年齢をはじめ多少数をごまかして答えてしまった経験を持っている人も多いはずなのだが、ちょっとした数字をごまかすことのたとえとして使われる「鯖を読む」なのだ。どうして鯖なのかということはそれこそ不思議なのだが、実は鯖を読むという表現が生まれた背景には時代の変化が関係しているというのだ。実はサバの名前の由来は歯が小さいことから「小歯(さば)」を語源とする説が有力とされているが、他にもサバは大勢で集まって群れをなすことから「たくさん」を意味する「サハ」という古語が変化してサバになったいう説もあるそうなのだ。江戸時代の頃から使われている言葉に「サバを読む」というものがあって、数をごまかすという意味に使われるがそれが魚のサバと次のような関係があるというのだ。
江戸時代になると徳川幕府が行った大規模な公共事業や参勤交代のおかげで江戸は急速な発展を遂げるのだが、江戸の街には人とともに物も集まるようになり魚を扱う市場も活気を帯びてくるようになる。日本近海では鯖が豊富に獲れたそうで天保 2 年発行の「魚鑑(うおかがみ)」には「鯖は四時常にあり、春より秋の末まで盛りなり」として載っている。たくさん獲れる 鯖は傷みやすい のが欠点の魚で、鯖は夏の季語にもなる魚で一番獲れる旬は夏だったこともあって気温の高い夏は鯖の傷みが気になる季節だったのだ。当時の市場では重さではなくお魚の数で取引がおこなわれており、毎日大量に水揚げされる鯖を傷まないうちに売り切るためにはスピードが重要視され、ざっと目分量で取引されることが多かったというのだ。
この「サバを読む」の語源だが昔からサバは傷みやすいと言われており、通常魚は釣り上げられたのち死後硬直をおこし、その死後硬直が解けたあとにイノシン酸などのうまみ成分を作り出す自己消化が始まるとされている。自己消化とは魚自身が持っている酵素によりたんぱく質が分解されることを言うのだが、自己消化は人間にとっておいしくお魚を頂けるありがたい働きで熟成ということばでも馴染みとなっているという。熟成が進みすぎるとうまみ成分まで分解され最終的には腐ってしまうのだが、サバは他の魚よりも体のなかの消化酵素をたくさん持っているそうで、そのためサバは死んでしまうとこの消化酵素が自分の身を分解してしまうため他の魚よりも傷みやすいのだそうなのだ。
サバはたくさん獲れることもあって魚市場では大量注文されるそうで、魚市場の人は少しでも鮮度が落ちないように急いで注文分のサバの数を数えて行くが数え間違いが多かったという。そのため「注文した数と違うじゃないか、誰がサバの数を読んだんだ」といった苦情も少なくなかったそうなのだ。そんなところからいい加減に数を数えることや数え間違いのことを「サバを読む」と呼ぶようになったという。それがいつの間にか数をごまかすことという意味で「サバを読む」が使われるようになったというのだ。回遊魚である鯖は発達した筋肉を持っているがそのなかにヒスチジンというアミノ酸をたくさん蓄えており、自己消化の最中に鯖の体内にある細菌が活性化しヒスチジンを分解してヒスタミンを作り出すというのだ。
時代を経て都合のいい数値にごまかすという現在の意味に転じていったそうで、当時は魚市場のことを「いさば」と呼び市場には独特の数え方があったそうなのだ。これは抑揚とリズムで数を数える方法で普通に数えるよりも早くて便利だということから発生した数え方で、当時はこの「いさば」独特なこの数え方のことを「いさば読み」と言いそれが「鯖読み」の語源となったという説もまた有力だというのだ。関西では お盆に鯖の開きの干物である「刺鯖(さしさば)」というものを贈答する風習があり、 人に贈るというよりもどちらかといえば仏事用の供物であったという。そうした「刺鯖」は 2枚重ねで1つと数えられているため呼び数と干物の実数とでは違いが生じていたこと から数をごまかすことを「サバを読む」というようになったとする説もあるそうなのだ。
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