Q輔とU子と「不妊治療」 0
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十八歳の頃、僕は、夕方の五時から十一時まで、呑み屋横丁にある居酒屋でアルバイトをしていた。 著しい景気の後退が深刻だ、このままでは日本は終わる、などとテレビは連日騒ぎ立てていたが、僕等の暮らしの端々に、まだその影響は全く感じられなかった。店は相変わらず満席で、その為バイトの時給は高かく、毎晩まかない飯をたらふく喰えたし、綺麗なお姉さんが来店すればカウンター越しに電話番号を聞けた。未成年の飲酒の取り締まりも緩い時代であったし、何かと好都合なアルバイトだった。「おお、キュー、俺だ、俺だ、俺がやって来たぞ」 ある晩、父が突然店に現れた。今年の初めに母と離婚した父の顔を見るのは久方ぶりだった。僕がこの店で働いていることを人づてに聞き、わざわざ呑みに来やがったのだ。 傍らに連れが一人いた。漫画に出てくるホームレスそのものだった。ヘアースタイルが完全にボブ・マーリーだった。そのボブの風体と異臭で店は騒然となり、大半の客が即座に帰った。「店長、すみません、あいつ、僕の身内です。お恥ずかしながら、父です。今すぐ追い出します」「こらこら、何を馬鹿な事言っているの。君の大切なお父さんだろ? そして、私にとっては大切なお客様。ほら、通常通り、接客、接客」 店長が、細かくちぎって丸めたティッシュを鼻の孔に突っ込みながら、僕に優しい言葉を掛けてくれる。店長はとてもいい人だ。「おい、ちょっと、お父さん、その人――」 こっそり耳打ちをする。「おお、彼か 彼は俺のベストフレンドだ!」 カラカラと笑った。二人にお通しとおしぼり、それから生ビールの中ジョッキを出す。父は焼き鳥と砂肝注文し、ボブは鳥皮串のみ、五人前も注文した。ボブは歯が前歯一本しかなく、ヌルッとした鳥の皮を、次々と飲むように食している。「キュー、俺のちょっとした自慢話を聞いてくれ。俺は今の会社に世話になってたったの半年で、作業員宿舎の食堂のテーブルの、奥から三番目の席で飯を喰っているのさ」 カウンター越しに串を焼きながら父の話を聞く限り、どうやら父は今の建設会社で異例の出世を遂げているようだ。作業員宿舎の男たちは、食堂で飯を喰う時のテーブルの席順が、イコール縦社会の順列になっているらしい。部外者にはピンと来ないが、恐らく誇るべきことなのであろう。 父の出世の要因は、「ヒト拾い」の才能を買われてのことだった。父の勤める建設会社は、その日の労働力が不足する時は、毎朝名古屋市中村区の通称「笹島ドヤ街」に日雇い労働者を集めに行った。ひとえに労働者といっても、その半数は要するにホームレスの方々で、父はそのホームレスの扱いがとても上手かったのだ。 ホームレスの中には、社会のいたずらですっかり心の腐敗しきった者が多く、寄せ場にたむろする彼らに対し、強面のヒト拾いが高飛車な態度で「おい、薄汚い乞食ども、仕事だ、さっさと車に乗れ」と怒鳴っても、付いて来る者はいない。 作業中もあまりガミガミ指導をすると、ドヤ街から遥かに遠い現場でも、昼の弁当だけ喰って、日当も受け取らず、いつの間にかトンズラをしてしまう。 そんな連中から父は異常なまでに人望が厚かった。父がぶらりとドヤ街を歩けば、ハーメルンの笛吹きが町中の鼠を集めるかのように、有り余る程ホームレスを連れて帰ってくる。会社がその類い稀な能力を重宝したのだ。 早朝にドヤ街を訪れる。「番頭さん、いらっしゃい。さあ、食べて。さあ、呑んで」 ホームレス達が、父をもてなそうと正体不明の固形物や液体をふるまう。すると父は、その場に腰を下ろし、何とそれを、彼らと一緒に呑み喰いする。「腐っているか否かの見極めが肝心だ。あたると三日は動けねえ」 ホームレスたちをエアーガンで撃って遊ぶガキども見つけ次第、鉄パイプを振り回して追い払う。「痛いぞ~、あれ」 いや、撃たれたのかよ。「寒波の朝にホームレスを揺り起こしても動かないときは、後々警察に根掘り葉掘り聞かれると面倒だから、指紋を拭いて逃げるのさ」 おいおいおい。「ドヤ街を歩いても野良猫やカラスが逃げず、彼らとただの風景と化せた時、その時こそ、ヒト拾いとして一人前よ」 人として、どうなのだろう。二人に二杯目の中ジョッキを出す。「今夜は彼の送別会なのさ」 父が隣のボブを親指で指差す。伸びた爪の間に土木現場の泥が詰まっている。ちゃんと手を洗えよ、汚らしい。「彼は元々大阪の西成という街の出身で、流れ流れて名古屋に来たらしい。彼は俺の現場で本当によく働いてくれた。でさ、ある時『君の夢は何だ?』って尋ねたら、『いつか大阪に帰って、もう一度、ダダ犬を連れてリヤカー引きたい』と言った。 俺さ、その夢叶えてやろうと思ってさ、明日、車で彼を大阪に置いてくる。本当は餞別にダダ犬もリヤカーも持たせてやりたいけれど、俺にはそこまでの財力はないから、大阪に送り届けるだけで精一杯だけどな。ごめんな。そして、ありがとう。本当に今日までありがとうございました」 父が隣のドレッドヘアーのホームレスに深々と頭を下げている。ホームレスは社会の落伍者だ。中には罪を犯して逃げている奴がいる。結核などの感染症を患っている奴もいる。何より彼らは駅や公園を不法占拠している現行の刑法違反者だ。目の高さを同じにするな。必要以上に優しくするな。馴染むな。溶け込むな。て言うか、ダダ犬ってどんな犬だよ。 ホニャホニャホニャ。ボブが父に何か話しているのだが、歯が一本しかないからか、元々まともにしゃべれない人なのか、僕には彼が何を言っているのがさっぱり聞き取れない。ところが父はボブの話に何度も深く頷きながら、最後には感極まって泣き出してしまった。不思議だ。彼の言葉が、父には届いているのだ。ねえ、お父さん、よく彼の言葉が聞き取れるね。「いや、俺だって半分以上は彼が何を言っているのか聞き取れてはいないけどな。うーん、何だろうな、上手く説明できないけど、心から分かり合いたいという強い気持ちさえあれば、相手が歯の一本しかないホームレスだろうが、言葉の違う外国人だろうが、動物だろうが、宇宙人だろうが、案外通じ合えるものさ。うん、俺はそう思う。一事が万事、つまりはそういうことさ」 ラストオーダーまでしこたま呑んだ父のお会計を、僕がレジで済ませる。店長に申し訳ないと思いつつ、こっそり値段をまけてやった。「俺にも夢がある。借金を全部返して、もう一度お母さんにプロポーズをするのだ」 去り際にそう云い残すと、父はボブと肩を組んでのれんの向こうに消えた。店の扉を半開きで出て行ったので、それを閉めに行くと、ボブだけがふらりと店内に戻って来た。ホニャホニャホニャ。アルコールで真っ赤になったボブが何やら真面目な顔をして話しかけてくる。やっぱり上手く聞き取れない。 明日故郷に帰るホームレスが、何かを伝えようとしている。 彼の言葉が無性に聞きたくなった。 あなたとお話がしたい、心からあなたと分かり合いたい。 そう強く念じて耳を澄ませたら、聞こえた。本当に聞こえたのだ。 お店に入れくれて、ありがとうございました。 優しくしてくれて、ありがとうございました。 あなたは、お父さんにそっくりです。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.08.18
先日、長女の一人部屋設置の為、書斎を追いやられてしまった僕ですが、 一応このように、別の部屋に机だけは死守しました。 僕は、ここでブログなどの、趣味の執筆をします。 仕事場でもそうなのですが、机の上にやたらと物がある状態が苦手です。 机の上が散らかると、頭の中も散らかります。 なんかこう、頭の中にハツカネズミが走り回っているようで、ワチャワチャするのです。 ちなみに、これは今朝の長女の机。「片付けなさい」と注意をしても「触らないで。描いている最中だから」と言って聞く耳を持たねえ。 親の欲目ながら、個性的な絵を描く長女ですが、いやはや、それにしたって、これはどうなの? こんな状態で、よく描けるな、おい。と逆に関心をしてしまう。 ついでに、これは、妻の竹細工の作業場。 普段は、綺麗好きで、几帳面で、潔癖症の妻ですが、創作中は、ご覧の通り。 足の踏み場もありゃしない。……次女の机。 う~ん、特にこれといった創作活動をしている訳ではない筈なんすけどね。 なぜ、こんなに散らかるかね? 君は、あれかね、机の上でズボンを脱ぐのかね? まあ、しいて言うなら、最近は自らを作品として見たてているご様子で、 髪型にこだわったり、お化粧の真似事をしたり、多彩なマニュキュアを塗りたくったりしておられます。 小二ながら、女子力無限大の次女姫です。殺人現場かよ! なんかもうすんげーカッコでボディーケア中のウリちゃんの画像を眺めながら、本日はここまで。 それでは皆様、よい家曜日を。 にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.06.12
土曜日に無事に運動会も終わりました。GS姉は6年生なので小学校最後にしても早い!早すぎる!!子供の成長はマッハですな話は変わってちょくちょく出てくる竹大物を作るべく材料作りを再開まだまだ初心者ゆえ焦らずゆっくり丁寧にを心がけて材料をこしらえます。竹の材料作りは結構大変で腕が痛いし身体はバキバキになるし編み始めても編目に酔うし1人前になるには竹割り3年、編み8年。なーんて言ったりします。これ毎日やっての話だかんねー(ひーーーー)でもさぁ編み上がっていくときの愛おしさはたまんない出来上がった時の達成感半端ないそしてもっともっと上手になりたいって思うわけですよ40にして始めた趣味ですがU子の未来は竹で夢いっぱいなのです。その為にも今は修行あるのみ!頑張るぞ!!にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.05.29
こにゃにゃちは。 今日と明日は、Q輔が書きますよ。 あ、さて。 やたら首を傾げる人が苦手です。 あれさ~、結構多くの大人が無意識にやってるけど、悪い癖だと思うよ。 僕はプライベートで友人と飛べる人は、広義に捉えても、かろうじて妻がそれに該当する程度に、実に交友関係に乏しい男であるので、この場合の「やたら首を傾げる人」とは、主に仕事で接する人のことを指すのだけれど。 こちらが何かを説明している最中、説明が終わった突端、無言で首を傾げられるとね、やっぱ、なんちゅーか、説明をしている方はやり切れんね。日々精進だと自分を戒めつつも、正直言ってゲンナリする。「ああ、私という人間はどうしてこう理解力の無い人間なのだろう」と自分自身の愚かさに首を傾げているのであれば、それはもう筋が違えるほど傾げっからかして頂ければ結構なのだが、まあ、十中八九このタイプの人は、相手の説明力であったり語彙力を疑っていますね。 この手のタイプがさらに面倒なのは、逆に自分が誰かに何かを説明する立場になると、今度は自分が説明をしている相手に対して首を傾げるのね。「まったく私がこれだけ丁寧に説明しているのに、なんて理解力がないのだろう」というアピールなのかね。 説明をされる立場では、相手の説明力に首を傾げ、 説明をする立場となると、相手の理解力に首を傾げる。 相手が誰であれ、議題が何であれ、首を傾げている。……ね、そういうことです。申し訳ありませんが、そういうことなのです。 言わずのがなのことであるが「自分は頭が良い」と根拠なき自信を持っている人にこのタイプは多いな。 己の理解力や説明力を少しは疑ってみるという簡単な選択肢がないのだ。だから無意識に相手に首を傾げてしまう。 僕だって何かに疑問を感じた時に、首を傾げる仕草をしている自分に気付くときはありますよ。 但し、人前ではやらないように注意しています。あれ程の「静かなるマウント」は無いと思っているから。 世の中には、何かに疑問を感じた時に、無意識に首を傾げる仕草をする人はいますが、何かを理解しようと真剣に考えている人に、首を傾げている人はいません。相手の説明を何とかして理解しようと努力している人に、首を傾げている人はいません。速やかに答えを導き出そうとしている人は、いつまでも流暢に首なんぞ傾げていないのです。 首を傾げている状態とは、実はその時点では一切の思考をしていない状態。一見してさも何かを考えているように見えますが、ふたを開けてみれば完全なる思考停止状態。ただもう呆けたように「分からない。分からない」と滞っている状態。 要するに「首を傾げている人」は、モノゴトを懸命に理解しようという努力に踏み込むのが、他の者より首を傾げているタイム分、だらだらと遅いのです。 頭が良いとか、悪いとかの問題ではないのです。 相手の説明を速やかに理解しようという努力に踏み込んでいるか、否かが問題なのです。 だから僕はやたら首を傾げる人が、どうしても苦手です。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.05.21
耳かき好きの妻にもてあそばれている僕を長女がスケッチしましたよ……痛いね。……たまらなく痛いのだね。可哀そう!自分が可哀そう!……妻よ、もう僕をもてあそぶのはおやめくだされ。 今日は楽しい雛祭り。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.03.03
実は、義父の体調が芳しくありません。 現在義父は病院と自宅を行ったり来たりしながら闘病をしています。 ふと、過去にここで義父のことを書いた日記があったのを思い出しました。 この度、多少修正したものを、再投稿させていただきます。 まあ、こちらの心情的な都合ですが、まあ、あの、よろしければ読んで下さい。「娘さんを僕に下さい」 娘たちが、カワイイてしゃーない。 コロナ自粛で、けっこー家にいて、ふれあう時間が増えたからかなあ。 あらためて、娘たちが、カワイイのである。 長女、小学校五年生。次女、小学校一年生。 これはちょっと、早いとこ彼女たちに反抗期を迎えてもらって、 さっさと悪態をついてもらって、ガン無視してもらって、 ウザっとかキモっとか吐き捨ててもらったほうが、どうやら自分の為に良いのではないか? このままでは、そのうち娘たちに骨抜きにされてしまう。自分がダメになってしまう。 我ながら、そう心配になるほど、何や知らんけどカワイイのである。 いすれ結婚? どこぞの馬の骨にくれてやる? ないないない! そんなこんなで、最近ちょいちょい義父の気持ちを察するようになったのである。 義父は、僕に負けず劣らず偏屈な人間であるが、 出会った頃、ザ・社会のクズだった僕を、何故かとても寛大に受け入れてくれた。 もしもの話。年頃になった娘たちが、若き日の僕を、父である僕の前に連れてきたら…… ああ、胸が痛い。なんでもいいから錠剤欲しい。瓶ごとカラカラっと飲み干したい。 僕には、とても義父のような広い心はない。 いまだにとても苦手な義父だが、その点で尊敬し、一生頭が上がらない。 義父に初めて挨拶に行った時、僕はフリーターだった。 ちなみに、僕と妻は六つ年が違う。 妻は、高校を卒業したばかり。「ちーっす! 娘さんと結婚を前提につきあっちゃてまあーす! ぽっくん、フリーターさんず! てか、今のバイトも先輩気に入らねーから辞めましたあー! 現在、バリバリ無職どえーす!」 てな感じで、元気いっぱい挨拶したと思う。 その時、義父に、「おま、いい度胸してんな。度胸だけは買ってやる。 おまえに、ひとつだけ、いいことを教えてやろう。定職に就け」 つって、言われて、「んーだよ、定職に就かなきゃ、娘くんねーのかよ。ったく、ケチくせーオヤジだぜ」 つって、内心思って、 その内心が明らかに顔に出ちゃっている僕に向かって義父が、「おい、メシ行くぞ!」 つって、これは罰ゲームかしらんちゅうぐらい、たらふく焼肉を喰わされた。 思えば、義父、心が広かったねえ。 これ、僕だったら、横綱ばりのシコ踏んで、大量の塩撒いて追っ払ったと思う。 しぶしぶ就職した僕は、それから約一年後。「お義父さんのおっしゃる通り、定職に就きました。 さあ、パパさん、娘さんを僕に下さい。ほら、下さい。とっとと下さい」 つったら、義父、しばらく考え込んだ後、「……分った」 つったんだよ。 いやいやいや! 甘いっつーの! 僕みたいなダメ人間に、大事な一人娘あっさりやるなっつーの! いやー、義父ってば、心広いよねえ。 僕なら、戦う! 鈍器のようなモノで、相手にとどめを刺す!「で、式はいつ挙げるんだ?」 なんつって、その後の話の流れで、僕のパピーが聞くから、「結婚式を挙げる気はさらさらナッシングでありんす! だって、僕たち、お金ないんだもーん!」 なんつって、ダディーに元気ハツラツと答えたら、「なめてんのか!」 何だか知らねーけど、先程と打って変わって、すんげー怒られちゃって。「おまえら、結婚は、二人だけのためにするもんじゃねーぞ!」 とか何とか、こんこんと説教されちゃって。「えー、うそーん、まじー? まじっこマジマジー? 式って挙げにゃならんの? だりー。また金貯めにゃならんがや、また働かにゃならんがや、ちょーだりー」 つって、その内心が顔に出まくっちゃってる僕に向かって義父が、「おい、酒呑み行くぞ!」 つって、しこたま飲まされて、僕、べろんべろんになって。 んで、義父が今晩泊まってけっつーから、まだ十代の妻の部屋の、妻のベッドで二人で寝て。 いやー、義父ってば、まじ、心広いねえ。 これ、僕だったら、一晩自分と添い寝の刑だぜ。 さらに二年後。 式の日程が決まったので報告に行った時。「ちなみに、新婚旅行はどこ行くんだ?」 ちゅうから、「新婚旅行の予算は今はないので、式が終わって半年後ぐらいに、ディズニーランドに行こうと思っとります!」「で、で、で、ディズニーランド?」「はい、深夜バスの日帰り格安ツアーで!」 つったら、義父、「情けなくて、涙が出る。かりにも俺の娘の一生に一度の……」 と、途中まで言いかけて、「……まあいい。おい、Q輔、メシ喰え。酒呑め。我が息子よ、今日はとことん俺に付き合え」 だってさ。 そんなこんなで、今に至る。 あの時の義父の、呆れたような、諦めたような、 そして、どこの馬の骨とも知れぬ頼りない義理の息子候補を、どこか慈しんでくれているかのような、 あの表情が、今も忘れられない。 娘たちが、カワイイてしゃーない。 長女、小学校五年生。次女、小学校一年生。 僕も、いつか愛する娘を馬の骨にくれてやる時は、 あの日の義父のようにこれでもかと複雑な表情を、 せめてもの腹癒せに、 メシと酒と共に喰らわせてやろうと思っている。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2022.02.27
昔からよく見る悪夢がある。 夢の中で僕は、右手に鉛筆を持ち、 目の前の紙を見て頭を抱えている。 紙に書かれているのは、算数の問題。 3-5= 額から止めどなく流れ出る。 僕は成す術もなく、計算式を睨み据えている。 小学生の頃から、算数が大の苦手だった。 ちなみに、国語と図工は勉強をしなくても出来た。 算数の中でも「文章問題」や「証明」と言われるジャンルは、比較的出来た記憶があるが、 こと単純な計算問題がまるで駄目だった。 考えているうちに、何が何だか訳が分からなくなってしまうのだ。 計算問題の中でも、特に答えがマイナスになる問題が苦手だった。 何故って? 自慢じゃないが、さっぱり意味が理解出来なかったからだ。 今だに、よく意味が分かっていない。 例えば、さっきの、 3-5= この問題の答えは「-2」。 学校の先生が、これが正解だっつーんだから、正解なのでしょう。 んが、しかし、僕の感覚的には、答えは「0」なの。 3から5ひいたら、視覚的には、物理的には、もう何もない。 ゼロ! 無! むっ! 3-5= リンゴに置き換えて考えてみよう。 え~、リンゴが3個ありましたあ。 3個のリンゴのうちから、5個のリンゴを食べましたあ。 うおおおおお! もう訳が分かんねー! リンゴ3個なんだから、黙って3個喰いさらせ! なーんで5個喰うかね! いちいち奇妙奇天烈な喰い方すんな! え~、こうして、リンゴはマイナス2個になりました。 わーーーい! 迷宮入りだーい! 何? リンゴがマイナス2個ってどーいうこと??? 見せてよ! その世にも不思議なマイナスのリンゴってやつを僕に見せてちょうだいよ! 3から5引いたらひいたら、何も残らねーんじゃねーのかよ! ゼロでしょ! 無! むっ! 気温の、「ー2℃」っちゅーのも、さっぱり分からん。 0℃の向こう側に、気温が「存在する」ってのが理解出来ん。 0℃っちゅーのは、温度が無いってことじゃねーの? んーだったら、0℃も、マイナス2℃も、マイナス100℃も、ゼロでいーじゃーねーか! ゼロ! 無! むっ! 昔からよく見る悪夢がある。 3-5= 額から止めどなく流れ出る。 こ、答えが分からない。 か、か、書けねー。 く、く、く、苦しー。 い、い、い、い、息が出来ねー。 ぬわああ! そして、いつも汗だくになって目が覚めるのである。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚! にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村
2021.12.01
