A・コルバン/J-J.クルティーヌ/G・ヴィガレロ(監修) (
片木智年監訳 )
『感情の歴史I―古代から啓蒙の時代まで―』
~藤原書店、 2020
年~
(
A. Corbin, J.-J. Courtine et G. Vigarello (dir.), Histoire des émotions. 1. De l’Antiquité aux lumières
, Paris, Éditions du Seuil, 2016
感性の歴史家アラン・コルバンが監修者の1人をつとめる全3巻の第1巻。『身体の歴史』『男らしさの歴史』(いずれも藤原書店から邦訳あり。未見)に続くシリーズの最後を飾るのは、感情の歴史でした。
・ アラン・コルバン (
渡辺響子訳 )
『感性の歴史学-社会史の方法と未来-』御茶の水書房、 2000
年
・ アラン・コルバン (
小倉和子訳 )
『感性の歴史家アラン・コルバン』藤原書店、 2001
年
・ アラン・コルバン (
尾河直哉訳 )
『快楽の歴史』藤原書店、 2011
年
さて、総序+ 24
章、 750
頁を超える本書の構成は次のとおりです。
―――
総序 A・コルバン/J-J.クルティーヌ/G・ヴィガレロ (
小倉孝誠訳 )
I 古代 ジョルジュ・ヴィガレロ (
後平澪子訳 )
第1章 ギリシア人 モーリス・サルトル (
後平澪子訳 )
第2章 ローマ世界 アンヌ・ヴィアル=ロジェ (
後平澪子訳 )
II
中世 ジョルジュ・ヴィガレロ (
後平澪子訳 )
第3章 ゲルマン人の時代 ブリュノ・デュメジル (
後平澪子訳 )
第4章 中世初期 バーバラ・ローゼンヴァイン (
小川直之訳 )
第5章 「心を動かす」と「心の動き」―中世における「感情」という語の考古学的考察― クロード・トマセ/ジョルジュ・ヴィガレロ (
小川直之訳 )
第6章 中世における感情―理性の時代 ピロスカ・ナジ (
小川直之訳 )
第7章 感情についての日常的表現と医学的用例 クロード・トマセ (
小川直之訳 )
第8章 中世ヨーロッパにおける救済の情念 ダミヤン・ボケ (
小川直之訳 )
第9章 家族と感情的関係 ディディエ・レッツ (
片木智年訳 )
第 10
章 十四世紀から十五世紀における宮廷人の政治的感情 ローラン・スマッジュ (
小川直之訳 )
III
近代 ジョルジュ・ヴィガレロ (
岩下綾訳 )
第 11
章 「感情」という言葉の出現 ジョルジュ・ヴィガレロ (
岩下綾訳 )
第 12
章 ルネサンスにおける感情の修辞学―モンテーニュの例― ローレンス・クリツマン (
岩下綾訳 )
第 13
章 喜び、悲しみ、恐れ……―古典期における体液の働き― ジョルジュ・ヴィガレロ (
岩下綾訳 )
第 14
章 内面の自己監視という発明 アラン・モンタンドン (
岩下綾訳 )
第 15
章 神秘体験における魂の変容と情動 ソフィー・ウダール (
岩下綾訳 )
第 16
章 集団的感情吐露と政治的なもの クリスティアン・ジュオ (
片木智年訳 )
第 17
章 名誉、親密な空間から政治的なものまで エルヴェ・ドレヴィヨン (
片木智年訳 )
第 18
章 勇ましい心と優しい心―近代における友愛と恋愛 モーリス・ドマ (
片木智年訳 )
第 19
章 メランコリー イヴ・エルサン (
片木智年訳 )
第 20
章 法の語るもの―奪う、騙す、犯す ジョルジュ・ヴィガレロ (
片木智年訳 )
第 21
章 実験的感情― 17
世紀フランスにおける演劇と悲劇 情動、感覚、情念― クリスティアン・ビエ (
片木智年訳 )
第 22
章 バロック時代における音楽の感情 ジル・カンタグレル (
林千宏訳 )
第 23
章 感情、情念、情動―古典主義時代の芸術理論における表現― マルシアル・ゲドロン (
林千宏訳 )
第 24
章 ほほ笑み コリン・ジョーンズ (
林千宏訳 )
、 661-680
頁
原注
