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今回のiPhone17は、256GB 。正規の販売価格は、168300円。店舗の値引きが34100円。2年間は、初回3円、月々2円で、2年後から5608円。本体を返す場合は、22000円支払いが発生する。月々の支払いは、シニアバリュープランで、月5GB、通話は5分まで無料。自宅がeoネットなので,auスマート割引で、-1100円。有料のPontaパスを付けたので、月々の支払いは、3058円。先に聞いたUQモバイルと料金は、ほとんど変わらなかった。Pontaパスは、以前付けていてすごくいいなと思ったから付けたけど、以前は、海外で使える世界データ通信が、1か月3日分使えたからだったと思いだした。でも、今回それは無かった。ローソンで使えるクーポンが毎週ついてくるけど、使うかな?ところで、家に帰ってから、データ移行。iPhoneのいいところは、データ移行がスムーズなところ。言語設定や顔認証などをして、AppleのIDを入れると、データを移し始める。私は、2013年の9月からiPhone5を使い始めて、2018年にiPhone7、2021年にiPhone11。2024年にiPhone15、その間に孫も5人になり、私たちが世話することも多かったので、写真や動画もいっぱいで、毎月540円払って、Appleのサーバーの中のIcloudの中にデータをバックアップしている。さて、30日の夜、データ移行しようとしたら、今までは1時間もかからず移行してできたのに、すごく時間がかかってる。あまりにも長く。携帯本体がすごく熱くなって気持ち悪い。DuolingoやLINEもしたいのにできないので、いったん中断。古い方の携帯を使ってその日は寝た。翌日の朝、データ移行したら、今度はサクッと20分ほどで終了。私の壁紙に、入っているアプリもみんな出てきた。LINEとウォレットの中のカードなどはIDを入れなおすけれど、それ以外は顔認証で設定された。数日後、返さないといけない、古い方のiPhone15のデータ消去をした。データ消去するのは初めてで、何も残らず消せるかな?と思いながら、設定から自分のアカウントのところの下にある、サインアウトと言うボタンを押して数分、画面が真っ暗になって、起動するといろいろな言語の出てくる初期画が出てきた。数日後、月5GBしか使えないのに、数日で1.5GB減ってるのと、データ移行の時熱くなったのが気になって、auで、携帯が壊れていないか調べてもらった。本体は全く異常なしとのこと。動画を送ったり見たりするとギガが大きく減るらしい。ahamoは30ギガあったし、ギガの減り具合を気にしたことがなかったけど、5GBじゃ足らないかも。auのお兄さんが、「携帯の相談を受けたら、料金を頂くことになっているんです。僕が初めに言ってなかったので、今日はいいですけれど。」と言う。え~知らんかった。どこの携帯会社でも、今は支払うらしい。「いやあ、悪いねえ。ありがとう」とお礼を言って帰って来た。17日にイオンモールの1階のdocomoショップに、iPhone15を返しに行った。docomoのお兄さんが、携帯を調べてデータがちゃんと消去されているか調べてくれた。iPhone15の箱を探して、やっと見つけて入れていったけれど、本体だけでも良かったらしい。「箱はいらないですか?」と聞かれた。箱の中に入っているケーブルは、全く使っていないし、いらない。auに乗り換えたと言うと、「またahamoに乗り換えてください」と言うので、数か月したら乗り換えたいと言ってショップを出た。2階に上がってくると、ahamoのキャンペーンをしていた。auと同じiPhone17。ahamoのお兄さんが、「携帯どこですか?」と聞くので、「auに変えたばかり。今、docomoにiPhone15を返したところ」と言うと、「変えられますよ。今、ahamoに替えてくれたら、15000円渡します」と言う。「まだ2週間しか経ってないから、3か月ぐらいしたらね」と言って帰って来たけれど、ギガの多いahamoは魅力的。9月もあと4日だけれど、データの残りは、0.25ギガ。月の終わりまで持ちそうにないので、今日1ギガ1100円でチャージした。長年使っているのに初めて分かったのは、Wi-Fiの無いところで、古い写真やビデオを見ると、iCloudにデータを取りに行って、ダウンロードするので、ギガが減っていくと言うこと、ギガの残りを気にするのはストレスがたまる。早くahamoに替えたいなあ。
2026.09.28
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8月30日に、iPhone15からiPhone17に、携帯を乗り換えた。iPhone15は、一昨年の10月にワイモバイルからdocomoのahamoに替えた時、購入したもの。購入と言っても、ahamoのキャンペーンで2年間は1か月1円。2年後からは毎月何千円か払わないといけないので、そのタイミングで乗り換えたらいいと聞いていた。乗り換えて、携帯を返すのは初めてだけれど、その前に使っていたiPhone11も、iPhone7も家に残っていて、処分もしにくいので、一回全消去して返却してみようと思う。その前のiPhone11の購入は、2021.3.23。ahamoに乗り換えるつもりで、3か月ぐらい前にダンナと一緒にワイモバイルに乗り換えていた。ahamoのキャンペーンを待っていたけど、全然出会わない。8月30日の日曜日、キャンペーンをしていないかなとイオンに行ったら、auが、iPhone17の乗換キャンペーンをしていた。他社に乗り換えても、docomoに返却はできるらしい。私は、iPhoneを変えるけれど、ダンナはアンドロイドなので携帯はそのまま。早速、若い男性の店員さんが寄ってきて、乗り換えませんかと聞いてきた。ダンナは、yモバイルから乗り換えるだけで25000円くれるらしい。私は、iPhone17eで2年間、毎月の支払いが241円、UQモバイルの、トクトクプランで、5ギガの電話カケホーダイ付きで、1か月2749円。ダンナは、同じプランで2508円。初回にサービスで付けなければいけない有料メニューを外す時期を教えてくれた。「auのゴールドカードを作って、そこから支払いをしたらすごく安いですよ。」と宣伝をしてくるので、二人とも楽天のプレミアムカードを持っているので要らないと言っても、何度も言う。予約番号を取っている間も、「作るだけでお二人に5000円のキャッシュバックありますよ」と勧めてくる。そこまで約1時間。予約番号が取れたので、やっと担当の女性が来て、手続きを進めることになった。ところが、女性が来て、私の携帯の書類の後、ダンナの書類を書き出して、「この携帯は、uqモバイルが使えるかどうかわかりませんね、」と言う。機種一覧の中に無いそうだ。「去年の1月に、ソフトバンクで買ったばかりなのに、使えなかったらどうするんですか?」と聞いたら、「一度繋いでみて使えなかったら、別の携帯を購入していただくとか」と言う。ダンナが怒りだして、「もういい、辞めるぞ、帰る」と一人で駐車場に行ってしまった。免許証を机の上に置いたままだったので、私も、「一番基本的なことなのに、最初に言ってもらわないと。主人が怒るのも当然だと思いますよ。」私も、携帯がiPhone17ではなく、単眼レンズのiPhone17eと言うのが気になっていたので、辞めることにした。駐車場に戻ると、ダンナは「あれは詐欺や。25000円あげますって言っといて、違うのを買わそうとする」と言うけれど、私は、知識のないアルバイトの子が客集めして、契約が取れたら給料に上乗せしてもらえるシステムなんだろうなあと思った。ダンナは、もう今のままでいいと言うので、私だけ別の店でキャンペーンをしてないか見に行くことにした。別のイオンに行ったら,auは電気を変えませんかと言うキャンぺーんをしていたのでパス。別のショッピングセンターの中にある、ケーズデンキの中の携帯売り場が同じようなキャンペーンをしていた。イオンでのことを話すと、アンドロイドの適応機種の中に表記されてなかったんですね。よくありますが、新しい携帯だとほぼ使えるんですけどねと詳しい。私がiPhone17eで単眼レンズのSEじゃなくiPhone17の方がいいんだけれど、と言うと、「uqモバイルじゃなく、auにするとありますよ。シルバーバリューだと値段も変わりません」とすごく詳しい。イオンでもらっていた契約番号を書いた紙を見せると。「契約番号を取ってるんなら、20分で手続きできます」いろいろ付けてた有料サービスも,付けなくていいと言うし。気持ちいいほどスピーディー。受け取ったiPhoneは17で、256GB 。私は、2013年からiPhoneを使っていて、写真も膨大なのでこれだけあれば安心だ。iPhone17はSIMカードを入れるところが無く、eSIM。auには繋いでくれたけれど、データ移行は自分でしてくださいと、説明書を1枚もらって帰って来た。
2026.09.24
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20日の日曜日、おうちカフェ寿であったのは、若者4人のミニコンサート。カフェ寿は、2月にシャンソンのコンサートを聴いたカフェ。3・40人しか座れないカフェで、シャンソンの時はほとんど見えない後ろの方だったけれど、今回は、開場してすぐ入ったので、演奏している人が見える特等席。習字講座の先生は、歌手のMuku さんの大ファン。習字の展示会場で、Muku さんのコンサートをすることもあるようだ。それで、私はダイビング仲間のKさんと参加したけれど、習字講座に参加している人も二人参加し、早くカフェに行けた方が、いい場所確保しておこうねと約束していた。コンサートは2部に分かれ、Mukuさんの挨拶の後、一部は、篠笛のHikaruさんのコンサート。ピアノ伴奏はHIROさん。曲は、オリジナルの数曲の後、スピッツの「楓」も。笛は、大阪南部の泉州地域ではだんじり祭りの鳴り物として、この時期、夜になると練習する音が聞こえる。祭用の笛は、必要な音だけが出るように作られているそう。でも、篠笛は、竹で作られているけれど中には漆が塗られ、ドレミファソラシドの音階がちゃんと出るそうだ。それで、フルートのような済んだ伸びのある、とてもきれいな音色だった。太さや大きさの違う篠笛を何本も見せてくれた。細くて小さい篠笛は高い音が、長くて太い篠笛は低くて重厚感のある音色だそうだ。ここから20分の休憩。飲み物とお菓子が出て、しばしおしゃべりタイム。第2部は、Mukuさんの歌。伴奏は、脇佑馬さん。Mukuさんの歌は、「Everybody Singing」(だったと思う)のように、みんなで手拍子を打ちながら、楽しい曲。温かい歌声と、ぼそっと面白いコメントで場を和ませる。ピアノの脇さんのピノソロも。「花が咲く」は不協和音から始まり、ざわざわとしたイメージだったけれど、だんだん明るく希望の持てるような曲にアレンジされていた。3.11の悲しみから、立ち上がって復興していくイメージで、編曲したそうだ。Mukuさんは、貝塚市のPRアンバサダーもしているそうで、イメージキャラクターが出てくる「つげたび」も。アンコールは、脇さんのピアノで、竹内まりあの「命の歌」と、Mukuさんの歌で「縁結び」楽しく、和やかにコンサートを終わった。インスタを見たら、4人で写った写真があった。和やかで、あったかい素敵なコンサートだった。今のところは地域で活躍するミュージシャンだけれど、どんどん大きなところに羽ばたいて欲しいな。ちなみに私とKさんが参加したのは、5月頃、プールの帰りに、たまたま寿へお茶しに寄った時、Mukuさんと脇さんが、ここでコンサートをしようと言ってる場面に遭遇したから。その時、脇さんの素敵なピアノも聴けて、二人で「コンサート行こうね」と決めていた。その時、習字の先生もいて、この場所を勧めたのも先生らしい。人数に限りがあるのにラッキーだわあ。寿のこの日の展示は、模写。フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」やルノアールの少女像ピカソの「夜のカフェテラス」や、ドガのバレエを踊る少女の絵などがあって、楽しめた。絵を描いた男性がいて、油絵じゃなく、アクリル画だそうだ。模写も楽しいだろうな。
2026.09.23
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先月末、携帯をiPhone15から、iPhone17に変えたので、そのことを書き出して、長々と書いているのに終わらない。だんだん簡潔な文章を書けなくなってきて、書きかけで終わっているのが多すぎる。これに関しては、書きたいこともあるので、後日続きを書きたいと思っている。先月、8か月ぶりにジェルネイルをした。普通4週間ぐらい持つのに、2週間ぐらいしたら髪の毛が引っかかりだして、3週間前にとうとう1枚剥がれ、もう1枚も今にも剥がれそう。ネイルが剥がれたままでいるのは、だらしないように思えて嫌なので、2日後の12日の土曜日、運よく夕方の時間が取れたので、新しいネイルをしてもらった。肩も股関節も脊椎も悪いので、いつまたMRIを撮るかわからないので、簡単なワンカラー。手の指が、あっちへ曲がりこっちへ曲がり、きれいな写真も撮れないけれど、ネイルしただけで、気分が晴れやかになる。終わってすぐに、ネイルサロンの近くにある娘の家に。9月18日が、エルちゃんの誕生日なので、欲しいものを買ってあげると約束していた。それで、娘とエルちゃんと、イー君の4人で、ららぽーとへ。新しくできた小籠包のお店で夕飯を食べて、エルちゃんには、キュロットスカートと長袖のTシャツを買ってあげた。それが終わってから、久しぶりにカラオケへ。エルちゃんもイー君も歌が大好きだし、とっても上手い。エルちゃんは、嵐やあいみょんなどちょっと前の曲も歌うけれど、HANAとかの曲も振りを付けながら歌う。イー君は、ジャパネットたかだの歌なども歌って面白かったけれど、ミルクの「好きすぎて爆」も歌ってて、凄~い。娘がスピッツの「見知らぬ糸」を歌っていた。「Tシャツが乾くまで」のドラマを観ていたので、私も覚えたいなあと思った。私は、「島んちゅぬ宝」や「糸」SMAPの「オリジナルスマイル」を久しぶりに歌った。懐かしいなあ。今日は、今まで使っていたiPhone15をdocomoに返すので、イオンモールへ行った。久しぶりに、一人映画。イオンシネマで「オデッセイア」を観てきた。最近、AmazonプライムやNetflixで、映画は観るけれど、こんな壮大なスペクタクル映画は大画面で観たい。約3時間、面白かったけれど、イオンシネマは音響があまり良くない。それに、IMAX70ミリフィルムを使用していることもニュースになっていたけれど、2Dのノーマルな仕様で、ちょっと迫力に欠ける。まあ、イオンシネマでは、オーナーズカードを使って、1000円のところ、500円分のポップコーンももらったので実質500円だからなあ。映画のことも、また書けたらいいな。
2026.09.17
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Kさんとの待ち合わせは、午前10時半。天王寺へは、JR阪和線で。最寄りの駅までは、ダンナに車で送ってもらうことにした。天王寺に着いたのは、9時45分頃。地下1階の扉が開くのを待って、エスカレーターで11階へ。時計の修理コーナーで、二つの時計を預けた。以前は3千円代だったと思うけれど、電池の入れ替えは4500円+消費税。株主優待の10%引きは、使えないらしい。そのまままたエスカレータを上がっていくと、美術館の入り口の前にKさんがいた。Kさんは前売りのチケットを持っていたけれど、私はチケット売り場へ。「ゴッホの跳ね橋と印象派の画家たち ヴァルラフ・リヒャルツ美術館所蔵」のチケットは、大人2100円だけれど、障がい者手帳を見せると1000円だった。入ってすぐに音声ガイドを700円で借りた。ナビゲーターは、佐藤拓也さん。プロローグのあと、第1章は、印象派前の作品クールベやマネなど、でも、今まで見たことがない作品ばかり。第2章は、バルピゾン派コローやミレーなど。ミレーは、「落穂拾い」や「晩鐘」など暗い作品が有名だけど、展示されていたのは裸婦像だった。第3章は、印象派ルノワール、モネなど。上はルノワールの「編み物をするジャン=ルノワール」ルノワールと言えば女性像が多いけれど、この絵のモデルはルノワールの息子。当時、男の子に女の子の服を着せるのが流行っていたそう。下は、モネの「アニエールのセーヌ河」「水連」などを描く以前は、風景画が多かったようだ。だんだん腰が痛くなってきて、置いてあった長椅子に腰かけて、ちょっと休んだ。第4章は、ポスト印象派ゴッホやゴーギャン、セザンヌなど上が、ゴッホの「跳ね橋」ここだけすごく人が多かった。並んで前の方に行けた時に、写真を撮った。結局私が見たことのあるのは、この作品だけだった。下が、セザンヌの「梨のある静物」セザンヌは、人物画や風景画の他に静物画も観たことあるけれど、これは初めて。第5章は点描派シニャック、シダネルなど第6章は、20世紀の色彩画家、そしてエピローグ。第5章ぐらいから、もう限界。腰が痛くて痛くて、じっくり観ていられない。音声ガイドを聴きながら、さっと作品を見て、どこか座れる所がないか探した。やっと見つけたのは、出口の前。そこで、Kさんが来るのを待った。美術館を出てからエスカレーターを降りて、15階のレストラン街へ。入ったのは、日本料理の花外楼。ほぼ満席だったのに、平日14食限定の、花小箱と言うランチが残っていてラッキー。上の写真と下左のアイスクリームが付いて3300円。3000円以上で株主優待の10%引きも使えた。花外楼を出てから、11階で時計を受け取って、3階の靴のお店へ。Kさんと私、誕生日が3日しか違わないふたご座だけれど、選ぶものの好みがよく似ている。ただ、性格はかなり違うと思うけれど。いろいろ見てから、シルバーの靴がいいなあと思って見ていたら、彼女が同じ靴の自分のサイズを持って来てもらっていた。え~いつの間に?おそろいの靴を履くのは嫌だから、別のベージュと白のコンビの靴を持って来てもらった。感じがいいなあと思ったけれど、ちょっと足の指の先が狭い感じ。今、履いている靴と同じメーカーでサイズがありますよと、濃いグレーと深緑のバックスキンの靴を持って来てくれた。履いてみるとすごく楽。ちょっとデザインが前の物らしく、値段もだいぶ下げていた。それで、深緑の方を買うことにした。Kさんは、私が買わないと知ると、今度は私が履いていたベージュの靴の自分サイズを持って来てもらって、2足購入。彼女が買うと、あっちの方がおしゃれだったなあとちょっと後悔。でも、私は2足買って帰る元気はない。靴を買ってから、12階のフルフルールへ。写真下右のフルーツ&スイーツセット、ドリンク付きで2600円。下の段のマンゴーがすごく美味しかった。優待カードを出して、二人分一緒に支払った。おしゃべりしてゆっくりして、4時ごろ地下で買い物。デパートでしか売ってないので、大好きな叶匠寿庵のあもを買おうとしたら、Kさんが、1万円を崩したいからと払って。あもをプレゼントすると言う。株主優待で、いろいろ安く買えたからと言う。フルフルールの代金は、2000円もらった。成城石井で買い物しようと思ったら、凄い人。疲れてきたし、もう帰ることにした。Kさんは環状線。私は阪和線。座れる電車を選んで、ダンナに着く時間をLINEしたら、駅まで迎えに来てくれていた。家へ帰ったらぐったり。でも、あべのハルカスでしたかったことの目的は果たせて、満足。
2026.08.29
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最近腰が痛くて、杖をついていても20分ぐらい歩いていると、痛くて椅子に座りたくなってくる。車の運転は、全く平気で、先日の福井へ行く時も、行きはずっと私が運転した。宮古島を楽しめたのも、関空までは車で行ったし、宮古島での観光はレンタカーで、下りて歩くのは短かったからだと思う。近鉄百貨店も、姉と一緒に和歌山近鉄や、足首の病院のついでに生駒近鉄。あべのハルカスの近鉄百貨店に最後に行ったのは、去年の秋。その時も車で行った。ずいぶん長い間、電車で出かけるのはおっくうになっていた。でも、ハルカスの近鉄に行きたい用事があった。一つは、時計の電池を入れ替えたいこと。2012年にイタリアで買ったオメガの時計は毎日使っている。地元の時計屋さんでは電池の入れ替えを断られたけれど、近鉄の時計売り場では入れ替えてくれる。2017年にパリで買ったエルメスの時計は、結局自分では4.5回しか使わないまま電池切れ。電池を入れ替えて、娘かヨメにあげたいと思っている。それと、靴の購入。近鉄の中に、足に合わせて靴を選んでくれるプロフィッターさんのいる靴屋があって、すごく履きやすい。黒い靴を買ったのはいつかなあと思って調べたら、この時のブログに、2024年の3月31日と書いてあった。時計の電池も、この時に入れ替えている。白い靴を買ったのは、ハルカスで広重を見た2024年の7月28日。今書いていて、2年も経っているのにびっくり。2年の間、この2足だけで過ごしていた。ダイビング仲間のKさんが、ハルカス美術館へゴッホの展覧会を観に行くと言う。それで、8月24日の月曜日、プールも休みだし、あべのハルカス美術館の前で待ち合わせることにした。
2026.08.27
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先日行った二胡のサマーコンサートが、中学の仲間からLINEで紹介があったと書いたけれど、中学の仲間のグループLINEの参加者は、現在15名。近況報告や、いろんなお誘いなどもあって、日々更新されている。中学校の仲間と集まるようになったのは、2023年の4月の中学校のミニ同窓会の時から。演劇鑑賞会に入っているIちゃんが、たまたまボランティアの途中で、同窓生の男子と会って、6人で集まった。中学を卒業して約55年。実は私は、男性3人のうち二人を全く誰か名前を聞いてもわからなかった。というのも、私以外の人は皆同じ小学校出身。私は、越境通学していた隣の市の小学校から、3人だけ地元の中学校に入学した一人で、転校生扱いだった。演劇鑑賞会に入っているMちゃんとIちゃんが勧めてくれて、男性二人もすぐ入ってくれた。演劇鑑賞会で2か月に一度、定期的に会うので、親しくなって、一緒におしゃべりするのも楽しくなった。その後、年3回ぐらいのペースで、みんなが集まっておしゃべりして、食事する機会を作ってくれる。その度に、他の人に紹介して、新しいメンバーが増えていっている。6月21日に集まったのは、前回のブログで、高校の仲間たちとも行ったサンカフェ。参加者は10名。この日初めて来た人が二人いた。やっぱり私は、誰だか思い出せなかったけれど、一緒に話すうちに打ち解けた。このサンカフェは、演劇鑑賞会にも入ってくれているN君の従弟が経営するお店。2階のスペースを貸し切りにして、中学時代の思い出に花が咲いた。それで、カレーを皆20%引きにしてくれて、その上、好きなピクルスを一瓶おみやげにいただいた。2月にも、中学の仲間との集まりは会って、その時は、部屋を借りて、料理や飲み物を持ち込んでのカラオケとおしゃべり。この日も、新しいメンバーが一人増えた。相手は私のことを知ってるのに、やっぱり私はちょっとわからなかった。話し出したら、すぐに打ち解けたけど。こうして中学校の仲間が集まると、必ず出るのが、中学2年の3学期にあった火事の話と、学年一の出世頭で、先日もテレビに出ていた、JR九州の会長のK氏の話。グループLINEには、病気の悩みの相談や、心に残った言葉なども書く人もいて、こうして70過ぎての出会いを喜んで、大切に思っている人が多いんだなあと感じる。でも、小学校6年間の繋がりって強い。まだちょっと私は、転校生気分が抜けてないかな?ここからは私の記憶(火事のこと)中学2年の時、体育をしていた3年生の教室の間から火事が出た。古い校舎だったので原因は漏電とも言われているけれど、たばこの不始末じゃないかという噂もあった。結局3階建ての校舎一棟が崩れてしまったので、原因は特定できず。でも、少し前に避難訓練もしていて、一人もけが人が出なかった。体育の授業をしていた2クラスだけは荷物を出せなかったけれど、他は全員が荷物を持って避難した。私のクラスは、美術の授業をしていたけれど、全員、教室に戻り、荷物を持って避難することができた。運動場に並んでから、学校から少し離れた池の土手に移動し、校舎が崩れていくのを見た。それから、数週間、順番に青空教室などもあったけれど、体育館をいくつかに仕切ったり、音楽室などの特別教室を仕切ったりして授業した。卒業式は、運動場のテントの中で行われた。制服も学習道具も無くなった3年生もいて、皆、涙涙の卒業式。卒業生じゃないのに、私も泣けてしょうがなかった。新校舎ができたのは、翌年の11月頃。私たちの演劇クラブは、その竣工式で火事の前後の思いなどを、シュピレヒコールで演じた。(K氏のこと)彼は4月2日生まれ。学年の中でも一番年上だったけれど、頭も抜群に良かった。とても面白い人で、当時販売されていた、コーラのホームサイズ(500ml)を2口か3口で飲むのを自慢していた。話も上手くて、彼が話した小話の内容を今でも覚えている。うちの孫、イー君も4月2日生まれ。彼みたいに出世してくれないかなあ。
2026.08.13
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先週の土曜日、8月1日は、おもちゃの修理隊の日。終わってから、高校の同級生4人とランチに行ったのは、サンカフェというカレーのお店。いずみピクルスというピクルスを作っている工場が経営するカフェで、カレーの付け合わせに新鮮な野菜や、ピクルスがいっぱい。私は、スパイシーなグリーンカレーを注文した。食後、一緒に修理隊でおもちゃのお医者さんをしているJ君のお宅へ。コーヒーや自宅で採れた巨峰をいただきながら、奥さんも一緒におしゃべり。私が高3の同級生のJ君に誘われて、おもちゃの修理隊のボランティアに入ったのが、2020年の7月。「おもちゃの病院」そこには同じ同級生のK君もお医者さんをしていた。2022年の学年同窓会は、コロナ禍だったので、今自分たちがしていることの発表をする会だった。そこで私たちは3人でおもちゃの修理隊の発表をした。それを聞いて、同級生のIさんが一緒にしたいと言ってくれて、同級生4人でボランティアに参加している。毎月第1土曜の午前中、終わったら4人でランチしているが、他の人にも声をかけて、飲み会をしようという話もよく出る。2月には、6人で居酒屋で飲んだけれど、お料理がいまいちだったので、6月には、Iさんが、美味しいお料理のお店を予約してくれた。参加者8人で、鯛しゃぶコース4人分と、鱧すき4人分のコース。飲み放題付きで7250円。突き出し、サラダ、お造り、天ぷらなども。生姜を効かせて、玉ねぎもたっぷり入れた鱧すきが抜群に美味しかった。最後には、雑炊にしてくれて、それも美味。鱧は湯引きに梅肉で食べることが多く、家で夏場に鍋物をすることは無かったけれど、余りにも美味しかったので、3日後、鱧を買って家でも鱧すきをした。やっぱりお店で食べたほうがずっと美味しかった。高3って忙しいはずなのに、何故か私たちは、男子も女子も仲が良くて、卒業してからも、クラス会をよくしているので、ブログにも何度か書いたことがある。でも、すでに亡くなった人も7人ぐらいいる。私が仲が良かった女社長のSちゃんも6年前に亡くなった。担任だったT先生が亡くなったのは、10年ほど前。息子さんがジャズ喫茶をしていると言う話がこの時でた。実は、ジャズ好きな兄に連れてもらって、結婚前に行ったことがある。兄に聞くと、まだ営業していて、兄とも親しいらしい。次は、秋ごろに企画してくれる予定。その後でも、そのジャズ喫茶に行けるかな?
