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ルイス・J・レッカイ(朝倉文市/函館トラピスチヌ訳)『シトー会修道院』~平凡社、1989年~(Louis J. Lekai, The Cistercians: Ideals and Reality, The Kent State University Press, 1977)『聖ベネディクトゥス戒律』の原点に立ち返ろうと、11世紀後半に設立され、現在もなお存続しているシトー会修道院に関する通史とその生活・文化を描く大著です。邦語の単著としては、いまなおシトー会に関するほぼ唯一の基本的文献です。 シトー会は、修道院の概説書の中ではもちろん触れられています。たとえば杉崎泰一郎『修道院の歴史―聖アントニオスからイエズス会まで―』創元社、2015年を参照。また、本書の訳者である朝倉先生による、・朝倉文市『修道院-禁欲と観想の中世』講談社現代新書、1995年も参考になります。 さて、本書の構成は次のとおりです。―――第1部 シトー修道会の諸世紀 第1章 11世紀の修道院改革 第2章 モレームからシトーへ 第3章 シトー修道院改革の根本原理 第4章 聖ベルナルドゥスとシトー会の発展 第5章 十字軍と布教活動 第6章 特許状、会憲及び管理行政の発展 第7章 スコラ哲学の挑戦 第8章 繁栄の終焉 第9章 諸改革と宗教改革 第10章 修族の勃興 第11章 規律遵守をめぐる闘い 第12章 シトー会修道士とアンシャン・レジーム 第13章 消滅の間際で 第14章 19世紀の復興―厳律シトー会(トラピスト) 第15章 19世紀の復興―寛律シトー会 第16章 20世紀におけるシトー会士第2部 シトー会の生活と文化 第17章 霊性と学問 第18章 典礼 第19章 芸術 第20章 経済 第21章 助修士制 第22章 シトー会修道女 第23章 日々の生活と慣習 第24章 修道士と社会訳者あとがきシトー会修道院関連資料 シトー会修道院創立関係文書抄訳 用語解説(訳者作成) 統計資料 文献解題索引――― 全体で約640頁という大著なので、簡単にメモ。 第1章から第3章までは創設の背景から創設、そして初期の制度について。 第4章はクレルヴォーのベルナルドゥスの役割を強調し、彼のもと、シトー会が急速に発展することを述べます。本章以降、多くの章で、ヨーロッパ各地の状況に言及があるのが、本書の特徴の1つと思われます。(決して一部地域のみの叙述ではありません。) 第5章から第7章は主に12-13世紀の諸相を描きます(第7章は16世紀までの知的状況に言及)。 第8章以降は、中世後期から現代(1970年代)までの通史。主に中世の勉強をしてきているので、中世後期以降の状況を学べるのは貴重でした。 特に関心をもって読んだのは第2部です。上掲の構成のとおり、シトー会士の生活と文化の諸側面が描かれます。それぞれのテーマについて通史的に、また様々な地域の状況について言及されています。 第19章は、写本の頭文字や、建築について。 第20章は、土地の開墾、商業、ワイン醸造など、経済活動の諸側面を描きます。 第23章は一日の生活リズムからはじまり、食事、寝室、病人の施療、埋葬など。 第24章は、シトー会の入会者と寄進(財政的援助)、接待、病人や貧者の世話、司牧、少年・少女の教育、修道会への批判など、シトー会修道会と社会のかかわりの諸側面を紹介します。 訳者作成の用語解説は項目見出しに英語とときにラテン語も示されていて、大変貴重です。 巻末の約40頁及ぶ資料は、シトー会の分布図や各修道院の会員数などの統計情報を示していて、こちらも貴重なデータベースとなっています。 以上、ごく簡単なメモとなりましたが、このあたりで。 学生時分に部分的には読んで勉強していましたが、このたび(ざっとですが)全体を通して読むことができ、あらためて勉強になりました。(2024.03.08読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.09.21
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ミシェル・ヴォヴェル(池上俊一監修/富樫瓔子訳)『死の歴史』~創元社、1996年~(Michel Vovelle, L’heure du grand passage: chronique de la mort, Paris, Gallimard, 1993)「知の再発見双書」の1冊。 監修者序文からまとめると、著者のミシェル・ヴォヴェルは「フランス革命史」と「死の歴史」を専門とする近代史の大家です。 その有名な大著は、2019年、藤原書店から『死とは何か』(上・下)という邦題で刊行されました(立川孝一・瓜生洋一訳)が、私は未読・未入手です。 さて、本書の構成は次のとおりです。―――日本語版監修者序文第1章 死には歴史があるか?第2章 マカーブルからルネサンスへ第3章 バロックから啓蒙の時代まで第4章 ブルジョア風の死の登場第5章 20世紀の新たなタブー資料編―死をめぐる考察―1 中世における死の災厄2 荘重なる儀礼3 美しき死の時代4 エロスとタナトス5 連帯の中の死と孤独な死6 商売としての死7 非ヨーロッパ文化における死INDEX出典参考文献――― 民俗学的な成果による伝統的な死の儀礼の紹介からはじまり、葬儀のキリスト教化、死を前にした遺言のこと、そして近代における死の商業化と、通史的に死をめぐる諸側面を概観する1冊です。「啓蒙の世紀」にも、キリスト教的な死生観が残っていたりと、死をめぐる態度が単一的に変わってきたわけではないことも強調しつつ、しかし第1章の標題「死には歴史があるか?」への答えとしては、「死にも歴史がある」ことを示した書物と思います。 興味深い事例も多く紹介されます。特に資料編の7では、本編では論じられない非ヨーロッパ文化の死として、メキシコ、日本、アフリカ、インドなどを取り上げていて、興味深く読みました。 おそらく学生時代から何度となく目を通してきた1冊ですが、なんとなく記事にまとめにくく、今回もごく簡単なメモとなってしまいました。(2024.03.01再読)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.08.31
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後藤里菜『沈黙の中世史―感情史から見るヨーロッパ』~ちくま新書、2024年~ 博士論文をもとにした単著『〈叫び〉の中世―キリスト教世界における救い・罪・霊性―』名古屋大学出版会、2021年に続く、後藤先生2冊目の単著です。 本書刊行時点で、後藤先生は青山学院大学文学部史学科准教授。心性史、霊性史、感情史などがご専門で、本書ではこうした問題関心から、前著とは対照的に「沈黙」に注目して中世ヨーロッパを概観する興味深い1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 祈りと沈黙第2章 統治の声の狭間で第3章 感情と声、嘆き、そして沈黙第4章 聖と俗第5章 聖女の沈黙第6章 沈黙から雄弁へ第7章 沈黙を破る女おわりに読書案内あとがき参考文献図版出典索引――― 第1章は、修道院での沈黙を扱います。手話の具体例や、沈黙とは対照的な叫びなども紹介されます。 第2章は権力者の沈黙を扱います。具体的には、訴訟、おべっか、涙・嘆きなどのテーマが扱われます。 第3章は主に服喪の嘆きを扱います。このブログでも何度も書いていますが、泣き女について興味があるもののそれを扱う文献に当たれていない中、ここでは古代アテナイの泣き女に言及があり、興味深く読みました。 第4章は紀元千年頃からの、俗人とキリスト教の関わり方の変遷をたどり、民衆運動や、それを受けての托鉢修道会の誕生などを見ます。 第5章は、聖女たちの沈黙と声に着目し、預言者ヒルデガルド・フォン・ビンゲン、半聖半俗の生き方をしたベギン(ベギンについての邦語の基本文献として、上條敏子『ベギン運動の展開とベギンホフの形成-単身女性の西欧中世』刀水書房、2001年と国府田武『ベギン運動とブラバントの霊性』創文社、2001年を参照)たちを扱います。 第6章は再び俗人に着目し、聖職者らを揶揄するファブリオや、おしゃべりな「聖女」(?)たるマージェリー・ケンプが紹介されます。 第7章は宮廷風恋愛について概観した後、『薔薇物語』をめぐる論争とその中心的人物であるクリスティーヌ・ド・ピザンについて論じます。 各章冒頭に、その章に関連する史料からの引用が掲げられていたり、詳細な読書案内が付されていたりと、本のつくりも丁寧です。(2024.07.31読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.08.12
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ピエール=ミシェル・ベルトラン(久保田剛史訳)『左利きの歴史―ヨーロッパ世界における迫害と称賛』~白水社、2024年~(Pierre-Michel Bertrand, Histoire des gauchers: «des gens à l’envers», Édition Imago, 2008) 著者のベルトランは1962年生まれ。フランスでは在野の歴史家として知られ、左利きに関する歴史やエピソードについてテレビなどで紹介している方だそうです。 著者も、青山学院大学文学部フランス文学科教授の訳者も、お二人とも左利きとのこと。 本書はまさに、左利きの人々への迫害と称賛のまなざしや左利きの人々の置かれた境遇などについて論じる1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――第2版の序文序論第1部 正しい手と邪悪な手 第1章 なぜ人類は右利きなのか 第2章 右手主導の規則 第3章 左利きによる秩序の転覆第2部 軽蔑された左利き 第4章 左利きという異常性 第5章 左利きという烙印 第6章 下等人間の特性 第7章 不寛容のはじまり 第8章 虐げられた左利き第3部 容認された左利き 第9章 中世の黄金時代 第10章 近代の解放にいたる長い道のり 第11章 2つの右手の神話第4部 称賛された左利き 第12章 左利きの卓越性 第13章 左利きの巨匠たち結論付録訳者あとがき参考文献原注――― 序文、序論では、「左利きの歴史が(中略)心性史全般にきわめて直接的にかかわっている」(8頁)、「歴史、とりわけ心性史は、しばしばこうした万華鏡のような数々の輝きでできている」(13頁)のように、本書が心性史研究の立場をとっていることが示されます。 第1章は、右手の優位の背景として、(1)戦士の習慣、(2)太陽の運行、(3)両極性の法則の3点を挙げ、問題の核心が「生理的側面よりも象徴的側面にあるらしい」(23頁)といいます。 第2章は聖書を中心に右と左がいかに描かれているかを見た後、右と左の語彙に着目し、左という語がしばしば不幸、裏切りなど否定的な意味を持っていたことを示します。さらに、宣誓や挨拶などの場での右手、左手の使用へのまなざしを概観します。 第3章は、エバが左手でリンゴをつかむ図像を例示し、左利きが「既存の秩序を転覆させる」(55頁)と考えられたことを示します。 第2部から第4部は、テーマごとに、その中ではやや時系列に沿ってみていきます。 まず第4章は、レオナルド・ダ・ヴィンチがその才能を評価される一方、左利きであることは「ある種の障害」とみなされたことを紹介した上で、左利きをそのようにみなす言説を挙げます。 第5章は語彙の分析から左利きが侮蔑的な意味を持っていたことなどを指摘し、第6章は医学、犯罪学の文献から、左利きへの差別的な見方を紹介するとともに、それがいかに恣意的で無意味化を指摘します。 第7章は教育課程の中で、左利きの子供たちに過酷な左利き矯正がなされたこと、第8章はその様子をより詳細に論じます。 一方、第3部以降は、左利きへの寛容なまなざしをたどります。第9章は、礼儀作法の進展により左利き使用への不寛容な見方が生まれてきたことを指摘し、それ以前には左利きの「性向を禁じることまでは、思いもしなかった」(139頁)といいます。第10章は、左利きを肯定的に見る言説をたどり、とりわけ第一次世界大戦に右半身を負傷し左利きとならざるを得なかった「新たな左利き」への称賛がなされるようになったことを強調します。第11章は、左手も右手同様に用いるべきという考え方を紹介します。 第4部は左利きへの称賛ということで、第12章は左利きであることに誇りを持っていた人々の記録(「写本を左手で書いた」という文や、左利きの画家たちの言葉)を紹介し、第13章は左利きの画家たちの事例を紹介します。ここでは、様々な文献で無根拠にある人物を左利きとみなす風潮を批判し、特に画家にしぼり、左利きとみなすための分析手法が提唱されます。またその末尾で、左利きの名声を高めようとすることは、「ある偏見を別の偏見に置き換えることにすぎない」(241頁)と述べ、左利きは軽蔑にも称賛にも値しない[要は右手の人と同じ]と、当然のことながらきわめて重要な指摘をなします。 その他、注ではミシェル・パストゥローによるユダと左利きの関係を論じる論文への批判や、サウスポーの語源の紹介などもあり、興味深い1冊でした。(2024.07.28読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.08.10
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杉崎泰一郎『「聖性」から読み解く西欧中世―聖人・聖遺物・聖域』~創元社、2024年~ 中央大学文学部教授の杉崎先生による、「聖性」の観点から西欧中世を読み解く1冊。以前紹介した杉崎泰一郎『世界を揺るがした聖遺物―ロンギヌスの槍、聖杯、聖十字架…の神秘と真相―』(河出書房新社、2022年)は、聖遺物に焦点を当てた平易な語り口の1冊でしたが、本書は聖遺物から聖性へと対象を拡大しています。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 コンスタンティヌス大帝からカール大帝へ―キリスト教聖性の醸成第2章 権力者と聖性第3章 地域社会と聖なる力第4章 修道院による聖性の創出第5章 巡礼と伝承第6章 教皇、王と受難のキリスト―十字軍時代の聖性を導いたもの第7章 教皇による列聖、王権の聖化―聖なる力による普遍的な権威の形成第8章 言葉による聖性の拡散と共有第9章 俗人による宗教運動と地域共同体―ルネサンスから近世へあとがき参考文献索引――― 以上のように、初期中世から近世までを見据えた概説となっていて、また多様な「聖性」のあり方が論じられており、興味深い1冊です。 が、誤植が目立つのが気になりました。(1)研究者名の誤字 轟木広太郎先生の名前の表記が「轟広太郎」となっているほか(71頁、307頁)、列聖手続きに関する研究を進めていらっしゃる渡邉浩先生の表記にいたっては「渡辺浩」(216頁)、「渡邊浩」(219頁)、正しい「渡邉浩」(同頁)と、数ページの間にまちまちの表記になっています。渡邊昌美先生の表記も、「渡邉昌美」(307頁、311頁)となっている箇所がありました。(2)固有名詞の誤字 モワサック修道院について論じている部分で、とつぜん「モサワック修道院」と表記されたり(141頁)、その他地名でノルマンディーが「ノルマディー」となっていたり(236頁)します。また、タラスコンというまちでの、タラスクという怪物の伝説について論じる部分では、「怪物タラスコン」(292頁)とあり、怪物名と都市名の混同があります。(3)その他 巡礼に関する基本的史料である『聖ヤコブの書』の第五部「巡礼案内書」について紹介する部分で、「その第五部は『巡礼案内書』は、(以下略)」と「は」が二重になっていて、ここは「その第五部『巡礼案内書』は」でしょう(148頁)。232頁では聖王ルイの命日が「八月二一五日」(230頁では「八月二五日」)と余計な「一」が入っています。268頁の「キリストの脇腹を指したロンギヌス」は、「キリストの脇腹を刺したロンギヌス」が正しいでしょう。 こうした誤植のほか、人物に関する記述にも誤りがあります。261頁から、このブログでも何度か言及しているジャック・ド・ヴィトリという説教師に関する言及がありますが、ここではジャックが「ドミニコ会修道士」で、「エルサレム総大司教に任じられた」。そして、「例話集や説教集を執筆した」(261-262頁)とあります。しかしカッコで引用した部分は、私が勉強してきている限りではすべて誤りで、ジャックはドミニコ会修道士ではなく、律修聖堂参事会員を経て、司教、司教枢機卿といった経歴の人物です。エルサレム総大主教ではなく、アッコンの司教に任じられました。また、自身では例話集は残していないはずで、多くの例話を含む説教集は著しており(『身分別説教集』と『週日・通聖人説教集』)、のちに例話のみ抜粋した写本が作られたということはあるようです。本書の性格上、注がないため、何を根拠にジャックについて以上のような記述がなされたのか不明ですが、さきの誤植が多い件とあわせて、本書が非常に興味深いテーマを扱っている貴重な概説書であるだけに、余計に残念でした。 こういった残念な点はありましたが、興味深い記述も多いです。 たとえば第1章では、聖遺物を取引する商人の存在が指摘されます。 また第2章では、有名なバイユーのタピスリー(1066年のいわゆるノルマン・コンクエストでのイングランド王とノルマンディー公の戦いを描く)の中で、敗北する英王ハロルドは目に矢を受けて命を失いますが、彼は「雄牛の目」と呼ばれる聖遺物箱に入れられた聖遺物に誓いを立てていました。ここで、聖遺物箱の「目」と死因の関連性があるのかもしれない、という興味深い仮説が示されています。 第3章では、領主の裁きによって不当な扱いを受けた者に対して、「教会や修道委員が聖人の名のもとに救済活動をしていた」(89頁)ということが指摘されます。その他、修道院での聖遺物の利用の諸側面を描く第4章、教皇による列聖手続きの成立の概要を分かりやすく示す第7章など、どの章も興味深く読みました。(2024.06.09読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.06.15
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大貫俊夫他(編)『修道制と中世書物―メディアの比較宗教史に向けて―』~八坂書房、2024年~ 2020年にはじまったプロジェクト「中近世における宗教運動とメディア・世界認識・社会統合:歴史研究の総合アプローチ(略称ReMo研)」の成果として刊行された論文集です。 編者代表の大貫先生は東京都立大学人文社会学部准教授。本ブログでは次の訳書を紹介したことがあります。・アルフレート・ハーファーカンプ(大貫俊夫他編訳)『中世共同体論―ヨーロッパ社会の都市・共同体・ユダヤ人―』柏書房、2018年・ウィンストン・ブラック(大貫俊夫監訳)『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』平凡社、2021年 編者の1人赤江雄一先生は慶應義塾大学文学部教授。本ブログでは次の単著と編著を紹介したことがあります。・Yuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015・赤江雄一/岩波敦子(編)『中世ヨーロッパの「伝統」―テクストの生成と運動―』慶應義塾大学言語文化研究所、2022年 本書の構成は次のとおりです。―――第I部 総論(大貫俊夫・赤江雄一・武田和久・苅米一志) はじめに I-1 キリスト教修道制における書物メディアとその展開 I-2 日本中世仏教における書物メディアとその展開第II部 書物文化の醸成 II-1 西欧初期中世秘跡書写本の装飾イニシアル―vere dignumとte igiturのイニシアル・ページの機能をめぐって(安藤さやか) II-2 二重修道院の書物―セッカル修道院の書物係ベルンハルト(1140-84/85)の足跡を追って(林賢治)第III部 書物による知の継承・改変 III-1 世俗知から宗教知へ―ボエティウス『哲学のなぐさめ』に見る知的世界観の変容(阿部晃平) III-2 西欧中世の修道院と動物寓意テキストについて―Dicta Chrysostomi版フィシオログス写本の分析から(長友瑞絵) III-3 ドイツ語圏英雄伝承の教化素材化―ニーベルンゲン伝説およびディートリヒ伝説を題材に(山本潤)第IV部 歴史叙述とアイデンティティ IV-1 托鉢修道会のアイデンティティと書物(梶原洋一) IV-2 『キリストの生涯についての黙想』をめぐる二大托鉢修道会のイメージ戦略(荒木文果) IV-3 聖マルゲリータ・ダ・コルトーナをめぐる記憶の政治と書物―13-14世紀転換期におけるフランチェスコ会・イタリア都市・聖人崇敬(白川太郎)第V部 日本中世との比較 V-1 聖地と日本仏教史の再創出―『金剛山縁起』の偽撰と受容(川崎剛志) V-2 「東国の王権」を守護する観音―真名本『曾我物語』・『源平闘諍録』・坂東三十三所縁起(宗藤健)あとがき編者・執筆者略歴索引――― 4名の編者による総論は本論文集の導入として、研究動向や歴史的背景の見取り図となっていて便利です。西洋中世史と日本中世史との比較が本論集の特徴の1つですが、中でも、日本史の観点から、「説話は、中世ヨーロッパで人気を博した「例話」と同様やがて文学の一分野となり、その集大成が中世初期…における『今昔物語集』である」(50頁)との指摘は興味深く、『今昔物語集』にあらためて興味がわきました。なお、西欧中世の「例話」(基本文献はClaude Bremond, Jacques Le Goff et Jean-Claude Schmitt, L'《exemplum》 2e edition, Brepols / Turnhout, 1996)が「文学の一分野」だったのかどうかについては議論があります。 以下、各論について簡単にメモ。 安藤論文は標題どおり秘跡書写本の装飾頭文字について、モノグラム(合わせ文字)の影響関係など、様々な写本との比較検討を行います。 林論文は男女両性が同一の修道院で生活する「二重修道院」の書物係による写本分析を通じて、従来の「慣習律」が想定していない「二重修道院」の形式に対応させるべく、女性を対象としたメッセージを盛り込んでいたことを明らかにします。 阿部論文は、「キリスト教徒が書いた異教的文学」(140頁)であるボエティウス『哲学のなぐさめ』が、中世においていかに読まれ、キリスト教的に解釈されたか、様々な写本の余白に記された注解や挿絵を手掛かりにたどる興味深い論考です。余談ですが、『西洋中世研究』15所収の阿部晃平「知識をいかに体系づけるか?―『ソロモンの哲学の書』に見る初期中世における学問区分の再編成―」という論文も大変興味深く読みました。 長友論文は『フィシオログス』という動物寓意テキストのある写本について、特にハイエナとゾウのキリスト教的解釈の分析を行います。ハイエナとゾウが1つのフォリオの裏表に描かれている点にも編集者の理念を読み解く興味深い指摘がなされます(202頁)が、一方でその写本の構成(177頁)によれば、2つの動物のあいだに野ロバとサルが配置されているようなので、紙幅の都合があるとは思いますが、間に置かれた動物たちの位置づけが気になるところでした。 山本論文は副題に掲げる2つの伝説について、俗人の「英雄伝説」をいかに聖職者が書字文芸化したのかといった点や、英雄伝説への両者の認識などを考察します。面白かったのは、『ニーベルンゲンの歌』は、その破滅的な結末の続編である『ニーベルンゲンの哀歌』と組み合わされて写本に収録されており、後者は前者をキリスト教的な歴史構造に位置づける機能を果たしていたという指摘です。 梶原論文は、本書収録の多くの論考が、「宗教者たちが、多様な手段・目的によって、過去から継承した書物や知識に「改変」を施したプロセス」(233頁)を鮮やかに描き出しているのに対し、当該論文は書物の存在を通じて、「集団が有する性格とアイデンティティが変容し再定義される、その様相」を考察すると冒頭で述べ、本書の諸論考の性質と自身の目的を的確に提示します。そのうえで、ドミニコ会士とフランシスコ会士が書物とその作成・収集にいかなる態度を示したのか、鮮やかに描き出す興味深い論考です。 荒木論文は、フランシスコ会士による『黙想』という作品が、多様に絵画として表現された一方、同作を意識して作成されたドミニコ会士による『黙想』は、壁画制作を前提としつつ、自由な表現を制限していたこと、さらにドミニコ会『黙想』への競合意識を反映するかのようなフランシスコ会出身教皇の壁画の作例を指摘するという、書物とそれを基にした絵画の分析から、2つの修道会の競合意識をたどる読み応えのある論考でした。 白川論文は、神秘体験を経験し、後に聖人とされる俗人女性マルゲリータ・ダ・コルトーナを、書物を通じて崇敬を確立しようとしたさまざまな人々の関与・思惑を具体的に分析します。 第V部は日本中世史からの2つの事例です。 いずれも、宗教と書物をめぐる重厚な論考で、興味深い1冊です。(2024.05.19)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.06.01