キリストにはユダ。釈迦にはダイバダッタ。なんて言葉が昔からあるっす。 要するにその者に苦難や災いを与える存在のことを揶揄する言葉だ。 裏切り者。背信者。加害者。プレッシャー。ストレス。どうしても相交われない存在。 あなたにとってのユダは何? ダイバダッタは誰? まあ、仕事で、家庭で、友人関係で、そりゃあ、ユダやダイバと相交わらないにこしたことはないが、 だがしかし、あくまで僕のばやい、これまでの人生を振り返ってみると、 自分にとってのユダやダイバが、容赦なく苦難や激務を与えてくれた時期が、 自分の人生の転機や躍動期と重なっているという事実は、これ否めないのである。 人が著しい成長をしている時期って、その周りには何かしらのユダやダイバの存在があるものっす。 ユダは、自分が生涯をかけて漠然と求め続ける答え、その答えを解く算式の手がかりを与えてくれる。 ダイバは、相手に嫌われ疎まれながら、その相手の内面に潜む諸悪をあからさまに炙り出してくれる。 汝の敵に熱烈キッス。汝の敵に心よりの感謝を。 ま、十分に感謝した上で、徹底的に戦えばよい。完膚なきまでにフルボッコにすればよい。 だから僕は、どちらかと言うと、嫌いな人や苦手な人が職場にいても、ごく普通にしゃーしゃーと仕事が出来るタイプです。 ちなみに僕は決して強い人間じゃないっすよ。そもそもは弱い人間の代表みたいなヘッポコ野郎です。 ただし、相手のことが、嫌いだから、苦手だから、仕事が上手く行かないという結果も、そりゃ確かにありますが、 相手のことが、嫌いだから、苦手だから、まったく違う人間だから、距離を取りたい存在だから、 時にとんでもない化学反応で、仕事がすこぶる上手くことがある。経験上そのことを知っているだけです。 故に、そういった優秀なユダやダイバと出会った時は、泣きたい反面、内心ワクワクしている自分がいます。 家庭も同じなり。 軸の部分では絶対に相交われない者同士が協力するからこそ、家庭経営は上手く長く続くのかもしれません。 汝の敵に熱烈キッス。汝の敵に心よりの感謝を。 キリストにユダ。 釈迦にダイバダッタ。 そんでもって、これからも、Q輔にはU子なのであります。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.10.27
長女作。 長女作。 やっとかめやの。ちょ、聞いてちょーすか。きんのうの晩さ、十歳の長女をホステス代わりに、自宅で晩酌しとったらさ、何とは無しに「卵が先か、鶏が先か」っちゅう、どえりゃー哲学的な話題になったでかん。卵が鶏無しに生じ得ず、鶏が卵無しに生じ得ない場合、最初に生じたのは、さあどっちだて? っちゅう因果のジレンマだがや。頭、ちんちこちんになってまうぎゃ。でさ、おみゃーさんは、どう思っとらっせる? って長女に聞いたったらさ、長女のやつ、即答で鶏だっちゅーがや。「君は、何故に鶏が先だと思うのかな?」「だって、卵は、温めてくれる鶏がいないと、ふ化しないでしょう? つまり、卵が先の場合、その卵から鶏を誕生させることは無理。だから鶏が先」 まーかん。信じれん。いっちょ前のこと言っとらっせる。ついこなーだまでオムツしとったガキが何だて。ほんでも、ほやの、おみゃーさんの言う通りやの。わし、不意に腑に落ちたでかん。ほんでも一応大人として、あえて反論しとったろかしゃんと思って、わし、あえて反論しったったんだわ。「でも例えば、その卵を温めるのは、必ずしも鶏でなくてもいいよね。ふ化させるのは、たまたま他の動物でもいい。たまたま人間でもいい。更に言えば、温度、湿度、外敵から身を守る環境、自然界で奇跡的に自力でふ化出来る条件さえ揃っていれば、鶏も他の動物も人間もいらない。故に卵が先であるとう可能性も、これ完全には否めない」 うっひょー、言ったった―! 大人としてバシッと論破したったー! つって、わし、焼酎あおって悦に浸った。ほしたら、長女のやつ、ちゃっとわしの目え見て、こう言わっした。「じゃあ、パパの考えを聞かせて。卵が先? それとも鶏が先? さあどっち?」 だもんで、わし、苦し紛れにこう答えた。「卵はヒヨコの前、鶏はヒヨコの後。現段階で少なくともこれだけは真理だと言えるね」「パパずるい!」 ほーや、パパはずるー生き物だで。信じれーん。今頃気付いたんきゃ? 遅すぎーん? 長女作。 長女作。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.09.29
今日は久々に会社まで徒歩で通勤した。片道一時間十五分。なかなかの運動である。それから、午前中は古い日本家屋の床下に半日潜って這いつくばって漏水調査。服も顔もパッフパフに埃まみれになった。飯時(めしどき)。いつになく腹が減っていた。いつもの昼めし、妻が握ったおにぎりひとつではとても足らないので、帰社がてらたまたま現場の目の前にあった業務用スーパーに立ち寄って、カップラーメンを買うことにした。会社に帰ってポットでお湯を入れて食べようと思ったのだ。 平日の昼間だというのに、その店はとても繁盛していた。業務用スーパーなので他の客は漏れなく大量の食材をガゴいっぱいに入れてレジに並んでいる。そんな中、僕は見たことも聞いたこともない怪しげなメーカーの、超安価なカップラーメンをひとつ手にして、レジの行列に並んでいた。何も恥じることはない。カップラーメンただひとつとはいえ客は客。お客様は神様だ。俺様は神様だ。他の多くの神様に紛れ、そう静かに強がりつつ、でもやはり、何だか居たたまれなかった。 78円です! レジのお姉さんが、大声で少額を叫ぶ。……なんかもう、すみません。100円玉を一枚トレイに置く。12円のお返しです! やめてよもう。なぶらないでちょうだいよ。そんな慈悲無きラリーの後、僕はレジのお姉さんに乞うた。「あの、すんません。お箸下さい」「かしこまりました。お箸は一善でよろしいですか」「は?」「お箸、一善で、よろしいですか」「……はあ、一善でよろしいです」 レジのお姉さんから一善の割り箸を貰い、それを超安価なカップラーメンの上に添えつつ、僕はその業務用スーパーを出た。 帰社するまでの運転中、僕は熟考した。僕は先程のレジのお姉さんの言葉が妙に引っ掛かり、考えているうちにホットプレートがじわじわと熱を帯びるように、だんだんと腹が立ってきた。 カップラーメンただひとつを購入の際に「お箸を下さい」とお願いしたのだ。したがって、お箸は一善に決まっているではないか。何でじゃ。何であえて僕にお箸の数を聞いたんじゃ。僕、そんなに割り箸を欲しくて欲しくてたまんねー顔をしていたか。それともあれか、あのレジ打ちはあれか、僕が家に帰って腹を空かせた家族と一緒に一杯のカップラーメンをむさぼり喰うとでも思うたか。一杯の掛けそばじゃねーぞバカヤロー。埃にまみれた薄汚い作業着の僕が、そんなに貧乏ったらしく見えたんか。78円のカップラーメンを一個だけ買いに来るような客には、お箸を二膳三善と進んで恵んでやれってか。会社に帰った。下駄箱の横にある姿鏡の向こうに、埃まみれでカップラーメンを手にしたみずぼらしい中年男が一匹立っていた。思わず、お箸をもう一善、恵んであげたくなった。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.09.27
車に興味がない。 車種ごとの名前と価値に極めて疎い。 麻雀、トランプ、花札、ルールを知らない。 競馬、競輪、競艇、やらない。 宝くじ、買ったことない。 株、投資、仕組みが分からない。 パチンコ、スロット、不毛に思う。 草野球、フットサル、やらない。 サーフィン、スノボ、やったことない。 ゴルフクラブを握ったことが無い。 アウトドア、興味あるけど、莫大なお金が掛かりそうで怖い。 ファッション、十代はかなりこだわったが、今は興味無し。万年ジャージとステテコ。 美容院、行かない。自分でバリカンで丸刈りにしている。 スナック、キャバクラ、生理的にどうも苦手。 酒の席、本当は苦手。 グルメ、妻の作った料理が好き。 高校の卒業式、面倒くさいから出なかった。 成人式、面倒くさいから家で寝ていた。 同窓会の類、出席したとこがない。 結婚式、身内だけの地味婚。 新婚旅行、結婚して半年後にギュウギュウ詰めの深夜バスで日帰りディズニーランド。 友人、極めて少ない。 親戚付き合い、ほぼ無し。 テレビゲーム、子供の頃やってすぐ飽きた。 インターネットゲーム、やったことない。 テレビ番組、妻が録画したバラエティー番組を観る。 野球、サッカー、一試合最後まで観れたことが無い。 収集癖、無し。 物への執着、無し。 金への執着、無し。 クレジットカード、無し。 レジでやたら聞かれる何たらカードの類、一切持たない。 インターネットで買い物をしたことが一度も無い。 海外、行ったことがない。 行きたいとも思わない。 おま、生きてて楽しいか? おま、もうちょい、がんばれよ。 内なる僕が、僕に言う。 お前もがんばれよ。 内なる僕に、僕が言う。にほんブログ村↑ポチッと一枚!にほんブログ村にほんブログ村にほんブログ村
2021.09.26
僕は、高校を卒業してから、長らく定職には就かなかった。どのアルバイトも長続きしなかった。何しろ当時の僕は、ネジくれた自意識と斜に構えた感性が大いに邪魔をして、人にこき使われて労働するということを、極めて惨めで馬鹿々々しい敗者の行為であると信じて疑わなかったのだから。 この頃、僕の両親はすでに離婚していて、姉も妹も自立して家を出ていた。低所得者や社会的弱者が優先的に入居できる住宅に、僕は母と二人で暮らしていた。母は父と離婚するまではずっと専業主婦だったが、離婚後は食べて行く為に必然的に働きに出た。この時期、母は近所のスーパーの総菜屋でパートをしていた。母は仕事でどれだけ辛いことがあっても、子供の前では決して涙を見せない、といったタイプの女性で全然なくて、仕事で嫌なことがあれば、家に帰ってから僕に散々愚痴を言ったし、辛いことがあれば僕の前でボロボロ涙を流した。店長が厳しい。周りのパート仲間に馴染めない。悩みの種はそんなところだった。そんなに辛いならさっさと辞めてしまえばいい。べつに強制労働させられている訳じゃなかろう。と僕は万年フリーターで家賃や生活費の援助など一円もしていない自分を豪快に棚に上げて、堂々と母に助言した。 その日も肉体労働のアルバイトを、何となくダルいので無断で休んで、家でゴロゴロしていた。昼時だし腹が減ったし、せっかくなので母が働いているスーパーに行ってみた。母が働いている職場を見たくなったのだ。僕はショーケースにコロッケやカラアゲや焼き鳥串などが並んだ総菜屋の店頭で働く母を発見した。何やらカウンターの隅で店長らしき男性に厳しく指導されているようだ。母は校長室の壺をうっかり割ってしまい、教師に懇々と叱られている生徒のように下を向いて立ち尽くしていた。母に見つからないように店頭に近づき二人の会話を聞く。「何度も言ってるけど、声が小さいんだよ。そんな小声じゃあお客様に届かないよ。言いたかないけど、覇気がないの。ほら。もっと元気出して。ほら、頑張って」「……すみません」 その後、母はショーケースの前に立ち、これまで子供の僕が母から聞いたことのない大声で、「コロッケ揚げたてでーす! 揚げ出し豆腐特売でーす!」 と店の前を行き来するお客に叫び続けていた。店内のパートのオバちゃんたちが、和気あいあいと会話している中、母だけが孤立しているようにも見えた。僕の母は、いつもそうだが、どの風景にも上手く馴染めない厄介な存在感があった。 母のこんな姿を見たくはなかった。悲しかった。切なかった。かと思えばだんだん腹の底から怒りが込み上げてきた。あの、すみません、僕、この者の息子ですけど。この人ねえ、もともと人前でこんな客商売を出来る人ではないのです。本当は家で静かに本でも読んでいたい人なのです。せめて厨房でコロッケにパン粉をまぶす係りとか、裏方に回してやってもらえませんか。て言うか「適材適所」って言葉知ってます? よっぽどそう店長に文句を言ってやりたかった。 夕方になった。 その日に限って、いつもより早く母が帰って来た。 「今日、お店に来てくれたんだね」 ちっ。ばれていたか。てか、母は自分のあんな惨めな姿を息子に目撃されて恥ずかしくはないのだろうか。いつもなら母は閉店まで残業をして、売れ残った商品が廃棄扱いになるところを見計らい、たくさんの総菜を持ち帰ってくるのだが、この日は何やら様子が違った。何だかご機嫌だった。「パートのみんながね、今日ぐらい早く帰りなさいって残業を変わってくれたの。それから、店長がね、これ、息子さんに食べさせてあげてって、プレゼントしてくれたの」 母は、揚げ物袋に入ったわらじカツを一枚取り出した。わらじカツとは、その名の通りわらじのように馬鹿でかいトンカツのことだ。「一応ケーキも買ってきたからね」 なるほど、そう言われて気が付いた、その日は僕の誕生日だった。「みんな優しかった。うれしかった。また明日から頑張らなくちゃね」 そんなことを自らに言い聞かせるようにぶつぶつ呟きながら、母は晩飯の支度をウキウキと始めた。「ほら、触って! まだ温かい!」 母がわらじカツの入った袋を僕に触らせる。本当だ、まだ温かい、揚げて間もないのだ。ホカホカしている。これまで廃棄後の冷たいわらじカツしか食べたことがなかったので、僕も素直にテンションが上がった。「本当だ! 温かい!」「ね、温かいでしょう!」 この温度が、大人たちの世界なのだ。 僕はそう思った。 袋を破った。 わらじカツにコーミソースをぶっかけて、十九歳になった。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.08.15
夏のボーナスが出でました。ボーナスが出ると、月の小遣い二万五千円とは別に、通常二万円のお小遣いが妻から僕へ支給される。ここ十年程変わらぬ金額で支給していただいております。言い換えれば、ここ十年程家計が破綻することなく、逆にすぶこぶるバブリーになっているわけでもなく、勤め先の安定した経営が維持されている証拠であろう。うん、きっとそうだ。そういうことにしておきたい。人は生きている限り水を飲み排泄をする。我が給排水設備業に不景気なし。うん、ほんとそうだ。マジそういうことにしておきたい。兎にも角にもこのご時世にまったく有難い話だ。 毎月お小遣いをもらっても、僕には特別欲しいものや、特別大金を必要とする趣味もないので、毎月コンビニで無駄に飲み食いしたり、部下に昼飯をおごったり、家族に大量のアイスを献上したり、月末にお金が余ったら家族に晩飯をおごったりして、我ながら見事な無駄遣いをして使い切ってしまう。自分の小遣いを貯金したことは生涯一度もない。昨日は娘二人と本屋に行って、長女に昆虫図鑑、次女にお勉強のドリル、僕は小説を二冊買って、合計で5千円ほど支払った。妻には常々「あんた、金欲とか物欲とかないの?」と呆れられる。あと小学一年生の次女に買ってやったお勉強ドリルが、よく見たら2歳児向けのもので、妻にすこぶる呆れられてしまった。とほほ。 僕は毎月給料が出ると、明細の額面をさっと確認して、あとの処理の一切を妻に任せてしまう。妻の家庭の経営方針に文句を言ったことはない。保険や貯金の管理も全て妻の判断に任せている。僕はただ働いて妻に給料をパスする機械だ。ちなみに、その昔妻の実家の義父が個人的な銀行通帳を持っていて、その金額を何故か義母に教えたがらず、義母も別段知りたがらないという事実を知った時、僕はやや強めのカルチャーショックを受けた。そんな他人行儀な夫婦がこの世に存在することに驚いたのだ。ところが、よくよく社会経験を積んでいくと、そんな夫婦はざらにいて、生活費、生活習慣、貯金、仕事、家事の分担などを、まるでシェアハウスで友人と同居するような独立した関係で分担し、理想的な共同生活を続けている夫婦がいるということを、今更ながら知ったのである。 そんなスタイリッシュな夫婦の関係に、一瞬たりとも憧れたことがないと言えば嘘になるのであるが、まあ、僕と妻には土台無理な話であろう。何しろ僕たちは、お互いがお互いに依存しきっている。僕と妻、二人の偏った能力をかき集めてやっと、かろうじて一匹の社会人が成立しているという事実を、お互いが嫌というほど知っている。仕事や家事の役割分担も、五分五分という訳にはいかない。極めて不平等だ。お互い得意不得意が激しいのだ(特に僕に問題がある。てゆーか全て僕に問題がある)。まったくもって情けない話である。 僕たちのような夫婦にとって、昇給は二人にとって一つの喜びで。災害は二人にとって一つの恐怖で。ペットの死は二人にとって一つの悲しみで。子供の成長は二人にとって一つの楽しみなのだ。僕たちはひとつ屋根の下、二人で一つの生活をしている。テーブルの上の小さなグラスに至るまで、個々の所有物らしきものはない。今のところ二人の眼前に広がる世界は一つだ。僕たちもこれから夫婦を続けていく中で、世界がパックリと二つに割れる、いつかそんな瞬間が訪れるのであろうか。いや、もちろん離婚とかそんな極端な話では無くてね。あくまで人生観の話ね。うーん分からない。どうなのだろう。ちょっとあり得ないかなあ。 正直いって、ひとつ屋根の下、二人で二つの生活をする夫婦の方が、そりゃあ人生は充実していると思う。二人でいる時間も、本質的には一人の時間だ。二人の旅で見る景色も、本質的には独り占めだ。愛する者とたまたま夫婦という形態をシェアしてるだけで、本質的に自分の人生は自分のものだ。どんな喜びも楽しみも二等分の僕たちのような夫婦に比べて、きっと各段に人生は楽しいであろう。まあ、その代わりに、僕たちは苦しみも悲しみも確実に二等分なのであるが。詰まるところ夫婦のカタチは、夫婦それぞれ。自分らに合ったカタチを見誤らないことが重要かなと。いつも一緒にいるというオシドリの雄雌も、一緒にいるよりすべがないから命がけで一緒にいるのではないでしょうか。オシドリ夫婦とは、そんなどうしようもない男女の一形態であると、僕なんかは思うのです。七月二十日で四十七歳になるっす。にほんブログ村↑ポチッと一枚!そんなQ輔に騙されたU子のルーム↑
2021.07.18
今週は日曜日に出勤するので、今日はその振替休日。貴重な平日の休みを利用して平針(運転免許試験場)で免許の更新をしてきました。ゴールドっすわ。更新手続きは思っていたよりスムーズに進み、午前中には帰宅することが出来た。今、リビングのテーブルでこの日記を書いている。 毎朝庭のアサガオがきれいだ。春先に次女が学校から貰ってきた種を花壇にバラバラっと撒いたら、狭い花壇を我が物顔で陣取っているトマトやゴーヤの隙間を掻い潜るように蔓を伸ばし、見事に咲いでみせたでかんがや。授業での観察を終え次女が小学校から持ち帰った鉢の方も、毎朝美しい紫色を開花させている。 まるでシマリスの鼻くそのように小さいあの種の、どこにこんなきれいな花が隠れていたのだろう。シマリスの鼻くそなど見たことないくせに、美しい花を愛でながら、僕はしみじみ思うのである。 そもそも種とは、命ある生物体なのであろうか。それとも種の段階ではただの無機質な物質なのであろうか。ねえ、種って生きているの? 死んでいるの? 僕がばら撒いたのは命のカタマリか? それとも命以前のカタマリか? 古い地層から発見された一万年前の植物の種が芽吹いたって本当? まるでダンゴムシのフンのようにちっぽけなあの種の中に、どんな精巧なトリックが仕込まれているのだろう。ダンゴムシのフンなど見たこともないくせに、そんなとりとめのない種明かしを、ただ何と無しに試みる、僕というカタマリがここにいるのである。 そして、アサガオの種を撒いてやったのではなく、まるでアサガオに種を撒かされたあの日のように、こうして活字を入力している、あるいはさせられているのである。 遠くで雨雲がうねうねと蠢いています。 それでは、これから妻と二人で、岐阜タンメンを食べに行ってきます。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚!
2021.07.14
いい加減に自分の顔を好きになってやろうかな。最近鏡の前でそんな風に考えるようになった。四十六年間休むことなく自分の顔として働いてくれている、君の健気な顔じゃないか。労ってやれよ。歩み寄ってあげなよ。幼い頃からずっと邪険に扱われてきた自分の顔の身になってみろ。ぼかあ、顔が不憫でなりませんよ。そんな風にまじまじと自分の顔と向かい合えるようになったのである。 自分の顔が好きで好きでたまらない、そんな人はいるのだろうか。そんな生粋のナルシストに僕は今まで出会ったことはない。僕はずっと自分の顔が嫌いだった。色白で、下膨れ、張り出した前頭葉、オランウータンみたいに鼻より前に出た唇、髪の毛一本の質にいたるまで、漏れなくコンプレックスであった。 二十代の僕は 四六時中オドオドしたり、目玉をギョロギョロさせてまわりを警戒していた。鏡の向こうにいる、白い、むくれた、不健康そうな、挙動不審の、病名はよく分かんないのだけれどな何かしらの患者っぽさを醸し出している、そんな自分の顔が大嫌いだった。 三十代の僕は、四六時中イライラしていて、目玉をギラギラさせてまわりに攻撃的だった。鏡の向こうにいる、白い、むくれた、不健康そうな、挙動不審の、禿げかけの、罪名は分かんないのだけれど何かしらの罪人っぽさを醸し出している、そんな自分の顔が大嫌いだった。 そして四十代も半ばを過ぎた現在の僕は、昔と何も変わることなく四六時中オドオドしたり、イライラしている訳でありますが。ただし鏡の向こうにいる、白い、むくれた、不健康そうな、挙動不審の、見事に禿げ散らかった、そんな自分の顔の中に、かろうじて「責任」の輪郭を見つけられるようになったのである。このバカタレ、責任ある顔つきになってきやがった。なんて時々鏡の向こうを褒めてやるのである。四十代の面構え。うむ、よく見たら思っていたより悪くない。褒めてやると、顔のやつも、何だか喜んでいますよ。 これから先、五十代の顔、六十代の顔、七十代の顔へと、自分の顔がどの様に変化していくのか、今はまだ皆目見当も付かないけれど。ただなんつーか、自分よりお年を召した方たちが、長き人生において多くのことを「片付けた顔」っつーか、「まとめた顔」っつーか。そういうイカしたジジイたちの面構えには、今から密かに憧れてちゃってる僕なのであります。うしししし。にほんブログ村↑ポチッと一枚!密かに更新してます。妻のルーム。
2021.07.10
