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後払いの授業料 方向性がすっかり変わって、覚書&文章断片置き場になってしまっていますが、念のため、リンクしておきます。
2007/02/19
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唐突な話で申し訳ありません。しかし、表側で話すべき帰還が終わって、またもや裏側で、独りで話すべき頃合なのです。定期的な移り変わりがまたやってきた、それだけのことです。 くるくる、くるくる。いったいいつまで続くんだろう、このサイクル。
2006/09/06
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AM6:00 起床(Oh! 早寝早起きで健康的な一日の始まりじゃあーりませんか。このごろイマイチ調子の悪かった僕のボディも、そろそろテンポを取り戻して来たってとこかな? いやー、よきかなよきかな)AM10:00 予備校の予復習終了(ノって来た、ノって来ましたよ閣下! このところ見られなかった滑らかな一日のスタートダッシュです。ついに僕もマトモな受験生として日々を過ごすことが出来るのですね!)AM12:00 胃腸の痛みを感じる(よーし後ニ時間もすれば予備校にGO……って、あれ?)PM2:00 布団の中で悶えていたらいつの間にか夢の世界へ(…あ、あれあれ?)PM8:30(現在) 起床 (……。) ……うがががががが! ガッデム! ガッデム! さあ皆さんもご一緒に! さんはい! ガッデム! ガッデム! ガッデム! どうなってんだふざけんなコンチクショー馬鹿野郎! もうちょっと空気読めってんだマイ・ボディー! 何ですか、アレですか、貴様って奴は、一日たったの8時間しか活動できないってんですか! お前労働基準法の定めてる労働時間と活動可能時間が一緒じゃねえかナメんな。そんなんで会社勤めが出来ると思ってんのかバーカバーカ! なんとかしろ! どうにもならない? なら死ね、死んで償えぇぇぇっ! それ自傷じゃんというツッコミは却下。全力で却下。
2006/09/05
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1月7日 6日の晩はヘミングウェーの「武器よさらば」を読もうと思い、意気込んで布団に潜ったのだが、その熱意はほんの30ページあまりで萎えてしまった。文体のタンパクさと恋愛模様の口に合わなさ加減がメーターを振り切ったのだ。これだからアメリカ小説って奴は。俺は毒づいて眠ってしまった。「老人と海」は、まあそっちもタンパクだったが、まぁまぁ面白かったから、期待したのがマズかったのかもしれない。それにしても、何なのだろうこのアメリカン特有のタンパクっぷりって奴は。プロテインじゃあるまいし。あの大陸の連中はマッチョイズムに汚染されているに違いない。彼らを東洋的風流さに浸からせ、静養させなければなるまい。……といっても、連中としては連中そのままで問題ないのだろうから、わざわざ俺に適合するように人種を作り替える必要性なんざ、何処にもありゃしないわけだが。ちくしょう、三文芝居だ。俺ってピエロは例によって他称「自我劇団」の劇場で踊り狂っていやがる。だが、まあそれはいい。なにしろこれは6日の夜の話で、この文章は7日の日記なのだから、話に盛り込む必然性は感じられない。 ……それにしても、はっは、必要性に、必然性と来たか。こりゃ、俺の中に何かしらの定義があるとみて間違いないな。その定義に基づいて、俺は俺らしく話すことが出来ているってわけだ。今は一月で、つまりはそれは冬の価値観だ。もうじき冬は終わるから、価値観は生き残りを賭けて孤軍奮闘しているが、そんなもの、無駄なあがきの代表格。生き残れやしない、人間の出来得ることなんて知れている。季節を覆したり、昼夜を逆転させてみたり、そんなことはSFの話で、それも荒唐無稽なSFにふさわしい話だ。奴は、冬の価値観は死ぬだろう。そうして次がやってくる、まるで奴らは消耗品だ。春の価値観、ふむ、また俺は半端な季節のおかげで体調を崩すってわけか。いやあ、居た堪れないねえ! 半端な奴、可哀想に、そんな言い方をされてしまって。「半端」ってほどの侮辱はそうそう無いような気がする。とはいえ、大抵のブツは半端なものだというのも、また事実ではあるけれど。 さて、いつもの通りにズレにズレた話をずずいっと戻そう。7日の話だ。明日から高校がまた始まって、それから3ヶ月ぐらいすれば俺は栄えある最上級生、私立N高校3年、理系クラス1組、ナンバー20代前後、となるわけだ、が、そんなことはどうだっていいし、これからも有用になるたぐいの話じゃない。どうせ俺は馬鹿正直に授業をこなし、そのまま大学に進み、まるで変わり映えしない社会に放り出される。俺の現在位置から、前を見ても、後ろをみても、ほとんど一緒、前と後ろっていう違いがあるばかりなのだから、そんなことはまったくどうだって良く、これから有用になることなんて絶対にあり得ない。のだから、俺はその辺を丸々すっ飛ばして、今日のことだけを書く。八歳児のころから延々と書き連ねてきた日記の中で、今日だけがこんなに分厚く肥大しているのは、言ってしまえば、そのような理由によるものだ。 さあ、今日の話だ。
2006/09/05