2026.08.09
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28日の10時半ごろ、ホテルを出て雨の中を恐竜博物館へ出発。福井北JCTから無料の中部縦貫自動車道に入り、勝山ICで降りて国道416号を通って行く。小雨の降る中、周りを見ると霧が立ち込めたところが多い。霧の中に入って、前が見えなくなったら嫌だなあと思ったけれど、何とか霧の中に入ってしまうと言うことは無くて助かった。国道沿いには、白い大きな恐竜の像があったり、可愛い恐竜の絵があったり、楽しみながら恐竜博物館に入っていった。雨が降っていたけれど、障碍者用の駐車場を教えてくれて、すぐに屋根のあるところに入れた。前日、Youtubeで恐竜博物館のことを調べた。私は、孫たちと一緒に長時間歩くことはできないので、できたらレストランかどこかで待っていたい。入口の3階から、一気に地下1階のまでエスカレーターで降りて、各階を1階から2階と各階をぐるっと回りながら階段を登ってきて、3階にあるレストランで昼食の予約を取った。12時ごろだったけれど90組待ちで約1時間半後。近づいたら連絡をくれると言う。レストランの外に椅子があったので、そこでダンナも一緒に待っていることにして、孫たち二人で行動してもらうことに。1時過ぎにレストランに入れたので、イー君はレストランメニューのよくばりキッズプレートと、私はライスバーガー+おろし蕎麦を頼んだけれど、ライスバーガーの中に分厚い厚揚げが入っていてびっくり。量が多いので、ティラノバーガーを頼んだ三男坊にお蕎麦を食べてもらった。ダンナはおろし蕎麦。味は、今一つで、飲み物はドリンクバーで自分で入れるけれど、おかわりはできなかった。おみやげショップでいろいろ見たけれど、会計のところに並んでいる人が多かった。あわらのホテルで、二人とも恐竜のクッキーなどを買っていて良かったと言っていた。イー君は、ショップの外のガチャガチャで、恐竜のショッピングバックを買っていた。3時に出発することにして、40分ぐらいまた二人で見学に。後で、三男坊が撮った写真をいっぱい送ってくれた。イー君の写真をいっぱい取っていて、まるで専属カメラマンと一緒に回ったみたいと娘が言っていた。3時過ぎに恐竜博物館を出発。二人に、晩御飯をどこで食べたいか聞いたら、大阪に帰ってから回転寿司に行きたいと言う。7時ごろには帰れるかなと思っていたけれど、中部縦貫自動車道から北陸自動車道に入っても、周りの山々に霧で白くなっているところがいっぱい。そのためか一車線になっているところが多かった。南条で一回休憩した時、二人ともまた福井のおみやげを買っていた。車の中で三男坊が、「熊本で震度7の地震があったらしい」というので、テレビを付けながら走ったけれど、画面が途切れてなかなか様子がわからなかった。米原から名神に入っても、竜王から栗東付近で渋滞。やっぱり霧のためか一車線に規制されていた。ただ、前が見えなくなるほどの霧に出会うことがなかったのは幸い。草津で、ダンナに運転を代わり、京滋バイパスに入り、そこでも渋滞。第二京阪から近畿自動車道に入るころにはやっとスムースに進めて、阪和自動車道の堺で降りて、くら寿司へ。いつも6・7皿で終わるイー君は、三男坊と一緒だと競争のように倍ほど食べた。イー君を送り、三男坊を送り、家に帰って来たのは10時過ぎだった。夏休みに入ってから、何度か、三男坊が電車で一人で来ていた。うちの家に来て、家事アルバイトをしてくれる。二人で、いろんなところにランチに行くのも楽しみだけれど、夏休みの間に、どこか一緒に旅行に連れて行ってあげたいなあと話していた。今まで息子のところの長男と次男は、沖縄でシュノーケルをしたり、敦賀の気比の松原の花火を見たり、韓国へ行ったりといろいろ体験をさせてあげたていた。三男坊を、3年前に北海道へ一緒に連れて行くつもりだったけれど、コロナがまた流行りだした時期だったので行けなかった。私がもっと足腰が丈夫だったら、一緒にいろいろ旅行したいんだけど、公共交通機関を使っての旅行は、ちょっと自信が無くなっているので、今回車で行けてよかった。約束を一つ果たしてホッとしている。
2026.08.02
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27日から28日まで、1泊2日で福井へ行ってきた。帰りの車の中で、孫が「熊本で震度7の地震があったらしい」と言った。テレビを付けたけれど、山が多く画面がすぐに消える。帰って来てからテレビで見たら甚大な被害に胸が痛んだ。10年前に大きな地震があったところなのに。酷暑の夏で、停電などが続いたら、熱中症の心配もあるだろう。台風も心配だ。政府には、素早く、手厚い救済活動をお願いしたい。孫の、小学校5年生のエルちゃんが、臨海学校、林間学校に続き、春から入った塾の夏期講習と忙しい。娘から、2年生のイー君が、恐竜博物館に行きたいと言ってるけど、お父さんとお母さんが、連れて行ってあげてくれへん?と聞かれた。敦賀に何度も行ってたけれど、恐竜博物館は行ったことがない。でも、福井へ行くのは気分的にすごく楽。今年、高校一年になった、息子のところの三男坊も、一人で留守番していることが多いので、一緒に連れて行ってあげることにした。予定の空いているところで、7月27日から28日と急遽決めて、ホテルを探したのは先週。私が、お布団では寝られないので、4人で泊まれるベッドのある部屋は、恐竜博物館の近くにはなくて、芦原温泉のグランディア芳泉の和洋室があと一部屋。ちょっと値段が高かったけれど、娘が予約をしてくれた。27日は、朝8時半に家を出発、三男坊を迎えに行って、その後イー君を迎えに行った。阪和自動車道から、近畿自動車道、そこから第二京阪。そのあたりから渋滞が続いた。京田辺のPAでトイレ休憩。その後、京滋バイパスでも渋滞。瀬田東から名神に入って、やっとスムーズに運転できるようになった。米原から北陸自動車道に入って、予定していた賤ケ岳で昼食。もう午後1時を過ぎていて、予定していたより1時間以上遅い。当初の予定では、2時前に越前松島水族館へ寄って、2時間ほど過ごして、ホテルの方へ行こうと思っていたけれど、このままだったら、水族館に着くのが3時頃だし、3時からのイルカショーも見られない。孫たち二人とも、水族館は別に行かなくてもいいと言うので、直接ホテルの方に行くことにした。ホテルに着いたのは午後3時ちょっと前。娘が連絡していおいてくれたのか、駐車場は、一番近い車椅子用のところを取ってくれていた。お部屋は、さくら亭SUITEのこのお部屋。左側の洗面の奥には、半露天風呂があった。グランディア芳泉は、オールインクルーシブ。部屋の冷蔵庫には、ビールとジュースが入っていたし、ラウンジでも飲み物やお菓子、アイスクリームなどがあったので、まずはラウンジで休憩。今回は、大阪から私がずっと運転してきたので、ビールが美味しい。二人の孫たちは、ジュースやアイスクリーム、おまんじゅうなどを食べてから中庭へ。中庭には、足湯や恐竜の模型があって、暑いので水鉄砲なども用意されていた。大きな氷の中に、恐竜のおもちゃやスマートボールが入っているらしく、他の子たちが、水鉄砲を掛けたり、タオルでこすったりして取っていたので、孫たちも参戦。5個ゲットして戻って来た。夕食は、比較的空いていると言う5時15分からに申し込んだ。バイキングだと杖を使えないので、いつもは少しずつしか取ってこられないんだけど、お盆2枚をのせたカートを用意してくれていたので、美味しそうなものをいっぱいのせてテーブルに戻って来た。左側のお皿には、生ハムメロン・温泉卵のキャビアのせ、握り3貫取ったら、大トロを1貫のせてくれた。海老のてんぷらにお刺身など。右のお皿には、サラダやひつまぶし、チーズなど。真ん中には、サーモンやホタテ、ウニ、エビなどジュレなど、奥にはステーキや冷しゃぶ、そしてビール。大人の極上ビュッフェと言うだけあって、贅沢な食材で種類が豊富。いっぱい持ってきたけれど、この倍以上の種類があった。でも、もうお腹がいっぱい。せっかく飲み放題なのに、おかわりは、味見程度にワインとジンライムをコップに少しずつ入れてきただけ。部屋に戻って少し休憩してから、みんなでお風呂へ。イー君と三男坊が一緒に行動してくれるので、私もダンナもすごく楽。私は、ゆっくり露天風呂で星を眺めて、サウナにも入って、久しぶりに水風呂にも。去年まで行ってたスポーツクラブでは、いつもサウナと水風呂に入っていたけれど、今は市民プールなのでサウナも子どもも入れる低温サウナしかない。サウナの後に水風呂に入るのは本当に久しぶり。水風呂は最初は冷たくて腰ぐらいまでしか入れないけれど、慣れて肩までつかると、冷たさが心地よさに変わってくる。久しぶりに味わうこの感覚に幸せを感じた。お風呂でゆっくりしすぎて、ラウンジへ行くのが遅くなった。終了間近で、もうアイスクリームもおつまみも無くなっていた。部屋に戻ったら、ダンナはすぐに寝てしまった。私も、冷蔵庫のビールを飲んだら、眠くなった。三男坊とイー君は、かなり遅くまで起きていたもよう。翌朝、私は5時ごろ目が覚めた。やっぱい腰が痛いので、部屋のお風呂にお湯を入れて、ゆっくり浸かっている間に腰の痛みがましになった。半露天で、外の景色が見えて気持ち良かった。6時25分からのEテレのラジオ体操をして、コーヒーを入れて一人で飲んだ。ダンナが起きてきて、お風呂に行った。私がお化粧を終わった頃、三男坊が起きてきて、部屋のお風呂に入った。7時15分からのBSで朝ドラ「ひまわり」と「風薫る」を観終わった頃、やっとイー君が起きた。8時過ぎに朝食会場へ。朝食も種類がいっぱい。ご飯のお供がいっぱいあったので、私はそれが食べたくて、主食はお粥。焼き魚や温泉卵、肉じゃがや、福井のソースカツも取って来た。スムージーと最後にヨーグルトにマンゴーをのせた。まだまだいっぱい種類があるのに、お腹がいっぱい。荷物をまとめて10時にチェックアウト。ラウンジに荷物を置いて、おみやげを買いに行った。ラウンジで出してくれていたおまんじゅうが美味しくて、それをおみやげに。恐竜のデザインされたお菓子もいっぱいで、恐竜博物館では混むかもしれないので、孫たちはそれをおみやげに買っていた。ホテルを出るときは、外は雨。傘を貸してくれて、入り口まで車を持って行くと、雨にかからないところで荷物を入れてくれた。いろんなところで、スタッフの人たちの温かさが感じられた。グランディア芳泉は、いろんなサイトで口コミNo1。サービスの行き届いた素敵なホテルだった。さあ、恐竜博物館へ出発だ。
2026.07.30
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昨日、ハングル講座の後、田尻歴史館のカフェで行われる二胡のコンサートに行ってきた。田尻歴史館は、大阪南部の泉南郡田尻町で、明治から大正にかけて、大きな紡績工場を経営していた谷口房蔵氏の別邸として建てられた建物。リンクから見てもらったらわかると思うけれど、きれいなステンドグラスがたくさん使われている素敵な建物。そんな建物の、カフェの中で、二胡奏者の尾辻優衣子さんと、ピアニストの古後公隆さんとのデュオコンサート。尾辻さんの二胡の演奏を聴くのは、今回で3回目。数年前から、中学校の同窓生との付き合いが始まり、その中のK君がLINEで誘ってくれる。企画に参加している人なので、いつもカフェの特等席。お茶を飲みながら、二胡の澄んだ音色を聴きながら過ごす優雅な時間。今回は、久石譲の「Summer」に始まり、懐かしい映画曲「ひまわり」や一青窈の「ハナミズキ」も。ピアノを弾く古後さんの作曲した曲も何曲か。青龍や朱雀など中国の四神を題材にした曲もあって、雄大さを感じた。最後また久石譲さんの曲で締めくくった後、アンコールは、大平原を馬が駆け巡るような名曲。前も聴いたのに何という曲なのかなあ。最後は馬のいななきで締めくくられた。大満足の2時間だった。今回は、午前中ハングルの講座があったので、ハングル仲間を一人誘った。写真を撮ってもいいのかなと悩みながら、彼女が撮ってくれた。こんなに真横。費用はコーヒー代700円と、お気持ちを箱に入れるだけ。2000円ぐらいと聞いたのでそうしているけれど、安すぎて申し訳ないなあ。
2026.07.26
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月曜日の観劇は、こんにゃく座の『さよなら、ドン・キホーテ』<ものがたり>1940年代フランスのいなか町。古い厩舎のある牧場で馬を飼って暮らす、トーマスとベルの父娘。馬は戦地へと駆り出され、もう何頭も残っていない。ベルは学校が嫌いだ。自分らしくいることのできない学校になんか行きたくない、と、いつもで本を読んで過ごしている。大好きなのは「ドン・キホーテ」。いつか自分は男になって世界を旅する騎士になることを夢みている。ある夜、ベルは厩の隅に隠れていた少女サラをみつける。サラは家族とはぐれ逃げのびてきた、ユダヤ人だった。ベルはサラに、僕が君を守ってあげると約束する。しかし、戦場から遠く離れたこの町にも戦争の影は忍び寄って来る……。片足が悪く兵士になることができない馬丁のルイ、過去を抱えパリから移り住んできたベルの担任のオードリー、そして厩舎で飼われる“馬”の口シナンテとサンチョ。2匹の馬と、ある家族をとりまく物語。<HPより>演劇鑑賞会は、今は年5回。一つの劇を夜昼2回公演になっている。全サークルを5つのグループに分け、どれかの劇の担当となり、資料を作ったり、作品について学習したり、当日の役割を分担することになっている。今回の劇は、私たちのサークルの担当会だった。3か月ほど前から、実行委員会ができ、ダンナはほぼ毎回出席している。私は2回、1回は、Nさんと、もう一回はIさんと参加した。1回は劇の台本の一部を読んだりして学習した。2回目は、会員を増やすための話し合いと,チケットの判押し。2年前から、夜公演が昼夜公演になって、出費が増え財政が厳しい状況だ。今回は、担当会でもあったので、座席は前から6列目のとってもいい席だった。幕が開くと、男の子?が出てきて、ドン・キホーテの絵本を読んで(と思ったら)注意事項を、面白おかしく説明した。とってもいい声で,聴きとりやすい声。身のこなしも軽くて、場を盛り上げる。この子がベル。このベルを演じているのが、沖まどかさん。ピアノの生演奏に合わせて、歌を歌えば、声量があって、伸びのあるきれいな声だし、すごい迫力。セリフもとっても聴き取りやすいし、表情も豊かだし、物語にどんどん引き込まれて行った。馬のロシナンテとサンチョの掛け合いなど、ユーモアいっぱいで、コミカルだけど、戦争が近くで起きているし、サラはドイツ兵から逃げてきたユダヤ人だし、ベルは、女の子が女の子を好きになるのは変だといじめられて、学校に行きたくないし、そんな重い話題も含んでいる。自分が自分らしく生きにくい、重苦しい空気は現代にも通じるところがある。「さよなら、私のドン・キホーテ」とサラにキスされて、苦い現実に立ち向かっていこうとするベルに、勇気をもらって、真実を見極める目と、正しいと思うことを正しいと言える勇気を持っていきたいと思った。ダンナは、事前の学習会で、沖まどかさんが来た時に、司会をしていて会っていたらしい。最後、出演者に花束を渡すときに、沖まどかさんに渡して、良かったですと直接言えたそうだ。追記今日は、月会費を渡した目の集会があって、ダンナがこんにゃく座の色紙をもらってきた。まめ子さんの知り合いのお名前も入っている、
2026.06.27
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8日の月曜日の朝、目が覚めたのは5時半ごろ。起きてベッドから下りようとすると、やっぱり腰の調子が悪い。腰が少し曲がった状態のまま、伸ばすことも曲げることもできない。部屋にお風呂があったら、お湯をためて30分ぐらい温めているとほぐれてくるけれど、この部屋にはお風呂が無かったので、大浴場へ。出てから、マッサージチェアに座った。気持ちいいんだけれど、ちょっと強すぎる。でも、何とか曲げ伸ばしはできるようになったので、部屋に戻った。昨日最悪やと言ってたダンナは、朝からのお風呂は温かくなって気持ちよかったみたいだ。ダンナと一緒に朝食会場へ。でも、珍しく写真が無い。珍しく、何を食べたかもあまり記憶がない。。ずっと腰の調子が悪く、ビュッフェの料理を何度も取りに行く元気もなかった。マッサージチェアがあるので、朝の腰痛が無くなるだろうと思っていたけれど、強すぎて、揉み返しが来たのか余計調子が悪かった。荷物を整理して、お土産売り場で、自宅用に、ぶっかけいわし飯、おやつきびなご、大きなたま麩を買った。買ってから生産地を見たら、富田林とは全く関係が無かった。10時前にチェックアウトして、山を下りた。忘れていたけれど、チェックインの時、7日が私、8日がダンナの誕生日と言ったら、こんなのをくれた。可愛いワイン、と思ったけれどハンドソープだった。ホテルを出てから、買い物して、お昼は病院の帰りによく行く桜珈琲で。腰の調子が悪く、帰ってきてからもあまり動けなかった。今日のお昼は、中学校の仲間とカレーランチ。今日は父の日なので、かに道楽で夕食の予約してくれている。食べ過ぎだけど、今から行ってきます。
2026.06.21
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夕食後部屋に戻ったのが8時数分前で、私は毎週見ている「豊臣兄弟」を見ることができた。ダンナは、ベッドに横になってウトウト。終わってから、私はDuolingo。ダイヤモンドリーグから落ちなくて良かった。9時からラウンジで、夜鳴きそばの提供があるとエレベーターの中に貼ってあった。お腹いっぱいだったけれど、1時間たったら食べられそう。ラウンジへ行くと、沢山の人がいて番号を書いた紙を渡された。15分ぐらい経って呼ばれたのでダンナがもらいに行った。お椀に一杯ぐらいの量だけれど,白ごま担々麺は、なかなか美味しくて完食。ダンナは、もう眠いから部屋に行くと帰ったけれど、私はラウンジの椅子に植わって紅茶を飲みながら、携帯のゲームをしたりしていた。そろそろ部屋に帰ろうかとエレベーターに乗ったけど、このホテルには4階から階段を登ったら、5階に360度見渡せる展望階があるので、食後の運動も兼ねて行ってみることにした。階段を上って、窓から見たら大阪の景色が見渡せてすごくきれい。私と同年代ぐらいのご夫婦がいて、あそこが関空ですよ。こっちに、あべのハルカスがありますよ。と教えてくれた。実際に見たら、もっと空は真っ黒で、明かりは鮮明だったのに、あまりきれいに撮れていなくて残念。でも家に帰ってきてから見たら、その日は関空の近くで花火大会があったので、上の写真の一番左が明るいのは花火なのかなと思ったし、下の写真には一つだけ高いあべのハルカスや、近くにPLの塔が見えて嬉しくなった。廊下は、ぐるっと一周できて本当に360度の展望台。大阪平野は海までまっすぐで広いけれど、反対側は和泉山脈で、山が迫っていた。部屋へ行ったら、ダンナはもう寝ていたので、一人でお風呂に行った。雨が止んだので、露天風呂にも入ったら、先に入ってた人は、食事の時隣に座っていた4人組の女性の一人だった。元同僚のグループですか?と聞いたら、看護師だったそう。4人で同じお部屋で楽しそうだ。私も、以前は、みんなで同じ部屋で泊まって一晩中話したりしたんだけどなあ。今は、畳のお布団で寝られないし、リビングみたいに椅子が無いと座れないので、大部屋で泊まれないのがすごく残念。髪を乾かしてから、マッサージ機に座った。足首から先や手の指などは、反対に痛すぎるので、マッサージチェアから出した。私は、いつもマッサージチェアで寝ているけれど、さざなみという弱いマッサージで、腰から首までゆっくり行ったり来たりするように設定している。エアーも、足先や股関節、肩はせず、ふくらはぎだけという自分だけのメニュー。「あんま王」はいろいろして試してみたけれど、設定を変えるのがよくわからなかった。でも、ゆらゆら揺れるのは気持ちが良かった。部屋に戻ったのは、12時前。ベッドで横になったけれど、右肩と右の股関節が下になると痛いし、腰も悪いので、左向きにくの字になって、足の間にクッションを挟んでと、いつもそんな寝方。朝、楽に起きられるといいんだけれど。いつもベッドで寝ると、腰が痛い。肩も股関節も手術を勧められているけれど、こんな調子じゃ手術後ベッドで横になったまま起きれなくなるんじゃないかとそれが一番心配。