裸眼という言葉を知らなかったのです。裸の目。眼鏡もコンタクトもしていない目。ずっと裸の目の当事者だったので、何気に知識がなかったのでしょう。実は先月から眼鏡なるものをかける生活になりました。もうね、テレビ観てても、演者の顔がぼやけて誰が誰だか分かんないのよね。道路標識も、結構近くまで来ないと判断できねえ始末なのね。眼科で診てもらったらさあ。裸眼でも生活できるレベルですが、眼鏡をかけることをお勧めするレベルでもあります。とのこと。んじゃあ、ってんで、眼鏡フルライフ。かけたりかけなかったりは、逆に目を悪くするなんて話も聞いて、四六時中かけっぱなしフルライフ。僕の眼鏡は妻が選びました。貴方は丸眼鏡以外かけてはなりません。だって私の好みなのだから。とのことで、いつもの様にいつもの如く、僕に選択権はありぁあせん。鏡の向こうに江戸川乱歩。ふと、人生の手慰みに、小説でも書いてみようかなんて、思ったりして、すぐに忘れて。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.04.14
僕のとある知人女性に、お孫さんが生まれた。その女性は僕より三歳年上で、今年五十歳になる。はやっ!その報告を聴いた時、感覚だけで一瞬そう面食らったが、よくよく考えたら、いたって自然な計算が成り立つ。その女性が二十代前半で出産し、その子が二十代前半で出産すればそうなる。知人のご両親は、まだ七十代前半という若さで、ひ孫の顔を拝めるという。嬉しいだろうなあ。知人は、若くして離婚をして、女手ひとつで娘二人を育て上げ、いろいろと大変だったと思うが、はやくに子育てを済ませているので、現在は悠々自適な毎日を送り、孫まで授かるに至っている。兎にも角にも、おめでとうございます。さて、僕はといえば、長女を授かったのは、三十五を過ぎてから。次女にいたっては、四十の時。仮に次女が大学に進学したとすると、卒業する時、僕は六十を過ぎている。孫?・・・なっげえ。いやはや、健康って財産だなあ。僕の健康、イコール現金だ。あははは。僕等ぐらいの歳になると、ぼちぼち同世代各個人の健康状態に大きな差が出始めるっすね。心身の何かしらの不調で、働きたくても働けないという人の噂を耳にすることしばしばっす。もうこうなってくると、最終的には健康こそが、持って生まれた才能ってやつではないかとすら思える。もちろん才能は努力ありきですが。ちなみに、僕がもっと早くに子供を授かりたかったかというと、うんにゃ、そうでもない。まあ、すべては結果論で、今だから言えるし、幸いにして子を授かったから言えることではあるのだが。僕は、ある程度人生経験を重ねた上で子を授かることが出来たことは、本当に有難かったと思っている。妻はどう思っているか分かんねーから、あんま勝手なこと言えねーんだけども。んーでも仮に、妻と結婚する前や、結婚して間もない時期の、あの精神状態の極めて未熟な頃の自分に子供があったとして、僕が人並みの子育てや労働をし、妻の望む給料を家庭にパス出来たかというと、うーーーーむ、我ながら、いささか怪しい。あはははは。あと、同じく今だから言えるが、正直「毒親の連鎖」っちゅうのも、個人的にはすんげー気にした。自分に潜む、いらない血、壊れた血、ダメな血が、怖かった。自分の子を自分は愛せないのではないか?という不安があった。今では笑い話だが。分かる人には分かると思う。僕たちは、なかなか子供を授からなかったが、その十年に及ぶ妻との二人きりの生活のなかで、この心は、かろうじて成人した。夫婦二人であったので、家庭を顧みず、馬鹿みたいに働くことも可能で、子供が生まれた時には、金銭にさほど苦労は無かった。あの日々のおかげ。あの日々よ、ありがとう。この世のあらゆる問いは、必然的に解に向かう。すべてのコトガラは、あるべくしてそこに立っている。そういうことです。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.04.11
桜の頃も、終わりの頃。迫りくる太陽の季節を前に、日に日に高ぶるアチキの想い。聞いてくださる?アチキ、キャンプに行きたい!なんかね、ちょっとそこのコンビニで肉まん買ってくるぐらいの感覚で、ぶらりとキャンプにお行きなさるアクチブなご家族のブログとか見てるとさ、まじ大自然サイコーって思うわけえ。水は冷たい火は熱い。夜は暗いし虫は痒い。夏は暑いが木陰は涼しい。そんな当たり前のことを、ぜひ子供たちに体験さねばと、パパっち焦るわけ。イオンとか、ららぽーととか行くとさ、アウトドア用品店をウロウロしながら妻といつも悩むのよね。テントから何から、初心者がグッツを一式揃えたら、いったいいかほど掛かるんかしらんとか。大金掛けて購入したものの、すぐ飽きちゃって、ドブ捨てだったらどうしようだとか。逆にアウトドアに泥沼の如くハマっちゃって、仕事どころじゃなくなっちゃって、その挙句、事実上の野宿生活に陥ったらどうしようだとか。うおおおおお、キャンプに行きてえ!おら行きてえだよ!だって行てえんだ!・・・でも怖い。なんかね、何度イメトレしても、脳内ですでに大惨事。木漏れ日の下、家族で和気あいあいとテントを張る。まあ、毎度毎度ここまではいいんだけどね。ここから僕の想像の中ではいつも、どこからともなく飛んできた一匹の蛾が、害虫恐怖症の妻の顔面に止まる。閉所恐怖症の次女が、テントの中で常軌を逸する。暗所恐怖症の長女が、夜中に情緒不安定になる。そこからともなく聞こえるオオカミの遠吠えが、徐々に遠吠えじゃなくなる。風音や虫の音や草木の擦れる音から、いるはずのない異形の世界の住人の言葉を汲み取る。「ここに何しに来たやがった、呪ってやる、末代まで祟ってやる」「おい、旨そうな人間だぜ、喰っちまおうぜ」嫌ああああ!来るんじゃなかった!来るんじゃなかった!キャンプなんつぇえええ!もうね、行く前から、後悔しかない。イメトレなんだから、こっち都合でハッピーエンドでいいのにね。とっほほほおおお。ああ、キャンプ。ねえ誰かアチキを連れてって。憧れの。大自然の。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2021.04.07
バレンタインデー。妻がチョコレートを作ってくれました。・・・うわあ。お惣菜?マグロの角煮?女子力ひきーなオイ。大変美味しゅうございました。さて。あなたのご両親は、終活をしていますか?また、あなたは終活をしていますか?このブログでも何度も触れていますが、僕の母は交通事故で、ある日突然死にました。あなたの両親が、ある日突然亡くなったら、あなたは先ず何をどうしますか?また、あなたがある日突然死んでしまったら、あなたの家族は先ず何をどうすると思いますか?今回は、母が突然亡くなって、当時の僕がオロオロと困り果てた体験談を書きます。俺っちのブログなので、言うまでも無く以下はあくまで俺っちの私見っすけどね。すんませんが、よろしければ、ご参考までに。事故当日未明、警察での遺体の本人確認は、僕が一人で行いました。父は健在ですが、早くに母と離婚しており、戸籍上は他人だからです。その日、警察の遺体安置所で母の本人確認をするや否や、速やかにその場から遺体を引き取るよう、警察に指示されました。ええ、引き取っれって言われても、今から家に連れて帰る訳にもいかねーし、どーせいっつーの?オイラ、ちょっくら、今日は一人で家に帰って、明日の朝あらてめて出直したいっす。つったら、警察官がキッとした表情で「今すぐ。速やかに。」つって譲んねーの。なんかね。決まりみたい。待ったナシ。・・・あの、すんません、こういった場合、遺族のみなさん、どーされてます?オイラ、恥を忍んで警察に訊いたっつーの。そしたら「みなさん、故人が互助会に入ってる葬儀屋に連絡しています。すぐに遺体の引き取りに来てくれます。」とのこと。さて、ここで【困ったその①】母が、互助会に入っているのか?いないのか?入っているならどの葬儀屋なのか? お恥ずかしながら、さっぱり知んねー。もう埒が明かねーから、警察にタウンページ借りて、「ここから一番近い」というざっくりとした判断基準だけで、とある葬儀屋に連絡。いやあ、おでれーた。速い速い。待ってましたとばかりに、一時間後には引き取りの車が来た。後で調べた結果、母は互助会などには入っていませんでした。葬儀会場に着いたら、さっそく通夜式・告別式の打ち合わせに入る。主にセレモニーの内容・費用に関する細々とした決定を、矢継ぎ早に迫られる。ここで【困ったその②】葬儀をどれほどの規模にするべきか?どんな葬儀を母は望むのか?どんな葬儀であれば、母がお世話になった人たちに納得してもらえるのか?生前に、それとなーくでも訊いときゃよかった。僕は、個人的には家族葬で送り出したかった。んが、母の事故を知った知人のアドバイスなどに半ば押し切られる形で、結局は一般的な葬儀を執り行った。もし、母が家族葬を強く望んでいたなら、僕は故人の意思に背いたことになる。さらに【困ったその③】どの宗派で送り出すか、その場で決定しなければならない。あなたは、ご自分の家系の宗派を即答出来ますか?また、故人がその宗派での葬儀を望んでいると言い切れますか?戸籍上僕の親権は母にあったが、母も僕も父の苗字を名乗ったままなので、この場合、父の家系の宗派で送り出すのが正しいのかな?または、母方の親戚が大勢来るわけだから、母の実家が代々信仰している宗派で送り出すべきなのか?はたまた、母は生前とある新興宗教に入信していたので、やはりその宗派で送り出すべきか?ただし、僕はその宗派の教義に個人的にどうしても首を傾げるところがあったので、正直それは避けたかった。だから、母の実家の宗派で送り出したいと、葬儀屋の担当者に僕の希望を伝えた。しかし、その担当者に、一般的な傾向や後の様々なトラブルなどを交えて熱心に説得され、結局、母が生前信仰していた宗派で執り行うことが無難であるという結論に至った。長女が封筒に書いた絵。 日に日に画力がスゴイ説。さて。なんぞかんぞで滞りなく葬儀を終えると、翌日からは遺品整理や住居撤収の準備を進めていく。そん時【困ったその④】当たり前の話だが、母も突然交通事故なんかで死ぬとは思ってないので、貯金、借金、年金、保険関係、新聞、牛乳、その他諸々のお金の出入りについて、第三者が一目すれば分るように整理されたメモは、どこにもなく、探偵が事件の手掛かりを探し、謎を解いていくかのように、すべて自力で解読していかねばならなかった。正直この作業が一番難攻し、時間がかかった。とどめの【困ったその⑤】お墓がない。生前の母に、自分の墓を買うお金なんてなかったし、僕も買ってないし。母の実家を頼るにせよ、母の実家は尾張名古屋からは遥か遠い、房総半島最南端、千葉県館山市。仕方がないので、別れた夫である僕の父にお骨をあずけ、懺悔の意も込めて父が死ぬまで手元供養させることにした。父が死んだら、僕が責任持って二人を同じ墓に納めるつもり。裏側もこの通り。何か模写してんのかと思ったら、オリジナルらしい。ちなみに、こんなドタバタな状況の中でも、今思うと、なかなかのファインプレーだったと思う事柄を二つ報告しておきます。【ファインプレーその①】母の銀行口座の凍結を避けた。原則として故人の銀行口座は、たとえ親族といえど、第三者が勝手に引き出し出来ないように凍結されてしまいます。誰かの勝手な引き出しによる遺産トラブルを避ける為というのが理由です。凍結解除の手続きには早くても二週間。長いと半年ほどかかる場合があるらしい。もちろん葬儀屋や市役所から、銀行に故人の個人情報が送られるわけではありません。何故凍結されるかと言うと、親族が窓口に相談に行くからです。「母が急死しました。息子です。至急お金を引き出したいのですが、口座の暗証番号が分かりません。」「大変申し訳ありません。今聞いてしまった以上、この口座は凍結されます。」ってな流れみたいっす。うちはね、たまたま姉が母の銀行口座の暗証番号を知っていたのです。何かと現金が入り用だったので、たしゅかったー。あなたは、ご両親の銀行口座の暗証番号を知っていますか?【ファインプレーその②】専用の銀行通帳を作った。お茶代に至るまで領収証を残し、専用のスクラップブックに貼り付けた。一連の処理にかかる諸費用は、いったん全て僕が立て替えることにしたので、先ず銀行で新しい口座を作りました。少額ですが、母が残していたお金も、全てそこに移し、病院への支払い、役所への届け、葬儀、遺品整理、住居撤収までの様々な諸費用の出入りを、全てその通帳内で管理しました。こうすれば万が一親族間でトラブルがあった時に、お金の流れを皆で堂々と確認することが出来ます。家庭内の他の現金の動きがある通帳は、他人に見せにくいでしょう?それとあわせて、通帳を通過しない現金での支払いの諸費用はお茶代に至るまで領収証を残しました。親族間に妙にシビアな空気が漂う時期だからこそ、えーわえーわで、おごったりおごられたりしないように。大切な人を亡くした悲しみとは全く別ごと。お金の管理は事務的に。以上っす。うちはね、僕の父はもう他人なので論外としても。母の時の経験から、妻のご両親には、妻を通じて、それとなく終活のすすめをしているんですけどね。何だか、反応はよろしくないみたい。私たちに死ねってこと?的に、途端に不機嫌になるらしい。まあ、ゆっくり、焦らず、タイミングを見ながら、上手に確認していくしかなのいかなあ。あ、もちろん自分たちの終活も、忘れずにっすね。親も自分も妻も、介護や闘病などで、それなりの準備期間を経ての最期もあれば、交通事故のように、ある日突然やって来る死もあるわけで、だからと言って「死ぬときゃ死ぬんだ!後のことなど知ったことか!」なんつって開き直らずに。まあ、やるべきことを、ぼちぼちすすめていきたいと思っとります。にほんブログ村↑ポチッと一枚!ほちぼちやってまーす。妻のルーム↓
2021.02.14
長女が僕の肖像画を描きました。家族一同、大爆笑。・・・え?た、たんこぶ?いやいや、これは僕のオデコにある、ちょっとしたシコリ。ほ~んと、ちょっとした、目立たない目立たないシコリなんですううう。デフォルメ過ぎ過ぎP子ちゃん。決して、ブロック塀に強打したわけじゃござーせん。いつ、鬼舞辻無惨に血を注入されたか分かりませんが、この様子だと、コブからニョキっとツノが生えて、僕、明日あたり、鬼になると思います。・・・あらやだ、明日は節分。とほほ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!鬼滅グッツも紹介してます。妻のルーム!
2021.02.01
僕は、基本的に公衆トイレの大の方で、並んで順番を待つということが出来ません。公園・病院・デパート・娯楽施設・サービスエリア・コンビニのトイレに、先に人が入っている場合、くるりとUターンしてトイレを出ます。さっさと諦めて、別のひと気のないトイレを探します。並んで待つということは、個室から出て来る彼とすれ違わねばならず、個室に入れば、さっきの彼の残り香を嗅がねばならず、便座に残った彼の温もりを感じねばならず、最悪の場合、便器にこびり付いた彼の思い出を、何気ない週末を、否が応でも目撃せねばならず、ついさっきまで、ここに脂汗をかいて座っていた彼の姿が、彼の残像が、いつまでも僕を悩ませるからである。だから僕は、外出中に便意をもよおすと、いつも前のめりになりながら、清潔で、使用後15分以上は経っていて、便座がひんやりしている、そんなトイレを探し、徘徊する。ちなみに、僕は潔癖症ではねっす。ただ、一度気になりだすと、とことん気になる性格みたいです。イオンなどで、家族でショッピングをしている時に、便意をもよおすと、僕は妻に「・・・僕、行ってくる」と告げてから、トイレに行く。妻は、僕の全てを知っているから、「がんばって!自分を信じて!」と声援を送り、僕を見送る。「・・・ダメだった」トイレが混んでいたり、汚かったりで、僕がこうべを垂れ、即引き返してくると、妻は「そーか、そーか、しゃーない、しゃーない、次がんばろ、二階のトイレ行ってみよっかね」完全に足らん子を諭すように、やさしく慰めてくれる。「どーしたの? パパ、何があったの?」 移動中、子供達が僕を心配する。「・・・相手にしちゃダメ」 妻の言葉を背に、二階のトレイに行ってみる。「・・・ムリだった」「・・・そーか、そーか、しゃーない、しゃーない、そこいらの土手で盛ってらっしゃい」さっきと同じトーンで、ただし目が全然笑っていない妻が、やさしく慰めてくれる。そんなだから、普段から外出中に便意をもよおさないよう、努力はしているのであるが、それでも、お腹の調子がタワー・オブ・テラーの日はある訳で、先日も、前の日に食べた台湾ラーメンが、地上38mから落下するような勢いで僕の腹部を襲うので、致し方なく、最寄りのコンビニに飛び込み、使用中の個室の前に並んだのである。洗浄音の後、中から出て来たのは、スーツ姿の若いビジネスマン。入れ替わりで僕が個室に入ると、案の定、便器には彼の熱いメッセージがこびりついてやがる。こういった場合、煙草や空き缶のポイ捨ての撃退法に倣って、まだ店内にいる彼に向かって、「すいませーーん!落とし物でーーす!」と言ったほうがいいのか。それとも、第三者に承認を得るため、店内の誰かをとっ捕まえて、「これ!僕のじゃなあああああい!」と半狂乱で叫んでから扉を閉めるのがよいのか。恐らく、どちらも通報されてしまうであろう。黙って扉を閉めるしかないのだ。とほほ。問題は、僕が用を終えてトイレから出た時、入れ替わりで次に入る人に、便器にこびりついたメッセージを、僕のメッセージだと勘違いされてしまうことだ。それだけは絶対に避けねばならない。濡れ衣だ。僕は、熱いシャウトはするが、便器に残るメッセージ性は無い。ひとまず立小便スタイルで、落ち着いて的を定め、彼のメッセージを尿で高圧洗浄してみる。多少取れた。んが、完全に落ちきる前に、悲しいかな、水源が枯渇してしまう。備え付けの便所ブラシや、洗浄ガンがあればよいのだが。うーん、何もねー。しゃーねー。トイレットペーパーで拭き取るしかない。悔しい。泣けてくる。いっそ自分がシャウトし終わってから掃除しようかとも思ったが、それでは、彼のメッセージと僕のメッセージが交じり合い、いったい何を伝えたいのか分からなくなってしまふ。ソニンと後藤真希の弟の「おーととっと夏だぜ」みないな、ぐちゃんぐちゃんな作品になってしまふ。そんなのは嫌だ!僕が僕であるために!僕は僕だけの世界観を、この便器に描きたい!・・・と言う訳で、僕は昼下がりのコンビニのトイレで、若いビジネスマンのメッセージを拭いた。店から出ると、さっきの若いビジネスマンが、携帯電話で話している。「はい、例の案件、今月中には何とか契約に持ち込めそうです。難攻しましたが、前向きに頑張った甲斐がありました。」・・・若者よ。前向きに頑張るのはよいことであるが、トイレで用を足した時ぐらい、おのれを振り返ってみても、人生、損はないと思うぞ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!時に憐れむように僕を見る、妻のルーム。
2021.01.31
鬼はァそーと!このご時世、されるべくして発売された節分の豆っすな。あ、さて、全集中。妻が、用事や習い事などで車を使いたい日、僕は自転車で通勤している。僕は、GIANTのマウンテンバイクに乗っています。基本的に車道は走らず、自転車の通行出来る歩道を走る。だって、車、怖いんだもの。自転車に乗っていて一番困るのが、歩道の真ん中を人が歩いている時です。だって、通れないんだもの。最近の自転車は車輪の音も静かだし、耳にイヤホン突っ込んで音楽聞いてる歩行者も多いから、なかなか後方の自転車の気配に気が付いてくんねー。てか、おま、なー抜かしとん。ベルを鳴らせばよかろう。ベルを。って話なんすけどね。いやいや、みなさん、自転車のベルって鳴らせます?僕、はばかられるわあ。 最近の自転車のベル、極力鳴らしたくない。もうね、かん高く響き渡る、あのチーーン!チーーン!っていう警笛音がね。僕には、どけー!どけコラー! としか聞こえないのよね。チーーン!(どけコラー!) チーーン!(ジャマだオラー!)チーーン!(ドタマかち割って!)チーーン!(ストローで!)チーーン!(血ちゅーちゅー吸うたろかー!)やめてよ、もう。何でああ威圧的に戦闘的に鳴るかねえ、あーた。天下の歩行者様が、ほんの一瞬でもご不快になられたら、どーすんのよ、あーた。その点、昭和のベルは謙虚だったよ~。ジリンジリン。(きゃはっ、すいまっせ~ん)ジリンジリン。(うはっ、しがない軽車両が通りま~す)これ鳴らしてる意味あんの?って感じで、実にいい味出してた。そんなこんなで僕は、道の真ん中に人がいて自転車が通れない時は、① とにかく、先ず一度自転車から降りる。② 次に、歩行者が僕に気付くまで、後で無言で自転車を引いて歩く。③ あとは、歩行者の横を自転車を引いて静かに通り抜けるタイミングを、ただひたすら伺う。まあ、大抵の人は、すぐに後ろの僕に気付いて、道を譲ってくれるんすけどね。もうね、耳にイヤホン突っ込んで音楽聞いてる人なんか、笑っちゃうほど気付いてくんねーから。あんなもん、内側がスクリーンのメガネかけて、映画見ながら歩いてるみたいなもんだから。聞こえてねーって、見えてねーのと同じぐらい危険だと思うけどな。んで、歩道が少し広くなったタイミングで自転車を引きながら横を通り過ぎるとさ、ぎゃ!つって、すんげーでっけえ声でびっくりされんのね。イヤホンの音量で発するからね。不自然に声がでかい。そりゃんぎゃ!つって、こっちも負けじとびっくりするっつーの。そして、去り際に、・・・こわ。 なんつって後ろから聞こえてくる。ぎゃ!んぎゃ!・・・こわ。ぶわ!ぬわ!・・・キモ。はが!はべべ!・・・死ね。出社も、帰路も、とんだ珍道中さ。でさ。最近の自転車のベルは、鳴らしにくい。という上記のようなエピソードを会社で話したら、けっこう賛同する社員がいてさ。ほ~らやっぱり、人類みな、変なところで小心者なんだと調子こいてたら、そん時、ある社員が、ボソッとこう言ったのよ。あのね部長、ベルは、近くで鳴らしちゃダメなんですよ。歩行者を確認した15m~20mほど遠くで鳴らすとよいです。ずいぶん罪悪感は薄れるし、相手にも不快感を与えません。・・・な、な、なるほど。・・・ぐうの音も出ねえ。不意に放たれた完膚なきまでの正論に、その時の僕は、素直な返事をするとが、何故だか無性にはばかられ、ふーん、あっそ。などと、実にそっけない、実に味気ない、実に邪険なリアクションをしてしまったのよね。僕の心に、鬼がいる。鬼はァそーと!にほんブログ村↑ポチッと一枚!お暇なら来てよね。妻のルーーーム!