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フィリップ・ティエボー(千足伸行監修/遠藤ゆかり訳)『ガウディ―建築家の見た夢―』~創元社、2003年~(Philippe Thiébaut, Gaudí. Bâtisseur visionnaire, Paris, Gallimard, 2001) 知の再発見双書の1冊。 スペインはバルセロナのあまりにも有名な未完のサグラダ・ファミリア聖堂の設計者アントニオ・ガウディ・コルネット(1852.6.25-1926.6.10)の、様々な業績と人となりを、豊富な図版を交えて紹介してくれる1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版監修者序文第1章 カタルーニャ地方の主都、バルセロナ第2章 イスラム建築の影響とカタルーニャ主義第3章 ゴシック様式とフランス合理主義第4章 生き物のような建築第5章 サグラダ・ファミリア教会資料編―ガウディがのこしたもの―1 ガウディの作品マップ2 シュールレアリストたちの解釈3 シュールレアリストたちの賛辞4 写真家クロヴィス・プレヴォーが見たガウディ5 熱烈な鑑定家、ペドロ・ウアルトガウディ略年譜INDEX出典参考文献――― 本文約100頁、資料編約30頁、冒頭にも書いたように図版が豊富なのでとても読みやすいです。 私は近代建築には全く詳しくないので、様式論などについてふれる資格はありませんので、簡単に印象に残った点のみメモしておきます。 ひとつは、ガウディの人柄。たとえば、建築学校時代、墓地の設計図の試験の際に、まわりの雰囲気を表現することも重要と考え、悲嘆に暮れた人々や灰色の雲が垂れこめる空などを書き加えたところ、教授はそれを間違いと決めつけますが、ガウディは修正する気がなく、そのまま教室を出てしまったとか(24頁)。その他、カラフルなタイルをはる作業のとき、新しい建築技法になかなかなじめない石工たちは、ガウディが満足するまで何度もやり直しをしなければならなかったという証言も紹介されています(69-70頁)。 一方、サグラダ・ファミリア建築にかかる膨大な資金集めのため、自ら道行く人々に寄付をつのったそうで、みすぼらしいかっこうのガウディを揶揄する風刺画も残されています(94-95頁)。 次に、その作品については、独創的な建築物の写真がどれも興味深いですが、特に印象に残ったのは、グエル邸の家具です。曲線が美しく豪華な椅子は、デザインが優れているだけでなく、「シートや背もたれの曲線は座る人の体にきちんと合うように、さらには上品な姿勢を保つことができるように計算しつくされている」(59頁)そうですし、非常に不安定な左右非対称の鏡台も、脚の部分にブーツのひもを結ぶときに足をのせるための小さな台がついていたりと、実用面でもすぐれています(42,59頁)。 最後に、私も少し興味を持っているシュールレアリストのダリも、ガウディの作品を非常に称賛していたということで(資料編3)、こちらも興味深く読みました。 普段はほとんど触れない分野の本ですが、興味深く読めた1冊です。(2024.01.31読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.05.18
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池上俊一『魔女狩りのヨーロッパ史』~岩波新書、2024年~ 東京大学名誉教授の池上先生の最新刊です。 池上先生には『魔女と聖女』講談社現代新書、1992年や監訳としてジャン=ミシェル・サルマン(池上俊一監修)『魔女狩り』創元社、1991年などがありますが、本書はこうした業績を踏まえつつ、最新の研究もフォローした1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 魔女の定義と時間的・空間的広がり第2章 告発・裁判・処刑のプロセス第3章 ヴォージュ山地のある村で第4章 魔女を作り上げた人々第5章 サバトとは何か第6章 女ならざる“魔女”―魔女とジェンダー第7章 「狂乱」はなぜ生じたのか―魔女狩りの原因と背景第8章 魔女狩りの終焉おわりにあとがき主要参考文献・図版出典一覧―――「はじめに」で近年の魔女研究の動向を簡潔に整理した後、第1章は、本書で対象とする「魔女」の定義を、キリスト教的ヨーロッパで、15-18世紀の魔女狩りの対象となった人々と狭義にとらえるという姿勢を示します。さらに、魔女が行ったとされる魔術の諸類型や、魔女狩りの地域ごとの差異などが紹介されます。 第2章は章題どおり、魔女が訴えられ処罰される過程を具体的に示します。体調が良くないときに読むと辛くなります。 第3章は、本書の中で最も興味深く読みました。ある村で、ある一家全員が魔女とされるに至った経緯を紹介するのですが、ここでは、その家族の子である9~10歳くらい少女が、次から次に家族を告発していく様が示されます。彼女自身は別の地に再教育のため送られ、のちに結婚、さらに魔女狩りで犠牲になった家族のために壮麗な墓標を建てた(84頁)とのことですが、彼女は本当に告発していたのか(単に家族とダンスに行った話や空想を膨らませながら話していただけなのを裁判官たちが都合よく解釈しただけなのか)、どんな思いだったのか、いろいろ考えさせられました。 第4章は魔女狩りの理論を練り上げていった人々についての議論です。よく、「魔女狩りは暗黒時代の中世になされた」と思われがちですが、魔女狩りの最盛期は16世紀後半から17世紀半ば、つまり近世~近代初頭の出来事で、中世の出来事というのは間違いだという指摘があらためてなされます(92頁)。が、続けて、理論的な下地は中世に形成されており、「中世が免責されるわけではない」(92-93頁)と指摘されているのが印象的でした。 第5章はサバトについて。「悪魔からもらった膏薬を塗った」(130頁)、「~という場合もあった」などの表現が用いられていますが、ここでは、「~と裁判官たちに解釈された」などを補いながら、あくまでサバトがこのようにイメージされたというふうに読む必要があると思われました。 第6章は、女性以外の魔女狩りの対象となった男性やこどもたちについて。 第7章は章題どおり魔女狩りの背景と原因を探ります。順番が前後しますが、「あとがき」でも、魔女狩りの最盛期がルネサンスや科学革命といった「近代の黎明を告げる出来事の起きた」時代にあったのはなぜか、という問題関心があったことが触れられ、私もまさにその点が気がかりであるのですが、先のコロナ禍にあった「自粛警察」など、科学の進展した「現代」にもスケープゴートを仕立て上げる様子が見られることを思うと、単純に近代性と魔女狩りの心性が両立しないと考えることには慎重になりつつ、個別具体的にその要因を探る必要があることをあらためて感じました。第7章では、とりわけ、共同体の解体や都市エリートによる農村の「文化変容」といった議論を興味深く読みました。 第8章は魔女狩りの終焉をたどり、「おわりに」は本書の要点の整理となっています。 以上、簡単なメモとなりましたが、最新の研究動向もフォローできる、興味深い1冊です。 さいごに、魔女は悪天候をもたらしたとか、それと表裏一体ですが魔女狩りの時期の気候不順などが指摘されていますが、これに関連した面白い論文があるので紹介しておきます。・井上正美「魔女と悪魔と空模様」『立命館文学』534、1994年、132-148頁(2024.04.13読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.04.28
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ジャン=ミシェル・サルマン(池上俊一監修/富樫瓔子訳)『魔女狩り』~創元社、1991年~(Jean-Michel Sallmann, Les sorcières, fiancées de Satan, Paris, 1989)「知の再発見」双書の1冊。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版監修者序文第1章 妖術の誕生第2章 魔女狩り第3章 過酷な裁判第4章 妖術と魔術第5章 妖術の衰退資料篇―魔女のイメージと現実1 ある妖術事件2 悪魔学者の語るところによれば3 サバト4 ロマン派の視点5 ルーダンの悪魔6 ベナンダンティの戦いの儀礼7 現代の魔女8 伝統的な知識9 非ヨーロッパ文化における妖術関連地図INDEX出典(図版)参考文献――― 第1章は魔女狩りの前史として、妖術の諸相を概観します。妖術が災害などの原因とされたほか、その起源が古代の神話に求められることなどを指摘します。 第2章では、魔女裁判の具体例や、魔女が行っているとされる様々な儀式などが概観されます。ここでは、「とくにもっとも年老いたもっとも貧しい」(58頁)女性が魔女とされることが多いことを指摘するなかで、その時代の社会を「世間の人たちがそう信じて自己満足しているほど、老人にいたわりがあるとは必ずしも言えない社会」(59頁)と評している部分が印象的でした。 第3章は、どう答えても有罪にもっていかれるような事例など、様々な過酷な裁判の事例紹介です。 第4章は、魔女狩りの実施には地域性があり、過酷な魔女狩りが行われなかった地域もあることを指摘したのち、魔女狩りを懐疑的に見ていた人々の存在などを論じます。 第5章は章題どおり、魔女狩りの終焉をたどります。 資料編では、現代や非ヨーロッパ圏の事例も紹介されるのが興味深いです。 本シリーズに共通しますが、図版が豊富でイメージしやすく、また叙述も明解で、読みやすい1冊です。(2024.03.24再読)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2024.04.27
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徳永聡子(編)『神・自然・人間の時間―古代・中近世のときを見つめて―』~慶応義塾大学言語文化研究所、2024年~ 2020年4月から2022年3月の慶応義塾大学言語文化研究所の公募研究「時間支配とテクストの生成―古代から近世における比較思想史的研究」の成果の一部をまとめた論文集です。 編者の徳永先生は慶應義塾大学文学部教授。本ブログでは、共編著として、次の論集を紹介したことがあります。・大沼由布・徳永聡子(編)『旅するナラティヴ―西洋中世をめぐる移動の諸相―』知泉書館、2022年 さて、本書の構成は次のとおりです。―――はじめにI 古代ギリシア・ローマ 土橋茂樹「クロノスとカイロス―古代ギリシアの時間概念とそのキリスト教的受容」 小池和子「キケローと暦、日付―書簡集を中心として」II 中世ヨーロッパ 岩波敦子「ときを記録する―中世ヨーロッパの時間意識と過去―現在―未来」 山内志朗「聖霊の時間形式を求めて―中世における予型論について」 松田隆美「煉獄の時間とSir Orfeoの時間」 赤江雄一「西欧中世における説教の「心中の暦」―説教者は年間を通じて説教内容をどのように決定したか」 徳永聡子「教会暦とキャクストン版『黄金伝説』」III イスラームとオリエント 鎌田由美子「イスラーム美術と星モチーフ―セルジューク朝の金工品に見られる七惑星と黄道十二宮」 北田信「デカンの初期ウルドゥ―語詩人ヌスラティーにおける時間」おわりに――― 特に興味深かった論文についてメモしておきます。 小池論文では、紀元前45年のユリウス暦への改暦前は、1年が355日で、1年おきに2月の後に閏月を入れていたというのですが、閏月の挿入がいい加減に、また政治的になされていたという指摘が印象的でした。 岩波論文は、中世ヨーロッパのさまざまな「とき」をめぐる、やや概説的な論考。復活祭(春分の日以降の満月後の最初の日曜日)の正しい算定方法をめぐる議論、都市の時間、歴史叙述、「亡霊譚」などからみる死者や異界の時間など、時間に関する諸相を描きます。 松田論文は、岩波論文末尾で扱われる「異界」のときについて、特に文学作品に描かれる煉獄の時間を論じます。こちらも関心のあるテーマで、興味深く読みました。 赤江論文はYuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015、第6章をアップデート、単独論文として整理した邦訳版。説教で語られる主題が特定の日曜日に結び付けられていることにより、説教者も聴衆も、どの日曜日にどの主題が語られるかという暦が頭の中にあったのではないか、という、ダブレイらが論じる「心中の暦Mental Calendar」概念の有用性を、ある『日曜説教集』の詳細な分析を通じて、あらためて明らかにする論考で、大変勉強になりました。 第III部も、私は不勉強な領域ですが、イスラーム美術における星のモチーフに関する話など、興味深く読みました。 読了から時間が経ってしまったのと、私の理解不足で、十分な紹介ができませんでしたが、興味深い話題も多く、勉強になる1冊でした。(2024.04.07読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.04.20
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有光秀行/鈴木道也(編)『脇役たちの西洋史―9つのライフ・ヒストリー―』~八坂書房、2024年~ 編者のお一人、有光先生は東北大学大学院文学研究科教授で、中世ブリテン諸島史がご専門です。本ブログでは、次の単著を紹介したことがあります。・有光秀行『中世ブリテン諸島史研究―ネイション意識の諸相―』刀水書房、2013年 もうお一方の鈴木先生は東洋大学文学部教授で、中世フランス史がご専門です。本ブログでは、たとえば、『西洋中世研究』12所収のご論考「<Reditus Regni ad Stirpem Karoli Magni>再考」を紹介しています。 さて、本書は、初期中世から近代までの、教科書には名前が載らないような「脇役」たちにスポットを当て、彼らの経歴を通して、同時代の歴史・社会・文化などの諸側面をあぶりだす試みです。 本書の構成は次のとおりです。―――まえがき第1章 忘れられた「第三の守護聖人」―アウクスブルク・ノイブルク司教聖シントペルトゥス(†807?)―(津田拓郎)第2章 「世界で最高の騎士」―ウィリアム・マーシャル(ca.1146-1219)(有光秀行)第3章 奮戦するパリ大学総長―ジャン・ジェルソン(1363-1429)(鈴木道也)第4章 ブルゴーニュ公国を生きる―ユーグ・ド・ラノワ(1384-1456)(畑奈保美)第5章 都市を演出する詩人―アントニス・ド・ローフェレ(ca.1430-1482)(池野健)第6章 カトリック聖職者の失敗した宗教改革―フランツ・フォン・ヴァルデック(1491-1553)(永本哲也)第7章 国王の天地学者として生きる―クリスティアン・スクローテン(ca.1525-1603)(小川知幸)第8章 三十年戦争末期ヴュルテンベルクの預言者―ハンス・カイル(ca.1615-?)(出村伸)第9章 啓蒙の世紀の商人―ドミニク・オーディベル(1736-1821)(府中望)あとがき執筆者一覧索引参考引用文献一覧図版出典一覧――― まず、各章で扱われる人物に関連する絵画、場所などの(カラーも含む)図版が各章に5点以上収録されていて、イメージがわきやすいつくりとなっているのが嬉しいです。また、各章には固有名詞などについての脚注が豊富に付けられていて、読みやすい工夫がなされています。専門的な文献注はありませんので、読みやすく、一方で関連書籍は紹介されていて、さらに勉強を深めることも可能です。 さて、以下、簡単に各章についてメモ。 第1章は、8~9世紀の転換期を生きた司教をとりあげます。生前の事績は地味であったにもかかわらず、11世紀頃から崇敬をうけはじめ、ナポレオン戦争期頃から急速に崇敬が衰退します。このように、初期中世の人物[事件]を取り上げ、その後世への受容を通史的に描く手法は、津田先生の別稿「トゥール・ポワティエ間の戦いの「神話化」と8世紀フランク王国における対外認識」『西洋史学』261、2016年、1-20頁や「「大立法者」としてのカール大帝の記憶」『西洋中世研究』12、2020年、79-92頁にも見られ、興味深く拝読しました。 第2章は、12-13世紀に、無名の雇われ騎士から始まり、後に「これ以上偉大な人を見たことがない」とまで評されるにいたったウィリアム・マーシャルを取り上げ、彼の経歴や、同時代の政治的背景を論じます。中でも、騎士としての名声をとどろかせることになる馬上槍試合についての節では、試合前には社交の機会が設けられていていたことから、「馬上槍試合は当時の俗人エリート層がコミュニケーションをとる機会のひとつ」「社会的ネットワークを形成し、確認し、また強固なものとするツールのひとつ」であったという指摘(55-56頁)や、波乱の政治的状況の中、マーシャルが歴代の王にも「もの言う」騎士であったとの指摘が興味深かったです。 第3章は、教会大分裂(シスマ)期にパリ大学総長となり、シスマ解決に紛争したジャン・ジェルソンを取り上げます。彼は、シスマだけでなく、ブルゴーニュ公ジャン無畏公の意図によるオルレアン公ルイ暗殺事件への糾弾もなしますが、その中で言及される、ジャン・プティという人物が唱えた「暴君殺害擁護論」という考え方が興味深かったです。要は、暴君の殺害は正当かつ合法だ、というのですね。ジェルソンはこの考え方を批判しますが、このように、彼が様々な争いに関して、様々な論考や説教活動を通して解決しようとしていた姿が浮き上がります。 第4章は第3章でも言及のある歴代のブルゴーニュ公に仕えた重臣ユーグ・ド・ラノワに焦点を当てます。英仏百年戦争のさなか、生まれ故郷のフランドル地方の立場から様々な議論を展開し、晩年には、ブルゴーニュ公フィリップが1430年に設立した金羊毛騎士団の古参の騎士として、その総会に努めて出席したほか、団員の最上席を占めるほどになります。 第5章は、フランドル地方のブルッヘで、石工職人でありながら高名な詩人・劇作家として活躍し、都市から相当の年金を受給した詩人ローフェレを取り上げます。ブルッヘはブルゴーニュ公の宮廷があり、彼らはフランス語で話しましたが、主人公の詩人は世俗の言語フラマン語で詩作をしていたことから、詩人は都市住民を対象としていたことが指摘されます。また、ローフェレが演出した入市式での活人画を詳細に分析し、彼が「都市の名誉」のための働きかけを行っていたことが示されます。 第6章はカトリックの司教にして領邦君主であったフランツに焦点を当て、彼がカトリックでありながら自身の領邦のプロテスタント化を図ったのはなぜか、という興味深い問題提起から議論を展開します。詳細な分析から、彼が自身の権力の保持に尽力していたことを明らかにするとともに、プロテスタントになった人々の動機も多様であったことが示されます。 第7章は異色作。現地測量に基づいて作成した地図がスペイン国王に認められ、「国王の天地学者」として活躍することとなるスクローテンと同時代の「私」が、スクローテンの語りを聞きながら、その生涯を描写するという、小説風の構成となっています。ちょっとしたミステリーとしての仕掛けもあり、スクローテンの生涯や業績自体も興味深いながら、物語として楽しく読める1章です。 第8章は、突如天使に出会い、神からの言葉を伝えられたという、ぶどう栽培を営む農夫ハンス・カイルに焦点を当てます。彼の預言の詳細、そしてそのニュースが活版印刷によるビラやパンフレットにより広範に伝えられたこと、彼が当局から疑われ、のちに「自白」に至る過程など、同時代に預言がどうとらえられたのかが明らかにされ、大変興味深く読みました。 第9章は、フランス革命前後を生きた商人ドミニクを取り上げます。彼は啓蒙思想家ヴォルテールと書簡を交わし、相当な学のある方だったようです。アンシャン・レジームにおいては特権階級の矛盾を批判しつつ、革命後には、特権を擁護するかのような発言をするという、一貫性がなさそうに見える彼の思想の背景を辿る、こちらも興味深い論考でした。 本書は、編者のお一人有光先生から御恵贈いただきました。心から感謝します。(2024.03.17読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.03.31
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櫻井康人『十字軍国家』~筑摩選書、2023年~ 著者の櫻井康人先生は東北学院大学歴史学科教授。十字軍や十字軍国家の研究を多く発表されていて、単著としては本ブログでも次の2冊を紹介したことがあります。・櫻井康人『図説 十字軍』河出書房新社、2019年・櫻井康人『十字軍国家の研究―エルサレム王国の構造―』名古屋大学出版会、2020年 さて本書は、重厚な『十字軍国家の研究』が、その副題のとおり、十字軍国家の都市社会や農村社会にも着目し、社会構造を分析するのに対して、様々な十字軍国家がたどった歴史を通史的に叙述しています。いわゆる、何年に誰が、どこで、誰と、何をした、という、事件史・政治史・外交史的な叙述が中心で、社会に関する叙述はほぼありません。それは、あとがきにもあるように、本書で目指されたことが「まずは基本的であると考えられる情報を、努めて簡略に提供すること」であることによります。 本書の構成は次のとおりです。―――序 十字軍国家とは何かI ラテン・シリア 第1章 ラテン・シリアの誕生(1097-1099年) 第2章 ラテン・シリアの形成(1098-1118年) 第3章 ラテン・シリアの成長(1118-1146年) 第4章 ラテン・シリアの発展と分断(1146-1192年) 第5章 ラテン・シリアの回復と再分断(1192-1243年) 第6章 ラテン・シリアの混乱と滅亡(1243-1291年)II キプロス王国 第7章 キプロス王国の形成と発展(1191-1369年) 第8章 キプロス王国の混乱と消滅(1369-1489年) 補章1 ヴェネツィア領キプロス(1489-1573年) 補章2 キリキアのアルメニア王国(1198-1375年)III ラテン・ギリシア 第9章 ラテン帝国(1204-1261年) 第10章 フランク人支配下のモレア(1)(1204-1311年) 第11章 フランク人支配下のモレア(2)(1311-1460年) 補章3 カタルーニャ傭兵団とアッチャイオーリ家(1311-1462年)IV 騎士修道会国家 第12章 ドイツ騎士修道会国家(1225-1561年) 第13章 ロドス期の聖ヨハネ修道会国家(1310-1523年) 第14章 マルタ期の聖ヨハネ修道会国家(1523-1798年)あとがき主要参考文献十字軍国家支配者一覧――― 多少予備知識がないとややとっつきにくいかもしれませんが(今の私には正直とっつきにくく、今回はほぼ流し読みとなってしまいました)、記事の冒頭にも書いたように、通史的に基本的事項が整理されているので、必要に応じて手引き的に参照すると便利だと思います。(2023.12.17)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.03.30
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角山栄『時計の社会史』~中公新書、1984年~ 角山栄氏はイギリス経済史等が専門で、本書のほか、『茶の世界史』(中公新書。のぽねこは未見)も有名です。 本書は、西洋のみならず、中国、日本も含めて、社会・生活との関りから時計の歴史をたどる一冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――シンデレラの時計東洋への機械時計の伝来「奥の細道」の時計和時計をつくった人びと江戸時代の暮らしと時間ガリヴァの懐中時計―航海と時計時計への憧れ―消費革命と産業革命昼間の時間と夜の時間時計の大衆化―スイス時計とアメリカ時計機械時計の歴史の終わり―ウォッチの風俗化あとがき参考文献――― 冒頭は、「シンデレラはどうやって真夜中12時を知ったのか」という魅力的な問いから始まり、機械時計の始まりと発展、メキシコ・インドなどの時間意識を踏まえながらの時間意識の変化などを論じており、印象的な章です 第2章は中国でのヨーロッパ時計の受容(皇帝にとっての高級な玩具としての位置づけ)と、日本にはほとんど輸入されなかった理由を日本の不定時法の観点から読み解きます。 第3~第4章は日本の時間意識と和時計についての議論。現在の東芝の原点となる「田中製作所」を開いた田中久重についての紹介が興味深かったです(96-97頁)。 再び第5章以下はヨーロッパの時計の歴史に移り、時計の発展、労働時間や余暇時間といった時間意識などを論じます。 余談ですが、第1章で紹介される、ローマ数字のIVが時計ではIIIIと表記される理由が、一説によれば、シャルル5世というフランス王が作らせた時計塔のIVを見て、5から1を引くのが気に障りIIIIと書かせた、というエピソードが紹介されます。これは綾辻行人『時計館の殺人』(講談社文庫、1995年)でも紹介されていて(私自身は綾辻作品で先に知ったエピソード)、綾辻さんが本書を参考にしたのがうかがえます。 昼休みに職場で少しずつ読み進めたので、深く読み込めてはいませんが、分かりやすい叙述で、面白いエピソードも多く、興味深い1冊です。(2023.12.14再読)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.03.09