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思わず眩暈がしました。◇古典を暗唱すると国語力が上がるそうです(社説後半部) バカじゃないの? 産経新聞の社説部の正気が疑われても良いぐらいっつーかどっかの古典シンパの団体に金でも掴まされてるんじゃないでしょうかってぐらいの暴論です。頭にウジでも涌いてますか? 余りの嫌いっぷりに古文教師と罵り合いをやらかした過去を持つアンチ古文の僕としましては、この記事に食って掛かることは言うなれば聖戦です。ジハッドですよ、ジハッド。まったく、ふざけんなと言いたい。あんな不必要で意味不明な暗記のみに時間を費やすクソ教科なんて、とっとと潰しっちまえばいいってのに。そりゃ、まあ、文化保護って観点からすればある程度は残さないといけないんだろうけど、どうせ潜在的に古典LOVEな奴は初っ端だけチラ見せしときゃ興味を持って自主的に調べて読むんだし、それなら子供の負担にならないように、最低限の文章だけ残して後は削り倒すっていうのは至極最もな話。何を時代の流れに逆らっていやがりますかこの社説委員様は。古典なんか大切にするな! 大切にする奴は死ぬべきなんだ!(ハヌマーン) だいたい、「門前の小僧習わぬ経を読む」ってお前そりゃ子供の暗記能力の高さを示してるだけじゃないの。古事成語としての意味も、環境は人を大きく左右するってだけの話でさ。習わぬお経を暗唱する門前の小僧殿は、そのお経の内容を理解しているとお思いで? してるわけがないですわな。小僧殿はお経を「音」として記憶しているだけなんですから。さて、日経社説委員様の論調では、古典を門前の小僧のごとく丸暗記すると、よりにもよって「表現力の幅を広げ、情緒をはぐくみ、道徳意識が形成」されるとのことですが、果たしてそんなふうになるのでしょうか? いや、あり得ませんって。文章は内容を理解して読まないと意味がない。意味を理解しない古典文章を無理やり暗記したからって、そんなもん脳みその中でときおり浮きあがってくる雑音が一つ増えるだけです。たとえば、化学とか世界史とかで、ゴロ合せってやりませんでしたか? 有名どころだと、水平リーベとか、無事故の世創りとか。意味を知らないゴロ合わせを山のように憶えるようなものですよ、古典の暗唱だなんてね。水素やヘリウムも知らずに「水平リーベ僕の船~♪」って歌えるようになったって、クソの役にも立たない。バカの考え休むに似たり。運動場で遊んで体力でもつけたほうがよっぽど役に立つ。そんな単純な話も理解出来ない社説委員様は、脳が死んでいるかそれともそのスジの誰かさんに金を掴まされているに違い無いと僕的に大決定。間違っていても責任は取りません。そもそも、市場空前のクソ教科である古文を賛美することそのものが、けっして許してはいけないことなのですから!(けっきょく私怨かよ) 僕個人の経験から言えば、読解能力を増すために必要なのは「現代文をひたすら読ませること」、これに尽きます。古臭い文体で書かれた文章なんて読んだって無意味なんですよ、せめて普通に読んで理解できるレベルの文章を読まないと、読解力なんて上がりやしません。それに、さらに言えば、今の義務教育ってわけのわからん暗記分野が多過ぎるんですよね。国語の授業のたびに教師が「ここの文脈はこういう意味で、ここはこうなってて~」ってイチイチ説明する必然性なんてないし、教師の説明を丸暗記してそれをテストに書けば点数が取れるっていうクソ仕様も改善すべき点でしょう。とっとと教科書を3倍ぐらいにブ厚くして、宿題として範囲指定して、授業の前に生徒に家で読ませておくようにすればいいんですよ。で、解説なんてほんのさわりだけにして、次から次へとバシバシ進む。予習として読んで来ない奴はどうするのかって? そんな奴は知らん、死ね! 本丸々1冊読めってわけじゃあるまいし、大した負担でもないのに、それすらやらない奴なんて放っておけばいいし、現に今の教育現場だって底辺層なんて放って置かれてるでしょ。大差ありません。ただ、放って置かれる生徒の比較的マシな層が「暗記はやらないけど頭はそれなりに回る奴」から「言われた通りに暗記はするけど頭はカラッポな馬鹿」に変わるってだけの話。どっちが社会的に有用かって? 知りませんね。ただ、僕は前者のほうが好きですけどね。 このやり方なら総合的な読解力を磨けるし、なによりテスト前にだけ頭に詰め込んで終わったら即座に忘れるアホ暗記をする必要がなくなります。はっきり言って少しばかりの予習をするよりあのクソボケ暗記のほうがよほど体力使うと思うんですが、っていうか暗記なんかするより厳選された文章を読むほうが面白いと思うんですが、もう一つ言うと暗記に喜びを感じるマゾヒストのビッチよりも文章から何かを読み取れる人材を優遇すべきだと思うんですが、何か間違ってますかね。まあ何て言うか、言いたいことを纏めると、古文なんか大切にしやがって! 古文を大切にするようなクソッタレ社説委員は死ぬべきなんだ!(ハヌマーン再び) …ということです。いやあ、良いですよね、ハヌマーン。 本日も感情論全開でありました。表題の通りですね。今日は感情の先走りっぷりがヒドくていつもに輪をかけて支離滅裂な気がしますが、まあ、お粗末。
2006/09/04
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うーむ、どうしたものやら。
2006/09/03
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◇安倍さんがようやく政権構想を打ち出しました 記事にもあります通り超無難な内容で、危険なところは何処も踏み抜いておりません。ところどころ言っていることが矛盾していて、地雷ヶ原をそろりそろりと注意深く歩いていたらスッ転んで膝小僧を擦りむいた、みたいな微妙な醜態を晒してはいますが。>「将来、社会保障費の問題があり、ある程度上げざるを得ないのはその通りだ」>「まずはまなじりを決して歳出削減の努力をしていかなければならない」>「政策作りで民主党を意識する必要もない」>「そう簡単な戦いではない。参院選に勝つことを目標に努力する」 この辺。まあ、記者側が意図的に対比させているので、実際のニュアンスは幾らか違うのでしょうけど。記者会見の全文は何処かにあるんでしょうかね、探すのが面倒くさい。っていうか、そもそも何で記事にソースへのリンクが張られていないのやら。