仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.02.09
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カテゴリ: 東北
鳥海山は東北第一の高峰。古代は大物忌神の鎮座する神山(みわやま)とされたが、不思議なことに中世以降いつのまにか鳥海山とよばれるに至った。

山には13ほどの登山口があるが、象潟登り口はかつて小滝口と称し、自然地理的には山の正面に当たり、中近世は鳥海修験の一中心をなしていた。名曾の白滝がここにあるが、この滝は奈曾川沿いの渓谷がつきて川が平地に出る境目にかかるところ。奈曾川は鳥海山の八合目付近、鳥海の神の奥の院とよばれる岩間の御滝に源を発する。このことから、奈曾川こそが鳥海の神が、これを下って下界や海に出、また登って山頂に帰るお成り道だったと思われる。

実は鳥海の神は川を進む竜神と考えられ、奈曾の滝は下界に降り立つところだったのだ。そこで、神を迎える小滝の修験たちの神事は竜の舞だった。大物忌神と称されていた山神が、いつのまにか鳥海の神の名でよばれるようになるのも、実はこの竜神の舞に基づいていたのだ。

小滝に残る古代舞楽、チョウクライロ舞というのがその生き証人である。

チョウクライロの意味は従来不明とされてきた。古代舞楽の「陵王の舞」と「納蘇利の舞」をあわせ演ずるもので、「陵王」は中国で正確には蘭陵王といい、その王は長恭という人だった。チョウクライロとは、長恭蘭陵王(チョウキョウランリョウオウ)の意味だったと思われる。チョウクライロウオウというのが正しい(蘭陵王は羅陵王とも書かれる。羅はライと読む)のだろうが、チョウキョウランリョウオウの訛りと言っても良い。恭は和音でクになるから。

ところで、陵王の舞とは本来南方アジアで始まったもので、もとは竜のよろこびを表す舞とされ、それで竜頭の面を付けることとなった。陵王というのも竜王の意味を込めたものだ。

陵王・納蘇利の舞は古代舞楽の代表で由緒ある古代の寺社仏閣で広く奉納されるが、鳥海山では、山自体が竜王の山と信じられていたから特別の意味を持っていた。その証拠に、中世にはこの山を竜頭山と、山神の大物忌神の本地仏(神の本になる仏)をまつる神宮寺を竜頭寺といっている。鳥海山では初夏の奈曾川渓谷沿いに雪渓がみられるが、地元では竜が胴をくねらせ頂上に登る姿という。

奈曾川の名と納蘇利の舞の関わりも考えないわけにはいかない。納蘇利の舞は竜王の舞の答舞で一体で奉納されるもの。竜頭と胴体がセットに捉えて、山頂は竜王(陵王)、川は納蘇利、その縮小表現が奈曾だろう。

チョウクライロ舞を奉納する人たちにとっては、チョウクライロの神こそは、政治の神である大物忌神であった。これに対して人々が祭事の神としてよぶ名はチョウクライロになっていったと思われる。これがチョウカイになり、鳥海と書き表されるようになった。






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最終更新日  2013.02.09 17:39:36
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