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今年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』。今週はお休みでしたが、気がつけばもう8月に入っていて、1年の半分以上が過ぎていました。 毎年、大河ドラマに合わせてご当地で1年間限定で開かれる大河ドラマ館も何か所かで開催されています。私は地元の名古屋のは、春に行ってきました。だいたい大河ドラマ館は半年でリニューアルされるから、名古屋の中村公園のところもそろそろ・・と思っていたら、つい先日の7月末に後半仕様になりました。前半は秀吉と小一郎兄弟の、貧しい百姓時代からのスタートだったから、後半は二人や周りの人たちの衣装など、かなり華やかになったのではと期待しています。 で、そのリニューアル情報を探していたら、名古屋市のHPにとても嬉しい情報がありました。 名古屋中村 大河ドラマ館についてお知らせで、なんと、夏休みの間は小・中学生の入館料が無料になります。 夏休み期間の小中学生無料開放キャンペーン期間:2026年7月17日(金曜日)から8月31日(月曜日)まで対象:小学生、中学生内容:通常入館料400円が無料になります(名古屋市HPより) そして今度の土曜日の8月8日には、なんと! 名古屋の「まるはちの日」として、大河ドラマ館が無料開放されます。 「888(はちはちはち)の日」無料開放キャンペーン およびオリジナルコットンバッグ限定配布2026年(令和8年)8月8日(土曜日)を「名古屋に拍手!まるはちの日」とし、「大河ドラマ館」を無料開放します。併せて、豊臣ミュージアムにて「NAGOYA」オリジナルコットンバッグを限定配布します。日時:2026年8月8日(土曜日) 午前9時から午後5時まで(最終入館は午後4時30分まで)内容:通常入館料 大人800円・小人400円 が無料となります(名古屋市HPより)詳しくは ⇒ ⇒ こちら さて話を変えて、我が家の庭の様子です。春が過ぎたころ、ホームセンターのガーデニングコーナーを何気なしに見ていたら、野菜の苗がいろいろと出ていて、ふとスイカの苗が目に留まりました。「ベランダでも育つ」とあったので、庭のプランターでやってみようと思い、スイカとミニトマトを植えました。 スイカの苗を植えて、しばらくしたら花が咲いて、その後でこんなにも可愛いベビースイカができていました。ちゃんとスイカの模様になっていることに感激でした。 ただスイカの苗を2本植えても、実がなったのはそれぞれの1つずつでした。その後、直径8センチくらいで成長が止まり、もうダメになったのかな?と。ところが、こんなチビなのに、意外なほど甘くておいしかったです。 ミニトマトも、いい感じで実がなりました。自宅だと完熟で採れるので、おいしいトマトになりました。 黄色い実がなるトマトも植えました。夏がきたらグングン成長して、放っておいたらジャングルのように(汗)こちらのトマトは甘くないので、スープや炒め物に使ってます。
August 4, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回は前半が山崎の戦いで秀吉(池松壮亮さん)と明智光秀(要 潤さん)が対峙し、後半は弟・小一郎(仲野太賀さん)の嫡男・与一郎(大西利空さん)の死でいよいよ秀吉が天下をとる決意をした、という流れでした。 定説では光秀は、小栗栖(京都市伏見区)の山中で農民の落ち武者狩りに遭って命を落としたとあるのを、このドラマでは秀吉が密かに光秀を生け捕りにしていた、というものでした。ドラマというのはいろいろアレンジというか解釈を変えられるのだなと思いつつ、番組ラストの紀行はホント助かりました。 自分の地元の愛知県やその周辺は、現地がどんなところかと気になればわりと行きやすいのですが、山崎の合戦の現場は行ったことがなく、現代の風景と当時の合戦の絵図があって、すごくイメージがとれました。 秀吉も小一郎も若いころから戦国の世にうんざりしていて、皆が楽しく暮らせる世を作りたくて、信長に仕えて命ぜられるままただただ懸命に働いてきて、でもまだ意識のどこかにはきれいごとを考えてきました。それが信長の跡を継ぐ決意をした秀吉がいよいよ甘い考えを捨てて、この先はどうなっていくのか。 これからは、清須会議、賤ヶ岳の戦い、越前北ノ庄城落城、小牧・長久手の戦い、と実に盛りだくさんです。秀吉と小一郎の兄弟からどのような発言が出て、周囲の武将たちはどう動くのか。地図でのイメージも含めて、いろいろ楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正10年(1582)6月2日、主君の織田信長が京で明智光秀(要 潤さん)に討たれたと報を受けた羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)は急ぎ備中高松城(岡山県岡山市)から戻ってきて、京の手前で光秀との決戦に備えました。その光秀は有力な武将たちを味方につけることができないまま山城(京都府の南部)に陣を敷き、弔い合戦のために怒涛の勢いで迫りくる織田軍を迎え討つ備えをしていました。頼みにしていた中川清秀と高山右近も織田方につき、明智家の重臣の斎藤利三(内藤剛志さん)は土佐の長宗我部に織田の背後を脅かすよう書状を送ってはと主の光秀に進言、しかし光秀は、皆が絶対的に恐れてきた信長はこの世にいないから勝機は自分にある、と利三の進言を受け入れませんでした。 そのころ明智との決戦を控えて山崎(京都府大山崎町)に布陣していた信長の三男の織田信孝(結木滉星さん)のもとには、丹羽長秀(池田鉄洋さん)や備中から急ぎ戻ってきた秀吉らが集まり、明智討伐のために出陣しようとしていました。しかし秀吉は、はらわたが煮えくりかえる思いを必死で抑えながら、今すぐに動けばそれこそ光秀の思うつぼだから十分に考えてから動くべし、と進言しました。実際、光秀も「逆上した急ごしらえの織田方を返り討ちにするのはたやすい。皆がわしの首ほしさに勝手に動く。数が多いほど、急ぐほど、足並みは揃わぬ。」と読んでいました。 織田方の軍議では黒田官兵衛(倉悠貴さん)が地形図を広げて諸将らにこれからの作戦を提案しました。しかしその策には乗れないと、この戦で織田方に寝返った高山右近(市川知宏さん)と中川清秀(すがおゆうじさん)が反対すると池田恒興(堀井新太さん)が二人を挑発する物言いをし、3人で激しい口論となりました。その様子を見た丹羽長秀は突然、高笑いをしました。光秀はまさしくこの光景を思い描いて笑っているであろう、と「上様(信長)なら仰せになるはず。」そう言って涙をこらえて亡き信長を偲んでいました。 羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)の進言もあって冷静になった信孝が秀吉の策を進めようとしたとき、伊勢にいる信長の次男・北畠信雄からの急使が来ました。信雄は弟の信孝に、合流して共に父・信長の仇を討とうと呼びかけ、家臣たちもそれがいいと思いました。しかし兄に手柄を取られたくない信孝は、悠長なことを言っていたら明智を取り逃がすと言い、戦場での采配は秀吉に任せ、一気に総攻めをするよう命じました。秀吉と家臣の皆は、信雄と信孝はどちらも信長と長兄・信忠が亡き後の織田家を統率したいのだ、と読んでいました。 そのころ三河の岡崎城では信長の弔い合戦のために本多忠勝(夏生大湖さん)が稽古に励んでいました。しかし主君の徳川家康(松下洸平さん)から、すでに秀吉が備中から京に戻って明智と対峙しているから西には行かない、代わりに武田勝頼亡き後の甲斐と信濃を平定に行く、と聞かされて忠勝は納得しました。また北陸で上杉軍と対峙していた柴田勝家(山口馬木也さん)は、明智謀反の報を聞いてもすぐには動けませんでした。居城の越前・北ノ庄城(福井県福井市)に戻っていつでも出陣できるよう支度をしていたら、前田利家(大東駿介さん)から上杉勢が撤退するとの報を受けました。これでようやく上様の仇討ちに出陣できると腰を上げたとき、秀吉がすでに備中から京に戻ったと急使が入りました。誰よりも自分が明智を討ちたかったのに秀吉に先を越された!ーー勝家は悔しくてたまりませんでした。 天正10年(1582)6月13日、秀吉は山崎において明智軍と対峙し、陣形を整えていつでも戦える態勢でした。大好きだった亡き信長に思いを馳せる秀吉に、小一郎は兄の気持ちに寄り添おうとしていました。そこへ小一郎の嫡男の羽柴与一郎(大西利空さん)が戦況の報を持ってきました。高山・中川勢が明智方の攻撃を受けて敵陣に攻め入ったと聞き、秀吉もいよいよ動く決断をしました。自分は正面から援軍を送り、小一郎には官兵衛と共に山側から回り込むよう指示しました。与一郎は父・小一郎に同行することを願いましたが、小一郎は彼に、戦況を総大将の信孝に知らせて、そのまま信孝を守るよう命じました。 そして小泉川を挟んで織田方と明智方の激突となりました。開戦のきっかけとなった明智方の攻撃は織田方への挑発であり、織田方は光秀の計略どおりに動くはめになりました。さらに斎藤利三は混乱に乗じて刺客を忍ばせていました。敵の策にはまった高山・中川勢は苦戦、しかし後方より秀吉の援軍が入り、山側からは小一郎と官兵衛の兵が一気に駆け下り、さらに池田勢が淀川を上って明智の横腹を攻めこみ、形勢は逆転していきました。 織田方が優勢になった報を聞いた信孝は、自分も戦場に出て皆を鼓舞したいと思い、丹羽が止めるのも聞かずに兵士たちのところまで出向いていきました。馬上から兵士たちを激励していたとき、信孝が広げた扇を矢が貫通していきました。そこにいた兵士たちの何人かは明智方の刺客でしたが誰も気がつかず、その中の一人が信孝に矢を向けたのを見た与一郎は信孝様を守れという父・小一郎の言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、信孝をかばって敵の矢を受けて倒れてしまいました。 戦況が不利になった明智の陣では利三が光秀に、自分たちが敵を引き付けておくからその間に逃げるように進言、光秀はそれを受け入れ居城の坂本城(滋賀県大津市)で待つ、必ず生きて戻るようにと言いました。利三は光秀を「上様」と呼び、再会を約束して斎藤利三軍は織田方に最後の抵抗を見せました。しかしその日の夕刻、明智軍は敗れました。 坂本城を目指す光秀はわずかな供を連れて夜の山中を進んでいましたが、その動きはすでに秀吉に知らされていました。家臣に命じて光秀を生け捕りにした秀吉でしたが、その一方で重症を負った甥の与一郎が秀吉の陣に運ばれてきました。父の言いつけどおり信孝を守ったと息も絶え絶えに報告する与一郎を秀吉は褒め、小一郎には息子を看病するように言い、その場を後にしました。 一夜が明け、捕らえられた光秀は秀吉が待つお堂に連行され、そこでは秀吉が茶の湯の用意をして待っていました。秀吉は光秀に茶を点てながら、あと少しで天下一統を成し遂げられた上様になぜ謀反を起こしたのかを問いました。死を覚悟する光秀は己の思いを込めて秀吉に伝えました。自分も一度は信長がつくる世を信じようと思ったが駄目だった、自分が真にお仕えしたかったのは公方様(足利義昭)ただ一人、信長に奪われたものを今一度取り戻したかった、と。本音を語って思い残すことがなくなった光秀は表情が柔らかくなり、存分に恨みを晴らせばいいと言いました。しばらくしてお堂から出てきた秀吉は、外で待機していた福島正則(松崎優輝さん)と加藤清正(伊藤絃さん)に、秀吉は百姓の落ち武者狩りで命を落とした、首は百姓が我らに届けたことにするよう命じました。 小一郎は重症の与一郎を連れて長浜城に帰っていました。長浜城では身内の皆が与一郎のためにと、この時期は手に入らない干し柿や、山で採った薬草を持ってきてくれました。その与一郎は早く治して父・小一郎の力になりたいと、腕だけでも鍛えようと床で体を起こして素振りをしていました。まだ無理をするなと言う父に詫びた与一郎がふと目をやると、大好物の干し柿がありました。干し柿は父と初めて会ったときのことを思い出す、あのとき自分は初めて己に自信が持てた、父上のおかげと語りました。そんな与一郎に小一郎は、皆がそれぞれに持ち寄ってくれた与一郎の回復を願う品々を見せ、皆が案じているから無茶をするなと諭しました。そんな与一郎は、自分は信孝の覚えめでたい者になったから将来のお家の役に立っていると思う、と父に誇りました。しかしその直後、与一郎は再び倒れこんでしまいました。今晩が峠だと医師から聞き、身内の皆は覚悟しました。自分の枕元で付き添ってくれる義父・小一郎と母・慶(吉岡里帆さん)に、与一郎は絶え絶えの息で最後の力を振り絞り思いを伝えました。「皆で楽しめる、そういう世を父上たちが・・。」与一郎は力尽き、父母に看取られてあの世に旅立ちました。 羽柴家の皆がそれぞれに悲しみに暮れる中、秀吉が戦場から長浜城に戻ってきました。姉のとも(宮澤エマさん)が「あんたが采配したんだよね。」と悲しみの怒りをぶつけても秀吉は何も反論せず、小一郎のところに向かいました。縁側で干し柿を食べながら与一郎を偲んで泣く小一郎。秀吉がそっと声をかけると小一郎は「わしら、いつの間にか偉くなって、いい生活をするようになって、でも(戦があるたびに大事な誰かが死んでいくあのころから)何も変わっとらん。わしらは何のために侍になったんじゃ!」と兄に泣きながら思いをぶつけました。秀吉は弟の顔に両手をやり「お前がわしに言ったのだ。己を責めても何も変わらぬ。この世は何かが間違っておる、と。」そして秀吉は何かを決意した顔で小一郎を抱き寄せました。「だからわしが変える。これはまだ我らだけの秘め事じゃ。このわしが上様(信長)の思いを継ぐ。」信雄と信孝の器量には失望した。そして長浜に信長を迎えたあの日の朝、信長から羽織を賜り、信長という青空の下で自分が太陽になるとあのとき誓った。小一郎には兄の決意のほどがまだよくわかりませんでした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
July 30, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は、本能寺の変の後で山崎の合戦の前、という流れでした。織田信長(小栗旬さん)が明智光秀(要 潤さん)討たれた後、戦国の世ではそれぞれの立場や考えどんなことが起こるのかをいろいろ見た回でした。 信長と関係の深い者は早く逃げて身を隠さないと危険だから、秀吉(池松壮亮さん)の居城の長浜城にいた者たちは明智の追ってが来る前に逃げました。逆に秀吉は信長を救おうと、備前高松城から大急ぎで京まで戻ってきました。 ただ、この超・長距離マラソンになる中国大返しのシーンは、足軽の兵たちが甲冑をつけたままだったので、あの当時はどうだったのかな?と思いました。というのも、現代のように軽くて丈夫な金属がないあの時代の甲冑はかなり重たいのです。馬についていく全速力での、超・長距離の駆け足です。以前、歴史の番組で、秀吉が大返しをやるときは、武具など重たいものは輸送隊が先に運んでおいたと聞いていて、私はそれで納得していました。だから今回のような、馬でも走るのを嫌がる距離だと、甲冑をつけて走ると落伍者続出なのでは?とも思っていました。 また徳川家康(松下洸平さん)が伊賀越えをせず海路をとったというのも、化かし合いは面白かったけど、詳細は省きますが設定には正直、無理を感じました。 それでも前回、小一郎(仲野太賀さん)が安土に来る途中の宿場で「信長のためにバラまいて無駄になったと嘆いた銭」が、この回では秀吉の、まさに「いざ!」という行軍を助ける結果となり、この展開は面白いと思いました。そして桶狭間の戦いの後で、秀吉と小一郎が信長から褒美でもらったあの草履が、まさかこの回に飛んで出てくるとは全く予想していなかったので、これは本当に感動でした。 信長の死を絶対に受け入れなかった秀吉と、光秀をナントカときれいごとを考えていた小一郎が、最後には二人とも考え方を180度変えて、二人で心を合わせて光秀討伐を決意しました。次回の山崎の合戦がどう描かれるのか、楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正10年(1582)6月2日、織田家の重臣・明智光秀(要 潤さん)が謀反を起こし織田信長(小栗旬さん)は本能寺で自害、遅れて寺に到着した羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)は信長がいるはずの寺が燃え盛るのを見て愕然としました。 一方、明智家の重臣の斎藤利三(内藤剛志さん)は家臣たちに寺の焼け跡から信長の首級を探すよう命じていましたが首級は見つからず、光秀は利三に首級を必ず見つけ出すよう、さらに羽柴兄弟からの今後の報復を防ぐためにも、小一郎が京にいるはずだから捕らえるよう命じました。 京の町の人々は、明智光秀が信長を討った、信長の生死はどうなのか、次の天下人は明智なのか?と口々に話していました。京の町には織田の残党狩りと小一郎を探すために明智勢が歩き回っていて、その様子を確認した浅野長吉(秀吉の義妹・ややの夫;大地伸永さん)は秀吉が贔屓にしていた遊女屋に入っていきました。 このとき小一郎と前野長康(渋谷謙人さん)と藤堂高虎(佳久創さん)は実は明智の追手から逃れるために女将の吉祥(鶴田真由さん)にかくまわれていました。長吉は京での明智勢の様子を報告し、二条城にいた信長の嫡男・信忠の生死が確認できないことから、もしかしたら上様(信長)と共に信忠も生きているのでは?と一縷の望みをかけました。しかし小一郎は、あのとき燃え盛る寺の中から明智の足軽に扮して出てきた森乱(信長の小姓;市川團子さん)から上様を守れなかったと聞いていたので、信長の死を確信していました。 ただこうなった以上、ぐずぐずはしていられません小一郎は長康に、文をしたためるから一刻も早く備中で高松城(岡山県岡山市)を囲んでいる兄・秀吉にこの変事を知らせるよう、長吉には急ぎ身内と家臣たちが残る長浜城に走って皆を逃がすようにと頼み、二人は快諾しました。そして高虎には、畿内周辺の諸将が明智につかぬよう足止めをするよう頼みました。その際には、信長の生死がはっきりしないうちは明智につくか迷う者も出てくるから「上様は生きている」と触れ回るよう、何より兄・秀吉が来るまでは時を稼ぐよう、3人に言いました。 そのころ四国攻めのために摂津の住吉に布陣していた信長の三男の織田信孝(結木滉星さん)は父が討たれたことに激怒し、直ちに引き返して明智を討つと家臣に命じました。ところがそのとき同時に、大坂城にいる織田信澄(信長の弟・織田信勝の遺児;緒形敦さん)が謀反を起こしたとの報せが。また徳川家康(松下洸平さん)は堺の津田宗及(マギーさん)の屋敷にいて京での変事を知りました。重臣の石川数正(迫田孝也さん)は一刻も早く岡崎に戻って信長の弔い合戦の軍勢を整えるよう家康に進言、家康も納得してすぐに岡崎に戻る決断をしました。家康は伊賀を越えることにし、そこに宗及が来て家康に砂金が入った袋を持たせてくれました。家康は宗及に礼を言って直ちに出立、しかしその後で宗及は「家康は伊賀を通る」と光秀に知らせるよう家来に命じました。しかし家康は周りに誰もいなくなったら本多忠勝(夏生大湖さん)に、すぐに船を調達するよう命じました。伊賀越えは見せかけで海路で岡崎へ。家康の化かし合いの上手さに数正も感心することしきりでした。 浅野長吉は京から命がけで駆け抜け、やっとの思いで長浜城に到着しました。「明智勢が襲撃してくるから、城を捨てて一刻も早く逃げるように。」と小一郎からの指図を伝えると、皆はにわかには信じられませんでした。それでも寧々(浜辺美波さん)が逃げる決断をすると皆も納得してすぐに出立の支度をし始めました。ただ小一郎の嫡男の羽柴与一郎(大西利空さん)は、これから長吉と一緒に父・小一郎のもとに行って一緒に戦いたいと考え、母・慶(吉岡里帆さん)に懇願しました。慶は与一郎の思いを汲み、行くならばと「ある物」を父に渡すよう頼みました。 そのころ備中で高松城と対峙している羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)は長康から小一郎の文を受け取ったものの、文の内容を全く信じようとしませんでした。「上様は必ず生きていて、我らの助けを待っている!」小一郎は信長が生きていれば兄・秀吉が誰よりも早く戻ってくると考え、信長が討たれたことは伏せていました。秀吉は京での変事を毛利が知る前に、すぐに毛利との和議を結ぶよう命じました。 本能寺の変の2日後、秀吉は毛利方の安国寺恵瓊(立川談春さん)と和睦交渉に入りました。条件は、高松城主の清水宗治の切腹と、備中、美作、伯耆の3か国の割譲とする、としました。秀吉は、まもなく信長が3万の軍勢を率いてこちらに来る、その前に和睦を成し得なければ自分は信長からきつく叱られどうなるかわからない、これからの双方のために今は自分の顔を立ててほしいと恵瓊に話し、恵瓊もそれに応じました。そして黒田官兵衛(倉悠貴さん)は、和睦の証として互いの旗指し物をいくつか交換したいと申し出、恵瓊も納得して秀吉のために毛利方の旗指し物をいくつか渡しました。 清水宗治の切腹を見届けた秀吉は家臣の皆に檄を飛ばして、備中から京までを駆けに駆けました。そのころ越中の魚津城(富山県魚津市)で上杉軍と対峙していた柴田勝家(山口馬木也さん)も京での変事を知り、激高してすぐにでも京に向かうと取り乱していました。佐々成政(白洲迅さん)は、今我らが京に向かうと上杉に背後を突かれて惨敗となる、と力尽くで止めて進言。前田利家(大東駿介さん)は勝家の気持ちを理解しつつも命がけで諫言をして勝家を引き止めました。 一方、明智光秀は信長の象徴だった安土城に入って信長がいた場所に座り、斎藤利三から信澄が大坂で謀反を起こした件と、秀吉の居城の長浜城は皆が逃げてすでにもぬけの殻だったと報告を受けました。また調略の件では、細川・筒井・中川・高山・長宗我部に使者を送っているがいまだ返答がない、と報告を受けました。誰か一人がこちらにつけば皆も味方になると考えた光秀は、利三の言うように、自分とは旧知の仲であり娘の玉が嫁いでいる親類の細川家ならばと期待しました。 ところがその細川藤孝(亀田佳明さん)は一足先に小一郎に呼ばれて、京の遊女屋に来ていました。小一郎は藤孝を呼びつけた無礼を詫び、今まで織田家で共に働いてきた光秀に対してどうしたらいいのか教えてほしい、と藤孝に迫りました。しかし小一郎は本能寺の変があってからというもの、ずっと不眠不休で根回ししていた疲れが出て気絶してしまいました。小一郎が気が付いたとき、藤孝はまだ帰らずにいました。そして小一郎に、光秀は一時の情に流されてあんな大それたことはしない、やるからには強靭な覚悟と確かな勝算がある、今のような甘い考えでは羽柴は明智に討たれる、と忠告してくれました。 そのとき、そこに急使が入ってきました。秀吉が率いる2万5千の軍勢が6日に姫路城に入った、と。そして小一郎には、尼崎城で合流せよと命がありました。藤孝は秀吉のあまりの早さに驚愕するばかりでした。実は、小一郎が備中から安土に来るときに、信長をもてなすためにと途中の宿屋に置いてきた銭がこのとき、秀吉軍が移動するための休息の場所や兵糧や替え馬となったのでした。兄・秀吉なら上様のために走り続ける。小一郎は兄のことを誰よりもわかっていたのでした。そして藤孝の言葉で目が覚めた小一郎は、兄と共に明智を討つと決意し、もう迷いはありませんでした。 山城(京都府の南部)下鳥羽の明智の陣にいた斎藤利三は、羽柴の大軍勢がもう尼崎に入った、中には毛利の旗印もありそれを見て他の軍勢も続々と集まっている、と報を受けて信じられない思いでした。利三は、ここは居城の坂本城(滋賀県大津市)に戻って兵を整えるべきだと光秀に進言しました。しかし光秀は、信澄が謀反の責めを負って自害して信孝と丹羽の軍全を足止めしたから今ここを引くとそれが無駄になる、羽柴は大軍でも足並みはそろっていないから攻めるなら今だ、と考えました。するとそのとき急使が来て、細川藤孝の文を持ってきました。文には、藤孝は出家し、家督は忠興に譲る、明智に加勢はしない、とありました。それでも光秀は、明智は朝廷より織田に代わって畿内を守ることを許された、大儀は我らにあり!と家臣たちを鼓舞し、これより勝龍寺城(京都府長岡京市)にて賊軍どもを迎え討つ!と下知しました。一方、小一郎は尼崎城で秀吉と合流、まだ信長が生きていると信じている兄に「すまん。」と詫び、涙ながらに真実を伝えました。上様が死ぬはずがない!と絶対的に信じている、いや、信じようとしている秀吉は小一郎に強く腹を立て、弟の胸ぐらをつかんで「目を覚ませ!」と怒鳴りました。小一郎も、信長の死という真実を受け入れようとしない兄に腹が立ち、「目を覚ませ!」と兄を殴りました。兄弟が共に泣きながら喧嘩をしていたら、与一郎が母・慶から託されたあの箱を持って二人のところにきました。風呂敷の包みをほどき「母上と寧々様から。」と言って箱を二人に渡すと、中には亡き信長の草履が入っていました。それは22年前の桶狭間の戦いの後で二人が信長から褒美でもらった草履でした。「草履は片方だけでは役に立たん。互いに大事にせい。」「家宝にいたしまする!」秀吉と小一郎の脳裏にはあのときの信長の言葉と、二人で信長に誓ったあのときの情景がまざまざとよみがえりました。上様はずっと自分たちと共にいる。そして兄弟で力を合わせて日の本を平らかにするために働けと言っている。秀吉は全ての現実を受け入れて決意しました。「出陣の支度を急がせよ。目指すは明智の首。上様の敵討ちじゃ!」秀吉は小一郎にそう命じ、小一郎も力強く返事しました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
July 23, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回はいよいよ本能寺の変でした。織田信長がメインキャストのドラマでは見せ場となる場面です。本能寺の変が出るドラマではよく、信長が自害する前に敦盛を舞うとかあるのですが、今回はそんな余裕はナシ。自害に至るまでにひたすら戦いました。 織田信長(小栗旬さん)が京に向かう前に小一郎(仲野太賀さん)と酒を酌み交わしながら話ができて、信長の心にずっと引っかかっていた弟・信勝への思いが和らいだ場面があったのは、よかったと思います。明智光秀(要 潤さん)に襲撃されていよいよ自害するしかなく、この世との別れとなったときに、肉親を死なせるしかなかった自責の念で凝り固まった気持ちから解放されたのですから。 以前、NHKだったかどこかの歴史番組で、本能寺はたまたまだけど寺の構造が炎がよく回る造りになっていて、そのため信長の遺骸が燃え尽きてしまい、後で探してもわからなかった、みたいな話を聞いた記憶があります。信長は自分の首を敵に渡さなかった、だから生死がはっきりできず秀吉(池松壮亮さん)は信長は生きているとして次の行動がとれて天下人への道を進んでいきました。このあたりが、信長と秀吉の運の強さなのでしょうか。 次回はよくあるパターンなら、羽柴軍の備中からの大移動。馬で休みなく駆けても「尻がもたん。」と言ったあの距離を下の者たちは、今時のような足に優しい靴ではなく、草鞋で長距離マラソンをするのです。戦国ドラマや歴史番組で「中国大返し」を表現するために、俳優さんたちが必死に走っているあの場面です。このドラマではどう描かれるのか、次週が楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正10年(1582)3月、甲斐の武田勝頼は織田信長(小栗旬さん)に敗れ武田家は滅亡、信長は東国の一統は成ったも同然と考え、北陸は柴田勝家が上杉征伐をするのを待っていました。明智光秀(要 潤さん)に四国の長宗我部からは和睦の申し出があったかとに確認するとまだとのことだったので、三男の織田信孝(結木滉星さん)に織田信澄(亡き弟・信勝の遺児;緒形敦さん)と共に四国を総攻めするよう命じました。 そのころ信長から早急に西国を平らげよと命じられていた羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)と羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)の兄弟は、毛利方との境界にあった備中の高松城(岡山県岡山市)を落とすために水攻めを行っていました。城を水で取り囲み、これで毛利は攻撃も救援できないと判断した秀吉は小一郎に、毛利攻めの総仕上げを上様(信長)にやってもらうために急ぎ安土に戻って上様をここまで連れてくるよう命じ、小一郎も了承しました。 小一郎は備中から安土まで(約270km)を浅野長吉(秀吉の義妹・ややの夫;大地伸永さん)、前野長康(渋谷謙人さん)、藤堂高虎(佳久創さん)らと共に急ぎ駆け抜けました。ところが小一郎が信長に備中行きの話をすると、信長はそんな話は聞いていないと言います。ここまで来る途中の宿場には上様を迎えるための支度を命じて銭をたくさん置いてきたこともあり、皆は腹が立ってます。でもこれはもしや秀吉が明智光秀や柴田勝家を出し抜くために最初から適当なことを言っていたのか?と考え、皆は妙に納得してしまいました。 一方、黒田官兵衛(倉悠貴さん)は高松城内に入って毛利方の安国寺恵瓊(立川談春さん)と和睦の交渉していました。条件は、高松城主の清水宗治の切腹、そして備中、備後、美作、伯耆、出雲の割譲だと伝えました。恵瓊が、さすがにその条件はのめない、毛利から割譲は3か国までと言われていると返事をすると、官兵衛は交渉不成立で席を立って帰ろうとし、恵瓊も帰ろうとしました。すると秀吉が入ってきて恵瓊を引き止め、ひょうたんに入れた酒をたくさん持ってきて、これを皆にふるまうよう言いました。秀吉は自ら毒見をし、ひょうたんは自分の馬印、百姓だった昔、家にはいつもひょうたんがぶら下がっていたからこれを見ると落ち着く、和睦がうまくいくためのおまじないだと笑いました。恵瓊は秀吉の態度から遠慮なく酒をもらうことにし、秀吉の人たらしぶりを褒めつつ、ある種の恐ろしさを感じました。 そのころ信長は安土城を訪問した徳川家康(松下洸平さん)をもてなしていて、接待役は明智光秀が務めていました。膳に鯉の煮つけが出されたとき信長は、自分の切り身のほうが大きいが今日の主役は家康だからと、料理を交換しました。煮つけに舌鼓をうつ石川数正(迫田孝也さん)ですが、家康は身を箸で取った後で違和感を覚え、今は川魚を食べると体調を崩すと言って食べないようにしました。家康の言い訳を不自然に感じた信長が追及するので、やむなく家康は料理に毒のにおいがすると言いました。毒のにおいがするのは最初に信長に出された料理だけなので、もしや自分を狙ったのか?と思った信長は毒かどうかネズミで試してみることにしました。 果たしてそれは本当に毒でした。怒りが収まらない信長と、まさかの事態に青ざめる光秀。少し前に娘婿の信澄から、幼いときに今は亡き母・ちよ(樋口日奈さん)からいつか信長を討って父・信勝の仇をとるように言われていたと聞かされていたので、光秀はもしかして信澄がとふと思いました。信長から心当たりを問われた光秀がごまかすと信長は、ならば台所にいた者たちを皆殺すと言います。そうなるのはあまりにもむごいので光秀が慌ててそれを止めると、信長はやはり光秀が犯人を知っているのだと考え、誰の仕業かを白状させようと光秀を激しく折檻しました。同席する者たちが思わず顔をそむけるような激しい折檻でも光秀が口を割らずにいると、丹羽長秀(池田鉄洋さん)が来て、この件を手引きしたのは信澄だったと報告しました。信長は四国に向かった信澄を追って直ちに腹を切らせるよう、長秀に命じました。 騒動の結論が出て、光秀が痛む体をかばいながら自室に戻ろうとすると、廊下で小一郎に会いました。小一郎が見舞いの言葉をかけると光秀は、接待役を解かれて代わりに秀吉と共に西国を攻めるよう命じられた、これより坂本城(滋賀県大津市)に戻って出陣の支度をする、備中でまた会おう、と小一郎に言いました。 その夜、毒騒動のことを兄・信長から聞いた市(宮﨑あおいさん)は、信澄に激しい怒りを覚えました。信長は信澄が20年もの間、自分に気取られないよう本心を隠してきたことに、よほど自分のことが憎かったのだろうと感じていました。さらに信長はこれまでの人生を振り返り、自分はどこかで道を間違えたのか、とも思いました。兄・信長がいつになく気落ちしているのを見た市は「死んだ者にはもうどうすることもできない。生きている者にしかこの世を変えることはできない。我が娘たち(茶々、初、江)が悲しむことのない安寧の世を早くつくってほしい。それだけが生き延びた我らに残された唯一の道。」と兄を鼓舞しました。しかしその日の信長は妹・市の言葉を気持ちよく受け取れず、「たやすく言うな!」と怒り、盃を叩きつけました。天下一統のためとはいえ、自分は数え切れないほど多くの者を殺めてきたのだと、信長はわかっていたのでした。「お前が男であれば。」ふと信長がもらした本音を聞いた市は、こんなにも苦しむ兄を救えない自分をふがいなく思い、その場を退席しました。 一人になった信長が亡き弟・信勝との思い出にふけっていたら、市に命じられた小一郎が入ってきました。信長に呼ばれていないとわかった小一郎が退室しようとしたら信長が呼び止め、信長の相伴にあずかることになりました。主君・信長が大好きな兄・秀吉がもしこの光景を見たら、さぞ羨ましがるだろうと小一郎が言うと、信長が問いました。「兄を憎んだことがあるか。殺したいと思ったことはあるか。」「もう、しょっちゅう。特に侍になりたてのころは無茶ばかり言われて何度自分が死にかけたことか。ああ~、思い出したら憎らしくなってきた。」と小一郎は本音を答えました。しかし信勝の位牌が出ているのを見た小一郎は、信長の心情を慮り、静かに話を続けました。「それでも放ってはおけない。どうでもいいと思っていたら腹など立たない。憎いというのは慕っていることの裏返し。」そして笑顔を向けて信勝様は上様を恨んではいないと答えると、信長から叱られました。それでも小一郎は「自分にはわかる。到底かなわぬ兄を持った弟の気持ちが。」と信長に訴えました。(信澄はともかく)信勝は自分を恨んでいないのか。小一郎の言葉で気持ちが柔らかくなった信長は、京での茶会を終えた後で秀吉が待つ備中に行くと約束してくれました。「6月4日、京の本能寺より出立する。」小一郎が嬉しくて涙を浮かべて礼を言うと信長は、礼なら市に申せと言い、小姓には、早馬を出して昼間に丹羽長秀に命じた件を沙汰があるまで待つよう伝えよと命じました。 天正10年(1582)5月29日、信長は僅かな供回りを連れて京の本能寺に入りました。そのころ光秀は、信長に追放された足利義昭との連絡を命じてあった明智家の重臣の斎藤利三(内藤剛志さん)からの報告を受けていました。義昭からの返答は、もう自分を巻き込むな、ということでした。光秀にとって義昭は、生涯の主人と決めて心から仕えた人。義昭の命で信長に仕え、自分の意に反する信長からの命令でも義昭のために黙って従い耐えてきたのです。その義昭が、もう自分を関わらせるなと。自分を支えていたものが崩れた光秀は、信澄が義昭をかたって書いた偽の御内書を「上意」として信長を討つことを決意し、出陣を皆に伝えるよう利三に命じました。「敵は本能寺にあり!」ーー光秀には迷いがありませんでした。 そして6月2日の夜明け前、本能寺で眠る信長を小姓の森乱(市川團子さん)が起こしに来て、敵の襲来を告げました。旗には白の桔梗紋ーー明智光秀の軍勢でした。利三が指揮を執る大軍勢の明智勢を相手に、信長が連れてきた精鋭の小姓たちは多勢に無勢ながらも奮戦しました。 やがて奥から信長も出てきて、自ら武器を取って戦いました。しかしこのままでは信長が敵の手にかかって首級を取られてしまうので、森乱は信長に奥に入るよう進言しました。寺には火が放たれ、手柄を求めて信長をしつこく追う明智勢。攻撃を受けて深手を負った信長は迫りくる敵の中に、かつて自分が滅ぼした浅井長政や弟の信勝らの幻影を見ていました。信長は最期のときを悟り、自分を追ってきた森乱から脇差を借りて自害を決意しました。ひざまずく乱の頬に愛おしそうに手を添え、信長は「わしの首、決して敵の手に渡すでないぞ。」と命じました。「お任せくださいませ。」ーー乱は信長に敵を近づけぬよう部屋の外に出て再び戦いに身を投じました。そして信長は信勝とのことを思い、あるいは自分にひたすら仕えてくれた秀吉と小一郎を思い出し、秀吉が長浜城で自分に誓った約束を信じて、炎の中で自刃しました。遅れて安土を出た小一郎の目に映ったのは、信長がいるはずの本能寺が炎に包まれて燃え盛る姿でした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
July 16, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回は私にとって久しぶりに感動した神回でした。天下一統のためとはいえ、敵が多い織田信長(小栗旬さん)の身が心配でならない秀吉(池松壮亮さん)。此度もまた甥の信澄が敵になりかねない状況なので、なんとか信長の機嫌をとっていい方向に持っていこうとします。 でも信長にしてみたら、秀吉が一族郎党をあげてやけに自分の機嫌を取るかと思ったら目的があって、しかも信長にとってのデリケートな部分なので、案の定、怒りが爆発しました。 秀吉と小一郎(仲野太賀さん)が代わる代わる心情を訴えるものの、信長の怒りは収まりません。いよいよ兄弟への折檻か、下手すれば無礼討ちか?! と緊迫の場面になったとき、酔っぱらった姉のとも(宮澤エマさん)が信長のいる席であろうことか・・。次に妹のあさひ(倉沢杏菜さん)がおそらく場の緊張に耐えられず大泣きを始めて・・。 笑いました。そして、場の打開のためにたぶん無理に酒を呑んだであろう寧々(浜辺美波さん)の愚痴が信長の心に刺さって、信長は信澄と秀吉たちを許すことになった、と思いました。 宴席での信長の笑い方もドラマの盛り上がりと連動していて、初めは仕方なしに小さく笑っていたのが、怒り爆発でいったん気持ちが反対方向に向いて、でもその後で最後に声を大にして腹の底から笑った、という感じでした。 強烈な緊張感の後に、笑いと安心感を与える。これが脚本の八津弘幸さんの得意とする場面なのでしょうか。 またこのドラマでの信長像もいいなと思います。長年自分に仕えてきた老臣であっても容赦なく追放する信長だけど、家臣の母にすぎないのに なか(坂井真紀さん)には配慮をもった言葉遣いしています。これは自然体で生きるなかの性格もあるけど、弟ばかり贔屓する母から十分な愛が得られなかった信長が、どこかで優しい母を求めている姿なのかなとも思いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正9年(1581)2月、織田信長(小栗旬さん)は京で盛大な馬揃えを行った後、長宗我部元親(磯部寛之さん)に四国の地を切り取り(自力で切り従えた土地をそのまま自分の領地にすること)勝手の許可を与えました。ところがその後で信長は阿波(現在の徳島県)の三好一族からの願いを聞き入れ、元親との約束を反故にすることに。明智光秀(要 潤さん)には、気が変わった、元親をうまく説き伏せよ、と命じました。しかしここまで勢力を伸ばすために多くの家臣たちの血を流し、苦労を重ねてきた元親にはとうてい受け入れられるはずもなく、怒り心頭でした。 信長は近江の安土城下にある桑実寺で茶会を開き、四国の件は元親が不服従であると光秀から報告を聞きました。信長は直ちに三男の織田信孝(結木滉星さん)に四国討伐を命じ、お点前をした今井宗久(和田正人さん)には長宗我部を討つのに十分な鉄砲を用意するよう命じました。 信長が茶会を終えて廊下に出たとき、信長を狙った刺客が突如何人も現れ、小姓の森蘭(市川團子さん)たちがすぐに刺客を倒していきました。果ては寺の僧までもが刺客の一人で信長に近づいて命を狙ったものの、織田信澄(信長に謀反を起こした亡き弟・信勝の遺児;緒形敦さん)が身を挺して信長をかばい、信長は無事でした。ただそのとき信長は信澄を見て、ふと信勝の最期の瞬間を思い出してしまいました。羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)と羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)の兄弟は鳥取城攻めから戻り、安土城で信長に戦勝を報告して信長からお褒めの言葉をもらっていました。信長から褒美は何がよいかと問われた秀吉はすぐさま、茶会に同席したいと申し出ました。秀吉の様子がおかしいと感じた信長が問いただすと小一郎が、兄は上様(信長)を案じていてお傍で守りたい一心だと説明、しかし信長は秀吉に早く備中を平らげるよう命ずるだけでした。 二人が退室した後で廊下ですれ違った信澄と光秀は、ちょうど信長に呼ばれて向かうところでした。しかし信長が信澄を呼んだのは、信澄が長宗我部と通じているという謀反の疑いがあるからでした。信澄は長宗我部と話し合ったことは認めたものの、それは謀反ではない、自分なりに織田家を考えてのことと釈明しました。しかし信長は、桑実寺で賊に襲撃されたのは信澄が手引きしたのでは?と疑い、やはり父(信勝)を殺した自分が許せぬか?と信澄に迫りました。そして信長は信澄に蟄居を命じ、光秀には監視を命じました。 秀吉と小一郎は信澄の一件を光秀から聞きました。信澄を許してもらうことでなんとか信長を守りたい秀吉の姿を見て、光秀は秀吉が本当に信長を好きなのだと感じました。そこで秀吉は、信長の五男で羽柴家の養子に迎えた秀勝が次の備中攻めが初陣となるから長浜(滋賀県長浜市)に来て会ってやってほしいと懇願。信長は最初は断りましたが、小一郎が先に味方につけておいた妹の市(宮﨑あおいさん)が来て、兄上は疲れているから2~3日長浜に行って静養してはどうかと進言、信長が唯一弱い妹の市なので、これで信長の長浜行きが決まりました。 秀吉は長浜城で信長をうんと楽しませて、機嫌がよくなったときに信澄を許してもらおうと考えました。でもそんなことよりなにより秀吉は、信長の笑った顔をずっと見ていない、だからとにかく信長には楽しんで笑ってほしい、その一心でした。信長が来るとなった長浜城では、身内一同、家臣一同で信長を迎える準備が始まりました。 信長と市が長浜城に到着し、二人を出迎えて挨拶した羽柴秀勝(柊木陽太くん)に信長は、初陣への激励をしました。秀勝への言葉が済んですぐに帰ろうとする信長に小一郎が声をかけ、隣室で待機していた家臣たちが出てきました。続いて鳴り物や歌や踊りと共に酒と馳走が次々と運ばれてきて、信長は席を立ちずらくなりました。せっかくだからと市の勧めで馳走の芋を口にした信長は思わず「うまい」と声に出しました。酌をする秀吉の母・なか(坂井真紀さん)は、中村でとれた芋だと言い、信長も生まれ育った尾張の地を懐かしく思いました。 次の余興は羽柴家の女たちによる信長を称える舞いで、昔は秀吉の百姓だったとも(宮澤エマさん)やあさひ(倉沢杏菜さん)たちの、つたないながらも一生懸命に舞う姿に信長は小さく笑みを浮かべました。夜になっても余興は続き、今度は猿回しの芸です。信長から二匹の猿と呼ばれた秀吉と小一郎と本物の猿2匹との芸に、信長も思わず小さく笑ってしまいました。そして最初は渋々だった信長の機嫌がだんだん良くなっていくのを見て、家中の皆は期待を寄せました。 すっかり夜もふけて宴は終わり、信長もそれなりに楽しめたと秀吉を褒めました。信長の機嫌が良くなったと思った秀吉と小一郎は居住まいを正し、信澄を許すよう信長に乞いました。わざわざこの席を設けて自分の機嫌をとっていたのはそれが目的だったのか、と信長は激怒しました。膳をひっくり返し、秀吉を蹴飛ばし、さらに「信澄に味方するお前も信澄にくみしているのか?」と秀吉を疑いました。 秀吉がなおも続けて釈明しようとしたとき小一郎が、上様に口答えするなと兄を止め、これはすべて上様を思ってのことだから此度のことはどうかなかったことにと許しを乞い、頭を深く下げ、一同も小一郎に倣いました。それでも秀吉は信長に口答えを続けました。たしかに自分には上様の心の内はわからないが、自分の気持ちならわかる、確かな証もなく信澄を処分すれば上様に恨みを抱く者がまた増える、そうなるといつまた上様が危ない目に遭うのかと思うと恐ろしくて、心配で心配で戦にも気が入らぬ、と涙ながらに訴えました。 すると今度は小一郎が口をはさみました。ここは織田家のために信長に許してほしい、そうすれば昔のことも忘れられるやも、まさに一挙両得だ、と訴えました。黙れと言っても利いた風な口をきいて自分に意見してくる兄弟に、怒りが頂点に達した信長は小一郎を睨み据えながら近づいていきました。激しい折檻なのか?と家臣一同が息をのんだとき・・・ 信長の背後からいびきをかく声が聞こえてきました。なんと、この場面で姉のともが酒を呑んで寝入ってしまい、夫の長尾弥兵衛(上川周作さん)が必死に詫びました。小一郎と秀吉が狼狽する中、今度は反対側から妹のあさひが泣き出す声が聞こえてきました。自分が何の役に立っていないと思うと悲しいと泣きながら詫び、家臣一同も同じ気持ちになって泣き詫びました。 泣く者や酔いつぶれる者で座が騒然とする中、信長の背後で盃を叩きつける音がしました。秀吉の妻の寧々(浜辺美波さん)が酒に酔って立ち上がり、よろけた足取りで信長と夫・秀吉のいるほうへ歩きました。寧々は秀吉の前に座りこみ、信長の目の前ではっきりした口調で文句を言い始めました。「やっと戦から戻ったと思えば、やれ上様をもてなせだの励ませだの労えだの、上様、上様、上様。あなたはいつも上様のことしか考えていなくて、その次は小一郎とお市様。私はどこにおるのじゃ!私は何番目じゃ!」 よりによって信長の前で、しかも羽柴家の存亡がかかるこの大事な場面で、思いもよらぬ妻・寧々の壮大な愚痴。秀吉は寧々をたしなめましたが、信長が目の前にいることに気が付いた寧々は急に気分が悪くなって倒れ、退席しました。突然始まった身内の女たちの騒動を秀吉と小一郎は信長に深く詫びましたが、先ほどまで何の話をどこまでしていたのかわからなくて二人が必死で考えていたとき・・・ 信長が突如「ハハハハハハッ!」と大声で笑いだしました。先ほどまでの愛想笑いではなく、腹の底から笑ってます。身内や家臣一同が恐る恐る信長の様子を見守る中、信長は「お前らとおるとすべてがバカバカしくなってくる。」と優しいまなざしになりました。そして秀吉の前に座って呑み比べを提案、秀吉が勝ったら信澄を許す、と約束しました。思いがけない好機到来に秀吉はもちろん快諾、信長は酒を持ってくるよう命じ、家臣一同は酒の支度のためにすぐさま飛び出しました。 いよいよ信長と秀吉の吞み比べが始まりました。秀吉にとっては絶対に負けられない勝負なのですが、信長は先ほど愉快に笑い飛ばしたせいか酒がうまくて、いくらでも酒が入っていきます。家臣の皆が囃して座を盛り上げ中、勝負は続きました。でもさすがに両者ともそろそろ限界がきて、先に信長が酔いつぶれて寝てしまいました。秀吉は勝利を宣言し、家臣の皆と共に喜んだ直後、秀吉も酔いつぶれて寝てしまいました。酒に酔い正体をなくして眠りこける二人の寝顔を見た市は、兄と秀吉にどこか似ているものを感じました。 勝負から一夜が明け、信長は天守の廻縁の高欄(てすり)に腰かけて長浜城からの景色を眺めていました。遅れて目が覚めた秀吉は信長に駆け寄り、昨夜の身内一同の無礼を詫びました。信長は、酒のせいでよく覚えていないが約束は覚えていると、そして信澄を許すと言ってくれ、秀吉はにはよくぞ自分を諫めてくれたと礼を言いました。秀吉は、自分はただ上様と一緒にいたいだけ、上様と共に新しき世をつくり皆を喜ばせたい、と思いをぶつけました。 信長はふと真っ青な空を見上げました。あの空のように境目のない、争いのない、どこまでも一つの国をつくりたい、と思いを語りました。秀吉はそれを受け、自分は母から言われたように太陽になる、太陽になって上様がつくりあげたこの国を照らし続ける、と素直な思いを答えました。 「この男ならそれをやり遂げるかもしれない。」信長は自分の羽織りを秀吉に与え、かがんで秀吉と目線を合わせ、よき侍になったと言葉を贈りました。百姓だった自分が信長にここまで引き上げてもらえ、そしてこれまでの働きを認めてもらえたのです。嬉しくて涙が出る秀吉に信長は、さっさと毛利を倒してこいと命じ、その後で茶会をしようと言ってくれました。秀吉は泣きながら空を見上げ、自分があの太陽になることを心に誓いました。 秀吉は酔いつぶれて雑魚寝している家臣たちを叩き起こしてすぐに出陣の支度をするよう命じました。安土城に戻った信長は、仕方なしに出向いた長浜だったけど、おかげで楽しい時を過ごせたと振り返り、市も羽柴家の者はことごとく人たらしだったと感心して微笑んでいました。ところが、その許された信澄は信長の誤解ではなくて本当に何か企んでいたようでした。光秀が足利義昭から送られた「信長を討て」という御内書のことを信澄は知っていて、あれは実は自分が書いたものだと光秀に打ち明けました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
July 9, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今作は戦国時代の大河ドラマには珍しいくらい合戦のシーンやそれにまつわる話は少ない感じで、私にはどちらかというと心情描写が多いように思えます。だから何の予備知識もなくリアルでドラマを見たとき、時には少々物足りなく感じてしまうこともあります。 でもこのブログを書くために改めてじっくり見てみると、ああ、こういう部分にも見どころがあるのかと思ったりもします。例えば今回、織田信長(小栗旬さん)から突然、追放の命令を下された老臣の林秀貞(諏訪太朗さん)と佐久間信盛(菅原大吉さん)と安藤守就(田中哲司さん)を演じたお三方。 青天の霹靂のごとく、何の前触れもなく突然転落人生となってしまい、でも生き長らえるには信長に従うしかないのです。喪失感、侘しさ、悔しさ、安穏としていたつもりはないにせよ家来たちを路頭に迷わせることになった情けなさ、・・etcそういったものをベテラン俳優のお三方が、感動のセリフや涙はなくとも、表情や肩を落とした姿勢、あるいは背を向けた姿で十分に感じることができました。 最後、小一郎(仲野太賀さん)に引き止められた安藤守就がそれでも「これから家来たちが苦労するのに、自分だけ安泰で生きていくわけにはいかない。」と断った場面はよかったと思いました。なにせ前回は、自分が生き残ることだけを考えて行動した結果、一族郎党と何百もの家来たちやその家族を死なせてしまったドクズ男を見ただけに、余計にそう感じてしまいました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正8年(1580)春、播磨を平定した羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)は居城の長浜城で重臣の皆と、西播磨の龍野城(兵庫県たつの市)について議論していました。軍師の黒田官兵衛尉孝高(倉悠貴さん)は、この城は防御の態勢が不十分で毛利が攻めてきたら抗えない、早急に普請をしなければならない、と秀吉に進言しました。そう聞いた秀吉は蜂須賀正勝(高橋努さん)に普請を任せると、さらに「己の城は己で直せ。」と言いました。正勝ははじめは何のことかわからなかったけど、秀吉から「蜂須賀正勝、これよりそなたをこの龍野城主とする。」とはっきりと任命され、ようやく理解しました。秀吉が墨俣に砦を作ったときに(1566年)無茶な協力をしてもらう正勝と交わした約束ーー「褒美は3年後に城持ちに!」あれからもう15年もたってしまったけど、約束はちゃんと守られました。正勝の出世を喜び祝う皆と、感無量で言葉が出てこない正勝。正勝は秀吉の前で姿勢を正し、改めて挨拶をして、この先は何があろうとも殿(秀吉)の力になる!と誓いました。 一方で織田信長(小栗旬さん)が長きにわたり普請を重ねてきた安土城(滋賀県近江八幡市)がついに完成しました。信長の前に整列した重臣たちはそれぞれに祝いの言葉を述べ、また信長のほうからは城の普請で主導をしてきた丹羽長秀(池田鉄洋さん)を褒めて褒美の太刀を与えました。信長の嫡男・織田信忠(小関裕太さん)は、丹羽を支えてよく働いた織田信澄(緒形敦さん)にも褒美をと父に進言。信澄は信長に謀反を起こした亡き信長の弟・信勝の遺児であり、信澄の後見をしてきた柴田勝家(山口馬木也さん)をはじめ一同には緊張が走りましたが、信長も信澄の働きを認め、信澄には追って褒美を与えるとのことでした。 信長は安土城の完成を祝う宴を大々的に催しました。能が舞い、列席する重臣たちが酒と馳走を楽しむ中、秀吉は弟の羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)に「さすがは上様だ」と自分の思いをそっと語りました。秀吉の言わんとすることは、信澄は信長に謀反を起こした信勝の遺児で本来なら命がなかった、でも信長は幼き信澄を勝家に預けて生かした、信澄は今では明智光秀(要 潤さん)の娘を妻に迎えて皆から慕われている、ということでした。信澄は信長のところに行って酌をし、信長もそれを快く受け、その様子を育ての親の勝家は遠くから見守っていました。 舞いが終わると、見事な舞を披露した土佐国主の長宗我部元親(磯部寛之さん)が面を取って信長に挨拶をしました。元親は信長に目通りがかなったことの礼を述べ、切り取り(自力で切り従えた土地をそのまま自分の領地にすること)は着々と進んでいる、信長が自分たちに切り取りを認めてくれたことが何よりの褒美だと伝え、信長も「これからも存分に切り取りせよ。」と伝えました。 その後で信長は、宴の酒肴を楽しんでいる重臣たちに余興で相撲の勝負をするよう命じました。武田佐吉(村上新悟さん)が行司を務め、我こそはと思う者は名乗り出るよう呼び掛けると、力自慢の者たちが何人か進み出てきました。しかし信長はあえて老臣の林秀貞(諏訪太朗さん)を指名し、続けて近習の森蘭(市川團子さん)を呼んで林との対戦を命じました。勝負は森蘭が勝ち、負けた林には信長から追放の命が。余興だと思っていた相撲で一族ともども追放となることに林は青ざめ信長に許しを乞いましたが、近習たちに力ずくで退場させられました。 思いもよらない展開に宴を楽しんでいた皆はすっかり酔いが覚め、次は誰の番なのかと一同は固まりました。信長は林と同じく老臣の佐久間信盛(菅原大吉さん)の名を呼び、森蘭との勝負を命じました。佐久間もあっさりと負け、追放を覚悟をしていた佐久間は自ら退場していきました。そして次に信長に呼ばれたのは、小一郎の舅である安藤守就(田中哲司さん)でした。舅の一大事なので小一郎は自分が代わりに出ると名乗り出ましたが、守就はその気持ちだけ受け取り勝負に出ました。 果たして守就はあっけなく負け、家で娘の慶(小一郎の妻;吉岡里帆さん)の手当を受けていました。慶は夫と父の話から、おそらく信長は初めから罰する者を決めていたのだろうと思いましたが、守就には自分が罰せられるような心当たりは全然なくて、追放及び領地没収となったのでした。しかし秀吉が密かに探ったところ、守就が敵である武田と通じている疑いがある、と光秀から聞かされました。守就には全く身に覚えがなく、ただ此度のことで安藤家の所領が全て稲葉良通(嶋尾康史さん)のものになった、と小一郎に伝えました。 守就と小一郎は稲葉を訪れ、事の真偽を確かめました。稲葉は守就が武田と内通しているやもと信長に伝えたと認め、それは家来から聞いた話だ、と言いました。さらに守就を「ただの浪人」とあざけり笑い失礼極まりないことをするので小一郎の怒りが爆発、「義父上を愚弄するなら羽柴を敵に回すことになる」と稲葉を抑えました。ただ稲葉の屋敷を出て、小一郎はふと気が付きました。もしや守就とは別の誰かが武田と通じているのでは?と。守就は、それができるのは息子の安藤定治(森優作さん)しかいない、と考えました。 そのころ追放の身となり出家を決めた佐久間信盛は最後に信長に会えないかと願いましたがそれは叶わず、やむなく取次ぎをしてくれた秀吉に「上様が天下一統を成し遂げる日が一日も早く訪れるよう御仏に祈っている。」と言伝を頼み、高野山へ向かいました。もう一人、追放された林秀貞は山城国に身を潜め、そのわずか2カ月後にこの世を去りました。 守就は息子の定治に会い、武田のことの真偽を訊ねました。定治は泣いて取り乱して切腹しようとしたので、同行した小一郎と藤堂高虎(佳久創さん)が止めました。定治は父・守就に詫び、そして織田についてからはずっと戦続きでもう疲れた、息つく暇もなく、家来たちも次々と死んでいった、織田信長には素晴らしい世はつくれない!と思いのたけを父に訴えました。 一方、3人に追放を言い渡した信長は安土城から琵琶湖を眺めて佇んでいました。妹の市(宮﨑あおいさん)が来て、確たる証があってからでは死罪は免れない、今なら追放で済んだから彼らは運が良かった、と兄の心情を慮りました。信長は「天下一統に情けなどいらぬ。血も涙もなき覇道の者、それが織田信長よ。」と自分に言い聞かせていました。そう言いながらも気持ちが沈んでいる兄に活力を与えたい市は信長にお願いをしました。「馬揃えが見たい。兄上にしかできないような華やかな馬揃えを。さすれば見た者は皆、明るい気持ちとなり、織田家の威光が世を照らし、きっと兄上も皆から親しまれる。」 追放となる安藤守就が別れの挨拶に来た羽柴家は、身内が皆集まってにぎわっていました。生まれて間もない孫娘の末が可愛くてしかたがない守就は末を抱っこしながら「安藤の名は消えるが血は残すことができた。これも小一郎のおかげだ。」と上機嫌でした。小一郎は義父に、どうかここにいてほしいと懇願、秀吉も戦や政に関わらなければ上様(信長)も許してくれるはず、と守就が去るのを引き止めていました。皆から口々に出る優しい温かい言葉に、守就は思わず嬉し涙があふれてきました。 そして夜が明け、守就は旅支度をしてまだ薄暗いうちに羽柴家を出ていこうとしました。そんな守就の行動を読んでいた慶と小一郎は門の外で待ち、再び守就を引き止めました。守就は娘夫婦の言葉を有り難く思いつつも、小一郎たちにあらぬ疑いがかからぬよう、自分と息子・定治のために路頭に迷うことになった多くの家臣を思うと自分だけ安泰なのは許せない、そんな思いから申し出を断りました。 守就は慶に「今、この場限りでお前との縁を切る。」と告げましたが、与一郎が生まれたときに我が子と縁を切ることの辛さを嫌というほど味わってきた慶は、父・守就と縁を切ることを拒みました。互いにかたくなな父娘に小一郎は「ならば縁は切らずに、またいつか慶や与一郎や末にまた会いに来てほしい。一度胸に刻まれた思いはず~と消えないから。」と言いました。守就は小一郎の思いを受け取り、またいつかと言って慶と小一郎に背を向け歩き出しました。守就はもう二度と戻らないだろう。二人には十分にわかっていて、守就の背に一礼しました。 天正9年(1581)2月、信長は京で盛大な馬揃えを行い、その勢力を諸国の人々に見せつけました。戦に出ている兄・秀吉の代わりに馬揃えを見物する役目を受けた小一郎は、京の町で長宗我部元親に出会いました。元親は少々変わった身なりの所以を小一郎に説明し、好き嫌いの話から「戦は好き嫌いでやるものではない。四国を一つにするのは我ら土佐の大願。」と思いを語りました。信長から許しを得た切り取り勝手で四国を着々と一つにまとめている元親は希望にあふれていました。 一方、明智光秀は馬揃えの采配を信長から褒められて安堵していました。しかし信長が次に言い出したのは、長宗我部の四国切り取りを認めるわけにはいかない、気が変わった、元親をうまく説き伏せよ、ということでした。人の気持ちを無下にする信長に激しい怒りを覚える光秀。そこへ娘婿の信澄が誰かの言伝の文を持ってきました。それはかつて主として仕えた足利義昭からの文で、文には「信長を討て」と。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
