仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.03.15
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カテゴリ: 東北
前回の記事で、市名は重複を避けるよう調整されるルールについて記した。
伊達市が打ち破った先例 (09年3月14日))

その時に気になっていたのが、会津若松市だ。今は北九州市の一部となった旧若松市との関係から重複回避だったのだろうと予想したものの、これだけ由緒ある都市だけに、九州の若松市より後に成立するはずもないとも考え直し、記事に記載は止めて、心の中に保留していた。

そこで、今回整理します。

■会津若松市(市の 公式サイト から)
 明治32年 市制施行「若松市」 福島県最初の市である。人口30,488人
 大正6年 若松駅を会津若松駅と改称

 昭和30年 7村を編入合併。「会津若松市」と改称
■旧若松市
 明治22年、若松村が誕生、同24年町制施行
 明治39年 石峰村と合併し、(新設)若松町
 大正3年 市制施行「若松市」
 昭和6年 島郷村を編入
 昭和38年 小倉、八幡、門司、戸畑の各市と合併。北九州市(若松区)となる 

従って、大正に九州の若松市が成立した時点で、既に会津の若松市が存在していたことになる。昭和30年の会津若松市スタートで、併存は終わることになるが、おそらく重複の回避を配慮したよりも、会津の大同合併という意識で主体的に会津の名を冠したのではないかと思われる。

なお、旧自治省の例のルールを明記した次官通達が出るのはこの後であるが、もともとそのような指導がされていたのだろう。

ところで、北九州市の方だ。私は、20年ほど前に、あるクイズで北九州市誕生のもととなった5つの市をスラスラ答えて驚かれたことがあるが(自慢でスミマセン)、東北人でもそれくらい判ります、でももし「いわき市」新設の際の対象市町村を挙げよ、と言われたらどうしようもなかったデス。

■関連する過去の記事(いわき市誕生の経緯)
いわき市の誇りは永遠に (07年4月26日)

北九州市は、旧五大市に次ぐ政令指定都市の地位を、県内の福岡より先に獲得している。昭和30年代の北九州。40年代には、札幌、川崎、福岡。50年代の広島。だいたい10年置きに指定都市が誕生しているから、そんな感覚の記憶として、高校生の頃から、北九州市を構成した旧5市の名前もついでに知っていたわけだ。その後、昭和60年代に仙台が指定(施行は平成元年)、平成に入って千葉市と続くが、その後はもうよく順番も判らない。岡山市も来月から施行だそうで、随分増えたものだ。

さて北九州市だが、市名の決定に際しては、「西京市」が住民公募の第一位だったそうだ。いかにも、九州初の指定都市、近代の日本を牽引した工業地域の再興などの意気が込められた名称だと思うが、結局は公募第二位の現名称となった。北九州工業地帯の名称などが定着していた背景があるのだろう。

ひるがえって、会津若松。上記の歴史で見ると、大正6年に「会津若松駅」改称した経緯がある。北九州の若松駅は明治20年代に設置されており、会津の若松駅は明治32年の開業(岩越鉄道)だから、やや遅れている。推測だが、旧国鉄は全国的に同一名称の駅が重複しては料金計算などで支障があるから、旧国名を冠するなどの対応を進める方針とし、岩越鉄道国有化(磐越西線)の後に、先に開業した若松駅(九州)は存続させ、こちらを大正6年に会津若松駅と改称したのではないだろうか。

昭和30年の会津若松市の誕生には、会津の連帯意識があったとは思うが、背景の一つとして、会津若松駅の呼称が定着していたことがあったのかも知れない。だとすれば、その意味では、重複調整ルールで九州側が優先された結果だ、と言えなくもない。





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最終更新日  2009.03.15 09:09:27
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