城を代表する防御設備であるといわれる石垣なのだが、山城などを歩いていて石垣に出くわすとその場所に城があったことが実感しやすく、お城を観光するときにもテンションが上がるしセルとなっている。城に興味を持ち始めて最初のうち石垣はどれも同じに見えるかもしれないのだが、よく見ると石垣にはいろいろなタイプがあって、石垣の違いと違いを生み出す原理とがわかるようになると城造りにおけるイノベーションが見えてくるという。石垣のある城を複数訪れたことがある人は思い当たることがあると思うが石垣は城によって結構姿が違い、戦国時代の山城でも石積みなどは用いられていたという。もっとも最初は防衛上重要な場所を部分的に補強しただけであることが多く本格的に使用されてはいませんでした。
石垣が城全体にめぐらされるようになったのは近世城郭のはじまりとされる安土城が最初だとされているが、その後に元和の「一国一城令」が出される 1615 年までの約 40 年間で、石垣普請の技術は日進月歩で発展していったといわれている。石垣では採ってきた石をそのまま積み上げたものを「野面積み」といい、次に採ってきた石の表面や合わせ目になる所を打ち欠いてある程度形を整えてから積んだものが「打込みハギ」というのだが、さらにブロックのように形を四角く整えて積み上げたものを「切込みハギ」と呼ぶのだ。こうなるとかなり整然とした印象になるわけだが、石の積み方でも大小の石をランダムに積むやり方を「乱積み」と呼び、段ごとに石のサイズをそろえて横に目地が通るようにしたものを「布積み」と呼ぶのだ。
石材として「野面積み」・「打込みハギ」・「切込みハギ」を組み合わせると 6 つのパターンができるので「これは野面積みで乱積み」とか「打ち込みハギの布積みだな」などと当てはめてゆくと知的パズルが楽しめるという。自然石は形が様々な上に風化で角が丸まっていることが多いため「野面積み」では必然的に石同士の間に隙間が生じるのだが、石垣は裏側がしっかりと組まれていれば表面が隙間だらけでも崩れないが、表面が隙間だらけだと見栄えが悪いし隙間を残してしまうと敵が侵入する際に足がかりにされてしまう可能性もあるため、「野面積み」の石垣では石の隙間に「間詰石」と呼ばれる小石を詰めるのが一般的で、織豊期に築かれた小谷城や竹田城などで「野面積み」の石垣を見ることができるという。
戦国まっただ中に築かれた石垣はたいがい野面積みの乱積みだが、いつ敵が攻めてくるかもわからない時代なため城造りも大急ぎで、とにかく使えそうな石をかき集めてきて片っ端から積むしかなかったというのだ。これがだんだん打込みハギの乱積みになっていくのだが、「乱積み」が技術的に稚拙かというと、そうともいえないのが面白いところで、というのも「乱積み」というのはランダムに積むことで荷重を均一に分散させる積み方だからなのだ。これを実現するには一つ一つの石の大きさや形を見て最適の場所に最適の置き方をする名人芸が必要で、「布積み」は石の大きさが揃っていることからマニュアル的に積むことができのだが、切込みハギで布積みにするためには石の加工に手間がかかってしまうのだ。
16 世紀後半になると近世城郭が盛んに造られるようになり石垣技術は急速に発達するが、このころに用いられていたのが「打込接ぎ」で、石を打ち欠くなどして加工し石同士の隙間を減らす積み方なのだ。加工に手間がかかるものの野面積よりも高く急な石垣を造ることができ、「打込接ぎ」は姫路城や私の住む松山市の松山城などで見られる。「切込接ぎ」はコストや技術面の問題であまり普及しなかったようで、近世城郭で最も見かけることが多いのは「打込接ぎ」だという。関ヶ原の戦い後に豊臣家と徳川家の軍事的緊張が高まる、全国で城が多数造られるようになり、石垣技術はさらに発展するのだがこの頃になると石同士がピッタリあうように接合面が加工され石同士の隙間は完全に消滅し高い石垣が多くなるというのだ。
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