全27件 (27件中 1-27件目)
1
今日は「富士聖会」を開催します。ボクがお勤めする三島西キリスト教会が会場です。午前と午後の2回の聖会を開きます。午前10時半より、小林悦治(浜松ウェスレアン伝道所牧師)が、午後は1時半から、菅原登志子(横浜境の谷教会牧師)が、聖書の「ホセア書」から話します。約20名の参加予定者があります。昨日の日曜日も晴れていました。今日は、もっと抜けるようなステキな穏やかな朝です。
2007年04月30日
コメント(5)
日曜講壇 「キリストとわたしたち~ぶどうの木と枝」------------------------「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。」ヨハネによる福音書15章5節(新共同訳聖書より)----------------------- ボクたちは主の小枝として生きる! 特別な力も才能も必要としません。イエス様にしっかりとつながっているなら、幹である主イエスの命に生かされ、実を結ぶ。それがぶどうの木とぶどうの枝の関係です。 ぶどうの枝は、ぶどうの幹と養分を共有しています。たとえば母とその胎内の赤子のように。 「イエス様を受け入れます」と信じた時に、枝は自分の命を、主の命に取り替えられました。 主の小枝として生きる決意は、ボクたちが主の元に帰り、主のもとにとどまり続けること。御元にとどまることを選ぶ人には、主ご自身がボクたちを選んで下さったことを教えられ、使命をお与えになります。 「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。」(16) 主の幹につながったボクたちは、この地上のあらゆる場所に散らされて行きます。実を結ぶためです。主ご自身の命が、枝を流れて実を結ぶ力を持っています。なので、ボクたちのどんなに小さな労苦も無駄にはならず、結実されるでしょう。すぐには実を結んでいるように見えなくても、実を結ぶ方向を目指して前進します。必ず実を結びます。 天の御国で、ある老クリスチャンが主に訴えている場面を想像しました。 「主よ、あなたに結ばれて一生懸命に生きてきました。しかし振り返っても、全然実が見えないのです。わたしは実を結べなかったのでしょうか?」 主はお答えになります、 「わが子よ、どうして実を結べなかったなどと言うのか? あなたにはおいしい実が付いていたんだ。あなたの枝に付いた実は、あなたの助けを必要としていた人がいつも取って食べていたんだ。何も残っていないこと、それこそあなたが真実に人々のために生きたしるしだよ。」
2007年04月29日
コメント(0)
「人を茶化したり、悪ふざけはいけないことなのよ」ボクの悪い癖を妻が見抜いて、ぽつりという。「それで人の心を傷つけてきたことに気づくんだよ」こちらは心に響いてきた神様のささやきです。ごめんなさい
2007年04月28日
コメント(6)
昨日は、用事があって東京入国管理局へ出向く。品川から都バスが出ていた。200円也。車窓からの風景は、若い頃、家庭集会のために通った「豊洲埠頭」を思い出させる。バスの中は外国のかたでいっぱい。カップルが多い。ほとんど「入管前」で下車。あか抜けた新しい建物に吸い込まれていく。受付の女性も外国のかたのようだった。
2007年04月27日
コメント(0)
昨夜はレモンのママレードを自作しました。それが食べたくて、朝の祈りを終えてからコンビニ行き、食パンを買ってきました。さぁてパソコンを閉じて、食べに行きましょう!
