そして水にも、いのちがある。なのに「人間のため」と称して、文明人たちは、そのいのちをあくことなく破壊し続けてきた。最大の破壊行為は、いうまでもなく戦争だ。戦争は「正義」や「国益」の名のもとに、自然や人間のいのちを、無惨にも破壊し尽くす。この現実をそのままにして、どうして「命の尊さ」が伝わるのか。一方で、石油経済のための戦争に加担し、さらに子どもたちの未来を、破壊し続けていく。このやりきれない矛盾に、純な子どもたちは、あるいはどこかで、なんとなく気づいているのかもしれない。そう考えると、佐世保事件からも、悲痛なメッセージが伝わってくるような気がする。「命の尊さ」は、白々しい言葉からは伝わらない。いま見つめるべきは、戦争やあの悲惨な事件の、その背後に潜むものであろう。
June 26, 2004
コメント(0)
同時テロ事件との関わりでブッシュ大統領を強烈に批判したマイケル・ムーア監督の話題の映画「華氏911」の 上映会が、首都ワシントンで行われました。 話題の映画「ファーレンハイト911」の一般公開に先だって、ワシントンでもプレミアム上映会が開かれています。 政治的なプロパガンダとの一部からの批判を気にしてか、警備も厳しくなっています。 ワシントン市内の選ばれた800人が、24日の上映会に招待されています。なかには民主党の大物議員も混じっています。 R指定、つまり17歳以下は親の同伴がなければ見られないことになっていて、マイケル・ムーア氏側は、このことにクレームをつけて見直しを求めていましたが、結局、R指定は解除されないまま、24日の上映となりました。 (日本のファンへのメッセージを) 「日本からはたくさんの信じられない内容のメールをいただきました。あなた方の首相がブッシュと共に連合軍に参加していることは、本当に嘆かわしい。日本の首相が国民の意思に反して、この戦争に協力していることは本当に悲しいと思う。我々がブッシュに対してしようとしていることを、小泉首相に対してしてほしい」(マイケル・ムーア監督) マイケル・ムーア監督が会場に入ろうとしているところですが、周りから拍手がおきて、ものすごい熱気に包まれています。「ボウリング・フォー・コロンバイン」を撮った頃よりも、ひとまわり大きくなった様な気がします。(24日11:30)
June 24, 2004
コメント(0)
こちらに戻ってきたら、ファルージャで韓国人が誘拐されたというニュースが。多分日本でも報道されていると思うけど。韓国人の人質さん、解放されることを願うけど、もしハリバートンとか米企業と働いていたら、かなり難しいな。そこが高遠さんらの時との違いだ。 犯行グループはアルカイダを名乗っているようだけど、多分、地元の武装勢力が勝手にアルカイダを名乗ってるだけじゃないだろうか。米軍は何でもかんでも安易に「アルカイダ」のせいにするし、武装勢力も武装勢力で、ロクにつながりがなくても「アルカイダ」と名乗るので注意が必要だ。いずれにしても、人質が非常に危険な状況にあることには変わりないのだが、こうした事件が起きてしまう原因は、どう考えても、先日のファルージャへのミサイル攻撃だろう。*このミサイル攻撃も「アルカイダとつながりの深いヨルダン人過激派アブムサブ・ザルカウィを暗殺する」ことが口実だった。結局、ザルカウィはおらず、女性や子どもの死体が瓦礫の中から見つかったわけだが。これって虐殺だぜ。 それにしても、やいキミット准将、ただでさえファルージャはここのところ物騒だったのに、なんでミサイルなんか撃ち込むか?!しかも主権移譲目前で。絶対ワザとやってるだろ?多国籍軍の中で米軍が指揮権を握るためには、情勢が混乱している方が都合いいものな。 私他、在イラク日本人記者も小泉"パファーマンス"不純一郎サンが自衛隊の多国籍軍参加を決めてくれたおかげで、めでたく今後も武装勢力のターゲット☆というワケだぜ。ぼちぼち、日本に帰ろうかとも思ったが、やはり主権移譲の嵐がおさまるまではムリだな。下手に動くと危なくてしょうがない。 やれやれだぜ。サマワで見つけたカップラーメンでも食うか。フン。 画像:自衛隊の皆様、「復興支援」活動、お疲れ様です。でも、約550人の隊員が毎日風呂につかるだけの水があるなら、写真の子ども達にも少しは分けてあげてくださいね。一口飲んだだけで下痢になりそうな水を飲んでいます。
June 23, 2004
コメント(0)
表題の通りのことだけでなく、侵略者たちすなわち「侵略の枢軸」の者たちは、国際的に孤立しているのです。そういう時代へと進んできました。EUも、ロシアもチャイナも彼らに協力してないことがわかりますよね。彼らは自分達が被害にあったこと(枢軸のものたちから)を知っていますから。セイモア・ハーシュの指摘は大いに参考になりますね。今回の韓国人人質事件の犯人たちは偽アルカイダ系であることは大いにありうる。スペイン列車テロ事件の犯人たちについても同様とかんがえています。この事件がどの様に展開するか判りませんが、韓国の人たちがスペインの人たちの様に賢い選択に進むことを隣国の者として、祈るように望みます。わが国に対しては奥君、井ノ上君の事件そして橋田君、小川君の事件の二つによって、「自衛隊イラク派遣」と「多国籍軍への参加」へと引きずり込まれたものと考えていま す。四人に対しては憎いほど完璧にやりましたね。彼らは。それ故に彼ら四人をわたしは、尊い平和へのわが国の犠牲者と考えているのです。彼らの命日を忘れてはいけない。今回、政府はわけのわからない米・英との合意文書などというものを出してきましたが、余りにもズサンで慌てていることがわかりますね。テロにおびえて、ズサンに侵略者に引きずられていく政府を存在させているのは、国民ですから、なんとかできますよ。このままでは、戦死者、戦没者は護ってくれませんよ。学ぶことのできない者は自然界でいきていけませんから。まず、小泉政権を倒しましょう。それから、目覚める人たちが増えるのを待って、(これは、必ず増えていきます)国民の代理人としての政権の誕生をめざしましょう。その間に侵略者たちは、かつての日華事変のように中東で泥沼にはまっていきます。かつて日本が自分の有様に気がつかなかったように、今では「侵略の枢軸」の者たちは自分の有様に気がつかないのですね。日本人よ、若者の命と体を侵略者に差し出すな。護られていることを感謝します。
June 22, 2004
コメント(0)
私たちは戦争を知らない子供たちと言われ育ってきました。けれど、今、それを否定します。わたしたちは「戦争を知らない子供たち」だったかもしれませんが、わたしたちは、「戦争を止める子供たち」です。第二次世界大戦で、わたしたちは多くの犠牲をはらいました。それはどうしてでしょうか。目をつむって考えてみてください。死んだのはあなたたちの家族だったではありませんか。隣人だったではありませんか。あなたたちの父親や母親だったではありませんか。あなたたちの子供だったではありませんか。あなたたちの夫や妻だったではありませんか。彼らの思いが聞こえますか?今、地球にいる私たちに、たえず彼らはささやきかけてきます。「二度と戦争を起こしてはならない」とーーー身近な人を亡くさなければならなかった戦争、第二次世界大戦はまさしく、今のわたしたちのために起こされたのです。わたしたちが、身近な人を多く亡くすことによって、戦争の無意味さを心と体、そして魂にしみこませたのです。あのあやまちは、第二次世界大戦のあやまちは、繰り返されるために起こされたのではなく、学ぶために、今いるわたしたちが学ぶために起こされたのです。どうか今、大戦を経験して、今なお長生きしているかたがた、もう一度わたしたちのために立ち上がってはもらえませんか?戦争の無意味さを大声で、腹の底から、叫んでもらえませんか?年老いて孤独の中で、あなた方はいるのかもしれない。夜ねむる前に見上げる天井は、あなたの心にさびしい影をかさねつづけているのかもしれません。どうか、ご自分の力に気付いて、いのち長らえている意味を思い出し、戦争をとめる原動力となってもらえませんか?
June 21, 2004
コメント(0)
どこかの国の首相は「人道支援なら問題ないだろう」ということで、自国の武装組織をアメリカ主導の『多国籍軍』に参加させようとしている。そのアメリカでは『人道支援』といった場合、秘密工作の支援を意味することが多く、世界的には説得力のある理由ではない。例えば、1980年代にアメリカ政府はニカラグアの反政府ゲリラ『コントラ』を支援する秘密工作を行った。外交的にも法律的にも問題が多かったため、アメリカ議会は「ニカラグア政府を転覆させたり不安定化させる目的でいかなる資金も使ってはならない」ことを決めた。いわゆる『ボランド修正法』である。そこで、アメリカの情報機関は軍事物資を『放出品』としてコントラに提供する一方、国務省の『人道支援』プログラムを利用して資金を流している。しかも、仲介役になった企業には大物麻薬業者が関係していた。この事実は、民主党の大統領候補になっているジョン・ケリー上院議員を委員長とする委員会が報告書の中で明らかにしている。この事実は、アメリカ政府が盛んにアピールしてきた『麻薬との戦争』も額面通りに受け取ることはできないことを意味している。1970年代かRントラ支援とレーガン政権時代のコカイン蔓延とはリンクしていると考えられている。『人道支援』や『麻薬との戦争』の実態を暴こうとする人、あるいは団体を監視したり攻撃したりするためにも利用されてきたのが『テロとの戦い』である。『テロとの戦い』が言われ始めたのは1970年代前半、ベトナム戦争の終盤である。メインのターゲットは反戦平和グループだった。そうした中に司法長官を経験した人物も含まれていたことは有名な話だ。かつて、「宣戦布告がなされていない」という理由で日中戦争は戦争でないとする主張があった。アメリカの軍幹部の間では1990年代後半から21世紀の戦争は『チェチェン/ソマリア型』の不正規戦になると指摘されている。正規軍と正規軍との戦いではなくなるということだ。つまり、どこかの国の政府に言わせると、21世紀の戦争は『戦争』でないということになる。
June 20, 2004
コメント(0)
イラクで編成される多国籍軍への自衛隊参加を、国会での十分な議論なしに決断した小泉純一郎首相。十七日夕の記者会見で問われたのは、国民への「説明責任」だった。与党内からも「なし崩し参加」への疑問の声が上がる中、首相の一言一句にいつも以上に注目が集まったが、首相の説明の方法は-。 (政治部・田畑豊)■誇らしげ 「イラク(暫定政府)の大統領から『自衛隊は他国の部隊と比べ、ひときわ歓迎されている。今後とも活動を継続してくれ』という要請を受けた。自衛隊の諸君が住民と友好的に活動しているんだなあと心強く思った」 首相は会見で、国民世論が二分する中、派遣に踏み切った自衛隊が現地で高い評価を得ていることについて、こう誇らしげに語った。 七月の参院選を前に、与党内には、年金制度改革に加え、多国籍軍への自衛隊参加問題が「逆風二点セット」になりかねないことへの警戒感が強い。この日の会見についても、森喜朗前首相が「分かりやすく説明する必要がある。選挙前だから大事なことだ」と助言していたほどだ。 こうした中、首相は、自衛隊がいかにイラクに頼りにされているかを強調することで、イメージアップを図り、国民の国際貢献意識を巧みにくすぐる戦術に出た。「今、イラク人が一番苦しんでいる。将来、イラク国民から、日本は苦しい時に支援の手を差し伸べてくれたという評価をいただけるような活動をやっていきたい」とも述べ、情に訴える場面が相次いだ。■肩透かし 情に訴える一方、首相はこれまで違憲の疑いがあるとされた多国籍軍参加が、今回はなぜ合憲なのかという説明には踏み込まない。首相は、多国籍軍参加の正当性について(1)武力行使はしない(2)非戦闘地域に限る(3)憲法とイラク特措法の枠内(4)自衛隊の活動は日本の指揮下-の四点を「呪文(じゅもん)」のように繰り返すだけだった。 多国籍軍参加と憲法九条との整合性について問われても、「イラク人が自らの力で自らの国造りに立ち上がろうとする時、多国籍軍だから(自衛隊が)参加してはいけないという理由にはならない」と、ここでも「情」を持ち出すばかりで、肩透かしの印象を与えた。 また、首相は、航空自衛隊による米兵輸送などの「安全確保支援活動」を続けることを明言したが、こうした輸送活動を行うことは、自衛隊が反米勢力などから狙われる危険性がより高まることを意味する。だが、そうした懸念についても、首相は最後まで触れずじまいだった。■バカの壁 首相は昨年末、養老孟司氏のベストセラー「バカの壁」を引き合いに、「一生懸命説明すれば、分かってくれるというのは間違いじゃないのか」と、同僚議員に漏らしたことがあった。 自衛隊派遣計画の閣議決定後の記者会見について、説明責任を果たしていないとの批判を浴びたことへの不満があったようだが、ならば、この日はいわば「雪辱戦」とも言えたはず。だが、首相は、国民が不安を抱きそうなことはしゃべらず、言いたいことを言うという姿勢を貫いた。 「世の中には三種類の人々がいる。話せば分かる人、話しても分からない人、話さなくても分かる人。政治家にとって、話しても分からない人に分かってもらう努力を続けることは宿命だ」-。就任一年目のジェノバ・サミット(二〇〇一年)での首相の言葉だ。だが、長期政権への道を歩むにつれ、国民を熱心に説得するという初心が薄らぎつつあるのか。そんな思いを残す記者会見だった。
June 19, 2004
コメント(0)
高遠菜穂子「イラクのことを伝えると約束」日経ビジネス2004年6月7日号私は4月7日、ヨルダンのアンマンからイラクのバグダッドへ向かう途中で、イラク・ファルージャ付近のムジャヒディン(イスラム聖職者)たちに9日間拘束されました。主にバグダッッドのストリートチルドレンを支援する目的で、通算4回目のイラク入国をしようとしていた時です。私はNGO(非政府組織)などの組織に属さないのがポリシーで、どこからも資金援助を受けていなかったので、帰国するたびに千歳市の実家近くで搾乳のアルバイトなどをしてお金を作っていました。4回目は、短くて2年、長ければ5年くらいイラクにとどまるつもりだったので、今年2月に一時帰国した時は、朝は搾乳のバイト、夜はスナックで働く覚悟でした。ところが帰国すると、1月に出た私に関する新聞記事がきっかけとなり、思いもかけず全国からの寄付金が実家に集まっていたのです。4月1日の出国時には、寄付金が200万ほどになっていました。私はこの貴重なお金でストリートチルドレンを支援するための施設を借り上げ、最終的には、イラク人だけで子供たちを支援していける枠組みを作りたいと思いました。しかし、一歩を踏み出す前に、こういうことになりました。4月15日の解放後、バグダッドの日本大使館で初めて、私たちが自衛隊撤退と引き換えの人質だったことや、声明文の存在を知り、日本で大事件になっていることを自覚しました。自己責任論や自作自演説も、その後ドバイに移った時に、政府の方や家族の話で知りました。外務省をはじめとする政府の方々には多大なご迷惑をおかけし、本当に申し訳ないと思いますし、感謝しています。できるなら、私たちを心配してくれた方々にも、私たちのことでお怒りになった方にも、北海道から沖縄まで一人ひとりの前に行って、跪いて謝りたい。そしてイラクのことを話したい。本当に申し訳なかったと言うしかないし、謝りたいです。でも今はまだ、1人で外に出ることができません。実家に引きこもっている間、武器を持っているイラク人に肉体は焼き殺されなかったけれど、武器のない日本で私の心は焼き殺された、そういう気持ちでした。私は今、生かされた命を持て余して、ただ泣いて、震えていて、何もできません。解放のために努力してくれたイラク人や、私の意思を継いで現地で子供の支援を続けてくれているイラク人に「ありがとう」を言いに行くこともできない。私がイラクの現状を訴えたら、もし私がイラクに行きますって言ったら、「またこいつ何か言っているぞ」って、橋げたに吊り下げられそうな気がして怖いのです。でも、この家の向かいにある自衛隊の演習場から、バグダッドで聞いていた音と同じ音が聞こえてきて、それを聞くたびに、米軍の空爆で亡くなったイラク人の叫びが、脚が飛んだ瞬間の子供の声が、体中に破片が入った時の叫び声が、米兵に虐待されている悲鳴が聞こえてくるんです。