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2008.08.19
他者の不在
(2)
カテゴリ:
その他
このところ、各地の高校に講演に行く機会が増えている。生徒向けもあるが、多くは教員対象。「何の話をしたらいいですか」と学校側にお聞きすると、「あの論理の話をお願いします」と言われる場合が多い。全国の公立高校の先生を対象とした研究会の席で「論理」について話した内容が口コミで伝わっているらしい。それをご所望されるわけである。
おそらく最初は「学力低下」について何か話をしろといわれたのがきっかけだったように思うが、「学力低下」についてはほとんど自明の事実となっていて、誰も反論しないので(「いやあ、最近、生徒の学力が上がりましてなあ」という話は聞いたことがない)、ちょっと切り口を変えて、「論理」の話をしたのである。ただ、PISAの国際的な学力テスト以来、「日本の生徒は論理的な思考力・表現力が弱い」ということも既に常識となりつつあり、そのことだけを述べても、あまり面白みがない。
第一、論理的な思考力が弱いというのは、別に学校の生徒さんに限った話ではない。「論理的な思考力が弱い」とさんざん口にしながら、「なぜ論理力が弱くなったのか」、「それは具体的にどういう形で表れているのか」という話を、私はほとんど聞いたことがない。WHYとHOWを問う力が弱いということは、そのまま論理的思考力の脆弱さを意味するから、大人たちもあまり偉そうなことはいえないのである。
私はまず論理力の衰弱が具体的にどのような形をとって表れているのかを話す。ネタとしては「単語しゃべり」の話である。初対面の18歳前後の生徒(多くは男性である)と会って話してみると、この傾向は顕著である。典型的な例は以下のようなものだ。
私の職場では授業の教材やプリントの管理も行っているので、時折、生徒が訪れる。
彼らの多くは、まず、ぬぼーと入口付近に立つ。基本的に声をかけられるのを待っている。少し気の利いたヤツは「あのーー」と声を発する。
「はい、なんでしょう」
「えーと、あのー、しょうろんぶんー、なんですけどお」
「はあ、小論文がどうかしたのかな」
以上で会話終了である。このへんで話を打ち切って、すぐに有効な動作に入らないと仕事にならなくなる。彼が何を言いたいのかを翻訳すると、次のようになる。
「私は先週の小論文の授業を欠席しました。ついては、その時に配られた小論文の解答例や講評のプリント類があると思うんですが、それをいただけないでしょうか。」
しかし、彼が現実的に口にしたのは、「しょうろんぶんー」と「ぷりんとー」という 二つの単語のみである。このような発話様式を私は「単語しゃべり」と呼ぶ。
そもそも論理とは何か。それは一言で言えば「つながり」である。ほんとうは「すじみちだったつながり」と言いたいところだが、少なくともつながっていなければ論理にはならない。つながりの反対語は「ばらばら」である。断片を断片のままで放置する姿勢からは論理は生まれない。
そう考えると、単語しゃべりは論理とは対極にあることになる。そこでは単語と単語をつなぐことばが存在しないからである。もっとも、こういうしゃべり方は若者特有のものとは言えない。
「ねえ、ぼくちゃん、のどかわいたでしょ。何が飲みたい?」
「じゅーす」
「おなかすいたでしょ。今晩何が食べたい?」
「はんばーぐ」
きわめて日常的な母親と幼児の会話である。「今晩、何が食べたい」と聞かれて、「このところ、野菜が続いているので、動物性タンパクを補給するためにぜひハンバーグを食したい」と論理的な根拠を示して答える幼児はいない。
でも単語しゃべりを幼児語と断定することもできない。
「ふろ」
こういう会話も珍しくない(いや、最近ではこういう会話はきわめて珍しいのかもしれないが、それはまたそれで別の話になってしまう。そういえば、この表現は昔のテレビドラマでは常套句だったが、最近はほとんど耳にしなくなったなあ)。いわゆる「めし、ふろ、ねる」もれっきとした単語しゃべりである。
単語しゃべりをするかどうかは、話す人間の年齢によってというよりも、むしろ話しかける相手との関係によって決まる。そして、その関係はほとんど「身内」、もっといえば家族である。つまり、フレーズの素材である単語だけを提供すれば、あとのつながりは向こうで作ってくれるという親密な関係のなかで、この表現は成立するのである。
身内や家族、友人などと話す時には、単語をつなぐ必要はあまりなく、したがって、論理を使う必要もない。私には現在の「論理力の低下」の原因は、どうもこのあたりにあるように思えてならない。必要性のない能力が衰えるのは、ある意味であたりまえのことである。「他者の不在」、そこにこそ論理性の衰弱の原因が求められるように思うのである。
「誰でもよかった」――秋葉原の例の事件の犯人のせりふである。私はこのせりふは他者不在の状況を象徴的に物語っているように思える。
では、「他者」とはどういう存在か。それは、「私のメッセージを受けとって、理解してくれるかもしれない、今のところ目には見えない誰か」を意味している。いまだに会ったこともない、どんな人間かもわからない。しかし、いつか自分のメッセージを受けとってくれる可能性をもった存在、それが他者である。
