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ピアノリサイタルのお知らせです。今回もご好評いただいております お話&ピアノ のリサイタルちょっと物知りになれるコンサートvol.2 を企画しました。ショパンがよく語っていた内容や彼自身の言葉ショパンから実際にレッスンを受けた当時の生徒さんたちの証言私のポーランドでの体験あれこれ・・・ご紹介したい内容は沢山ありますが、いつも通りユーモアと笑いのあるステージ誰もが 「うんうん わかった」 とうなずけて、ショパンが愛したピアノという楽器、そしてショパンの曲がもっと好きになれるそういうコンサートにしたいと思います。 コンサート当日のロビーには、私が刺した チェコ・ズブジー刺繍 を数点展示します。ショパンの音楽と通じるものを感じさせる繊細な技法の刺繍こちらも是非ご覧下さいませ。
2012年10月02日
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ピアノリサイタルのお知らせです。今回は、ヨーロッパ文化と作曲家のお話、そして私個人の曲に対する思いや体験談を交えての演奏となります。また私が刺したチェコ・ズブジー地方の刺繍をロビーホワイエにて展示します。刺繍については ホームページ に写真の掲載があります。また公演チラシは、このブログの フリーページ でもご確認いただけます。
2011年10月17日
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ヨセフカさんのイースターエッグを今年も拝見させていただきました。説明等は、後日書き入れたいと思います。
2011年04月27日
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この度の地震、津波、その他2次災害等で、お亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災者様のおかれた状況に同情申し上げ、救助支援、復旧作業が滞りなく遂行されることを祈念します。こちらチェコでも、地震のニュースはすぐに報じられ、チェコ人の皆様より、またザルツブルグからも安否を気遣うメールをいただいています。メールをいただいた方々に共通するのは、素直、面倒見がよい、責任感がある等々、どちらかというと地味で堅実なタイプの方が多いようでもあり・・・人の為になりたいというよりは、人には迷惑をかけたくない。といったスタンスで日々生きておられるように感じます。その人自身の表面に表れている部分も好きなのですが、奥にある見えない部分が、より偉大で魅力的とも言えます。
2011年03月13日
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最初の住まいの向いのカフェレストランには、お昼のランチに時々行きました。日替わり定食メニューが2コースあって、どちらもスタンダードなオーストリア料理 という感じでした。オーストリア料理、特にザルツブルグのものは、概して塩辛く、ここの フリタッテンズッペ も塩がよく効いていたものです。因みに、ザルツブルグとは、塩の砦という意味で、この地方では、今でも岩塩が産出しています。塩はその昔、とても高価なものでした。白い黄金などとも言われたそうで・・・ですので、塩の強いザルツブルグの味付けは、塩がたっぷり使える豊かなザルツブルグ。ありがたい塩味の料理、というのが、私の私見。飲み物代を稼ぐ魂胆だ。と息巻く、ザルツブルグ人もそこそこいましたけれど。もっとも高級店と言われるところの味付けは、塩分控えめでした。健康志向なのでしょうか?ただそれでは、物足りない感じがしたもので、いつしかそういう席では、食卓塩が欠かせなくなりましたね。同席のオーストリア人は、それを歓迎する風でしたから、やはりオーストリア料理は、塩がきいていなくちゃ なのです。塩がきいていなくちゃは、ザルツブルグ州やチロル州、フォアラルベルグ州の特産品、ハム、ベーコン、チーズの類もそうです。本来、保存食なわけですから、塩が濃いのは当たり前。合成保存料はどうかと思いますし、よい塩でこそ、味が引き立つというものでしょう。::::::::::::::::::::::::::::::::::::さて、カフェレストランに話を戻すと、ここは居心地がよかったです。お店の人達とも顔なじみでした。その居心地のよさは、ちょっとレトロな雰囲気と、丁寧すぎないサービスにあったと思います。少し古いインテリアというのは、落ち着くもの。そして、サービスが自然というのは、こちらも気負いなく自由でいられるもの。チップを奮発して欲しい風もなく、常連になって欲しい風もなく、誰に対しても最小限の笑顔でのもてなし。塩の効いたスタンダードな定食メニューと、お店の雰囲気、サービスがよく調和していたと思います。お店のマダムは、カウンターで、グラスを磨いているのが常でしたが、時々マダムから話を聞くこともありましたね。日本食のレストランで、どんなものを食べたとか、また違うものを食べてみたいけれど、店が忙しくてなかなか出かけられないとか・・・他愛のない話かも知れませんが、ちょっとした日常の会話というのは、不思議と気分が安らぐものです。そして、マダムの人柄だったのでしょう。そうしたやり取りのいくつかやその時の光景は、今でもこころに残っています。次の住まいに引っ越してからは、足が遠のきましたが、たまに寄ると、全てのことは、いつも通りでした。しかし、ザルツブルグを離れる前に、挨拶がてら訪ねてみると、突然、経営と内装が変わってしまっていて・・・その時はショックでしたね。もう1度定食を食べ、マダムには、お礼が言いたかったです。今でもグラスをリネンで拭いたり磨いたりする時は、よくマダムのことを思い出します。手早く慎重に磨き、曇りがないかライトにかざして・・・グラスを持つあの姿に、人柄がよく表れていたなと、つくづく思うものです。::::::::::::::::::::::::::::::::::::そしてもう1人、気になるのは、住まいの最上階に住んでいた1人暮らしのお兄さん。カフェレストランには、私よりよく行っていたのではないかと思います。たまに夜、お店に行くと、彼の隣には、必ず女性がいました。が、それはいつも別の人。お兄さん本人に、その気はなさそうで、くつろいでいるような、困っているような・・・というパターンを見かけました。で、そんな様子もこのお店と、妙にマッチしていたと思います。ヤングエクゼクティブ風のお兄さんで、ザルツブルグには珍しいタイプ。私には親切でしたね。味にしても、人にしても、こうして思い出すということは、魅力がある という1つの証でしょう。
2011年02月04日
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ザルツブルグで最初に住んだ場所は、この薄黄色の建物の3階です。この黄色を時に テレジアンイエロー と言います。オーストリアの国母、マリア・テレジアが好んだことに因んだ色名で、ウィーンのシェーンブルン宮殿外装もこの色が使われています。さて、この住居では、管理人のおばあさんと最上階のお兄さん、中庭の眺めくらいがよい思い出で、後は不愉快なことばかりでしたね。その不愉快なネタだけで、本が1冊、堂々と書けるくらい。もっとも、そういうことに使う時間は、ありませんけれど。でも、真実を全て書いたら、読者は、ザルツブルグもオーストリアも国そして人、なんてひどい と憤慨することになるでしょう・・・本当に、日本は豊かで恵まれた国です。私の愛国心は、ここで生まれたのだと思います。などと言いつつも、外国に暮らす日本人同士は難しい、ということもこの頃に直面した問題です。あれは、日本の悪しき縮図のようなもの。同じ日本人だとは到底思いたくない なんてこともありました。自分の生まれた国、自分の住んでいる国、その良いところ、悪いところを正直に見据えること。これはとても大事なことだと思います。ねじ曲げて美化しても、気に入らない部分の悪口を愚痴ってもダメ。そこから何を学び、どういう人間で自分がありたいかを構築したいものですね。
2011年01月31日