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織田武雄『地図の歴史―世界篇』~講談社現代新書、1974年~ 先史時代から現代までの、世界での地図の歴史をたどる一冊です。 約50年前の刊行ですが、概観をつかむのには便利で、たとえば最近でも、南雲泰輔「「古代末期」の世界観」大黒俊二/林佳世子(責任編集)『岩波講座 世界歴史03 ローマ帝国と西アジア 前3~7世紀』岩波書店、2021年にも参考文献として掲げられているように、基本的文献といって良いと思います。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに図版目録第1章 地図の起源第2章 ギリシア・ローマ時代の地図第3章 中世における世界図の退歩第4章 近代地図のはじまり第5章 地理的発見時代の地図第6章 世界図における新大陸第7章 メルカトルから近・現代地図へ第8章 中国における地図の発達むすび索引――― 構成のとおり、第1章は地図の起源として、文字を持たない民族の地図を紹介したのち、古代エジプト、バビロニアの地図を概観します。第2章から第7章まで、主としてヨーロッパを中心とした地図と地理的知識の展開を見て、第8章では中国の地図の歴史を素描します。 概説書なので各章の紹介は省略しますが、2点だけメモしておきます。 まず、第3章はその名も中世における世界図の「退歩」で、たとえば地球球体説が否定され、「中世では地球は球体でなく、平たい大地をなすものとふたたび考えられるようになった」(49頁)との記述もありますが、こうした中世の「退歩」説を批判する文献として、ウィンストン・ブラック(大貫俊夫監訳)『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』平凡社、2021年を挙げておきます(特にその第2章「中世の人々は地球は平らだと思っていた」を参照)。 また、アメリカ大陸の語源が、コロンブスたちがアジアと思い込んでいたアメリカ大陸を「新大陸」だと明らかにしたアメリゴ・ヴェスプッチ8(451-1511)なのは承知していましたが、そう提唱した人物のことは恥ずかしながら気にしたことはありませんでした。本書によれば、地理学者マリティン・ヴァルトゼーミューラ(1470-1518)が、ヴェスプッチの著作への解説にて、「第四の大陸がアメリゴ・ヴェスプッチによって発見され、大陸名は女性名を用いるならわしにしたがって、アメリゴの名にちなんでアメリカと称すべきことを提唱した」(126頁)とのことです。これは勉強になりました。 図版も多く、また索引も付されていて、丁寧なつくりの一冊です。 冒頭に書いたように、50年近く前の本ですが、主にヨーロッパを中心とした地図の流れを把握するのに便利な一冊です。(2023.09.11読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.02.24
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西洋中世学会『西洋中世研究』15~知泉書館、2023年~ 西洋中世学会が毎年刊行する雑誌です。 今号の構成は次の通りです。―――【特集】西洋中世の感情<序文>山内志朗「西洋中世の感情をめぐって」<論文>赤江雄一「「感情の共同体」としての学識ある聖職者―14世紀の説教の聴衆―」山本潤「「怒りzorn」と「敵意haz」―中世叙事文学に見る感情の表象するもの―」辻内宣博「意志の感情という視点―オッカムのウィリアムにおける感情の理論―」宮崎晴代「14世紀末の記譜法の変化に見られる「感情の表現」―コローナ記号の登場とその意味について―」木川弘美「涙を描く―初期ネーデルラント絵画における情念・情動の図像表現―」【論文】阿部晃平「知識をいかに体系づけるか?―『ソロモンの哲学の書』に見る初期中世における学問区分の再編成―」宮野裕「中世ルーシのサモジェルジェツ(専制君主)概念」福田智美「エリザベス1世の枢密顧問官の特徴」【特別寄稿】松本涼・有信真美菜・城戸照子「2021年度若手セミナー「頭と舌で味わう中世の食文化:レクチャー編」より」【新刊紹介】【彙報】坂田奈々絵「西洋中世学会第15回大会シンポジウム報告「中世世界の人と動物」」森下園「「第11回日韓西洋中世史研究集会」報告記」――― 特集は、感情の歴史について。2020年にはアラン・コルバン他監修(片木智年監訳)『感情の歴史 I 古代から啓蒙の時代まで』(藤原書店)、ヤン・プランパー(森田直子監訳)『感情史の始まり』(みすず書房)が、2021年にはバーバラ・H・ローゼンワイン/リッカルド・クリスティアーニ(伊東剛史他訳)『感情史とは何か』(岩波書店)が刊行されているように、近年、我が国でも関心が高まっている領域です(以上3冊はいずれも未見。2024年中には読んでみたいです)。 もともと、2020年6月に開催された第12回西洋中世学会のシンポジウムのテーマが「中世における感情」で、本誌には、シンポジウム発表者による論考に加え、赤江先生の論文が新たに追加された形となっています。 前置きが長くなりましたが、序文は感情史研究の動向概観と、シンポジウムの概要紹介。 赤江論文はトマス・ウェイリーズの説教術書の分析を通じて、説教の構築方法いかんによっては笑いものになってしまうという興味深い事例と、説教者に適した説教方法の提示を指摘し、「感情の共同体」としての「学識ある聖職者」の存在を明らかにする興味深い論考。 山本論文は中世盛期叙事文学における「怒り」と「敵意」概念の考察。特に、『イーヴェイン』という作品の中で、「敵意」と「怒り」が異なる感情として描かれている点を説得的に論じている箇所(23頁)を興味深く読みました。 辻内論文は思想史・哲学史の観点からの感情についての考察。不勉強な領域のため十分に理解できませんでしたが、具体的な例(ラテン語の勉強過程や苦手な上司との向き合い方)は面白く、またありがたかったです。 宮崎論文は現在のフェルマータの前進とも考えられるコローナ記号(フェルマータと同じ形)について、その解釈と意義を論じます。研究史上の議論も分かりやすく整理されていて、馴染みのない分野ですが興味深く読みました。 木川論文は主に15世紀ネーデルラントで展開した涙の表現に関する考察。涙を描く前提として、透明な水の作例(とそれを可能にした油彩技法の意義)を紹介した後、聖母マリアとキリストの涙について具体的な作例を分析します。 阿部論文は『ソロモンの哲学の書』という史料の写本系統と、その具体的な分析を通じて、宗教的学問を世俗的学問体系に組み込む試みがなされていることを指摘する大変興味深い論考。 宮野論文は先行研究が十分に吟味していない時代の史料も丹念に読み解き、一般に「専制君主」と訳されるサモジェルジェツという言葉の多義性を明らかにします。 福田論文は枢密顧問官の年齢構成、出席状況などを丹念に分析し、エリザベス1世期の枢密院の特徴を指摘します。 特別寄稿は2022年2月に開催されたレクチャー報告について、活字化の要望も多かったため2本が掲載されたもの。なおレクチャー編はYou Yubeで視聴可能です。 新刊紹介では55冊の研究書が紹介されます。中でも、栗原健先生による、夫婦墓像を分析した著作(J. Barker, Stone Fidelity: Marriage and Emotion in Medieval Tomb Sculpture, Woodbridge, 2020)や、高名康文先生によるウェールズ大学出版の「中世動物叢書」について(ここではK. L. Smithies, Introducing the Medieval Ass, Cardiff, 2020)の紹介が興味深かったです。栗原先生はいつも面白そうな文献を紹介されていて、どれも気になっています。 彙報は2本。第15回大会シンポジウムにはZoomで参加しましたが、大変興味深い内容でした。 本誌末尾には、第1号から第15号までの総目次も掲載されていて便利です。(2024.01.03読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2024.01.13
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石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』~講談社現代新書、2000年~ 著者の石田かおり先生は現在、駒沢女子大学人間総合学群人間文化学類人間関係専攻の教授で、化粧の文化史や身体文化論がご専門です。 本書はタイトルのとおり、化粧の観点から人間の歴史を読み解きます。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに―人間は化粧なしでも生きられる第1章 「裸は自然」の謎第2章 清潔が化粧を駆逐する第3章 東西化粧狂騒史第4章 美人は本当に「色白」か第5章 男は本来化粧好き第6章 コミュニケーションとしての化粧あとがき主な参考文献と読書案内――― 化粧とは、いわゆるメークを思い浮かべますが、本書では、スキンケア、シャンプーでの洗髪などを含めた、「人間の身体を加工する行為」と最も広い範囲で化粧をとらえることを基本的な立場としています。 第1章は、化粧からはイメージが最も遠い「裸」から話が始まりますが、ここでは「裸=自然/着衣=文明」という二項対立的な思考や、裸体さえも理想とされる流行があることなどが指摘されます。 第2章は清潔をテーマに、入浴、衛生などについて論じます。 第3章は、本書のタイトルからイメージされる、化粧をめぐる通史で、ページ数からも、本書の中心といって良いと思います。ここでは、まず日本史を化粧の観点から13の時代に区分する図式を提示し、それぞれの時代について、同時代の世界にも言及しながら化粧の様相をたどります。体臭と香り、眉の形、かつらなど、化粧をめぐる様々な観点から議論が展開されます、また、(本書全体を通して)複数の図版が掲載されていますが、本章では、縄文時代のクシの写真が興味深かったです。 第4章は、「美人=色白」というのは普遍的な価値観ではないということを、縄文時代以降の赤化粧からの議論で示しています。また、前章にも通じますが理想とされる眉の形や、白粉の材料が人体に有害であったこと、電気の発明と化粧術など、興味深い話が満載です。 第5章は男性の化粧ということで、平安時代以降の日本の男性の化粧をたどります。冒頭近くの、平氏はお歯黒をし、源氏はお歯黒をしていなかったという指摘が興味深かったです。 第6章では、文化により美の基準が違うということをあらためて指摘し、いわゆる首長族、中国の纏足などをとりあげます。ここでは、ある一時代の流行で理想とされる見た目を追うあまりに、思い悩んだりする必要はない、という趣旨の主張、そして同時に広い意味での化粧の重要性を説く部分が重要だと思われました。 ざっとしたメモになりましたが、興味深い1冊です。(2023.07.29読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.12.23
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シュテフェン・パツォルト(甚野尚志訳)『封建制の多面鏡―「封」と「家臣制」の結合―』~刀水書房、2023年~(Steffen Patzold, Das Lehnswesen. München, 2012) 著者のパツォルトはドイツのチュービンゲン大学中世史教授で、原著は学生向けに書かれた概説書です(訳者あとがき、156頁から)。 訳者の甚野先生は早稲田大学文学学術院教授。本ブログでは次の編著を紹介したことがあります。・甚野尚志・堀越宏一編『中世ヨーロッパを生きる』東京大学出版会、2004年 本書は、封建制の研究史をたどった後、邦語タイトルにうかがえるように、様々な地域性、時代に着目して種々の史料を援用しながら、その多様性を浮き彫りにします。 本書の構成は次のとおりです。―――第1章 封建制の研究史第2章 8、9世紀のフランク王国第3章 10~12世紀の「封」と「家臣制」第4章 13~16世紀のドイツにおける「封」と「家臣制」第5章 結び―ヨーロッパでの多様な封建制の出現訳者あとがき注索引――― 各章の紹介については、訳者あとがきに明解にまとめられているので、本ブログでは割愛して、簡単にメモしておきます。 本書の要点は、古典的学説にあるような、8~9世紀に封建制が誕生したという見方を退け、11世紀末に誕生したという立場をとります。議論の過程で、古典的学説に痛烈な批判を加えたスーザン・レナルズの見解もしばしば紹介しつつ、一方でレナルズの見方にも批判を加えています。(レナルズの学説については、森本芳樹『比較史の道―ヨーロッパ中世から広い世界へ―』創文社、2004年、第10章で分かりやすく紹介されています。) 第1章で研究史がコンパクトにまとめられているのも嬉しいですが、本書の中で最も重要と思われたのは第3章です。ここでは、各地域(レナルズが国家ごとに論じたために見落としていたフランドルの重要性にも着目)の封建制のありようを丹念に分析したうえで、先述の結論を導き出しており、分量的にも本書の主要部分を占めています。 また、原著には一切注はついていないそうですが、本書には詳細な訳者注が付されています。文献情報に限らず、本文中に引用される史料については、その校訂版の該当ページだけでなく、ラテン語原文とその邦訳が示されていて、大変勉強になります。丁寧で分かりやすいつくりの1冊だと感じました。 法制史、制度史関係の文献はあまり読まずにきてしまっていますが、本書はコンパクトでありながら分かりやすくまとめられていて、封建制についての入門書としても格好の1冊と思われます。今後も適宜参照したい1冊です。(2023.11.20読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.12.10
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浜本隆志『「笛吹き男」の正体―東方植民のデモーニッシュな系譜―』~筑摩選書、2022年~ 浜本先生は関西大学名誉教授で、ドイツ文化論・ヨーロッパ文化論を専攻されています。 このブログでも、次の著作・編著を紹介したことがあります。・浜本隆志『紋章が語るヨーロッパ史』白水uブックス、2003年・浜本隆志『指輪の文化史』白水uブックス、2004年・浜本隆志/伊藤誠宏編著『色彩の魔力-文化史・美学・心理学的アプローチ』明石書店、2005年 阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男』ちくま文庫、1988年では、伝説の真相の解明は行っていないのに対して、本書では、真相の解明を試みるとともに、ナチスにまで通じる「デモーニッシュな系譜」を描くことを目的としています。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに序 章 「笛吹き男」ミステリーの変貌第1章 「笛吹き男」伝説の虚像と実像第2章 事件に関する諸説第3章 ハーメルンで起きた事件の検証第4章 ロカトールの正体と東方植民者の日常第5章 ドイツ東方植民の系譜第6章 ドイツ帝国(1871-1918)の植民地政策第7章 ナチスと東方植民運動第8章 「笛吹き男」とヒトラーあとがき主要参考文献――― 本書のポイントは次のとおりです。(詳細はぜひ本書をお読みください)・1284年6月26日(ヨハネとパウロの日。殉教者を追悼する日)に事件が起こったという定説を退け、グリムも言及している6月22日(どんちゃん騒ぎの日)に事件が起こったとします。・同日、東方植民のロカトール(植民請負人)が東方植民へのリクルートを実施。祭の喧騒もあり、子供たちもついて行ってしまった。 以上の点を、史料やハーメルンの立地、地図などをふんだんに駆使し、説得的に論じています。 そして、東方植民を担ったドイツ騎士修道会の活動や「北の十字軍」に関する議論ののち、論述は19世紀以降のドイツ帝国やナチスの東方植民に移ります。ヒトラーが〚わが闘争」の中で、ドイツ騎士修道会に言及しているという指摘は興味深かったです。 本書は、『史学雑誌』133-5(2023年5月)の「回顧と展望」で知りました。本書を取り上げた三浦麻美先生は、事件が起こった日付に関する「史料の改竄」説を「緻密な仮説」と評する一方、「歴史学としての論証は難しい」ともしており、この主題が現在も続く課題であるとしています。 本書は、ナチスにまで及ぶ「系譜」を描き、前半の史料に基づく緻密な仮説から、やや概説的な議論にシフトしてしまっている印象で、もちろんそれはそれで興味深く読みましたが、今後、本書を契機として、「ハーメルンの笛吹き男」についてのさらなる研究を引き起こしうる成果と感じました。(2023.10.25読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.12.09
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大沼由布・徳永聡子(編)『旅するナラティヴ―西洋中世をめぐる移動の諸相―』~知泉書館、2022年~ 本書は、慶應義塾大学の松田隆美先生の退任記念論集として企画された論文集です。 ときにみられる、単に各執筆者の専門分野についての諸論考を収めるのではなく、広い意味での文学の旅・移動・流動性という共通の問題意識をもった論文集となっています。 執筆者の多くは中世英文学・ロマンスをご専門にされていますが、歴史学(赤江先生)、美術史(池田先生)のご専門もいらっしゃり、バラエティにも富んでいます。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに(大沼由布) 第I部 聖なるものと旅のナラティヴ1 大沼由布「体と心と言葉の旅―英仏版『マンデヴィルの旅行記』とイングランド像―」2 石黒太郎「境界を越えて旅した聖グースラークと『聖グースラーク伝』」3 菅野磨美「中英語聖人伝における移葬のナラティヴ」4 杉山ゆき「内なる目で辿る聖地―リンカン・ソーントン写本における受難瞑想とエルサレムへの仮想巡礼―」5 髙橋三和子「初期近代イングランドの旅行記における描写の視点―エルサレムの記述を中心に―」 第II部 越境とアイデンティティ6 趙泰昊「彼我の境の想像と境界―中英語ロマンスにおける地理的移動とアイデンティティの形成―」7 小川真理「曖昧な国境―旅と自己同一性の揺らぎ―」8 小林宜子「ジョン・ガワーのバラード連作―詩的対話へのいざない―」 第III部 異端と正統の境界9 赤江雄一「放浪する説教者ジョン・ボール―ロラード派直前の異端―」10 井口篤「ここが無限だ、ここで跳べ―レジナルド・ピーコックと神の存在証明―」11 西川雄太「改変されたカテキズム―ホプトン・ホール写本の『一般信徒のための教理問答』―」 第IV部 マテリアリティからみる移動12 新居達也「越境するメメント・モリ―中世末期のロンドン周辺における往生術写本の移動と受容―」13 工藤義信「教訓的テクストの移動とミセラニー写本の文化的解釈の可能性―15世紀ノリッジの商人が所有していた2写本の新たな考察―」14 池田真弓「世界に散らばる装飾写本―マンスフェルト祈禱書を辿って―」15 徳永聡子「海を渡った聖ロクス―初期刊本にみる疫病の聖人崇敬―」おわりに(徳永聡子)松田隆美先生ご著作・論文一覧(菅野磨美)索引執筆者紹介――― 第1論文は、イングランド人騎士マンデヴィルが東洋への旅を記録したという体裁の『マンデヴィルの旅行記』を題材に、イングランドのイメージや、その最古の作品が古フランス語であることから、イングランドにおける言語状況なども含めた分析を行います。 第2論文は、イングランドの聖人グースラークとその聖人伝を取り上げ、グースラーク自身の遍歴と、聖人伝における言語状況についての紹介を行います。とりわけ、聖人伝の作者フェーリクスが、珍しい語や造語を作中で用いているという指摘が興味深かったです。 第3論文は、ウェールズからイングランドに移葬された聖ウィニフレッドを例に、ジェンダーの観点も踏まえて移葬の諸相を論じます。冒頭に紹介される、エリス・ピーターズ『聖女の遺骨求む』というウィニフレッド移葬を題材にしたミステリ作品を寡聞にして知らなかったので、またいつか読んでみたいです。 第4論文は、ロバート・ソーントンという15世紀に生きたジェントルマンの読書実践に注目し、彼のメモ書きなどから、その霊的な読みの在り方を分析します。ここでは、女子修道院や女性信徒の信仰実践との関係の指摘が興味深いです。 第5論文は、俯瞰的にエルサレムを描く旅行記と、巡礼者の目線でエルサレムを描く旅行記という17世紀の2つの作品を取り上げ、具体的なその描かれた方の紹介などを通じて、当時、エルサレムも具体的な旅先の一つとして意識されていたことを指摘します。 第6論文は中英語ロマンスを史料として、他者を通じた自己の再定義の機能や、教化作用を指摘します。 第7論文は同じく中英語ロマンス、特に『ハンプトンのベヴィス』という作品を題材に、作中ベヴィスが故郷イングランドからアルメニアにわたり、以後イングランドに定住できないこと、またそのアイデンティティの在り方を論じます。 第8論文は14-15世紀のバラードに関する論考。ここでは、詩会という場で頻繁に使用された追加の連が、14世紀末頃からバラードの一部として広まったということが指摘されていて、詩会というものが気になりました。 第9論文は、「アダムが耕し、イヴが紡いでいたとき、だれがジェントリだったのか」という言葉で有名なジョン・ボールに着目し、彼が断罪されるにあたり、「異端」との評価がどの程度なされていたのか、を丹念な一次史料の分析から論じる興味深い論考です。余談ですが、赤江先生でジョン・ボールといえば、2016年11月に東北大学で開催された第8回西洋中世学会での自由論題報告「問題ある説教者ジョン・ボールの肖像」も極めて刺激的で興味深いご発表だったのが印象的です。 第10論文は15世紀のイングランドの神学者レジナルド・ピーコックの俗語作品『キリスト教の原理』を史料に、「人が神に近づく旅」というテーマについて論じます。 第11論文は『一般信徒のための教理問答』という作品の複数の写本の比較検討から、一般信徒の信心の在り方に迫る論考。 第12論文は往生術作品を含む写本の移動(俗人から女子修道院へ、女子修道院から俗人へ)に着目し、作品の「旅」にまつわる人間関係や、読書行為の在り方を論じます。ここでは、臨終の床にある病人のもとへ司祭が訪れる行列で鳴らされるベルや、葬送にあたりベルを持った触れ役が該当を練り歩くなど、人の死の周辺でベルが果たす役割についての言及が興味深かったです。 第13論文は、写本に描かれた商業者マークやその写本に含まれる内容から、所有者(商人層)の上昇志向や読書文化の在り方を分析します。 第14論文は美術史の観点から、各地に散在してしまうことになった祈禱書の由来をたどります。 第15論文は疫病の守護聖人とされた聖ロクスについて描く『聖ロクス伝』を史料とし、そのイングランドへの伝播の在り方を中心に分析します。 主に広い意味での文学作品を史料とした諸論考ですので、写本の具体的な伝来や、読書実践のあり方に関する指摘も多く、興味深い論集です。(2023.07.07読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.11.19