そんなことだから信憑性に欠けるだのイデオロギーが偏ってるだの胡散臭いだの言われるんだぞー。(人のこと言えるのか。いや、言えない) ついでに他の二人、麻生さんと谷垣さんの政権構想にもリンクを張っておきましょうか。例によってオンライン新聞の記事ですが。◇安倍 ◇麻生 ◇谷垣 で、最初っから見ていきましょう。まず安倍さんですが、さっき言った通り、蜂の巣を突付かないように努めて安全な道を行っていますね。すでに総裁選勝利はほぼ確定しているわけですから、ここでわざわざ危険な橋を渡る必要はまったくないわけで、戦略としては間違っていません。ただ、幾ら曖昧にお茶を濁そうとしているからって、「成長を前提に歳出改革に優先的に取り組む」と言っておきながらその成長を実現させるための方策をなんら打ち出していないというのは噴飯もの。何もしなくても勝手に経済は成長してくれるってことなんでしょうか。安倍先生ってば新古典派の信奉者なんですか? 確かにこの国の景気は回復基調ではありますが、この先国際的にはデンジャラスなイベントが幾つも山積みしているというのに。米国はいい加減双子の赤字の削減に乗り出すでしょうし、中国もオリンピック以降の先行きは不透明。十何年不景気だったからって、十何年好景気が続くって理屈は何処にも見当たらないわけですよ。 それでもまあ、1年2年はまだ猶予期間がありますから、それ以上政権が続くことはないだろうから別に構わないってことなんですかね。そのつもりなら、長期的展望が欠けていたって一向に構わないわけですが。大丈夫なのかいな。 他は前に言ったことばかりなので細かいところは省略します。中央集権化してもトップが無能なら絵に書いたモチですし、最終的に消費税増税は避けては通れない道であり、外交はアメリカ最重視を堅持しながら微妙なさじ加減で他国との関係を考える必要があります。けっきょく、それら総ては安倍さんのポテンシャル次第であり、そして安倍さんの今までの実績は、そのポテンシャルを証明できていないというのが僕の考えです。本当に大丈夫なの? あと、安倍さんの言う「美しい国」っていうのがはっきり言ってわけがわからんのですが、これはいったい何を意味するのでしょう。本買って読め? イヤですよ、面倒くさい。文化の隆盛を願って芸術分野にメディチ家まがいのバラ撒きをやったり、美しい交通事情のためにゴミ拾い人を増やしたりするんでしょうか。それとも美しき山吹色のお菓子が乱れ飛ぶ金持ち国を目指すってことなのでしょうか。どうにも、そんな感じじゃなさそうですね。凄く抽象的な臭いがしますよ、美しさなんて、共通理解が得られない最たるものですし。感覚で政治をやるのは勘弁してください、としか言いようがありません。ヒットラーじゃあるまいし。いえ、まあ、僕としては嫌いじゃないんですけどね、ヒットラー。でも、彼は指導者としては無能でした。 次、麻生さん。基本枠は安倍さんとそれほど違いはないのですが、特筆すべき点はその具体性の高さでしょう。>日米同盟を基軸とし、アジアの安定を求める。>アジアの海を平和の海にする戦略を堅持。>東アジア共同体を日本主導で実現。>徹底的な歳出削減をした後に必要な増税をお願いする。>満6歳からの就学を1年ないし2年前倒し。 上三つの外交政策については、外務大臣だけあって文句のつけようがありません。もし仮に中国の農民反乱が良い具合に煮えあがったり、アメリカの双子の赤字が炸裂したりしたときでも、彼なら最善の策を実施してくれると期待ができます。少なくとも安倍さんがやるよりは絶対にマシでしょう(結局安倍をけなすのかよ!)。日本は資本主義国家としてはすでに成熟期を迎えた国ですから、国内で何かしらトラブルが起こる可能性はそう大きくなく、地雷を踏むとしたら海外での公算が大きいわけで、外交に強いというのは非常に重要な点だと思うんですがー……一般ではあんまり評価されないんですよねー。目立たないからでしょうか。しくしく。 消費税については安倍さんと同じく言葉を濁した感じですね。ただし、「増税をする」とは言っているわけですから、安倍さんよりは一歩先んじていると言えるでしょう(また安倍にイチャモンか!)。それに、増税による財政再建のタイム・リミットはあと数年に迫ってはいるものの、今すぐという性質のものではないですから、ムチをくれる前にまずはアメから、というのも現状を俯瞰すれば十分にあり得る選択だと思います。ていうか、企業連中にアメをくれてやっておかないと、もし何かしらの国際的イベント(中国が不況突入とか)が起こって国内にダメージが波及したら、本格的に息の根が止まる企業が続出するでしょうし。10年の停滞の凄まじさのおかげで、まだ体力の戻り切っていないところも多いはずですから。 教育制度についてはさっぱり知識がないので割愛します。麻生さんらしい具体案だってぐらいですか、判断できるのは。小さい頃からの教育というのは民間レベルで何かと重要視されていますし、効果があるのならやってみたら良いんじゃないですか。また、早期の英語教育は、僕は英語が大嫌いですが、それでも必要だと考えます。母国語が日本語であるという英語習得のためのハンディキャップは、確実に日本人の競争能力を削いでしまっていますから。幼少時から英語に触れることによって、それを少しでも改善できるのなら、積極的に行うべきでしょう。 最後に谷垣さん。構図としては、右の安倍&麻生に対する左の谷垣といった感じで、麻生さん支持の僕としてはまったく腹の立つことながら、安倍さんへの対抗馬としてもしかするともしかする可能性を秘めていると言えます。まあ、どのみち大勢は安倍さんで決まってしまっているのもまた事実なわけですが。 マニフェストも、安倍&麻生組に対抗する立場で綺麗に纏まっています。注目すべき個所は、>消費税率10%>集団的自衛権の問題は憲法改正で解決すべき>高齢者の「生涯現役」化 といったところ。右寄りの安倍&麻生組に対峙するという位置関係上、全体的に左に寄っている感じですが、そのなかで「消費税率10%」が唯一浮いているといった印象です。