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オーストリアのレストランで、よく注文するスープは、細切りにしたクレープの入ったフリタッテンズッペです。スープ自体はコンソメで、刻んだチャイブが散らしてあります。チャイブは、オーストリア料理に欠かせない食材の1つ。スーパーマーケットでも市場でも、品切れということはまずなく、軽くひとにぎりの束が、当時100円前後でした。チャイブは市場の八百屋さんが、よくおまけしてくれましたね。ないと困るでしょ? といった感じで。スープの具であるクレープは、オーストリアでパラチンケンと言い、この名前は、ハンガリー語のパラチンキからきています。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ある日、旧侯爵家の若様の家に行った時のことです。ケラーに連れて行かれると、そこにはクレープの生地が置いてありました。前の日に仕込んで、涼しいところで一晩寝かせるとよいとのことでしたが、その量の多いこと。昼食にいらしたお客様が帰ってからも永遠とクレープを焼いていると、若様は 自分の相手をしない と不機嫌になるしで・・・::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::さて、素人クレープというのは、フライパンの火加減とか熱のまわり方などで、最初の数枚は、まずまず位の焼き上がり。しばらく焼き続けると、満足いくものが焼けるようになり、但し、途中気を抜くと失敗し、最後の方は雑になりやすいものなんですよね。このパターンは、ピアノリサイタルのプログラムなどでも起こりやすく、ですから、どのようにペース配分するかということを考えておく必要があります。自分がなるべく弾き出しやすい曲で始め、調子よく弾き進め、集中力が散漫にならないよう工夫し、最後に総仕上げができるように・・・もっとも理屈ではないところもあって、のっていれば何事も思い通り。大量のクレープがあっという間に焼きあがってしまうような、そういうのもあります。ただ、安易な期待とか、のるかそるかの場当たりで、事がうまくいくことは絶無ですし、それでは、過去の経験から何も学ばず、それを生かさずですから。本当の意味での成功とか達成感というのは、確実な準備とそれに向う心構え、そしてそれらに囚われない、無心の心境という辺りがポイントだと思います。無心で何かに集中できるには、大抵の場合、そこまでの準備が大切であり、その過程で何が起こるかを嫌というほど学んでおく必要がある、とも言えるでしょう。::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::スープのことに話を戻すと、フリタッテンズッペは、私のこれまでを重ね合わせ、反芻しつつ味わうスープ、ということになっています。チャイブをおまけしてくれた八百屋さんの人柄とか貴族家での出来事、その頃の自分が置かれた立場や心理。歩んできた道のり、うまくいったケース、そうではなかった場合の数々。それら全てが懐かしく、まだまだそこに自分の学びが見つけられること。沢山の事柄が思い浮かんできますね。
2011年01月25日
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昨年の8月、久しぶりに以前の留学先、ザルツブルグに行きました。留学当時のことなど、思い出を交えながら書き連ねてみようと思います。プラハからザルツブルグへの列車は、リンツを経由します。リンツというと、数年前までの駅の改修工事が思い出され・・・乗り継ぎホームがずいぶん遠くにあったり、そこへ行くのに、階段を上がったり下がったり・・・荷物が重いと、ホームを探して歩き回るにも骨が折れ、さらに、乗り継ぎ時間が短かったりすると焦ったものでした。現在のリンツ駅は、とても機能的で便利なのですが、以前、小型エレベーターの中に閉じ込められて、出られなくなったこともありました。その時は、チェコ人の怪力のおじさんがドアをこじ開けてくれたお陰で、5分後には脱出できたものの、乗り継ぎの電車は行ってしまいましたね。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::さて、しばらくぶりにザルツブルグに到着すると、今度は、ザルツブルグの駅が改修工事。昔のリンツを頭の片隅に、覚悟を決めて歩きだしつつも、駅から見えるウンタースベルグ(山)を写真に収めました。車窓からこの山が見えると、ザルツブルグだなと思い、そして、駅に降り立つとしばし、眺めていたいものなのです。ザルツブルグに到着した時、そしてザルツブルグを去る時、この山に挨拶するのが、私の自然なこころの動きになっています。でも、あまり感傷に浸っているのは危険で、周囲には注意していなければなりません。駅というところは、スリや置き引きが発生する場所ですし、大荷物を抱え、急いで走っている人もいます。リュックサックやカートをぶつけられることもありますし、改修工事中の仮設階段などというのは、微妙に揺れたり足場が悪いもの。転倒しないよう歩きやすい靴で、そして荷物の個数を最小限にすること、もちろん財布やパスポート、貴重品には十分気をつけて。それからよそ見しない等々、心得事はいくつかあるのですが、駅にはあまり長居しないというのも大切なことです。フランクフルトの駅では、時限爆弾が仕掛けられたという(結局は虚偽)騒ぎで、大急ぎで外に出なければならなくなったことがあり・・・また、ロンドンの地下鉄では、突然銃声がして窓ガラスが割れ、その場にいた人たち全員が、地面に伏せたこともありました。と、このような物騒な経験をすると、どこか人間はたくましくなり、また目つきが悪くなる人もいたりするものです。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ところで、写真を撮っていた時のこと、私のすぐ隣には、やはり向こうに山を眺めている人がいました。穏やかそうなその人の眼差し・・・きっとウンタースベルグに思うところがあるのでしょう。普段だったらちょっと声をかけて話してみようなどと思うのですが、この時は遠慮させてもらいました。言葉にすると、遠のいてしまう。そういう感情もありますからね。:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::駅は物騒なだけ、ではもちろんありません。そこに素敵なひとコマを見つけることもあります。また、ちょっとした出会いがあったり、同じ車両に乗り合わせた人との印象深い会話の数々も大切な思い出です。大昔から、旅というのは冒険であり、故に楽しいことと危険なこと、その両方があるという点で一致しているのではないでしょうか。移動手段、かかる時間、そういうことは変わっても、変わらない何かが確実にあるものですね。
2011年01月23日
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ヨセフカさんももちろん来てくれました。 ヨセフカさんについては こちら でどうぞ。いつも好奇心に溢れていて素敵な方・・・ヨセフカさんの従姉妹リュドミラさんは、天性のマダムです。チラシにサインをさせていただきました。花束贈呈と歓談で、随分時間が経ってしまいましたが、アンコールにモラヴィア地方の民謡を即興で演奏。左手に花束を抱えながら右手で伴奏とメロディーを弾いています。曲の繰り返し部分には、皆さんのハミングも加わりました。
2010年10月19日
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銀座王子ホールでのピアノリサイタルまで、あと2週間です。先日、同プログラムをプラハで演奏しました。いつもお世話になっている方々(特にフォークロア関係)を中心に集まっていただき・・・ですので、雰囲気はとても和やか。しかし、なかなかにエキサイティングでもあり・・・英雄ポロネーズ終了と同時にスタンディングオベーション。その流れで、プレゼント、花束贈呈へと続いてきました。握手と共に語られる内容、お客様の紳士淑女ぶりに、学ぶところは多いものです。
2010年10月19日