2026.06.15
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6月7日は、私の誕生日。そして翌日8日は、ダンナの誕生日。ダンナが、蟹が大好きな人なので、かに道楽へ食べに行くことが多いんだけど、Youtubeで、大阪で蟹を食べられるホテルがあるのを知った。私はベッドで寝ると、翌朝腰が痛いのが悩みの種で、家ではマッサージチェアに寝ているけれど、Youtubeを見ると、お風呂の横に無料のマッサージチェアもある。それで、6月7日と8日、一泊二日で「亀の井ホテル 富田林」に泊まることにした。1万円代で泊まれるオールインクルーシブのホテルと言ってたけれど、食事内容を見たら、その値段では、蟹はあってもダンナの好きな蟹酢が無い。それで、「極み会席」料理長渾身のカニづくし料理というプランにした。いろんなサイトで値段を比べてみたら、yahooトラベルが一番お得。60900円のところ、カード決済するとPayPayポイント10%分を挽いて54810円。オールインクルーシブで、チェックインの前に、ランチも食べられるらしいので、7日の日曜日は、11時すぎに家を出発した。ナビを設定すると、家からは1時間15分くらい。途中までは、リハビリの病院へ行く慣れた道だったけれど、途中からは変な山道に。「亀の井ホテル」の表示はどこにもなくて、心配だったけれど、山の上のホテルに無事到着。チェックインは3時だけれど、ロビーラウンジで、ランチが食べられるそうなので、館内案内の紙をもらってそちらへ。ランチと言っても、薄いシラスピザ、バターロールパンにスクランブルエッグとウインナーを挟んだ2種類のホットドック、海老ピラフは冷凍食品を温めたような感じで、味は今一つだったけれど、お昼を食べてなかったので、カフェオレと一緒にいただいた。案内を見ながらWi-Fiを設定して、カラオケ室があるようなので、2時から3時まで予約した。カラオケは久しぶり。ダンナも「久しぶりに歌えるかなあ」とか言いながらも、点数が出るので楽しんだ。3時になったのでチェックイン。部屋は3階のこんなお部屋。以前はかんぽの宿で、いろいろなところをリフォームして、ちょっと古い感じ。窓からの景色は、木がいっぱい。雨であまり良く見えなかった。食事の時間を6時に予約していたので、少し時間があった。ダンナが先に、お風呂に行った。私は4時半ごろに、お風呂のそばにあったこのマッサージ機に先に座った。「あんま王」というこのマッサージチェア、フォルムからすると最新タイプかな?足の先から手の先までマッサージできるし、ゆりかごみたいにゆらゆら揺れる。揺れるのは気持ちいいけれど、おまかせタイプだと、揉むのも叩くのもちょっと強かった。マッサージチェアでいる時、ダンナがお風呂から出てきた。「最悪や」と怒っている。お風呂のお湯がぬるすぎたらしい。私もお風呂に入った。女風呂は、そんなにぬるくなかった。でも、外は雨が激しく、露天風呂には入れなかった。でも雨の中を入っている人も二人いた。男風呂は、露天風呂に入った人が多かったのかな?6時から、夕飯は大広間のテーブル席で。お料理は運ばれてくるけれど、飲み物はセルフで。生ビールサーバーで、アサヒスーパードライを入れて、二人で乾杯。「夏の極み会席」で運ばれてきたお料理は、先付 ずわい蟹 半身 (左)この時期だから冷凍だろうけれど、紅ズワイガニじゃなくずわい蟹。でも、この頃の私は、指に力が無くて、料理ばさみで蟹を切れない。ダンナに足をあげて、かにのお刺身をもらうことにした。甲羅の中には、身がぎっしり詰まって、味噌もたっぷり。久しぶりに美味しい蟹を食べた。造里 つくり五種盛り(かに、中とろ、いさぎ、由良のうに、ひげ長海老 (右)蟹のお刺身がねっとり甘くて、すごく美味しい。冷凍なのかな? それとも生け簀で生きていた蟹かなあ。焼物 かにと黒毛和牛の網焼き (右)焼きガニも美味。黒毛和牛は1cm以上の厚さなのに、すごく柔らかくてジューシー。たまねぎやキノコは美味しかったけれど、青唐は火が消えても硬かった。冷菜 かにと鱧 おくらすり流し (左)かにと鱧の優しい味。 薄味ですーと飲むように味わった。ダンナが蟹が美味しいからと、足2本をきれいに身にしてくれた。(左下)敦賀で蟹を食べて育ったダンナは、蟹を身にするのがすごく上手い。かにの足の太い部分(棒)の両端をはさみで切って、先の細い部分(南蛮)で押すと、きれいに身が出てくる。温物 ふかひれの蟹あんかけ (右)だんだんお腹がいっぱいになってきて、印象が薄い。ここで、私は2杯目のビール。横の席の人たちが飲んでいるお酒も美味しそうなので、千利休(堺)山田錦(兵庫)の日本酒をおちょこ1杯ずつ。どちらも飲みやすかったけれど、千利休と言うお酒の方が私は好み。油物 かにコロッケ クラブビスクソース (左)ソースも濃厚で、つけて食べると美味しかった。食事 かに握り 軍艦 かに味噌 昆布麵 かに握りも、かに味噌の軍艦もとっても美味しいのに、お腹がいっぱい。1個ずつ食べて、ご飯を残して、かに刺しとかに味噌をお酒のあてにして食べた。ダンナも残していたので、ダンナの分も軍艦のかに味噌をもらった。デザート パパイヤ シャインマスカット 本わらび餅 ベリーお腹がいっぱいなのに、何故かデザートが食べられるのが不思議。ここでお腹がいっぱいになって、食事を終わった。6時から食事を始めて、終わったのは8時前。今書いていて、それほど量が多かったわけでもないのに、どうしてこんなにお腹がいっぱいになったのか不思議。ダンナは結局ビール一杯。せっかくのオールインクルーシブなのに値打ちを取らないなあ。食事会場には、3種類の食事があった。私たちの左隣のグループは、私たちと同じお料理で、卒寿のおじいさんを囲んでのご家族。みんなすごくお酒を飲んでいた。右側は、私と同世代の女性4人のグループ。お料理がちょっと違ったけれど、可愛い小鉢が多くて見た目が華やかだった。「土地の恵み会席」というらしい。蟹は少ないけれど、次に来るときはこれにしようと思った。お部屋に戻って、いったん休憩。
2026.06.11
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去年の年末に、「自分の年齢を忘れてしまっていたこと」というブログを書いた。ネイルをしてもらっている時、ネイリストさんに出身を聞いたら、私が以前勤めていた学校だった。「体育館に、銅板の校歌あったでしょう?あれ、私の字」と言ったら、「いつ頃ですか?」と聞かれ、よく考えたら40年以上前の話。そんなに経っていると思わなかったので、自分でも驚いた。私が30才くらいの時に、5人で担任した6年生。みんな若くて意欲満々で、何か行事があると目標を持って団結し、終わったらみんなで打ち上げして慰労しあった。卒業制作も大作で、担任も日曜ごとに集まって作業した。でも、5人のうちの一人は、翌年勤務中にくも膜下出血で亡くなり、一番年長だった先生も、数年後がんで亡くなった。長年忘れていたことなのに、それからその銅板の校歌のことが気になって仕方なかった。懐かしい人たちのことを思い出して、運動会にでも行って写真を撮ってこようかと考えていた。先日、習字の講座の時、運動会の話が出て、勤めていた学校の校歌を書いたのを写真に撮ってきたいと話していたら、先生が、知っている人にS小学校の保護者がいて、学校の役員でよく学校にも行くらしいと言う。「今日、その人と会うよ」というので、写真を撮ってきてと頼んで欲しいとお願いした。さっき、LINEで送られてきた。昭和60年だから、今から42年前かな?卒業制作は、野外に設置していたら朽ちていくものが多いし、古くなると廃棄されるものも多い。よく長年軽掲示しておいてくれたものだ。その時、確かにそこに私たちが存在していたという証があると思うと感慨深い。
2026.06.09
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先週の金曜日、29日は退職仲間との食事会。同時期に退職した仲間との食事会は、以前は毎月だったけれど、コロナ後は3か月に1回ぐらい。場所はいつもピソラ。大阪で生まれたピソラは、東京にも進出して、先日はテレビでも紹介されていた。東京では食べ放題が人気があるようだけど、私たちはいつもセレクトランチ。サラダにスープ、ドリンクバーに、メイン(パスタかドリアかピザ)を付けて、約1600円。メインを4人でシェアしている。塾を一緒にしていたTさんのお母さんは、103才。足腰が丈夫で元気だけれど、やっぱりほっとけない。一人っ子なので、いつもお母さんのところに泊まりに行っている。100才過ぎて、デイサービスに行きだして、その間に参加している。Tさんは、お母さんと毎朝、6時25分からNHKEテレのラジオ体操をしていると言っていた。Kさんもしていると言ってて、朝から気持ちがいいと言っていたので、私もすることにした。土曜日から今日まで5日間、続いている。肩関節の動きにくい角度など、気づくことが多くてこれは続けたいなあと思っている。 翌日の土曜日30日は、泉の幸と言うところで、私が最初に勤めた職場の食事会。釜めし付きのミニ会席とデザートで3500円。コロナ後、2024年に再開して、毎年5月の最終土曜日に集まっている。1年に一回だけれど、11名全員参加で、最年長は96才のN先生。体重が32キロしかないそうだけれど、耳もよく聞こえて、とっても元気。他市に転勤した私が、この会に参加しだしたのは2014年から。懐かしい人たちとみんなの近況報告なども聞いて、いつも楽しく過ごせている。よく誘ってくれたなあと、とってもありがたく思っている。そして、今日プールのダイビング仲間のKさんと行ったのはクウクウと言うお店。同い年の、6月4日はKさんの誕生日。6月7日が私の誕生日なので、ここ数年、この時期に二人でクウクウに行って、お互いの誕生日のお祝いをする。ポタージュスープ(左上)、前菜の盛り合わせ(右上)海老とホタテ、お魚のグリル(左下)、デザート盛り合わせ(右下)これで3600円。去年から値上がりしてないような・・・お得だわあ。ほぼ一年ぶりだけど、以前は習字の終わった後毎回行ってたので顔なじみ。デザートにろうそくとHappyBirthday とハートのプレートを付けてくれた。小さい声で、お互いハッピーバースでツーユーと歌ってろうそくを消した。いくつになってもこういうのは嬉しいねと言いながら帰って来た。
2026.06.05
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右肩の腱の断裂で、人工関節が必要と言われた病院の結果を書いてから3か月。免許の更新があるからと手術を断ったけれど、思っても無かったことを言われたからか、その後からちょっと血圧が高くなっている。腕は上げられるし、痛みはあまりないというものの、習字で大きな文字を書いていると肩がクキッ、クキッと言っているし、やっぱりじんわりといつも肩の痛みはあるし。腱が3本切れていて、一本でかろうじて持っているなんて言われると、気になって仕方がない。今まで重いものも頑張って持っていたけれど、危ない危ないと思ってしまって、お米やお水、重い野菜や調味料などは生協に家に届けてもらい、箸より重いものを持たないような、自分の身体に過保護な生活をしている。先月は、いつもリハビリをしているYクリニックと、肩関節の紹介状を書いてくれたR医療センターと、20年前から足首をずっと見てくれている奈良のH病院と3か所の診察があった。紹介状を書いてくれた病院に相談する時間もないまま、人工関節の手術を勧めるのもおかしいなあと思いながら過ごした3か月だった。4月6日に診察のあった、YクリニックのY先生は、「そんなん、せんでええよ」ときっぱり。Y先生は、手術を勧めたI先生のこともよく知っていて、「あの先生、手術は上手いけど、強引やからなあ」と言う。「腱が切れてたのはわかってたよ」と言って、以前のMRIの画像を見せてくれて、カルテに書いてるって言ってたけど、聞いてないよ。4月10日には、奈良の生駒のH病院のK先生も、「肩の人工関節はやめとき、やめとき。プールでクロールできてるんやったら、手術はせえへん方がいい」ときっぱり。肩の人工関節は、リハビリが大変で、ちゃんと動けるようになるまでに時間がかかるそうだ。20年前から私の足首を診てくれている先生なので、私が今は、プール以外の運動をあまりしないことも知っている。手術した後、地道なリハビリができないと思ったのかも。紹介状を書いてくれたR医療センターのS先生の診察があったのは、4月22日。「有名な先生なので、診断は確かなんだと思いますよ。僕は、手術をしてもいいと思うんですけどねえ」と言うので、「人工関節は最後の手段だと思うので、ものすごく痛くなって腕が上がらなくなったらしてもらおうと思っています」と答えた。Youtubeなどを観ると、肩の腱が断裂した場合、直後は激しい痛みがあって動かせないけれど、5か月ぐらいしたら痛みが嘘のように無くなって、しばらくすると腕が上がったりできるようになることが多いそうだ。(今の私がこの状態なのかも。)でも、何年かすると、突然肩がちぎれたように何もできなくなってしまう場合があるらしい。そんな風になったら、私も手術を考えないといけないだろう。ただ、私の今の一番の悩みは腰痛。ゴールデンウイークの一日、2階のベッドで寝てみたら、朝から腰が痛くてトイレに行くのも一苦労、階段を降りて来るもの横を向いて手すりを持ってそろりそろり。朝からお風呂に入って、マッサージチェアでほぐしてやっと復活。でも、朝からこんな日は、何をする気にもなれず、ソファでゴロゴロ、Netflix で「地獄に落ちるわよ」を観て過ごした。というわけで、やっぱりマッサージチェアで寝る毎日。今のところそれほど痛みはないけれど、股関節も末期状態と言われているし、どこか手術のために入院したら、手術の後ベッドから起き上がれなくなってしまうんじゃないかと、それが心配。ダイビングで腕が上がらなかったのは左肩だし、MRIは撮ってないけれど、多分左肩の腱も切れているんじゃないかと思う。習字で大きな筆で描くときは肩が音が鳴るけれど、小筆で描くと手首の音が鳴って、痛くなってくる。手の指の関節の変形はますますひどくなってきて、最近は洋服の前のボタンも簡単に留められないし、ペットボトルの蓋だけじゃなく、お豆腐のフィルムを開けたり、飴の小さな袋を破ったり、今まで簡単にできてたことにすごく時間がかかってる。できないときは、包丁を使って、はさみを使って、きれいじゃないけど仕方がない。何をするにも時間がかかって、丁寧にできないけれど、もう開き直って、まあいいじゃない。と思うことにした。
2026.05.17
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5月10日の日曜日、エルちゃんのバレエの発表会があった。演目は「ティンカー・ベル 全3幕 ~ピーターパンとの出会い~」ティンカー・ベル(左上)は同じバレエスクールに通っている中学生の女の子。エルちゃんの役は、右上のピクシーダストと、ロストキッズ(下)ピーターパンのお話って、知ってるようであまり覚えていない。<簡単にあらすじ・パンフレットから抜粋>おとぎの国ネバーランドで、ティンカー・ベルが生まれた。仲間たちと楽しく過ごしていたけれど、陽性の言葉を信じてくれるピーターパンと出会い、ピクシーダスト(魔法の粉)をまとって、一緒に冒険の旅に出る。着いたのはロンドンのダーリング家。優しい長女のウエンディーを見て、ピーターはネバーランドにいるロストキッズたちのお母さんになって欲しいと思った。それで、ウエンディーと二人の弟を連れて、ネバーランドに行くことに。ティンカー・ベルが3人にピクシーダストを振りかけて、5人は空を飛んでネバーランドへ。ネバーランドには、人魚やインディアン、キャプテン・フックが率いる海賊たちがいた。ネバーランドでは、人魚が歌い、ロストキッズたちはインディアンの子どもたちと遊び、仲良く暮らしていたけれど、インディアンの酋長の娘が、海賊たちに拉致されてしまった。キャプテン・フックの左手は、以前ピーターパンと闘ったときに、切り落とされワニに食べられてしまったので、ピーターパンに対する復讐心に燃えていた。でも、みんなで協力して助け合い、酋長の娘を助け、ワニの助けも借りてキャプテン・フックを追い詰めて勝利した。ウエンディーの弟たちがホームシックになり、ウエンディーもロストキッズたちに家族の温かさを知ってもらいたいと、みんなでロンドンへ帰ることに。ティンカーベルは、ピクシーダストをみんなにふりかけ、みんなでロンドンに帰ることに。ピーターパンとティンカーベルは、無事送り届け、ダーリング家では、お父さんもお母さんも、ロストキッズたちを温かく迎えてくれた。去年の11月に、エルちゃんは、フェスティバルホールで、森下洋子主演の「くるみ割り人形」に出演したけれど、エルちゃんたちが行ってるバレエスクールは松山バレエ団の傘下で、他のバレエスクールから、ピーターパンやフック船長、酋長などの大人の男性も、たくさん応援出演している。舞台装置も大掛かりで、本格的で見ごたえがある。人魚になった人がきれいなソプラノで歌っていたけれど、教室の卒業生でプロのオペラ歌手だそうだ。エルちゃんもいろんな場面で出演して、頑張っていた。ピクシーダストの場面では、今回初めてトウシューズを履いて踊っていたし、ロストキッズの場面では動きの激しいモダンバレエのような踊りもあって、すごく成長を感じた。ちなみにバレエスクールの公演は1年半ごとで、エルちゃんが習いだしてから、白鳥の湖、シンデレラ、シルフィードに続いて、今回で4回目。こういう本格的なバレエを観られる機会があるのは嬉しいなあと思う。
2026.05.12
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宮古島の旅行記録を長い間引っ張ってきて、どんどん忘れていってるけど、今日で終わりにせねば。3月13日金曜日は、前日の夜から急に気温も低くなって、大阪に帰るために長袖を着てちょうど良かった。BS、NHKで「どんど晴れ」を7時半に観終わってから朝食に。またまた、お茶漬けの具を何種類も入れた、出汁茶漬け。その奥がジーマミー豆腐。お皿の中には、人参シリシリも取っているなあ。多分この後、コーヒーとパン、フルーツも食べていると思う。チェックアウトは11時だったけど、その前に、ホテルの横のクロスポイントマーケットへおみやげを買いに行った。宮古島サイダーキャンディーや雪塩ちんすこうの小さいおみやげもいろいろ買ったけど、大きさに合わせて袋を全部の数だけ入れてくれて、ここの店員さんの対応もとても親切。荷物をパックして、10時過ぎに出発した。レンタカーを返すために、ニッポンレンタカーに一番近いJAのガソリンスタンドにナビをセットした。途中でドラッグストアもりがあったら寄りたいと思ったけど、この日もナビで通り道にはなかった。JAのガソリンスタンドの場所がわかって、そこから港の方や市街地をちょっとドライブ。JAのガソリンスタンドの横に、あたらす市場というところがあったので、ちょっと寄ってみた。黄色い島人参が珍しい。それと、サトウキビがあったので、孫に見せてあげたいなあと購入。ダンナも、何か買ったんだけど、思い出せない。それからガソリンを入れに行ったら、何とリッター211円。え~、知らない間にガソリンこんなに高くなっているの?とびっくりした。ガソリン満タンにして、レンタカーを返し、ニッポンレンタカーの車で宮古島空港まで送ってもらった。お昼はA&Wというハンバーガー店で。ハンバーガー2つとポテト1つ、私の前にある大きなジョッキは、ルートビアフロート。久しぶりにルートビアを飲んで、ああ昔食べたコーラ味のキャンディーの味だと思った。確か、ダイビングで沖縄へ行った始めの頃も、ルートビアを飲んで、後悔したことを思い出した。こんなに大量に入れてくれるのに、ルートビアはおかわり自由。ダンナがお店でいる間に、私は空港内を回って、おみやげの補充。それから搭乗口ゲートへ行ったら長い列。保安検査場で、私は一つのトレーにリュック、もう一つに杖とお水とモバイルバッテリーを置いて、ボディースキャナーに入った。案の定音が鳴って、膝と足首に金属が入っていると言って、係の女性が点検。荷物のところに戻ると、リュックと杖はあるのに、モバイルバッテリーがない。係員が探してくれたけど見つからず。そうこうしている間に、搭乗時間が近づいてきたので諦めた。誰かが間違って持って行ってしまったのかなあ。もしかしたら、モバイルバッテリーは、カバンから出さなくても良かったのかな?飛行機は約2時間半。無事、関空について、置いていた車に乗って帰って来た。駐車場は、娘のKIXカードを借りていってて、そのポイントを使ったので、5日も停めたけどとっても安かった。とっても楽しい宮古島旅行だったけれど、やっぱり海に入れる時期じゃなかったのが残念。ダイビングはもうできないけれど、シュノーケルはできそう。それと、木曜日が休園日で今回行けなかった「うえのドイル文化村」にも行きたかったな。シギラリゾートはとっても良くて、ラグジュアリーからカジュアルまで、いろんなホテルがある。空港からの無料送迎バスがあるし、リゾート内にはレンタカーのお店もあるので、出かける時だけレンタカーを借りたら、費用がかからず旅行ができそうだ。と、帰って来たばかりなのに、また行きたくなっている。