2021.01.28
割り込まれの多い人生を送って来ました。思えば隙だらけの人生でした。コンビニのレジなんか、頻繁に割り込まれまくりの刑。原因は分かっている。いつも僕はレジに並ぶ時、意識を土星近辺まで飛ばし、極端にボーーっとしているか、うまい棒・よっちゃんイカなどの駄菓子に目移りし、挙動不審でキョロキョロしているかのどちらかなので、周囲からは、恐らく並んでレジを待っている人に、まるで見えていないのではないかと思われる。もう少し「私、並んでます!」オーラを醸し出さねばと反省しつつ、ついついサボってしまう。誰のせいでもありゃしねえ。みんなオイラが悪いのさ。ちんぽこちんぽこりんちんぽこちんぽこりん。割り込んでくるのは、ほぼお年寄り。ありゃ悪気はねーな。年齢と共に周囲への注意力が低下しているだけだ。最近のコンビニは、並ぶ位置を床にテープで印し、ソーシャルディスタンスを確保しているのだが、コンビニの出入り口から見て、そのフォーク並びのフォークの根本になる先頭の位置が、商品棚で死角になりがちなのが、そもそもの問題ではないかと思う。入店してすぐ近くのレジに直行する公共料金を支払いに来たお年寄りなんかは、まずこちらに気が付いていない。とは言え、たとえジジババに割り込まれても、大抵の店員さんは気を利かせて、後ろで待っている僕に向かい、大きな声で「次のお客様どーぞ!」と、目の前の相手の不正をあからさまに諭して下さったりする。さて、ここからが、コンビニのレジで割り込まれた時の、僕の対処法。僕は漏れなく「お先にどうぞ」と言って、順番を譲て差し上げる。まあ、これを会社などで話すと、大概思いっきり引かれ、愕然とされるのだが。何も解決しません。自分の為になりません。相手の為にもなりません。ひいては世の為人の為になりません。なんつって、周囲に厳重注意されるのだが。てか、正直言って、僕は割り込まれても、全然苦じゃない。まるで腹も立たない。ただ「ああそうなんだ」と思うだけです。物理的にも、一刻一秒を争うほど急いではいない。いつも時間にゆとりをもって行動している。それでも、やはりがんばって腹を立て、がんばって注意するべきなのか、いつも悩むところだ。先日も、昼下がりに、あるコンビニで手指消毒をした後、カレーパンと温かい紅茶を持ってレジで並んでいると、やはり男性のお年寄りが入店して、僕に気づかずすぐレジに並んだ。見事なまでの割り込みっぷりだ。問題は、この日は僕の後ろにも四~五人並んでいたことだ。ああ、どーしよう。正直言ってぼかあ全然苦じゃないぞ。全然腹も立たないぞ。でも、先頭の僕がこの爺さんを注意しないと、後続の人達にご迷惑をかけてしまうパターンじゃないの、これ。どーしよう僕。どーしてくれよう僕。「あの、自分が行きますんで・・・たはは」結局僕は、後ろに並んでいたおば様にそう声を掛け、自ら列の最後尾に移動した。割り込み爺さんも、僕の後ろの人達も、誰も損していない。これでいいじゃないか。ところが、僕の後ろにいたおば様は、僕が移動した刹那、「すみません!並んでますけど!」と、その爺さんにまくし立てていた。僕が譲ったんだから、もういいじゃないか。やめてくれ。と、思った。んが。おば様的には、そういう問題じゃないのであろう。まあ、色々な人がいるし、おそらくそのおば様の行動こそが世間的には正しいのだろうけど。ふと、太宰治の小説の、主人公・葉蔵と堀木という人物との、やりとりを思い出した。「これ以上は、世間が、ゆるさないからな」「世間というのは、君じゃないか」という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。(それは世間が、ゆるさない)(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)(世間じゃない。あなたでしょう?)(いまに世間から葬られる)(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)なんだかこの空間にいることが、とても苦痛に感じられ、僕は一度手にした商品を、申し訳ないと思いながら棚に戻し、消毒をして店を出た。食べるのが面倒くさくなり、その日の昼飯は抜きにした。ああ、早く家に帰って、妻が焼いたパンを食べたい。一刻も早く妻のパンが食べたい。あとはただ、呆けたように、そんなことを考えていました。人間失格。にほんブログ村↑ポチッと一枚!パン焼きグッツも紹介してます。妻のルーム↓
2021.01.23
時は昭和。僕は幼少期にボロボロの長屋で暮らしていた。夏休みのある日、同じ長屋の西端に住む友達のマー君に、突然カミングアウトされた。Qちゃん、僕、インキンなんだ!まだ毛も生えてない小学校低学年の子供がインキンタムシになるのだ。当時どれだけ僕たちが不衛生な環境で生活していたか分るだろう。Qちゃん、痒いよ!痒くて痒くてたまんねーよ!た、大変だね。Qちゃん、僕を助けてよ!ぼ、僕に出来ることなら協力するよ、友達じゃないか。僕は快くそう言った。ありがとう!じゃあ早速、今から僕と裸になって、あの屋根の上でチンコを干してくれ!・・・はい?お願いだ! 僕と一緒にチンコを干してくれ!マー君が言うには、インキンタムシは紫外線に弱く、古くから太陽に晒すという治療法がある。長屋の瓦屋根の上で、さも日光浴をしているかのように、紫外線治療をしたい。でも、一人じゃ恥ずかしい。とのこと。お願いだ! Qちゃん、裸とか得意だろ?べ、べつに得意じゃないよ!!とはいうものの、友達のたっての頼みだ。僕はシャイなマー君を気遣い、お先にテキパキと全裸になり、あらヨってな感じで二階の瓦屋根に寝転がった。その後全裸のマー君が、恥ずかし気にはにかみながら、僕の横に寝転がり、念願かなって、痛々しくただれたチンコを太陽の下に晒した。こうして僕は数日間、インキンでもないのに、インキンのマー君に付き合い、チンコを干した。傾いたボロ長屋の屋根の上で、小学生が二人全裸でチンコを干しているのだ。今なら即刻問題案件なのだが、時代のおかげか、単純にうちの近所の地域性か、僕の母も、マー君のお母さんも、近所の人たちも、僕らを見ては、けたけた笑うばかりで、特別注意もしなかった。おかげで、マー君のインキンはすっかり完治した。ちなみに、マー君のインキンが治ってからも、僕は一人でチンコを干し続けた。クセになったのだ。裸で屋根の上に寝転がり、夏風に吹かれながら、青い空を見る。何とも言えない爽快感だった。大人になり、無駄なモノゴトを、あまた身にまとうことを余儀なくされても、心のずっと奥の方は、さんさんと降りそそぐ太陽に、全裸でチンコを晒す自分でありたい。そうだ、僕という人間は、これだ!!子供ながら、漠然とそう思った。その夏、僕は、チンコを干し続けた。夏の終り、さすがに、母がキレた。夕方になっても全裸で屋根の上にいる息子に、ご近所じゅうに響き渡る声で叫んだ。いつまで干してんだい!皮がむけたらどーすんだい!千葉生まれの母の、名古屋では聞きなれない関東弁に、子供ながらビックリした。なんだか分かんないけど、母のその言葉で、突如として、すっかり消滅していたはずの僕の「羞恥心」ってやつが蘇った。僕は顔を真っ赤にして、両手で前を隠しながら、そそくさと屋根を下りた。以後、二度と屋根に上がるのをやめた。え~、そんなこんなで「鬼滅の刃」を観てきました。ははは。時は令和。不安定な時代の傾きに感化され、ついついコトを斜に構え、皮肉、からかい、イジリ、イジメがばっこするこの社会に、さもすれば、どっぷり染まりそうになる。そんな自心に、呆れるほど真っ直ぐな炎柱・煉獄杏寿郎の言葉が、グッサグサと痛く刺さり、子供の前で、思わず感極まるのを、太陽の光に弱いのは、鬼ばかりではない。インキンも、弱い。なあーんつって、必死でアホなことを考えながら、あふるる涙、堪えに、堪えて、でも結局、さめざめと泣きました。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.11.04
ここんとこ、長女に反抗期的兆しが見え始めたみたい。どーも妻と上手くいっとらん。頻繁にギクシャクしとる。ははは。妻、思い悩んどる。先日、リビングで一人、シクシク泣いとったもん。十歳ともなれば、ちょいちょいこっちの想定外の行動をするようになり、ときどき想像を絶する発言をしたり、わざと親の期待を裏切るような態度をとったりする。これを「我が子の成長」と一言で片づけられるほど、実のところ僕たち親のほうが成長しきれていないっす。特に、自分のお腹を痛めて出産し、お乳を飲ませオムツを替え、片時も自分の肌身から離れなかった赤ちゃんの頃を、ボディ&ソウルで実感している母にとって、真向から自分に逆らってくる我が子の姿なんつったら、男親の何倍も複雑な心境で見ていることだろう。親子で「そんな時期もあったね」なんて、いつか笑って話せる日が来るかな?と、キッチンで豚汁を作りながら、妻が僕に問う。「あんた、どう思う?」と、ニンジンを扇形に刻みながら問うのである。僕は、僕の思うところを、正直に妻に伝えた。そんな時代もあったねと、いつか話せる日が来る。あんな時代もあったねと、きっと笑って話せる。確かに、そうだと思うよ、確かに。でもね、考え方を逆転させればね。「いつの日かきっと笑える」という要素が今ココにあるのであれば、笑うことを、わざわざ未来へ先送りせずとも、今ココ、困難の真っ只にこそある独特の滑稽さ、ひとっかけらの面白味から目を逸らさず今ココ、豪快に笑ってしまえばいいのだよ。なんつって、僕は思ったりもする。妻は、真面目過ぎるのだ。人生を、ちゃかせない。このブログでも何度も話しているが、僕の父は酒を呑んでは母と口論になり、挙句必ず母に暴力を振るう人だった。その度に、幼い子供ながら僕と姉は、母の頭を抱きしめたり、母の体に覆いかぶさっったりして、父の暴力から身を呈して母を守った。妹は、その横で泣きわめくばかりだった。ここだけを話せば、まさに生き地獄のような幼少期なのだけれども、僕の父は、母との口論の中で、気持ちがガァーーっとなると、ちょいちょい訳の分らんワードをぶっ放して来る人だったのね。それが、僕と姉は、面白くてね。母ちゃんぶん殴りながら、テメー、バカヤロー!テメーなんかなあ! テメーなんかなあ!テメーなんか、シュワッと爽やか、しゅわしゅわソーダだ!とか言うんだもん、父ちゃん。姉) シュワッと爽やか???僕) しゅわしゅわ???姉・僕) このおっさん、なー抜かしとん??そっから、母と一緒にボコボコ殴られながら、僕らヒーヒーいって笑ってたからね、たはは。僕はね、昔からこういった爆笑は絶対見逃さないから。不幸に浸ってる場合じゃねっす。僕には、例えどんな困難な状況にあっても、自分の置かれた状況を客観視して、げらげら笑っているもう一人の自分がいるっす。まあ、人間、一度堕ちるところまで堕ちれば、あとは笑うしかないっすからね。んでもって、人生、とにかく懲りずに笑っていれば、何とかなるもんっすね。ちなみに、これは持って生まれた性格とかの問題ではないよ。これは、訓練。訓練をするか否かの問題っす。子育てだって、何だって、いつか笑える日まで待ってちゃダメだよ。笑うなら、今笑ったほうがいいよ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.18
僕は、家族とは「期間限定のチーム」だと思っています。いつか解散することを前提としたチーム、それが家族。長女も次女も、いつか僕たちのもとを去るべくして去りますからね。最近は、子供たち成長の早さを見るにつけ、おいよ、U子さん、やべーよ、やべーよ。家帰ってきたら、子供がまぁ~たデカくなっとるがや。マジで、こいつらと過ごせるこの一瞬一瞬を、日々噛みしめるように大切に過ごさねえと、うかうかしてたら、こいつらしれっと大人になってまうでかん。なんつって、勝手に焦って、妻にいらぬ忠告をしています。さて、チームというものには、当然「監督」が必要なわけですが、家族のなかで監督的役割をしているのは誰でしょう?って話なんすけどね。世間的には、さもすると「父」と思われがちですが、僕は、それは違うと思いますよ。「父」の家族内での役割は、ピッチャーで四番っす。僕はチームのエース。そして結局のところ、ただの選手なのですね。現実的にどう考えても、家族というチームの監督は「母」でしょう。僕の妻を見ていても、とにかく総合的な監理業務を朝から晩まで続けている。あれは、一介の選手の動きじゃない。監理者の動きだと思う。たまに主婦の仕事をまわりが侮辱したり、自らを侮辱したりして行き詰まり思い悩む人がいますが、主婦は誇り高き監督業だ。選手に侮辱される筋合いなど絶対にないし、決して自分を侮辱してはならない。ちなみに、うちのチーム編成を言うと。監督 = 妻ピッチャー = 僕内野手 = 長女外野手 = 次女て感じかな。そして、僕の気持ちを、どんな時も優しく受け止めてくれる名キャッチャーが、ウリちゃ~ん!ぎゃはははは。社会の最小単位は夫婦だ。なんつって昔から申します。家族とは「期間限定のチーム」ですからね。僕もこの考えは頷けるっす。最後は僕と妻、夫婦二人ぼっちだ。その覚悟は既にあるし、今からけっこ~待ち遠しかったりもする。でも、時代と共にこの考え方も風化が進み、今や社会の最小単位は個人、最後の最後は自分一人じゃね?とドライに考える人たちが増えているようです。まあ、未婚を貫いたり、たまたま離婚したり、既婚者であっても独立した関係だったり、その他様々な事情やお考えはあって然るべき、人の思いは十人十色。古めかしい考えですからね、風化するのが必然であれば、風化すればいい。ちなみに「社会の最小単位は夫婦だ」という僕の思いのなかには、たとえ妻に先立たれ、社会的に孤独になってもなお、最小単位は夫婦だ、みたいなところがあるのです。うまく説明しにくいですが、一人になっても夫婦は永遠に続いていくような気がしてならない。僕たちは、夫婦を二十年近く続けているわけだから、おのずと二十年近く「絶対的孤独」という時間をお互い過ごしていないことになる。ここまで来ると、例えどちらかが死んでも、どちらかが死んだぐらいで終わるものではない気がする、夫婦って。また「社会の最小単位は夫婦だ」という考えを突き詰めていくと、理論上、夫婦が仲睦まじく幸せに暮らしているという状態を、この社会への小さな貢献だと考えることも出来ると思うのですね。ははは。もし世界中の夫婦という最小単位が幸せであったなら、それを取り巻く家族も、地域も、地方も、国も、みんなが幸せになるのではないかと。うわあ、我ながら、あまりに幼稚な理想論に開いた口が塞がりませんが。兎にも角にも、みなさん。僕が、今日も今日とて妻という鬼監督のもとで、肩がぶち壊れるまで投球し、血豆破れるほどバットを振り続けるのは、これはね、別に妻が怖いからではないのです。これはね、いわゆるひとつの、社会貢献なのです。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.12
心が折れた。という表現が出てきたのは、いつ頃からだろう?僕的には昔、芸人のほっしゃんがテレビ使っていたのを聞いたのが最初だった。少なくとも、僕が若い時はあまり耳慣れない言葉だった。「傷付いた」とはちょっとニュアンスが違うのよね。「意欲を失った」「やる気が失せた」という意味合いだと、僕は解釈している。張りつめたつっかえ棒が、バキッとへし折れ修復不可能になった心情を、的確に言い表す絶妙な言葉だ。誰もが事あらば思わず使ってみたくなる魅惑の言葉だ。特に若い社員は頻繁に使うよね。きっと、嘘ではないのだ。現に彼らの心は、ポキポキと簡単に折れる。私、とても傷付きました。という発言のなかには、どこかしら、擦り、磨けば、まだ修復が可能なニュアンスに対し、私、心が折れました。と堂々と言われちゃうと、もう完全に手の施しようが無い印象を受けるのよね。まあ、ポキッと折れるのは勝手なのだが、その後自ら迅速に心の修復にかかれない。折れたら折れたまんま、修復する術を知らない。結果、そっこーで諦める、楽勝で挫折する、いわゆる環境を変えてイチから出直すパターンを求む。可哀そうに。困難や挫折に免疫がない。大人に叱られ慣れていないのだ。まるで怒鳴られ慣れていない。これを、褒めて伸ばす教育の弊害と言わずして、何ちゅーの?あ、ちなみに、意外や意外、僕の両親は今の時代を先取りしていたのか、あまり子供を叱らない親だったっす。どちらかというと、時々思いついたように、無駄に僕たち子供を褒める親だった。姉と妹は、どう考えているか分からないが、僕にとってはそういう人たちだった。母は、自分が生んだ子供に関心があるの無いのかよく分らない、はっきり言ってネグレクトぎりぎりの人だったし。父は、よく子供たちに暴力をふるい、姉などは灰皿で頭を割られたこともあったが、あれは、ただギャーギャー騒いでいるダメ人間の酒乱であって、そこにモラルやパワーやハラスメント性は、微塵も見当たらなかった。でも僕は、今じゃ同世代のまわりの誰よりも、折れない心を待っている。また、仮にいかなる困難や挫折にぶち当たり、心がへし折れても、その瞬間から、折れた心の再生を図り、さっさと次の策を講じる習性を身に着けている。それは、何故か?今の若者たちと違い、僕がクソガキだったあの頃は、幸いにして、まだまわりの大人たちが、本気でよその子供を叱ってくれていたからだ。警察、教師、塾の講師、教習所の講師、ご近所のおっさん、通りすがりのおばさん。みんな、今では考えられない威圧感と問答無用の恐怖の理論をもって、どいつも、こいつも、いつも、何度でも、この僕の目の前に立ちはだかった。どいつも、こいつも、いつも、何度でも、バッキバキに僕の心をへし折り続けた。どれだけ心をへし折られ続けた青春だと思っとんじゃい。こちとら折られた心の再生法なんてなあ、十代でとっくに熟知しとりますわ。チョチョイノチョイで修復完了ですわ、匠の技ですわ。不幸にも、僕の親は、ちゃんと子供を叱ってくれる親ではなかったが、幸いにして、まわりの大人たちが、全力で僕を叱り飛ばし続けてくれた。あの大人たちを、認めたくない。あの屈辱の日々、今でも思い出すたび腹ワタが煮えくり返る。んが、いい加減に認めるところは認めよう。あの頃、僕の心をバッキバキに折ってくれた、全ての大人に感謝します。だって、僕のこの心の強さは、あの大人たちの傑作だから。今の若者はどうだろう? 僕らの子供たちは?学校の先生も、気の毒なほど本気で生徒を叱れない。塾の講師だって人気商売だ、嫌われる覚悟では叱れない。近所のおっさんも、通りすがりのおばさんも、若者の悪行に見て見ぬふり。会社で上司が若手を叱れば、なんたらハラだ、かんたらハラだ、と訴えられてしまう。もう、いよいよ、親だけだ。子供を、本気で、相手のことを思い、嫌われる覚悟で叱れるのは、親だけ。なんか、かわいそうになってきた。これからの時代、親が子供を叱らなかったら、いったい、誰が子供を叱ってくれるのだろう?親すら、子供を褒め続けたら、子供は、いつどこで、困難や挫折でへし折れた心を、修復し再生する術を学ぶのだろう?我が家では、二階の書斎でこの日記を書いている今も、頼もしき妻が一階で子供らを怒鳴り散らかす声が絶えないわけであるが、実際のところ、子供が可愛くて可愛くて、ちっとも叱れない情けない僕は、お~い、ほどほどにしとけよ~。あんまギャーギャー叱ったんなよ~。と助け船を出したい気持ちをググっと抑えて、けっこー真剣に、そんな風に考えているわけである。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.09.09
長女がダンボールに絵を描きましたよ。え~、では、毎度バカバカしいお話を。なんかさ、僕さ、コンビニで買い物をして、現金を支払う際に、店員さんに、小銭の扱い方を、ちょいちょい指摘されるのよね。オイオイこらこら、な、な、なんちゅ~雑な小銭の管理しとんじゃい!もう少し考えて、効率よく財布を軽くする支払いをせんかい!とまあ、こういった意味合いの指摘を、ここまでハッキリとは言われぬまでも、よく受けるっす。具体的にどういうことかというと、例えば、913円の支払いの時、1000円札だけをペロンとトレイに置くとさ。細かいのはございませんか?と必ず聞いてくるじゃんね。しゃーねーから、小銭入れを開いて10円玉二枚を支払いかけると、いや、あの、お客さん、今財布に1円玉たくさん見えましたけど? え? いいっすか?と注意されるのよね。ははは。確かに僕の財布には、基本的に小銭が腐るほど入っているので、しゃーねーから、その中から相手の望みどおり1円玉を13枚わしづかみにして、じゃらじゃらとお支払いさせていただき、他の客の前でなぶられたる、何ともみじめな思いを抱いてコンビニを後にするのだ。確かに、時々妻のレジの支払い方を後ろで見ていると、僕と同じ状況であれば、先ず1000円札をトレイに置いて、その後5円玉二枚に1円玉三枚を支払い。100円のお釣りを受け取るというぐあいだから、まあ、これが普通なのだろう。うほほーい!小銭一気に片付いちゃったラッキ~!なんつってやがる。1円と5円、たくさんお持ちのようですが、よろしいですか?その手の平の200円頂ければ、10円のお釣りですよ。その500円玉二枚で1000円になりますよ。本気でお札で払います?どちらかと言うと年配の店員さんに、よく言われる。んが、時々、若者にもしゃーしゃーと指摘される。どなたも、その表情に悪気は微塵も感じられない。100%僕の為に善かれと思って言っているのだ。え~っと、それでは、只今より僕の言い訳大会を盛大に執り行いたいと思います。確かに僕は、どちらかと言えばお金に執着のない方ですが、決してお金の計算が苦手な訳でも、金銭感覚が崩壊している訳でもないのです。例えば、今僕は受注額四千万円の公共工事のコスト管理のことで頭がいっぱいだったりします。要するにね、ただ単純に日中は、そんな仕事のことで頭がいっぱいいっぱいなのです。運転中もコンビニのレジでも、大半は他事をあれこれ考えていることが多く、また、もともと典型的な一点集中型の視野の狭い性格ゆえ、コンビニのレジで他事を考えつつ、財布の小銭を効率よく減らす方法を瞬時に考えるという高度な芸当が、お恥ずかしながら出来ない人間なのよね。とっほほほおお。恐らく、行きつけのコンビニの店員さんからしてみれば、たまに買い物にくる坊主頭、目がうつろ、口半開き、心ここにあらずの、気持ちの悪い中年。僕はきっとそう思われていることだろう。年配の店員さんなどは、残念なオトナのコドモ感ハンパ無い僕を見て、親心から僕に小銭の扱いを指導してくれているのかもしれない。でも、もうほっといてくれ。アタイのことは、もうほっといてちょーだい。もうアタイに構わなくてけっこー毛だらけ猫灰だらけお尻のまわりは糞だらけ。先日、僕は仕事が上手く行かず、珍しくとても虫の居所が悪かった。そんな時、コンビニで、いつもの年配の店員さんに指摘された。あ、ほらお客さん、その50円いただければ、10円のお釣りになりますよ。思わず僕はこう答えてしまった。僕、50円マニアなんです。・・・じゃ、じゃあ、そこの5円玉たくさん使って・・・。僕、穴あき通貨フェチなんです。・・・・・・。誰が呼んだか誰が呼んだか銭形平次~。鼻歌まじりに店を出たのである。世界がキャッシュレス化へ邁進する本当の理由は、僕のような人間の屑がいるからだろう。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.25
妻が、今年も梅干しを作りました。今年の梅は軟らかい、と妻が申しておりました。お盆休みも今日で終わり。向こうの家族に手を合わせます。すくすくと育つ子供たちの姿を見るにつけ、死んだ母に、この次女の姿を、一目見せてやりたかったと思うのです。六年前のクリスマスイブに、母は交通事故で死んだ。この時、僕の姉には、女の子が一人(中学生)。妹には、男の子が二人(高校生と小学生)。僕には、長女(保育園)と、妻のお腹の中に次女がいた。母は自分の最後の孫になるであろう次女の誕生をとても楽しみにしていたが、ラス孫の顔を見ることなく、まるで入れ替わるように、突然この世からいなくなってしまった。翌年のホワイトデーに、次女は生まれた。思えば、奇妙な年だった。母が亡くなる数か月前に、姉のご主人(僕の義兄)が難病の末、この世を去った。そして、なんと母が死んだ翌日の12月25日に、妹のご主人の母(妹の義母)が、突然の脳梗塞で亡くなった。頼れる親族が奇妙なタイミングで立て続けに亡くなり、僕たち姉弟はパニックになった。おのずと僕は、これからは自分が頼られる存在になるしかないと思った。ちなみに、前厄でした。年が明け、僕は親族の世代交代というものを、様々な局面で嫌というほど実感した。残された父たちも、親戚たちも、正直弱りきっていた。そんな僕の厄の真っ只中に、次女は生まれた。何故、古より人々が四十歳頃に厄払いを行い、自分の身の回りを見つめ直して来たのかが、何となく理解出来た。僕は、ならざるを得ず、大人になった。次女は、奇妙な子だ。僕たちは、7年に及ぶ怒涛の不妊治療の末、長女を授かっているから、心身共に二人目は困難、恐らく長女は一人っ子であろうと思っていたのだが、ある日、妻が、しれっと次女を身ごもった。今でも二人で首を傾げている。生後二週間でRSウイルスにかかり、全身チューブだらけになって生死をさまよったが、幸いにしにて一命を取り止めた。以降はとても健康、長女と比べても病気になりにくい体質だ。妻は病室で夜通し死んだ母や祖母やご先祖様たちに、「どうか娘の命を助けて下さい!」と祈り続けた。助けてもらったのだ。奇妙な子だ、いつも何者かに助けられている。おーい、見てるかー。あんたのラス孫だぞー。こんなに大きくなったぞー。やばいよ、やばいよ。あんたにそっくりだー。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.16
「馬鹿」インドの古代語であるサンスクリット語で「無知・愚か」を意味する「moha」が語源。やべえ、シャビシャビじゃん!酒の酔いや感情に任せて、たーーーーっと書いたブログを、いざ公開前に冷静に読み返していると、その内容の薄さに、我ながら愕然とすること、しばしば。そういった時、僕の場合は、その薄っぺらな内容自体を再検討・再構築するなんてことはまず無く、もっぱら、その安っぽい素材に、ありとあらゆるスパイスをぶっかけて、表面だけ刺激的にすることで、少しでも読者様の目を引けるブログに仕上げていく訳である。具体的に言うと、①バカ・ボケ・カスを、やたら滅多ら多用する。②言葉尻や言い回しを、今風にアレンジする。③野暮な笑いを、頻繁に投入する。④ウンコとかシッコとか言ってりゃ、こっちのもんよ!と明後日の方向を向いた自信を持つ。などである。世の中には、ありふれた普遍的な言葉で、興味深い発言をする人は、たくさんいる。正しい日本語で、面白い表現をする人は、たくさんいるのである。そもそも、素材が充実していれば、辛口スパイスなんていらない。発言の本質が充実していれば、スパイスはむしろ素材をジャマするだけ。んなこたぁ~みんな分かってる。でも僕みたいな人間は、普遍的な表現をすることで、自分の発言のカラッポさがバレてしまうのが怖いのだ。SNS界隈に跋扈する、誰かを口汚く罵るコメントも、大方僕と同じ、餓鬼道の住人の仕業であろう。それまで人に見向きもされなかったような場末の不味いラーメン屋であっても、「超激辛!」なんつって、スパイスてんこ盛りにふりかけたゲテモノメニューを出せば、通りすがりの連中が、面白がって興味本位で食べてくれるかもしんねーってなもんだ。金になるってなもんだ。僕なんか、自慢じゃねーけど、昔っから、読解力ってやつがちょー欠落してっから。例えば、SNSで、とある人物の発言に対し、それを読んだと思われる、とある人物が、テメーの言ってることマジ分んねー! テメー、クソだな! とっとと死ね!ばーか!おととい来やがれ!なーんて書き込んでいるコメントを見るにつけ、何度熟読しても、スパイスがジャマして、コメントの本質が見えてこねーのよね。そういう時はいつも、さもNHKのアナウンサーが話すような正しい日本語に置き換えてみるっす。私は、貴方の発言を理解しかねます。貴方は、まるで肛門から排泄される、栄養分を消化吸収したあとの食べ物のカスのようですね。出来るだけ速やかに、呼吸・脈・心拍などを止めて下さい。インドの古代語で「無知」に該当する貴方、一昨日後に、またおいで下さい。ふむふむ、なるほど、この人は、相手の発言を理解しかねている様子であるな。であるならば、簡潔にそのことだけを正しい日本語で正しく伝えればいいのになあ。問題は、その後にゴチャゴチャと書き連ねている意味不明な日本語だよなあ。何故、相手の発言を理解しかねるからといって、相手が肛門から排泄される食べ物のカスにならねばならぬのか?何故、相手の発言を理解しかねるからといって、相手が、速やかに、呼吸・脈・心拍などを止めねばならぬのか?何故、相手の発言を理解しかねるからといって、インドの古代語で「無知」に該当する相手に、一昨日後に、おいでいただかねばならぬのか?そこんところが、さっぱり分からないのであるよなあ。いい大人が、お互いを馬鹿だクソだと罵り合って、夕焼け小焼けで日が暮れて。ああ、人のことを馬鹿って言うヤツが馬鹿だったのは、いつまで?まわりがみーんな馬鹿に見えちゃう人って、本当に頭がいい人なの?ああ、今の世の中、どこもかしこも天才だらけ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.08.06
血液型占いには、まるで関心がない。ヒトの性格をたった四種類に分類すること自体、ちょ、無理あんじゃね?と思う。とは言うものの、「血球の血液型物質(抗原)が異なる!だから生き物として型が異なる!文句あんのか、おおう!」と豪語されると、ストンと腑に落ち、しっぽり納得してしまう自分がいます。Q輔 = 僕 = B型。U子 = 妻 = A型。Q輔とU子、夫婦。相性、最悪。性格、水と油。てゆーか、台所用漂白剤と、トイレ用洗剤。混ぜるな危険。毒ガスが発生し、死に至ります。今回は、本文に関係なく、上げ馬神事で有名な、三重県「多度大社」に行った時の写真をお送りします。さて。A型とB型の関係を語る時、総じて世間の批評は、マイペースなBに、真面目なAが、迷惑を被っている。ちゅーのが、どうやら一般的なようですが・・・。偏見だ!今日僕は、これを世界の中心で叫びたい!例えば、うちの場合はどうかというと、ま、歴然と、僕が迷惑かけ放題なわけであるが・・・。ま、負け犬の遠吠えなのであるが・・・。ご容赦いただきたいわけであるが・・・。A型人間の世間一般的な性格といえば、几帳面・真面目・常識人って感じなのかな。ちなみに、僕が、妻をはじめ、これまでにお付き合いした多くのA型から受けた総合的な印象は、広く浅い人。これである。これはあくまで僕の個人的な見解であって、そしてこれは必ずしも悪い印象ではなく、むしろ僕が唯一A型に敵わないとひれ伏すポイントであったりする。とにかくA型の人は、仕事、趣味、人間関係、流行り廃りなどを、常に敏感なアンテナで広くチャッチしている。んが、その歩む道が、深みにハマるのが怖いのか何なのか、とにかく浅瀬なのだ。昔、ある典型的なA型の先輩に質問したことがある。その人は、物知りなうえに、釣り、ゴルフ、アウトドア、ファッション、グルメ、文化、芸術、スポーツ、とても多趣味な人だった。どうしたらそんなに好奇心旺盛に、色んなコトに興味を持てるのですか?すると、その先輩は、照れ臭そうに、こう言った。僕は、いつも心配なんだ。自分だけ知らない。自分だけ持ってない。自分だけ仲間外れ。原動力は、これ。この原動力は好奇心じゃない。恐怖心だよ。僕みたいな人間は「いかに時代に乗るか」みたいなことが、生きるテーマだったりする。ある意味、A型の本質を垣間見るような答えに、僕は思わずポンと膝を打ち感心してしまった。ちなみに、B型は「いかに時代に乗らないか」みたいなことが、生きるテーマだったりする。ここだけの話。A型をさんざん批評したので、んじゃあ、お次は、B型を批評してみよっかな。・・・と思ったのだが。やっぱ、やめとくっす。だって、長所しか浮かばない。だから、批評にならない。がはははは、そーいうトコだぞ、B型!ちなみに、長女も、B型です。マイな、ペースが、過ぎる女子。妻はいつも、長女のB型ぢからにブインブイン振り回され、目を回している。その度に「ちょっと、おたくのメスゴリラ、何とかなりません?」と、僕に愚痴ってくる。メスゴリラ。一部の例外を除き、ほとんどのゴリラの血液型はB型らしい。妻は、それを当て擦り、僕と長女をディスっているのだ。僕)困った娘だね。僕からあのメスゴリラによく言って聞かせておくよ。ちなみに、一部の例外を除き、ほとんどのブタの血液型はA型らしいね。ブタは見かけによらず、とても神経質で繊細な動物だと聞く。なるほど、いつも君が僕たちにブヒブヒ怒るのは、君が繊細なブタだから・・・妻)黙れボスゴリラ!妻は、僕の話をさえぎるように、そう叫び、怒りにまかせ、リビングの壁を、穴が開くほどの勢いでガンガン蹴り始めた。おーい、石膏ボードに罪はないと思うぞー。その後は「まったく、ゴリラにフンを投げつけられたる思いだ!」とか何とかブヒブヒ言いながら、怒って寝室に閉じこもってしまった。次女の血液型は、三歳を過ぎるまで分らなかった。何となーく、調べに行くキッカケがなかったというのもあるが、正直、妻が調べに行きたがらなかった。というのも理由の一つだ。もし次女がB型だったら家出する!事あるごとに妻は、そう公言していた。ゴリラ三匹に、ドラミングされたりマウンティングされたりしながら生活するぐらいなら、いっそ野ブタに成り果てた方がマシ、そう思ったのであろう。何もそこまで思い詰めんでもいいと思うが。まあ、分らんでもない。そんなこんなで、妻が次女の血液型を調べに行った日。家で結果を待つ僕と長女は、いてもたってもいられなかった。次女が、B型だったらどうしよう!ママが、家を出て行ってしまう!ママが、家出しちゃったらどうしよう!ま、なるようになるか。とかなんとか二人で心配しながら・・・A型でした。ありがとう、次女。こうして楽しい旅行が出来るのも、毎日家族が仲良く暮らせるのも、妻が野ブタにならずにすんだのも、君が、A型だったから。すべては、君のおかげだ。この写真。なんだか神舎の精霊が映り込んだかのような一枚。思わず僕、君に二礼二拍手一礼して。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.07.31
父の日に、子供たちが、シールやらノートやらお菓子やら、 モノノケのたぐいとしか思えぬ似顔絵などをプレゼントしてくれた。 こら~、パパは「こだま」じゃないぞっ。 まあ、何だかんだで、 向こう三年はがんばれそうです。 にほんブログ村 ↑ポチッと一枚!
