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本の整理をしていたら、何年間も行方不明になっていたカルカッシ・ギター教則本の表紙の部分が出てきた。あとでセロテープででも本体にくっつけるか。 カルカッシを買ったのはギターを練習し始めたときなので、もう20年以上前か。最初だけちょっと見て、ほっぽり出してしまったような気がする。 その時は、クラシックギターの教則本といえばたしかこれしかなかったので、あまり考えずに買ってしまった。買ったはいいが、まさに教則本という感じで、初心者のぼくには正直言ってあまり面白くなかった。前半を少し練習したあと、基礎もできずに後半の聴いたことのある曲を練習していた。 カルカッシを使ってギターを教えているところはどれくらいあるのだろうか。ぼくがちょっとだけ通ったギターの先生のところでは、独自の教則本を作っていたが。 後半に有名な曲が出てくるが、ぼくの本では最後は『アルハンブラの想い出』になっている。他の人が持っていたカルカッシは『アラビア風奇想曲』が最後だった。いろいろ選曲にバージョンがあるようで。トレモロは難しい…。 この本で初めて見た、『ラグリマ』と『アデリタ』が最近改めていいなあと思うようになった。これくらいの小品が自分に一番あっているのかもしれない。あと『月光』もいいなあ。
2006.03.31
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ネットをながめていたら、“CCDの画素数が1000万画素時代に突入した”という記事を見つけた。 1000万画素…。すごいねぇ。どんどん増えていくなあ。でも現場の人たちは大変だろうな。“こんなに多くする必要もないんだけどね”って設計のだれかがいつかボヤいていたなあ。現場とは得てしてこんなもんだ。 画素数はどんどん増えているが、CCDの基本構造自体は、登場したときからほとんど変わっていない。ということは、第一世代の人たちが果たした仕事がそれだけ素晴らしかったということなんだろうな。もちろんその後の世代の人たちも素晴らしいが。 画素数を増やす目的は画質を良くするためだろう。画質が良いということは、実物と同じように見えるということだ。ということは、結局、デジタルが目指しているのは、自然の状態、アナログってことか。どこまで増えるんだろう。打ち止めってあるのかな。 これから、もし天才技術者が現れて、実物と全く同じの画質を実現したら、そのとき人はそれを見て、うれしいと思うだろうか? もし実物のような花が映っていたら、次に人はその花に触りたいと思うだろう。将来触れるようになるだろうか? たぶんなるんだろうなあ(大丈夫か、俺の頭?)。ぼくが生きている間には実現してほしくないなぁ(妙な心配…)。 今日は長崎の清峰高校はよくがんばった。次もガンバレ。それにしても、今日の最後の試合でエラーしたライトの選手はちょっと可哀想だったな。この選手もガンバレ!
2006.03.30
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白鵬が大関に昇進した。まだ21歳。若いのに凄いなあ。才能がある人はうらやましいね。体が以前にも増してどっしりとしてきているし、すぐに横綱になりそうだ。モンゴル勢まさに恐るべし。 大関昇進の挨拶で白鵬は、“全身全霊をかけて努力します”と言っていたが、四字熟語が使われだしたのは、若貴時代あたりだろうか。だれかが辞書で調べて考えるのかな。もうちょっとひねった言葉はないのかなといつも思ってしまう。 モンゴルで思い出したが、キラー・カーンは今何やってるんだろう。たしか小沢という名の日本人だったが。モンゴリアン・チョップってほんとに効くのかな。やっぱり昭和のプロレスはいいねぇ。何を書いてるんだか…。謎のモンゴリアン、キラー・カーン。白鵬はキラー・カーンは知らないだろうなあ。 最近は外国人力士が幕内に多くなってきているが、やっぱりもともとの体力が違うからしょうがないのかもしれない。レスリングやアマチュア相撲の世界チャンピオンクラスなどといったとんでもない経歴を持つ人たちが弱いわけはないなあ。 最近は北桜など濃いキャラクターの力士が出てきて場所を盛り上げているが、さらに舞の海のような小さくて動きの速い力士が出てきて上位でかき回してほしいなと思う。 いつも応援している高見盛は3場所続けて7勝8敗。前半は調子がいいが、後半勢いがなくなるというパターンが続いている。親友の栃東といっしょに来場所はがんばってほしいなぁ。
2006.03.29
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ぼくの部屋の壁の上の方には、『ホテル・カリフォルニア』と『レッド・ツェッペリン4』(ローマ数字の4は表示できない)のLPジャケットを引っかけて飾ってある。やっぱりLPジャケットはカッコいい。 CDが出てきたときには、ジャケットが小さくなってしまったので、その時はつまらなくなったなあと思った。 今では、曲がダウンロードされる時代になってしまったが、そうなるとジャケットというのはついに無くなってしまうのだろうか? 今のシステムをよく知らないのだが、ジャケットも電子ファイル化されてダウンロードされるのかな。もしそうだとしてもLPジャケットとは意味合いがかなり違うなあ。 世の中が便利になるのはいいが、幅がなくなってきているような気がする。なんかつまらない。 昔はアルバムが出ると音楽の他にジャケットを見るのも楽しみのひとつだったのだが。“ジャケ買い”とかいうのもなくなるのかな(ぼくはやったことはないけど)。 レコード屋(これって古い言葉?)に行かなくてもCDが買えるのは便利だが、そうなるとその場所に行くまでの“ワクワク感”みたいなものを感じることがなくなってしまう。レコード屋のそばのたこ焼き屋でたこ焼きを買うこともないだろう(別にたこ焼きじゃなくてもいいけど)。 ダウンロード時代になると、こうしたジャケット、ワクワク感、たこ焼きといった副産物が発生しなくなる。たこ焼きは関係ないかもしれないが。 目的地に行くまでに発生する副産物が結構面白かったりするのだが、効率重視の世の中ではこれらは削除されるていくのだろうか。このような副産物から音楽のような芸術が作られるような気もするのだが。これからますます芸術不遇の時代になっていくのかなあ。よくわからんが、LPはちゃんと取っておこう。 『レッド・ツェッペリン4』のジャケットに描かれている、たくさんの薪を背負った老人の表情はなんともいえない。やっぱLPジャケットはよかばい。たこ焼きもよかね。