2026.04.11
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南風(ばいかじ)屋台村のライブが終わったら、食器をダンナに片付けてもらって、駐車場へ。そこから車で、またファンキー・フラミンゴへ。また1000円の飲み物付きの入場割引券を持って行って、ダンナはオレンジジュース、私はモヒートを頼んだ。モヒートは、お酒をソーダで割ってミントの葉とライムが入っていて、美味しかったけどすごく薄かった。すぐに、「MIYAKOJIMA グラフィティーズ」の2回目のライブが始まった。ジーンさんも、ヒヨコさんも、昨日とは違う衣装で、歌も全然違った。昨日よりお客さんが多くて、前の横の方の席には常連さんらしい女性のグループがいて、ずっと一緒に歌を歌い、立ち上がって踊っていた。昨日のアメリカンなファッションの女性も、服を着替えていたけれど、すぐにわかった。この日は、聴いたことがある歌に合わせて、ツイストやゴーゴー、クロールみたいな踊りなどを交えて一緒に踊ったりした。途中で、結婚記念日の人がいて、みんなでお祝いをしたり、楽しく盛り上がった。この日のアンコールの曲は、オリオンビールの歌。みんな曲に合わせて踊って、すごく盛り上がっていた。面白い曲だなあと思って調べたら、これはBEGINの曲。終わったのが9時30分。そこからホテルに帰って、お風呂に入って気持ちよく寝た。ダンナの鼻水は泊まったけれど、用心してすぐに寝てた。
2026.04.10
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南風(ばいかじ)屋台村でのステージは7時30分から45分間。早めに行って座席を確保した方がいいですよとホテルの人に教えてもらったので、6時前に出かけることにした。シギラリゾートの中は、無料のシャトルバスが運行していて、お酒を飲んでもシャトルバスで帰ってこられるようになっているけれど、前日行ったファンキーフラミンゴの2回目のステージが8時45分からで、ダンナは今日も行きたいと言うので、車で行くことにした。もう舞台の上には、今日のステージの出演者の3人が音合わせなどをしていた。ステージ近くのテーブルはまだ人が少なく、後方のテーブルはBBQをしている人がたくさん座っていた。店の奥の方には屋台がたくさんあって、そこで買ってきてテーブルへ持ってくるフードコートのような仕組み。かなり前の方の席を確保して、屋台で欲しいものを選び、ダンナに買ってきてもらった。マグロと島モズクの南蛮漬け・島おでん・グルクンの唐揚げ・チャーハンを買って、私はビール、ダンナはウーロン茶。ゆっくり食べながら、ライブの始まるのを待っていると、どんどん人が増えてきた。とても見やすい場所を取っていて良かった。島おでんの中に大きなテビチ(豚足)が二つも入っていてびっくり。グルクンの唐揚げは、ダイビングで沖縄に来るといつも頼むけど、ダンナは初めて。ふわっとして食べやすくて、美味しいと喜んでいた。ライブが始まった。この日のステージは、下地ファミリー。真ん中でギターを弾くのは下地 暁(しもじ さとる)さん。宮古島のシンガーソングライターで、ラジオのパーソナリティーもしているらしい。宮古島の方言を大事にした歌を作っているそうだけど、素晴らしい歌声。ライブの様子がyoutubeにあった。左の写真が、娘さんの下地美波さん。サンシンを弾いて合の手を入れる。この方も、すごくいい声。途中で、「宮古島まもる君の歌」を歌ってくれた。このはお父さんが作ったと言っていた。帰ってきてから、この歌を検索したら、警察官が歌っているのが出てきた。「みんなで踊ってみよう。宮古島まもる君の歌」この夜は、風が強くて、ちょっと寒くなってきた。私の後ろに、煙突があって、BBQで使うのかなと思っていたら、なんとストーブで、ライブが始まるころに付けてくれた。ダンナがちょっと風邪気味で、心配になっていたけれど、暖かい場所で、気持ちよく過ごすことができた。こんな素敵なライブを、気持ちよく、無料で見られるって最高。
2026.04.08
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西平安名崎の次に向かったのは、シギラリフト・オーシャンスカイ。シギラリゾートの中の丘の上から、海に向かって伸びるペアリフトで、Youtubeで何度か見た。乗ってみたいと思っていたけれど、私は杖をついているし、飛び降りた時に転んだらどうしようと不安だった。丘の上のリフト乗り場でチケットを買おうとしたら、リゾート内に泊まっているんだったら、アプリに無料チケットのクーポンがありますよと教えてくれた。杖をついていても大丈夫というので、ちょっと不安な気持ちだったけれど乗ってみた。ゴルフ場やホテルなどのリゾートの向こうに海が見える。心地よい風を受けながらの、リフトからの眺めは素晴らしい。リフトは片道13分らしいけれど、ゆっくり進んでいった。もうすぐ下の乗り場に着くというときに、「今からリフトが止まります」というアナウンス。ちょうど私が着いた時に止まってくれて、「ゆっくり降りてくださいね」と言ってくれた。一度降りて、又リフトに乗ると、「今からリフトが動きます」というアナウンス。リフトが昇っていく時は、周りの草木がきれいに手入れされていて、それを見るのも楽しい。リフトから下りる時は、今度は腕を持って降ろしてくれた。下へ行く時と違って、転びそうな気がしないからかな?すごい配慮。リフトに乗ったのって、本当に久しぶり。シギラリゾートのサービスの徹底ぶりに、改めて感心した。ダンナが鼻水が出てきて、ちょっと風邪気味かな?昨日の、ドラッグストア・もりに行って、おみやげと薬を買おうと、前の日に行った来間島大橋にナビをセットしたけれど、前の日とは全く違う道を選んで、どこか全くわからない。ネットで住所を検索して行ったら、畑の真ん中の違う場所に行くし、訳が分からなくなってきた。そんな時に見つけたのが、イオンのマックスバリューのマーク。その横に、薬屋さんを見つけたので薬を買った。同じ敷地内に、日本最南端の吉野家の看板。もう2時過ぎで、お腹が空いているし、あまり歩きたくないので、吉野家で昼食。帰りもナビは全く昨日と違う道で、宮古島まもる君をいろんなところで見た。夕食は、沖縄民謡などが聴ける、南風(ばいかじ)屋台村へ行くことにしていたので、ホテルに帰ってからちょっと休憩した。
2026.04.05
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月曜日、ハングルの先生から、「大阪の桜情報は、4月1日前後らしい。3/30~4/3の間、お花見しませんか?」というLINEが来た。今ハングルの会員は、先生を含めて11人。生徒は、男性2人、若い女性4人、そして私たちの同年代4人。先生も同年代なので、今はやめてしまった一人を加えて6人で、仲良し女子会というLINEグループを作っている。私は、31日は孫のところへ行くし、4/2は習字とプール。4/3も午前と午後のプールがあるし、空いているのは4/1の午後だけ。午前中に病院があるので、12時からならOKと返事した。二人は予定があって駄目だけど、4人で桜ドライブをすることにした。先生が、岩出の初花にランチの予約をしてくれた。集合してから、桜の木の多いところを選んで、車を走らせた。あいにくのしとしとの雨模様なので、窓から眺めるだけだけど、泉佐野市の壇原公園、市役所横の桜並木は、どちらも3分咲き程度。泉南市の樫井川沿いの桜並木も5分咲きぐらい。アイピア前の桜並木も5分咲き程度。日曜日ぐらいに満開になりそう。そこから風吹峠を通って和歌山へ。山のあちこちに山桜が咲いてキレイ。岩出の根来寺も桜がいっぱい。初花はその向かい。初花の庭に咲いていた桜。8分咲きぐらいかな?下は、今日のランチ。いつもと違う花見用のランチで、2150円。上の左から時計回りに、煮物、魚の焼き物、天ぷら、下へ行ってお吸い物、南高梅とたくあん、手作り豆腐、山菜ごはん(おかわりして、梅ヒジキご飯も)ご飯がおかわりできるので、お腹いっぱい。天ぷらや手作り豆腐が美味しく、南高梅もとっても大きい。それで、いつも満席。予約してくれていて良かった。帰りは雄ノ山峠を通って。細いくねくねの道だけれど、車の数は少ない。この道の大阪に入ったところに、山中渓と言う桜で有名なところがある。山中渓駅の前に行くと、提灯も付けられていて、夜になったらライトアップするんだろう。お天気は残念だったけれど、いっぱい桜を見て楽しいドライブだった。
2026.04.02
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3月12日(木曜日)この日も、腰が痛くて4時半ごろ目が覚めた。外はまだ真っ暗。お風呂にお湯を入れて、ゆっくり浸かっている間に、痛みがほぐれていった。6時ごろになって、空が明るくなり始めた。ヒルトンでサンセットは見られなかったけれど、この部屋でサンライズが味わえるのは、ちょっと嬉しかった。7時半ごろから朝食に。種類が多くて、色々楽しめた。お茶漬けのお供がいろんな種類があって、だしをかけてだし茶漬けをしたのが、右手前のお茶碗。奥にあるのはジーマミー豆腐。ああ、もう何を取ったのか忘れてしまったけれど、美味しくてお腹いっぱいになった。今日は、宮古島の東の方に行くことにしていた。東平安名崎灯台にナビをセット。シギラリゾートの中を通って行くと、沢山のホテルやレストラン、ゴルフ場、レンタカーのお店もあった。リゾートの中を過ぎると、民家や畑、他のところでも見たけれど、お墓も多かった。宮古島のお墓は、特徴があって、2畳ぐらいの建物のようになったお墓。法事なのか、黒い服を着た人が数人集まっていた。海の近くの方に行くと、見晴らしがよくなった。宮古島トライアスロンの記念碑みたいなのもあった。ここが出発点になるのかな?駐車場があってキチンカーも何台か泊まっていた。横には、食事できるところもあるみたい。平安名崎灯台が見えて、そこまでは歩いて10分ぐらい。灯台の下に、説明が書かれた看板があった。(右下)~鳥の翼シルエット島に建つ灯台~ (そういえば宮古島って翼を広げた鳥の形だ)1967年に建った、高さ25mの灯台。上れるそうだけれど、行った時は、ちょうど時間外だった。灯台の左側は太平洋(上左)右側は、東シナ海。大阪からの距離は1473kmだった。ずいぶん遠くへ来たなあ。ちょっと眠くなってきたので、ここまで。ブログの書き出しが、遅すぎるなあと反省。もう過ぎちゃったけど、3月30日は、51回目の結婚記念日だった。前日の日曜日、桜がどのくらい咲いているか確かめてみようと、ドライブして、途中のレストランで昼食。まだほとんど咲いていなかった。その後、ダイエーで買い物して帰って来た。うちの家は、生協で毎週月曜日に宅配してもらっている.お米・お水・調味料など定期的に買うものは生協で。最近は、日曜日は5%割引があるので、ダイエー。野菜類が新鮮で安い、それとその都度食べたいもの。最近一緒に過ごすことが多く、結婚記念日だけれど、今日は別行動。それも楽し。あー眠い zzz
2026.03.31
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3月11日、午後3時ごろ シギラリゾートの中のホットクロスポイント・サンタモニカに着いた。宮古島の南の広大な敷地に広がるシギラリゾートの中には、いろいろなタイプのホテルがあり、いろいろなタイプのレストランもある。全体を見渡せるリフトもあって、黄金温泉と言う施設もある。去年の6月、宮古島へ行く予定を立てた時、サンタモニカがリーズナブルなのに、海が近くて景色がよく、ダンナが好きなオールディーズのライブを楽しめるレストランや黄金温泉がすぐ横で、私も歩いて行けそうなので、是非ここで泊まりたいと思っていた。娘が取ってくれていたのは、コーラルバルコニーのオーシャンビュー。部屋も広く、バルコニーの他に窓が二つ、眺めがとても良かった。庭には、プールとジャグジー、サウナもあった。でも、プールは温水じゃないので、後で黄金温泉に行くことにした。ライブが7時から始まるそうなので、6時半ごろ、ホテルから2.3分歩いたところにあるファンキー・フラミンゴへ。ホテルに、1000円で飲み物を一杯頼める、入場割引券が置いてあったので、2枚もらって行った。私はオリオンビール。ダンナはレモンサワー、そしてハリケーンポテトと、シュリンプカクテルも頼んだ。店内には、懐かしい歌手の写真がたくさん飾られていた。7時から「MIYAKOJIMA グラフィティーズ」のライブが始まった。「ダイアナ」や「かわいいベイビー」「オブラディオブラダ」など懐かしい曲が続く。男性ボーカルのジーンさんも女性ボーカルのヒヨコさんも、声量があって、いい声で、おしゃべりも楽しい。ジーンさんを見て、私は朝ドラの「カムカムエブリバディ」でオダギリジョーが演じていたジョーさんを思い出した。彼はボーカルじゃなくトランペットを吹いていたけれど、ジーンさんも背が高くてリーゼントでかっこいい。前に座って、水玉のフレアースカートをはいてウエストに赤いベルト、髪にリボンを付けた古い時代のアメリカンなファッションをした女性が、ずっと携帯でビデオを撮っていた。熱烈なファンなんだろうなあ。途中でボックスステップを一緒にしたり、アンコールはYMCA。一緒に身体を動かして楽しいひと時だった。終わってから横にある黄金温泉へ。私は、まず水着に着替えてジャングルプールへ。空を見ると、星がきれい。一つ一つの星が、大きく、明るい。オリオン座を見つけたので、あの明るい3つの星が冬の大三角かな?と星を見ていた時、小さく動く星があって、横にいたカップルが不思議そうにしていたので、「ピエンギエヨ(飛行機ですよ)」と言うと、「ハングクサラム?(韓国人?}」と聞くので、「イルボンサラミエヨ(日本人です)」と言うとびっくりしていた。ソウルから新婚旅行で日本に来たらしい。2月の終わりに結婚式を挙げたそうで、「チュッカハムニダ(おめでとうございます)」と言った。札幌へ行って、そこから宮古島に来たらしい。サッポロは雪がいっぱいだったらしい。アイスクリームと、ヤンコギ(羊の肉)が美味しかったと言うので、「ジンギスカン?」と聞く、「マジャマジャ(そうそう)」と喜んでいた。私も夫と旅行していて、51年目と言うとびっくりしていた。「ヘンボクハセヨ(お幸せに)」と言って別れた。ヒルトンでも、小さな子どもを連れた韓国人家族とちょっと話したけれど、こんな風に韓国から来た人と少し話せるととっても楽しくて、これからも韓国語の勉強を続けようと思ってくる。プールを出てから温泉の方へ行くと、いろいろな種類の温泉があった。露天風呂も種類がたくさん。ダンナと待ち合わせの時間に行くと、ダンナはプールへ行かずにサウナとお風呂に入っていたらしい。夜道をゆっくり歩いて帰ってくるのも気持ちがいい。帰ってきてから、ダンナはカップラーメンを食べていた。私は、オリオンビールを飲んで、気持ちよく眠った。
2026.03.29
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次に目指したのは、来間大橋。来間島(くりまじま)までは5分くらいと近い。行く前にチャットGPT(チャッピー)が、来間島の竜宮展望台のことを教えてくれたので、ナビにセット。(右上)が竜宮展望台。階段を上って、3階まで上ると、向こう側に来間大橋と海のきれいな景色が広がっている。(左上)晴れている日の宮古島の海は、いつ見てもきれい。ダイビングで、沖縄から慶良間へ何度か行って、深い藍色の慶良間ブルーがきれいなと思ったけれど、宮古ブルーはもう少し薄く優しいブルー。トルコブルーと、エメラルドグリーンが混じった感じ。慶良間に比べて、水深が浅く、サンゴの色が違うからだろうな。階段の下に、来間島憲法と書いた看板がかかっていた。島の住民は、庭にブーゲンビリアやハイビスカスの花を植えること。ゴミや雑草を放置しないで、美しく景観を保つこと、定期的に清掃をすることなど、きれいな島を作るための約束が書かれている。島に来た人も、ゴミを放置しないなど、約束を守らないといけない。来間島を一周してきたけれど、花がいっぱいで、本当にきれいな島だった。そこから次の宿泊先の、ホットクロスポイント・サンタモニカにナビをセット。道の途中で、何度も出会ったのが、宮古島まもる君(右下)信号のない四つ角に立っているのを見ると、思わず徐行してしまう。今Wikipediaで見たら、一体ずつ名前も付いているそうだ。この日、ホテルに行く前に、「ドラッグストアもり」と言うところに寄ったんだけど、来間大橋に行く前か後か思い出せない。ダンナは、夜食用のラーメンを、私はオリオンビールやハイボールなどを買った。お土産用のいろいろな種類の黒糖や、宮古島味のハイチューなどが安くなってて、また寄ろうと思っていたのに、結局どこにあるかわからず行けなかった。
2026.03.24
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3月11日(水)また腰が痛くて、5時ごろから起き始め、お風呂にお湯をためて浸かった。旅行が好きだけど、朝の腰の痛みが辛い。マッサージチェアが欲しいなあといつも思う。テレビを付けて、コーヒーを飲んだ。テレビを付けると、震災から15年。月日の経つのは早いなあ。ダンナが起きてきたので、朝食に。やっといいお天気になった。卵料理のところで、デミグラスソースのオムレツを頼んだつもりが、オムライスだった。エッグベネディクトを頼んだら、中にパンがはさまれていた。(右下)わあ、また食べ過ぎだ。でも、どれも美味しくて、残さず食べた。チェックアウトは、ラウンジでしてくれた。ゆっくり休憩してから出発した。折角いいお天気になったので、又伊良部大橋を渡って、下地島空港の方へ行くことにした。海の色がきれいな宮古ブルー。橋からの眺めも良くて、気持ちがいい。下地島空港の手前に、通り池の駐車場があった。10分ぐらい歩くと、真っ黒い池が二つ。通り池は、国の天然記念物に指定されている。二つの池の底は洞窟のように繋がっていて、海に近い方は、海ともつながっている。宮古島ダイビングでは、海から潜って、通り池の二つの池を回って来るコースもあるそうだ。上から見ると、真っ黒で神秘的で、こんな池の中に潜るのは、考えただけで怖いけど。下地島空港の滑走路に沿って車を走らせると、行き止まりでたくさんの車が止まっていた。そこから歩いて、滑走路の先端のところが17ENDと呼ばれるところ。飛行機の離着陸するところが間近で見られて、きれいな海と空に飛行機が映えて絶景なんだそう。でも、だいぶ歩かないといけないみたいなのであきらめた。伊良部島に戻って、島の周りを走ったら、周りは一面のサトウキビ畑。(左下)「ざわわ、ざわわ。ざわわ~ 広いサトウキビ畑は~♪」と車の中で歌ってた。ナビを入れたのは、おーばんまい食堂。漁港の中にあるお店へ。私が食べたのは、海鮮丼。お魚がプリプリで新鮮。海ぶどうものってるのが嬉しい。ダンナは、マグロの胡麻付け丼を食べていた。そこからナビを入れたのは、与那覇前浜。東急ホテルの前に広がる、宮古島で一番美しいと言われるビーチだ。駐車場がビーチのそばにあった。ダンナはどんどん歩いていくけれど、砂浜は私はちょっと歩きにくい。サラサラの砂で、ダンナは砂を持って帰りたいと言ってたけれど、持って帰ってどうするん?と聞くと、記念に置いとくと言う。絶対すぐに捨てると思うし、砂がこぼれてざらついたら嫌なので止めてもらった。夏に宮古島へ来たら、東急ホテルに泊まりたいな。次にここに見えてる橋、来間大橋にナビを設定して出発した。