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ピーター・バーク(長谷川貴彦訳)『文化史とは何か 増補改訂版』~法政大学出版局、2010年(第2版2019年)~(Peter Burke, What is Cultural History, Second Edition, Cambridge, 2008) ピーター・バークは、1937年ロンドン生まれ。2008年時点(本書刊行時)では、ケンブリッジ大学に籍を置く歴史家です(訳者あとがき、200頁より)。 バークについては、本ブログでも次の著作を紹介しています。・ピーター・バーク(大津真作訳)『フランス歴史学革命-アナール学派1929-89年-』岩波書店、1992年・ピーター・バーク編(谷川稔他訳)『ニュー・ヒストリーの現在-歴史叙述の新しい展望』人文書院、1996年 また、訳者の長谷川先生の著作として、次を紹介しています。・長谷川貴彦『現代歴史学への展望―言語論的転回を超えて―』岩波書店、2016年 文化史の潮流をコンパクトにたどる本書の構成は次のとおりです。―――謝辞序論第1章 偉大なる伝統第2章 文化史の諸課題第3章 歴史人類学の時代第4章 新たなパラダイム?第5章 表象から構築へ第6章 文化論的転回を超えて?結論エピローグ―21世紀の文化史訳者あとがき(初版)増補改訂版への訳者あとがき読書案内文化史セレクション、1860-2007年(年代順リスト)註記索引――― 第1章は、文化史の段階を4つに区分します。1:「古典的段階」、2:「美術の社会史」の段階(1930年代~)、3:民衆文化の歴史の発見(1960年代~)、4:「新しい文化史」の段階。 そして第1章では、1の段階の歴史家としてヤーコプ・ブルクハルトとヨハン・ホイジンガを、2の段階としてアビ・ヴァールブルクとパノフスキーらが挙げられます。 第2章は、「文化史の諸課題」として、マルクス主義との関係や、「民衆」「文化」の定義を取り上げます。 第3章は、私が関心を寄せてきている歴史人類学について。フランスのアナール学派の成果が想起されますが、本書はロシア(当時のソヴィエト連邦)のグレーヴィチや、アメリカでの研究者らが、そして「ミクロストリア」としてイタリアのギンズブルグらが強調されている印象でした。 第4章は、新しい文化史にとって重要な4人の理論家として、ミハイル・バフチン、ノルベルト・エリアス、ミシェル・フーコー、ピエール・ブルデューを取り上げ、彼らの理論や影響についてみていきます。 第5章は、「構築」という観点から、たとえば共同体についてのベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』やホブズボームほか編『創られた伝統』といった研究や、個人のアイデンティティ、パフォーマンスなどに着目する研究について論じます。 第6章は、暴力、認識(たとえばアラン・コルバンによる、においや音についての研究)、辺境などに関する研究を取り上げます。 結論に続くエピローグは、第2版で追記された部分で、初版(原著2004年)刊行後の動向に目配りをしています。 巻末の「文化史セレクション」と題された文化史関連の研究の年代順リストには、邦訳のある著作には邦訳の情報も付されていて便利です。 読了から記事を書くまでに時間が経ってしまい、あっさりしたメモになってしまいましたが、冒頭にも書いたように、コンパクトに文化史の流れをたどることのできて便利な一冊です。(2023.06.19読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.11.11
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ジョルジュ・デュビィ(金尾健美訳)『中世ヨーロッパの社会秩序』~知泉書館、2023年~(Georges Duby, Les trois orders ou l’imaginaire du féodalisme, Paris, 1978) 著者のジョルジュ・デュビィ(1919-1996)は、フランスの著名な中世史家。 多くの著作が日本語でも翻訳されていて、本ブログでも次の著作を紹介しています。・ジョルジュ・デュビィ(若杉泰子訳)『紀元千年』公論社、1975年・ジョルジュ・デュビー(小佐井伸二訳)『ロマネスク芸術の時代』白水社、1983年・ジョルジュ・デュビー(篠田勝英訳)『中世の結婚-騎士・女性・司祭-』新評論、1984年・ジョルジュ・デュビー(松村剛訳)『ブーヴィーヌの戦い―中世フランスの事件と伝説―』平凡社、1992年・ジョルジュ・デュビー(松村剛訳)『歴史は続く』白水社、1993年・ジョルジュ・デュビィ(池田健二・杉崎泰一郎訳)『ヨーロッパの中世 芸術と社会』藤原書店、1995年 今回紹介する本書についても、原著の英訳版であるGeorge Duby (Trans. by Arthur Goldhammer), The Three Orders. Feudal Society Imagined, The University of Chicago Press, 1982を本ブログで紹介しています。なにぶん十分に理解できていない部分もあり、この度邦訳が刊行されたことをとにかく嬉しく思います。(邦訳書でも、私の理解力では十分に追いつけず、また体調面などで今回はきちんと読めていないのですが…。) 前置きが長くなりましたが、本書の構成は次のとおりです。―――凡例序 探求のフィールドI 啓示 第1章 最初の言明 第2章 カンブレのゲラルドゥスと平和 第3章 ランのアダルベロと王権の使命 第4章 システムII 生成 第1章 階層制 第2章 調和 第3章 序列 第4章 機能 祈ることと戦うこと 第5章 三元性 第6章 天上のモデルIII 状況 第1章 政治的危機 第2章 競合システム 第3章 封建革命IV 消失 第1章 修道士の時代 第2章 フルーリ 第3章 クリュニー 第4章 新時代 第5章 修道制の最後の輝き 第6章 学院の中で 第7章 君主に仕えるV 再来 第1章 本当の出発 第2章 騎士層 第3章 パリの抵抗 第4章 封建制の矛盾 第5章 採用エピローグ解説系図・地図索引――― 先にも書きましたが、せっかく邦訳書を得たにもかかわらず、今回は十分に読み込めていないので、本書の概要は先に掲げた英訳書に関する拙い記事にゆずり、ここでは邦訳書についてのメモをしておきます。 まず凡例の1番で、「原書は厳密な学術論文ではない」ので、「読みやすさを優先させる」ため、「西洋中世史、教会史の専門用語は可能な限り避け、一般的な表現を用いた」とありますが、ここがまずひっかかりました。本訳書は「知泉学術叢書」の1冊であり、また本論の中にも人名や事項に関する説明のみならず、原文の理解に関する詳細な訳注が膨大に付されていて(もちろんこの訳注は極めてありがたく、本訳書の魅力です)、十分に「学術」的な1冊だと思われます。だとしたら、専門用語についても専門用語として訳出し、詳細な訳注において内容を紹介することで、たとえば西洋中世史を勉強したい学生さんにも、さらに有益な一冊となりえたのではないか、と感じた次第でした。どの訳語が専門的ではないのか、については浅学非才で具体例は挙げられませんが、たとえば、「僧院」(396頁)という訳語は気になりました。 また、同じく凡例8番で、人名表記については「聖職者と修道士(修道僧)はラテン語読み」(ここの「修道僧」も気になりますが)とされていて、たとえば「カンブレ司教ゲラルドゥス」のようはまだ気になりませんが、「ヤコブス・ド・ヴィトリ」のようにラテン語とフランス語を組み合わせたような表記はやや違和感がありました(ジャック・ド・ヴィトリとフランス語表記統一かつ一般的な表記とするか、ヴィトリのヤコブスと、これもまた見られうる表記のほうが違和感はなかったように思います)。 と、いくつか気になった点を挙げましたが、すでにふれたように詳細な訳注は便利ですし、デュビィ独特の、時に小説のような文体を見事に訳されているのは勉強になります。 訳者解説で、デュビィのフルネーム(ジョルジュ・ミシェル・クロード・アンデレ・デュビィ)が紹介されているのも勉強になりました。デュビィの著作(主に邦訳書)は色々読んできたつもりですが、いわゆるミドルネームにがあるとは存じ上げませんでした。 また、英訳書を読んだときに分からなかったWhite Capeについて、本訳書では「カプチン騒動」「カプチン派」との訳語が当てられていました。不勉強にして、まだよくわからない運動なので、これからも気にしていきたいと思います。 あらためて、デュビィの有名にして重要な著作が、このたび日本語で読めるようになったことを嬉しく思います。今後も折を見て勉強していきたい1冊です。(2023.10.10読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.10.28
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岡崎勝世『世界史とヨーロッパ―ヘロドトスからウォーラーステインまで―』~講談社現代新書、2003年~ 著者の岡崎先生(1943-)は埼玉大学教養学部名誉教授。ドイツ近代史と、本書のような史学史を専門にしていらっしゃいます。 本書は、「世界史」叙述の流れを、古代ギリシアから現代まで、それぞれの時代の特徴を浮き彫りにしながら概観する一冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに第1章 ヨーロッパ古代の世界史記述―世界史記述の発生第2章 ヨーロッパ中世のキリスト教的世界史記述―「普遍史」の時代第3章 ヨーロッパ近世の世界史記述―普遍史の危機の時代第4章 啓蒙主義の時代―文化史的世界史の形成と普遍史の崩壊第5章 近代ヨーロッパの世界史記述―科学的世界史おわりに――― それぞれの章では、第1節でその時代の「現在」や過去への問いかけの在り方を整理し、第2節で、個々の歴史家の記述を具体的に見ながら、その時代の世界史の特徴を指摘する、という構成となっています。また、それぞれの章で、その時代の概要が1頁で簡潔に整理されているのも、理解の助けになりますし、親切なつくりと思いました。 第2章から第4章までにある、「聖書を直接的基盤とする世界史」(63頁)である「普遍史」と関連して、聖書に関する年代学の議論が興味深いです。たとえば、大洪水が起こったのは何年なのか、という議論は、学者により様々な解釈があったようです。 多くの学者の著作の分析がなされているので、詳細な紹介は省略しますが、世界史叙述の概観を得るのに便利な一冊です。 本書よりはやや専門的になりますが、「歴史叙述」について、各時代の代表的人物の著作や背景を分析した、佐藤真一『ヨーロッパ史学史―探究の軌跡―』知泉書館、2009年もあわせて参考になります。(2023.06.16読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.10.22
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遅塚忠躬『史学概論』~東京大学出版会、2010年~ 著者の遅塚先生(1932-2010)は東京都立大学、お茶の水女子大学名誉教授。近世~近代フランス史がご専門で、ロベスピエールに関する研究などのほか、本書のように、歴史学の方法論に関する論考も著しました。 歴史学の性質を丹念に検討する本書の構成は次のとおりです。―――はしがき序論 史学概論の目的第1章 歴史学の目的第2章 歴史学の対象とその認識第3章 歴史学の境界第4章 歴史認識の基本的性格むすび主要参考文献目録事項索引人名索引――― まず、本書の要点を観点に挙げたのち、いくつかの疑問点をメモしておきます。(1)本書の要点 まず、歴史学の2大ルールとして、事実立脚性と論理整合性を挙げ、この2つにより歴史学には反証可能性が保証されます(これが文学作品と異なる歴史学の性質の1つです)。 また、歴史学は「真実」には立ち入らず、これも文学作品との違いとなります(著者は、「事実」と「真実」を区別します)。 歴史学の作業工程として、著者は次のような流れを描きます。(1) 問題設定(←主観)(2) 史料の選択(3) 事実認識(≒考証) 3種の事実:構造史上の事実・事件史上の事実・文化史上の事実 (正確性のゆらぎは文化史に至るにつれて次第に大きくなる=「柔らかな実在論」)(4) 諸事実間の関連の想定(=事実の解釈)(4)’「趨勢」の認識(→(5)歴史認識の説得力(客観性)を増大させる要素)(5) 仮説(命題)の提示・歴史像の構築・修正(=「歴史認識」→「柔らかな客観性」)※事実については、実在論と言語論的転回で提示された「事実は存在しない」という極端な見解を退け、上述の3種類の事実を区分し、解釈により構築される事実もあるが、より客観的な事実(物価等)も存在するため、「柔らかな実在論」という立場。※歴史認識については、「真実」はありえないという立場ですが、事実・趨勢に基づくことによって、より客観性の高い命題は提示可能という、「柔らかな客観性」という立場。 こうした手続きによる歴史学の目的は、未来を予想したり、人々をどこかに導いたりすることではなく、読者を思索に誘うことと、とします。よって、イデオロギーに満ちた極端な主張(都合の良い事実のみを挙げるような「歴史」観)について、フランスでの法規制の事例も挙げつつ、著者は規制には反対の立場を取ります。というのも、丹念な事実認識と趨勢認識を根拠として論理整合性の高い議論を展開すれば、そうした偏った歴史観には十分反証可能だから、というのですね。(2)疑問点 ここでは、事実に関する点のみ、疑問に感じた点をメモしておきます。・まず、史料解釈の中で、「史料の記述が虚偽または無根拠である場合には、そのことは史料批判によってほぼ確実に看破されうるのであり、そういうウソの史料は史料解釈の対象から排除される」(123頁)という記述について。前半部は納得ですが、後半部については、なぜウソの史料が作成されたのか自体が分析対象となりうることから、言い過ぎのように思われました。・最も疑問だったのは、上述の3種類の事実の区分です。文化史上の事実として、著者は、様々な史料の検討を通じて、ある暴動に至った群衆の思いについて、「みずからの行動の正当性を確信していた、というのが事実に近いであろう」と述べ、こうして得られた見解を文化史上の事実とします(たとえば125頁)。しかし、一方で歴史家は「真実」は扱えないとし、たとえばある人物の心の動きのありのまま理解しえないとします。ここで、なぜ群衆たちの心性は「文化史上の事実」たりえるのかが、私にはよく理解できませんでした。種々の史料分析からたどり着いたそれは「事実」というよりも「歴史認識」に近いのではないか、というのが今回読んで感じた印象です(うまく言えないですね)。 2011年に一度通読していましたが、当時は記事が書けていませんでしたので、このたび再読しました。 本文460頁以上の重厚な著作ですが、歴史学の営みを徹底的に理論化して提示しようとする試みであり、あらためて勉強になりました。 余談ですが、最近の歴史学方法論に関する著作である、池上俊一『歴史学の作法』(東京大学出版会、2022年)は、本書に対して、批判的とは言わないまでも、やや距離を置いたスタンスをとっていらっしゃるように思われます。(2023.06.03読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.10.21
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杉崎泰一郎『世界を揺るがした聖遺物―ロンギヌスの槍、聖杯、聖十字架…の神秘と真相―』~河出書房新社、2022年~ 著者の杉崎先生は中央大学教授。本ブログでは、次の著作を紹介しています。・『12世紀の修道院と社会』原書房、1999年・『欧州百鬼夜行抄 「幻想」と「理性」のはざまの中世ヨーロッパ』原書房、2002年・『修道院の歴史―聖アントニオスからイエズス会まで―』創元社、2015年・『沈黙すればするほど人は豊かになる―ラ・グランド・シャルトルーズ修道院の奇跡―』幻冬舎新書、2016年 本書は、聖遺物(キリストや天使、聖人がこの世に残した痕跡。骨、血、足跡、触れたものなどなど)とその歴史について、平易な語り口で紹介してくれる一冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――ミステリアスな「聖遺物」から歴史と人間の真実が見えてくる―まえがき1章 ミステリアスな物語とともに語り継がれる―聖遺物とは何か2章 ロンギヌスの槍・聖杯・聖十字架―三大聖遺物の伝説3章 権力も教会も入手しようと競った―キリストの様々な聖遺物4章 キリスト教の発展とともに浸透した―聖遺物礼拝の歴史5章 高名な聖遺物を求め、人々は旅に出た―巡礼ブームと教会6章 聖母マリアからマグダラのマリア、ザビエルまで―聖人・聖女の聖遺物7章 民衆・教会・権力者、それぞれの思惑とは―聖遺物信仰の意味終章 「中世史」のイメージがくつがえる―聖遺物探求の魅力とは参考文献――― 「はじめに」冒頭で、ロンギヌスの槍(磔刑になったキリストを刺したと言われる槍)や聖杯がアニメやゲームで紹介されていることに触れていますが、その後も本書ではアニメなど、いわゆるサブカルチャーを取り上げ、その重要性を説いているのが印象的でした。終章でも「サブカルから歴史の深層に触れる」という節がありますが、ここでも、そもそも中世においても、幽霊譚などサブカル的な要素をうまく使いながら聖職者たちが社会にメッセージを発していたことを指摘し、その重要性を指摘しています。 1章は聖遺物とは何か(ランクなど)、2章は三大聖遺物を概観し、3章はキリストにまつわる聖遺物(茨の冠、聖十字架、足跡、さらには「吐息」も!)を紹介したのち、4章は、ルーツから十字軍での聖遺物の広まり、その後の宗教改革やフランス革命など、聖遺物の歴史の流れを簡潔にたどります。 5章は巡礼、6章はその他さまざまな聖遺物の紹介と、テーマ別に聖遺物について概観したのち、7章は聖遺物信仰の意味を考察します。 本書でもっとも興味深かったのは終章で、いわゆる教科書的な「暗い」イメージの中世ヨーロッパ史を、聖遺物という観点を通じて見直すことで、事件史のように(それはそれで重要ですが)表層的に流れる歴史ではなく、人々の生活や思いをたどることができる、という点を強調します。また、7章での叙述になりますが、聖人伝などに描かれるエピソードの真偽はさほど重要ではなく、創作は創作として、そこから「各時代の人たちが何を求め、聖人のどのような姿を喜んで受け入れたか」(161頁)を読み解くことが歴史研究において重要だという指摘は、あらためて肝に銘じて勉強していきたいと思った次第です。 各章の紹介はほぼ章題をなぞっただけになってしまいましたが、冒頭にも書いたようにとても平易な語り口で読みやすく、面白い1冊でした。(2023.09.27読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.10.01
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池上俊一『少女は、なぜフランスを救えたのか―ジャンヌ・ダルクのオルレアン解放―』~NHK出版、2023年~ NHK出版から刊行が始まった新しいシリーズ「世界史のリテラシー」の幕開けとして刊行された1冊である本書は、西洋中世史家・池上俊一先生による、ジャンヌ・ダルクの評価・意義を解説する1冊です。「です・ます体」で文献注もなく(本文欄外に専門用語の説明はあります)、また全体で160頁弱と、とても読みやすいつくりとなっています。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめにジャンヌ・ダルク略年譜第1章 事件の全容―ジャンヌ・ダルクはいかにしてオルレアンを解放したか?第2章 歴史的・宗教的背景―なぜ「辺境の乙女」にカリスマが与えられたのか?第3章 同時代へのインパクト―ジャンヌの奇跡は時の権力者たちに言い知れぬ「動揺」を与えた第4章 後世に与えた影響―政治、宗教、文学、芸術。フランス国民の記憶に深く刻み込まれた理由おわりに参考文献――― 各章のタイトルが、短い見出しとやや長い副題となっていますが、本論の小見出しも同様のつくりになっていて、見出しだけ辿っても内容のイメージがわきやすいです。 なので、この記事ではごく簡単にメモ。 第1章はオルレアン解放・シャルル7世戴冠までの百年戦争の流れをたどります。 第2章は、あらためてジャンヌの生い立ちを確認したうえで、本書の主題である、なぜ、普通の農家の少女に、不利にあったフランスをイギリスに対する勝利に導くことができたのか、を考察します。本書の中でもっとも興味深い章でした。 第3章は、シャルル7世戴冠後、ジャンヌの助言を聞かなくなり、彼女が裁判にかけられ処刑されるまでの流れと、その後の「復権裁判」についてみていきます。 第4章は、表題通り、叙事詩、舞台などで描かれたジャンヌや、1920年の列聖など、後世への影響をたどります。 本書は、あえていえば百年戦争を勝利に導いたジャンヌに関する「事件史」ですが、池上先生による方法論による著作『歴史学の作法』(東京大学出版会、2022年)で強調される文化史・社会史の視座も大切にされています。単にジャンヌ個人の資質を強調するのではなく、同時代の女性の役割、騎士道文化などをたどりながら、彼女がカリスマ性を得た理由を考察する第2章に、それは顕著だと感じましたし、また事件史もここまで面白く叙述できるという好例だと思います。 面白い1冊でした。(2023.07.06読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.07.15
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桜井万里子『歴史学の始まり―ヘロドトスとトゥキュディデス―』~講談社学術文庫、2023年~ 桜井先生は東京大学名誉教授。古代ギリシア史がご専門です。 本書は、2006年に山川出版社から刊行された著作の講談社学術文庫からの文庫化で、あらたに補足や文庫版あとがきが追記されています。 本書の構成は次のとおりです。―――1 二人の歴史家と二つの戦争 2 ヘロドトスは嘘つきか? 3 新しいヘロドトス像4 ヘロドトスの描いた史実5 トゥキュディデスの「ヘロドトス批判」6 トゥキュディデスが書かなかったこと7 歴史叙述から歴史学へあとがき学術文庫版のための補足―二人の歴史家とアテナイ民主政学術文庫版のあとがき参考文献図版出典一覧――― キケロが「歴史の父」と呼んだヘロドトスの『歴史』はペルシア戦争を題材とし、トゥキュディデス『歴史』はペロポネソス戦争を題材とします。そこで第1章は、本書が取り上げる2人の人物と2つの戦争の概略、そして2つの著作の執筆意図(執筆の姿勢)を指摘します。 第2章は、神話や伝承からとられた荒唐無稽なエピソードを記すヘロドトスについて、「嘘つき」との評価もあるなか、その執筆姿勢を丹念に見ていき、「自身ではとても真実とは信じられないことさえも、記録するという方針を彼は貫いた」(37頁)と評価するなど、近年のヘロドトスに対する見直しを踏まえながら分析します。 第3章は、より具体的に、ヘロドトスの著作から、「相異なる社会あるいは共同体の出身である二社のあいだで儀礼をへて結ばれた連帯の絆であって、具体的には、財と奉仕の互酬としてあらわれる」(63頁)クセニアという慣行の分析に、ヘロドトスの記述が貢献していることなど、現代歴史学におけるその有意義さを強調します。 第4章は、ヘロドトス『歴史』ではふれられていない碑文史料などとヘロドトスの記述との比較検討を通じて、ヘロドトスの態度などを明らかにしており、興味深いです。 第5章からはトゥキュディデスの分析に移ります。まず、第1章でも引用されているように、「他の人から情報を得た場合も、事柄の一つ一つについてできるだけ正確に検討を加えて記述することを重視した……私の叙述には神話伝承が含まれていないため、耳にした際におもしろくないと思われるかもしれない」(30頁)という記述や、一度もヘロドトスの名を挙げていないことから、彼はヘロドトスに批判的だったと評されてきました。桜井先生自身もそうした見解を提示したことがあるそうです。しかし、たとえば名前を挙げないのは、神の名を直接言わない慣行との類似性が指摘されるなど、近年ではそうした評価に異論も出され、本書では桜井先生も、むしろトゥキュディデスはヘロドトスに敬意をいだきつつ、批判的に継承したとの評価を提示しています(98頁)。 第6章は、細かい紹介は省略しますが、トゥキュディデスが詳細を書かなかった、ある密告制度の詳細を分析し、当時の社会の人々に割り当てられていた役割を浮き彫りにするという、非常に興味深い記述です。 第7章は、トゥキュディデスの後継者たちの歴史叙述の概観や、トゥキュディデスらの史料批判への態度などを論じる、まとめの章となっています。 参考文献まで含め、170頁強という短い著作ということもあり、また叙述も平易で、2つの戦争についての細かい予備知識がなくても興味深く読み進められます。 最近続けて読んでいる方法論・史学史関係の観点から、山川出版社版の単著が出た頃から気になっていながら、ずっと手に取れていませんでした。この度文庫版で購入し、また読むことができて良かったです。これは面白かったです。(2023.06.16読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.07.08