July 1, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回いろいろとつい考えてしまったのは、荒木村重(トータス松本さん)の、妻のだし(山谷花純さん)をはじめとした身内や城兵たち、つまり城主である自分に信頼を寄せていた者たちへの突然の裏切りでした。 常日頃から自分をぞんざいに扱い冷遇する相手とかビジネスの相手なら、こういうことを突然やっても「所詮はこんなものか」と思える部分もあるでしょう。でもそうじゃなく、常に自分を大事にしてくれて信頼しきっていたら、一番肝心なときに、残された者たちがどうなるか十分想像つくのに、一人だけ逃げていったのです。 この難局をどうするか、身内や家臣たちと事前に十分話し合い、「殿、お逃げください。」「殿さえ助かればお家の再興は…」みたいな展開なら、残された者たちも覚悟があったでしょう。それがまさか、いつの間にか一人消えてしまった村重。ドラマでは、わが身が可愛くて仕方がなかった人でしたね。 妻のだしは村重が逃げたと知ったときは悲しみと怒りで荒れ狂いましたが、最期、処刑される直前に夫として連れ添った村重との良い思い出を胸に命を終えました。でも村重に特別な情をもたない身内や家臣とその家族たちは、身勝手な主君を恨み、こんな形で死ぬことになる己の運命を情けなく思い、やるせなかったと想像しました。 そんなクズ男の話の後で、身も心も壊れそうな劣悪な土牢に閉じ込められた官兵衛(倉悠貴さん)がなんとか命を保てたのは、死が頭をよぎるたびに脳裏に竹中半兵衛が出てきて、幾度も半兵衛が自分を生へ引き止めてくれて意識が保てた、松寿丸の無事を聞いて生きる力がわいた、という流れはいいものだったと思います。 さて、まもなく本能寺の変ですね。この後で秀吉(池松壮亮さん)が一気に台頭してくるので、兄・秀吉をサポートする今作の主役である小一郎(仲野太賀さん)がどのような動きをするのか、楽しみであります。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正6年(1578)10月、摂津の有岡城(兵庫県伊丹市)城主荒木村重(トータス松本さん)が突然、織田方に反旗を翻して毛利方につく謀反を起こしました。旧知の間柄の小寺官兵衛尉孝高(倉悠貴さん)が村重を説得に向かうも、そのまま有岡城に幽閉されてしまいました。 官兵衛が幽閉されて1年の月日が流れた天正7年(1579)秋、若き城主・別所長治(下川恭平さん)の三木城(兵庫県三木市)を兵糧攻めにしてで取り囲んでいた羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)は、城の向かいの山に敷いた陣から連日、銅鑼や太鼓の鳴り物を盛大に鳴らし、空砲を放って威勢よく鬨の声をあげて、空腹にあえぐ別所方の士気を削いでいました。別所の兵の中には籠城に耐えきれずに乱心する者も出てきて、長治の叔父の別所賀相(田中美央さん)は毛利の援軍が来るまで待てと兵たちを鼓舞するのに必死でした。 そのころ羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)は有岡城に籠城した荒木村重との戦いの中にありました。いっこうに有岡城が落とせないことに苛立つ総大将の織田信忠(小関裕太さん)に小一郎は、有岡城の兵の士気の高さから、どこからか兵糧が運び込まれているのでは?と進言。小一郎の読みどおり、織田方の中に有岡城に密かに兵糧を運び込む兵がいて、小一郎はその者たちを説得してやめさせ、織田方の兵の団結をさらに強固なものにしました。 もう食糧は届かないと知った村重は、なんとかしようと土牢に閉じ込めてある官兵衛のところに行きました。有岡城から脱出する策を考えよと村重は頭を下げますが、狭い土牢に1年以上閉じ込められている官兵衛は体も精神も病んでいて、そんな官兵衛の姿が恐ろしくなった村重は慌てて逃げ出していきました。 食糧の補給が途絶えた有岡城では、村重の妻・だし(山谷花純さん)が家臣たちのことを案じて、もう信長に頭を下げるしかないと夫の村重に進言していました。数日後、村重からの打診を受けて小一郎は使者として有岡城に入り、話し合いの席にはだしも同席していました。村重は神妙な顔をしてこれまでの謀反を詫び、官兵衛は自分が無事に生き延びられたら解き放つと小一郎に約束しました。 小一郎が帰るときにだしが呼び止めました。実は小一郎は村重を説得するために先にだしを調略してあって、だしも皆を救うためにはこれしかないと考えてのことでした。最後にだしは、夫・村重を必ず助けてほしいと懇願、小一郎はそんなだしに「松寿丸は生きていると官兵衛に伝えてほしい。」と頼み、有岡城を後にしました。しかしその村重はだしを置いて密かに有岡城を脱出してしまい、それを知っただしは半狂乱に。自分だけが助かる道を選んだ村重を深く恨みました。 城主・村重が逃げた有岡城では兵たちの士気はすっかり衰え、いとも簡単に落城しました。織田信長は見せしめとして残された村重の家臣たちを全員処刑、村重の一族に至っては京の六条河原で斬首となりました。検分に立ち会った小一郎と最期の視線を交わしただしは、空を舞うつがいの鳥たちにやはり憎みきれなかった村重への思いを寄せ、刑に処されました。 だしを始め荒木の多くの家臣や家族の命を救ってやれなかったことに小一郎が胸を痛めているとき、信忠に呼ばれたと言って兄・秀吉が陣にやって来ました。小一郎は兄に、だしを調略したときに万一、村重が逃亡したらと考えたこともあったが、それを自分の中で無理やり否定していた、こんな結末にはしたくなかったと涙ながらに語りました。そんな小一郎に秀吉は「傲慢じゃ。何もかも思ったとおりにはならぬ。お前がやらねば追い詰められた荒木勢との激しい戦になって、より多くの血が流れた。助けられなかった命と同じく救えた命があることを忘れてはならぬ。自分を責めるな。」と言葉をかけて慰めました。その後で、秀吉が実は信忠に呼ばれたのではなく、傷ついているであろう弟のために自分から出向いてきたことがわかり、小一郎は兄の優しさをありがたく感じていました。 秀吉と小一郎と家臣たちは信忠の前に並び、有岡城攻略への力添えの礼と、これで別所を降伏させられると報告しました。信忠は、三木城では一人残らず討ち取れ、有岡城のような城主を取り逃がすような失態は許さぬ、父上(信長)ならそう申すはずじゃ、と命じました。また多くの血を流すのか・・と秀吉と小一郎が思ったとき、後ろから声がして、杖をついた官兵衛が入ってきました。官兵衛は「恐れながら!」と信忠に進言します。 「三木城を力で落としてはならない。私は播磨に生まれ育ち別所がいかに播磨の国衆から慕われているかを知っている。播磨の国衆は常に別所と共にある。総攻めすれば別所の城も領土もたやすく手に入るが播磨の民の心は手に入らない。逆に血を流さずに三木城の者たちを助けてやれば、他の国衆たちも心を開いて織田家に忠誠を誓うだろう。それこそが真の播磨平定。」 官兵衛は信忠を見据え力強く進言しました。それでも信忠は父・信長の御気色を恐れて力攻めがよいと考えているので、官兵衛は信忠自身の考えを求め、そして地面に伏して「何とぞ寛大なお下知を!」と訴えました。同じ気持ちの秀吉も小一郎も他の家臣たちも官兵衛に倣い、信忠に対して一斉に土下座をしました。その姿を見た信忠は、もとより播磨攻めの総大将は秀吉だ、好きにいたせ、と静かに命じました。 皆が去った後、官兵衛は劣悪な土牢にいつ終わるともわからないまま幽閉されていた、あのときの思いを語りました。「死ぬことばかり考えていた。でもその度に竹中半兵衛が脳裏に浮かび、我等の味方になってほしいと引き止める。松寿丸が生きていることを聞かされて、まだ死ぬわけにはいかない、半兵衛に借りを返すと決めた。」そう言って官兵衛は秀吉と小一郎にひざまずき「これよりは黒田官兵衛に生まれ変わりお仕えしたい。半兵衛に代わって必ずやお二人をお守りいたす!どうか今一度、私を仲間にしてほしい!」と強く訴えました。秀吉と小一郎は官兵衛に近づき、官兵衛は官兵衛、お主はとっくの昔から仲間だと、心から官兵衛を受け入れました。 兵糧攻めにあって戦う力もない三木城に秀吉たちが乗り込み、別所賀相と話し合いをしました。秀吉は、今となっては籠城を主導してきた賀相らは助けることはできないが他の者たちは助けると約束する、だから降伏するよう伝えました。賀相がそれを断るともう一人の一門衆で織田方についていた別所重棟(忍成修吾さん)が諫めましたが、賀相はまだ戦う力のある者はいるという考えでした。そのとき城兵たちが刀を抜いて秀吉たちを囲みました。 しかしこの者たちは官兵衛がすでに調略してあり、その刃は賀相に向けられていました。そして小一郎が奥の間にいた城主の長治をつれてきたので、秀吉が挨拶と共に降伏勧告をしました。なおも徹底抗戦を主張する賀相に対し、長治は叔父でもある賀相の胸ぐらをつかみ、最後ぐらいは自分が決めると言って降伏を受け入れました。長治はもう一人の叔父の重棟に声をかけ、重棟は久しぶりに顔を見た長治が立派に成長したのを見て嬉しく思いました。天正8年(1580)1月、別所長治は切腹、それと引き換えに家臣たちを助けました。 三木城の仕置きが終わり、秀吉たちはようやく居城の長浜城(滋賀県長浜市)に帰ってこれました。秀吉は寧々(浜辺美波さん)と、小一郎は慶(吉岡里帆さん)とそれぞれの妻のもとに帰ってきて、とりわけ子が生まれたばかりの小一郎は早く子らに会いたくてたまりませんでした。しかし誰よりも互いの再会を喜んだのは、1年以上も地獄のような幽閉を味わった官兵衛と、人質としてその身が危ういところだった嫡男の松寿丸(森優理斗くん)でした。「これからは、ずっと一緒じゃ。」官兵衛は松寿丸を抱きしめ、秀吉らに一礼しました。親子の無事な再会を共に喜んだ秀吉は、新たな軍師となった官兵衛のためにその夜、宴を開きました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
June 24, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回はドラマ全体の中で私は、戦国の大河ドラマというよりはホームドラマ的な要素を強く感じて、若干物足りないと思いつつ、展開を見ていました。まあネットニュースで見る感想では、感動したという記事が多いようなので、世間的にはそうなのかなと思っています。 とはいえこのドラマ、時には考えさせられる場面もあります。例えば、毛利方に寝返った荒木村重(トータス松本さん)が説得にきた官兵衛(倉悠貴さん)と対峙した場面。村重が「お主はいつ寝返るんだ?顔を見たらわかる。わしはそうやって生き延びてきたから。」と迫りました。 自分はこう考えて、こうやって生きてきたから、相手も同じように考えて行動するだろう。このように思うのは、現代の我々でもよくあることです。人の思いは千差万別なのに、自分の考えることが絶対である人にはわからないのですよね。逆に小一郎(仲野太賀さん)と竹中半兵衛(菅田将暉さん)みたいに、互いに裏の裏を読みあうあれは、考えている間に熱が出そうですが。 ところで、半兵衛が長浜城に乗り込んで松寿丸を探し出すときに、妨害工作としてあちこちにしかけられていた罠というか障害物。あれを見たときに私は、2016年の大河ドラマ『真田丸』の第13回「決戦」にあった、第一次上田合戦のシーンを思い出してしまいました。あのときはドラマのセットであるがゆえに、上田城に仕掛けられた数々の罠がコンパクトに収まってしまい、上から見た状態が「風雲!上田城」などとも言われていました。あれももう10年前なのですね。でもこうして思い出したついでに、また『真田丸』も見たくなってきました。今、NHK-BSで月曜日に『八重の桜』を再放送しているので、次は『真田丸』をやってくれないかな。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正6年(1578)10月、毛利家外交僧・安国寺恵瓊(立川談春さん)によって摂津の有岡城(兵庫県伊丹市)城主・荒木村重は毛利方に寝返りました。毛利輝元(濱正悟さん)は軍議を開き、これから織田信長とどう対峙するのかを考えていました。備前岡山城主の宇喜多直家(緋田康人さん)は、自分が全軍を率いて織田を打ち破ると息巻いています。輝元は、この戦は播磨の国衆たちを救うものだがそこに大儀はあるのかと直家に問い、直家は織田は必ずこの毛利の所領に攻め入ってくる、と主張しました。輝元は、信長は力に任せて真の信を得ていない、だから多くの家臣に裏切られ愚の骨頂だ、という考えでした。 その荒木村重(トータス松本さん)のもとにはまず明智光秀(要 潤さん)が向かい、上様(信長)は今、弁明に参上すればなかったことにするとのことだ、と説得をしました。しかし村重は、信長が自分に寄せる信頼など薄氷のようなもの、だから冷たい水に落ちる前に差し伸べられた命綱をつかんだと説得には応じず、最後に光秀にも気をつけるよう言いました。 一方、書写山の円教寺(兵庫県姫路市)に陣を構えていた羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)は軍議を開き、謀反を起こした村重への対策を協議していました。小寺官兵衛尉孝高(倉悠貴さん)が村重とは旧知の間柄だから自分が説き伏せてくると名乗りをあげました。しかし軍師の竹中半兵衛尉重治(菅田将暉さん)は、村重をこのまま討ち取って見せしめにするべき、今思いとどまらせたところで村重という男ははまた裏切る、と意見しました。このままこうしていても埒が明かぬと官兵衛が村重のところに向かおうとすると、半兵衛が「行ってはならん!」と大声で怒鳴って官兵衛を止めました。半兵衛は真剣に官兵衛のことを案じていたのですがその直後、官兵衛が倒れこんでしまい、皆が半兵衛への対応にバタバタしている間に官兵衛は勝手に陣を出てしまいました。 官兵衛は有岡城に到着して村重と話をしました。上様に話せば許してもらえると官兵衛が言っても村重はとてもそのようには思えず罠にはまるだけだと言い、さらに官兵衛にわしは折を見ながら手のひらを反して生きてきた、お主はいつ織田に手のひらを反すのだ?と迫りました。話にならないと悟った官兵衛が出ていこうとすると高山右近(市川知宏さん)が立ちふさがり、官兵衛は刀を構えた家臣たちにとり囲まれました。村重は、いざという時に人質として役に立つかもしれないから官兵衛を生かしておくよう、さらに官兵衛が我らに寝返ったと噂を広めるよう右近に命じました。 官兵衛が村重に寝返ったという噂は本当なのか?と秀吉たちが悩んでいたら、弟の羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)が信長からの書状を持ってきました。書状には「人質としている官兵衛の息子・松寿丸を始末せよ。」とあり、秀吉はさらに悩みました。そのころ松寿丸(森優理斗くん)は秀吉の居城である長浜城(滋賀県長浜市)に預けられていて、秀吉の正妻の寧々(浜辺美波さん)が面倒をみていました。 秀吉も小一郎も、我が子を人質として出している官兵衛だからこうもたやすく裏切れるはずがない、と考えていました。そこへ病床から半兵衛が起きてきて、上様への対応は自分が引き受ける、自分にはさほど時間が残されていない、松寿丸は自分が助ける、と言いました。その策は、松寿丸と年恰好の近い病で亡くなった子を探し出し、その子の首を松寿丸として上様に差し出す、万一嘘がばれたら自分がすべてその責めを負う、というものでした。半兵衛に少しでも生きていてほしい小一郎は、今無理をしたら体に障ると引き止めましたが、秀吉は半兵衛に「頼む」と言い、半兵衛は長浜に向かいました。しかしその後で小一郎は、半兵衛は松寿丸を殺すつもりかもしれない、と思えるようになりました。兄の秀吉にそのことを訴えると、秀吉は実は半兵衛の意図を見抜いていて、その上で半兵衛を長浜に行かせたのでした。 そんなころ臨月を迎えた小一郎の妻の慶(吉岡里帆さん)のところには父の安藤守就(田中哲司さん)が来ていて、長らく会えなかった孫の与一郎(高木波瑠くん)の成長に目を細め、じじ様と呼ばれることに照れくささを感じていました。 そんなとき半兵衛が長浜に到着し、寧々が対応していました。寧々は、松寿丸は今それぞれの者に別れの挨拶をしているから待ってほしいとか、半兵衛に松寿丸を連れていく理由を訊ねたりして、まるで時間を引き延ばしているかのようでした。そこへ秀吉の姉・とも(宮澤エマさん)と妹・あさひ(倉沢杏菜さん)が「松寿丸がいなくなった!」と飛び込んできて、女たちの様子がなにかおかしいと感じた半兵衛は、小一郎が手を回しているのでは?と思いました。しかしそこは軍師の半兵衛です。自分の家来たちに数日前から長浜城の様子を見張らせていて、松寿丸はまだ城の中にいると判断しました。 寧々は松寿丸を絶対に渡さないと確固たる意志を見せますが、この城の造りがすべて頭に入っている半兵衛には通用せず、松寿丸は母のなか(坂井真紀さん)のところにいると推測してそちらに向かいました。その部屋にたどり着くまでにさまざまな妨害工作はしてあったけど、だんだん近づいてくる物音に松寿丸はおびえていました。すると反対側の扉が開いて小一郎が。最悪の事態を食い止めるため書写山から駆けつけたのでした。 城の中をどんどんと進んでいく半兵衛を寧々ら女たちが立ちふさがって止め、慶が「官兵衛が裏切った証はまだないのに、このようなまねは・・」と尋ねました。半兵衛は「時をかければ次々と同じように寝返る者たちが現れ織田は敗れる。寝返ればどうなるか、すぐにでも見せしめにしなければならないと上様は考えている。」と説明しました。 そんな状況の中、先ほど長浜に着いた小一郎が来ました。半兵衛は小一郎が後から来ることも想定内で、秀吉がどんな命令を出したのかを確認しました。小一郎は「兄の秀吉が口にできぬ思いをくみ取るのが弟であるわしの役目だ。共に同じ業を背負うと約束したから。」と言い、そして声を大にして「それはそなたとも同じだ!そなただけに責めを負わせることはしない。だから松寿丸を助けてほしい。」と半兵衛に求めました。 そのとき半兵衛の背後で母・なかが少年を連れて逃げ出そうとし、半兵衛はあれは替え玉だと考え、城の中を再び探しました。半兵衛が奥の奥にいた少年を見つけるとそれは小一郎と慶の子の与一郎で、自分の考えの裏の裏を読んだ小一郎に半兵衛は思わず苦笑いしました。しかし半兵衛の家臣たちが本物の松寿丸を探し出して連れてきてしまい万事休すーーと思ったら、慶が急に産気づいて倒れてしまいました。出産が始まるので、姉のともが男ども全員にすぐにこの部屋を片付けるよう、そしてこの部屋から出ていくよう命じました。 どれだけ時がたったのか、慶の夫である小一郎と父である安藤守就はただ赤子が無事に生まれるのを待っていました。そして元気な産声が響き、ともが部屋の中に入れてくれました。赤子は母のなかが抱いていて、小一郎は嬉しさや戸惑いや妻と赤子への愛おしさなどいろんな感情がわいてきて言葉が出ないまま、そっと慶の傍にいって慶の体を起こしました。「ありがとう。よう頑張った。」ーー万感の思いを込めてそう言って慶の体をいたわる小一郎。「これほど幸せな痛みはござりませぬ。私のほうこそ礼を。」ーーそう微笑んで小一郎を見つめる慶。母に促され赤子を抱いた小一郎は、これからは自分がこの子を守ってやるのだ、と心に誓いました。 そして小一郎は廊下で待つ半兵衛を呼び、赤子を抱いてやって欲しいと頼み、半兵衛は恐る恐る腕に抱えました。赤子を見つめる半兵衛は言葉もなく、静かに涙していました。それは書物を好み膨大な数の文字にふれて思考してきた軍略の天才・半兵衛にとって、経験したことのない感動でした。涙が止まらず自分の感情の整理がつかないままの半兵衛だけど、一つだけわかりました。「無垢な赤子を抱いた手で、子を殺めることなどできない」と。 半兵衛は小一郎に負けを宣言し、松寿丸は自分の城の菩提山城(岐阜県垂井町)にて密かに匿い、信長には替え玉の首を用意する、そして自分が亡き後のことは頼むと小一郎に言いました。心の底では自分も松寿丸を殺めたくなかった半兵衛だったのでやっとスッキリした気持ちになり、小一郎と心から笑い合えるようになりました。 後日、半兵衛は松寿丸の首だと言って偽の首を織田信長(小栗旬さん)に差し出し、首桶を見た信長も納得しました。信長は首を丁重に葬り供養するよう命じ、損な役目をよう引き受けてくれたと半兵衛に言葉をかけました。半兵衛は信長に、むしろ得をした心持ちだ、これまで戦った中で最も手ごわき相手であり最も面白き戦だった、と謎めいた返しをしました。そして半兵衛が「これでお別れでござりまする。天下一統のお役に立てず、申し訳ございませんでした。」と信長に挨拶すると、その意を理解したのか信長はかがんで半兵衛と目線を合わせ「大儀であった。」と静かに言葉を贈りました。 天正7年(1579)春、半兵衛は病で床に臥しながらも三木城(兵庫県三木市)を攻める秀吉の陣にいて、戦況を気にして力のない声で軍略を語り、戦場に出たいと言いだしました。もうこの世との別れが近いのだと感じた秀吉たちは、半兵衛の願いを叶えてやろうと即席の椅子で半兵衛を担いで、戦場が見える高台に連れていきました。 そのときは味方が押されていたけど、半兵衛が「風が変わる」とつぶやいたとき、宇喜多直家が織田方に寝返ったという報が入り、半兵衛はかすかにニヤリと笑いました。直家は自分の読みをはるかに上回る銭を差し出してきた織田に乗るのが面白そうだ、当主の輝元自身も裏切られる者が愚かだと言っていると、寝返りに後ろめたさはありませんでした。戦況は一気にひっくり返り、毛利軍が引いていきます。勝利を確信して喜び合う秀吉や小一郎たち。そんな彼らを見届けた半兵衛は、本当は自分もあの歓喜の輪の中にこれからもずっと一緒にいたかったのです。でも体中から力が抜けていき、桜吹雪の舞う中、一人静かに旅立っていきました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
June 17, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回は羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)が上月城を見捨てざるを得なかったショックから一時的な記憶喪失になり、秀吉を取り巻く皆があの手この手で秀吉を元に戻そうとする流れの中で、秀吉自身と皆の気持ちが交錯した感じでした。 でもやはり、秀吉の記憶がよみがえる強烈な鍵となったのは、弟の羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)と母のなか(坂井真紀さん)という家族の絆でした。記憶を戻したくない秀吉が思い出してまた前に進もうと決意できたのは、いつも苦労を分かち合い、それを乗り越えた後で一緒に笑い合った弟の小一郎がいたからでした。そして兄をなんとかしなきゃ!とあせって気持ちが煮詰まる小一郎をあおるのではなく、最悪の場合は秀吉はまた百姓に戻ればええ、と気持ちにゆとりを持たせて考える幅を広げてくれた母・なかの存在は大きいと思います。 ただそんな家族愛の話を挟みつつ、史実的に先のことがつい気になってしまうキーワードがあれこれ出てきました。前回は小寺官兵衛尉孝高(倉悠貴さん)の嫡男・松寿丸の名が出てきて、今回は荒木村重(トータス松本さん)のセリフで「生き残るにはそれしかなかった」という言葉と、ラストで村重が謀反を起こしたという展開です。 今回の冒頭の上月城に対する秀吉の残酷な仕置きのことは、うまく話を作ったなあという感じでした。でも次回、村重の妻・だし(山谷花純さん)を始め有岡城の家臣やその妻子の身に起こることをどう描くのか。予告では竹中半兵衛尉重治(菅田将暉さん)との別ればかりが出ていましたが、村重の謀反によって起こることのほうが私はつい気になってしまいます。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正5年(1577)、播磨に出陣した羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)は播磨の国衆を次々と従わせ、12月には毛利領との境にあり毛利方の要衝である上月城(兵庫県佐用郡)を攻略。弟の羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)も竹田城(兵庫県朝来市)を攻略して城代となっていました。しかし上月城落城後の秀吉の仕置きがあまりにもむごいという話を前野長康(渋谷謙人さん)から聞いた小一郎はすぐに兄・秀吉のもとに行き、事の真偽を確かめました。 秀吉に同行していた荒木村重(トータス松本さん)の話によれば、秀吉は上月城に対して降伏勧告を出していたが、城内の者は誰も応じず、秀吉たちが城に踏み込んだときには男だけでなく女も子供も、全員が自害していたということでした。皆すでに息絶えていて、秀吉は亡骸を丁重に葬るよう命じたけど、軍師の竹中半兵衛尉重治(菅田将暉さん)が進言しました。「この者たちは我らが殺したことにしよう。兵どもの首は落とし、女子のむくろは納屋に押し込んで火をつける。子は串刺しにして毛利方との国境にさらす。せっかくの屍の山、我らに逆らったら皆こうなると見せしめにするのです。」 自分には考えの及ばないことでしたが、秀吉も納得して官兵衛の意見を取り入れました。秀吉は自分が鬼のふりをして少しでも西国攻めを早く終わらせることができるならそれでよいと考え、官兵衛はこれで戦わずして我らに寝返る敵も増える、と読んでいました。小寺官兵衛尉孝高(倉悠貴さん)は、苛烈な仕置きは逆に恨みを募らせ敵をまとまらせてしまうと考えましたが、半兵衛はいっそ敵が一つにまとまれば狙いも定めやすくなり策も練りやすくなると意見しました。 官兵衛は、毛利が全軍をあげて織田に攻めかかってきたら織田の軍勢とてやすやすと太刀打ちできないから侮ってはいけない!と強く主張しましたそんな官兵衛に半兵衛は尋ねました。戦巧者でそこまで毛利のことをわかってる官兵衛が、なぜ織田についたのかと。官兵衛は言葉を選んで、今の織田には勢いがありこれからの世をつくるのは織田だと見極めたと言いましたが、半兵衛はそれを「実に曖昧で、それこそが今の播磨の国衆の状態。半信半疑のまま皆どちらかにつかねばと織田を選んだ者がほとんど。その者たちの気が変わらぬうちに一刻も早く毛利を倒さねばならない。やっかいなのは明らかな敵ではなく、腹の底が見えない国衆だ。」と現状を分析していました。 果たして、半兵衛の悪い予見は現実のものとなりました。東播磨にある三木城(兵庫県三木市)城主の別所長治(下川恭平さん)が織田に反旗を翻し、家老の別所賀相(田中美央さん)が加古川城を攻めるため出陣しました。秀吉も直ちに三木城に出陣すると決めたのですが、そこへさらに毛利と宇喜多の軍勢が上月城に向かったとの報せが入りました。上月城は尼子勝久(渡邊蒼さん)に託してあり、勝久は秀吉の援軍が来るまでの辛抱だと兵たちを鼓舞していました。秀吉は上月城にへ、小一郎は三木城に向かうことを決めたものの、羽柴勢だけでは手に負えないと判断し、主君・織田信長にも援軍要請をしました。 秀吉は上月城を助けるために高倉山に陣を敷いたけど、三木城の攻略を優先する信長は上月城には援軍を送らぬとのこと。半兵衛も信長と同じ考えで、三木城が手薄になれば別所に横腹を突かれる、上月城は見捨てざるを得ないということでした。秀吉は毛利に国を滅ぼされた尼子勢が自分を頼ってきたときのことを思い出していました。食うや食わずで逃げ回っていた勝久と家臣たちは秀吉が用意した粥を口にしたとたん涙が出るほど有難くて嬉しくて、生き延びた実感がわいた勝久たちは今の喜びを歌にして秀吉に返しました。尼子家再興を誓った勝久と共に毛利を討とうと約束した秀吉は、どうしたらいいのかと涙しました。 半兵衛は官兵衛と囲碁で対戦しながら、今は織田方についているけどまだどこか定まらないの官兵衛の胸の内を考えていました。半兵衛はもし自分が官兵衛なら、織田でも毛利でもなく自分がのし上がる策をとると言い、官兵衛も心の底でかすかに残っている本心を突かれたのか、しばし言葉を失いました。でもちょうどそのとき大粒の雨が降り出し、官兵衛は雨に紛れて囲碁の勝負をうやむやにしてしまいました。「時をかければ思わぬことが起きて勝ち負けを覆すこともできる。時さえあれば…。わしはそなたが妬ましい。」半兵衛は力なくそう言うと、その場に倒れこんでしまいました。 上月城の勝久たちに思いをはせ雨に怒りをぶつける秀吉。そんな秀吉のもとに半兵衛が倒れたと報せが入り、蜂須賀正勝(高橋努さん)はもう撤退の潮時だと進言しました。秀吉は上月城に向かって深く一礼し、引き上げを命じました。上月城では最後の粥を皆ですすった後、城主・尼子勝久は切腹、家老の山中幸盛(廣瀬友祐さん)は安芸国へ護送中に敵の手にかかり討ち取られました。 上月城から退却した秀吉の軍は毛利と宇喜多の侵攻を食い止めるため、書写山の円教寺(兵庫県姫路市)に陣を構えました。勝久たちを救えなかったことが悔やまれて仕方がない秀吉は毎夜うなされ、ある夜足を滑らせて庭に落ちたときに頭を強く打ってそれまでの記憶をすっかりなくしてしまいました。弟の小一郎が三木城から駆けつけてきても、御仏の前でただ祈る秀吉は小一郎のこともわからないほど記憶をなくしていました。 元は僧侶だった宮部継潤(ドンペイさん)は、この世には人の理では解けぬこともあると言い「ここの柱に己の名を刻んで願掛けすればどんな願いも叶う。ただしそれと引き換えに書いた者の身には大きな災いが降りかかる。」と住職から聞いた柱にまつわる話をしました。官兵衛はそんなのは世迷言だと受け入れませんが、宮部はこの世には不思議な因縁もある、と考えていました。 それからは小一郎、蜂須賀、宮部らそれぞれが秀吉の記憶を取り戻そうと必死に過去の出来事を語りました。しかし秀吉の記憶はいっこうに戻らず、官兵衛はこのことを上様(信長)に報せ、小一郎が秀吉の代わりを務めるのがよいと強く小一郎に進言しました。しかし自分は兄ほどの器量はないと自覚する小一郎は官兵衛に、今の話は聞かなかったことにするとくぎを刺しました。 そのころ完成を目前に控えた安土城では城主・織田信長(小栗旬さん)が荒木村重を呼び出していました。完成したらさぞや素晴らしい城にと安土城を称える村重に信長は、「安土城ができあがった姿をお前にも見せたかった。残念じゃ。」と村重は完成を見ることがないと示唆しました。信長は刀を手に取り、村重の家臣が毛利と内通していると聞いたと言って近寄り、ことの真相を訊ねました。信長に疑われたら命はないので村重は必死に弁明しました。しかしそんな弁明が信長に通用するはずもなく、信長は村重が手土産で持参した饅頭が毒入りかもと、饅頭をすべて食べるよう命じたところ、村重はすべての饅頭を口に押し込みました。信長はようやく村重を許して帰しました。 村重が有岡城(兵庫県伊丹市)に戻ると、内通の件で調べていた中川清秀(すがおゆうじさん)と高山右近(市川知宏さん)が毛利輝元の使いだと言う外交僧の安国寺恵瓊(立川談春さん)を連れてきました。恵瓊が話を始めると村重は話を聞くことを拒否、そして村重はそのとき清秀と右近が毛利と通じていたようだと感づきました。ただ恵瓊は去り際に「織田信長という男は一度疑いをかけた者をやすやすと許すようなお方であろうか。誤解されればよいが。」と村重に暗示をかけていきました。 秀吉の記憶はなかなか戻らず、弟の小一郎に対してもいまだに他人と同じ接し方でした。そこで小一郎は母のなか(坂井真紀さん)を長浜から呼び寄せ、母の手料理で兄の記憶が戻ることを期待しました。なかは秀吉を幼名の藤吉郎と呼び、藤吉郎のために焼きみそと粥をこしらえました。しかし粥の椀を手に取ったとき秀吉は突如、上月城で自分が尼子の兵たちに粥をふるまったときのことを思い出し、彼らを助けてやれなかった負い目も思い出して「わしは何も思い出したくない!」と言って椀を放り投げて退席してしまいました。 母・なかは息子の秀吉の取り乱しようを見て、もうこのまま思い出さなくてもいいとさえ思いました。小一郎がそれでは家来たちが困るからそういうわけにはいかんと言うとなかは、お家のことは誰かにお任せして秀吉はまた百姓に戻ればいい、とまで言いました。 もう他に方法はないと考えた小一郎は、自分への災いを覚悟の上で本堂の柱に己の名を刻み始め「どうか兄者を元に戻してくだされ。」と願掛けを始めました。その姿を見た秀吉は「小一郎殿、そなたに災いが降りかかる。」と言って小一郎を柱から引き離しました。小一郎は「兄者にとっては忘れたままのほうがいいだろうけど、わしはそんなのは許さぬ。兄者が誘ったから今のわしはここにおるんじゃ!」と真剣に訴えました。 秀吉の心の中に二人で一緒にやってきた時間が流れました。そして小一郎が再び柱に名を刻み始めたとき、秀吉はたまらず「やめんか、小一郎!」と呼んで小一郎を引き離しました。そのとき小一郎は、兄は記憶を取り戻したのだとわかりました。そして秀吉は、実は母の顔を見たときから思い出していたと打ち明け、母・なかもそうだと思っていたと言いました。秀吉は、こんな情けない自分に戻りたくなかったから記憶がなくなったフリをした、でも自分にも忘れたくない思い出がたくさんある、小一郎のおかげで思い出した、と語りました。なかは、侍として大出世した息子だけど、言葉にしないだけで本当はたくさん傷ついていたことに思いをはせました。 小一郎は秀吉に「よかった」と安堵しながらも、兄の忘れたフリで振り回されたことに腹が立ち、思わず怒鳴りました。でもやはり兄にはこれからも苦しいことが山ほどあるだろうと思い、その災いを自分が半分引き受ける覚悟で柱に刻んだ名を残しておくことにしました。皆は、これでいつもの秀吉に戻った、いつもの兄弟に戻ったと安堵して喜び、息子たちの姿に母は静かに涙を流しました。 気持ちを立て直した秀吉は士気高く、三木城を落とすための軍議を開きました。ところがそのとき急使が来て、有岡城主・荒木村重が謀反を起こしたとの報を持ってきました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
June 10, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回では竹中半兵衛尉重治(菅田将暉さん)に加え、これから羽柴筑前守秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)の強力な軍師となる小寺官兵衛尉孝高(後の黒田官兵衛;倉悠貴さん)との出会いがありました。 半兵衛と官兵衛、二人の知恵者の静かな戦いでした。先回りする知恵と行動で秀吉への忠誠をアピールする官兵衛。官兵衛の力量を認めながらも、自分とは正反対で快活で堂々とした官兵衛がちょっと面白くない半兵衛。そして同じくらい知恵が回る秀吉は二人のやり取りを興味深く眺め、両者がそれぞれに気分よく働けるよう言葉を添えていて、これがリーダーとなる人の姿なのかな、とも思いました。 そして兄・秀吉より竹田城の攻略を任された羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)は、相変わらずというか、彼の基本は敵味方双方が無駄な血を流さないことでした。ただそのための方法がなかなか見つからなくて総大将としての命令が下せず、でもそれを同行した藤堂高虎(佳久創さん)や宮部継潤(ドンペイさん)や前野長康(渋谷謙人さん)がうまくフォローしていていました。そして戦いの後は敵兵にも情けをかけ、うまく事を成し遂げた最後は皆で笑い合っていました。こんな光景を見たら敵方の家臣たちも、これからは気持ちよくこちらに臣従しようと思えるでしょうね。 とはいえ、そういつも万事円満にはいかないのがこの時代です。ラストでは上月城で秀吉が敵方に対してこれまでにはなかったような苛烈な処断をしていて、小一郎は耳を疑いました。秀吉はなぜこんなことをしたのか。来週の展開に興味津々です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正5年(1577)10月、羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)は主君・織田信長(小栗旬さん)から毛利攻めの足掛かりとして播磨(現在の兵庫県南西部)への出陣を命じられました。しかし播磨は2年前から摂津(兵庫県伊丹市)有岡城主の荒木村重(トータス松本さん)がすでに調略を始めていて、地元の国衆を味方につけて毛利攻めの足場を固めていました。 出陣の話を聞いた福島正則(松崎優輝さん)と加藤清正(伊藤絃さん)は秀吉に同行を願い出ました。しかし今の播磨は赤松や別所らの大小さまざまな国衆が存在し、織田派と毛利派に分かれて対立していました。播磨に手を出すということはその先にいる毛利ともにらみ合うことで一筋縄ではいかない、と秀吉は二人を戒めました。 一方、弟の羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)ですが、妻の慶(吉岡里帆さん)とようやく心が通い合うようになり、夜空を眺めながら出陣前の酒をたしなんでいました。慶は連れ子である与一郎を大事にしてくれる小一郎に礼を言い、小一郎もまた、先だっての起請文の件の礼を伝えました。憂いがなくなり、わだかまりが解けた後のおいしい酒に、慶と小一郎は互いに幸せを感じていました。 そのころ摂津の有岡城では、高槻城城主の高山右近(市川知宏さん)と茨木城城主の中川清秀(すがおゆうじさん)が城主の荒木村重を訪ね、播磨に秀吉が入ることに憤っていました。村重は、今は信長には逆らえないからと二人をなだめつつも、これまで播磨で築いてきた国衆とのつながりを活かして秀吉に貸しを作ってやろうと考えていました。 ほどなくして秀吉たちは播磨国の姫路城に入り、城代を務める小寺官兵衛尉孝高(倉悠貴さん)が出迎えました。村重は官兵衛に、これからは自分に代わり播磨は秀吉が治めると紹介し、官兵衛は信長が最も信を寄せる家老の筆頭は秀吉であると噂を聞いている、と言いました。小一郎が噂の出所を官兵衛に訊ねると、官兵衛はそれは自分だ、噂となれば人を動かす力となる、実際その後で秀吉に従うと決めた国衆も多い、と答えました。 そして官兵衛は、これからも信長と秀吉の力となると宣言し、城代として座っていた座を秀吉に譲って勧めました。秀吉は遠慮しましたが官兵衛は、今よりこの城は秀吉に譲るときっぱりと言い、一同は驚きで顔を見合わせました。城代の官兵衛が勝手にそんなことをしていいのか?と小一郎が問うと官兵衛は、このことはすでに城主の小寺政職は承知している、政職は織田方につくよう自分が説き伏せた、政職だけでなく赤松や別所にも織田方につくよう説得したと、言いました。しかもその方法は、赤松と別所を互いに疑心暗鬼にさせて織田方につくよう仕向け、この両家が織田方についたことで周りの国衆たちも黙って従った、というものでした。 官兵衛の手際の良さと強引さに、それで大丈夫なのかと心配になった小一郎が訊ねると官兵衛は、今の播磨には真の国主はいない、少しくらい強引でも信長のような強い人にこの地を治めてほしい、と考えを伝えました。信長に心から仕える姿勢を見せる官兵衛に秀吉は大変満足していましたが、小一郎はこの話をどう思うかを竹中半兵衛尉重治(菅田将暉さん)に訊ねてみたところ、半兵衛は演技か本当か居眠りをしていました。 官兵衛は自分の策略を軽く扱われたと思ったのか半兵衛に対し、知略の師として名高いお方にはこれぐらいのことは当たり前で退屈かな?とやや挑発的に言いました。半兵衛は、全ての国衆に人質を出させてほしいと要求しました。たしかにそれなら上様(信長)へのなによりの臣従の証となると秀吉も賛同し、官兵衛にそれができるかを訊ねました。すると官兵衛は、まず初めに自分の嫡男の松寿丸を差し出すと言い、そうすれば皆も信じて従う、と答えました。半兵衛と官兵衛、これが二人の軍略家の出会いでした。 その数日後、織田への臣従を誓うために、秀吉のもとに播磨の国衆たちが出仕しました。ところが別所長治の名を呼んだところ、来たのは長治の叔父で一門衆の別所賀相(田中美央さん)でした。賀相は長治が不調だから代役で来たとのことでしたが、当の長治は東播磨にある三木城(兵庫県三木市)で元気に剣術の稽古をしていました。一門衆でもう一人の叔父の別所重棟(忍成修吾さん)は長治に、やはり秀吉に挨拶に行ったほうがいいと進言しました。長治自身は重棟の考えを尊重して織田につくと決めていました。だから今回は毛利寄りの賀相の顔を立てるために挨拶は行かなかった、という言い分でした。 一方、秀吉は播磨が統一されれば不要になるからと、三木城の12の支城を打ち壊すよう賀相に命じましたこれは三木城の守りの要なので賀相にはとうてい賛同できないもので、不快感が表情に出ていました。 播磨の平定が思いのほか順調に進み、秀吉はいささか拍子抜けしたようでしたが、小一郎はそんな兄を、荒木や官兵衛が労を重ねてくれたおかげだと戒めました。その官兵衛は謙遜しつつ、荒木では播磨を統一できなかった、秀吉を遣わした信長の采配は見事だ、と称えました。秀吉はこれで戻って上様から褒めてもらえるとご機嫌でしたが、半兵衛はそれは早計だと反論しました。半兵衛は、自分たちが気を緩めて退陣したら毛利はすぐにでも播磨に手を伸ばしてくると考え、官兵衛も同じ考えでした。半兵衛は、このままさらに西に進みまずは備前と播磨と美作の国境にある赤松政範が守る毛利方の上月城を落とすのが良いと進言し、秀吉も納得してすぐに出陣となりました。秀吉たちは上月城を目指して西播磨へ進軍を開始、その途中にある福原城に攻めかかっていました。軍議の場で半兵衛と官兵衛は意見が対立し、より味方の犠牲を出さないためにも、秀吉は今回は官兵衛の策を採用しました。しかし半兵衛は、自分の策の不備な点を官兵衛が指摘できるかどうかを試すために、わざと問題ありの策を出していました。秀吉もそれを見抜いていて、皆が出払って半兵衛と二人きりになったときに、少し不機嫌な半兵衛をなだめていました。ただ秀吉は、半兵衛がなにか生き急いでいるようにも感じたので、それを訊ねました。半兵衛は、自分は聖人君子にはなれない、戦が楽しくて仕方がないのだ、と笑っていました。 そのころ小一郎は、半兵衛がこの先の戦の財源として必要と考える生野銀山を手に入れるために、藤堂高虎(佳久創さん)と宮部継潤(ドンペイさん)と前野長康(渋谷謙人さん)と共に竹田城(兵庫県朝来市)に来て、城の向かいの山に陣を敷いていました。 互いに無駄な血を流さずになんとか城を明け渡すようもっていきたい小一郎ですが、やはり無理なことでした。悩む小一郎に、兄・秀吉と同じく面倒なことばかり言いだすと笑う高虎と宮部、そして前野は「総大将はお主だ。お主の思った通りにすればいい。我らはそれに従うのみ。」と小一郎を励ましました。 竹田城を向かいから眺めたとき小一郎は、あの城は水の手はどうしているのかと気になりました。井戸はすべて枯れているようだ、おそらく外から運びこんでいるのだろう、ならば城から出入りできぬようにすれば敵の水はすぐに底をつく、と宮部は進言しました。折を見て降伏を勧めれば互いに無駄な血を流さず、小一郎の狙い通りにいくだろうと考えました。小一郎はすぐに竹田城を強固に囲み、夜もかがり火を絶やさないよう命じました。 竹田城には水が手に入らなくなって7日もつかどうかになり、城主の太田垣輝延(中野英雄さん)は怒りと共に主君である自分を守るために半分の水を持ってくるよう、足りなければ上垣清重(松本実さん)ら側近たちも朝もやにまぎれて水に汲みに行くよう命じました。 しかし竹田城は連日、雲海に隠れることはありませんでした。朝もやは昼と夜の暑さの違いでできるーーもとは百姓で野良仕事をやってきた小一郎ならではの知恵でした。数日が過ぎていよいよ竹田城内に水がなくなり、頃合いを見計らった小一郎は城主の太田垣に降伏勧告をしました。しかし太田垣はそれに応じるはずもなく、援軍が来るまで徹底抗戦だと言い、水を持ってくるよう怒鳴っていました。 戦って双方の無駄な血を流したくなかった小一郎でしたが、降伏勧告は拒否され、しかも水枯れで城内の多数の兵たちは動けなくなっているので、もう総攻撃で片をつけるしかないのかと判断を迷っていました。するとそのときに別件を頼んでおいた高虎が「見つけた」と帰ってきたので、小一郎は決断しました。 かがり火をすべて消すよう命じると竹田城側もそれに気づき、夜が明けて朝もやがかかったときに上垣は兵たちを連れて水汲みに動きました。渇き地獄にあえいでいた兵たちは水場に着くやいなや、まず水を存分に飲みました。そして汲んだ水を城に持ち帰ると渇ききった城内の兵たちも水に飛びついてきたのですが、奥から太田垣が出てきて城主である自分より先に水を飲むなと命じました。兵が一歩下がり太田垣が水を飲もうとすると突然、太田垣の喉元に刀の切っ先がきて別の兵に羽交い絞めにされました。 刀を向けたのは水汲みの兵の恰好をした小一郎でした。小一郎は高虎に水汲み場を探すよう命じてあり、城内から兵たちが水を汲みにきたときに「お前たちを傷つけるつもりはない。」と織田方に降伏して協力するよう説得したのでした。それから城内に大量の水を運び入れ、すべての兵たちに水を飲ませてやりました。 やっと飲めた水を心からありがたく思い、まさに生き返った心地を喜ぶ兵たちを見て太田垣は、水を飲むな、こいつらを斬れ!、わしを助けよ!城主を守るのがお前らの役目だ!と大声で命じていました。しかし自分のことしか考えない城主に兵たちは誰も動かず、そして怒りが抑えきれなくなった小一郎は太田垣を素手で殴り「家臣の命をなんじゃと思っとるんじゃ!」と思わず怒鳴りました。ふだん温厚な小一郎の怒りに家臣の皆は驚き、でも殴って血が出てしまったことになにより小一郎自身が驚いていて、皆は笑いました。主と家臣が一緒に笑い合う、自分の周りにはなかった光景を太田垣は呆然と見ていました。「我らの負けでございます。」ーー上垣は太田垣に水を差し出して進言し、太田垣もようやく受け入れました。 こうして竹田城は無血開城となり、小一郎は竹田城の城代を任されることになりました。太田垣の身柄は山名が守る有子山城に送り届けた、竹田城の残った兵たちは羽柴に臣従したい旨を宮部から報告を受け、小一郎は一安心しました。地の利がある兵たちを味方につけ、この城の修繕は高虎が張りきって進めていて、あとは・・と考えていたら前野が生野銀山の件を報告にきました。しかし前野の表情は硬く、上月城のことで良くない話を耳にした、兄・秀吉は大勝利したが、城兵のみならず女・子供にいたるまで惨い仕打ちをしたらしい、とのことでした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