消費税率アップで一番打撃を受けるのは低所得層なのですから、左な政治家の構想としては違和感があります。ただ、日本が空前絶後の経済成長をしたりしない限り消費税値上げが避けられない以上、早めに公約として打ち出し、議論を活発化させるという姿勢は評価すべきでしょう。 しかし、集団的自衛権は憲法改正で解決すべきという意見には、疑問符を呈したいところです。何しろ60何年の間、延々と日本が抱いて来た不沈艦のような憲法です。一朝一夕で改憲できるわけがありませんし、そもそも実際に改憲に取り組んだとしても、成功するかというと微妙なところです。それに対して、集団的自衛権の問題は悠長に取り組んでいてもオッケーという類のものではありません。一朝有事なんていつ起こるかわかったものではないのですから、早め早めの解決を基本とすべきです。谷垣さんの主張するやり方はのんびりし過ぎる、というか、そもそも集団的自衛権の行使を容認する気がないんじゃ? とか疑ってしまいます。勘弁してください。まあ、シー・パワー(代表はアメリカ)寄りの安倍&麻生に対して、ランド・パワー(代表は中国)寄りになるのも仕方ないんですけど、今中共サイドに寄るのは愚策中の愚策だとしか。 高齢者の労働問題についてや、地方格差の改善については、これまたあまり詳しくないので割愛。私見だけ述べておくと、浮いた労働力を有効活用できるのなら高齢者だろうとなんだろうとバンバン使うべきでしょうし、そのための方策があるのなら幾らでも手を打てばいいと思います。しかし、地方格差についてはもう後戻りできない段階に来ているように見えます。小さな政府路線は当分止まらないでしょうから。ある程度の格差は容認し、システムとして受け入れるべきでしょう。ヘタな手を打って無理やり現状を維持するのは、ヤケドをするだけであまり意味がないのではないでしょうか。 ……とまあ、こんなとこですか。長いなあ。相変わらず感情論全開で、何の参項にもなりませんが、自分の考えを書いて残しておくのも、それなりに意味があるのではないでしょうか。残った文章そのものに意味はないとしても、個人の経験としては、まあ、それなりに。
2006/09/02
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起床して着替えてご飯を食べて、パソコンの電源を入れてブログ管理ページを覗いてみたらば、何だか昨日だけでアクセスカウンタが500回くらいくるくる回っていて「えーと、僕は何処でボロクソ叩かれているんでしょうか」とか何とか思ってしまったわけですが、どうなんでしょう。まあ、カウンタの故障とか、自動巡回BOT野郎様がバカみたいに回しまくってくださったとか、可能性としては色々と考えられるわけですが。 僕の知らないところで何かが起きているのかもしれませんが、そんなことは横においといて、いつも通りな内容の更新をしましょう。ブログをネタ帖として取り扱うのです。長々とした文章を作り出すためのネタ。このまま埋もれてしまうのか、それとも尾ひれ背びれがついて立派に芽吹くのかは、それはまったく運次第、そんなネタです。埋もれてしまう率のほうが圧倒的に高いんですけどね。---------崩落 日本の高校における話。他者の考えに毒されていない若々しい人間。A。毒された、そしてその身の内に毒めいた魅力をたくわえた人間。B。彼らは出会う。Bの毒をその身に浴びて、Aは変容を遂げる。精神的な意味での飛躍。切羽詰ったような(馬鹿らしい?)思考をするようになる。やがてAは、険しくて知的な道と、平易で平凡な道との岐路に立たされ、迷い無く前者を選び取ろうとするが、Bの明かした事実に衝撃を受け、迷う。事実とは、BがAを選んだ理由が、単なる偶然、単なる気まぐれに過ぎなかった、ということ。Aは迷う(根底には、そう、選民意識めいたものがある)。何もかも投げだそうともする。だが、Bは後者の道をAにそっと強制して、Aはその通りにするしかなくなる。そしてBは姿を消す。少なくとも、Aの前からは。------------- Aはひとまず(受け入れ難い、想像もしていなかった)事実を思考の脇に除けて、彼の机に置かれた上質の紙切れを手に取った。Bの字体でAのプロフィールが一通り埋められ、ことごとくチェックが入れられていた。そのチェックのほとんどがAの書こうとしていた通りになっていたが、唯一最後の選択肢だけが、半年前のAならばそうしたはずの状況に追いやられていた。Aは抗いたかった、なにより、彼は追いやられていたのだ。外側からの脅威、および干渉は彼の最も嫌うものだった、少なくとも、この半年を経た末に成り得たAにとってはそうだった。 しかしAは、紙をそっと摘まみながら、ぼんやりと教室の黒板を眺め出した。”今の”彼の取るべき最善の道は、滑らかにゆれる教室の扉を開けて、階段を下って、職員室にいるだろう担任にお詫びの言葉を捧げることだった。こう言うのだ。「……すみません、昨日のホームルームで貰ったプリントなのですが、過って破いてしまいました。もう一枚、頂けないでしょうか?」 そうすればきっと、ほんの僅かなそれほど堪え難くもない叱責と共に、彼の指先の合間に挟まった忌まわしいこのプリント、B……AはBに対して、今になっても悪感情を持ち合せていたわけではないが、少々厭わしいぐらいには思っていた……という人間の半年前の悪戯が生み出した鬼子の命を絶って、”今のAにだけ許される相応しい生”の、その端書きの部分を掴むことが出来る。そのはずだった。(だけれど……) だけれど。Aは動かない、いや、むしろ、動けないと言うべきかもしれない。人間機械論に準じて言えば、彼はフリーズした状況にある。プログラムに生じたエラーが今の彼を形作っているのだ。
2006/09/02
