仁志・多喜馬の戯言日記&戯言通信

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2009年03月04日
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 久しぶりに「クチコミテーマ」を見てみると、「あなたの好きな戦国武将は?」ということだったので、参加してみることにしたのだが、私の好きな戦国武将は、藤堂高虎である。それは私の職業が土技術職なので、(特に石積みのことを調べたりしているので・・・)城郭建築の名人として知られ、三大築城名人の一人といわれている藤堂高虎に興味を持っているからだ。彼は築城に当たっては、穴太衆などの技術屋集団をうまく使って、石垣を高く積み上げることと堀の設計に特徴がありのだ。それは同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と、対比されているのだが、世渡りは藤堂高虎のほうが一枚上手なのだ。

 特に、藤堂高虎は自分の身の上のことからも、いわゆる実力主義者であったみたいで、取り立てて血筋がよかったわけでもないにも関わらず、彼は己の実力だけで生き抜いてきた根っからの戦国武将なのだ。藤堂高虎を重用した徳川家康は、最後の戦いとなった大坂夏の陣で、豊臣方の長宗我部軍と戦い功を挙げた高虎を賞賛し、「国に大事があるときは、高虎を一番手とせよ」と述べたと言われている。それでも徳川家臣の多くは、主君をたびたび変えた藤堂高虎をあまり好いていなかったらしいが、徳川家康はその実力を認めていたようで、臨終の席では外様では彼のみ枕元に侍ることを許されたそうだ。

 私が住んでいる愛媛県でも、藤堂高虎が造ったといわれる城が2箇所残されているのだが、宇和島城も今治城も小ぶりながら名城として有名なのだ。築城という土木技術や合戦の武勇だけではなく、どこの藩でも藩政の基礎を築き上げた内政手腕を素晴らしかったようで、そのほかでは文学や能楽・茶の湯を嗜む文化人でもあったそうだ。(その方の資料は愛媛県にはあまり残っていないのが残念なのだが・・・)豊臣秀吉の朝鮮出兵において、加藤嘉明と功を競い終生仲が良くなかったそうだが、これは藤堂高虎の領地が今治藩が、加藤嘉明の伊予松山藩と隣接していたことも事情にあるとされているそうだ。

 近頃の調査で判明したのだが、加藤義明が松山城を普請したときは、石垣などが急ぎ仕事で積まれていることなどは、そのようなところに原因があるのかもしれないと思っている。(ちなみに加藤嘉明の伊予松山藩も藤堂高虎の伊予今治藩も同じ20万石なのだ・・・)私が藤堂高虎を高く評価するのは、時代が天下統一に向かい始めると、築城という戦場以外でも功を上げる技術を身につけるなど、人物と時代を見る目に優れた武将であった点である。しかも、専門の技能職をうまく使っている点も技術屋ということも素晴らしいと思っているのだ。





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最終更新日  2009年03月04日 03時45分10秒
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