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夕陽を浴びるタロー~虹の橋より (タローちゃん、今も変わらず大好きだよ~。)





November 27, 2024
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カテゴリ: 気になるTV番組
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。

この回で強く感じたのは、親に力があって子供が生きる
ための苦労をしていないと、どこか頼りなくなるのかな?
ということでした。

藤原道長(柄本佑さん)が最高権力者となり、その嫡男と
して育った藤原頼通(渡邊圭祐さん)は、反・道長派から
軽く扱われ嫌がらせをされても対抗する術を知りません。

父・道長に相談すると、毅然とするよう、己が汚れ役に
なってもいとわぬようにと助言を受けます。
でも頼通は、優しさ半分、汚れ役ができない甘さ半分の
ように感じました。

思えば道長も、父・藤原道兼は権力を得るために次男の
兼家(道長の兄)に常に汚れ役をさせ、道長は失敗した
時の復活の駒として守られていました。
それでも道長は、兄・道兼の苦しみや悲しみを目の前で
見てきて、事を成すために情を捨て、厳しい態度で臨む
必要性を肌で感じてきたのでしょう。
だから我が嫡男の頼りなさを余計に感じてしまうような。

そしてそれはまひろ(吉高由里子さん)の一人娘の藤原
賢子(南沙良さん)にも言えると思います。
賢子が産まれた頃には亡き(育ての)父・藤原宣孝の
援助もあって、家は経済的には困ってませんでした。

たしかに母・まひろが生活のこともあって宮仕えをして
精神的には寂しい思いをしたけど、空腹に耐える苦労は
していません。
だから双寿丸(伊藤健太郎さん)から見たら、気は合う
けれど「苦労知らずの頼りないお嬢ちゃん」としか思え
なくて、生涯の伴侶にはできなかったと思います。

この度の宮仕えにしても、母が実績を残しているという
アドバンテージもあるでしょう。
もちろん賢子自身の素直さと謙虚さで先輩の女房たちに
好印象を持ってもらえたという点もありますが。

大河ドラマHP(上記リンク)に、道長の出家に関する
興味深いお話が出ています。
道長さん、相当あちらこちらで恨まれていたようです。
をしへて! 倉本一宏さん ~藤原道長が出家をしたのは
なぜ?
 ⇒ ⇒  こちら

こちらでは様々な意見がでていて参考になります。
 ⇒ ⇒  #光る君へ


寛仁2年(1018)秋、太閤となった藤原道長の三女の威子が皇后となった夜、
土御門殿で祝いの宴が催され、その時に道長は歌を詠みたくなり、満月の空を
見上げて一首詠みました。
ただその歌は道長が自分の輝かしい栄華を詠んでいるかのようで、若い頃から
道長とはずっと一緒に歩んできた友人の藤原公任(町田啓太さん)や藤原斉信
(金田哲さん)には、なんだか不思議な感じでした。
源俊賢(本田大輔さん)は道長の長女の彰子が太皇太后、次女の妍子が皇太后、
三女の威子が皇后という栄華を極めた今を謳いあげていると解釈しました。
でも公任は「今宵はまことによい夜であるな」ぐらいの軽い気持ちだと解釈し、
道長は皆の前で奢った歌を披露する人となりではないと考え、藤原行成(渡辺
大知さん)も同じ考えでした。



藤原道長(柄本佑さん)は摂政の位を嫡男の藤原頼通(渡邊圭祐さん)に譲り、
自身は若い頼通の相談役になっていました。
年が明けた寛仁3年(1019)正月、叙位の儀が行われる日に左大臣の藤原顕光と
右大臣の藤原公季が欠席し、頼通は欠席の理由を問う使者を左大臣に送りました。
結局これは左・右大臣が頼通には従わないという当てつけで、頼通はこれまでに
あった事も含めて父・道長に愚痴混じりに相談していました。
道長は頼通を「うろたえるでない!」と一喝、そして二人が来ないなら内大臣の
頼通がやればよい、叙位の儀を止めてはならんと指示、嫌がらせなどには屈せぬ
姿を見せよと助言しました。



「源氏の物語」で光源氏の死後の物語を書き続けていたまひろ(藤式部;吉高
由里子さん)でしたが、それもようやく書き終えることにしました。
自宅に戻って様々な物思いにふけっていると娘の藤原賢子(南沙良さん)が来て、
自分も宮仕えをしたいと申し出ました。
賢子は21歳にもなって母を頼りに生きているのは情けないという思いを持ち、
女房にしてもらうよう太皇太后の彰子に覚えがめでたい母に頼んでいました。
まひろは賢子の宮仕えのことを父・藤原為時(岸谷五朗さん)に報告し、そして
自分は大宰府まで旅に出たいと言いました。
そんなに遠くまで一人で行くことを案じた為時でしたが、その時きぬ(蔵下穂波
さん)が乙丸(矢部太郎さん)をお供に連れていけばいいと言い、為時もそれで
安心したのか「好きにせよ」と笑っていました。



まひろは賢子の宮仕えの件を彰子に頼み、自分が旅に出ることも含めて改めて
彰子に挨拶に行きました。
彰子は確かに賢子を預かったと、そしてまひろには必ず生きて帰って土産話を
聞かせて欲しいと言い、懸守を持たせてくれました。
それからまひろは太閤・道長にと嫡妻・源倫子(彰子の生母;黒木華さん)に
挨拶に行き、賢子を紹介して自分の旅のことを伝えました。
道長はまひろに大宰府への使いの船があるからそれに乗って行けばいいと言い、
まひろの旅立ちを助けてくれていました。



