仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.10.18
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カテゴリ: 宮城
塩竈市役所発行の住民票などの市名表記はすべて「 塩竈 」である。常用漢字の「なべ、かま」の意の「釜」ではなく、旧漢字の「竈」(かまど)である。

市内をみると、国鉄の市内4駅はすべて「釜」、塩釜警察署、塩釜保健所、塩釜郵便局、塩釜電報電話局など。市役所の電話帳表記も、塩釜市役所だ。

市は昭和57年異例の市名表記アンケートを行った。分かりやすい「釜」に統一すべきだという論と、由緒ある「竈」を残すべきとする派とが、相半ばし、これまで通りの併用で落ち着くという結果となった。ただし、市民1500人を対象にしたのだが、回答は42%どまりで、必ずしも議論は弾まなかった。変更派は若者や転入組、擁護派は中高年という色分けが辛うじて出来たくらいで、暮らしへの影響は「不便を感じない」とするものが「感じる」を大きく上回った。

市は、現状で支障なしとし、従来通り公文書は「塩竈市」、ただし塩釜と表記した文書も受理する併用として、市名変更は行わなかった。

ところで、いつから「塩竈」なのか。市の資料では、昭和16年市制施行時に内務省令で正式に採用された。直前の町時代は「 鹽釜 」で、明治初年の村当時は「 鹽竈 」だった、とされている。わずか1世紀の間に表記だけがクルクル変わった。

実はここに塩釜の歴史的な「いわく」が隠されている。市史は、塩釜の地名発祥は製塩の故事により、その起源は多賀城創建以降のこと、とする。つまり、朝廷が住民の順撫策として殖産事業の製塩をこの地に指導普及させるため、御釜神社を創建したという。御釜神社はいま塩釜神社の末社に加えられるが、創建当時はまったく関係のない独立神社だった。ここを中心に集落全体に製塩業が広まり、各家庭から塩を焼くかまどの煙が立ちこめるようになった。創建当時は国府津と呼ばれた集落も、この風情から塩竈と呼ばれるようになった。

の中にの部分)に(2)所有者を明らかにした旗( の字のような部分)を立てて(3)兵士( )が守る、という成り立ちの「 」と、かまどの多い場所を示す「 」をあわせた「 鹽竈 」なのである。塩釜神社はこの文字を踏襲し、正式社名としている。

市制施行時の市名表記もこの故事にならったとされるが、ただ「鹽」は塩の旧字体だから、「塩竈」となった。また57年の釜竈論争も、結果的にこの伝統を尊重し、常用漢字にはない「竈」を市の象徴として存続することになった。

■朝日新聞仙台支局編『宮城風土記3完』宝文堂、1987年から

■塩竈市ホームページの 解説
(この説明によるとアンケートは昭和56年7月とされています。)


宮城・悩みの地名あれこれ (07年6月9日)
塩竃の花火大会 (08年7月21日)(市名表記と神社名)





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最終更新日  2011.10.18 23:08:47コメント(0) | コメントを書く
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