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2007.08.06
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笠井潔『哲学者の密室(上・下)』


 矢吹駆シリーズ第4作―初期三部作のラストを飾った『薔薇の女』の10年後に発表された、シリーズ最長作品です。その分、充実感もありました。
 ともあれ、内容紹介と感想を。

 『バイバイ、エンジェル』事件の関係者の死から1年。わたし―ナディア・モガールは、またその人物の死の位置づけ、そしてその死に関与した矢吹駆の位置づけに悩んでいた。カケルは、<20世紀最大の哲学者>マルティン・ハルバッハの「死の哲学」を的確に評価できたとき、その人物の死に関してもなにか言えるだろうと言葉を濁すのだが…。
 『薔薇の女』事件を解決した後、しばらくパリを離れたカケルは、ニコライ・イリイチの正体を探ろうとしていた。浮かんできたのは、ナチス・ドイツの殺戮収容所の一つ、コフカ収容所。カケルは、コフカ収容所を経験したユダヤ系フランス人で、ハルバッハのもとで学んだこともある哲学者・ガドナス教授と面会する。ニコライについて深入りすることを、わたしは恐れているのだったが…。
   *
 パリ市長の友人でもあり、経済部門の顧問もつとめる富豪、フランソワ・ダッソーの邸宅「森屋敷」で殺人事件があったという連絡を受け、警察が急行したものの、ダッソーは彼らの介入を拒む。やむをえず、彼は警視総監に連絡をとった。その連絡を受け、モガール警視が現場に急行することになった。
 ダッソーは、モガール警視のみ入ることを許可した。ダッソー邸は、東西に長い横長の2階建ての建物で、2階の両端には、3階ともいうべき「塔」があった。現場は、東塔。死者は、貧相な老人だった。ダッソーは事故だと断言するが、遺体には、後頭部陥没だけでなく、背後から心臓を貫いた跡があった。後者の事実は、他殺の可能性を強く示唆する。この事実を知ったダッソーは、ひどく驚愕していた。

 二階には、ダッソーとジャコブが上がる前に、クロディーヌ・デュボワと、カッサンが上がっていた。
 不自然な現場だった。しかし、密室殺人の解明は容易にはいかなかったが、少なくとも塔内部の状況―広間には、外部から施錠できるようになっていたこと―は、ダッソーがロンカルを監禁していたことを物語っていた。
   *
 1944年、東戦線にほど近いコフカ収容所に、長官からの書類が届けられると連絡が入った。所長のヘルマン・フーデンベルグは、学生時代には馬鹿にされてきていたが、ナチスに入った後は、その実務能力が評価され、所長にまでなった人物だった。多くの収容所所長とは違い、彼は、自分自身の不正行為はまず行っていなかった。部下のそれは、多少は黙認せざるをえないにしても…。ただ、彼自身が行っている大きな不正があった。ガス室に送られるはずのユダヤ人女性の一人をかくまい、性的欲求を満たすために奉仕させていたのだった。
 視察に訪れるヴェルナー少佐とシュミット軍曹は、フーデンベルグには好ましからぬ人物だった。収容所所長の不正を指摘し、裁判に送ることを一時任務としていたからだ。
 また、ヴェルナーとは、学生時代の知人でもあった。二人は、ハルバッハのもとで学んでいた経験があるのだった。体もがっちりしていて知的でもあるヴェルナーには、当時からひがむような感情を抱いていた。
 コフカ収容所を訪れたヴェルナーは、東部戦線の小康状態がくずれ、ソ連が攻撃をしかけてくる状況にあること、したがって、コフカ収容所も3日以内に解体するよう決定されたことを告げる。
 その夜。ヴェルナーに命じられ、7時ちょうどに小屋―そこにユダヤ人女がいることは明白だった―に訪れたシュミットは、小屋の扉が外部から閉じられていることを確認した。吹雪の夜のこと、足跡も問題になるのだが、小屋に向かう一組の足跡しか確認できなかった。錠を外し、内部に入ると、そこにはフーデンベルグがいた。彼は、隣室で、自分の拳銃を奪った女が自殺したという。フーデンベルグがいた部屋の隣室は、内側から施錠されていた。扉を打ち破ったシュミットは、拳銃を手にした女が、頭部をこめかみのところを撃って死んでいるのを確認した。
 ここも、いわば三重の密室といえる状態にあった。女が死んでいたのが第一の密室、外部から閉ざされたフーデンベルグのいた部屋が第二の密室、そして、足跡の問題から、小屋全体が第三の密室。
 フーデンベルグを追求しようとしたシュミットだが、そこで、コフカ収容所でさらなる事件が起こる。いたるところで爆発が起き、ユダヤ人の囚人たちが、それに乗じて逃げ出したのだった。

ーーー



 『バイバイ、エンジェル』『サマー・アポカリプス』での哲学的議論は、どこか政治色が強かったのに対して、本書で語られる「死の哲学」は、私にはより興味深く読むことができました。特に、作中人物であるハルバッハ哲学を、ナディアがかみくだいて、自分なりの理解で紹介してくれる部分が良かったですね。
 ハルバッハ哲学には、机の上のコップが存在しているのかどうかというそれ以前の哲学にはない、より具体的な議論があります。日常生活により近い議論とでもいいますか。「人間とは、与えられた条件のなかで、自分の可能性を追求しようとする存在である」。しかし、ハルバッハにいわせれば、第一次世界大戦後の、大衆的社会で生きる人々は、頽廃しています。本来的自己を取り戻すきっかけが、死の可能性だというのですね。死は、生きている人間に与えられている無限の可能性を奪うことになるという意味で、不可能性の可能性です。そして、不可避です。その死を意識してこそ、本来的な自己を取り戻すことができる―というのですが、このあたりの議論は、ナディアも批判的ですね。
 大学一年生の頃は、ニーチェやキルケゴールなどもぱらぱらと読んでみたのですが(理解度はともかく)、深入りはしませんでした。考えすぎるタチなので、あんまり深みにはまると体をこわすことは自分でも予感できましたし…(苦笑)
 といって、哲学的な議論に興味があるのは変わってないことを、今回再認識しました。また哲学書を読んでみるかは分からないですが…。

 なお、本作でも、これまでの三作に関する言及があるので、できればシリーズ順に読むことをおすすめします。


 良い読書体験でした。





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Last updated  2007.08.06 07:32:55
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