June 3, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回はドラマ中盤の、松永久秀を演じる竹中直人さんの怪演と、それに呼吸を合わせて、身を乗り出して話を聞いたり、戯言と言われてがっかりしたりと、動きやセリフでリアクションする羽柴筑前守秀吉役の池松壮亮さんと、弟の羽柴小一郎長秀役の仲野太賀さんの演技に魅入りました。 秀吉と小一郎にしたら、松永を説得できるかどうかで主君の織田信長(小栗旬さん)から命をかけられ、松永との話でも途中から賭けになって松永にも命をかけられ、まさに生きてここから出て、その先も生きるには、という状況でした。 それにしても竹中さんのまことしやかなお宝の作り話の演技や、最後に大量の爆薬を狂気の中でぶちまけるシーンでは、画面を見ているほうも引き寄せられるし、松永に本当に振り回されて怒ったり落胆したり、最後は慌てて城から逃げ出すはめになる池松さんと中野さんの演技には、正直、笑っちゃいました。 ドラマそのものも創作だけど、脚本と役者さんたちの演技に魅せられるのは、ドラマの楽しみだと思います。 そしてドラマの前半、夫・秀吉のために長浜城を飛び出そうとする寧々(浜辺美波さん)を止め、身内一同と家臣一同の名を連ねた起請文を作らせた小一郎の妻・慶(吉岡里帆さん)のナイスアイディアと、起請文に先を争って我が名を書こうとする家臣たちの秀吉への思いには、静かな感動がありました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正5年(1577)能登国の七尾城(石川県七尾市)を救援するために柴田勝家(山口馬木也さん)を総大将として出陣した羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)でしたが、現地で勝家と対立して我慢がならなくなり、戦の途中でしたが家臣の皆を連れて長浜城に帰ってきてしまいました。 戦場から勝手に離脱することは重大な軍律違反であることは秀吉は百も承知であり、主君・織田信長(小栗旬さん)は当然怒り心頭です。安土城で秀吉は自分の思いを信長に必死に弁明して許しを乞いましたが、信長は秀吉が比叡山での出来事に続いて二度目となる命令違反に対して許す気はなく、沙汰が出るまで安土城の座敷牢に入るよう命じました。 弟の羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)は兄・秀吉をなんとか救えないかとあちらこちらに奔走しました。しかし丹羽長秀(池田鉄洋さん)も明智光秀(要 潤さん)もそれぞれに過去のしがらみがあり、上様(信長)への口添えはできないと断られました。勝家にも秀吉助命の文を送りましたが勝家なりの考えがあり、小一郎の頼みは拒否されました。 なにより秀吉のことで一番じっとしていられなかったのは妻の寧々(浜辺美波さん)でした。夫の助命嘆願のために長浜城を飛び出そうとした寧々でしたが、小一郎の妻の慶(吉岡里帆さん)に行くてを阻まれました。慶は寧々の懐から懐剣を取り出して自害しようとするのを止め、「どうしても安土に行きたいなら、家中の皆で参りましょう。」と提案しました。 小一郎は座敷牢にいる兄が気落ちしないよう、今あちこちに助命の口添えを頼んでいると言いましたが秀吉はそんな弟の優しい嘘を見抜いていました。そんなとき秀吉は信長からの呼び出しを受け、いよいよ切腹の沙汰が下るのかと覚悟して廊下を進みました。しかし廊下の途中でなぜかここにいるはずのない寧々がいて、幻でもない妻・寧々に秀吉は涙ながらに詫びました。寧々は意気消沈する秀吉と小一郎に明るく声をかけ、そして「皆で助けに参りました。」と告げました。 信長が秀吉に、二度にも及ぶ命令違反は断じて許せぬと言ったとき、「お待ちください!」と小一郎が御前に進み出ました。小一郎は懐から巻物を2つ出し、信長の前に広げました。それは羽柴家の身内と家臣たちが信長に忠誠を誓う起請文で、これに免じてどうか兄・秀吉を許すよう乞いました。そこには侍たちだけでなく、母・なかだけでなく姉や妹たち、もちろん慶も含め女たちの名と血判がありました。 どうかこれで兄の許しを!と思った小一郎でしたが、信長は起請文を足蹴にし、こんなものでは怒りは収まらぬと。しかし信長は、この者たちの願いが秀吉の天運を呼び寄せたのかと言って二人の前に座り、松永久秀(竹中直人さん)がまた信長を裏切ったことを伝えました。信長は、松永が心を許す秀吉と小一郎に、松永を説き伏せて自分の前に再びひざまずかせ、その折には松永が持つ最高の名器の平蜘蛛を差し出させるよう命じました。それができれば今回のことは許されるーー秀吉は「必ずや!」と小一郎と共に信長に誓いました。 織田信忠(小関裕太さん)を総大将とする織田軍は、松永が籠城する大和の信貴山城を取り囲みました。大和の支配権をめぐって松永とは長年対立してきた筒井順慶(永沼伊久也さん)は総攻撃をかけて早く攻め落としたいのですが、信長が欲しがる高価な茶器を抱える松永に簡単には手が出せない状況でした。信忠はあと一刻のうちに城内に説得に入った秀吉と小一郎が戻らなければ総攻めを行う、と決断しました。 その松永は降伏する意思はないので、最初は使者に来た者を斬り捨てる気でいました。でも使者がこの兄弟だったので無下にもできず、とりあえず話だけは聞いてやることにしました。二人は松永を説得しようと必死に食らいつきました。 松永は、平蜘蛛を差し出せば大和は自分のものになるのかと問うと、答えは否でした。その理由が筒井の若さだと聞くと松永は、信長からは大和はもらえないと考え、他にいくら住みよい領地があっても受け入れられない、ほしいのは大和のみ!と答えました。 なぜそこまで大和にこだわるのかを小一郎が問うと、松永は二人の前に近寄って座り、他言無用の話をしました。大和には、かつて吉野に南朝があったころ(1336~1392)に隠された膨大な金銀財宝があり、さらには唐や朝鮮から渡来した珍しい宝物が山ほどある、自分はその絵図も持っている、だから大和は誰にも渡したくない、と松永は答えました。 ところがそれはただの作り話で「戯言じゃ!ハッハッハ!」と松永は愉快そうに笑いました。松永の話を真剣に聞き入っていた秀吉は悔しがり、小一郎はあっけにとられました。それでも松永は、天下のことは信長に任せるしできる限りの協力もする、大和さえ自分に渡してくれたら、という思いは変わりありませんでした。 次に小一郎が松永は大和出身なのかと尋ねると、それは松永自身にも定かではなく、ただ松永は自分の父親が造形物でも絵画でも贋作造りの名人だったと言いました。そして自分の母は父の側女だった故に周りからは卑賎の子と蔑まれて幾度も悔しい思いをしてきたが、そんな自分を三好長慶だけは皆と分け隔てなく扱ってくれ、大和の地を任せてくれた、だから大和は渡したくない、と明かしました。 しかしその後で松永はまた、この話を信じるか?と問うので秀吉は思わず怒ってしまいました。でも小一郎は静かに信じると答えながらも、死んでしまえばそれまでだ、と言いました。それを受けて秀吉は、信長は松永を死なせたくないから許す理由が欲しかった、だから平蜘蛛を要求した、生きていればまた機は巡ってくる、今は平蜘蛛を信長に差し出して一緒に長生きしよう、と松永に訴えました。 二人の説得に心を動かされた松永は自分についてくるよう言い、奥の間に移動しました。そして二人の前に2つの平蜘蛛を出して見せ、一方は本物で一方は偽物と言い、もし本物を見抜くことができたら二人の言うことに従う、と言いました。ただしもし本物を見抜けなければ二人の首を取って信長に送り返すと言い、もう逃げることができなくなった二人のまさに命がけの勝負が始まりました。 とはいえ、いくら見比べてもどちらが本物なのか、二人にわかるはずもありません。時間だけがどんどん過ぎていき、ではどうしたらいいのかとなったときに小一郎がひらめきました。「まがい物はこっちじゃ!」ーーそう言って片方の釜を手に取り、高く掲げて廊下で割ろうとしたときに、松永が顔色を変えて「やめろ!」と叫びました。その声を聞いて思わず笑いがこみあげる小一郎と、小一郎の意を察して同じく笑う秀吉。「これが本物でござるな。では御免!」ーーそう言ってもう一つの偽物の釜を手に取り、今度はそれを思いっきり廊下に叩きつけて割ってしまいました。 小一郎は勝利宣言をし、松永も笑って負けを認めました。二人は松永の前に進み出て姿勢を改めると、小一郎は松永に人にまがいものはないと思う、偽りもいずれ真になる、松永殿は本物だ!と笑顔で思いを伝えました。小一郎の言葉が内心嬉しかった松永は二人に、お前たちこそ本物の大馬鹿者じゃ!と言葉を贈りました。 それから松永は支度をするために、二人には先に織田の陣に向かうよう言いました。命がけの勝負に勝ち、安堵の涙を浮かべて喜び合う二人。しかしそのとき奥から、何かが爆発する音が聞こえました。爆発が続き、もしや松永が!?と察した秀吉が急いで奥のほうに様子を見に行くと、松永が大量の火薬を自分の周りで次々と爆発させていました。 松永はこのまま死ぬ気になっていて、最後に「あの平蜘蛛は2つとも偽物。わしはとうとう本物を手に入れることができなかった。小一郎が先に壊そうとしたのは父が作った贋作。だけど壊したくなくて、その理由は自分でもわからん。」と思いを語りました。さらに「何が本物で、何が偽物かなんて、どうでもいい!偽物を愛でる信長の間抜けな姿を、あの世からとくと楽しませてもらうわ!」と狂気じみた笑いをした後、「千秋万歳、万々歳…」と謡いながら大きな甕に入った大量の爆薬を出し始めました。小一郎は兄・秀吉に逃げるよう言い、秀吉は慌てて平蜘蛛を抱えて城を飛び出しました。狂気の笑いの中で爆死した松永と共に、信貴山城の天守は吹き飛びました。 命からがら城から脱出し、偽物の平蜘蛛を持って信長の前に進み出た二人でしたが、信長に嘘は言えませんでした。信長からの切腹命令を覚悟して小一郎が、松永は偽物しか持っていなかったと説明すると、信長は「そうか」と意外なほどあっさりしていました。そして二人が役目を果たしたことは認めてくれ、戦場離脱のことは水に流してやると言いました。命が助かった秀吉は庭に降り、土下座をして幾度も信長に礼を言いました。信長は秀吉に、すぐに播磨での仕事をするよう命じ、秀吉も喜んでそれを受けました。 一連の出来事が収まった束の間の休息のとき、信長がくれた偽の平蜘蛛を二人で眺めながら、小一郎はふと思いました。おそらく上様(信長)は最初からこれを偽物と知っていた、でも兄者を助けるために安土ですぐに切腹させず、そろそろ謀反を起こすだろう松永の動きを待っていた、結局、松永のことも平蜘蛛のことも上様にとってどうでもよかった、兄者さえ許すことができれば、また松永も秀吉を死なせたくない信長の思いをうすうす分かっていたのだろう、と。 そんなことを思いつつ、小一郎が平蜘蛛の釜の蓋を開けて中を覗いてみると、1枚の紙片が入っていました。見てみるとそれは松永が戯言だと言っていた、南北朝時代の財宝の絵図のようでした。「今はできないけど、いつの日かこの財宝のことをわしらで確かめよう!」小一郎と秀吉の兄弟に胸が躍るような夢ができました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
May 28, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は小一郎(仲野太賀さん)の妻となったものの、登場以来ずっと顔が険しくて何かわけがありそうな慶(吉岡里帆さん)の抱えていた過去を知る回でした。 いつも明るく、互いに腹蔵なくポンポンと言い合う羽柴一家の中でただ一人、登場するたびにどこかイラついてかたくなな態度しかみせなかった慶でしたが、それには理由がありました。 織田家への憎しみをバネに生きようと思った慶。でも義姉のとも(宮澤エマさん)からは多少の疑惑の追及はあったものの、羽柴家の皆は明るくて、誰でも受け入れる人たちでした。なにより夫となった小一郎は、慶に無理強いはせず優しく、慶が心を開くのをずっと待ってくれています。辛くて心が傷つけば憎しみを持つエネルギーになるけど、羽柴家のこのメンバーの中にいては、憎しみが空振りに終わりそうですね。 この慶のかたくなな心を解いたのは、母・なか(坂井真紀さん)がちょくちょく出てきて慶を好意的に見ていたからだと思ってます。つまりなかが今回のハッピーエンドの陰の功労者であると。この先もなかは秀吉の天下取りの仕上げに大きな役割を持つから、そのときにどんなセリフが出てくるのか、楽しみです。 ところで堀池頼昌を演じた奥田瑛二さん。与一郎を演じた子役の高木波瑠くんに厳しくガミガミ指南してて、あれを見たときに私はふと、2015年の大河ドラマ『花燃ゆ』で奥田さんが似たような役をやっていたのを思い出しました。『花燃ゆ』で奥田さんは、吉田松陰の叔父の玉木文之進を演じて、たしかあのときもキレ気味だったか?松陰を厳しく指南していたように記憶しています。私は奥田さんの怒った顔しか記憶にないので、たまには違う表情も見てみたいです。次にまた今作で出番があったら、与一郎の「優しいおじじさま」の顔で登場して欲しいなあ、なんて思ってしまいました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正4年(1576)織田信長(小栗旬さん)は岩村城(岐阜県恵那市)を武田から奪取した褒美として家督を嫡男の織田信忠(小関裕太さん)に譲り、尾張と美濃のことは信忠に任せることにしました。そして信長自身は天下統一を見据え、水陸ともに交通の要衝地である琵琶湖東部の安土山に巨大な城を築き始めました。 安土城の築城が始まり、羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)の家臣となった藤堂高虎(佳久創さん)は石垣造りに精を出して張りきっていましたが、頭の回転が早くて正しいことを言っているものの気が短い高虎は、作業の方法で早々に現場の人夫たちと対立を起こしていました。話を聞いた小一郎は高虎を「一人では城を造れない。戦も一人ではできない。いざというときによき城があれば城が兵たちを守ってくれる。」と諫めました。でも高虎は納得ができず、不服そうに退席してしまいました。 一方、小一郎の兄の羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)は正妻・寧々(浜辺美波さん)との間に子ができなかったこともあり、朋友・前田利家の四女の豪姫を養女として迎えました。母・なか(坂井真紀さん)は「この子は寧々によく似た美しい姫になる。血はつながっていなくても長く一緒におると母親に似てくる。」と言い、その言葉に寧々は心が救われました。でも小一郎は妻の慶(吉岡里帆さん)との間に跡継ぎとなる子がいないどころか、一緒になって8年になるのにいまだ心を通わせることもかなわず、慶のことで悩んでいました。 天正5年(1577)能登国の七尾城(石川県七尾市)から援軍の要請を受けた信長は、柴田勝家(山口馬木也さん)を総大将とした総勢4万の軍勢を差し向けました。しかしすでに敵方・上杉の手に落ちている七尾城の救援をどうすべきかで、秀吉は勝家と激しく対立しました。 七尾城からの救援要請は敵の罠かもしれないから撤退をと主張する秀吉でしたが、勝家から、羽柴の家臣は急ごしらえの寄せ集めだから信用できない、羽柴は成り上がりだから、と秀吉は面と向かって皮肉を言われました。我慢がならなかった秀吉は織田家筆頭家老の勝家に、その成り上がり者に先を越されるのが恐ろしいのか!と言い返しました。秀吉に痛いところを突かれた勝家は激怒し、自分に逆らう者は上様(信長)に逆らうことと同じと考えよ!と言い、それでも秀吉は、負け戦で兵を死なせることのほうが上様への忠義に反する!と一歩も退かず、ついに秀吉は家臣を連れて戦場から勝手に引き揚げてしまいました。 さて築城のことでもめて面白くない高虎が町を歩いていると、小一郎の妻の慶が他の男と会って、どこかに立ち去ってしまうのを偶然見てしまいました。気になった高虎が男の後をつけるとまんまとまかれてしまい、その身のこなしから男は侍で、おそらくどこかの武将の間者だろうと推測し、それを主の小一郎に報告しました。 さすがに気になった小一郎が夕餉のときに慶に、いつも会っている男は何者なのかと素性を訊ねると慶は話をはぐらかした後急に真顔になり、もう会わないからこれ以上の詮索はしないでほしいと言って退席し、翌朝、屋敷を出ていきました。ところがその後で慶が時折り会っていたと思われる男がなぜか小一郎を訪ねてきました。男は村川竹之助(足立英さん)と名乗り、慶を救ってほしいと涙ながらに小一郎に訴えました。 村川から事情を聞いた小一郎は高虎を連れて、長浜から歩いて半日ほどの近江と美濃の国境にある宝久寺村まで行きました。そこには大人の村人たちに誘われて柿を取りに行く同世代の少年たちを一人寂しそうに見送る少年がいました。この少年こそ慶が生き別れとなった息子の与一郎(高木波瑠くん)で、小一郎はさりげなく近寄り与一郎に話しかけました。親しみをこめて自分に語りかけてくれる小一郎に、与一郎は初めは喜んで応じていました。でも途中で小一郎が織田の者だと気が付くと急に黙り込んで去ってしまいました。 与一郎は父方の祖父母にあたる堀池頼昌(奥田瑛二さん)と絹(麻生祐未さん)にこの村で養育されていました。頼昌は息子の嫁・慶の父・安藤守就が織田方に寝返ったために斎藤方が織田方に破れたので慶を許さず、与一郎と引き離して家から追い出しました。そのため慶は頼昌に仕える村川を通じて与一郎の成長を見守るしかなかったのでした。 小一郎たちは頼昌と絹が住まう家を訪ねました。そこには百姓の暮らしながらも立派な具足が一領置いてあり、これは戦で死んだ頼昌の息子の頼広のものでした。小一郎は与一郎を養子にしたい、頼昌と絹も我が家に迎えると申し出ました。しかし織田の世話にはならぬと固く決めている頼昌はこれを拒否、それでも小一郎は我が子・与一郎のことをずっと思っている慶のためにと、頼昌に食い下がりました。当の与一郎も生き別れの母をどこかで恋しく思えど、祖父母の前では自分の気持ちが言えませんでした。 小一郎たちがこの村に来て与一郎のことで話をしていることを聞きつけた慶が来て、勝手なことを!と小一郎に激怒しました。小一郎が、慶と与一郎が一緒に暮らせるようになればそれでいいと気持ちを伝えると、慶は少し落ち着きました。小一郎はかつて思い人だった直に心を救われたことを慶に語り、慶にとって与一郎は生きる支えなのだろう、と言いました。そして、あまりにもかたくなな慶の心の奥にそのような思いがあったことに、長い間気が付かなかったことを詫びました。こんなことでなぜ小一郎が詫びるのかを慶が訊ねると小一郎は、「わしらは夫婦だ。何でも力になるから、もっとわしを頼って欲しい。」と思いを伝えました。それでも慶は小一郎に反発しましたが、でもやっと、与一郎と一緒にいたいと涙ながらに本音を打ち明けました。 翌朝、小一郎は頼昌と絹と話し合いをしに家に向かいました。二人は畑にいたのでその前に小一郎は与一郎に弓を上手に射る方法を伝授し、うまくいったので与一郎も楽しそうでした。そこに頼昌が畑から戻ってきて、与一郎は現実に戻りました。与一郎のことを認めてもらうまでは帰らないと言う小一郎に、頼昌は矢をつがえて小一郎を狙って近寄っていきました。あわや!と言うとき、慶と村川が飛び込んできました。 実の母親の慶も交えての話し合いが始まりました。慶は小一郎の妻となってからも時折りこの村に来ては遠くから密かに与一郎を見守り、そして家が没落し百姓として生きるしかない頼昌と絹が幼い与一郎を抱えて荒れ地を耕す姿を見て申し訳なかったと詫びました。 慶は、母らしいことを何一つしてこなかった(できなかった)自分だから、今さら与一郎を我が手にとは言えない、ただ一つ、与一郎に織田を憎ませ、恨みを晴らさせるようなことはして欲しくない、ずっと織田を憎んできた自分だけど憎しみだけで生きていくにはあまりに苦しかった、与一郎にはそんな思いをさせたくない、と頼昌に必死に訴えました。 それでも気が済まないなら自分を討ってほしいと慶は頼昌を見据えて訴え、そこまでの覚悟があるならばと頼昌が頼広の刀を抜こうと構えると与一郎が「母上を斬らないでください!お願いします!」と頼昌の前に飛び出してきました。そして絹も出てきて、頼昌を止めました。絹は頼昌が慶を斬って以来ずっと太刀が抜けなくなったと言い、頼昌なりに罰を受けてきたから許してほしいと慶に言いました。そして頼昌が頼広と思って心の拠り所にしてきた甲冑を絹は、これは頼広などではない!と言って泣きながらなぎ倒しました。絹の心にはいつも優しく笑っていた愛息子の頼広がいて、慶も同じ思いでした。 与一郎を迎えに来たのは、我欲が一切なく、ただ慶と与一郎を大事に思ってくれる懐の広い男なのだと頼昌は認めました。そして小一郎に向かって改めて「どうか、与一郎をお頼み申します。」と、絹と共に深々と頭を下げました。 その後、長浜城に戻った小一郎は与一郎を養子に迎えました。高虎は石垣の件で対立した人夫たちに、あのときは言い過ぎたと詫び、同時に自分の考えをわかってもらうために紙に書いて皆に伝え、皆とも和解しました。与一郎も母の元で暮らす城での新しい生活に慣れ、若侍の加藤清正(伊藤絃さん)や福島正則(松崎優輝さん)らが釣りに誘ってくれることもありました。与一郎がはにかみながら初めて自分を「父上」と呼んでくれて、小一郎は内心嬉しくてたまりませんでした。 慶と二人きりになったとき小一郎は「わしはそなたが大切だ。だからこの先、何かあればわしがうまくいく道を必ず見つける。わしを信じてくれ。」と思いを伝えました。与一郎のことで小一郎が本当に優しくて心が広い人だとやっとわかった慶は小一郎に歩み寄り、小一郎の手を取り心を許したことを伝え、二人は抱擁し合いました。 しかし兄の秀吉が突然、城に戻ったとの報せがありました。戦はどうなったのかと問うと、実は勝手に帰ってきたとのこと。勝手な戦線離脱は重大な軍規違反で厳罰に処せられます。でも秀吉は「織田家を守るには、こうするしかなかったのだ!」と並々ならぬ覚悟でした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
May 20, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は命のやり取りがあるような緊張する場面はなく、城持ち大名に出世して名も羽柴筑前守秀吉(池松壮亮さん)と改め、弟の小一郎も名を羽柴小一郎長秀(仲野太賀さん)と改めた二人が新たな家臣を召し抱えるために広く公募して、今でいうオーディションを行った回でした。ふと面白いと思ったのは「関」という言葉です。そういえばこの字は「関所、関門、難関」などと使われるから通り道のような意味なのですね。 そして三ノ関でふと思い出したのが漫画の『ガラスの仮面』。少し状況は違うけど、ヘレンケラーのオーディションのとき、あのように部屋で待機する場面がありました。「どんなことがあっても動かないように」という試験監督の指示はあれど非常事態にどうするか。藤堂高虎(佳久創さん)石田三成(松本怜生さん)片桐且元(長友郁真さん)平野長泰(西山潤さん)、4人のそれぞれの性格が出ていました。 今作では描かれないだろうけど、役者さんたちの顔が後世の出来事を想像してしまう人選に思えました。クールで知恵が回るけど意外に頑固で律儀者の三成は後年、関ヶ原で最後まで豊臣に尽くす人物像が見えます。また且元は大坂の陣では豊臣と徳川の板挟みになって、でも豊臣を守るために奔走するも、豊臣からは裏切り者呼ばわりされてストレスフルになる未来が見えます。この先、子飼いの武将たちがどのような場面で出てくるのか、楽しみであります。 ところで藤堂高虎役の佳久創さん。ずいぶんと力持ちだからてっきりプロレスラー出身の方かと思ったら、自身は元ラグビー選手で、お父さんがかつて中日ドラゴンズで活躍した郭源治(かく げんじ)さんでした。そして佳久創さん、どこかで見た覚えが・・?と思ったら、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では武蔵坊弁慶の役をやっていました。あのときの源義経役は今回は竹中半兵衛役の菅田将暉さん。こういった共演で以前のことを思い出せるのもいいですね。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 天正3年(1575)長篠の戦いで宿敵・武田に勝利した織田信長(小栗旬さん)はその勢力を拡大していきました。近江の坂本城を明智光秀が、若狭の後瀬山城(福井県小浜市)を丹羽長秀が、北伊勢の長島城を滝川一益が、大和は筒井順慶が摂津は荒木村重が治めることになりました。 浅井長政が治めていた北近江の領地を信長から与えられた木下藤吉郎秀吉は長浜城を築いて城持ち大名となり、名を羽柴筑前守秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と改め、弟の小一郎も名を羽柴小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)と改めました。 年貢や役を免除した長浜の町には短期間に多くの多くの人々が移り住んで町は賑わい、それと同時に人々がさまざまな訴えを次々と奉行にもってきてなかなかさばくことができず、秀吉も小一郎も忙しい日々を送っていました。でもそんな様子を秀吉の義父・浅野長勝(宮川一朗太さん)は20年前には想像できなかった秀吉の出世ぶりを感慨深く思い、娘の寧々(浜辺美波さん)は良い夫を持ったと喜んでいました。その長勝はほどなくしてこの世を去りましたが、長勝は自分の一番の手柄は秀吉と小一郎の兄弟と縁者になったことだと周りに語っていました。 一方、夫・浅井長政の死後から2年、守山城(名古屋市守山区)に預けられていた市(宮﨑あおいさん)と3人の姫たちは、兄・信長のいる岐阜城で暮らすこととなりました。物心ついてから初めて伯父の信長と対面する姫たちは、信長の圧で緊張していましたが、長女の茶々(増留優梨愛ちゃん)は父の形見のお守りを胸に、気丈に信長に挨拶をしていました。 その後、信長は姫たちを退室させ市と二人きりになって互いの今の思いを語り合いました。市はあのとき信長が最後まで長政を助けようとしたことに礼を言い、信長はでも助けられなかったと市に詫びました。市はそんな兄の言葉を止め、長政を介錯したときは本当に辛い思いをしたが自分は前に進む、だから子供たちがそんな思いをしなくて済むような世を作ってほしい、と信長に訴えました。 さて長浜では、橋が老朽化しているとの訴えを聞いた小一郎は現地を見るために町に出て、その折に盗人騒ぎに遭遇しました。盗人と言われて人々から追われる大柄な男は、姉川の戦いで戦ったあの恐ろしく強い男だと小一郎は思い出しました。 大男は橋の上に来たら急に立ち止まって振り返り、自分は盗人ではないと訴え、追ってきた3人を打ちのめそうとしたので、小一郎は慌てて仲裁に入りました。男は、本当の盗人は我が身を守るために殺したといい、血のついた巾着を出して証としました。 話はついたので小一郎は男に、先ほどはなぜ橋を渡らずに折り返したのかを問いました。すると男は、足場の悪さから橋脚が腐っていると判断したと言い、でもそれより自分をこの地で家臣として推挙して欲しいと小一郎に迫りました。元は浅井の家臣だっただろう?と小一郎が男に問うと、男はこの2年の間に主を数度変えて転々としていたと言い、自分はどこに行っても嫌われると語りました。男は藤堂高虎(佳久創さん)と名乗って去っていきました。 越前一向一揆(1575)から城主の秀吉が戻ってきました。働いた手柄を他の者に持っていかれたと秀吉は愚痴をこぼし、小一郎もいろいろと疲れたと愚痴をこぼしていたら、軍師の竹中半兵衛尉重治(菅田将暉さん)が長浜城に着きました。天守の最上階から領地を見渡し、半兵衛は地の利を生かした美しき城だと称えました。しかしこの城には肝心なもの、つまり"人"が不足している、と半兵衛は指摘しました。代々続いてきた名門の武家とは違い、百姓から一代で身を興した秀吉には子飼いの家臣が少ない、それは秀吉の弱みなのでこの先の戦場でも国づくりにおいても、信用できる有能な家来を召し抱える必要がある、それも羽柴家の行く末を支えていく若い才を、と半兵衛は進言しました。 こうして有望な家臣を選ぶために広く呼びかけて、多くの者が城に集まって試験が始まりました。秀吉はまず城主である自分は百姓の出であると打ち明け、どんな身分の者でも才があれば家臣として3人召し抱える、存分に自分の腕前を示せ、と皆に告げました。 試験の一ノ関では槍の腕前の披露で、そのとき秀吉は藤堂高虎を見て姉川の戦いのときの男だと気が付きました。大半の者が戦う前に脱落したこの試験には妙な点があり、片桐且元(長友郁真さん)と平野長泰(西山潤さん)と石田三成(松本怜生さん)はそれに気づいていましたが、高虎は相変わらず短気に突っかかってくるので、小一郎は次に従わぬときは容赦なく落とすと高虎に忠告しました。 二ノ関では算術の試験で、ここに積んだ兵糧米がいつまでもつか、という計算でした。多くの者が「12日」と答える中、三成だけは「20日。粥にすれば量が増す。」と答えました。でも高虎だけは「一日ももたぬ。その理由はこの俵は炭だからだ。」と言い、高虎の眼力に秀吉は感心しました。 三ノ関は座禅で、元は僧侶の宮部継潤(ドンペイさん)からは「よし」と言うまでは身動きしないよう、皆は命じられていました。そのときお堂に煙が入ってきて、これもまた何か細工があるのだろうと皆は思っていました。上からの沙汰を守り動かぬほうが正しいか、臨機応変に己の判断で動くべきか。そんなことを考えていたら高虎がこれは火事だと判断して皆をお堂の外に追い出しました。且元と長泰も動くべきだと判断して外に出て、その折に且元は、まやかしの煙と思いつつ万が一を考え、ご本尊と経典を持ち出してきたと言い、継潤は感心しました。そして高虎はお堂に引き返し、あくまでも動かない三成を抱えて外に運び出した後、心配した高虎は医者を呼ぶよう頼みました。しかし三成は継潤の命に従って動かなかっただけでした。何か目についたらすぐに動き出す高虎のことを小一郎は「バカ正直な男で己の思ったことを口にして思ったままに動く。短気なのはそれだけ素早く知恵が回る証。周囲は奴の考えに追いつけず腹立たしくなるから何度も主君を変えた。でも奴のやってることは間違いではない。周りに理解されないだけ。」と評し、秀吉も納得していました。 最終的に且元と長泰と三成と高虎が残り、この4人で話し合って3人が残ることが最後の関でした。「うまく相手を調略せよ。」秀吉はそう言って4人だけを部屋に残し、他の者と共に部屋から出ていきました。 4人での話し合いが始まりました。互いに発言しにくい中、まず三成が且元に、有能で他に仕官の道があるであろうから折れてほしいと言いました。しかし且元も、長く仕えていた浅井家が滅んでしまって家族の皆がその日暮らしの身なので引くわけにはいかぬ、と反論しました。でも三成も同じ境遇で、兄は自分が出世できるよう身を粉にして働いて学問をさせてくれた、と語りました。 合理的に物事を考える長泰は、それぞれ互いに事情はあるのだから、逆に誰が羽柴家の家臣として一番役に立たないかを考えてはどうかと提案して早速、高虎がふさわしくないと発言し、皆に同意を求めました。且元が言いにくそうに同意し、長泰が次に三成に考えを求めると、先に高虎が自分もそう思う、いろいろ失態をやらかしたから何も言えない、自分は差し迫った事情もないからこれが一番丸く収まる、と発言しました。これでまとまったと安堵する長泰と且元が席を立とうとしたとき、三成が考えがあると言いました。 考えをまとめた4人は秀吉の前に進み出ました。秀吉が誰が外れるかを問うたとき三成が、誰も外れない、自分と高虎の二人で一人分の禄でいい、だから4人とも召し抱えてほしい、と申し出ました。三成は高虎がたとえ勘違いであったとしても寺で自分を助けようとしたことは事実、自分はそのような借りを作るのは好きではない、と言いました。高虎はそのようなことは気にしないでくれと言ったが三成はなんとも強情だと言い、全員を召し抱えてくれるよう、4人で改めて秀吉に懇願しました。さらに三成は、殿(=秀吉)が相手を調略せよと命じたので今は殿を調略している、と堂々と発言しました。 三成の言い分に思わずニヤリと笑ってしまった小一郎。同席している他の重臣たちも笑い、でもその後で秀吉は4人に結論を言い渡しました。瞬時に姿勢を正して秀吉を見据える三成と且元と長泰。3人はそのまま秀吉の家臣に召し抱えられました。 高虎だけはずっと顔を上げることができず、名を呼ばれなかったと確認したとき、3人に祝いの言葉を伝えてその場を去ろうとしました。しかしそのとき秀吉が高虎を呼び止め、そういう気の短かさがお前の短所だと小一郎に言われただろうと言い、「そなたは小一郎の家臣となれ。」と命じました。思いもよらぬ展開に驚く高虎。秀吉は皆にも同意を求め、これで本当に丸く収まったと誰もが安堵しました。 その後で小一郎は、家臣となった高虎を自分の屋敷に連れていき、一部屋を与えました。なぜ自分を家臣に?と問う高虎に小一郎は、橋の上での出来事でのことを話しました。あのとき橋が壊れそうだったけど高虎は自分だけなら渡って逃げることができた、でも追いかけてきた連中が壊れた橋から落ちるかもと考えて向きを変えたのでは?と問いました。高虎は答えました。あれしきの堀なら落ちても大事はないと思っていたが、万一頭を打って溺れる奴がいたら、友は姉川の戦いで目の前で溺れ死にあんな眺めは二度と見たくなかった、と心の内を語りました。 そんな高虎に小一郎は「お前は気は短いがいざという時に人を助けることができる男だ。あのときからお前を家臣にしたいと思っていた。わしにとっての初めての家臣だ。よろしく頼むぞ、高虎。」と思いを伝えました。小一郎の優しい眼差しに高虎は土下座し「この藤堂高虎、身命を賭してお仕えいたしまする。」と男泣きしました。 新たに家臣となった4人を迎える宴が重臣たちで開かれ、酒を飲み歌い踊り盛り上がっていました。楽しそうな皆の様子を眺めながら秀吉と小一郎は、よき家臣たちに巡り合えたことを喜びつつも、国を治めることはたやすいことではない、まだまだこれからだと気持ちを新たにしました。そんなところに母・なか(坂井真紀さん)が入って来て、「あんたらならできる。あんたらだからこそできるんだ。あんたらはずーっと向こう(家臣)側にいた。あのころあんたらがいてほしかったと思うような大名になれ。」と息子たちを励ましました。そして大名の母にふさわしく新調した着物を自慢をして退席していきました。小一郎は「百姓あがりのわしらは皆と一緒に泥まみれになったらいい。」と言い、秀吉も「みなわしらの宝じゃ。よき夢を見よう。」と兄弟で決意しました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
May 15, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は朝倉・浅井の滅亡が背景となった回でした。ただ、純粋に感動された方には申し訳ないのですが、私は終盤の小谷落城で脚本や演出が感動を意識し過ぎたのか、落城寸前の緊迫感がまるでない部分が気になってしまいました。 その前にちょっとこれは無理なのでは?と思ったのが、朝倉義景(鶴見辰吾さん)が最期を迎えるシーン。同行した朝倉景鏡(池内万作さん)が甲冑姿の義景の後ろから刀の一撃で首を落としたのですが、兜には「しころ」といって、首を守るパーツがあるのです。英語では「neck guard」となっています。義景が戦闘不能な状態でもないのに、こんなことできるのかな?と気になってしまいました。そして終盤の小谷城。主君・信長(小栗旬さん)に秀吉(池松壮亮さん)と小一郎(仲野太賀さん)と柴田勝家(山口馬木也さん)が、市(宮﨑あおいさん)を救いたい一心で訴え、城内に入ったら口下手な勝家が口の達者な秀吉と小一郎に市の説得を任せた、この場面まではよかったです。 でも、浅井長政(中島歩さん)と市の説得が始まると、戦場とは思えない静かな部屋で長々と話し合いがあり、その後では相撲やら作り話やら。これは漫画なら数ページ読んで済むだろうけど、ずいぶんと長く時間をとってた感じでした。いくら勝家隊が戦って奥に入るのを食い止めてて、秀吉が家臣たちに来るなと言ってあったとしても、静けさと悠長な時間の流れに落城間近の緊迫感はまるでありませんでした。無理に伏線をいくつも回収しなくても「あのときの思い出」で終わってもよかったのに。 そして長政の介錯を市がした、これはいいです。でも死にきれなかった者の介錯なら体を起こして心臓を一突きのほうが自然だったでしょう。筋力が弱い女性が戦うなら、平安末期の巴御前にしても幕末の会津の娘子軍にしても薙刀でした。しかも市は浅井に嫁いでからの5年間、ほとんど妊娠・出産の時期だったから刀の鍛錬をする余裕はなかったでしょう。刀は扱えないと思うのですが。 ・・・こんな感じであれこれ気になってしまい、せっかくのいいセリフも私の中では響かない回になってしまいました。あ、でも柴田勝家@山口馬木也さんは、セリフも動きもカッコ良くていい表情でした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 元亀3年(1572)甲斐の国主・武田信玄(高嶋政伸さん)は餅をついて村人たちにふるまい、上機嫌でした。その信玄のところに京から行者のなりをした三淵藤英(味方良介さん)が従者とともに訪ねてきました。三淵は信玄に織田信長(小栗旬さん)を討つよう要請したところ、信玄は織田との盟約を理由に断り、話がつかないとなると三淵は従者のほうをちらりと見ました。その者は従者に成りすました将軍・足利義昭(尾上右近さん)で、義昭は信長の非をあげつらい、自分がかつての幕府の威光を取り戻して天下を安寧にさせたい、信長を討てと信玄に命じました。 12月になり、武田信玄は総勢2万5千の軍勢を率いて徳川家康(松下洸平さん)が治める遠江に侵攻、三方ヶ原において織田と同盟を結ぶ徳川と激突しました。武田軍の強さになすすべもなく死をも覚悟した家康。しかし本多忠勝(夏生大湖さん)の助けでなんとか家康は逃げることができ、この無様な戦いをけっして忘れないよう、この先も自分が同じ失態をしないよう諫めてほしいと石川数正(迫田孝也さん)に頼みました。 徳川が三方ヶ原で武田に大敗したとの報を受けた信長に明智光秀(要 潤さん)は、義昭が信玄を裏で動かしたと示唆、その義昭は武田や浅井に共に織田を討つよう御内書を送って織田を包囲し、京の二条御所で織田を討ち滅ぼすよう出陣の命を下しました。 周囲を敵に囲まれ圧倒的に不利な信長は打開の策として、武田にある罠をしかけていました。信玄が三河領内に入るとこの地の百姓からの心尽くしとして握り飯が届けられ、その中に毒が仕込んであったのですが、信玄が口にする前に発覚して失敗に終わりました。しかし翌日、信玄は自らついた餅を喉に詰まらせて陣中で他界、そして信玄の死を誰にも知られないようにするために山県昌景(石井一彰さん)は、信玄の死を発見した若い侍を口封じするためにその場で亡き者にしました。 武田軍はその後、三河から引き揚げて甲斐に戻っていきました。その報を聞いた信長は、天が我らに味方した、この機を逃してはならぬ、とこれより一気に京を抑えるよう家臣たちに命じました。元亀4年(1573)春、信長は軍勢を率いて出陣。山城の槙島城に移っていた義昭は、織田軍を止めるよう朝倉と浅井に命じようとしましたが、織田軍はすでに二条御所を落とし、義昭のところに向かっていました。 降伏した義昭は信長から、京を離れるよう言い渡されました。義昭は悔し涙を浮かべながら信長に精一杯の嫌味を言い、そしてかつて自分に仕え、今でも自分を主と思っているであろう光秀のことを信長に訊ねました。信長から、光秀はここには来ない、光秀はもう信長のものである、と聞かされた義昭は現実を思い知りました。 その光秀は信長から、義昭のために作った二条御所を跡形もなく壊すよう命じられました。かつてすべてをかけて仕えると心に誓った義昭の存在を自分の手で消さなくてはいけない光秀は、義昭との思い出を胸に御所を破壊していきました。 御簾もない粗末な車に乗せられて京から追放される義昭を木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)が送りました。小一郎は失意の義昭が自ら命を絶つのではと案じていました。しかし義昭は本國寺の戦い(1568)の折に小一郎から言われた言葉が胸に残っていて、生きておればまたいつか実りある時が来るやもしれぬ、だから死なぬと小一郎に言いました。 義昭は心を許せるこの兄弟の前では穏やかな顔でした。でもふと二人に、これから目指す道は信長と同じなのか?と義昭は問いました。秀吉は迷うことなく同じと答えつつも、ただ我が殿・信長はそのために血を浴び傷つく覚悟があるから自分が守らなければ、と答えました。小一郎は、そんな兄・秀吉のために振り回されるのはいつも自分だと義昭に愚痴を言い、二人で笑って言い合いました。言葉では互いに何を言っても心は通じ合う秀吉と小一郎。義昭にはこの兄弟がまぶしく思え、自分も兄・義輝とこんなふうに仲が良かったら、としみじみと思いました。元亀4年(1573)7月、足利義昭は流浪の身となり、ここに15代続いた室町幕府は終わりを迎えました。 その後、信長は近江の小谷城の向かいにある虎御前山に再び陣を敷き、朝倉・浅井攻めの総仕上げにかかりました。援軍として近江に入った越前の朝倉義景(鶴見辰吾さん)は田上山(小谷城の北西、約9km)に布陣しました。負け戦をしたくない義景は、まず浅井に攻めさせて織田が弱ってから自分たち朝倉は動く、と考えていました。しかしもたらされる報は、浅井側の砦が次々と落ち、しかも山本山城主の阿閉貞征はじめ多くの者が織田に寝返っているという信じがたいものばかりでした。 一乗谷に引き上げることを決めた義景。元美濃国主の斎藤龍興(濱田龍臣さん)は朝倉軍に同行していて、これは織田の罠だと引き留めました。でも織田のことをよく知るならしんがりを務めよと、龍興に言って義景は去り、呆然とした龍興は義景のことを一乗谷から出たことがない世間知らずだと罵っていました。 織田軍の猛攻が続く中、義景は一門衆の朝倉景鏡(池内万作さん)と共になんとか越前の賢松寺(福井県大野市)まで逃れてきました。栄華を誇った一乗谷が無残にも踏み荒らされ、どうしてこうなったのかとただ悔やむだけの義景は、この一乗谷が織田に奪われるくらいなら我が手で滅ぼす!と景鏡に火を放つよう命じました。景鏡はまだ城や町には民や家臣の家族もいると進言しましたが、己の誇りしか頭にない義景には届きませんでした。景鏡は義景の首級を取り、これを織田に差し出して降伏し、民たちを守ることにしました。ここに100年以上続いた越前朝倉氏は滅亡しました。 そして朝倉の援軍を失った浅井軍は小谷城に籠城して抵抗を続けるも、織田の大軍の前にはなすすべもありませんでした。柴田勝家(山口馬木也さん)が城の奥まで踏み込むと、そこには浅井久政(榎木孝明さん)が具足を解いて切腹の準備をして待っていました。最後に勝家の顔を見てニヤリと笑った久政は短刀を腹に突き立てて切腹、勝家は久政が苦しまぬよう武士の情けで介錯をし、首級を信長に差し出しました。 久政の死を確認した信長は、あとは本丸の浅井長政(中島歩さん)だけだと、総攻撃の命を下そうとしていました。そのとき秀吉が、一生のお願いがあると信長の前に進み出てきて、続いて小一郎と勝家も同じ思いで進み出てきました。3人の願いは市(織田信長の妹;宮﨑あおいさん)とその姫たちを救うことでした。 秀吉たちが本丸に突入すると浅井の兵が待ち構えていたので、勝家は「この場は任せろ。自分は命を助けるのは不得手だ。お主らの調子のよい口車で何としてもお市様をお助けしろ!」と秀吉と小一郎に頼みました。 秀吉は城内の兵たちに向かって名乗り、和睦の談判に来たと言って市たちがいる奥に通してもらいました。そこには長政と共に市もいて、秀吉は信長の命で二人とお子たちを迎えに来たと伝えました。長政は信長が自ら自分の首を取るのかと考えましたが、そうではなく、長政の寝返りは市を守るためだと信長もわかっている、と小一郎が説明しました。 しかし長政はすでに死を覚悟していて、市には姫たちと共に信長の庇護を受けて生きるよう言いました。市は夫・長政も共に生きてほしいと願いましたが、長政は信長を裏切ったときに自分も天下を取りたいと思った、あと一歩で信長を倒せるところまできた自分を誇りに思っている、と心情を吐露しました。だからもう市とは生きていけない、信長のもとには行かない、ここで死なせてくれと言いました。市は自分も共に死ぬと言いましたが、姫たちを立派に育ててほしい長政はそれを許しませんでした。 自害を願う二人のやり取りを聞き小一郎は、寿命を全うできなくて病や怪我で死ぬ者も大勢いるのに侍の誇りがなんだ、生きたくても生きられなかった者のために生きてほしい、と長政を強く説得しました。そんな小一郎に長政は、どちらが正しいか答えなどない、と言って秀吉と小一郎に相撲の勝負を提案しました。長政は義兄・信長と庭で相撲を取ったあのときのことを思い出しながら、秀吉と小一郎の二人をまとめて倒しました。長政は自分のためにここまで必死になってくれた二人に礼を言い、市と二人きりにしてほしいと願いました。 長政は自分が作った3つのお守り袋を市に手渡し、姫たちを立派に育てるよう、市にも強く生きるよう言いました。夫・長政の思いを受け取った市は侍女たちに命じて姫たちを兄・信長のもとに送り、市自身はまだ城に残っていました。 すると小一郎は突然、作り話を始めました。それは以前、信長が小谷に立ち寄ったときに語っていた話の続きで、秀吉も小一郎に合わせて話を続けました。その話はどうやらこれから切腹をする長政のことのようで、それに気づいた市は小一郎に刀を借り、急ぎ裏庭の長政のもとに行きました。腹を切ったものの絶命できない苦しみにあえぐ長政。「すぐに楽にしてさしあげまする。」市はそう言い長政の首元に力いっぱい刀を振り下ろしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
May 9, 2026

今日の日付けが少し回ったころ、愛ニャンの小太郎が虹の橋に旅立ちました。21歳でした。2005年の6月にこの楽天ブログで里親募集の日記があり、そこに先代の茶トラと同じ子がいて、奈良県の方だったけど、居ても立っても居られず、愛知県から迎えにいきました。茶トラの子は2匹いて、どちらかを選ぶことなんてできなかったから、2匹とも連れて帰りました。茶トラ兄弟の小太郎と康太郎。どちらも可愛くて可愛くて、毎日メロメロになっていました。 犬のチビ子嬢が幼い茶トラ兄弟の面倒を見てくれました。チビ子姉さんとお話しているのは小太郎のほうです。 小太郎と康太郎。ふたりはいつも一緒でした。康太郎は少しビビリの子だったけど、小太郎はおおらかで後から入ってきた猫たちをみんな受け入れてくれました。この部屋のリーダーでした。 いつも一緒だった康太郎が2019年12月に一足先に虹の橋に行ってしまい、小太郎はその後6年4か月、長生きしたことになります。 ただ4年半前の冬から小太郎のボケが始まり、最初はまだ軽かったのですが4年前から酷くなりました。夜中にものすごい大きな声で鳴き叫ぶようになったのです。それもほぼ毎晩。自分も突然叩き起こされるし、なにより外まで響く声で近所迷惑になるのが本当につらいものでした。小太郎は夜中にだれかに呼ばれたのか、何かを見たのかわからないけど突然大声を出し、私は単に眠れない以上に近所迷惑になることで体調がおかしくなりました。3年半の間、慢性の寝不足状態になってて、車の運転で壁に激突しかけたこともありました。 それが今年の1月半ば過ぎから、夜中に大声を出すことはめっきり減りました。まあそれでも起きて小さい声で鳴くので、私の寝不足は変わりませんでしたが、外には聞こえない声だったので、気分的には楽になりました。 ボケが始まってから小太郎は、ずーっとこの場所で寝るようになりました。私がPCその他でいつも向かっている机の真横です。 1年前くらいから足腰が細り、よぼよぼになってきました。私の服の上で寝るのが好きだったけど、冬のガラス越しのお日様が暖かくて床で寝ていることもありました。 人間でいうなら100歳超えのおじいちゃんになっても、子猫のときと同じ格好で寝ているのを見るとやはり愛おしくなります。 ただ大声を出すのが減ったと同時に、足腰がさらに弱ってしまい、トイレが間に合わなくて大小の粗相が増えました。小太郎自身はトイレに向かう意思はあるのです。でも間に合わない。だから小太郎の寝場所からトイレまでをペットシートをたくさん並べておきました。それでも他の場所でやってしまい、ゆるゆりウン●で汚れてもう洗う気になれない敷物は、どんどん捨てていきました。時には体を汚して、小太郎をお風呂場で洗うこともありました。まあそれでも自分の負担が増えただけで近所迷惑にはなっていないので、精神的に苦にはなりませんでした。 小太郎は頭はボケてても内蔵は丈夫だったようで、ゴハンは毎日お腹いっぱいになるまで食べていました。 旅立つ1週間前から、いよいよ足腰が立たなくなり、いわゆる寝たきりの状態になりました。もうトイレにも立てないから敷物の上にペットシーツを広く敷いて、汚れたらすぐに交換していました。でもまだ食欲はあったので、手で支えて体を起こしてやればゴハンもちゃんと食べました。 でもそれが昨日からは水も飲まなくなりました。小太郎のお迎えがいよいよ近いことを悟りました。そして日付けが変わったとき、私が「小太郎。」と呼んだら小さく「ニャッ。」と鳴いて、それが小太郎の最後の声でした。 今日の11時にペット葬儀の予約をしました。朝、急いでスーパーに行って花を買い、庭に咲いていたネモフィラも一緒に棺の中にいれました。 満21年、ホントに長生きしたと思います。小太郎がボケてからは私もなにかと大変だったけど、旅立った今になればすべて思い出です。小太郎、私のもとに来てくれて、心からありがとう。