2006.03.28
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最近“泣きのギター”という言葉を聞かなくなったが、もう死語になってしまったのだろうか。 “泣きのピアノ”、“泣きのバイオリン”も悪くはないが、“泣き”ときたらやっぱりギターがしっくりくる。“泣きのドラム”はとても難しそうだ。 よく考えると、“泣きのギター”というのも妙な言葉で、普通だったら“愁いのギター”とか“悲しみのギター”などになりそうなものだが、“泣き”という微妙なニュアンスの言葉ををくっつけた人は天才だと思う。誰が作り出したんだろう。英語にはこれに対応する言葉はあるだろうか。 “泣きを入れる”という言葉があるが、そこから持ってきたのかな。この場合は、謝るとか詫びを入れるという意味になるが。それにしてもギターにぴったしの表現。 ジェフ・ベックの『哀しみの恋人達』は、結構な泣きのギターだとぼくは思うが、このギターの音を猫の鳴き声みたいだと言った人がいたなあ。そう言われると、たしかに“ミャ~”といっているような気もする。 学生時代に、一生懸命マンドリンを練習していたときに、ある先輩から“お前の楽器は泣いてなくて笑ってるんだよ”と言われてガックリきたときがあった。なかなか泣くのは難しかとですよ、先輩…。
2006.03.27
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最近CMでジャニス・ジョプリンの『Move over』が流れているのを時々見かける。歌っているのは別の人みたいだが。 昔、FMの番組で若くして亡くなったミュージシャンの特集をやっていたときに、亡くなった人には頭文字が“J”の人が多いとかいうのがあった。ジャニス・ジョプリン、ジョン・レノン、ジミ・ヘンドリックスなど、たしかにいることはいるけど。 番組の最後には、なぜかイエス・キリスト(Jesus Christ)まで出てきたと思う。スゴいJつながり。頭がJだったら、ジャイアント馬場さんはどうなるのかってツッコミを入れたいところ。馬場さんもピアノのCMに出ていたような。 キリストで思い出したが、ジョンとポールはイタリア語読みしたら、ヨハネとパウロになるが、ビートルズのメンバーはイタリアではヨハネとパウロとよばれるのだろうか。俄然キリスト教色が強くなるなぁ。ヨハネが“イマジン”を歌う…と書くと、イマジンが賛美歌みたいだね。 ジャニス・ジョプリンのボーカルは強烈だが、『Move over』では、ぼくは頭の4小節のドラムだけのところが好きだ(オタク過ぎる?)。TOTOの『ロザーナ』の頭のドラムもいいなあ。レッド・ツェッペリンの『グッド・タイムス・バッド・タイムス』の頭のフィルインもカッコいいね。こういうのをFMで特集してほしいんだが…。
2006.03.26
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朝のジョギングから帰ってきて、ラジオをのスイッチを入れると、久しぶりにピーター・バラカンさんの声が聞こえてきた。 土曜日の7:15からNHK-FMの『ウィークエンドサンシャイン』では、ピーター・バラカンさんがいろいろな洋楽について紹介してくれる。ミュージシャンについてはもちろん、歌詞の内容や、曲が作られた背景などまでかなり詳しく伝えてくれる。 ぼくは、ピーターさんが話す日本語がとても好きだ。穏やかで知性があふれているというか、相当日本の書物などを読んでいるのではないかと思う。それに比べて日本のDJは…やめとくか。 もうひとつピーターさん関連では、『ロックの英詞を読む Rock Between The Lines』という本をピーターさんは出していて、タイトル通りロックの歌詞について詳細に解説をしている。 洋楽というと歌詞については、ぼくはたまにしか歌詞カードを見ることがないのだが、この本を読むと名曲の歌詞の内容がもの凄く深いものであることがわかる。 例えば、ブルース・スプリングスティーンの『Born In The U.S.A.』は日本語にすると“俺はアメリカに生まれたのに”という感じで、歌詞は、ベトナム戦争にかり出されて、国のために一生懸命闘ったのに、故郷に帰っても就職できないといったかなり具体的に内容だった。 曲の雰囲気がイケイケドンな感じなので、アメリカ賛美の歌かと思ってしまうが、内容はベトナム帰還兵の厳しい状況を伝えているものだった。ぼくがこのように書くと、そんなもんかって感じになってしまうが、もっと歌詞は精巧にできている。 そういえばこの曲が出てきた頃は、ベトナム関連の映画が結構作られていた。『プラトーン』のラストのほうに流れる弦楽の曲は好きだったな。 本の中では、まさに行間に隠された意味までピーターさんは詳細に解説してくれるのだが、これを読むとやっぱりネイティブの人にしか深いところまでは入れないのかなと思ってしまう。勉強すればいけるかな? 英語の前に日本語を勉強せんといかんかなぁ。
2006.03.25