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◇海っぽい話(ねえ、ティー) 海は母なる、なんて良いものじゃない。(お前ってやつは、また無視する。もうちょっと愛想ってものを憶えたほうがいいと思うよ) 私はティーと名付けたイルカに纏わり付きながら、青黒い海の中へと潜っていく。水深は数百メートル、光は底まで届かない。奈落のような真っ黒な世界が下に広がっている。もう慣れたけれど、それでも本能的な恐怖を感じる。 飛ぶように泳ぐはぐれイルカに、私はしばらく振りまわされた。上下左右がめまぐるしく動くが、変わるものといえば青さの違いぐらいで、目が回るのにもなれてしまえば、やがては何処か不思議な場所に置き去りにされてしまったような感触が残るばかりである。時間の感覚も失せていく。さながら気泡の中にいるようなその状態の中で、私はぼんやりと思索にふける。いろいろな事柄が、浮かんでは消え、消えては浮かんでくる。終いには総てがごちゃまぜのヘドロになって、私の頭蓋の裏にびっちりと張りつく。そうなってしまえばしめたものだ。私は青々とした思索の空を、自暴自棄じみて飛翔する……。◇ファンタジーっぽい話 地獄のラーゲリ(強制収容所)は本日も相変わらずの雰囲気である。囚人であるゾンビの面々が唯々諾々と苦役に服しており、使い魔の看守は手に持ったムチを弄んで暇そうにしている。数十、数百年の間、この状況は一向に変わり映えしていない。 が、このとき初めてその安定が崩れた。一匹のゾンビが命ぜられた作業を止め、妙にかくしゃくとして看守に近づいてきたのだ。「ねぇ看守の旦那、ちょっと聞いてくださいよ!」「…ん? 何だ囚人番号81。どうせまたくだらねえことだろう。だいたい、お前達の頭で考えられることなんてたかが知れてるんだよ」「いえいえ、今日の私は一味違うんですよ。何故といえばどうしてだか、無性に頭がすっきりしていて、あらゆることを理路整然と見とおすことができるんですから。ああまったく何があったのでしょう、まるでどんよりとよどんだ雲が一瞬にして消し飛んだかのようなんです。この気持ちが判っていただけたら、ねえ看守の旦那、貴方とこの気持ちを少しでも分かち合えたなら!」「ったくやかましい。ヘンな奴だな、何が言いたいんだ」「おかしく思いませんか? 今この私は他の死したる囚人達と比べて、明らかにすらすらと明瞭に話しているのですよ? ようするに私に何かの変化が起こったのです。それも想像を絶する……ああ口惜しい! この腐れた唇は、舌は、喉は、まったく違ったものに変化した私にまったくついて行けていないらしい……さておいて、私にどんな変化が訪れたのかといいますとですね、なんと、まったく素晴らしいことに、私は生きているときのことを思い出すことが出来たんです! 今の私は、昨日までの死したる囚人ではないのですよ、ねえ看守の旦那! 私は遥か昔に生きていたときの私の延長線上にいるんですよ! 看守の旦那! これはまさしく僥倖ではないでしょうか? こんなこと、今まではあり得ないとお思いでしたでしょう? でも、今の私は、確かに以前の私なんです。何て小難しい名前の持ち主だったんだろう! アレクセイ・マレグローウィチ・ウィルフレイル、それが今の私。ああ、なんて素晴らしいんだろう!」「うるさい、黙れ。そのクチを叩き潰してやろうか。俺はあんまり気が長いほうじゃねえんだ、あんまり刺激しないほうが身のためだぜ。……それにしても、お前がどうにかなっちまったってのは本当みたいだな。見りゃ判るさ。周りを見まわしゃ、脳みそが無くなっちまったんじゃねえかってぐらい、無表情無感動におまわりしてる囚人どもが居るんだからな。お前と奴らは、確かに全然違う。だがそれがどうした? 昔の偉い神さんどもがどんどんおっちんだり弱ったりしているらしいから、多分お前がおかしくなったのもそのせいだろう。くだらねえこった。さ、持ち場に帰るんだ。それとも、働けないってんなら、今ここで俺が叩き潰してやってもいいがな」「それはちょっと、勘弁願いたいですね!」「じゃあ戻るんだ。行った行った」「いいえ、戻りません」「んだと?」「何故って、私は今、話したいんですよ! 私が過去私であったという事実を、話すことによって、もう少し手元に強く引きとめておきたいんです。もしかするとこの後、もう一度私に総てを投げ捨てなければいけない瞬間が来るのかもしれない。それに少しでも強く抗っておきたいんです!」「……。ふん、まあ、いいだろう。俺も暇なんだ、延々とこんなくだらない看守役なんて押しつけられっちまって、少しは気晴らしが欲しかったところだ。お前の話なんてくだらないもんだろうが、それでもまあ、何もないよりはマシだろうからな。言ってみろよ。どうせ誰も咎める奴はいないし、そもそも咎める必要が生まれることなんて、本来あり得ないはずだったんだから」 そして、長々とした会話。◇森っぽい話 朝である。 シルバーバックは目を醒ました。昨日の夜に枝で編んだ、いつもと同じ寝床の中で。鼻に止まった虫を払い、目じりをこする。ついさっき、彼は夢を見ていたが、もうそれは忘れてしまった。彼は現実に回帰し、思うのは今日の食事のことや、群れの仲間達との関わりのことといった、まったく変わり映えしない、在り来たりのことばかりである。けれど、それでよかった。シルバーバックはのっそりと起き上がった。 熱帯林の朝は静かなものだ。そのなかで彼は生きて来たし、これからも生き続けるだろう。何の異常さも見られない。彼は、生きているのだ。------------ 何か、長文を書こうと思うのですが、どうにも筆が乗らなくて、中頓挫してしまいます。長文、出来れば、五万字以上の小説を。前回は「今」、前々回は「過去」だったわけですから、次は「これから」、あるいは「未来」なわけですが……うーん、書き始めるネタがないなあ。
2006/09/01