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オーストリアにいた頃、ウィーナーシュニッツェルを頼むと、大抵の場合、ヨハニスベーレン (赤スグリ) のジャムがお皿に乗っていました。お肉をジャムと一緒にというのは、私たちの感覚からすると以外ですが、見た目にもとてもきれいで、豊かな気分にさせられたものです。::::::::::::::::::::::::::::::::::そのヨハニスベーレンのジャムを作っている最中、生の果実が、デザートプレートにも飾ってあったな・・・なんてことを思い出すと、ちょっと手を休めて、遊んでみたくなりました。::::::::::::::::::::::::::::::::::これは、バラとヨハニスベーレンの T わたし、TAKEUCHI の T です。アルファベットにお花がデザインされている素敵な飾り文字は、ヨーロッパ的なものの1つでしょう。::::::::::::::::::::::::::::::::::刺繍の図案にも花文字として様々なものがあります。自分で刺さなくても、見ているだけでどこか優雅になれる・・・こうしたデザイン様式は、自然を室内装飾に取り入れようとした、ロココの流れを受けているものなのでしょうね。
2010年08月28日
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シャツをオーダーすると、残り布が付いてきますね。これは、襟やカフスなど、何かで補修が必要になった時の為なのですが・・・でも、そういう必要がなさそうな場合には、その布で、小物を作ったりするのもいいのではないでしょうか。::::::::::::::::::::::::::::::::::よだれかけなら、本当に小さな布でできます。家族の誰かが着ているシャツと、赤ちゃんのよだれかけがお揃い!というのもありですよね。ほほえましい気がします。::::::::::::::::::::::::::::::::::ストライプ柄は、基本的にシャープなイメージなので、赤ちゃんには、あまり向かないかも知れません。でも、襟にレースをちょっとつけると、柔らかみがプラスされ、かわいらしさも演出できますね。
2010年08月25日
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道端のATMで、お金を引き出していたら、お父さんに連れられた男の子(2歳くらい?)が、こちらに向かって走ってきました。ショウウィンドウの何かを欲しがっているのかと思ったお父さんでしたが、男の子のお目当ては私!何もあげるものがなかったのが、ちょっと残念でした。札束を渡す訳にもいきませんし・・・うちには余った生地で試しに作ったよだれかけがあります。でもこれをあげても、本人が気に入ってくれるかどうかは、わかりませんよね。ちょうど写真のような男の子で、口にはおしゃぶり。別れ際は、手を振ってくれました。PS,オーガニックコットンのチェックとガーゼのリバーシブルです。
2010年08月03日
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しばらく前に作ったコサージュです。もう少ししたら、ブログを定期的に更新したいと思っています。
2010年06月26日
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リブシェさんは、チェコ・モラヴィア地方 ウヘルスケー・フラディシュテェのご出身です。このウヘルスケーには 「ハンガリーの」 という意味があり、その昔、ハンガリー領だった歴史を物語る地名となっています。::::::::::::::::::::::::::::::::それ故か、この地域一帯やこの地域が故郷の人々には、どことなくハンガリー的な人懐っこさを感じることがしばしば。明るくて積極的、協調性に富んでいて、テンションが高めというのも共通項かも知れません。::::::::::::::::::::::::::::::::さて、リブシェさんは、私が作るお菓子の大ファンになってくれた人の1人で、これまでに、クグロフやパウンドケーキ、クッキー・・・どのレシピも 貪欲に お尋ねいただき、お教えしたものは、何度も作って下さいました。どんなに美味しくできて、差し上げたお友達に喜ばれたか等々。::::::::::::::::::::::::::::::::そんなご機嫌な報告を聞かせてもらう度、よかったなと思うのと同時に、益々親しくさせていただけるようにもなりました。先日は、お亡くなりになったご主人にも、あなたのお菓子を食べさせたかった。と、おっしゃっておられましたね。リブシェさんが特に気に入ってくれたのは、オートミールを入れ込んだウェールズの焼き菓子、オートミールクランチーです。これはいつか、このブログをご覧のみなさまにもレシピを公開しなくてはなりませんね。::::::::::::::::::::::::::::::::写真のものは、プレーンタイプのレシピに、刻んだローズマリーを混ぜて焼いてあります。こういうアレンジでも楽しんで下さいね。と、モラヴィア地方出身者の集まりで、先日お渡ししたものです。::::::::::::::::::::::::::::::::ウェールズやイギリスのお菓子には、ゴールデンシロップやデメララシュガーなど、日本では馴染みのない甘味料をよく使います。代用できるものは代用して作っていたのですが、ここプラハでもこういう材料が、簡単に手に入るようになってきました。::::::::::::::::::::::::::::::::オートミールクランチーに使うゴールデンシロップは、はちみつで代用できますが、ゴールデンシロップを使う方がやはりいいかな・・・ということで、リブシェさんにゴールデンシロップを1缶、自作のポーチに入れてプレゼントしました。リブシェさんは、明るい黄色のイメージです。だから、イニシャルの L を黄色で刺して・・・それから黄色のLをお皿の上に乗せたら美味しそうかな? ということで、白いお皿を加えてみました。::::::::::::::::::::::::::::::::刺繍というのは、ユーモアやウィットも表現できると思います。そこに笑いが生まれるのは、楽しいことです。お菓子も刺繍も根本的な意味で、人間の営み、こころを豊かにしてくれますね。
2010年05月25日
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確実な答えを持っている人ほど、安易に人に答えを探してもらおうとはしないという原則があります。そういう人は、とりあえず根気よく自分なりに何かとやっているものです。そして、教えてもらえるような機会やチャンスが来た時には、非常に素直である。という点で共通しています。素直と言いなりは、違いますよね。あれやこれやを教えて欲しい とせがんでくる人が、まあたまにいるのですが、そういう人は大抵、素直さがなく、言いなりにはならないぞ、といった我を持っています。で、我がある人ほど、堂々巡りの連続だったり、案外あっけなく騙されたりしている。その悪循環を断ってあげたいな と思う時があります。芝刈り機が来る前に、たんぽぽの葉と花を集め、クロスを染めてみました。クローバーの葉などもちょっと交ざっています。キッチンから毎日眺めている今の景色を色にとどめておいたら、いつかここを離れても これはあそこ なんて思えるでしょう。たんぽぽの綿毛は ここ を離れ、どこかへ旅立つものです。今見ているたんぽぽだって、どこかから飛んできて ここ で咲いている・・・素直さとは 今のここの自分 に固執しないこととも言えるでしょう。手放してしまう価値観だって、いつか立派な思い出にしてしまえるのですから。
2010年05月17日
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自分の専門分野を離れた部分でちょっと遊んでみるというのは、よい気分転換になります。それまで主観的になりすぎていた事柄を客観的に把握することにもなり、こころに積もった訳のわからないものを除去できたりもして・・・そして、自分の中にそういう感性があったのかと気がつくきっかけが生まれたり、新しい創造性の源との出会いが起こったりもします。それらが自分の専門分野と実は密接に関わっていたという事実を認識する段になると自分や人間の不思議さをもっと知りたい・・・そんな思いをすることもあります。答えは人に探してもらうものではなく、自分の中に見つけられたら最も為になりますね。たんぽぽのスープは、おひたしよりも苦みがずっと増すので、軽く一握りの量で4皿分くらいの勘定かと思います。本当に苦いので、甘いスイートコーンを混ぜました。コーンはカップの底に沈んでいます。すくったコーンがスプーンに乗ると、たんぽぽの花をイメージさせてくれ、口に運ぶ時もいい感じです。手織りのクロスのフリンジ部分は、たんぽぽの綿毛のように見えますね。カップの底に敷いてみました。