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庄子大亮『アトランティス=ムーの系譜学―<失われた大陸>が映す近代日本―』~講談社選書メチエ、2022年~ 西洋古代史・神話研究者の庄子先生による、アトランティスやムー大陸などの「失われた大陸」がどのようにイメージされたか、そしてそれが明治以降の日本でどのように受容され、利用され、再生産されたかを論じる興味深い1冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに序章 「失われた大陸」について問う理由第I章 アトランティスの由来と継承第II章 アトランティスからレムリア、ムー大陸へ第III章 失われた大陸、日本へ―1930年代第IV章 戦前のムー大陸言説―1940年代第V章 戦後の継承―1950-60年代第VI章 神話希求と大災害―1970-80年代第VII章 浮上し続ける神話―1990年代以降最終章 なぜ語られ続けるのか註あとがき――― 第I~II章で本書の前段として、アトランティス、レムリア、ムーの西洋圏を中心とした由来と継承を論じ、第III章以下で、明治以降の日本での需要と継承の状況を時系列で描く構成です。 まず、「はじめに」で、太平洋戦争中に、軍の高官もからんで、ムー大陸についての米国人の著作が翻訳され、「ムー大陸に栄えた帝国の支配権や威光を受け継ぐのは日本である」と唱える者たちがいた(6-7頁)という興味深い事例が紹介されます。著者も記すとおり、敵国の書物をわざわざ訳すという驚くべき事態が生まれた背景は何だったのかと、ぐっと本書のテーマに引き込まれました。 第I章では、アトランティスの情報源として、プラトンが国家論を展開する『ティマイオス』と『クリティアス』という書物が紹介されます。その具体的な描写が紹介されるとともに、プラトンの執筆意図、そしてそれがいかに解釈されてきたか(実在したのか、実在したならばどこだったのか)といった点が論じられます。 第II章は、インド洋にあったとされるレムリア、そして太平洋にあったとされるムー大陸(アトランティスも含め、これら3つの大陸は混同されることがあります)についての諸説が紹介されます。 第III章以下は日本での受容と継承で、個人的には第V章でのウルトラマンへの言及(第19話「悪魔はふたたび」。本書では言及がありませんが、登場する怪獣はアボラスとバニラ)や、第VII章での『ふしぎの海のナディア』への言及が嬉しかったです(放映時、『ナディア』の最終回を見逃したのがずっと心残りでしたが、いま、第1話から少しずつ観ています)。もちろん、雑誌『ムー』への言及もあります(一度くらい読んだことがあるか…)。 全体を通じてざっとかみ砕けば、「失われた大陸」にまつわる言説やその背景として、西洋=白人優位の思想(「未開」のアメリカや太平洋の島々に、こんな文明があったはずがない)や、「はじめに」で紹介されるエピソードのように、自国の優位性を示すための利用といった考えがあった、ということが読み取れます。 また、津波や大地震など、実際に起こった大災害の記憶とリンクさせられる、という点も指摘されます。「失われた大陸」が、語られるとおりに存在したかというと疑わしいが、その伝説には大災害など起こりうることも語られている、というのですね。 第III章以下の紹介はほとんどできず、特撮やアニメへの言及しかできませんでしたが、このように多くの映画やアニメ、マンガなども紹介され、いかに「失われた大陸」が継承されているかが綿密に論じられます。その他、大陸移動説など、自然科学の知見も豊富に紹介されており、興味深いエピソードが多くあります。 順番は前後しますが、本書で最も重要と思われたのは序章の問題提起です。本書では、オカルトや「偽史」(事実かどうかの検証に対して開かれていないようなフィクション的物語・言論であるとか、客観的な論拠を伴わない歴史解釈などが、ある人々にとって歴史的事実のごとく提示されていたり信じられていたりする場合の、その言論や歴史的解釈など。21頁)も多く紹介されます。重要なのは、その根拠・客観性を問うことであり、また本書では、なぜその「偽史」が生み出されたのかという、背景まで考察されていて、知的興奮にあふれています。 欲を言えば、索引があるともっと参照しやすいと思いますが、これはないものねだりと承知しています。 ともあれ、非常に面白い1冊です。良い読書体験でした。(2023.04.02読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.04.23
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小林登志子『古代オリエント全史』~中公新書、2022年~ 以前紹介した小林先生による『古代メソポタミア全史』の続編。前掲書では、周辺地域との関係性も重視しつつ、メソポタミア地方の歴史に特化していました(そのため内容も詳細)が、本書では、同時代のオリエント地方の各地域の歴史を概観してくれていて、それぞれの古代文明の縦の歴史と横のつながりがより分かりやすく提示されているように思います。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに序 章 古代オリエント史とは第1章 メソポタミア―古代オリエント史の本流第2章 シリア―昔も今も大国の草刈り場第3章 アナトリア―最古の印欧語族の歴史第4章 エジプト―偉大な傍流第5章 イラン―新参者アケメネス朝の大統一終 章 ヘレニズム時代以降のオリエント世界あとがき主要参考文献図版引用文献索引――― 高校時分にこのころの時代を勉強してから、ずっと気になっていたことがあります。古バビロニア王朝(メソポタミア南部)を、アナトリアにおこり鉄製武器の使用で強力だったヒッタイト(本書によればヒッタイト古王国時代のムルシリ1世)が前1595年頃に滅ぼします。この後、なぜヒッタイトはメソポタミア南部を支配しなかったのだろう、という点です。 概説書ではありますが、本書を読むと、古バビロニア王朝が滅びた後、その地を支配したのは「海の国」第一王朝であったこと(「海の国」も強力だったようです)。そしてヒッタイトのムルシリ1世は、本国を長期不在にしていた中、王族たちが反旗を翻しており、無事に帰国した後に暗殺されてしまった、ということです。結局、ヒッタイトは、強力な武器をもって各地を急襲し、支配圏を拡大しようとしていましたが、メソポタミア南部については、同じく強い力をもった「海の国」が競り合ったり、内紛によりうまくいかなかったのだろう、と現時点では理解しました。とりあえず、気になっていたことがなんとなくすっきりしましたが、また機会をみて、ヒッタイトに関する文献は読んでみたいと思います。 思い出からの関連する話ばかりになってしまいましたが、上にも書いたように、紀元前3000年頃から紀元7世紀頃までのオリエントの歴史を、縦糸(各国通史)と横糸(各国間の関係)をうまく紡いで概観してくれていて、とても分かりやすいです。本書冒頭には、各国の流れを比較できる年表が掲載され、また各章冒頭にはその国(地域)の年表と地図が掲げられており、理解の助けになります。 分かりやすく、古代オリエントの歴史を概観できる良書だと思います。(2023.03.15読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.04.22
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小林登志子『古代メソポタミア全史』~中公新書、2020年~ 著者の小林先生はシュメル学がご専門で、古代オリエント博物館非常勤研究員、立正大学文学部講師などを歴任された研究者です。 本書は紀元前3500年のシュメル人の都市文明のおこり(それに先行する先史時代も概観)から7世紀のイスラームの創始まで、メソポタミア地方の歴史を概観する概説書です。 本書の構成は次のとおりです。―――はじめに序 章 ユーフラテス河の畔、ティグリス河の畔―メソポタミアの風土第1章 シュメル人とアッカド人―前3500年~前2004年第2章 シャムシ・アダド1世とハンムラビ王の時代―前2000年紀前半第3章 バビロニア対アッシリアの覇権争い―前2000年紀後半第4章 世界帝国の興亡―前1000年~前539年終 章 メソポタミアからイラクへ―前539年~後651年あとがき主要参考文献図版引用文献索引――― 高校世界史でも割とさらっと流されてしまうメソポタミア文明の概説ということで、高校時分に興味があったこともあり、このたび読んでみました。なにぶん固有名詞を忘れてしまっていて、懐かしさを感じながら読みました。 概説書なので、個別の章の紹介は省略しますが、印象的だった点などをメモしておきます。 大前提として、ギリシア語で「(両)河の間」を意味するメソポタミア地方は、西側の交易の大動脈であったユーフラテス河(シュメル語では、「銅の河」を意味するウルドゥ河と呼ばれたそうです)と、東側の、しばしば大洪水を起こし「大洪水伝説」も生み出したティグリス河にはさまれた地方です。北部はアッシリア、南部はバビロニアで、歴史の最初期は、バビロニア南部がシュメル、北部がアッカドと呼ばれました。 まず、それぞれの章の冒頭に、その章が扱う時期の年表と地図が掲載されていて、とても便利です。これは分かりやすいつくりです。 シュメルとアッカドを領域的に支配する最初の統一国家を創設したサルゴン王(前2334-前2279)は、伝説によれば、母親は子供を産んではならない女神官で、出生後かごに入れられ、ユーフラテス河に流されます。その後、庭師に拾われ、やがて王になったといい、「捨て子伝説」の最古の例だといいます(50-56頁)。 最古の法典とされる『ウルナンム法典』の、「もし~ならば、…すべきである」という決疑法形式(解疑法形式とも)は、有名な『ハンムラビ法典』にも引き継がれます。なお、『ハンムラビ法典』は「目には目を…」という同害復讐法で有名ですが、『ウルナンム法典』では、賠償で償うべきという考え方が採用されていたそうです(65-67頁)。 その他、中世ヨーロッパに関する言及について、指摘しておきます。 まず、シュメルにおける大麦の収穫量(初期王朝時代に76.1粒、ウル第三王朝時代には30粒)を取り上げる際、対照的な事例として、「九世紀はじめのシャルル・マーニュ…のフランス北部の荘園では、一粒の麦を蒔いても、平均二粒しか収穫できなかったという」(18頁)といいます。しかし、森本芳樹「収穫率についての覚書―9世紀大陸と13世紀イギリスの史料から―」(同『比較史の道―ヨーロッパ中世から広い世界へ―』創文社、2004年、169-201頁、特に171-177頁)によれば、カロリング期の収穫率を低く見積もる学説は1960年代のデュビィの主張であり、その後の研究により、3から4に近い収穫率はあったという見方も出てきていますので、付記しておきます。 次に、あとがきで、「[黒死病(ペスト)が]14世紀半ばに全ヨーロッパを襲い、人口の4分の1が死んだ」(281頁)とされています。しかし、最近の西洋中世史の概説書である神崎忠昭『新版 ヨーロッパの中世』慶應義塾大学出版会、2022年、354頁でも「当時のヨーロッパの人口の半数前後」(2015年の初版、362頁では「3分の1から3分の2」)が亡くなったとされており、「4分の1」の評価は低い見積もりとされていることを指摘しておきます。(ペストによる死亡率については、石坂尚武『苦難と心性―イタリア・ルネサンス期の黒死病―』刀水書房、2018年を参照。神崎先生の概説書の記述が変わったのも、石坂先生の著作の影響があると思われます。) 以上、西洋中世史の観点から些細な指摘をしましたが、本書は、古代メソポタミアの歴史を分かりやすくたどれる良書だと思います。(2023.02.22読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.04.16
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ジョン・H・アーノルド(図師宣忠・赤江雄一訳)『中世史とは何か』~岩波書店、2022年~(John H. Arnord, What is Medieval History?, Cambridge, 2021[Second Edition]) 著者のアーノルドは1969年生まれ。イースト・アングリア大学、ロンドン大学バークベック校を経て、2016年からケンブリッジ大学歴史学部教授(訳者あとがき、209頁より)。 邦訳に『歴史』(新広記訳、岩波書店、2003年)があります。 訳者の赤江先生と図師先生については、本ブログではそれぞれ次の単著を紹介しています(また、それぞれの記事の中で、主な論文も挙げています)。・Yuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015・図師宣忠『エーコ『薔薇の名前』―迷宮をめぐる<はてしない物語―』慶応義塾大学出版会、2021年 本書の構成は次のとおりです。(各章の副題は訳者によります。各章の本質が明確に示されています。)―――第2版への序文序文と謝辞地図第1章 中世を枠付ける―リアルとフィクション第2章 中世を追跡をする―史料と痕跡第3章 中世を読み解く―隣接諸学との協働第4章 中世を議論する―深まる論点第5章 中世を作り、作り直す―「中世主義」再考訳者あとがき注中世をより深く知るための読書ガイド索引――― 第1章は、中世が粗野で不快なものに違いないというイメージと、その誤解を解くことから始まります。たとえば、「魔女を火あぶりにしたんですよね?(中世には滅多にありませんでしたし、それはほとんどが17世紀のことなんです)……彼らが野蛮な振る舞いをしていたのは確かなはずです。例えば、局地的な暴力が絶え間なく生じ、気に入らない人々に戦争をしかけ、人々を拷問し、犯罪者を処刑していたのです。違いますか?(これらのどれも、今日には起こっていないとでも?)」(14-15頁から一部抜粋)というやりとりは、ありがちなイメージと反論が分かりやすく示されています。 その後、19世紀からの歴史学の潮流を概観し、中世史を研究する者ならば意識しておくべき4つの問題(ナショナリズム、19世紀の態度・関心・概念による枠づけ、各国の歴史学の特質、そもそも「中世」は存在したのか)を挙げます。中でも、各国の歴史学の特徴(フランス…構造的な本質を見極めようとするため細部を犠牲にすることをいとわない、イギリス…特定のものやローカルなものに焦点を当て細部や例外の重要性を主張、など;各国の教育、文書館の特徴)に関する部分を興味深く読みました(28-30頁)。 第2章は、いわゆる史料論に関する議論です。校訂版と文書館にある写本それぞれの特徴、文書の使い方について概観したのち、年代記、証書、図像など、個別具体的な史料の特徴を論じます。ここで興味深かったのは、13-14世紀、イタリアのトスカーナ地方の多くの都市で、罪を犯しながら追っ手を逃れた犯罪者について、「ピットゥーレ・インファマンティ(侮蔑の肖像画)」という、その人物を描いた絵が、名誉を奪う視覚的な罰として公共の場所に掲示されたという事例です(74頁)。 第3章は、冒頭で、リーズとカラマズーで開催される大規模な中世史学会を紹介したのち、副題のとおり、人類学、統計、考古学、文化論などの隣接諸科学との協働を論じます。 第4章は、中世史研究の個別テーマとして、儀礼、社会構造、グローバリズム、文化的アイデンティティ、権力の5つを挙げ、それぞれの研究動向を論じます。 第5章は、中世を研究する意義に関する考察で、こちらも興味深く読みました。 訳者解説は、特に中世史の位置づけや「中世主義」の意味するものについての理解を深めてくれますし、読書ガイドでは邦訳版オリジナルで関連する日本語文献も掲載されており便利です。 訳文もとても読みやすく、丁寧につくられた良書だと思います。(2023.02.08読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.03.11
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池上俊一『歴史学の作法』~東京大学出版会、2022年~ 2021年3月に東京大学を退官された池上先生による、歴史学の方法論に関する1冊。 これまで、数多くの著作(本ブログでも色々と紹介しています)を刊行されてきた先生による、初の方法論に関する著書です。 元々、東京大学出版会のPR誌『UP』に2015-2016年に連載されていた論考に、大幅な加筆修正を施して刊行されたものです。(余談ですが、いつか単行本になるかな、と期待しながら、我慢しきれず『UP』の連載は2020年に目を通していましたが、このたび願っていたとおり著書として刊行されて嬉しかったです。)本書の構成は次のとおりです。―――はじめに すべてを歴史の相の下に第1章 歴史の道筋第2章 いかに歴史を叙述するべきか第3章 史料批判は終わらない第4章 拡散する数量史第5章 心性史と感情史第6章 社会史の冒険第7章 無告の民の歴史第8章 文化史の課題第9章 土台としての自然と身体第10章 甦る政治史おわりに これからの歴史学あとがき参考文献人名索引――― 本書の主な主張は、歴史学の姿は、全体史を念頭に、社会史と心性史(そして文化史)の重要性を強調することにあります。政治史、経済史などの重要性を否定するものではありませんが、それらについても、旧来の手法ではなく、社会史・心性史的な手法を取り入れていく必要があるということを強調します。 まず「はじめに」は、いま述べたように「全体史」、そして社会史・心性史の重要性を説きます。また、「歴史学は役に立つのか」という点について、歴史家はより広い読者大衆に向けてその成果を問うていく努力を可能ならどんどんすべきで、「そして魅力的な歴史叙述、ワクワクするような議論展開で多くの読者を引きつけられれば、歴史的思考の重要性が徐々に人々に伝わっていくのではないだろうか。おそらくそれができれば十分なのである。それが何の役に立つのか、どんな影響をおよぼすかは、読者が決めることである」(15頁)といいます。 また、「はじめに」で面白かったのは、言語論的転回のインパクトについて、「歴史とフィクションの境界が融解されたとの思い込みが広ま」った(6頁)として、過大な評価はしていない立場をとられていることです。 第1章は、史学概論系の議論で頻繁に取り上げられるテーマである客観性や因果関係などについて論じたのち、時代区分の重要性を説き、さらに国民史やグローバル・ヒストリーなどの動向を概観します。 第2章では、自分なりの道筋をもって問題をたて、「結論」を意識して叙述することが重要とされます。多量のデータで議論を展開しながら、結論は不十分と見受けられる研究が多いとの嘆きも見られます。 第3章は、オリジナル重視の史料批判から、ヴァリアント(異本)の重要性が認められてきた流れを見たのち、しかし歴史家として重要なテクストを「選択」して行う校訂は重要だと説きます。また、歴史補助学(古書冊学、古書体学)や考古学、図像学、近年の史料論の役割を論じます。 第4章以下は、上に掲げた構成のとおり、「便宜上、歴史をその諸分野…に分けて、それぞれの分野の成果や課題・問題点などを洗い出」していきます。上に書いたとおり、個別分野でも、社会史と心性史の役割が特に強調されます。 膨大な著作を発表していらした池上先生による方法論に主眼を置いた本書は興味深い1冊です。 最後にまた余談です。『UP』で連載されていた業績はこうして本書として結実しましたが、池上先生は『ミネルヴァ通信』に「抒情の中世」と題して全36回の連載をされていたようです(これは未見です)。ぜひこちらも、一冊にまとまった形で発表されないかと、待ち望んでいます。(2023.01.01読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.03.04
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長谷川貴彦『現代歴史学への展望―言語論的転回を超えて―』~岩波書店、2016年~ 著者の長谷川貴彦先生は北海道大学大学院文学研究院教授で、イギリス近現代史・歴史理論を専門にされています。小川幸司(責任編集)『岩波講座 世界歴史01 世界史とは何か』(岩波書店、2021年)に、「現代歴史学と世界史認識」という論考を寄せていらっしゃいます(冒頭略歴も同書の執筆者紹介から引用)。 本書は、先生が過去に発表した9本の論文を、3部構成+終章に編成した論文集です。重複する記述も多いですが、そこは逆に重要な部分と理解できます。 本書の構成は次のとおりです。―――はしがき―転回する歴史学I 社会史から言語論的転回へ 第1章 修正主義と構築主義の間で―イギリス社会史研究の現在 第2章 民衆文化史の変遷―「経験」から「物語」への転回 第3章 社会史の転回―都市史をめぐる考察II 転回する歴史学 第4章 物語の復権/主体の復権―ポスト言語論的転回の歴史学 第5章 文化史研究の射程―「転回」以降の歴史学のなかで 第6章 現代歴史学の挑戦―イギリスの経験からIII 戦後歴史学との対話 第7章 『社会運動史』とニューレフト史学 第8章 二宮史学との対話―史学史の転換点にあたって終章 現代歴史学への展望あとがき初出一覧索引――― はしがきは、本書の目的と構成の概要を示します。 第1部は、戦後イギリスにおける社会史研究の系譜を論じます(vii頁)。 第1章は、1960-70年代の社会史研究が、時間的・空間的に細分化した方向に向かうことで、長期的変動や歴史的全体像をとらえる視点の喪失に至るという「隘路」に陥っていた中、進歩主義史観などの見直しを迫る「修正主義」と社会そのものが言説=実践によって構築されたものだという視点を強調する「構築主義」の影響を受け、方法論的革新を迎えていることを、階級、ジェンダー、都市を扱う具体的な研究例を挙げて明らかにします。 第2章は、文化的マルクス主義として、経験を重視したトムスン『イングランド労働者階級の形成』(1963年)、言語論転回として、ステッドマン=ジョーンズ(この研究者は言語論転回の英語圏の嚆矢となる著作を発表したことで、本書で強調される人物の1人です)の『階級という言語』、そしてパーソナル・ナラティヴ(個人史の聞き語りに代表されるオーラル・ヒストリーだけでなく、自叙伝、日記、書館などのエゴ・ドキュメントを対象とする)として、牧師の日記から女性の家内奉公人の地位を見つめるスティードマン『マスターとサーヴァント』の3つの潮流と代表的著作を取り上げ、それぞれの背景、著作の概要、批判と射程を論じます。 第3章は、1950年代の(近代イギリス)都市史に関する諸研究を見ていく中で、方法論の変化を明らかにします。ここではとりわけ、トムスンによる社会的磁場の理論―社会を二極構成で捉えて磁場を発見し、その関係(と変化)のなかで中間階級の社会的性格を決定していこうというアプローチ(73頁)―についての具体的な紹介と重要性の示唆を興味深く読みました。 第2部は、「言語論転回以降の歴史学を射程に入れた理論的考察が中心」(viii頁)です。 第4章は、言語論転回以後に注目される、表題にもある「物語の復権」と「主体の復権」について、パーソナル・ナラティヴに関する主要な研究の紹介(第2章でも取り上げられるスティードマンの研究や、貧民、奴隷の語りに関する研究)を通じてその様相を見ていきます。 第5章は、ホイジンガ『中世の秋』などに代表される「古典的文化史」、人類学的関心が一つの特徴である「民衆文化史」、そして文化理論の台頭への応答として考えるべき「新しい文化史」という、文化史の3つの流れを概観した後、ピーター・バークの主要業績とジェンダー史研究から、近年の文化史の具体的実践を描きます。 第6章は、本書の標題にもある「現代歴史学」を、「言語論的転回」「文化論的転回」など様々な「転回」以降の歴史学とします(156-158頁)。そして、サッチャー政権の新自由主義など、現代イギリスを特徴づける様々な状況とイギリスにおける歴史叙述の在り方について論じます。 第3部は、以上の歴史学の動向を日本の歴史学の文脈に定位していきます(ix頁)。 第7章は、『社会運動史』という「1970年代から1980年代に一世を風靡した伝説の雑誌」の再検討をイギリスのニューレフト史学の発展との比較から行い(同頁)、第8章はアナール学派の紹介などで日本での社会ブームの火付け役となった二宮宏之氏の著作集(全5巻)から、史学氏の流れにその業績を位置づける試みです。 終章は、社会史の各国での状況を概観した後、ポスト「転回」の歴史学の状況を概観します。上の諸章で紹介された内容と重複する部分もありますが、ここでは特にグローバル・ヒストリーの位置づけが追加されているように思いました。 以上、はしがきでの各章の紹介を踏まえながら、全体の概要を紹介してみました。 長谷川先生のご専門がイギリス近現代史ということで、具体的な研究の事例はイギリス近現代史の業績からとられていますが、私はふだんあまり触れていない領域ですので、史学史の整理だけでなく、具体的な研究の紹介もたいへん勉強になりました。(2022.12.27読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.02.12
