仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.08.23
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カテゴリ: 仙台
玉蟲左太夫は仙台藩最後にあって、世界の大勢を知る数少ない先覚者だった。

戊辰戦争の後の明治2年4月には、戊辰の若手の活躍者だった玉蟲左太夫、安田竹之輔、若生文十郎、栗林五郎七郎、斎藤安右衛門などが会津討伐の勅命に反したとの理由で牢前で切腹させられる。当時の仙台藩には、世界を知る者が少なかった。わずかに玉蟲左太夫や大童信太夫などであった。
(佐々久『近代みやぎの歩み』宝文堂、1979年 から要約)

左太夫は万延元年御欧米使節団に従者として渡米し、帰途は大西洋を回って世界一周を果たした。その見聞録『航米日録』は左太夫の見た当時の世界を実直に記すとともに、仙台藩士左太夫が日本社会を省みる鋭い洞察が伺えて、大変興味深い。

■玉蟲左太夫(山本三郎訳)『仙台藩士幕末世界一周 玉蟲左太夫外遊録』2010年、荒蝦夷

山本氏は左太夫の5代目の子孫に当たる方。養賢堂に学び、義を重んじ、純粋に藩の行く末を考え抜いた真の武士としての左太夫の生き様が浮かび上がるかのような著作だ。現代文に翻訳したという意味で訳者とされているが、左太夫の功績と才覚、そして有為の人材を失わしめた仙台藩の出遅れぶりを現代の世に問おうとする山本氏の情熱も強く感じられると思う。大変おもしろい本だ。

原典である『航米日録』は、日米修好通商条約の批准書交換の公式使節団に、正使新見豊前守正興の従者として、米軍艦ポーハタン号で渡米した際の記録である。山本氏の本を拝読して、特に左太夫の開かれた眼と、日本社会を批判するすばらしさが感じられるところを、以下に抜き出してみた。
(帰国後の仙台藩における活躍や戊辰戦争との関係など、さまざま書きたいこともあるが、後日に譲る。今回は渡米の記録に見える左太夫の慧眼ぶりを記したい。)

(1) 司令官が艱難辛苦を部下と同じくすることに感心



そして、『航米日録』のうち公式記録は第7巻までで、第8巻は公表すべきでないとして本音を述べた部分とされているのだが、その第8巻では、艦長自ら船上に出て夜を徹して水夫と労働を同じくして、恩賞も速やかなことに感心している。もし艦長が傍観し部下にだけ苦労させたり、また功労があったも自分の意に会わない者は賞さないようでは、部下が必死になって努力することはないだろう。日本のような礼儀作法には薄が、艱難辛苦、吉凶禍福を部下と同じくし身分の上下なく報奨を速やかにすることが、緊急の時に全員身を忘れて努力する所以で、米国の盛んな理由もここにあるだろう、と。

公式記録には書けなかった本音だが、素直に外の文化を評価できる眼が素晴らしいと感じる。そのまま現代組織の上司の在り方にも、まったく通じるものがある。

(2) 小事に拘る一行の気風を嘆く

陪臣の中でも身分の低い左太夫は、飲食の世話や食器洗いをしていたが、ある日、一行のなかに冷や飯に不満を鳴らし、暖かい飯でないと受け取らないという者が居たことに、第8巻で慨嘆している。

今回の渡米は我が国開闢以来未曾有のことで、彼国で我が国の威厳を示すのが第一。ことに船上はいつ万里の波濤で危難に遭うかも知れぬ。食事など些細なことで関わる暇など無いはず。だいたい飲食はみな御上からの賜物で一粒たりとも粗末にできるものでない。平生は一汁一菜に過ぎず、我が家ではその費用を惜しんでいるくせに、ここに来てにわかに贅沢な言を発して美味を好むとは何事か。万里の波濤を渡り来たれば、たとえ身分が上の者でもいくら貯えがあるというのか。万一危難に遭い日数が長引いたら何を食べようと言うのか。ましてや日本魂を持つ者ならば外国に来てまで小事に拘るべきではない。陸に上がってもこれに準じてこのような恥辱をさらせば、開闢以来の快事も、かえって不快となる。今回は従臣といえどもその人物を選択された上で来ているのではないか。

このことを外国奉行定役を勤める人に話したところ、私(左太夫)の話を聞いて大いに嘆息した。下級の従臣のみならず上級の役人までもが終日飲食のことを考えており、その下の者は当然それに倣い、実に嘆かわしいがそのことを口に出せば(上司から)かえって災いを受けることになるため黙っているしかないのだという。嗚呼、こんなことが分かったら米国人から笑われるだけで慨嘆に堪えない。

(3) 見当はずれの心配をする上層部を嘆く

これも例の第8巻に書いてあること。米国人士官が帽子に何か書いて欲しいと、左太夫に手真似で頼んできた。左太夫は、一つには、天下英雄有幾人と、もう一つには、一王千古是神州、と書いて喜ばれた。ところが、しばらくして役人某に呼ばれて、一王千古の句を書いたことを確認され、今度は御奉行の耳にまで達したらしく、用役から「アメリカは共和政治の国なのに一王千古の句を書くなどは、アメリカの気に逆らい大患が生じる端緒となるかもしれない。また帽子は極めて貴い物でみだりに文字を書くなど失礼であり、これがため万が一もめ事が起きては御奉行の面目を失うから、今後決して筆を執ってはならぬ」と叱られた。

書いたからと言って大患の端緒となることなど有り得ない。しかも我が国を卑下するのは御上に対して恐れ多く、いかに米国が強国であっても何事も逆らわず言いなりになるのでは、ますます彼らはのさばりはびこって我々をさげすむ事になるだろう。最近すでに兆しがあるが、我が使節団の多くは挙って彼らを持てはやし、少しもその意に逆らわず、たとえわが国の恥になることも何事もなく安全に帰国さえ出来れば本望とだけ思い、万事彼らにこびへつらってばかり居る様は見るに忍びない。私(左太夫)は一介の書生に過ぎないので事情には疎いが、これを思うと涙で袖をぬらすのだ。

左太夫はこのように記した。強者にその場限りのゴマをすることより、むしろ自ら誇りとするところを堂々と開陳することこそ互いを理解し、他者の理解と敬譲につながるのだろう。何だか今の日本外交を見るようだ。



以上、おだずまジャーナルなりに、何か所かの非常に興味深いところを拾ってみたが、とにかく左太夫の先覚ぶりには驚かされる。そして、そのような先人があった事実を、その時代の東北政策や仙台藩の選んだ進路とともに、現代に生きる私たちも十分に知るべきだろう。






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最終更新日  2012.03.18 16:18:30
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