今回拘束された時に、「何でこうなるの」と思いました。今思えば、私がファルージャの人に両肩をつかまれて、目だけ耳だけじゃなくて、体で俺たちの苦しみを知ってくれと揺さぶられたような気がしています。私は解放のために尽力してくれたイスラム聖職者協会のクバイシさんに、イラクの現状を必ず伝えますって約束しました。今はこれからどうしたらよいのか分からないけれど、少しずつ伝えていけたらと思います。イラクでは毎日、米軍が暴力に訴えて、その結果、個人的な恨みや憎しみがイラク人に生まれ、米軍に報復するという負の連鎖が続いています。その繰り返しでお互いの憎悪は増幅するばかりです。この拘束事件を踏まえて私が一番伝えたいことは、昨年5月1日に戦闘終結宣言がなされたけれど、そこから一般人と占領軍の本当の戦争、自分たちの生活を守るための戦争が始まったということです。イラク人、特にファルージャや近郊のラマディの人々は、この1年間ずっと苦しんできたのです。私が初めてイラクに入ったのは、首都陥落後の昨年4月29日です。バグダッドに着いてすぐに、ファルージャで、平和を求めるデモをしていた丸腰の民衆を米軍が銃撃したという話を聞きました。これはまずいと思い、5月1日にファルージャに行きました。ファルージャはバグダッドから車で1時間ほど西に走ったところにあります。まず病院に行って会ったのが、その米軍の銃撃に遭ったという15歳と21歳の男の子です。粗末な治療を見て、医療品を運ばなきゃと思いました。170床のベッドに対してドクターは1人。ゴム手袋や注射針、酸素と、すべてが不足していました。発電機が動かず、保育器や医療品を保管する冷蔵庫は止まっていました。ラマディも同じような状態だったので、医療品をファルージャとラマディに届けてもらうよう各国のNGOに要請するため、5月末にいったんアンマンに戻ることにしました。そして、6月頭、協力してくれた日本のNGOの人と数百万の医療品を携えて、再度バグダッドに入りました。その頃、ファルージャとラマディの治安は悪化の一途をたどりました。サダム・フセイン元大統領がスンニ派だったこともあり、米軍はスンニ派勢力のファルージャとラマディには必要以上に警戒心を持って荒々しい態度を取っちゃう。それが民衆の中に反米感情の種をまき、悪循環が生まれていくのです。6月に入ると一般の民衆も武器を持つようになり、中には夜中に対戦車地雷を埋める人もいました。検問も増えて夜の外出も厳しくなり、そういう中で、米兵が暗がりで誤って子供を撃ったという話が続きました。一晩明けると、銃弾の跡が200~300m続いていました。ラマディのイラク人からはこんな話も聞きました。流れ弾に当たり内臓を損傷したイラク人が、手術をしたけど、いまだに激痛が走る時があって、いつもの診療所に車に乗せられて向かったんです。そしたら途中で検問に遭い、米兵に車から引きずり出され、怪我をしている人が片言で病院と言ったら、「Go home and die!」って言われたって。話を聞かせてくれたイラク人は唇をブルブル震わせながら「復讐を誓った」と言っていました。家宅捜索も激しくなりました。米軍は夜中から明け方にかけて、ドアをいきなり蹴破って入ることが多いんです。女性はイスラムの衣装もかぶれないまま外に出されます。「家宅捜索に着た米兵が、妻の夫以外は触ってはいけない部分を触ったので、4人の米兵を撃ち殺した」と、あるイラク人から直接言われ、びっくりしました。こうした状況は昨年11月にピークを迎え、今年4月の米軍の掃討作戦で、さらに多数の民衆が犠牲になりました。アブグレイブの収容所の虐待の話が明るみに出ましたが、それ以外にも私たちが知り得ないほどの屈辱をイラク人は味わってきたんだと思います。ファルージャ付近の治安が悪化する一方で、バグダッドでは6月中旬、空爆で家族を亡くしたり、施設から抜け出してきたりするストリートチルドレンが目につき始めました。主に10代半ばから後半の男の子がパレスチナホテル近くにある10回建てビルの半地下のゴミためのような場所に住み、多い時で20人ほど同居していました。そこは「シェラトン」と呼ばれていました。とにかく異臭がきつく、劣悪な環境で、中ではシンナーや「ハルシオン」みたいな錠剤の麻薬が横行していました。子供たちは物乞いをしたり、靴磨きをやったりして得たお金をドラッグに回していたのです。ドラッグの影響で、ぶつかったとか、レタスを1枚多く取ったとか、そんなことですぐに仲間同士の喧嘩になって、ナイフや割れたコーラの瓶で切りつけ合うことが1日に何回もありました。自分を切りつける自傷行為も頻発していました。イラクの大人はそれを放置していたのです。フセイン政権の圧政下ではストリートチルドレンは国の恥とされ、すぐに施設に入れられました。その影響もあって、イラクの大人たちは彼らを「アリババ(泥棒)」と呼び、怪訝な目で見ていました。シンナーの吸い過ぎで泡を吹いて痙攣している子供を蹴る大人もいたほどです。保護してもすぐに逃げ出してしまうため、各国のNPOも半ば諦めて、素行の良い子を優先して保護していました。結果、シェラトンには素行が悪い子ばかりが残る。そんな彼らを私は放っておけませんでした。自分が中学生の時にシンナーにはまったこともあって、大人に対する不器用さが昔の自分に似ていると思いました。昨年11月、3回目にイラク入りした時には、イラクの子供が自立できる環境を作るために、シェラトンの近くにアパートを月175ドルで借りました。イスラムでは女性の1人暮らしは許されていません。私はホテルから毎日アパートに通い、1~2人ずつ呼んでシャワーを浴びせ、新しい服とごはんを与えました。石鹸やパンを投げたり、上げた毛布を売ったりと、物を粗末にする子は本気で怒鳴りつけました。そうしたら、随分厳しかったイラクの大人たちが協力してくれるようになったんです。みんな毎日のようにアパートに来てくれて、通訳とか洗濯とか掃除とかシャワーとかを手伝ってくれました。建設会社の社長のスレーマンさんは、「建設ラッシュで仕事がとても忙しいから、これで食べ物や服を買いなさい」とお金をくれて、時には子供たちの就職の斡旋もしてくれました。もう、周りのこうした協力が本当に嬉しくて。でも、だんだんアパートの大家さんが強欲になってきて、家賃を2倍払えと言い出したんです。お金も底を突いていたので、結局アパートを引き払い、今年2月、1~2年分の家賃をまとめて払えるお金を稼ぐつもりで日本に帰ってきました。前述したように、思わぬ寄付金のおかげで、2ヶ月後にはイラクに出発できたのですが、その途中で拘束事件に遭ってしまったのです。今回のことで反省したのは、焦っても良い結果は生まれないということです。今思えば、残してきた子供たちのことを心配して焦っていました。現地の友達からもメールや電話で「子供たちが『ナホコはいつ来るんだ』と待っている」と聞かされていて。でも油断していたわけではありません。自衛隊の派遣で反日感情が出てきていたのは分かっていたから、ちゃんとアンマンのイラク人が集まるバスターミナルとか食堂とかで情報を集めたうえで大丈夫だと判断したんです。自らの行動についても責任を取っていたつもりでした。私はいまだに何が自己責任なのか考え込むのですが、事件が起こるまでは覚悟だと思っていました。イラクに入る時に覚悟ができていない人なんていないと思います。
June 18, 2004
コメント(0)
教育基本法改正についての与党の方針が1項目を除いてまとまった。まとまらなかったのは愛国心をめぐる表現である。 自民党は「国を愛する」ことを教えるよう求めたが、公明党は「国を大切にする」に変えるよう主張し、折り合わなかった。 公明党からは、国を愛せというのは統治機構を愛せということにならないか、との疑問が示された。戦前の「忠君愛国」のスローガンが戦争をあおり、異論を許さないことにつながった、という慎重論も強かった。 公明党は愛国心という言葉に戦前への回帰と国家主義のにおいをかぎ取ったに違いない。支持母体の創価学会が戦前、国家から弾圧された経験を持つだけに、警戒するのは当然のことだろう。 そうした恐れは、「国を愛する」を「国を大切にする」に変えたところで、ぬぐいきれるものだろうか。 問題は愛国心の表現にあるのではない。愛国心をどうとらえるか、愛国心が育つにはどうすればいいのか、にある。 民主主義の国では、主権者である国民が統治の仕組みを決め、選挙で選んだ代表を通じて国を治める。どういう国をつくりたいかはそれぞれ考えが違うだろうが、自由に意見をたたかわし、妥協が必要なときは妥協して、社会をつくり、国をつくっていくのである。 みんなが参加してつくった民主的な社会や国だからこそ、そこに愛情が生まれる。国民一人ひとりが尊重され、その意思が反映される国ならば、愛国心は自然に生まれ、育っていく。 国を愛せ、と一方的に教えるだけで愛国心が育つはずがない。まして、戦前のような国家体制への郷愁にかられて、国を愛せ、伝統や文化を愛せ、というのならば、とても受け入れられない話だ。 自分の国をどう愛するかは、人によってそれぞれ違う。国を思うからこそイラクへの自衛隊派遣に反対する人がいるし、逆に、賛成する人もいる。自衛隊派遣に反対した人を「反政府、反日的分子」と非難した与党議員がいた。国の愛し方を一方的に決めつけるようでは、ゆがんだ愛国心になってしまう。 愛国心を教えるよう法で定めれば、学校で指導が強制される恐れがある。国旗・国歌法が成立したとき、小渕首相が「命令や強制は考えていない」と国会で答弁したのに、強制が広がったことを忘れるわけにはいかない。 すでに「国を愛する心情」を成績として評価する小学校が全国で増えている。愛国心を子どもに教え込み、愛国の度合いを競わせる。それで国民に愛される国になるだろうか。 今の教育基本法が育てようとしているのは「平和な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、勤労と責任を重んじ、心身ともに健康な国民」である。戦後、この法律通りに教育行政がされていれば、愛国心を十分持った国民が育っていたのではないだろうか。
June 17, 2004
コメント(1)
この国の首相の顔はいったいどちらを向いているのだろう。 米国での主要国首脳会議(シーアイランド・サミット)に先立つ日米首脳会談で、小泉純一郎首相は、新たな国連決議に基づき主権移譲後のイラクで編成される多国籍軍に、自衛隊を参加させることをブッシュ米大統領に事実上表明した。憲法上の問題からこれまで避けてきた自衛隊の多国籍軍への参加という重大な問題を、国民に説明することなく、十分な国会論議も経ず、真っ先にブッシュ大統領に報告する姿勢には首をかしげざるを得ない。 従来の憲法解釈は、多国籍軍の指揮下に入ると憲法の禁じる自衛隊の海外での武力行使の可能性を排除できない、とするものだった。ところが今月一日、秋山収内閣法制局長官が「武力行使を伴う任務と伴わない任務の両方が与えられる多国籍軍に参加することは、憲法上問題ない」との新見解を示し、日米首脳会談での首相の表明への地ならしが始まっていたと思われる。 国連の新たな決議は、イラクへの主権移譲のプロセスと多国籍軍の編成を明記、その駐留を二〇〇五年末のイラク新政権発足までと期限を設けたうえ、それ以前でもイラク政権が要求すれば終了すると定めるなど、米英両国の原案にフランスなどの要求をかなり取り入れた。安保理では全会一致で採択された。ただ、国連主導は名ばかりで「米国が主導権を握る現実は変わらない」との見方は根強い。治安回復についてもイラク人虐待や誤爆など、米軍の不手際もあって依然不透明である。 日本政府は、新決議に多国籍軍の任務として「治安維持と安定」とともに「人道・復興支援」が明記されていることで、この支援活動に限定して参加すれば憲法上の問題は生じない、と判断している。現在の自衛隊派遣を可能にしたイラク復興支援特別措置法は、各国に復興への参加を要請した安保理決議一四八三を根拠にしている。政府は新決議を政令で追加して多国籍軍参加の根拠とする考えで、国会承認を得ることなく月内の閣議で正式決定する意向だ。 現在のサマワでの自衛隊の活動を主権移譲と同時にやめることが困難なのは確かである。しかし、真っ先に米大統領に「自衛隊派遣を継続する」と表明することで、多国籍軍への参加を鮮明にする必要があったのか。しかも、新決議の採択を「(米国の)大義の中での勝利だ」とまで持ち上げることはなかろう。平和憲法の下での独自の道を探る日本のイメージを、もっと押し出すべきではなかったか。 自衛隊の海外での活動は、国連平和維持活動(PKO)から、イラク特措法による「戦時」派遣へと、段階的に広がっている。今回の多国籍軍参加で制約の枠が「なし崩し」的に壊れる危険性は否定できない。 多国籍軍に参加しながら、日本独自の指揮権が保てるとは思えない。もし「非戦闘地域」でなくなったとき、自衛隊だけ撤退できるのか、懸念も残る。政府は新決議の内容を精査して米国などと調整する意向のようだが、そうした手続きさえ抜きで、首相が参加表明するのは順序が違うのではないか。
June 16, 2004
コメント(0)
毎日新聞調査 毎日新聞が12、13の両日に実施した全国世論調査(電話)によると、小泉純一郎内閣の支持率は46%で、首相の北朝鮮再訪問直後に行った前回調査(5月23日)に比べて12ポイント減の急落となった。不支持率は6ポイント増の35%だった。今月5日に成立した年金制度改革法については「評価しない」との回答が70%に達した。同法成立直後に年金計算の前提となる出生率の大幅低下が明らかになるなど、政府の年金制度に対する不信感が支持率を押し下げたとみられる。 内閣支持率は、拉致被害者の家族5人の帰国につながった首相の再訪朝で11ポイント増加した。しかし、今回の調査では、上昇分が消失し、再訪朝前の5月15、16日に調査した水準(47%)に戻った。主要国首脳会議(シーアイランド・サミット)に首相が参加した効果も表れなかった。 内閣不支持の理由では「自民党の首相だから」が前回調査の8%から17%へと倍増した。 年金改革法について「評価する」との回答は17%にとどまり、自民党支持層でも「評価しない」(53%)が「評価する」(32%)を大幅に上回った。「評価しない」は無党派層の81%、民主党支持層の87%に上った。 また与党が強行採決によって同法を成立させたことについて尋ねたところ、「やむを得ない」は24%で、「納得できない」が67%を占めた。「納得できない」と回答した人の中では、内閣を支持しない割合が48%と、支持する33%を上回った。与党の公明党支持層も半数以上が「納得できない」と回答した。 5月の2回の調査では「今国会での成立を見送るべきだ」がともに6割前後に達しており、早期成立に慎重だった世論を押し切って成立させたことが内閣支持率などに影響したようだ。 政党支持率は、自民党が32%で前回調査と同じ。民主党は16%で前回より2ポイント増えた。年金改革法を「評価しない」人たちについてみると、自民党支持24%、民主党支持19%、「支持政党なし」44%だった。 その他の政党は、公明党3%(前回と同じ)▽共産党3%(前回比1ポイント減)▽社民党1%(同)▽「支持政党なし」の無党派層38%(前回比3ポイント減)--だった。【平田崇浩】 =◇= 調査の方法 12、13日の2日間、コンピューターで無作為に選んだ電話番号を使うRDS(ランダム・デジット・サンプリング)法で全国の有権者1000人を目標に電話で調査し、1054人から回答を得た。
June 15, 2004
コメント(2)
日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。 ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大の責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。 しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福をうばうことでしかありません。一九九○年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。 二○世紀の教訓をふまえ、二一世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。 憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先す外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。 私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していていくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。 二○○四年六月一○日井上 ひさし梅原 猛大江 健三郎奥平 康弘小田 実加藤 周一澤地 久枝鶴見 俊輔三木 睦子