<監修者解説>感情の時代と感情の歴史 片木智年
監修者紹介・著者紹介・監訳者紹介・訳者紹介
―――
まず、気になった点から。
適宜訳注(人物の説明など)が挿入されていてありがたいのですが、同じ章の中で同一人物に訳注が付され、その内容も不統一であるところが見受けられました。(例:第7章では、ギョーム・ド・コンシュについて、 232
頁では著作名も挙げ、 242
頁では「フランスのスコラ哲学者」と簡潔な訳注。第 10
章では、クリスチーヌ・ド・ピザンについて、 320
頁では 1364-1430
頃と「頃」の記載があるのに対して、 327
頁では 1364-1430
と「頃」がない)
また、これは原著の誤りかも知れませんが、 394
頁の「サン=ヴィクトールのユーグは、十七世紀に『初心者の教育』の中で……」との記述中、「十七世紀」は「十二世紀」の誤りです。
また、著者の表記について、第9章の Didier Lett
は、本文では「レッツ」とありますが、巻末の著者紹介では「レット」となっています。どちらかといえば「レット」が近いと思いますが、上の構成は、本文にあわせて「レッツ」としました。
とはいえ、以上の指摘はごく些細なものでしかありません。それ以上に、これだけの大著が日本語で読めることにとにかく感謝です。
以下、印象的だったところのみメモ。
「総序」では、「感情の歴史は方法論上の明白な結果を求める。……当事者たちが感じていることにできるかぎり果断に接近し、彼らが「内面的に」みずからの世界をどのように生きているか、そして彼らがどのようにその世界の反映になっているかを明らかにしなければならない」 (25
頁 )
と、この研究領域の使命をうたっています。
約 70
頁に及び、本書で最も分量のある第1章では、古代ギリシアの興味深い事例が豊富に紹介されます。たとえば、同時代の出来事を題材にしたある悲劇が上演されると、「劇の観客はみな涙にむせび」、その作家には罰金が科せられるとともに、国家の災厄を描いたという理由で、今後のその作品の上演が禁じられた、という、ヘロドトスが語るエピソードが印象的でした。著者による分析も興味深いです。
第2章では、弁論家が人々の感情に訴え、うまく利用としていたことや、ローマ皇帝が「メタスコポイ……すなわち、他人の表情を読むことができると自称する男たちを召し抱えていた」 (127
頁 )
という指摘が興味深かったです。
第3章は、説教師がターゲットとする聴衆によってかきたてたいと思う感情は異なっていて、「地位の低下をつねにおそれる上流社会の人々が相手の時は、恥辱という要素が説得力を発揮した」 (165
頁 )
という指摘など、説教にまつわる指摘が自身の関心領域でもあり印象的でした。
第4章は「感情の共同体」論で有名なローゼンワインによる論文で、その具体例と分析に触れられます。
第8章は、民衆への聖職者による「感情の教育」において、恐怖と羞恥が重要な役割を果たしていたことを指摘する興味深い論考。
第9章も、中世の家族と感情を論じていて、面白く読みました。
私の関心分野が中世史なので、 III
部はかなり流し読みになってしまいましたが、「男女間の友情は存在しえるか」という問いかけも歴史的なもので、 18
世紀にこの問いかけが現実的に台頭してきたと指摘したうえで、友情の位置づけの変化をたどる第 18
章や、古代から中世の体液説を概観した上で近代のメランコリーを論じる第 19
章、笑いとほほ笑みについて古代・中世の状況にもふれる第 24
章など、興味深いテーマも多かったです。
1月にアップした 『西洋中世研究』 15
の紹介記事で、感情の歴史に関する基本文献3冊を 2024
年中に読みたいと書きましたが、なんとか達成できました。どれも勉強になり、貴重な時間でした。
(2024.11.30 読了 )
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