2007年04月26日
コメント(4)
キミたちが可愛いらしいスミレならよかったのにねぇシロツメクサは抜かずにおこうかねぇ
2007年04月25日
コメント(4)
「特急車内で女性暴行=誰も通報せず、36歳男逮捕-大阪」 (ヤフーニュースより)数日前のこんなニュースに衝撃を受け、自分がその場に居合わせたらどんな行動を取れるかと考え込んでいた。そのような恐ろしい場面に、神様がボクを居合わせられたとしたら、なすべき行動は一つしか考えられない。今朝は夢を見た。自分が拷問を受けている。手足を縫いつけられ、苦しみにうめき声を上げ、妻に起こされた。
2007年04月24日
コメント(7)
選挙公報を広げたが、だれに投票して良いかわからない。礼拝の後、残られた方たちに伺ったが「だれだれに頼まれている」程度の情報しかない。からだも疲れたし今回はやめようかと思った。それでも夕の礼拝が始まる前に、夫婦で足を運んだ。投票所は子供たちが通った幼稚園、変わらないなぁ。今朝になって、自分が書いた人が合格していたのを新聞で知った。相棒に「だれの名を書いたの?」と聞いてみたらその人も合格していた。「どうしてその人の名前を書いたの?」「あなたが赤丸を付けていたからよ」なあんだ、ボクは別の人に入れた。
2007年04月23日
コメント(7)
人間とは欠けのある存在。欠けのない人間がいるとしたら、真の人間とは言えない。「欠け」は人間をおとしめるものではなく、高めるきっかけとなる。欠けを持つことは、完全な人間であることのしるし。キリスト様はボクたちと同じ人間となられた。キリスト様も、きっと人間の弱さや欠けをもって、お生まれになったことだろう。キリスト様がどんな欠けをもってお生まれ下さったかを想像すると、身近に感じる。そして、キリスト様が罪だけは犯されなかったように、欠けのあるボクたちでも、罪から離れて生きることができると思う。--------------------------「イエスは、神の御前において憐れみ深い、忠実な大祭司となって、民の罪を償うために、すべての点で兄弟たちと同じようにならねばならなかったのです。」ヘブライ2:17(新共同訳聖書)
2007年04月22日
コメント(0)
出先から帰ったら、隣町の老牧師さんがご訪問下さっていました。それから暫し、お若い頃の武勇談を聞きました。ある禅寺の檀家総代がクリスチャンになり、天に召された時のことを。その教会は信徒が数人で貧弱町の名士の葬儀をする場所がなかったそうです。そこで故人が檀家総代を務めていたお寺で葬儀をしたらという話になりました。頼んでみると快諾。幕で仏像などを隠し、お寺でキリスト教式の葬儀が行われたと。そんなお話を伺いながら、昔の人たちは、すげ~なぁ~「先生、その重そうな箱は何ですか?」「郷里から送ってもらった米だよ、ちょっと買いすぎてな キミの所で食べてくれないか」「わ~~~~お 新潟産こしひかりが、20キロ」
2007年04月21日
コメント(0)
老人が入院する病院や施設は月に15万円くらいは掛かるという。一年入院すると180万円。5年で900万円。こんな会話を妻としていたら「病気にはなれないネ」う~ん、一年入院する蓄えもない、か。
2007年04月20日
コメント(4)
32人の犠牲を出す痛ましい銃乱射事件が、アメリカで起きた。前の事件の記憶が薄れかけた頃、新たな事件が起こる。規模は違うが日本でも同じような事件が起きる。家族に対して、周囲に対して、また社会への不満を心に抱く人たちは多いだろう。不当な取り扱いを受けて、怒りを押し殺しながら来た人被害者意識を病的に高める人やがてささいなきっかけで暴発する。生育環境やその家庭のセイにしても、問題は解決できない。そのような人たちの暴発を防ぐためには、周りの人たちの気づきが必要と思う。人は理解されていることを感じる時、最後の一線を越えることをとどめる。とても人ごととは思えない。細やかな配慮は、とてもむずかしいこと。しかし挑戦されている。犯人の学生が全世界に挑戦している。
2007年04月19日
コメント(2)
「もし生まれ変われたら、もう一度牧師夫人の勉強をしたい」思いがけない言葉の前に、言葉に詰まった。「自分の娘には牧師夫人になって、自分ができなかったことをやって欲しい」どちらの願いも、叶わぬことかも。でもその言葉でじゅうぶんさ。
2007年04月16日
コメント(4)
今週のお泊まり会は、淀橋教会が起点だった。ボクたちは淀橋教会に集まった。ああ!「淀橋教会」大会堂の脇をくぐり、石畳を行くと、桜の木が1本あり、更に行くと、木造の2階屋がありそこがボクたち修養生の宿舎だった。大会堂には前と後ろにストーブがあり石炭を新聞紙に包んで礼拝の最中には、音を立てないようにそっとくべるのが修養生の役目だった。集会が終われば掃き掃除や、床にポリをかけるのも神学生の仕事だった。まだ皆さんが残っているのを知りながら何となく誇らかな気分でさっさとブラシを持ち出して掃除を始めたっけよ。ボクたちが歩んだ淀橋教会は、すっかりとその姿を変えたが前の大久保通りは昔のママ。目をつぶれば、ボクたちの前にはいつでも昔のママの淀橋教会がちゃんと建っている。
