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2005.12.29
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林健太郎『史学概論』


E.H.カー『歴史とはなにか』に続いて、歴史学の理論に関して、勉強会で読んだ本書。日本で、いまだこれを超える歴史学の概論はない、と評されていたのですが、記述が非常に親切です。先人の言葉を引用したあと、それをうまく要約しています。部分的とはいえ原典を読むことができ(しかも、その原典の本質的な部分が引用されていると思います。このあたりの事情は後述しましょう)、しかもそれがかいつまんで説明されているのですから、とても分かりやすく、勉強になるのです。
 なお、著者の林健太郎さんは、最近改訂されるまでの山川出版社から出ている世界史Bの教科書(私はこれを使っていた世代です)の執筆者の一人です。なんだか感慨深いものがありました。
 目次は以下のとおりです。

第一章 歴史及び歴史学の語義
第二章 歴史学の対象とその範囲
第三章 歴史学における批判的方法
第四章 歴史の研究と歴史の叙述

第六章 歴史理論としての地理的環境論
第七章 歴史理論としての発展段階説
第八章 唯物史観の諸問題
第九章 歴史法則に関する一般的法則
第十章 歴史法則に関する結論的考察
第十一章 歴史における個別性の問題
第十二章 歴史における人間性の理解
第十三章 歴史における個別性と一般性
第十四章 歴史認識の主観性と客観性
むすび

第一章では、歴史の語源であるヒストリア(ギリシア語:研究によって得られた知識)とゲシヒテ(ドイツ語:起こった事柄)が紹介され、語源からして歴史が二面性をもつことが示されます。歴史には、人間の主観により形成される歴史像と、客観的所与としての歴史(むすびでの言葉を借りれば、人間の主観とは関わりなく存在する、過去において人間が行った一切の事柄)の二つがあるというのです。



第三章では、歴史学の研究の基盤として、A史料学、B史料批判について論じられます。歴史学研究法について、西洋の研究者はベルンハイム、ラングロワ、セニョボスが紹介されます。Aの中心は、史料の分類。(1)史料自体が実質的に歴史的対象を表現しているもの(例:遺跡、発掘物)、(2)史料が歴史的対象を直接に発言しているもの(例:年代記、伝記)という分類が、批判される点はあっても有効だといいます。Bは、(1)外的批判-a.真純性の批判、b.来歴批判、c.本源性の批判、(2)内的批判に大別されます。(1)は、史料の性質や価値(たとえばc.はオリジナルかどうかということ)を、(2)は内容の信憑性を決定する作業です。

第四章では、ベルンハイムによる歴史叙述の三段階区分に沿いながら歴史(叙述・研究)作品を通史的にみています。ここでの結論は、歴史学には(1)史料に基づき事実を決定する、あるいはそれに解釈をほどこし意義を論じる面(研究)と、(2)(1)の作業を総合して、なんらかの歴史叙述を行う面(叙述)の、二つの側面があるということです。

第五章では、まず、個々の事実をつなぐ、その裏にある真の事実を見る作業の必要性が説かれ(これは史料批判とは異なる次元の作業だといいます)、歴史の理論の重要性が指摘されます。ここでは、カントの認識論が強調されています。

第六章では、歴史理論の中心に地理的環境をおく説が紹介されます。ヘルダー、ヘッケル、バックル、ラッツェルらの説を紹介し、それらの意義を認めつつ、林さんは歴史理論には適用できない、といいます。

第七章は、発展段階説ということですが、経済的要因を重視する諸説が紹介されます。ランプレヒトが強調されていますが、第六章と同じく、経済的要因も歴史理論には適用できない、といいます。



(ずいぶん長くなりましたので、以下はさくさくと)
第九章では、第六章から第八章を整理し、全ての歴史事実をただ一つの法則で説明するのは不可能だ、と結論します。
そして第十章ではこれをさらに展開し、歴史における単一の法則を否定し、主要な法則と副次的な法則の重要性を認めることの重要性が、林さんの結論だとしています。なお、歴史の必然性には、自然の必然性よりもはるかに蓋然性の性質をもつ、と指摘されています。まったくそのとおりでしょう。

第十一章では、ヴィンデルバント、リッケルトの、個別性を強調する説が紹介されます。
第十二章では、「精神的諸科学」という枠組みを唱えたディルタイが中心に紹介されます。

第十三章では、マックス・ウェーバーの歴史理論が主に紹介されます。彼の「理念型」というのが、あくまで思想像であり、それに完全に合致する事実はないこと、これと(歴史的)現実を比較することで、その一般性と特殊性が明らかになる、といった説明は、実に分かりやすかったです。
第十四章では、歴史認識の主観性を考察する理論として、(1)クローチェ、トレルチの歴史哲学、(2)唯物史観、(3)プラグマティズムが紹介されます。ここでは、主観性というのは個人の主観ではなく、社会性をもつという指摘と、現代とは特定の意味をもつ「歴史的現代」だという指摘が重要でしょう。

長くなってしまいました。ノートのノートということで。

(追記)
すみません、冒頭のあたりで、「このあたりの事情は後述」などと書いたのですが、記事が長くなってきて慌ててしまったので、結局後述できませんでした。また後日(早ければ明日にでも)あらためて追記します。

(追記)
たとえば、第十一章では、リッケルトが個別性を追求したことで、「価値」を重視したことが論じられます。8行ほどリッケルトの言葉を引用した後、”いうところはなお曖昧であるが、要するに価値とは「事実上一般に承認されているあるいは『文化人』にとって要請されている規範」ということになるであろう”と、うまく要約されているのです。
また、第八章では、マルクスやエンゲルスが公式的に経済的要因によってのみ歴史を説明しているわけではないことが明らかだとし、それを示すためにエンゲルス自身の言葉が紹介されています。もっとも、これについては林さんによる批判が続くわけですが、冒頭でも書いたように、著名な人々の言葉を部分的でも、重要なところをかいつまんで読むことができて、本書は非常に有益な著作だと思います。
このあたりで。





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Last updated  2008.07.12 21:04:31
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のぽねこ @ シモンさんへ コメントありがとうございます。 久々の再…
シモン@ Re:石田かおり『化粧せずには生きられない人間の歴史』(12/23) 年の瀬に、興味深い新書のご紹介有難うご…
のぽねこ @ corpusさんへ ご丁寧にコメントありがとうございました…

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