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七つの色が一つに溶け合えば透明になる 虹のような教会を創りたいと思った
2007年07月31日
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北九州市にある教会で日曜日を過ごした。 明るく自由な雰囲気、皆が自分の場所を持っている。 そんな教会でメッセージを語らせて頂いた。
2007年07月29日
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大きな陸の突端と、大きな陸の突端がくっつきあっている。 その間の、強い潮の流れに乗ったり逆らったりして、大小の船が行き交う。 対岸の美しい町町は未知の町町ではない。橋に乗っても、トンネルをくぐっても、小さな船に乗っても届く隣町となっている。
2007年07月29日
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知り合いと似た人がいた 声をかけそうになったが、とどまった ここは北九州市だから
2007年07月27日
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梅雨が明ける雰囲気となりました。暗い夜が光に取り代わるような、この微妙な天候の様子、こんな時に生きている喜びを感じるのです。ボクの方は、今日から外出となります。日記は更新できるかどうかわかりません。アフガンでとらわれている韓国青年たちの無事をお祈りしています。
2007年07月24日
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聖歌397「遠き国や海の果て」この聖歌は古く関東大地震の時焼け野原となった大地の上に立ってキリスト者たちがこの賛美を歌ったという。このすぐれた詩に解説のしようもない。この度の新潟の震災の苦しみに中にもこの聖歌が思い出されるように願うのです。「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」ローマ8:38-38 <遠き国や海の果て> 遠き国や海の果て いずこに住む民も見よ なぐさめもて 変わらざる 主の十字架はかがやけり なぐさめもてながために なぐさめもてわがために 揺れ動く地にたちて なお十字架はかがやけり
2007年07月23日
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ヨブの告白わたしの生まれた日は消えうせよ。男の子をみごもったことを告げた夜も。その日は闇となれ。 3:3-4神よ、どうかわたしを打ち砕き御手を下し、滅ぼしてください。 6:9 もうたくさんだ、いつまでも生きていたくない。 7:16 わたしの人生の日々は飛脚よりも速く飛び去り幸せを見ることはなかった。9:25わたしなど、だれの目にも止まらぬうちに死んでしまえばよかったものを。10:18そうだ、神はわたしを殺されるかもしれない。13:15人は女から生まれ、人生は短く苦しみは絶えない。花のように咲き出ては、しおれ影のように移ろい、永らえることはない。14:1-2そんなことを聞くのはもうたくさんだ。あなたたちは皆、慰める振りをして苦しめる。16:2息は絶え、人生の日は尽きる。わたしには墓があるばかり。17:1親友のすべてに忌み嫌われ愛していた人々にも背かれてしまった。骨は皮膚と肉とにすがりつき皮膚と歯ばかりになってわたしは生き延びている。19:19-20わたしは幸いを望んだのに、災いが来た。光を待っていたのに、闇が来た。30:26ヨブの希望わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。1:21このような時にも、見よ天にはわたしのために証人があり高い天にはわたしを弁護してくださる方がある。わたしのために執り成す方、わたしの友神を仰いでわたしの目は涙を流す。16:19-20 わたしは知っているわたしを贖う方は生きておられついには塵の上に立たれるであろう。この皮膚が損なわれようともこの身をもってわたしは神を仰ぎ見るであろう。19:25-26しかし、神はわたしの歩む道を知っておられるはずだ。わたしを試してくだされば金のようであることが分かるはずだ。23:10 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2007年07月22日
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耳を澄ませばただ普通の夜ページを繰ったわけでもないのに日付だけが変わった不思議だな!ガチャガチャとキーボードの音だけが忙しく響いているだけしっ!もうちょっと静かに
2007年07月22日
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房総半島の突端で赤く染まった夕日をバックに美しい影法師を見た「あれはね、伊豆半島 万二郎、万三郎岳だよ」ボクは伊豆に向かった原保の木屋旅館からなだらかな山稜を登り石楠花の咲く尾根道を万二郎岳、万三郎岳を巡り東伊豆の白田あたりに下ったボクは今伊豆に住むあの40年ほども前の山旅を懐かしむならばあの道をまた辿れるのだ妻と一緒に行きたいなぁ
2007年07月21日
