仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2012.11.08
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カテゴリ: 仙台
安永3年(1774)の「風土記御用書出」の田子村の部に、宮城郡陸方田子村の村名の由来がある。

これによると、往古は海辺で多湖の浦と称した。読人しらずの古歌として紹介されているものがある。

あまた度君か(が)こゝろをみちのくの多湖のうらしま恨てそ(ぞ)ふる

またもとは池や湖が多く「多湖」で、文治5年頼朝が平泉攻略に来た折、多湖明神に詣でて西方を望んだところ、多湖の満々と水を湛えている様子を見て、駿河の田子の浦に似ていたところから、多湖を田子と改称したという。

仙台藩士佐藤信要の「封内名蹟志」には多湖浦島と記され、よく芋を産す、味美にして名物と伝えている。なお、よみ人知らずの古歌の下の句が異なっている。

あまたたび君か心をみちのくのた湖の浦島うち見てぞゆく

村の鎮守の多湖明神社は明治6年に二木神社と改称し村社となった。

田子は現在七北田川沿いは住宅地となり、西側は広い田園地帯。往古の多湖の浦を偲ぶことは難しい。

■参考 木村孝文『宮城野の散歩手帖 榴岡から蒲生までの史跡を訪ねて』宝文堂、1999年





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最終更新日  2012.11.08 06:49:11
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