仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2012.10.28
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カテゴリ: 東北
判官堂(義経神社)

紫波町赤沢。源義経が神として祀られている。

赤沢地区には、義経に関する伝説がいくつもある。平家から逃れて平泉にやってきた義経はひそかに赤沢で暮らしながら馬や弓の鍛錬をしていた。鍛錬を終えて水を飲むために立ち寄った井戸で娘と知り合い子ができた。その子孫が、現在判官堂を所有する家に住んでいるという。義経が飲んだ井戸は今でも水がわき、義経が使ったとされる弓なども、そのゆかりの家には残されている。

白山神社

赤沢地区には白山神社もある。延暦22年(803)坂上田村麻呂が蝦夷を鎮めるために建立したと伝えられる。神社の麓には鎌倉時代末期に建てられた石碑が並んでおり、そのひとつが藤原経清の母の墓と言われる。藤原経清は前九年の合戦で安倍頼時の娘婿として朝廷側と戦い敗れて処刑された。そのとき甥の遠山師重は経清の母と赤沢へ落ち延び、母はここで亡くなった。経清の子が、のちの奥州藤原氏初代清衡である。

樋爪館(ひづめのたち)(比爪館)、五郎沼

12世紀ごろ志和郡(紫波町、矢巾町、盛岡市都南地区から厨川付近)を治めた樋爪氏の居館跡。始祖は清衡の4男清綱といわれ、その子俊衡が志和郡を治めることとなったときに姓を樋爪と改めた。砂金と馬などで平泉藤原氏を支える重要な地方政庁としての役割を担った。館は文治5年(1189)頼朝の奥州攻めで俊衡と泰衡がみずから火を放ち焼失。

■高橋克彦・荒俣宏『荒俣宏・高橋克彦の岩手ふしぎ旅』実業之日本社文庫、2012年
 (2010年6月同社単行本を文庫本化)





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最終更新日  2012.10.28 07:34:36 コメントを書く


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