2026.03.23
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3月10日(火曜日)、寝たのは遅かったのに、腰が痛くて5時前に目が覚めた。やっぱりベッドで寝ると、朝の調子が悪い。ストレッチをしたりしてようやく身体がほぐれたのが6時ごろ。ダンナは早く寝たのに、12時間ぐらい寝てる?7時半ごろ、1階の「アジュール」と言うレストランで朝食。手作りバター、上からシークワーサーバター、マンゴーバター、紅芋バター、雪塩バターの味見をしたくって、パンをチョイス。バーガーも美味しかった。この後、出来立てのクロワッサンも配りに来たので、それも。いろんなお料理があったのに、パンだけでお腹が膨らんでしまった。外は曇っているし、11時頃まで部屋でゴロゴロ。プレゼントのカードがあって、開けたら当たりの文字。フロントで何がもらえるのか聞いたら、2000円分のクーポン。QRコードで取り込んだけど、レストランで1万円以上食べないと使えないらしい。ラウンジを使えるし、そんな高い食事をするつもりはない。別の物の方がいいのにな。ハワイなどにある、ヒルトンホテルのタイムシェアの案内をされた。大阪で行われる説明会に参加すれば、15000円の食事券をくれるらしい。でも、それは今日から1週間以内だと言う。金曜日まで宮古島にいるし、帰ってから予定があるので来週の火曜日まで行ける日がない。まあ、ハワイのタイムシェアを買う気はないけど。11時過ぎに出発。お昼を食べて、今日は北の池間島大橋を渡る予定。お昼は、又ガイドブックに載っていた「たまご家おかん」へ。ナビに入れるとすぐに出てくるし、15分くらいで到着。人気店のようで、駐車場がいっぱいだったけれど、一カ所だけ空いていて停められた。ダンナは定番のふわふわ宮古オムそばめし。私は、日替わり定食。ヒレカツとじゅうしー。またカロリー高め。ダンナは、すごく美味しいと言っていた。そこからナビを池間島大橋に設定。途中で道が分かれていて、池間島大橋は右だったけれど、左に進む車が多かった。上が池間島大橋。前日の伊良部大橋に比べたら短いけれど、トルコブルーの海の色がきれいだった。橋を渡って、島を一周したけれど、木が茂っていて途中ビーチの案内もあったけれど、ほとんど何もなくまた橋を戻った。橋の付け根のところの西平安名崎方面に進むと、沢山の車が止まっていた。黄色いバスの泊まっているところは、HARRY’Sと言うガーリックシュリンプで有名なお店。お客さんの列ができていたけれど、前日のカクテルタイムには、海老の唐揚げがあったのでまた出るかもと、並ぶのはやめた。そばに西平安名崎の碑が立っていた。この先には、風力発電のプロペラがたくさん建っていた。地図とこの写真はお借りしました。ラウンジのティータイムに行ってなかったので、3時過ぎにホテルに戻って行ってみた。3㎝四方ぐらいの小さいケーキを3種類が新しく出されていた。サーターアンダーギーにボトルに入ったクッキーや袋入りのちんすこうなどのお菓子はリフレッシュタイムでもあるもの。いろいろなホテルのクラブラウンジに入っているけれど、これはちょっと残念。サンドイッチやケーキ、フルーツなどアフタヌーンティー並みのところが多いんだけどな。カクテルタイムまでの間、室内プールに入ることにした。20mぐらいのプールだけれど、小さな子どもを連れて入っている人が数人いて、泳げる雰囲気じゃない。温水だけれど、ぬるかった。お風呂もジャグジーもサウナも無く、シャワーだけ。ダンナはすぐに出てしまったけれど、私は30分ぐらいだけ歩いて出た。5時過ぎに、ラウンジへ行ったら満席で、後で部屋に電話しますという。連絡があったのは、5時半ごろ。窓際のところは満席で、又奥まった壁際。「混みだしたら、1時間ぐらいで出てもらいます」と言うので、「え~、今遅れて入れたところなのに、そんなこと言うの?」と嫌味を言ってしまった。私は普段あまり文句は言わないんだけど、入ってすぐそんなことを言われたのでエッツ?と思って、ちょっとカチンときた。唐揚げとフライドポテト、サーモンサラダに紅芋のサラダなど、飲み物はスパーリングワインと宮古ブルー。海老の料理が無かったので、ガーリックシュリンプを食べればよかったと後悔した。この後で、自分で前日の泡盛のトニックウォーター割をまねて作って飲んだ。となりに座った夫婦に、スタッフが、別のお皿にのった料理を運んでくる。ラウンジで別の料理を注文できるってどこにも書いてないのに、これもエッ?と思って不公平だなあと思った。私たちは、ラウンジと同じ7階のエグゼクティブルームに泊まってラウンジを利用しているけれど、その階に泊まっている人よりラウンジ利用者が多すぎる。ヒルトンのタイムシェアの会員でダイヤモンド会員はクラブラウンジが使えるようなので、それで多いのかな?隣の人は、上級会員なのかもしれない。でも、沢山の人がいてゆっくりできる雰囲気ではなかったので、1時間ぐらい過ごして7時前に部屋に戻った。ダンナは、携帯でNetflixにつないで、WBCの野球を観ていた。私は、Duolingoやゲームをして、また11時頃就寝。
2026.03.22
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伊良部大橋からは、目的地をヒルトンホテル宮古島に設定。ここも近くて、10分ほどで到着した。駐車場に車椅子マークがあったので、そこへ停めたら、近くにロビーのある2階へのエレベーターがあった。エレベーターを降りてから、玄関に回ったところで、ドアマンの方がスーツケースを預かってくれて、ロビーに案内してくれた。ロビーのソファーに座ってチェックイン。ダンナが携帯を車に忘れたと言って取りに行ったけど、なかなか帰ってこない。後で聞いたら、近くにあったエレベーターで1階に入りたところ、駐車場とは全く違って、ぐるぐる回ったらしい。部屋は7階。同じフロアにエグゼクティブラウンジがあったので、そこでコーヒーを飲んで、休憩してから部屋に入った。伊良部大橋が見える、とっても眺めのいい部屋だ。エグゼクティブラウンジの営業時間は、10:00~17:00/19:00~20:00 リフレッシュタイム14:00~16:00 ティータイム17:00~19:00 カクテルタイム普段は、7:00~10:00までが朝食タイムだけれど、今回は1階のダイニングレストランで、ビュッフェの朝食を食べてくださいということだった。ラウンジの朝食は、種類が少ないことが多いので、二日目はダイニングレストランを予約しようかと思っていたので、ちょうど良かった。ダンナと館内を探検して、ダンナが迷ったところなどを教えてもらった。結局駐車場に行けるのは、最初の外にあるエレベーターだけだった。17時になったので、ラウンジへ行ってカクテルタイム。窓際の眺めのいい席は埋まっていたので、壁際に座った。ヒルトンは、サンセットが有名だけれど、結局曇り空で、空は赤く染まらなかった。海老の唐揚げ、サラダ、ロールキャベツ、キッシュ、サーモンサラダ、ラタテュウユ、チーズ、ハムなどをおつまみに、赤ワインを頼んだ。(上)モヒートが作れるか聞いたら、ミントがないけれど、泡盛を使ってよく似たのを作ってみましょうと、作ってくれたのが、泡盛+スダチ+トニックウォーターで作ってくれたのが(下左)。これは爽やかで、とっても美味しかった。他の人が頼んでいた水色のカクテルがきれいだったので、それも頼んでみた。ジンで作ったフィズかな?美味しいけど甘かった。これは宮古ブルーと言うカクテルらしい。(下右)3杯飲んで、ほろ酔い気分。ダンナは、お腹を満たすものが、あまりなかったらしく、ロールキャベツとキッシュばかり食べていた。部屋に戻ると、まだ7時ごろなのに、ベッドに横になるとすぐに寝てしまった。私は、お風呂にお湯を入れて、ピッチャーを持って、ウォーターサーバーにお水を入れてきた。お部屋にミネラルウォーターを置いてないのが、ちょっと残念。Duolingoをして、お風呂に入って、私が寝たのはいつものように12時ごろだった。
2026.03.18
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3月9日月曜日、宮古島へは10時の飛行機だった。プライオリティーカードで、関空のぼてぢゅうで食事ができるとネットで見たので、朝食を食べずに出発して、8時前に関空に着いた。いつも混んでる関空の駐車場は、比較的空いていた。第1ターミナル2階でチェックインして、国内線出発エリアの中に入りぼてぢゅうへ。チケットと携帯のアプリに入れたプライオリティーカードのQRコードを見せたらエラー。楽天のプレミアムカード付帯のプライオリティーカードは、今年の1月で使えなくなったとのこと。私たち、夫婦で別々に楽天プレミアムカードを作っているのに、どんどん使えなくなってるし役立たずやわあ。国内線にはカードラウンジもないし、結局ぼてぢゅうで実費を払って食べた。私は明石焼き。この日の朝の大阪の気温は4度くらいだったけれど、宮古島の天気を見てみると、曇りで20度。飛行機の中で、上着とセーターを脱いで、Tシャツ1枚になった。宮古島へ着いたのは12時過ぎ。荷物を取って、空港の外へ出ると、しばらくしてニッポンレンタカーのワゴン車が迎えに来た。3分ぐらいで会社について、免許証など提示して、車を見せてもらった。ホンダのFitまたは同等クラスで予約していたけれど、トヨタのヤリスだった。姉の車もヤリスなので、安心した。お昼を食べようと、ガイドブックに載っていた「くになか食堂」にまずナビを設定。近くて、10分ぐらいで着いた。お客さんが多い。カウンターが空いていたので、そこに座って、1000円の、宮古そば(小)セットを頼んだ。宮古そばと、じゅうしー、魚と野菜のてんぷら2個。宮古そばは、蕎麦粉は使わず小麦粉で作られる太麺。じゅーしーは炊き込みご飯。魚のてんぷらがふわふわで美味しかった。天ぷらを1個80円で売っていて、天ぷらだけを買いに来ているお客さんがたくさんいた。ホテルに行く前に、伊良部大橋だけ渡ってこようと、下地島空港にナビをセット。写真を撮りたいので、ここからはダンナが運転した。伊良部大橋までも近かった。でも空が曇っていて、海の色は思い描いていた鮮やかな青色ではなくて灰色に曇ったトルコブルー。なかなかいい写真が撮れなかった。下地島空港のそばの17ENDと言うところが、映えスポットとガイドブックに書かれていたけれど、ちょっと場所がわからず行ったのは佐和田の浜。(下)潮が引いて、曇った空と海と、幻想的な雰囲気の浜だった。遠くに橋が見えるのが、どこの橋なのかなあと不思議だったけれど、AIに聞いてみると伊良部大橋。どうしてこの橋が見れるのか、どう考えても不思議。
2026.03.16
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3月9日の月曜日から13日までの4泊5日、ダンナと二人で宮古島に行ってきた。元々は、結婚50周年だしと、去年の6月に3泊4日で予定して、ホテルも予約していた。飛行機は、ムコのSちゃんがマイルで取ってくれていた。でも、兄の病気などもあって、ホテルはキャンセル。飛行機のチケットは、ずっと延期していた。今年の5月ごろに行きたいねと言っていたけれど、関空から宮古島までのANAの便がなくなると行くことで3月に。マイルで取れる日を選ぶと、4泊5日になった。肩の人工関節を勧めらて、断ったものの腱一本でかろうじて持っている状態と聞いて、いつ腕が動かなくなるかもわからない。股関節も末期だと言われているし、いつひどくなって、手術が必要になるかもわからない。そんな不安もあって、血圧も上がり気味。「暖かいところで、のんびり、ゆったり過ごして来たら?」と、娘がホテルとレンタカーを予約してくれた。ホテルは、ラウンジアクセスの付いた、ヒルトンのエグゼクティブツインに2泊。オーシャンビューの高い部屋だ。あと2泊は、6月に泊まる予定だった、シギラリゾートの中のホットクロスポイント・サンタモニカ。近くに行きたいお店があった。レンタカーはニッポンレンタカー。予算は、去年計画していたよりもずっとリッチな旅行だ。でも、いつ行けなくなるかわからない。行けるときに行っとかないと。明日から、ちゃんと旅行記録を書いていくことにしよう。
2026.03.16
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運転免許の高齢者講習のお知らせの封筒が来ていた。6月の免許更新までに、免許試験場か自動車教習所で高齢者講習を受けないといけない。70才以上75歳未満なので、高齢者講習の中で実車による指導もある。先日、肩の診察で、腱が3本切れていて、1本がかろうじて残っている状態で、人工関節手術が必要なんて言われたものだから、腕が動くうちに早く申し込まないとと、近くの自動車教習所へ電話した。私の住む市内の教習所は、一番早くて4月28日。今までの自分だったら、それまでのんびり構えていたんだろうけど、残りの1本がもし切れて、運転できなかったら困ると、市外の教習所にも電話してみた。2月25日に取れるところがあった申し込んだ。当日の持ち物は、免許証とお知らせの封筒と、ボールペンと、手数料7500円。お知らせの封筒には、手数料6600円と書いていたけれど、二つの教習所どちらも7500円だった。値上がりしたのかな?初めての教習所なので、前日下見して、駐車場の場所などを確認してきた。2月25日(火曜日)当日は雨。1時15分集合だったけれど、近くの駐車場が狭かったので余裕をもって20分ぐらい前に着いた。封筒の予約番号を確認して、2階で待っていて下さいと言われた。1時15分になって、部屋に案内された。受講生は5人。まず、免許証と封筒の予約番号で本人確認をし、受講申し込み書に、氏名、住所、生年月日などを記録し提出、免許書を預け、7500円支払った。この後すること(視野測定、動体視力、実車講習)などの説明を受けて、隣の部屋へ。視野角度は、メモリの付いた半円型の薄い鉄板の真ん中に顎を乗せ、中心の丸い球を見ていると、周りの鉄板が回転して、見えなくなったところで机を叩いて合図して、その角度を見る。初め、私は白い球を目で追ってやり直し。瞳を動かさないで、見えなくなったところで合図するんだった。検査結果を見たら、左右70度。両岸視野角度140度になっている。今ネットで運転免許更新時の適性検査で、視力基準が150度になっていた。机を手で叩くというアバウトな検査方法だからOKが出たのかもしれないけれど、次回は気を付けよう。次の動体視力の検査は、片目ずつレンズを見て遠くから近くへ寄ってくる「C」のような形が、上下左右どちらに隙間があるかわかったところで、ストップボタンを押していうという物。これはどちらも0.5。やや優れていると書かれていた。白内障の手術をしてから、視力は1.0ぐらい。眼鏡なしだし、見えている方かな?次は1階に降りて、実車指導。5人の中で、私は一番最後。みんなが運転している間、テレビで高齢者の運転で気を付けないといけないことなどが流れているビデオを観ていた。窓から運転しているのを見たら、小さな軽自動車だった。私の番が来た。ゆっくりシートベルトを締めて、アクセルとブレーキのペダルを確認。ゆっくり丁寧にを心掛けたけど、初めての自動車教習所でルートがわからな青信号があって「まっすぐ進むんですか?」と聞いたら、「信号でどうするか見てるんです。曲がる時は指示します」と言ったのでそのまま直進。右折したり、左折したりしながら、細い道に入っていって、段差のあるところへ。段の下でいったんストップ、そして乗り上げてすぐにストップ。そこからバックで戻るんだけど、いつも見慣れたバックモニターがない。サイドミラーを見ながら、恐る恐るバックして、細い隙間から出てきた。最後、バックで出発地点に戻る時、あまりにも恐る恐る進むからか、指導員の方が、「ブレーキを踏まないで」と言って、横からハンドルを持って入れてくれた。70才での実車指導は、点数が付かないけれど、75才からの高齢者研修では、運転能力で点数がつくそう。いつもバックモニターに頼っているけれど、モニターを見ずにバックできるように練習しておかなければ。最後に、高齢者講習の修了証明書と「いつまでも安全運転を続けるために」という教則本をもらい、運転免許証を返してもらって講習会は終了。誕生日の一か月ぐらい前に、免許更新のはがきが来たら、試験場か警察に予約して、視力検査などをして更新手続きをして、新しい免許をもらう。その時は、講習も何もないので、早く終わるんだそう。今年は、ダンナも免許更新の年で、ダンナは今月末に高齢者講習を受けることになっている。そっちは認知症テストもある。私たちは誕生日が一日違いなので、光明池の試験場で免許の更新をするときは、一緒の日にできそうだ。
2026.03.05
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23日の月曜日、ダイビングを一緒にしているKさんと、一緒にランチを食べた。月曜日はいつもはプールは休みだけれど、祝日で開いているので、終わってからプールへ行く予定で用意していた。ランチを食べた後、コーヒーは寿というおうちカフェへ行くことに。Kさんが、知り合いにシャンソンのコンサートをすると聞いていた。狭いお店だから、入れなかったらプールに行くことにした。行ってみたら、どうぞどうぞと言う雰囲気。離れた場所から見させてもらうことにした。シャンソンの教室の発表のようで、10人ぐらいの生徒さんたちが、順番に先生のピアノに合わせて歌っていく。聞き覚えのある懐かしい曲も多かった。左上の女性はフランス語で歌っていた。熟年女性けれど、ベレー帽をかぶり、パリジェンヌのような雰囲気だった。右上の男性は黒一点。90歳近いらしく、背中も曲がっておじいちゃんの感じだったけれど、歌声は若くて声量があってダンディーで素敵。もう習ってないけれど、コンサートだけ出てくれるのだそう。2巡して、最後にこの方が「愛の賛歌」を歌った後、先生が弾き語りで数曲歌ってお開き。この日はとっても暖かい日で、お店の中にはお雛様が飾られていて、春を感じたひと時だった。私たちの横に座ってた二人の女性は、まだ習い始めたばかりだという。一人が歌っている時に、もう一人の人がビデオを撮っていたけれお、その人が歌う時には戻ってこれなかったので、私がビデオを撮ってLINEで送ってあげた。一緒に習いましょうよ、と何度も声をかけてくれた。以前、音楽と私というブログを書いたことがあるけれど、中学生の頃、シャンソンの曲を何曲か覚えたことがある。帰ってきてから、Youtubeで何曲か聴くと、去年亡くなった兄が歌っていたのを思い出して、すごく懐かしくなった。シャンソンを習いたいなあと思うけれど、教室は家からかなり遠いので無理だろうな。ところで、この寿と言うお店。個人のお宅を喫茶店にしていて、とっても素敵な雰囲気で、今までも何度か来たことがある。右上(ステンドグラス)右中(パッチワーク)右下(鋳物)下左と下中の2枚の習字作品は、私が習っている習字講座の先生の作品。こんな風に、いろんな作品の展示会場になったりもする。午後0時から5時までしか開いていないけれど、秘密の隠れ家のようなお店だ。
2026.02.26