May 4, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は織田信長(小栗旬さん)による比叡山の焼き討ちを背景にした展開でした。信長の命に背いて女・子供に情けをかけた兄・秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)。弟・小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は兄から宮部継潤(ドンペイさん)の調略を任され、理屈では動かない姉のとも(宮澤エマさん)の説得に苦労しました。 それでもともの夫・弥助(上川周作さん)が「侍になったからには」と考えることができる人だったのが助けになりました。後半で小一郎がともに「百姓だった昔とは違い、わしらは民を守る側になった。」と侍という地位の現実を諭し、夫の弥助も「わしらの万丸が大きな役目を果たすのだ。」と、自分たちは織田家の重臣の身内なのだと妻を諭して、ともがようやく受け入れた部分には静かな感動がありました。 調略成功の結果、信長から切腹を言い渡された兄を助けました。そしてラストで、万丸(小時田咲空くん)を迎えた宮部から、万丸が母・ともからの言いつけを守って宮部家で頑張っていると聞かされたときは、感動が大きかったですね。父母のもとにいるときは甘えて弱虫だったけど、環境が変わり自分の立場を幼いなりに理解したとき、急にしっかり者になる。現代でも子供が幼稚園・小学校・中学校と上がっていく段階でよくあることかなと思いつつ、ラストで泣かせてくれたな~、いい話を聞いたなと思いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇元亀元年(1570)6月28日、近江で織田・徳川の連合軍と朝倉・浅井の連合軍が激突した姉川の戦いは織田・徳川の勝利となり、小谷城に戻った浅井長政(中島歩さん)は多くの家臣たちを失ったことを悲しみ悔やんでいました。妻の市(織田信長の妹;宮﨑あおいさん)は気落ちする長政に、いつまでも悔やんでいてはその者たちが浮かばれない、その者たちの死を無駄にしてはいけない、と言葉をかけました。市の言葉を聞いた長政は、信長がなぜこれほど強くなったのか今わかった、市がそばで信長を支えていたのだと理解しました。 一方、織田信長(小栗旬さん)は落城した横山城に入って一息ついていました。すると重臣たちが城の蔵にあった酒や肴をみつけて持ち寄り、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は信長に楽しんでもらおうと猿踊りをし、慰労の宴会を皆で楽しんでいました。信長は傷心ではないかと案じた秀吉は厠に立つ信長を追いかけましたが、信長はその心遣いは受け取りました。そして信長は秀吉に、自分は明日、岐阜に戻るが戦支度が整い次第またすぐに浅井を攻める、それまでこの横山城を死守せよ、そして(小谷城より約4.5km南にある)宮部城の城主・宮部継潤(ドンペイさん)を調略するよう命じました。 義に厚い宮部には駆け引きは通用しないだろうと考えた秀吉と小一郎は、村人に変装して継潤のいる寺を訪れました。戦場で見覚えがあった二人の変装を見破った継潤は人払いをし、命がけでここに来たことに免じて話を聞くことにしました。秀吉と小一郎は挨拶の後、信長がまたすぐに浅井を攻めに来る、そうなれば浅井に勝ち目はないから織田に味方するようにと、継潤に話をしました。 継潤は、信長は好かぬが、自ら出陣はせずに一乗谷でふんぞり返るだけ朝倉義景はもっと好かぬ、実は迷っていると二人に本音を語りました。そして寝返りの条件として秀吉の子を自分に差し出すよう要求しましたが、秀吉に子がいないと聞くと「近しい身内の子」で構わぬと言いました。 まだ子がない秀吉と小一郎にとっていちばん近しい身内の子といえば、姉のとも(宮澤エマさん)の長男の万丸(小時田咲空くん)しかいませんでした。しかし形式上は継潤の養子でも事実上の人質です。そんなのはともが許すはずもなく、ともの夫の弥助(上川周作さん)にも頼めそうにないことで、二人は頭を抱えました。 そのころ越前の朝倉義景(鶴見辰吾さん)と近江の浅井長政は比叡山延暦寺の天台座主・覚恕(黒田大輔さん)のもとを訪れ、自分たちに味方するよう頼んでいました。信長を嫌う覚恕は快諾し、手始めに織田方の宇佐山城(滋賀県大津市、延暦寺より南に約4.2km)を討つことにしました。元亀元年(1570年)9月、宇佐山城を守っていた森可成(水橋研二さん)は朝倉の急襲を受けて討ち死にし、その報を聞いた信長は激しく怒り、直ちに出陣するよう命じました。織田軍は比叡山を取り囲んだものの、比叡山に立て籠った朝倉・浅井軍とは膠着状態になり、山で暮らしていた女・子共たちは庇護を求めて寺に逃げ込み、そのまま2か月がたちました。長政は女・子供だけでも逃がしてやりたかったのですが義景はそれを許しませんでした。 さて岐阜の木下家では、小一郎はから万丸の件を聞いたともが怒り狂って暴れ、手が付けられませんでした。小一郎はともに、この調略がうまくいけば浅井との戦を終わらせ多くの者が助かる、宮部は万丸を大事にしてくれる、と説得しましたがともは市と浅井長政のことを例え、先のことはどうなるかわからない、絶対に嫌だと怒って立ち去りました。万丸の父である弥助も本当は万丸を手放したくありません。でも弥助は、侍ならば我が子を人質に出すことも従わなければならない、それが嫌なら百姓に戻るしかないと考えていました。 そんなところに兄・秀吉が戦場から戻ってきました。秀吉は小一郎と弥助に、将軍・足利義昭の働きかけにより戦は和睦になった、もう宮部の調略もしなくてよい、万丸の人質は無しになった、と皆で喜び合っていました。 しかし岐阜城に上がると、和睦を望んでいない信長は秀吉に激しく怒りました。柴田勝家(山口馬木也さん)が進み出て、このところ諸国での一揆が激しくてあのまま比叡山に釘付けになっていたら我らも危なかった、と秀吉をかばいました。それでも信長は、まもなく雪が降れば朝倉・浅井も領地に帰ることはできなかった、どうやら将軍・義昭が陰で朝倉・浅井を助けているようだ、と疑って明智光秀(要 潤さん)の前にきて光秀に返答を求めました。信長に気圧されながら光秀が義昭への疑いを否定すると信長は、これで気の煩いもなく比叡山の俗物どもを一掃できると言い、この先我らに従うかどうか、従わなければ女・子供も皆殺しとなる旨の書状を延暦寺に送りつけるよう命じました。その従わなかった場合の皆殺しは織田に刃向かうとこうなるという見せしめであり、それを光秀に命じました。信長の苛烈な命令に思わず息を吞む重臣一同。しかしそのとき秀吉が自分もその命令を受けると進み出たので、信長は光秀と秀吉の二人に命じましたが、ただし、しくじれば自分たちの命もないと心得よ、と念押ししました。 軍議の後で秀吉と二人きりになったとき小一郎は、なぜあんな命令を自ら引き受けたのかと兄に詰め寄りました。秀吉は、延暦寺には逃げ込んだだけの者がたくさんいる、せめてその者たちだけでも逃がしたい、と言いました。小一郎が、軍目付が目を光らせている中でどうやって殿・信長にばれずに逃がすのか!?と問うても秀吉は答えられません。秀吉は、ただ一つだけ、自分が侍になったのは無情に人を殺めるためじゃない、とはいえ殿に逆らうことはできん、と言いました。 秀吉は、此度は自分に何かあっても助けんでいい、その代わりに宮部継潤を必ず調略するよう頼みました。殿は浅井討伐をあきらめてはいない、万丸を預けて宮部を調略できなければこの先また戦で無駄な血を流すことになる、ともを説得できるのは小一郎だけだ、頼むぞ!と伝えました。 夜になり、小一郎は義兄・弥助と二人きりになり、万丸の件を頼もうとしたら、弥助は昼間の話を聞いていたとのことでした。弥助はいたって冷静でした。そして小一郎のほうを向き、思いを伝えました。「わしは侍になってよかったと思っている。このような暮らしができるのも秀吉はと小一郎のおかげだ。感謝している。侍ならば子を手放さねばならぬのも覚悟の上だ。万丸には立派な侍になってもらいたい。だがお腹を痛めて産んだともの気持ちはわしら男には計り知ることはできぬ。どれほどの悲しみか。でも最後にはきっとわかってくれるはずだ。お前の姉様は肝の据わった女子だから。わしはそこに惚れたんだ。」そう言って弥助は少し微笑んで涙をこらえていました。 元亀2年(1571年)になり、ついに比叡山の総攻撃の日がきて、秀吉と光秀は出陣しました。織田軍と僧兵たちとの激しい攻防が続きます。お堂に隠れていた女・子供たちは攻め寄せる織田軍にただ怯え悲鳴をあげるだけでした。秀吉にはやはりこの者らを斬ることはできず、信長の命に背くことになるけど、逃がしてしまいました。 そのころ小一郎と弥助は、ともとの話し合いを重ねていました。小一郎は姉のともに、子のいない自分にはいくら考えても姉様のつらい気持ちはわからぬと詫び、それでも説得を続けました。「わしらはもう百姓ではない。侍なんだ。わしら家族は守られる側ではなく、守る側になったのだ。一人でも多くの者が助かる道を選ばなければならない。人質などなくとも皆が笑って生きられる世をいつか作ってみせる。わしらはそういう侍にならねばならぬ。」母のなか(坂井真紀さん)と妹のあさひ(倉沢杏菜さん)も同席する中で小一郎は、昔とは違うということを切々と訴えました。 納得なんかできないけど、ともの頬を涙が伝っていました。夫の弥助も涙を流しながら思いを語りました。「わしは侍になってこれまで何をしたということがない。でもそんなわしらの子が多くの者の命を救えるのかもしれん。わしらの万丸が大きな役目を果たすのだ。誰にでもできることではない。その姿を見守ろうではないか。」 小一郎は「万丸のことはずっと見守り続ける。どうかわかってくだされ。」と言い、弥助は二人で土下座をしました。弟だけでなく夫にも説得され、そして母・なかが「万丸もまたいつか一緒に暮らせる(意訳)」と言い、ともはもうこの件を受け入れるしかないのだと悟りました。 比叡山では建物に火が放たれ、命を奪ってしまった無抵抗の者たちの亡骸を前にして、光秀は呆然と立ちすくんでいました。比叡山でのことを光秀が京の二条御所にいる将軍・足利義昭(尾上右近さん)に報告すると義昭は、人の所業とは思えぬと言って光秀を外道呼ばわりしました。光秀が詫びながら、信長は我らを疑っている、信長の目は欺けない、義昭との約束を果たすためにしたことだと訴えました。自分のためにそのようなことをさせてしまったたのかと思った義昭は、光秀に自分のもとに戻ってこいと命じて去りました。 後日、岐阜城では信長が光秀の働きを褒め、近江国志賀郡の領地を与え、城持ち大名としました。そして命令違反をした秀吉に切腹を申し付けたとき、小一郎がしかさず「お待ちください!」と進み出ました。小一郎が「お連れいたせ!」と言うと宮部継潤が現れ、信長の前に進み出てました。小一郎が「元・浅井家臣」の宮部継潤と紹介し、宮部が信長に挨拶をしました。宮部は、小一郎の情理を尽くした話に心を動かされて織田の配下になろうと決めた、木下家が身内の子を自分に預けてでもという覚悟を見せてくれたからには自分も約束を守らねばならない、と信長に考えを述べました。 小一郎は信長に、兄は見事に殿の期待に応えた、どうかこれを以って比叡山でのことはお許しください!と訴えました。信長は、それとこれとは別と言ったのですが、かつて比叡山の僧だった宮部が秀吉をかばう発言をすると、信長もようやく秀吉を許す気になり、秀吉をじろりと見て「此度だけだ」と切腹の命令を撤回しました。小一郎だけでなく光秀の目にも安堵の涙が浮かんでいました。 万丸が宮部のもとに行って3か月がたったある雪の日。木下家に宮部が来ていて、小一郎は万丸の父と母である弥助とともを紹介しました。ともは宮部の前に進み出て、万丸に渡してほしいと綿入りの腹巻を差し出しました。宮部が快く受け取るとともは、それから万丸が眠れないときは、それから・・と思いつくまま伝えようとしました。他家に行った弱虫の我が子がただ心配でならない母の姿でした。宮部は優しく受け止め、万丸が養子に来てからの三月、ただの一度も泣いていない、時折り寂しそうな顔は見せるけど懸命に耐えている、と様子を伝えました。「一人でも泣かぬ。強くならねばとおっか様からそう教わったのだと、万丸はあなた様の教えをちゃ~んと守っている。」とともに伝えました。万丸は自分の教えを守っている、宮部家で本当に大事にされているのがわかったともは宮部に「よろしくお頼み申します。」と心から頭を下げました。 そんなころ京の二条御所では将軍・義昭が三淵藤英(味方良介さん)から、光秀が近江の坂本に城を築き始めたとの報告を受けていました。光秀には自分のもとに戻るように命じたのに、光秀は信長の意向に従い城持ち大名になろうとしている。義昭は庭に降りて刀を抜き、信長がもつ力への腹立たしさと悔しさで、藤戸石を思いっきり刀で斬りつけていました。 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May 1, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は1570年の姉川の戦いでの物語でした。織田・徳川軍は浅井・朝倉軍に押されていたけど、徳川家康が榊原康政に命じて朝倉軍の側面から攻撃させてそれで朝倉軍が総崩れとなり、まず朝倉が、次に浅井が敗走していった、というのが一般に言われる話です。それをこのドラマでは、徳川家康(松下洸平さん)の判断で朝倉の側面を突いたのではなく、織田信長(小栗旬さん)が密かに家康に命じていた(しかも家康は弱腰で逃げたという偽の情報を流して)という展開でした。同じ歴史上の出来事でも、いろいろな解釈ができて、違った展開をつくれるものなのですね。 それとこのドラマでは、家康の側近として登場するのが(今のところ)石川数正(迫田孝也さん)だけなんですよね。家康が出てくれば徳川四天王と言われる「酒井忠次・本多忠勝・榊原康政・井伊直政」も一緒にいることが多いけど、ここではあえて後年、秀吉と深く関係する数正だけになってます。 あまりにもありえない展開は見ていてしらけるけど、脚本の八津弘幸さんは「そういう解釈もあったか」と思わせてくれる方のようなので、迫田孝也さんがどんな数正を演じることになるのか、興味が尽きないところです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄13年(1570)4月、織田信長(小栗旬さん)は越前の朝倉義景を討伐するために出陣しましたが、途中で浅井長政の謀反に遭い、越前の金ヶ崎城から命からがら京まで戻ってきました。信長を京に逃がすためにしんがりを務めた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は負った傷と疲れから、無事に戻れた信長の顔を見るなり安堵から気絶して、ずっと眠ったままでした。妹のあさひ(倉沢杏菜さん)が岐阜から看病に来ていて、あさひから自分が8日間ずっと寝ていたと聞かされた秀吉は飛び起きて、すぐに岐阜の信長のもとに向かいました。 そのころ岐阜城では帰還した信長のもとで、実は将軍・足利義昭から命じられて来た明智光秀(要 潤さん)が新たに織田家の家臣となっていて、家臣の皆に挨拶をしていました。 信長はすぐに折り返しての朝倉・浅井討伐に備えるために、木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に鉄砲の手配がどうなっているのかを問いました。浅井長政に嫁いだ市(信長の妹;宮﨑あおいさん)の身を案じる小一郎は、鉄砲の玉薬を作る硝石が手に入らないため準備にまだ時間がかかると報告しました。信長は硝石の手配を佐々成政(白洲迅さん)に命じ、鉄砲が揃い次第、浅井を攻めて討ち滅ぼすと皆に言い渡しました。 そのとき小一郎がたまらず進み出て、うかつに攻めれば市の身が危ないと進言しました。小一郎は「そんなことはわかっている」と信長だけでなく他の重臣たちからも厳しく叱られ、柴田勝家(山口馬木也さん)から長政は市を離縁して織田に返そうとしたが市自身がそれを拒んだのだと仔細を聞かされました。 その浅井長政(中島歩さん)は、市を織田に返すと言ったもののやはり市にそばにいてほしいと願っていました。長政の思いを知った市は自分も胸の内を隠しておけなくて「実は私はあのとき金ヶ崎の兄・信長に・・・」と言いかけたのですが、長政は市の身を案じて「言うな。」と止めました。そんなところに重臣の宮部継潤(ドンペイさん)が来て、織田の間者を捕らえたと報告しました。庭に引き出されたその者は市に信長の危機を報せたあの若い侍で、信長は裏切りを決して許さない、たとえ身内でも!と言い、市に向かって哀れな女子よ!と罵りました。それを聞いて市が何か言おうとしたら長政は市の手を握り「あの者は市を守ろうとしている」と市を止めました。そして若い侍はその場で斬られました。 信長は市が長政を選んだから容赦しないと言い、小一郎はそれは殿(信長)を助けるために浅井に残った、和睦を!と訴えました。しかし信長は、京から岐阜に戻る途中で六角に襲われた、あれは浅井の裏切りに呼応したもの、ここで和睦をしたら六角のようなやからが次々と出てきて誰も自分に従わなくなる、だから織田を裏切った者の末路は地獄だと世に知らしめる、と言いました。 ではどのように浅井を攻めるかとなったとき、京で療養中だった秀吉が突然、軍議の場に現れました。秀吉は前に進み出て策を進言しました。小谷は近江きっての堅牢な城だから力攻めは無理、まずは浅井の根城を一つずつ潰す、と言ったら竹中半兵衛(菅田将暉さん)が懐から絵図を出して広げ、説明を始めました。 まず浅井方の苅安城と長比城(どちらも滋賀県米原市)を調略し寝返らせる、これで岐阜と京を結ぶ道が保たれ幕府からの援軍が呼べ、小谷を攻める際の背後の憂いもなくなる、横山城は小谷を守る要の城、ここは力攻めで攻め落とす、というものでした。 半兵衛の策に感心した信長は、長政は横山城を見捨てないから城から出てくる、直ちに取り掛かれ、時がたてば朝倉の援軍が駆けつける、その前に決着をつける、と家臣に命じました。 岐阜の屋敷に戻った秀吉は身内や側近の皆と軍議に入りました。小一郎だけでなく秀吉も小谷にいる市の身を案じていて、戦にならないよう苅安と長比の調略で時をかせぎつつ浅井に使者を送り降伏させよう、和睦ではなく降伏ならば信長も納得するであろうと考えていました。しかし苅安城と長比城は半兵衛がすでに調略済みであり、時をかけたとしても浅井が降伏するとは思えない、と半兵衛は考えていて、秀吉がそんなの嫌だと言ってもどうにもなりませんでした。小一郎は、なんとしても市だけでも織田に戻るよう説得するしかないと考えましたが、姉のとも(宮澤エマさん)は、すでに姫が生まれた市が子と別れるのは無理だ、と小一郎に意見しました。 そのころ岡崎城では徳川家康(松下洸平さん)のもとに信長から6月19日までに参陣するよう文が届いていました。側近の石川数正(迫田孝也さん)はすぐに支度を!と立ち上がるのですが家康は動かず、自分が間に合わなければ信長はどうなるのかと家康は考えていました。数正が、浅井だけなら織田が優勢、でも朝倉が援軍に来たら徳川なしで織田は勝てない、と意見しました。家康は数正が我が意を得たりとばかりに、そういうことを信長にわかってもらいたい、と信長を試すつもりでいました。 一方、京の二条御所では、信長の援軍要請に対し将軍・足利義昭(尾上右近さん)は援軍を出さないことにしました。今は我らの身を守ることが第一、信長は我ら幕府の後盾があればこそ大儀を掲げられる、わしは信長の強さを信じている、それが義昭の考えでした。 元亀元年(1570)6月19日、戦支度が整った織田軍は北近江に向けて進軍を開始しました。織田軍は半兵衛が調略済みの苅安城と長比城を通過し、横山城を一旦通過して小谷城の目の前の虎御前山に陣を構えました。 小谷城内では軍議が開かれ、長政は横山城の様子を気にしていて、宮部継潤はまだ攻められていないと報告しました。遠藤直経(伊礼彼方さん)は、ならば小谷城と横山城で織田軍を挟み討ちにすべく討って出ようと言い、宮部はそれは何かの罠だと慎重論で意見が分かれました。長政の父・浅井久政(榎木孝明さん)は、まもなく朝倉の援軍が来るからそれから動けばいいと家臣たちをなだめました。しかし長政は本当に朝倉の援軍が来るのかを疑っていました。 秀吉は市に織田に戻るよう、柴田勝家を通して何度も文を出していましたがいっこうに返事がなく、勝家も苛立っていました。小谷城内にいる市は侍女から織田が虎御前山に陣を構えたとの報せを聞き、兄・信長がすぐ近くにいることを知りました。秀吉の文は市の手元に届いていて、侍女は秀吉の言うとおりにしたほうがいいと進言しましたが、市は信長が出陣するときの「敦盛」を笛で奏でるだけで動きませんでした。 信長は横山城に討って出ると決め、皆に出陣の下知をしました。横山城が織田に取り囲まれたと報を受け、遠藤はすぐに出陣をと主張し、宮部はこれは罠だと再び意見が対立しました。そのときに朝倉の援軍が到着したのですが、来たのは国主の朝倉義景ではなく一門衆の朝倉景健(重岡漠さん)でした。その夜、長政は横山城を救うべく出陣しました。 夜が明け、信長の陣に徳川家康が到着しました。家康は信長に遅参を詫び、武田に備えていたと言い訳しましたが、信長の怒りは相当なものでした。信長の近習に取り囲まれ、信長には嘘が通用しなかった恐怖から土下座して詫びて許しを乞う家康。信長はおびえる家康の目の前に来て何か伝えたようでした。徳川の陣に戻った家康は、わざとの遅参が信長にばれたと数正に話し、自分はこれから姿を消す、そうでなければ信長に殺されると言って数正に後を託して消えました。 元亀元年(1570)6月28日、早朝、姉川を挟んで対峙した浅井・朝倉軍1万3千と織田・徳川軍2万1千の双方が川を渡って動き出し、戦が始まりました。(姉川の戦い)両軍の激突は凄まじく、戦場であっても敵の命を奪うことにまだためらいがある小一郎に秀吉は「今ここからは生き延びるために戦うのだ。」と言ってきかせ、木下隊も戦場に駆け出しました。乱戦のさ中、兄・秀吉を助けるために敵を斬った小一郎でしたが、すぐには動揺が収まりませんでした。 激戦は続き、やはり地の利からか浅井・朝倉軍が優勢でした。織田の陣営では、家康が敵ではなく信長を恐れて戦場から逃げたという噂が広まっていました。次々と押し寄せる敵兵。小一郎は生き延びるために、何も考えずに敵を倒していきました。その敵兵の中に恐ろしく強い者が現れ(浅井家家臣・藤堂高虎;佳久創さん)、秀吉と小一郎と蜂須賀正勝(高橋努さん)の3人がかりでもなかなか倒せませんでした。 一方、徳川軍も朝倉軍に押されていて、指揮を執る朝倉景健はこのまま一気に攻め込み信長の本陣まで突き進むよう命じました。徳川軍の不利な状況を見て信長の側近たちは戦場から消え失せた家康の行方に苛立っていましたが、信長はいたって冷静でした。「これでよい。頃合いじゃ。」信長はそうつぶやきました。 そのとき家康率いる徳川軍本隊が突然現れ、朝倉軍を側面から攻撃して朝倉軍は総崩れとなりました。実は家康は信長に遅参を詫びたときに信長から、戦場から一度姿を消し、合戦のさ中に機を見計らって敵の横っ腹を突くよう、信長から指示を出されていたのでした。家康の本隊が来るまでの間、石川隊だけでなんとか持ちこたえた数正はようやく安堵できました。 形勢が逆転し、迫りくる徳川軍を見た景健は全軍に退却を命じて逃げていきました。長政が浅井軍も撤退かと考えていたら側近の遠藤直経が駆け寄り、もはやこれまで、長政の御首級をもらうと長政に言いました。秀吉と小一郎と蜂須賀はまだあの強者と戦っていましたが、突如戦場に長政にを討ち取ったとの声が響きました。主君を失って男は泣き崩れ、それから戦場を後にしました。 長政を討ち取ったというのは本当か?と秀吉たちが考えていたら、先ほど長政の兜首を持って自分たちの前を通っていった男の兜を思い出した小一郎は、あの男は長政の側近だと気が付きました。小一郎は急ぎ男(遠藤)を追って信長のもとに駆けつけ、遠藤が信長の前に来たときに叫びました。見破られた遠藤は刀を抜いて信長に襲いかかろうとしましたが、信長にの側近たちにその場で討ちとられました。 直後、浅井の全軍が撤退していると報が入りました。信長は、追う討ちは無用、我らの大勝利だと判断。勝鬨をあげるよう皆に命じ、「エ~イ、エ~イ、オ~!」の声が幾度も姉川の戦場にこだましました。ただ秀吉と小一郎は勝利を気持ちよく祝うことはできず、先ほどまで双方が死闘を繰り広げた姉川の河原に足を運びました。累々と横たわる敵味方の死体、血で赤く染まれる川。生き延びるために必死で戦うしかなかったけど、その後に残ったものは地獄だと、二人は言葉を失い涙しました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 23, 2026

先日、ちょっと名古屋に出る用事があり、そのついでに名古屋の栄にあるNHK放送センターで開催されている 大河ドラマ「豊臣兄弟!」全国巡回展 に行ってきました。 この全国巡回展は期間は1週間と短いですが、ドラマの資料が無料で見学できるというのがうれしいです。また来場記念として御朱印代わりの、秀吉・秀長・信長・家康のスタンプがありました。台紙もちゃんとおいてありますが、中には御朱印帳を持ってみえる方もありました。名古屋は今日で終わってしまいましたが、まだこれから開催される地域の方は、興味があるなら行ってみるのをおすすめします。(上記リンクにスケジュールがあります)夏以降に開催される地域では、おそらくドラマ後半の資料も展示されると思います。 放送センター1階にパネルやドラマで使った小道具が置いてあります。役者さんたちの等身大パネルや、メッセージツリーがありました。ドラマで使われた小道具で、これのときの場面を思い出してしまいます。同じ小道具でも、地元の名古屋に関するものだとよけいに興味がわきます。豊臣秀吉と豊臣秀長に関する資料です。ドラマの製作に関する話がいろいろあります。スマホでのアンケートをして記念品をもらいにいきました。NHKのどの番組かはわかりませんが、昭和の風景に惹かれてパチリ♪アンケートの記念品です。クリアファイルが2つ入っていました。
April 19, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は秀吉を演じる池松壮亮さんの演技に本当に感動でした。 ドラマの序盤、織田信長(小栗旬さん)に金ヶ崎からの撤退を進言する場面では、刀を自分の足に突き刺すなどのあまりの無茶はあったものの、その後の演技には思わず画面に見入り、何度もテーマになった戦国ドラマだからもう感動はないだろうと思っていたら、久しぶりに涙がうるっときました。 秀吉は仕える信長が本当に好きで好きなのです。明日の命があるかどうかもわからない戦国時代。秀吉は自分が偉くなって家族や縁者に楽をさせてあげたいという思いはあったでしょう。でもそんなことよりなにより、自分が男惚れした信長という大将に命をかけて仕えたいのです。「殿さえ無事なら我らは何度でもよみがえりまする!」序盤のシーンでは、そんな秀吉の思いがありありと伝わってきて、信長役の小栗旬さんもあれは本当に自然に泣けたのではと思いました。そしてラストでは、生還した秀吉が、信長が無事で元気である姿を見て安堵し、嬉しさで涙があふれました。あの顔を見たときも私は思わずうるっときてしまいました。 その後で秀吉は、単なる精神的・肉体的な疲れが一気に出ただけではない、ろくな手当をしないままの強行軍で悪化しただろう足の傷が原因で、その場で倒れてしまいました。京の選りすぐりの名医と薬師を隣室に待機させていた信長。「安心せい。お前は死なせぬ。」信長にとっての、これは心からの言葉でしょうね。 いろいろ見てきた戦国ドラマだけど、脚本の八津弘幸さんが今までにない魅せ方をしてくれるので、これからも楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄13年(1570)4月、織田信長(小栗旬さん)は朝倉義景を討伐するために越前に向けて出陣しましたが、途中に陣を敷いた金ケ崎城で味方の浅井長政(妹・市の夫;中島歩さん)が謀反をしたとの報を受けました。 柴田勝家(山口馬木也さん)は、長政が今にも出陣する勢いだと忍びの報告を伝えましたが、信長は全く信じようとしません。勝家が市からの陣中見舞いだと託された和紙でくるまれた小豆を信長に渡しても、竹中半兵衛(菅田将暉さん)が結んである袋の両端は織田軍が袋の鼠になっていることを市が知らせていると言っても、信長は長政を微塵も疑っていませんでした。 たまらず木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)が進み出て包んであった和紙を見るとそれは白紙で、小一郎は以前に市とやりとりしたことを思い出しました。そしてこの白い和紙は市からの文で、市が夫・長政と兄・信長の間で苦しんでいて、まさに長政の謀反の証だと、さらに市は兄を救うために命がけでこの文を託した、だからここは一刻も早く逃げてほしいと強く進言しました。 家臣たちからこれだけ進言されてようやく長政の裏切りを悟った信長は、怒りのあまりこのまま直ちに兵を返して浅井の小谷城を攻める、と言い出しました。さらに信長は、背後から朝倉が追ってきても一歩も退かぬ、浅井・朝倉を根絶やしにする、総攻めの支度を!と命じました。 すっかり冷静さを欠いた信長を明智光秀(要 潤さん)が諫めようとすると信長は光秀を公方(将軍・足利義昭のこと)の犬と言い、此度のことも公方が仕組んだことでは?と光秀を疑いました。 するとそのとき庭で控えていた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)が大声で叫び、一同の耳目を集めたかと思うと、刀を抜いていきなり自分の足の甲に刀を突き立てました。秀吉は主君・信長に、うっかり傷を負ったと詫び、足手まといだから自分がここに残ると告げました。秀吉は信長に「戦において最も大事なのはいかに勝つか。次に大事なのはいかに負けるか。この戦は残念ながら我らの負け。朝倉の追手は自分がくいとめるから、殿はその隙に京に戻ってほしい。」と切々と訴えました。そしてひときわ声を大にして「殿さえ無事なら我らは何度でもよみがえりまする!」と必死に信長に訴えました。 秀吉の涙ながらの訴えに信長は心を動かされ、目に涙をためて自分の鎧を脱ぎ捨てました。「京へ帰る。」と皆に告げ、秀吉には「二刻でよいから朝倉をくいとめよ。二刻たったらすぐにわしの後を追ってこい。京で宴の支度をして待っておる。」と命じました。それから自分の鎧を秀吉に渡し、全軍に引き上げを命じました。信長を説得するために自ら大けがを負った秀吉に、徳川家康(松下洸平さん)は手当のための塗り薬を渡していきました。でもそれは実はただのかゆみ止めで、家康は側近の石川数正(迫田孝也さん)と二人きりになったとき、秀吉が名乗りをあげなければ徳川ががしんがりとなって生きて帰れぬところだったと本音をもらし、急ぎ退却していきました。 皆が退却をして、残った秀吉が傷の手当をしていると朋友の前田利家(大東駿介さん)が来て、自ら申し出た強者揃いの前田の兵を残していく、と伝えてくれました。利家の去り際はいつもの喧嘩でしたが、秀吉は利家の背中に一礼しました。 小一郎は撤退しようとしていた明智光秀に、先ほどの信長の非礼を詫び、信長と将軍・義昭が仲違いせぬよう間に立って配慮してほしいと乞いました。しかし光秀の返事は断りで、ここを生き延びて自分で二人の仲をとりなせ、と小一郎に言い去っていきました。 秀吉の傷はかなり深く思わず悲鳴をあげるほどでした。でも秀吉は自分のことより長政に裏切られた信長の心の傷を心配し、さらには市の身の上を案じていました。しかし自分たちが今やらねばならぬことは織田全軍を無傷で京に帰すことだ、と小一郎は改めて皆に言いました。 では、どうやって残った2千の兵で二刻を持ちこたえるのか。秀吉の軍師の竹中半兵衛は「力のある敵に一丸となって戦えばまとめて討たれるだけ。時を稼ぎたいなら兵を数段に分けて代わる代わる退く。今いる2千の兵も戦が始まれば逃げ出し、まともに戦う兵は800とみている。地の利を生かして補うしかない。」と言います。半兵衛がここまでの道々の地形やどこに何があるかをできるだけ記していたという絵図を広げました。小一郎は半兵衛に、こうなることを予見していたのかと問い、蜂須賀正勝(高橋努さん)も、なぜもっと早く言わなかったと問うと、半兵衛は「言っても誰も信じないと思った」と。半兵衛は、浅井の裏切りはあり得ると思って先を考えていた、策はある、と言って皆に指示をしました。 早速、朝倉を迎え討つ準備に取り掛かりました。その一つが竹と藁で作った人形で、こんなものは敵が近くにくればすぐに見破られるものですが、何かすがる物があれば味方の兵も弱気にならず逃げ出さない、というのが半兵衛の考えでした。秀吉と小一郎と半兵衛が櫓で3人だけになったとき、小一郎は浅井の裏切りの予見をもっと早く知らせてほしかった、自分は聞く耳持たぬことなどしない、もっと自分たちを信じてほしい、と半兵衛に思いを伝えました。秀吉も、自分も同じ思いだ、どうせ誰も耳を傾けぬなど寂しいことは言わんでほしい、お主の言うことは何でも信じる、と半兵衛の肩を抱いて気持ちを伝えました。この兄弟は信じてもいいのだとわかった半兵衛は、次からはそうすると言いました。でも半兵衛が「だだし次があれば。」と付け加えたその視線の先には、自分たちに近づいてくる朝倉の大軍がありました。 燃え尽きるまでに二刻かかる松明を皆で持ち、自分が敵を引き付けてやると意気込んで笑う蜂須賀の言葉を聞いた小一郎は「生きるために無茶をするのだ!」と皆を鼓舞しました。「作戦開始じゃあ~!」小一郎の号令で皆が動き出しました。 半兵衛の作戦は、数が劣る我らはできるだけ狭い場所で敵を迎え討つ、それぞれに兵を分け罠を仕掛けて敵を待ち受ける、というもので、半兵衛が敵の追手を引き付ける囮の役目は…と言いかけたとき小一郎が「それは自分だ。」と言いました。「此度は兄・秀吉のせいで退却のしんがりとなり不満を持つ兵もいる。だからしんがりのしんがりは弟である自分が務めねば。」と考えていて、半兵衛もその通りだと答えました。兄・秀吉は弟・小一郎なら大丈夫だと信じていました。半兵衛の作戦は次々と展開していき、前田利家の兵も一緒に働いてくれました。 そのころ織田信長と側近たちは敵の目を欺くために馬を捨て、琵琶湖の西側の山中を這う這うの体で歩いて進んでいました。一方、京の二条御所では将軍・足利義昭(尾上右近さん)が側近の三淵藤英(味方良介さん)から、義昭が選んだ元亀の年号を朝廷が認めたと報告を受けていました。とはいえ信長が気に入らない元亀の元号をどうしたものかと思っていたらそこに急使が来ました。使いから信長が京に戻らぬ可能性が高いと聞いた義昭は急に強気になり、元号を元亀とすると三渕に伝えました。 追手と戦いながら逃げている秀吉と小一郎たちは、さすがに体力も気力も限界に近づいていました。そんなとき彼らの目の前に現れた旗印は、敵方の浅井長政が率いる兵でした。策を問われた半兵衛は「もはや策はない。一丸となって死に物狂いで戦うのみ!」と皆を鼓舞しました。 全員で乱戦となり、動きが少し止まったときに奥から長政が馬に乗って出てきました。小一郎は長政に、今ならまだ間に合う、市のためにもどうか信長と和睦してほしい、と懇願しました。 しかし長政がだした答えは、鉄砲隊を前に出す号令でした。銃口が秀吉たちに向けられ、長政が「放て~!」と指揮した瞬間、秀吉たちは「もはやこれまで!」と思いました。しかし銃声が響いた次の瞬間、倒れたのは浅井の兵たちで、不思議に思った小一郎が見上げると上方に明智光秀が指揮する兵たちが銃を構えていました。 そう、光秀は浅井を押しとどめるためにしんがりを命じられ、光秀は「すべて我らが追い払った。もはや織田殿を追う者はいない!」と状況を力強く言ってくれました。そのときちょうどあの二刻の松明の炎が消え、蜂須賀が二刻たったと皆に伝えると歓声があがりました。 秀吉は叫びます。「これで誰も殿(信長)に追いつけぬ。我らは殿を守ったのじゃ!守りぬいたのじゃ~!」小一郎が長政に叫びます。「我が殿は逃げ延びましたぞ!これ以上戦っても無駄に死ぬ者が増えるだけ。ここはお引きくだされ!この戦はわしらの負けじゃ。でも勝ちに等しい負けじゃ~!我が殿が生き延びたからには必ず浅井に報復する。せいぜい気を抜かぬことじゃ!」 ただそんなことを言ってたらまた朝倉の兵が秀吉たちを追いかけてきたので、もう逃げるしかなくなりました。小一郎は兄・秀吉に背中を向けておぶる態勢をとり「よくぞこれまで痛みに耐え抜いた。」とねぎらい「乗れーっ!!」と命じました。秀吉も実は限界で「小一郎、死ぬほど痛い。」と泣き顔で、動き出すときは義兄・弥助(上川周作さん)と義弟・甚助(前原瑞樹さん)が秀吉を運ぶ馬になってくれました。 「ここからはただひたすら、逃げて逃げて、逃げまくるのじゃーっ!」秀吉は全軍に号令をかけました。長政は追撃の態勢をとらず、信長がすぐにでも小谷に攻めてくることを予想し、戻って備えることにしました。 京の二条御所の義昭のもとに、信長が息を切らしながらボロボロの姿で帰ってきました。信長は庭に土下座して朝倉討伐が失敗に終わったことを詫び、義昭は戻らないと思った信長が戻ったことで動揺しながらも、ねぎらいの言葉をかけてしばし休むよう言いました。しかし信長は、すぐに態勢を整えてすぐに討って出ると言い、血走った気迫に満ちた目で義昭を見上げました。 一方、なんとか逃げのびた小一郎たちは今にも倒れそうにな足取りで信長がいる京の妙覚寺に入りました。敷地に入ったとたん皆は崩れ落ち、でも生きていることを互いに喜び合いました。門が開いて松永久秀(竹中直人さん)が出てきて、秀吉と小一郎にすぐに信長のところにくるよう言いました。 信長の部屋では鼓の音が響き、中で宴が開かれていました。秀吉は信長の無事な姿を見て嬉しくて泣き笑いました。信長は秀吉に近寄り、戦の土産話を聞かせよと言って盃を取らせ、秀吉は一気に酒を飲み干しました。しかし秀吉が話をしようとしたら、それまでの緊張がとけたのか、傷の痛みと疲労で倒れこみ意識がなくなりました。信長は隣りの部屋に控えさせていた医師と薬師を呼びました。「安心せい。お前は死なせぬ。」金ヶ崎から自分を生かして帰すために満身創痍となった秀吉への、信長の愛情でした。 一方、小谷城では長政が帰還し妻の市(宮﨑あおいさん)に兄・信長が無事だったことを伝えました。そして市を見つめ、市を織田に返すと言いました。また金ヶ崎での秀吉と小一郎のことを明智光秀から報告を受けた義昭は、あの二人を自分のものにするのはどうやら難しいことだと理解しました。その代わりに光秀が信長の家臣となり、織田の動きを逐一自分に知らせるよう命じました。そして今まで秀吉のことを軽んじていた家康はこの金ヶ崎でのことで、秀吉と小一郎を心底恐れるようになりました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 16, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回はタイトルが「疑惑の花嫁」となっていて、まあ意味としては主人公・小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に嫁いだ慶(吉岡里帆さん)のことなのでしょうが、私としてはやはり、中盤以降の金ヶ崎につながるほうに興味がわきました。 小谷城の城主であっても若さゆえか、重臣たちや父・浅井久政(榎木孝明さん)や朝倉の使者の朝倉景鏡(池内万作さん)を押し切る力のない浅井長政(中島歩さん)。 長政にしたら織田信長(小栗旬さん)は心から愛する妻・市(宮﨑あおいさん)が大事に思う兄だから、義理の兄弟としていい関係でいたいでしょう。信長もまた長政には無理させぬよう、逃げ道をつくりながら提案していきます。 しかし小谷城に戻ればそんな甘い考えは認められず、特に朝倉景鏡が笑った能面のような顔で迫ってくるときは、長政も気迫負けしたように感じました。 さて来週はいよいよ金ヶ崎からの脱出です。手柄を挙げたい松永久秀(竹中直人さん)がどう動くのか、竹中半兵衛(菅田将暉さん)の知恵と絵図がどう働くのか。興味の尽きないところです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄12年(1569)主君・織田信長(小栗旬さん)の命により木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は美濃三人衆の一人だった安藤守就(田中哲司さん)娘の慶(吉岡里帆さん)を妻に迎えました。兄の木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は、これで美濃衆と尾張衆の絆がゆるぎないものになると賛成でした。しかし慶の良くない噂を耳にしている妻の寧々(秀吉の妻;浜辺美波さん)は小一郎が心配で反対。ただ当の小一郎は、この縁談は自分の望みだと考えていました。 数日後、慶が小一郎のもとに嫁いできました。木下家の一人一人の名を呼んで挨拶をする慶に木下家の男どもは好感をもちました。小一郎と慶が奥に入ると、隣に住む前田利家(大東駿介さん)が木下家の庭に入ってきて、慶に関する話を始めました。慶の前夫は斎藤家の重臣だったが稲葉山の戦いで討ち死にした、慶にとって織田は仇であり、斎藤側の敗因は慶の父・安藤守就が織田に寝返ったことによるもので、しかもそのきっかけを作ったのは小一郎だ、と。 その話を聞いて秀吉は、先ほど慶が挨拶したときに「この巡り合わせに感謝している。」と言ったことを思い出し、それがどういう意味なのかとさすがに小一郎が心配になりました。秀吉と寧々は小一郎たちが奥でくつろいでいるところに急いで乗り込み、小一郎を毒殺するつもりか?と慶を責めました。兄夫婦が突然やってきて言い出したことが理解できない小一郎が問うと、二人は慶の過去と小一郎を恨んでいることを話しました。しかし小一郎は驚くこともなく慶をかばい二人を追い出しました。 兄夫婦が去った後、小一郎は慶に優しく接しました。しかし慶は小一郎に「私は貴方が織田の侍だということが許せない。父が美濃を裏切ってさえいなければ、貴方が余計なことをしなければ夫は死なずにすんだ。私の心は織田には渡さない。」と激しく憎悪をぶつけました。小一郎は慶が自分を許してくれるまで何も求めん、自分を大切にせよ、とだけ穏やかに思いを伝えました。 さて岐阜城の信長のもとには明智光秀(要 潤さん)が来ていて、将軍・足利義昭(尾上右近さん)への信長の力添えに対して礼を述べていました。信長がその後で、義昭が元号を改めるよう朝廷に奏上したと耳にしたことを言うと光秀は、幕府の権威を元に戻し長く続くことを願って「元亀」としたい、と義昭の意向を伝えました。しかし信長は快諾するどころか「わしは好まぬ。他のものにせよ。まさかわしに何の相談もなく勝手に決めてから事後報告ではあるまいな?」と威圧的に言いました。そして光秀に、この元号の件と、これより諸国大名とのやりとりすべてを自分に相談することを義昭に伝えるよう念を押しました。永禄13年(1570)信長は義昭に対して五か条に及ぶ要求を送り、二条御所では室町幕府の奉公衆の細川藤孝(亀田佳明さん)らが信長が増長していると猛反発していました。和田惟政(玉置孝匡さん)は、信長がいなければ義昭を守れないと慎重でしたが、奉公衆の間で激論になりそうだったので義昭がそれを止めました。義昭は皆に、今回は信長を大目にみてやろう、五か条は自分の意思で受け入れる、と言い渡しました。しかし皆が下がった後で光秀と二人きりになったとき、義昭はそれまで抑えていた怒りと悔しさが爆発しました。信長が庭に据えた藤戸石を力いっぱい刀で打ち据え、刀が折れた後で光秀に刀の使い方を自分に教えるよう言いました。 近江の常楽寺に来ていた信長は、義弟の浅井長政(妹・市の夫;中島歩さん)と何番も相撲を取って、自分と亡き弟の信勝とのことを思い出していました。信長は気持ちを改め、今回の出陣の意図を長政に伝えました。我ら織田は将軍・義昭から石山城の武藤友益を討てと命があり若狭に出陣した、武藤は裏で朝倉と通じている、此度の出陣の真の狙いは朝倉討伐だ、それでよいな?と。 嫡男の万福丸を朝倉に人質に出している長政は快い返事ができず、浅井と朝倉は古くからよしみがあり、その討伐には異を唱える家臣もいることを信長に言いました。しかし市をめとったときからこのように織田と朝倉の間で自分が板挟みになる日が来ると覚悟していたから討伐は存分にやってほしい、と言いつつも迷いは隠せませんでした。 長政の苦悩がわかる信長は、此度の戦は浅井は近江を動かずに後方の守りに務めよ、織田に加勢しなければ朝倉もやすやすと万福丸の命をとるまい、万福丸はいずれ我ら織田が救い出す、市が我が子のように可愛がっている万福丸を見殺しにしたら後で市にきつう叱られる、と長政に配慮しました。そして信長は、この戦が終わったらまた相撲を取ろうと言い、長政も次は自分が勝つと言って、二人で笑い合いました。 永禄13年4月、出陣した信長は京の二条御所に入りました。信長は義昭が淹れた茶を飲み、次は自分が義昭をもてなすと言いつつ、まずは成すべきことがあると付け加えました。一服の後、庭に面する障子を開け放つとそこには武将たちが集まっていました。信長は兵たちを鼓舞した後、総勢3万の軍勢を率いて若狭に向けて進軍を開始しました。 秀吉は途中、徳川家康(松下洸平さん)の陣を訪ね、家康に挨拶をしました。「熱意が人を動かして勝負を決する」と授かったあのときの金言を今も胸に刻んでいる、自分がここまでこれたのもあの言葉があったから、と家康に思いを伝えました。家康も、真に立派になられた、と秀吉の出世を褒めましたが、実は秀吉と小一郎のことは全然覚えていなかったし、自分があのとき何を言ったのかも覚えてなかったのでした。 小一郎が陣地で仕事をしていると大和多聞山城主の松永久秀(竹中直人さん)が訪ねてきました。松永は小一郎に、嫁を取ったそうだが離縁しろと言い出し、戸惑う小一郎にお構いなしに、自分の娘を小一郎に嫁がせて織田との関わりを深めたかった、小一郎の他にちょうどいい独り身の男がいない、妾でも構わぬから娘をもらってくれ、と一方的に言いました。小一郎が夫婦になってまだひと月もたっていない、ご勘弁をと言うと松永は娘のことはあきらめたようでした。そして、ならば此度の戦で武功を挙げて信長の目を引くしかないと考え、此度の戦は織田が有利だと楽観的な小一郎に、「戦というものは蓋を開けてみなければわからない。よく覚えておけ。」と忠告をして出ていきました。 そのころ小谷城では城主の長政が信長との約束を守ろうと、此度は動かぬと家臣たちを説いていました。しかし重臣の宮部継潤(ドンペイさん)は、信長の出陣は若狭攻めと見せかけて朝倉攻めをしようとしているのは明白だと強く意見し、遠藤直経(伊礼彼方さん)も「これは我々浅井への裏切りだ。」と強い言葉で長政に意見しました。長政が、信長は義昭の命で出陣せざるを得なかっただけだと言っても遠藤は、信長は己に従わぬ大名を幕府の名を借りて滅ぼすつもりでは?と考えました。 長政が、とにかく此度は動かぬ、織田にも朝倉にもつかぬ、と家臣たちに言い渡したとき「そういうわけにもいくまい。」と父の浅井久政(榎木孝明さん)が入ってきました。長政が父に、これは当主だる自分が決めたことだから意見は無用に、と言うと朝倉一門衆の朝倉景鏡(池内万作さん)が入ってきました。 景鏡は長政を見据え「我ら朝倉が敵に攻めこまれているのを黙って見過ごすつもりか?何もしないのは盟約を破っているのと同じ。」と言いました。長政が景鏡に、今からでも遅くないから朝倉も幕府に従い上洛を、と言うと景鏡は長政の言葉を遮りました。行くあてのない義昭をずっとかくまってきたのは我ら朝倉、その恩を忘れ信長にそそのかされて我らを攻める、道理が通らぬのは幕府のほうだ!と景鏡が怒りを込めて言いました。 すかさず父・久政が「何を迷っておる!万福丸を見捨てるつもりか!」と厳しく言うと、長政の説得はこれで決まりだとばかりに景鏡が近寄り、「今、我らが手を組めば信長と幕府軍を一網打尽にできる。」と意見しました。続けて遠藤が、これこそ天が与えてくれた千載一遇の機と言い、長政が返す言葉につまっていると父・久政が今度は市(宮﨑あおいさん)のせいかと言い出しました。長政は怒って反論しましたが久政は、市はしょせんは信長の妹、腹の中では何を考えているかわからん!と一方的に言い、景鏡はさらに市の身を脅かすようなことを言いました。激怒する長政を景鏡は、万福丸は見捨てても市は助けたいのかと煽るように笑い、ではどうするかを今この場で決めるよう、長政に迫りました。廊下でこのやり取りを聞いていた若い侍はすぐに立って市の侍女の部屋に走って手短に内容を伝え、話は侍女を通じて市のもとにもたらされました。 信長率いる幕府軍は若狭の乱を鎮めた後、その勢いに乗じて朝倉方の城を次々と攻め落としていき、越前の金ヶ崎城に陣を置きました。重臣の柴田勝家(山口馬木也さん)は、ここから一乗谷へは一日で行ける、我が軍はほとんど無傷だ、と勝利を確信しており、他の重臣たちも同様でした。信長は重臣たちに、今宵は英気を養いゆっくり休むよう皆に伝えよ、明朝、日の出と共に一乗谷に向かう、と命じました。 その夜は信長からのお許しもあり、兵たちは皆で酒を飲んでくつろいで楽しんでいました。しかし一人、竹中半兵衛(菅田将暉さん)だけは机に向かい何か書き物をしています。半兵衛は「明日、生きるために」ーーそう言ってここまでの道のりとその周辺の地形を絵に描いていました。 酒盛りに興じる兵たちとは別に、信長は秀吉と小一郎を呼び出し「一乗谷に乗り込んだらやってもらいたいことがある。」と言うと、万福丸を助けることだと秀吉はすぐに察しました。秀吉は「お任せを!必ずや!」と自信をもって返事しました、しかしそのとき勝家が急ぎ信長のもとに駆けつけ「たった今、我が忍びから報せが!浅井長政、謀反!」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 10, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回は全体的に登場人物のそれぞれの心情描写が多い回でした。私が気になったのは織田信長(小栗旬さん)の行動。妹・市(宮﨑あおいさん)浅井長政に嫁いでからというもの、会うこともなく、送られてくる文も既読スルー状態。 市はあれだけの覚悟をもって浅井に嫁いだのだから、今どきの感覚では、ふつうに考えたら冷たい兄に思えます。でも時は戦国。市がいつまでも実家の織田家とやり取りしていたら、周囲の者たちに怪しまれて市の身が危うくなるかもしれません。あるいは純粋に、長政と早く打ち解けるよう、妹・市の幸せを願って距離を置いていたかもしれません。 でもとにかく妹は自分に怒っている。それがわかっているから癒し役として秀吉と小一郎をこっそり連れていったあたりは信長らしい優しさだと思いました。 とはいえ、急用で座を外した長政に「何かある」とピンときて、おそらく久政の部屋の外で立ち聞きぐらいはしていただろうし、あえて中に入って部屋にいた面々を確認し、要件だけ伝えたらさっさと退散。そして「ぐずぐずしていたら討たれる」と本能的に直感し、秀吉と小一郎を連れてすぐに小谷を後にしました。 信長のこの「身の危険を感じる直感」と「その後すぐに行動に移す早さ」ーーこうした危険回避能力が信長の強さだったのかな、とも思いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄12年(1569)1月、将軍・足利義昭(尾上右近さん)が襲撃された本圀寺の変で敗北した三好三人衆は京を退きました。堺の会合衆は織田信長(小栗旬さん)に服従することを決め、あれこれ理由をつけて出ししぶっていた2万貫をすぐに用意し、他の用もなんでも承るという低姿勢でした。 京では信長が義昭のために二条御所を造営し、天下人の石とも言われる藤戸石を信長が陣頭指揮を執って運ばせていました。石が御所の庭に置かれ、信長はひざまずいて義昭に言います。この石は諸国より多くの武将が集まり、およそ3千人が義昭のために石を運んだ、そして1万人以上の人夫が昼夜を問わず働き続け、わずか3か月でこの二条御所を完成させた、義昭の威光を世に知らしめた、これが肝要なのだ、ということを。 義昭は信長に労いの言葉をかけ、これからも守ってほしいと言いました。しかし信長が去ると義昭は明智光秀(要 潤さん)に、自分は信長の言葉を信じていないと本音を言いました。そして光秀も、この御所内には何か所か隠し部屋や抜け道をがあることを報告し、どうするかを義昭に尋ねました。義昭は、今は動くな、他の武将たちの信長への反発が高まったときに自分が将軍として動くと言い、光秀も承知しました。 このたびの京での働きにより木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は信長から京都奉行に任ぜられました。兄・秀吉が京都奉行のことを何も知らずに引き受けたことを木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)はあきれ顔、しかし秀吉はこれで丹羽長秀(足軽のころから世話になってきた人)や明智光秀と肩を並べることができると意気揚々としていました。 京都奉行の役目については竹中半兵衛(菅田将暉さん)が、「幕府の名の下、京の都を治め、民の訴えを裁き、商いの是非を定め、公家との談判、寺社の取り締まりなどがある。」と教えてくれました。 さっそく寺の僧たちが、寺の宝物や室礼の数々が勝手に持ち出されて御所に飾られている、返してほしい、と訴えました。丹羽は対応できずに逃げ、新米奉行の秀吉が対応がわからず困っていたら光秀が、この件は自分が義昭に直々に伝えると言ってその場を収めました。 京都奉行になったものの百姓あがりの秀吉は貴人の教養など何も知りません。公家たちとの付き合いのために秀吉は和歌・蹴鞠・茶道など、小馬鹿にされながらも必死で取り組みました。それに対して京での公家との付き合いを難なくこなす光秀を、秀吉は感心して褒めました。逆に光秀は、足軽からわずか10年で織田家の重臣になった秀吉を大したお方だと褒めました。 秀吉がすべては主君・信長のおかげだと言ったとき、光秀は義昭が「秀吉と小一郎を自分のものにしたい」と言っていたことを思い出し、京の公家相手など秀吉には不得手な役目、あえて公家たちの笑い者になれとは酷い話だ、と信長を強く批判しました。秀吉が真顔になって信長を悪く言う者は誰であっても許せぬと言うと、光秀は詫びました。そして自分が義昭と出会ったときのことを語りました。 自分はたまたま明智の家に生まれ家督を継いだだけの男で、秀吉のように己の力で何かを成し得たのではない、美濃を追われて10年、自分は何のために生きているのかずっと考えていた、そんなとき義昭に出会った。義昭が「これも御仏の巡りあわせだと思う。我が命はこのときのためにあったのだ。力を貸してくれ。」と言ったとき、光秀も自分もこのときのために生きてきたと思えた、義昭に救われた、と語りました。 そして光秀は、将軍・義昭を支えて幕府によって世の静謐をもたらすことが自分の天命と心得ている、このことを信長に伝えてほしい、と力強く秀吉に言いました。 光秀の義昭への思いを聞いて胸が熱くなった秀吉でしたが、京都奉行の役目はやはり性に合わなくて疲れていました。小一郎に役目を代わってくれと頼んでも、小一郎も自分の役割で手一杯だからだめでした。秀吉は気分転換と称して京の町を見回ってくると言うけど、それは嘘で行先は京女のところ。小一郎は兄の嘘を見破って引き留めていましたが、結局は自分も一緒について行ってしまいました。 そのころ岐阜の木下屋敷では、寧々(秀吉の妻;浜辺美波さん)のところにまつ(前田利家の妻;菅井友香さん)が遊びにきていて、二人で互いの夫の自慢合戦をしていました。まつが秀吉は京で女遊びをしているかも?と意地悪を言うと、寧々は内心は不安になっていました。 それから数か月、秀吉と小一郎は京都奉行の仕事に追われ、さらに信長からの容赦ない出陣命令で但馬(竹田城)や伊勢(阿坂城)での戦(どちらも永禄12年、8~9月)に赴き、まさに息をつく暇もない忙しさでした。 秀吉がようやく一息ついて京女のところで寝ていたとき、主・信長が突然やってきて叩き起こされました。すぐに出立を命じられ、向かった先は・・? 信長は妹・市(宮﨑あおいさん)が嫁いだ北近江の小谷城に立ち寄りました。堅固な城の造りを見て信長は、城主で市の夫である浅井長政(中島歩さん)に、ここにいれば市も安心だと伝えました。 ただ信長が来ているというのに肝心の市が呼んでもなかなか出てこず、やっと兄の前に姿を現したかと思うと不機嫌で兄にも他人行儀な挨拶です。妹・市の不機嫌な理由は、信長はわかっていました。嫁いでから一度も顔を見せないどころか文を何度も送っても返事はなく、ずっと音沙汰なしだったのです。 そう、市の不機嫌が予測できていたから信長は、市に祝儀の品をたくさん用意し、そして長持には秀吉と小一郎を忍ばせ市に会わせたのでした。「2匹のサルを捕まえてきた。これで機嫌を直せ。」尾張でお気に入りの家臣だった二人が思いがけなく突然目の前に現れ、さすがの市も笑って機嫌が直りました。 市は生まれたばかりの赤子の茶々を奥から連れてきました。長政は義兄・信長に茶々を抱いてやってほしいと言いましたが信長は遠慮し、代わりに守り刀として自分の懐剣を茶々に置いていきました。傍で見守っていた秀吉はおずおずと代わりに赤子を抱かせてほしいと申し出、小さき命に秀吉は感動していました。これが後に、豊臣家を創った者と、豊臣家を終わらせた者の出会いとなりました。 信長は長政と二人きりになったとき、自分は血で穢れているから茶々を抱いてやれなかった、と長政に詫びました。そして信長は、火傷の傷が痛々しくまだ残る長政の手を見て詫び、市と子を守ってやってほしいと頼みました。そんな話をしていたら家臣の遠藤直経(伊礼彼方さん)が急ぎの用だと長政を呼びに来ました。信長は長政に行くように促し、去り際に信長を一瞥していく遠藤の腹を探っていました。 市は秀吉と小一郎に浅井家嫡男の万福丸(近江晃成くん)を紹介し、万福丸が自分を本当の母のように慕ってくれるのを嬉しく思い幸せそうでした。そして市は出世して立派になった兄弟を褒め、秀吉はすべて信長のおかげだと市に礼を言いました。小一郎は、市が美しく優しい女性に変わった、夫の長政がそうさせたのでは、と思いを伝えました。市も否定はせず、長政や子供らといると温かい気持ちになる、嫁ぐ前はずっと兄のために生きていくことだけを考えていたが、人の巡り合わせにはそういう力があるかもしれない、としみじみと語りました。 一方、父・浅井久政(榎木孝明さん)に急ぎ呼ばれた長政は、朝倉一門衆の朝倉景鏡(池内万作さん)から嫡男の万福丸を人質に差し出すよう言われました。景鏡は、朝倉は浅井を信じてはいるが、長政が市をめとったからにはそれ以上にゆるぎないつながりがいると言い、父・久政もそれに同意していました。 するとそのとき信長がいきなり障子を開け、厠と間違えたと言いつつ中に入ってきました。信長は景鏡を見つけて挨拶をし、将軍・義昭は朝倉義景が上洛するのを待ちわびている、と伝えるよう言いました。そのときに危機を察した信長はすぐに退室し、市と談笑していた秀吉と小一郎に「朝倉に討たれる。すぐにここを出る。」と言って小谷を去っていきました。 小谷の後、秀吉と小一郎は久しぶりに岐阜の家族のところに戻ることができました。でも京での女遊びが寧々にばれていて、秀吉を迎える寧々は笑顔だけれど目は笑っていませんでした。 二人が家に入ると木下家の身内一同と隣家の前田利家(大東駿介さん)とまつが集っていました。秀吉が母・なか(坂井真紀さん)や舅の浅野長勝(宮川一朗太さん)にら挨拶し、皆に京土産を配ろうとしたとき、寧々は不機嫌になって退室し、まつは京のことをにおわせる嫌味を言って一緒に出ていきました。 秀吉が利家に京でのことを言いふらしたのかと問うと利家は、皆には言ってない、妻のまつに言っただけだ、自業自得だ!と憎まれ口をたたくので、秀吉は頭にきて二人で「猿と犬の真似」で喧嘩が始まりました。 賑やか座敷の中で、集まった皆はそれぞれに連れ合いがいるのに、小一郎は自分は一人だと感じました。宴の場をそっと抜け出し、小一郎は直の墓の前に京土産の櫛を置き、今の思いを伝えようとしましたが、そのときに不思議な女が小一郎の前を過ぎていきました。 一方、秀吉は寧々の機嫌を取るのに必死でした。京でのことを土下座して詫びると寧々は、先ほどの酒に毒を入れた、私もこの毒薬で死ぬ、と言い出しました。秀吉は、こんなわしのために死ぬな、とひたすら詫びて懇願し、それを見た寧々は、毒は嘘だと言いました。本当にそうしようと思っていた、でも久しぶりに秀吉の顔を見たらできなかった、そういって泣きました。 秀吉は寧々に、二度と女遊びはしないと誓いました。でも寧々は、自分は子ができぬかもしれないから、本当に良き女子が現れたら遠慮なくどうぞ、とまで言いました。秀吉は、わしには寧々がいればいい、そう言って寧々の肩をそっと抱きました。 翌朝、小一郎は母・なかに繕いものを頼みました。母は小一郎に「直のことはわかるけど、いつまでも身の回りの世話はできないよ。人の命はつくろえないからね。」と優しくくぎを刺しました。そのとき甚助(前原瑞樹さん)が来て、殿・信長がお呼びだと小一郎に伝え、小一郎は急ぎ城に上がりました。 信長は小一郎に、嫁を取れ、これは主命だ、と言いました。そこには安藤守就(田中哲司さん)がいて、娘の慶(吉岡里帆さん)を呼び、廊下の向こうから慶が現れました。慶の顔を見たとき、もしかして昨夜、直の墓のところで会った女か?と小一郎は目を丸くしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
