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昭和30年代~40年代、お笑い界の方々は、芸を披露して、聴観衆を沸かせるのがスタンダードでした。上図のお二人は、自分が芸を見せるのではなく例として身近にいる人を引っ張り出してその人を面白くし、沸かせるというパターンの先駆け的存在だったのですね。そのお二人が企画したのではないと思いますが、昭和44年、裏番組をぶっ飛ばせ! という番組で野球拳がおこなわれました。TV各局は高視聴率を獲得するため 躍起になり始めた時期です。美しい有名女優、歌手とじゃんけんしてスタジオに集まった観衆の前で、負けた方が一枚 一枚脱いでいくという・・・当然番組は、高視聴率を獲得しました。だけれど 仕事とはいえ女優さんも歌手の方もよく出演しましたよね。下着は水着を着ていましたが、更衣室で外しそれを観衆相手にスタジオでオークションしたのです。(心理学的に、水着は見られる前提 下着は隠すから恥ずかしいのだとか。)その時代、女優 タレントは、水着姿を披露するのが必定のような風潮だったので、さほど苦痛でなかったのかも。この番組 子供には見せたくない ハレンチ俗悪番組として終盤際が良くなかったようですが子供たちは、喜んで視ていました。
2019.10.13
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柑橘類が、今のように種類がなかった頃、冬みかんが終われば、決まって夏みかんに切り替わります。超 酸っぱいので炭酸をつけて食べていましたね。それはクエン酸が炭酸のアルカリによって中和されるので酸っぱさが失われたからです。八朔があまりにも酸っぱかったので、昭和のように 重曹をかけて食べてみました。なんと重曹の苦み 堪りませんね。皆さん 疲れた時など甘いものが欲しくなりますよね。それは血液中のブドウ糖が、エネルギーとして 使われてしまい 体が糖を要求するからなのです。補給すれば血糖値が上昇し、一時的に疲労は回復しますが その後急激に低下し、疲労感は一層高まるのです。疲労回復には、甘い物よりクエン酸を多く含んだ 酸っぱい食べ物のほうが効果あるのです。クエン酸は疲労素と言われる 乳酸などを燃焼させます。すっぱ~~い夏みかんなどには たくさん含まれていますよね。
2014.03.01
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昨年11月に(昭和の子供の遊び)を載せましたが、「38度線」という 格闘的な遊びがあったのを ふと 思い出しました。それは 2組に分かれ、引っ張りっこで人を獲得し、相手組の人が0人になったら勝ちという遊びです。朝鮮戦争が、1953年で 休戦となったので、それがきっかけか、どなたかが 発案した遊びだと思うのですが、かなり、ハードな遊びでしたね。とにかく昭和30年代は、戦う遊びが主流でしたね。そして子どたちが遊ぶその場面は、まるで喧嘩している風でした。
2013.03.02
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昭和47年から2年間くらい、放送していたど根性ガエル 中学生のひろし君が掛けている通学カバン帆布で出来ていましたね。先日このかばんを斜めに掛けて歩いている20才くらいの男性を目撃し、思い出しました。扱っている店は わずかのようですが、手に入るのですね。因みに女子は、ひろし君が指さしている、カバンでした。カバンの材質はズック、運動靴の総称でもあり、スニーカーが定着するまで、ズックと言っていたのですねえ。今、人々には斜め掛けバッグが定着していますがこのカバンはリュックサックなどより、走りの妨げにならなく、ズックグッズでしたよね。中学生の象徴カバンであったのですが 昭和40年後半以降頭髪や制服の自由化で、学生帽 と同時に少しずつ姿を消していきました。靴もカバンも跳び箱もマットも、ズックで出来ていたので独特の匂いを放っていました。ズックの匂い、嗅ぎたくなってきます。帆布カバン、現在学校単位で 指定で使っている所が数校あるそうです。男女共にです。選択した要素は解る気がしますよね。頑丈過ぎて、振り回しても、投げ合いしても汚れはしても、ボロボロにならなかった確かなカバンでしたね。ただ、布なので匂いはたっぷり沁みつきました。ファブリーズでシュッシュッなんて思いも寄らない時代でした。
2020.03.07
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またまた、三日月です。(笑)60代以上の方は、月では 三日月が好きなのですね。こちらの女性は、1964年~1966年まで放送された人気番組 忍者部隊月光 の三日月です。森 槇子さんが演じていました。なぜか途中で降板して、新しく銀月というメンバーが加わりましたよね。それにしても、この三日月の美貌には感心していました。美と知と躍動性を全て持ち、品格ある色香もプラスされていて両性からの憧れでしたよね。「空~を飛び」伊賀流と甲賀流の忍法を兼備し、拳銃は使用せず、刀と手裏剣で悪を倒す 忍者部隊月光跳び、転がり、蹴り、斬る。アクションシーンが切り変わる画面の、その当時なりの マジックに子供たちは、夢中になりました。「風を~~切り すすみゆく忍者 正義の味方」ディークエイセスの歌唱でしたね。忍者ブームも終わりを告げる頃だったのでしょうけれど130話以上 続いた番組なので印象が強烈で、テーマソングいまだに歌えますよね。
2016.06.18
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昭和では タバコの煙だけでなく色々な煙が上がっていました。今は煙あまり見かけないですね。JTの喫煙率の推移グラフによると、男性の喫煙者は 1960~1970年頃までがピークで8割方がたばこを吸っていたいたようですね。年々喫煙をやめる人が増えていますが、女性は1950年から横這いで減らないようです。 ストレス解消にたばこを吸うと言いますが、体がニコチン依存症でない人が、ストレスたまった時 別にたばこで解消しようとは思わないわけです。体からニコチンを抜けば、たばこは吸わなくていられるということですよね。上の絵は喫煙しない女性と喫煙女性、40代の顔をシミュレーションして描いてみました。やはり歳を重ねるにつれ、喫煙者の顔は、男性も女性もスモーカーズフェイスになってきます。特に嫌煙者でもなく、禁煙を勧めているわけではないのですが、それにしても 喫煙者は、高額納税者ですよね。
2013.10.11
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昭和37年~40年頃 大ブレイクした 小学生のファッションの一部いくつか 描いてみました。はやって おしゃれするのは勿論ですが、新しい素材のデビューに その頃は驚いたものです。高度成長に 拍車か゛かかっていたのですね。
2013.02.05
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昭和40年以降、重い文金高島田を被り、花嫁となった方は、皆装着した事のある つけ睫毛 頭もまぶたも重くおめでたいのに、式が終わるまできつかったはずです。そう、昭和40年代から女性歌手につけ睫毛は、必需品になりました。それにしても、ネガティブな曲が大ヒットしましたね。こちらの絵と似た 歌手の方、瞼の形状が、つけ睫毛の装着にマッチしなかったのか、よく落としていましたね。2~3枚重ねてつけていたのでしょうね。素顔(そのころ すっぴん とは言いませんでした)とメイク時のギャップの激しさと、歌唱力は絶品でした。こちらの絵と似た方、つけ睫毛でのまばたきが、何ともチャーミーでセクシーでした。華麗なる変身で、大ヒットを飛ばしました。日本でつけ睫毛を製造するようになったきっかけは、昭和の初め、浅草の芸者さんが自分の髪を切ってなんと手作りしていたそうです。そして、つけ睫毛メーカーの第一人者コージー本舗が戦後昭和22年に商品化したのです。そして、流行として、拍車がかかったのが、昭和42年、フランスからミニスカートの女王ツィッギーが、つけ睫毛をバサバサしながら来日したのです。日本の女性は、つけ睫毛とミニスカートの虜になったのでした。
2019.06.12
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