2010年05月11日
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芸術の分野、様々な職業、あるいは社交・・・世の中、遊びの感覚ではできないことばかりです。ピアノの演奏ももちろん遊び感覚では、到底無理ですし、プロフェッショナルを自負する者には、難しいあれこれが山積します。ただ、どんなプロでも達人というのは、遊びごころ というものを持ち合わせていますね。そしてそこに、その人らしさとかその人特有の魅力とか、エッセンスとか隠し味みたいなものが感じられる訳です。それに習い、私も遊びの部分を大切にしたいと思っています。ただし! 遊んでくれ という誰かの依存的要求には( )です。たんぽぽの若い葉を軽く一握り摘んできて、おひたしにしました。よく噛んで味わえるようにピーカンナッツをプラスして・・・たんぽぽの苦みとよい相性だと思います。時間がない時のドレッシングもどきは、粒マスタードを白ワインでのばしたもの。どのようなワインでもそれなりに味が調い、ゆでたジャガイモにたらしても美味しかったりします。
2010年05月09日
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チェコ・モラヴィア地方の民族衣装は、本当にバラエティーに富んでいます。そのことをフォークロアでお世話になっているみなさんに述べると・・・みなさん口をそろえて、「それぞれの村に異なる衣装」と言い、話しのついでによく、帽子をかぶせてくれます。さて、こちらのおじいさまは、キヨフという地方のご出身で、キヨフの典型的な衣装をお召しです。去年の夏に新調されたブーツも(写真には写っていませんが)輝いていました。おじいさまが、嬉しそうにやってきて、ブーツを新しくしたんだよ。と言っていた日のことが思い出されましたね。おじいさまが嬉しい話をする時は、ブルーの瞳がますますクリアーになります。そして、美しい自然が大好きなんだ と、よくおっしゃいますが、そういう人にこそ、民族衣装の刺繍(花柄)も似合うのでしょう。
2010年04月28日
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ヒメオドリコソウ住まいの近くに、ホトケノザが毎年きれいに咲きそろう場所があります。バス停のそばなので、行きや帰りに足を止め・・・でも足を止めるだけではなく、しばらくしゃがんで眺め、5分、10分と観察していると、もっと居座りたくなるものです。いつまでいても、ホトケノザに蜜の香りは感じられません。でも蜂たちは、せっせと蜜を集めています。大きさや飛び方もまちまちの蜂たち・・・それぞれに違う羽音が聞こえてきます。:::::::::::::::::::::::::と、このようにブログをアップしておいたところ、父からメールがきました。そのメールには、ホトケノザではなくて、これはヒメオドリコソウではないか?というようなことが書いてあり・・・早速、ウィキペディアで調べてみると、ヒメオドリコソウで納得しました。私はてっきり、ホトケノザのヨーロッパ種だろうと今までずっと思い込んでいましたね。お詫び申し上げ、訂正致します。:::::::::::::::::::::::::さて、それで思い出したことがあります。ザルツブルグにいた頃に、旧侯爵家の若さまと、早春の湖畔を散歩していた時のことです。しばらく歩いて森に差し掛かると、歩道の片側には、モミの木がどこまでも遠く生い茂っていました。冬にここに来たら、モミの枝の上に雪が積もっていてきれいでしょうね。と私が言うと、彼は、これはモミの木ではありません。モミの木の葉の裏は白いのです。と言われました。その後若さまは、私の気分を損ねたのではないかと、かなり心配な様子でした。:::::::::::::::::::::::::それからしばらくして、またクリスマスがやってきて、若さまのクリスマスツリーの飾り付けを手伝っていた時・・・湖で教えてもらったことを思い出しながら、白い葉の裏を触っていると、若さまに再度、あの件で怒っていないかと聞かれ・・・なんでも、私は話しやすいけれど話しにくい人なのだそうです。それはこちらも同じなのですがね。真冬でも絶えることなく緑の葉を茂らせるモミの木は、変わらぬ信仰心の象徴とのこと。そして、私と若さまのやり取りは、いつまでたっても相変わらずな感があります。PS,父はザルツブルグに来た時、若さまから空港で、お手製のピクルスをお土産にもらいました。
2010年04月26日
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雨が降ったり止んだりを繰り返す日は、ザルツブルグにいた頃のことを思い出します。ここプラハもそういう日が結構あるので、外出時は、折りたたみ傘を持ち歩いているのですが・・・:::::::::::::::::::::::::::::先週末、もう雪が降ることもあるまいと思って窓を拭いていたら、雹が勢いよく降り始めました。雹も私にとっては、ザルツブルグを連想させるものです。住み始めて3日目くらいに、地元の人も驚くくらい降ったことがあったので。::::::::::::::::::::::::::::::雨の日のザルツブルグは、花や果物、野菜のきれいな日でしたね。みずみずしいとはこのことかと思うくらい・・・そして、空気もどこか甘くかぐわしかったので、できるだけ窓を開けっ放しにしておきたかったものです。
2010年04月14日
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今年もヨセフカさんのイースターエッグを拝見してきました。ヨセフカさんは、いつ会っても楽しそうです。ヨセフカさんに会うと私も楽しくなりますね。しばらくお邪魔してお話を伺いました。下絵やデッサンなどはなしで、そのままじかに絵付けを施していく・・・丁寧な作業を見せてもらうとこころが安らぎます。ヨセフカさんとお別れした後、プラハ城へと坂を上って行きました。今年は寒くて、まだ木々に花は咲いていません。でも足元には、春を告げる様々な花が顔をのぞかせていました。こういう光景は、いつまででも眺めていたいものです。イースターエッグを1つプレゼントしてくれたヨセフカさん。上半分に描かれているのは、チューリップのモチーフで、下はりんごだそうです。青の濃淡で絵付けしたら、マイセンのブルーオニオン柄に類似して見えるのでは?何か想像力をかきたてられます。去年の日記も是非どうぞイースターエッグに囲まれたヨセフカさん若き日のヨセフカさんの写真はこちらでヨセフカさんからのプレゼント
2010年04月03日
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雪も殆ど見当たらなくなったので、近所の森に出かけてみました。丁度スノードロップの花が見られる頃・・・ザルツブルグでもこの時期よく見かけました。雪の中から顔を出していることもあります。お庭などにも植えられていますが、やはり森で見たい・・・野生のものは珍しくなったそうです。上空からは、キツツキが木をつつく音が、何度となく聞こえてきました。肉体的にも精神的にも、花に触れる時間を大切にしたいですね。PS,チェコ語名:スネジェンカ ドイツ語名:シュネー グレクヒェン 両方とも雪に因んだ名前です。
2010年03月24日
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プラハもようやく春になるのかなあという感じですので、食卓にも少し春らしい演出をしたくなりました。ファルファッレはいいですね。 蝶のかたちは、やはり春のイメージ。:::::::::::::::::::::::::::::::::鍋にお湯を沸かしている間にちょっと遊んでみました。左の蝶は、これからチューリップの葉の上で羽を休めるところ。手前の蝶は、どの花にとまろうか迷っているところ。右の蝶は、別の花へと飛び去って行くところ。:::::::::::::::::::::::::::::::::さて、音楽にはヴァリエーション(変奏曲)形式というのがあります。あるメロディーやリズム、調や和声を変化させながら・・・他にも様々な技法を用いて発展していくこの形式は、私の特に好きなものの1つです。:::::::::::::::::::::::::::::::::ヴァリエーション形式の曲に限らず、同じメロディーが出てきたら、1回目と2回目には変化を持たせて・・・でもそれをどのようにするか? どのような性格を表現するか?そこに豊かな音楽の世界が広がっているわけです。:::::::::::::::::::::::::::::::::色のヴァリエーション、形のヴァリエーション、組み合わせのヴァリエーション・・・音にも、そして蝶の風情以外にも様々なヴァリエーションがありますね。人間1人1人もヴァリエーションでしょう。そして、各人の人生もまたヴァリエーションですね。
