仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.07.23
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カテゴリ: 東北
生没年不明だが、生誕地は雄勝郡福富荘桐の木田(湯沢市小野字桐木田)で、出羽国郡司として京から赴任してきた父(小野篁の息子とも)の子とされる。

湯沢市サイトの 説明 によると、大同4年(809年)の生まれ。幼時から、歌や踊り、琴、書道と上達し、13才の頃には父とともに上京し都の風習や教養を身につける。小町は容姿と才能から、女官中比類なしと称され、その歌は六歌仙、三十六歌仙に残されている。小町36才の時、望郷の念やまず宮中を退き小野の里へと帰郷。庵を造って静かに歌を読み暮らしていた。

都からやってきた深草少将に対し、疱瘡を患っていた小町はすぐに少将と会おうとせず、高土手に毎日一株づつ芍薬を植え、百株になったら御心にそうと返事をする。少々が毎日一株づつ植えては帰り、いよいよ100日目の夜、秋雨の続いた後の柴橋とともに少将は流されて死んでしまう。小町は深い悲しみに暮れ、少将の亡骸を森子山(現在の二ツ森)に葬ると、供養の地蔵菩薩を作り向野寺に安置し、芍薬には99首の歌を捧げた。少将の仮宿だった長鮮寺には板碑を建て回向し、その後岩屋堂に住んだ小町は世を避け92才で亡くなったといわれる。

堂々たる世界三大美女の歴史舞台がわが東北にあるという訳だが、もっとも、そうカウントするのは日本人だけだろう。

ちなみに、伝説に依拠しているだけにゆかりの地も全国に点在する。東北でも、福島県小野町(生誕地)、米沢市小野川温泉(小町が開湯)、大崎市(小町の墓)がある。

大崎市古川新田夜烏(東大崎小学校、県農業大学校の付近)の墓碑は、故郷の出羽に帰る途中病に倒れた小町を、里人が手厚く葬ったものという。





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最終更新日  2011.07.23 09:07:22
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