そういう他者にメッセージを送るためには「単語しゃべり」では意味がない。他者とはまだ文脈を共有していないのだから、単語だけでは何も伝えることができない。そこで必要なのは、論理の構築である。「つながり」を意識して、自分のメッセージを論理的な流れに整序することである。だから、初対面の人間に自分の言いたいことを伝える最も有効な方法は、できるだけ論理的に話すことなのである。通りで道を尋ねられて、情緒や情感で説明する人間はいない。できるだけ論理的に、筋道立てて説明しようとする。そして、その説明が上手な人間とは、見も知らない他人の置かれた状況を的確に想像する能力に長けている人間である。そこにこそ論理的な説明能力の原点がある。
論理的な能力が低いこと自体は、私はたいした問題ではないと思っている。能力が低ければトレーニングをすればいいのだし、論理的な思考力は典型的な後天的能力だから、トレーニング次第でいくらでも伸ばすことができるはずである。
ただ、そのためにはひとつだけ前提条件がある。それは「自分は論理的な説明能力が低い」という自覚をもつことである。周囲の人間が自分を理解してくれなかったならば、その原因を自分の論理的な説明能力の低さに求める姿勢、それだけは最低限、必要なのである。ほんとうにそうなのかどうかは、この場合さして重要ではない。たとえ、事実とは異なっていたとしても、自分の説明能力が低いかもしれないという自己を疑う姿勢のなかにこそ、論理力向上の鍵がある。そして、相手に自分の意志が伝わらない時に、まず優先的に自らの説明能力を疑うというのは、なによりも最も「論理的」な姿勢なのである。知性的であることの最低条件は、自己懐疑の精神だと誰かがいったが、まことにその通りなのである。
しかし、周囲が自分を理解してくれない時に、「それはまわりが悪いからだ」と考えると、論理力の向上はその時点でストップしてしまう。そして、被害者意識のみがいたずらに肥大し、あらゆる不都合の責任は他者にかぶせられることになる。そうなると論理力とともに自己責任能力も徐々に損なわれてしまう結果に陥る。
例の秋葉原の事件の犯人の書き込みがすべて断片的なフレーズであったことを私は思い出す。会社で自分の着るべき作業服がなかったという事実を説明することなしに、ただその時の「むかついた」気持ちだけが細切れに書き込まれる。
そして、その責任は特定の誰かには収斂しない。明瞭に意識することもできない「誰でもいい誰か」が、ぼんやりとした責任の担い手として頭のなかに浮上する。
他者を想定できない精神の弱さは、結果的に無差別殺人にまでたどりつく可能性を秘めているのである。
他者不在の状況が根本的な問題だとすると、われわれがなすべきことははっきりしている。それは他者を存在させることである。メッセージの受け手となる可能性をもった「他者」を彼らの目の前に置くことである。
はたしてその他者を演じる人間とは誰か。私はそう問いかけて、静かに自分自身を指さし、聴衆の一人一人を指さし、そしてそっと壇上から降りる。
そういう講演を一度はやってみたいと思っているのだが、そんなおそろしいエンディングをやる勇気は、当然のことながらまだないのである。
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Last updated 2008.08.20 06:31:10
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Comments
和久希世@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03)
>「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@
Re:「チャンドラーのある」人生(08/18)
新しいお話をお待ちしております。
あああ@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03)
非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03)
良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@
Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01)
まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03)
伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03)
最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@
Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03)
ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@
Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01)
文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@
Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01)
キャロルキングの訳詩ありがとうございま…
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