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リチャード・J・エヴァンズ(今関恒夫ほか訳)『歴史学の擁護』~ちくま学芸文庫、2022年~(Richard J. Evans, In Deffence of History, London, 2018[初版1997]) 著者のエヴァンズ(1947-)はケンブリッジ大学で近代史欽定講座担当教授をつとめたドイツ近現代史家。本書は、伝統的な歴史学とポストモダニズムの(影響を受けた)著作を検討し、歴史学を擁護する試みです。 本書は、もともと1997年原著初版をもとに、『歴史学の擁護―ポストモダニズムとの対話―』との邦題で1999年に晃洋書房から刊行されていた邦訳書について、本文を一部改訂するとともに、2018年に刊行された原著第2版に収録された長いあとがき(これは、原著刊行後に出された多くの批判への再反論です)を追加したものです。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版への序文謝辞凡例序論第1章 歴史学の歴史第2章 歴史、科学、倫理第3章 歴史家と歴史事実第4章 史料と言説第5章 歴史における因果関係第6章 社会と個人第7章 知と権力第8章 客観性とその限界あとがき―批判に答えて訳者あとがき文献解題人名索引――― 文庫版で約560頁の重厚な議論なので、私には十分な紹介は出来ませんが、要点をメモしておきます。 本書は、ポストモダニズムによる極端な相対主義(特に極端な例でいえば「過去を知ることはいかなる意味でもできない」など)を批判し、「互いに矛盾する二つの歴史的主張の両方が等しく正当である、というのはありえない」(368頁)と主張します。 本書のポイントと思われることばを、以下に紹介します。「自分たちは絶対的な真実を書いているのだ、と信じている歴史家などいない。単にもっともらしい真実を信じているのであって、それは証拠に関する諸ルールにしたがって、彼らが全力を尽くして確証したものなのである」(368頁)。さらに、「脚注と参照文献リストの存在こそ、読者が歴史家の主張のよってたつ史料を調べ、その史料が歴史家の主張を支持しているかどうか確かめることを可能にする」(227頁)といいます。 そして歴史家は、そのためには、「ランケ的なやっかいな基礎作業をおろそかにしてはならないことは、今も変わらない。文書の出所を調査し、それを書いた者の動機、それが書かれた環境、同じテーマについての他の文書との関連を見極めなければならない」(53頁)。 こうして歴史家は、「批判に耐えうる結論にいたることはできる」(421頁)というのです。 その他、伝統的な歴史家もポストモダニズムの理論家・歴史家も含め、具体的な主張や、事件に関する見解を丹念に取り上げ、批判するところは徹底的に批判し、一方首肯すべき点は積極的に取り入れ、エヴァンズは歴史学の意義を説きます。 こうして論じられる本論自体もきわめて興味深く、勉強になるのですが、原著初版刊行後に出された批判に対する反論を行う、約100頁にも及ぶ「あとがき」も非常に面白いです。批評の受け止めるべきところは受け止めますが、誤読・思い込みなどによる批評に対しては徹底的に反論しており、中には過激なことばもあって面白いです(たとえば、批評の中で本書のタイトルを誤って書いている人物に対しては、「本書のタイトルを間違えているのは、彼女の学問的水準を示す兆候である」(429-430頁)と批判しています。私も本の紹介をしているので気を付けなければ…。)。 以上、要点しか紹介できませんでしたが、全編通じて説得的な議論が展開されているように思われましたし、また訳もきわめて読みやすく、適宜訳注も挿入されていて、たいへん分かりやすく読み進めることができました。 これは良書だと思います。良い読書体験でした。(2022.12.17読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.02.11
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オスカー・ハレツキ(鶴島博和ほか訳)『ヨーロッパ史の時間と空間』~慶応義塾大学出版会、2002年~(Oscar Halecki, The Limits and Divisions of European History, Notre Dame, 1962 [初版New York, 1950]) 著者のオスカー・ハレツキ(1891-1973)はポーランドの歴史家。ワルシャワ大学を経てカナダのモントリオール大学やニューヨークのフォーダム大学で教鞭をとりました。 本書は、邦題どおり、ヨーロッパ史の時間的・空間的枠組みを定めることを目的としています。その意義をハレツキは、「境界と構成の問題は、それ自体で興味深い問題であるばかりでなく、歴史家に対して、データを体系的に整理するために必要不可欠な枠組みを提示するから」と、強調しています(191頁)。(なお、原題を直訳すると『ヨーロッパ史の境界と構成』。) 本書の構成は次のとおりです。―――地図序文(クリストファー・ドーソン)凡例はじめに第1章 ヨーロッパ史とはなにか第2章 時間的境界:(a)ヨーロッパ史の始まり第3章 時間的境界:(b)ヨーロッパ史の終焉第4章 空間的境界:(a)大洋、海域、島嶼、海峡第5章 空間的境界:(b)東部大地峡第6章 空間的構成:(a)西ヨーロッパと東ヨーロッパ第7章 空間的構成:(b)中央ヨーロッパの二重性第8章 時間的構成:(a)中世とルネサンス第9章 時間的構成:(b)近代史と現代史第10章 ヨーロッパ史の基本的諸問題訳注訳者代表あとがき年表索引――― 構成のとおり、前半でヨーロッパ史の境界を定め、後半でヨーロッパ史内部の構成を見ていきます。 ハレツキは、伝統的な「古代、中世、近代」という区分ではなく、地中海時代(いわゆる古代史に相当)、ヨーロッパ時代(いわゆる中世から近代)、大西洋時代(いわゆる近代以降)という区分を提唱し、それぞれは完全に断絶していくのではなく、次第に移り変わっていくという立場をとります。 空間的には(時代によりその境界は多少移り変わりますが)、ロシアは基本的にヨーロッパとはみなさない立場をとります。また、中央ヨーロッパの二重性という第7章の題からもうかがえるように、ヨーロッパ全体を4つ(西ヨーロッパ、中央ヨーロッパ西部、中央ヨーロッパ東部、東ヨーロッパ)に分けるという考え方を提示します。 刊行当時に読んだので、20年ぶりの再読。 ポミアン『ヨーロッパとは何か』を読んだので、同じくポーランドの歴史家ハレツキの本書を読み返そうと思った次第でした。 また本書は、大学2年生で無事に西洋史研究室に入れたとき、最初の英語購読で原著を読んだという、思い出深い著作です。固有名詞を調べまくったり、地図とにらめっこしながら読んだのを懐かしく思います。 本書は、同じく慶応義塾大学出版会から刊行されているラスカム『十二世紀ルネサンス』同様、詳細な訳注が付されていて、索引も事項、地名、人名で引けるようになっていて、非常に親切なつくりです。一点、たまたま気づいたのですが、訳注209(241頁)のレレヴェル(1786-1861年)について、「1930-1931年の対ロシア蜂起の際には…」以降は、別人の経歴が記載されてしまっているようです(誰かまでは不勉強で特定できず)。 ともあれ、詳細な訳注に理解を助けられながら、時代区分と空間の位置づけについて考えさせられる、勉強になる一冊とあらためて思います。(2022.11.16読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.02.05
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ジャン・ドリュモー(佐野泰雄ほか訳)『罪と恐れ―西欧における罪責意識の歴史/13世紀から18世紀―』~新評論、2004年~(Jean Delumeau, Le péché et la peur, Paris, 1983) 『恐怖心の歴史』(本ブログでの紹介記事未作成)に続く、ドリュモーによる恐怖論第2作。1200頁近い大著です。 ドリュモーの主要著作については、ジャン・ドリュモー(福田素子訳)『告白と許し―告解の困難、13-18世紀』言叢社、2000年の記事で簡単に触れていますので、ここではドリュモーの経歴について、訳者あとがきなどから簡単にメモしておきます。 ドリュモーは1923年6月18日にフランスの港町ナントに生まれ、高等師範学校などで学び、教職につきます。その後、パリ第一大学教授を経て、コレージュ・ド・フランス教授などを歴任します。 本書の構成は次のとおりです。―――日本語版への序文序 罪の文化史 第1部 ルネサンスの想死表現と悲観論第1章 現世の蔑視・人間の蔑視第2章 現世の蔑視から死の舞踏へ第3章 想死表現の曖昧さ第4章 罪の世界第5章 弱い人間 第2部 贖罪の破綻第6章 良心の糾明の仕上げ第7章 聴罪司祭の領分第8章 原罪第9章 地獄に堕とされる多数者と罪のシステム第10章 宗教的「気詰まり」 第3部 恐れの司牧術 カトリック諸国の場合第11章 司牧術の伝播第12章 「よく死を想え」第13章 彼岸の責め苦第14章 「ヤマネコの目」をした神第15章 「罪」とさまざまな罪第16章 禁欲生活というモデル第17章 告白を強要することの難しさ第18章 カトリックの司牧術〔活動〕。数量化の試み プロテスタント諸国の場合第19章 「汝、恐るべき言葉、永遠よ」第20章 プロテスタントとカトリックの司牧術の共通点第21章 終末論と運命予定結論原注訳者あとがき日本語版図版資料日本語版作品名索引日本語版人名索引――― まず、邦訳書1200頁にも及ぶ大著を訳された5名の訳者の方々に敬服します。 そして内容も、13-18世紀の説教や文学、絵画作品など様々なジャンルの、膨大な数の史料に裏付けられた論述となっています。 とてもそれぞれの章について紹介する力量はないので、気になったことなどをメモしておきます。 まず、第3部はカトリック諸国とプロテスタント諸国に関する議論で大きく2つに分かれますが、第20章の題からうかがえるように、著者は両者の違いではなく共通点を強調しているように思います。 そして、史料として主に用いられているのが説教ということで、時代はいわゆる近世~近代を扱っていますが、関心のある領域で、興味深く読みました。 少し残念だったのは、注の中で本書の一部を参照する際、きちんと邦訳書の頁を書いてくれている場合もあれば、原著のままの表記で、邦訳書では何ページに当たるのか分からない場合もある点です。また、原著にはない図版も豊富に掲載されているのは嬉しいのですが、プロテスタントに関する議論の中で13世紀のモザイク画が挙げられているのがやや疑問でした。 あまりに長いので、流し読みにならざるをえない部分もありましたが、とにもかくにも通読してみました。大罪に関する議論や説教史料の引用は自分の勉強にも大いに刺激になり、勉強になる一冊でした。(2022.11.13読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.02.04
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クシシトフ・ポミアン(松村剛訳)『増補 ヨーロッパとは何か―分裂と統合の1500年―』~平凡社ライブラリー、2002年~(Krzysztof Pomian, L’Europe et ses nations, Paris, Gallimard, 1990) 著者のポミアンは、1934年、ポーランドのワルシャワで生まれた歴史学者。ワルシャワ大学で学び、同大学で助教授職を務めた後、政治的立場から職を失い、ワルシャワ国立図書館での勤務後、活動の場をフランスに移し、国立科学研究センターで主任研究員をつとめながら、社会科学高等研究院などでも教えているとのこと(訳者あとがき参照)。 本訳書はもともと1993年に平凡社から刊行されていますが、平凡社ライブラリー版として刊行するにあたり、タイトルにも「増補」とあるように、著者ポミアンからの追記が付されています。この追記はこの版のみでしか読めないとのことで、貴重な一冊。 さて、本書の構成は次のとおりです。―――日本語版への序文序第1章 ローマと異民族第2章 異教、キリスト教、ローマ帝国第3章 新たなラテン世界第4章 カロリング朝の組織の核第5章 ヨーロッパの出現第6章 内部破裂から拡大へ第7章 封建社会から身分社会へ第8章 最初のヨーロッパ統合第9章 エリート文化の革新―ローマへの回帰第10章 信仰の源への回帰―ヨーロッパの宗教的統一の終焉第11章 ヨーロッパの政治と軍事―中心地の移動第12章 第2のヨーロッパ統合―文芸共和国第13章 第2のヨーロッパ統合―宮廷、サロン、フリーメイソン第14章 戦争、絶対主義、近代化、革命第15章 アメリカとロシアの間で第16章 フランス革命、ヨーロッパ文化、国民文化第17章 諸国家の道―西欧第18章 民主主義、産業、国民統合第19章 諸国家の道―中欧と東欧第20章 第一次世界大戦まであとがき―第3のヨーロッパ統合に向けて平凡社ライブラリー版のための追記訳者あとがき解説―「周辺」から「内部」に浸透する眼(西谷修)文献案内索引――― 原題は「ヨーロッパとその諸国民[諸民族]」ですが、邦題は副題も含めて本書の本質を簡潔に示していると思います。副題にある「分割と統合」は、日本語版序文にあるように、著者が「ヨーロッパの本質」ととらえている特徴です。 本書は、その本質を念頭に置いたヨーロッパ史の通史ですが、細かい事件の年代を重視せず、大きく時代、時代の特徴を捉えていくというスタイルです。 通史なので、個々の章の紹介は省略しますが、本書の特徴と感じた点をいくつかメモしておきます。 一点目は、原著刊行の1990年頃を「第3のヨーロッパ統合」が近い時期ととらえ(その後EUが成立、2002年に単一通貨ユーロに移行)ととらえ、それまでに二度の「ヨーロッパ統合」があった、とする指摘です。第一の統合を論じる第8章では、12世紀以降、各国は政治的分割と戦争状態があったものの、ラテン・キリスト教世界の宗教・社会・文化面の統一を重視し、事例として大学や騎士文化、市民文化を挙げます(なお、この統合は、第10章において、プロテスタンティズムの勢力拡大により終わったと指摘されます)。第二の統合は目次でも示されていますが、こちらも16・17世紀の「文芸共和国」や宮廷・サロン文化などとされます。以上のように、著者は文化面での「統一」を重視しているように思われます。 二点目は、著者がポーランド出身ということをことさら強調するのもおかしいかもしれませんが、東欧・中欧の歴史・重要性にも目配りされていて、第19章では、第17章の西欧に対になるかたちで、東欧・中欧の諸国家[諸民族]の歴史が取り上げられます。 三点目として、一点目でも触れましたが、各時代の文化を重視している点が挙げられます。いわゆる各国の政治史を中心とした通史ではなく、各時代の政治的・社会的背景の中で生まれた文化(たとえば、第16章の革命→民族主義からの、文化面での「国民文化」の形成)の意義を強調した記述となっていると感じました。 全体を通して、特徴と感じた三点を挙げましたが、個々の章でも学びがあり、充実した読書体験でした。(2022.11.03読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2023.01.29
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西洋中世学会『西洋中世研究』14~知泉書館、2022年~ 西洋中世学会が毎年刊行する雑誌です。 今号の構成は次の通りです。―――【特集】中世のユダヤ人<序文>佐々木博光/田口正樹「特集「中世のユダヤ人」に寄せて」<論文>志田雅宏「中世西欧のユダヤ教における対キリスト教論争文学の嚆矢―ヨセフ・キムヒ『契約の書』とヤアコヴ・ベン・ルーベン『主の戦い』―」嶋田英晴「『レシュート(Reshūt)』研究序説」佐々木博光「中世のユダヤ人迫害、その動機づけの歴史」関哲行「中近世スペインのユダヤ人とコンベルソ―異端審問制度と「血の純潔規約」を含めて―」黒岩三恵「1370年ブリュッセルの聖体冒瀆事件―出血聖体崇敬、ユダヤ嫌悪とサント・ギュデュル参事会聖堂の装飾―」【講演】ティル・ホルガー・ボルヒェルト(杉山美耶子訳)「ブルゴーニュ公領ネーデルラント及びヨーロッパにおけるヤン・ファン・エイク芸術の遺産(1440-1470年頃)」【論文】桑原夏子「ピサ、サン・フランチェスコ聖堂サルディ礼拝堂壁画―タッデオ・ディ・バルトロ《聖母のよみがえり》の制作背景―」伊丹聡一朗「ウシクイニクとは何者か?―中世ロシア河川賊とノヴゴロド政治権力の展開―」藤田風花「キプロス王国における宗派併存体制の成立―「キプロス勅書」の意義をめぐって―」【研究動向】武藤奈月「古代物語(roman d'antiquité)の研究動向」【新刊紹介】【彙報】小澤実「西洋中世学会第14回大会シンポジウム報告「危機を前にした人間:西洋中世における環境・災害・心性」」松本涼・福田智美・頼順子「2021年度若手セミナー報告「頭と舌で味わう中世の食文化:レクチャー編」」――― 特集序文は、まず、関連する基本的な研究史を整理します。ここでは、迫害を中心とする研究から、共存を強調する研究へのシフトが見られることを指摘したのち、本特集としては、迫害の歴史も共存の歴史も軽視せず、双方の研究動向のいずれにも配慮するという方針が示されます。その後、特集の各論文を紹介し、「迫害の歴史がなぜ繰り返すのか」という問題提起を行います。 志田論文は、対キリスト教文学の歴史を概観したのち、副題にある2つの主要史料について詳細な分析を行います。当該ジャンルの著者たちが持つキリスト教文学に関する知識(=キリスト教との相互関係)の重要性や、主要史料がキリスト教への論駁だけでなく、それを通じて「ユダヤ人社会のための規範を提供」(22頁)するという、教育的な目的もあったことから、読者として同時代のユダヤ人を想定していたという興味深い指摘を行います。 嶋田論文は、イスラーム社会におけるユダヤ教徒の境遇を考察するうえで、ユダヤ教徒同士の強固な信頼が彼らのネットワークを支えていたことを指摘し、それを示すものとして史料に現れる「レシュート」(「学塾の歳益権」を意味するが著者は「管轄」と訳)という語に着目します。「レシュート」分析自体は末尾で、今後の課題として取り上げられますが、ここでは(少なくとも私にはなじみのない)イスラーム社会におけるユダヤ人のネットワークに関する状況について知見が得られ、興味深いです。 佐々木論文は本特集の中で最も興味深く読みました。ユダヤ人迫害の動機付けとして、「儀礼殺人」、毒物投棄疑惑、経済的動機などが挙げられ、それぞれの実態を史料をもとに示します。興味深いのは、毒物投棄疑惑について、ユダヤ人の毒物投棄によりペスト禍がもたらされ、迫害されたとの説明が多いが、同時代の目撃者の説明では、毒とペストを結びつけて説明している史料はわずかと指摘されることです。また、高利モチーフで迫害を説明する事例は前近代にわずかであり、近代以降に増加するという、歴史叙述におけるイメージの変容も明らかにされます。 関論文は中近世スペイン帝国におけるコンベルソ(改宗ユダヤ人)やマラーノ(偽装改宗者)に対する審問の在り方を、メキシコなども含むグローバルな観点から論じます。 黒岩論文は、副題にある聖堂装飾における、ユダヤ人が関与した聖体冒瀆に関する事件・物語を扱う装飾を題材とした分析です。 ボルヒェルト講演は、ファン・エイク及びその工房の技術が伝播していった様子を概観します。 桑原論文は標題壁画に描かれた、ほとんど類例のない《聖母のよみがえり》図像が描かれた理由や意義について、製作者、発注者、聖堂を管理していたフランシスコ会士たちの3者の状況の詳細な分析を通じて明らかにする興味深い論考です。 伊丹論文は、中世ロシア河川賊「ウシクイニク」について、その構成員、活動時期、活動範囲、活動内容の分析を通じて、「ウシクイニク」の定義を与える論考。一点、史料により「ウシクイニク」に肯定的視点を持つものと否定的な視点を持つものがあるとのことで、図表2(「ウシクイニク」の活動年、場所、構成員について整理した表)に、当該活動を記録した史料の立場も付記しておくと、より議論が分かりやすくなったのではないか、と感じました(本文で十分読み取れない私の読解力不足もありますが)。 藤田論文は、第三回十字軍後、キプロスにカトリック系王朝が創始されたのちの、同王国におけるギリシア正教とカトリックの宗派併存体制の在り方を、教皇勅書などから分析します。 武藤論文は12世紀に創作されはじめる、古代の作品(『テーベ物語』、オウィディウス作品など)に着想を得た、古代物語と称される俗語作品の研究動向を、3つの局面に整理して概観します。 本号でも、新刊紹介では興味深い文献がいくつも紹介されており、いくつかはいずれ読んでみたいと思いました。 彙報は、オンラインと実地のハイブリッド形式で開催された第14回学会シンポジウムの概要と、中世食文化を対象とした若手セミナーの報告及び体験記です。特に前者はオンラインで拝見しましたが、たいへん興味深い発表が多く、本誌の中でも中世環境史に関する基本文献が紹介されているなど、あらためて勉強になります。 私が主に勉強しているテーマではない論考が多かったですが、ふだん読むことのない分野に関する知見が得られ、今号も大変勉強になりました。(2023.01.22読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2023.01.28
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アン・ブレア(住本規子ほか訳)『情報爆発―初期近代ヨーロッパの情報管理術―』~中央公論新社、2018年~(Ann M. Blair, Too Much to Know. Managing Scholarly Information before the Modern Age, New Haven & London, Yale University Press, 2010) 本書は、初期近代におけるレファレンス書(辞書など、「通読することよりも参照することを目的として作られた、大部の文書情報集成物」(394頁序論注1)に着目し、あふれる情報への対応方法、情報管理、ノート作成、レファレンス書作成の動機や、レファレンス書が社会に与えた影響について論じる一冊です。 訳者解題によれば、著者のアン・ブレアはハーヴァード大学で、ユニヴァーシティー・プロフェッサー(複数の学術領域を横断する画期的な研究の創始者と認められる名誉ある地位で、ハーヴァード大学のどの学部でも自由に研究できる特権をともなう。訳者解題執筆時点で26名とのこと)に任じられているそうです。 本書の構成は次のとおりです。―――凡例編集方法序論第1章 比較の観点から見た情報管理第2章 情報管理としてのノート作成第3章 レファレンス書のジャンルと検索装置第4章 編纂者たち、その動機と方法第5章 初期印刷レファレンス書の衝撃エピローグ謝辞訳者解題原注引用文献索引――― 序論は、本書の問題関心と本書の構成を提示します。ここでは、文書管理の4つのS(蓄えることstoring、分類することsorting、選択することselecting、要約することsummarizing)の提示が興味深いです。 第1章では、古代、中世、さらには西欧以外との比較の観点から、ビザンティウム、イスラーム、中国での文書管理の在り方が概観されます。私の問題関心からは、中世のレファレンス書に関する記述が重要なのですが、その他興味深かったのは、、初期刊本(インキュナブラ)の時代(1500年以前)には、「初期印刷本の所有者たちは、専門のルブリケーターに金を払って蔵書に色を入れてもらうこともできた」(65頁)という、ルブリケーターという職業への言及です。しかし彼らは、依頼に応じて手稿本にルブリケーションを施すこともしており、間もなくこの職業は消えたとか。写本では色彩などで見え方の工夫ができましたが、印刷術により、空白のスペースや様々な書体といった、ページを読みやすくするための様々な工夫が生まれていったという指摘も面白いです。 第2章は、ノート作成の歴史を概観した後、記憶の補助・書くことの補助としてのノート作成、またノート管理など、ノート作成にまつわる諸側面について論じます。面白かった点をいくつかメモ。中世のノートでわかりやすいものと取り上げられる写本欄外の書き込みへの言及の際、「職業的な読み手」による書き込みが指摘されていること(87頁)。あまりにも著名な神学者、トマス・アクィナスの筆跡が「あまりに読みにくかった」こと(105頁)。なお、そのため自筆原稿からの清書が間違いだらけだったので、それ以後はじかに口述筆記での執筆になったとのことです。 第3章は、初期近代の様々なレファレンス書(辞典、詞華集、読書録など)、検索装置(典拠一覧、見出し一覧、アルファベット順索引など)、書物についての書物(蔵書目録、文献目録、販売目録など)、そして百科事典についての紹介で、特に興味深く読みました。 第4章以降は、初期近代の特徴的なレファレンス書である『ポリテンテア』と『人生の劇場』という著作に着目し、第4章はその編纂者たちの動機や編纂方法を、第5章はこれらが同時代の(そして後世の)社会に与えた影響を論じます。 二段組で本論300頁以上、さらに膨大な参考文献目録と注が付され、索引も含めると全体で446頁と重厚な一冊。今回は流し読みした部分もありますが、いくつかの研究で言及されるのを見て気になっていたので、この度目を通せてよかったです。(2022.08.11読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2022.12.17
