仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.03.05
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カテゴリ: 宮城
仙台・宮城の気風の根拠を、藩政時代の他と異なる独特な行政体制に求める考えもあります。

そこで、何が独特だったのかを整理。

1 五貫文制の踏襲
 百姓人頭一人前の持ち高を五貫文(50石)の土地までに制限
2 知行地
 家臣に知行で土地を与えた。家臣(給人)には拝領地(給人前)と在郷屋敷を与えるが、城下にも屋敷を与えて、参勤交代のように交互に住まわせた。
3 五公五民
 多くの武士を在郷に住ませ、知行地を管理させたが、農民から五割の税を徴収した。

特筆すべきは、2の知行地の制度。藩から俸禄を受ける「蔵米取り制」をとらず、拝領地を耕作させて年貢を徴収する「地方知行制」を幕末まで改めなかったのは、全国的には少数である。新田開発の促進を意図したのだという。確かに、奥州仕置きで会津や米沢を失ったが、やがて実質百万石の豊かな藩となった。



支配する側からは、地方知行制は都合がいいが、直轄経営しないことから慢性的な歳入不足に見舞われた。また、武士も農民も土地にしがみつくため、世の中の動きに鈍感になる。新しい空気に触れることがない。伊達の血縁や有力家臣を、一門、一家、一族に分けた家格制度の厳しさもあるが、とにかく根強い保守の気風が生まれたというわけだ。





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最終更新日  2006.03.05 08:06:32
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