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チャットとかIRCとかで行うオンライン上における文字だけの会話は、僕はけっこう好きなのですが、それは推敲が出来るというただ一点においてです。リアルの話し合いの場合、言ってしまってから「ああ、バカなこと口走った」とか思うことが多いのに比べて、文字の投げ合いの場合は、今からEnterを押下して出力されることになる文章を一端手元に置いて、見直すことが出来るというのが良いところです。また、推敲が間に挟まることによって会話のテンポが緩やかになり、そのために瞬時の切り返しをする必要が薄まり、余裕を持って会話ゲームを楽しむことが出来ます。コンピュータ・ゲームっぽく言えば、「難易度:EASY」といったところ。ノーマル・モードが手に余る人間にとっては、文字による会話というのは便利なコミュニケーション・ツールなのでしょう。 ただし、上記以外の面ではやはり、文字だけの会話はリアルの会話に劣っています。文字以外の情報源、身振り手振りとか、表情とか、そういったものがまったく使えないというのが最大の問題点でしょうし、さらには、前述の利点は裏返せばそのまま欠点として跳ね返って来ます。推敲が出来るということは、率直な本音が覆い隠される可能性が増してしまいますし、テンポが遅くなるということは、スピーディな会話の快感が大幅に削がれることを意味します。それに、会話の内容がログとして残るがために、自分の発言における全体の不整合が、どうしても目に付いてしまいます。そのときそのときでは特に違和感ない発言だったとしても、総合的に見れば、矛盾していたり、間違っていたりすることが多々あるのです。僕はオンラインでの会話が「けっこう好き」だと言いましたが、同じぐらいの割合で、嫌いでもあります。文字だけの会話。それは、功罪半ばするものなのではないでしょうか。 ……何が言いたいかっていうと、前日の会話ログを次の日改めて見返すと、その内容の白痴っぷりに死にたくなれますね、ということです。あいたたた。うぁいたたた。
2006/09/01
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相変わらず体調不良。身体を起こした途端に立ちくらみを起こし、本を読もうとしても3ページで脱落。勉強なんて何処へやら、参考書だって本なのだから、読み続けるには読書以上の気力がいるわけで、そんなもの、やってられません。 世界史のテキストを開ける。 あぁ、中国史ぃ? 漢字、漢字、漢字。ふざけんな。全部カタカナ表記にするぐらいの配慮をして欲しいし、それすらやらないっていうのなら、中華四千年の腹の立つ歴史なんてこの世から抹消してしまえばいい。中国なんて大っ嫌い、漢字なんて大っ嫌い、だけど日本語だって漢字を利用していて、シナ語の亜流の一つに過ぎない。あーあ、中国嫌いが山といるわけだ、コンプレックスを抱かずにいられるものでしょうか、こんな状態に置かれてしまって。鎖国時代の日本において小中華思想が流行ったというのもむべなるかな、だけれど今はグローバリゼイションの時世であって、なまっちょろいことを言っていたらあっさり濁流に呑まれてしまう。現実をまっすぐに見つめる強さが必要不可欠。 必要不可欠、でも、そんなものを僕は持っていなくて、さあ、どうしたものやら。許しを請うにしても、神は死んでしまったし、足下不確か、前方不注意、それが現代人のデフォルトであって、今を生きるためには根拠のない自信が無くてはならないのに、おぼれる僕は掴むべきワラすら見出せない。行き詰まってしまった。 世界史のテキストを閉じる。 英語のテキストを開ける。 アルファベットが踊る。予備校の講師の言うには、文法構造を理解して機械的に(実際にはもっと柔らかな表現だった)内容を読み取ればいいらしいのだが、そんなことどうやったら出来るのだろうか。主語、動詞、形容詞、そうやって単語のひとつひとつに記号を与えていっているうちに、僕の精神的体力は尽きてしまって、ちゃぶ台でもひっくり返すみたいに、僕は現状への理性的な対処能力を失ってしまう。そうなってしまったなら、もうお手上げだ。僕の目は文章を読むのではなく、見ることしか出来なくなり、指先に握られたペンの動きは死に絶え、けっきょく、落第生のレッテルを貼られてゴミ溜めに放り投げられることになる。 そうならないためにも、僕は技術を捨て去って、英文をまるで母国語を読むかのように読み取ろうとする。それは実に効率の悪い作業で、不安定なやり口で、文章の内容への興味のあるなしで結果が180度変わってしまう。テストは純粋なギャンブルに変わり、僕はギャンブルに好意を抱いたことは生まれてこの方一度もなく、するとテストには絶え間ない敵意が注がれる。馬鹿げている。僕は勉学をしたいと思っているが、それは文学についてであり、経済学についてであって、まかり間違ってもくだらないギャンブルについてでは無いっていうのに。しかし、まあ、本来はギャンブルではない作業的な学習そのものは、大学という環境に適応するために、基礎体力として付けておかなければいけない知識なのだろう。とすると、三段跳びの結論としては、不適応者である僕は平均からすると割を食っているが、それは所詮多様性の一筋が行き付いた結果に過ぎなくて、つまり、「すべて良し」ってことになる。マァ、運が悪かったね、は、は、は。 馬鹿野郎。 英語のテキストを閉じる。 パソコンの前に座る。 オンライン新聞を巡って、大した出来事が起こっていないことを知る。少し違う、訂正しよう。僕は「興味を持てる」出来事が起こっていないことを知ったのだ。レバノン、もう野次馬が楽しく見物できる段階は終わって、鎮火作業の真っ只中だ。スーダンのダルフール、アフリカは僕の観察範囲外。くだらない殺人、傷害事件、パーセンテージが脳裏にひらめく。ゼロコンマゼロ……1億人を超える人口を抱えるこの国に、どれぐらいの割合で気違いが棲息しているのか。それぞれの事件は膨大なデータの中の陽性反応の一つに過ぎない。安倍氏はといえば、すでに首相就任後の話をしている。出来レースを見るのはあまり良い気分ではない。