April 2, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 このドラマの主役の小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)と、W主役と言ってもいい藤吉郎(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)。今回もこの兄弟は交渉事ではコンビを組んで活躍しました。 相手に対して高圧的に出る秀吉と、双方がうまくいくことを良しとしてソフトに対応する小一郎。どちらがいいとかではなく、物事をうまく運ぶためにはどちらの要素も必要なんですよね。 それにしてもいきなり敵が攻めてきた本圀寺での、そこにいる人たちのそれぞれの存在や働きが面白かったですね。危ないのに表に出てきて、扇を広げて兵を鼓舞する将軍・足利義昭(尾上右近さん)、万一に備えて兵を調練してあった明智光秀(要 潤さん)、小一郎が義昭を説得する言葉がいいなあと感動していたら結局は万事休すになり、でもそれを兄・秀吉が救ってくれた、この展開はホント面白かったです。 そしてもう一つ見どころだったのが、市(宮﨑あおいさん)と浅井長政(中島歩さん)の関係です。家臣だったら以前からなじみの相手と結婚することはあるけど、殿様やその一族の場合、政略結婚で顔も見たことのない相手と一緒になることが多いのです。 だから市の場合、いきなり会った長政を好きになれ、と言われても、頭ではわかっても心がついていかない、優しい人だけどただそれだけ、って思ってしまうと思います。でも長政のほうは、市を一目見た瞬間から市を我が妻にできることを心から嬉しく思い、市を大事にしてくれました。だからあんな無茶をしてしまいました。でもそれでようやく長政の大きな愛がわかり、市も長政を受け入れて、妻として幸せになれました。ただね、だからこそ4年後の小谷落城のときに市と長政の間でどんなやりとりがあり、その後の兄・信長の長政への仕打ちに市がどんな感情になるのか。視聴者の感情のアップダウンは大丈夫なのか。脚本の八津弘幸氏はたぶん今までの戦国ドラマとはひと味違う描き方をすると思うので、興味津々であります。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄11年(1568)秋、尾張の織田信長(小栗旬さん)は室町幕府第13代将軍・足利義輝の弟の足利義昭(尾上右近さん)を奉じて上洛し、畿内を制圧しました。信長は摂津の芥川城に滞在し、そこに大和・多聞山城主の松永久秀(竹中直人さん)が訪ねてきました。 当初、信長は松永を将軍(第13代・義輝)を殺した男と考え、松永はそれは濡れ衣で身に覚えのないことだと主張しました。その後で松永は改めて信長に挨拶して信長の上洛を称え、そして自分は今、大和にて三好の息のかかった者たちを追い詰めている、この先も大和を治めることを認めてほしい、と訴えました。信長がその件は将軍・義昭に報告してからと言いかけると松永はそれをさえぎり、手土産の茶器を信長に渡して、この件は信長に認めてほしいと強く言いました。 信長は本圀寺にいる義昭に松永の件を報告しました。義昭の側近たちは松永のことを、義昭の兄・義輝を殺し東大寺を焼き払った男とみていて反対しました。信長は、これらは三好が流した噂話だと否定し、噂話に振り回されていては民の心はつかめない、と義昭に進言しました。 信長の言葉を聞いて義昭の側近たちは、調子に乗るな、将軍を愚弄する気かと語気を強めて言い、その様子を見て逆に信長の重臣・柴田勝家(山口馬木也さん)が愚弄しているのはどちらかと、双方が激しい言い合いになりました。 そのとき信長に同行していた木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)が突然、音を立てて放屁し、しかもそれを弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)に罪をなすりつけて、兄弟で言い合いが始まりました。でもその流れの中で秀吉は、これでは三好が松永にしたことと同じ、濡れ衣を着せられるとはかくも悔しいことか、と松永の話にすり替えました。 将軍の御前で放屁のことで延々と言い合う兄弟。明智光秀(要 潤さん)が二人を止めると、そのやりとりを見て義昭が笑い出し、織田の家臣たちも笑い出しました。場の空気が落ち着き、義昭は思いを語りました。自分は3歳で寺に入れられたから兄・義輝への思い出はない、あるのは妬みのみ、兄を殺したかもしれない松永には何も思わない、むしろそのおかげで今ここ(将軍の座)におる、松永のことが信長に任せる、と。 この後で秀吉と小一郎と竹中半兵衛(菅田将暉さん)の3人で、松永は信用できるか、なぜ殿・信長は松永を味方にしたのかを話し合いました。半兵衛は、信長が松永を助けたのは松永が持っている茶器ではなく、もっと大きな狙いがあると読んでいました。 そのころ信長のところには妹の市(宮﨑あおいさん)が嫁いだ先の北近江・小谷城の浅井長政(中島歩さん)が来ていました。長政は義兄の信長に、京から岐阜に戻る際に小谷に立ち寄っていかないか、市も喜ぶからと誘いました。信長は、今はまだやめておこうと言い、代わりに京土産を市に渡してほしいと頼みました。そこへ信長に呼ばれた秀吉が来たので、長政は退室しました。信長は岐阜に戻る前に、秀吉に堺での仕事を命じていきました。 信長からの命を受け、秀吉と小一郎と半兵衛は堺にいました。堺は異国人が行き交い、あちこちで囃子や踊りがあり、珍しい食べ物や珍しい動物もあって、岐阜の城下とは比較にならないほど華やかでにぎわっていました。初めて見る景色に目を見張る秀吉と小一郎。途中、武器をもって歩く男たちに出会いました。案内役の松永は、あれは主を持たない侍で銭さえ払えば何でも請け負う、堺はどの大名にも属さず、商人たちが自ら治める町、故にあのような輩たちをあちこちで雇い町を守っている、そう二人に説明し、二人を少し待たせて離れました。 半兵衛は、堺には諸国の銭と情報と、そして鉄砲が集まる、信長は松永を足掛かりにしてこの堺を手に入れるつもりだ、と分析していました。じきに松永が堺の有力商人の集まりである会合衆の今井宗久(和田正人さん)を連れて戻ってきました。 松永と今井は秀吉たちを会合衆の集まる場に案内しました。堺は会合衆の合議制で自治が成される町であり、その会合衆が自分の支配下であると世に示すことが狙いの信長は、会合衆に矢銭2万貫を出させるよう秀吉に命じていました。 能登屋(山本浩司さん)がその命令には従えぬの反論すると、秀吉はこれは幕府のための銭、それが払えぬとなるとこの堺は幕府を敵に回すつもりとみなされる、と半ば脅しました。次に小一郎は、あらかじめ計算してあった数字を出し、これは会合衆に払えない額ではないし、後でその金で鉄砲を300丁ほど買って皆の儲けにする、と交渉しましたそして半兵衛が最後に、くれぐれも目先の儲け話に惑わされぬようにと忠告し、秀吉たちはその場を出ていきました。 秀吉たちがいなくなると、会合衆の者たちは考えました。今井は、商人は時流を読んでなんぼ、今は織田という流れに乗るべきでは?と意見し、津田宗及(マギーさん)は、今の幕府が続けばの話、と考えました。 さて浅井長政も小谷に戻り、妻の市に兄・信長からの京土産を渡しました。美しい手鏡を見て市は喜び、長政は自分は忙しさで気が回らず土産がないと言いました。土産よりも武功をと言う市に長政は、自分は市を思えばこそ戦える、信長のように強くなれない、と詫びて部屋を出ました。 でも本当は長政も、市のために京土産を用意してあったのです。少し離れた廊下で自分が京で買い求めた手鏡を懐から出して見ている長政。その様子を遠巻きに市は見て、長政の優しさを思いつつも声をかけずに部屋に戻りました。 市が信長にお礼の文を書いていると、舅の浅井久政(榎木孝明さん)が部屋に来ました。久政は、また信長に文を書いておるのか、まさか浅井の内情を報せておるのでは?と戯言を交えつつ、何気なく書いたことが不都合になることもある、そなたは浅井の女子、織田のことは忘れよ、と市にくぎを刺して出ていきました。 年も暮れになり松永は岐阜に向かう前に将軍・義昭のところに茶器を持って挨拶に行きました。松永が去ろうとすると義昭は、信長に渡した茶器とどちらが値打ちものか?と問い、松永はもちろん義昭に渡したほうだと答えました。義昭は松永の嘘を見破っていました。でも同様に松永も、義昭を見誤っていたと実感しました。 松永は堺の件を小一郎に確認しました。小一郎が、兄・秀吉が堺に出向いているけど、なんだかんだと先延ばしにされていると言うと松永は、やはり堺は一筋縄ではいかぬと忠告しました。 秀吉が今井に確認すると、矢銭2万貫と鉄砲300丁は間違いなくと会合衆を説き伏せたと言います。秀吉は、殿・信長の我慢にも限度がある、次に約束を違えたらこの堺は火の海になると思え、と強く言いました。そこに橘屋又三郎(関太さん)が駆けつけ、鉄砲300丁は売れなくなったと伝えました。 300丁の鉄砲は信長と敵対する三好三人衆(三好長逸、三好宗渭、石成友通)が高値で堺の商人から買っていました。津田宗及は、より儲けの大きい相手と商いをするのが商人の常道、すぐに消えゆく成り上がりとはつきあわない、という考えでした。 また鉄砲300丁を手に入れた三好三人衆は、これで畿内は我らの手に入ったつもりになっていました。ただ彼らには、美濃を信長に奪われて美濃から出ていた斎藤龍興(濱田龍臣さん)が絡んでいて、龍興は気を緩めぬよう、信長たちを侮らぬよう、三人衆に忠告していました。 三好三人衆の動きは堺にいる秀吉たちの耳にも入り、半兵衛は正月で奉公衆が国元に戻り、松永が岐阜に行く機会を最初から狙っていたであろう、と分析しました。ならば我らも急ぎ京に戻ってと秀吉は考えましたが、半兵衛は間に合わないからと秀吉を制しました。ならばどうしたらいいのか。策を考えるために秀吉は今井に茶を所望しました。 永禄12年(1569)1月、将軍・義昭のいる本圀寺を三好長逸(中野英樹さん)三好宗渭(奥田洋平さん)石成友通(阿部亮平さん)の三好三人衆が襲撃しました。義昭と一緒にいるのは明智光秀の手勢と小一郎と蜂須賀正勝と前野長康のみで、激しい攻防となりました。しかし多勢に無勢、義昭の身が危うくなってきたので小一郎はひとまず蔵に逃げるよう義昭に促しました。ところが義昭は逃げるどころか二階の渡り廊下に進み出て、今少しだけ持ちこたえよ、さすれば味方が駆けつけよう、それまで共に戦うのだ!と扇を振って皆を鼓舞しました。岐阜にいる信長は秀吉から三好三人衆が本圀寺を襲うと急報を受け、京に向かうために馬の用意をするよう命じました。 龍興は三好三人衆に、東大寺を燃やしたように早く火を放つよう促していました。寺の中では義昭がもはやこれまでと覚悟し、三好三人衆が将軍殺しである悪評を世に知らしめよ、と光秀に命じていました。それを聞いた小一郎は義昭に進言します。 「世の者は誰かの悪評なんてすぐに忘れてしまう。侍はともかく百姓にとっては誰が将軍かはどうでもいい、皆その日を生きるのに精一杯。潔く死んで満足するのは侍だけ。百姓はどんなに不作でもひもじくても自分から死んだりはしない。なぜなら次の年こそ豊作になると信じているから。」そして前に進み出て義昭に「豊作の世にしてほしい。無様でも皆のために生き延びてほしい。」と笑顔で言いました。小一郎の言葉に心を動かされた義昭は涙しながら少し笑いました。 とはいえ、この難局をどう乗り切ったらいいのか。義昭がふと、この本圀寺は三好家が代々あがめている寺、そこに自分がいるから祟りかも、と言葉をもらしました。小一郎は祟りを利用して敵方を説得して時間を稼ごうと思いつき、敵が火矢をかける直前に僧のなりをして門から出てきました。 小一郎は三好三人衆に向かって、三好家代々の寺をないがしろにすれば七代先まで祟られる、しかも火などかければ東大寺大仏の二の舞で、あの暴挙も三好の仕業と世に知らしめることになる、義昭にはここから出ることを約束させた、その間は手をださぬと約束してほしい、と説得しました。三好三人衆はそれを受け入れ、小一郎は寺に戻りました。門の閂がかけられたとき、交渉成立で小一郎は一安心でした。 しかしいっこうに義昭が寺から出ていく様子がなく、三人衆は長く待たされて苛立っていました。小一郎はが時を稼ごうと再び僧のなりをして出てきて三好たちに甘酒を勧めても通用せず、三好は火を放つよう兵に命じました。万事休す!ーー小一郎がそう思ったとき、100ほどの織田勢が現れました。三人衆は、数では我らがはるかに勝るがここで一戦交えていれば我らは退路を失うと考え、兵たちに退くよう命じました。 本圀寺に現れたのは堺にいるはずの兄・秀吉たちでした。小一郎が見慣れぬ顔の侍たちを見て不思議がっていると秀吉は、わしの新しい家臣だ、今日だけだがと言い、半兵衛が堺で金で雇ったと説明してくれました。小一郎は兄に「よう来てくれた。」と言い、秀吉は弟に「よう持ちこたえた。」と言って、二人で笑って抱き合って喜びました。その姿を遠くから眺める光秀は、小一郎ははじめから兄・秀吉を待っていたのだと思い、義昭はあの二人を自分の家臣にしたいとしみじみ思いました。 その翌日、わずか数人の家臣と共に岐阜から夜通し馬をかけてきた信長が本圀寺に到着しました。信長は小一郎に、よく義昭を守ったと褒め、褒め言葉を期待する秀吉には、いつになったら2万貫もってくるのか!ぐずぐずせず今すぐ堺に行け!と厳しく叱り飛ばしました。 そのころ市のいる小谷城では、市が信長からもらって大事にしていた手鏡が庭で火にくべられていました。長政はすぐに火を消すよう誰かを呼ぶと、市がそれを止めました。いつまでも織田を捨てられない自分が悪い。そう言いながらもどこか悲しそうな市を見た長政は、炎の中から焼けた鏡を素手でつかみ出しました。 火傷の痛みをこらえながら長政は、これは市の大切なものだから、自分は市を人質とは思っていない、市は織田と浅井を結ぶ懸け橋だと思いを伝えました。こんな無茶までして!ーー市は長政が自分を本当に心から愛してくれているのだとわかり、長政の胸に顔をうずめ、長政はそっと市の肩を抱きました。空から雪が舞ってきました。「雪がわしの手を冷やそうとしてくれている。空はわしらの味方じゃ。」ーー長政は火傷した手を空に広げました。 黒くすすけてしまった兄がくれた手鏡。市はそれを箱に入れて大事にしまい、この後は夫・長政がくれた土産の手鏡を使うことにしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
March 26, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 信長・秀吉・家康を中心とした戦国ドラマを今までにたくさん見てきた方は、何かのシーンで「これはこの先の展開の伏線になっているだろう」とつい考えてしまうことと思います。私はこの回は、いろいろな部分の対比が気になりました。 その一つが、信長の妹・市(宮﨑あおいさん)への、男たちの恋心です。秀吉(池松壮亮さん)はお市様が大好きだけど妻・寧々(浜辺美波さん)の存在は絶対なので、市に対しては器用にふるまうけど、寧々は怒らせたくないと思ってます。 反対に柴田勝家(山口馬木也さん)は、たぶん側室はいると思われますが、心の中ではお市様が絶対的な存在で、無骨で洒落た言葉の応酬なんて言えなくて、思いをサラリと言葉にできない分、態度や表情に出てしまいます。花嫁姿の市に送る視線、市に何かあったらすぐに飛んでくると「織田配下の武将として」頑張って言えたけど、ちょっと市に内心期待するようなことを言われただけでしどろもどろ。十数年後に市が勝家と再婚するとき、どのようなセリフが出るのか、気になってしまいます。 もう一つの対比は、上洛したときの小一郎(仲野太賀さん)と織田信長(小栗旬さん)の意識の違いです。小一郎は、信長が京と畿内を平定して「天下布武」になったし、京の民たちを安心させたい気持ちもあってか「戦は終わった」と笑顔でした。 しかし信長のほうは、天下布武は成ったけどこれは単なる通り道だと考えが変わり、意識は「これからが始まりだ」と、より高みを目指して進もうとしています。 主君・信長の方針変更で、まあ兄・秀吉のほうは信長がどんな命令を出しても「はい、喜んで!」だと思いますが、小一郎は何でも引き受けてくる兄のためにこの先ますます多忙を極めることになって、でもその中で知恵をめぐらせて乗り越えていくのかな、と展開を想像しています。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄10年(1567)9月、美濃を手中に収めた尾張の国主・織田信長(小栗旬さん)は居城を小牧山城から稲葉山城に移し、この地を岐阜と改めました。そして信長は、武力によって天下を平定する「天下布武」を打ち出すようになりました。 信長の家臣たちも岐阜城下にそれぞれ屋敷を与えられました。木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)たち家族も屋敷に移り住み、戦はなくとも忙しい日々を過ごしていました。 そんなころ明智光秀(要 潤さん)と名乗る男が信長を訪ねてきて、秀吉は謁見の前の案内役を務めていました。光秀は岐阜の城下を見物して以前とは見違えるほどにぎやかになった町の様子に目を見張りました。 秀吉は主君・信長が関所と座をなくして自由に往来させ商いをさせているから、おかげで国中から人が集まる、いずれ京の都や堺をしのぐ日が来るかも、と自慢しました。光秀は京や堺を知らない秀吉を笑い、岐阜がいくら発展しても京や堺にはとうてい及ばぬ、その地を治めるべきは我が主・足利義昭だと自信を持っていました。 明智光秀は信長に謁見し、2年前に暗殺された第13第将軍・足利義輝の弟の足利義昭を擁して上洛する旨を伝えました。光秀は、今京に居座る三好一族は将軍・義輝殺害の大逆人、討ち果たして世の乱れを正すためにも、義昭を将軍として今一度幕府の権威を世に知らしめるべきと言い、信長には是非力添えを頼みたい、義昭が上洛した暁には織田家には格別の計らいを約束する、と言いました。 信長は光秀に、なぜ我らに白羽の矢が立ったのかを尋ねると光秀は、織田は今川を破って美濃を手中に収めた力量があるからと答えました。しかし信長が「ただの順番で、他に頼れないからここに来たのだろ?」と返すと光秀は黙りこくってしまいました。 光秀は信長の言ったことが図星であったことを認め、朝倉・上杉・武田・北条と同様のことを言ってきたが誰も動かない、と言いつつ、織田が動かなければ他を頼るまで、と言うその物言いはどこか信長を見下すような態度でした。さらに光秀は、生涯順番が回ってこない者もいるからよく考えるように、と強気でした。 信長は「上洛の件は引き受ける」と言うと立ち上がり、刀を取って光秀の従者に刀を振りかざしました。その瞬間、光秀が従者をかばって前に出て、その従者こそが足利義昭(尾上右近さん)であることがわかりました。 義昭が、なぜ自分の正体がわかったのかと尋ねると信長は、光秀が常に従者を気遣うふるまいだったと竹中半兵衛(菅田将暉さん)から聞かされていたと言いました。義昭は、隠していたが案内役の秀吉に乗せられて楽しくて、つい気が緩んだようだと少し笑いました。 でもすぐに真顔になり、自分は将軍の血を引いたばかりに命を狙われる、この目で見たもの以外は信用できない、他の武将たちにも同じことをしてきたが気づかれたのは初めてだ、と義昭は言いました。 信長は義昭の前に両手をついて頭を下げて刀を向けたことの無礼を詫び、家臣一同も信長に倣って土下座しました。今勢いのある信長が自分の下座についたとわかった義昭は、「2年前までは仏門にいて、このまま一生を終えると思ったが、自分にも番が回ってきたようだ。今の乱れた世を救えるのは自分しかいない。」と改めて信長に助力を頼みました。信長は、必ずや義昭を上洛させ天下布武を成し遂げてみせると力強く言いました。続けて秀吉が「我らにお任せあれ!」と調子良く言うので義昭は笑い、笑う義昭を見て光秀も安堵して微笑みました。 帰宅した秀吉は小一郎に、次の将軍かもという人から殿が力添えを頼まれた、と意気揚々と上洛のことを伝えました。小一郎は「また戦か」と気が乗らないようでしたが秀吉は、三好は逆賊だから正義は我らにある、これは天下布武の戦だと言い、天下布武の意味が今一つわからない小一郎に「京の都に幕府を再興し、畿内五国を平定し、我ら武士の力で再び世に秩序をもたらすことで、殿にしか成しえぬことだ。」と説明しました。 しかし小一郎は、上洛するにはその手前に六角や浅井がいてことを構えなければならない、特に朝倉と深いつながりがある浅井は我らの上洛を受け入れないのでは?と心配でした。秀吉は「殿がすでに手を打ってある」と言い、それは信長の妹・市が小谷城主の浅井長政に嫁ぐことを指していました。 城では刀の稽古をしている市(宮﨑あおいさん)に信長が「織田家のために頼む。すまぬ。」と詫びていました。戦国の世の習いで嫁ぐというのは人質になる意味もあるのですが、市は「兄上のお役に立てるならうれしい。兄上の信じる道を進んでほしい。」と気丈でした。 さて浅井長政に嫁ぐ覚悟はできたものの、市には少々悩むことがあって、秀吉を呼びました。しかし秀吉は、今は妻・寧々(浜辺美波さん)の機嫌を取りたかったので、代わりに小一郎を行かせました。市は秀吉が来ないことを少し残念に思いつつ、一枚の白紙を出して、浅井長政に文を送ろうと思ったが心がこもらなくてうまく書けないので文案を書くよう小一郎に言いました。 しかし、市に成りすますなんてそんな大それたことは自分はできない、と小一郎は固辞して許しを乞いました。市は小一郎に下がるよう言いましたが、下がる前に小一郎は「聞いた話では・・」と語り始めました。 長政は秀麗な顔立ちで気性も優しく物静かで穏やかで、誰からも慕われるお人柄とか、お市様はきっとお幸せになれる、と笑顔を向けました。でも市は、兄・信長とは似ても似つかぬ、自分の好みではない、と残念そうに言います。小一郎は慌てて市を励まそうと作り話をしたと明かし、市は余計な気遣いは無用じゃ、このたわけが、と叱りました。 小一郎は詫びつつも、それでも此度の婚礼で何か一つでも自分のためとは思うことはないか、と尋ねました。市は少し考えて「私も男に生まれたかった。そうすれば兄・信長と一緒に戦えた。周りの男どもが元服して初陣を飾るたびに羨ましく思った。」と胸の内を明かしました。そして「この婚礼は私の初陣じゃ。」と小一郎に決意を見せ、そんな市に小一郎は「ならば、どうかご武運を。」と優しい顔で市を励ましました。 永禄11年(1568)年明け、市は北近江の小谷城主・浅井長政(中島歩さん)に嫁ぎました。疲れてはいないか、寒くはないか、と穏やかな言葉で市を気遣う長政という男は、小一郎が思いつくまま適当に言った人物像そのものでした。 織田家の重臣たちが岐阜に戻る前に柴田勝家(山口馬木也さん)が市のところに挨拶に来ました。「(小谷で)もし何か困ったことがあったら、いつでも呼びつけください。この勝家、すぐに駆け付けて参ります!」お調子者ではない勝家の言葉だから本気で言ってるのだろうけど、市は気持ちだけ受け取りました。 また市が勝家に小一郎への言伝を頼んだところ、その内容をあまりにもそのまま受け取る勝家は激怒し、小一郎を許さぬと息巻いていました。市は「戯言じゃ。」と勝家を止め、勝家を相変わらず真直ぐすぎる無骨な男だと思いつつ、まだ今日会ったばかりだけど優しすぎる夫・長政よりは、勝家ほうのほうが自分に合っているのではと口にしました。市の言葉に動揺し、どう返事すればいいのかわからず困ってしどろもどろになる勝家。誉れ高き武勇はあれど、こういう話は苦手な勝家に市は「戯言じゃ。気をつけて帰れよ。」と言って立ち去りました。 永禄11年9月、織田信長は足利義昭を奉じて上洛戦を開始、織田・徳川・浅井の連合軍は合わせて6万になり、わずか数か月で六角氏を撃破しました。その後ひと月もたたぬうちに三好三人衆(三好長逸、三好宗渭、石成友通)に迫り、織田軍の破竹の勢いに押された三好三人衆はいったん阿波の国に引くことになりました。 そして10月、信長は古来より日の本の中心として繁栄してきた京・畿内を制圧し、上洛を果たしました。義昭を奉じて京の町を進む織田連合軍。しかしそこで見たものは、応仁の乱(1467~1477)以降、すっかり荒廃してしまった京の風景でした。荒れ果てた家々、町にあふれる貧しい民、響く僧の読経。義昭は一刻も早く将軍となって民たちを救ってやらねばと決意しました。 その数日後、足利義昭は朝廷により室町幕府の第15代征夷大将軍に任ぜられました。京の本圀寺に信長を呼び、礼を言って信長を「我が心の父」とまで言い、信長を副将軍にしたいと言いました。 しかし信長は、礼を言いつつも副将軍のことは丁重に断って辞退し、これからも織田弾正忠信長として義昭を支えていくと宣言しました。織田の皆が帰った後、義昭は信長の真意を光秀に尋ねました。光秀は信長の腹の底が見えないと言い、義昭もそういう者がいちばんやっかいだ、とわかっていました。 さて一方、秀吉や小一郎たちは台や銭の袋をたくさん持って京の町に繰り出していました。秀吉は信長が副将軍を辞退したことに納得がいかないようでしたが、竹中半兵衛は「あれは控えめではなくてその逆。義昭の下につかないよう断った。」と考えました。そして小一郎も、信長が控えめな人間なら少なくともこんなことは思いつかない、と言って持ってきた台に乗りました。 小一郎は高い位置から町の人々に大声で呼びかけました。「織田信長様よりご祝儀じゃ!足利義昭公が将軍になられて皆を平穏な世に導いてくださる。」ーー笑顔でそう言って袋の中の銭をばらまき始めました。秀吉も同様に台に乗って「めでたい!めでたい!信長公のご祝儀じゃ!」と人々に呼びかけて銭をばらまきました。 本当に拾っていいのか?と戸惑いながら銭を拾い出す人々。「銭は使うときに役立ってこそ銭じゃ。これで皆の暮らしが良くなるなら安いもの。」そう言って他の皆にも銭をまくよう勧める小一郎。「ご祝儀じゃ!安心せよ!戦はもう終わったのじゃ!」小一郎は笑顔で人々にそう呼びかけ、ばらまく銭に勢いが増し、遠巻きに見て銭を拾いにこない人のところに行って銭を手渡しもしていました。 京での宿舎の清水寺に戻った信長は、まだ終わっていない、これからが始まりだ、と京の町を見渡していました。そして丹羽長秀(池田鉄洋さん)に、諸国の大名たちには文を出したな?と確認し、長秀は、直ちに上洛して義昭に拝謁するよう書き記したと返事しました。 文を送った主な武将たちは、甲斐の武田信玄、越後の上杉輝虎、越前の朝倉義景、土佐の長宗我部元親、摂津の荒木村重、大和の松永久秀、三河の徳川家康などで、信長は、これで誰が自分の敵かわかる、と考えました。 信長が最初、岐阜に入ったときに「天下布武」を打ち立てたときは、京都を中心とした摂津・山城・大和・河内・和泉の五畿内を考えていました。しかし今では「天下布武などつまらぬ。ただの通り道じゃ。この日の本を一つにする。」と、さらに大きく変わりました。小高い山の寺から京の町を見下ろした信長は「天下一統」への決意を新たにしました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
March 19, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今回はあらすじを追っていって、いろいろ悩みました。というのも、史実とされる年号では、・永禄9年 (1566)秀吉が墨俣砦を建設・永禄10年(1567)信長が稲葉山城を攻め落として岐阜に となっていて、そこにドラマとして直の死が絡んでいるので、いったいどの出来事と年号が合致するのか、悩みました。結果、私の読み違えも含めて少々??な年号になっています。 それともう一つ、当時の人はすごいなと思ったのが「移動」。竹中半兵衛の城の菩提山城がある垂井町は岐阜県の西の端のほうで、滋賀県との境になる関ヶ原の少し東です。地図で菩提山城と岐阜城の距離を測ったら、直線距離で27.5kmありました。しかも岐阜城がある金華山の山頂は、一応下から歩いて登れますが、もうお金払ってロープウェイのほうがいい、という距離と勾配です。 菅田将暉さん演ずる竹中半兵衛は、このドラマでは体が弱い設定になっていますが、菩提山の庵と頂上の城を行き来し、用があれば30km歩いて稲葉山城に行って、この生活ではウオーキングでかなり足腰は鍛えられていると思いました。ちなみに岐阜城がある金華山は、地質がチャートで非常に固いとのことなので、もし抜け道を作るとしたら機械のない当時はかなりの労力だったと想像します。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄9年(1566)秋、直の死から10日がたち、木下家の皆はそれぞれに悲しみを抱えつつなんとか日々を過ごしていました。許嫁の直を失っていちばん深い悲しみを抱えているはずの木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は周囲の者が心配するほど怒りも悲しみも口にせず、兄・木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)の命ずるまま、無理難題な仕事を次々とこなしていました。 今回、兄が城主・織田信長(小栗旬さん)から命じられたのは美濃の山奥に身を置いている策士の竹中半兵衛を調略してくるといのもので、そのために小一郎たちは山中でも怪しまれないように猟師のなりをしてました。 美濃の山中に入った小一郎と秀吉と蜂須賀正勝(高橋努さん)は半兵衛の噂話でもちきりでした。その噂話から察するに、竹中半兵衛という男はとにかく軍略に長けていて、だからこそなんとしても味方に引き入れるよう殿・信長は自分たちに命じたのだ、ということでした。 秀吉は道の途中で小一郎に、この先の偵察に行かせました。今の小一郎は悲しみのあまり、何かをしていなければ気持ちが持たないのだということをよくわかっていて、生きる張り合いを与えるために無理難題を押しつけていたのでした。 山中の半兵衛の庵らしきところにはあちこちに仕掛けが張ってあり、小一郎が中にいる半兵衛に呼びかけると窓から「たれか」と筆談の紙片が出てきて、小一郎は自己紹介をして自分たちは織田家の家臣だと名乗りました。 筆談が面倒になった蜂須賀が庵の扉をいきなり開けると中から数本の矢が飛んできて、3人は危うく当たるところでした。その後で外に出てきた竹中半兵衛(菅田将暉さん)は計算外に外れた矢を見て、戸を強く開けると衝撃でわずかに矢の向きが変わったのか!と新たな発見をしたことに喜んでいました。 3人が庵の中に入ると、部屋の中にはそこらじゅうに絵図面や兵法の本が、さらには城に出入りする者から話を聞いて作ったという小牧山城の模型までありました。秀吉の話から、これは自分に織田家に与するよう言っていると察した半兵衛は、いきなり桶狭間の戦の勝利を称えました。 「信長は裏切りを逆手にとり、天を味方につけた。自分は戦いを見てはいないが心の中で思い描いていた。幼きころより病弱で書物を読んで考えることしかできなかった。自分は侍としては使えない男だ。」 さらに半兵衛は、自分はこの山の上に菩提山城をもっている、竹中家が代々継いできた、今は廃城だが、と言いました。小一郎が半兵衛を説得しようと、和が殿・信長は半兵衛のためなら望みのまま金を出すと言うと半兵衛は、それはもし断れば自分を殺すつもりなのだ、と察しました。 本音を見抜かれて言葉が返せない小一郎に半兵衛は、別によい、これまで何度も同じ目に遭ってきた、と笑っていました。小一郎が、ではその度にどうやって切り抜けたのか?と問うと、半兵衛は殺される前に殺したと答えました。思いがけない返答に小一郎が驚いていると、そろそろ次の客が来るからと3人には帰るよう求め、小一郎がまた来ると言うと半兵衛はそのときは手土産に雉が欲しいと言い「このあたりの猟師は雉を狩る」と教えてくれました。 小一郎たちが帰った後、美濃の北方城主の安藤守就(田中哲司さん)が半兵衛の庵を訪ねてきました。半兵衛が珍しく外に出ているので安藤が問うと、たまに書物を日に当ててやらねばと言って、順に書物を並べていました。安藤が誰か来たのか?と尋ね、半兵衛はとっさに猟師が迷って来たと嘘をつきましたが、安藤は怪しんでいました。 そして稲葉山城では城主の斎藤龍興(濱田龍臣さん)が、安藤守就と稲葉良通(嶋尾康史さん)と氏家直元(河内大和さん)ら美濃三人衆に、今川と松平に織田を攻撃するよう要請しているのに動かないことの苛立ちをぶつけていました。稲葉が松平と織田は盟約を結んでいるからと説明すれば龍興は、そんなものは破ってしまえばいいと平然と言い放ち、三人衆は龍興への不信感をますます募らせていきました。 龍興は話を変えて安藤に、半兵衛のところに織田の密使が来たことを伝え、見て見ぬふりをしたのかと安藤を責めました。安藤は決してそのようなことはないと訴えますが龍興は、3年前に半兵衛がわずかな手勢で稲葉山城を占拠して城主の自分を追い出したことは忘れていない、安藤に免じて半兵衛は改易と蟄居で赦したがもうここまでだ、半兵衛を殺せ、と命じました。 後日、秀吉と小一郎と蜂須賀は雉を捕まえて再び半兵衛の庵を訪ねましたが半兵衛は不在で、部屋の中には「菩提山城にいる」と書置きがありました。庵から見上げる山頂の城はかなり遠くでしたが、まずは行こうと3人は城を目指して、道すらない山を登っていきました。 3人がやっとの思いで山城に着いたとき、半兵衛が刀を抜いていきなり斬りかかってきました。半兵衛が龍興の手の者かと間違えたと3人に詫びると、そんな半兵衛に小一郎は、庵の中を見て感服した、半兵衛は立派な侍だ、と半兵衛を認めました。 半兵衛はようやく心を開いて自分の思いを語りました。「私は戦が好きなのだ。戦に出ることはないが策を練り、そのとおりに事が進んで勝つとそれが何事にも代えがたい喜びだ。戦に勝つためならいかなる策も講じる。それは間違いかもしれないが、自分の衝動が抑えきれない。自分が恐ろしい。だからこの山奥にいるくらいがふさわしい。平安のころに宋より伝わったという書物を祖父からもらった。この『三国志抄 諸葛亮傳』の本の中に出てくる知略に長けた軍氏に惹かれて、このような生き方となってしまった。」 そして「本の中の知将は三度礼を尽くし、軍師は初めて誘いを受け入れた。」と言い、秀吉はこれが二度目と言いました。半兵衛は、今一度考えて、それでも自分のような者でよければまた来てくれ、と秀吉に伝えました。 3人が山城から半兵衛の庵に戻ると、待ち構えていた侍たちにいきなり襲われ、捕まってどこかの座敷牢に入れられました。自分たちはどうなるのかと思っていたら、安藤・稲葉・氏家の美濃三人衆が現れ、牢の外に出されました。安藤は3人に、どこに忍びの目があるかわからんから手荒なことをしてすまん、と詫びました。三人衆は胡坐で座り、小一郎らも座りました。 三人衆は本音を語りました。今の美濃は我らが守るべき国なのか、先々代の道三や先代の義龍が目指した強く新しい国であろうか。そう迷っているときに小一郎がとっさに「信長様なら新たな面白き世を必ずつくる!」と言った言葉が棘のようにささって抜けない、たかが一家臣が切羽詰まった場であのようなことを言える、信長がそうさせているなら今一度、我らもそのような主君のもとで真の侍として生きてみたい。 「我らはこのときより織田様に従う」ーー三人衆は手をついて頭を下げ、調略が成功した秀吉は喜びを隠せませんでした。 その後3人は安藤と一緒に半兵衛の庵に向かいました。庵に着くと秀吉はあたりを見回し、山の斜面に枝葉で隠された抜け道を見つけました。秀吉は先日、半兵衛がこぎれいなまま山頂の城に登っていたから変だと思っていて、3人と安藤はその抜け道をたどって菩提山城に入りました。半兵衛は不在、安藤は周囲を見回し、城に手が加えられていることに気が付き、思わず「よく似ている」とつぶやきました。 永禄10年(1567)秋、ついに信長は斎藤氏の本拠地である稲葉山城を取り囲みました。軍議で信長は家臣たちに、城に火を放ち中から兵が出てきたら討つよう命じ、信長に寝返った美濃三人衆の稲葉と氏家が早速「そのお役目を我らに」進み出ました。井口山と瑞龍寺山に火矢が放たれ、三人衆の裏切りに激怒した龍興は家臣たちに信長の本陣に行って信長を討つよう命じ、兵たちは散開していきました。 龍興が側近と二人きりになると半兵衛がふらりと現れました。自暴自棄になっている龍興に半兵衛は、朝倉と六角に援軍を出すよう書状を送ってある、自分は龍興を助けると言い、織田方の攻撃を隠れていた兵たちで反撃しました。 信長の本陣では一旦兵を引いて戻った氏家が、煙で見通しがきかなかった、こちらの仕掛けを逆手にとるこれは半兵衛の得意とする策だ、と報告しました。なおも攻撃の命を出す信長に稲葉が、半兵衛を侮ってはと進言すると信長は「織田に仕えるならこの信長を侮るな。」と言い、稲葉に近づいて眼前で「よくその眼に焼き付けよ。まもなく稲葉山城は落ちる。」と言い切りました。 一方、龍興は兵たち全てを自分の周りから追い払い、一人になって抜け道から逃げようとしました。半兵衛が「また一人で逃げるおつもりか?」と言うと、抜け道から秀吉と小一郎と蜂須賀と安藤が出てきました。安藤が「門を開いてお味方を入れよ!」と命ずると、織田方の兵たちが入ってきて逃げる龍興を追っていきました。 どうしてこの抜け道がわかったのかと半兵衛が問うと小一郎は、菩提山城の抜け道を見て、そして安藤の言葉からもしかしたら稲葉山城にも抜け道があるはずと思ったと言い、秀吉も、こうやって少人数で3年前に稲葉山城を占拠したのかと納得でした。 それから小一郎は秀吉と共に膝をついて座り、改めて半兵衛に織田の仲間になるよう、三度めの頼み込みをしました。半兵衛は「真に強い相手とは、味方になるより戦いたかった。」と言い、それは秀吉の申し出を受け入れたことでした。そして二人の前で両手をついて土下座し「これよりは織田家のために尽くしまする。」と宣言し、秀吉は大喜びでした。 秀吉は信長に大きな声で稲葉山城の攻略の祝辞を述べ、信長は「大儀!」と労って皆に勝どきを呼びかけました。「エイ、エイ、オー!」ーー男たちの力強いが声が稲葉山に幾度も響きわたりました。 美濃攻略が終わってひと段落し、小一郎は直の墓参をして直が眠る墓石に思いを語りました。此度の手柄で信長に褒められ褒美もたくさんもらったが、直のいない今はもうどうでもいい、少し休みたい。そして脇差を抜いて前に置いたとき、直の父・坂井喜左衛門(大倉孝二さん)が突然、声をかけました。 小一郎は喜左衛門に直を死なせたことを必死に詫びました。すると喜左衛門は、今さらもういい!銭をよこせ!と言います。意味がわからない小一郎が尋ねると喜左衛門は、直が中村に戻ったあの夜のことを話してくれました。 直は喜左衛門に晩酌をしながら小一郎のことばかり話しました。小一郎はいつも皆が満足しないと気が済まない、これで円満解決となる方法を探る、戦自体はなくならないが無駄な殺し合いはなくすことができる、とことん話し合って考えて考え抜けば必ず道はある!と。 喜左衛門がそんな世は来ないと言うと直は、小一郎ならできる、そういう世をつくるほうに500文!と賭けをしたのでした。直の墓の前ですっかり無気力になっている小一郎に喜左衛門は「直は男を見る目がなかったの。わしの勝ちじゃ。」と嫌味を言って小一郎をあおり、帰ろうとしました。 その喜左衛門に向かって小一郎は「まだ終わってません。その賭けに必ずや直を勝たせてみせます!」と叫びました。喜左衛門は「お主が諦めたらすぐに銭を取りにくるぞ。直と共にずっと見張っておるぞ。」と言葉を残し、立ち去りました。「承知!」と宣言する小一郎。二人のやり取りを塀の向こうで聞いていた兄・秀吉は、寺を出る喜左衛門に深く一礼しました。 永禄10年(1567)9月、信長は居城を小牧山城から稲葉山城に移し、山頂の城より京の都のある西方を見渡しました。信長はこの地を「岐阜」と改名し、皆を連れて降りていきました。小一郎は一人残り、もっと強くなって直の見たかった世を作ってみせる、と誓いました。ふと隣りを見ると直の幻が「小一郎ならきっとそう言うと思った」と笑っていました。小一郎は決意を新たにして眼下の景色を見渡しました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
March 13, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 この回は意外な展開が二つありました。一つは墨俣砦です。あれだけ苦労してやっとの思いで造りあげた砦があっさりと敵方に奪われて・・と思ったら、その後があったのですね。この展開にはホント、あっと言わされました。 このドラマの設定で面白いと思うのは、池松壮亮さん演ずる秀吉が武術がそこそこ長けているということです。だいたい今までの戦国ドラマでは、秀吉は知恵は恐ろしく回るけど武術はさほどできない、という感じが多かったです。火矢をつがえ砦に最後に火をかける役割が秀吉、というのがなんかカッコ良かったですね。 そしてもう一つの意外は、白石聖さん演じる直が、この回であっさり退場となったことでした。豊臣秀長(小一郎;仲野太賀さん)はやがて正妻を迎えるから、直はそのあたりで側室になるか、何かの理由で生き別れかな?と思っていました。でも今回、このような形で、しかも小一郎との幸せの絶頂で。 脚本の八津弘幸さんがこの先どんな物語を作っていくのか。従来の戦国ドラマとは違った展開がありそうで楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄8年(1565)、尾張の織田信長(小栗旬さん)は美濃を手中に収めるために尾張の北西で美濃との境にある墨俣に砦を築くよう木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)に命じました。秀吉は弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)と共に、是非とも協力してほしい川並衆筆頭の蜂須賀正勝(高橋努さん)を説得する段階まで仕事が進みました。 その小一郎ですが、兄・秀吉や家族が住む家を出て、ようやく互いに思いが通じ合ったと直(白石聖さん)と一緒に暮らすようになっていました。幸せをかみしめる小一郎と直。しかし墨俣に行く時が迫っていて、小一郎は直に「墨俣から帰ったら祝言を挙げよう」と約束しました。 そうこうしていると秀吉が迎えにきて出立となったので、直は小一郎に弁当の握り飯を持たせて見送りました。秀吉と小一郎は行く前に小牧山城に上がり、信長に「川並衆がよく働いて準備を進めている」と進捗状況を報告しました。 そのころ川並衆は着々と仕事を進めていたのですが、そこに美濃を治める斎藤龍興の家臣が見回りにやってきました。川並衆が用意する荷を見て龍興の家臣が追求し、蜂須賀は命が危うくなったので、荷をすべて領主の龍興のに差し出すことで許してもらいました。 しかしその家臣たちが去った後、蜂須賀は笑っていました。彼らが没収していった刀は戦場で拾い集めたなまくら刀ばかり、こういうこともあろうかと秀吉と小一郎から入れ知恵されてて初めからそのつもりで用意してあった、自分たちが必要なのはこのいかだのほうだ、と。 秀吉の策は、木曾川の上流で砦を作る材料を切り出し、材木をいったん少し下流にある松倉城に運んで組み立てやすい形にしておく、それを墨俣に運んで一気に組み立てるというもので、信長も策に納得して必ず成し遂げるよう言いました。 そして信長はもう一つ秀吉に、墨俣砦にはできるだけ長く敵の斎藤の兵を引きつけておくよう命じました。墨俣は"おとり"であると。 蜂須賀たちと合流した秀吉は、信長の命令を伝えました。龍興がいる稲葉山城から墨俣は遠いが、その途中に美濃三人衆(安藤守就、稲葉良通、氏家直元)が守る大垣城と曽根城と北方城がある、敵が墨俣に気をとられているうちに稲葉山城にいちばん近い北方城を攻め落とす、と。 "おとり"と聞いて蜂須賀は、自分たちはまた捨て石になるのか?と激怒しました。しかし秀吉は「信長様はわしでなければこの大仕事はできぬと見込んで任せてくれた。わしはおぬしを見込んで話をしたから今さら投げ出すのは許さん。」と真剣に言いました。秀吉は約束を守る男だと信じて協力した蜂須賀なので「一度引き受けた仕事は投げ出しはせん!」と怒りながら返しました。 そのころ知恵者・竹中半兵衛(菅田将暉さん)が暮らす美濃の小さな庵に北方城主の安藤守就(田中哲司さん)が訪ねていて、此度の織田の動きをどう思うか相談していました。半兵衛は思うところを「狙いは墨俣。でも此度は何か違う。」と紙に書いて安藤に渡していました。 半兵衛の言葉が気になった安藤は主君の斎藤龍興(濱田龍臣さん)に、早めに手をうったほうがよいと進言しました。しかし織田方に対して高を括っている龍興は、いつものように砦が完成する寸前で壊してやれ、そのほうがおもしろいと言うだけで、安藤は本当に放っておいていいのかと気がかりでした。 その墨俣では、秀吉と小一郎が待つ岸に夜陰に乗じて川並衆が次々といかだで到着し、材木をおろしていきました。そして皆で一斉に急いで築城が始ました。夜が明けると川の対岸の櫓で織田方を見張っていた斎藤の兵が、いつの間にかできている砦に驚き急報しました。 龍興は安藤ら三人衆に、なぜ気がつかなかった、たった一夜で砦ができるわけがない!と激しく怒りました。稲葉良通(嶋尾康史さん)が、織田方は築城の前に他の場所で入念に支度をしていたのでは?と言うと龍興は「なぜもっと早く手を打たなかった!」と怒るだけです。ひと月後でもいいと自分に言ったことと正反対のことを平気で言い、ことが起これば家臣のせいにして怒るだけの龍興。安藤ら三人衆は主君・龍興に対して不信感が募っていきました。 墨俣砦ではあちこちの持ち場で一気に築城を進めていました。小一郎が今のうちにと櫓の上で直が持たせてくれた握り飯を食べていたら秀吉が自分の握り飯を一つ取ろうとし、小一郎は手に持っていた握り飯を落としてしまいました。小一郎が拾おうとかがんだ瞬間、敵の矢が飛んできました。斎藤方が襲撃してきて応戦の態勢に入りつつ、小一郎は直に助けられたと感じていました。 そのころ直は中村(現;名古屋市)の実家に戻っていました。父・坂井喜左衛門(大倉孝二さん)はやっと直が戻ってきたと大喜びで、膳にごちそうを並べて嬉しそうでした。でも直が父のところに戻ってきたのは小一郎と夫婦になるのを許してもらい、できれば祝言に来てほしいからであり、それを知った喜左衛門は黙りこくってしまいました。 喜左衛門は、今や出世して織田家の重臣となった秀吉と小一郎には何も言えないし、小牧で一緒に暮らそうという小一郎の申し出をありがたくも思っていました。複雑な思いを抱えながら喜左衛門は直を蔵に連れていき、その後で直が油断した隙に蔵に閉じ込め鍵をかけてしまいました。 直に同行してきた姉・とも(宮澤エマさん)の夫の弥助(上川周作さん)は直を待つ間、幼馴染みの玄太(高尾悠希さん)と話をしていました。秀吉と小一郎の出世を聞いた玄太は、今年は日照りが続いて水がなくて、田畑の水を奪い合って村同士での諍いが絶えないからなんとかしてほしい、と訴えました。百姓にとって水の確保は生きるか死ぬかの問題だったのです。 直はなんとか蔵から脱出しようとあれこれ試み、そのときにふと昔のことを思い出しました。蔵で遊んでいて父に叱られた、でも棚が倒れてきたときに父は自分をかばって怪我をして、父は「直が無事ならそれでよい。」と言ってくれてたことを。そのとき弥助が外から蔵の鍵を壊して助けてくれました。 蔵から出た直はそのまま逃げずにまた父のもとに行きました。父に言い残したことがあったからです。直は父に「とと様は口では憎たらしいことを言うけど、いざというときは私のことを大切にしてくれた。今までありがとうございました。」と深々と頭を下げました。そして泣きながら「私は今、幸せなんじゃ。」と最高の笑顔を父に向けました。 娘の決意を悟った父は、直に白無垢の花嫁衣装を渡しました。そして、自分は祝言には行かんが、正月、盆、刈り入れと祭りには必ず帰ってこい、と言いました。直は「いつかややこができたら会わせに来ます。とと様の娘に生まれてよかった。」と父に思いを伝えました。 さて墨俣砦ですが、櫓の高いところに重たそうな大きな樽を置いたとき、誰も成し得んかったここに城を築いた、信長の命令を成し遂げた、と皆で歓声をあげて喜びました。しかし翌朝、龍興から命を受けた美濃の大軍が川の向こうに集結していて、壮絶な戦いが始まりました。 戦いは夜になっても続き、やがて砦の柵は倒されて敵が侵入、秀吉と蜂須賀は皆に、砦を捨てて撤退するよう命じました。川まで逃げてやっとの思いで造りあげた砦を振り返ったとき、秀吉は「この先この城のことを覚えている者はどれほどいるのか。たった一夜だったが皆で造ったこの城のことをわしは生涯忘れぬ。よき城であった。」と感慨にふけりました。 しかしすぐに表情が変わり、秀吉の合図とともに綱を切って堰が切られ、城の周りに油が流れ込みました。秀吉は火矢を構えて城に向かって放ち、その矢はあの大樽に当たり、樽に仕込まれた油に引火して激しく燃えだしました。火は城の周りの油にも引火して一斉に燃え広がり、斎藤の兵は火に囲まれて逃げられなくなりました。燃え盛る墨俣砦に背を向けて秀吉たちは船で逃げていきました。 一方、小一郎は手はずどおり前野長康(渋谷謙人さん)と共に美濃の北方城に向かい、城の前で森可成(水橋研二さん)と合流しました。見張りが手薄と思って城内に入ると中で兵が待ち構えていて、逃げ場をなくした小一郎と前野たちは絶体絶命になりました。 城主の安藤守就と対峙した小一郎は刀を収め、よくぞ我らの策を見抜いたと言い、安藤が「別の者が見抜いた」と言うと小一郎はかがんで「良きお仲間をお持ちのようで。そのお力を我らにお貸しくだされ。」と懇願しました。小一郎はさらに「皆が良き暮らしができるなら我らが美濃に寝返ってもいい。でも我が兄・秀吉なら、信長様なら新たな面白き世を必ず作ると言う。龍興様にはそれができるのか?」と安藤に問いました。 小一郎の言葉は、前言を平気で翻して都合の悪いことは家臣のせいにする主君・龍興への怒りが積もっている安藤には痛烈なもので、思わず迷いが生じました。しかしすぐに小一郎たちを斬るよう家臣に命じたので、前野は隙をついて小一郎を連れて裏手から逃げようとしました。裏庭には松明を持った学者のような男(竹中半兵衛)がいて、何か話をしたそうだったけど、追手が来たので小一郎と前野は急いで逃げました。 そのころ直は、白無垢の衣装他、荷物を弥助に持ってもらって、幸せにひたりながら小牧に戻る道を進んでいました。しかしその途中、互いに武器を持って水争いをする村人たちに出くわし、弥助は逃げようと言ったものの直は逃げ遅れた幼い少女を思わずかばってしまい、命を落としてしまいました。 一方、小一郎は、なんとか逃げ延びて兄・秀吉と山中で合流し、策が見抜かれて失敗したことを報告しました。秀吉は「生きて戻ればそれでよい。また次がある。」と言い、笑顔で小一郎を励ましました。そして皆に「さて、帰って殿の大目玉をくらうとするかのぉ。」と呼びかけ、笑い合いました。 秀吉と小一郎が小牧の家に戻ると寧々(浜辺美波さん)が暗い顔で二人を出迎え、二人はそのとき直の死を知りました。戦に出ても必ず生きて帰る、自分の帰る場所はここだ、と約束した最愛の女性・直。もう目を開けることのない直に向かい小一郎は「わしは生きて帰ったぞ。約束を守ったぞ!なのになんでお前は!」と何度も直の名を呼んで慟哭するだけでした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