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昨年9月にダイビングに行くのに、ウェットスーツを着てみたらキチキチ過ぎて、自分一人では着れないので、体重5㎏減、ウエスト10㎝減を目標にダイエットを始めたのが7月。9月には目標を達成して、ダイビングに自分のウェットスーツで行くことができた。11月までは、インストラクターのパーソナルトレーニングも時々続けていて、間食やお酒の習慣もほとんどなくなっていて、結局体重は-7㎏。パーソナルトレーニングや、最初のダイエット食の費用に10万円ぐらいかかったので、ダイエット費用は、1kg痩せるのに1万5千円と言っていた。それが年末年始で、ちょっとお酒やお菓子を食べだして、でも、またちょっと気を付けると元に戻って、と言う感じだったけれど、1月に入ってから、いろいろ食べたり飲んだりする機会が多く、ちょっとずつリバウンドしてきている。始まりは、1月18日の、おもちゃの修理隊の新年会。このお料理で、飲み放題。おもちゃの修理隊に、一昨年から友だちが一人加入して高校の同級生4人。最初はビールで乾杯したけれど、彼女が飲んでいるワインが美味しいと言うので、途中から私も飲みだしたら、本当においしい。最後お店を任されていたのが、アルバイトのような若い男の子。飲み放題のタイムアウト直前に、デカンタに入れて持ってきてくれた。ダンナが迎えに来てくれて、友だちも送ってくれることになっていたので、気分良く酔わせてもらった。おもちゃの修理隊の後は、いつも同級生4人でランチしている。先日の、2月18日は、その4人に同窓会の幹事になった2人が加わって、男女6人で居酒屋で飲み会。写真を撮り忘れたけれど、おしゃべりも弾んで、よく食べて飲んだ。高校の友だちとのつながりも割と頻繁になるけれど、中学校の友だちとも最近は多い。演劇鑑賞会に入る人も増えたけれど、それ以外にグループLINEが広がっている。1月24日には、遊び場という持ち込み自由のカラオケルームを借りて、オードブルやおつまみ、お寿司にお酒なども持ち込んで新年会。写真をAIで加工して送ってくれた。中学校の繋がりが、始まったのが1023年の4月。当時は6人だったけれど、今はLINEメンバーも13人に増えている。これだけじゃなく、美味しいものを食べる機会も多くて、今1.5キロぐらい元に戻ってきている。でも、美味しくて楽しいのは幸せで、頑張れない。ダイエットって気合がいるなあといつも思う。美味しい料理の写真をアップしようと思ったけど、それはまた今度。
2026.02.22
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懐かしい二人が帰って来た。一昨日(2月16日)に観た演劇は、劇団NLTの「OGⅡ」2022年に観た「OG」のその後の二人。観劇の予定が発表されて、とても楽しみにしていた。<あらすじ>2016年、思いがけずネット上で動画がバズり、オールドガールズ「O.G.」として一躍スターになったスミ子とカズエ。キャバレーで38年間、鳴かず飛ばずで歌い続けてきた2人の夢は、ついに叶ったかに思えた。しかし、あれからの年月、運命はなおも2人を翻弄した。世の中は「O.G.」を忘れ、今やカズエは失踪? スミ子はひとり、熱海の地に流れついていた。もう、あとは老いていくだけの“消化試合”の人生なのか。あれほど身を焦がしてきた「歌」への想いは、もう遠くに行き去ったのか。そんな時、スミ子のスナック「ミラクル」に、不意にカズエが訪れた。突然の再会によって、運命の時計はふたたび回りはじめる・・・今回も、期待通りすごく楽しい舞台だった。まず幕前に出てきたのは、今回も松尾。前回は新宿歌舞伎町の、OG二人のキャバレー「ミラクル」のボーイだったけれど、その後二人のマネージャーをして、今は運転手。舞台の上の方には、熱海駅の映像があって、熱海の観光案内などをしながら、今回も会場を盛り上げていく。熱海でスナックを一人で経営するスミ子。でも、そのスナックには、OGが活躍していた頃の懐かしい衣装やトロフィーなど。そこへ、カゾエがやってくる。初めはぎこちない二人。でも、次第にyoutubeでバスった後の二人のことがわかってくる。Youtubeでバズったのは2016年。そこから二人はヒットを飛ばして紅白にも出た。でも、スミ子は認知症を患っていた夫の介護で忙しくなり、カズエはホテルを経営する若い男性と結婚し、ドバイへ行きコンビは解消してしまう。でもコロナがやってきて、ステイホームの時期が始まる。スミ子は夫の身体にいいだろうと熱海に引っ越したけれど、夫は施設に入って会えない間に認知症がひどくなり、コロナから肺炎になって亡くなってしまった。カズエの夫も、ホテル経営が上手くいかず、結婚相手が浮気して離婚。ひっそり日本に帰ってきて、スミ子の故郷の岡山に住んでいた。介護にコロナ、私たちの年齢には心に響くことばかりで、どんどん劇の中に引き込まれて行った。でも、二人とも寂しかった。一緒に歌いたいと思っていた。少しずつ、ハーモニーを合わせていって、心が一つになった。と思ったら、カズエが激しい頭痛で倒れる。脳に腫瘍があるらしい。救急車のサイレンと共に、幕が閉まった。再び松尾が出てきて、あれからカズエは手術して、スミ子の看病もあり元気に復活。そして、今日は熱海のホテルの〇周年記念のコンサート。幕が開くと、太ももまでスリットの入ったセクシーなドレスの華やかな二人。さっきまで、私たちと変わらないおばちゃんのようだったカズちゃんだったけど、足が細ーい。2人ともハイヒールがよく似合って足が長ーい。やっぱり二人で歌う歌は、圧巻。歌詞にはユーモアもあって、ちょっとほろりもさせる。シミもしわも、ほうれい線も気にせず頑張って、元気に生きていこうと思えた舞台だった。今、演劇鑑賞会の私たちのサークルは、10人。私とダンナ、元同僚が一人に、中学の同窓生が私以外に6人とその奥さん一人。終わってから、「感動で元気をもらえた」「70才で、あの歌唱力と動きは凄い」「今まで見た中で最高」「元マネーシャーさんも面白かった」とLINEが盛り上がった。演劇鑑賞会を通して、中学校の同窓生の輪が広がっていくのも嬉しい。
2026.02.18
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紹介状を書いてもらって、いろいろ体のことを見てもらってきた。1月19日の月曜日は、K病院のO先生に脊椎の診察を受けた。MRIは撮らなかったけれど、前後左右、床に寝て全身のレントゲン撮影などを受けた。左右どちらも床に膝をつくと痛いので、床に寝るのも起きるのも大変だった。診察結果は、私の脊椎は大きくS字型に曲がった脊椎側弯症。部分的に椎間板ヘルニアのところもあるけれど、手術するとしたらとても大きな手術になるということ。「以前にも、プレートを入れて5カ所ビスで止めなければならないと言われたことがある」と言うと、「それ、誰が言ったんですか?」と聞かれた。R医療センターのK先生。と言うと、「5カ所どころじゃないけれど、どうしてそこで診てもらわないんですか?」と言われた。「私は足首も悪くて、今は奈良の先生に診てもらっているけれど、いつまで車で行けるかわからないし、この病院には足関節の整形もあるから」と言うと、「それはダメです。全然方針も違うから。」と言う返事。ちょっと冷たいなあと思ったけど、「股関節やいろいろな関節が悪いけれど、リウマチの治療をしているO医療センターで、みんな診てもらった方がいいんじゃないですか?」とそれは、説得力のある助言だった。翌週の26日の月曜日は、リウマチのO医療センターへ。採血・採尿の後、久しぶりに、肺と両手、両足、両肘のレントゲン撮影。レントゲンの結果を見ながら診察。間質性肺炎の副作用が出やすい薬を飲んでいるけれど、肺は変化なし。全ての手指、右の手首と右の足指の変形や関節炎が少し進んでいたが、肘の方はそれほど変化はなかった。K病院で、手術などはここでしてもらったら?と言われたので、聞いてみたら、整形外科で股関節や足首、膝、手の手術はできるとのこと。ただ、肩の専門の先生はいないということだった。その後、アクテムラの点滴をしてから帰った。その二日後の水曜日、紹介状を持ってM市のI病院へ。始めてのところなので、ナビを入れて、時間に余裕があるので地道を通って行った。紹介状とCDを渡して、まず診察。レントゲンの肩の画像を見ながら、もう一度レントゲンとCTとMRIを撮ることになった。そして、再び診察。これは人工関節しかないという。腱が、ここも、ここも、ここも切れている。ずいぶん前に切れていたみたいだ。軟骨が無くなって、肩の骨とぶつかって骨頭もボコボコになっているのがわかった。もしかしたら腱を繋ぐ内視鏡の手術と言われるかなあぐらいにしか思っていなかったので、予想以上に重くてガーン。手術は1時間半ぐらい。1週間で、装具を付けて退院できる。手術の翌日から、肘から先は動かせるから食事もできるとすごく自信たっぷりだ。私がリハビリに通っているYクリニックの院長もよく知っていて、リハビリはそこでしたらいいと言う。今だったら、3月5日の手術が1枠空いているから、その日に手術して3月11日に退院できる。と、どんどん話が進んでいきそうなので、私は左の肩も調子が悪いし、股関節も手術を勧められているし、体中人工関節だらけになるし、と言うと、リウマチで変形性関節症の人はそういう人が多いという。手術が遅くなればなるほど回復も遅くなるそうだ。ちょっと今日決められないので、家族と相談したいというと、来週ご家族とまた来てくださいと2月4日に予約を入れてくれた。気持ちが落ち着かなくて、帰りも地道でゆっくりと。帰り道、ちょっとゆっくりできる知っているお店があったので、そこで遅めのランチ。ネットでその病院のことを調べてみた。肩の手術は年間1000件以上で、やはり府内一の技術のようだ。夜家族にLINEで知らせたけれど、不安が残った。以前凄く肩の痛かった時期がある。ブログを見たら2023年の4月。顔を洗うのも、ブラシで髪をとかすのも、歯ブラシを持つのも、右肩が痛すぎて、左手でしていたことがあった。その時に腱が切れたのかも。今まで五十肩などの時に、痛くてもクロールを泳いで治してきたので、その時もプールへ行く度にどれくらい泳げるか試していた。20m泳ぐのも痛かったけれど、少しずつ伸ばしていった。去年の3月、スポーツクラブを替わった時は、肩によくテーピングをしていた。今はそれほど肩は痛くなくて、200~300mは泳げる。右の肩甲骨の横辺りがいつも痛くて、寝る前はマッサージチェアでそこをゴリゴリしないと寝れないけれど、腕も上にあげられるし、回すこともできる。洗濯物を干すときなど長くは上げられないし、重い物の持ち運びも右手ではできないけれど、これで手術が必要なのかな?とも思う。紹介状を書いてくれたR医療センターのS先生もY先生も次の診察は4月で、その間に手術したら失礼だろうなとも思った。金曜日、家庭医のKクリニックに行って相談しようと診察を待っている時、手帳を見て今年の6月免許の切り替えがあることを思い出した。70才以上の高齢者講習で、実車講習を受けてくださいと連絡が来ていた。3月に手術をしたら、1か月ぐらい装具を付けて、その後リハビリ。自由に動かせるようになるまで半年ぐらいかかるそうだし、これは手術したらあかんやん。Kクリニックの先生も、痛みが我慢できるんだったら、すぐに手術しなくてもいいんじゃないですか?と言うので、免許の更新を理由に、延期することに決めた。プールで、肩の手術をした人に話を聞いたら、皆人工関節ではなく、切れた腱を縫合する内視鏡手術。それでも、術後数か月経っても腕が思うように上がらないらしい。肩の内視鏡手術はしても、人工関節手術をする病院は少ないみたいだ。断る理由ができて、ほっとしている自分がいる。でも、すごく手術の上手い先生のようなので、定期的に診察してもらえるように、希望を話してみようと思っている。
2026.02.02
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ブログのフリーページにも書いているけれど、私は体のいろいろな関節に不調がある。2006年に左足首の固定術をし、2007年に再手術をして歩けるようになった。入院中に、調子の悪かった膝や手指、腰なども診てもらい、全身性の変形性関節症と言われた。手や足の指に、先天性の中骨短縮症があったり、肘や膝にも先天的に形の異常がある。2015年頃、股関節の調子が悪く、右股関節が先天的な臼蓋形成不全と診断され、その頃楽しんでいた、フラダンスやズンバなどにドクターストップがかかった、固定術から10年以上経って、左右の足の長さが違うので、だんだん右膝がX脚になってきて、2019年に右膝の人工関節置換術をした。しかし、膝がまっすぐになると右足首が傾いてきて、左膝に負担がかかり、2021年に左膝の人工関節置換術をした。膝の手術をしていて、膝関節内の滑膜の状態がリウマチの症状に似ていると言われた。手指や肘の関節エコーやMRIなどの結果から、リウマチと診断され、2022年から、生物学的製剤(アクテムラ)の点滴治療を、毎月受けている。それで今通っているのは、O医療センター (月1)リウマチの診察と点滴Yクリニック (3か月に1回)診察 (週1)リハビリR医療センター (3か月に1回)レントゲンと診察 (膝・股関節)H病院 (6か月に1回) レントゲンと診察 (足首)Kクリニック (月2~4) 家庭医(風邪などの診察や整形のリハビリ)リウマチ科以外は、みな整形外科なので、同じ日に重ならないようにしている。いろんな病院でレントゲンを撮っているけれど、関節の変形が進んでいる。去年の秋ごろから、左の足の土踏まずのとことに、しこりのような違和感を覚えた。10月に奈良のH病院でレントゲンを撮ると、固定術をした足の扁平足が進み、アーチがつぶれ、中の骨が下がってきているということがわかった。家で対処する運動を教えてもらい、これからしばらくは様子を見ていくことに。7月にYクリニックで、股関節のレントゲンを撮って、末期状態と言われ、手術する病院を考えておいてと言われた。だけど、今のところ股関節はあまり痛みはないので、手術するつもりはない。それより今困っているのは腰痛。脊椎の5カ所の関節が崩れて、S字状態。足先は、常に痺れている。もし股関節を手術したら、腰痛がよりひどくなって、脊椎の手術が必要と言われるんじゃないだろうかと思っている。7年ぐらい前に、脊椎のMRIを撮って、レントゲンではS字になってヘルニアや狭窄があるように見えるけれど、脊椎を回転して診ると、脊柱管は詰まらずに通っている。今のところ手術の必要はないけれど、改善するにはプレートを入れて、5カ所ぐらいビスで止める手術になると言われた。その後腰痛はどんどんひどくなって、今の私はベッドで寝ると、すぐ起きて動けない。腰が少し曲がった状態で伸ばすことも曲げることもできない。2階のベッドで寝ていたけれど、トイレに行くのも、階段を降りてくるのも一苦労で、1年ほど前から1階の居間のマッサージチェアで寝ている。不思議なことに、マッサージチェアだと、少し痛いけれどトイレには行ける。15分のマッサージをすると、普通に動けて家事もできるし、元気に一日を始められる。ただ、旅行好きなのに、旅先ではちょっと困る。和室の布団では全く寝ることができないので、必ずベッド。他の人と一緒の時は、自分一人だけ早くから起きて、お風呂で温めて腰をほぐす。他の人と同じように行動するには1時間ぐらい余分に時間がかかる。それで先日、Yクリニックの診察の時、股関節ではなく脊椎の病院に紹介状を書いて欲しいとお願いした。K病院のO先生に紹介状を書いてくれた。脊椎では、とても有名な先生だ。まず今の脊椎の状態がどういう症状なのか知って、その上で股関節の手術が必要なのかどうか決めたいと思う。今月は、いろいろな病院の診察が重なっていて、先週水曜日には膝の手術をしたR医療センターで、股関節から下のレントゲンと、肩のレントゲンを撮った。以前から肩が痛くて、腕が上がらなかったりしたけれど、7月頃から右手を腰に当てることができなくなった。左腕は体の横で曲がるけれど、右腕は横ではなく後ろに曲がっている。習字を書いている時など、クキッ、クキッと音がする。そんなことを話していたので、今回レントゲンを撮ることになったけれど、右肩の鍵盤に腕の骨頭がくっついてしまっている。そして上の方が白くなって炎症を起こしているのがわかる。先生は、すぐに肩専門の整形外科で診てもらって欲しいという。私は車でどこでも行けるので、松原市のI先生は、肩関節で有名な先生なので、是非紹介させてくださいと言う。それで、今月末にその病院にも行くことになった。整形でも各分野のエキスパートの先生ばかりでありがたいんだけど、整形外科ばかり、こんなにいろいろな病院へ行っていいのかな?それと、MRIを撮りそうなので、ネイルを取ってもらったけれど、レントゲン写真の撮り過ぎで、身体に影響はないのかな?26日には、O医療センターでも、久しぶりに、肺や手指、腕、肘などのレントゲンを撮ることになっている。左右の手指は、曲がって変形し、亜脱臼も起こしているので、握力はすごく弱い。蓋や袋を開けられない、小さなボタンははめられない、針仕事はとても時間がかかる。右手首は、腕の二本の骨と舟状骨がぶつかって、ふとした拍子に痛みが走るので、サポーターやテーピングをしている。両肘も曲がって、駐車場で駐車券を取ったり入れたりするのが不便なので、必ずミラーを閉じて車をそばに寄せている。この間、車を運転していて、ダンナが車止めがあるというのに、全く見えなかった。シートベルトが、首にかかってじゃまだなあと思うことが多かったけれど、座高がすごく低くなっているんだと気が付いた。10㎝くらいの座布団を敷いたら、視界がぐんと広がった。2年前の車止めを超えてしまった事故も、多分これが影響していたんだろう。できないことがすごく増えていってるけれど、あまり悲観してはいない。着る服は、ボタンの無い服を選んで、プールへ行っても、腕の動きが悪いので水泳のレッスンには入らないけれど、アクアビクスや水中歩行、ダイビングレッスンは楽しんでいる。できないことは無理しない。ダンナに頼むことも多くなった。老後には、教育(今日行く)と教養(今日用)があることが大事だそうだ。今夜は、おもちゃの修理隊の新年会があるし、楽しんで来ようと思っている。
2026.01.18
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新しい年が始まった。娘たち家族は、年末から海外へ。三男坊が、「一週間ぐらい泊りたい」と言ったので、12月28日に迎えに行った。例年通り、家事アルバイトをしてくれた。おばあちゃんちの家事アルバイトは、時給2000円。28日の午後に、2階から1階のフローリングの掃除や、窓ふき、段ボールの整理、高い場所の拭き掃除など約2時間半。翌日には、2階の片づけを1時間してくれて、ご苦労さんと7000円。それ以外にも、29日には、実家の仏壇のお参りと、お墓参りを一緒にしてくれた。私は、階段の上り下りが大変だし、脚立に上れない、しゃがめない、手指の力が無いと不便な所が多くなってきたので、自分の苦手な作業を頼んで大助かり。もっといて助けてもらえるのかなあと思ったら、やっぱり帰ると夕ご飯を食べた後、電車で帰った。30日は、息子もヨメのTちゃんもお休みで、みんなと一緒に出掛けたかったのかな?そこからは、ダンナと二人で気楽な年末年始。上のような年賀状を作って、今年も新年のあいさつはLINEで。年賀状は来た人だけにお返事で、と言う風にしていたら、年々少なくなっている。と言うか、LINEで繋がった人もすごく多いけど。元旦は、ダンナとお屠蘇で乾杯して、おせちとお雑煮を食べて、夕食はすき焼き。食事以外は、別々の部屋で、テレビ三昧。毎年見ている「さんタク」で能登へ行ってるのを見て、私も行きたいなあと思った。あとは、格付けチェックと、タイムレスファミリア。Netflixで、タイムレスのオーディションを観てから、timeleszにちょっと(と言うかだいぶ)嵌っている。2日は、近くの神社に初詣。3日は、留守中の娘の家に何か異常はないか確認しに行って、桜珈琲でランチ。そして、4日の今日、やっと息子たち家族と一緒に食事。大学生になった次男と中3の三男にお年玉を渡した。社会人になった長男は、今年も従妹のエルちゃんとイー君にお年玉を用意してくれていた。彼は、1月29日が誕生日なので、誕生日プレゼントだけはあげようと思っている。とこんな気ままな年末年始。一週間プールへも行ってないし、ちょっと運動不足。明日から、月曜は病院とリハビリ、火曜はイー君の習い事の送り迎え、水曜日からはプール。と言う平常の生活に戻る。今年も、明るく楽しく元気よく、過ごそうと思っています。今年もよろしくお願いいたします。
2026.01.04