2007年04月14日
コメント(2)
駅に停め、車の中で人を待っていると駅頭に、純白のコートを着た人が立っていました。次の日は東京で信号待ちの交差点純白のコートを着た人を見ました。春は純白のコートが似合います。
2007年04月13日
コメント(13)
仲間たちと、日光の近くの施設に泊まってきました。山あいに十字架のネオンが光るチャペルが建っています。そこで祈り、聖書を学び、4月からの歩みに備えました。2泊3日の学びから、帰ると妻が、留守中にあったことを細かく話してくれました。彼女はちょっと体調を落としたようです。ボクたちはだれでも、弱く壊れやすい存在ですが神様のお守りは、強く確かだと信じられます。弱くあること,病める者であることもマイナスとは考えずに歩めることは、幸いです。主に任せて。
2007年04月12日
コメント(2)
群馬県草木湖のほとりに建つ富弘美術館に行きました。 詩画を読み辿りながら、隈なく部屋を回りつつ、 ここに来れば、だれでも優しい気持ちになれると思いました。 草木湖は雨に煙っていました。
2007年04月11日
コメント(4)
朝になると東の空が橙色に染まりやがて白く輝き始めるようにキリスト様の復活はその弟子たちには自明のことだったそのことでは議論したり考えあぐねたりする必要はない「平和があなたがたにあるように」ご挨拶の言葉を携え彼らの真ん中に主がお見えになったからキリスト信徒にとっても同じ復活された主が今日も一緒にいて下さるから歩いて下さるから主はぜったいに死んではおられない主が復活なさったことはあたりまえのこと
2007年04月10日
コメント(0)
妻のその言いかた いやだなそう思っていたらボクの言い方が 移ったことに気づいたなぁんだボクが直せば妻も直るのか
2007年04月09日
コメント(4)
ハレルヤおぅ、ハレルヤわ~ぉ ハレルヤ!ハレルヤハレルハレルハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤハレルヤ朝の光の中でボクも聞いたような気がするマグダラのマリアやサロメがすっ飛んできて「主が、主が おお、主が よみがえられました」かすかにその声が聞こえてきた2000年の時空を越えてその声が今日はイースター
2007年04月08日
コメント(6)
キリストの「陰府下降」(よみかこう=死んでお墓に葬られたこと)のこの日も、あと数十分で終わります。キリスト教の暦では「受難週」が終わり、復活主日となります。地下の世界(よみ)に降ってまで、主はお仕事をされたのですね。お墓の下で終わりの日の裁きを待っている人々に、宣教をなさったと書かれています。そのために主はおいでくださったのです。何という強さ、そして愛の激しさでしょう!--------------------------------------------------「キリストも、罪のためにただ一度苦しまれました。正しい方が、正しくない者たちのために苦しまれたのです。あなたがたを神のもとへ導くためです。キリストは、肉では死に渡されましたが、霊では生きる者とされたのです。そして、霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」ペトロの手紙1 3章18~19節(新共同訳)
2007年04月07日
コメント(0)
「次に生まれ変わる時は、何に?」アナウンサーに聞かれて「人間はいや」と答えていた女優さんがありました。それを見ていた妻は、あなたはどうかと聞きます。人間でも、悪くないけれどくじらになりたいです。くじらになって、大海をゆっくりと泳ぎ回ります。
2007年04月07日
コメント(4)
ボクの修養生時代には、東京神学大学から北森嘉蔵先生が授業に来てくださっていました。生徒に自由に話させるステキな授業でしたが、ある日、にこにこしながら「キリスト様なら、どんなに愛しても構わないんですよ」と言われました。北森先生の内側が見えたと思い感動したことを覚えています。生涯独身を通されて、キリストとその神学に仕えた人でした。
2007年04月06日
コメント(4)
床屋さんで話していたらご近所にパチンコで○千万円使った人がいるんだと。ボクの身内にも、アルコールで命を縮めた人が。株とギャンブルで×千万円無くした人も。「お金を借りてまでは、やらないから、依存症ではない」と言っていたが「じゅうぶんな依存症だね~」ボクがいくつ依存症を持っているかというと妻依存症子依存症信徒さん依存症パソコン依存症それから・・・・キリスト様依存症!