March 5, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 番組冒頭の紹介で知ったのですが、後に豊臣秀長となる主人公の小一郎(仲野太賀さん)は、このときは「木下小一郎長秀」で、秀長となるのはまだ後だったのですね。 でも長の字が「信長の "長" 」からもらったとなると、信長に気に入られ、見込まれている感じがあってよいものです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄8年(1565)尾張の織田信長(小栗旬さん)は犬山城を攻め落として尾張統一を成し遂げ、次は美濃攻めに移りました。そのためには尾張の北西で美濃との境にある墨俣になんとしても砦を築かなければならないと考えていました。(墨俣一夜城は現在は岐阜県大垣市の長良川沿いにあります。しかし当時は尾張と美濃の間の木曾川・長良川・揖斐川は川筋がこのあたりは網の目のようにぐちゃぐちゃに乱れていました。) このころ木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は出世して侍大将となり、織田家の重臣の一人として末席での評定への参加を許されるようになっていました。信長が墨俣に砦を築ける者はいないかと呼びかけたものの、この地での仕事は今まで次々と失敗し、皆は尻込みをしていました。 そこで秀吉は自分がやると進み出たのですが、後から名乗り出た柴田勝家(山口馬木也さん)に信長は仕事を命じてしまいました。秀吉は悔しかったのですが、弟の木下小一郎長秀(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は、秀吉は翌月に浅野家の寧々(浜辺美波さん)と祝言を控えているからそれでよいではないかと慰めました。 そして秀吉と寧々は祝言を迎えました。寧々の父・浅野長勝(宮川一朗太さん)は秀吉が今や自分より立場が上となったこともあり、木下家に丁寧に挨拶しました。また秀吉の母・なか(坂井真紀さん)も、自分たちは百姓あがりだからいろいろと教えてほしいと挨拶しました。 しかし肝心の秀吉と寧々が広間になかなか現れず、実は二人は控えの間で喧嘩をしていたのでした。二人の喧嘩から、秀吉と小一郎の兄弟仲の結びつきが強すぎることで小一郎の思い人の直(白石聖さん)は不機嫌になり、直は故郷の中村に帰るとまで言い出しました。小一郎と直の諍いは実は秀吉と寧々を仲直りさせるための芝居だったのですが、直は半ば本気だったのでした。 しばらくして墨俣に行った勝家が築城に失敗し、大怪我をして戻ってきました。信長は勝家に蟄居を命じ、築城できる者は他に誰かいないかと改めて呼びかけると、秀吉は今度こそ自分がと進み出ました。信長もそれを認め、秀吉に墨俣の築城を命じました。 信長の命を受けた秀吉は小一郎はじめ配下の者を集めましたが、恐れをなして仕事から逃げる者もいました。小一郎はまずは情報収集だと、墨俣の築城に行ったことがある者たちに話を聞いて回りました。 墨俣は平地で敵から丸見えである、敵は砦の完成間近になると一気に攻め込んでくる、砦を作りながら敵と戦うのは無理、といった話でした。 また秀吉も勝家を見舞いに行って話を聞こうとしました。秀吉の顔を見ると不愉快でしょうがない勝家でしたが、主君・信長のためだと教えてくれました。「敵は斎藤ではない。“とき” だ。」と。 秀吉と小一郎は家に戻って妹・あさひ(倉沢杏菜さん)の夫・甚助(前原瑞樹さん)と姉・とも(宮澤エマさん)の弥助(上川周作さん)と作戦会議です。どうやったら敵に見つからずに素早く築城できるかを考えたとき、勝家の言った“とき” は“時”、すなわち時間のことだとわかりました。 とはいえ腹が減ったので、秀吉は妻の寧々に何か食べるものをと頼み、寧々がすぐにはできないと言ったとき、母・なかは「下ごしらえしておいた材料で汁ならできる」と言いました。それを聞いて小一郎はひらめきました。 「木曾川の上流で砦を作る材料を切り出し、運べるギリギリの大きさに組んで下ごしらえしておく。それを川を使って墨俣に運び、一気に作り上げる。そのためには尾張と美濃の国境を仕切る川並衆を手なずける。彼らは金さえ積めばなんでもやると聞く。」と意見を述べました。 小一郎の考えに賛同した秀吉は、母に汁を断ってすぐに仕事に取り掛かることにしました。織田家の家臣で前野長康(渋谷謙人さん)というかつて川並衆だった人がいるから口をきいてもらおうと思いました。「手柄を上げたければすぐに動くのだ!」と秀吉の動きは迅速でしたが、直のことが気になる小一郎は鈍い動きでした。その直は小一郎が出かけた後、病で倒れてしまいました。 秀吉と小一郎は前野とともに川並衆の拠点を訪ねました。川並衆筆頭の蜂須賀正勝(高橋努さん)は挨拶をする秀吉に刀を抜いて突然襲い掛かり、代わりに前野が応戦しました。前野を裏切り者呼ばわりする蜂須賀。その前野があわやとなったとき、秀吉が前野を川に突き落とし「このたわけが!蜂須賀殿になにをするんだ!」と叱り飛ばし、蜂須賀に詫びました。 そして前野のことを自分たちに勝手についてきた関わりない者とし、蜂須賀には「仕事の話をしに来た。報酬もたんまりある。」と言いました。蜂須賀はなんかよくわからん展開だけど、とりあえず話を聞くことにし、家に招きました。 秀吉の話を聞いた蜂須賀は、墨俣に砦を築くなんて命がいくつあっても足りん、こんなはした金ではできんと拒否しました。秀吉がいくらあればと訊くと蜂須賀は城持ちにしてくれるならばと答え、秀吉が3年後にと答えると蜂須賀は、ならば仕事を引き受けるのも3年後、と言いました。 なんとしても川並衆の助けがいる!と土下座して頼み込む秀吉。しかし小一郎が浮ついていて真剣でないことを見抜いた蜂須賀は「我らを侮っているのか。やはり織田は信用できん。自分たちは誰の下にも付かない。」と言って秀吉と小一郎を追い返しました。 秀吉は弥助と甚助が待つ宿に戻るといきなり小一郎を殴りました。相手を本気で説き伏せなければならないのに、小一郎がぼんやりしていて失敗した、さっさと小牧に帰れ!と。仕事に集中できていない小一郎を帰らせた秀吉でしたが、直との間に何かあったのではと感じていました。 小一郎が小牧に戻ると直が重い病にかかっているのを知りました。直を失いたくない、直のために自分にできることはとうろたえる小一郎に、寧々ははっきりと「ない!」と言いました。「ただ信じて回復を祈って待つだけ。直はいつも小一郎が戦から無事に帰るのをそうやって待ってた。」寧々の言葉で小一郎は初めて、今まで直がどんな思いでを自分を待っていたのかを知りました。小一郎は今までコツコツと貯めたたくさんの銭を持って寺に行き、直の回復をただ御仏に祈りました。庭先に座り込み、雨に打たれてもただ祈りました。 そのころ秀吉は前野が以前いた屋敷に移動し、先ほどはなりゆき上とはいえ前野を川に落として罵倒したことを詫びました。そして以前は蜂須賀と前野は川並衆を率いる両輪だったのになぜ袂を分かつことになったのかを尋ねました。 前野は「昔は二人で城持ちになることを夢見て数え切れないほど戦に出た。しかしことごとく負けて川並衆は疫病神と罵られ、皆からのけ者にされた。利用されているのに気づかず多くの仲間を失った。蜂須賀はだからもう誰の下にもつかぬと決めた。しかしそんな烏合の衆はこの乱世では生き残れないから自分はやむなく織田についた。」と話してくれました。 蜂須賀の思いを知った秀吉は、墨俣に砦を築くための策を書いた文を蜂須賀に届けました。引き受けてもらうまでは動かぬと庭先に座り込み、雨に打たれながらもただひたすら待ちました。 雨が上がったころ、寺にいる小一郎のところに直が回復したと寧々が走って来ました。意識が戻り起き上がっている直を見て小一郎は思わず抱きしめ、「やっと直の気持ちが分かった」と詫びて思いを伝えました。「わしは死なん。必ず生きて直のところに帰ってくると約束する。だからどこにも行くな。直がわしの帰る場所なんだ。」直も素直な思いを伝えます。「今の私は小一郎に嫌われると思った。だから逃げようとした。」思いが通じ合った二人は泣きながら抱き合いました。 そのころ庭先で待つ秀吉の元に蜂須賀が歩み寄ってきました。「わずか3日で砦を築くのはばかげている。ここから墨俣までは急流が8か所あり、そこを超えるのは相当な腕がいる。しかも墨俣は湿地帯で普請が難しく場所の見極めがいる。千人の者が息を合わせて動かなければしくじる。」 蜂須賀に秀吉が「お主らでも難しいか。」と問うと「我らならできる。」と言い、秀吉は蜂須賀が受け入れてくれたと確信し、笑顔で「ではやってもらいたい。」と返しました。さらに「お主は疫病神などではない。勝ちをもたらす軍神じゃ!共にこの世を見返してやろう!」と力強く言いました。 そこに小牧に帰った小一郎が息を切らしながら再び戻ってきて、斎藤龍興の兵が前野の屋敷に迫っていると報をもってきました。前野の屋敷には義兄弟の弥助と甚助がいるので、彼らを救いに行こうと秀吉は蜂須賀に声を掛けました。「前野の屋敷は空き家なのに綺麗だった。これは誰かが手入れしていた。本当は前野に戻ってきてほしかったのでは?」 続けて小一郎が蜂須賀に、一緒に救いに行こうと言いました。蜂須賀は、小牧に帰っていたお前は何も知らんだろう?と言い小一郎は、たしかに自分にはなんのことかさっぱりわからん、とはっきりと言いました。でも「兄・秀吉がそう言うならそうなんだ。」と笑顔を見せ、きっと前野も蜂須賀を待っていると自信をもって答えました。 斎藤の兵が前野の屋敷を取り囲み、中にいる3人があわや!となったとき、秀吉と蜂須賀の救援が間に合いました。斎藤の兵を全部倒した後、蜂須賀は前野に「墨俣の砦作りは自分一人ではできない。また一緒にやるか?」と問いました。「無論じゃ。」前野からは迷いのない返事がありました。 蜂須賀は配下たちに「褒美は3年後に城持ちじゃ。忘れるでないぞ!」と呼びかけ、そして秀吉に「この蜂須賀と川並衆がお主らに力を貸す!」と力強く答えました。秀吉の交渉成立!これから共に働く男たちは、歓声をあげて喜び合いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
February 26, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 ドラマで紹介される登場人物の名が後の豊臣秀吉となる藤吉郎は木下藤吉郎秀吉(池松壮亮さん)になり、後に豊臣秀長となる主人公の小一郎もすでに「木下小一郎秀長(仲野太賀さん)」になっていました。 秀吉は信長に名を与えてもらった場面もあり、まあドラマ内ではほぼ「サル」と呼ばれていますが、秀吉の名は通りやすいです。でも小一郎の「秀長」はドラマの中でもそう呼ばれたことがなく、私の中でもまだ定着していないので、ここでは藤吉郎は秀吉と、そして小一郎は小一郎のままで書くことにしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄7年(1564)夏、尾張の織田信長(小栗旬さん)は美濃を攻略するために、小牧山と稲葉山城の間にある犬山城をまず落とそうと考えました。そこで木曾川を挟んで犬山城の対岸にある鵜沼城の城主・大沢次郎左衛門(松尾諭さん)を調略するよう、木下藤吉郎秀吉(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と木下小一郎秀長(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)の兄弟に命じました。 最初は頑なに拒否した大沢をなんとか説き伏せ、大沢は信長に会うために尾張に行くことになり、秀吉は人質として鵜沼城に残って小一郎が大沢を連れて尾張に戻りました。大沢は信長に身命を賭して仕えることを誓いましたが、大沢の従者が毒を塗ったくないを忍ばせていたことがわかり、信長は「始末せよ」と命じました。 滝川一益(猪塚健太さん)が刀を抜いて大沢を斬り捨てようとしたのを小一郎はとっさにかばいました。大沢を殺せば兄・秀吉の命もない、これは大沢が織田に寝返りせぬよう美濃の龍興が仕組んだ罠だ、大沢がやった証もない、このまま大沢を斬れば今後は織田の誘いに乗る者もいなくなる、それが龍興の狙いかも、と信長に訴えました。 信長は小一郎の意見を受け入れ、一日やるから小一郎が吟味をやれ、何もわからなければ小一郎が大沢を斬れ、と命じました。龍興の罠だと言った小一郎の言葉は実は口からでまかせだったのですが、小一郎は大沢の無実の証を立てるべく動きました。しかし前田利家(大東駿介さん)や滝川は小一郎がしつこく訊くことに怒ってしまい、話ができませんでした。 小一郎が帰宅すると、秀吉が密かに慕う浅野家の寧々(浜辺美波さん)が直(白石聖さん)を連れてきていました。しかし秀吉が鵜沼で死んだというのは妹・あさひ(倉沢杏菜さん)の夫・甚助(前原瑞樹さん)の思い違いで、家族の皆は安堵しました。 とはいえ大沢の無実を晴らさないと秀吉が殺されてしまうので、小一郎は姉・とも(宮澤エマさん)の弥助(上川周作さん)に「鵜沼城で家臣が大沢の荷にくないを忍ばせるのを見た。」と作り話をするよう頼みました。弥助がそんな恐ろしい嘘はつけないと断ると甚助がおずおずと「欺かなければよいのか?」と話し出しました。甚助は小牧山で、大沢の従者の荷に何か入れるのを本当に見ていて、小一郎はそれが誰なのかを尋ねました。 そのころ鵜沼城でとらわれている秀吉はというと、大沢の妻の篠(映美くららさん)が大沢の食事が余ったからと秀吉に食べさせてくれ、人質らしからぬいい待遇を受けていました。篠が、病弱な自分は夫・大沢に助けられてばかりだ、と言うと秀吉は、それでよい、助けたい人がいるから男は戦えるのだと言い、心が救われた篠は笑みを浮かべました。 甚助から話を聞いた小一郎はその夜、小牧山城に滝川一益を呼び出しました。大沢の荷を検める少し前に、荷の中にくないを入れた者がいると聞いた、と話をすると滝川はいきなり刀を抜いて小一郎に襲い掛かってきました。小一郎が応戦して危うくなったときに城主・信長が入ってきて小一郎は助かりました。 佐々が荷にくないを忍ばせたと小一郎は信長に訴えました。しかし信長は小一郎を足蹴にし、自分がやらせたと言いました。小一郎がその訳を尋ねると信長は、大沢は次々と親類縁者を亡き者にして家督をつかみ取った、わしに似ている、生かしておけばいつかわしの寝首をかくだろう、と言いました。 小一郎は、大沢は昔と違って信長を裏切ることはない、どうか兄・秀吉を助けてほしいと懇願しました。しかし信長は、人はたやすく変わらぬ、今も大沢は調略に応じて龍興を裏切った、秀吉を人質にとるということは我らを信用していないということ、と言いさらに小一郎に「お前の手で大沢を斬れば秀吉の代わりに侍大将にしてやる。」と言いました。 小一郎は大沢にすべてを打ち明けて詫びました。でも大沢は、これまで自分がしてけきたことだから仕方がないと覚悟を決めていて、そして小一郎にはくれぐれも信長の怒りを買うまねはしないようにと案じていました。 小一郎は最後の頼みの綱で信長の妹の市(宮﨑あおいさん)に兄を救ってもらおうと頼み込みました。しかし小一郎が話をする前に市はすべてをわかっていて、兄・信長を説き伏せることはできない、と釘を刺しました。 市は小一郎に、信長とすぐ下の弟・信勝とのことを話しました。幼いころは兄弟仲がよかったけど、信長が織田家の家督を継いだ後、信勝の周りの者たちが信勝をそそのかして信長を暗殺するように仕向けた、一度目は信長も信勝を許したが二度目のときはもう許すことができず、やむなく信勝を殺した、しかしこれは信長にとってもつらい出来事だったと。市は「これ以上、兄を一人にさせたくない」と語り、小一郎の頼みを断りました。 秀吉の命はまだあるのかーー皆はそれぞれに心配していました。姉のともは「秀吉が死んだらまた百姓に逆戻りだから」と半分照れ隠ししながら御仏にお供えして祈り、母のなか(坂井真紀さん)は寧々と一緒に瓜を漬けながら、秀吉が心配でたまらない寧々を「あの子は不死身だ。ましてや今は小一郎がついてる。なんの心配もいらんわ。」と励ましていました。秀吉のことを嫌っていたのかと思われた前田利家でさえ、心の中では気にかけて心配していました。 夜が明け、もうどうにもならないのかと半ば覚悟した小一郎のところに直が来ました。秀吉を救うことで頭がいっぱいの小一郎に直は「小一郎に何かあったら私はどうなるの!?私と秀吉とどっちが大事なの!」と怒りに近い自分の思いをぶつけて帰っていきました。そんなところに利家が来て、小一郎に大事な話をしました。 その後、小一郎は大沢を連れて信長の前に出ました。小一郎は、大沢には二心はない、くないは別の者が忍ばせたが名は言えない、と強く主張しました。まだ大沢をかばう小一郎はに信長が激怒し、自分の刀を出して小一郎に、大沢をこの場で斬れ、そうすれば侍大将にしてやる、と言いました。 しかし小一郎は、侍大将になんかなりたくない、大沢の命は兄・秀吉の命、自分はどんなことがあろうとも兄を裏切らない、なぜなら兄は自分のことを信じているから、と信長の心の傷に触れたかもしれないけど純粋な思いを主張しました。 そして兄は殿・信長のことを信じている、兄は殿が最初から大沢を殺すつもりだったと(佐々→前田から聞いて)すべてを承知の上で鵜沼城に行った、大沢が調略に応じれば城と領土を安堵すると殿が言ったことを「信じるだけだ」と覚悟して人質となった、兄は殿を裏切ることは金輪際ないが、大沢を殺せば忠義の家臣を一人失うことになる、と強く主張しました。 さらに勢いで、自分は兄とは違う、此度のことで殿が大嫌いになった、自分を生かしておいたらいつか殿の寝首をかくことになるかもしれない、とまで言いました。 小一郎の言葉に柴田勝家(山口馬木也さん)は怒り、手討ちにしてやると刀を抜くと、小一郎は刀を大沢に渡して自分を斬るよう、そうそれば忠義を殿もわかってくれる、と言いました。そして大沢に貴方を助けようとしたのは兄のためと本心を伝え、最後に信長に兄を助けてほしいと強く乞いました。 小一郎の心からの叫びを聞いた大沢は、小一郎の短刀を抜いて自分の髻を切り、信長に自分は世を捨てて仏門に入る、家臣と所領の一切を差し出す、どうか小一郎の非礼を許してほしい、と訴えました。 約束の刻限の日没が迫るころ、鵜沼城では大沢と小一郎がまだ戻らなくて、人質になっていた秀吉が逃げようとしたのを大沢主水(杉田雷麟さん)が捕まえました。このまま父は戻らないのかと石つぶてで秀吉を殺してやろうと主水が構えたときに、小一郎の声が聞こえました。 髻を切った父を見て主水は驚きましたが、信長が大沢の申し出をすべて認めたと知り、秀吉を釈放しました。大沢は万一に備えて懐に石を一つ隠し持っていましたが、その石は使われることなく、川に投げ捨てられました。 小牧山城では市が兄・信長の好物の瓜を切って持っていき、兄になぜさっさと大沢を殺さなかったのかと尋ねました。「弟が命がけで兄を守ろうとする姿を見かかったのでは?」と市が言うと信長からは「いや、兄を見殺しにしてのし上がる姿を見たかったのかも。」とどこまでが本心がわからな返事でした。 その後、信長は勝家を呼び、鵜沼の者と合力して犬山城を一気に攻め落とすよう命じました。退室しようとした勝家は踵を返し「拙者がおりまする。この勝家、決して殿を裏切りませぬ!」と改めて忠誠を誓いました。 二人で小牧の家に戻った秀吉と小一郎。ともとあさひが二人に気が付いて歓喜の声を上げると、中にいた寧々が外に飛び出してきました。秀吉は寧々に土下座して、今度こそ求婚しました。「はい。」と笑顔で快諾する寧々。「めでたい!」ーー家族の皆で二人を祝い、兄の結婚が決まったことでやっと次はという思いか、小一郎と直は微笑みあいました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
February 21, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄3年(1560)5月、桶狭間の戦いの後、松平元康(後の徳川家康;松下洸平さん)は今川から独立して離れ、三河の岡崎城に帰還しました。そして今川義元に勝利した織田信長(小栗旬さん)は美濃攻めに本腰を入れるために永禄5年(1562)、元康と同盟を結び背後を盤石にしました。 藤吉郎(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は桶狭間の戦いの手柄で信長から「木下藤吉郎秀吉」の名を与えてもらい馬廻衆に出世し、織田との同盟のために清須に来ていた元康を国境まで見送るよう信長に命じられました。 国境近くまで来たとき、秀吉は「前方の草むらに人がいる」ととっさに嘘をついて警護の皆を草むらに向かわせ、自分は元康のそばに残りました。そして元康に、どうしたら元康のように偉くなれるのかと尋ね、元康は答えました。 たやすいこと。信長を信じ、己を信じて突き進み、誰にもできぬことをやってのけるのだ。熱意が人を動かし勝敗を決する。 秀吉は元康の言葉を信じました。しかし見送る秀吉と別れた後、元康はあれは適当に言ったでまかせだと秀吉を笑っていたのでした。 永禄6年(1563)美濃攻めのために信長は居城を清須から小牧山へ移し、出世した秀吉はかつての貧しい小屋から家臣団屋敷の一角に、母・なか、弟の小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)、姉夫婦、妹夫婦の皆で一緒に暮らしていました。 そのころ信長は美濃攻めに苦労していて、斎藤龍興には竹中半兵衛尉重治という名うての知恵者がいると滝川一益(猪塚健太さん)は報告しました。信長は小牧山と稲葉山城の間にある犬山城をまず落とさなければと考え、丹羽長秀(池田鉄洋さん)は絵図面を広げ、木曾川を挟んで犬山城の向かいにある鵜沼城を攻略してはどうか、と信長に進言しました。 さて信長が兵の士気を上げるために行った御前大試合では、前評判どおり前田利家(大東駿介さん)が勝ち進んでいました。事前に小一郎が差配役の武田佐吉(村上新悟さん)を説得して対戦相手を選んであった秀吉も、順当に勝ち進みました。 そして決勝ではやはり利家が強かったのですが、負けそうになった秀吉はだまし討ちで勝とうとして一時は優位に。でも結局は利家の怒りの拳にやられて気絶してしまいました。 試合の後、秀吉と小一郎は信長に呼ばれました。その場には佐吉もいたのでてっきり厳しく叱られるかと思ったら、逆に信長から「ようやった。戦は戦う前にいかにして勝つかが寛容じゃ。」と意外な言葉が。さらに「戦って勝つは上策。戦わずして勝つは最上の策なり。」と褒められ、でも最後に利家に負けたしくじりを埋め合わせるために鵜沼城を攻略するよう密命がでました。 丹羽長秀が絵図面を広げ、犬山城は背後に鵜沼城の守りがあり難攻不落の城、城主の大沢次郎左衛門は一介の素浪人から斎藤道三に見いだされて今の地位に上り詰めた猛将だ、と説明しました。 信長は、なんとしても大沢をここに連れてこい、見事やりとげたら秀吉を侍大将にしてやると約束し、秀吉も快諾しました。小一郎は兄が心配でしたが、秀吉は元康の言葉を思い出し、迷わず恐れず己を信じて突き進むのだ!と意気揚々でした。 秀吉は大沢次郎左衛門(松尾諭さん)と交渉に入りました。しかし思うように進展せず、さらには侍大将なったあかつきには寧々(浜辺美波さん)に求婚すると言うつもりが、照れくさくて言えずに寧々を怒らせてしまいました。 兄・秀吉が交渉に入ると同時に小一郎は、義兄の弥助(上川周作さん)と義弟の甚助(前原瑞樹さん)に、大沢が信長に通じていると斎藤家の家臣の耳に入るように噂を広めるよう頼んでいました。 ひと月後、斎藤龍興(濱田龍臣さん)は大沢を呼びだし、織田との内通の噂について問いました。龍興は自分に意見する大沢を以前から快く思わず、さらに大沢が身の潔白を釈明するときに偉大だった祖父の斎藤道三(麿赤兒さん)の名を出したことでますます苛立ち、大沢には妻の篠(映美くららさん)をこの稲葉山に連れてくるよう(=人質)命じました。 大沢はこれまで苦労を共にしてくれた篠がこの上なく大切で人質になんかしたくなかったのですが龍興には逆らえず、篠もまた戦国の世の習いと覚悟を決めていました。 そこに織田の使者として秀吉と小一郎が来て、いつもなら追い返すのですが、気が変わって今回は会ってみることにしました。大沢は二人に織田に寝返るつもりはないと言うものの、小一郎が「ではなぜ此度は我らに会ってくれたのか?何か困りごとでも?」と尋ねました。 小一郎がさらに、もし信長がしびれを切らせば鵜沼では戦になる、そのとき稲葉山から援軍は来るのか?龍興はすでに大沢の内応を疑っているが、と続けました。 そして小一郎は、一度かかった疑いを晴らすのは並大抵ではない、ならばいっそ「本当のこと」にしてしまうのはどうか、これは天が示した道なのでは?と暗示をかけました。 小一郎の言葉に心が揺らいだ大沢は二人に、城と領地はこれまでどおり安堵してもらえるのか?と念押ししました。二人は「お約束します!!」と喜んで返事を。しかしそのときに大沢の家臣が、噂を広めた張本人を捕まえたと言って弥助を連れてきて、企みが大沢にばれてしまいました。 怒った大沢が刀を手にして二人を斬り捨てようとしたとき、秀吉が小一郎をかばい、そして叫びました。「自分はこの大仕事をやり遂げて侍大将になって、寧々と祝言を挙げるのだ!寧々と夫婦になってずっと守っていくと決めたのだ!」 大沢は秀吉の心からの叫びで、自分と篠のことを思い出しました。嫡男の大沢主水(杉田雷麟さん)が問答無用!と斬ろうとしたのを止め、大沢は二人にさっさと失せろ!と言いました。 小一郎は帰ろうとしましたが、秀吉はさらに言葉を続けました。自分は必ず大沢を説得して味方につけると信長と約束したからこのまま帰るわけにはいかない、自分は下から這い上がらねばならない、自分を信じてこの役目を与えてくれた信長の期待を裏切るわけにはいかないと言い、我らの味方になってほしい!と再び乞いました。 秀吉の言葉で大沢は、道三に取り立ててもらった若いころのことを思い出しました。秀吉の心からの叫びが大沢の胸に響いたのか、大沢は二人に「信長とはどういう人だ?」と問いました。「貴方のような武士が仕えるのにふさわしい、強く大きなお方だ。」と返されると、大沢は再び道三を思い出しました。「(婿の)信長はわしに似ている。」ーー信長は道三と同じと信じ、大沢は信長に会うことを決めました。 結局、秀吉は人質として鵜沼城に残り、小一郎が大沢を連れて尾張に戻ることになりました。小一郎はつくづく兄には適わないと思いました。そして大沢は信長と会い、身命を賭して仕えると誓いました。しかし大沢の従者が毒を塗った小刀を忍ばせていたことがわかり、大沢は釈明したのですが、信長は「始末せよ」と命じました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
February 14, 2026
1月の終盤から臨時の仕事をやっていて、しかも風邪をひいてしまったので、この2週間は家にいる間はダウンしていました。更新が遅れましたが、2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄3年(1560)5月18日、尾張を手中にしようとする今川義元(大鶴義丹さん)が沓掛城に入ったと報せがありました。雑兵たちは得物(得意とする武器)を取って城主・織田信長(小栗旬さん)の出陣を今か今かと待っていました。 信長は敦盛を謡い舞って出陣の時をはかり、いよいよ腰を上げ妹の市(宮﨑あおいさん)に見送られて動き出しました。5月19日、夜明けと同時にごくわずかな供回りを連れて馬を出し清須を出立、信長が動き出したので雑兵たちは殿に遅れをとるまいと一斉に駆け足で追いかけました。男たちの出陣を女たちはそれぞれの思いで見送りました。 織田軍3千は善照寺砦に集結し、軍議が開かれました。報せによれば、義元の本隊は沓掛城を出て西に進軍を開始していて、大高城を目指していると予測されるものの、義元がどこにいるのかはわからない状況でした。信長は「今は丸根砦の佐久間盛重にかけよう。」とだけ言いました。 その佐久間盛重(金井浩人さん)は松平元康(後の徳川家康;松下洸平さん)率いる岡崎衆に攻め立てられていて危うい状況でした。佐久間はこの丸根を今川方に明け渡して寝返るつもりでした。そして桶狭間山で休息している義元のところに元康の使者が首を届けに来ていました。 そのころ藤吉郎(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)は同じ織田の家臣ながら父の仇である城戸小左衛門(加治将樹さん)から得物を取りあげようと画策してサイコロ勝負をしていました。でも藤吉郎の連敗が続くのでおかしいと思ってサイコロを調べたらサイコロに細工がしてあり、藤吉郎は城戸に抗議しました。城戸は悪びれる様子もなく「どんな手を使っても勝てばいい。」と言うだけで、そうこうしているうちに信長が動き出しました。 信長は佐久間が討ち死にし、その首が義元のところにに届けられるのを梁田政綱(金子岳憲さん)から報せを受けていました。そして集まった雑兵たちに「丸根砦は落ちたが佐久間盛重の首が義元のまことの居場所を教えてくれた。」と伝えました。そして「これから奇襲をかける。乱取り(略奪行為)をせず、ひたすら義元を目指せ。勝って清須に戻ったら必ず自分が皆に報いる。」と兵たちに約束しました。 ふと空を見るとトンビが低く飛んでいました。信長は小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)から聞いた話を思い出し、まもなく雨が降るのがわかりました。鉄砲には雨除けをし、皆で鬨の声を上げて進軍を開始しました。 義元の陣に近づき織田軍の突撃が開始しました。鉄砲と矢が放たれ、柵を超えるための攻防があり、命をかける戦が初めての小一郎は驚いて腰が引けてしまい、思うように動けません。反対に城戸は鬼人のごとく働き次々と敵を討っていきます。 その城戸が一人になったとき、兄・藤吉郎は今が好機と矢を構えて父の仇を討とうとしたのですが、小一郎がそれを止めました。悔しいが城戸は味方にとってなくてはならぬ男、あいつを殺したら自分たちも生きて帰れないかもしれない、と小一郎は考えたのです。 「死ぬのも殺すのも怖い。自分は戦場には役立たずだ。」ーー弟・小一郎の本音を聞き、藤吉郎は考えを変えました。「いつかあいつより偉くなって、あいつを顎で使ってやろう。」兄弟でそう話していたら敵が襲ってきて二人は危機に。そのとき城戸が投げた槍が敵を倒してくれたので二人は城戸が自分たちを救ってくれたのかと思ったのですが、そうではなくて逆に自分たちを狙っていたと知り、やはり憎しみが沸いてきました。ところがその直後、城戸は敵に討たれて命を落としました。 そのころ義元をめがけて織田勢が迫っていました。先ほどの雨で鉄砲が使えず応戦ができない今川勢に対し、雨除けをした鉄砲で援護して義元に斬りかかっていく織田勢。そして毛利新介(永田崇人さん)が一番槍となり、見事に義元を討ち取り名乗りをあげました。 大将の義元が討たれたことで今川の兵たちは戦うことをやめ一斉に逃げ出しました。 勝利を確信した織田勢は幾度も鬨の声をあげ、声は戦場一帯に響き渡り、離れた場所で戦っていた藤吉郎と小一郎にも聞こえました。 清須への帰り道、藤吉郎は主君・信長の天運を称えていましたが、小一郎は違った考えでした。「殿はギリギリまで戦支度をせずに敵を領内におびき寄せた。佐久間の首が運ばれるのを見越して、義元の居場所をつきとめた。敵を油断させ大軍を二つに分けるよう仕向けた。」すべては信長の計略だと分析し、大したお方だと称えていました。 二人が清須の浅野長勝(宮川一朗太さん)の屋敷に戻ると、無事に帰還した小一郎を見て喜びと安堵で直(白石聖さん)が飛びついてきました。弟たちを見て藤吉郎が羨ましく思っていたら寧々(浜辺美波さん)が声をかけてくれたのですが、藤吉郎は何も言えませんでした。 一方、信長は居室に梁田政綱を密かに呼び、労を労っていました。密命として佐久間を殺し、降伏を装って首を松平に渡す、その首が義元のところに運ばれるときに使者の後をつけて義元の居場所をつきとめるよう命じてあり、政綱は成し遂げました。信長は此度の戦の一番手柄を梁田政綱としました。 信長はやっと一人になったとき、緊張がとけて勝利を喜びました。そこに妹の市が入ってきて、兄に悪運が強いと言いました。でも信長自身もそう思っていたのでした。「あれこれ策を弄してもうまくいくとは限らない。雨音が我らの進軍の音を隠してくれた。敵の鉄砲は使い物にならなくなった。」 でも市は、味方の鉄砲はあらかじめ濡れないようにしてあった、どうして雨がわかったのか?と問いました。信長は「雨が降ると天の声を聴いたのは別の男だった。その者の名は・・忘れた。」とあのときを思い出しつつ笑いました。 翌日、手柄を検分して恩賞を決める首実検が行われました。義元の首をあげた毛利新介は母衣衆に取り立てられて五百貫文の加増を受け、信長からの褒め言葉もありました。 木下雅楽助組に属する足軽の藤吉郎は今川方の武将・一宮宗是の首を出し、信長は褒美で足軽組頭を命じましたが、藤吉郎の何か言いたげな様子を見て、信長は発言を許しました。藤吉郎は正直に「実はこの者を討ち取ったのは城戸であり、城戸は死んでいたので手柄をもらおうとした。そのとき小一郎は高みを目指すなら拾い首で恩賞にあずかってはいけないと言った。」と兄弟で信長に許しを請いました。 しかし信長は、それは幸運だったと許し、改めて藤吉郎に足軽組頭として励むよう命じ、さらに幸運にふさわしい「木下藤吉郎秀吉」という名を与えました。 そして小一郎には、これからは自分の近習として使えるよう言い、此度の戦は小一郎の助言なくしては勝てなかったと褒めました。居並ぶ重臣たちも驚く大きな褒美でしたが、小一郎は自分には荷が重すぎると断りました。そしてこの戦への正直な思いを述べました。 天は人事を尽くした者に味方する。此度の殿のように。自分はこの戦は勝てないと思っていたが殿は違った。兄も殿が必ず勝つと信じていた。そういう思いが天を味方につけ道を切り開くと教えられた。 そして「自分は兄に従い兄と共に殿にお仕えしたい」と笑顔で答え、殿の近習にならない代わりに銭が欲しいと正直にお願いしました。信長はそれを認め、銭五十貫を小一郎に与えました。破格の褒美に兄弟二人だけでなく一同も驚きました。それからこれもやる、と言って信長は二人に自分の草履を片方ずつ渡し、「草履は片方だけでは役に立たん。互いに大事にせよ。」と言葉をかけました。「家宝にいたしまする!」ーー嬉しくてたまらない二人でした。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
February 10, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 今年の大河ドラマは、他のTV局も含めて幾度も見てきた戦国時代の、しかも豊臣が主人公なので私は最初は正直「またか。」という思いでした。 しかしいざふたを開けてみれば、なかなか面白い。脚本家の八津弘幸氏は漫画原作者でもあるからか、例えば今回の「懐に草履を」のエピソードを、予想もしなかった形でうまい具合に使っているなあと思いました。 この織田信長(小栗旬さん)の草履の場面では、主人公・小一郎(仲野太賀さん)が百姓として外仕事をしてきたゆえに体感している天気を読む力を信長に認められました。 戦国時代では天候は勝敗の大きな要因となります。次回の桶狭間、その先の設楽原の戦いなど、小一郎が活躍する場面になるのでしょうか。この先の展開も楽しみです。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄2年(1559)尾張・清須の城主の織田信長(小栗旬さん)は尾張一統を目指し、領内の敵対する勢力を次々と従えて織田家をまとめあげている最中でした。しかしその一方では、圧倒的な勢力を誇る駿府の今川義元(大鶴義丹さん)が尾張にせまっていました。 さて、兄の藤吉郎(後の豊臣秀吉;池松壮亮さん)と共に清須に行って侍となると決めた小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は、思い人の直(白石聖さん)も連れて清須の城下に入りました。 とりあえず直が身を寄せる場所が必要なので、藤吉郎は日頃から良くしてくれる浅野長勝(宮川一朗太さん)を訪ね弟の小一郎を紹介、そして直を娘の寧々(浜辺美波さん)の付き人にしてもらうよう頼んだら長勝は快諾してくれました。 藤吉郎は直が浅野家にいればそれを口実に寧々と会うことができるという計算があり、小一郎も兄の考えをわかっていました。でも藤吉郎が小一郎を清須に連れてきたかった理由は他にもあり、戦の傷が元で世を去った父・弥右衛門の仇がこの清須にいるようだ、ということなのです。 その者は織田家の家臣の城戸小左衛門(加治将樹さん)で、城戸は父が取った手柄首を横取りして出世し、逆に父はそのために出世できなかった、しかも城戸は藤吉郎が作って父に持たせた木彫りのお守り人形まで持っていってしまった、という話でした。城戸を許せない藤吉郎は、戦のどさくさ紛れ城戸を討つ敵討ちを考えていました。 永禄3年(1560)5月、今川との戦が近くなり尾張の領内は慌ただしくなってきました。今川義元は2万5千の兵を率いて尾張に向かっていましたが、途中三河の領内に入ると蹴鞠を始めたりして進軍を止めていました。「織田にじっくりと力の差を見せつけてやり、戦う気力を奪う。」義盛は余裕の行軍でした。 それに対して織田方では、籠城か出陣かで重臣たちの間で意見が激しく対立し、主君・信長の判断を待っていました。信長は「今ごろ義元は織田家の軍議が荒れているのを思い浮かべて笑っているだろう。」と言い、結局「今は何もしない。疲れたから休む。」と言って席を立ち、退出していきました。 兄・信長の苦悩がわかる妹の市(宮﨑あおいさん)は、どうにもならないときは自分が今川の人質になり、いつか義元と刺し違える、とまで言いました。 兄のためなら何でもする覚悟のある市、義元ごときと引き替えにはしたくないと利発な妹を守る信長。織田家の兄・妹の絆は固く結ばれていました。 雑兵たちは籠城を想定して米・味噌・酒などを集めたりして忙しくしていました。そこに城戸が来て勝手に酒を持っていこうとし、誰も逆らえない中、我慢ならなかった藤吉郎が物陰から「この、たぁ~けが」と嘲り、疑われた小一郎があやうく酷い目にあうところでした。父が世を去ったとき、小一郎はまだ幼くて覚えがなかったのですが、藤吉郎は無念で仕方がなかったのでした。 忙しい雑兵たちとは対照的に、信長は酒宴を開いて小姓たちに能を舞わせてのんびりしていました。重臣たちは今川が明日にでも沓掛(現在の愛知県豊明市、大高城より東に約7km)に入るのではと酒宴どころではなく、信長からの下知を待っているのですが、信長は「沓掛はまだ遠い。策は追々考える。」と重臣たちの声に耳を貸そうともしません。 そんな信長の姿を見て、佐久間盛重(金井浩人さん)は「丸根砦に戻ったら頃合いを見て今川に内通の使者を出す。今川に手土産の用意を。」と密かに梁田政綱(金子岳憲さん)に命じ、陰で主君・信長をうつけと罵っていました。 さて戦のどさくさに紛れて仇の城戸を討つためにも、なんとかして信長に出陣してもらいたい藤吉郎は、信長に直訴しようと小一郎を連れて城に入りました。でもそのとき城にいた重臣は運悪く柴田勝家(山口馬木也さん)で、藤吉郎たちは勝家に怒鳴られて追い返されてしまいました。 もう帰ろうと城の裏庭に回ると城戸の草履が置いてあり、藤吉郎はせめてもの腹いせに草履を盗んで金に換えてやろうと思いました。小一郎はそういうことは良くないと反論、二人で草履を取り合っていたら信長が現れました。 ここにあった草履は知らぬか?と二人に問う信長。そう、草履は城戸の物ではなく信長の物で、藤吉郎は懐から片方の草履を取り出してとっさに「温めておきました」と。 信長から「この陽気に温めてどうする」と問われ、答えに窮した藤吉郎は小一郎に答えさせました。小一郎は一瞬戸惑ったけど「間もなく雨が降る。濡れてはいけないと思った。百姓だった自分には天気がわかる。」と答えました。 信長はもし雨が降らなかったら?と問い、小一郎が自分の読みが甘かったと笑ってごまかすと、信長は「次からはもっとマシな言い逃れを考えよ。」と言って去ろうとしました。 偶然にも会えた信長に藤吉郎が出陣の有無を尋ねると、迷いのある信長から「調子に乗るな!」ときつく叱られました。それでも藤吉郎が「殿ならきっと勝てる」と自信を持って言うと、信長から「どう勝つのか?」と問われ、返答に窮した藤吉郎はまた小一郎に振って答えさせました。 小一郎は正直に、勝てないなら今川と和睦すればいいと答えました。しかしそれは戦と政を知らない小一郎の浅い考えでした。「和睦をもちかければ今川は無理難題を言ってくる。和睦は降伏と同じだ。」と信長は言い、さらに小一郎に「あらゆる手を尽くし、考えぬいてやり尽くした答えなら認めるが、今の言葉は軽すぎる。たとえ負けるとわかっていても命をかけて戦わねばならぬことがある。それが侍だ。志ない者は失せろ!」と厳しく言いました。 いろいろなことが嫌になった小一郎は「侍なんぞこっちから願い下げだ!」と出ていきました。弟の態度を藤吉郎が信長に詫びると、信長は自分に付いてくるよう藤吉郎に言いました。 信長は気が乱れているのか鉄砲の稽古をしてもなかなか当たらず、そんな信長に藤吉郎は自分を狙って撃つよう言いました。猿のマネをして庭を走り回る藤吉郎を笑いながら信長が1発放つと、鎧には見事に命中したのですが、同時に藤吉郎が倒れました。 もしや当たったのか?と慌てて藤吉郎に駆け寄り声をかける信長。でも少ししたら目を開け「これぞ猿芝居」とニヤリとする藤吉郎。信長と藤吉郎の間には他の者にはない確かな信頼がありました。そんなとき雨がポツポツと降ってきました。先ほど小一郎が言ったとおりに。 小一郎がもう中村に戻る!と言うと、直は反対しました。「なんのために清須に来た?小一郎は勝てない相手には最初から負けを認める。そのほうが傷つかないから。本当は悔しいのに。だから身分が低くてもそこから這い上がれる侍になって見返したかった。小一郎は下剋上に魅せられたのでは?小一郎が侍になったのは小一郎自身のためでは?」 そのころ岡崎の松平元康(後の徳川家康;松下洸平さん)が今川義元の命で大高城に兵糧を運びこんでいました。その報せと今川が丸根砦と鷲津砦に攻めかかったことが、夜中に丹羽長秀(池田鉄洋さん)から信長にもたらされました。 「今こそ討って出るとき!」ーー出陣を決めた信長は飛び起きて、馬を引くよう命じました。清須の城内では大急ぎで戦支度が始まり、藤吉郎の元に戦支度を整えた小一郎が現れました。「やっぱり来たな。」ーー兄はニヤリと笑いました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
January 22, 2026
2026年NHK大河ドラマ 『豊臣兄弟!』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄2年(1559)清須から中村に戻った小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は道普請で稼いだ銭を家族に渡し(実は半分は墓の下の甕に貯金)、本当は大手柄があったけどそれは信長に認めてもらえず褒美がなかった、と愚痴まじりに報告しました。 母のなか(坂井真紀さん)は、戦の手柄とは大勢人を殺すことだから、兄の藤吉郎(池松壮亮さん)には無理だと言います。でも、いざとなったときの兄の姿を見てしまった小一郎には母の言葉は違うと感じていました。 村に戻って幼なじみの直(白石聖さん)と会った小一郎は直の嫁入りの話を聞きました。直のことを祝いながらもどこかスッキリしない小一郎。嫁入りなのにちっとも嬉しそうにない直。二人とも言葉にしにくいモヤモヤを抱えていました。 その夜、直の父で村の土豪の坂井喜左衛門(大倉孝二さん)は村人を屋敷に招いて、娘の嫁入りの祝い酒を振る舞いました。皆が酒に気分よく酔うそんな時なのに小一郎はふと、藤吉郎が言った「殿・信長は身分や家柄にとらわれず真に力のある者を認めてくれる」」といった言葉や、信長が「じっとしていては欲しいものは手に入らぬ。自分の進む道は自分で切り開け。」と言った言葉を思い出していました。 一方、清須では城主の織田信長(小栗旬さん)は尾張統一を目指して岩倉攻めを控え、重臣会議を開いていました。岩倉の織田伊勢守(織田信賢)からは降伏したい旨の申し出がありましたが、信長は降伏は認めないと使者を斬り捨てるよう、出陣して岩倉城下に火を放って町を焼き払うよう、連日連夜あるだけの鉄砲や火矢で攻め立てるよう命じました。 非情にも思える信長の命は真の尾張一統のためだと、妹の市(宮﨑あおいさん)は誰よりも兄を理解していました。市は兄・信長に進言します。「今川の息のかかった野武士の一党がこの領内で狼藉を繰り返しているがこれは誰かの手引きがなければできない。信賢は降伏したと見せかけて裏では今川と通じている。」 信長も市と同じことを考え、さらに「肝心なのはただ勝つことではなく、勝った後にどう治めるか。誰もが抗えぬ揺るがぬ力を示さなければ。」と言葉を続けました。そして信長は出陣。燃え盛る岩倉の城下を高台から見下ろし、勝鬨を上げました。 さて清須で留守番役となった藤吉郎は、浅野長勝(宮川一朗太さん)から頼まれて寧々(浜辺美波さん)のところに使いに行くことになりました。自分の下女がまた辞めた理由が思い当たらないという寧々。藤吉郎が、寧々は自分勝手だから下の者は振り回される、と率直に意見すると、寧々は少し怒りながらも藤吉郎の考えにどこか納得していました。 藤吉郎が戻ってしばらくするとまた長勝が用事を言ってきて、またかと思ったら今度はなんと、殿・信長の妹である市からの呼出しだったので、藤吉郎は喜んで馳せ参じました。退屈だから何か話をして欲しいという市に藤吉郎は「願いを叶える不思議な鐘」の話をしました。それは藤吉郎が母・なかから聞かされていた昔話でした。 鐘の話の後で市は、退屈なのではなく本当は苦しいのだ、と胸の内を語りました。「きょうだいは不思議なもので、お互いのことをわかってしまうことがある。自分には兄の苦しさがわかる。」と。 そんなころ中村で小一郎は、先日の清須で手柄を立てたのに褒美がなかったことの愚痴がつい出ていました。あのとき一番手柄だったら兄・藤吉郎は今ごろは大出世していたのに、と。兄のことでは文句は多々あれど、やっぱり兄の出世を願っている小一郎でした。 そして直の祝言の日がきました。小一郎たち村の百姓は皆で田植えをしていて、小一郎が家で休憩していたら花嫁衣裳の直が現れました。直は、なんか嫌だから婚礼から逃げてきた、一緒にこの村を出よう、と小一郎に言います。でもそんなことはできないと小一郎が言っていると、野盗が来て村を襲いはじめました。 直は自分の婚礼のご祝儀を狙ってきたのだと直感し、急いで家に戻ろうとするのを小一郎が引き留めました。小一郎は直から屋敷の造りを聞き出し、坂井家に走りました。坂井家ではすでに野盗との戦いの最中で、小一郎は頭らしき男を見つけて対峙しました。 危うく男に殺されかけたとき小一郎は「この家の隠し金蔵の場所を教える」と言い、男は手下を数人連れて小一郎が案内する後をついていきました。小一郎が向かった先には村人たちが待ち構えていて、皆で力を合わせて野盗どもを追い払いました。 小一郎が玄太(高尾悠希さん)や信吉(若林時英さん)と一緒に喜んでいたら、遠くから銃声がしました。今度は別の野盗が大勢押しかけてきて、女・子どもも容赦なく目の前にいる者の命を次々と奪っていきました。見つかれば殺されるので、小一郎は直と共に息をひそめて物陰に隠れていました。 ようやく野党どもが去って小一郎と直が外に出ると、玄太が泣いていました。田んぼの苗を守ろうとした信吉が野盗に殺されたのです。小一郎は信吉の亡き骸を抱いて嘆き悲しんでいました。 そんなところにやってきた兄・藤吉郎に小一郎は訴えます。役に立たん足軽なんかいらん、信長も偉そうなことを言うだけでちっとも自分たちを守ってくれん、自分たち百姓は守ってくれる殿様のために必死で米を作る、なのにこれでは百姓があまりにみじめだ!と。それでも藤吉郎は小一郎に「清須に行って侍になれ。」と勧めるのでした。 その夜、眠れない小一郎が外に出ていると母・なかが外に出てきて、なかは「好きにしなさい」と言いました。なかは「藤吉郎には藤吉郎にしか、小一郎には小一郎にしかできないことがあるからそれをやれ。」と。 自分が出ていくとこの家の男手はと小一郎が心配していると姉のとも(宮澤エマさん)が外に出てきて、ともの婿がこの家に来てくれるから大丈夫だ、と言いました。 そして母は、8年前に小一郎が病気になったとき、藤吉郎は弟・小一郎を助けるために金を工面して、小一郎に飲ませる高価な薬を置いて出て行った、だから今度は小一郎が兄を助けてやれ、と言いました。 そう言われて小一郎は兄の言葉を思い出しました。坂井家の仏画は藤吉郎がどうしても銭がいると言ったら嫁が勝手に持ってきてくれた(自分は仏画は盗んでいない、嫁の心は盗んだけど)と、そして兄は皆から「ありがとう、よくやった!」と言われたい、と言っていたことを。 じきに夜が明け、昇る朝日を見ながら小一郎は兄と一緒に清須に行くことを決意しました。話を聞いて喜んで家から飛び出してくる藤吉郎。まだ決めたわけじゃない、助けてもらった借りを返すだけだと言い返す小一郎。 これから侍になる息子たちの姿をを見てなかは「あんたたち、どうせならうんと偉くなって帰っておいで。あのお天道様のように。」と言葉を贈り、兄弟も母の言葉を胸に刻みました。 小一郎は村を出ることを直に告げ、一緒に来て欲しい、傍にいてほしいと思いを伝え、直も受け入れました。直を連れていくにあたり小一郎は墓の下に貯めておいた銭を坂井家に置いていきました。藤吉郎に仏画と嫁の心を盗まれ、小一郎に娘の直を取られた坂井喜左衛門は「こんなはした金で!この盗人兄弟めが!」と叫ぶのが関の山でした。 兄弟と直が出立した後で母・なかは、8年前の薬代は寺の了雲和尚(田中要次さん)が用立ててくれたのだと真実を明かしました。「小一郎はひとのためなら走り回るのに、自分の気持ちは押し殺してばかりだから。」と、小一郎を清須に行かせるための嘘だったのです。 なか、とも、妹のあさひ(倉沢杏菜さん)は兄弟の門出を祝って、勝手に寺の鐘を撞きまくりました。時刻を告げるでもない、でも心が躍るような鐘の音を背に、藤吉郎と小一郎と直は張りきって清須に向かいました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
January 14, 2026
年が明け、新しい大河ドラマ『豊臣兄弟!』がスタートしました。当初の予定では、私は諸事情で今年はこのあらすじ&感想日記をお休みしようと思っていました。 しかし、いざ視聴してみると話がテンポ良く進み、登場人物もどういう関係の人かほぼ知っているので話もわかりやすい。それにせっかくの地元の愛知県の話も多いので、ここはやはりもう少し続けようと思いました。 2016年の『真田丸』より感想日記を10年間、ずっと毎週続けてきて、でも少し見返してみたら部分的な感想に留める週もあったので、視聴した週の状況によっては簡略しようと思ってます。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 永禄2年(1559)尾張の中村に生まれた小一郎(後の豊臣秀長;仲野太賀さん)は生来争いごとを好まず、村人たちのいさかいを仲裁して両方がうまくいく策を考える男でした。 戦が始まる触れを聞くと、戦場での盗み目当てで村の男たちは農作業を放り出してはりきって出かけいくけど、それをしたくない小一郎は戦には行かず、姉のとも(宮澤エマさん)からは綺麗ごとを言っとるな!と叱られている日々でした。 小一郎が仕事をもらおうと村の土豪の坂井喜左衛門(大倉孝二さん)の家を訪ねているとき、村が野党に襲われました。坂井の娘の直(白石聖さん)が襲われそうになると、小一郎はとっさに「その娘は清須の殿様(織田信長)に見初められて城に上がることになっている」と嘘を言って直を守ろうとしました。 でもその手がうまくいかず窮地に立ったとき突然、兄の藤吉郎(池松壮亮さん)が現れ、我が主の信長よりその娘を連れてくるよう命を受けて参った、とうまく話をつなげてくれました。小一郎は野党に布を持たせて直を解放させ、追い返しました。 兄・藤吉郎が8年ぶりに中村に戻っても、母のなか(坂井真紀さん)は喜んでくれたものの、ともと小一郎は冷ややかでした。それもそのはず、8年前に藤吉郎が坂井家で盗みをしたために小一郎たちは村八分にされかけたからです。やむなく兄は死んだことにし、その後も兄のせいで家族の皆はさんざん苦労させられたけど、そんな生活の中でも小一郎は働いて得た小銭を何かのときにとコツコツとためていました。 小一郎が父の墓前(小銭の甕の隠し場所)にいると藤吉郎が来て、一緒に来るよう強く勧めました。城主の信長は、身分や家柄にとらわれず実力を認めてくれるから自分と一緒に仕えよと言いますが、小一郎はそんな気になれず、ついには兄弟で木刀での喧嘩が始まりました。 思いのほか剣術が強い小一郎に藤吉郎は驚きましたが、でも戦いたくないと言う小一郎。実際に戦場で働いてきた藤吉郎は小一郎の弱さを感じました。そんなとき寺の了雲和尚(田中要次さん)が現れ、道普請の仕事があると言い、小一郎は是非に!と飛びつきました。でも行先は清須で、結局は兄の言うとおりになりました。 すっかり賑やかな町になった清須に小一郎は驚きました。兄・藤吉郎は、信長が清須を治めるようになって諸国の商人たちが集まって市を開いている、とどこか自慢げでした。 小一郎は道の普請に加わり、道が整えばたしかに人が往来しやすくなるけど、同時に敵からも攻め込まれやすくなる、やはり信長は大うつけだと、隣りにいた男に同意を求めたところ、いきなり男に殴られました。「成すべきことも成さず、偉そうに他人の批判をするな。」その男は実は、人足に扮した城主の織田信長(小栗旬さん)だったのでした。 そんなとき向こうで土砂崩れが起こり、皆で働いて作った道が15間にわたってふさがれてしまいました。人足の頭は、仕事が終わらずに信長の逆鱗に触れたら容赦ない仕打ちが待っていると怯え、何人かの人足たちも逃げようとしました。 しかしそのとき小一郎が皆に、今逃げたら銭がもらえない、崩れた箇所を5間ずつ3つに手分けして直そうと皆を説得、人足たちそれぞれに役割を指示して作業を再開しました。知らぬこととはいえ信長にも声をかけ一緒に作業しました。 皆で夜通しで作業してなんとか道普請は終わり、小一郎は約束の銭をもらってほっとしました。兄・藤吉郎が迎えに来て、我が家で少し休んでいけというのでついていったら、そこは中村の家よりひどいボロ小屋。兄が足軽大将になったというのはホラだったのです。 兄の大風呂敷に落胆していたら、信長が出立すると報せが入り、二人で信長を見送りに外に出ました。信長の姿を見るとすかさず前に進み出て祝いの言葉を述べ、必死に自分を売り込む兄。信長の顔を見て、普請場にいたあのときの男が城主・信長と知って青ざめる小一郎。 弟の様子から小一郎を赤の他人と信長に言い張る藤吉郎。兄の発言に驚き、自分は弟だと名乗ってあのときの無礼を詫びる小一郎。でも信長が小一郎の昨夜の見事な差配を褒めると、今度は「自慢の弟です!」と先ほどとは正反対のことを平気で言い放つ兄に驚く小一郎。 そんな小一郎に信長は「道ができればこちらが敵より早く出陣することができる。じっとしていては欲しいものは手に入らぬ。自分の進む道は自分で切り開け。」そう言い残して去っていきました。 疲れた小一郎が帰ろうとすると、藤吉郎のところに品のいい武家の娘(寧々;浜辺美波さん)が近寄ってきました。この兄には全く釣り合わない寧々と親しそうに話す兄に驚きつつ、寧々に茶と団子をご馳走になっていたら、兄が織田家の重臣の柴田勝家(山口馬木也さん)に急用で呼び出されました。 近頃続く窃盗事件で藤吉郎を盗賊と疑う勝家。腹が立った藤吉郎は勝家に、真の盗賊を捕らえると宣言。藤吉郎は再び小一郎に助力を頼みました。 藤吉郎は何かと自分に良くしてくれる台所方の横川甚内(勝村政信さん)に頼み、丹羽長秀(池田鉄洋さん)に会って話をしました。小一郎が相次ぐ盗難の件を説明し、丹羽に用心するよう進言、丹羽も納得して屋敷の内外を見張らせました。 そのころ藤吉郎と小一郎は城の蔵に近い厠に身を隠して盗賊が来るのを待っていました。待つ間に小一郎は兄に、どうしてそんなに偉くなりたいのかを尋ねました。 藤吉郎には、今は貧しい暮らしだけど出世すれば家族に腹いっぱい飯を食わせてやれる、もっと出世すればもっと多くの人にも、皆を喜ばせたい、皆に好かれたい、もう見下されたり嫌われたりしたくない、という強い思いがあり、小一郎の胸にも響くものがありました。 そのとき裏口から男が入ってきて、二人は曲者と思って捕まえたのですが、その男は横川でした。見回り中だと言う横川。しかしその様子がどこかおかしいと気がついた小一郎が横川に身体を改めると言って近づくと、横川はいきなり刀を抜いて反撃してきました。 とっさに応戦する小一郎。しかし実践の経験のない小一郎の甘さを見抜いた横川がさらに攻撃してきて危うくなったとき、8年間の放浪中に戦にも出ていた兄が容赦なく横川を斬り捨てました。 小一郎が横川の懐を改めると書状があり、それは信長を殺すために美濃の斎藤義龍(DAIGOさん)に宛てた密書でした。二人はすぐに丹羽長秀に報告、長秀は密書の件と盗賊の件を大手柄だと褒め、すぐに信長に報告しました。 数日後、信長が京より帰還しました。長秀が「この者たちが間者を討ち取った」と藤吉郎と小一郎を信長に紹介してくれました。信長は二人を褒めてくれ、藤吉郎が張りきって信長に礼を述べたのですが、勝家から「半日早く丹羽兵蔵がこの計略をつかんで、京にいる殿に知らせてくれた。」と言われました。 そして信長からも「こたびの手柄は兵蔵のものとする」と言われ、藤吉郎は落胆して顔を伏せたままでした。しかし再び顔を上げたとき、藤吉郎は不服の表情を一切見せず、信長が無事に帰還したことがなによりの褒美!と嬉しそうにどこまでも信長を持ち上げます。 「手柄が欲しければ誰よりも早く動け。」信長の言葉は兄弟の胸に刻まれました。 中村に帰る小一郎は兄・藤吉郎に、やはり自分は侍にはなれないと告げます。藤吉郎がその理由を尋ねると「兄者が恐ろしい」と。弟・小一郎からの思いがけない言葉に呆然とする藤吉郎。小一郎は踵を返して振り返ることなく清須を後にしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
January 7, 2026