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今日はぼくが卒業した大学の卒業式だったことがテレビのニュースで放送されていた。卒業生はインタビューにニコニコしながら答えていた。ぼくが卒業したのは、もう20年近い前になるのか。信じられないな。 卒業式の時ぼくは何を考えていただろう。単位のことを気にしなくてもよくなって少しホッとしていたかもしれない。社会人になっても4,5年くらいは、単位が足りなくて留年したり卒業取り消しになったりした夢を見ていたと思う。 大学の頃は勉強しなかったなあ。ギターやマンドリンばかり弾いていたと思う。 普通は入学したすぐあとの5月頃におかしくなることを五月病というのだろうが、ぼくの場合は二年生の冬ぐらいに五月病になって何もやる気が起こらなくなって、冬休み明けのひと月くらいは学校に行かなくなった。そのため、その学期の単位がほとんど取れなくなって、1年留年することになった。 なんであんなに無気力になったんだろう。高校の時は、結構真面目に勉強する方だったと思う。勉強させられていたというのが正解かな。今はどうか知らないが、当時は殴る先生が結構いたので、先生に怒られるのがいやだったというのも大きな理由かもしれない。 とにかくなぜ勉強するのかという疑問を持つことなどなかった。そんな質問などできる雰囲気もなかったし。そんな余計なことを考える暇があったらテストの点数を上げろという感じだった。 そのときの勉強のやり方は、今でもそうだろうと思うが、文系の科目だったらとにかく覚えることがメインで、理科系の科目は公式の使い方をとにかく反復練習するというものだった。当然面白くないが、下手な点数を取ると怒られたり殴られたりするので勉強するしかなかった。 大学に入学してからの勉強も、高校のやり方でおこなった。それしか知らないからだ。 高校のときは恐い先生がいたからなんとか続いたが、大学になって中途半端な自由が与えられるともうやる気がなくなってしまった。辞めていった人も結構いたと思う。それからかな、ギターにのめり込み始めたのは。現実逃避だな。 科学離れをどうにかしなければならないというのを最近よく聞くが、今の暗記と公式の反復練習の勉強をしたら、科学が嫌いになるのは当然だろう。また、離れているのは科学だけじゃなくて文化系の科目も同様だろう。国語や歴史の先生とかは、あまりに離れすぎて悟りの境地に達しているんじゃないだろうか。 若くて多感な時期に嫌いになったら、あとで好きになってくれっていわれても簡単にできない相談だろうなあ。三つ子の魂百までか。 なんで学校では、暗記と公式の反復練習が勉強の中心になったんだろう。明治の富国強兵の名残だったりして。とにかく兵隊の数をたくさん確保したい。そのためにはバカでは困る。武器などの使い方やメンテナンス方法の理解ができる程度の能力は持っていてほしい。でも、なぜ戦争をやるのかまでは考えなくていい。考えることは一部の人間がやればいいことだ…って考え過ぎかな。 結局大学時代のぼくは高校時代の勉強のやり方で単位を取って、その知識はテストの後に消えてなくなった。そのため会社に入ってからかなり苦労することになった。 今本屋に行くと、科学を面白く紹介している本がたくさんある。いきなり専門書にいかずに、この手の本でワンクッション入れると専門書に移行しやすい。ぼくも高校のときに面白い科学関係の本を読んでいたら後の展開も変わったかな。 専門書でも、はしがきを見ると、高校程度の理解力があれば大丈夫と書いてあるのが多い。ということは、ぼくみたいな人が結構多いってことなのかなぁ。
2006.03.24
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PSE関連でビンテージという言葉を最近よく聞くようになった。 10年くらい前の話だが、ある音楽雑誌の楽器店の広告のページを見ると、数多くのビンテージ・ギターが掲載されていた。 その中に、1959年製のレスポールがあったが、値段はなんと600万円だった。 色はチェリー・サンバーストでジミー・ペイジと同じモデルだったと思うが、ぼくはこれを見たとき一体どういう人が買うんだろうと考えるとともに、モノの値段って一体何なんだろうと思った。 もしジミー・ペイジのような人気ギタリストが使わなかったら、これほどまでに値段がハネ上がることはなかっただろう。また、ギブソン自体もここまで大きなギター・メーカーにならなかったかもしれない。ギター自体じゃなくて、ギターの周りの状況で値段が決まるのはどういうことなんだろう。 しかし、600万とはね。楽器店の方もさほど売る気はないんだろうが。大きなお世話だが、もし買う人がいるのなら、相当の腕のある人に買ってほしいと思ってしまう。 さほど上手じゃないとぼくが思っているバイオリニストの使っているバイオリンが、ストラディバリウスだと聞いてかなりガッカリしたときがあった。なんでお前が持っとるんじゃ…これも大きなお世話だが。 それにしても、ビンテージ楽器を使いこなせる人って何人いるんだろう。なんか今はハードウェアのほうがメインになって、人間の姿がよく見えないような気がする。逆よね。ビンテージも使いこなす人間がいなかったらただの骨董品だな。あの600万のギターはまだあるかな。 今日、NHKのラジオのニュースを聞いていたら、ニュースの合間にレッド・ツェッペリンの“ロックンロール”がいきなりかかった。ときどきNHKは意表をつく奇抜な選曲をする。久しぶりに聴けてうれしかったけど。
2006.03.23
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BSの世界のドキュメンタリーを紹介する番組で、『美しき大宇宙 ~統一理論への道~』というアメリカの放送局が作成したものを今日見た。 統一理論の候補の“ひも理論”というのが最初紹介されたが、そのときフニャフニャ曲がるリング上の輪ゴムみたいなのがウジャウジャ出てきた。こんなイメージでいいのかな。 今日は、ひも理論が登場する前の話で、アインシュタインの業績に関する話が主だった。 一般相対性理論の話が出てきたが、数式は全くなしで重力場について放送されていた。本と違ってアニメーションで太陽の重力場の中を惑星が動いたりするので、イメージはつかみやすかった。本で見たときは特殊相対性理論のところで沈没してしまったが。 そのあと量子力学の話になった。そのとき“量子カフェ”というバーが出てきて、司会者の人がその店に入ってオレンジジュースを頼むと、ウェイトレスは“努力します”と応えるとしばらくして違うものが出てきた。確率論をなんとか面白く伝えようというのが感じられる。番組を作るのも大変だ。 日本の放送局もこれくらいのを作ってくれないかなあ。以前民放でアインシュタインに関する番組を見たが、その中では、アインシュタインがどこに行ったかや、何を食ったかとかいうのばかりを放送していた。今日の番組とは相当のレベル差があった。旅番組はヒロシあたりでいいのにと、ぼくは番組を見ながら突っ込んでしまった。 今日のは3回シリーズなので、また明日も見ようかね。