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~岩波書店、2022年~ 以前紹介した『世界歴史08』に続く時代を扱う1巻。本書でも、「ヨーロッパ」だけでなく、西アジアと一体的に当時を見ていくという立場が貫かれています。 本書の構成は次のとおりです。―――<展望>大黒俊二・林佳世子「中世ヨーロッパ・西アジアの国家形成と文化変容」(コラム)井谷鋼造「セルジューク朝からオスマン朝へ―アナトリアとイスタンブルの刻銘文資料から」<問題群>鶴島博和「中世ブリテンにおける魚眼的グローバル・ヒストリー論」藤井真生「帝国領チェコにみる中世「民族」の形成と変容」(コラム)図師宣忠「史実とフィクションのあわいを探る―歴史解釈としての映画の可能性」五十嵐大介「西アジアの軍人奴隷政権」<焦点>小澤実「異文化の交差点としての北欧」黒田祐我「レコンキスタの実像―征服後の都市空間にみる文化的融合」(コラム)高橋英海「西アジアのキリスト教をめぐる環境の変容―バルヘブラエウスの生涯を例に」三浦徹「宗教寄進のストラテジー―ワクフの比較研究」(コラム)甚野尚志「朝河貫一とグレッチェン・ウォレン」久木田直江「「女性の医学」―西洋中世の身体とジェンダーを読み解く」辻明日香「イスラーム支配下のコプト教会」(コラム)大稔哲也「子を喪ったイスラーム教徒にいかなる慰めがあり得たのか」佐々木博光「中世のユダヤ人―ともに生きるとは」――― 展望論文では、西洋史の立場から大黒先生が西欧各国の11-15世紀を概観しつつ、本書収録の論考をその中に位置づけ、西アジアの立場から林先生が西アジアを二つの時期に分けて通史的に概観したのち、ビザンツ帝国との関連を見ます。展望論文では、冒頭に置かれた「トランスカルチュラルな絡み合い」という概念が重要で、これは「文化はゆるやかな統一体として存在しながら流動と変性を繰り返し、そうした動きはとくに他文化との境において顕著な姿を示すとみる」立場です。この見方には、従来の歴史叙述に見られた「目的論ないし直線的発展」を排する特徴があると指摘されます。 問題群はヨーロッパ関連2本、西アジア関連1本の論考です。 鶴島論文は魚≒漁業に着目し、その周期性が軍事的戦略にも用いられたことや、干潟の領有権をめぐる問題、船の技術や製塩業など様々な側面も含め、ブリテン諸島の「グローバル・ヒストリー」を描きます。 藤井論文はチェコの「民族」意識をめぐる論考。神聖ローマ帝国との関係性や、フス派運動をチェコ人固有の信仰・思想とする従来の見方への批判などが興味深いです。『世界歴史08』所収の三佐川亮宏「ヨーロッパにおける帝国観念と民族意識―中世ドイツ人のアイデンティティ問題」もあわせて読むと、中世の「民族」意識に関する議論への理解がさらに深まるように思われました。 五十嵐論文は、マムルークと呼ばれる奴隷出身軍人が将軍であった王朝・マムルーク朝の位置づけを論じます。その王朝名から、奴隷出身軍人が将軍をつとめたと考えられますが、実際には非マムルークの人物が一部家系の中から将軍が輩出される時期もあり、後期に「マムルーク化」していったことが指摘されます。 焦点として6本の論考が収録されています。 小澤論文は「辺境」とされた北欧の人々が、大陸などに積極的にかかわっており(ヴァイキングの侵攻が有名ですがそれだけでなく交易も含めて)、辺境としての見方への修正を促します。 黒田論文はレコンキスタ期に、モスクが教会として転用された事例に着目し、それは必ずしも従来言われたような「寛容」ではなく、キリスト教の勝利と優位を示す側面があったことを強調します。 三浦論文は、ワクフと呼ばれる主にマドラサ(学院)などへの寄付(寄進)行為について論じます。本稿で最も興味深いのは、比較研究として、ヨーロッパ、中東・イスラーム、中国、日本の寄付(寄進)の在り方が比較・整理されている点です。 久木田論文は「女性の医学」として、中世ヨーロッパにおける女性の身体や産科の位置づけに着目し、ジェンダー論的な観点から論じます。 辻論文はエジプトでのコプト教会とイスラームとのかかわりを論じます。興味深い事例として、1301年、イスラーム側からキリスト教徒は青色の、ユダヤ教徒は黄色のターバンの着用を義務付けられますが、やがて14世紀後半にはこれらの色のターバンはキリスト教徒などである証として誇りをもって受け入れられるようになり、14世紀後半の聖人伝では再改宗を望む元キリスト教徒たちが青色のターバンを再び着用する描写がみられる、とのことです(253-254頁)。 佐々木論文は、「寛容」「不寛容」、「迫害」「共生」の2項対立的な観点から論じられてきたユダヤ人の在り方について、説教史料と聖史劇を主要史料とした分析により、たしかに共生はあった、しかしそれは差別的なまなざしも同時にあったものだったとして、より多角的な、慎重な見方を提唱します。 以上、興味深い諸論考の収録された1冊です。(2022.10.12読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.11.19
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森護『紋章学入門』~ちくま学芸文庫、2022年~ 著者の森護さん(1923-2000)は、紋章学に関する著作を多く刊行していますが、大学に所属していたのではなくNHK職員でいらしたということを、本書見返しで知りました。(手元にある同『紋章学辞典』大修館書店、1998年によれば、文教大学非常勤講師をなさっていたようですね。) 本書は、初出は1979年で、1996年の改訂版を文庫化したものとのことです。 本書の構成は次のとおりです。―――第1章 紋章とは第2章 紋章の起源第3章 紋章の構成第4章 楯第5章 フィールドの分割―分割図形―第6章 オーディナリーズ第7章 チャージ第8章 ディファレンシング第9章 マーシャリング第10章 現行のマーシャリング第11章 オーグメンテイション第12章 イギリス王家の紋章史参考文献索引――― 本書は大きく4部構成になっています。 第1章~第3章が、紋章に関する前提で、紋章とは何か、その起源は、そして紋章の楯を支えるサポーターや冠、兜飾りなどの紹介となっています。 第2部にあたるのが第4章~第7章。紋章の基礎編です。 第4章は、楯の形状、部位の名称、紋章に使われる色彩と規則について論じます。 第5章から第7章までは紋章に置かれる図形についてで、第5章は楯の分割(縦二分割、斜め分割、4分割など)について論じます。先に「置かれる図形」と書きましたが、厳密には第5章で紹介されるのは楯の分割方法であり、実際に置かれる図形は第6章と第7章です。 第6章のオーディナリーズは、抽象図形ということで、紋章に置かれる縦、横、斜めの太線(形状も直線でなく波線だったりギザギザだったり様々)などを扱います。 第7章のチャージは、紋章でよくみられるライオンやワシなどの具体的図形のことで、主に先に触れた2種の動物について詳述されますが、冒頭では、靴や墓、パンツなど、珍しい図柄も紹介されます。 第3部にあたる第8章~第11章が応用編で、第8章のディファレンシングは、「親子であっても同一の紋章は認めない」(239頁)との原則から、親子、兄弟、分家などの違いを示す技法です。たとえば、同じ図柄でも、楯の周囲に縁取りを入れるなどの技法がこれに当たります。 第9章マーシャリングは、複数の紋章を組み合わせる技法で、たとえば名家の女性を妻に迎えた男性が、自分の家系の紋章と妻の家系の紋章を組み合わせて新たな紋章を作る、ということです。第10章は、現代に見られるその具体例や技法の紹介です。 第11章オーグメンテイションは、「王などの主権者が臣下に功績その他の理由によって加増を許す紋章」(317頁)で、「家門の誇りとしての効果は絶大」(318頁)だということです。 第4部にあたる第12章は、紋章前期から現代までのイギリスの紋章史概観となっています。 中世ヨーロッパの紋章については、ミシェル・パストゥローの諸論考で勉強していますが、紋章用語や具体的技法については不勉強な点も多かったので、本書で基本的な事項がおさえられるのはありがたいです。(2022.10.01読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.10.22
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大黒俊二/林佳世子(責任編集)『岩波講座 世界歴史08 西アジアとヨーロッパの形成 8~10世紀』~岩波書店、2022年~ 岩波講座世界歴史第3期の第8巻。時代的には、西洋史でいう、いわゆる古代末期から初期中世を対象としますが、地域は、古代ローマがそうだったように、西アジアをも含め、特にイスラームとヨーロッパの関係性にも目配りがされた構成となっています。 本書の構成は次のとおりです。―――<展望>大月康弘/清水和裕「ユーラシア西部世界の構成と展開」<問題群>佐藤彰一「中世ヨーロッパの展開と文化活動」コラム 菊地重仁「フランク王国の法文化とテクスト」森山央朗「ウラマーの出現とイスラーム諸学の成立」コラム 近藤真美「アズハル・モスク―シーア派教育機関からスンナ派教育機関へ」森本一夫「山々に守られた辺境の解放区―カスピ海南岸地域のアリー裔政権(864-930/931)」<焦点>三佐川亮宏「ヨーロッパにおける帝国観念と民族意識―中世ドイツ人のアイデンティティ問題」コラム 大貫俊夫「修道院改革とヨーロッパ初期中世社会の変容」中谷功治「聖像(イコン)と正教世界の形成」亀谷学「初期イスラーム時代の史料論と西アジア社会」佐藤健太郎「アンダルスの形成」コラム 杉田英明「アラブ・ペルシア古典詩におけるチェスの表象」三村太郎「イスラーム科学とギリシア文明」高野太輔「初期イスラーム時代のカリフをめぐる女性たち」――― ヨーロッパといえば西欧が中心とされがちですが、展望論文はヨーロッパ=地中海世界ととらえ、また冒頭でもふれたように、西アジアも含めたユーラシア大陸西部の動きを見ます。展望論文のヨーロッパ史部分をビザンツ史専門でいらっしゃる大月先生が担当されていることからも、この意図が伝わってくるようです。また、イスラームの概要部分で、被支配者のマワーリーが官僚などとして社会的上昇を遂げる点について触れる際に、ローマ帝国で解放奴隷が権力の中枢にのぼっていったこととの類似性を指摘するなど、従来個別に論じられてきた世界の類似性が示されるのも興味深いです。 問題群では、佐藤論文が西欧を中心とした通史的概説。カール、ピピンの名前の由来への言及が興味深いです。 あとの2本はイスラームが舞台です。森山論文はハディース(ムハンマドの発言や言動に関する伝承)などに通じた知識人(ウラマー)について論じ、森本論文は、カスピ海南岸の人々がアッバース朝支配に不満を募らせ、抵抗するため、南の山を越えて、アリーの直径子孫を招いて指導者にしたという興味深い事件を取り上げ、当時の人々の結びつきや移住などの諸相をも描きます。 続いて、焦点。「ドイツ人」の意識形成について論じる三佐川論文は、「ドイツ人」という民族名がイタリア人による「差異化」の視点から生まれたという興味深い指摘をしています。 ビザンツ帝国での聖像問題を論じる中谷論文は、ビザンツで起こった聖像破壊(イコノクラスム)が、従来言われていたほどひどく行われたものではなかったことを強調します。 亀谷論文は、ムスリムによる歴史史料の流れを概観した後、実物史料(碑文など)や非ムスリム史料から、初期イスラーム史を見ることで、多角的な見方を提示します。 佐藤論文はアンダルス(イスラーム期のイベリア半島)を舞台に、ムスリムとキリスト教徒の関係性などを描きます。 本書の中で最も興味深かったのが三村論文でした。私は主に中世ヨーロッパについて勉強してきているので、西欧における12世紀ルネサンスの背景として、アラビア語訳されたギリシア古典が流入し、ラテン語に訳されたことでアリストテレスなどに関する知識が増大した、とされていることは承知していました。ですが、大量のギリシア古典がなぜ12世紀までにアラビア語訳されていたのか、という点は恥ずかしながら気にしていませんでした。やや乱暴にまとめると、三村論文では、アッバース朝期の学者たちはパトロンの支援を受け、彼らに占星術や数学など様々な分野で助言していたため、他の学者との競争もあり、数多くのギリシア古典をアラビア語訳していった、ということを、具体例を挙げながら論じていて、私にとっては世界史の理解がつながった感動がありました。また、ではインド数学の先進性やギリシア科学を取り入れるだけでなく、それらへの疑問を挙げることで、過去の著作をうのみにするだけでなくさらなる知識へつなげていったという点や、論証が重視されたことなども論じられており、勉強になりました。 高野論文は、カリフには母系の血筋で即位したカリフが1人もいないという点に着目し、それではカリフの「母」はどこから来た何者だったのか、関連してカリフの「妻」はどういう基準で選ばれたのか。またカリフにもなれず息子を即位させることもできなかったカリフの「娘」は、誰と結婚し、どのような人生を歩んだのか。という問題関心のもと、具体的に彼女たちの状況を論じる、こちらも興味深い論文でした。 既に何度も触れましたが、岩波講座世界歴史第3期の特徴として、「ヨーロッパ」をひとくくりにするのではなく、西ユーラシア大陸として一体的に西アジアとの関係を踏まえながらとらえるという視点があります。そのおかげで、同時代のイスラームの状況を(西洋史関係の文献だけでは得られないくらいに)詳しく学ぶことができ、また本書での三村論文のように、自身の関心にも直結する知見が得られたことは、本当にありがたく思います。 とても勉強になった一冊です。(2022.09.25読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.10.15
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神崎忠昭『新版 ヨーロッパの中世』~慶応義塾大学出版会、2022年~ 2015年に刊行された初版(記事はこちら)に「知の世界」の章を加えるとともに、初版にはなかった文献案内も補足した新版です。 本書の構成は次のとおりです。―――イントロダクション第1章 大いなるローマ第2章 古代世界の終焉とゲルマン人第3章 フランク王国第4章 隣人たち――交流と緊張第5章 鉄の時代――混乱と再編第6章 皇帝第7章 教皇第8章 修道士第9章 英仏の葛藤第10章 都市第11章 新しい宗教生活第12章 知の世界第13章 国民国家第14章 それぞれの国制の模索第15章 隣人から一員へ第16章 中世後期の教会第17章 衣食住第18章 人の一生第19章 宗教改革第20章 近代へエピローグ文献案内――さらに学びたい人のために人名・事項索引図版出典一覧――― 概説書なので細かい紹介は省略して、完全に自分のためのメモをしておきますが、特に分かりやすかったのは、教会行政に関する役職と品級の違いを簡潔に指摘する140-141頁。7つの品級(司教、司祭、助祭、侍祭、祓魔師、読師、守門)は叙階の秘跡によるもの、大司祭や大助祭は参事会教会の長(別事例もあり)を意味する、教会行政による役職。これは勉強になりました。 冒頭にも書きましたが、初版に参考文献目録がなかったのが残念だったので、今回文献案内が追加されたことは嬉しいです。単に章ごとの参考文献を挙げるだけでなく、総論として、論文の書き方に関する基本文献の紹介から始まり、研究入門、概説・事典等、総論、翻訳史料、データベースについても紹介があるのが有益です。(2022.09.17読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.09.23
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遠山茂樹『ロビン・フッドの森―中世イギリス森林史への誘い―』~刀水書房、2022年~ 刀水書房の「世界史の鏡」シリーズの1冊。同シリーズで、本書と同じく「E 環境」のテーマの書籍として、次の2冊が既刊です(いずれも本ブログで紹介)。・池上俊一『森と川―歴史を潤す自然の恵み―』刀水書房、2010年・石弘之『歴史を変えた火山噴火―自然災害の環境史―』刀水書房、2012年 著者の遠山先生は、東北公益文科大学名誉教授。『東北公益文科大学総合研究論集』に多くの論文や書評を発表されていて、機関リポジトリから無料で読むことができます(CiNiiからリンクあり)。 さて本書は、ロビン・フッドに代表される森のアウトローの観点を中心に、主に中世イングランドの森林史について、すでに発表された論文を踏まえながらも平易に語る一冊です。 本書の構成は次のとおりです。―――まえがき第1章 ロビン・フッド物語第2章 ガメリン物語第3章 森と兎第4章 ニューフォレストのミステリ第5章 「森の町」ウッドストック第6章 マグナ・カルタと御料林憲章第7章 グロウヴリィの森あとがき参考文献図版出典付録1 イングランド王家の系図付録2 中世イングランドの御料林――― 第1章は、ロビン・フッド物語の中でも最も鮮やかにそのアウトローの原像を描いているといわれる『ロビン・フッドの武勲』に着目し、主にその成立年代をめぐる研究史を整理します。同時代の他の史料に現れるロビン・フッドの名や制度など、先行研究が根拠とする史料にも目配りしながら、様々な説を紹介します。 第2章は、ロビン・フッド物語に影響を与えたガメリン物語を取り上げ、その概要をたどりながら、レスリングや裁判制度など、物語に描かれるテーマについて、同時代の状況も解説します。 第3章は、御料林制度や、森で狩りの対象となった主要な動物である鹿や兎について、その狩猟方法などを概観します。御料林に指定された地域では、「住民の生活よりも鹿のそれが優先され、村人の一部が追放された」(81頁)ような事例もあるようです。 第4章は、狩りの最中に矢を受けて亡くなったウィリアム2世(ルーファス=赤顔王)の死をめぐる研究史の整理です。邪悪なイメージが持たれたルーファスの死は天罰だったという史料の叙述や、事故死説、さらには同時代の様々な背景から、綿密に計画された殺人だったという説など、タイトルに「ミステリ」とあるように興味深い説が紹介されます。 第5章は、パーク(中世では主に鹿狩りを行うための猟園を意味)の概観や、最古の御料林法とされるウッドストック法の内容についての議論です。 第6章は有名なマグナ・カルタの中の御料林関連規定と、その派生物といえる御料林憲章の内容に概要や関連するテーマについての議論です。ここでは、悪事をはたらいていた御料林の長官の事例が興味深かったです。 第7章は、グロウヴリィの森を取り上げ、中世において森林伐採などで「持続可能な」仕組みがなされていたという興味深い指摘や、王の御料林であったその森が伯に移譲されたのち、もともとの権利をはく奪されたと近隣住民が抗議し、またその権利に関する祭が現在も行われているという事例を紹介します。 以上、ごく簡単なメモとなりましたが、語り口も平易で、興味深く読んだ一冊です。(2022.07.20読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.08.06
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ミシェル・パストゥロー/エリザベト・タビュレ=ドゥラエ(蔵持不三也訳)『ビジュアル版 一角獣の文化史百科』~原書房、2022年~(Michel Pastoureau et Élisabeth Taburet-Delahye, Les secrets de la licorne, Paris, 2013) ミシェル・パストゥローと、国立中世美術館(通称、クリュニー美術館)の前館長による共著です。 本書の構成は次のとおりです。―――序文第1章 古代の一角獣を求めて(ミシェル・パストゥロー)第2章 動物寓意譚の時代(ミシェル・パストゥロー)第3章 聖遺物とエンブレム(ミシェル・パストゥロー)第4章 貴婦人と一角獣(エリザベト・タビュレ=ドゥラエ)第5章 ある神話の衰退(ミシェル・パストゥロー)原注参考文献訳者あとがき――― 第1章は、ギリシア・ローマの著述家が描く一角獣や、聖書の中の一角獣など、中世に影響を与えた著述を概観します。 第2章は、動物寓意譚(ベスティエール。「動物誌」の訳語の方がなじみがありますので以下では動物誌とします)という史料の概要を見たのち、動物誌や百科事典に描かれた一角獣の性格について論じます。 第3章は、一角獣はあまり紋章に描かれなかったようですが、一部一角獣が描かれた紋章などを見ていきます。また、一角獣の角(とされるもの)が(あるいはその一部が)聖遺物として貴重な存在だったことなどが指摘されます。また、この章には「五感の動物寓意譚」という節がありますが、この内容については、Michel Pastoureau, "Le bestiaire des cinq sens (XIIe-XVIe siecle)", dans Michel Pastoureau, Symboles du moyen age. Animaux, vegetaux, couleurs, objets, Le Leopard d'or, 2012, pp. 97-111を紹介した拙記事を参照いただければ幸いです。 第4章はクリュニー美術館前館長による、同美術館所蔵のタピスリー「貴婦人と一角獣」についての詳細な論考。このタピスリーを発注した人物の同定の試み、同時代のその他の絵画との影響関係など、興味深く読みました。 第5章は中世末以降の一角獣の歩みをたどります。一角獣の存在への疑いの声が現れ始めるのですが、面白いのは「一角獣にかんして言われてきたことはすべて捏造」だと結論するアンブロワズ・パレ(1510-1590)という人物の言葉です。彼はこのように一角獣の存在を否定しながらも、聖書が実在すると記しているため、「一角獣がいることを信じなければならない」と記しているとか(162-164頁)。 本書について、しいて残念だった点を挙げれば、2点あります。1つは、目次の誤り。第4章は、本論では「貴婦人と一角獣」のタイトルですが、目次では「一角獣の貴婦人」となっています。もう1つは(仕方ないのでしょうが)本書の邦題です。原著のタイトル「一角獣の秘密」や、せめて「一角獣の文化史」として「百科」を付けないほうが、個人的には好みです。 といって、それは軽微な指摘で、本書は魅力的な一冊だと思います。ヴィジュアル版とうたわれているように、カラー図版が豊富で眺めるだけでも楽しいですし、訳注も充実しているだけでなく、訳者あとがきもやや詳細に本書の内容を補足しており、わかりやすい工夫がされています。 原著を買おうかどうしようかずっと迷っていながら買えていなかったので、この度邦訳書が刊行されたことを嬉しく思います。(2022.07.17読了)・西洋史関連(邦訳書)一覧へ
2022.07.30
