仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.11.09
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カテゴリ: 宮城


信徒会の会長さんが説明してくれた。

米川が殉教の地であることを知り、1954年小林有方司教が布教に入る。1955年には集団洗礼で311人が受洗。体育館を貸してくれた中学校も偉かったし、受洗を許した大慈寺の和尚さんも偉かった、と会長さんは語った。

寄附により建てられたこの教会は1957年の落成。

集団洗礼を受けた人たちは、やがて就職して出て行った人が多い。今でも何人か当時の方がミサに集まる。また、フィリピンから来たお嫁さん達が子どもと一緒に訪れるのだという。

皆さん、踏み絵を迫られたらどうしますか。生きることを選ぶでしょうか。自分は殉教しても妻子は改宗して生き残れ、と思うでしょうか。でも当時の人たちは喜んで死を選んだのです。自分は何度か信徒をやめようとも思ったが、ここまで信徒でやってきたんですよ、と明るく話してくれた会長さんだった。

歴史を積み重ねて、その町がある。国道を走り過ぎたことは何度もあるが、降り立ったことはなかった。ここにはここの大事な歴史がある。秋の山あいの里は美しかった。





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最終更新日  2010.11.09 22:36:40 コメントを書く


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