2010年03月20日
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グヤーシュの起源は、多分ハンガリーであると思われます。平たく言うと牛肉と野菜のパプリカ煮込み。時とともにハンガリーはもとより、中央ヨーロッパ一帯に広まったグヤーシュは、愛され続ける家庭料理の定番です。:::::::::::::::::::::::::::::::::家庭料理らしさを感じさせるところは、それぞれのお宅に “我が家のグヤーシュ” というのがある辺り。日本にも “うちのカレー” というのがありますね。うちのカレーが1番! なんて方もきっと多いのではないでしょうか。:::::::::::::::::::::::::::::::::さて、どんなに好きでも同じものばかり毎日食べ続けるのはしんどいもの。大鍋いっぱいに作ったグヤーシュにアレンジを加えながら・・・そうやって私は、3日とか4日かけていただいています。この日はホウレンソウのソテーを上に乗せて・・・:::::::::::::::::::::::::::::::::他にもパセリやネギのみじん切り、ピーマンのスライスやゆで卵。そして、大変美味しいのが山椒をふりかけるというものです。これこそ “私の=うちのグヤーシュ” なんて思いながら、お皿や下に敷くクロス類もその度に変化を持たせると1人で楽しくなりますね。:::::::::::::::::::::::::::::::::個人的にグヤーシュのエピソードはいくつかあるのですが、最近で印象に残っているのは、北モラヴィア地方に住む女性のおはなし。いただいたメールに 「息子のところにグヤーシュを持って出かけてくるわ」と書いてありました。:::::::::::::::::::::::::::::::::彼女がせっせと支度して、グヤーシュを鍋ごと車に積んでいる様子、車で5時間くらいの距離を運転している様子が目に浮かび・・・グヤーシュはやはり “我が家のグヤーシュ” であり “おふくろの味” なんだなとけっこうしみじみ思いました。:::::::::::::::::::::::::::::::::あと微妙な気分にさせられたのは、オーストリア航空の機内で隣の席に座っていたハンガリー人のお兄さん。何ヶ月か日本でモデルの仕事をして帰るところだと言っていました。日本のご飯は美味しいね! なんて話をしていたのですが・・・:::::::::::::::::::::::::::::::::機内食にグヤーシュが出てくると、英語でハウスとかホームとかそういう単語を連呼していました。しばらくそっとしておこう・・・そう思ったものです。
2010年03月18日
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昔ポーランドで大洪水に遭遇したことがあります。そのことはいずれ書くことに致しましょう。で、洪水の後に今度は日照りがやってくると、流れてきた土砂が乾燥し、凄い砂埃が舞い上がったのでした。:::::::::::::::::::::::::::::::それ以来、私はどうも砂埃や粉塵類が苦手となり、防御策として、外出時に飴玉を持ち歩くようになったのです。街を歩いていると、どこかには工事現場がありますし、そういう理由でいつ喉がいがらっぽくなるかわかりませんからね。:::::::::::::::::::::::::::::::電車や飛行機の中、そして冬の乾燥する季節も気をつけるべきです。と言いながら、喉の調子は別に深刻な訳でもありません。だから、普段は飴玉を持ち歩いているのを忘れているくらいなもの。基本的には 気をつけつつも気にしていない という状態ですね。:::::::::::::::::::::::::::::::さて話は変わりますが、私の周囲には、大きなお子様たち (男性) が何名もおります。そして私は彼らの兄であり母親みたいな存在なのです。今日会ったチェコ人のお子様は、「あのね、2日前までね、声がでなかったの。」とガラガラ声で話を始め・・・ :::::::::::::::::::::::::::::::それから約1時間後、別れ際になってきて気がつきました。私は飴玉をいつも写真のような小袋に入れて持ち歩いているのです!でも 「あっ思い出した」 と慌てて飴玉を取り出して差し上げるというのは下策でして、そういうのだと彼らはあまり喜ばない・・・:::::::::::::::::::::::::::::::小袋を見せなから 「この袋の中には何がはいっているのかなあ~?」と、まずはじらす というか注意を惹きつけてからでないと・・・そして袋を開けて 「はい、飴玉どうぞ」 と、こういうのだと、彼らは大感激してくれるのです。:::::::::::::::::::::::::::::::ついでに 「おくち あ~ん する?」 と聞いてもいいのですがね・・・今日はやめておきました。もう十分、瞳がキラキラしていましたし、それに、なつかれすぎてしまってもお互い大変ですので。:::::::::::::::::::::::::::::::こういう特殊なパターンでなくても、飴玉を差し出すのに肝心の飴が、かばんの中でバラバラというのはスマートさに欠ける・・・散らばりやすいものはやはり、小袋などに入れておくといいですよね。自分が欲しい時にも助かります。:::::::::::::::::::::::::::::::さて彼と別れてからのことです。自分も子供の頃はあんな風に 「何が出てくるんだろう?」そういうワクワクするこころで溢れていたな なんて自分自身を振り返り・・・すると、どうしてもより道がしたくなってしまったのでした。PS, 和の柄の小物を珍しがってくれる外国の方は沢山いらっしゃいます。 国際交流にもなりますね。
2010年03月13日
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何といっても銀食器の美しさと調和し相性も抜群なのは、純白のリネンではないでしょうか。これは1900年代初頭のリネンです。今も素晴らしい光沢としなやかさを保っています。::::::::::::::::::::::::::::::::::::ところで、織り柄のリネンで人気があるのは、やはり花柄かと・・・花柄はよりエレガントな印象がありますから。でも、葉の柄だけで構成されたクロスというのもスマートで素敵。クールで大人っぽい魅力があるかも知れません。::::::::::::::::::::::::::::::::::::アイロンのきれいにかかったリネンを手の甲にのせると、ひんやりするもの。丁度クローバーの葉に触れた時のように・・・そのことと併せてみると “温度的な一致” という意味も含めクローバー柄というのは、リネンに相応しい織り柄の1つと言えそうです。::::::::::::::::::::::::::::::::::::まあここまで考えないにしても、そして柄のことは抜きにしても銀食器の同じくひんやりとした面持ちとリネンの相性は優れています。両者とも末長くその価値や美しさを訴えかけてくるものですね。あくまでも静かに・・・::::::::::::::::::::::::::::::::::::ところで、このクロスのことをクローバー柄と書きましたが、本当のところはどうなのでしょう?実はクローバー (シロツメクサ) ではなく、アカツメクサかなとも思っています。縁の部分のモチーフは、アカツメクサの雰囲気ですので。::::::::::::::::::::::::::::::::::::青味のあるピンクのリネンの上に置いてみると、アカツメクサの花を連想させ、より、そう思えてくるのですが・・・こうして古いものと触れ合いながら様々なファンタジーに没頭する。私のこころの時間です。コーナーの部分には1か所、イニシャルの刺繍があります。この布地に細かい芯入りサテンステッチを施すのは、大変高度ですね。
