March 29, 2006
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清洲城 の写真集をまとめてみました。
日記:突然の『武者デビュー』




【清洲城】


京都で応仁の乱が終わりつつあった1476年、
尾張の清洲に斯波氏が築城する。その後
1555年に織田信長公が那古野城から入城。
1560年、今川義元との桶狭間の戦いのとき
信長公はこの清洲城から出陣する。


信長公以降の清洲城主は、信忠・信雄)・
豊臣秀次(豊臣秀吉の甥)・福島正則・
松平忠吉(徳川家康の四男)・
徳川義直(家康の九男)となる。


織田信雄が城主だった1586年に清洲城は
三重の堀を構える大城郭と生まれかわる。
しかし1610年に徳川家康が清洲の廃都及び
名古屋遷都を指令し( 慶長の清洲越し )、
清洲城はその姿を消すことになる。


しかし名古屋城築城に際に、解体された
清洲城も材料として積極的に利用された。
特に名古屋城 御深井丸 ( おふけまる ) の西北櫓は
清洲城天守の古材で作られ、『清洲櫓』とも
呼ばれて今もなお美しい姿を残している。


清洲城(愛知県清洲市)




写真をクリックしてご覧くださいね。






天守閣最上階の欄干の赤い色が新幹線から










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Last updated  April 2, 2006 08:57:06 AM
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