2006.03.22
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テレビを見ていると、久しぶりに“冬のソナタの”のピアノの音が流れてきたと思ったら、パチンコ台のCMだった。唖然としてしまった。この業界もなんでもありなんだなあ。 リーチが当たったらヨン様が笑って、はずれたらチェ・ジウが泣くのかな。今さらという気もするけど。どうして韓国サイドがOKしたんだろう。 パチンコ台やスロット台がアニメやドラマのキャラクターを使うようになたのは5年くらい前からかな。今はゴルゴ13やルパン3世もあるし、歌手の人が出てくるのもある。 以前は、パチンコ屋で朝から晩まで打っていたときもあったが、もう5年くらい全く行っていない。なんであんなに熱中していたんだろう。今では全然考えられないな。 あんなうるさい場所で冬ソナのあのメロディが流れるのかな。やっぱり妙だなあ。 今日は見事に王ジャパンが世界一になった。よかった、よかった。 また、今日はバッハの誕生日でもあったんだなぁ。テレビでは何もやってないけど。生誕321年おめでとう…って何を言っているやら。シャコンヌ弾けるようにならないかな。今日はやっぱり王ジャパンだな。
2006.03.21
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しばらくクラシックギターを弾いてきたが、いまだに爪の長さや形がどういうのがベストなのかよくわからない。 弾き始めのときは、とにかく長い方が弦によく引っ掛かって大きな音が出るかなと思って、とにかく長くしていた。ネイル・アートの練習台になれるくらいだったかもしれない。 その頃に比べると、今はかなり短い。爪を切るのを少し長めにサボった程度のような感じだろうか。親指は少し長いかな。 爪が長いときは、弦を一回つかんでからはじくという感じだったが、今は弦の上を素早く滑らせるような感じになってきている。爪が長いときは結構太い音だったが、今は少し高音部分が強調されているように聞こえる。どっちがいいのかはよくわからない。 今爪は爪切りについているヤスリで削っている。本当はちゃんとペーパーでやらないといけないのだろうが。爪を削った直後は、カサカサしたノイズが目立つような気がするので、少し時間が経って少し丸めのほうがいいような気がする。 他の人はどうやってるんだろう。気にしすぎてもしょうがいないかな。それより表現方法を練習すべきか。 ギターと関係ないが、ぼくが学生の時に、右手の小指の爪だけ異常に長くしている先生を何人か見たことがあるが、あれはなにかメリットがあったのだろうか? 今もそういう人いるかな。
2006.03.20
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ギターの4弦が切れそうだ。表面の巻き線がはがれて中の芯が見えている。偏った曲を弾くためか、いつも4弦の2フレットが削れてくる。なんの曲の影響だろうか。切れるまで弾こうかな。 ギターのホールの中を見たら、綿ボコリがたまっていた。取るためには弦を全部はずさなければならない。面倒くさいのでしばらく放っておこう。指板も結構汚れいているが、これもそのままだな。 数週間前から、再びアンドリュー・ヨークの『サンバースト』にトライし始めた。中間部とラストのスラーが連続するところは非常に難しい。どうしても力が入ってしまう。 力が入るとリズムが速くなって、ますます自分の首を絞めるという悪循環に陥ってしまう。力が入らなくなる効果的な練習方法はないだろうか。 スポーツの世界では、かなり科学的トレーニングが進んできているが、楽器の練習についてはどうなのだろう。音の表情を作る以前の、音を出すという段階を素早くクリアできるうまい方法はないのかな。 サンバーストは、村治佳織さんのCDを数年前に聴いてから、いつか弾いてみたいと思っていた。 それで“アンドリュー・ヨーク ベスト”という楽譜を買ってきたのだが、この楽譜の中のサンバーストは、イントロダクションまで付加されていたフル・ヴァージョンのものだった。また、ヨーク本人のデモ演奏CD付きというお得なものだった。最近の楽譜ってデモCD付きが多いのかな。 このヨークのデモCDをぼくは最近しょっちゅう聴いている。どの曲も美しいメロディーのものばかりなのだが、相当手強いものばかり。気長にやりましょうかね。 今、弦はサバレスのコラムを使っている。この弦を使うと、かなり高音が強調されてぎらついた音になる。またオーガスチンに戻そうかな。
2006.03.19
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どこかの10代の人間数人が足の不自由なホームレスの人に火炎ビンを投げつけて殺した。非常に気分が悪くなるニュース。 その事件を民放のニュースは、不気味な音楽とおどろおどろしいナレーションを付けて放送する。結局、視聴率稼ぎという目的のためには手段を選ばないわけか。大人がこれじゃ子供もおかしくなるのも不思議じゃないのかもしれない。 見たくなかったら見なければいいじゃないかと言われるかもしれない。でも、見たくなくても見てしまうような仕掛けが番組には仕掛けられている。 ニュースだったら、ハリウッド映画的な効果音楽とナレーションだろう。また、話のオチのところに入る直前にCMにバサッと切り替わるといったテクニックも確立されているようだ。あと派手なテロップとか。そんなに楽しくないのに見てしまう。文句言いながら結構見てるな。 視聴率を上げたかったら番組自体のクオリティを上げるべきだと思うが、いまでは綺麗事になってしまうのだろうか。テレビはもうその辺にしといて、違うメディアに目を向けたほうがいいのかもしれない。やっぱりラジオかな。 でも、少なくともニュースは視聴率戦争から除外してほしいと思う。できるだけ変な演出はしてほしくないのだが。民間じゃ無理なのかな。 先ほどNHKスペシャルで、ホリエモンの事件について放送されていた。会社の時価総額アップだけに血眼になって、本業のことを考えなくなったのが今回の事件の発端みたいに伝えられていた。 ちょっと前に千昌夫がバブル崩壊で借金が天文学的数字になったあと、休んでいた歌手活動を再開して、“北国の春”とかをまた歌い出したのを思い出した。コロッケといっしょに一度長崎にも来たと思う。 やっぱり本業が大切みたいだなあ。至極当たり前のことなのだが。でも、この手の話は世界中にたくさんあると思うけど、人間はあまり学習機能がないのかな。人のことは全然言えないけど。