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闘病はつらいことどんなにつらいものか、全く想像できなかった。闘病中の人と接するようになってほんの少し見えてきたものがある。でも本人ではないから、やはりわからない。ボクは闘病にある人を前によく言った、「いち病息災」ですよね一つの病気があり、人生の喜びを知るのですよね戦っている人の前でもうそんなことは言わない。
2007年07月20日
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ホセア書について調べものをしていたら、ステキなHPと出会い、読みふけってしまいました。掲示板が閉鎖されていましたので、了解を得ることができませんでしたが、心に止まった一部をここに転載させて頂きます。「かおりちゃんが亡くなる前、わたしはそんなに信仰的な人間ではなかった。神様がいるなぁとは信じていたけれど、神様や天国のことを考えて時間を過ごしたり、ましてや神様が私の近くにいるなんていうことは考えたこともなかった。でもかおりちゃんが亡くなった後に、彼女が動けなくなるまでずっと聖書を読んでいたことを知った。かおりちゃんの使っていた聖書には、あの真ん丸い、見慣れた字の書き込みが、いたるところにたくさんあった。そしてこのことがわたしを聖書へ、教会へ、そして神様とその御救いへと導いてくれた。死んだ後には天国があるんだ、そしてそこでまたかおりちゃんと再会できるんだというという確信は、だれのどんな慰めの言葉よりも大きく優しくわたしを癒してくれて、そう信じてからはあんなに毎晩のようにわたしを苦しめた「あれもしてやればよかった、これもしてあげられたはずだ」という後悔の念に、以前のようには悩まされなくなった。」http://www.futaba.ne.jp/~a-sagawa/hug/fam_sis_losing.html
2007年07月20日
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お墓参りに行きたいけれど体調不良のために行けないので、代わりに行って下さいとお花代をお送り下さったので隣町にある教会の納骨堂に出向きました。確かに出かけましたよ、と携帯付属のデジカメで証拠写真を撮りました。葉書にプリントしてお送りしましょう。この墓所は足場が悪くて出る時に車のバンパーを壊しました。あれれ、ケアレスミスか!
2007年07月20日
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「牧師」の任職を受けて30有余年わが子たちはこの職業を選ばずめいめいの道を旅立っていった彼らは親の仕事をどう評価しているのだろう?と思うことがある今日もふと思ったおやじ、おふくろ!得したな?ソンしたな?物好きだな?馬鹿だな?偉いな?すごいな?もっとがんばれよ?一握りの信徒さんと一緒の泣き笑い人生静かな航海もあった突然の荒波もあった虹もオーロラも見た望む港はすぐそこ!
2007年07月19日
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高校生の頃から青年会仲間だった友人が、箱根の集まりが終わって、わざわざ西に下って来て下さいました。共通の恩師の元で10年今の教会に移られ、その牧師の元で25年教会に仕えてこられたそうです。ボクと同時期に洗礼を受けた旧友主と共に山河を超え30有余年彼は信徒として生きる喜びを、ボクは牧師として生きる喜びを、楽しく吐露し合いました。最後は祈り合い彼は「教会への牧師の思いがよくわかりました」とお祈り下さいました。「信徒として生きるとはどういうことかがわかりました」ボクも祈りました。
2007年07月18日
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「泥棒を捕まえたら、お宅で盗みをしてきたと言います」いつか警察官が来て、そう言われれて以来、外出時には、鍵をするようになりました。外出から帰り、鍵を開けようと、ポケットをまさぐりましたが見あたりません。「さてはぁ・・・・」やはりそうでした。鍵穴に刺したまま外出してました。
2007年07月17日
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「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います。」ローマの信徒への手紙8章18節(新共同訳聖書より)世界は、色々な苦しみに満ちていて、苦しみを口にしだしたら、もうとどまる所を知らないだろう。苦しみのないこの世というものを想像することができない。お釈迦様の出家の動機も、この世に生きる苦しみからの抜け出すためだったと言われる。仏教では「生」(しょう)「老」(ろう)「病」(びょう)「死」(し)という人間としての根本的苦しみが4つあるそうだ。それに「別離の苦しみ」、「イヤな人と一緒にいる苦しみ」、「求めても得られない苦しみ」、「知識が加えられれば却って増し加わる苦しみ」4つを加えて、「四苦八苦」と言うんだ。人生は苦しみであると説く。お釈迦様は、苦しみを乗り越えるためには仏になるほかはないと、説いたそうだ。パウロもまた、ボクたちがこの世に生きる苦しみを語っている。ローマの信徒への手紙8章18節から30節までで見てみよう。