Bar UK Official HP & Blog(酒とPianoとエトセトラ)since 2004.11.

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2005/01/17
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カテゴリ: エトセトラ
 きょうは、6433人の命が奪われたあの阪神・淡路大震災から10年。被災者の一人であった者として、きょうはやはり震災の記憶について触れざるを得ない。

 前日の16日、深夜勤明けの僕は午前3時半ごろ帰宅した。眠りについたのは午前4時近くだっただろうか。それから間もなくして、強い縦揺れに襲われ、目が覚めた。あの時、まず思ったのは、「近くでジェット旅客機が墜落したに違いない」。

 僕はベッドから起きて家を飛び出した。だが、辺りはまだ暗くてよく見えない。しかし見渡せる範囲では、火柱や煙が上がっている様子はない。近所の人たちも、何事が起こったのか確かめようと、次々と家から表に飛び出してきている。間もなく、夜が白み始めると、辺りの惨状がはっきりしてきた。

 周辺の古い木造家屋の約8割は、全半壊状態だった(我が家は軽量鉄骨プレハブだったため、幸い屋内の被害だけで済んだ)。近隣でもとくに、我が家のすぐ向かいの家の姿には言葉を失った。大きな2階建てのお屋敷なのだが、1階部分が完全に見えない。2階部分もかなりひどく崩れている。この家には、親子4人と祖母が住んでいるはず。それは、近所の多くの人も知っていた。

 だから、誰かれともなく敷地に入り(塀も崩れていた)、その家族を捜し始めた。すると、どこからともなく、がれきの下から「助けてくださ~い」という声がかすかに聞こえてくる。声のする辺りの屋根瓦を、7、8人の男性で協力して、はがしにかかった。

 だが、駆けつけた人たちはみんな素手だ。あたりには、瓦やガラスや陶器のような破片が散乱している。手にけがをするのは目に見えている。僕は、家にあった軍手の束のことを思い出し、つれ合いに持ってこさせ、配った(この時ほど軍手に感謝したことはない。「震災の時、一番何が役立ったか」と、聞かれることも多いが、いつも「軍手の買い置き」と答えている)。

 約1時間くらいかけて、屋根瓦と天井板をはがし、両親と子どものうち、姉を救い出した。祖母は入院中で、家にいないという。しかし18歳の妹は、「別の場所で寝ている」という。父親が、がれきとなった家のその場所辺りに案内した。僕らは再び屋根瓦をはがし始めた。だが、妹がいたはずの空間の惨状を見た誰もが、生存に不安を感じていた。

 結論から言えば、大きな梁(はり)の下敷きとなっていた妹を、約1時間後に見つけ出し、病院に運んだ。だが、その後ほどなく、「即死状態だった」と伝え聞いた。18歳の若さで奪われた命。「だから、早く建て替えようと言ったのにー!」と母親は、がれきの中で号泣した。

 聞けば、この家(お屋敷)は建築後、約70年経っていたという。この辺り一帯で数多くの土地を持つ昔からの地主さん。建て替える資金的な余裕がないはずはなかった。父親は「長年住み慣れていた母が、建て替えを渋ったので…」と話していたと、後に聞いた。



 日常生活は徐々に戻ってきた。だが、一瞬にしてすべてを奪ってしまった震災は、僕の価値観をも変えてしまった。「形のあるものはいつか壊れるかもしれない。そして形のあるものだって、墓場まで一緒に持って行ける訳ではない」と。

 娘を失った一家は、震災後に引っ越し、家があった場所は広い駐車場に変わった。その家の庭にあった大きな松の木だけは、切られずに残され、家の名残を伝えている。その松の木の根元に今朝、僕は花をひと束、供えた。助けられなかった妹さんのために…。生きていれば、28歳。幸せな家庭を持っていたかもしれない。

 「命のドラマ」は6433の数だけあったはず。彼女は6433分の1だったかもしれない。だが僕は、あの日の朝のこと、彼女のことを「1.17」が来るたびに思い出すだろう。