2006.03.18
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BSの『ゴッドファーザーPART2』をなんとか最後まで見た。内容が濃すぎて少しぐったり。もうちょっと体調がいい日に見ればよかったかな。 話があちこち飛ぶので、ところどころ話の筋がわからなくなってしまうときがあった。あと2,3回見れば、もっとちゃんと理解できるかな。キューバ革命前後のアメリカの時代背景が頭に入っていたらもっと面白いんだろうなあ。 こういうのを見ると、組織のトップは孤独で大変そうで、出世しようという気持ちも失せてしまう。いや、最初から持ってなかったな…。 出てくる俳優さんはみな個性豊かでよかった。主演のアル・パチーノの妹役の女優さんが『ロッキー』のエイドリアン役の人だったのを恥ずかしながら今日になって初めて知った。 この映画を最初に見たのは中学生くらいだったろうか。そのときは話が重すぎて全然面白いとは思わなかった。自分のようなバカ中学生にはこの映画はムリだった。 そのときは見たのは、民放の月曜ロードショーか水曜ロードショーのどちらかだろう。長崎は当時民放は2局だった。あの頃は民放も平日に映画番組をやっていた。それだけ今に比べると、映画を見る気持ちの余裕があったってことなのかな。 そのときは、まだ今のようなバラエティー番組もあまりなかったと思う。もともとバラエティーというのは変化に富んでいるということだから、トーク、音楽、コントとか色々な要素のある番組のことをバラエティー番組といっていたような気がするが。最近は雑談番組が多いみたいだが。 バラエティー番組といえば、前はタモリの“今夜は最高”は好きでよく見ていたなぁ。ん? 映画の話からずれてしまった。ま、いいか。高見盛がんばれ。
2006.03.17
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今日みたいな雨の日に車を運転すると感じることだが、最近のアスファルトは水はけがいいような気がする。 雨が降っても路面上の水の膜によるライトのギラツキが以前よりかなり少ない。小雨だったら、道路だけを見ていると雨が降っていないような錯覚に陥る。また、雨に濡れた路面を走るときの“シャーッ”というタイヤの音も小さい。 技術が進歩したのかな。これだったら雨の日の事故も減るだろう。アスファルト工事の関係者には感謝せんといかんなあと思っていた。 しかし、しばらくするとぼくの家の近くでは、配管工事か何か知らないが、道路の掘り起こしが始まった。そして工事が終わると、道路は新式と旧式のアスファルトのツギハギ状態になっていた。ガックシ。せっかくいいなと思っていたのに。 得意の必殺年度末工事か。せめて新タイプのアスファルトで工事してほしかった。在庫処分か? 今日の高見盛は、うまく相手の後に回り込んで快勝。明日もがんばれ。
2006.03.16
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今日、NHK教育で大正琴の講座を見た。今日は合奏でホルストの『ジュピター』を演奏していた。 大正琴は一種類ではなく、バイオリン系と同様に、高音から低音まであることを初めて知った。ソプラノが普通のサイズで、アルトが少し低めの音、テナーがもっと低く、そしてベースの計4パート。 先生達が弾く模範演奏はとても格調高いものだった。トレモロは粒が揃っていてとても美しかった。『ジュピター』の旋律が大正琴の音色によくマッチしていた。 ピックはギター用のおむすび型のピックを使っていたようだ。弦はGに合わせるとのこと。 大正琴は年配の人たちがやるものというイメージを持っていたが、今日の生徒さんたちはみな若い人たちで結構楽しくやっていた。生徒さんたちを見ていると、ぼくは学生時代のマンドリンの合奏を一生懸命やっていた時代が思い出された。 司会の活弁士の山崎バニラという人は、和服に金髪で見た目はかなり派手だったが、声優みたいな高い声が妙にアンバランスで可愛かった。 大正琴は、ぼくの家の近くの公民館でも時々集まって合奏の練習をしているみたいだ。見学できるかな。 こういう番組は民放じゃ絶対に見られないな。来週も見ようかね。
2006.03.15
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ときどきコンビニに行って、肉まんかチョコを買うのが結構好きなのだが、店を出る前にビッグコミックをつい手に取って立ち読みしてしまう。 前から漫画はあまり読むほうではなかったが、今読むのはビッグコミックの『ゴルゴ13』と、『C級さらりーまん講座』ぐらいだ。 ゴルゴ13は、学生時代は50冊くらい持っていただろうか。卒業するときに後輩にあげてしまったと思う。ちょっともったいなかったかな。 最初、“さいとうたかを”という漫画家を知らなかったので、てっきり川崎のぼるがゴルゴ13を描いたのかと思っていた。最初の方のゴルゴ13は、巨人の星に結構タッチが似ていたと思う。 中でも、ぼくはゴルゴの出生にまつわる作品が結構好きだった。よくこんな壮大なストーリーを考え出すなあと感心してしまう。また、ラストのほうによく出てくる、“・・・・・・”の吹き出しのついたゴルゴの顔の表情はなんとも言えずいい。 ゴルゴの黙々と仕事をこなすところが、勤勉な日本人にウケるのだろうか。今ゴルゴはどんな困難な仕事でもこなしてしまうので、裏社会のドラえもんみたいな存在になっているが。やっぱりドラえもん的なところもいいのかな。 ときどき間違って、偶然後に立った人間を殴ってしまうオッチョコチョイなところも好きだった。これ以上書くと、長距離から狙撃されそうなのでやめておくか。 C級さらりーまん講座は、リストラとか窓際族とかの話なので、基本的に理不尽で悲劇的な話なのだが、立ち読みしながら思わずニヤニヤしてしまう。喜劇と悲劇は紙一重ということなんだろうか。結局、描き手がうまいんだろうなあ。 今日は相手がすべってくれて、高見盛は勝ち星先行。運も実力のうちか。がんばってほしい。