June 14, 2004
コメント(0)
アメリカの第40代大統領、ロナルド・レーガンが死亡した。死人の悪口は言いたくないということなのか、大半のマスメディアは故人を手放しで誉めあげている。レーガンの実態を振り返ることで、日本のメディアが何を理想としているのかを知ることができるかもしれない。『天啓的史観(ハルマゲドン説の信奉者)』を信じている人がアメリカには少なくない。キリスト教原理主義者(聖書根本主義派)だが、彼らの教義によると、キリストが再び現れる前に、地球規模の核戦争、大規模な災害、経済恐慌、社会の混乱を経る必要があると彼らは考えられてィすることになっている。1970年代、レーガンは自らがこうした天啓的史観を信じていることを明かしている。例えば、彼がカリフォルニア州知事だった1971年、同州の上院議長だったジェームズ・ミルズに対し、旧約聖書のエゼキエル書について熱弁をふるい、ハルマゲドンが近いと熱く語っている。核戦争で世界は滅びなければならないということだ。その後、少なくとも1980年代初頭までレーガンは自分が天啓的史観の持ち主だということを隠そうとしていない。勿論、レーガンだけがキリスト教原理主義者だというわけではない。第38代大統領ジェラルド・フォード(1974~77)、そして現大統領ジョージ・W・ブッシュも同じ宗教の信者だ。フォード政権の時代、CIAの分析がソ連に甘すぎるという議論が浮上、『チームB』というグループが編成されたことがある。この対ソ連強硬派を稼働させたCIA 長官が現大統領の父親でレーガンの次の大統領、ジョージ・H・W・ブッシュ。1970年代から聖書根本主義派はイスラエルの軍事強硬派、リクードと急接近、1979年には『国際テロリズム』の黒幕はソ連だというプロパガンダを展開、そのソ連と戦う『自由の戦士』としてアルカイダを含むイスラム原理主義者を彼らは組織、支援している。レーガン大統領は本気でソ連との戦争を考えていたと筆者は推測している。何人かの自衛隊の情報将校も同じ分析をしていた。1983年が緊張のピークで、その後はレーガンの宗教的な信条は別のエリート集団によって封印されている。レーガン時代を振り返ると、ラテン・アメリカではレーガン政権に支援された軍事政権が『死の部隊』を使って大量虐殺を実行、エル・サルバドルの大司教も暗殺されている。ニカラグアの左翼政権を倒すためにコントラを組織、資金源としてコカインを使っていたことも秘密ではない(CIAも認めている)。1980年代にコカインの流通量がアメリカで急増したことと無関係ではない。これはイラン・コントラ事件の一面だが、そのイラン・コントラ事件に関する証言をレーガンは『アルツハイマー』を理由に拒否し続けた。きわめて鮮明な記憶を持っていた時期から死ぬまで同じ理由を主張していた。この無責任な態度を美談にしてしまうのが日本のメディアだが。経済面では『規制緩和』の結果、S&Lの不正融資が起こり、その延長線上にエンロンの破綻がある。『双子の赤字』で世界経済の危険度を大幅に高めたことも忘れてはならない。日本が助けなければ、アメリカは破綻していた可能性が高い。
June 13, 2004
コメント(1)
主要国首脳会議(シーアイランド・サミット)で米国は、念願の「拡大中東構想」の採択にこぎつけた。だが、民主化の対象となるアラブ諸国の懐疑はぬぐえず、採択を認めた欧州勢も本音は反対。ブッシュ米政権の性格が強く出た同構想は、挫折の危険をはらんで第一歩を踏み出す。 (サバナ・沢木範久、久原穏)■アラブの不信ぬぐえず 拡大中東構想は、二〇〇一年九月以来の「テロとの戦い」の産物だ。 軍事力だけでテロは根絶できない。独裁や宗教過激派による抑圧と扇動が、不満と暴力というテロの温床をつくり出すような社会に対しては、民主化、経済振興が必要になる-。 ブッシュ大統領は昨年十一月、訪英時の演説で「地域安定を優先するあまり、抑圧的政権の存続を許してきた」過去の中東政策に決別を宣言。積極的に諸国の民主化を促す「自由の前方展開戦略」を表明した。 構想はその具体化であり、「自由は神が米国に与えたものでなく、人類への贈り物」が口ぐせの大統領の性格がにじみ出たものだ。 しかし、ことし二月、当時の「大中東構想」はアラブ紙に漏れ、猛反発を受ける。 まず、「大中東」の範囲が明快ではなかった。アラブ諸国に加え、アフガニスタンやイラン、パキスタン、モロッコなどが対象とされたが「イスラム原理主義の影響による反米感情以外、共通性のない諸国を一緒にし、米国流の自由・民主主義を押しつける試み」と受け止められた。 政府だけでなく市民社会との対話も重視するとしたことで、体制転覆への警戒を抱く国もある。 これに対し、米国は構想の狙いが「自主的改革の支援」にあり「各国の独自性を尊重する」と弁明。正式名称を「拡大中東・北アフリカ地域とのパートナーシップ」として、押しつけ色の払しょくに努めてきた。 九日、サミット八カ国(G8)と拡大中東首脳の昼食会で、ヨルダンのアブドラ国王は、昼食会への招待を断ったとされるサウジアラビアのアブドラ皇太子からの「わが国もG8の試みを支持する」との伝言を紹介。アラブ側の“軟化”との見方も呼んだ。先月下旬には、アラブ首脳会議が民主化への決意を示す宣言を採択、米国もこれを歓迎している。 だが、採択の裏には、サミットを前にアラブ側が先手を打って「米国の押しつけでない民主化」を主張した側面もあり、事は単純でない。■『移民』火種、欧州も異論 拡大中東構想は、サミットの場で政治宣言を採択したにもかかわらず、大半の欧州勢が異を唱える奇妙な構図となった。 フランスのシラク大統領は「この地域に民主主義の伝道師は必要ない。開かれた政治が地域に育つのを見守ればいい」と、真っ向から反対する。ブッシュ大統領の盟友ベルルスコーニ伊首相でさえ「計画を押しつけるべきではない」と強調。G8のある外交担当者は「ブッシュの妄想でしかなく、うまくいくはずがない」と言い切る。 欧州勢が慎重になるのは、地理的にも歴史的にも中東地域と結びつきが深く、構想の失敗による影響は米国と比べようもないからだ。 フランスは五百万人、ドイツも四百万人前後のアラブ系移民を抱え、移民の同化問題が国の土台を揺さぶっている。移民増加で治安が悪化、それが移民排斥を唱える極右勢力の台頭を招く。中東情勢が一段と不安定になれば、移民・難民がさらに押し寄せ、悪循環がエスカレートする。 欧州には血で血を洗った異教徒との侵略、戦争の歴史がある。植民地政策の失敗の経験もある。イラク一国を攻撃したイラク戦争と違い、アラブ・イスラム世界全体を敵に回しかねない。 アラブ人は誇り高い。民主化ドミノといったご都合主義では取り返しのつかないことが起きる。そんな不吉な予感が欧州にブレーキをかけているように見える。
June 11, 2004
コメント(0)
「クローズアップ現代」http://www.nhk.or.jp/gendai/ピューリッツアー賞クリス・ヘッジズ氏出演イラク人捕虜虐待事件にアメリカ世論が大きく揺れている。戦争支持率は30%台に急落、イラクからの撤兵を求める声も強まっている。虐待に関与したとされる憲兵部隊7人の兵士の地元では、家族が「少数の兵士による仕業」とする軍に対し「上官の命令に従っただけ」と反論、ブッシュ政権への批判を強めている。その一方で地域住民が7人の兵士を激しく非難する集会を開くなど、事件の波紋は広がっている。カリフォルニア州では、虐待を目撃した憲兵部隊が帰還。「自爆攻撃の恐怖と駐留長期化の疲労が兵士の心を蝕み虐待につながった」と、知られざるイラク戦争の現実を語り始めた。アブグレイブ刑務所に駐留した兵士とその家族の証言を軸に、占領政策の現実と、アメリカ世論の変化を見つめる。 (NO.1928)中継出演 : クリス・ヘッジズさん(ニューヨーク) (元ニューヨークタイムズ記者 2002年ピューリッツアー賞)
June 10, 2004
コメント(1)
「もっと現場に行きたい」 33歳の若さでイラクに散ったジャーナリスト・小川功太郎さんは周囲にこう語っていた。 小川さんは一緒に亡くなった戦場ジャーナリスト・橋田信介さん(61)の甥。早大を卒業し96年にNHKに入局。中国語講座を担当したのち、鳥取放送局でドキュメンタリーなどの制作に携わった。 昨年7月、NHKを退社しフリー記者として戦場を目指した。橋田さんと親しかったジャーナリスト、高世仁氏が言う。「今年の4月上旬、橋田さんに連れられて私の事務所に来たんです。なぜNHKを辞めたのか聞いたら、“世界の現場を取材したいからです。悔いのない人生を生きたい。”と語っていました。」 別掲のリポートは彼がイラクから本紙に送ってきたものだ。イラクの現状を目撃した小川さんは、もっともっと戦争の悲惨さと愚かしさを報道したかったにちがいない。 会社組織を脱し、フリーとしてあえて危険に身を投じた小川さんの生き方はサラリーマンにとっても注目に値するものだ。
June 8, 2004
コメント(0)
アメリカ兵が男性のイラク人収容者を拷問し辱めている場面の公表された画像は、一部の人権団体とペンタゴンが集めた証拠--それは米軍兵士がアブグレイブ刑務所および他の拘留施設で、イラク人女性をレイプし、性的に虐待していることを示している--の影を薄くしているのかもしれない。 女性拘束者たちの法的代理人をしているイラク人弁護士アマル・カダム・スワディは『ガーディアン』(英紙)に、彼女は女性拘束者に対する米軍兵士による性的暴行と虐待が2、3の偶発的な事件ではなくて長期に続いていると信じていると告げた。「イラクじゅうで起こっていること」と彼女は言った。 女性たちは合同軍に拘束されているイラク人全体のなかでは少数である。アメリカ軍は、現在、イラク全体で占領軍に拘束されている女性は78人だと発表している。 しかし、去年のイラク侵攻以来、どれだけの女性をアメリカとその同盟軍が拘束してきたか、正確には明かにされていない。赤十字国際委員会によると、去年10月、アブグレイブに30人のイラク人女性が拘束されていた。米軍によると、その数字は先月には5人に減り、5月29日にはついにゼロになった。 大多数の男性収容者のように、合同軍に拘束された女性の多くは、いかなる犯罪の告発を受けたわけではない。イラクの人権団体は、彼女たちが合同軍に指名手配された家族への「切り札」として使われているようだと指摘している。--『ニューズデイ』が報道した。 スワディと他の6人のイラク人女性弁護士は、ヌールという名前の収容者によって書かれたというメモが、アブグレイブからこっそり持ち出されたあと、昨年後半に性的暴行があったという主張を調査し始めた。そのメモは、アメリカ兵が女性拘束者をレイプし、いくつかのケースでは、ヌール自身もそうだが妊娠したと訴えていた。スワデイは暴行されたか暴行を目撃したと訴えた拘束者への聞き取り調査を開始した。--『ガーディアン』が報道した。(※1) スワディは、3月にアブグレイブに訪問しているとき、一人の収容者が、米兵から彼らの前で服を脱がされ、イスラムの文化の品位を汚すような行為を強制されたと彼女に告げた、と話した。バグダッドにある別の拘留施設では、スワディは米兵にレイプされたという女性に出会った。「彼女はみずからの事例を語る唯一の女性だ」とスワディは『ガーディアン』に話した。「彼女は泣いていた。そして彼女はレイプされたと私に言った」とスワディが話した。「数人のアメリカ兵が彼女をレイプした。彼女は彼らを追い払おうと抵抗し、腕にケガした。彼女はその縫った傷口を私たちに見せた」。 アメリカ占領下の人道違反を調査している組織である占領監視国際センターの責任者イマン・ハマスは、アブグレイブで同房者がレイプされたことについて拘束体験者が話していると指摘した。--『ミドル・イースト・オンライン』が報道した。(※2) 別の事例では、ほかには誰も部屋にいないとき、ある女性がハマスに用心深くささやいて、兵士がアブグレイブで彼女をレイプしたと示唆した。ハマスの話では、翌日その女性は戻ってきてその供述を破るよう頼みこんだ。 ハマスやスワディほか暴行事例を調査している者たちによると、レイプされた生存者はしばしば恥とされたり、時には家族の名誉を守るために殺されたりするので、イスラムの文化では名乗り出る女性はほとんどいない。 ハマスと他の二人の人権活動家は、そろって、バグダッドの西、アンバル州のスンニ派教徒出身の3人の若い女性がアブグレイブから妊娠して戻って来たあと、家族の手で殺されたという話をした。『ミドル・イースト・オンライン』が報道した。 ペンタゴン米国防総省は、陸軍少将アントニオ・タグバによる内部報告書で、アメリカ兵がアブグレイブで裸にした女性拘束者をビデオと写真に撮っていたことを認めた。連邦議会議員にも見せられたが公開はされていない米軍兵士撮影の写真は、胸を見せるよう銃口を突きつけて強制されるイラク人女性を映していたと言われている。 タグバ報告書もアブグレイブでのレイプ事件を引用している。ただしタグバはその事件を、男性看守が女性の収容者と「セックスをした」と記述していた。 その収容所でのレイプに関しては、イラク駐留米軍の広報責任者キミット准将がAFP通信に、同刑務所を管理している部隊は「アブグレイブにおけるその種の報告はなにも知らなかった」と話した。 米軍はいまだに、女性拘束者への暴行や虐待事例では一人の兵士も告発していない。 ペンタゴンの別の報告は、軍諜報機関の3人の兵士が昨年10月、アブグレイブに拘束された女性に性的暴行をはたらいたと言われていることを示している。米軍の調査担当者はこの暴行を確認しなかった。『ワシントン・ポスト』によると、この3人の兵士は、許可なしに女子房に入ったことで、各々数百ドルの罰金を科されて降格処分されたと伝えられている。
June 7, 2004
コメント(1)