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Last updated  2008/10/23 12:53:02 PM
コメント(17) | コメントを書く


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Re:阪神大震災10年/1月17日(月)(01/17)  
ステラビア  さん
夕べ、震災後から復興までを追い続けたNHKの番組を延々2時まで見続けました。
何年経っても風化させてはならないこと。今日は日本全国があの時に立ち返る日です。

うらんかんろさんのご家族がご無事であったのは、何よりでした。
私の住む地も、いつ直下型に襲われるかわかりません。
わからないので、よけいに今を大事に。家族を大事に。そして生きた証は日記として残し続けたいです。

(2005/01/17 07:34:05 PM)

ステラビアさんへ  
 ステラビアさん、こんばんは。
 首都圏も、いつ直下型地震に襲われるか、誰にも分かりません。
「その日」のために、今を大事に生きることも、
家族を大事にすることも、とても大切なことですが、
生き残るためにどう備えればいいか、ステラビアさんもぜひ考えてください。

 せめて、以下の3つは、ぜひぜひ実行してください。
 1.寝室には絶対家具を置かない 
 2.リビングの家具や食器棚には転倒防止対策を
 3.必ず持ち出さなければならないものは、
   ひとまとめにして一つのカバンに入れておく
   (軍手は多いめに用意して…)

 大震災の体験者からの、ささやかな助言かもしれませんが…。
(2005/01/17 10:10:22 PM)

形あるものはなくなるけど思い出は残ります。  
今日の朝、何事もなくてよかったと無事な1日にほっとしました。うらんかんろさんも神戸のかたも今日の1日、少しでもほっとしてたら幸いです。
形あるものはいつかはなくなるとよく聞きますがその人と過ごした思い出は時がたつにつれいい部分だけ残り忘れないと思っているんですね、わたしは。ですよ。

神戸長田区にお嫁に行って住んでいるお友達の実家が新潟の小地谷市でこの前の中越地震にあいまして、幸い皆さん無事で、そして一時車の中で避難生活を送り、家も無事だったので何とか元気です。
友達のだんなさんはチーフ(私のだんなですね。)の料理の師匠ですがこの方も、阪神大震災のあったまさに地元の方で家が無事だったのでそのまま住んでいます。

で、友達のご両親もこっちに非難したらとすすめたんですが土木関係なので復旧工事とかで復興に協力している最中だそうです。

とにかくささやかな助言、しっかり受け取っておきます。

お礼参りにもらったお菓子はすんごくおいしかったですよー。
(2005/01/17 10:38:27 PM)

Re:阪神大震災10年/1月17日(月)(01/17)  
pattie  さん
先日も民放のオムニバスのドラマで阪神大震災のドラマをしてました。
当時15歳の少女がかばってくれたおばあちゃんを自分が殺してしまった・・・って今でも思っているところは涙が出てしまいました。
その人はずっと自分を責めて生きていくんだろうと思うとどんな言葉も浮かんでこないです。
あなたのせいでは決してないんですよ。
でも逆の立場だったら私も一生そういった心の傷を背負って生きていくんだろうな。

うらんかんろさんの生き残るためのこととてもためになりました。軍手ですね。思いつかなかったです。
(2005/01/17 10:39:45 PM)

Re:阪神大震災10年/1月17日(月)(01/17)  
ステラビア  さん
助言ありがとうございます。
生きることがまず大事ですものね。
幸い、我が家には家具がないのですが(モノ苦手なんです)、軍手は思いつかなかったので、とても参考になりました。
(2005/01/17 11:16:05 PM)

まつもとちあきさんへ  
 ちあきさん、こんばんは。
あの大震災の後、僕は、大げさかもかもしれませんが、
今日無事に生きられたことを、毎日、感謝しながら生きているつもりです。

 そして、震災の時少しばかり体験した人助けやボランティアの経験を、
忘れないように努力しています。
新潟・中越地震、スマトラ沖津波…、とその後も大きな災害は続いていますが、
自分の出来る範囲で、役立つことをしていきたいなぁと心に誓っています。
(2005/01/17 11:58:28 PM)