2006.03.14
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ひと月ぐらい前にBSで録画した『第三の男』を今日やっと見た。 劇中に流れる音楽は、ほとんど全てチターの独奏だった。哀愁を帯びた、かつ暖かい音色だった。有名なさわりの部分は何回も聴いたことがあったが、今回全部聴けたのでかなり満足。 ラストの少し悲しいシーンでは、逆に明るいチターのメロディが流れることによって、ぐっと画面に引き寄せられてしまった。ビデオは消さずにもう一回見よう。 映画の舞台は第二次大戦直後のオーストリアのウィーン。ウィーンは4カ国の軍隊に分割統治されていて、オーストリアもドイツと同じような状態だったということを映画を見て初めて知った。 映画が終わってスイッチを切ろうと思ったら、これまた前に録画していた高橋真梨子の“for you …”が偶然出てきたので、少し得した気分になった。 以前テレビで、芸人の友近が歌っているのを見たときに結構うまいなと思ったが、やっぱり本家はプロフェッショナル。うまかね。音楽家は年を取った方がうまくなるような気がする。今度CD買ってこようかな。 今日の高見盛は惜しかった。調子自体は良さそうだ。ケガをせずにがんばってほしい。
2006.03.13
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自宅のノートパソコン(○aio)の裏のゴム足が溶けてグニョグニョになって、一部が机にこびり付くようになった。しょうがないので応急処置でビニールテープでゴム足を覆って使っている。 このパソコンは5年くらい前に買ったものだが、5年くらい経ったらこれくらいあってもしょうがないのかな。だましだまし使ってきたというのはあるが。 話は変わるが、ぼくの父の少年時代は自分で真空管などを買ってきたりコイルを巻いたりして、自分でラジオを作る人が多かったらしい。一部のマニアというわけではなくて。そのためか、専門の教育を受けていないのに、電気回路について結構知っている。 却って昔の方が科学や技術が身近にあったのかもしれない。今は理工系以外の人で、ラジオの増幅回路について話せる人はそういないのでは。 今は技術がとても専門化しているから、外から入るとなると相当敷居が高い。真空管は中が見えるのでなんとか直感的な理解ができるが、ICは完全なブラックボックスなので、中身が簡単に想像できない。中が見えないのは結構なハンディだと思う。 今でもパソコンを自作する人はいるが、父の少年時代のラジオの自作とは少し違うような気がする。ICの中身から自作できればもっと面白いのだろうが、これは個人ではなかなか難しい。 でも、なんでゴムが溶けるんだろう。湿気のせいだろうか。この際ゴムの専門家にでもなるか。 今日から相撲が始まった。高見盛は快勝。明日もがんばってほしいな。
2006.03.12
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ぼくがジョギングするコースには神社があるが、その中には高さ3mくらいの古い大きな石碑がある。 今まではその前を通り過ぎるだけだったのだが、ちょっと疲れたので石碑の前で立ち止まると、それには大きな文字で“明治三十七 八年戦没記念碑”と彫られてあった。年代からすると日露戦争の戦没者の記念碑になる。西暦にすると1904,1905年だから、ちょうど100年くらい前だ。 また、その大きな文字のまわりに小さな文字で、戦死した人の階級、名前、勲章の等級が彫られていた。名前は100名以上あったろうか。 一番上の階級の人は陸軍砲兵中佐で、ほとんどの人は陸軍歩兵だった。陸軍ということから、おそらく旅順の二〇三高地の攻防戦で戦死されたんだろう。指揮官は乃木将軍か。ぼくは旅順の激戦については、ときどきNHKの歴史番組で見る程度のことしか知らないが、実際に戦死した人の名前を目の前にすると、現実感が増す。 長崎に住んでいるので、原爆関係の慰霊碑は少し離れたところにあるが、そばに日露戦争の戦没者の慰霊碑があったのには、ジョギング中に気づいた。自分より年下の人が戦死したと思うと、自分の自堕落な生活がちょっと申し訳なく感じた。 勲章の等級は、一番上官の中佐は勲四等で、歩兵の人は勲八等だった。ぼくは全員勲一等でいいと思った。 もうちょっと地元の歴史を勉強しないといけないかな。
2006.03.11
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今日の朝刊の一面には『量的緩和』という文字がデカくのっていた。 『量的緩和』っていう言葉はだれが作ったんだろう。日銀の人かな。それにしてもさっぱりわからない言葉。 ニュースでGDPやBSEとか記号ばかりだったときは、日本語にしたらわかりやすいのにと思っていた。でも、日本語でこれではなんじゃこりゃという感じだ。何語だったら一番分かりやすいのかな? 何をしているかを分からせないようにするために、妙な言葉を使っているのかなとさえ思ってしまう。経済専門の人には問題ないのかもしれないが、部外者には理解するのは難しい。 外国のどこかの新聞には量的緩和政策は“Superloose Policy”と書いてあった。お金を銀行にたくさん持たせるところが“Superloose”なのかなぁ。とにかく超ゆるゆる政策なのね。 今朝新聞を見たときは、なんだかなあと、おいしくないものを食べたときの阿藤海みたいな気持ちになってしまった。
2006.03.10
