M17星雲の光と影

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2008.08.26
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カテゴリ: 本
吉田満「戦艦大和の最期」(角川文庫)を読む。

一読して、茫然とする。あれこれとことばを探るが、何も出てこない。これは安易な感想や感懐を寄せつけない本である。

切れ切れに読んだため、全体像が頭の中にうまく焦点を結ばず、ただちに再読。

そして、ふたたび思いに沈む。

読み終えた私の頭のなかにある残像は、太平洋上に浮かぶ黒々とした重油の分厚い膜であり、そこで苦しみのあまり発狂して水没していった無数の兵士たちの姿であり、救護船の船縁をつかむ無数の手を、その船を沈没から守るために次々と切り落としていった救助兵の蒼白な顔面である。

耳には高射砲の鈍い響き、戦闘機のエンジン音、爆撃音、炸裂音、巨大な水柱の吹き上がる轟音などが残っている。

この作品に対しては、小林秀雄の「大変正直な戦争体験談だと思って感心した」という評語が核心に触れていると思う。

正確にいえば、ここに描かれているのは「戦争」というよりも、「戦闘」である。副電測士として「大和」に勤務した吉田満少尉が、哨戒直として艦橋中央の羅針儀台上から見た戦闘の姿を、漢文調の文語体で綴った作品である。

そこには美文をもてあそぼうとする姿勢は微塵も見られない。一人の少尉の経験した内面、外面双方にわたる「事実」が述べられている。その「事実」が読む者を圧倒するのである。



誤解を招かないように言っておかなければならないが、ここに描かれた「事実」が読む者を圧倒するのは、その出来事が悲惨だからというだけではない。たしかにここには悲惨な出来事が描かれているが、それはあくまでも「事実」の一部である。だから、この作品を「戦争の悲惨さを描き出したもの」とのみとらえると、作品全体のもつ意味を取り逃がしてしまうことになる。

ここにはある意味では、戦争のもつ「魅力」も描かれている。成算のまったくない無謀な特攻作戦に従事する彼らが、どのように自分の内面を支えたか、極限状況の人間と人間の間に通い合う温かな血のぬくもり、目前に迫る死にひるまない精神の高さ。激しい戦いの中にあって、ほとんど「私」を捨て去った人間の、ある種の潔さのようなものも、ここには描き出されている。

彼らがどのように内面を支えていたかということについては、臼淵大尉の次のような発言が記録されている。

「進歩のない者は決して勝たない 負けて目ざめることが最上の道だ 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた 私的な潔癖や徳義にこだわって、本当の進歩を忘れていた 敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか 今目覚めずしていつ救われるか 俺たちはその先導になるのだ 日本の新生にさきがけて散る まさに本望じゃないか」

だから、この本には戦争を肯定するものだという非難が寄せられたという。終戦後、占領軍の検閲にかかり、長く出版を禁じられたともいう。

しかし、先の大戦で兵士のこころに存在していた価値意識や倫理観も、戦争の「事実」の中に含まれるはずである。それらを「悲惨」や「野蛮」や「狂信」ということばのもとに葬り去った後に、はたして真の戦争反対の礎を築くことができるものかどうか。私は疑問に思う。

この本を読むことは、戦争を「見る」ことであり、「感じる」ことである。そこで何が行われたか、もしも自分がそこにいたら、いったい何を感じ、どう振る舞ったか、それを想像力の及ぶ限り、できるだけリアルに思い描くことである。そのことの中にこそ、戦争を考え、それを拒否するための立脚点が存在するのではないだろうか。

だから、この本を読み、ひとり思いに沈むことは、とてもたいせつなことなのである。

「戦艦大和の最期」の初版あとがきで筆者は次のように述べている。

「この作品の中に、敵愾心とか、軍人魂とか、日本人の矜持とかを強調する表現が、少なからず含まれていることは確かである。だが、前にも書いたように、この作品に私は、戦いの中の自分の姿をそのままに描こうとした。ともかくも第一線の兵科士官であった私が、この程度の血気に燃えていたからといって、別に不思議はない。我々にとって、戦陣の生活、出撃の体験は、この世の限りのものだったのである。若者が、最後の人生に、何とか生き甲斐を見出そうと苦しみ、そこに何ものかを肯定しようとあがくことこそ、むしろ自然ではなかろうか。」

「このような昂(たかぶ)りをも戦争肯定と非難する人は、それでは我々はどのように振る舞うべきであったのかを、教えていただきたい。我々は一人残らず、召集を忌避して、死刑に処せられるべきだったのか、或いは、極めて怠惰な、無為な兵士となり、自分の責任を放擲すべきであったのか。――戦争を否定するということは、現実に、どのような行為を意味するのかを教えていただきたい。単なる戦争憎悪は無力であり、むしろ当然過ぎて無意味である。誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう。」



ただ一言だけ言いたいことがある。一機の護衛機ももたず、沖縄までの片道の燃料だけを搭載し、米軍の戦闘機群を自艦に引き寄せ、囮となるという大和最後の出撃作戦のなんという愚かしさ、無謀さ、無意味さ。

国の権力の頂点に存在する、この巨大な愚かさと、その意思を末端で忠実に実行する兵士の勤勉、精励、精悍。

この図式を私はけっして肯定できない。そして、この図式は必ずしも過去のものとは言い切れないのである。

国家意思の末端の実行者たる国民が、その目を自分の足元ではなく、上に向け、その勤勉と精励と情熱を、自らの頭上に存在する巨大な愚かさを正すことに用いない限り、同じことはいつか、また、必ず起きることだろう。

「誰が、この作品に描かれたような世界を、愛好し得よう」という吉田のことばにこめられた「世界」を象徴的に示す場面をご紹介して、この拙い感想文を終えたいと思う。



「電探室前に走り寄る 「ラッタル」跡形もなし やむなく運用兵を呼び「ロープ」をとって下ろす
堅牢安固なる対空電探室 六畳間大 四周に鉄壁をめぐらせるも、真二つに裂け、上部半ばを散佚す
大斧にて竹筒を叩きわったる如きさまなり 直撃弾、斜めに深く抉り込み撃発したるか
整備に整備を重ね今日の決戦に備え来し兵器、四散して残骸を認めず 部品の残滓すらなし
一切を吹き掃われたるかと見れば、朽ちし壁の腰に叩きつけられたる肉塊、一抱え大の紅き肉樽あり
四肢、首等の突出物をもがれたる胴体ならん
あたりに弾かれたる四箇を認め、抱えきてわが前に置く
焦げたる爛肉に、点々軍装の破布らしき「カーキ」色のもの付着す 脂臭芬々
そこに首、手足が付け根の位置を確かめ得ざるは言うも更なり
四箇の死屍の間に、判別を定め難きとは
抱けば芯焼けてなお熱く、これを撫づれば手触り粗木の肌の如し
数分前までここに活躍したる戦友、部下の肉体とこの肉塊と、同体にしてただ時を隔てたるに過ぎずとは 如何にして信じ得べき ここに宿りし四箇の生命は今何処
他の八名は飛散して屍臭すら漂わず 何たる空漠か 今の瞬時までまさに現前せる実在は 如何なる帰趨を遂げしぞ 疑い訝(いぶか)しみてやまず
悲憤に非ず 恐怖に非ず ただ不審に堪えず 肉塊をまさぐりつつ忘我寸刻」

(吉田満「戦艦大和の最期」角川文庫版 p.66~68)






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Last updated  2008.08.27 06:27:40
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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