2003年10月23、24日、スペインのマドリードで「イラク復興支援会議」が開催され、全世界から73の国と20の国際機関が参加し、復興に必要な資金として総額330億ドル(3兆6300億円)の拠出が表明された。その内日本が5500億円であり、世界銀行(WB)と国際通貨基金(IMF)を除けば、アメリカと日本にほとんど偏っている。この会議に先立つ下院歳出委員会の公聴会で、9月30日、アーミテージ国務副長官は「われわれは日本と集中的に取り組んできた。彼らは気前のいい約束をすると思う」と発言し、かなり強引に日本の拠出額が決められたようだ。まるで自分の家にある金庫に、アメリカ人が勝手に入ってきて、何の説明もなく好きな具合に持ち出されてしまったような流れである。しかも取りまとめ役であるアメリカの財政赤字がひどく、2004年度会計が5250億ドル(約58兆円)の赤字になる見通しであるために、結局のところ、日本だけが正直に表面額どおりに拠出する流れになると思う。今や日本は、公的部門だけで800兆円もの赤字を抱えて、医療保険や国民年金等はじめとしてすべてを増税の方向に持っていこうとしている国が、外に対してはなんとも気前がいいのである。そして注目すべきは、すべて何らかの国際機関を通じての援助ということである。つまりその先の金の行方に関しては、いっさい我関せずなのである。世界ひろしと言えど、恐らく、こんな国は日本だけだと思う。普通、国際機関の仕事配分は熾烈な競争の中で、様々な怪しげなお金や政治力がうごめく世界である。そんな風なドロドロした利権略奪戦のなかで、日本政府だけは例外として、声高に人道支援」や「平和貢献」を叫んでいるのである。一方ブッシュの方はといえば、他国が供出した資金(そのほとんどは日本の資金)を国際機関を通すことで、いかに自国企業(カーライルやハリバートンやベクテル)に還元するかしか考えていないのである。アメリカの利益(もっとはっきりいうなら自分の関係する縁故企業)のためなら、「人道支援」も「平和貢献」もなしである。もちろんアメリカは自分がしているようなことをもし他国がするなら、絶対に許さないのである。そんなことが実際に起きたなら、先制攻撃も辞さないのである。なぜなら、アメリカは特別な国だからである。それがアメリカの言う「正義」であり、民主化である。それが真実だからこそ、1991年の湾岸戦争で戦費を90億ドルという異常なお金を負担したにもかかわらず、「世界のATM」と皮肉られたうえに、これっぽっちも感謝されなかったのである。その嫌な記憶ゆえに、今回の自衛隊派遣へとつながるのだが、アメリカはそんなことで満足するはずがない。アメリカの「ホンネ」は、サマワにおける自衛隊なんてむしろ邪魔なだけで、世界から「イラク復興資金」を略奪する道具として、日本をパフォーマンスとして利用したいだけなのである。前回のアフガンの戦争でも、日本は、体よく復興会議の議長を務めさせられて東京で会議を開催したにもかかわらず、結局のところ、参加国中最大のお金を気前よく提供させられてしまっている。もちろんそのお金がどのように使われたのかは、例によってさっぱり分からずじまいである。今回のイラク復興支援のお金も、資金の提供先である暫定当局(CPA)も、その他の国際機関も、結局のところアメリカ政府のフロント機関なのだから、訳も分からずにアメリカにお金を預けることになってしまうだけである。日本の「人道支援金及び復興支援金」でプライベート・アーミーを雇って怪しげなテロを頻発させたり、イラク人人質を洗脳しようとしてミリタリー・サービス会社から虐待のプロを雇おうとも、そんなことまで日本は知るよしもないのである。もちろん、こんな風な流れは「イラク復興支援金」だけに限ったことではない。2004年度の外国為替資金特別予算(為替介入資金)を140兆円という馬鹿げた数字を計上して、円高対策だというフリをして、大量に買ったドルを米財務証券に換えることで、アメリカの金持ちに対する減税を支え、アメリカの株価を維持するための財源を与え、さらにイラクに13万人の米軍を駐留させている経費に充てられているのである。そればかりかアメリカから導入予定のミサイル防衛(MD)システムをめぐり、日本政府は、約1000億円の契約を、2004年度初期整備費として結ぶ方針を固めたのである。このミサイル防衛システムは、以前のコラムでも書いたように、いままで約824億ドル(約9兆円)もかけて、いまだに当たるかどうかもよくわからない不可思議な代物で、軍産複合体の利権のために存在している金食い虫以外の何物でもないのである。このミサイル防衛システムの営業のために、ならず者金正日の北朝鮮が脅威だというありもしないファンタジーを意図的に創作されてきたのである。こんなふざけたミサイル防衛構想に、またもや約1兆円もの国民の貴重な血税がつぎ込まれようとしている。そして前回の5月28日のコラムで書いたように、今回の拉致問題での食料25万トンと1000万ドル相当の医療品支援にしても、一度国連へお金を拠出する方式になっているために、国連と日本政府のあいだで、またしても多くの費用が国民の手の届かない薮のなかで消滅してしまうことになる。しかし書き出したら切りがないので、もうこれ以上は書くのをやめる。正直言うと、書いている私まで、なんだか気がめいってきてしまうんだよなぁ。でも、あえてこれらの事を拾い出して書くのは、英米の国際金融勢力の「エゴ」が創り上げた様々な「幻想」を剥ぐためである。それらの虚構の「罠」から自由にならないと、本当の自分のために、私たちが何をやらなければならないのかが見えてこないからである。つまり、最初に「幻想」からの自立ありきなのだ。それさえ私たちが分かってしまえば、未来への軌道修正は可能なのだ。
June 6, 2004
コメント(4)
(回答先: 「元気な女性が多くなってきた」=長崎女児殺害事件で-井上担当相 【時事通信】 投稿者 hou 日時 2004 年 6 月 04 日 21:06:15)こういう意識の源はいったい何ですかね?一見女性を応援しているようで、いや、ひょっとするとそこいらのファロス信奉者よりもずっと男尊女卑、男権主義者なのではないか。この人は、男は女より容易に暴力を振るったり人が殺せるから、男性が女性より優位な性だと思ってたのかな?いや、そう思ってたんだろうなあ、きっと。戦場で、人を撃ったりレイプしたり、略奪したり拷問したりなどという行為を兵士が躊躇していると、必ず上官の「お前はそれでも男か!○ンタ○はついてんのか!男になれ!!」などという怒号が飛ぶ(古今東西)。いや、最近は女性の兵士も増えているから、「怒号が飛んでいた」と言った方がいいかもしれない(結局、自分の中にある、「人間の心」を殺し、相手を「人間以下」とみなすような暗示を自らにかけることができるようになって、初めて兵士は「勇気をもった男になる」通過儀礼をクリアできる。サラバ感受性、サラバ人間性、コンニチハ男性性・・・みたいな)。とにかく世の中では、男は人を力でねじ伏せられることが、奪ったり殺したりすることができることが「優位な性である証拠」であるという認識が、無意識のレベルにまで刷り込まれて広汎に流通しているようだ。「そういう男ほどモテる」「そういう男ほど有能で頭が切れる」「そういう男ほどナニがでかくてうまくて女も満足、歳をとっても持続する」「そういう男ほど豪胆で気さくで明朗、かつ友人も多い」「そういう男ほど金持ち」等々、数々の『神話』がまかり通っている。どれも実体は空虚で無意味な願望に過ぎなかったりすると思うのだが。私は少なくとも、「そういう男」には惚れない。つまるところ、野蛮で情感が擦り切れている方が、高等な人間の証拠だという。さて、例の女児が実際に殺人を起こしていたとして、それを「元気な証拠」とみなすことは可能か。私は、むしろこの女児は急性の「非常に病んだ」状態にあったと思うのだが・・・。進学の準備の為か何の為か分からないが、一生懸命打ち込んでいたバスケットボールを母親にやめさせられたなどという話があったが、(それが事実なら)ただでさえそれで心理的にまいっているところに、日本の事件板でも書いたが、ネットでの会話という、非常に感情に揺さぶりをかけられやすい状況の中で、信頼していた筈の友人の、彼女に対して冷ややか(と思える)書き込みを見てしまった。もともと積極的な性格の子に、急にそういうショックに立て続けに出会ったこと(それまで何の疑いもなく信頼していた母親や友人が突然信じられなくなり、一気に疑心暗鬼や妄想が膨らんでしまった)で、積み重ねがある場合起こりがちな、自殺、不登校や引きこもりになる、グレてハデな恰好をして街に繰り出す、などの方向にエネルギーが向かう代わりに、「世の中一気に狂っちゃった・・・こんなのみんな終わりにしたい、すべてなかったことにして、人生をリセットしたい!」という衝動に、友人(御手洗さん)の自分に対して冷笑している顔が「想像されて」覆いかぶさってきていたのだろう。まあ、そもそもこの女児に限らず、殺人の衝動に駆られたり実際に殺してしまったときの人が、興奮状態やカラ元気はともかくとしても、本当に「元気」だったりすることはまずないと言えると思うが(これを見ている人の中にも、親しい人に裏切られたり嫌なことをされて、「殺してやりたい」と殺意を感じた、又は実際に殴りかかるなど、暴力行為に出た覚えのある人はたくさんいると思うが、そういう時、まったくストレスも感じず、「今日も元気だオイッチニッサンッシッ!」などと清々しく健康的で、心身ともに充実している気分になっている人はいるだろうか。私自身がそういう気持ちに駆り立てられていた時は、「心身ともにバランスを崩している状態」「無理に対峙してエネルギーを起こさなければ、鬱的になって寝込んでしまうような状態」にあったと断言できる。尤も、ゲームで敵キャラを倒しているような時は、ストレス解消をかねつつも、楽しい気分にはなれるが・・・)。私にはあまり、善悪という概念はないが、健全不健全(バランスアンバランス)という概念(感覚)は強く持っている。モラリストでもない私が言うのもナンだが、井上担当相のような発言をする人は、ずっと、「モラル性とは、戦争を起こす男性のあり方が基準」だと思ってきたのではないか。日本はしたくてたまらなかった戦争を止められて、ずっと我慢してきたんだもんね。さもありなん。破壊、暴力=道徳的、健全創造、共感=非道徳的、不健全ということでしたか。新しい道徳や倫理社会の教科書にこういう基準が載せられて、人類殲滅に向けての大事業へと子供たちを駆り出すべく奮闘するというのが、為政者の造る明日かもしれない。(やっぱ、男の中の男っしょ?女性も見習うべき、というわけね?)
June 5, 2004
コメント(0)
石油価格高騰の背景By StrangeLove石油価格の高騰が問題になっている。言うまでもなく、最大の理由は米英軍によるイラク攻撃。その結果、イラク国内のレジスタンス激化で同国の生産が伸びないだけでなく、サウジアラビアの体制が揺らぐ事態になっている。その背景には石油生産のピークアウトがあると指摘する専門家もいる。一時期、中央アジアにはサウジアラビアを上回る埋蔵量の油田が存在、インド周辺にも石油が眠っている等々の話があったのだが、期待したほどではないというのだ。とはいうものの、中央アジアの油田は無視できない。そこから石油を運ぶルートを確保することがアメリカのアフガニスタンに対する姿勢に大きく影響していることは言うまでもない。CIA がタリバンを組織、政権を握らせたのも、また自力走行を始めたタリバンを倒したのもアメリカがアフガニスタンを支配するためだった。つまり、中央アジアの油田を運び出すためにはロシア、イラン、アフガニスタン、どの国かと話をつける必要があるが、消去法で残るのはアフガニスタンということだ。そのアフガニスタンの支配がアメリカの思惑通りに進んでいない。ハミド・カルザイ大統領がコントロールできているのは首都周辺だけで、今後10年程度は外国の軍隊が駐留する必要があると感じているようだ。大統領自身もアメリカの『民間セキュリティー会社』のボディーガード(実態はアメリカの特殊部隊員)を必要としているほど治安は悪い。また、南米の産油国、ベネズエラを再び支配下に置こうとしたアメリカの計画も予定通りには進んでいない。同国のエリート(労働組合やマスB今回のイラク攻撃で利益を得たのは軍需産業とイスラエル(リクード)。前政権の防衛関連予算削減に苦しんでいたアメリカの軍需産業は息を吹き返し、イスラエルは宿敵のイラクを破壊することができた。基幹産業が軍需のイスラエルは二重の利益と言えるかもしれない。(アメリカのキリスト教原理主義者も宗教的利益は得た。)これに対して、アメリカの石油産業は今回のイラク攻撃でダメージを受けている。だからこそ『ネオコン』を怒っているのだ。油田地帯の混乱でアメリカの石油産業を基盤とする主流派エリートの力が弱まれば、相対的に自分たちの力が増すとネオコン(親イスラエル派)は考えているのかもしれない。『中東民主化』で湾岸地域をイスラエルの管理下に置こうとしていると思えなくもない。先月、アメリカのジョージア州にある海軍基地(その近くでサミットが開催される)に自動車で入ろうとしたふたりのイスラエル人が逮捕され、基地は立ち入り禁止になった。ふたりが乗っていたバンから問題になるような物は見つからなかったというが、これもアメリカとイスラエルとの本当の関係を暗示しているのかもしれない。
June 4, 2004
コメント(0)
長崎県佐世保市の小6女児殺害事件は、他のクラスメートらが犯行直後、血まみれの加害者の同級生を目撃するという不幸な事態も招いた。6年間一緒のクラスだった子どもたちに与えた「心の傷あと」の深さは、うかがい知れない。学校を舞台にした、あるいは子ども同士の事件も後を絶たない。事件後の子どもたちへの心のケアに問題点はないのか、探った。 (蒲 敏哉、藤原正樹) 「どげんしたとや」。男性教諭(35)の悲痛な声が教室に響いた。現場は佐世保市立大久保小学校三階の学習室。児童が自由に出入りできる憩いの場だった。 一日正午すぎの給食の時間。六年一組の机には牛乳、ご飯に酢の物、海鮮豆腐が並べられ「いただきます」と皆が手を合わせた直後、両手を血だらけにした女児(11)が飛び込んできた。 教諭が女児の手を広げてカッターナイフを取り上げ、とっさにいなくなっている同級生・御手洗怜美(さとみ)さん(12)を思いだし「御手洗は」とたずねると、女児は「私じゃない。私の血じゃない」と叫び、廊下の先を指さした。 この後、教室にいた三十六人の児童は五時間にわたり個別に事情聴取された。 「想像を絶する経験をし、児童たちの受けたショックは計り知れない」と駆けつけた同市教委の小林庸輔主幹は話す。 同小は全校児童百八十七人。一年から六年まで各一クラスで、六年生は三十八人。六年生の息子を持つ父親はこう話す。「一年生からずっと同じクラスだから、とても仲が良い。もちろん、転校してきた御手洗さんも含め、兄弟、姉妹と同じほど親密だった」。それだけに、事件の衝撃、その影響は大きかったという。 別の同級生の男児の祖母は「五人家族でいつもにぎやかなんだが、孫は昨晩帰ってきてからもなんも話さない。相当なショックで沈んでいる」と明かす。 同校OGの看護専門学校生(23)は「一年から六年まで同じクラスだから席替えを月一でやって気分を変えていた。中学時代を通じて家族以上の親友もできる。今回はそれが壊れ、周りも精神的傷を負った。残された子どもが楽しい人生を送れるかどうかはカウンセリングの仕方次第」と看護の立場から心配を口にする。 同校には、急きょ西九州大学の西村喜文助教授をチーフとする臨床心理士三人が派遣された。児童はもちろん、児童の悲劇に直面し、「事件をどう説明していいかわからない」と頭を抱える教諭もおり、臨時保護者会の前に、まず教諭がカウンセリングを受けた。 全校集会では六年生のうち男児一人、女児二人の計三人が欠席。前述の小林主幹は「依然としてショックが続き登校できない児童もいるのでは」と推測する。 保護者会では、「当面休校にすべきでは」との意見について、臨床心理士から「休むことでは心は治らない。まず登校させることが治療の常道」と説明があったという。小林主幹は心的外傷後ストレス障害(PTSD)が長い期間を経た後、発症する場合があることを踏まえ、「当面、学校には臨床心理士が朝から夕方まで常駐するが、どこまで手を尽くしたらいいのか」と厳しい表情で話した。 同様の事件で、心のケアはどう行われたのか。 昨年七月の長崎市幼児誘拐殺人事件で、被害者の男児が通っていた幼稚園でケアを担当した長崎純心大学の大野弘之教授(児童臨床心理学)は、同事件では、結果的に園児へのケアが、被疑者の少年が通っていた中学に二週間ほど遅れたことを悔やみながら、こう話す。 「行政的な手続きの問題などで遅れてしまった。事件では同じ組の園児に特に強い影響が出た。眠れない、怖がるなどの症状だったが、大人に比べ、逆にストレートに影響が出た。いつもいた人間が急にいなくなったということへの不安などが大きな原因だった」 ケアには三カ月ほどかかったという。その上で、今回の事件については「七十二時間以内に行わなければならない『応急手当て』は、三人の臨床心理士が行っている。しかし、心の傷は深刻と見られ、今後、半年、一年という長期的なスパンで見守っていかなければならないだろう」と話す。 一方、二〇〇一年六月、福岡県小郡市の小学六年男児(11)が公園で、同級生(11)=いずれも当時=に全身を包丁で刺され重傷を負った事件は、周囲が「二人は仲良し」と口をそろえる状況で起こった。 「家も近所、保育園から一緒でいつも遊んでいた。はた目には仲の良い二人の悲惨な事件で学校中に動揺が広がった」(同市教委幹部)ため、児童に「心と健康のケア」が実施された。■『自分もそうなりそうで』 全学年の担任が児童一人ひとりと面談し「夜、眠れない」「食欲がない」など、事件が与えた影響を二十項目にわたり聞き取り調査した。六年生はほぼ全員が「下校が怖い」「自分もそうなりそうで、心配」などと不安を訴え、全項目の三分の一以上に該当した。他の学年でも30-40%いた。 同年度いっぱい同小には臨床心理士が置かれ、個別面談も実施。その後も被害者の進学に合わせ、中学でも臨床心理士を配置するなど、心のケアを継続し、効果を上げたという。 ただ、小郡市の現場は校外で、他の生徒が事件を目撃していないなど、佐世保事件とは異なる。■報道の影響でPTSDも 大阪・池田小校内児童殺傷事件で、心のケアにかかわった大阪大学の西沢哲助教授(児童心理学)は「佐世保の事件は、同級生の血まみれの姿を見たなどの点では、池田小事件と同じだが、被疑者は他人ではなく信頼関係があった友達で、“特殊な影響”が出る恐れがある。さらに、事件報道などで想像をかき立てられた児童にもPTSDが起こる可能性がある」と指摘し、きめ細かなケアを求める。「児童一人ひとりトラウマの強弱が違う。そんな個別性、事件当事者との関係性を細かくチェックする必要がある。加えて、クラス単位などグループでの対応で、児童の友人への視点・認知への影響を調査する必要がある」■事例積み上げ再発防止策に 一方、日本の少年事件では事件原因が検証されずに終わる例が多い。西沢助教授は「少年事件ごとに児童精神医学者など研究者が心理疫学的な調査をし、事例を積み上げれば再発防止策としてフィードバックできる。米国では実施されているが、日本では『悲惨な事件で子どもをモルモット扱いするな』という感情が強く、どうして事件が起こったのか解明しようという視点がない」と批判する。 西沢助教授はこう提言する。「少年事件はプライバシーが強調され、事件の背景が見えない。さらに、阪神大震災などの天災ではデータが共有されるが、事件では周囲の責任問題も絡んで情報が隠ぺいされる。前例のない今回の事件をきっかけに、面接や心理検査で問題点を正確に査定する心理アセスメントなどを実施、事件の背景を検証する調査を始めるべきだ」