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昨日あたりから腰の状態がイマイチ。歩いたりすると少し痛い。雨のせいもあるかな。 腰は学生時代から時々おかしくなるときがあった。そのときは2,3日したら自然に元の状態に戻っていたが、年を取るにつれて回復するのに時間がかかるようになってきている。 以前、近くの整形外科に行ったときは、低周波マッサージ器みたいなびりびりするやつをやってもらった。やってもらっているときは気持ちよかったが、その後はあまり変わらなかったような。 テレビや雑誌で腰痛とかダイエットの特集はよく見るが、しょっちゅうやるということはそれだけ絶対的な効果をもつ方法がまだ存在していないことなのかも。 クラッシックギターを弾くときのフォームは、腰を少し左にねじった形になっている。腰を悪くする人はいないのかなと前から思っていたら、いつの頃からかギターレストとかいうのが出てきた。でもかなりごつく見えて、もちっとさりげないやつはないのかなと正直思う。 本屋で見つけた体のツボに関する本に、腰痛に効くツボというのがあったので、ボールペンの頭でグリグリやったことがあるが、あまり効果はなかった。じっとしとくのが一番なのかな。
2006.03.09
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今日テレビのニュースで電気用品安全法について伝えられていた。 その前からネットで見て、こういうことがあるということは知っていたが、あまり気にしていなかった。安全性の証明である“PSEマーク”というやつがない電化製品は売れないらしい。楽器も含まれるそうで。 ニュースでは、楽器店でマーシャルのアンプやギターが映し出された後、店長が深刻な表情でコメントをしていた。実際に楽器を見ると、ぼくも急に気になり始めた。 PSEマークは、外観に問題がなくて、電源がちゃんと入って、1000Vで漏電しなければもらえるとネットのニュースで見た。 1000Vって大丈夫なのかと思うが、どのようにかけるのだろう。電化製品は何百種類もあるのに印加電圧は1種類だけ? 1000Vという値は、なんかとりあえず決めたという感じがしてならない。 レスポールやマーシャルのヴィンテージにも1000Vかけるつもりなのかな。現場の状況をよく知らない人が法律を決めている気がするが。 こんなことはいつのまに決まったんだろう。知らないことばかりだ。松下電器のトラブルが影響しているのだろうか。オークションの取引はどうなるのだろう。わからないことばかり。 4月から実施されるそうだが、ほんとにこの法律やるのかな?という気分。なんか切迫感がないのだが。
2006.03.08
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冬のオリンピックが終わって少し経つが、もう大昔のことのようだ。最近ではオリンピックの話もあまり出なくなった。 テレビを見ていると、荒川選手が金メダルを取ってからは、時間が経つにつれて、視点が荒川選手自身からどんどん違うところへシフトしていった。 荒川選手の周りの人たちの話から、付けているピアスの話とか、どんなアイスクリームを食べたとか。テレビだからしょうがないのかもしれないが。 紙のメディアでは、荒川選手が表紙を飾った雑誌が、本屋にはもう並んでいる。すごいスピード。雑誌とか昔はこんなに対応が早かったっけな。 時が流れるのがとても早く感じられるが、もうトリノの会場は雑草がぼうぼう生えていたりして…って、まだパラリンピックがあったね。 ぼくとしてはまだオリンピックネタでひっぱってもらっていいのだが。いまだに荒川選手の演技をビデオで見たりしているし。でも、それじゃ不都合なことがいっぱいあるんだろうな。 イナバウアーの話も聞かれなくなって、日本全国の稲葉さんもオリンピック前の状態に戻ったかな。
2006.03.07
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昨日もどこかでマラソンをやっていたみたいだが、これからはそろそろ暖かくなってくるので、ジョギングするのに丁度いい季節になりそうだ。 最近サボり気味だが、週末だけはなんとか走るようにしている。ぼくは大体4~5kmをゆっくり走っている。体力がないのでゆっくりしか走れない。 ランニングの雑誌では、長い距離をゆっくり走るトレーニングのことを“LSD”と少しドキッするような名称でよんで、時々特集を組んだりしている。Long and Slow Distanceの略だったかな。少し狙いすぎのネーミングのような。たしかに走れば気分はよくなるけど。 LSDとくれば、やっぱりドラッグだろうし、もしくはビートルズ・ファンなら“Lucy in the Sky with Diamond”だろう(ちょっと古いか?)。たしか当時この曲もドラッグとの関係が取り沙汰されたんじゃなかったっけな。たしかに変わった雰囲気の曲。 走っているとシューズがすり減ってくるが、ぼくの場合は、右足のかかとの外側がすぐに削れてくる。左足はまんべんなくすり減ってくれるのだが。我流だから妙な走り方をしているんだろう。 シューズを買ったときの箱を捨てきれずに本棚の上に5個くらい積んでいる。適当に積んでいるので、いつかの地震のときに落ちてきた。ケガをしないうちに処分せねば…。
2006.03.06
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少し前に『ホーキング、宇宙を語る』という本を古本屋で105円で買ってきた。この本は、その店には4冊置いてあった。いまさらとも思ったが、105円につられて手に取ってしまった(定価1600円)。 内容はというと、ビッグバンやブラックホールなどについて相対性理論や量子論の成り立ちなどを交えながら記述されてあった。 で、一応最後まで読んだが、内容はかなり難しかった。ホーキング博士の方針として数式はほとんど入れずにわかりやすく説明したとのことだが、それでも物理がわかってないとこれはわからんやろと思うところが沢山あった。この本が古本屋にたくさん置いてあった理由がわかったような気がした。 巻末には、過去の大物理学者の人となりが記されていたが、ニュートンは性格が悪いみたいなことが書いてあったのが面白かった。 もうちょっとやさしめの本が欲しいと思ったがなかなか見つからない。でも105円で難しい本が手に入るのは、ある意味ラッキーかも。 それにしても105円だと、定価で買い物したくなくなるな。