パウロ流に生きる苦しみや生きづらさを列記しているなぁ。「現在の苦しみ」「虚無に服している」「滅びへの隷属」「共にうめき、共に産みの苦しみを味合う」「心の中でうめきながら」「弱い私たち」それにもかかわらず、「将来の栄光」の素晴らしさを語り、それを望むように、それを目当てにして生きるようにとボクたちに勧めているのはパウロらしいと思います。「将来の栄光」を待ち望むこと、こういうものを生活の大目標とするのが、ボクたちクリスチャンというわけだ。まったくそこには、主と共に必ず届くことができることを、何重にも保証されている。主が共にいます、とはそう言うこと。だからどんにつらくても、そこに至るボクたちの歩みをおろそかにはしない。 ほら! 栄光の未来から差し込んでくる光で、現在の生活を照らして見ると、苦しみさえも、きっと「糧」にできる。前に置かれている喜びへのステップに思える。「彼はわたしの歩む道を知っておられる。 彼がわたしを試みられるとき、 わたしは金のように出て来るであろう。」 (ヨブ23:10口語訳) 「苦しみにあったことは、わたしに良い事です。 これによってわたしはあなたのおきてを 学ぶことができました。」 詩119:71(口語訳)捨てるしか方法がないと思っていたゴミが、今はバイオ燃料として再生される時代。「苦しみなんか、だめ」いやそんなものも「将来の栄光」につなげる大切なステップと考え、もっと遠くを見つめようよ。
2007年07月16日
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マーガレット・パワーズさんの「あしあと」という詩をご存じでしょうか?夢の中で、これまでの人生が、砂浜の上の2人分の足跡になって残っていました。しかし試練の時、神の助けを一番必要としていた時、足跡は一人分しか記されていなかった。彼女は、主に問います。「主よ、あなたを一番必要としていた時に、どうして私を見放して仕舞われたのですか?」。主はお答えになりました、「あの時は、あなたをおぶって歩いたのだよ。」普段は主と並んで歩いたが、一番困難な時には背負われていたと、それは美しい詩です。でもこれは詩の上での表現なのだと思います。事実は、「苦難の時だけ」主に背負われたのではなく、「初めから終わりまで」ボクたちは主に背負われて生きて来たと言うべきでしょう。イエス様はボクたちを、生まれた時から、死ぬまで背負って下さるお方。 パウロは「わたしはキリストと共に十字架につけられた」と証ししています。その信仰に倣えば、主が十字架にかかられた時にも、主はボクたちを赤子のように背負って下さっていました。主に背負われたボクたちは、主とご一緒に十字架に架けられてしまった。ボクたちの罪を解決するために。そして、ボクたちを背負われたまま復活して下さいました。だからボクたちも主と共によみがえりました。今も相変わらずボクたちは主の背にあります。ラクチンやがて主はボクたちを載せたまま、鷲がはばたくよう高くに舞い上がって下さる時が来ます。ボクたちも主とご一緒に、高く高く舞い上がれるというわけです。ラクチン-----------------------------「あしあと」 マーガレット・F・パワーズある夜、わたしは夢を見た。わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。一つはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、 わたしは砂の上のあしあとに目を留めた。そこには一つのあしあとしかなかった。わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、 わたしはその悩みについて主にお尋ねした。「主よ、わたしがあなたに従おうと決心したとき、 あなたは、すべての道において、わたしと共に歩み、 わたしと語り合ってくださると約束されました。 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、 ひとりのあしあとしかなかったのです。 いちばんあなたを必要としたときに、 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、 わたしにはわかりません。」主はささやかれた。「わたしの大切な子よ。 わたしはあなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。 ましてや、苦しみや試みの時に。 あしあとがひとつだったとき、 わたしはあなたを背負って歩いていた。」 (太平洋放送協会刊「あしあと」松代恵美訳)
2007年07月13日
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「神さま、お助け下さい。」「助けています。これ以上何を?」
2007年07月12日
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一本目「エイッ」と抜いたら白髪だった。2本目「エイッ」と抜いたら黒髪だった。
2007年07月11日
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神様は外の世界を見つめる美しく澄んだ瞳を造られたが自分を見つめる目をお造りにならなかった。神様は老いと共に両の耳が不自由になることを許されたが口はそうにもなされない。
2007年07月09日