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先日、ネイルに行った時のこと、ネイリストは、今月から入った新人さんで、27才だという。「どこから来ているの?」と聞くと、「K市だけれど、実家はS町です」と私の住んでいる市の名前。「S小学校出身?」と聞くと「そうです」と言う。「私、昔勤めていたことがあるのよ。体育館に校歌の銅板あるでしょ。あれ、私の字」と言うと、「え~ほんとですか?いつ頃ですか?」と聞くので、「え~と」と言いながら、自分自身、びっくりしてしまった。40年ぐらい前。えらく昔の話なのに、自分の中では20年ぐらいしか経っていないような感覚だった。「あらあ、あなたが産まれるずっと前の話やねえ」と笑ったけど、自分の年齢を忘れている感覚に愕然とした。どんどん悪いところが増えて、不便の多い体になっていってるのに、70才を過ぎていることを忘れて、自分がまだまだ若い気がしている。でも、確実に衰えていってるので、いつまでこの感覚を保てるのかな?それで、先日、手帳を買ったついでに、同じ高橋の手帳から出されている5年間日記を買った。5年前にも買ったけど、毎日書いていたのは2年半ぐらい。その後はほとんど書けていない。右が毎年使っている高橋の手帳。左が日記。小さい日記帳で、毎日書く分量は少ないので、来年は、頑張って続けようと思う。昔のことを思い出すのに、ブログを見ることが多いので、ブログももっと書かなくては、と毎年だけど思っている。と言うことで、来年もよろしくお願いします。ところで、銅板の校歌のこと。6年生の卒業制作で、銅板で校歌のレリーフを作った。子どもたちのいない日曜日に、12cm四方ぐらいの四角い銅板に、習字で校歌を書いた。拭いたら、書き直しは何度もできるので気楽だったけれど、納得できるまで時間がかかった。文字以外のところを子どもたちが、釘で打ちながら凹凸をつけた。また日曜日に、薬品を使って凹凸のところを腐食させ、又、子どもたちが、磨いて文字を浮かび上がらせて、それを並べて、業者に2m×4mぐらいの枠を付けてもらって、体育館に飾ってもらった。同じ6年を担任していた5人のうち、二人は若くして亡くなった。忙しかったけれど、行事の後は5人でよく打ち上げをして、慰労しあったのが懐かしい。40年前のことなのに、いろいろ思い出せる。まだS小学校の体育館にあるだろうなあ。私たちが生活した証が残っている。来年の運動会の日でも、行って写真に撮ってこようかなあ。後、今年も1時間ちょっと。めったに書かないブログを、読んでくださってありがとうごさいます。よいお年を、お迎えください。
2025.12.31
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早いもので、一か月以上空いてしまった。いろんなことがあったので、項目だけでも。11月22日の土曜日には、高校の同窓会。3年ぶりの学年同窓会で、120人ぐらい集まった。私も幹事をしていた前回は、コロナ禍で食事は無く、茶話会と発表、報告の場だったけれど、今回は食事つき。1年、2年、3年のクラスに移動して、いろいろなゲームや発表など趣向を凝らしていた。私たちのクラスでは、同窓会初参加で、53年ぶりに会ったKさんがいた。だんなさんが亡くなって、一人暮らしだという。次の幹事を引き受けてくれたので、これからは、また会えそうだ。11月23日の日曜日は、大阪の本町で、エルちゃんのピアノのピティナ・ステップのテストがあった。5回目の参加で、連続表彰もしてもらった。12月4日の観劇は、劇団プークの「オッペルト象」人形劇ってあまり迫力がないかなと思ったら、大違い。プークは、NHKの三国志の人形劇もしていたそうだけど、大きな人形を黒子が抱えて、文楽の動きに通じるものがあるなあと思った。宮沢賢治の世界にも浸れて、満足だった。12月7日の土曜日は、中3の三男坊のドラムの発表会。UNISON SQUARE GARDENの「パンデミックサドンデス」と言う難しい曲を演奏していた。メチャメチャ上手いと思う。何とか将来に生かせられないかなあ。12月20日の土曜日は、二胡の演奏会。演奏者は尾辻優衣子さん。クリスマスの曲で、素敵な時間を過ごさせてもらった。それ以外に、忘年会や女子会など多数。いろいろ書きたいことが多いのに、日々追われている感じです。しばらく、プールも無いので書かなくちゃ。
2025.12.25
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石垣ダイビングから帰ってきて、一か月以上経って、書きたいことがいっぱいあるのに時間が上手く使えない。まず、美容クリニックでシミ取りをしたこと。石垣ですごく日焼けしてしまって、顔のシミが濃くなってしまった。近くの美容クリニックで、シミ取り放題39800円と言うキャンペーンをしていたので、10月の始めに行ってきた。クリームの麻酔をして、レーザーで焼いていった。何カ所か、丸い透明のシールを貼っていたけれど、数日経って自然に取れたら、黒いシミも一緒に取れているのにびっくり。いっぺんには取れていないけれど、全体的にかなり薄くなって、して良かったなあと思っている。定期的に通って、お手入れするといいそうだけど、あまり時間が無くて行ってない。10月29日、30日に姉と一緒に白浜へ旅行した。5月に淡路島へ連れてあげたので、今回は、姉が予約して連れて行ってくれた。泊ったのは、白浜の古賀の井ベイホテル。和歌山の姉の家に車を停めて、姉の運転で行ってきた。姉は、7才年上で今年79才。3年前にトヨタのヤリスクロスの新車を買って、車の運転も楽しそうだ。旅行のことはまた日記に書きたいな。11月8日9日は、6年ぶりに敦賀へ。8日の夜、ダンナのクラス会があるので、その時間を利用して、ブログのお友だち、「私の趣味と楽しみ」のゆみさんと会った。ゆみさんは、敦賀出身の方で、10年以上前に一度お宅にお邪魔したことがある。まだ母も義母もいた頃で、私も元気でダンナと海水浴とかをしていた時代。とっても久しぶりだったけれど、話が弾んであっという間に時間が過ぎた。ゆみさんと一緒に、以前実家のあった場所が、どんなふうに変わっているかも見に行った。ゆみさんから、知り合いの方が手作りしたイカの塩辛をいただいた。すぐに食べずに、しばらく置いてかき混ぜてから食べると良いと聞いたので、そのようにしたら、日に日に美味しくなっていく。濃厚で病みつきになる味。これと、敦賀で買ってきた練り雲丹が最高。翌日は雨だったけれど、マキノピックランドのメタセコイアの並木を通って帰って来た。敦賀では、クラス会から帰ってきたダンナがすぐ寝てしまったので、ブログを書こうとパソコンを持って行ってたのに、楽天が繋がらすどうなったんだろうと心配した。11月15日の土曜日は、フェスティバルホールで「くるみ割り人形」のバレエを観てきた。松山バレエ団の森下洋子が主演のバレエだけれど、大阪公演では傘下のバレエスクールの子どもも出演する。小4のエルちゃんも出演した。森下洋子は、ダンナと同じ年生まれで、76才。すごすぎる。このこともまた書きたいな。それ以外にも、友だちとのランチでいろんなお店に行ったことや体のことなど、いっぱいあるんだけどなあ。10月には、いろいろな診察があって、レントゲンをいっぱい撮った。右の股関節は、隙間が無くなって末期だと言われているけれど、そんなに痛くない。股関節よりも、腰が痛いので、身体の色んな所がいがんでいるのかもしれない。1月の診察の時は、股関節だけでなく、脊椎も診てもらえる病院を紹介してもらおうと思っている。今週の土曜日は、高校の同窓会が予定されている。ダイビングに行った後、リバウンドせずに何とか体重は保てているので、サイズダウンした服を買った。
2025.11.20
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一緒に旅行したOさんもKさんも、何度も石垣島へ行ったことがあるけれど、私は初めて。去年の10月のダイビングは台風で中止になったけれど、予定では一日目、波照間島に行って泊まり、3日目はダイビング、4日目は、私はダイビングをせずに竹富島を一人で観光する予定だった。今回は波照間島を中止にしたけれど、私がどうしても行きたかったのは、竹富島だった。私がまだ25才くらいの頃、短大の時の美術部の友だちが、家族で竹富島に移住した。沖縄が返還されてそれほど経っていない頃で、住む人のいなくなった空き家に、数家族でコミュニティーのように住んで、漁師の手伝いや、畑で作物を作って生活していた。子どもが産まれたと、島の様子を絵に描いた葉書を送ってきてくれた。牧歌的なその葉書を見て、すごく行きたくなった。でも、その頃の我が家は、経済的に一番しんどい時だった。私が、毎月もらうお給料が7万数千円。子ども二人の保育料が6万数千円で、ほとんど無くなったのを覚えている。公立の保育園は9時から5時まで。学校は8時半始まりなので、無認可で延長保育をしてくれるところに預けるしかなかった。ダンナも同期で、8万円ちょっと。それで、4万円近くの家賃を払い、家を買いたいと貯金もし、残りが生活費と言うキチキチの生活だった。一度、竹富島から帰って来た彼女を囲んで、大学時代の友だちが集まった。独身の人が多かったけれど、結婚の早かった私は、二人の子どもを連れ、生活に疲れているように見えたのだろう。カンパを1万円ずつ渡したら、私はほとんどお金が残っていなくて、食事代は、出さなくていいとみんなが出してくれた。ありがたかったけれど、情けなかった。みんなおしゃれしていたのに、空き巣に入られて服やアクセサリーなどを取られてしまったので、安物のサマーニットの上下を着ていて、ちょっと恥ずかしいなあと感じたのを覚えている。みんな、私が苦労していると思ったのかもしれない。その後、そのメンバーからの連絡が来ることは無かった。竹富島から大阪へ帰ってきてると聞いた気もする。葉書をもらったように思うのに、その後の引っ越しのドタバタで、どうしても葉書が見つからない。彼女は今どうしているんだろう。彼女の愛称は「コンチ」いつか会ってみたいとずっと思っている。書いていて、空き巣に入られていたことを思い出した。そのことを「大家の空き巣」とブログに書いている。
2025.10.28
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月曜日、演劇鑑賞会で観た劇は、井上ひさし作、こまつ座の「きらめく星座」 ものがたり昭和15年の浅草、小さなレコード店に、四人の家族と、二人の間借り人が仲良く暮らしていた。しかし、この平和なオデオン堂に、大事件が起こる。陸軍の入隊していた長男の正一が、脱走したと言う。「敵前逃亡」は、重罰。一家は突如として「非国民の家」となり、すぐさま追手がかかって憲兵伍長「蝮(まむし)の権蔵」が乗り込んでくる。そこにもう一人、堅物の愛国主義者が家族に加わる。町所みさをが、「ハガキの束から選んだ夫」傷痍軍人の源次郎。彼との結婚は一家を「非国民の家」から「美談の家」へ一転させるが、軍歌一辺倒の源次郎と、”仮想敵国の”ジャズ”や”軟弱な流行歌”と言われる歌謡曲を愛する住人たちは何かと衝突を繰り返す。こうして、オデオン堂には、時ならぬ大嵐が吹き荒れることとなる。演劇鑑賞会は、会員サークルの運営で成り立っている。年一回、担当が回ってくるけれど、今回は、私たちのサークルも担当に当たっていた。担当会員が運営会議を重ね、どんな劇か事前に学習し、スムーズに進めるための準備をする。会員の高齢化が進み、昼間の公演を希望する人が多くなり、年6回公演を5回に減らし、今年から昼夜2回公演することになった。でも、出費が増えて、会員を増やすのも担当サークルでは目標になる。私たちのグループは、今回2人増えて計10人。私たち夫婦と、元同僚が一人、後は私の中学の仲間。2年前の4月に、中学校のミニ同窓会のブログを書いたけれど、その時から同窓生の輪が広がって、演劇鑑賞会にも入ってくれるようになった。今回、夫婦で入ってくれる人がいて、担当会の面目が保てた。運営会議は、ほとんどダンナに出てもらったけれど、友だちを誘って、私も2回出席した。2回目に参加した時は、この劇には色々昔の音楽が出てくるけれど、好きな曲を発表しようと課題が出されていた。パンフレットに書かれている曲は、「月光値千金」「東京ラプソディ」「あゝそれなのに」「誰か故郷を思はざる」「隣組」「雨のブルース」「一杯のコーヒーから」「小さな喫茶店」「青空」「チャイナ・タンゴ」「星めぐりの歌」「露営の歌」「煙草屋の娘」など。昔の歌はあまり知らないと言う人も多かったけれど、私はほとんどの歌を歌える、以前、「音楽と私」と言うブログを書いたけれど、うちの家には昔のレコードがたくさんあって、手で回す蓄音機もあった。父も母も歌が好きで、家族でいろいろな歌をいつも歌っていた。でも、私が挙げた一曲は、昔は知らなかった「星めぐりの歌」この曲を初めて聞いたのは、高倉健主演で、草彅剛も出演していた「あなたへ」と言う映画の中。田中裕子が歌っていた。田中裕子の透き通るような歌声も初めて聞いたし、歌詞がいいなと思って調べたら、宮沢賢治の作品。youtubeで聴いたりして、好きな曲になった。そんなこともあって、今回の劇はとても楽しみにしていた。今回の劇は、途中15分の休憩を挟んで3時間。今までにない長い上演時間だったけれど、面白くて見ごたえがあって、全く時間が気にならなかった。始まりは昭和15年の11月3日。暗い中にガスマスクの顔が浮かんで不気味な始まりだったけれど、空襲警報解除の合図で舞台が明るくなると、裏返しの「オデオン堂」のネオン。レコード店の内側の一部屋だとわかる。レコード店の店主の夫婦は、後妻のふじが元歌手で、どちらも歌が好き。間借り人の一人がピアノの伴奏をし、エノケンの「月光値千金」「東京ラプソディ」など懐かしい歌が続く。戦争は始まっていたけれど、まだまだ音楽も楽しめて、楽しい時代。次の場面は翌年の2月11日。部屋に掛けられた日めくりが変わる。全部で6場面。最後は、日米開戦前夜の昭和16年12月7日。場面が変わるごとに、だんだん戦争の影響で、いろいろなものが無くなり、音楽を聞いて楽しむこともはばかられるようになる。でも、卵が一個手に入れば、これをどう調理しようかとみんなで考えたり、少しのコーヒーが手に入れば、「一杯のコーヒーから~」と歌いながら、香りを楽しんだり、明るいオデオン堂の住人達。ただ、身ごもった長女のみさをが大きな漬物石を抱え流産しようとしたときは衝撃だった。その時に、間借り人の竹田さんが、この宇宙には4千億もの星があって、その中の一つの地球で生命が生まれること自体が奇跡なんだと止める。竹田さんは、星空に詳しく、本屋さんで見つけた宮沢賢治の本の中に「星めぐりの歌」を見つけたのも竹田さん。その中の楽譜を見ながら、間借り人の森本さんがピアノを弾く。「星めぐりの歌」は流行歌じゃなかったんだなと知って、私が小さい頃聞いたことが無かったことも腑に落ちた。最後の場面、オデオン堂からの立ち退きが決まり、住人たちはバラバラに暮らすことになって、満州や長崎へ旅立つ人も。その時に、警戒警報の鐘がなって、舞台が暗くなり、皆がガスマスクを付け、劇の最初の不気味な胸がざわざわする感じを思い出した。その後の戦争を知ってる私は、長崎へ行って大丈夫なのかな?と不安になった。今も世界には戦争が続いているし、日本もへたをすると戦争に巻き込まれる可能性もある。未来を知らない私たちは、過去の過ちから学ばないといけないだろうな。今回の劇の中で、気になったのは長男正一役の、平埜生成さん。大きなジュークボックスにぴょんと飛び越えて入ったり、すごい身体能力。脱走兵から逃げている間いろんな職業について、いろんな顔を見せてくれる。ちょっとこれから、テレビなどに出てこないか注目しておこう。
2025.10.23
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石垣での最終日。関空への飛行機の便が10時半。漁港ターミナルから空港行きのバスは、8時半が一番早いので、それに乗らないといけない。それで、6時過ぎには各自荷物を整理して、フロントに預けてから朝食を取ることにした。朝食は、最後まで満足。この日は、モズクそばを食べた。チェックアウトして、8時に漁港ターミナル前のバス停へ行ったら、もう先に並んでいる人がいた。でも私たちも早かったので、スーツケースをちゃんと並べて、座ることができた。搭乗手続きをして、トランクの重さを測ったら、17kg。ダイビングの後はいつも重量が気にかかる。以前は、ウェットスーツがちょっと水分を含んで重くなってるし、フィンも靴を履いてストラップで止めるタイプだったので、いつも重量はぎりぎり。それで、バスタオルを捨ててきたりしていた。特に、今回は重量制限の厳しいPeach。自分で重いスーツケースを持つことができないので、荷物を預けるまでドキドキだったけれど、思ったより軽かった。今回はストラップで靴を止めるタイプじゃなく、いつもプールのシュノーケルレッスンで使っているミューフィンだったから軽かったのかも。スーツケースを預けてから、空港の中のお土産屋さんなどを見てから飛行機へ。飛行機に乗り込んだら、「飛行機大丈夫?」と娘からLINEが来た。「今から出発するよ。石垣は快晴」と返信すると、「良かった!那覇からは欠航しているみたい」とPeach の運行状況を送って来た。台風の影響で、機材不足だったようだ。12時過ぎに無事関空に着いた時は、小雨。第2ターミナルの駐車場が野外なので、車を取りに行く時は、ちょっと雨に濡れた程度。台風は、前日の夜中に通り過ぎて行ったそうだ。連絡橋を渡って、ゲートタワーホテルで昼食。最近、2階のレストランが開業して、10%オフのクーポンが来ていた。シーフードグラタンのセットに、ドリンクバーが付いて1500円はお得。空港の駐車場は、障がい者割引だけでなく、エルちゃんのKIXカードを借りて行ってたので、ポイントも使えて、めちゃくちゃ安かった。送り迎えの交通費と写真代で、二人から1500円ずつ頂いた。2人を送っていって、家に帰ったのは4時ごろ。それで無事、石垣旅行を終えた。ところで、自分でも不思議だったのが、今回は何でもきっとうまくいくと、ずいぶん前から思えたこと。だから、2か月前にインストラクターにも、ダイエットを成功する自信があると言えたし、今回、石垣に着いてすぐに、台風発生、大阪に台風接近のニュースがあったけど、多分大丈夫だと思うと言っていた。Oさんが「○○さんが言うから多分大丈夫」と言ってたけれど、私のカンはよく当たる。去年の10月は、何故か不安だったなあ、どうしてウェットスーツも着てなかったのかなあと思って、日記を見たら、去年の石垣へ行く直前の日記、「最近のこと」に、潜るつもりじゃなかったことを書いていた。そしたら、前日に台風が発生して行けなくなった。台風は、立て続けに3つ石垣に来て、飛行機もずっと欠航。行っていたら、帰れなくなるところだった。何か不安を感じる時は、行けないようになるのも不思議だ。2014年のダイビングのライセンスを取る時の海洋実習も同じように不安だった。でも、2日前に孫が学校で骨折し、「いろいろ重なってキャンセル」した。でも、当日行った人たちは、海の中が濁っていて大変な状態だったそう。そのことも「行かなくて正解だったような気がしてならない」とブログに書いている。昔は、ちゃんとブログを書いていたので、いろいろな記録が残っているのが嬉しい。ダイビングのことは、特に残しておいて良かったなあと思う。
2025.09.29
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石垣での最終日。関空への飛行機の便が10時半。漁港ターミナルから空港行きのバスは、8時半が一番早いので、それに乗らないといけない。それで、6時過ぎには各自荷物を整理して、フロントに預けてから朝食を取ることにした。朝食は、最後まで満足。この日は、モズクそばを食べた。チェックアウトして、8時に漁港ターミナル前のバス停へ行ったら、もう先に並んでいる人がいた。でも私たちも早かったので、スーツケースをちゃんと並べて、座ることができた。搭乗手続きをして、トランクの重さを測ったら、17kg。ダイビングの後はいつも重量が気にかかる。以前は、ウェットスーツがちょっと水分を含んで重くなってるし、フィンも靴を履いてストラップで止めるタイプだったので、いつも重量はぎりぎり。それで、バスタオルを捨ててきたりしていた。特に、今回は重量制限の厳しいPeach。自分で重いスーツケースを持つことができないので、荷物を預けるまでドキドキだったけれど、思ったより軽かった。今回はストラップで靴を止めるタイプじゃなく、いつもプールのシュノーケルレッスンで使っているミューフィンだったから軽かったのかも。スーツケースを預けてから、空港の中のお土産屋さんなどを見てから飛行機へ。飛行機に乗り込んだら、「飛行機大丈夫?」と娘からLINEが来た。「今から出発するよ。石垣は快晴」と返信すると、「良かった!那覇からは欠航しているみたい」とPeach の運行状況を送って来た。台風の影響で、機材不足だったようだ。12時過ぎに無事関空に着いた時は、小雨。第2ターミナルの駐車場が野外なので、車を取りに行く時は、ちょっと雨に濡れた程度。台風は、前日の夜中に通り過ぎて行ったそうだ。連絡橋を渡って、ゲートタワーホテルで昼食。最近、2階のレストランが開業して、10%オフのクーポンが来ていた。シーフードグラタンのセットに、ドリンクバーが付いて1500円はお得。空港の駐車場は、障がい者割引だけでなく、エルちゃんのKIXカードを借りて行ってたので、ポイントも使えて、めちゃくちゃ安かった。送り迎えの交通費と写真代で、二人から1500円ずつ頂いた。2人を送っていって、家に帰ったのは4時ごろ。それで無事、石垣旅行を終えた。ところで、自分でも不思議だったのが、今回は何でもきっとうまくいくと、ずいぶん前から思えたこと。だから、2か月前にインストラクターにも、ダイエットを成功する自信があると言えたし、今回、石垣に着いてすぐに、台風発生の発生大阪に台風接近のニュースがあったけど、多分大丈夫だと思うと言っていた。Oさんが「○○さんが言うから多分大丈夫」と言ってたけれど、私のカンはよく当たる。去年の10月は、何故か不安だったなあ、どうしてウェットスーツも着てなかったのかなあと思って、日記を見たら、去年の石垣へ行く直前の日記、「最近のこと」に、潜るつもりじゃなかったことを書いていた。そしたら、前日に台風が発生して行けなくなった。台風は、立て続けに3つ石垣に来て飛行機もずっと欠航。行っていたら、帰れなくなるところだった。何か不安を感じる時は、行けないようになるのも不思議だ。2014年のダイビングのライセンスを取る時の海洋実習も同じように不安だった。でも、2日前に孫が学校で骨折し、「いろいろ重なってキャンセル」した。でも、当日行った人たちは、海の中が濁っていて大変な状態だったそう。そのことも「行かなくて正解だったような気がしてならない」とブログに書いている。昔は、ちゃんとブログを書いていたので、いろいろな記録が残っているのが嬉しい。ダイビングのことは、特に残しておいて良かったなあと思う。