まひろと賢子が挨拶を終えて退室すると、廊下で倫子に呼び止められました。
倫子はまひろに道長の生涯を光り輝くように物語で書いて欲しいと頼んでいて、
そのことに対する返答を求めました。
まひろは、自分は心の闇に惹かれる性分なので道長の栄華を輝かしく書く事は
できないと丁重に断り、倫子もあきらめました。
若い頃からずっと世話になってきた倫子に改めて挨拶をし、まひろはその場を
去っていきました。
(よく考えたら、まひろ自身が道長の“陰”でした。道長の物語を書いてまさか
自分のことをほのめかすわけにもいかないから、もう断るしかないですね。)



まひろがずっと書き続けてきた「源氏の物語」を局で賢子に引き継いでいると、
道長がやってきました。
まひろが賢子を下がらせると、入ってきた道長は御簾を降ろしました。
道長は旅立とうとするまひろに行かないで欲しいと言いましたが、まひろは
「これ以上、手に入らぬお方(道長)の傍にいる意味はないのでは。自分は
十分やってきたし、見返りも十分にもらった。道長様には感謝してもしきれ
ないけど、違う人生も歩んでみたい。」と思いを伝えました。
そして賢子は道長の子であると、21年越しに真実を告げました。
道長はそのことに一瞬驚いたのですが、それ以上にまひろがいなくなることが
辛くて、まひろの手を取りもう会えないのかと問いました。
まひろは道長の目を見つめ、会えたとしてもこれで終わりと告げ、道長の手を
ほどいて御簾を上げて去っていきました。



そしてまひろは乙丸を連れて旅に出ました。
倫子は道長の物語の件は、幼い頃から自分の教育係で今も傍にいる赤染衛門に
頼み、衛門も恐れ多いと言いつつ引き受けてくれました。
一方、太皇太后の彰子に仕えることとなった賢子は先輩の女房たちに挨拶に
行き、宮の宣旨(小林きな子さん)から「越後弁」という名をもらいました。
御所の中を宮の宣旨に案内されている賢子を、「あれがあの時に(石山寺)
できた我が娘か」と道長は遠くから眺めていました。



急に体調が悪化した道長は、いつまでも頼りない頼通を独り立ちさせるため
にも、出家を決意しました。
倫子は出家しないで欲しい、疲れたなら自分の傍にいて欲しいと道長に懇願
しましたが道長の気持ちは変わりませんでした。
道長は妻の倫子と彰子・頼通・教通・妍子(倉沢杏菜さん)威子(佐月絵美
さん)ら家族に見守られる中、剃髪して出家しました。
(これ、柄本佑さんは本当に自分の髪を剃って坊主にしたらしいですね。)



出家した道長に公任たちが会いに来ました。
道長は今もこうして目の前にいて話もできるけど、政の場所にはいない道長を
思ってか、皆はどこか寂しそうでした。
特に若い頃から道長が大好きで道長のために何でもやってきた行成は寂しさも
ひとしおで涙がこみ上げていました。
道長は皆に「頼通はいまだ肝が据わっていない。これからはどうか頼通の力に
なってやって欲しい。左大臣と右大臣は足を引っ張るだけ。上に立つには皆の
力添えがなくてはならぬ。」と改めて頼みました。
でもその(偉そうな)言い方はまったく以前のままで、公任は「心は出家して
いない。頼通の政を後ろから操るためか。」と指摘しました。
斉信はそれならそれで自分たちも力が湧くと協力を快諾しました。
しかし肝心の頼通は老臣たちの存在意義を理解していないようでした。



近頃の頼通の悩みの種は左大臣の顕光のことでした。
顕光は歳のせいなのか帝の前で居眠りをしたり訳のわからないことを言ったり、
的外れな発言で陣定を長引かせるなど失態が続いていました。
頼通は、皆も顕光にうんざりしているしこれでは公卿たちの士気が落ちるから
顕光に左大臣を辞めて欲しいと考え、それを父・道長に相談していました。
道長は、大臣が辞める時は本人が申し出るか身まかるしかない、そのためには
どうしたらいいかわからないのか、と頼通に問いましたが答えられません。
「失態の度に皆の前で左大臣を厳しく難じよ。そのうちいたたまれなくなって
辞めるやもしれぬ。」と助言しました。
頼通がそんなことはできないとうろたえると「それが政だ!」と言葉を強く
返し、そのくらいできねば何もできぬ、肝を据えろと叱りました。



さて大宰府までやってきたまひろと乙丸は、京の都とは異なるその賑わいに
目を見張っていました。
宋人も含めて多くの人が行きかう西の果ての地で、乙丸は越前での日々を思い
出し、宋語がわかるまひろは宋の商人たちの言葉を聞いて楽しんでいました。
そんな雑踏の中で、まひろは越前にいた時に出会った周明と約20年ぶりの
再会を果たしました。
(次回は「刀伊の入寇(1019)」をやるのですね。私はこれはナレーションで
終わると思っていたので予想が外れて嬉しいです。~~だから主人公を九州
まで行かせたのかー






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Last updated  November 27, 2024 09:26:30 AM


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