June 3, 2004
コメント(0)
首相秘書官問題、ついに国会で炸裂(さくれつ)-。小泉純一郎首相(62)の飯島勲秘書官が、長男が関係する会社への1億円もの補助金交付にかかわっていたという疑惑について、民主党が28日午後の衆院経済産業委員会で追及した。北朝鮮訪問などの追い風で高支持率を誇る小泉政権だが、致命的スキャンダルとなるのか? 「飯島氏は首相官邸で、問題の会社の社長を経済産業省から出向している秘書官に紹介したが、これは官房副長官時代、支援企業から依頼されて官邸から林野庁に口利きの電話を入れた鈴木宗男前衆院議員のケースに似ている」 こう語るのは質問に立った、民主党の高山智司議員(34)。 真っ先に疑惑を報じた週刊文春(2004年1月29日号)によると、飯島氏は群馬県の廃タイヤ中間処理会社のA社長と懇意で、飯島氏の長男はA社長が理事長を務める組合の事務局長代理として勤務。 平成14年7月、A社長の会社が計画していた廃タイヤから活性炭と油を取るプラント事業に、経済産業省の外郭団体「NEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)」から1億800万円の補助金が交付されているが、文春は補助金の交付に「飯島氏が関与していたのでは?」と指摘していた。 小泉首相の資金管理団体「東泉会」は、A社長や親族から11年から4年間に合計400万円近い政治献金を受けている。 この日の質疑では、(1)現場視察もなく書面審査だけで補助金交付が決まった(2)同プラントの特許申請を行った特許事務所も、首相の資金管理団体に12年から14年にかけて約200万円を寄付している(3)昨年11月、A社長の会社はタイヤの不法投棄で行政処分を受けている-などの事実が明らかにされた。 これらについて、中川昭一経産相や同省担当者は「ルールにそってやっている」「問題はない」などと答弁したが、最も話が聞きたい飯島氏は民主党が参考人出席を求めたものの、「前例がない」として出席しなかった。 高山議員は「首相官邸を舞台にあっせん収賄行為が行われた疑いがある。今後、飯島氏の出席を求めて徹底的に追及していきたい」と語った。
June 2, 2004
コメント(0)
数々の悲劇を生み出して来た「イラク戦争」も、突き詰めて考えれば、その背後に、まぎれもなく「石油」の問題が潜んでいます。石油は、いまの社会(世界)を動かしている原動力。これを握ることは、世界を支配することと同義でもあります。このサイトではほぼ半年間にわたって、イラク問題を集中的に取り扱ってきましたが、もともとはエコロジカルな話題を展開していきたいと考え、去年の秋口にこのウエブサイトの再開を図ったのでした。ところが途中から思わぬ展開になってしまい、いつのまにか「イラクWeb」になってしまいました。しかし6月を迎えたいま、そろそろ本題にも少しずつ触れていってみたいと思っています。そのために、近いうち「水素エネルギー」という新しいページを設け、そこで突っ込んだお話を展開していきたいと考えているのですが、今日はまず、その序論の糸口ともいうべきお話から入ってみたいと考えています。まず、はじまりは、松岡正剛さんのお話からです。松岡正剛さんが「千夜千冊」の第八百二十四夜【0824】2003年07月25日で、次のように書いています。●松岡正剛の千夜千冊『水素エコノミー』ジェレミー・リフキンhttp://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0824.html*****************************ジェレミー・リフキン『水素エコノミー』2003 NHK出版Jeremy Rifkin : The Hydrogen Economy 2002柴田裕之訳***************************** われわれは石油に関して3つの間違った前提の上に胡座をかいて暮らしている。第1に石油は無尽蔵ではないにしても、かなり埋蔵されていると思っている。第2にその石油は将来もきっと安価に手に入ると思っている。第3に化石燃料が地球環境に与える害は無視できるほどに小さいと思っている。 この前提があやしいのだ。石油はひょっとすると20年後にはなくなる危険があり、その所有国の大半の政局が不安定で、化石燃料がもたらす二酸化炭素濃度はかなりの危害をわれわれに及ぼしているということになってきた。 そこで新たに浮上してきたのが水素エネルギーの活用である。思いかえせば、1874年にジュール・ヴェルヌが『神秘の島』に、孤島に流された技師がこんなセリフを言う場面を書いていた。「水が燃料になる日は必ずくるよ。電気分解すればいい。水こそは未来の石炭なんだ」。 水から取り出す水素ならたしかに無尽蔵である。こうしてヴェルヌのSFから127年後、ロイヤル・ダッチ・シェルのフィル・ワッツ会長が「われわれは炭化水素の時代にピリオドを打つための準備をしつつある」と宣言をすることになる。ニューヨークの世界貿易センタービルが爆破された3週間後のことだった。化石燃料、石炭、天然ガスからの脱出の予告であった。 本書はジェレミー・リフキン得意の文明批評を兼ねた未来予告篇になっている。主人公は水素。それも水素エネルギー。その水素エネルギーの活用を「水素エネルギー・ウェブ」(HEW構想)にして、みんなで使ってみようじゃないかという提言だ。 一時代前のアルヴィン・トフラーに似て、リフキンの書き方は歴史の証拠を並べ立てながら、それを前へ前へと押し上げて、そのままその一角を突破して、その破れ目の先に未来図を描いていくというやりかただ。そのやりかたで『エントロピーの法則』(祥伝社)を核弾頭に、『エイジ・オブ・アクセス』『ハイテク・センチュリー』(集英社)、『地球意識革命』『大失業時代』(WBSブリタニカ)など、いささかアクの強い大袈裟な話をまとめてはベストセラーにしてきたのだが、いまひとつ切れ味を欠いてきた。 それが水素エネルギーと出会ってからは、やっと足が地についてきた。本書の中身のすべてが肯んじられるものではないが、これなら読んでみる価値がある。 このところ、科学者たちは「脱炭素化」に躍起になっている。これは、燃料中の水素原子に対する炭素の割合を減らすことをいう。人類が薪や木片を燃やすことから燃料への第一歩を踏み出したとすれば、その薪こそが炭素の割合が一番高いものだった。 それが石炭、石油、天然ガスと進むうちに、しだいに炭素含有量を減らしてきた。これが「脱炭素化」だ。一説では、一次エネルギーの単位量当たりの炭素排出量も140年前から毎年0.3パーセントずつほど減少してきたという。 けれども使用量がどんどん急増しているために、全体の二酸化炭素の排出はあいかわらずふえるばかりになっている。 そこで「脱炭素化」を加速する必要が出てきたわけだった。そして、その「脱炭素化」の向く先はあきらかに水素なのである。 水素は宇宙で最も豊富にある元素であって、宇宙質量の約75パーセントを占めている。構成分子数でいうなら、ほとんど9割を水素が占める。それなら水素をこそ新たなエネルギー源にしたら、いいのではないか。そういう意見が各領域から噴き出てきた。すでに気球やツェッペリン飛行船で水素は燃料として使われていた。 そもそも水素は炭素原子をひとつも含まない。それだけではなく水素は軽い。しかも地表の7割は水か有機体の形をとった水素に満ちている。ともかく“原料”としてはこれ以上のものはない。 しかし、水素にはひとつの特別な属性がある。それは水素はほとんどどこにもある一方、自然界に単独で存在することがない。水や化石燃料や生物とともに、ある。この水素をなんらかの方法で抽出しなければ、水素は使えない。このコストが大変なのである。 歴史をふりかえってみると、いっさいのエネルギー源は「重」から「軽」に、固体燃料から液体燃料へ、さらに気体燃料へ向かって“進化”してきたという方向をもっている。これをエネルギーが軽量化あるいは無形化に向かっているというのだが、それはまた経済の無形化とも軌を重ねてきたわけで、エネルギーをどこからどのように取り出すかが、結局は世界経済の根幹なのである。 それゆえに、もし水素を活用できる形でうまく取り出せるなら、これはエネルギー革命と経済革命を同時におこせる可能性があるということになる。ここまではホラ話ではない。事実、アイスランドは1999年になって、世界で初めて「水素エコノミー国家」をめざすという長期計画を発表した。 リフキンはこれでピンときた。一方においては水素重点開発計画を進め、他方においては「エネルギー・ウェブ」というボトムアップのネットワーク・エネルギー供給システムを用意していけば、そこにまったく新しいエネルギー経済社会が生まれてくるのではないかと考えたのだ。が、ここからが難しい話なのである。 いまのところ水素の製造の半分近くは、天然ガスを材料にした水蒸気改質法による抽出に頼っている。触媒を充填した反応器の中で天然ガスから水素原子を剥ぎ取るという方法だ。 これでは天然ガスよりコストがかかる。もうひとつの問題は、この方法でも炭酸ガスが排気する。しかも天然ガスこそは2020年をピークにして、その埋蔵量が減少するらしい。それならば急いで水素の製造を急がなければならないのだが、その水素をつくるのに天然ガスを用いているようでは、ミイラ取りがミイラになって、どうにもしょうがない。 かくてひとつの突破口として一斉に研究されはじめたのが、「水の電気分解」なのである。まさにジュール・ヴェルヌのシナリオに戻ってきてしまったのだ。現在は水素年間製造量のまだ4パーセントを供給している程度で、しかもコストは水蒸気改質法よりもいまのところは5倍がかかる。 ただし、このコストの大半は電気量である。したがって今日の電気の販売価格ではとてもまにあわないのだが、もし「電気の市場」に大きな変革がおき、そこへもってきて発電システムに自然利用を含めた大幅な変更が加わるなら、この電力コストは変わる可能性もある。燃料電池や分散型電源(DG)の可能性もある。 もうひとつの工夫は電気の価格そのものを変えてしまうことで、うまく“ピークカット”ができる料金体系ができてくれば、それを産業に利用するコストも変わってこないともかぎらない。 いずれにしても、実は水素エネルギー革命はまだまだ先のことである。しかしリフキンは待てないらしい。 水素と燃料電池と分散型電源とが、デジタル化された信号をもつ電気と結ばれて、それがかつて国防省型のホスト型アーパネットが崩れてインターネットの“お化け”を生んだように、“水素電気情報ネットワーク”とでもいうようなものがそのうち出現してくるかもしれないというほうに、賭けている。 これはわかりやすくいうなら、ウェブから電気がつくれるという話なのである。ウェブの情報がしだいに安価に無料になっていくように、ひょっとして水素エネルギーを分散的に送りこんだハイパーウェブは、その原料である水素のコストや電気のコストそのものを支え始めるのではないかという楽観なのだ。 リフキンの提言がおもしろいかどうかは、評価が分かれよう。 しかしぼくは思い出すのだが、かつて20世紀が始まったときは、空中の大気そのものを各国各企業が取り合って、それを市場化してしまったために、われわれはいまなお“電波不動産”たちのルールに縛られ、“電子通行”をするたびにけっこうなコストを支払わされてきたわけなのである。そのうえ、そのためのエージェントが世界中に莫大な数できて、そんな連中のために、すべてのメディアが怪物のような経済力と発言力をもってしまったわけなのである。 それだけではなく、ブッシュがイラクを叩き潰すためには、その上空航空権を“買う”ことがいまなお戦争の第一歩にさえなっている。20世紀は大気をそのように市場購買型に使ってしまったのだ。 水素エネルギー時代がいつ来るかどうかは判然とはしないにしても、もしも、そのような事態が近づいているというなら、またぞろ水や水素の“不動産”や“通行権”を各国が“買う”ようになってしまってからでは、すべてが遅くなってしまうともいえるのだ。 それからでは、もはやネットワーク経済もボランタリー経済も、まったく出現できることはなくなるだろう。水素エネルギー問題とは、実はそういう問題をこそ暗示する。
June 1, 2004
コメント(0)
(東京新聞)特報 2004.05.31君が代徹底 ついに警察力ビラ配布に『卒業式妨害』 元教員宅捜索 都立板橋高校の卒業式で、開式前に父母らに週刊誌記事コピーを配った元教員の自宅に今月、警視庁板橋署が強制捜索に入った。都教委と同高が式を「妨害」されたと被害届を出したためだ。折しも都教委は卒業式の君が代斉唱で、起立しない生徒がいた同高を含む、計八校の教員らの指導責任を問う初の処分を発表した。日の丸・君が代の強制をめぐる教育現場の揺れは大きくなるばかりだ。 (松井 学)■『ドア壊すぞ』突然署員5人 今月二十一日朝、板橋高の元教員Fさん(63)宅の玄関で戸を激しくたたく音がした。「どなたですか」と聞くと、「警視庁」と名乗った。着替えていると「開けないとドアを壊すぞ」という声もする。ドアを開けると、板橋署員五人が現れ、家宅捜索の令状を示した。 署員たちは、ホームページのアドレスをメモした紙片や、出版社からのはがき、教員組合の昔の大会方針ビラなどを押収していった。当日の状況をFさんは苦笑いを浮かべて話す。「初めてのことだから、突然で何やらわけが分からない。令状の文面も写し損ねた。ドアを開ける前に『身柄は』と聞くと、それは後でというようなことだった」 板橋署警備課は同日付でFさんに対し、卒業式での「威力業務妨害」の疑いで任意での事情聴取の呼び出し状も出した。もし容疑どおりならば、三年以下の懲役または五十万円以下の罰金に問われかねない。 ことの始まりは三月十一日、Fさんは二年前まで社会科を教えた板橋高の卒業式に来賓として出席した。卒業生たちがまだ一年生だった当時、生活指導担当として接していたからだ。 「生徒たちが騒ぐと大きな声でどなる役回りだった。でも、会えば生徒はかわいいわなあ。卒業式では全盲で三年間がんばった生徒が合唱のピアノ伴奏をするっていうし、楽しみにしていた」。大声で振り返る率直な物言いは退職した今でも変わらない。■遅れ数分『出る幕じゃない』 都教委が進める日の丸・君が代の強制に疑問を持っていたFさんは、式当日、卒業生が入場するまでの時間に週刊誌「サンデー毎日」の記事コピー約二百枚を配った。記事は「東京都教委が強いる『寒々とした光景』」の見出しで、都教委「通達」で日の丸・君が代の徹底を求める都立校の卒業式の混乱ぶりを都教委に批判的に報じていた。 出席した父母らによると、Fさんは「今日は国歌斉唱の時に立たないと教職員は処分される。(起立しない教職員を支持するために)できたら皆さんは着席をお願いします」と呼びかけた。