2026年になりました。 皆さま、 明けましておめでとうございます 本年もどうぞよろしくお願いいたします 新年を迎えたとはいえ、私はふだんとほぼ変わらない生活を送っています。初詣は行きたいけど混雑は避けたい、他に特に行きたい場所もない、特に買いたい物もないので、正月太りをしないよう気を付けて、ふだんどおりに過ごしています。 そういえば、ご報告を忘れていました。昨年の夏に私は、つい魔が差したと言うべきか、子猫を1匹、我が家に迎えてしまいました。 もう子猫は迎える気はなかったのですが、保護猫さんのお宅に見学に行ったら、なぜかトントン拍子にこの子が決まってしまいました。 たぶん、こういうのを運命というのでしょうね。名前は「空(くう)」です。黒い子だからクロに由来するようにあれこれ考えたところ、どうやっても月並みな名前になるので、“空” にしました。 8月初めのいちばん暑い時期に迎えに行きました。我が家に来て3日目です。たぶん7月初め生まれでしょう。小さいのにガツガツよく食べます。 図々しい新入りにスモモ姉さん(6歳)が怒っています。 ニャンズのリーダーの小太郎兄さん(20歳だからおじいちゃんですね)は優しいし誰でも受け入れてくれるので、空はぴったり寄り添っています。 でも10月の終わり頃には、スモモ姉さんも受け入れてくれるようになりました。 この黒チビ、とにかく甘えん坊です。私が「おいで」と促さないのに、甘えたくなったら勝手に膝に乗ってくる、抱っこをせがむ、果ては私が立っているとキャットタワーのようによじ登ってくる(私の太ももは爪痕だらけ・泣)、棚の上から私めがけて飛びついてくる、etc... この子は物心ついた頃には保護されていたから、人間に恐い思いをしたことはないと思います。甘えん坊なのも、性格なのでしょうね。 毎日ガツガツ食べるので、すっかり大きくなりました。皆さま、本年もペット連共々、よろしくお願いいたします。
January 1, 2026

今年もあっという間に時間が過ぎてしまい、今日が大晦日で間もなく年が明けます。 この冬の思い出として、12月の初めに通りすがりにたまたま見かけて立ち寄った岐阜県土岐市の崇禅寺をご紹介します。 さて、崇禅寺とはどういうお寺だったかを調べようと検索したら、動画で紹介されたものがありました。 ⇒ ⇒ 崇禅寺 駐車場に車を停めて鐘楼門へ。左右の塀が鮮やかな黄色に塗られているのが気になります。 お寺の中に入りました。見事な枯山水です。イチョウの葉が風に舞って散らばっているのが風情があっていいです。 大きな土倉が2つ並んでいました。 参拝を済ませて戻るときにもう一度、枯山水の庭を。 奥に続く渡り廊下が階段状になっていました。 12月初め、今年は夏が長かったせいか、イチョウが散るのが少し遅かったかもしれません。この時がちょうどいい感じでした。 庭全体が立体的にも平面的にも美しいです。木の高さに歴史を感じます。皆さま、どうぞ良いお年をお迎えください。2026年も当ブログを覗いていただけると嬉しいです。
December 31, 2025

2025年も間もなく過ぎ去ろうとしています。今年の私の思い出は、なんといっても地元の愛知県で愛知万博20周年記念事業 が開催されたことでした。 今年は大阪万博の年で、ほとんどの人はそちらに興味が湧いたことでしょう。でも私にとっては、20年前に開催された愛知万博の記念事業のほうが大事でした。 地元開催であり、キャラクターのモリゾーとキッコロも好きだったけど、なにより「自然との共生」という万博のテーマが私に合うものだったのです。 UPした画像は7月末に行ったときのものです。3月末から始まっていたから、もっと気候のいい季節に行けばよかったのに、太陽が頭上から照りつける一番暑い季節に、あの広い公園をウロウロしていました。 愛・地球博の記念館にやってきました。20周年のロゴが可愛いです。 愛知万博のテーマ「自然との共生」がさまざま形で展示されています。 20年前に会場で活躍した機械たちです。 モリゾー(緑)とキッコロ(黄緑)です。このキャラクターが大好きで、この絵が付いたものを見るとつい買ってしまいます。 キャラクターが付いた商品の一部です。この緑のスカーフ、すごく欲しいのだけど当時は見つけられなかったのかな。今は手にはいらないから、残念です。 北側の駐車場の前にある案内所です。建物のあちこちにモリコロがいます。 愛・地球博が大好きだった地元民には、たまらない可愛さです。 こんなところにもモリコロがいました。赤い建物にも同じようにあります。
December 30, 2025

あっという間に2025年が過ぎ去ろうとしています。 この1年、ここにUPする日記がついついTVドラマの感想日記ばかりになりましたが、ちょくちょくは出かけて写真も撮っています。 20日に所用で久しぶりに名古屋駅に出ました。この時期の街はいたるところでクリスマスディスプレイを見ることができて、とても華やかな気分になれます。 JR名古屋高島屋さん、毎年クリスマスには素敵な装飾を魅せてくださるので、心がウキウキします。多くの人が行き交う中、ちょっと撮ってきました。 JR名古屋駅の東口、タクシー乗り場の近くです。この日は名古屋桜花学園高校ハンドベル部の演奏がありました。 こちらが今年のクリスマスディスプレイ。『くるみ割り人形』です。どんな物語か知らなかったので調べました。王子が少女を「お菓子の国」に招待したシーンなのですね。 足元のパーツをアップで。その1 アップ、その2。 アップ、その3。 ステージの右側です。 ステージの左側です。
December 24, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 寛政6年(1794)眠らされて徳島藩の阿波の無人島に護送される一橋治済(生田斗真さん)は途中で目を覚ましました。用を足したいと訴えて蜂須賀の藩士たちに木箱から出させ、手の縄をほどかせると見張りの藩士の刀を奪って逃走し、逃げ延びて自分を嵌めた者たちへの復讐を誓いました。 しかし雷鳴がとどろく荒天で、そこは周りに遮る物がない川の中。奪った刀が仇となって雷が落ち、治済は感電死してしまいました。絶命の瞬間、治済の傍には変わった髷の男が立っていました。 そのころニセ治済の斎藤十郎兵衛(生田斗真さん2役)の傍には蔦屋重三郎(横浜流星さん)がいて、田沼意致(田沼意次の甥、宮尾俊太郎さん)から治済が死亡した報を受けていました。 そう聞いて重三郎は十郎兵衛に替え玉を辞めてもいいのでは?と提案しましたが、十郎兵衛はもう元には戻れなくなっていました。それなりに治済としての暮らしを楽しむことにした十郎兵衛。実はこのお方は以前から何度か江戸の流行り場に顔をだしていたあの男だったのでした。 寛政7年(1795)正月、写楽絵は打ち切りとなり、重三郎は鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)に、東洲斎写楽はここにいる絵師たちだったと明かしました。写楽として一番働いたのは喜多川歌麿(染谷将太さん)だと皆も認めていました。でも歌麿は、皆が力を合わせた「写楽」に自分も入っていて仲間であるだけで十分、という思いでした。 皆が帰った後でてい(橋本愛さん)が重三郎に誰かの忘れ物の「玉くしげ」を見せると、重三郎は何か思いついたようでした。重三郎は幕閣を退いて国元の白河小峰城に戻った松平定信(井上祐貴さん)に本を届けるのを理由にして文を送りました。 重三郎は伊勢の松坂まで「玉くしげ」の著者で国学者の本居宣長(北村一輝さん)に会いに行きました。重三郎は宣長の本を江戸で売り広めたいと申し出ましたが、初め宣長は重三郎と関わることを避けていました。 しかし重三郎が定信からの文を差し出し、儒学は否とするものであっても和学は別、和学は定信の生家である田安家が大事にしてきた学問であるという定信の考えを伝え、宣長の思想に賛同すると宣長は気を良くし、本を江戸で売り広めるのを許可しました。 伊勢からの帰り道、重三郎は尾張の宮宿の本屋に立ち寄りました。そこでは蔦屋の本が人気になっていて安心しましたが、同時に客たちから、黄表紙が薄くて物語がすぐに終わるのが不満であり、もっと長く楽しめる本が欲しい、という要望も耳にしました。 江戸に戻った重三郎は、瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)には長編の物語を書くように、また駿河生まれの重田貞一(後の十返舎一九;井上芳雄さん)には生国や老若男女問わず楽しめる 笑えるような黄表紙を書くよう、それぞれ頼みました。 そんな話をしていたら長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)から呼び出され、重三郎は町に出ました。笠で顔を隠してとある店の近くに行くと、その店には本が好きな女将がいるとのことでした。しばらくすると店の中から女将が出てきて、それはかつて平蔵と重三郎が共に愛した花魁の瀬川(小芝風花さん)でした。 遠巻きに瀬川の姿を眺めながら、平蔵から瀬川は今幸せにやっていると聞いて安堵する重三郎。しかしそのとき平蔵から、じきに岡場所に大掛かりな警動が入り、また女たちが吉原に押しこまれると聞かされました。 重三郎は急ぎ吉原の親父衆に知らせました。激しく落胆する親父衆。でも重三郎は、吉原での定書きを作ったらどうかと提案しました。後に八十一箇条にも及ぶこと細かな定書きを作って奉行所から お墨付きをもらい、「新吉原町定書」ができました。 寛政8年(1896)重三郎は吉原で親父衆と歌会を楽しんでいたらそこに歌麿が来ました。歌麿に仕事を頼もうと重三郎が立ち上がろうとしたら、重三郎は脚が崩れて立てなくなっていました。 歌麿から話を聞いたていは重三郎に湯治を勧めました。しかし商売のことが先に立ち、いう事をきかない重三郎です。ていは重三郎に節制した生活を送ることを約束させました。 だんだん体調が悪化していく重三郎を見舞いに、これまで一緒に仕事をしてきた作家や絵師たちが集まりました。重三郎は皆に、自分が死んだ後に世間から「あいつは死の間際まで本を作り続けた、書をもって世を耕した、と言われたい。」と願いを伝えました。 皆は快諾し、重三郎は北尾政演(=山東京伝;古川雄大さん)、北尾重政(橋本淳さん)、大田南畝(桐谷健太さん)、勝川春郎(後の葛飾北斎;くっきー!さん)、平沢常富(=朋誠堂喜三二;尾美としのりさん)ら、それぞれに仕事を頼んでいきました。 歌麿は新しい作風の絵を持って重三郎を見舞いました。たしかに変わった絵でしたが、絵には母に愛されたかった歌麿の願望が込められていました。重三郎がこの絵の続きを見たいと言うと「だったら死ぬな」と励まして帰っていったのですが、重三郎はもう先は長くないと歌麿は感じていました。 明けて寛政9年(1897)重三郎は自分の病気を話題にして本を売りまくっていました。5月に入ったある晩、重三郎が文机に向かっていると拍子木の音が鳴り、傍にはいつの間にか巫女姿の女がいました。女はメイワク火事(明和9年=1772 の江戸の大火のこと)の折に助けられた九郎助稲荷(綾瀬はるかさん)でした。九郎助は「今日の昼九つの午の刻(=正午)に迎えに来るから、それまでに思い残すことのないよう皆とお別れを。迎えの合図は拍子木。」と言って消えていきました。 重三郎は先ほどの女は夢だったのかと思いつつ、お告げがあったとていに伝えると、ていは皆に連絡するようみの吉(中川翼さん)に頼みました。 皆が来るまでの間、重三郎はていと二人で今後のことを話し合い、店はみの吉に継いでもらうことにしました。仕事の頼み先等はていが帳面にしてまとめてあり、通夜や戒名のことまでていは準備してありました。 二人でしみじみと昔を思い出していました。ていが重三郎を受け入れると決めたときに、移り住んだ地で富み栄えてその富を人々に分け与えたという中国の陶朱公の話をして、重三郎は陶朱公のように生きると宣言しました。 自分がそのように生きられたのかと自問する重三郎。でもていは「今や江戸だけでなく遠くの町や村で見知らぬ人たちが黄表紙を手にとり本を楽しんでいる。これは重三郎が築き上げ分け与えた富ではないか。その富は腹を満たすことはできないが心を満たすことはできる。心が満たされれば人は優しくなり目の前が明るくなる。次は己が誰かの心を満たそうと思うかもしれない。然様な笑いという名の富を日の本中にふるまった。重三郎は日の本一のべらぼうだった。」と言ってくれました。 自分のこれまでの働きをていが認めてくれた。そう思ったとき重三郎は安堵したのか、急に容態が悪化しました。ようやく皆が駆けつけたものの、午の刻を告げる鐘が無常に鳴り響き、重三郎は集まってくれた皆に礼を言って力尽きました。 吉原で重三郎を育ててくれた駿河屋市右衛門(高橋克実さん)とふじ(飯島直子さん)が駆けつけたのはその後で、南畝は「親に別れも言えぬのは良くない。呼び戻すぞ!」と皆に言い、屁の大合唱をして踊りました。 「戻ってこい!」と皆の願いが通じたのか、重三郎はいったんは気がつきました。でもその直後に拍子木が鳴り、重三郎はあの世へ旅立ちました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 蔦屋重三郎の物語が幕を閉じました。今年の1月にこのドラマがスタートしたとき、歴史の教科書に出てこない人物で1年間、大河ドラマが続くのか、もしかしたらただの時代劇になり途中で視聴をやめるかも?と思っていました。 しかしそれは杞憂に終わりました。脚本の森下佳子氏が田沼意次や松平定信を重三郎にうまく絡め、また江戸後期の化政文化で出てくる有名人たちが次々と出てきて、大河ドラマとして興味深く見ることができました。 この最終回での生田斗真さん演じる一橋治済の、私の想像の斜め上をいった最期とか森下氏の脚本に魅了され、また小芝風花さん演じる瀬川の身請けのシーンの美しさや俄祭りの踊り対決など、今までの大河ドラマにはなかった場面に見入ってました。 また登場する役者さんたちにも目が行きました。吉原の親父衆の中で扇屋の山路和弘さん、松葉屋の正名僕蔵さん、丁子屋の島英臣さんは、須原屋市兵衛を演じた里見浩太朗さんが以前『水戸黄門』で出演されていたときに悪役で何度か登場した方々で、なんとなく懐かしさも感じていました。 書き出したらキリがないくらい、登場人物の皆さんはそれぞれに味わいがあって魅力的でした。大道具・小道具・映像技術その他、スタッフの皆さんも各所で腕の見せ所だったでしょうか。 なによりジョン・グラム氏作曲のメインテーマの音楽が大好きで、毎週オープニングの音楽をじっくり聴いていました。 1年間、大河ドラマを楽しめて良かったです。
December 18, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 寛政6年(1794)曽我祭の日に一橋治済(生田斗真さん)に復讐しようと芝居小屋の裏で待機していた元老中の松平定信(井上祐貴さん)でしたが、その計画は治済には通用せず、それどころか逆に治済が用意した毒饅頭によって多くの家臣たちの命を失いました。 定信に協力していた蔦屋重三郎(横浜流星さん)も危うく毒饅頭を食べそうになり、自分たちの命も狙われたことに激怒した重三郎が詰め寄ると、小屋の奥から謎の人物が出てきました。 その者はの阿波蜂須賀家お抱えの能役者で斎藤十郎兵衛(生田斗真さん2役)という者で、治済に瓜二つということでした。定信は治済を亡き者にした後に替え玉にしようと考え、治済の癖や好みを教えるために家斉の乳母だった大崎を探していたのでした。定信が蜂須賀家の当主・治昭と話をつけ、十郎兵衛は治昭から主命として替え玉になるよう命じられたため、断れませんでした。 重三郎は店の者たちへの危険を感じて、当分の間店を閉めることと外に出ないよう伝えました。店の者たちは不安になって皆辞めたいと重三郎に訴えました。そんな中、みの吉(中川翼さん)は毒饅頭の被害に遭っていましたが、相手も毒饅頭を食えば面白いと言い、重三郎は何か考えました。 そのころ江戸城では、一橋治済は定信を呼び出して芝居町で多くの家臣が落命したことを叱責していました。さらに治済は定信に隠居せよと言い、嫡男が幼少だから少し待って欲しいと懇願する定信に、後継ぎは一橋から遣わすと言いました。治済から扇子で頭を叩かれる辱めを受けた定信は我慢できなくなり、怒りのあまり治済と刺し違えることまで考えました。とはいえ、そんなことをしたらお家は断絶で家臣たちは路頭に迷うので、柴野栗山(嶋田久作さん)は定信を制しました。 そんな頭に血が上った定信のところに重三郎がやってきました。重三郎は「泰平を守るのが将軍の務め、世を乱すやつには毒饅頭を食わすのが将軍の務め」ともっともらしい理由を述べ、治済の実子である将軍・家斉を味方につけて治済に毒饅頭を食わせたらどうかと定信に提案しました。 定信は家斉に話をしてもらうために清水重好(10代将軍・家治の弟;落合モトキさん)を訪ねました。仇討ちの協力を頼むと重好は、家治が絶命する寸前に治済に迫って「天は天の名を騙るおごりを許さぬ。」と遺した言葉を伝えました。ただその当時の家斉はまだ幼かったので、その言葉を覚えているかどうかはわからない、とのことでした。 重好は家斉の側室の死のお悔やみに参上し、その折に先代の家治が 夢枕に立って嫡男・家基の無念を晴らすと言う、と伝えました。ところがそこに治済が入ってきて、治済に気圧された重好は当家の家督について家斉に相談するよう定信に勧められたとだけ話をして退室していきました。 定信は重好の家臣から、家斉との話が進まず自分の名が出されたと報告を受けて激怒しました。そこに重三郎が入ってきて「物事はすべて上手くいくとは限らない。どう立て直すのかが大事。」と定信を諭しました。 そのとき長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)が来て、あの日に大崎が毒饅頭を食べたという証人はいないけど、大崎が重三郎とやりとりしていたのは確かだとのことでした。そう聞いて重三郎は、代金を包んだ紙を渡すときに大崎が自分に何か言いたげだったのを思い出しました。 後日、栗山がその紙を家斉に差し出しました。紙の文字は家斉が見慣れた乳母・大崎の字で、そこには「自分はこれまで田安治察(定信の兄)、家基、家治、右近将監、数多の民を殺害してきた。それはすべて実父・治済の命令だった。」とありました。それを見た家斉は「悪いのはすべてそなたの父だ」と言った家治の最期の言葉を思い出しました。 文にはさらに「治済は生身の人間を傀儡のように操る比類なき才をもっている。治済は天、そして家斉こそ最たる傀儡。どうか父の悪業を止めて欲しい。治済を止められるのはこの世で唯一人、家斉しかいない。」とありました。家斉は、ここにあることは自分はとうの昔から知っていた、自分はどうしたらいいのか、と栗山に相談しました。 その後重好から家斉と治済に、家督について相談したいので清水の茶室に来て欲しいと言伝がありました。清水の家督は家斉の弟に継がせることですぐ決まり、重好は二人に茶を一服立てていました。 家斉は茶菓子を美味しそうに食べていましたが、もしやと恐れた治済は食べずに茶菓子を息子の(!)家斉に食べさせました。(そういえば家斉は子役のときにお菓子をパクパク食べていたわ。すごいロングパス)自分の茶菓子を美味しそうに食べる家斉を怪訝そうな顔で治済が見ていたら茶が入り、先に家斉が飲みました。それを見て、どこか疑いながらも茶を飲み干した治済。すると家斉が倒れこみ、続いて治済も倒れて意識がなくなりました。二人が倒れたのを確認した重好が合図をすると、隣の部屋に潜んでいた定信たちが出てきました。 そのころ重三郎は三浦庄司(原田泰造さん)の屋敷にいて、事の真相を打ち明けていました。治済を眠らせて治済と替え玉の斎藤を入れ替える、治済は阿波の孤島に閉じ込める、自分の企みで人が死ぬのは嫌だし、家斉にも親殺しの大罪をさせない、というやり方だったのでした。 水野為長(園田祥太さん)から、替え玉はお城に、本物は阿波に向かい出立したとの報告を受けた三浦は「ようやく仇が討てた」と田沼意次と意知の位牌に涙ながらに報告していました。 その後、営業を再開した蔦屋に定信が現れました。どこか嬉しそうに店内を見て回り、次々と本を手に取っていく定信。話によれば、自分は国元の白河に下り幕政からは離れるとのことで、これは将軍の父を嵌めた罰を受けるという思いでした。 定信は重三郎に、絵や本を十郎兵衛(ニセ治済)に届けて無聊を慰めてやって欲しいと頼み、この企てで家斉を味方に引き込んだ重三郎の考えは秀逸だった、と褒めました。 そして定信が重三郎に伝えたかった思いがもう一つありました。それは怒りの勢いで恋川春町を追い詰めて死なせてしまったことをどこまでも悔やむ思いでした。 春町の『金々先生栄花夢』が大好きだった定信は重三郎に、「一度ここに来てみたかった。春町は我が神。蔦屋耕書堂は神々の集う神殿であった。」と優しい目で熱く思いを語りました。 重三郎が最後に定信と一緒に働けてよかったと礼を言うと、定信は「今後は随時、良き品を見繕いこまめに白河に送るように。抜け目ない商人に千両も取られたから倹約せねばならぬ(=お前のせいだ)」と重三郎に命じて、駕籠の中で本を手に取り嬉しそうに読みながら、蔦屋を後にしました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ この回は私にとってまさに神回でした。どのドラマでも最終回の1つ前は視聴者をぐっと引き寄せる場面がくることが多いと思いますが、今回の私はうるうるの感動ではなく、「こうきたか!」とワクワクする思いで見ていました。 権力でも悪知恵でも歯が立たない一橋治済に対し、松平定信たちはどう一矢報いるのか、重三郎がどんな知恵を出すのか。脚本の森下佳子氏がどんな展開を作ってくれるのか、私はまったく想像できませんでした。 それがまあ、治済を孤島に幽閉するという、ぶっ飛んだ話ながらも亡き者にまではしないどこか優しさと、一人治済が孤島で何やって生きているのかを想像すると笑えるような、こういう終わらせ方があるのだなと、感心してしまいました。 次回はいよいよ最終回です。重三郎が関わった人たちが次々と出てきて、それぞれどんな物語があったのか、思い出すのに忙しいだろうなと予想しています。
December 11, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 寛政6年(1794)もう一度、夫・蔦屋重三郎(横浜流星さん)と一緒に仕事をして欲しいというてい(橋本愛さん)の願いを受け、喜多川歌麿(染谷将太さん)は重三郎の前に姿を現しました。 歌麿はていの気持ちを代弁しつつ、自分のホンネを伝えました。「世の中、好かれたくて役立ちたくて、自分を投げ出して尽くすやつがいる。いいかげん分かれよ、べらぼうが!」 でも歌麿はそう言いつつもまた重三郎が望む絵を描きたいと言うので、重三郎は「十躰」のときに人相を極端に描いたあの画風が欲しいと伝え、歌麿はすぐに理解して描き始めました。 重三郎がどんな絵を望んでいたのかまるで分らなかった絵師たちでしたが、歌麿が描いた絵を見て皆はようやく理解しました。 ではこれをどうやって平賀源内と結びつけるのか。重三郎はその点は後にして、先に役者の似顔絵を50人分作ると決めました。そんなにたくさんの役者絵をと気が重くなった絵師たちですが、重三郎が礼をはずむと言うと皆は俄然やる気が出てきました。 とはいえ、それだけの人数の役者絵となると、まず稽古を見せてもらわないとわからないし、世間には平賀源内の作としたいのに歌麿が描いたとばれても困ります。そこで重三郎は鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)に頼んで金一帯で協力してもらい、河原崎座と桐座と都座の座元に掛け合い、役者たちの稽古を見せてもらうことにしました。 絵師たちが稽古を見学する日になると、まず重三郎の仲間の絵師たちが次々と稽古場に入り、さらに歌麿とその弟子たちが次々と稽古場に入り、そしてどこか源内を思わせるような風貌の老人が重三郎の父として入ってきたので、座元たちは驚きました。 芝居の稽古が始まり、絵師たちは一斉に下絵を描き始めました。重三郎の店に戻ってからは、戯作者たちは先ほど見た稽古で気に入った場面の感想をそれぞれ言い合って描く役者の場面を選択、絵師たちは役者の顔の描き分けを始めました。 そんなところにみの吉(中川翼さん)が勝川春郎(くっきー!さん)が見つかったと言って連れてきました。春郎は蘭画を感じさせる描き方を助言し、重三郎が蘭画にはふち取りがないことを言うとそう聞いた歌麿が影をつけた絵を描いてみせ、皆で知恵を寄せ集めて「写楽」の絵を作っていきました。画風が決まり、残りの49作を皆で手分けして描いていきました。 重三郎はでき上った絵を持って松平定信(井上祐貴さん)の元を訪れ、絵師の名を「写楽」にすると報告にしました。定信はとても満足そうで、「これは江戸の誉れとしたい!雅号は『東洲斎写楽』とせよ。」と命じました。 5月になり、三座による興業の幕開けとなりました。重三郎は芝居町にかりそめの耕書堂の店を構え、集まった人々に写楽の役者絵を紹介していきました。絵の面白さで人々は次々と役者絵を買い求めていき、ふざけた絵を描く新しい絵師の出現に江戸っ子たちはわき立ちました。 そのうち写楽とは誰だ?と人々は話題にし始めました。歌麿、春郎、重政と次々と名が上がり、それに乗じて平賀源内の名も意図的に出していきました。源内の名が出ると武士たちは、当時のことを蒸し返して噂し始め、しまいには「得をしたのは一橋ばかり」とまで話が広がりました。 「写楽は源内で今も生きているのではないか」と噂が広まった頃、大崎(映美くららさん)は『一人遣傀儡石橋』を持って一橋治済(生田斗真さん)の前に進み出ました。 実はこの大崎は少し前に長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)よって捕まって定信の前に連行されていました。許しを乞う大崎に定信は自分たちの間者になることを条件とし、写楽は源内で浄瑠璃小屋に潜んでいるから確かめるよう治済に進言し、治済を小屋に連れてくるよう命じられていました。必死になって訴える大崎を治済は怪しみながらも、曽我祭の日に芝居町に出ることにしました。 いよいよ曽我祭りの日です。往来を練り歩く役者たちに人々は「大和屋!」「成田屋!」などと声をかけ、また座元や役者たちからはご祝儀の饅頭が集まった人々に配られていました。 治済は大崎を連れて重三郎の店に来ました。役者絵を買い求めながら重三郎に、写楽は源内なのかとか、あの戯作(「一人遣傀儡石橋」のこと)は面白かったぞとか重三郎にカマをかけていました。重三郎はわからないフリをしましたが、治済は怪しんでいました。 治済が祭りに来ていることを確認した仙太(岩男海史さん)は、男から渡されたたくさんのご祝儀の饅頭を持って、小屋に隠れている定信のところに報告に行きました。饅頭を包む紙には役者の名入りと無地のものがあり、そこにいる定信の配下の者たちに配られました。 その治済はお供をする大崎に、あの「一人遣傀儡石橋」の筆跡は定信ではないか?と問いました。大崎は必死にごまかし、写楽のことを確かめさせようとしますが、治済は「この饅頭を大崎が食べたら行く」と。 そのころ定信が潜む小屋では饅頭を食べた配下の者たちが苦しみながら次々と倒れていきました。平蔵は包み紙が「鰕蔵」の名入りを取っていたので無事でしたが、包み紙が無地の物には毒が入っていたのでした。 毒入り饅頭は重三郎や店の者にも渡されていて、重三郎は饅頭を口に入れる前に平蔵が止めてくれましたが、食べてしまった店の者たちは急いで吐き出していました。 そうこうしていると死んで奉行所の人たちに運ばれる大崎が店の前を通っていき、重三郎は先ほど来た客だと気がつきました。平蔵は重三郎に全てを話すべきと考え、定信が潜む小屋に連れて行って真相を明かしました。 毒饅頭はどうやら今回の企てに関わりのある者にしか配られていないようだ、つまりこれは治済が「知っておるぞ」と言っているようなものだと、平蔵は重三郎に詫びました。重三郎が自分たちは侍じゃないから身を守れない!と怒りが収まらなかったとき、もう一人、謎の人物が奥から出てきました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
December 4, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政5年(1793)店先に置かれた『一人遣傀儡石橋』と書かれた謎の書き物によって安徳寺に呼び出された蔦屋重三郎(横浜流星さん)を待っていたのは失脚した老中の松平定信(井上祐貴さん)他、亡き田沼意次の側近の三浦庄司(原田泰造さん)たちでした。 そこにいる者たちは結果的には一橋治済(生田斗真さん)の傀儡となって人生を狂わせた、あるいは正義のために治済を懲らしめたい者たちです。謎の書き物は三浦の話を元に定信が書き写したものでした。 重三郎は定信から「我らは宿怨を超えて、共に仇を討つべく手を組んだ。共に仇を討たぬか。」と誘われ、他の皆も口々に「世のために悪党を成敗するのだ。」と言いました。 そんな危ない話に乗る気になれない重三郎が帰ろうとすると襖が一斉に開き、刀を構えた家臣たちが出てきました。定信は重三郎に、そなたはこの件にもう関わってしまったから引き返せないと言い、世の人に源内が生きているのではないかと思わせて世の中を大騒ぎさせて欲しい、と頼みました。 帰宅した重三郎は妻のてい(橋本愛さん)に話を報告しました。ところがていは意外にもこの計画に賛成で、それどころか「この際だから蔦屋重三郎らしい、うんとふざけた騒ぎにしてはどうか。しみったれの定信から経費をふんだくり、贅沢でふざけた騒ぎを起こす。それが恋川春町への供養にもなる。」とまで言います。 重三郎はていの考えを受け入れ、案を考えて浮かびました。平賀源内が書いたとしか思えない新作の浄瑠璃本を重田七郎貞一(後の十返舎一九)に書いてもらい、歌舞伎小屋で演じてもらうというものでした。 寛政5年(1793)10月、倹約令と風紀粛清により「江戸三座」と呼ばれた歌舞伎小屋は経営困難になって三座すべての経営が控えの座に委託され、芝居町は大きな打撃を受けていました。 芝居町を訪れた重三郎は仙太(岩男海史さん)と出会い、潜入捜査のために磯八(山口祥行さん)と共にやっている蕎麦屋に行って長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)と会いました。 平蔵は葵小僧の事件から、世間を煽りたてて事を大きくするのは一橋治済のやり口であり、治済から何か命じられているであろう大崎(映美くららさん)が芝居町に潜んでいると推測して探している、とのことでした。そんな話をしていたら重三郎が市川門之助(濱尾ノリタカさん)とばったり会ったので、平蔵はその場を離れました。 重三郎は門之助から思いがけない話を聞きました。三座の経営難は控櫓にしたら三座にとって代われるまたとない好機なので鼻息が荒く、控櫓は「曽我祭(曽我ものが当たったときに楽屋で内々にやるお祝い)」をやろうと言い出している。しかもそれを町内に出て派手にやろうという話で、通りで役者を総踊りさせる、というものでした。 菊之丞、宋十郎、鬼次、鰕蔵らも通りに踊り出てくるという話であり、これは役者の素の顔を民衆がお天道様の下で拝めるという、またとない機会になります。 「役者の素の顔」を描いて平賀源内が作ったと噂を流す。そうすれば源内が生きていると人々は思うだろう。ーー重三郎はひらめきました。 重三郎は源内が描いたと思われるような役者絵を出すために、北尾重政(橋本淳さん)や朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)ら、長年一緒に仕事をしてきた絵師や戯作者や狂歌師を集めて話をしました。 今は地味な役者絵ばかり出回っているから何をやっても目立つ、と源内が描いた蘭画絵を皆に見本に見せました。 曽我祭で役者っが通りに踊り出てくる。そこに役者の素の顔の似絵があれば、人々は買い求める。再び芝居に客が戻り、絵も売れる。しかもその絵が死んだはずの源内なら、江戸中が祭りになる! 重三郎の話に集まった皆はすっかり乗り気になりました。そして画号はどうするかとなり、喜三二の「しゃらくさい」の案に重三郎が『写楽』と字をあて、決まりました。 重三郎はこの話を定信に報告し、定信も了承しました。あと肝心なのはこれをやるための費用のこと。重三郎は「質素倹約と身上半減のために金がない」と定信から受けた仕置きのせいでと匂わせ、かかりを要求しました。 重三郎の要求を定信が断ると「ではこの話は他の本屋に。金がないと愚痴が出るかも(計画が漏れるよ)。この仇討ちの件は奉行所のほうに届け出は?」と定信の痛いところを突きました。結果、定信は折れて多額の資金を提供してくれました。 さて重三郎から離れた喜多川歌麿(染谷将太さん)はというと、自分の描いた絵を弟子の菊麿(久保田武人さん)も本屋たちも誰も品評してくれず、物足りなさで苛立っていました。 逆に重三郎から仕事を頼まれた絵師たちは、重三郎の望む絵になるよう何度も何度も描き直しをさせられていました。重政はしまいには頭にきてしまい、もうつきあいきれない!と言い作業を中断して帰ってしまいました。 残った者たちも画風を言葉で表すのは至難の業だと感じていて、でも歌麿ならなんとかなるのにと思っていました。重三郎も反省し、頭に浮かぶ絵を言葉にする努力を始めました。 そのころ江戸城では一橋治済が、実子でもある第11代将軍の徳川家斉(城桧吏さん)に、将軍の務めとしてもっと子を成すよう要求しいました。また治済は老中の本多忠籌(矢島健一さん)と松平信明(福山翔大さん)には大奥にもっと金を入れるようしました。二人の老中が「今は異国の備えに金が要る」と難色を示すと、治済は「将軍の子こそ日本を強くする。一橋の血で染め上げてこそ謀叛のおそれもなくなる。」と強く主張しました。 治済と老中たちとの間に、治済と家斉との間に溝ができ始めた頃、尼となった大崎が治済の元にやってきました。尼寺に身を潜めていたが、どうやら自分は探られているらしい、ここでもう一度奉公したい、と治済に訴えました。 さて絵師たちのほうですが、歌麿は一人では自分に納得がいく絵が描けなくて何度も描き直しをしていて、そんな時にていが『歌撰恋之部』の絵を持って訪ねてきました。 歌麿が下絵を描いたものに重三郎が色付けしたもので、歌麿の好みになるよう何度も何度も摺師にやり直させて摺師と大喧嘩し、版元印の位置も何度も考えぬいたものだと言いました。 ていは「これは重三郎からの恋文の返し」と言い、素晴らしい本屋は他にもいるけど歌麿のことを考えぬく本屋はのは重三郎しかいない、今、重三郎は誰よりも歌麿を望んでいる、どうか戻ってほしい、と訴えました。 そして何よりていの本音として「二人の男の業と情。因果の果てに生み出される絵というものを見てみたい。」と心の底から強く訴えました。 重三郎は自分が描いて欲しいと思い描く絵を言葉にしたものを持って、重政のところに詫びに行きました。重政も言い過ぎたと詫び、ではこれから打ち合わせをと思ったとき、ていが歌麿を連れて現れました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
November 26, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政5年(1793)、我が子を早産で失ったてい(橋本愛さん)は悲しみに暮れて食事も喉を通らず、たか(島本須美さん)が何を言っても心に響きませんでした。 蔦屋重三郎(横浜流星さん)も何も考える気力がわかず、喜多川歌麿(染谷将太さん)と袂を分かったことを吉原の親父の駿河屋市右衛門(高橋克実さん)に報告したときも、仕事に対して投げやりになっていました。 店の重苦しい雰囲気を変えようと滝沢瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)は、亡き子と婆さまからご加護を得るために写経をしようと呼びかけていたら、そこに大凧を背負った流れ者が店に入ってきました。 男は駿府生まれの重田七郎貞一(後の十返舎一九;井上芳雄さん)と名乗り、自分が書いた浄瑠璃本を重三郎に見せました。なんとか蔦屋で書きたい貞一は、持参した大凧は亡き平賀源内が作った相良凧であり、相良は亡き田沼意次の領地だった、それを袖の下に渡すと言いました。 重三郎の心に平賀源内と田沼意次の存在がよみがえり、すっかり気力の失せていた重三郎の目に光が宿りました。 貞一の話から、実は源内は獄から逃げのびて相良でかくまわれて生きていた、いや、そんなことはないかと思いつつも、重三郎は蘭学者の杉田玄白(山中聡さん)を訪ねました。 重三郎が源内にまつわるうわさとか聞いたことがないかと尋ねると、玄白は重三郎の話をすぐには否定せず、分厚い書物のようなものを取り出して重三郎に渡しました。 さて、ていですが起き上がれるようになったものの何か食べたいという気になれず、そんなところふじ(飯島直子さん)ととく(丸山礼さん)が豪華な菓子の詰め合わせを持って見舞いに来てくれました。 ふじは「子は甘いものが好きだろ?」と言って位牌に手を合わせ、皆でいただこうと言い、ていに菓子を一つとってくれました。女たちの悲哀を嫌というほど吉原で見てきたふじの言葉はていの心に響き、ていはおなかの子の供養と思って菓子を口にしました。あれ以来ずっとまともに食べていなかったていでしたが、菓子の甘さが心にしみて久しぶりに食べ物が美味しいと感じました。 一方、重三郎は玄白から「解体新書」を受け取っていました。これの挿絵を描いた小野田直武という人物は源内から絵を習い、源内が死んだ翌年に急死していました。その小野田は秋田の出なので、重三郎はの朋誠堂喜三二(本名は平沢常富、秋田佐竹家の留守居役;尾美としのりさん)に会い、小野田のことを尋ねると喜三二は、源内は蝦夷に逃げたのでは?とのことでした。 重三郎がこの話を田沼意次に仕えた三浦庄司(原田泰造さん)にすると三浦は、源内はたしかに獄で亡くなったしあのとき意次も嘆き悲しんでいた、と言いつつも源内は今も生きているのでは?と言う重三郎の話を否定はしませんでした。 次に重三郎は大田南畝(桐谷健太さん)を訪ねました。源内の話を大田にしても源内のことには触れたくなさそうでしたが、重三郎が源内のおかげで大田が有名になったことを言うと、態度を改めて何か考え始めました。そして重三郎に源内が描いたという蘭画を渡してくれました。 蘭画をていに見せると源内は絵師になったのでは?と言うので、重三郎は芝居町に出て蘭画風の絵を探しました。町に出ている芝居絵がすっかり地味になったのを残念に思っていたら、後姿が源内とよく似た男を見つけ、後を追いました。結局、男は見失ったのですが長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)に偶然会い、平蔵も誰かを追っているとのことでした。 帰宅した重三郎が町での出来事をていに話していると、ていは草餅を食べながら話に耳を傾けてくれました。食欲も出てやっと元気になったていを見て重三郎は喜びました。そしてていもまた、源内が生きているかもと聞いて活発に動き始めた重三郎を見て安堵しました。 そんなところにみの吉(中川翼さん)が山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)を案内してきました。京伝は瑣吉に縁談を持ってきていて、みの吉は何が何でもこの話をまとめた方がいいと後押ししていました。 そのみの吉は、歌麿のいない今この店でできることはないかと考えた案を紙に書いて出してくれました。みの吉を見てていも何か売り出すものはないかと考え、歌麿が最後に渡してくれた恋心の女絵の下絵に、少し手を加えて出すのはどうかと重三郎に提案しました。「何もしないよりはいい」ーーていの言葉に納得した重三郎は下絵に歌麿好みの見事な彫りと摺りを入れるよう注文しました。 そのころ歌麿は地本問屋の皆を吉原の座敷に集めていました。「ここで派手に遊んだ順に仕事を受ける」と言って皆に余興をさせて豪勢に遊び、女郎たちも喜んでいましたが、歌麿自身はちっとも楽しそうではありませんでした。 これが歌麿なりの吉原への恩返しなのか、紙花を撒くことを要求すると何人かが出てきて紙花を撒き始め、鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)は歌麿が撒いたほうが座敷が盛り上がる、と言って紙花をわしづかみにして渡してくれました。 そのついでに喜右衛門は重三郎が色付けと歌麿の名入れをした『歌撰恋之部』の絵を歌麿に見せました。これから蔦屋が出すというその絵を歌麿は破り捨てましたが、喜右衛門が間に入ってくれたことに重三郎は礼を言いました。 瑣吉が履物屋の伊勢屋に婿入りする日、重三郎と瑣吉が去った後で店の戸口に青い包みと1冊の黄表紙が置かれていることにていは気がつきました。 重三郎が戻って中を見ると『一人遣傀儡石橋』と書かれた書き物があり、その話の筋書きは田沼意次を象徴する「七ツ星の龍」とか「死を呼ぶ手袋」とか、源内でなければ書けない話でした。さらに中には安徳寺に来るようにと重三郎に宛てたと思われる紙が挟んでありました。 重三郎が安徳寺に行って通された部屋には失脚した老中の松平定信(井上祐貴さん)と相談役の柴野栗山(嶋田久作さん)、元大奥総取締役の高岳(冨永愛さん)、そして三浦と長谷川が待っていました。 高岳は重三郎の前に進み出て手袋を見せました。それは10代将軍・徳川家治の嫡男の家基が鷹狩りに出て急死したときのもので、指先に毒が仕込まれたものでした。 毒を仕込んだのは家斉の乳母だった大崎が怪しいが、この件を追究すれば手袋に関わった田沼意次と高岳が怪しまれることになり黙るしかなかった、と高岳は語りました。 あの事件の折に老中首座だった右近将監(松平武元)の死後、行方知れずになっていた手袋が大崎から高岳→定信に渡され、定信は三浦から、源内が家基急死事件の真相を推測して書いた戯作があったことを聞かされたのでした。 定信は一橋治済(生田斗真さん)のことを「傀儡好きの大名」と呼び、重三郎に呼びかけました。「ここに集った我らは皆、その者の傀儡とされ弄ばれていた。ゆえに此度、宿怨を超えて共に仇を討つべく手を組んだ。蔦屋重三郎、我らと共に仇を討たぬか。」 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今回、私なりに感じたこと。主人公の蔦屋重三郎(横浜流星さん)は、仕事が行き詰まったところに誕生を楽しみにしていた我が子も失い、まさに精神的エネルギーがゼロになっていました。ところがそんな状態のとき、平賀源内と田沼意次の名を聞いて少し力が湧き、さらに「源内が生きているのでは?」と思った瞬間から、重三郎らしい行動力がグングン出てきました。 かつて心のよりどころとした人が他界して久しく、もう自分の中から消えてしまっていたけど、どん底の今、その名を聞いただけで心が再び熱くなり、体が動くようになったのです。一方、妻のてい(橋本愛さん)も自分の体から子が流れ出てしまい、生きるための気力すら出てきませんでした。でもそれを、ふじ(飯島直子さん)が受け止めてくれました。 吉原でも辛い境遇に嘆き悲しむ女郎たちをたくさん支えてきたふじだからこそ、言えた言葉でしょう。「子は甘い物が好き。」何も食べる気が起きないていでしたが、おなかの子が食べたがっているのだと思うと菓子を口にしようと思い、その言葉で同時に心も温かくなり、少しずつ生きる力が出てきました。 ラストの松平定信(井上祐貴さん)の復讐心も生きる気力にはなるけど、まずはプラスのエネルギーをくれた人たちの存在が復活の気力になるのがいいですね。
November 20, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政5年(1793)、喜多川歌麿(染谷将太さん)は義兄・蔦屋重三郎(横浜流星さん)の吉原への借金100両の返済代わりとして女郎の大首絵を50枚描くことになり、吉原で女郎たちの絵を描いていました。しかし吉原では、倹約令のために流行るのは安い女郎ばかりで、高級な花魁たちには声がかからなくて景気が悪い、と親父衆は愚痴ばかりこぼしていました。また江戸市中では、錦絵に描かれた看板娘がいる店では割高な料金を取って商売をしていましたが、奉行所からお叱りを受けて元の値に戻していました。一方、江戸城では老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が将軍・徳川家斉(城桧吏さん)にオロシャの来航に伴う海防について報告をしていていました。話の後で家斉は、そろそろ政を定信に頼らず自分で指図すべき、と父・一橋治済(生田斗真さん)から話があったと言いました。しかし家斉は、自分は難しいことはわからないし政に興もわかぬと言い、定信が将軍補佐を外れても政に指図するしくみを作って欲しいとのことでした。定信はそのためにも自分が大老になればいいと考え、徳川御三家尾張の徳川宗睦(榎木孝明さん)に相談しました。宗睦は、大老は「井伊」「酒井」「土井」「堀田」の四家からしか出さぬしきたりがあるから無理だと答えました。しかし定信は、家斉が自分を頼っているからなんとか後押しして欲しい、と本気の覚悟を見せていました。宗睦は、家斉が今まで定信を避けていたのに急接近してきて変だとは感じていました。定信は、オロシャのラクスマンが漂流民を引き渡した後も日本に留まって将軍への目通りを願っていて、開国を要求していると目付の村上義礼(大迫一平さん)より報告を受けました。老中の本多忠籌(矢島健一さん)らはオロシャの要求をのんだほうがいいと考えましたが、定信は彼らを早く帰国させるためにも信牌(鎖国中の日本での長崎の入港許可証)を持たせればよいと考え、幕府の公式の返書をしたためて目付に渡しました。信牌を受け取ったラクスマンはエカテリーナ二世に見せるため、すぐに日本を出てオロシャに戻っていきました。この件を定信は将軍・家斉に報告し、その後で定信はある書状を家斉に渡していました。さて吉原では、歌麿が描いた女郎絵ができあがってきて親父衆たちは喜んでいました。親父衆は昔のにぎやかだった頃の昔話に花が咲き、次の企画は何かないかと盛り上がっていました。重三郎は歌麿が吉原を立て直すと皆に宣言し、親父衆もそれを期待していました。ただ当の歌麿は実は気乗りしていなくて、勝手に安請け合いをする重三郎からますます心が離れていきました。そんな話をしていたらふじ(飯島直子さん)たちが、重三郎の身重の妻のてい(橋本愛さん)のために、赤子の着物やおもちゃなどのおさがりをたくさん運んできました。商売も(歌麿頼みで)上向きになりそうだし、まもなく赤子も産まれてと、重三郎は楽しい未来を想像して笑っていました。しかし大量の仕事を持ってこられるだけで重三郎にいいように使われているようにしか思えない歌麿は、まったく笑う気にもなれませんでした。ある日、重三郎の店に鱗形屋孫兵衛の長男の長兵衛(三浦獠太さん)が『金々先生』の大量の版木を譲るといって持ってきてくれて、重三郎はありがたく譲り受けました。話の流れで長兵衛は弟の万次郎(孫兵衛の次男で西村屋の養子;中村莟玉さん)が歌麿はと組んで仕事ができると喜んでいたと重三郎に伝えました。そんなこと初耳だった重三郎は急ぎ歌麿のところに行きました。歌麿は女たちの「恋心」の大首絵を描き終えて重三郎に渡すと、重三郎は歌麿に好きな女がいるのかと喜びました。やっぱり重三郎には人の微妙な気持ちはわからないなと歌麿は自分の思いをわかってもらう気持ちも失せ、淡々と重三郎には本心は言わない、重三郎とはもう仕事をしない、と伝えました。そして歌麿は看板娘の絵を取り出して重三郎に見せ、これまで重三郎が自分に対していかに軽んじてきたかを訴えました。反省する重三郎ですが歌麿の心はもうすっかり離れていました。歌麿は、西村屋の仕事が面白そうだからやりたい、吉原への恩返しは自分なりにやる、と言いました。重三郎が土下座して「なんでもやるから考え直して欲しい」と懇願すると、歌麿は「蔦屋の店を俺にくれ」と言いました。さすがにそれは無理だと重三郎が断ると、歌麿は「結局はそうだろ?俺の欲しいものはなに一つくれない。妻子を大事にしてやれ。」と言って家を出ていきました。重三郎は、今まで気づかず歌麿に嫌な思いをさせてきたことを詫び、これまでずっと自分についてきてくれたことに礼を言い、歌麿は当代一の絵師だと改めて認め、体は大事にしろ、と文をしたためて歌麿の家に置いてきました。店に戻った重三郎は皆に、歌麿はもう自分の仕事しないと伝え、歌麿が描いた女絵を見せました。それを見たていは歌麿の秘めた恋心に気づきました。しかしこのとき急に産気づいてしまい、急いで産婆(榊原郁恵さん)に来てもらい、重三郎もていと子の無事を必死に神棚に祈りましたが、子は流れてしまいました。さて松平定信ですが、将軍補佐と大老を辞する代わりに大老を拝命する日をいよいよ迎えていました。田安家として将軍を出す夢は叶わなかったが国の舵取りをする役目になれた、と側近の水野為長(園田祥太さん)と共に喜び、江戸城に入りました。将軍・家斉は、定信の早く下城したいという願いについて今も心変わりはないかと念押しし、定信も同意しました。すると家斉は大老を命ずるどころか、ならばこのまま引退せよ、政に関わることなくゆるりと休め、と言い渡しました。一橋治済も、徳川のため、将軍(我が息子)のため、ご苦労であったと、早く下城を促すものでした。定信が茫然自失となって退室したら、襖の向こうから廊下まで皆が揃って高笑いする声が響いてきました。家斉が自分を頼りにしてくれたあの様子も、老中の本多忠籌や松平信明(福山翔大さん)が急に自分に服従するようになったあの様子も、全ては自分を失脚させるためのことだったのか。老中首座となってからは、人々から嫌われても煙たがられても、自分が正しい・やるべきだと思ったことをやり通してきたのだ。それなのに最後はこの有り様。ぶざまでみじめで怒りしかなくて、定信は一人布団部屋であの部屋の皆を呪いながら涙しました。この出来事は、町の瓦版では定信が自ら引退を願い出たとして触れ回られ、人々はこの失脚劇の大喜びでした。そんな折、かつて大奥総取締だった高岳(冨永愛さん)が突然、定信を訪ねてきました。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇前回とこの回で抱いた歌麿の思い。相手が好きな人に限らず、仕事での会社の上司とか、家族間で平気できょうだい差別をする親とか、思いつくまま好き勝手をやってこっちにシワ寄せをかける配偶者や友人とか、etc... 何かにつけて自分が我慢をしてしまう・させられる人の場合、歌麿の気持ちに自分も覚えがあると思った方は多かったのではないでしょうか。この人のために頑張ろう!と思うその相手は、悪い人ではないけれど、独りよがりで、いつも自分に対して勝手な思いこみをして、こちらの気持ちや事情なんかおかまいなしで、あれこれ何かを頼んでくる。言いつけてくる。物事が順調に動いて一人幸せに浮かれていて、こっちは報われない思いを抱えながらも、気持ちに折り合いをつけながら一人引き受けたことを淡々とこなしている。面倒なことや苦労なことは当たり前のように自分に回してきて、楽していい思いをするのはその人が大事に思う他の誰か。私/俺って、便利で都合のいい人なだけ?ずっと我慢を重ねてきたけど、ある日そう気がついたら、心がぶちっと切れるようにその人から心が離れ、その人が目の前で何かやってても何も感じなくなるのですよね。 まあ重三郎の場合はここまで酷くはなくて悪気もなく、まさか歌麿が自分に?という状況もあったでしょう。それでも自分の思い描いたことの実現のために歌麿をさんざん利用し、その分大切にすればまだよかったけど、ないがしろにしてきたことには変わりないですからね。史実でも重三郎と歌麿は一時疎遠になったようですが、脚本の森下佳子氏、こうきたか!と思いました。
November 13, 2025