2020.06.24
こにゃにゃちは。ちゅ~わけで、前々回からの、町内会関係のお話の続きです。今回は「町内会」が無くならない理由を探るでやんす。てかさ。結局のところ、人には向き不向きってのがあるからね。とどのつまり、町内会に不向きの人は、やらない方がいい。んじゃあ、町内会に不向きの人とは、どんな人か?①メリット絶対主義の人。自分のメリットになること以外、断じてやらない人。現行で未入会の人の大半が、この考えに基づいていると思われます。なんとも面白味のない人生であるよなあ、と、僕は思う。大股開きで、パッカパカに開き直って、お下品ねえ、と、思う。僕は、眼前のデメリットが、ある日突然自分のメリットに豹変することを知っている。でもまあ確かに、この手の人は、お望み通りやらない方がよい。正確には「やらない」ではなく「できない」人だから。②隠れて努力するタイプの人。町内会に入会はしないが、人知れずゴミ捨て場の掃除をしたり、自主的に公園の草むしりなどをしている人。目的は「地域に貢献すること」であって、町内会はその「手段」の一つに過ぎない、私は私の手段で地域に貢献します。という考え。確かに正論である。町内会のような烏合の衆に関わらずとも生きていける人だ。ただし、僕の部下にも、「私は隠れて努力しています!何故私の隠れた努力を評価してくれないのですか!」と怒ってくる若手がいるが、正直なかなかそういう人は評価されにくいのだ。だって隠れているからね。アピールがないからね。全て自分のタイミングだからね。つまり、実働のわりに評価が伴わなかったり、あらぬ誤解を受けたりというリスクは覚悟してほしい。③入会を強いる人。不公平が許せないんだね。そもそも強制じゃないんだから、不公平もへったくれもないのだが。いいじゃないの、人それぞれなんだから。嫌々やっている反動であろう。嫌なら、自分もやめればよいのです。④世直し気取りの人。住民の不正を正すため、家まで怒鳴り込みに行く人。誰にだって、間違いや失敗や、やむを得ない事情はあるのにねえ。言い方だってあるだろう。何様のつもりか知らないが。⑤未入会者を差別する人。「町内会に入会しない人は、我々が管理するゴミ捨て場を使うな!」という心無いオバさんがいる。気持ちは分からんでもないが、そこは広い心で見て見ぬふりするべきだ。「災害時、町内会が管理する一時避難所に未入会者が来ても助けない!彼らに防災用品を配る必要はない!」という酷いジイさんがいる。いやいや、非常事態なんだから、助け合うべきでしょう。「運動会で配るお菓子は、町内会に入っていない子供にあげたくない!」という鬼のようなママがいる。・・・ここまでくると、あきれてものが言えん。確かにその子の親は、親の都合に子供を平気で巻き込んでいるかもしれんが、せめて、地域の大人たちが、その子を大人の都合に巻き込むのはやめよう。⑥自称「忙しい人」。町内会なんてなあ、ド暇なジジババや専業主婦がやればいい!という人。こういう人の「時間の使い方」をよくよく検証すれば、ただただ気持ちに余裕がないだけで、けっこー無駄な時間の使い方をしていたりするのだが。うーん、こういう人は何をもって「暇」と定義しているのだろう?暇=時間がある。そもそも「時間がある」の解釈や感じ方は人それぞれ。専業主婦であっても、忙しい人はいつも忙しい。朝から晩まで働いているようでも、実のところ暇なヤツは暇だ。感覚的に、ジジババにとっての半日は、僕たちの2時間ぐらいかもしれない。「毎日趣味のゲームに没頭しているからとても忙しい」というニートだっている。つまり「労働している=忙しい」「労働していない=暇」という解釈だって、法的根拠も理数学的根拠もなく、あくまで、その人の個人的見解に過ぎない。町内会をやりたくないなら、丁寧にお断りすればよいだけであって、がんばって地域に貢献しようとしている人に向け、心無い言葉を吐くものではない。以上のような人は町内会に向いていません。入会するのはやめましょう。心配ご無用。どんなに忙しかろうが、やる人は、どれだけ悪条件であろうが、やる人は、やる人は、やります。黙って、やります。きっと、あなたの廻りの、心ある人たちが、見えない部分であなたの生活を守ってくれているかも、です。違法駐車。ゴミの不法投棄。変質者。不審者。窃盗。騒音。公害。一人で役所や警察に相談に行っても、なかなか動いてくれない諸問題。地域にそんな問題が発生しても、あなたの知らないところで一致団結して動いている人達がいるかも、です。まあ、ことさら町内会を美化するつもりはねーけどね。内情は、どろっどろの、だらっだらの、ぐっちゃぐちゃだからね。いっそのこと、無いなら無いでスッキリサッパリオーイェーイ!なぜ町内会なんちゅう旧態依然としたもんが、なかなか無くならないか分かりましたよ。そりゃあ、町内会を解散するにしたって、誰かが勇気をもって言い出さにゃならんし、みんなが真剣に協議をする必要があるだろうし、結局のところ、昔も今も、み~んな、その場限りの自分の言い分ばかりで、地域が一度たりとも団結することがなかったが故に、無くなるもんも、無くならんわけですわ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.06.13
おはこんばんちは。さて。今回は前回のつづきチックなお話。うちは町内会に入っています。だりーーー。何故に、入っちゃたりなんかしちゃったりなんかしちゃったのだろう?マジだりーーー。決して強制じゃないのにねえ。半ば強制的だとしても、僕の屁理屈と毛の生えた心臓をもってすれば、断ろうと思えば余裕で断れたのにねえ。我ながら、興味のないコト、煩わしいコトは、絶対やりたくねー。他人にどう思われようがマジ関係ねー、ってな主義なのにねえ。まあ、その理由を、恥ずかしげもなくヒトコトで言うと、「地域のため」 これである。もう少し補足するなら、松下幸之助氏の名言、「世の為、人の為になり、ひいては自分の為になるということをやったら、必ず成就します」この言葉に、僕が帰依するところがあるからである。引っ越しの多い人生だった。これまでに七回住み家が変わった。その経験上、いわゆる地域の風紀や治安や雰囲気というものは、その先々、住む町内ごとに、細分化されて異なることを知った。例えば、同じ市内の道を隔てたこちら側から、あちら側へ引っ越すという、近距離の移動であっても、その町内の雰囲気の違いは、明確に感じ取れるものだった。僕が生まれた町は、国道沿いの貧民街で、10トントラックがビュンビュン走る危険な場所で、僕の家は、小学校へ行くにもラブホテル街を通らなければならない学区にありました。そんな町にも、町内会はあった。母親たちは、子供らの為、これ以上の町内の風紀の悪化を阻止しようと、ラブホテルが計画されるたびに、建設反対の署名を集めていた。両親が離婚した。母と僕と妹は、母子家庭などの低所得者が優先して入れる団地に引っ越した。バブル全盛期にイケイケで建設されたニュータウンだったが、僕が移り住んだ頃には、町の端々に過疎化の前兆を感ずることが出来た。そんな団地にも自治会はあった。棟の住人が亡くなれば有志で香典を徴収し、集会所を葬儀場として提供したり。掃除に参加しないと、罰金を徴収するなどの、厳しい罰則などもあった。それから、僕が実家を離れ住んだ町には、僕の記憶では、町内会らしきものがなかった。とても自由な町だった。イコール、町の風紀や治安は最悪だった。表通りは煙草の吸殻、空き缶、エロ本。公園には動物の排泄物や人間の体液。ゴミ捨て場には、曜日を守らず回収されなかった生ゴミ、それをついばむカラスの群れ。町内に中国人窃盗団のアジトがあるとの噂があった。チーマーが外国人労働者を集団リンチして殺す事件が、近所であった。重ねていうが、この町に皆さんの大嫌いな町内会は存在しなかった。町内会を毛嫌いする人は、ぜひ、この町に住んでもらいたい。何の束縛もない最高の町ですよ。まあ、身の安全もないけどね。その後、いろいろあって実家に戻った。その頃には、驚くことにニュータウンの大半は外国人労働者になっていた。町内会は、まだあった。夏祭りともなれば、中国人、韓国人、ブラジル人、トルコ人、ベトナム人、インド人などが、有志で屋台を出し各国の名物料理を振舞ってくれた。アマチュアバンドの演奏に合わせて、酒に酔った大勢の外国人たちが広場で踊った。ちょっとした万国博覧会って感じで、楽しかった。結婚して、妻と田舎のマンションに住んだ。引っ越した初日に、道端で野生のアライグマと遭遇した。都会っ子の妻は「とんでもないところに連れて来られてしまった」とむぜび泣いた。町内会の記憶はない。名古屋市内のマンションに引っ越した。大きなマンションだったので、それなりに厳しい自治会があった。市内に土地を買って、家を建てた。妻が、老後のことも考えて、公共交通機関の多い、あえてガチャガチャした都心近くを選んだ。それなりに賑やかで、それなりに静かな、よい町だと思った。だから、家を建てた。風紀や治安も下調べしたし、町内会があることも知っていた。どっかの誰かは、どうだか知らないが、僕は、この町に、強制連行されて来たわけじゃない。幸いにして、僕は、僕の本位で、この町にやって来た。だから、非力ながら、地域の為に出来る限りのことはしてみようと思うのである。この町が好きだからね。ご町内の風紀とは? 行政のことか?ご町内の治安とは? 警察のことか?ご町内の雰囲気とは? 自然や建造物のことか?違う。それらは全て、住民が分泌したものだ。僕らは、ご町内の分泌物だ。ひょっとしたら、地域に蓄積した弊害かもしれない。膿かもしれない。それでも、地域の為、人の為、そして、ひいては自分の為になんねえかなあ。なーんつって、ぶよぶよの、ねばねばの、膿のくせして、膿は膿なりに、精一杯貢献しているつもりなのである。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.06.10
昨年度、僕は町内の組長を務めた。本音の部分では、面倒臭せえ、はた迷惑、マジだりー。誰だって僕だって、気持ちは同じでやんす。んが、順番に回ってくる役なので、断る理由も無く、快く受けた。その頃妻は、次女の保育園の保護者会の会長という大役を、光栄にもクジで引き当てしまい、毎日ヘロヘロになっていたので、町内会の方は、僕が務めることにした。昨年の春、はじめて町内会の会合に出席した。うちの町内会では、各組長に事前に役を振り分け任命しておくのが通例らしく、僕は婦人部の平役員に勝手に配属されていた。「ふ、婦人部って、僕、男っすけど、いいすっか?」つって、町内会の顧問的ご老人に訊ねた。「いいんだよ。盆踊りの準備やら、何かと男手がいるんだ」とのこと。マジっすか。ところが、その後、副部長を任命されていたご婦人が、おみ足が悪いという理由で、その場で役を辞退され、また、部長を任命されていたご婦人は、「今日ここに座っていればいいと言われたから来たのよ!婦人部長だなんて騙された!」とわーわー文句を言い出す始末。会場に重い空気が流れた。それを見かねた顧問的ご老人が、僕に向かい、「君は若いんだから、ね、頼むよ、若いんだから、分かるね、だって若いんだから」と、ひたすらお願いしてきた。僕は結局断り切れず、あれよあれよという間に、ヒゲずら下げてハゲずら下げて「婦人部長」という大役を仰せつかることになってしまった。とほほ。なんか最近は、町内会や自治会や保護者会に入会しない人が多いらしいっすね。実際に、うちの町内にもそういったご家族は、ちらほらいます。まあ、強制ではないですからね、人それぞれですね。うちはってえと、町内の行事には全て参加していますよ、適正な間合いを測りながらね。ご近所付き合いの秘訣は、間合いを見切ることなり。身近な人だからこそ、適正な距離を保ち、ある一線から内側には絶対に立ち入らせない。ご近所さんのタイプに応じて、この一足一刀の一線がどこかを見切ることが出来れば、無駄な攻防戦に発展することなく、それなりの関係を継続出来ます。例えば、近所の公園の掃除でも、うちは無遅刻無欠勤、皆勤賞です。町内では、僕はちょ~若僧なので、誰よりも積極的に重いゴミ袋を運んだり、虫の多い人の嫌がる場所を掃除したりします。掃除が終わると、町内会費から飲み物が支給されるのですが、皆さんどなたも、積まれたジュースの山に最初に手を出すのを遠慮するので、いつも僕が、率先して好きなジュースに手を出して、ばきばきキャップを外して、大声で「いただきやーす!」つって、その場でグビグビ飲んじゃいます。その後、ご近所さんが雑談がてら、ジュースをぼちぼち手にしはじめるのを尻目に、「お疲れさまでしたー!」つって、とっとと帰ってきちゃう。ははははは!間合い!間合い!この人とは、未来永劫絶対に解り合うことは不可能であろう。ご近所を見渡せば、実際そんな人ばかりなり。でも、その現実を、お互いが十分理解し合っていれば、どんなご近所さんとでも、意外と共存の糸口は見出せるもんだ。と、個人的には、陽気に、あっぱらぱーに、思っています。絶対に解り合えないことを、解り合う。ひょっとしたら、これは、ご近所付き合いに限らず、家庭、学校、職場、はたまた隣国とのお付き合いに至るまで、全ての人間関係に通じる、共存の糸口なのかもしれませんよ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.06.08
なるべく小さな幸せとなるべく小さな不幸せなるべくいっぱい集めようそんな気持ちわかるでしょう?ブルーハーツの「情熱の薔薇」という曲のワンフレーズである。この歌詞の意味が理解出来る人いますか?僕はまだまだ修行が足らんのか、よく意味が分からない。この曲に出会ったのは、まだ十代の頃であったが、この不可解なフレーズがグサッと心に刺さり、魚の小骨が喉に刺さった時のような、何ともわずらわしい痛みが全身に走ったことを憶えている。そんな気持ち分るでしょう?なんつってポップに問うていますが、いやいや、全然分かんねーっつーの!深すぎるっつーの!そして、人生の酸いも甘いも噛分けたド中年になり果てた今日も、この言葉は消化不良のままである。心の奥に刺さったまま抜けないのである。答えはずっと奥のほう 心のずっと奥のほう なるほど、厄介である。同じく、名フレーズなんだけど、どうしても理解に苦しむフレーズ。ジュディマリの「そばかす」という曲のサビの部分。思い出は いつもキレイだけどそれだけじゃ おなかがすくわ本当は せつない夜なのにどうしてかしら? あの人の笑顔も思い出せないのこれも、すんげーインパクトあったなあ。はじめ聞いた時、マジあせったよ。ふつー失恋したら、しばらく泣き暮らすっしょ?未練タラタラっしょ?それが恋愛ってやつっしょ?な、な、な、何で彼氏の顔が思い出せんの?いやいや、ポジティブシンキンにも程があるっつーの!こんな豪快な女の子に、男はとても敵わない。あと、理解出来んけど心に刺さるといえば、サザンの「みんなのうた」のサビのフレーズね。いつの日か この場所で逢えるなら やり直そういい歌詞だねえ。まったく鼻っ柱がツーンと痛くなる。最近では、めちゃイケの最終回のエンディングに流れていたのがとても印象的だった。んが、この名フレーズも、どーにもこーにも理解に苦しむ。情けない話、お別れするお相手に、こんなセリフが吐ける人生経験を僕はしていない。失恋、破局、挫折、解散、様々な理由でお別れせねばならない恋人や、または仲間たちに向けて、いつの日か やり直そうこんな素敵なお別れをしたことがないのである。いつかこんな粋なサヨナラを、去り際に吐いてみたいぜベイビー。先日キッチンで家族にチャーハンを作りながら、ユーチューブで、サザンの「みんなのうた」を聞いていたら、このフレーズのところで、不意にも泣きそうになってしまった。こんな人でなしの心にも、言葉は平等に刺さってくれるんだねえ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.06.02
「鬼滅の刃」にハマっています。この自粛生活中に長女がアマゾンプライムで、アニメを一気見していましてね。ちょいちょい覗き見していたら、ハマってしまった。おもしれえ。最近は一緒になって一気見してます。なんか連載の方は終わっちゃたんだって?へー。先ず、設定が大正時代とあって、和服と洋服が混在する登場人物の衣裳や、背景のモダンな建造物や街並みが、とてもオシャレだと思った。あと最近のアニメでは珍しくオドロオドロしい描写が多い。この作品、巷の社会通念信者に、いわゆる社会通念を逸した猛批判を浴びていないのが不思議っす。ちょこざいなクレーマーを黙らせる何かが、この作品にはあるのかもしれない。これは、長女がテレビ画面を一時停止して、その場で模写したイラスト。画面を凝視し、鉛筆も消しゴムも使わず、いきなりクレヨンで描き殴っていた。うーむ、恐るべし。僕は昔から、暗記したり記憶したり、それを再生したりするのが、けっこー得意で、おそらく多少の映像記憶能力があると思われるのだが、きっとたぶん、そこらへんの何かが、長女に遺伝したのであろう。世の中には「発達障害」と言われる人達がいますが、僕は「発達障害」という表現そのものが、好きではありません。「鬼滅の刃」の登場人物たちは、それぞれが異常な能力をひとつ持っていて、その自分の異能ぶりを武器として、鬼と戦います。そもそも異常に発達した能力とは、その人の個性であり武器である筈なのです。「発達障害」ではなく「発達能力」。誰にだって個性はある。仮に、学力・体力・性格などすべての事柄において、寸分の狂いなく平均値の無個性人間がいたなら、それはそれで、立派な異常者なのではないだろうか?かつて僕たちが見ていたアニメには、「タイガーマスク」や「デビルマン」のように、主人公に暗い過去や宿命があったり、「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪人間ベム」のように、出自が怪しかったり、「ルパン三世」=泥棒、「ブラックジャック」=無免許医師、というような、いわゆるダーティーヒーローものが多くあった。残酷な描写も、日常茶飯事だった。毎週月曜に放送されていた「北斗の拳」では、ケンシロウに経絡秘孔を突かれたザコキャラが、顔面を炸裂させ血を吹きながら死んでいくさまを、夜七時台にチビッ子がお茶の間で見ていた。「妖怪人間ベム」などは、放送禁止用語だらけで、放送中にやたら「ピー」が入った。さっさと働きな!このピーが!さもなきゃ、目ん玉ピー。ベム、あの女、ピーだね。ああ、あのピーをピーしてピーすればピーだな。ほんと、ストーリーを把握するのが難儀だった。思えば、今では考えられない差別用語やエロやグロ、うんこ・しっこなどの汚い言葉、チビ・デブ・ハゲ・ブスなどの人を傷つける言葉が、ブラウン管からだだ洩れだった。まったく、呆れるほどゆる~い時代であったが、少なくとも、良くない言葉を先ずは受け入れ、日々の生活の中で咀嚼し、一度は口に出してみた上で、自分の意思で規制する。そういう試行錯誤の猶予はあったように思う。幼い頃にダーティーなモノゴトを完全に覆い隠されて育った若者たちが、殴られ馴れていないが故に、手加減を知らずヒトを殺していまったり、ネットで、目を覆いたくなるような誹謗中傷でヒトを死に追いやっているのを見ると、ダーティーなモノゴトへの抗体を待たぬ精神は、それはそれで問題だなあと思う。そういった意味でも、初めから終わりまで、ダーティームード全開の「鬼滅の刃」の、この時代における、この人気ぶりは、なかなか興味深い。ちゅーわけで。やることもねーし、手持ち無沙汰だもんで、一日中PCに向かって、心にぽっと浮かんでは、ぱっと消える、そんなとりとめもないことを、だらだら書いていると、思わずニヤけてしまう今日この頃なのである。徒然なるままに、ちょいとね。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.05.24
娘たちが、カワイイてしゃーない。コロナ自粛で、けっこー家にいて、ふれあう時間が増えたからかなあ。あらためて、娘たちが、カワイイのである。これはちょっと、早いとこ彼女たちに反抗期を迎えてもらって、さっさと悪態をついてもらって、ガン無視してもらって、ウザっとかキモっとか吐き捨ててもらったほうが、どうやら自分の為に良いのではないか?このままでは、娘たちに骨抜きにされてしまう。自分がダメになってしまう。そう心配になるほど、何や知らんけどカワイイのである。そんなこんなで、最近ちょいちょい義父の気持ちを察するのよね。義父は、僕に負けず劣らず偏屈な人間であるが、出会った頃、ただのロクデナシだった僕を、なぜかとても寛大に受け入れてくれた。もしもの話。年頃になった娘たちが、若き日の僕を、父である僕の前に連れてきたら・・・。ああ、胸が痛い。なんでもいいから錠剤欲しい。瓶ごとカラカラっと飲み干したい。僕には、とても義父のような広い心はない。いまだにちょー苦手な義父だが、その点で尊敬し、一生頭が上がらない義父に初めて挨拶に行った時、僕はフリーターだった。妻は、高校を卒業したばかり。ちーっす!娘さんと結婚を前提につきあっちゃてまあーす!ぽっくん、フリーターさんず!てか、今のバイトも先輩気に入らねーから辞めましたあー!現在、バリバリ無職どえーす!てな感じで、元気いっぱい挨拶したと思う。その時、義父に、おま、いい度胸してんな。度胸だけは買ってやる。おまえに、ひとつだけ、いいことを教えてやろう。定職に就け。つって、言われて、んだよ、定職に就かなきゃ、娘くんねーのかよ。ったく、ケチくせーオヤジだぜ。つって、内心思って、その内心が明らかに顔に出ちゃっている僕に向かって義父が、おい、メシ行くぞ!つって、これは罰ゲームかしらんちゅうぐらい、たらふく焼肉を喰わされた。思えば、義父、心が広かったねえ。これ、僕だったら、横綱ばりのシコ踏んで、大量の塩撒いて追っ払ったと思う。しぶしぶ就職した僕は、それから約一年後。お義父さんのおっしゃる通り、定職に就きました。パパさん、娘さんを僕に下さい。さあ、下さい。ほら、下さい。つったら、義父。・・・分った。つーんだよ。いやいやいや、甘いっつーの!あっさりやるなっつーの!義父ってば、心広いよねえ。僕なら、戦う。鈍器のようなモノで、とどめを刺す。で、式はいつ挙げるんだ?って、パピーが聞くから。結婚式を挙げる気はさらさらナッシング。だって、僕たち、お金ないんだもーん。つったら、なめてんのか。つって、先程と打って変わって、すんげー怒られちゃって。おまえら、結婚は、二人だけのためにするもんじゃねーぞ。とか、こんこんと説教されちゃって。えー。まじー。式って挙げにゃならんの?だりー。また金貯めにゃならんがや、また働かにゃならんがや、だりー。つって、その内心が顔に出まくっちゃってる僕に向かって義父が、おい、酒呑み行くぞ!つって、しこたま飲まされて、僕、べろんべろんになって。義父が泊まってけっつーから、まだ十代のU子の部屋で二人で寝て。義父、まじ、心広いねえ。これ、僕だったら、一晩自分と添い寝の刑だぜ。んで、さらに二年後、式の日程が決まったので報告に行った時。ちなみに、新婚旅行はどこ行くんだ?ちゅうから、僕)新婚旅行の予算は今はないので、式が終わって半年後ぐらいに、ディズニーランドに行こうと思っとります。義父) ディズニーランド?僕)はい、深夜バスの日帰り格安ツアーで。つったら、義父。情けなくて、涙が出る。かりにも俺の娘の一生に一度の・・・と、言いかけて、・・・まあ、いい。おい、Q輔、メシ喰え、酒呑め。そんなこんなで、今に至る。あの時の義父の、呆れたような、諦めたような、そして、どこの馬の骨とも知れぬ頼りない義理の息子候補を、どこか慈しんでくれているかのような、あの表情が、今も忘れられない。僕も、いつか愛する娘を馬の骨にくれてやる時は、あの日の義父のような、これでもかと複雑な表情を、せめてもの腹癒せに、メシと酒と共に喰らわせてやろうと思っている。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.05.17