2025.09.29
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石垣では、ダイビングは2日間にして、一日観光しようと決めていた。他の2人は、何度か石垣に行ったことがあるけれど、私は初めて。私は竹富島に行きたかったので、朝から船で竹富島に行って、帰ってきてから石垣島を観光しようと決めた。その日の朝食も、7時から。この日も野菜たっぷり、そして石垣そばを食べてみた。何を食べても美味しい。そしてヨーグルトには、マンゴーをたっぷり。朝食後、ホテルの前にある漁港ターミナルへ。竹富島への船は、八重山観光フェリーと安榮観光の船があって、ちょうど時間の合う八重山観光フェリーで向かうことに。運賃は、880円で10分ぐらいで竹富島に着いた。竹富島に着くと、水牛観光のバスの出るところに一目散で行く人が多く、長い列ができていた。バスが出てしまったけれど、その会社の人が、またバスが来るから港の待合室で待っておいてと言われた。20分ぐらい待っていると、またバスが来てゆったり座ることができた。水牛観光のバスは無料で、竹富観光センターへ。水牛観光のチケット売り場には並んでる人も多かったけど、水牛もたくさんいるようで、どんどん出発していて、すぐに自分たちの番が来た。牛車の料金は3300円だった。こんな牛車にお客さんを15人くらい乗せて、牛車はゆっくりと出発。この水牛の名前を教えてもらったのに、その三文字の名前を忘れてしまった。水牛は賢くて、道順もちゃんと覚えている。日陰をゆったりと歩いて、曲がり角では、ぶつからないように大回りし、疲れたら日陰でちょっと休憩する。竹富島の昔ながら家屋の町並みをゆったり進み、御者の方が、シーサーの説明やブーゲンビリアなどの説明をしてくれ、途中日陰で休憩している時に、三線を弾きながら「安里屋ユンタ」を歌ってくれた。最後には、「涙そうそう」を歌ってくれて、これはお客さんも一緒に歌った。最後に水牛がウンチしたけれど、御者さんがちゃんとバケツを用意してその中へ。ちゃんとしつけされているので、道路もとてもきれいだった。牛車から下りて、順番に記念撮影。ちょっと待っていると、大きな写真に仕上げてくれていた。竹富島のいろいろな景色のデータも付いて1800円。私は、これ以上色々観光するのはしんどいし、景色のデータも欲しかったのでお買い上げ。後で二人にLINEで送ってあげた。港まで無料バスに乗って、ちょうど時間帯のよかった安榮観光の船に乗って、石垣港に帰って来た。レンタカーを借りて、島内を回ろうかと言ってたけれど、他の2人は今まで何度か来て知っているし、商店街の方に行って、お土産を買おうと言うことに。途中で雨が降ってきて、あまりお腹もすいていないので喫茶店で休憩。私は、黒糖ミルク金時のかき氷を食べた。ふわふわのかき氷で、とても美味しかった。2人ともあまり汗をかいていないのに、私だけすごい汗をかいているのが不思議。代謝が良くなったのかな?飛行機がピーチで、手荷物の重さに厳しいので、気にしながら食べ物のおみやげなどを買った。それから、気になっていた琉球ガラスのお店へ寄って、私は、旅行の記念に、自分用にピアスを2つ買った。小さいピアスだけれど、どちらも2800円ぐらい。旅行先で、その土地だけにしか売ってないピアスを買うと、その旅行を思い出すのでちょっと嬉しくなる。ホテルに戻って、夕食までそれぞれ自由に過ごした。私は、この日は大浴場で入浴。大きなお風呂はやっぱり気持ちがいい。夕食は、又ホテルの中の「ひるぎ」と言うお店へ。お部屋掃除を断ったので、前日の分と一人2000円ずつお食事券があったので、3人で合わせて、いろいろなおかずを注文することにした。(上左)お造り、(アワビ・タイ・マグロ・他6種類ぐらい)。海ぶどう(上右)島野菜のてんぷら(海老・ゴーヤ・茄子・ヘチマ・しし唐など)島豆腐のマグロのせ (下左)チーズつみれ (下右)グルクンの唐揚げ、他にもあったかな?突き出しも付いてて、ビールも頼んで、美味しくいただいた。10%割引もあって、6000円のお食事券もあったので、この日の夕食代も一人1000円ぐらい。お得に楽しく食事して、いい気分。翌日は出発が早いので、早めに休むことにした。
2025.09.25
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三日目も目覚ましより早く目が覚めて、部屋のお風呂に入って体を温めて、こわばった身体をほぐした。ダイビングショップのお迎えは9時で、その日も7時に朝食の約束。朝食は野菜をたっぷり。ジーマミ豆腐やモズクなど沖縄食材があるのも嬉しい。9時前に、船長さんが迎えに来てくれて、車で港まで。ホテルからは近くて、10分もかからない。今日は、私たち3人だけで、船長さんとOさんに手伝ってもらいながら、乗船した。昨日渡した健康状態の用紙を改めて読んでくれたのか、船長さんがえらく私の体を心配してくれていた。今日は1本目だけで、2本目は入らないと言うと、無理しない方がいいと言っていた。ジャケットにタンクを付けて、船が出発し、ダイビングポイントに着いた。この日の1本目は、名倉湾の西瓜割の根と言うポイント。ベルトに付ける重りを、1㎏減らして4㎏にしたら、立ったままでベルトを着けられた。船長さんは、大丈夫?と言って心配してくれていた。2日目になって潜るのもスムーズになった。重りが4㎏でちょうど良くなって、ジャケットに空気を入れたり抜いたりすることなく、自分の吐く息を多くすると下がり、少なくすると上がり、中性浮力がとれていると実感できて嬉しかった。左上のオレンジ色のは、セジロクマノミ。右上の穴の中にいるのは、多分カエルウオかな?2段目左は、オハグロハギ。右は、ハナミノカサゴ。3段目左は、海の中を泳ぐウミヘビ。右は、左から1年目、2年目、3年目のサンゴ。下の左は、名前はわからないけれど、ヤドカリみたいな貝だった。右に、最後のダイビングの思い出に、泳いでる自分の写真も残しておこう。途中、水深何mぐらいなのかなと思って、ダイビングコンピュータを見たら、あちゃ~つけ忘れてた。最後の記録が無いのは残念だけど、まあいいか。こんな風に、最後のダイビングをとても楽しく終わることができた。Oさんが一番先に船に上がって、船長さんがとった機材を船の上で受け取ってくれる。やっと船の上に上がってきたら、ちょっと疲れた。船の周りはとってもいい天気。私だけウエットスーツを脱いで、裏がえして甲板に干した。代わりにライフジャケットを着けとかないと、いけないそうだ。この日のお昼も、前日と同じおにぎり2個と天ぷらの入ったパックと味噌汁。朝ごはんをいっぱい食べているので、おにぎり1個で十分だ。それから船は移動して、次のポイントへ。次のダイビングポイントに着いて、3人が潜る準備をし、順に潜行していった。一人だけ残った船の上で、しばし周りの景色を見ながらボ~と過ごす。以前のダイビングでも、みんなが3回潜るところ、私は2回にすることが多く、この時間がとても好きだった。周りの景色もきれいで、少し船が揺れているのも気持ちいい。裏返していたウエットスーツを表にして、又甲板に干した。濡れたウェットスーツはとっても重くて、持ち運びが大変なので、いいお天気で良かった。しばらくして、3人が、船に戻って来た。最近、腰や膝の調子が悪いKさんが、今度は手伝ってもらっていた。この日の2回目は、同じ名倉湾の、アート・ザ・シーと言うところで、足を付くことのできないサンゴの森だったそうだ。KさんもOさんも、私が膝の手術をしたころに、アドバンスと言うもう一つ上のコースを取得しているので、私には難しいポイントなのかもしれないな。船が港に戻って、支払いをした。2日分、3本のダイビングの分と、機材のレンタル料、久しぶりだったのでリフレッシュコースの費用、そして写真代と合わせて36000円。船長さんは、私みたいに杖を持って船に乗った人は初めてだと言う。今日で、もうダイビングは最後にしようと思ってると言うと、残念だけどその方がいいかもしれない。Oさんの友だちだから引き受けたけど、自分一人でやってるショップだから、もし何かあっても対処できない。申し訳ないけれど、次は引き受けられないなあと思ったと言っていた。最後のダイビングはとても満足したし、気持ちよく終われて良かった。ホテルに着いたのは、ちょっと時間が早かったので、シャワーを浴びてから、ランドリールームで洗濯もしたし、乾燥までできた。夕食は、2回行ったひるぎが定休日で外へ出かけた。Oさんが以前行って良かったと言う「さつき」と言うお店は、予約で満席。適当に入った、沖縄料理のお店で、ゴーヤチャンプルとビールを頼んだ。このゴーヤチャンプルがすごく美味しかった。オリオンビールの生ともぴったり。ダイエットの間飲んでなかったので、ビールも約2か月ぶり。夕食後は、Oさんの部屋で送られてきた写真を見ながら、LINEで送りあった。ちょうどテレビで女子バレーの試合もしていて、Kさんは大興奮。おしゃべりしながら楽しく過ごして、各自の部屋に戻った。最後のダイビング石垣ダイブ 3本目2025年9月3日(水) 1本目通算潜水 46回目 石垣 名倉湾 西瓜割の根最大水深 10m 平均 8m潜水時間 40分ダイビングは、本当に楽しかった。きれいな海の中で、水族館の中にいるような気持ちになれてたし、自然の素晴らしさに感動した。私は、海底岩から、岩へ中層を泳いでいくのが一番好きで、まるで青空の中を飛んでいるような気がした。こんな経験できるって本当に幸せなことだよなあ。早く退職した私に、定年退職した後、一緒にダイビングしようとOさんが誘ってくれた。いつも重いスーツケースを持つのを手伝ってくれて、身体が不自由になっても、一緒に行けるところを探してくれて、こんな優しい友達がいることも、私はなんて幸せなんだろうと思える。
2025.09.17
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お昼は、おにぎり2個と天ぷらの入ったパックを用意してくれていた。それとお味噌汁。おにぎりは、ふりかけをまぶしたものと、梅干しの入った海苔巻き。この頃、てんぷらは食べなくなったし、ご飯の量も減らしているので、あまり食欲はない。お味噌汁を全部飲んんで、梅干しのおにぎりは全部食べたけれど、ふりかけの方はちょっと。天ぷらも残した。食事が終わったら、次のポイントへ。船長さんは、船の上で運転している。テントの下の日陰で座っていたけれど、どんどん日差しが強くなって、「わあ、日焼けしていしまう」と日陰を探して、3人でおしくらまんじゅうしているみたいだった。船は次のポイントへ。同じ名倉湾の中の、センターリーフと言うポイント。ここは、ハマサンゴの群生地で、いろいろな魚が見られるらしい。1本目の時、マスクに水が入りやすかったので、ちょっと縮めようとしたら、マスクの一部分が外れて、海の中に入ってしまったのでびっくり。マスクを使えなかったらどうしようと思ったけれど、船長さんが直してくれた。外れたのは、マスクの端を最後に通すバックルだったので、使えて良かった。バックルは、海の中に落ちたと思ったけれど、梯子に落ちていたらしく、終わって戻ってくるときに、船長さんが拾ってきてくれた。また座った状態で、先にベルトを上の方にきっちり締めてから、ジャケットを着せてもらって、潜り始めた。今度の場所では、いろいろな魚が見られた。左上は、ウミウシ。右上は、クマノミ。クマノミは、他にも赤いクマノミや、ミスジクマノミも。左中の、白地に黒いスジのあるのは、リュウキュウスズメダイかな?中右の、指みたいに見えるのが、多分ユビエダハマサンゴだろうな。左下の、青い魚は、多分デバスズメダイ。右下の黒いのは、ナマコ。ナマコは手に持たせてもらった。ダイビングログに見た魚の名前を書いて、写真と一緒にくれたので、それを見ながら魚の名前を確かめている。もう上がろうかと言うときに、大きなウミヘビがいてびっくりした。1m50㎝ぐらいありそうで、そばへ寄ってくるので、慌てて逃げたりしていたんだけど、残念ながらその写真が無い。このポイントは、サンゴはきれいだけれど、サンゴの死骸みたいなのも多かった。地面の高低差があって、ジャケットに空気を入れて浮上したら、今度は空気を抜いて下がるんだけど、上手く空気を抜けなくて、何度も船長さんが空気を抜きに来てくれた。そんなわけで、最後も地面で安全停止するところが、上がっていって突然、船の梯子があったのでびっくり。中性浮力がちゃんととれなくて、私だけ未熟だなあと思った。先にみんな上がって、最後に、梯子でフィンとベルトとジャケットを取ってもらって船の上に上がってくると、いいお天気だったのに、小雨が降っていた。とても気持ち良くて、自然のシャワー。港へ戻る途中で雨が止んだけど、海からいろんな景色を見たら、あそこが雨が降ってるなあとかよくわかった。港について、自分の道具をダイビングメッシュバッグに詰め、ウエットスーツはハンガーに干して、パンツとパーカーを着て下船。潮の加減で、船より陸地が1mくらい低い。みんなに助けてもらいながらやっと陸地に降りることができた。ホテルについて、部屋でシャワーを浴びて、コインランドリーのところに行ったら、洗濯機は全部使用中。乾燥機が空いていたので、乾燥だけすることに。部屋の掃除を断ったら食券をもらえるのは、みんな気が付いていて、最後の日まで掃除を断った。1000円の食券を利用して、夕食は前日と同じひるぎで。突き出しは、前日と同じだったけれど、1800円のにぎりを頼んだ。宿泊者10%オフと1000円の食券で、また1000円ぐらい。食べながら話をしていて、ジャケット空気が上手く抜けないと言いながら、左腕を上に伸ばそうとしたら、手のひらを内側にしてまま上げられないことに気が付いた。右の腕は、手のひらを内側にしても上げられる。ひゃーこわ~。空気をうまく抜けないはずだ。この頃、関節の具合が悪くなって、以前できたことができなくなっていることに気づくことが多い。その後、外へ出てお店などを覗いたりしながら、コンビニへ行って、お水やスポーツドリンクを買って解散。部屋に戻って、腕を伸ばしてみたけれど、やっぱりできない。もうダイビングも限界だな。明日の一本目で、ダイビングは最後にしようと決めた。石垣ダイビング 2本目2025年9月2日(火) 2本目通算潜水 45回目 石垣 名倉湾センターリーフ最大水深12m 平均10m潜水時間 40分
2025.09.14
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ダイビングショップのお迎えが9時10分と言うことだったので、朝食の約束は7時。私は、朝の腰の状態が心配だったので、5時半に目覚ましを合わせていたけれど、4時半ごろに目が覚めた。やっぱり朝は腰が痛くて、手指もこわばっているので、部屋のお風呂にお湯を入れてゆっくり浸かった。だんだんこわばりも取れてきて、みんなで朝食会場へ。ミヤハラは、朝食バイキングがいいと聞いていたけれど、本当に種類がいっぱい。種類はいっぱいだけれど、野菜や豆腐類が多いし、炭水化物は少しのお粥と小さいワッフル。全部合わしても500kcalぐらいだと思う。食後部屋に戻って、準備をして玄関に行くと、ショップのお迎えの車が来ていた。車の中で、ライセンスカードの番号や、健康状態などを書いた用紙を渡した。これがダイビングショップの船。ショップのインストラクターが船長さん。私は、杖をついて、船長さんとOさんに手伝ってもらいながら、船に乗り込んだ。お客さんは、私たち3人と、男性が一人。出発する前に、BCジャケットにタンクやレギュレターを付けて、重機材の準備をした。ライセンスを取る時に習ったけど、以前のショップでは、いつもスタッフが準備してくれていたので、忘れていることが多かった。船が出向して、ダイビングポイントまで来たら、船長さんが場所の説明をしてくれた。石垣島の西側にある名倉湾の中にある、大きなコモンシロサンゴの周りに、魚が集まっていると言う。ウェットスーツを着て、船の後ろの梯子を下りて、ウエットスーツの中に水を入れて馴染ませた。海水はとても暖かかった。スノーケルマスクに曇り止めを付けて、梯子の上に座って、重りを付けたベルトを締め、BCジャケットを着せてもらった。タンクが重くて後ろに倒れそうになる。マスクと、ダイブコンピュータを付けて、マスクを付けた。ゆっくり梯子を下りて、向きを変え、そこから梯子を下りて行った。今までは、船のへりから後ろ向きにバックエントリーしたり、梯子の上から前回りするようなエントリーの仕方だったけれど、ゆっくり階段を降りて、梯子の手すりを持ちながら呼吸を整え、ロープに移っていったので、全く緊張感はなかった。他の人が下りてくるのを待って、途中で耳抜きをしながら降りて行った。みんなが揃ったところで、船長さんについて泳いでいった。左上の大きな山みたいなのが、コモンシロサンゴ。近くによると、いろいろな魚の群れが見える。右上の透明な魚が、多分スカシテンジクダイ。左下の赤いのは、キンギョハナダイ。そのほかに、ショップのダイビングログでは、グルクン、クマノミ、テンジクダイ、ミーバイ、デバスズメダイなどが書かれていた。やっぱり、近くでいろいろな魚が泳いでいるのを見られるのは嬉しい。6年ぶりだったけれど、海の中に入ると不安は全くなかった。私は、いつもプールのシュノーケルレッスンで使っているフィンとマスクを持って行ってたけれど、マスクの中に水が入ってきて、何度もマスクの上を押さえて、マスククリアをした。以前よくダイビングをした慶良間の海と違って、水はちょっと濁っていたので、マスククリアしても、遠くの方はよく見えなかった。途中で、重りを付けたベルトがずり落ちてきて、どうしようかと思ったら、船長さんが気づいて閉めなおしてくれた。後で聞いたら、他の2人もずり落ちてきたそう。しばらくして、船の下に戻ってきて、水深約5mのところで、ロープを持って安全停止。梯子の下でフィンだけ取って上がってと言われたけれど、重すぎて上がれない。タンクの付いたジャケットと、ベルトを外してもらってやっと上がれた。男性のお客さんが、船の上で手伝って受けとってくれているみたいだった。全部取ってもらって、やっと船の上に上がってきて、1回目終了。石垣ダイビング 1本目2025年9月2日(火)1本目通算潜水 44回目 石垣 名倉湾巨大コモロサンゴ最大水深12m 平均10m潜水時間 40分(通算本数、以前のブログの最後が42本目になっているけれど、ダイビングログを見たら43本目だった。どこかでずれてしまったかな?)写真は、フートハートクラブ石垣の船長さんが撮ってくれたものを購入しました。
2025.09.12
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