まずは「文化財」と聞いてどんなものを思い浮かべるかというと、美術館にあるさまざまな芸術品や観光地などで見かける古い建物や史跡ならば、目に見えるものなので馴染みがあって分かりやすいという。ほかには演劇や音楽、各地の伝統的な祭りなどは形としてはっきりしないものもあるが、これも文化財と呼ばれているもののひとつとされている。日本では重要文化財の中でも特に高い価値を持つものは類まれな国の宝として「国宝」に指定されているが、日本で「国宝」という言葉が誕生してから 120 以上たっているというのだ。2年前には日本芸術の最高到達点である世界に誇るニッポンの宝「国宝」に秘められた美と文化の一部を、写真ギャラリーで紹介された本も創刊されたそうなのだ。
日本において「国指定等の文化財」として数えられているものは国宝だけでも 1,101 件存在しており、そのうち 878 件が美術工芸品で 223 件が建造物となっている。重要文化財になると 13,110 件が登録されているが、この「国宝」や「重要文化財」といった分類について、日本では明治 4 年に「古器旧物保存方」が制定され、明治 30 年に「古社寺保存法」が布告され文化遺産の調査・保護が始まったとされている。大正から昭和初頭にかけて「史跡名勝天然記念物保存法」や「国宝保存法」へと引き継がれていくこととなるが、転機となったのは昭和 24 年に起きた法隆寺金堂の壁面焼損で、これがきっかけとなり「文化財保護法」が制定されると、今までの文化財保護に関する法律の統合と拡充や文化財保護委員会の設置が図られたという。
やがて高度経済成長期にはどんどん都市化が進み町並みや景観が大きな変貌を遂げていく中で文化財の保護もより一層重視されるようになっていったわけだが、昭和 43 年には文化財保護委員会と統合した文化財の保護を所掌する文化庁が設置され、昭和 50 年には埋蔵文化財に関する制度の整備や「民俗資料」が「民族文化財」と呼び名を改められ保護制度の充実を図られるようになったという。保存技術にかかる制度の創設など大きな法改正がなされたというわけなのだが、その後も「文化財保護法」は平成 16 年に保護範囲が拡大され、登録制度の拡充を行うなど社会の変化に伴って随時改正を行いながら現在に至っているという。過去から受け継いだ財産を未来へ残していくために文化財の保護は世界の命題ともされちる。
国宝や重要文化財の違いもこれにあたり「有形文化財」というカテゴリにおいて重要なものを「重要文化財」とされ、中でも特に価値が高いものを「国宝」と分類している。文化財保護法制定の際に旧「国宝保存法」で指定されていた国宝が一律「重要文化財」へ指定されたものとみなされる措置が取られたが、中でも特に価値の高いものが「国宝」として改めて指定されているというわけなのだ。「旧国宝」と「新国宝」という区分を目にすることがあるのはこのためであり、「旧国宝」の価値が下げられたという意味合いではないという。また国が直接指定するものに対し残したいとする文化財を申請することで、ゆるやかな保存や活用が成されていくものを「登録文化財」としているが、登録には一定の基準を満たす必要があって調査も行われている。
そのほか都道府県や市町村の指定による文化財も存在するが、これらは「地方公共団体は条例の定めるところにより重要文化財や重要無形文化財・重要有形民俗文化財に重要無形民俗文化財及び史跡名勝天然記念物以外の文化財で当該地方公共団体の区域内に存するもののうち重要なものを指定して、その保存及び活用のため必要な措置を講ずることができる」という文化財保護法に基づくものであるといわれている。文化財保護法施行以前の旧法では「国宝」と「重要文化財」の区別はなく、国指定の有形文化財はすべて「国宝」と称されていたそうなのだが、「第二次世界大戦以前には国宝だったものが戦後は重要文化財に格下 げされた」と誤って理解されることが多いといわれている。
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