僕は、昨日からゴールデンウィークがスタートっす。なっが~いステイホーム、なっが~い「家曜日」の始まりです。てゆーか、最近、思うんだけどさ。あれだね、「うちで過ごそう」ってのは、要するに「うちへ帰ろう」ってことだね。もちろん、この文章を書いている今だって、肉体的には家にいるわけだから、とっくに家に帰ってきているのだけれども、気持ち的には、闇雲に邁進してきた自分を、いったん原点回帰させるべき時だぞと。心よ、うちへ帰ろう。心よ、いったん帰って、再出発しようじゃないか。個人的には、この自粛生活を、そんな風に捉え始めています。今年も、家庭菜園を始めましたよ。昨年は、雨が多く、不作でねえ。うお~い!キューリ君、トマトちゃん!今年は期待してっからね!さて、今日は「電子決済」の話。時代はとっくにそっちのほーに着々と向かっているのに加え、この新型コロナウイルスの影響もあって、今後、決済のキャッシュレス化は、急加速で進むことは間違いない。そんな時代の渦中あって、僕はといえば、お恥ずかしい話、今だカードやネットで買物をしたことが一度も無い。クレジットカード・電子マネー・QRコード決済・ペイペイ、聞いたことはあるが、違いが分からない、よく意味が分からない。とほほ。自慢じゃないが、わずらわしいことは全て妻にお願いして来たからである。時代の渦、呑まれまくり。ぼ~く、ドザえも~ん。いや~、でも、さすがに、ぼちぼちヤベえな、何となく。一応、一通りのことは、出来るようにしておこうかな、そこはかとなく。つれづれなるままに、うれし恥ずかし四十五歳。ちゅ~かさ。素朴な疑問、あんだけど。滅びゆく恐竜の、断末魔の叫び、聞いてくれる?仮にこのままキャッシュレス化が進んで、近い将来、生活の中で現金を見ることが、さほど無くなって、いずれ現金を一度も見たことのない世代、そんなヒトたちが現れるとして。その頃のヒトたちは、例えば、一千万円。という、金額を耳にした時にね、脳内の視覚的イメージとして、どんな画像を思い浮かべるんかいな?例えば、こんなん?まさかね。年貢じゃあるまいし。例えば、こんなん?ははは。海賊じゃあるまいし。ウホウホ!ギャートルズじゃあるまいし!僕ら的には、一千万円って聞いたら、即座にこの画像をイメージするっしょ?札束の山、百万円の束10個。んで、この札束をドンと目の前に出されたら、普通にビビってしまうっしょ?間違いなく体が反応してしまう。冷汗が出たり、震えたり。それは、僕たちが「お金の価値」というものを、お札や硬貨のデザインという視覚的要素もさることながら、手にした時の感触や重さ、印刷物の臭いや金属の臭いなど、様々な感覚で肉体的に認識しているからである。体がお金の価値を知っている、ちゅうことね。では、キャッレス化の果ての果てに生きるヒトたちは、一千万円。と聞いて、何をイメージするのだろう?おそらく、これかな?いきなりアラビア数字!一千万円と聞いて、「1」をひとつ「0」を七つイメージする。そして、いずれ僕たちも紙幣や硬貨の存在を忘れ、数字だけをイメージするようになる。このまま、電子決済が浸透すれば、従来のお金の価値の「感じ方」は変わる。。だからキャッシュレス化がよくないと言っているわけでは、決してない。現金なんて、いっそさっぱりと無くなればよいと思う。ただ、間違いなく「お金の価値」というものは希薄になるなあ、と思うだけであってね。先日、家族そろって夕食を食べていたら、妻と長女が、何事か交渉をしていた。長女)このあいだ、お風呂掃除したから、5ママペイでしょ、昨日は肩揉みしたから、3ママペイでしょ、合わせて8ママペイで「動物の森」をもう1時間プレイする時間を買いたい。妻)8ママペイは、安い。今からお皿を運んだら、2ママペイ支払うから、合計10ママペイで、任天堂DSプレイ時間、1時間延長を販売します。長女)オッケー!買った!これまで、うちの子供たちには、お手伝いをするたびに、現金でお小遣いをあげていたのであるが、どうやら最近は「ママペイ」という架空の価値でやり取りをしているらしい。知らぬ間に、我が家もキャッシュレス化が進んどったでかんがや。長女はお手伝いをするたびに、妻が口頭で支払う「ママペイ」をノートに控えている。そして、この「ママペイ」の交渉のポイントは、驚くべきことに、お手伝いという労働の対価を「お金」に換算せず、「時間」に換算しているところである。後々分かったことであるが「時間」のみならず、「場所」や「秘密」や「ママの優しさ」なども買えるらしい。世の中、お金だ。当たり前のように、そう教えられて育った僕たちには、考えにくいことであるが、何でもかんでも価値をいったんお金に換算すればよい、という時代は終焉を迎えているのであろう。キャッシュレス化の果ての果ては、「マネー」という概念すらなくなるのかもしれない。いずれは、ある「価値」をいきなり別の「価値」へと換算するという、離れ業がまかり通る世の中が、やって来るのかもしれない。ありふれた中産階級のサラリーマンの食卓に、思わぬ未来が転がっていたので、僕、慌てふためいて、あわわわわあ。にほんブログ村↑ポチッと一枚!
2020.05.02
人を死ぬほどびっくりさせたことがあります。振りかえれば、故意であれ過失であれ、よろしくない部類で人を驚かすことの多い人生であったなあ、なんつって、我ながら、そこはかとなく思ったりする今日この頃なのだけれど、そのなかでも「いやいや、あんた、そこまでびっくりするかね」と、驚かせた相手に逆に度肝を抜かれたってぇ話。それは、今から15年前、2004年3月20日の出来事。今の会社に入社したばかりで、まだペーペーの職人だった僕は、その日、ある古い戸建住宅のリフォーム工事をしていた。そのお宅は、高さ2メートルの擁壁沿いギリギリに建物が建っていて、建物と擁壁の間が60センチ程しかなかった。工事はキッチンの改修がメインで、僕達は宅内から屋外へ出た排水を水路に放流する為、人がギリギリ通れる間を、恐る恐る、注意しながら管材を運び、足場の悪い2メートル下の水路際に脚立をたてて、配管を擁壁に固定したりした。事故も怪我もなく無事工事を終え、会社に帰り、タイムカードを押して退勤しかけた僕に、当時の僕の上司が言った。「おい、お前、帰りがけに今日の現場に立ち寄って、トイレの便器の品番を控えてこい。」どうやら、便器の調子が悪いので、お客様に修理を依頼されたのだが、品番を控えてくるのを忘れたらしい。「お前の家、あっち方面だろ? 帰るついでに、ちょっと寄って、品番控えてこい。」断る理由もないので「へぇ、へぇ、わかりやしたぁ。」なんつって、帰宅途中に昼の現場へ寄り道することに。午後7時頃、昼間工事をしたそのお宅に立ち寄った。元請の建築屋さんが玄関を工事中で、インターホンがなかった。玄関先で叫ぶ。ごめんくださーい!・・・あれ?返事がない。ごめんくださーい!ごめんくださーい!・・・お留守かな?耳をすますと、キッチンの方で、テレビの音がする、あ、ご主人の笑い声も聞こえるぞ。テレビに夢中なのかな、どうしよう。しょうがない、昼間工事をしたキッチンの方へまわって声を掛けよう。僕は、闇の中を、2メートルの擁壁沿いの、人がギリギリ通れる建物との隙間を、城に忍び込む忍者のように、壁づたいに蟹歩きで歩いた。キッチンにある小窓から、明るい室内を覗くと、リビングが見えた。窓の外の僕の真向かいに小さなテーブルがあって、そこでご主人が一人で夕食を食べていた。奥さんがいない。風呂かな?ご主人は、茶碗の飯をかきこみながら、爆音でテレビを見て、大笑いしていた。後で知ったのだが、その日、ドリフターズのいかりや長介氏がお亡くなりになり、テレビは各局、いかりやさんの追憶番組を放送していた。ご主人は「ドリフ大爆笑」を見て、文字通り、大爆笑していた。ごめんくださーい!・・・気が付かねえ。窓を叩く。コンコンコン・・・気が付かねえ。・・・ったく、困ったな。僕は崖っぷちで立ち尽くし、一瞬不安になった。・・・まあ、いっか、そのうち気が付くっちゅーの。すぐそう思い直して、ご主人がこちらに気が付くまで、気長に待つことにした。暇だから、ご主人が夢中で見ているドリフのコントを、僕も窓にしがみつきながら見た。僕は、崖っぷちの小窓から、人の家のテレビを覗き込み、ドリフのコントをしばらく見ていた。あんた、神様かい?とんでもねえ、あたしゃ、神様だよ。志村と加藤が軽快な掛け合いをするコントの最中、やっと、ご主人が僕に気が付いた。味噌汁をすすりながら何気に窓を見たご主人と、漆黒の闇夜、人がいるはずない崖っぷち、小窓にしがみつき、ドリフを見て笑う僕との、視線が、ばっちり、合った。ぎゃあああ!ご主人、B級ホラー映画のように分かりやすい悲鳴をお上げになられた。そして、味噌汁を手にしたまま、椅子ごと後ろにぶっ倒れた。ご主人、倒れる途中、無意識に椅子の後ろ足二本でしばらくバランスをとって、なかなか倒れなかった。ご主人、足をバタバタさせ、絶妙なバランス感覚を見せた。宙を舞う味噌汁の、滞空時間、長い長い。ゆっくりと宙を舞う具材から、その晩は、ネギと豆腐の味噌汁だと判別出来たもん。ご主人、まさにドリフのコントばりに豪快にぶっ倒れて、僕の視界から消えた後も、テーブルの下から、うわああ、あわわわわわああ、と、ボーダーラインぎりっきりのうめき声を漏らし続けている。・・・・やっべえ、死ぬほどびっくりさせちゃった。ご主人、テーブルの上にひょこっと顔を出す。顔面蒼白、恐怖におののいている。僕は、大至急ご主人の警戒心を解かねばと、漆黒の闇の中から、これでもかと爽やかな、全身全霊、渾身の笑みを見せた。えへ。 えへへぇ~。ぎゃあああ!あれ? また、びっくりしとる。 何でじゃ? 何がいかんのじゃ?僕は慌てて、自分の顔を指差し、あごが外れるほど大きく口を動かしながら、ひ、る、の、す、い、ど、う、や、で、す。ひ、る、の、す、い、ど、う、や、で、す。ひ、る、の、す、い、ど、う、や、で、す。と、窓ガラス越しに、サイレントで申し続け、ご主人の読唇術に期待した。ご主人は、徐々に平常心を取り戻し始め、昼の水道屋の顔を思い出してくれた。味噌汁でびしょ濡れ、頭に白ネギをのせたご主人が、ふらりふらりと僕に近寄り、がらりと窓を開けた。僕 「どーもー、こんばんわー。」ご主人 「・・・こ、こんばんわ。」僕 「あのぉ~、僕ぅ~、便器の品番を調べに来ました!」ご主人 「はあ?」僕 「便器の!」ご主人 「便器の・・・」僕 「品番を!」ご主人 「品番を・・・はあ・・・どうぞ、お上がりください。」僕 「はーい! おじゃま致しまーす!」ふと見ると、つけっぱなしのテレビでは、いかりや長介が「もしものコーナー」のオチ間際。「・・・あのぉ、水道屋さん。」長介、頭から水をかぶり、ずぶ濡れになって、カメラ目線。「・・・あのぉ、すみませんが、玄関からお願いします。」しれぇ~っと小窓から家に上がり込もうとする僕に、ご主人が言った。「だめだこりゃ。」続けざま、長介が、僕に、そう言った。「メリーゴーラウンド」にほんブログ村
2019.02.25
今夜だけは あかりが欲しいひかりじゃない あかりが欲しい甲本ヒロト(ザ・ハイロウズ クリーミーより)いまから二十五年以上前の話。僕、嬉し恥ずかし十九歳。十二月、その年一番の寒波が東海地方を襲った冬の夜のこと。もうすぐクリスマスってんで、街はまばゆい電飾の光で色めきだっていた。が、夜が深くなるにつれ、それらの電光も、やがては、ひとつ残らず、消えた。僕はといえば終電に乗り遅れ、名古屋の今池という歓楽街の片隅の、薄汚い公園のベンチに腰を下ろしていた。うちの書斎の照明は、ペンダントライト「グラフ ワフト」。市販のものは、若干コードが長いらしく、妻はコードを短く調整してくれる雑貨屋さんを探し、家族でドライブがてら、遠方まで行って購入し、そこで調整してもらっていました。その日、今池のライブハウスに、お気に入りのパンクバンドのライブを一人で観に来て、大騒ぎして、その帰り際、見知らぬパンクスが「電車賃がねーのよ。お金貸してくんない?」と申すので、「オッケー!オーライ!困ったときはお互い様よぉ! てか、あんた誰?」なんつって、ポケットからくしゃくしゃの千円をほじくりだして、まあ、相手にくれてやったんだけどさ。ところが、駅の改札で、あの千円が自分の所持金、全財産だってことに気が付いてさ。やっべー、切符買えねー。んで、猛ダッシュで、そのパンクスのとこ引き返して「金返せコノヤロー!」つったらさ。なんだか知らねーけど、そいつキレちゃって、僕、ぶん殴られちゃって。んで、去り際に、何故か三百円だけくれてさ。そんなこんなで、よたよたと駅に戻ったら、もうシャッター閉まってた。しゃーねー、野宿すんべ。ベンチに横になって就寝を試みるも、とにかく寒いの何のって。何か暖を取れる物を探そうと、公園内を物色すると、ゴミ箱に大量の雑誌が捨ててあった。僕は、ゴミ箱から「ジャンプ」「マガジン」などの分厚い漫画雑誌数冊をあさって、雑誌をへの字形に開いて、自分の足元から胸のあたりまで隙間なく、掛け布団代わりに掛けた。あったけぇー。漫画雑誌のお布団は思いのほか暖かかった。僕は押し寄せる孤独感を紛らわせるために、ひたすら「あったけぇー。あったけぇー。」とつぶやき続けた。この「ゆがみ」、しっぶぅーーい!小一時間が過ぎ、うとうとしかけた頃、どこからともなく一人の浮浪者が現れて、僕に話かけてきた。「おい、そのジャンプ、よこせ。」「・・・は?」「今週号、まだ読んでねーんだ、よこせよ。」「おいおい、おっさん、そいつは無理な話だぜ、見りゃ分かるだろ、これは僕のぽっかぽかの掛け布団だからな。」僕はベンチに横になったままの姿勢で、浮浪者に答えた。「だったら、このフライデーと交換しろよ。」浮浪者はぺらっぺらのゴシップ雑誌をゴミ箱からわし掴み、僕に放り投げ、僕のジャンプに手を掛けた。「泥棒野郎っ!」僕は慌てて起き上がり、浮浪者に奪われぬよう、ジャンプを掴んだ。真冬の真夜中の公園で、僕と浮浪者は、ゴミ箱に捨ててあった漫画雑誌を、引っぱり合って、奪い合った。突然、浮浪者が手を離した。僕は、その勢いで地面に転げた。公園の土が、口に入った。ションベン臭い味がした。「ふん、乞食めっ!」浮浪者が、僕に吐き捨て、立ち去った。乞食はテメーだろ!と言い返してやりたかったが、当時の僕の服装はビリビリのパンクファッションで、実にみすぼらしく、浮浪者の身なりの方が、しゅっとしていたので、言い返せなかった。まあ、そんなようなもんだ・・・。僕は、自分に、吐き捨てた。学生の頃、ロックだ自由だと、共に歌い騒いだ仲間たち、あいつらみんなどこ行った?お付き合いした女の子たち、あいつらみんなどこ行った?卒業と同時に、どいつもこいつも、すっかり見かけなくなっちまった。マジ、あいつら、みんな、どこへ消えた?僕は、これから、どんな大人になるのだろう?どんな人生を送るのだろう?こんな僕でも、結婚したりするのかな? こんな僕でも、子供がいたり、座敷犬なんか飼ってたり? こんな僕でも、いつか高級住宅街に住んで、ふかふかの羽毛布団で寝たり出来るかな?・・・むり、むり、あり得ねー。あーあ、なんだかもう、どーでもよくなってきた。立ち上がるのも、面倒くさい。呼吸するのも、だるい。あーあ、寒みー。死んじまうほど寒みーよ。・・・凍死って、どうなの。今日、ここで、なんとなーく終わっても、それなら、それで、いーか・・・・。夜空を見上げると、白い、冷たいのが、ホコリのように、ちらつきはじめていた。我が青春、ゴキブリ以下!あたたかい、あかりです。 結局、僕は、始発で家に帰りましたよ。僕は、凍死しなかった。いや~、心のほうは「もう死んじゃってもいっかぁ」つって思ってもさぁ、本能のほうが「生きろ!生きろ!」つって大暴走しちゃってさぁ、カッコつけて「絶望」なんてしてみたものの、結局寒さに耐えきれず、一目散に公衆便所の個室に逃げ込んで、一晩過ごしました。ははは。「絶望」三分もたねーの。ぎゃはははは!どうやら「僕の仕組み」は、そんなに繊細に出来てねーみたい。生命力、ゴキブリ並み!だはははははははははは。そんじゃあ、親愛なる読者様、ちーと早いですが、ま、メーリークリスマスってことで。にほんブログ村
2018.12.16
「カレー、ラーメン、焼肉、どれが最強?」気の知れた仕事仲間と、ワイワイ飯食ったり、酒飲んだりしてますと、ちょいちょい会話のネタにあがるのが、これっすわ。我々のような、40過ぎの肉体労働系のおっさんの「永遠の食のテーマ」、それが、「カレー、ラーメン、焼肉、どれが最強?」。ちなみに、読者様はどれ? どれが最強?質問として「どれが最強?」という聞き方が、いまいちピントずれしているのであれば、どれかひとつだけ選びなさい。選んだ料理のみ、今まで通り食べてよし。選ばなかった二つは、生涯喰えぬ。食べたら死刑!という法律が出来たら、どれを選ぶ?というスタンスで考えみよう。ははは。てか、単純に、どれが、一番好き?って話なんすけどね。だはは。僕ぁ~ねぇ、昔っから、揺ぎ無き「カレー最強説論者」っす。ラーメン派・焼肉派を相手に、時に辛辣な発言をしたり、甘口より発汗するような味が好きだったりする、二つの意味での「辛口カレー論者」っす。僕には、持論があって、「カレー、ラーメン、焼肉のうち、カレーライスのみが、家庭の味・素人の味が、時にプロの味に勝ちうる料理である」と思っているんです。ラーメン、焼肉ってね、所詮、外食に勝てねーのよ。そもそも、巨大な寸胴鍋や、強火力のコンロ等、プロの厨房設備があってこその味じゃね?一般家庭のキッチンでは、どう逆立ちしても、あの味は出せないっしょ。また、いまだ下克上の如き市場を勝ち抜いた料理人たちの、目利き、技術、努力が物を言う料理であって、どだい素人が太刀打ちできる料理ではねっす。要するに「プロの味を楽しむ料理」って感じがするっす。だがしかぁーし、カレーライスは違うぞぃ!家庭の台所で!市販で売っているカレーのルーで!お母さんが子供の為に作ったカレーライスが!または、野外学習でみんなで作ったカレーライスが!はたまた、町内のどこからか漂ってくる安っぽいカレーの匂いが!時にプロの味に勝ちうることがあるのであーるっ!これぞカレーという料理の強みであーるっ!奥深さであーるっ!愛くるしさであーるっ!・・・なんつって「理論」を、もとい、「屁理屈」を展開している訳だけどね。まあ、ラーメン論者には、「てか、んなこと言うなら、スキー場の雪んなかで食べるカップラーメンが、プロの味に勝つ時あるぞ!」とか、焼肉論者には、「てか、家族キャンプで食べる焼肉・バーべキューは、店のよりうんめーぞ!」なんつって、いとも簡単に論破されちゃうんですけどね。はっはっはっ、駄目だこりゃ。でも、やっぱ、あれっすな。ラーメンや焼肉が好きな人は、食に対する探究心ちゅうか、開拓心ってのか旺盛ですな。常に気持ちが外に外に向かっているというか、そんな感じ?方や、カレー好きって、結局のところ、保守的なのだと思うな。「食生活」に対して「刺激」より「安心」を求める人が多いと思う。少なくとも僕はそうですね。さて。こちらは、無印良品の「小さめカレー」。お味は「キーマカレー」、「海老のココナッツカレー」、「バターチキンカレー」の三種。これ、買ったの、たしかお盆の前。早く食べてぇ!食べてぇんだコノヤロー!と思いつつ、タイミングがなく、食べなかったのですが、ついに昨日、食しましたで候。この度、ずーっとやってみたかった「大人食べ」、やってみたぞー!それは、この無印良品の「小さめカレー」だから出来ること。その名も、一食で三種類カレーの味のを食べ比べる「三色カレー」。作り方は、いたって簡単。先ず、ご飯1.5人前程の量を三等分に盛りつけまーす。次に、お湯で温めた「小さめカレー」三種を、それぞれご飯にかけまーす。はーい、出来上がり。これで一人前。スプーン三つあるのは、使い分ける為。味が汚れると嫌じゃんね。一袋のルーの量が、だいだい定食屋で出てくる「ライス小」にかけて丁度いいぐらいの量なので、決して大食漢ではない僕ですが、これぐらいペロリっすわ。実は、どれも初めて食べる味ばかり。レトルトカレーといえば、昔は妻が、見慣れぬ、異国情緒漂う、やたら高級なのを買ってくる度、「おい!僕はこんな得体のしれぬカレーは喰わぬ!『ボン』を出せ!さっさと『ボン』を買って来い!」などと言っては、妻を困らせてきた僕ですが、最近はね、いろいろ食べてますよ、広い心でね。いやぁ~、どれも美味しかったです。拒絶反応ハンパ無いかなぁと思っていた「海老のココナッツカレー」が、意外や意外、一番美味しかった。こういう食べ方するなら、ライスより、パンとかナンの方がいいかもしんねーなぁ、とか。「小さめカレー」の味は、10種類ほどあるので、いっそ全部買い込んで、家族でカレーパーティーとかしてみたいなぁ、とか。無印良品の「小さめカレー」、また買う気満々の僕なのでした。にほんブログ村
2018.09.09