2010年03月10日
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スコーンのレシピはいろいろとありますよね。その日の気分で分量等はアレンジ・・・薄力粉100パーセントもいいのですが、何割かをスペルト小麦にするとより香ばしくなります。砂糖や卵入りはリッチな味わい、冷めてもそれなりに美味しくいただけたりして・・・:::::::::::::::::::::::::::::::::形もあれこれ工夫できます。昨日は四葉のクローバーを連想させる形にしました。生地150g程度を2~3cmの厚さの円形にのばしたら天板の上へ。ナイフをしっかりと底まで十文字に押し当てるとこんな焼き上がりになります。切り分けスコーンということですが、私は クローバースコーン と呼びたいのです。:::::::::::::::::::::::::::::::::ところでヘレンドのお皿の縁、バスケット模様の部分には、それぞれ異なるフラワーパターンが描かれていますね。民族衣装でもこういうことがあり、例えば袖口を1周する刺繍が様々な草花のヴァリエーションになっていたりして・・・1つ1つを眺めているとそれらの息づかいが聞こえてくる。そう思えるときがあります。
2010年03月06日
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ヨセフ (Josef) さんの誕生日に、チョコレートをプレゼントしました。折角ですから J のイニシャルを刺繍したポーチに入れて・・・ヨセフさんは、チェコ・モラヴィア地方の民族舞踊のスペシャリストです。ですので、昔の農村で使われていたようなもののレプリカを。::::::::::::::::::::::::::::::::::そういうイメージで刺繍をしていると100年或いはもっと昔の人とお話している気分になりますね。ヨセフさんの笑顔や歌、踊っている様子も目に浮かんできます。今はミドルエージですが、若いころはどんなだったのでしょう?::::::::::::::::::::::::::::::::::もっとも、ヨセフさんの若いころの踊りはビデオで見たことがあり、今も昔も変わらないなあという印象です。その変わらないなという印象は、主に民族舞踊に対しての純真さについてで、きっと様々な経験をして、純真さそのものももっと深くなっているのでしょうね。イニシャル刺繍は、アルファベットだけを刺しても素敵なのですが、J の下にチェコの民族衣装などにも使われるモチーフを加えました。U の連続 または M の連続のようにも見えますが、私としては J の連続のつもりです。ヨセフさんの踊りがいつまでも晴れやかに続くこと願って。
2010年03月03日
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たまにはガーリッシュなイメージで何か作ってみるのもいいですね。出来上がったポーチ・・・ヘレンドのスープカップのそばに置いてみました。すると、ハンガリーで初夏に出てくるさくらんぼのクリームスープを思い出し・・・:::::::::::::::::::::::::::::::冷たくて甘いさくらんぼのクリームスープは、このポーチの色と似ています。紐の色はライラックの花を意識して。ハート型にカーブさせるとまた違った表情が生まれ・・・ライラックの花が咲きそして香る頃になったら戸外でさくらんぼのクリームスープをいただきたいものです。
2010年02月18日
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この2、3週間はいろいろなことがありすぎて、記憶が飛び飛びになっています。同時に 過去を含めた身の上話 などを多く聞いたので、より多くの時間がひしめきあったような感が・・・:::::::::::::::::::::::::::::::::::さて、どういう経緯でもいいのですが、人間の多様性、人生の様々な局面を見ると音楽の捉え方、解釈に幅がでるものです。あたかも自分の為だけに演奏してくれているような錯覚であり感触。これが生まれる原因の一端は、この辺りと関連します。:::::::::::::::::::::::::::::::::::要するに、弾き手の側が聴き手の側の内面を理解し受け入れる能力があり、そこには、何かの共有感が育まれている状態・・・しかし、最終的に弾き手側は超然としているべきで、それには集中力が必要です。:::::::::::::::::::::::::::::::::::身の上話に戻ると・・・話してくる方というのは、聞いている方よりはるかに必死なもの。ですが、その内容に同調しすぎてしまうと、誰の人生なのかわからなくなりますね。私たちの内面には、かなりデリケートな部分がありますから。
2010年01月30日
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昨年の12月、長野県飯田市でのリサイタルの後、父の実家に寄りました。帰り際、おばさん(父の兄嫁)に、プラハにも手紙を出したいけれど、どのようにすればよいかと聞かれ・・・::::::::::::::::::::::::::::::あれから約1カ月、最近うちには新品の郵便箱が設置されたのですが、その郵便箱に初めて入れられていたのは、おばさんからの手紙でした。::::::::::::::::::::::::::::::この頃はパープル系のネクタイを締めることが多く、昨日もそう。おじさんの家の庭に、ところどころ咲いていたヴィオラ・・・今も咲いていることでしょう。
2010年01月15日
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プラハからずっと東、ヴァラシュシュコ地方の方からプレゼントが送られてきて、中には、麦わらでできたクリスマスツリー飾りが添えられていました。先日その方にも 前述のペルニーク を郵送したのですが、その後メールのやり取りの中に、私が麦わらの飾り物のことを書いたので・・・だからきっと気を利かせて同封してくれたのでしょう。あちらのほうでは、こういう飾りなんだろうなとイメージが膨らみます。藍染の生地というのは、日本を含め世界各地に存在しますね。ヴァラシュシュコ地方では、民族衣装のスカートや家庭雑貨に使われています。小物を作ってもかわいいもの。ポーチを作った残りの生地で、さらに小物のピンクッションを・・・藍色に針というのは、針が見にくくあまり実用的ではないのですが、でもまあいいことにしています。クリスマスツリー飾りに話を戻すと、この飾りはとても繊細です。空気が澄んで軽やかに見えるような感じ。しばらく眺めていると、麦わらのループの中に、過去の情景が見えてきました。ザルツブルグに暮らしていた頃のことなど・・・ザルツブルグでは、クリスマスの約4週間前から広場に建てられるクリスマスマーケットによく行ったものでした。売られているものは実に様々で、テーブルに乗せる用のクリスマスリース。これには、4本のろうそくが等間隔に立っています。クリスマスまでの4週間、1週間に1本、最後に4本のろうそく全部に火を灯せるように。そのようにして、食卓を囲むものなのだそうです。麦わらでできた飾り物もたくさんありました。ザルツブルガークラフトとして知られる木の実やハーブのデコレーションなどなど・・・そして、オーストリア人の家に行くと、みなさんそれぞれに思い入れのある飾り物をあれこれ見せてくれました。クリスマスマーケットで子供の頃、おばあちゃんに買ってもらった思い出の品とか、代々ツリーのてっぺんにはこれを飾ることになっているものだとか・・・お話を聞くにつけ、そういうのっていいなとつくづく思ったものです。私の手元に届いた飾りも同じように大切にしたいですね。
2010年01月04日