2007年04月05日
コメント(6)
ねこ背のたぬきさんへ常葉菊川高校優勝おめでとう。トコキクは、何でも強いね~今日はボクは1回までテレビで応援していました。それ以降は用事があったので、見られませんでしたが「今日はどうも打たれるなぁ、だめかなぁ」夜6時のニュースで、優勝を知り、歓喜しました。すごいですね~仕合を重ねるたびに、ねばり強くなっていくのです。終盤になると必ず逆転をするのです。そして勝つのです。ああ、ボクたちもこのようにして人生の(信仰の)勝利者になりたいものです。
2007年04月03日
コメント(4)
今週は、キリスト教会にとっては、特別な週です。復活祭(イースター)の前の週で「受難週(聖週)」と呼ばれます。 第1日(日)、主がエルサレムの町に入場されました。人々は「なつめやし(しゅろ)」の枝を振って主をお迎えしました。「しゅろの主日」 町の皆さんは、待ち望んだメシアが来られたと思って、お迎えしたのでしょうか。 キリスト様はロバに乗られる、と旧約聖書に書いてあります。主は子ロバに乗られていました。 第2日(月)宮きよめ エルサレム神殿の庭は、信心もそこそこの商売の場に変わり果ててしまっていた。キリスト様はその屋台をひっくり返されました。主のこんな激しい表情はめったにありません。 第3日(火)論争、終末の預言 第4日(水)ベタニヤで香油を塗られる ベタニヤのマリアが、キリストの足に香油を塗りました。 第5日(木)最後の晩餐、ゲツセマネの祈、捕縛と大祭司の審問 弟子たちとの夕食、別れの杯を交わされた主。最後に、弟子たちの足を洗われました。そして近くの広い庭園で最後の祈りをなさいました。そこから立ち上がると、ユダにそそのかされた人々が来て、主を捕えました。大祭司の邸宅まで引かれて、大祭司の審問を受けられました。世界は闇に閉ざされているようです。 第6日(金)ピラトによる裁判、十字架と埋葬 ピラトは主を赦そうとしましたが、周りの人たちの圧力を恐れて死刑の宣告。キリストを十字架に釘つける槌音が丘の上に響きます。それから主のお言葉が7回、十字架の上から聞こえました。その最初の言葉とされているのは「父よ、彼らをおゆるしください。何をしているのか、わからないのです」 第7日(土)キリストは陰府にとどまる 陰府下降の意味について、ペトロはその第2の手紙の中で記しています。陰府にいる人たちに、伝えに行ったと。 第8日(日)復活(イースター) 長く書きすぎましたので、また後日に・・・・
2007年04月03日
コメント(0)
今日は、年度初めの礼拝で、「受難週」の始まりでもあります。第1日曜日なので「聖餐式」も持たれます。先週は、雨風の中で、礼拝が始まりました。昨晩もひどく雨音がしていましたが、今朝は薄日が差しています。「聖餐式」は、キリスト様が十字架にお係になった出来事を記念する儀式です。御受難のキリストと、今日お話しようとする聖書の箇所と、どうかかわるか、寝ながら考えていました。さて今朝は夢を見ました。聖餐式をとり行おうとしたら、式文を忘れています。あわてて牧師館に走り、ボスに泣きつきました。叱られましたが、すぐに貸して下さいました。今朝の目覚めはいいです。じゃぁ!
2007年04月01日
コメント(4)
全27件 (27件中 1-27件目)
1