慌てた教頭が「やめろ」と声を上げた。 その後、席に向かうFさんに北爪幸夫校長が「退去しなさい」と発言、Fさんは「なんで来賓を追い出すんだ」などと反論したが、そのまま退出した。開式は、都教委によれば約五分遅れたとされる。一方で、参加した父母らからは遅れはもっと短時間で、当日はテレビ取材があったためとの見方も出ている。 Fさんの行動に、都教委は異例の措置をとった。三月十六日、横山洋吉都教育長は都議会予算特別委員会でこう言い切った。「校長などの制止にかかわらず元教員が週刊誌のコピーを保護者に配布して、この卒業式は異常であるなどと大声で叫んだことは、卒業式に対する重大な業務妨害でございまして、法的措置をとります」。土屋敬之都議(民主)の質問への答弁だ。 都教委と板橋高は同二十六日、Fさんが卒業式を妨害したとして威力業務妨害などで板橋署に被害届を出した。その日の朝から同署は学校内を実況見分していたうえ教員らにも事情聴取を重ねた。 板橋高は「取材が殺到し、今はすべて(対応を)断っている」と言うのみ。Fさんは裁判への影響を考慮して多くを語らない。教育長が答弁した「校長などの制止にかかわらず」コピー配布した経緯と、参列者らの話とは食い違ったままだ。■9割不起立 『指導不足』と処分も 同高の卒業式はそれだけで終わらなかった。二百七十人の卒業生が入場し、開式の宣言に合わせて全員が起立。続いて司会の教員が「国歌斉唱」と言った途端、生徒たちが一斉に着席した。北爪校長、教頭、来賓の土屋都議らが「起立しなさい」「歌いなさい」などと叫んだが、卒業生の約九割が着席したままだったという。 ある卒業生は「隣の子が座ったので、私も座った。校長は前日まで起立するかは信条により自由と言っていた。それが立ちなさいと言うから少しムカついた」と説明する。 この事態に都教委は今月二十五日、卒業式や入学式で君が代斉唱の際、生徒が起立しなかったのは教員の指導不足が原因として、都立高八校の教員四十三人を指導、校長や教頭十四人を厳重注意などにすることを決めた。板橋高でも管理職を含め処分者が出たようだ。■『法的拘束力持たぬ指導』 教育長は三月に都議会で「(国歌指導で)学習指導要領に基づく教育がなされていなければ、(その教員は)処分の対象となる」と発言、処分を言明しており、教員自身の不起立などによる処分と合わせ、教員側は追いつめられている。 教育現場に警察が乗り出す事態にジャーナリストの大谷昭宏氏は「なりふり構わず警察が元教員宅へガサ入れまでしたが、業務妨害の疑いというのは卒業式が著しく遅れたとか開けなかった場合に初めて認められる。今回のように開式が数分遅れたといった理由は警察が乗り出す幕ではない」と批判する。■『信頼関係逆手 卑劣なやり方』 生徒の不起立で教員処分をちらつかせることに、成嶋隆・新潟大教授(憲法)は「教師と子どもとの間の信頼関係を逆手にとった最も卑劣なやり方だ。処分は明らかに憲法の思想及び良心の自由に反する。日の丸・君が代の強制は学習指導要領を根拠にするが、これは指導助言文書にすぎず法的拘束力を持たない」と切って捨てる。 大谷氏も「元教員や教員らへの処分が生徒の処分につながっていくのは間違いない。イラク邦人人質事件の家族への批判でわかるように、異議申し立てする人が嫌われ、お上が決めたことには従えという怖い状況になっている。しかもお上というのは役人だ」と昨今の風潮を懸念する。■『堂々歌える国づくりを』 警察まで巻き込んだ問答無用の都教委のやり方に成嶋教授はこう話す。「教育行政は不当な支配に服してはいけないという原点に戻ってほしい。一番大事にすべきなのは子どもたちの成長、発達のために何が必要かということ。ただ強制するのはいわば動物の調教にすぎないが、動物の調教でも愛情はある」 結局、卒業式に参加できなかったFさんは「穏やかな校風の学校だが、昨秋の都教委通達で卒業式は様変わりした。人の心を強制によって動かすのは難しい。国歌は歌わせるのではなく、堂々と歌えるような良い国をつくるのが先決なのに」と訴える。
May 31, 2004
コメント(0)
この映画は、アメリカのマイケル・ムーア監督が制作したドキュメンタリー映画で、5月22日、フランスで開かれたカンヌ映画祭で最高賞を受賞しました。しかし、同時多発テロ事件やイラク戦争に関するブッシュ大統領の対応などを痛烈に批判しているため、この映画の権利を持つ「ウォルト・ディズニー」が配給を認めず議論を呼んでいました。これについて、「ウォルト・ディズニー」は、28日声明を発表し、この映画の権利を傘下の映画会社の創業者、ワインスタイン兄弟に売却したことを明らかにしました。ワインスタイン兄弟は、映画を広く配給する方針で、「華氏911」は近く全米で公開される見通しとなりました。ワインスタイン兄弟は、すでにいくつかの配給会社と話を進めているということで、こうした配給会社は、「アメリカ大統領選挙の行われる今年11月までには、アメリカなど世界各国で公開されることになるだろう」と話しています。
May 30, 2004
コメント(0)
「私は覚悟していたつもりだし、本人も覚悟していたと思う」-。イラクで銃撃されたジャーナリスト橋田信介氏の妻は報道陣にこう語った。国際ジャーナリスト連盟(本部ブリュッセル)によると、イラクでは昨年三月の開戦後、四十人以上の報道関係者が犠牲となり「世界最悪の取材現場」となっているという。死んでいった記者たちの軌跡を追った。■アリ・アル・ハティーブ氏(32) イラク人でアラブ首長国連邦の衛星テレビ「アルアラビーヤ」記者。小柄で物静かな人柄だった。今年三月十八日夜、バグダッド中心部のホテルが砲撃を受けたとの知らせで現場に急行した際、ホテルそばの駐留米軍の検問所近くで米兵の発砲を受け、翌日息を引き取った。取材用車に同乗していたカメラマンのアリ・アブデルアジズ氏(35)は即死した。 米軍は当初、二人の砲撃への関与を否定。「イラク人の人命を軽くみている」と怒ったアラブ人ジャーナリストらは同十九日、イラク入りしたパウエル米国務長官の記者会見をボイコットする異例の行動に出た。 ハティーブ氏らは撮影許可を求めて米兵に歩いて近づいたが、認められず車に戻った。年輩の男性が運転する別の車が検問所に迫り、軍用車のそばの柵に接触、米兵が発砲した。二人が乗った取材車も銃弾を受け、後ろから頭を撃たれた。アブデルアジズ氏の家族は「彼は現場を立ち去ろうとしていたのに」と述べた。 米軍は三月末になって自らの発砲によると認めたものの、交戦下でのアクシデントだと言い張る。アルアラビーヤは、国連安保理と国際ジャーナリスト連盟に事件を報告し、米国の責任を追及している。(米非営利団体のジャーナリスト保護委員会ホームページなど)■ポール・モーラン氏(39) オーストラリアのフリーカメラマン。昨年三月二十二日、同国のテレビ局と契約し北部イラクの山岳地帯にあるイランとの国境検問所にいたところ、自爆テロに遭い即死。今戦争開戦後、メディア側で初の犠牲者となった。 同行し自分も負傷した同局のエリック・キャンベル特派員は「彼は基地周辺の撮影のため私の五十メートルほど先を歩いていた。突然、彼の横にあったタクシーが爆発し、背中を吹き飛ばした」と当時の様子を語る。 当時、妻と生まれたばかりの娘がいたが、悲劇はこれで終わらなかった。モーラン氏が米国のコンサルタント会社で働いていた経歴から、昨年秋、地元紙が「モーラン氏はCIAとつながりがあるスパイで、米国のプロパガンダを担っていた」と掲載。一家はまったく異なる取材攻勢に巻き込まれた。 母親も「息子がスパイだったなんて信じられない。活動家のはずがない」と絶句。妻も「何の証拠もなくばかげている」とショックを受け二重の苦しみにさらされている。(ラジオ・オーストラリアなど)■ホセ・コウソ氏(37) スペインのテレビ局「テレシンコ」カメラマン。昨年四月八日、バグダッドで各国報道陣が拠点にするパレスチナホテルの十四階で取材中、米軍戦車の砲撃を受け死亡した。 米軍が「バルコニーで狙撃兵とみられる人影を発見。攻撃も確認した」としたが、各国報道陣から「従軍しない記者を狙い撃ちした」と批判が起こった。 スペインでは、前日に同国紙特派員で、反戦派のスペイン共産党幹部の子息もイラク軍のミサイル攻撃で死亡したこともあり「二十四時間もたたないうちに記者二人を失うなんて…」と激しい反戦運動が巻き起こった。 コウソ氏の妻も、マドリードの米国大使館に抗議。街頭では、コウソ氏を砲撃したと思われる米兵の写真が、プラカードに「殺し屋」として掲げられた。 その後、今年三月には、百九十人が犠牲になった同国テロ史上最悪のマドリード列車同時爆破テロが発生。「イラクからのスペイン軍撤退」を公約に掲げた左派系の社会労働党が八年ぶりに政権を奪還する流れにつながった。(テレシンコのホームページなど) ■ワルデマル・ミレビッチ氏(48) ポーランドのテレビ局TVP記者。今月七日、バグダッド南方約三十キロ、今回の襲撃現場に近いラティフィアで待ち伏せしていた武装勢力の銃撃を受け、同行していたアルジェリア人の映像編集者(36)とともに死亡した。 世界各地の戦争、紛争取材にあたってきた。一九九五年にはチェチェン紛争取材でジョン・ホプキンズ大学のジャーナリズム賞を受賞、二〇〇一年にはポーランドの年間最優秀記者に選ばれた。米国で学ぶ二十三歳の娘がいる。 クワシニエフスキ大統領は「彼の家族と私たち皆にとって大きな悲劇だ」と死をいたんだ。ベルカ首相も「彼はジャーナリズムの象徴」としたうえで「本当に大きな衝撃だ」と話した。 TVPは十五分間の追悼番組を放映した。女性キャスターは「彼は報道すべき紛争現場なら、どこでも行った。彼は命をかけて、今の世界の現実を伝えてくれた」と声をかすれさせた。同局はかつて収録したインタビューも再放送した。この中でミレビッチ氏は、危険をどう払いのけるかについて、こう答えた。「ワルシャワの真ん中にいたって、殺されるときは殺される」 (AP通信など) ■カベー・ゴレスタン氏(52) 英BBC放送テヘラン支局で仕事をしていたフリーランスのカメラマン。昨年四月、イラク北部のスレイマニア近郊で、車から降りたときに地雷を踏み、死亡した。妻と十九歳の息子が残された。 イラン革命やイラク北部のクルド人地区への化学兵器攻撃などの取材でピュリツァー賞を受けた。同局編集者、ジョン・シンプソン氏は「イランでBBCの仕事をするのは、イラン人にとってたやすいことではない。イラク政府は常に疑いの目で見ている」と精神の強靱(きょうじん)さをたたえた。事故の直前「こういう状況にいると、自分が自分だという感じがする」と話し、この仕事に興奮していたという。 ゴレスタン氏の墓には「真実を記録している最中に殺された」と刻まれた。イランの検閲をテーマにした彼のドキュメンタリー「真実を記録する」からとった。(BBCのホームページ) ■フリーランス記者の評価を 元共同通信論説副委員長で、ベトナム戦争当時のサイゴン特派員経験もある藤田博司上智大学教授の話 一般にはジャーナリストは危険を承知で取材に行き、本人がリスクを負っているのだから、その行為は第三者が良い、悪いと言うべきことではない。戦争の実相を自分の目で確かめ、伝えたいという使命感があるからだ。名誉欲やお金のためという側面も入り交じってはいるだろう。ただ、特に日本では、大手メディアの記者が危険な現場から立ち去る中、フリーランスの記者が報道で果たしてきた役割はきちんと評価すべきだ。
May 29, 2004
コメント(0)
バグダッドの日本大使館に日本時間28日未明入った情報によると、バグダッド近郊で日本人2人が乗った車が走行中、武装グループに銃撃され、炎上した。外務省によると、イラクで取材しているフリージャーナリストの橋田信介さん(61)=バンコク在住=、小川功太郎さん(33)=鳥取市在住=とみられ、2人の安否は不明という。車には橋田さんら2人とイラク人の運転手と通訳の4人が乗っていた。負傷して病院に運ばれた運転手によると、日本人1人が死亡し、1人が負傷したとの情報もあり、外務省は事実関係の確認を急いでいる。 現場はバグダッド南方約30キロのマフムディヤと見られる。関係者によると、橋田さんは小川さんの叔父にあたるという。 バグダッドの日本大使館に一報があったのは、日本時間28日午前1時半(現地時間27日午後8時半)。被弾で負傷してバグダッド近郊の病院に収容されているイラク人運転手の叔父が大使館を訪れ、事件を報告した。 日本大使館がイラク人の警備関係者を病院に派遣して聴き取り調査をしたところ、銃撃があったのは現地時間27日夕方。後ろから追いついてきた車1台から銃撃を受け、運転手は車から逃げた。その後、車は爆発・炎上した。運転手は同乗していた日本人2人は橋田さんと小川さんだったと説明しており、2人の写真を持っていた。運転手は2人の安否は分からないが、1人が死亡し、1人が負傷したようだと語ったという。 外務省によると、2人はサマワからバグダッドに移動中で、取材からの帰途だったという。 マフムディヤ周辺は反米武装勢力の活動が活発で、先月には米兵が攻撃を受けて8人が死亡、4人が負傷したと、米軍報道官が発表している。 橋田さんは、戦場取材経験が豊富なベテランのフリージャーナリスト。「イラクの中心で、バカとさけぶ」などの著書がある。小川さんも、日本の週刊誌などでイラク情勢などを報告している。 日本時間午前2時過ぎにバグダッドの大使館から外務省に一報が入り、外務省は3時15分、緊急対策本部を立ち上げた。堂道秀明中東アフリカ局長ら幹部が情報収集にあたっている。首相官邸では午前3時55分、官邸対策室を発足。野田健内閣危機管理監、安全保障・危機管理担当の柳沢協二官房副長官補らが情報収集にあたっている。 イラクで邦人が襲われたのは、昨年11月のティクリートでの外交官2人殺害事件、今年4月にファルージャ近郊で相次いで2件起きた人質事件に続く。イラクの深刻な治安情勢が改めて浮き彫りになった。 外務省によると、人質事件の時点ではイラクには自衛官を除き、報道関係者を中心にNGO(非政府組織)関係者など約70人の邦人が滞在していた。人質事件後、一部の報道機関がイラクでの取材を控えているため、報道関係者の人数は減少しているとみられるが、外務省は現在イラクに滞在中の邦人の数については「安全のため非公開にしている」としている。 外務省はイラク戦争が近づいていた昨年2月、イラク全土に渡航情報で最高レベルの退避勧告を出した。その後も米軍への襲撃や外国人の誘拐が相次いでいることから、今年に入って計20回の臨時のスポット情報を出し、繰り返し退避を呼びかけてきた。27日にも、前日にバグダッドで起きたロシア人技術者の殺害事件を受け、改めて渡航延期と退避を呼びかけるスポット情報を出したばかり。5月に入ってから4回目の情報だった。 朝日新聞(05/28 09:41)
May 28, 2004
コメント(0)
「朝日新聞」社説 この春の卒業式や入学式で、生徒が君が代斉唱のときに起立しなかった学校がある。それは教員の指導が足りなかったからだと、東京都教育委員会は都立高校の担任教員や校長ら8校の57人を「厳重注意」などにした。 立たない生徒が目立った高校が対象になった。教員の指導の仕方と生徒が起立しなかったことの因果関係は、都教委もつかんでいない。それでも教員らは責任を問われた。 都教委は、これは処分ではなく指導だと説明している。しかし、名前が書かれた文書が残る。注意された教員らが人事の評価や異動で不利益を受ける恐れもある。官庁でも企業でも、厳重注意や注意は処分と見るのがふつうである。それを指導と言うのはごまかしだ。 昨年秋、都教委は国旗掲揚と国歌斉唱を実施するよう校長に通達し、校長の命令に従わない教員には「服務上の責任」を問うと伝えた。通達を守っているか、教師たちの座席表まで作らせ、監視役の職員を学校に派遣した。 その結果、処分者は約250人にのぼった。その一人で武道が専門の体育教員は「通達を見て、いずれは生徒も強制されると思い、抗議の姿勢を示さないわけにいかなかった」と語っていた。 「先生が処分されるから大きな声で君が代を歌ってほしい」と生徒に頼んだ校長もいた。 今回の処分で生徒への強制はいっそう強まるのではないか。先生が処分されるなら、起立しなければならないと感じる生徒は少なくないだろう。 国旗・国歌法が成立する際、当時の文部省は「児童や生徒の内心にまで立ち入っての強制はしない」との政府見解を繰り返した。憲法が保障する「思想及び良心の自由」に照らせば当然のことだ。この政府見解を、都教委はほごにしようとしている。 私たちは、日の丸を掲げるな、君が代を歌うなと主張しているのではない。処分という脅しで強制するのは行き過ぎだと批判してきたのだ。 学校で何より大切なのは、子どもたちが自ら学び、自ら考える力をつけることである。だからこそ、中央教育審議会も自主的、自律的な学校づくりを求めてきた。生徒の自主性や個性を認めないやり方は好ましくないと私たちは考える。 都の教育委員は教育方針を決めることができる。委員には早稲田大元総長の清水司氏、元文部次官の国分正明氏、永世棋聖の米長邦雄氏、丸紅元会長の鳥海巌氏、脚本家の内館牧子氏と、すぐれた実績を持ち、個性的な生き方をしている人たちがそろっている。委員たちは今回のことを黙って受け入れたのだろうか。 彼らは「自ら学び考え行動する、個性と想像力豊かな人間」を教育の目標のひとつに掲げてきた。 先生への処分を振りかざして生徒になにかを強制することが、この目標にかなっているとは思えない。