後ろの正面だぁ~~れ!Q輔です。え~、先日、久々に無印良品へ行って、色々買ってきましたよ。しばらくは、ちょいちょい、その報告をしようかな。という訳で、今回は、僕がチョイスした無印良品の駄菓子をご紹介。見て、このラインナップ!懐かしい系全開モード!やっぱあれっすね、人間、40歳を過ぎると、だんだん味覚がアドベンチャーしなくなりますな。気が付きゃ、求むるは「懐かしさ」ばかりなり。このままじゃ、完全に味覚が「退化」するなこりゃ。味覚に限らず、なんか最近、心身共に「退化」を通り越して、「先祖返り」すんじゃねーかって思うもんなあ。尾てい骨とか、妙にうずくんだよなあ。そのうち、しっぽ生えてくんじゃねーかなあ。こちら、3色マシュマロというお菓子でーす。ピンク、黄色、白、の3色のマシュマロ、まあ、どれも味は一緒でーす。おっと、偏に三色といえど侮るなかれ、一見して分らぬほどの、超淡ぁぁぁ~い色分けですぞよ。限りなく白に近いピンクと、限りなく白に近い黄色と、限りなく白に近いピンク色や黄色に近い白、の3色でーす。ははは。僕ねぇ~、マシュマロというお菓子が昔から大好きなんすけどね~、ただねぇ~、うちの妻がねぇ~「マシュマロって、毛むくじゃらの屈強なアメリカ人が、BBQの後に、串にぶっ差して、焚火であぶって食べるアレでしょ?」などと、一体全体何を見てそう思ったのか、かなり偏った情報の得方をしているのよね。だから、買い物の時に、僕が何気にマシュマロを買い物カゴに入れたりすると、「スペアリブの後に?」とか、「マールボロ?」とか、「ハーレーダビッドソン?」とか、訳の分からない疑問形を、矢継ぎ早に放ってくるので、まったく鬱陶しいっての!とほほ。出た!駄菓子の王道!麦チョコ!これ、子供ん時、3時のおやつに母親がよく買って来てくれたんすよね。ちょうどこれぐらいの袋のを、母親が子供三人分、平等に三等分にしてくれてね。んで、部活でまだ学校から帰らない姉ちゃんを待てず、僕と妹は、いつも先におやつ食べちゃう。さらに、僕と妹は、もっと食べたいから、姉ちゃんの麦チョコ「ひと粒ふた粒ならばれないよね」つって手を出しちゃう。まあ、ひもじいから、ひと粒ふた粒で止まる訳ねーじゃん、当然、歯止め効かなくなっちゃってさ。夕方に姉ちゃんが部活から帰ってくる頃には、皿の麦チョコ、8粒ぐらいになってるのね。だはは。「ム所の囚人でも、もっと配給されとるわ!」つって、姉ちゃん怒髪天でさ、僕と妹、小突き回されちゃって。うちの姉ちゃん、怖ぇ~、怖ぇ~、刑務所のこと「ム所」とか言っちゃうんだもんなぁ~。ランドセルの中から、油紙に包んだ「チャカ」と呼ばれる武器が出てくんじゃねーかと思ったもん。これも、昔からあった駄菓子です。名称は、えーっと、コーンスナックチョコというのか、へー、知らんかった。うちの実家では、この駄菓子のことを「麦チョコのいーやつ」と呼んでしました。ぎゃはは。そう言えば、以前妻に指摘されたことがあるのだけれど、僕の兄妹は揃って「上質なもの、高級なもの、上品なもの」のことを総じて、「いーやつ」と言う癖があるらしい。「美味い!おい、U子、このサンマ、いーやつだな!」「U子ちゃん、その服、きっと、いーやつじゃない?」「この店の懐石料理は、どれも、すっごい、なんつーか、・・・いーやつだったね!」「上質なもの、高級なもの、上品なもの」を形容する機会に恵まれずに育つと、自然とこうなります。子供の頃は、3時が待ち遠しかったなあ。3時のおやつが、待ち遠しくて、待ち遠しくて、たまらなかった。大人になった今でも、3時になると、不意に「あ、おやつの時間だ」なんて、無駄にウキウキするもんなあ。でも、今は、町内の駄菓子屋さんなんて、すっかり無くなってしまったし、スーパーの駄菓子コーナーで、自分の子供に買ってやる駄菓子も、僕らの頃とは値段も趣旨も、まったく違うものになってしまった。なんつーか、駄菓子そのものより、おまけ重視っていうか、おまけのおまけの駄菓子っていうか、何だいありゃ?そう思うと、無印良品のお菓子コーナーは、まったくありがてぇよ。僕等の知っている、昭和の駄菓子が、あの頃のまま、そこにあるから。にほんブログ村
2018.08.11
暑い!暑い!暑い!暑いってんだコンチキショー!異常な暑さにゾッとするわ!悪寒がするわ!まったく、僕の住む愛知県の暑さ、連日、半端ねーぞバカヤロー!ちゅう訳で、我が家は、サンルームに家庭用のプールを出して、水遊びっすわ。うちのプールはイージーセットプールといって、空気入れ不要のやつでーす。近所のホームセンターやデパートで、ころごろ売っているやつでーす。以前紹介したマルチシンクの湯栓から、プールにぬるま湯を入れます。うーん、まだ、1割ぐらいしか入ってねーな。これ、結構時間がかかんだよね~。うーん、やっと3割ぐらい入ったかなぁ・・・、って、もう、ガキ、入ってるし!ぎゃはははははははは!超浅っせー!でも潜っとる!ぶおお!かろうじて泳いどる!そこはかとなくバカンス気分!え~、さて、今回は、唐突ですが、家系だとか、血統だとか、ルーツだとかのたぐいの話。まだ20代の頃だったと思う。酒の席で、何気に「家系自慢」を始めた友達がいた。自分の家系は、代々なんたら藩の奉行職で、なんたらの戦いで大きな手柄をたて、うんぬん。へ~、そっかー、そっかー、そうなんだー。そしたら、そこにいた他の男友達、女友達、まあ、その場のノリで、どいつもこいつも、負けじと、自分のとこのルーツを語りはじめちゃってさ。うちの母方の先祖が、徳川家の旗本だった、うんぬん。私の家系は、かつて信長に仕えたなんたら家で、かんぬん。俺のルーツは源氏、代々伝わる家系図を紐解くと、なんたらかんたら。あら、いやだ!びっくり!みんな、おいそれと酒など酌み交わせるお立場ではない血統の末裔なのね。オラぁ、なんだか恐れ多くなってきただよ、オラみたいなもんが、こうして高貴な出自のあなた方と、今宵この場末の居酒屋で、一緒に低級酒をちびちび舐めながら、「あたりめ」をしゃぶっていてもよろしいのかね?しっかし、あれだな、愛知県に昔から住んでる土着の人たちは、信長、秀吉、家康の三大英傑がらみの家系自慢が多いよなあ。「先祖は、しがない足軽でした」とか「先祖は、水飲み百姓でした」なんて言う人に、会ったことねーんだよなぁ。ほんとに、昔の日本に「平民」って存在したのかよ?どいつもこいつも、先祖は「偉人」なんだよなあ?なんてこと考えながら、一人黙って日本酒のぬる燗を何杯も呑み、腐って腐って腐り果てていたらば、「Qちゃんは?」と、そのうちの女友達が、僕に訊ねてきた。「Qちゃんのルーツは?」僕のルーツ???え~っとぉ・・・。僕の家系は、愛知県の土着の民ではないのです。僕の父は、福岡県福岡市生まれ。僕の母は、千葉県館山市生まれ。父と母は、当時いろいろあって、就職先の東京で知り合い、その後、本当にいろいろあって、愛知県名古屋市に「駆け落ち」して来たらしい。そんなんだから、双方の親族とも、僕の家族はずーっと疎遠だったし、そんな両親の馴れ初めをかろじて知っているぐらいで、あとは、自分のルーツなんて、微塵も知んねー。だた、まあ、「家系自慢大会」の発言の順番まわって来ちゃってっからさ、とりあえず、なんか言っとけーって状況だからさ、えーっとぉ~、僕のルーツはぁ~、初めて二足歩行した猿でーす。つったらさ、まわり、びっくりするぐらい白けちゃって。いやいや、おめーらの先祖なんか比じゃねーほど、偉大じゃね?「・・・てか、Qちゃん、そういうのいいから・・・」あら、そう?んじゃ、僕のルーツはぁ~、初めて陸に上がった魚だ。「・・・いやいや、面白くない!荒唐無稽!」んじゃ、僕のルーツはぁ~、さかのぼること43億年前、地球上で初めて、光合成をしたバクテリアだ。「・・・だから!それ!ただの誇大妄想だってば!」なんかその娘、突然キレて、いきなり僕に「枝豆の皮」投げつけてきてさ、こっちも、反射的に「おしぼり入ってたビニール」投げ返して、ふわっと応戦したりして、な~んか、険悪なムードになっちゃって、その日は、お開きになっちゃって・・・。それから、へべれけに酔った僕は一人、千鳥足で駅に向かって歩いた。なんだか、とても不愉快だった。ったくよぉ~、江戸時代には、ニセ家系図が大流行したというじゃねーか、コンニャロー。武士の中には、没落した名家の家系図を金で買う奴がいたっていうじゃねーか、バッキャロー。先祖代々の言い伝えだって怪しいもんだろう?先祖の事実に、後世が一代につき、ほんの一割だけ美談の着色をして言い伝えたとして、それが十代も続けば、もはや原型をとどめぬ100%でっち上げのホラ話になんじゃねーのか?だいたいよぉ~、さかのぼって自慢してよい歴史はいつまでだぁ?線引きがあるならおせーて!江戸時代か?戦国時代か?源平の頃までなら常識の範囲内か?縄文・弥生時代あたりは、誇大妄想か?僕のルーツは、初めて二足歩行した猿!これ!紛れもない事実!信憑性がないのは、どっちだ! 荒唐無稽なのは、どっちだ! 誇大妄想なのは、どっちだ!悪酔いしたらしい。途中、道端にしゃがみ込んで、しばらく休んだ。青白い月がでていた。なんだか馬鹿々々しくなってきたので、考えるのを止めた。さて、ま、自分のルーツが、どううたらこうたらなんていう、そんなショボくれた話はどうでもいいとして、「先祖がいたから、自分が今ここに存在している」という、あったり前の事実を、あったり前に踏まえるとね、僕には、ごく自然に湧いてくる感情があるのです。生きることの厳しさに、心を病む人、引きこもる人、道を踏み外す人、自殺する人、自分は弱いと嘆く人、そんな人たちの、辛い人生の顛末を見聞きするたびに、思うのです。我々の先祖はね、その長い長い歴史のなかで、幾度となく彼らを襲ったであろう、たくさんの「いくさ」や「戦争」のなかを、生き延び、たくさんの「天災」や「飢饉」のなかを、生き延び、たくさんの「苦悩」や「苦労」のなかを、生き延び、そのなかで、人を愛し、愛され、後世に子孫を残したという、血統の誰一人欠けることなく、運も才能も実力も兼ね備えた「めちゃんこ強えー人たち」なのだよ。荒唐無稽と笑うかい?誇大妄想と嘲るかい?僕たちが今、ここに存在しているのが、何よりの証拠だよ。そして、その末裔の僕たちも、然り。「めちゃんこ強えー人」の筈だっちゅーのっ。たはは。まあ、頑張って生きなきゃね。にほんブログ村
2018.07.29
こないだの日曜日、娘二人が僕んとこ来てさ、パパ!かくれんぼしよっ!かくれんぼしよっ!ちゅうから、よお~し!パパが鬼だ! さあ! 隠れて隠れて!30数えたら探しにいくよぉ~。なんつって、家の中で、親子で、かくれんぼ、おっぱじめ。いーち、にーい、さーん、しーい・・・・。僕、二人に背を向けて数え始めたらさ。どたどたどた。長女のP子が、階段を駆け上がって2階へ消え去る音。んで、その後、ぱたん。あらら、次女のOちゃん、1階のトイレの扉を閉めたね。Oちゃんたら、鬼の僕から、1メートルも離れてねー所に隠れたご様子。いやいや、もっと遠くに隠れないとダメだよ、ははは。・・・にーじゅきゅー、さーんじゅー。・・・さて、探しに行くか。てか、Oちゃん、すぐそこに隠れてんのは、分かってんぞおおお。へっへっへっ、そ~~~っと、トイレの扉開けて、見てやろう。ドアノブの音も鳴らないほどに、そ~~~っと・・・。ギィーーー。ほら、いたああああああああああああああああ!てか、目っ茶かわいーーんすけどおおおおお!は、は、挟まってまぁーーーーーーーーーーす!ぷぷぷぷぷ、隠れてるつもりいいいいいいいい?はぁ~、癒されるわぁ~。よおーし、Oちゃんは、いっそこのまま放置して、先にP子探しに行こーかな。そ~~~っと扉を閉めてっと・・・。ギィーーー。・・・てかさぁ、やっぱ、あれだなあ、かわいいなあ、うちの次女。・・・うーーん、やっぱ、あれだな。・・・もったいないから、もう一回見とこ。ギィーーー。プリティ~!やべっ、クラっときたぁ・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。はっ!失敬失敬。娘のあまりの可愛さに、あたくしぃ、思わず失神しちゃったで候、ははは。記念写真、パシャ。んで、ついでに、Oちゃんみーつけたぁー!ははは。・・・ま、それはさておき。突然ですけど、僕、最近思うんだけどさ。ニュースを見れば、悲しいニュースばかりっすね。いまだ、世界各地で続いている、戦争、テロ、ゲリラ・・・。今この瞬間も、現在進行形で起きている、犯罪、いじめ、虐待・・・。嗚呼、人は何故、平和に暮らすことが出来ないのだろう・・・。地球というちっぽけな星に住む、同じ人間だってのに・・・。・・・・・・・・・・・・。嗚呼、なんだか切なくなってきたぁ・・・。虚しくなってきたぁ・・・。悲しい・・・。・・・・。はっ!そうだ!そんな時は!この写真!!キュ~~ト!はははは。え~、ちなみに、長女のP子は、2階の押入れの中に隠れていました。僕がP子を見つけた時、P子は、押入れの中の収納ケースを、物音ひとつ立てず、実に計画的に高く積み上げ、押入れの天井にある点検口から、な、なんと、屋根裏へ入ろうと試みている真っ最中でした。おい、おい、おい!どんだけ本気で隠れ通すおつもり?!まったく、うちの長女ときたらよぉ、利発なのか、愚鈍なのか・・・よぉ~分からんわ。・・・・。はっ!それにひきかえ!うちの次女!混じりっ気なしっ!純度100%のぉ~!ぐど~~ん!あっはっはっはっはー。にほんブログ村
2018.07.05
昨日、P子とサイクリングに行ってさ、途中コンビニで休憩してたらさ。「パパ!見て!」ってP子が叫ぶじゃん。んで、僕、P子の指の先見てびっくり。ほら!見て!わかる?ねえ!ほら!虹っ!虹の赤ちゃんっ!おそらく僕の自転車のどこかに光が反射して生まれたと思われる、虹の赤ちゃん!いやあ~、実にラッキー!なにはなくとも、先ずラッキー!読者様ぁー!写真にて、ささやかな幸せの、おすそ分けだぁー!さて。えーと、ブログってさぁ、たぁ~っと見渡すと、「飲み食い」のレポートが多いじゃん?最近こんな美味しい料理食べました!とか、先日こんなオシャレなお店でお酒飲みました!とか。あれ、みんな美味しそうに書くね、そして美味しそうに撮るよね。あれ、読んでると、食欲、飲酒欲、こんこんと湧いちゃうのよね。でさ、僕もブロガーの端くれとしてさ、ちょいとオシャレな「飲みレポ」とかやってみたいじゃん?え~、ちゅう訳で、今回はQ輔の「飲みレポ」第一弾ちゅうことで、鼻から胃カメラ飲んできたぞーー!あら?飲みは飲みでも医療系!ははは。なんかよー、先日の会社の健康時診断で、胃に、潰瘍の跡っぽいの有る感じ?再検査行っとく?的な感じ?という診察結果が出ちまってよぉ、小生、再検査っすわ。とほほ。え~、それでは、参りましょう!【それ行け!Q輔の鼻から胃カメラレポート!】①え~先ず、前日の午後9時以降は飲食一切禁止で~す。②当日はタオルを一枚持参しま~す。③さて当日、先ず胃の中の泡を消す薬を飲まされます。おちょこ一杯ほどの量を、グビッとね。④次に、ベットに仰向けに寝かされ、左右の鼻に局所麻酔を噴霧されます。めちゃにがっ!⑤麻酔が効くまで、数分放置されます。退屈なので、診察室の天井ジプトーンの穴と穴を視線で結んで、オリオン座、北斗七星など、星座を思い描いたりして過ごします。⑥麻酔が効き始めたら、後に胃カメラが通りやすくする処置として、さや管のようなものを鼻に通されます。この際、看護師さんに「ものが通りやすい鼻の穴は左右どちら?」と、当たり前のように聞かれます。いや~生まれてこの方、どっちの穴が異物が通りやすいかなんて、意識したこと、これ一度もね~訳で、おらぁ~皆目見当つかね~、てへへ。と答えると、「あらそう、では右に」と言うや否や、ズボッっとさや管を挿入されます。⑦さらに、放置プレイが続きます。退屈なので、蚊に刺されて痒いところを、爪の先でみじん切りにしたりして過ごします。⑧麻酔が完全に効いたら、いよいよ別室へ移動します。機材だらけの部屋に移され、診察台に横向きに寝かされます。この時、持参したタオルを枕に敷きます。「唾液は飲み込まずにタオルに垂れ流してね、検査中は、モニター見ながら先生と会話も出来ますよ」と看護師さんより説明を受けます。てか、よだれダラダラ垂れ流さにゃならん状況で、しゃーしゃーと会話が出来るんかいな?と素朴な疑問がよぎります。⑨さあ、いよいよ先生が登場。ずっと目をつぶって、ちょー緊張している小生とは裏腹に、「はーい、んじゃ、はじめまあ~す」なんつって、先生、日常茶飯事チックなノリ。速攻でさや管ズボッと抜いて、間を入れず胃カメラズボッっと挿入っすわ。⑩んがっ!おえっ!おえっーー! かっかっかっ!かっかっかっ!⑪たぶん僕が不慣れなだけなのでしょうけど、モニター?会話?無理無理無理無理!麻酔効いてっから、痛くはねーんすけど、なーんか滅茶苦茶、苦しかったっすね。何故か検査の最中ずっと、この半生これまで自分が犯してきた様々な悪行が走馬灯のように思い出されて、もーしません!もーしません!もーしません!もーしません!・・・・ほんと、んもぉーしませんからあああーー!つって、この状況がどの悪行に対する天罰か分んねーから、ただもう片っ端から天に許しを請うばかり。も~ね~、ついつい無意識に唾液飲み込んじゃうのよね。んで、ごっくんってすると、喉がかっかっかってなって、ちょー苦しいのよ、カメラ貫通中ですから。でさ、看護師さんに「唾液は飲み込まない!タオルに吐き出して!」つって注意されるから、目つぶったまま、ぺっ!ぺっ!ぺっ!つって全力で唾液吐いてたらさ、「こらーっ!先生に唾かけるなぁーっ!」正面の先生に全部かかってたみたい、どーもしゃぁーせぇーん。⑫人間、こういった恐怖と不安のさなかにいますと、なんだか最悪の事態しか想像できなくなるものです。今、地震が来たら嫌だぁー!先生、ぜってー僕の診察台の下に避難するもん!真上で、鼻からカメラ突っ込んだ僕、放置だもん!とか。今、火事になったら嫌だぁー!先生、ぜってー鼻からカメラ男、放置して逃げるもん!僕、鼻から繋がったままの機材、綱引きのように引きずりながら避難だもん!とか。そもそも、局所麻酔ってのも嫌だぁー!先生の「あっ!やべぇ!」という声と同時に、三途の川が見えたりするもん!係の人に、白い三角の布、手渡されて、「渡し舟に乗る前までに頭につけて下さいねー。あと、その鼻から伸びてんのは外して下さーい。」とか言われるに決まってるもん!・・・なんつって。⑬こういった検査とか手術とか受けるたびにいつも思うんだけれど、もう少しこっちの不安を和らげる程度の「遊び心」があってもいんじゃね?手品の、口から止めどなく出る万国旗みたいに、胃カメラ鼻から抜く時だけ、チューブが万国旗になって出てくるとか。手品の、ステックからお花がポンッと出るやつみたいに、大腸カメラお尻から抜くと、先っちょがお花でポンッ!とか。手品の、シルクハットから鳩みたいに、盲腸の手術中、お腹から白い鳩が、ぱぁ~さぱさぱさ、とか。ははは、あほか。⑭さて、検査結果は?全く異常無しでしたー!食道、胃、十二指腸、どれも健康そのもの!胃のしわが、バリウム検査で、影として映っただけだろうとのこと。実は僕、健康診断当時、仕事でこれまでになくストレスのかかる事柄があったので、それで胃潰瘍にでもなっていたのかなぁ、と推測していたのですが・・・。お体、ご無事だったみたい。はは、お強いのね。先ず、健康。天に、感謝。もーしません!もーしません!もーしません!もーしません!・・・・にほんブログ村
2018.06.03
おフランスはパリ、シャンゼリゼ通りに負けず劣らずオシャレな街並み、ここは愛知県長久手市は図書館通り。モダンじゃん!でもどっかレトロじゃん!って感じの長久手図書館を、その傍らの公園からパシャリと撮影。季節は春真っ盛り、ごらんのとおり満開の桜、咲き乱れておじゃる。ここ最近、ようやく自転車に乗れるようになったP子のリクエストで、先日、家族そろって、サイクリングがてら、お花見と洒落込みましたよ。おお!綺麗だねぇ~。こうして改めて意識して眺めてみると、まったく綺麗な花だね、桜。てか、家族4人そろってのお花見は、これがはじめてだなぁ。四月の風がぴゅんと吹けば、桜吹雪が乱れ舞う。ああ、仕事の悩み、日頃の疲れ、この桜の花びらのように、風に舞って掻き消えていくねぇ。さて、という訳で今回は、便所の話をします。ははは。以下は、長年水道設備業をしてきた僕が、酒飲みがてらふと思った程度の、あくまで個人的な見解ですので、「またアホが何かほざいとるがや」ぐらいの気持ちで、すちゃらかに読んで頂けると、これ幸いです。え~、住宅、パブリックを問わず、トイレの中で意外に掃除されていないところ、実はすんげー汚いところって、どこだと思います?ここよ。ここ。トイレのド!ア!ノ!ブ!なにしろ、紙を隔てているとはいえ、今さっき、お尻拭いた手で掴んでっからね。てか、紙を隔てているといはいえ、便の調子によっては、手につくこともあるからね、うんもさん。てか、トイレのロータンクに付いてるオマケみたいな手洗いなんて、使わねーって人、多いしね。てか、ご主人や息子さん、毎日ちんこ触った手で掴んでるからね、オシッコの時は間違いなく。昨今の衛生器具メーカーの、「ユーザーが汚いものに触らない」ということに観点を置いた機器の開発はめまぐるしく、人感センサーで便座が開き、使用後立ち上がると自動で洗浄する大便器、紙を使わずとも、お尻を乾かしてくれるシャワートイレの温風乾燥、人感センサーで使用前使用後に水が流れる小便器、手をかざすと人感センサーで吐水する手洗い水栓、手をかざすと温風で手を乾かすハンドドライヤー、等々、おおかたの機器が、タッチレス化に成功してるんすけどねぇ~。でも、トイレのドアノブだけは、昭和のまんま。手動で鍵をスライドなどさせてガッチャンとかける、実に旧態依然とした構造。てか、便所の扉の鍵って、遥か昔からあんま進化してねーんじゃないかね?江戸時代とかそんぐらいから。思えば、昭和の公衆便所なんて不衛生極まりなかったねぇ~。お尻拭いた手で大便器のフラッシュバルブのレバー下げて、手洗い器は個室の外にあるから、その手でドアノブ掴んでね。殿方はちんこ触った手で、小便器のフラッシュバルブ押して、その手で手洗いの蛇口開いて、手を洗った後、その蛇口閉める為にまた触ってんのね。ははは。意味ないじゃん!それら多くの機器がタッチレス化に成功したなか、トイレのドアノブだけは、旧態依然としたまんま。昔も今も、うんもさん、ちんこさん、触った手でしっかりと握りしめてごじゃる。トイレの扉自体が、衛生器具の部類ではなくて、建具の部類にはいるので、衛生器具のタッチレス化の進化と供に進化出来なかったのかね?でも、リクシルは建具もやってるしなぁ。トイレの扉のタッチレス化ぐらい、訳ないと思うけどなぁ。恐らくトイレの扉をタッチレス化、例えば自動ドアにするって事自体は、メーカーの技術的には、なんら問題ないのだろうけど、やっぱ、製品としてのリスクに計り知れないものがあるので、メーカーは手を出さないのだろう。万一故障したって時は、ユーザーが個室に閉じ込められるってことだからね。万一誤作動したって時は、勝手に扉開いて、ユーザーが見られちゃうってことだからね。即、裁判沙汰!ははは。必然的に、日々のメンテナンスや点検も、一人の技士が公衆便所に常駐しなければならぬほど必要になるだろうしね。まぁ、無理かなぁ・・・。ちなみに、僕は潔癖症ではないですよ。トイレのドアノブ全然平気っす!見知らぬおっさんが、ちんこ触った手で押した小便器のフラッシュバルブ全然OKっす!んなこと気にしてたら、水道屋なんてやってらんねーっての!ただ、仕事がら、タッチレス化された最新の衛生機器が設置されたパブリックトイレを見るにつけ、そして、その最新のパブリックトイレの扉の、かつてトイレが「かわや」「せっちん」と言われた昔から、なんら進化していないドアノブを見るにつけ、お前もがんばれっ!つって思わず叫びたくなるのです。なんか、一般的な扉に、後付けで補助的に足で扉を開け閉め出来るアイテムは、ちらほらあるみたい。でも、まだまだアイデア商品の域で、スタンダードな商品と呼ぶには程遠いもんねぇ~。タッチレスなトイレの扉を発明すれば、特許間違いなしじゃね?なんつって、僕なんかは思うのだけど・・・。・・・でも、やっぱ、いろいろ難しいだろうなぁ。変な話、この先、人類が火星に移住する日が来ちゃったりしても、その宇宙船のトイレの扉も、今とおんなじ、手動のガッチャンなのかね?ははは。宇宙時代だ!なんつって、どれだけテクノロジーが進化しても、便所の扉だけは、ユーザーの意志で、ユーザーが責任をもって、手動でガッチャン!宇宙船のトイレで、ドアノブの色が赤いの見て、「んもぉ~!どこも入ってるじゃん!漏れそうなのにぃ!」なんつって地団駄踏んでる奴がいたりね。あとさ、分厚っい宇宙服に身を包んだ潔癖症が、それでもハンカチの上からドアノブ掴んでたりしてね。ははは。そんな未来なら、逆に、捨てたもんじゃねーか。にほんブログ村