Pattieさんへ  
 Pattieさん、こんばんは。
 生き残った自分を責めている人たちは、僕の周りにもたくさんいます。

 僕自身は、生き残ったことは、単に運が良かっただけなんだと、
いつも(家族も含めて)言い聞かせています。
生き残った自分は、亡くなったひとたちのおかげで、
生かされているんだ、と考えるようにしています。

 僕の記した「生き残る知恵」が、いつか役立てば、幸いです。
(大災害が来ないに越したことはないのですが…)。
(2005/01/18 12:07:24 AM)

災害は忘れた頃に・・・・  
guce  さん
まさにその通りで
私も中越地震に被災してしまいました
幸いにもうちは被害はありませんでしたが・・・
・・・忘れてはいけませんよね (2005/01/18 01:59:33 AM)

Re:阪神大震災10年/1月17日(月)(01/17)  
Lady Bird  さん
昨日日記読んだのですが 胸がいっぱいになってしまって コメント残せませんでした。
10年前のことが昨日のことのように詳細に書かれていて うらかんろさんの体験の大変さ
を強く感じました。そして 花束、、、やさしいお人柄を感じます。

当時夫は罹災された方への仮設住宅の供給の仕事に携わっていました。
仮設住宅の備蓄って1500個位しかなく その調達は大変だったようです。
政府は一戸でも多い数字を発表したいのですが そう簡単に量産もできず、、、
でも最終的には48300戸と聞いています。新潟が3000戸ですから凄い数ですよね。
直接的には関係できなかった大震災でしたが こんな面からとても心配していました。
うらんかんろさんが書いたものを読み またそれを誰かに伝えて、、、
心にしっかり留めていきたいです。
まず寝室のタンスを何とかしなくては と思っています。(ご助言ありがとうございます) (2005/01/18 11:46:00 AM)

guceさんへ  
 guceさん、こんにちは。

 中越地震で被災されたんですね。
震度はどれくらいの地域だったのでしょうか?
電気や水や水道などのインフラは大丈夫でしたか?

 まだまだ余震も、おさまったという状況ではないようですし、
どうか、くれぐれも身の安全を第一にお考えください。

 こちら阪神地域に住む人間も、中越地震があるまでは、
10年経って、ちょっと気が緩んでいたのは事実です。
(「もう当分は、自分が生きているうちはないだろう」と…)。と。

 もしも、への備えは絶対に忘れてはいけないと思います。


(2005/01/18 03:54:17 PM)

Re:阪神大震災10年/1月17日(月)(01/17)  
みんみん★  さん
こんばんは★

あれだけ怖くて悲しかった震災が、
たった10年経っただけなのに、
自分の中で薄くなっていってしまってるような気がします。
中越地震、スマトラ沖の地震など
起きてから考えるじゃいけないんですよね…
反省しなければいけません。
実際に体験なさったうらんかんろさんの日記を
読ませてもらって、
悲しくもなったしとても重かったけれど、
体験なさったからこそなんですよね… (2005/01/18 07:50:03 PM)

Re:guceさんへ(01/17)  
guce  さん
うらんかんろさん

ご心配していただきありがとうございました!
幸いにも停電が一晩
水道・ガスも翌日には復旧しました
ただ会社は被害大でしたがそれもなんとか復旧して現在落ち着いて通常業務しております。

お互いこれを忘れないで、また援助してくださった方々への感謝も忘れないで生きていきたいものですね。 (2005/01/19 12:21:54 AM)

LadyBIrdさんへ  
Lady Birdさん、こんばんは。
 温かいコメント、有難うございます。
震災当日の個人的な、忘れられない体験は、友人や会社の同僚らには、
折りに触れて何度か話してきましたが、これまできちんと、
文字として記録に残したことはありませんでした。