そういえば近頃の出来レースのなかでもっとも出来が悪かった亀田VSランダエタは、10月に再戦だそうだが、どうでもいい。中途半端なリアリティを纏った出来合いのヒーローは見栄えがしないし、それにバイオレンスは趣味ではない。 中国はいつもの強権を振りかざす棍棒外交を行い、ロシアはそのふてぶてしさを余すところなく発揮していて、アメリカは天上天下唯我独尊を地で行っており、ヨーロッパは時流に取り残されないようついて行くのに必死、そして日本はといえば、無様で利に聡い商売人根性を丸だしにしているのだろうか? 今日も? そんなに分かり易い構図ではないし、時勢を読み取るにはかなりの労力が必要とされる。面倒だ、面倒だ。僕はいい加減疲れてしまった、まだ目覚めてニ時間しか経っていないが。内臓は思いだしたように痛みを訴え、頭は霧の中に取り残されたみたいにぼんやりしている。眠ろう、眠ろう。薬を飲み下す、そうして……
2006/08/31
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四月の半ば。奈良。ここの鹿園は京都よりもずいぶんマシだ、そう思った憶えがある。 日本においての観光地といえばまず思い出されるのは京都だけれど、中学の修学旅行のときに行った記憶に寄れば、その姿は随分としなびていて、ナンバーワンの名にふさわしくなかった。確かに日本創世記の古都としての風格はあるのだろうけれど、バブルのときの地上げによって、見るも無残に食い荒らされた痕が目に付いてしまう。タケノコみたいに生えた高層ビルはミスマッチで、他にも近代的な要素による侵食は並大抵ではない。だから今となっては、ナンバー2だったはずのこの奈良の方が、まだ素晴らしく見えるのではないだろうか。悲しい現実だ。真実素晴らしいものが破壊されてしまって、ニ番手以降にトップの座を明渡してしまっているわけだから。 でも、それは仕方のないことだ。どうしてかといわれても、説明つかないけれど、僕はそう感じる。少なくとも、僕は繰り上がり式にトップに立つことを、否定する気にはなれない。どうしてだか。まったくどうしてだか。もやもやしたわだかまりは、余り気分の良いものではなかった。結論は出ず、思考はくるくるとから回っていた。僕は露店を見回りながら、考えているそぶりをしていたけれど、実際は何もしていないのと大差なかったのだろう。だって今でもそのときの徒労感を、まざまざと思い返すことが出来るのだ。その事実は汚点みたいなもので、捨てたいと思っても、身体にこびりついて離れないのである。 露天めぐりはというと、まったくつまらない作業だった。売っているものといえば、どこもかしこも同じような品物ばかりなのだ。奇抜なものなんて売りようがないのだろうけれど……僕はいつの間にか、意識をそらしてしまっていた。対して、一緒に廻っていたTは、一応露店に興味を持つそぶりをしている。僕に話をしきり振ってくる。彼も僕と同じように、心の奥にわだかまりを感じているのだろうか? それを知る手だては僕にはない。だって僕は彼では無いし、その逆もまた言えるからだ。当たり前のことだが、それが中々理解しにくいのではないかと僕は思う。それを理解していることが、僕にとってのささやかな優越感である。情けない優越感だが、そういった指摘は聞かなかったことにすべきだろう。 特に前触れもなく、Tが何か言って、どこかしらを指差したので、僕はしたがってその方角を見た。誰か座って本を読んでいた。ありふれた食料品露店が立てたパラソルの下で、気だるげに本を読んでいるその誰かしらは、僕たちと同じ、私立O高校の制服を着ている。Tが言うには、彼は僕たちと同じクラスの生徒らしい。問題児だといううわさで、どうせこの遠足がくだらなくて、ああやってボイコットしているのではないか、とTは推測して言った。その推測に僕は賛成だった。確かにこの遠足はくだらなかったし、ましてや問題児だというのなら、そんな行動に走るのは必然だと思えたので。そのボイコットとやらの内容が、学校の方針を無視しての読書だと言うのは少し情けなく見えたが、それには目をつぶることにした。行動に移せるというだけで、僕にとっては価値のある内容だと思えたからだ。とりもなおさず僕自身は、その場その場の状況に流されているわけだから、彼と自分を対比させた結果、彼に軍配が上がったということだ。 Tがそのクラスの生徒に何の警戒もなく近づいたとき、僕は少しだけ傍の食料品露店に目をやった。何気ない動作だったが、もしかするとその動作には何らかの意味があったのかもしれない。その間にTは、問題児の生徒に声をかけていたらしいが、それほど注意を回していなかったので、Tがなんと言ったのかは永久にわからない。少なくとも、T自身に聞かないことには。なお、聞くつもりはまったくない。その理由を考えるつもりもない。そしてまた、どうしてその動作についてこんな理屈をこねるのかを、言うつもりも皆無である。 さておき、Tとその問題児の会話に僕も加わることになった。問題児の名前はK、確かに言われてみれば聞き憶えのある名前だ。Tは言った。「K、君の武勇伝は聞き及んでるよ」武勇伝? 僕は知らなかったが、間が悪いので聞かないことにした。Kは照れたみたいに、恥ずかしげに言った。「武勇伝っていっても……ありゃ、過失なんだけどね……」 Kの声色は思いもよらなかったので、僕は少し残念に思った。まったく有り触れた話し方で、おまけにその内にあるらしき知性の量は、正直なところ、平凡人を下回ってすらいるように思えたからだ。勘違いかもしれないから、ここで結論を出すのを差し控えてはいたが、それは紛れも無い彼に対する第一印象だった。第一印象というのはなはだ絶対的で、一度捉えてしまった内容は、覆しようがない。まったく厄介だった。僕はそんな自分があまり好きではない。捨てるべきものを捨てずにいて、結局最後には後悔するわけだから。……まぁ、それは置いておこう、今ここで言っても、何の意味もない。 