2018.04.07
何をやっても上手く行かない日がある。とある夏の日の午後こと。大切なお客様に怒鳴られ、向こうから電話をブチッと切られ、携帯電話片手に、僕は街の中で茫然と立ち尽くしていた。畜生・・・・。何だか今日は、失敗だらけだ。やることなすこと、裏目裏目に出やがる。実は、家庭の方も、ここんとこ、上手くいってねんだ、これが。今朝も、妻との会話、なぁ~んかギスギスした感じだったし。そんでもって、そんな日の、そんな時に限って、天から突然のゲリラ豪雨。げげっ!服、ビシャビシャに濡れちまって、靴ズブズブになっちまって。とりあえず、僕、目の前にあった不動産屋の軒下に避難して。くそったれがっ!なんて日だっ!散々さっ!どいつも、こいつも、舐めやがって!天気すら、馬鹿にしやがって!あーん!コラっ!てめっ!コラっ!なんつって僕、天に向かって、ビーバップハイスクール。しばらく、雨宿りしていると、次第に天気も回復してきて。ふと見ると、雨あがりのビルの谷間に、巨大な虹の柱。「あ、虹・・・。」その瞬間、昭和のヤンキーばりに、若干しゃくれて「あーん!」なんつて言っていた僕の口元、にわかに、ゆるんで、ほころんで。「ラッキー。虹・・・。」なんつって・・・。ほっこり、微笑んじゃってりして。雨上がりの日差しに蒸されたアスファルトの匂いを、心地よく鼻孔に吸引しちゃったりして。ゆっくりと深呼吸しちゃったりして。その日、これでもかってぐらい立て続けにおこった、最低で最悪な出来事の、全てを許してしまうような・・・。そして、全てに許されたかのような・・・。一瞬でそんな気持ちにさせる、虹は不思議だ・・・。長女のP子ちゃん作「虹」。え~、みなさん。実はね、虹ってね、雨上がりの天空にだけ見えるものではないのです。僕、ちょいちょい、ありふれた日常生活の中で、虹を見てんだな。全てを許してしまうような、そして全てに許されたかのような、そんな瞬間に、いつだって、虹は、僕達の目の前に不意に現れるものですよ。①まだヘビースモーカーだった頃の話。現場で、若い部下の失敗を、そこは冷静に指導するのがベストって局面で、ついついカッとなって怒鳴ってしまい、帰りの車で自己嫌悪に陥りながら、煙草をきらしたのでコンビニへ。コンビニのレジで、さっき怒鳴ったばかりの部下と同じ年ぐらいの、おそらくフリーターらしき店員さんに、僕は言った。「マイルドセブン」すると、その店員。「・・・の?」だって。「え?・・・だから、マイルドセブン・・・」「・・・の?」いやいや、何?その、からのぉ~?みたいな疑問形。おそらく、当時、煙草にたくさんの種類が出始めた頃で、マイルドセブン系の煙草でも、マイルドセブン。マイルドセブン・ライト。マイルドセブン・スーパーライト。マイルドセブン・エクストラライト。等々。店員としては、最後まで商品名を言い切れ!って、こっちに促してんでしょうけど・・・。「マイルドセブン!からのぉ~スーパーライト!」なんつって、言うかっつーの!ははは僕が欲しい煙草は、語尾に何もつかない、いわゆるマイルドセブンだったので、僕、なんて言ってやろうか一瞬考えたが、とっさに口から出たのが、「え~と、元祖マイルドセブン。」なんつって。・・・なんじゃそりゃ。我ながら、「元祖、天才バカボン」みたいで笑えてきたわ。アホか、自分。まぁ、この若者も、この若者なりに、まじめにバイトを遂行しているつもりなのだろうけど、こんな、クソガキにくらべたら、うちの部下、ずいぶんマシか・・・。とか何とか思いながら、煙草を買って、コンビニを出ると、コンビニのごみ箱の傍らに、七色の虹の欠片。長女のP子ちゃん作②「ジョウビタキ」。②休日に家族で、近所のスーパーで、食料品のお買い物。妻のダラダラと長い買い物に、カート引きの僕のイライラは最高潮。やっとこさ、レジに辿り着いて、レジ打ちのお姉さんの前に、大量の食料品の入ったカゴ、よいしょっと。そのレジ打ちのお姉さん、大根とか、お肉とか、魚に、バーコード読み取り機を、ピッ、ピッ、とあてながら、「120えーん。350えーん。800えーん。」なんつって、金額を読み上げるのだけれど、なんかね、すんげ~発声が鼻にかかる人のようで、「120ねーん。350ねーん。800ねーん。」つって、こっちには聞こえんのね。ははは。大根一本、120年!ひき肉、ひとパック、350年!刺身盛り合わせ、800年!ははは。もぉ~僕、笑いをかみ殺しながら、心の中でつっこんじゃう。ピッ。180ねーん!(果てしなき歳月!)ピッ。530ね~ん!(仏教伝来の頃!)ピッ。1200ね~ん!(それがどうした!宇宙規模で考えれば、たいした時間ではないさ!)ははははは。・・・そうだよな、たいした時間じゃねぇ~よな、1200ね~んに比べれば、妻の買い物なんて、一瞬の出来事。何イライラしてんだ自分、ははは。なんつって、ふと見ると、レジ打ちのお姉さんの頭上に、おぼろげな虹。長女のP子ちゃん作③「仮面」。③なんかレジ打ちの話が続いてますが、次はガソリンスタンドのレジでの話。まだ、セルフのスタンドが今ほどなかった頃のこと。仕事で急いでいるっつーのに、ガス欠しそう、大慌てで最寄りのスタンドに入って、若い店員さんに、ガソリン入れてもらって、現金をその店員さんに手渡して、店員、レジに走って、おつりを持って戻って来て。その店員が妙な奴でね。「328円のおつりです」つって、僕に、両手広げて、おつり渡すのよ。右手に、百円玉3枚と一円玉3枚。左手に、十円玉2枚と、五円玉1枚。シルバー系の小銭と、ブロンズ系の小銭、何故か、色分けして差し出してくんのよ。え?何で?分ける意味ある?ははは。そしたらさ、とどめに「こちらレシートになります」つって、ポケットからレシート出してくるじゃん!え? 怖い怖い、レシート、一時待機させてまで、小銭色分けした、その意図は何?僕、急いでることも忘れて、半笑いで、おつりを受け取って。気が付くと、僕の足元で、薄っぺらな虹が風に舞って。④さて、せっかくなので、最後は、僕の妻、U子さんのレジ打ちでの話をひとつ。U子さん、一人で在宅中に、トイレを詰まらせてしまった。その時、僕の家には、ラバーカップという、いわゆる「便所のバッコン」が無かったので、大慌てで、近くのデパートに便所のバッコンを買いに走ったらしい。広いデパートで、バッコンを探して、レジへ行くと、そのレジ打ちの若者が妻に、「袋に入れますか?」と聞いたらしい。ははは。聞くかね?ふつー。生理用品、大人の紙オムツ、エロ本、避妊具、便所のバッコン、そこらへんの類は、聞くな!黙って袋に入れろ!ところがさ、ほら、うちの妻だから・・・。U子さん、だから・・・。「・・・要りません。」えーーーーーーっ!ははは。それから、妻は、便所のバッコンを一本、マサカリかついだ金太郎のように肩にかついで、「うんこ詰まらかしホヤホヤ」感、ハンパなく醸し出しながら、デパートの人混みの中を、小走りで帰ったらしい。おそらく、その時の、デパートの照明の下、妻が行く前方には、長女のP子が原色のクレヨンで書いたような、超ぉ~巨大な虹がかかって、僕の愛する妻は、そそくさとその虹をくぐって。にほんブログ村
2018.02.17
いや~、参ったぁ!大寒波到来!冬将軍襲来!将軍のヤロー!日本中を、我が物顔で闊歩しちゃってやんの!真っ赤なTシャツに、白抜きで「将軍」ってプリントしたTシャツ着た、外国人観光客ばりに!恥ずかしげもなく!日本中を!どや顔で!いや~、参ったぁ!ほんと、今週は忙しかった!何が参ったって?あれだ。僕、職業、水道屋なんすけどね。連日の寒波で、町中、いたるところで水道管が破裂しちゃってよ!朝から、修繕依頼の電話が引っ切り無し!木・金・土曜日の三日間で、うちの会社だけで、ざっと50件強の修繕依頼が殺到っす!管工事組合加盟店を中心に、町中の水道屋が、てんやわんやの大忙しだったとのこと!もぉ~、へとへとっす!僕の住む中部地方の、寒冷地外の地域では、住民の寒波による水道管の凍結対策の知識・習慣が希薄なので、修繕依頼の電話をかけてくる、ほとんどのお客様が、受話器の向こうで軽いパニックになっていますな。「水道が破裂した!メーターのバルブで止めてある!トイレも行けやしねー!今すぐ来や!」「現在、そのようなお電話が殺到さておりまして、順番にまわらせていただきますので、まずはお名前とご住所を・・」「いいから!早よ来いやコラっーー!」なんつって、ガラ悪ぅ~く怒鳴られたり。「トイレの水が止まらない!助けてーー!!」「お客様。まずは落ち着いて、便器と水道管の間に止水栓と言って、 マイナスドライバーなので閉めれるところがありますので、そこでお水を止めて下さい」「何それ!知らない!そんなもの、無い!」「・・・えーと、では、水道メーターのバルブを止めて下さい。」「水道メーターって何!見たことない!助けて!早く来て!」冷静にお話が出来そうにないので、緊急でご自宅に伺い、先ずは、当然のようにトイレにある止水栓を、お客様の目の前で閉めてさしあげる。そして、駐車場の、これでもかと分かりやすいところにある、ご自宅の水道メータの場所を教えてさしあげたりして。ぶっちゃけ、緊急漏水修繕という工事が、水道屋にとって、よだれをダラダラたらして、いやぁ~、儲かって儲かって仕方がないという類の工事かというと、それは、まったく逆で、先の予定を後ろにずらして、緊急で動いたわりには、材料としては、100円に満たぬキャップ1個で直ったりすることも、しばしば。もちろんピンキリですが、平均して1件当たりの工事金額は安いもんです。(悪徳業者は別として)また、緊急修繕なので、作業時間・作業内容は、やってみなければ分らないところがあり、簡単な修繕であれば、よほどのことがない限り、工事金額は事後の見積になるのだけれど、一刻も早く来い!一刻も早く直せ!と喚き散らすお客様ほど、修繕の請求額についても、高い!ぼったくりだ!と喚き散らしたりするので、その対応に追われたり。郵送した工事の請求書が届くと、お年寄りなどは、「集金に来てくれ」というので、数千円の工事の集金に、再度ご自宅に出向いたり・・・。「もう、無理!出来ねー!他あたってちょー!」なんつって、正直、喉まで出かかったけどね。「地域の皆様あっての会社!修繕依頼は絶対に断るな!」つって、うちの社長に常々言われてるしなぁ。社長、うるせーしなぁ。超怖ぇーし。まぁ、ここで、改めて言うまでもないことですけれど、緊急漏水修繕にあたる水道屋に限らず、停電の復旧作業をする電気屋とか、ガス漏れを緊急修繕するガス屋とか、災害復興を不眠不休で行う建設屋とかもそうだけど、警察や、自衛隊や、消防隊のような、公務員ではないんですね。明確な公務への服務義務がある訳ではないのです。民間の企業で、利潤追求を目的としている会社員、ただの技術者、ただの職人たちなんです。まぁ、そんな、正直普段はろくでもない職人たちですが、こんな時こそ地域の皆様のお役に立たねばと、自分達の中にある「公」の精神を奮い立たせて、若手も、熟練工も、今回、頑張ってくれましたよ。いや、しかし、冬将軍だ!寒波だ!水道管破裂だ!つって、水道屋にしてみりゃ毎年恒例の攻防戦だけれど、今年の冬将軍は別格!冬将軍VS水道屋、ゴングと同時にタオルって感じ!ほんと、参りました!長女のP子画伯作「雪祭り」さて、凍結による水道管の破裂と同じぐらい、一刻も早く来い!一刻も早く直せ!なんつって、お客様が、緊急性を訴えてこられる水廻りのトラブルが、「トイレの詰まり」です。え~、そんじゃ、僕のトイレの詰まり抜き工事にまつわるエピソードをいくつかご紹介しますね。①老夫婦の二人暮らしのお宅から、トイレが流れない、詰まってしまったと、修繕依頼。訪問して、ラバーカップでバッコンしても、改善の見込み無し。ペーパー詰まりではなく、異物詰まりであろうと予測して、便器を取り外してみると、なんと、便器と配管の接合部のフランジのところに詰まっていたのは、「大根のヘタ」でした・・・。ご主人曰く、妻が痴呆症ぎみで、妻が流してしまったのであろうとのこと。注意しておくとのこと。数週間後、同じ老夫婦より、またトイレが詰まったと、修繕依頼。ご主人曰く、先回の一件、妻にはこっぴどく注意したし、自分も妻の行動を監視していたとのこと。首をかしげ、今回トイレが詰まった原因が解らないといった様子。僕、便器を取り外す。「大根のヘタ」でした・・・。「あのぉ~、奥様が大根を料理している時とか、注意してくださいね」と僕。先日、まぁ~た、その老夫婦から、トイレ詰まりの修繕依頼!ご主人曰く、大根!料理!注意!完璧!何で?何で詰まるの?と食い気味でおっしゃる。僕、便器を取り外す。「人参のヘタ、二個」でした・・・。②最近のリフォーム用のリモデル便器には、大規模な床の張替え工事を省略する為、配管アジャスターという、既設の排水管の立ち上げ位置をそのまま利用して、便器の裏で配管の立ち上げ位置を変えられる部材を使うことが多いです。リフォーム工事のコストを大幅に削減できるメリットがあります。ただし、そのアジャスターの配管径が若干楕円形で細いので、大量の汚物や紙を一度に流すと詰まりやすいというデメリットもあるんですね。2階のトイレか詰まったというお客様のところに訪問。リモデル便器が設置してありました。便器を取り外してみると、アジャスターの中に、カッチカチの大便がきっちり詰まっていました。ご主人曰く、年頃の娘さんが、重度の便秘で云々・・・。「大量の時は、まめに流してください、とお伝えください」と僕。その後、やはり2度、同じ原因でトイレが詰まって、便器を取り外して・・・。ご主人曰く、「修繕続きで、お金がかかってしょうがない!参ったね、水道屋さん!」いや!こっちが参ったっつーの!一度と言わず、二度三度!毎回毎回カッチカチの大便!テメーの娘のカッチカチ、手で掴んで処理する身になれっつーの!オヤジ!娘に、ちょいちょいコーラック飲ませろっつーの!つって、喉まで出かけて、まあ、言えるはずもなく、「え~、何度もご説明されていただいたように、まめに流していただくしかないかと・・はは。」なんつって・・・。③一棟に玄関二つ、一階親世帯、二階子世帯という、完全二世帯住宅の、親世帯のトイレが詰まったと修繕依頼。約束の時間にご自宅を訪問すると、え!嘘!依頼してきた親世帯が、何故かご不在。念のため、子世帯の方のインターホンを押すと、嫁が在宅中。ラッキー。「あのぉ~、申し訳ありませんが、お義母さん、どこ行かれたのか、携帯電話で確認していただけませんか?」と僕。その刹那、嫁が当然のような口調で、のたまうことにゃ、「ありえないしぃ。私、隣と関係ないしぃ。」は?・・・え?それっきり・・・。再度、インターホン押しても、出てもくれない。その後、30分ほど待っていると、姑、ご帰宅。「ごめんごめん、コンビニにトイレ行ってたのよ!家のトイレ詰まっちゃってるから!」「いや、でも、二階の子世帯のおトイレ借りれば・・・」「無理無理!あんな嫁!赤の他人だから!」いや、いや、いや・・・。おい、おい、おい・・・。は、は、は・・・。てか!手前ぇーらの、嫁・姑問題なんてこっちは知らねんだバーロー!一棟に二世帯!排水設備は1系統!え?嘘?本当に、あんた達関係ない?!え?マジ?本当に、他人なの?!どう考えても無理あるだろ!発言が!行動が!仲良くやれよぉ~!お願いだからよぉ~!ったく、女っつーのはよぉ~!つって、喉まで出かけて、まあ、言えるはずもなく、「そうでしたかぁ~。いや、丁度、僕も、今さっき到着したところでしてぇ~、はは。」 なんつって、満面の愛想笑いで・・・。巷では、「10年後AIに奪われる仕事」ってのが話題になってるらしいけど、10年後には、水道業界もAIに仕事奪われてるのかな?AIが、凍結で破裂した、築50年ぐらいの戸建ての、ぼろっぼろの水道管の緊急修繕とか、妻が痴呆症の老夫婦の便所の詰まり問題とか、万年便秘の年頃の女の子の汚物処理とか、嫁・姑が不仲の二世帯住宅で、散々待ちぼうけくったりとか、そんな仕事、奪ってくれるなら、是非お願いしてぇーよ。AI、頼むよ!AI、奪ってよ!AI、期待してっからね!この先、人間にマイクロチップが埋め込まれようが、人体半分機械になるような時代がこようが、人間が人体を必要とし、その体をなしているうちは、「飲料と排泄は不可欠」なんじゃないかなぁ。水道屋さんは、10年後も、今と同じように、はいずりまわって仕事してんのかなぁ。にほんブログ村
2018.01.28
やあ!みんな!せせら笑っているかーい!Q輔です。えーと、今年、最後のブログでーす。んーと、大好きな無印良品のこと、書きやーす。今日、年末の買い出しでイオンに行ってきました。そこの無印良品で、いろいろお菓子買ってきたぞー。まずは、僕が買ったお菓子、「麦チョコ」、「黒豆おかき」、「グミ」。駄菓子屋なんかでも昔から売っている定番のお菓子!大好き!麦チョコ、甘ーい!黒い豆おかき、しょっぱーい!グミ、甘酸っぱーい!こちらは、長女のP子が買ったお菓子。「ストロベリーチョコがけいちご」。フリーズドライした丸ごと苺に、ストロベリーチョコをからめてある。こいつの味覚も、グミと同じで、一言で表現すれば、甘酸っぱーい!これも、長女が買ったお菓子。「柿の種チョコ」。味覚は、甘じょっぱーい!さぁ~て!本題!この「甘じょっぱい」という言葉。おそらくここ数年で、一般的に認識されてきた言葉じゃねーだろか?少なくとも、僕の子供の頃には、「甘じょっぱい」なんちゅ~味覚の表現法は無かったように思う。ハッピーターンのように、昔から「甘じょっぱい」に該当する味覚のお菓子はあったけどさ、少なくとも、当時の僕は「甘じょっぱい」なんていう表現、知んねーからさ、ハッピーターンってどんな味?って聞かれても、「うーん、なんか知らん、うめ~味!」って答えてたと思う。これは、僕が気になって、思わず買ったお菓子。「宇治抹茶チョコがけいちご」。上記と同じく、フリーズドライした丸ごと苺に、今度は、宇治抹茶チョコをからめてある。味覚を一言で表現すると、「苦い」と「酸っぱい」が融合した、苦酸っぱーい!って感じかな。・・・あまり聞きなれない言葉だーね。だけど、検索すると、何かとヒットするので、全くの新語ではないみたい。でさ!今日、イオン、家族で、ぶらぶら歩いてる最中に、僕、考えてたんだけどさ!新しい味覚を、「味」先行ではなくて、「言葉」先行で勝手に作っちゃってね!「味」の方を後から、こじつけるようなお菓子とか作ったら、おもしれーなと思って!え~、ではぁ~、只今よりぃ~、言葉、先行でぇ~、新しい味覚ぅ~、作りまーーーす!用意するのはぁ~、「味覚の基本、五味」である、「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」「うま味」という言葉。それからせっかくなので、五味には入らないけど、「辛味」という言葉も使用しまぁ~す。あとは簡単、それらの言葉を合わせていくだけ、さぁ~て!どれだけ新味覚が作れるでしょ~か?甘味+酸味=甘酸っぱい→もうある。甘味+塩味=甘じょっぱい→もうある。甘味+苦味=甘苦い→あまり聞かん。甘味+うま味=甘うまい→ありそーで聞かん。甘味+辛味=甘辛い→もうある。酸味+塩味=酸っぱじょっぱい→新味覚発見!酸味+苦味=酸っぱ苦い→苦酸っぱいと同じ。酸味+うま味=酸っぱうまい→ありそー。塩味+苦味=しょっぱ苦い→新味覚発見!塩味+うま味=しょっぱうまい→つまらん。塩味+辛味=塩辛い→バリバリ使ってる。苦味+うま味=苦うまい→ゴーヤとか?苦味+辛味=苦辛い→たぶん新味覚発見!うま味+辛味=うま辛い→使い古されてる。あー、おもしれー。え~、いくつか、新味覚発見しましたな。え~、さて・・・。それでは・・・。声を大にして・・・。お願いだぁー!無印良品様ぁー!ぽっくんの発見した、「新しい味覚」!その「新しい味覚」のお菓子、作ってくれー!「酸っぱじょっぱい」お菓子!「しょっぱ苦い」お菓子!「苦辛い」お菓子!言葉、先行!味、こじつけ!でも、意外にイケるじゃん!みないなヤツ!無印さんしか、出来っこねぇーよぉー!僕ぁ~待ってっからぁー!ずーっと、待ってっからぁー!それではみなさーーーーーん!!良いお年をぉーーーーーー!!!!にほんブログ村
2017.12.31
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