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カレル橋の下、公園へと続く広場で、約1時間のクリスマスコンサートがありました。いつもお世話になっている方たちの集いで、劇なども交えてのものです。開始は午後2時から。去年は凍りそうに寒い日に行われましたが、今年はお天気も良く暖かめ・・・さて、ジンジャーブレッドのことをチェコ語でペルニークといいます。これについては、以前書いた通りですので、詳しくは以下のページをご覧ください。チェコの焼き菓子ペルニーク その1 チェコの焼き菓子ペルニーク その2今年のクリスマスコンサートでは、このペルニークを袋詰めにして、みなさんにお配りしました。ブレッツェルやヘーゼルナッツ (これは買ってきたものですが) も加え、ボビンレース用の白いリネン糸で閉じてあります。決して商業主義的な感じや華美にしないで。シンプルかつささやかに、そしてそれが豊かなイメージを創造するように・・・白いリネン糸を使ったのには意味があります。ライン (まっすぐな線) の語源になっている通り、リネンはまっすぐに育つ。だから、まっすぐでまっ白なこころの純粋なみなさんたちへ とそういう意味です。これは私の買い物袋で、素材はアイリッシュリネンとオーガニックコットン。ハートのアップリケは、ハート型のペルニークの焼き上がりから型をとってつけました。日本ではエコバッグと言うのだそうですね。この袋の中にペルニークを入れて・・・麦わらでできたクリスマス飾りいろいろ。いつか作ってみたいものの1つです。鐘の形のものは、ライ麦でできていて、これは民芸品の制作実演見学に行ったときに、できたてのほやほやをお願いしてゆずってもらいました。
2010年01月01日
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舞台が終わった後の心理というのは、その都度違うものです。でも、私によくあるパターンというのは大筋で決まっています。そのパターンとは 「まだまだ弾きたかったなあ」 というもの。今回のリサイタルは、その度合いがいつもと比べ物にならないくらい・・・プログラムが後半になる辺りからは 「もうすぐ終わってしまうことが残念」などということも考えていました。演奏中の全身が明るく輝き、宙に浮いているような心地・・・あの感覚は、こころの透明度と密接な関係があるのでしょう。こういうお話が、ストレートに伝わるお客様がいらっしゃること。それも大勢いらっしゃることは、私の喜びです。でもこれは、ホールでのリサイタルに限った事ではありません。小中学生のためのレクチャーコンサートの時もまたそうなのです。私がしたいこと、すべきことは、全身全霊でピアノに向かう。これに尽きます。あとのことは、自然発生的で説明不可能な現象・・・不思議なことは いつまでも謎のまま というのも尾を引いて素敵です。 このようなことを漠然と考えながら、バラを眺めています。札幌からご来場のお客様よりいただいたバラです。これは2008年に発表されたフランスのバラで、サムライ という名前がついているのだそうです。バラというと、香料専用のブルガリア産 ダマスクローズを思い浮かべます。ダマスク織も知られていますね。そこで、1920年前後に織られたと思われるチェコ製のダマスク織のクロスに、サムライを乗せてみました。このクロスの角には、盾の模様が1つ刺繍されているのですが、サムライとイメージがマッチするかな? などと思います。こうして連想を続けていくと、斜めストライプの間に盾模様が並ぶ、ロイヤルクレスト柄のネクタイがとても似合う友達のこと。彼と知り合った頃にレパートリーの1つとなった曲が、今回演奏したバルトークのルーマニア民俗舞曲集であること。他にも大切な人や思い出の数々が浮かび上がってきます。全てが、私という存在を構成しているのです。 バラ1輪を眺める。方向や角度、時間、時間の経過、その時の心理などなど・・・条件下によって見え方、受け取り方が変わってくることは、そこはかとないものがあるということの表れです。音楽もまたそうで、表現には無限のヴァリエーションが存在します。そのヴァリエーションが作曲家の真実と合致すること。このことをさらに尊重して演奏を続けて欲しいと、私は私に対して願っています。今度は12月5日に、長野県飯田市の飯田文化会館でリサイタルを行います。プログラムは今回のものと同じです。真実の中にまた新たな真実が見えたり、真実の幅が増す・・・そういう瞬間が訪れるのを待っています。
2009年11月24日
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東京銀座王子ホールにてピアノリサイタルを行います。チラシをご希望の方には、このブログの フリーページ欄 をご覧くださいませ。この度のプログラムでは、今年がハイドン没後200周年であることにちなみ、ハイドンの作品を2つ演奏します。ハイドンの音楽には、バロックやロマンといった古典と前後する要素があり、また、ハンガリーの民族音楽の影響も濃厚です。この特質が感じられるように、そして他の曲目との聴きあわせが示唆に富み、印象深いものになるようプログラム全体をコーディネイトしてみました。::::::::::::::::::::::::::::::::ハイドン、ショパン、バルトーク、 3人の作曲家が、それぞれに大切にした民族音楽への思いを感じるのも・・・あるいは、古典派、ロマン派、近代の様式を作曲家の個性や時代背景と重ねつつ聴くというのもいいですね。でも、究極的には、ただ 無心に 音楽と親しむというのが、弾く上でも聴く上でも最高であると、私は断言できます。ホール全体が無心の状態であるコンサート。そこに生まれる感動は、音楽ならではのものです。
2009年11月05日
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2009年09月28日
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2009年09月21日
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2009年09月16日
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2009年09月15日
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2009年09月07日
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2009年09月04日
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2009年09月01日
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2009年08月30日
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しばらく、写真中心のブログにさせていただきます。私に見えた世界から、いろいろ感じ取って下さい。私自身思うことですが、感受性は無限です。そして、感受性はコミュニケーションの原点とも言えるでしょう。
2009年08月28日
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夕方、軽く散歩に出かけました。空は高いな・・・当たり前のことですが、それが今、自分の頭上をすっきりとさせてくれている。::::::::::::::::::::::遠くを見ながら歩いていくと、20歳くらいの男の子が2人。近くのさくらんぼを採ったのでしょう。つまみながらやってきました。::::::::::::::::::::::右の男の子は、さくらんぼみたいな色のTシャツを着ていて・・・なにかとても微笑ましい。でも彼らは、こちらに微笑んでいいのか、それとも目を伏せた方がいいのか?::::::::::::::::::::::そう迷っているように見えるしぐさが、また微笑ましい。さくらんぼみたいにフレッシュ・・・こういうのはいいですね。
2009年07月06日