May 27, 2004
コメント(0)
★ブルキッチ加奈子さんからのメッセージです。 転載の許可を得ることができましたので、以下にご紹介いたします。個人に対する警察による弾圧についてです。長文になります。転送するときはご一報ください。こんにちは。ブルキッチ加奈子と申します。私は平日の昼間にアメリカ大使館前で抗議をしてきました。グループに所属せず、イデオロギーや宗教もなく、ただ個人としてアメリカの外交政策について抗議を続けてきました。私の夫であるスーレイマンや、同じようにグループにしばられたくないと思う日本人や外国人の仲間4人を中心に平日の昼間に行動をしてきました。私たちは、英語や日本語のメッセージの入った写真のパネルを用意し、大使館を利用する人たちにハンドマイクを使って英語や日本語で、イラx察からJTビル前で抗議するように言われています)今、日本では反戦活動に対するあからさまな嫌がらせが続いています。例えば、反戦ビラを自衛隊官舎に配った人たちが逮捕起訴されたり、党の新聞を配った人が逮捕起訴、他にも反戦メッセージを書いた人が有罪判決を受けました。そして私たちアメリカ大使館前の抗議者たちにも嫌がらせが及ぶようになりました。長文になりますが、説明を付けるので読んでみてください。最初に嫌がらせを受けたのは私の夫であるスーレイマンでした。2003年4月16日から18日にかけて自宅から普段使っている駅までの道に顔写真入りのA4ポスターが30枚近く張り出されました。「指名手配」、「発見した人は110番を!!」などと書かれたものです。近くの警察署の名前を騙っており、本当の指名手配書のような作りのものです。スーレイマンさんは14年日本に住んでいて1度もこのようなことが起きたことはありません。8年間同じ家に住んでいますが近所のトラブルも全くありませんでした。犯人はまだ捕まっていません。次に同じ年の5月11日には自宅のfaxに差出人不明のメッセージが送られてきました。「ブルキッチ加奈子様」と始まっていて内容はアメリカ大使館での抗議を制限するように求めるものでした。これらのことはアメリカ大使館前で連日抗議行動をしだしてから起こった事件です。そして、去年(2003年)12月8日、私の仕事場に赤坂警察の私服捜査員が突然2人現れました。任意で事情聴取がある、と言われました。私は毎日大使館前に抗議に行っているし、逃亡の恐れも何もないのにわざわざ職場に来たのです。捜査員は「9月に米大使館から出てきた人に対して顔のすぐ前でハンドマイクを使って怒鳴りつけたことが暴行容疑にあたり、捜査をしている」と言いました。私は人の顔の前でハンドマイクで怒鳴るようなことはしません。アメリカ大使館前は常に10人くらいの警察官と公安数人が警備をし、警察官たちが待機しているバスが2,3台は必ずあります。その中で暴行容疑にあたるようなことをしたら現行犯逮捕になるのではないでしょうか。そもそも事件性がないようなものであり、もし日本人同士なら警察も告訴を受けないような内容です。警察はこの機会を利用し、職場の人たちに私が何か警察のやっかいになっているんだな、という印象を与えようとしたのだと思います。12月12日、私は任意の事情聴取に応じました。なぜなら、あまりにも事件性がないし、このことで強硬になった結果アメリカ大使館前で抗議を続けられなくなるとしたら、それは私にとって最も辛いことだったからです。私は覚えている限りの状況を警察に説明しました。最後にこれからは職場に来ないように、弁護士を通じて話をするように要請しました。そしてその後もアメリカ大使館前での抗議は続けました。今年に入って2月13日、いつも通り大使館前に抗議に行きました。すると警察から、「今までの抗議場は工事でつぶして車道にする、工事の終了後もこれからはずっとJTビルの前から抗議をしなさい、工事は2月16日からだ」と言われました。そして2月16日夕方に抗議場に行こうとするとかなり前の道で止められました。工事が終わってからも大使館近くの道を使うときは赤坂警察に「確認」を取ってからでないと通すことはできない、と言われました。これは私だけではなく同じく昼間に抗議をしていた人たちも道を通ることさえできませんでした。そしてこの日の夜、赤坂警察の男性捜査員が4人、自宅に来ました。スーレイマンさんがまだ仕事をしている時間帯だったので私が一人で家にいました。彼らは「家宅捜索」の令状を見せ、大声で何度も怒鳴ったあげく、みながあちこちに散らばって写真を取っていました。捜査員の一人が私の洋服の引き出しに手をかけたので「そこは下着しか入っていない」と言うと「こっちは令状があるからどこでも見ることができるんだ」「よし、開けろ」などと言っていました。寝室の押入、お風呂場の天井、トイレ、いろいろ触り、写真を取っていきました。翌2月17日、仕事に行き、昼休みに友人たちと待ち合わせをして昼食を外でとり、仕事場に戻りました。すると私と入れ違いで赤坂警察が捜索に来たとのことでした。警察が何人も何人もわざわざ来るほどの事件を起こすような人間なのだという印象を与えようとしたのでしょう。私はアメリカ大使館前での抗議を2年近く続けてきました。誰かを殴るなどの暴力など絶対使わず、パネルを持ち、アメリカの外交政策に反対する意志を毎日毎日訴え続けてきただけです。アメリカも日本もテロとの戦いや市民の安全という目的遂行のために頑張っているんだ、と言っていますが、今度のことには、権力を批判する者は痛め付けるぞ、というメッセージが隠されています。2月20日にスーレイマンが大使館に行こうとしたときには、警察と公安、合わせて10人近くが出てきて、外国人登録証明書を出すように言ったそうです。外国人登録証明書を見て公安が一生懸命メモを取っていたそうです。これは、外国人が外国人登録証明書を常に携帯していなくてはいけない、という法律を警察が悪用しているということでしょう。アメリカ大使館に向かって抗議をしたい外国人は自分の情報をその場であかすことも覚悟で、ということでしょうか。スーレイマンが大使館近くを歩きながら駅に戻ろうとしたときには、警官1人と公安4人が彼の周りにつき、この道は使ってはいけない、などと歩く道まで制限したそうです。3月の初旬にはスーレイマンがインターネット上で実名を出され、テロリストだと中傷されました。そして4月20日に赤坂警察の捜査員が2人、また職場に来ました。再度任意での事情聴取がある、とのことでした。最初の事情聴取の時に職場には来ないように要請したにもかかわらず無視してまた来たのです。5月6日に2回目の任意の事情聴取に応じました。私たちに対して警察は「迷惑だ。」と言いました。しかし私たちは法に触れるような抗議方法を取ったわけではありません。ただ、毎日毎日昼休みに通っただけです。その結果、抗議ができなくなり、いやがらせを受け、公道なのに許可無しで歩けなくなり、警察や公安につきまとわれるようになりました。この国で保証されている自由が一体どこにあるのかと考えさせられてしまいます。アメリカ大使館前で抗議をすることは犯罪ではありません。パネルを見せること、戦争反対とみんなで声を大にして言うこと、大使館前でラテンアメリカの子供を思い、泣くこと、早く戦争が終わるよう祈ること、大使館に毎日毎日抗議に行くこと、すべて犯罪ではありません。警察から咎められ、嫌がらせや規制を受けることではありません。嫌がらせや規制はどんどん進んでいます。この国にいる人全員がこの状態に気がついたときにはもうあと戻りできない状態になっているでしょう。自分の意志を表す権利は絶対に守らなければいけません。
May 26, 2004
コメント(0)
★イタリアから最新情報が届きました。 殺された人質のその後に関するメールと、その関連記事の翻訳です。 日本のマスメディアが伝えてくれない、イタリア事情が綴られています。●こちらの日曜のニュースでは、イラク駐在のイタリア赤十字病院近くで発見された男性の遺体はやはり四月に殺害されたファブリツィオ・クアットロオッキだということが、イタリアに送られた遺体の細部のDNA鑑定の結果判明したそうです。彼の遺体は、月曜の朝イタリアに到着予定、その後検査を受け、彼の出身地ジェノヴァへ帰り、葬儀が行われるとのことです。この葬儀について、彼の家族はプライベートなものを希望していますが、政府がまた国葬を主張しています。彼のことを、殺害されたときから英雄だ、英雄だと政府は誇張しています。こころからそう思って言っているというより、ただ政府の都合のいいようにまつりあげているように見えます。尊厳あるべき人間の生死を、イタリア政府が扱うようにしていいのかと、疑問に思います。二十二日の新聞記事の訳ができました。よろしかったらお読み下さい。●〔‘il manifesto’、五月二十二日付け、サラ・メナフラ氏の記事〕『クゥアットロオッキの最期の旅』おそらくファブリツィオ・クゥアットロオッキのものであった残骸は、バグダッドのイタリア赤十字の手中にある。ローマには一方、昨夜チャンピーノ空港に着陸した飛行機で、遺体から採取したただいくつかの標本が、遺体を収容したマウリツィオ・シェッリ赤十字特別代表委員と在イラクイタリア大使館代表者とに付き添われ、到着した。DNA鑑定が終わるまで、実際、クアットロオッキの死について捜査しているローマの検察長官代理フランコ・イオンタは、赤十字代表に収容された遺体をバグダッドから移動しないことにした。いずれにしても迅速である。今日中に、イラクから送られた標本と、RISが見つけた、クアットロオッキのオートバイ用ヘルメットについていた頭髪の検査結果が分かるはずだ。クアットロオッキの遺体返還の知らせは、あと三人のガードマンをはやく解放するという希望を直ちに再燃させた。だが実は、クアットロオッキの遺体到着が、先日伝わった情報を確証するというわけではない。ちょうど一週間前、先週の金曜、報道機関は赤十字が準備した病人らを乗せた航空機がバグダッドから来るところで、同機でイタリアにUlema評議会書記のモハメド・アル・クバイシ師とその兄弟アブドウル・サラム師を連れて来るはずであった。その便は、モハメド・アル・クバイシ師が四月三十日に確かに依頼したもので、この日付けはマホメットの緑団が出した最後通告の期限が切れる日で、イタリア政府側からの緊張緩和のためのシグナルであった。代表である二人の宗教家は、病人の治療のためだけでなく、特にいくつかの秘密会談をもつために搭乗するはずだった。だが間際になり、この計画は流れてしまった。なぜならまさにウンベルト・クペルテイーノ、マウリツィオ・アリアーナ、サルバトーレ・ステフィオの解放のための交渉上に、滞っていた何かのブレーキがついに外れたように見えたからだった。そしてそれ以上何も起こらずじまいだ。ローマの検察官らがアル・ジャジーラにクアットロオッキ殺害ビデオを要求し、マルゲリータ・ボニヴェール次官がそのビデオを引き取りにドーハに急行したという知らせがあり、広範に動揺を引き起こしたということだけがあった。しかし一週間の間隔をおいて、とうとうシグナルは来た。政府が当初から頼みにしていた「スンニ派」の連絡路が機能するという確認を、イタリア秘密情報機関から知らせてきた。だが、彼らは付け加える。この二十四時間以内に起きたことが、すでに人質三人の解放の時が来たという証明には全くならない。ほぼ確実に、三人のボデイガード達はマホメットの緑団の手から他のグループに渡され、おそらく前の犯人らよりもスンニ派の宗教的権威につながりがない。実際、Ulemaの仲介は多くの誘拐事件解決に貢献したが、イタリア人誘拐事件には効力がない。クペルテイーノ、ステフィオ、アリアーナの誘拐犯らはほとんど疑いなく、この事件を政治的に利用することに狙いをつけ、たぶん六月四日までの日数を使って――ブッシュ氏が来伊する日付け――政治的な賭けをより高くしようとしているにちがいない。このために、多くのものがこの数時間、犯人側からのあらたなコンタクトを、おそらくまたしてもビデオメッセージを、待っている。バグダッドへ向けて再出発する前、赤十字代表委員マウリツィオ・シェッリ氏は、ローマの検察官に出来事の経緯を説明するために呼ばれるであろう。「私は希望的に見ている。だが私の希望的観測は、沈黙の度合いに比例している。沈黙は値し、そして値し続ける。」昨日、バグダッドから出発するところをテレビカメラが撮影する前で、代表委員――また弁護士でもある――はこう言った。痛烈な皮肉だ。先日、Emergency創立者ジノ・ストラーダ氏が開始した仲介の試みに対し、少しも歯に衣着せぬものの言い様だ。無論、ファブリツィオ・クゥアットロオッキの遺体が本当にシェッリ氏の手に渡されたと確認されたなら、国際連盟から追放される危機にずっとある組織にとり、確実に好印象となるであろう。ジュネーヴでは、実際、少なくともここ十年来、赤十字イタリア支部が代表委員であること、つまり直接政府の支配下にあることを、一度も評価しなかった。また、「人道的援助」とバグダッドのMedical Hospitalとを守るために一年前派遣されたイタリア軍部隊の最初の干渉を政治的に正当化することに組織が助力した事実はさらにジュネーヴ本部の気に入らないことである。これらのことは、人質救出がすべて忘れさせてくれるにちがいないだろう。
May 25, 2004
コメント(0)
