仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.11.23
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カテゴリ: 仙台
中山道(なかやまみち)は、仙台城下と根白石を結ぶ街道で、根白石街道とも。ぬかるんだ急な坂道には、根白石の人々が地区に分けて道普請を割り当て、枕木を敷き、砂を入れて、大事に守り育ててきた。

藩政中期頃までは、仙台方面には、現在の早坂下橋を渡り、東へ500メートルほどの戸平山(現在の北中山)を通っていた。これが急な坂で、「這い坂」と言ったのがいつしか「早坂」となったという。この周辺は切り立った断崖が続き、早坂峠も中世の山城の城郭の一部であった。昭和3年にバスが開通したときに早坂峠ではなく、七北田経由だったのも、中山道の険しさを示す。

ところで、根白石から仙台に行くには、3つのルートがあった。

1つは、中山道(根白石街道)としてよく知られる、実沢早坂下橋から中山峠、判場、菊田町、北山羽黒神社を経由して城下に出る道で、仙山線根白石踏切のあるルートである。

第2に、新道と呼ばれるもの。蒜(ねぎ)屋敷前から七北田川を渡り、六堂屋敷を通る。早坂下橋を通らずに、現在の六堂屋敷橋のルートだと思われるが、この橋は何度も洪水で架け替えられた。主に実沢の人たちが使ったルート。現在の南中山と長命ヶ丘の両町堺あたりを通って、川平に出た辺りから北環状線沿いに南下して(おそらく現在の青葉区と泉区の境界線どおりでないか)、第一の中山道に合流する。

第3には、古内道。根白石から、実沢古内(柳澤寺)、泉館山高校、明成高校、滝道、荒巻本沢から、旧来の道と合流して北仙台又は北山に入るルート。根白石や実沢など各村の人々が道路普請に従事して開拓した道路。粘土質で少々の雨でもぬかるんだため、天候に合わせて利用していたという。現在でもバス通りとして残っている道路が、おおよそそれなのだと思われる。

■参考
 『根白石』新しい杜の都づくり泉区協議会発行、1997年
この本は、大正や昭和初年に生まれた地域の方々の経験談などをもとに書かれています。そのため、当ジャーナルの記事リストとしては、近現代の区分にも整理いたします。


忘れられた宿場町 根白石(09年11月4日) (奥州街道について)
中山(なかやま)道を考える (09年3月25日)
中山道のむかし (09年3月23日)





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最終更新日  2009.11.23 09:07:45
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