2006.03.05
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きのうBSで映画『フォレスト・ガンプ』を見た。前に少し見たことはあったが、今回はハマって見ることができた。 主演のトム・ハンクスはもちろんよかったが、きのうは、脇役でフォレスト・ガンプの上官“ダン中尉殿”を演じた俳優さんに目がいってしまった(名前を知らない、失礼!)。この人は『アポロ13』にも、トム・ハンクスといっしょに出ていたと思うが。 フォレスト・ガンプをにらみつけるときの恨みや憎しみのこめられた表情が迫力があった。こういうキレた人格を表現できる俳優は尊敬してしまう。 ところどころに流れる60~70年代のロックやポップスもよかった。やっぱりジミヘンはいいと実感。 1回目に見たときにも、CGで作られたジョン・レノンとフォレスト・ガンプがテレビ番組で会話をするシーンを凄いと思ったが、2人の会話の内容が“イマジン”の歌詞になっていたのは昨日気づいた。ボーっとしてちゃいけませんな。 アメリカ映画には銃を扱うシーンが結構あるが、そのときに銃を触る“カチャカチャ”という音がやたら耳につくと前から思っている(きのうも同様)。他にも指が紙を触る音とか。 映画の音声はほとんどアフレコだとどこかで聞いたが、その効果のためだろうか。 以前CDショップで、効果音のCDを見つけたが内容を見ると、車や工事現場の騒音など以外に、大根を切る音やキュウリを切る音とかまであって思わず笑ってしまった。
2006.03.04
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ブログを始めてから、家にいるときにパソコンに向かう時間がかなり増えたと思う。 少し前までは、もう携帯だけにしてパソコンは家になくてもいいかなと思っていたが、今はそんな考えはなくなってしまった。ちょっと依存気味かもしれないが。 ブログの前にもインターネットには掲示板があったが、誹謗中傷オンパレードみたいなものが多かったので、しばらくして見なくなった。 その点、ブログにも悪口はあるが(ぼくも書くが)、ちゃんと理由が書かれている場合が多くて、従来の掲示板よりは比較的建設的な批判になっているような気がする。自分で自分のブログを荒らしても面白くもなんともないだろうから、自然にこうなるのかな。 それでも時々変なコメントとかトラックバックをつける不届き者がいるが、本当にご苦労なことだ。 ブログを通じてクラシックギター関連の貴重な情報を得ることできたし、自分と同じような考えを持っている人がいることがわかるのはうれしい。また、マスコミや企業とかと一般の人との考え方のズレがわかるのも面白い。 ブログは面白いのだが、パソコンを見てると目が疲れやすい。液晶画面なのにな。本を読んでいるときとは明らかに違う。パソコンからなんか出てるのかな。
2006.03.03
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ぼくは長崎に住んでいるが、熊本のテレビ局も映る。民放はそれぞれ4局で、計8局を見ることができる。 放送している番組は、東京の放送局のものを流しているので内容は重複しているが、CMは長崎と熊本では少し違うようだ。 なぜか長崎の放送ではパチンコ店のCMがない。パチンコ店自体は結構あるのだが。長崎ではパチンコ店のCMは流してはいけないという条例でもあるのかな。 それに対して熊本の放送では結構ながれている。CMではなぜか西洋人の女の人が踊っていたりして、パッと見では何のCMか分からない。ギャンブル色の排除にかなり気をつかっているいるようだ。そういえば少し前からパチンコと言わずに、パーラーとかアミューズメントなんちゃらとか横文字を使っている。 CMというと長崎では少し前までは、20年くらいやっていた奈良漬けの超ロングランCMがあったと思うが、今は見かけなくなってしまった。“シュッポ、シュッポ、十一(といち)の奈良漬け”というやつだが、長崎の人にしか分からないだろうなぁ。 最近、保険のCMで“アルプスの少女ハイジ”を使ったものがあるが、無垢で純粋なハイジを商売の世界に引きこむのは、少し複雑な気持ちがする。
2006.03.02
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若い子たちがメールで絵文字を使うのを見て、ぼくは最初はあまりいい印象を持たなかった。“もっとちゃんとした日本語を使うべきだろ”とか思っていた。 でも最近はちょっと考えると絵文字も漢字と大してかわらないのではと思うようになってきた。 “人”という字は人間の形をしているし、“川”という字は水が流れる形をしている。漢字も最初は絵文字みたいなものだったということか。漢字は難しい言葉で象形文字と言うんだっけ(違うかな?)。 何千年か前の人が文字を作り始めたときと同じことを若い子たちはやっているのかもしれない。しばらくしたら絵文字の中から新しい漢字が出てくるかも。漢字にはなっていないが、ほとんど市民権を得ている絵文字もいくつかあるようだ。 ある決められたデジタルな文字から、絵を作り出すというアナログな行いをするのがとても面白い。ぼくみたいにギリシャ文字とかは物理とか数学に使うものとかしか考えない頭の固い人間にはできない発想だ。まだ使ったことはないが、そのうち使ってみるか。 巷では、黒くスミ塗りされたメールが本物か偽物かで騒いでいるが、黒く塗られたところから絵文字でも飛び出してくれば、少しは面白い展開になったのになあ。
2006.03.01
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