いったい何が起こっていたのか、全くわからないのですが、昨日からずっとパソコンから楽天ブログに入れませんでした。パソコンからは他のサイトには問題なく入れるのに、楽天ブログの管理画面に入れず、今ようやく入れました。では、2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政4年(1792)9月、老中首座の松平定信(井上祐貴さん)のもとにオロシャの船が根室に来航したと報が入りました。オロシャは漂流して助けた日本人(大黒屋光太夫)を送り返しに来ていて、江戸への来航も希望していました。さらにオロシャは王(エカテリーナ二世)からの勅書を持ち、日本との通商を望んでいました。老中の本多忠籌(矢島健一さん)や松平信明(福山翔大さん)は交易を認めようとしますが、定信はオロシャは日本を襲撃しようとしているのでは?と大反対。少し前までは、オロシャの船が江戸の海に入ってきたら国が滅びてしまうと危惧していたのは本多らで、定信は人心がいたずらに混乱すると林子平の『海国兵談』を絶版にしたほうでした。しかし誰よりもオロシャの動向を警戒していたのは定信でした。そんな中、別件で帝(光格天皇)が父・閑院宮に「太上天皇」の尊号を与えるようだと、定信に報が入りました。再び激怒した定信は武家伝奏の正親町公明(三谷昌登さん)を呼び、どうしても尊号を贈るなら向後一切の禁裏御料を打ち切ると公明に伝えました。さて蔦屋重三郎(横浜流星さん)ですが、尾張に行商に行っている間に母・つよ(高岡早紀さん)が他界していました。それでも商売のほうは少しずつ回復していって、寛政5年(1793)年明けには身上半減が返上できたことを町の人に報告していました。新年にあたり蔦屋の店先には新作の黄表紙や狂歌集がたくさん並び、中でも歌麿(染谷将太さん)の錦絵は相変わらず人気でした。商売がようやく波に乗り出した重三郎は歌麿に仕事をどんどん頼むつもりでいて、ただそれは歌麿の想定以上の量になるので、歌麿は内心困惑していました。2月になり、武家伝奏の正親町公明を江戸城に呼びつけた定信は尊号の件をしつこく問い質していました。公明は帝はもうあきらめたからと釈明するのですが、その態度に苛立った定信は公明らをお役御免のうえ閉門にすると言いました。老中の本多忠籌と松平信明は、武家が公家を処罰するのは良くないと進言しますが定信は、今はオロシャが日本を狙っている非常時、ご公儀と朝廷の不和はオロシャに付け込まれる、何が何でも自分の考えを通そうとします。忠籌と信明は、やり方が強引過ぎて国の中に敵ばかり作っている定信のことを、一橋治済(生田斗真さん)に相談しました。ただ治済は二人の話を聞いているのかいないのか、定信のこととは全く関係ない美人絵を二人に見せて、あることを問いました。この頃、江戸市中では錦絵の題材となった看板娘が世の男たちの関心を集め、男たちが娘たちのいる店に押しかけていました。店側も娘たちの人気を利用して驚くほど値を吊り上げて商売していましたが、それでも人気は衰えませんでした。この状況を見た他の商人たちは自分の娘の絵を描いてもらうよう、こぞって重三郎の店に押しかけました。歌麿はこんなにたくさん描けないと重三郎に訴えます。しかし重三郎は、弟子にあらかた描いてもらって少し手直しして歌麿の名入れをして出せばいい、と聞く耳を持ちません。歌麿がそれは入銀先や客をだますことになるから嫌だと言っても、この流れに乗れば江戸の町全体の経済が回る、そのためのちょっとした方便くらい許される、とどこまでも強引です。歌麿は北尾重政(橋本淳さん)に相談しました。重政は、忙しいと弟子たちに手伝ってもらうことも多いし彼らも喜ぶと言いました。歌麿は、自分は絵を一点一点ちゃんと描きたい、適当になんとかするのではなく本屋にも向き合ってもらいたいと考えていました。でもそんなこだわりを持つのは自分だけなのか?と悩みました。重三郎と歌麿は絵に対して考え方が全く違うのだと、妻のてい(橋本愛さん)は感じていました。重三郎にとって絵は商いの品(道具)であり、歌麿にとって絵は作品であり子のようなものだと。そんな話の流れでていは、子ができたと重三郎に報告しました。絵を弟子に手伝ってもらうのも有りかと思い直した歌麿は、菊麿(久保田武人さん)に下絵を頼み、菊麿も張りきっていました。そんなところに西村屋与八(西村まさ彦さん)が二代目の万次郎(鱗形屋孫兵衛の次男で西村屋の養子;中村莟玉さん)を伴ってやってきました。万次郎は歌麿の『画本虫撰』を見てすっかり心を奪われ、自分が出す新作の絵を是非、歌麿に頼みたいと強く訴えました。万次郎は『当世美男揃え』などの案を持っていて、歌麿もそれは面白そうだと興味をそそられました。歌麿は結局は今は重三郎の仕事で多忙だからと断ったのですが、与八は看板娘の絵を出し、歌麿は重三郎に都合よく使われているのでは?と言い、歌麿の胸に不満の楔を打ち込んでいきました。さて幕閣ですが、本多忠籌や松平信明ら老中が一斉に松平定信に手をついて今までの無礼を深く詫びていました。将軍・家斉からお叱りを受けた、これからは定信に従うと宣言し、その後で市中で流行る看板娘の錦絵を出しました。忠籌は、市中ではこの絵の娘たちを目当てにした男たちが節約を忘れて金を惜しげもなく使い、それにつられて市中の物の値が上がっている、これは「田沼病」では?と報告しました。錦絵を見た定信はなぜか歌麿の名に目が留まりました。一橋治済から何か指令を受けているのか、その様子を見た忠籌は信明に目配せをしました。ところで仕事が順調に動き出したと思った重三郎ですが、人相見からは絵の出し方で苦情が入り、さらに奉行所からは一枚絵には女郎以外の名を書かないよう、お達しがありました。このお達しのために重三郎は仕事をもらっている吉原に大きな迷惑をかけることになりました。駿河屋市右衛門(高橋克実さん)ら吉原の親父たちも不景気で重三郎を助けてやるどころではなく、むしろ重三郎から吉原に借金を早く返して欲しいくらいでした。そこで重三郎が「女郎の大首絵」を提案すると、扇屋宇右衛門(山路和弘さん)は入銀無しならと条件をつけました。どちらも金がなくて話が進まないので、市右衛門は代替案として入銀無しで錦絵を作り、その分は借金を返済したことにしてはどうかと言いました。この話は結局それでまとまってしまい、歌麿の女郎絵50枚を重三郎の100両の返済とすることになりました。しかし自分に相談なしで、ものすごい負担となる事を勝手に決められてしまった歌麿はたまったものではありません。借金のカタに自分を売ったと歌麿は重三郎に激しく怒りました。それでも重三郎は、これで皆が助かり歌麿の名も上がるからいい話だろ?と一方的に繰り返すだけです。歌麿の気持ちを無視して、ひたすら頼み込むだけです。じきにていに子が産まれると聞いたとき、重三郎はどこまでも身勝手で、重三郎にとって自分は無理難題も頼めばやってくれる都合のいい人ぐらいにしか考えていないのだと気が付きました。歌麿は「仕方がないからやってやる。」と返事しましたが、心は冷えきり重三郎からすっかり離れていました。歌麿との話も押し通して思い通りになり、さらにていのおなかの子も元気で喜び浮かれる重三郎。でも歌麿は、後日訪ねてきた西村屋の万次郎に、今やってる揃い物が終わったら西村屋の仕事を引き受ける、蔦屋の仕事はこれで終わりにする、と伝えました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
November 7, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政4年(1792)、須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)が身上半減に罰せられました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)がその理由を尋ねると、幕府から発禁処分となっている林子平の『海国兵談』と『三国通覧図説』を出版したからで、版木も没収されました。市兵衛は幕府の目を気にしながらも、『海国兵談』には皆が知っておいたほうがいいことが書いてあり、本屋は正しい世の中のためにいいことを知らせてやる務めがあるという信念を持っていました。そして引退を決意した市兵衛は「死ぬ前にもう一度、昔の浮かれて華やいだ江戸の町を見たい。」と重三郎に思いを伝えます。若い頃から市兵衛には世話になっている重三郎は、市兵衛の思いを引き継ぐべく、年明けに新作を山ほど出すことを決めました。さて歌麿(染谷将太さん)の描いた大首絵が刷り上がりました。出来栄えを見た重三郎はもう少し華やかさが欲しいと感じたので、人物の背景を「雲母摺」にするとどうかと提案しました。重三郎は歌麿の「十躰」をバカ売れさせて、歌麿を当代一の絵師にしたい、蔦屋の名も上げたい、江戸を湧きあがらせたい、と様々な意欲に満ち溢れていて、歌麿も仕方ないなと思っていました。そんな話をしていたら瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)が歌麿に面と向かって「男色か、両刀か?」と絡んできました。歌麿は瑣吉の話をうまくかわしたけど、その様子をつよ(重三郎の実母;高岡早紀さん)が心配そうに見ていました。つよは後で重三郎に、歌麿のためにも思ったままを無神経に言う瑣吉を店から追い出すように言いましたが、人の気持ちにはどこか鈍感な重三郎には伝わりません。つよは歌麿をもっと大事にするよう、重三郎に忠告しました。つよは時折り歌麿を訪ね、歌麿の心の内を聞いてやっていました。重三郎への思いがまだ消えていなかった歌麿。つよは歌麿を気遣っていましたが、歌麿は自分の描いた絵によって自分がこの時代に生きた証が残ればいいと割り切っていました。そんな歌麿につよは「重三郎の義弟だから私の息子だ」と寄り添い、歌麿も「おっかさん」と呼んでつよには心を開いていました。その重三郎ですが、妻のてい(橋本愛さん)が出した本の案の中にこれならいけそうだと思うのを見つけ、ていと共にかつて田沼派で閉門を受けたことのある和学者の加藤千蔭(中山秀征さん)を訪ね、交渉を始めました。ていは、本当は学問を成したい数多いる女子のために、眺めるだけでも楽しい女性に受けそうな本を作りたいと考え、千蔭流の美しい書物を求めたと千蔭に強く訴えました。さて人物の背景を雲母摺にした大首絵が出来上がったので、歌麿も仕上がり具合を見てみました。陽の光で見ても美しいし、暗い所で灯りをともしてかざすとさらに美しい錦絵になり、歌麿も思わず感嘆の声をあげました。後はこの錦絵をどう売り出すか、重三郎は知恵を巡らせていました。一方でそのころ幕閣内では老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が水野為長(園田祥太さん)から、老中・本多忠籌(矢島健一さん)たちが新しい一派を作り始めていて、一橋治済(生田斗真さん)に接近している、と報を受けました。本多らは、定信に政を任せておくと本当にオロシャの船が江戸の海に入ってきたら国が滅びてしまう、と危惧していました。報を聞いた定信は激怒しましたが、定信自身も将軍補佐の役割がもうじき終わって今の権力がなくなる立場にありました。そこで定信は徳川御三家で尾張の徳川宗睦(榎木孝明さん)に会い、政での一橋の横槍を訴え、自身も将軍補佐のお役御免が近いことを宗睦に匂わせました。ちょうどそのころ第11代将軍・徳川家斉(城桧吏さん)に嫡男の竹千代が誕生し、定信は祝いに参上した際に「将軍補佐」「奥勤」「勝手掛」の辞職を願い出ました。突然の申し出に驚く家斉、するとそこへ尾張の宗睦が来て、今は日の本の国を立て直しさらに外国の船が日の本を窺っているときであり、この局面を乗り越えられるのは定信だけと進言しました。定信は将軍補佐と勝手掛を続行することになりましたが、これは全て定信と宗睦が密かに打ち合わせた読み通りのことでした。ところで重三郎はというと、市中で大流行りしている人相見を利用して、店に客を呼び込んでいました。そして人相見の後で客に合う錦絵を勧め、錦絵を今買った方には喜多川歌麿先生の名入れが入ると宣伝して、歌麿の名を高めつつ錦絵をどんどん売っていきました。また妻のていは雲母摺の錦絵を見て、背景で印象が変わることに気がつき、次に出す本を文字を白に、背景を黒にしてはどうかと提案、重三郎も賛成し、『源氏物語』の一部を抜粋して千蔭流で書かれた書物の『ゆきかひふり』が出来上がりました。重三郎が本の商談で尾張に向かうことになり、出発の日につよが髪を結い直すと言い出しました。つよは重三郎の髪を結いながら、まだ子供だった重三郎を父母が揃って捨てた(駿河屋に預けた)理由を語りました。つよは重三郎を幼名の「珂理」で呼び、重三郎が強く生きてきたことを認めました。でも同時に、たいてい人は強くなれなくて強がっている、それをわかって有難く思うよう、思いを伝えました。話を聞くうちに気持ちが柔らかくなったのか、重三郎はそれまで「ババア」と呼んでいた母を「おっかさん」と呼びました。息子と母がやっと互いに認め合えた瞬間でした。さてこちらは江戸城で、京から武家伝奏の正親町公明(三谷昌登さん)が使者として来ていて、帝(光格天皇)が父・閑院宮に「太上天皇」の尊号を与える件が、一橋治済を通して話が進んでいるとのことでした。自分が不承知な件が勝手に進んでいて、激怒した定信は治済に会って苦情を言いましたが、治済は定信が将軍補佐として家斉に出した「御心得之箇条」を引き合いに出し、帝が父に尊号を贈ることに定信が反対するのはおかしいと反論しました。しかし定信はそれでも引き下がらず、ご公儀の威信に関わることなので自分に任せて欲しいと言い、尊号をとりやめる文を自らしたためて朝廷に訴えました。そうこうしている最中に、オロシャの船が来航したと報が入りました。(1792年9月、ラクスマン、根室に来航)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 31, 2025
2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政3年(1791)老中首座の松平定信(井上祐貴さん)は老中・本多忠籌(矢島健一さん)と松平信明(福山翔大さん)から今の改革が厳し過ぎるからもう少し緩めるよう進言されますが、耳を貸すことなく、さらに厳しくしていきました。そして自分にうるさく言う者たちは遠ざけ、お気に入りだけを傍に置くようになりました。さて蔦屋重三郎(横浜流星さん)ですが、身上半減の罰を逆手にとった商売も続かなくなりました。そこで次の一手として昔の面白い版木を刷り直して本にしようと考え、鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)に版木を安く売ってほしいと頼みました。喜右衛門は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)の新作が取れたら古い版木を譲ると言ってくれ、二人で京伝を訪ねました。でも京伝は手鎖の刑の後でもう書く気はすっかり失くなり、その代わりに京伝の家に居候している滝沢瑣吉(後の曲亭馬琴;津田健次郎さん)を重三郎に紹介しました。戯作者の瑣吉はやたら気が強くて自信家で、書いた作品も全体に独りよがりでしたが、どこか面白いものを感じました。絵師の勝川春章(前野朋哉さん)が連れてきた弟子の勝川春郎(後の葛飾北斎;くっきー!さん)もかなりの変わり者で、瑣吉とは反りが合わずに会う早々いきなり喧嘩に。でもそんな二人でしたが重三郎にうまく乗せられて、京伝の名を借りた作品を二人で1冊仕上げました。重三郎は新作を持って日本橋に来て以来ずっと良くしてもらっている須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)に相談に行きました。黄表紙を他の国にも売りたいから地方の書物問屋を教えて欲しいという重三郎の頼みを市兵衛は快諾してくれました。ただ狂歌絵本はこれからどうなるのかを考えたとき、絵師の歌麿(染谷将太さん)は栃木のご贔屓のところに行ったきっり江戸に帰ってこないし、狂歌師の宿屋飯盛は江戸払いになっています。黄表紙は教訓的になり狂歌は格調高いものに、錦絵は相撲絵や武者絵が流行りになり、松平定信の望み通りの世になっていってました。(ただ定信本人も少々思うところがあるようです)こんな世の流れの中で歌麿が描いた亡ききよの絵を見た重三郎は、今なら女絵を出せば間違いなく人々の目を引く、歌麿が当代一の絵師になると確信しました。重三郎は、今は自分から遠ざかり絵を描く気力もなくなっている歌麿に、諸々の思いを吹き飛ばして描きたい思いを起こさせる手立ては何かないかと考えました。重三郎はその材料探しに瑣吉と一緒に市中の美人詣でをしました。瑣吉は最近は茶屋のきた(椿さん)や煎餅屋のひさ(汐見まといさん)が美人で評判で男たちに人気とのことでした。これは不景気で吉原に行けない分、巷の美人に男たちが群がるということでもあり、そんなことを考えていたら義兄の次郎兵衛(中村蒼さん)が蔦屋に来ていて、最近の吉原では相手の人相を見ていろいろ判断する相学が流行りだと教えてくれました。「女絵と相学」ーーこれだ!とひらめいた重三郎は、栃木にいる歌麿に会いに行きました。歌麿は贔屓にしてくれる栃木の釜屋伊兵衛(益子卓郎さん)の家で仕事をしながら世話を受け、静かに暮していました。庭の草木や虫を眺めてふと生命を感じた時、あの時に重三郎から「生き残って命を描くんだ!」と言われたことを思い出しました。そんな時に重三郎が江戸から栃木までやってきました。重三郎は歌麿にまず「鬼の子」と言ったことを詫び、かたくなな歌麿に錦絵を出して欲しいと、手をついて頭を下げて頼みました。歌麿は「金に困った蔦屋を助ける当たりが欲しいだけ。この機に重三郎の名を上げたいだけ。」と迷惑そうに返しました。重三郎は歌麿が以前きよを大きく描いた絵に「婦人相学 清らかなる相」と付箋を付けて出し、こういうのを描いて欲しいと言うと、同席していた釜屋伊兵衛が相学のことを尋ねてきました。重三郎は伊兵衛に、江戸では相学が大流行りの兆しを見せている、相学の本を出すには女のタチを描きわける絵師がいるが、それができるのは喜多川歌麿しかいない、と説明しました。そして歌麿に「どうかお願いします。」と改めて頭を深く下げて頼みました。それでも歌麿はきよのために女は描かないと言うので、重三郎は「歌麿の絵を見たいと思うのは贔屓筋ならみな同じ。自分を見て絵をいっぱい描いてもらったきよは幸せだった。あの世で自慢している。」と思いを伝えました。そして最後に「描くかどうかは歌麿が決めればいい。」と言うと、歌麿は江戸に戻ることになりました。重三郎は歌麿が描くための見本となる女を集めて描かせました。自分が描いた絵に後から後から注文をつけてくる重三郎に歌麿もさすがに時折りは嫌になりました。でも重三郎の「思わずじぃーっと見てしまう絵が欲しい」という言葉に納得したのか、歌麿は小道具を使ったら?とか自分で案を出したりして、作業を進めていきました。ところで、もう執筆活動はしないと決めていた京伝は次の仕事を煙草入れの店を始めることにし、資金集めが必要でした。重三郎と鶴屋喜右衛門が段取りをして京伝の書面会を開くことになり、当日は広い座敷に大勢の贔屓が集まりました。京伝は初めは派手過ぎると気おくれしていましたが、いざ座敷に入って人々から歓声が上がると、やはり気分は良いものです。皆から名入れを求められ、歌を歌って注目が集まると、やっぱり書き物を続けたくなってきました。結果、重三郎に乗せられたかもしれないけど、京伝自身の中にももてたい・書きたいという“欲”があったからでした。同様に、歌麿にも描きたい“欲”がよみがえっていたのでした。そんなことを思いながら重三郎が喜んでいたら、須原屋市兵衛のことで何か報せが入りました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 23, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政2年(1790)最愛の妻・きよを失い半ば狂ったようになった歌麿(染谷将太さん)は何日も食事をとらず、まるできよの後を追うかのようでした。歌麿を案じた蔦屋重三郎(横浜流星さん)は母・つよ(高岡早紀さん)を呼び、つよには少し心を開く歌麿の見守りを頼み自身は仕事がたまっている店に戻っていきました。老中首座の松平定信(越中守;井上祐貴さん)による出版統制が続き、なんとかしなければと考える地本問屋の皆は鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)が代表になって、水面下で奉行所の初鹿野信興(田中美央さん)らとやり取りを重ね、寛政2年10月、正式に地本問屋の株仲間が発足となりました。これにより自主検閲での本の出版が許され、やはり定信の改革のせいで苦しい状況にあえぐ吉原の皆を救うために、重三郎はその内容に好色が含まれる本を出そうとしました。行事の吉兵衛(内野謙太さん)と新右衛門(駒木根隆介さん)はこの本は出せないと判断しますが、重三郎は「教訓読本」の袋に入れて中を見せないようにして出せばいいと強く主張。吉兵衛と新右衛門は渋々認めて出版となりました。重三郎が打ち合わせから帰宅すると、栃木に行く歌麿に同行するためにつよが旅支度をしていました。自分から離れたいと言う歌麿に、あの時の言葉の真意をわかってもらおうと重三郎は歌麿に会いに行こうとしました。しかしつよから、それは重三郎が自分の気持ちを歌麿に押し付けたいだけだと叱られ、重三郎は思いとどまりました。明けて寛政3年(1791)、重三郎は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)が書いた『錦之裏』『仕懸文庫』『娼妓絹籭』の3作を袋に入れて販売し、売れ行きは好調でした。しかし3月、その内容がお上に知られて重三郎と京伝は奉行所に連行され、本は絶版となりました。奉行所での詮議では、重三郎はご公儀を謀ったとして老中首座の松平定信が見分に出てきました。重三郎は定信に対し、臆するどころか皮肉を交えた挑発するかのような物言いで自分の考えを堂々と述べていきました。ただやはり、その不遜な態度は定信のカンに障って怒りとなり、重三郎は引っ立てられて厳しい責めを受けることになりました。夫・重三郎の身を案じるてい(橋本愛さん)のために地本問屋の仲間が公事宿の知り合いの飯盛の男を呼んでくれていました。飯盛は「厳しい裁きは朱子学の説くところと矛盾している。」と教えてくれ、ていは重三郎の命乞いをするために長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)を介して、定信の師である柴野栗山(嶋田久作さん)に会い、栗山に朱子学で問答を挑みました。てい:子曰 導之以政 齐之以刑 民免而無恥 導之以德 斉之以礼 有恥且格栗山:君子中庸 小人反中庸 小人之反中庸也 小人而無忌憚也「重三郎は二度目の過ちであり、赦しても改めぬ者を許し続ける意味がどこにある?」と問いました。てい:見義不為 無勇也重三郎は、女郎は揚げ代を倹約令のために値切られ嘆いていると言っていた、だから本で遊里での礼儀や女郎の身の上などを伝え、礼儀を守る客を増やしたかったのだろう、と栗山に述べました。さらに「女郎は親兄弟を助けるために売られてきた孝の者であり、不遇な孝の者を助けるのは正しきこと。」と考えを述べ、最後に「どうか儒の道に損なわぬお裁きを!」と強く訴えました。その後、それぞれに裁きが下りました。京伝は手錠鎖50日、吉兵衛と新右衛門は江戸所払いに、そして重三郎には「身上半減」という罰が下りました。ただ奉行所のお裁きが下る場であっても重三郎には真摯な態度が見受けられず、ていはたまらず進み出て重三郎に平手打ちをして、いつも自分の考えを言いたいだけだと泣きながら責めました。そして後日、地本問屋の皆に詫びを入れるときでもまたふざけてしまい、その場の誰もが腹立ちの顔になって、ふだん温厚で声を荒げない鶴屋喜右衛門から「そういうところですよ!」と叱られてしまいました。さて身上半減で重三郎の店がどうなったのかというと、金だけでなく店にある全てのもの---看板・のれん・畳・版木・在庫の本など、あらゆる物が半分にされてしまいました。定信の几帳面さに呆れたり、ていは情けなくて涙したり。しかしその様子を見に来た大田南畝(桐谷健太さん)は面白くてたまらず大笑いし、集まっていた町の人たちも笑い出しました。「世にも珍しい身上半減の店」でひらめいた重三郎はこの状況を逆手にとって「罰を受けても生き残る。縁起がいいよ!」と店に残る本を売り出して賑わっていました。その様子は松平定信にも報告が入っていました。定信は「あまりに厳しい処分は朱子学との矛盾を生み、ご公儀の威信を損なう。身上半減を与えられる者こそ賢者にふさわしい。」という栗山の助言を受けいれたのでした。ところでそのころ江戸では押し込み強盗が市中を荒らしていて、強盗は平蔵が捕らえて厳しい処罰をしたものの、この件について老中たちからは定信に、これらは倹約令の反動であり、倹約令や風紀の取り締まりを切り上げるべきだ、と進言がありました。本多忠籌(矢島健一さん)は定信に「帰農令があっても、生活が苦し過ぎる百姓にはもう戻りたくない。人は正しく生きたいとは思わない。楽しく生きたいのです。」と切に訴えました。また松平信明(福山翔大さん)は、このままでは田沼以下の政と誹りを受けると進言し、老中2人の言葉は「自分は常に正しい」と信じて強気で改革を進めてきた定信には堪えるものでした。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今回、蔦屋重三郎(横浜流星さん)を見てつくづく思ったこと。それは何かにつけてすぐにおちゃらけて笑いを取ろうとする人は、時と状況を間違えるとマイナスになって、周囲を凍りつかせるか怒らせるかになる、ということでした。また奉行所で松平定信(井上祐貴さん)に詮議を受ける場面では、一言一言いちいちカンに触る言い方をして定信を怒らせ、自分で罪を重くしています。重三郎は自分の考えに自信があり、自分が必死に訴えれば相手はわかってくれると信じる人なのでしょう。でも自分に思いがあるように、相手にも思いがあるのです。重三郎の必死の訴えを「受け入れる」かどうかは相手次第です。歌麿(染谷将太さん)は今は聞きたくなくて重三郎から物理的に距離を置いたし、定信は自分に逆らうとは許せん!となりました。このドラマはこれまで、重三郎のプラス思考で困難を乗り越えてきたようでしたが、今回は重三郎のこのおめでたい思考が各所で相手をイラつかせた感じがしました。
October 15, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 のあらすじ及び感想日記です。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政2年(1790)蔦屋重三郎(横浜流星さん)は山東京伝(本名北尾政演;古川雄大さん)が別の本屋から内緒で本をだしていて、しかもそれが倹約令で自分たちを締め付ける老中首座の松平定信(井上祐貴さん)が喜びそうなものであることに腹をたて、京伝とは喧嘩別れの状態になりました。歌麿(染谷将太さん)の弟子の菊麿(久保田武人さん)からきよ(藤間爽子さん)の容態が悪いと聞いた重三郎は、医者を連れてきよを見舞いました。医者によるときよはそう毒(梅毒)に侵されていて治る見込みもないとのことでした。きよが目を覚ましたとき、歌麿は重三郎と話をしていたのですが、その光景を見たきよは激しく心を乱してしまい、歌麿はやむなく重三郎に帰ってもらいました。歌麿は今は愛する妻のきよの看病がなにより大事なので重三郎は仕事を頼むことができず、他の絵師を当たっていました。そのころ市中では倹約令による不景気から町の治安が乱れ、悪玉提灯を手に暴れ回るならず者が各地に続出し、これは松平定信の政が原因と人々にささやかれていました。ただ当の定信は、こうなるのは初めから見込んでいた、田沼病の者たちがあぶり出されたと全く驚いてませんでした。ただ対策の必要はあるので、定信はならず者を取り締まっていた長谷川平蔵宣以(中村隼人さん)に人足寄場を作って彼らを更生させるよう命じました。平蔵は自分には無理だと固辞しましたが、定信から町奉行にしてやってもよいと言われ、亡き父のためにも役目を引き受けました。さて京伝と喧嘩別れになっている重三郎は今後の仕事のためにも鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)の仲介で京伝と再会しました。重三郎と喜右衛門は京伝に自分たちの仕事を最優先でやることを条件に、作料に加え年30両を支払うと伝えました。しかし京伝は、自分は好きな仕事を楽しくやりたいだけで、世に抗うとか難しい仕事は嫌で、浮雲みたいに気ままに生きていたいと、笑いながら言うだけでした。甘えが許されない吉原の女たちを見てきた重三郎は京伝のそんな態度に腹が立って「気ままに生きていけるのは周りが許してくれてたからだろう!」と怒りを露わにしました。そして「今こそてめえが踏ん張る番じゃないのか?」と京伝に強く迫っていたら喜右衛門が二人の口論を止めました。喜右衛門は奉行所から呼び出しを受け、戯作や浮世絵などを出すときの規制を言い渡されました。それは松平定信が、黄表紙や浮世絵は贅沢品であり世によからぬ考えを刷り込み風紀を乱す元凶と考えたからで、今後一切新しい本を仕立ててはならぬ、とありました。喜右衛門と重三郎は対策のために、すぐに江戸の地本に関わる人たちを一同に集めました。そのお達しの文面から重三郎が出した黄表紙が取締りのきっかけとなったことは明らかで、重三郎は土下座して幾度も謝りました。しかし地本問屋たちの怒りは収まらず、怒号が飛び交いました。喜右衛門は皆を静め、重三郎に何か手立てがあるのか問いました。重三郎はお達しの中にある「新規の仕立てをどうしても作りたい場合は奉行所の指図を受ける」という部分を逆手にとって、江戸中の地本問屋が山のように新作の草稿を抱えて、次々と奉行所に指図を受けに行くのはどうかと言いました。仕事が増えた奉行たちが音を上げて、そのうち指図なしでよいとなるのでは?という考えでした。とはいえ草稿はすぐに作れるものではなく、地本問屋たちはまた声を荒げて批判するばかりなので、その様子を見かねた勝川春章(前野朋哉さん)が戯作や絵師の仲間たちに重三郎の助太刀を呼びかけました。春章たちが協力を申し出るとその様子を遠巻きに見ていた京伝も動き出し、重三郎は嬉しくて目に涙がにじんできました。そして喜右衛門が地本問屋の皆に呼びかけると彼らもここは一つ一緒にやるべきだと思い直し、その後はいくつかの組に分かれて草稿作りが始まりました。後日、地本問屋たちがそれぞれ山のように草稿を抱えて奉行所を訪れて指図を仰ぐと、狙い通り役人は悲鳴をあげました。重三郎は次は長谷川平蔵宣以への根回しを始めました。吉原に呼んでもてなし、平蔵は初めは警戒していましたが美味い酒を飲むと「やはり吉原はいい」と気分を直しました。その時、二文字屋の女将のはま(中島瑠菜さん)と先代のきく(かたせ梨乃さん)が入ってきて、平蔵に50両差し出しました。賄は受け取れないと拒否する平蔵。でも重三郎が、これはかつて花の井のために平蔵が出してくれた金であり、実はそれで二文字屋が救われたのでこれは返金になると説明すると、平蔵は花の井の名で昔を懐かしんでいました。それから重三郎は、人足寄場のお役目のために何かと持ち出しが多い平蔵のために利息として50両を差し出し、さらに駿河屋市右衛門(高橋克実さん)が50両を平蔵に差し出しました。「倹約が続いてこのままでは吉原も地本問屋もだめになる。人足寄場でならず者を救うように、身を売るよりほかない吉原の女郎たちを救って欲しい。」と市右衛門と重三郎は平蔵に懇願しました。切羽詰まった吉原のために、平蔵は松平定信からある言葉を引き出すように頼まれていました。平蔵は定信との話の中で上方のことを引き合いに出して将軍家の威光を第一とする定信から狙い通りに、地本問屋も株仲間を作り、その中で改めを行って触れに触らぬ本を出す許しを得ました。後日、重三郎と喜右衛門は京伝が本を出した上方の大和田と会い、黄表紙を盛り立てるためにも株仲間に入るよう言いました。しかし大和屋にそのつもりはなく、上方では黄表紙が人気だから安く仕入れさせて欲しい、京伝はこのまま鶴屋と蔦屋のお抱えでいいと決着が着きました。ただ重三郎が定信のお触れへの対処で奔走していたころ、歌麿の妻のきよはあの世に旅立っていました。最愛のきよの死で心の支えを失った歌麿はおかしくなり、きよの遺骸の傍で何枚も何枚もきよの絵を描き続けていました。重三郎が歌麿を力づくで押さえ、傷んだきよの遺骸を弟子の菊麿たちが運び出しました。「お前は鬼の子なんだ。生き残って命を描くんだ。それが俺たちの天命なんだ!」重三郎の言葉を受け入れられない歌麿はわめいて暴れるだけでした。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
October 7, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回から感想日記の形式を変えて、全体のまとめを最後にもってくることにします。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇寛政元年(1789)、老中首座の松平定信を皮肉るために恋川春町の『悦贔屓蝦夷押領』を刊行したことで定信の怒りを買い、春町を自刃させてしまった蔦屋重三郎(横浜流星さん)。『鸚鵡返文武二道』を書いた朋誠堂喜三二(本名は平沢常富)は国元に戻ることになり、大田南畝は処罰を恐れて筆をおき、他の地本問屋が抱えていた武家の執筆者たちも次々と本を書くことをやめ、その影響は地本業界を悩ませることにもなりました。あと頼みの綱となるのは町方の執筆者たちで、重三郎は山東京伝(本名は北尾政演;古川雄大さん)の弱みをついて何か書かせることにしました。一方で歌麿(染谷将太さん)は歌麿の絵を贔屓してくれる栃木の豪商・釜屋伊兵衛(益子卓郎さん)から依頼を受け、伊兵衛の屋敷を飾る襖絵を描くことになりました。帰宅して妻のきよ(藤間爽子さん)に大きな仕事をもらったと報告し、きよと一緒にいれば何でもできると幸せをかみしめていましたが、きよの体には何かの病の異変が出始めていました。文武と質素倹約を奨励し遊びや贅沢を禁ずる松平定信(井上祐貴さん)の政策に重三郎らは息がつまる思いで暮らしていましたが、定信は自分が良しとする政策をさらに強化していきました。その一つが「棄捐令」で札差から武家が借りた金を帳消しにさせ、武家の借金を救うというものでした。その案はあまりにも乱暴で他の老中たちは先々を危惧しましたが定信は耳を貸さず、本多忠籌(矢島健一さん)は定信のやり方を特に案じていました。遊びを禁ずる定信のために政策で市中の遊女たちは行き場を失い、大勢の遊女たちが吉原になだれ込みました。また厳しい倹約政策のため吉原全体でも客が減り、貸した金を棄捐令で踏み倒された札差たちも吉原に来られなくなり、吉原の親父衆たちは皆どうしたものかと頭を抱えていました。吉原を救いたい重三郎は歌麿と政演(京伝)を呼び、歌麿には絢爛豪華な錦絵を、政演には倹約のやり過ぎを風刺する話を書くように依頼しました。ところがその時その話を廊下で聞いていたてい(橋本愛さん)が我慢できなくなり、二人にどうか書かないで欲しいと話に割って入ってきました。ていはそれをやると二人だけでなくこの蔦屋もどうなるかわからない、夫・重三郎の吉原を救いたい思いは立派だが所詮は市井の一本屋、自分たちが倒れたら志を遂げられない、黄表紙は今は控えて、人の道を説いた昔の青本でどうかと主張しました。政演は温故知新で青本もいいと賛同でしたが、重三郎はそれでは春町の気持ちが報われないと反対、しかしていは春町は自刃することによってこの蔦屋を守った、春町だってお咎め覚悟のことは望んでいない、と強く言い返ししました。重三郎の頑なな態度を歌麿は、春町や田沼意次や平賀源内らの他、吉原の人たちへの思いを抱えていることも、上からの締め付けは立場の弱い者たちにだんだんとツケが回っていくという重三郎の考えも理解していました。そんな話をしながら政演が歌麿が描いた襖絵を見たとき、歌麿のありのままの心を政演は深く感じていました。新刊をどうしたらと考えた歌麿と政演は後日、重三郎に黄表紙ではないけど女郎と客をネタにした「いい客を増やす、育てる本」を出したらどうかと提案しました。さてそのころ江戸城では、松平定信が大奥の無駄遣いを徹底的になくそうと、反物や小物や参詣や遊山など削れる部分を一覧表に書き記した指図を老女の大崎に渡していました。ただそれはあまりに締め付けが厳しく、大崎は一橋治済(将軍・家斉の実父、生田斗真さん)にこれでは御公儀の威光に関わると嘆願し、治済から定信に話がありました。治済に強気で反論する定信に治済は別件で、朝廷より話がきている帝の父に太上天皇の尊号を贈ることについて問い、定信は御三家とはかったうえでと返答しました。御三家で紀州の徳川治貞(高橋英樹さん)の具合がよくないと聞いた定信は、すぐに見舞いに伺いました。治貞は定信の締め付け的な政に対する周囲の意見を耳にしていて、「物事を急に変えるのは良くない」と和学者の本居宣長が言っていたと伝え、定信の考えは間違ってはいないが急ぎ過ぎると人はその変化についてこられない、と諭しました。治貞は続けて「全ての出来事は神の御業の賜。それを善だ悪だと我々が勝手に名付けているだけだ。己の物差しだけで測るのは危うい。」と定信に説きました。それでも定信は、我が信ずるところを成し得なければならないと治貞に考えを述べました。何日かたって政演(京伝)が新作『傾城買四十八手』を書きあげ、歌麿と一緒に原稿を重三郎のところに持ってきていました。それを重三郎は表情を変えずに読んでいて、廊下を通りがかったみの吉(中川翼さん)に声をかけ、原稿を読んでもらいました。みの吉は重三郎が声をかけたのも気づかぬほど夢中に読み進めていて「自分がこの場にいるみたいだ」と言い、重三郎自身も正直なところ「景色が目にうかぶ」と言い、同じ感想でした。重三郎は政演の才能を認め、原稿を買い取らせて欲しいと深々と頭を下げました。政演は吉原に月の半分ほど通ってしまう惚れた女、座敷餅花魁の菊園(望海風斗さん)がいました。この暮れには年季が明ける菊園は政演に自分を身請けして欲しいと言い、政演に1冊の本を差し出しました。それは当時流行っていた心学の本で、政演と仕事がしたいという他の本屋が菊園に口利きを頼み、礼も弾むとのことでした。一方、江戸城では太上天皇の尊号の件を定信が不承知と返答したことを一橋治済は改めて定信に問うていました。定信はこれは御三家も老中も同じ意見だったから上奏するように決したと言い、定信の生真面目さが治済は面倒なようでした。そこへ老女・大崎が罷免されたと報が入り、それは大崎が不正を行ったことによる定信の判断だったのですが、大崎は一橋治済の腹心でもあったので、治済の内には密かに怒りが湧いていました。明けて寛政2年(1790)正月、蔦屋では新刊が並びました。しかし世は質素倹約で客足は少なく、店は寂しいものでした。そこに鶴屋喜右衛門(風間俊介さん)が入ってきて、政演が別の本屋から出した『心学早染艸』の本を差し出しました。本の内容は松平定信が喜びそうなものであり、重三郎の考えとは対極のものでした。腹が立った重三郎は吉原にいる政演のところに乗り込みました。「こんな面白い本だと皆が真似をして定信を担いでしまう!」と怒る重三郎に政演は「どっちの味方とかどうでもよくまずは本が面白いことが大事だ!」と反論しました。それでも聞く耳もたずで自分の考えを押し通そうと怒る重三郎に政演は嫌気がさして、もう重三郎の仕事はしないと宣言しました。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇今回気になったのは、自分の考えを強気でどこまでも押し通そうとする、対極にいる2人の男ーー蔦屋重三郎(横浜流星さん)と松平定信(井上祐貴さん)でした。どちらも聞く耳持たずで、まあ良い言い方をすれば自分という人間に対して自信があって超プラス思考なんでしょう。でも自分の考えが絶対だというのが顔にも現れていました。特に為政者である筆頭老中の定信に対し、彼らなりの人生経験からそれはまずいのではと案じる老中たちがいて、その中でも本多忠籌(矢島健一さん)がここは思い切って進言すべきかと悩む姿が印象的でした。また御三家で紀州の徳川治貞(高橋英樹さん)は遠縁でもある定信に何かと味方してきたけど、ますます勢いで突き進もうとする定信を案じていました。定信を優しく諭しても、定信は「でも自分はこうする」というのが見えて、彼の心に響いていないのが残念そうでした。若さの勢いを案じる人生のベテランさんたち。これはいつの時代も同じ光景があるのでしょうね。ただ物語の流れとは別に、さすがベテランの演技と思ったのが扇屋宇右衛門を演じる山路和弘さん。ラストで重三郎が乗り込んできてドタバタになり、迷惑をかけた隣りの客に謝りながら直しているシーンです。画面手前のメインを壊さないよう、でも「背景の人物たちはこうしている」という動きが印象的でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう
October 1, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。この回で感じたのは、上に立つ者の行動の対比でした。松平定信(井上祐貴さん)は怒りに任せて恋川春町(本名は倉橋格;岡山天音さん)を呼び出して詰問しようと考えます。でも最高権力者の怒りが想像できるから春町はすぐには応じられません。春町の殿・松平信義(林家正蔵さん)は春町を理解し、誇りに思う家臣の一人として、春町を生かすためになんとか守ろうとします。駿河屋市右衛門(高橋克実さん)も春町を逃がそうと、バレたら厳しいお咎めを受けるのを承知で蔦屋重三郎(横浜流星さん)の頼みをきいて、偽の人別を作ってやりました。人生経験と人間性がある信義や市右衛門は、春町を助けてやろうと知恵を巡らせ、定信に嘘の報告をしたり偽の人別を作ったりと自分がやってやれる行動しました。若さと、人生経験が少なくて自分の考えが何でも通ると思う定信は、怒りの勢いで春町の処罰しようとし、でもそれが結果として死を招いたと知って、定信は若さゆえ激しく動揺して後で涙しました。ただ春町が死を選んだのは、我が殿・信義のためかなとも思いました。自分の才能を認めてくれた、自分を誇りに思ってくれた、ギリギリまで自分を守ろうとしてくれた殿です。その殿を守るためにも、思い残すことなく自害を選んだのではと感じました。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 寛政元年(1789)2月、蔦屋重三郎が出した本は世間で大人気となり、飛ぶように売れていましたが、その内容は老中首座の松平定信(井上祐貴さん)の治世を皮肉るものでした。一方、定信のほうは文武に長けた者を登用しようとしても次々と辞退していき、どうしたものかと悩んでいました。そんな折に側用人の本多忠籌(矢島健一さん)の家老が賄を受け取っていると知り、定信は激怒して厳しく叱責しました。ただ忠籌は、今はお役目をもらうと持ち出しが増えるから大したうまみがない、登用したい者が辞退するのはそのためと定信に進言しました。それでも定信は公儀への奉公に対する理想を掲げて耳を貸そうとせず、忠籌は世のことを知って欲しいとばかりに重三郎が出した本を定信に差し出しました。忠籌が差し出した本を読んだ定信は、自分の政が笑いのネタになっているのを見て、これはもはや謀反!と激怒、早速役人を蔦屋重三郎(横浜流星さん)の店に向かわせ、朋誠堂喜三二(本名は平沢常富;尾美としのりさん)が書いた『鸚鵡返文武二道』他3作の絶版を命じました。定信は喜三二の主家である秋田藩の佐竹義和を呼び出して詰問、激しい怒りで涙する我が殿を見て喜三二はもう筆を折ることにしました。恋川春町(本名は倉橋格;岡山天音さん)の主の松平信義も定信に呼び出しを受けたのですが、信義はとりあえず春町が病気で隠居したとごまかしました。そんな話をしていたら平秩東作が病だと報が入りました。重三郎は須原屋市兵衛(里見浩太朗さん)と大田南畝(桐谷健太さん)と共に東作を見舞いました。東作の病は重く、平賀源内が枕元に来たという話をする東作はもう長くないと誰もが感じました。源内は世界がどんどん進むのを肌で感じ、自身もまた新しい世を作り出そうとしていた男で、田沼意次も同じ考えでした。でも松平定信の政で日の本が100年前に逆戻りし、ますます世界から取り残されていく様が悔しくて源内が化けて出てきたのだと市兵衛は思いました。そんな頃、蝦夷地では松前藩の圧政に対してアイヌ人が蜂起し、松前道廣がすぐに鎮圧はしたものの蝦夷の民の恨みは深いと報告がありました。ならばと松平定信はこの機会に蝦夷地を天領としては、と徳川御三家の当主らに進言しました。紀州藩の徳川治貞(高橋英樹さん)は定信に味方してくれましたが、尾張藩の徳川宗睦(榎木孝明さん)は、松前藩は反乱を鎮圧して功を立てたから天領にして所領を取りあげるのはどうかと反対でした。定信はそれでも自説を強く主張しましたが、一橋治済(生田斗真さん)から、その考えは定信が嫌う田沼と同じ、民もそう思っている、と指摘されそれ以上何も言えなくなりました。『悦贔屓蝦夷押領』を読んだ定信は、それが自分の政への痛烈な皮肉であることに気がつき、倉橋格(=恋川春町)の呼出を命じました。呼出に応じて釈明しても下手をすれば自分はお手討ちで主家の小島松平家が取り潰しとなるのでどうしたらと春町が悩んでいたら、いっそ別人になればと重三郎は言いました。それもありかと思った春町は主君の松平信義(林家正蔵さん)に相談、支度が整うまで信義には定信に頭を下げてくれるよう頼みました。信義は、1万石の小名の当家にとって恋川春町は唯一の自慢であり、当主の自分にとっても密かな誇りだった、春町の筆が生き延びるならいくらでも頭を下げると言ってくれました。我が殿の自分への愛情に春町は胸が熱くなりました。しかし時間稼ぎの信義の嘘は定信には通用せず、信義は春町に今すぐ逐電するよう命じました。朋誠堂喜三二が国元に戻る日が近づき、吉原では蔦屋主催の大送別会が開かれ喜三二と縁のあった人たちがたくさん集まりました。互いに酒を酌み交わし賑やかに囃しそれぞれに芸を披露し、そして北尾重政が本の名入れを頼むと他の皆も次々と自分の持ち物に名入れを頼んでいました。吉原の親父衆は皆喜三二の仕事ぶりを讃え、他の人たちも口々にもう一度何か作品をと喜三二に頼んでいました。でもそれは重三郎が江戸を去る自分へのはなむけとして仕組んだんだ、ということも喜三二はわかっていました。宴会の頃合いを見計らって駿河屋市右衛門(高橋克実さん)が重三郎に声をかけ、二人は座を外しました。人目のない場所で市右衛門が重三郎に渡したものは、春町が逐電するときのための偽の人別でした。重三郎を幼い頃から育ててくれ、厳しかったけど独立した今でもこうして何かあれば危ない橋を渡ることであっても力になってくれる市右衛門でした。顔見知りの多い春町だから気を配るよう言葉を添えてくれる親父様の気持ちを重三郎は有難く思いました。しかし重三郎たちの準備もむなしく恋川春町は一人自害をしてしまいました。朋誠堂喜三二とともに重三郎が春町の弔問に行くと、妻のしず(谷村美月さん)から辞世の句を渡されました。そのとき重三郎は文机の横にあるくず入れの中に破られた文を見つけ、しずの許しをもらって紙片をつなげてみました。復元してみるとそれは重三郎にあてたものでした。「別人で生きることを考えたがもう定信の追及をかわせない、逐電すれば小島松平家、倉橋家、蔦屋だけでなく皆にも類が及ぶ、全てを円く収めるためにはこのオチしかないと。」店に戻った重三郎は春町が一旦は破って捨てた最後の文を皆に見せました。本を書いただけで結果、死に追いやられた春町を思い、皆は悔しさと悲しさでいっぱいになりました。ただ重三郎は春町の髪に豆腐のかけらがいくつも付いていたことが気になっていて、それは『豆腐の角に頭をぶつけて死ね』の言葉を体現したのでは?と山東京伝(古川雄大さん)が言いました。続けて喜三二が「春町は戯作者でありクソ真面目な男だったから最後まで戯けないとと思ったのでは。」と言うと、春町を思い皆は泣き笑いました。男たちは涙と笑いをあの世の春町に手向けました。松平信義は春町の死を松平定信に報告しました。春町は切腹し、最後の力を振り絞って豆腐の入った桶に顔を突っ込んだことを言おうとしたとき、あの男らしいと信義は思わず笑いがこみ上げました。そして「ご公儀を謀ったことを腹を切って詫びたが、春町としては死してなお世を笑わすべきと考えたのでは。一人の至極真面目な男が武家として、戯作者として分をそれぞれわきまえ全うした。戯ければ腹を切らねばならぬ世とは、いったい誰を幸せにするのか。本屋風情の自分にはわからないと言っていた。」と信義は涙をこらえながら重三郎の言葉を定信に伝えました。一人になった定信は布団部屋に隠れ、声を殺して涙しました。
September 25, 2025

2025年NHK大河ドラマ 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』 の感想です。今回の中でよく出てきたキーワードの「伝わる」。その言葉を発信した人が思い描く、言わんとすることが必ずしも相手にちゃんと伝わるとは限らないというのはいつの時代にもあることですよね。蔦屋重三郎(横浜流星さん)たちが出版した松平定信(井上祐貴さん)の治世をからかった本は、当のご本人でさえ本にこめられた思いが伝わらない。その定信が自分の治世で据えたい理想の武士像を思い描いて、張りきって文武二道を奨励したものの、にわか仕込みで武芸や学問を始めた者たちには真髄たるものが伝わるはずもなく、できあがるのは勝手な解釈の果てに民を苦しめる使えない者ばかり。前回では、店を守りたいというてい(橋本愛さん)の思いがちゃんと重三郎に伝わったのに、今回はカン違いでも『文武二道』の本がとにかくうまくいったことに味をしめて強気になった男どもに、ていの嫌な予感は伝わらずに出版となってしまいました。思うことを伝えるというのは、難しいものですね。ただ意外だったのが、この時代の武士たちが文武の面でこんなにも緩んでいたことでした。あと50年もすれば幕末の動乱が始まります。幕末のドラマを見ていると誰もがものすごく勉強熱心で、あるいは剣の稽古に励む若者たちがいて、そんな彼らが命をかけてどんどん時代を動かしていきます。まあ逆に考えれば、このドラマの時代がこうだったから、地道に文武に励んできた若者たちが幕末で名を上げたということでしょうか。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #大河べらぼう #べらぼう 天明8年(1788)の年明けに出版した『文武二道万石通』を読んだ松平定信(井上祐貴さん)は本に込められた自分への皮肉に気がつかず、たいそう気に入ってこれからの政にますます意欲が湧いてきました。また定信は阿波蜂須賀家の儒者であった柴野栗山(嶋田久作さん)を第11代将軍・徳川家斉(城桧吏さん)のお抱えに推挙しました。皆が孔子の教えを学び、一人一人が正しき人となり、武術に励んで世に広まる田沼病を根本から治さなければ、と定信は意気込んでいました。そのころ蔦屋では『文武二道』を買い求めて人々が押し寄せていました。店の奥では皆が総出で本の製本をしていて、それでも追いつかないほどの人気ぶりで、重三郎は世の流れが一気に変わるような気さえしていました。町に出ると侍たちは新しい弓を持ち歩いて武芸を語り、学問所で学んだ孔子の論語の一節をそらんじていましたが、武芸も学問もまだ始めたばかりの印象を受ける者が多いようでした。また重三郎も本が飛ぶように売れるのは嬉しいけれど、定信の政をからかっている本の内容が世間の人には全く伝わらず、落胆していました。ただ歌麿が描いた絵は一流の絵師にも劣らないのに値打ちで買えると熊野屋(峯隆太さん)などの豪商(林家三平さん)には評判でした。歌麿(染谷将太さん)が重三郎の店を出た帰り道、急に雨が降ってきたので雨宿りをしたらきよ(藤間爽子さん)が洗濯物を慌てて取り込んでいました。歌麿が手伝いながらきよを見ると、以前幻覚に悩まされたときにここで会ったあの女であることを思い出し、耳の聞こえないきよに必死に伝えました。きよは歌麿があのときの男で本当は優しいなの男だろうと思うと安堵し、落ち着いて自分の仕事を始めました。歌麿はきよを見ているとなぜか心穏やかになり、そしてきよの姿を描きたくてたまらなくなり、夢中で筆を動かしてきよを描いていました。蔦屋重三郎(横浜流星さん)は『文武二道』の真意が肝心の定信にも世間にも伝わっていないのにどうにも納得がいかなくて、朋誠堂喜三二(尾美としのりさん)ら出版の仲間に集まってもらってました。田沼を叩くのをやめると定信へのからかいが露骨にわかってしまう、ではどうしたら?とか皆で考えていたのですが、恋川春町(岡山天音さん)だけは一人不機嫌で拗ねていました。その理由は春町の書いた『悦贔屓蝦夷押領』だけが売れていなかったためで、皆はそれぞれに春町の機嫌をとっていましたが機嫌は直りませんでした。恋川春町(武士で本名は倉橋格)は出仕してもお役目に身が入らず他事を考え、それを小島松平家当主の松平信義(林家正蔵さん)に見られてしまいました。信義は平謝りする春町の顔を上げさせ、春町の本がとびきり面白かった、実に皮肉だった!と感想を伝えました。信義は『悦贔屓』の本の言いたいことを正しく理解してくれて、さらに春町がよくお叱りを受けなかったと味方してくれました。春町は我が殿・信義を信頼して、定信の政をどう思うか尋ねました。信義は「志は立派だが、果たしてしかと伝わるものなのか。」と答え、春町は信義の言葉を深く考えてみました。江戸市中では急に武芸を始めた武士たちがやたら何かと威張り散らし、町の人たちはあちらこちらで酷い目にあっていました。一方、自分の書いた本を我が殿から褒めてもらえて気が済んだ春町は、信義が言ってくれたことを自分なりに解釈して「俺たちのからかいも通じなかったが、定信の志もそううまくは伝わらないのでは。」と重三郎たちに伝えました。「元から文武に励んでおった者は今さら道場に通ったり、本を買ったりしない。今、文武を叫ぶ者はにわか仕込みの新参者だ。」と分析しました。さらに「文も武も修めるには時間がかかるもの。遠からず皆あきてトンチキを作り出して終わるのではないか。」と信義の言葉を伝えました。ところがそんな話をしていたら大田南畝(桐谷健太さん)が駆け込んできて、田沼意次の死を報せ、意次の名誉を取り戻したかった皆は言葉を失いました。さて、誰もが文武に励んで田沼病を治す政策がうまくいっていると思っている定信の元に、将軍・家斉が大奥の女中との間に子をもうけていたという、驚くべき報せがもたらされました。ここのところ学問を怠る家斉に定信は苦言を呈しますが、家斉は「それぞれ秀でたことをすればよい」と聞く耳を持ちません。定信は家斉が御台となる茂姫との婚儀も済まぬうちから他でお子を!と茂姫の実父である薩摩藩主の島津重豪(田中幸太朗さん)に訴えますが、重豪も一橋治済(生田斗真さん)も全く気にしていない様子でした。さらに定信は、質素倹約の旨を皆にきつく言い渡しているのに能舞台の衣装が豪華なことも気になる、賄賂も固く禁じていると二人に意見しました。しかし治済から、定信が10万石と引き換えに老中首座となり思うままに政をしていることを示されると、定信は何も言えませんでした。定信が文武二道を奨励した結果、にわか仕込みで武士としての心構えもなっていない者たちが立場の弱い民たちを苦しめている実態をどうしたらいいのかと、定信は柴野栗山に問いました。栗山は、各々の立場に対する心得を作って書にして将軍・家斉に渡す、初歩の漢文すら読めぬ旗本・御家人も多い昨今、まず武より文、武家としての心得を叩きこむのが良いと進言しました。さらに栗山は自分が湯島聖堂で講釈をしてもよい、定信の『鸚鵡言』を使うと言い、定信は快諾しました。田沼意次の死と共に、もう一つの悲しい別れがありました。歌麿が幼かった頃の数少ない幸せな記憶として残り、歌麿が唯一師事したいと強く願った鳥山石燕(片岡鶴太郎さん)の突然の死でした。何かにとりつかれたように筆をとって雷獣を描きあげ、絵筆を握りしめたまま絶命してあの世に旅立っていきました。そんな石燕の死の報せと共に、歌麿は一人の女性(きよ)を連れてきていて、誰もが思ったとおりきよは歌麿のいい人でした。歌麿はきよと所帯を持ちたいと言い、きよの絵を描くときのことを楽しそうに幸せそうに語り、そしてきよのために「ちゃんとしたい」と言いました。歌麿は、きよのために名をあげて金も稼いできよを幸せにしてやりたい、今は金が足りないから自分が描いた絵を買い取ってもらえないかと、何枚かの絵を重三郎に差し出しました。それは描くと忌まわしい過去を思い出してしまい歌麿が描けなかった笑い絵で、きよと一緒にいることで幸せな気持ちで満たされて乗り越えることができた、歌麿の思いがつまった絵でした。重三郎は可愛いがった義弟の歌麿の幸せそうな顔が嬉しくて、ご祝儀を含めて絵を百両で買い取ってやりました。秋になり、年明けに出す本のために皆が集まっていました。世間では定信の『鸚鵡言』を使った講義が広まったものの、肝心の受講生たちには正しく理解されず誤った解釈のまま本人や子供たちに伝わっていき、世はトンチキであふれてしまいました。集まった皆はそれを風刺にした草稿を書いてきて、互いに読んで面白いと笑い合い、次はこれでいこうと盛り上がっていました。しかしてい(橋本愛さん)だけは、これはからかいやおふざけが過ぎると危惧して反対意見を言いました。春町が世を諫めたい思いで描いたと言うと、それはからかいよりも更に不遜や無礼として受け取られる、とにかくこれは出せば危ないと反対しました。ところがそこに次郎兵衛が来て、松平定信が黄表紙を贔屓にしていると聞いた話を伝えるものだから男たちは強気になってしまい、本の製作が始まりました。そして天明改め寛政元年(1789)『鸚鵡返文武二道』が出版されました。
September 18, 2025
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