カンヌ映画祭でパルムドール賞を獲得してしまったマイケル・ムーアの最新作「華氏911(Fahrenheit 911)」の見どころを、一般公開に先駆けて早速英ミラー紙が紹介している。「ブッシュがムーア作品を禁止したい10の理由」と紹介されている、同作品が提示するポイントを以下に引用してみよう。1. 911同時多発テロの直後、なぜオサマ・ビン・ラディンの近親者24人が搭乗した航空機は唯一飛ぶことを許され、米国を脱出できたのか?攻撃直後、米国は国内での航空機の飛行を全面禁止にした。ムーアは問いかける:「なぜブッシュは、FBIの調査もさせずに、テロ発生直後にサウジアラビアの個人ジェットが米国内を飛び回ってビン・ラディン近親者を搭乗させ、米国を脱出させることを許可したのか?24人の近親者のうち、1人ぐらいは事件について何か知っていることもあるだろうに」2. メディアはイラク人囚人虐待事件とアメリカ兵の幻滅を隠蔽したのか? 作品中では、イラク人囚人に袋をかぶせて、虐待を加えるシーンから、酔っ払った兵士が交代で性的虐待を行うシーンも登場する。ムーアは言う:「これはアブグレイブ刑務所の壁の外で起こったことだ。メディアは毎日そこに待機していた。彼等がこうした事実を目にすることはなかったのか?作品中では、戦場の米兵士が、目の前で起きていることに関して幻滅と失望を感じていることを話しているが、アメリカ国民はそうした(幻滅する兵士達のことを)全く知らされていない」3. ブッシュは意図的に恐怖の文化を作り出し、アメリカの貧困層の若者を戦争に駆り出しているのか? ムーアは、ブッシュ政権が意図的に恐怖の風土を作りだし、特に国土安全省の創設によって恐怖を扇動し、軍部へ入隊する若者を増やしていることを、「嘘に基づいて子供達を戦場に送り出す不道徳な行為」と批判している。4. ブッシュファミリーとビン・ラディン・ファミリーはどこまで深く関係しているのか? ムーアはビン・ラディン家とブッシュ家の25年に及ぶビジネス関係について暴露している。ブッシュ父は高給取りのコンサルタントとして、国内最大の軍事企業のひとつであるカーライルグループに雇われていた。カーライルグループの出資者の1人(少なくとも200万ドルを出している)のは、ビン・ラディン家である。5. ブッシュの軍歴を改ざんするホワイトハウスはどこまで腹黒くなるのか? テキサス航空隊に在籍していた事実を証明することを困難にしてしまっただけでなく、ホワイトハウスはブッシュとその仲間がサウジアラビアの石油企業と関係していた事実まで隠蔽している。またムーアによれば、ブッシュの軍隊仲間のジェームズ・R・ベイスはビン・ラディン・ファミリーに航空機を販売していたという。6. タリバンとの話し合いの最中、ブッシュはビン・ラディン逮捕の機会を逃したのか? ムーアによれば、ブッシュはテキサス州知事時代に、タリバンの指導者と親しくなっていたという。彼等はテキサスで会見し、トルクメニスタンからタリバン支配下のアフガニスタンを経由してパキスタンへ到達する天然ガスパイプライン建造について議論していた。ブッシュ政権の代理人は2001年夏にタリバンと会見している。ムーアによれば、彼等はビン・ラディン問題を無視し、石油問題に夢中だったとのこと。「ブッシュはビン・ラディン引渡しを要求したのだろうか?武力でタリバンを脅しただろうか?あるいは新しいパイプラインについて話し合っていたのか?」7. なぜブッシュ家はサウジ王家と特別な関係を持っているのか?米国では毎日150万バレル以上の石油をサウジアラビアに依存しているが、サウジ王家の気まぐれですぐ消滅してしまうことも考えられる。ブッシュだけでなく、アメリカ人全てが、いかにサウジ政府に依存しているか知っておくべきだ。これは国土防衛上も由々しき事態なんだ」さらにムーアはブッシュとの深い関係からバンダル・ブッシュというニックネームを持ち、サウジ外交を務めるバンダル王子についても言及。911テロの残虐行為とサウジ過激派との関係を示す証拠が続々と明らかになっているにも関わらず、ブッシュはバンダル王子とテロの二日後にディナーを楽しんでいる。8. ブッシュは休暇が多すぎてテロに集中できなかった? ブッシュは大統領就任から911同時多発テロまでの8ヶ月間の内、42%の時間を休暇として過ごしているので、防衛戦略に遅れをとることBテネットがブッシュにその事実を伝えられなかったのは「大統領が休暇中だったから」と説明している。9. ブッシュは貿易センタービルが攻撃を受けていることを知らされたとき、パニックに陥った?9月11日の朝、ブッシュ大統領はフロリダで子供の読書イベントに出席していた際にカメラ前でポーズをとっていた。ムーアは、二つ目の旅客機がビルに突入した事実を告げられ、ブッシュが奇妙な表情をした場面を公開している。画面の下にはストップウォッチを表示して、ブッシュ大統領が絵本を読み続けて、補佐官がどうすべきかアドバイスするまで何をすべきか分からなかった様子が映し出されている。ムーアは言う:「ブッシュは、前の月にCIAから報告を受けていた事実についてもっと真剣に取り組むべきだったと考えていたのだろうか?その報告では、アルカイダが米国攻撃を計画中で、航空機を使う可能性があることが書かれていたんだ。それとも、ブッシュは怖くて気が動転していたのか?」10. ブッシュは大手メディアを操作して2000年大統領選挙での勝利をでっちあげたのか?ブッシュのいとこ、ジョン・エリスはフォックスニュースチャンネルの役員で、投票日の夜に早々とブッシュ/チェイニー勝利宣言を流し、他のメディアにも追随させるように脅した。この混乱により、アル・ゴアが得票数で勝っていたにも関わらず、ゴア敗北の論調を作り出した。この作品が米国で公開されるようなことになれば、ブッシュ政権は文字どおりひっくり返ることになるだろう。しかし、ムーアがこれから気をつけなければならないのは、ブッシュチームによる公開禁止圧力よりも、サウジ王家による圧力である。ディズニーが配給を拒んだ本当の理由は、主要株主であるサウジ王家関係者による圧力を恐れたためという見方もあるのだ。しかも今後は、単なる「公開禁止の圧力」で済むのかどうかすら定かではない。
May 24, 2004
コメント(0)
昨年の初め北朝鮮側が「拉致被害者がピョンヤン空港に迎えに来れば家族を返す」と提案して来た。それを政府は対米従属世論を作りたいが為に、無視して応じなかった。この提案が公にされてからも、提案に乗れない理由だけを並べ立て、自衛隊イラク派遣の為の時間稼ぎをした。しかし、この提案には乗るべきであった。たとえ、家族全員の来日に確証が得られなくても連れ帰った者の数だけ、北朝鮮側の手持ちカードを減らすことが出来たのだ。彼らのカードが減るほど、残りのカードの値打ちは下がっただろう。だが、そんな心配すらいらないだろう。あの国は金正日が命令を下せば、全てのことはその通りになるのだから(金正日から確約が取れるか否かが、外交的成果であるのは誰でもが判っていることだ)。あの提案の時点で家族を引き取っていたなら、今回の小泉訪朝で500億円(米25万トン)もの浪費をすることはなかった。この額をイラクへの自衛隊派遣費用377億円と比べてみれば、如何に無駄な出費であるのか良く判る。双方とも無駄な出費と言えるかも知れないが、少なくともイラクの場合は国際社会への貢献と言う、もっともらしい言い訳が立った。だが、今回の場合はそのような言い訳すら立たない。脈絡のない人道支援を口にするだけに終っている。昨年の解決を逃がした北朝鮮が今年になって、夏の参院選用に小泉が買いに来るであろうと予想していたのは、充分に察しがつく。その彼らの予想通りに、自衛隊をイラクに派遣した小泉は、参院選用に家族を買いに行った(「買い」と言う言葉が不謹慎に響くかも知れないが、この流れを見ていれば他に言い様がないのです)。だからと言って、首相自らが出張る必要などは何処にもなかったのだ。首相がしゃしゃり出ることは、事を大きくすることであり、多額の出費を余儀なくされることでもある。これは国益を大きく損なうことなる。結局、小泉は己が政権にしがみ着く為には、手段を選ばずに幾らでも国費を費やすことを厭わない人物ということになる。このような多額出費をしても、跡に何も残すことが出来ないのも、小泉が外交らしきものをしてない証拠だろう。これだけの国費を費やすなら、ピョンヤンに日本の連絡事務所を開設させろ位の要求は出せる筈だ。成り立ちは異なるが、日本では在日朝鮮人の団体が公然と事務所を構えることを許している。ならば、日本が北朝鮮国内に、連絡事務所や広報センターを持つことも不当な要求ではないだろう。もっとも、こんなことを要望してあの国で勤務をしたいと言う外務官僚はいないだろうが。もし、ピョンヤンなどにそのような拠点を確保出来たなら、北朝鮮国内の情報収集に多いに役立つ筈だ。又、日本人妻と呼ばれている人達にも希望を与えることが出来るのではないだろうか。そのような拠点を経由することにより、日本からの援助物資も確実に彼女らのもとに届けることも出来るだろう。北朝鮮への援助はいつも、その時だけの宴で終ってしまう。この訪朝はセレモニーと500億円の援助米を約束して終りになる。結局の処、時期を誤り、離散家族の苦しみを長引かせ、屈辱的土下座外交を演じたのが、今回の小泉訪朝だ。又、この訪朝は「国際社会で名誉を得る」と言う、小泉自身が吐いた言葉とは裏腹に、国際社会から犯罪者(国)の要求に屈した意気地のない国として評価が下されることになるだろう。これは、この国が国際社会の一員であると深く意識している人達の心を、この前の人質三人非国民騒動に続き、甚く傷つけることなるだろう。
May 23, 2004
コメント(0)
金総書記、拉致問題にも言及 小泉純一郎首相は22日午前、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問し、平壌市内の大同江(テドンガン)迎賓館で金正日(キム・ジョンイル)総書記と約1時間半会談した。両首脳は02年9月に交わした日朝平壌宣言に基づき、拉致・核などの諸問題を包括的に解決し、国交正常化をめざすことを再確認する見通しだ。首相は、最優先課題として拉致被害者5人の家族8人の帰国・来日を求める。同行筋によると、首相か同行する山崎正昭官房副長官が8人と面会して直接、意思を確かめる見通しだ。首相はまた、北朝鮮側が「死亡」などと説明した安否不明者10人に関する情報公開を総書記に強く求める方針だ。 会談の冒頭、両首脳は片手で握手した。金総書記は「小泉総理が再訪朝されたことはいいことと思うし、歓迎します。02年9月は拉致という問題が生じたが、総理が国交正常化に対する関心を払われ、その正常化を成功させる意思と抱負を持って改めて訪朝されたことを私たちはうれしく思います。お体はいかがですか」と述べ、拉致問題に言及した。小泉首相は「おかげさまで」と応じた。 会談後、総書記は再び首相と握手し、「また会いましょう」と声をかけた。 北朝鮮側は姜錫柱(カン・ソクジュ)第1外務次官が同席した。 複数の関係筋によると、被害者家族数人が首脳会談が行われる大同江迎賓館に来ているという。両首脳の会談は02年9月以来、2度目。首相は政府専用機で午前6時48分に羽田空港を出発、同9時14分に平壌郊外の順安(スナン)空港に到着。空港では03年8月の第1回6者協議の北朝鮮首席代表を務めた金永日(キム・ヨンイル)外務次官らが出迎えた。会談は午前11時2分から始まり、午後0時35分終了した。首相は平壌で記者会見し、会談結果を発表する。 首相は出発に先立って羽田空港で記者団の質問に答え、「主眼は、現在の日本と北朝鮮の敵対関係を友好関係にしていくということ、対立関係を協力関係にする。その大きな契機にしたい」と語った。被害者家族の帰国・来日については「8人のご家族が日本に帰国できるように全力を尽くします。長い間、大変つらい思いをなさってきたご家族のことを思うと本当に悲痛な気持ちで待っておられると思います。そうしたご家族の気持ちを胸に首脳会談に臨みたい」と語った。 首相は核、拉致、ミサイル問題などの諸懸案を包括的に解決して国交正常化をめざす、とした平壌宣言の原点に立ち返るべきだとの考えを総書記に強調する。拉致問題では、8人の帰国・来日とともに、北朝鮮が「死亡した」「入国の事実がない」としている10人の安否について具体的な情報提供を求める。核問題では核開発計画の完全な放棄を求め、6者協議のプロセスを通じて平和的に解決することを促す。 首相か山崎副長官が被害者家族8人と面会する方向となったのは、脱走米兵とされる曽我ひとみさんの夫チャールズ・ジェンキンスさん(64)が来日に難色を示していると伝えられることから、その意思を直接確かめ、来日を説得することが目的とみられる。 被害者家族の帰国・来日が決まった場合、首相が搭乗する政府専用機の予備機で22日中に連れ帰ることをめざし、準備をしている。実現すれば、02年10月に被害者5人が帰国して以来の再会となる。 拉致問題で具体的な進展があれば、両首脳は国交正常化交渉の再開で合意し、首相が食糧25万トンをはじめ人道支援の再開を伝える方針。また、北朝鮮が事態を悪化させない限り、改正外為法などに基づく経済制裁の発動も見合わせる意向を伝える見通しだ。 02年9月の前回会談では、金総書記が拉致問題を認め謝罪した。同年10月には国交正常化交渉を再開したが、被害者家族の帰国や安否不明10人の再調査を巡り双方の主張が対立。核問題でも、北朝鮮の高濃縮ウラン生産計画が表面化したことに端を発し、北朝鮮が核不拡散条約(NPT)脱退を表明して、国際的に緊張が高まった。 首相は、膠着(こうちゃく)状態に陥った日朝関係を打開するためには、自らが再度訪朝して総書記と首脳レベルの意見交換を行う必要があると判断、政府・与党内の慎重論を押し切って決断した。
May 22, 2004
コメント(0)
「戦争を恨むよりも、人を愛すること」高遠さんのインタビューをテレビの放映で聴いた。この人は本当の気持ちを偽り無く話しているというのが率直な感想だった。映像がなく、声だけだったので、余計にその声が真相を物語っているように思われた。高遠さんについても、世の中には疑いの目を持ち、いろいろな憶測をしている人もいるが、この日彼女が語った言葉には、やはりイラクで人道支援を行い、イラクの子どもたちと触れあっている人にしか言えない言葉の響きを感じる。高遠さんは、マザー・テレサを尊敬していたという。マザー・テレサは、宗教の違いにとらわれずインドの路上で亡くなっていく人々に手を差し伸べ、どの人の心の底にも、ともに苦しむキリストを発見しながら、無償の愛を与えたカトリックの修道女である。高遠さんは、こうしたマザー・テレサの信念のある生き方に大きな影響を受けていたらしい。イラクでストリートチルドレンの世話をし、サポート活動をする動機も、このマザーテレサの影響が大きいという。高遠さんは、イラクの子どもたちに伝えたい言葉として「絶対にあなたたちを見捨てません。必要なことは、戦争を恨むよりも人を愛することだと思う」と、その思いをきっぱりと語った。「見捨てない」という言葉に、私は、高遠さんのイラク行きの本心を感じていた。自衛隊撤退などの政治思想的な思惑ではなく、高遠さんにとっては、この子どもたちとの触れあい、そして、その子たちの「こころの母親」になることの方が大切だったに違いないと思うからだ。どんなに体が大きくても、米軍の空爆で最愛の親や家族を亡くした、かれらストリートチルドレンの心の傷は大きく、高遠さんにまるで小さな子どものように甘えている姿を写真映像で見たことがある。その子どもたちが高遠さんを慕う思いは、おそらく高遠さんには痛いほど伝わっているはずだ。戦争の被害は、まちや国、大地が壊されるだけでなく、兵士や民衆の心にも体にも大きなトラウマを残す。それは、二つの世界大戦、そしてベトナム戦争、湾岸戦争などでももはや証明済みである。多くの人々が、国家レベルの犯罪的な戦争で生命を奪われ、残されたものたちの悲しみが続く。それが、イラクの現実である。高遠さんは、言う。「彼らも愛する家族を殺され、彼らの悲痛な叫びを届かせるには、この方法(今回の事件)しかみつからなかったのだろうと感じた」と。そして、「必要なことは、戦争を恨むよりも人を愛することだ」という高遠さんの言葉に「千の風になって」という詩が重なってくる。これは、新井満さんが絵本などで紹介し、いま話題になっている。http://www.twin.ne.jp/~m_nacht「千の風になって」(日本語詩/新井満)は、作者不詳のまま伝えられ、9.11の犠牲者のためにまた、戦乱で犠牲になった人々のために静かなレクイエムになっているという。 (エコろじー編集人 稲田陽子)・・・・・・・・・・・日本語板(新井満)千の風になって私のお墓の前で泣かないでくださいそこに私はいません眠ってなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています秋には光になって畑にふりそそぐ冬はダイヤのようにきらめく雪になる朝は鳥になってあなたを目ざめさせる夜は星になってあなたを見守る私のお墓の前で泣かないでくださいそこに私はいません死んでなんかいません千の風に千の風になってあの大きな空を吹きわたっています英語版 (Auther Unknown)I am a thousand windsDo not stand at my grave and weepI am not there. I am not sleep.I am a thousand winds that blowI am the diamond glints on snow.I am the sun light on ripened grain.I am the gentle autumn’s rain.When you awaken in the morninng’s hush,I am the swift uplifting rushOf quiet birds in circled fligt.I am the soft stars that shine at night.Do not stand at my grave and cry;I am not there,Idid not cry.
May 21, 2004
コメント(0)
全94件 (94件中 1-50件目)