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髙田京比子ほか編『中近世ヨーロッパ史のフロンティア』~昭和堂、2021年~ 京都大学名誉教授の服部良久先生の古希記念に編まれた論文集です(本書の成立過程ははしがきを参照)。 本書の構成は次のとおりです。―――はしがき(田中俊之・轟木広太郎)第1章 服部良久「中世後期ドイツの政治的コミュニケーションと秩序―権力表象と同盟・ネットワーク―」第2章 中村敦子「スティーヴン王期のチェスター伯とウェールズ―境界をまたぐネットワーク形成」第3章 西岡健司「中世盛期スコットランドにおける教皇特任裁判官による紛争解決―人的交流の観点から」第4章 髙田京比子「13世紀半ば北イタリアにおける河川交通と紛争―ヴェネツィアとクレモナの協約を中心に」第5章 田中俊之「現下の悪だくみ、それはハプスブルクか―1291年のスイス中央山岳地域」第6章 中田恵理子「ネットワーク上の学識者たち―ヴォルムス帝国議会とその周辺」第7章 渋谷聡「近世ドイツ帝国最高法院における法曹のネットワーク形成―18世紀末の事例から」第8章 図師宣忠「異端者の情報にアクセスする―中世南フランスにおける異端審問記録の作成・保管・利用」第9章 轟木広太郎「救霊から共通善へ―カペー朝後期の地方監察」第10章 藤井真生「聖人に囲まれた王―ルクレンブルク朝カレル4世と聖十字架礼拝堂の聖人画群」第11章 佐藤公美「「暴君」リナルド・ダ・モンテヴェルデとフェルモの反乱―八聖人戦争期の移動する傭兵隊長」第12章 青谷秀紀「都市反乱と暴力の諸形態―15世紀後半リエージュの内紛を手がかりに」第13章 坂上政美「16世紀トスカーナにおけるビガッロ委員会の設立―コジモ1世の救貧政策とその背景」第14章 小林功「「見えなくなっている」人々を求めて―7~8世紀ビザンツ帝国の有力者」第15章 松本涼「最果ての島の貴族―13世紀アイスランドにおける階層分化」第16章 櫻井康人「「ギリシア人たちの嘆願」から見る「モレア人」の形成―13世紀ラテン・ギリシアの社会構造」第17章 高田良太「ガレー船が戻ってくるまでに―14世紀中葉、コンスタンティノープルのヴェネツィア人共同体」第18章 上柿智生「15世紀ビザンツ知識人の「西方」との出会いと別れ―ゲオルギウス・スホラリオスの教会合同問題への関与を例に」第19章 櫻井美幸「ギャロッピングガールズ―17世紀前期における英国女子修道会とイエズス会の関係をめぐって」――― 特に興味深かった点についてメモ。 第1章では、カール4世が王権の儀礼的演出、自身の肖像・彫像、ボヘミアの守護聖人像の設置などの「ヴィジュアル・ポリシー」の実践とその意義を論じる点が特に興味深く読みました。 第2章は、「内乱期」であり「辺境」のウェールズに積極的関与をしなかったとされるスティーヴン王(位1135-1154)の時代、ウェールズに隣接する地域では様々な思惑から貴族間ネットワークが形成されていたことを示します。 第3章はスコットランドというローマから遠く離れた地で、教皇から紛争解決のために任命された特任裁判官たちがどのように紛争解決に当たったのか、また彼らはどのように選ばれたのかを具体的な事例を交えて論じます。 第4章はポー川をめぐる河川交通に関するヴェネツィアとクレモナの協定の中で、両者のあいだに位置するフェッラーラとの関係性も重要であったことを、時代背景を踏まえて詳しく論じます。 第5章は1291年スイスでの同盟文書に記載された「現下の悪だくみ」への対抗という言葉をめぐり、ハプスブルクへの対抗を示していたとされてきた従来の説を説得的に批判する興味深い論考です。不勉強な分野ですが面白く読みました。 少し飛ばして、第8章は異端審問官の文書利用について論じます。文書の7つの類型を提示し、それらがどのように用いられたかを、類型間の影響関係も含めて示す、こちらも興味深い論考。ただ1点、結論部での「托鉢修道士は説教の手引書であるエクセンプラ(説教判例集)をもとに説教を実践していた」(187頁)との記述には引っ掛かりました。中世説教について勉強してきていますが、ここでいう「説教判例集」は「範例説教(集)model sermon (collection)」と思われ、エクセンプラ=教訓説話集(例話集)exemplaは、説教などの中に挿入された、教えを具体的に例示するための短い物語です。この文脈では、「例話」に限定しない「範例説教集」が妥当と思われました。 第9章は、フランス王国での地方監察の役割が、ルイ9世(聖王ルイ)の時代には、不正を働いた地方役人の懲罰よりも国王自身の霊的責任を問われたのに対して、後のフィリップ4世以降の時代には、地方役人の違法行為への罰金を科すなど、様々な金銭を徴収することで「国王の権利を拡充させる努力に振り向けるようになっていく」という過程を論じる、こちらも興味深い論文です。 また少し飛んで、第12章は都市反乱と暴力が秩序維持に果たした役割を論じるにあたり、暴力の形態を「合法的なもの」「非合法的なもの」「脱法的なもの」の3つに区分し、それぞれの具体例を見ながら、それらの性格の違いを浮き彫りにします。 また飛びますが、最終章は、イエズス会に近い会則をかかげる英国女子修道会を設立したメアリー・ウォード(後に異端宣告を受けますが、約400年後に名誉回復)をめぐる、イエズス会の中の彼女の擁護者たちや批判者たちの態度を見ます。イエズス会会憲で女性分派を認めないことになっているため、彼女や擁護者には厳しい目が向けられましたが、それでも彼女を擁護しようとしたイエズス会士たちの振る舞いが印象的です。 私の理解力の限界もあり、ごく一部の、それも不十分な紹介になってしまいましたが、刺激を受ける論考の多い、充実した論文集です。(2022.07.10読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.07.23
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河原温/池上俊一『都市から見るヨーロッパ史』~放送大学教育振興会、2021年~ 中近世を中心に、「都市」の観点からたどるヨーロッパ史の概説です。 河原先生は中世都市史の専門家で、本ブログでも『中世ヨーロッパの都市世界』や『都市の創造力』などを紹介したことがあります。 池上先生は幅広い著作を刊行しています。ここでは、最近の大著『ヨーロッパ中世の想像界』を挙げておきます。 編者はこのお二人ですが、近世史に関する章は放送大学客員講師の林田伸一先生が執筆担当しています。 本書の構成は次のとおりです。―――まえがき(河原温、池上俊一)1 序論:前近代ヨーロッパの都市を見る視点(河原温・池上俊一・林田伸一)2 ヨーロッパにおける都市の起源(河原温)3 中世都市の成長と封建社会(河原温)4 中世都市の社会構造(河原温)5 中世都市のイメージと現実(河原温)6 中世都市の統合とアイデンティティ(河原温)7 中世都市と学問(池上俊一)8 中世都市の音風景(池上俊一)9 中世都市の祭りと民衆文化(池上俊一)10 聖なる都市から理想都市へ―ルネサンス期のイタリア都市(池上俊一)11 宗教改革と都市(池上俊一)12 近世都市の社会集団と文化(林田伸一)13 王権と近世都市(林田伸一)14 近世の都市空間と秩序維持(林田伸一)15 近世都市から近代都市へ(林田伸一)索引――― 河原先生は主に都市成立から中世盛期までを通史的に論じますが、中には4章のように経済活動や様々なギルドへの言及や、5章のようにエルサレムなどの理想の都市や、悪徳の場としての都市イメージなども論じており、いずれも興味深いです。 池上先生は中世盛期から宗教改革期まで目配りしつつ、学問、音風景、祭りなど個別のトピックスを掘り下げます。特に興味深かったのは、池上先生がかねてから進めていらっしゃる音風景論です。まだまとまった単著は出ていませんが、たとえば池上俊一「ヨーロッパ中世における鐘の音の聖性と法行為」『思想』1111、2016年、6-26頁という論文があります。 林田先生は、教科書では軽視されてきた近世都市について、近年独自の歴史的価値が認められてきたことから、近年の研究動向を踏まえてその諸相を論じます。 以下、興味深かったポイントをメモ。・托鉢修道会の第三会が実働部隊として、牢屋への囚人訪問などの慈善活動を実施(p.19) ⇒具体的な活動が気になるところ。・絶対王制の「絶対」とは、国王が恣意的に権力を行使できるということではなく、慣習法や中世的な諸機関の拘束から解き放たれていることを意味するにすぎない(p.24)。これは勉強になります。・女性は一般にギルドの成員にならなかったが、女性だけのギルドも存在(p.75) 各章末には邦語文献を中心に参考文献も掲載されているほか、最新の研究動向を踏まえた要点を得た記述となっており、ヨーロッパ(中近世)都市史を概観するのに有益な一冊です。(2022.06.26読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.07.09
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赤江雄一/岩波敦子(編)『中世ヨーロッパの「伝統」―テクストの生成と運動―』 ~慶應義塾大学言語文化研究所、2022年~ 本書は、編者である赤江先生を代表者とする「テクストの伝統生成―中世から近世におけるインテレクチュアル・ヒストリー」のプロジェクトメンバーによる論文集(233頁参照)で、7編の論文が収録されています。 本書の構成は次のとおりです。 ――― はじめに(赤江雄一) I 書物と信仰 赤江雄一「西洋中世における説教術書の伝統生成―説教術書は制度的ジャンルか―」 松田隆美「vita mixtaの伝統と中英語宗教文学」 徳永聡子「Ancrene Wisseの系譜とThe Tretyse of Loue (1493)」 II 神と救済 井口篤「中世後期イングランドの俗語神学と救済論」 山内志朗「中世後期における義認論の構図と言説―facere quod in se setをめぐって」 III 権力とイメージ 岩波敦子「ハインリヒ獅子公の誕生―新たな統治者像の生成と伝統―」 鎌田由美子「ペルシアの画論における伝統形成―中国、ヨーロッパとの比較から―」 おわりに(岩波敦子) ――― 赤江論文は、説教著述支援著作ジャンルのうち「説教術書」に着目し、「説教術書」が説教師の図書館でも比重が置かれず、また複数の「説教術書」が合冊のかたちで残されている理由について、「制度的ジャンル」という視点を提唱し、説得的に明らかにする興味深い論考です。(赤江先生の著作については、Yuichi Akae, A Mendicant Sermon Collection from Composition to Reception. The Novum opus dominicale of John Waldeby, OESA, Brepols, 2015を参照。また、説教術書については、Th.-M. Charland, Artes praedicandi: Contribution à l’histoire de la rhétorique au Moyen Âge, Paris-Ottawa, 1936やMarianne G. Briscoe and Barbara H. Jaye, Artes Praedicandi and Artes Orandi, Brepols, 1992を参照) 松田論文は、観想的生活と活動的生活の二つを組み合わせたvita mixtaと称される生き方を取り上げ、アウグスティヌス以降の伝統を概観したうえで、俗信徒向け著作や聖人伝などの中英語文学におけるその描かれ方を論じており、こちらも興味深く読みました。 徳永論文は、隠遁修道女向けの手引書として知られるAncrene Wisseと、この作品に加えてその他の様々な著作を基にして編まれたThe Tretyse of Loueという作品の2つを中心に、写本伝承の詳細な分析から、それらがいかに受容されたか、またその影響関係を論じます。 第二部は主に哲学分野の考察です。井口論文は自由意志と必然性の問題を中心に、神学者たちがどのようにこの問題を考察し、また俗人に伝えたのか(あるいは伝えようとしなかったのか)を論じます。山内論文も井口論文の論点の一つである「ペラギウス主義」を取り上げ、この名称が貶称として用いられたためその内実は多岐にわたるという前提を示したうえで、「神は<自分の内にあることをなす>者に恩寵を拒まない」というテーゼを中心に、自由意志と神の救済の関係についての様々なテーゼについて検討を加えます。 第三部は2編。岩波論文はハインリヒ獅子侯の詳細な伝記にして、彼がいかに描かれたか、また自らを示そうとしたかを示します。史料の作者の立場によって描かれ方が異なることを丹念に示すほか、彼の意義も指摘しており、興味深く読みました。 最後の鎌田論文は15世紀以降のペルシアの画論と画冊(書と絵画などがまとめられたアルバムのようなもの)についての論考。本書の標題にある「中世ヨーロッパ」とはやや異質ながら、ヨーロッパとの関係にも目配りがなされているほか、イスラーム世界における絵画や書の位置づけについて分かりやすく論じられていて、門外漢ながら興味深く読みました。 以上、特に第二部は私には難解なテーマで理解したとは言えませんが、全体的に興味深い論文集です。(2022.04.29読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.05.14
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西洋中世学会『西洋中世研究』2 ~知泉書館、2010年~ 西洋中世学会が毎年刊行する雑誌です。 少しずつバックナンバーの紹介をしていきます。 第2号の構成は次の通りです。 ――― 【特集】メディアと社会 <趣旨説明> 大黒俊二「西洋中世のメディアとインメディア」 <報告> 赤江雄一「中世後期の説教としるしの概念―14世紀の一説教集から―」 木俣元一「メディアとしての「聖顔」:13世紀イギリスの写本挿絵を中心に」 青谷秀紀「プロセッションと市民的信仰の世界―南ネーデルラントを中心に―」 伊藤亜紀「青を着る「わたし」―「作家」クリスティーヌ・ド・ピザンの服飾による自己表現―」 土肥由美「受難劇vs.聖体祭劇―「イエス・キリストの受難」を巡る表現と受容に関する一考察―」 【論文】 一條麻美子「「愛の洞窟」の3つの窓―ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク『トリスタン』における名誉の問題―」 向井伸哉「ルイ9世期南仏ビテロワ地方における国王統治」 白幡俊輔「15世紀イタリア傭兵隊長の戦術と戦略」 鴨野洋一郎「1500年前後のフィレンツェ絹織物工業と国際市場―セッリストーリ金箔会社の経営記録から―」 【研究動向】 古川誠之「中世ドイツ都市印章研究と「都市の表象」」 【新刊紹介】 「西洋中世学会若手セミナー報告記」 神崎忠昭「「第7回日韓西洋中世史研究会」に参加して」 ――― 特集趣旨説明は、「メディアとインメディア」をキーワードに、メディア(中間にあって媒介するもの)とインメディア(直接性)の弁証法に西洋中世の特徴があることを指摘し、各報告の概要、そして学会で行われた主要な質疑応答を紹介します。 赤江報告はイングランドの托鉢修道士ジョン・ウォールドビーの説教集を取り上げ、「しるし」の理論と「記憶術」がいかに組み合わされ、また聴衆にも共有されていたかを示します。 木俣報告は写本挿絵の聖顔について論じます。大きなスケールで描かれた聖顔が、超越的な領域を示すためとの指摘を興味深く読みました。 青谷報告は後期中世の行列(プロセッション)を取り上げます。行列と処刑との関係、先行する説教がプロセッションを解説した事例、プロセッションへの君主権力の介入と聖血の取り扱いの変化の平行関係など、興味深い指摘がなされます。 伊藤報告は「執筆によって生計を立てた初の女性」であるクリスティーヌ・ド・ピザンが、挿絵において青い服を着た姿で描かれていることに着目し、その意義を論じる、こちらも興味深い論考。青を着ていない場合にはその理由があることまで指摘するとともに、クリスティーヌの身分論、紋章論など、個人的に関心のあるテーマも論じられています。 土肥報告は青谷報告に関連し行列などの場で演じられた受難劇と聖体祭劇を取り上げ、それらの関連と相違を論じます。稿末(81-82頁)の、両者の比較表が有用です。 一條論文は騎士道系の『トリスタン』のうち、ゴットフリートの作品を取り上げ、トリスタンとイゾルデが過ごす「愛の洞窟」の3つの窓に着目し、先行研究が見逃していた点を指摘するとともに、その意義と二人が宮廷に戻るに至る理由をめぐって二つの「名誉」の概念があったことを示します。 向井論文は、国王による村落の具体的な統治の実態を明らかにする論考。村落のレベルに応じて強制徴収の有無があり、一定の村落には寛容が示されることを示します。 白幡論文は軍事史の観点から、従来軽視されてきたイタリア傭兵隊の戦術を見直し、技術者が登用されていたことなどを示します。一点、ある戦争について、史料により異なる数字(戦闘数)が現れることが指摘されます(122-123頁)が、その理由が本論中では特に言及がなく、気になりました。 鴨野論文は、日本ではほとんど研究が進んでいないルネサンス期の絹織物工業について、製造、販売など具体的な諸側面を論じます。 古川論文は、先行研究を丁寧に整理し、都市印章の意義を論じます。法的に認可された都市の成立以前に教会などが用いていた印章が、都市に引き継がれ、その性格を変えていったという指摘がなされます。 本号から新刊紹介のコーナーも始まり、本号では47冊が紹介されます。池上俊一先生が紹介しているジャン=クロード・シュミット『誕生日の発明』(邦訳なし)が気になりますが、まだ入手していません。 以上、どの論考も興味深く再読しました。(2022.01.31再読)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.04.30
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大黒俊二/林佳世子(責任編集)『岩波講座 世界歴史03 ローマ帝国と西アジア 前3~7世紀』 ~岩波書店、2021年~ 岩波講座 世界歴史シリーズの第3期の第3巻。表題通り、古代ローマ帝国と西アジアの状況について、通史的・共時的に様々な観点から概観されます。 本書の構成は次のとおりです。 ――― <展望> 南川高志「ローマ帝国と西アジア―帝国ローマの盛衰と西アジア大国家の躍動」 コラム 冨井眞「考古学の存在感とリアリティ」 <問題群> 藤井崇「ローマ帝国の支配とギリシア人の世界」 コラム 中川亜希「史料としてのラテン語碑文」 三津間康幸「ローマ帝国と対峙した西アジア国家―アルシャク朝パルティアとサーサーン朝」 コラム 桑山由文「ナバテア王国の興亡とローマ帝国」 池口守「古代世界の経済とローマ帝国の役割」 <焦点> 春田晴郎「西アジアの古代都市」 髙橋亮介「ローマ帝国社会における女性と性差」 田中創「ローマ帝国時代の文化交流」 コラム 佐々木建「ローマ法の後世への影響」 南雲泰輔「「古代末期」の世界観」 大谷哲「内なる他者としてのキリスト教徒」 井上文則「三世紀の危機とシルクロード交易の盛衰」 コラム 井上文則「忘れられた西部ユーラシアの歴史像―鈴木成高と宮崎定市」 ――― 岩波講座世界歴史第1期、第2期で見られたように、ヨーロッパ古代史は「ギリシア・ローマ」とまとめられがちですが、今回のシリーズでは、古代ギリシアを扱う巻と古代ローマ時代を分けて、さらに「地中海世界」として地中海沿岸部の歴史に重点を置くのではなく、「ローマ帝国」として帝国の広い版図と西アジアとの関係にも目配りをすることを特徴とします。 展望論文は、そうした本シリーズの意図(もちろん、こうした意図には、「地中海世界」の歴史を強調していた研究史に対する批判の流れを踏まえています)を掲げた後、ローマの歴史のはじまりから西ローマ帝国の滅亡、そして「古代末期」の時代までを概観したうえで、近現代の歴史叙述などにおける「ローマ帝国の記憶と表象」を論じます。ケルト人、ゲルマン人という集団のとらえ方(近現代史で政治的に扱われた反省など)や、 <問題群>の部では、藤井論文はローマ帝国におけるギリシア人のアイデンティティを探り、三津間論文は西アジア国家の観点からローマ帝国との関連性を見て、池口論文はローマ帝国期の経済活動の在り方を論じます。 <焦点>の部では、春田論文は「都市」を表現する語の観点を中心に西アジア都市について論じ、髙橋論文はローマ帝国における女性の活動の様相を主に碑文史料とパピルス文書から描きます。田中論文はギリシア文化、ラテン文化、キリスト教の3つの観点から、ローマ帝国期のそれぞれの文化交流について論じます。南雲論文は、表題に「世界観」とありますが、哲学的な観点ではなく、世界図などを史料として地理的な認識について論じており、興味深く読みました。大谷論文は「迫害された」キリスト教徒というステレオタイプを批判し、「キリスト教徒が、ローマ帝国において『内なる他者』として生きた状況を」描写する、こちらも興味深い論考。最後の井上論文は「3世紀の危機」と言われる時代について、シルクロード交易の観点から、「危機」の因果関係まで踏み込んだ考察を行っています。 以上、簡単なメモになりましたが、コラムも含めて勉強になる一冊でした。(2022.04.14読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.04.23
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西洋中世学会『西洋中世研究』1 ~知泉書館、2009年~ 2009年4月1日に設立された西洋中世学会の、記念すべき雑誌第1号です。 ――― 佐藤彰一「巻頭言」 【特集】21世紀の西洋中世学 <基調講演> 樺山紘一「中世はいかにして発明されたか」 <報告> 甚野尚志「十二世紀ルネサンスの精神―「十二世紀ルネサンス」を真に再考するために―」 久木田直江「中世末の霊性と病の治療―ランカスター公ヘンリーの『聖なる治癒の書』―」 那須輝彦「中世音楽研究―その足跡と現状―」 鼓みどり「21世紀の西洋中世美術史研究」 山内志朗「中世哲学と情念論の系譜」 【論文】 足立孝「9-11世紀ウルジェイ司教座聖堂教会文書の生成論―司教座文書からイエ文書へ、イエ文書から司教座文書へ―」 平井真希子「カリクストゥス写本の楽譜史料―ポリフォニー写譜者と緑の線―」 今井澄子「15世紀フランドル絵画における祈禱者とヴィジョン―中世末期のキリスト教社会におけるイメージの役割をめぐる一考察―」 徳永聡子「修道女と書物―サイオン修道院の書き込み本について―」 山本芳久「西洋中世哲学の研究動向―多元化の現状と今後の課題―」 梶原洋一「若手による「西洋中世学会若手セミナー」報告記」 金沢百枝「生命の泉に集う鳥たち―学会ロゴについて―」 ――― 特集は同年6月に開催された学会での報告をもとにしています。どの報告も大変興味深く拝聴したのを覚えています。 さて、冒頭の樺山基調講演は、「中世」とは相対的で「発明」された概念であり、その形成史を念頭に置いておく必要性を説きます。 甚野報告は12世紀ルネサンスという概念を、古代への距離感の欠如が本質であり、いわゆる15世紀の「ルネサンス」とは異なり「刷新」と呼ぶべきと説きます。 久木田報告はランカスター公ヘンリー『聖なる治癒の書』を取り上げ、文学、宗教、医学の接点を探ります。同書に、中世における解剖や、精神病治療法など、医学的な知見と宗教的な記述がないまぜになっていることが示されます。 那須報告は中世音楽の復元の困難性を説きます。様々な中世の楽譜が示されているのも興味深いです。(学会で実際に音楽を流してくださったのが印象的でした。) 鼓報告は中世美術史の研究史を簡明に提示します。様々な展覧会やそのカタログ、近年の日本での研究業績の提示など、貴重な文献目録となっています。 山内報告は哲学の観点からの報告。トマス・アクィナスを中心に情念論について分析します。 論文は5本。足立論文はオリジナル文書が多く伝来しているという特徴のあるウルジェイ司教座聖堂教会文書を取り上げ、贈与、売却、交換、遺言状といった文書がどのように作成され伝来してきたかを論じます。 平井論文はモノフォニーとポリフォニーの2つの楽譜が記された写本を取り上げ、両者が別の写譜生が異なるものの、前者に後者の写譜生が書き加えたと思われる一本の線に着目し、ポリフォニー筆写の際にモノフォニーが参照されていた可能性を指摘します。 今井論文は初期フランドル絵画に特徴的な祈禱者(寄進者)と聖人が同一の空間に描かれるという絵画に着目し、聖人がヴィジョンであることを示すため、両者の視線が交わらないような工夫がなされていることを示す興味深い論考。 徳永論文は修道女図書室に所蔵されていた書物を取り上げ、修道女による書き込みや書物の種類(言語、写本か印刷本かなど)などに着目し、修道女と書物の関係を論じます。 山本論文は近年の「西洋中世哲学」研究が、イスラーム哲学やユダヤ哲学などと不可分であるという点で「西洋」を越え、古代や近代の哲学との連続性や影響関係の重要性から「中世」を越え、神学や論理学との関係性から「哲学」を越え、多元化しているという状況を示す研究動向を論じます。 久々に読み返しましたが、学会発足当時の感動を思い出します。(2022.01.21読了)・西洋史関連(邦語文献)一覧へ
2022.04.09
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