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今の住まいに暮らしていていいなと思うことの1つは、近所に森や林、そして空き地があることです。散歩に出ると、薪が拾えて、食べられるものも生えている。ジャーマンカモミールも毎年咲くんですね。::::::::::::::::::::::::::少し貰ってきてフレッシュハーブティーを楽しみました。西洋ノコギリソウも生のものをブレンドして・・・私は薄いハーブティーが好きで、カモミールの場合は、カップに花2~3輪を目安にしています。::::::::::::::::::::::::::このくらいの香りと味、風味、色合い・・・五感にやさしく作用して、そこには余韻が感じられます。ガラスのポットの中でもティーカップの中でも花はかすかに揺れていて・・・::::::::::::::::::::::::::余韻やかすかな感じというのは、ピアノの表現にも大切ですね。これは決して 自分の力で達成できる というようなものではありません。大切なことほど極めて緻密であって自然であってシンプルなのですが、それはあまり考えすぎない方が やってきてくれる ものなのでしょう。 カモミールのチェコ語の名前は ヘジュマーネク です。やはりハーブティーになるウスベニアオイと一緒に咲いていました。
2009年06月27日
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会合の席でのことです。あちらこちらに挨拶を終えて、自分の席に戻ると、見覚えのある箱がテーブルの上にありました。お隣の席の方が、「ヨセフカからよ。」 とおっしゃり・・・私は以前、この箱にシフォンケーキを入れて、ヨセフカさんに差し入れをしたのでした。4月のイースターに、沢山のエッグアートを見せてもらったあの日。:::::::::::::::::::::::::::さて、ヨセフカさんと向かい合わせに座ったのは、会合開始2時間後。やっと箱を開けると、中にはカールしたクッキーが入っていて、これは、ヨセフカさんの故郷近くのお友達が焼いたものとのことでした。とても軽やかで優しい味のクッキー・・・ヨセフカさんと白ワインを片手にお話ししながらいただいていると、後から後から幸せが押し寄せてくるのを感じました。:::::::::::::::::::::::::::実はこの箱には、水色のリボンがついていたのですが、そのリボンもやはり、ずっと以前、ヨセフカさんにビスケットを差し上げた時のもの。ヨセフカさんと私のこころの何か。 それが、箱とリボンを包んでいる・・・こんな素敵な お返しの妙 とも言えることは、滅多にできるものではないでしょう。単に物もちがよくて、箱もリボンもとってあったから という訳ではなくて、さりげなく、そこはかとないものを感じずにはいられませんでした。 私たちは生きている中で様々なことを体験し、感じるものですね。そしてそれを表現したいと思う時もあります。ヨセフカさんとお菓子から受けた印象を形にと思い、小さなクロスを作りました。丈の長いお菓子には、正方形よりも長方形、円形よりも楕円形がいいですね。目の粗いリネンに織り糸2本ずつのフォーサイデット(スクエア)ステッチを刺して、周囲は糸を抜いてフリンジに・・・:::::::::::::::::::::::::::このサイズなら1時間ちょっとあれば完成です。きなりのアブローダー糸は、お皿に施されたバスケット模様や金彩ともマッチしますし、ビスケットの肌色もきれいに見えますね。ヨセフカさんのエレガンスとお友達の作られたお菓子の優しさを1針1針に込めて・・・簡単で小さな作品でも、こうして作ったものとその過程は、一生の思い出になるはずです。そしてそれは、人生を導いてくれることになるでしょう。 先日の会合では、ヨセフカさんが昔の写真をいろいろ見せてくれました。向って1番左がヨセフカさん。どなたかの結婚式の時の写真だそうです。私はてっきりお祭りの時の写真だと思ったのですが、当時は、結婚式でもお葬式でも村全員が民族衣装を着て通りをパレードしたのだとか。そういう時代があったのですね。:::::::::::::::::::::::::::ヨセフカさんの故郷は、南モラヴィアのポドルジィー地方。若者の正式な立ち方は、男性は胸を張った休め のような感じ、女性は軽くリボンに手を添えるというものです。ある時、このポドルジィー地方のブジェツラフという街の民族舞踊団が、雨上がりにフェスティバルの会場で休んでいて・・・とてもいい雰囲気だったので、写真を撮らせてもらったことがあります。:::::::::::::::::::::::::::写真よろしいですか と軽く声をかけると、その場にいた男女4人が一斉にこの正式な立ち方になったので、驚いたものです。私としては、くつろいでいる感じを写真に と思ったのですが・・・でも、若い人が瞬間的に民族の尊厳を感じさせる反応をするというのは、素敵なことだなあと、感動的でした。ヨセフカさんもきっとそうした若い女性の1人だったのでしょうね。PS ヨセフカさんのことは以前のブログでも紹介させていただきました。 こちらです。 イースターエッグに囲まれたヨセフカさん
2009年06月16日
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夜寝る前に玄関を開けて外の空気を吸い、月や星、木々、遠くを見る・・・私が何となくすることの1つです。写真は昼間のものですが、お向かいのホルンダーもこの何年かで突然大きくなりました。ホルンダーは、太陽にも月明かりにも、どちらに照らされても白い花が美しい。:::::::::::::::::::::うちの玄関から南に見えるホルンダーの木・・・ここプラハからほぼ南が、昔住んでいたオーストリア・ザルツブルグです。そして、ホルンダーシロップの作り方を習ったのは、ザルツブルグからさらに南・・・そうしたことにふと引き寄せられながら、遠くを眺めていると、突然目の前をリスやハリネズミが横切っていくことがあります。:::::::::::::::::::::昨日は、随分と大きなイタチがやってきました。あのイタチ・・・もし足もとまでやって来なかったら、どこかのネコだと思ったことでしょう。寝る前にちょっと意外なことが起きるというのは、かえって安らぐものかも知れません。
2009年06月10日
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イギリスの方は、紅茶にスコーン、そしてバラがお好きでいらっしゃいます。それで気がついたのですが、スコーンとバラは、とてもよい相性なのではないかと・・・:::::::::::::::::::この頃の私は、社交に大変忙しく、また5月6月は特に用事が多いのです。でも、冷凍庫の中にはそういう時のために、スコーンの生地が冷凍してあります。:::::::::::::::::::ちょっと邪道ですが、これは大変便利です。冷凍庫から出して、温めたオーブンに入れればいいだけなのですから!成型も済んでいて本当に焼くだけ。それも私ではなくて、オーブンがやってくれるのです。:::::::::::::::::::丁度、母が送ってくれた荷物の中に、特別美味しいダージリンが入っていたし、近所の空き地や茂みには、1日で花びらを落とす一重咲きのバラが・・・という訳で、スコーンとバラのティータイムを過ごすことにしました。でも 正式なアフタヌーンティー という風には、忙しいとできませんね。:::::::::::::::::::キッチンのコーナー (両隣は冷蔵庫と伝熱調理機、後ろは洗濯機) に、純白のリネンやレースではなく、チェックのリネンを敷いて・・・お皿には、クロテッドクリームではなく、サワークリーム。それから、イチゴや木イチゴのジャムではなく、お昼に作ったルバーブのジャム・・・:::::::::::::::::::ルバーブもイギリスの方はお好きですね。スコーンと食べても美味しいからよしとして・・・ただ、スコーンナイフ。これだけは私の感覚では、絶対に添えなければなりません。:::::::::::::::::::イギリスにしかないこのカトラリーは、ディナー用のナイフやバターナイフでの代替は不可です。と、こう、サンドウィッチや他のお菓子類もはしょりつつ、でも、どこかにだけは敬意を払って・・・さて、お茶が終わったあとのバラの花びら。これはまずお風呂場へ、その後は、もとあった場所の地面にそっと返すことになります。美味しい食べ物、自然の恵み、そして私たち人間・・・全てのものは皆、地面と共にあるのですね。大地の音がする音楽。例えば、マズルカやポロネーズ。こういう音楽の 神髄に! 導かれると、地面について、教えを受けることが出てくるでしょう。
2009年05月25日
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