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礼拝のお話のために「ローマの信徒への手紙8章」の準備をしていたら、キーを打つ手に力が入り、キーボードを痛めそうになりました。ああデスクトップで良かった。たとえキーボードを痛めても、本体は大丈夫だから。また一つわかった!たとえ肉体は打たれ壊れても大丈夫。神様にあがなわれた「霊的自分」(本体)はびくともしないこと。皆さんのお祈りに支えられていることを感じました。それ以外にありません。お祈りの力です。神様の憐れみです。
2007年07月08日
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ボクは最近、「説教」を作ったり、したりするのが億劫になりました。どうしてか、わかりません。歳のせいかも知れないし神様とのパイプが詰まってしまったのかもしれません。何か大切なものを、どこかに落としてしまったのかも知れません。今しばくは、なおこの部屋で蠢(うごめ)いているでしょう。ボクがどんなになっても、ボクとご一緒に今日まで生きて下さったキリスト様を、この「窓」から感じて下されば、いいのですが。「あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる。」 ヨシュア記1:9
2007年07月07日
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町の新年会には、地元の立候補予定者が回るのです。その年も、会議が終わり酒食の席が開かれる頃入ってきました。すでに顔を赤らめて。役員たちに挨拶をすませると酒の酌のために席を回ります。ボクの番になったのですが「飲めませんから」と断りました。「何だ、オレの酒は飲めないのか?」仕方なく小さい声で「ええ」今なら笑みで応え口を付けたと思うのですがあの頃はボクも若かったのです。そのかたも、ばつが悪そうに困っていました。離れた所で近くに住む信徒さんが見ていました。あとでボクの所に来て「わたしはもうあの人には投票しません」あの議員さんもやがて辞めそして亡くなったという知らせを聞きました。ボクのために怒って下さった信徒さんも今は天国です。
2007年07月06日
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「これを書こう」と朝、心に温めたことがあったのですがここに来たら忘れてしまいました。
2007年07月05日
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やぁ今朝は聖句メールを送れたぞ。ちょっとの解説を付けました。 今朝も見つけられなかったらどうしよう、と 内心不安だったんです。「彼は主の目に悪とされることを行い、イスラエルに罪を犯させたネバトの子ヤロブアムの罪を一生離れなかった。」列王記下15:18<解説>親の悪癖は子に伝わります。イエス様に対する信仰は悪い連鎖を断ち切り、神と共にある自主の道へと進ませるでしょう。
2007年07月04日
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今朝は、聖句メールを信徒さんに送れませんでした。一日のスタートにふさわしい聖書の箇所が見つけられませんでした。「この手紙が届くと、彼らは王子たちを捕らえ、七十人を残らず殺し、その首を籠に入れ、イズレエルにいるイエフのもとに送った。」 列王記下10:7(新共同訳聖書より)旧約聖書のこのあたりでは、こういう記事がしばらく続きます。子どもたちには読ませたくありません。キリスト様による罪の赦しの恵みを語るために、人間の身勝手さとその罪深さを語るためになら、開くことができるかも知れません。
2007年07月03日
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この教師会は毎週月曜の午前妻と2人だけで持つ教師会です。1週間の打ち合わせ今週はどなたに電話したり訪問したら良いかそして祈りそれから勉強を少しします。今はウェスレーの「キリスト者の完全」を訳の異なる本で比較読みをしています。
2007年07月02日
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キリスト様と弟子たちは古里の湖を船で渡った。途中で突風となり船は沈みそうになった。船は波をかぶって、浸水した。弟子たちは恐れて、眠っていた主を起こした。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」マルコ4:38キリスト様は、嵐を静めて下さってから、弟子たちをお叱りになる。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」(40)どうすればよかったか?親鸞ふうに説くなら、こんなふうか・・・・「わが身がたとえ船と諸共(もろとも)に沈んでも、キリスト様とご一緒ならそれでも良い。」『たとひ・・・念仏して地獄におちたりとも・・・後悔すべからず・・・』(歎異抄)でも確信するところは、「あなたがご一緒なら、こんな嵐もやがて凪いで、目指す港に着けると信じます。」
2007年07月01日
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