 そこで震災10年の節目に、せめてこの日記の中ででも、
(救えなかった彼女を忘れないためにも)形にとどめておきたいと思いました。

 LadyBirdさんのご主人は、仮設住宅の供給という、
大切な仕事に携わっておられたんですね。あの時の仮設住宅は、
その後、海外に送られ、診療所になったり、学校に転用されたり、
非常に喜ばれているようですよ。

 10年が経って、見かけの復興はかなり進みましたが、
被災者の心の傷跡が消えたわけではありません。大切なことは、
忘れないこと、助け合うことだと思っています。
(ちなみにうちの今飼っている白猫も、親が震災被災猫の子どもでした)。

PS.寝室の家具は本当に危ないです。震度6~7になると、
ユニット家具などは別々に飛んで来ます。怖いです。枕元の近くに、
懐中電灯もぜひ1本置くのもいいと思います。
(2005/01/19 12:27:21 AM)

みんみん★さんへ  
 みんみん★さん、こんばんは。
 人の死を目の当たりにするという、あのような体験は、
できれば、もう二度としたくないのというのが本音です。

 でも、人生には避けられないこともあるので、やはり、
「その時」のための覚悟は、いつも持っておく必要があるかもしれません。

 僕自身も、阪神大震災から10年が経って、
あの中越地震やスマトラ沖大津波が起きるまでは、
正直言って、災害への気の緩みというものが、心の中にありました。

 神戸・三宮の東急ハンズの防災グッズ売り場も、中越地震の後は、
約3倍に拡張され、売れ行きも非常にいいようです。人間ってげんきんですね。

 あす災害に遭って、死ぬかもしれないという気持ちは忘れずに、
生き残る努力だけはしていきたいなと思っています。
(2005/01/19 12:42:54 AM)

guceさんへ  
>幸いにも停電が一晩
>水道・ガスも翌日には復旧しました
>ただ会社は被害大でしたがそれもなんとか復旧して現在落ち着いて通常業務しております。

 そうですか、それは何よりでした。聞いて安心しました。

 僕も、新潟には見附市に、同い年の遠縁の親戚(女性)が住んでいるんですが、
見附は去年、水害にも襲われ、そして中越地震のダブルパンチで、
「本当に、大変な年だった」と災害見舞いの電話をかけて話したとき、言ってました。
(幸い、その親戚のところは被害は少なかったのですが…)。
(2005/01/19 02:20:59 AM)

Re:阪神大震災10年/1月17日(月)(01/17)  
アトムの妹 さん
 地震は関東地区に起こるもの、という思いこみをことごとく覆されたのが、この地震であった。我が家のあたりは震度4強であったが、私にとっては初めての「揺れ」経験といっても過言ではない。
 私は前日までスキー旅行をし、壊れる前の阪神高速を通っていた。確か、「1月17日には改修工事をミニウェイ方式で行う」という看板が立っていたことを覚えている。道幅が狭い阪神高速が嫌いな私は思わず、「改修なんかせず、作り直して欲しいなぁ。いっそ地震でも来て壊れてしまえばいいのに」なんて話しながら。
 阪神高速を通るたびに、その時の惨状を思い出し、心の中で詫びずにはいられない。 (2005/01/30 05:42:18 PM)

アトムの妹さんへ  
 アトムの妹さん、お久しぶりです。お元気でしたか?

 僕にも、「地震は関東に起こるもの」という思いこみがありました。
だから、家の周りの惨状を見た時は、
「まさか…、夢じゃないのか」というのが、最初の気持ちでした。
(僕もそれまで、せいぜい震度4くらいしか体験してませんでしたし…)。

>私は前日までスキー旅行をし、壊れる前の阪神高速を通っていた。確か、「1月17日には改修工事をミニウェイ方式で行う」という看板が立っていたことを覚えている。

 僕も、地震発生3時間前に、阪神高速を車で帰宅する途中だったので、
今思い出すと、生か死かなんていう運命は、
ほんのわずかの違いでしかありません。
前にも書きましたが、今生きていることは、
亡くなった方に生かされているんだ、と考えるようにしています。
(2005/01/30 06:19:06 PM)

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