何分か過ぎたぐらいに、僕がKに何を読んでいるのかを尋ねると、帰って来た返答は何とかいう良く知らない文学者の名前だったので、僕はそのときになってようやく、彼に対するそれなりの尊敬を取り戻した。このタイミングでやっと、彼は僕にとって一応注意を向けるべき対象になったわけだ。僕は無知が嫌いだった。今まで生きてきて、無知な人間に随分と不愉快な思いをしたからという理由もあるし、それに今僕が暮らしている生活空間の中で、支配的な地位を占める(学校の)点数といったものが反映するのは、知恵の相対的な量だからというわけで。少なくとも僕はそう思っているから、知恵は有るべきであって、無知は恥ずべきことだという価値観を僕が持っているのは当たり前のことだ。その価値観によれば、文学者というのは知恵の有る人々に属するタイプの人間だから、それを読むKという人間も、どちらかといえば知恵の有る人間といえるだろう、と、想定できた。だから僕は、Kを認めた。自分が関わるべき人間の一人だと認めた。TとKと僕と、3人の会話は通俗的なものだったが、Kに失望するほどの内容ではなかったし、Kは僕にとっては合格点だったのだ。だから僕はこのとき、これから始まる3年間の高校生活の中で、Kという人間が僕に関わり、また僕が彼に関わることを許した。何だか独り善がりな決断に見えるかもしれないけれど、この決断は独り善がりが許される範囲でしか施行されないから、別に構わない。 私立O高校の遠足は、最初から何も企画されていなかったかのように、僕たちに何の利益ももたらすことなく収束へと向かっていた。僕はTに頼んで、こっそり彼が持ってきた携帯電話を見せてもらった(この頃はまだ学校に持ちこみ禁止だったのである)。集合時間まで後1時間ぐらいだったので、そのことをKに伝えると、「じゃあ、早めに戻ろうか」と、返ってきた。在り来たりな返事だった。Kは手もとの本をカバンにしまいながら、そっけなく言ったのだ。ちょっと期待外れだったが、しかし彼に対する評価を変えるほどではなかった。 僕は、いや僕たちは、3人そろって集合場所へと向かった。この遠足で得た唯一の感想は、奈良は嫌いではなく、むしろ好きだ、ということだった。この街は、僕に似ているのではないだろうか、とすら思った。ふとTにそのことを言ってみようと考えたが、理性がそれを止める前に、Tの反応が思い浮かんで止めてしまった。不愉快な反応に違いないのだ。Kに言ってみようかとも思ったが、そちらは理性が止めてくれた。僕は普通の生徒で、表向きのそれを変えるつもりはさらさらない。だって変えてしまったら、僕には行きつく対象が無いので、結局にっちもさっちもいかなくなってしまう。だから僕はこのままであることを望む。それが一番、無難な選択なのである。 Kが何事か言ったが、僕は聞き逃してしまった。僕の額が汗で濡れているのを見て、Kは悟ったように言った。「暑いと頭が変になって、聞く気もなくなるものだね」ピントの外れたKの発言に、僕は何故か恥ずかしくなったが、それは根拠のない感情だ。だから僕は、「いや、ただ、ぼうっとしていただけだよ」 と、やっぱり在り来たりに返した。それもまた、無難な選択だった。先ほどの羞恥心は随分と長持ちしたが、いつのまにか消えてしまっていたので、頭の中の無機的な記録以外、特に何も残らなかった。
2006/08/31
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日経の社説に馬鹿書いて馬鹿みたいに叩かれた馬鹿がいます、終わり、で投げっぱなしにしようと思っていたのですが、ちょっとだけ追記します。書いた人の馬鹿っぷりがあまりにあまりだったからなのか、それとも運が悪かったからなのか、ネットの荒波が凄い勢いでうねりまくって事件の知名度がウナギ昇りになり、結果として集団リンチ並にバッシングされまくっている坂東眞砂子さんですが、その叩かれっぷりがヒートアップし過ぎて、どうやら波の寄せ返しとでも言うべき現象が起こっているようなのです。ようするに、坂東眞砂子擁護が、ネットのそこかしこに散見されるようになって来ました。坂東眞砂子さんの社説(正確に言えば、非難先は日経の社説担当者なんですが)を非難する側である僕としましては、それに対して幾らか私見を述べて置くべきだと思った次第です。 テキトーにウェブを巡回して見つけた擁護意見の中から幾つかリンクしておくと、◇「eirene」さんの8月29日◇「てるてる日記」さんの8月23日◇「おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日」さんの8月29日 この辺がわかりやすいでしょうか。三つ目のSchwaetzer氏の8月29日はちょっと毛色が違って、どちらかというと「坂東眞砂子批判」批判とでも言うべき内容ではありますが。ならどうして取り上げたかといえば、単に「おしゃべりSchwaetzerの飲んだくれな毎日」さんが僕の定期巡回先だったので、印象に残っただけという話だったり。 さて、これらの意見は一理あるところではあります。しかし、僕はやはり坂東眞砂子さんは非難されるて然るべきだと思っています。何故なら、彼女の文章は純粋に生理的嫌悪感を催すからです。そんなモンを社説に寄稿すんな、ボケ、という話ですね。猫を飼う、避妊手術をする。そういう行為は所詮人間のエゴに過ぎない。確かにそれはまったく事実であって、反論をする気にもなれませんが、そんなことイチイチ言われなくたって、普通の人は判っているんですよ。生き物の死から表面的に目を背けようとしているってこともね。判っていてあえてフタをしているところを暴いてみせるっていうのは、何て言うか、空気が読めてないっていうか。そういうのを僕は「倫理観の欠如」と表現したい。前の記事の引用になりますが、「人類として並程度の想像力があれば、仔ネコを殺してます! なんて書けば読者の逆鱗に触れてボコられるってことは簡単に予測できるはず」なんですが、それが出来ないのはアホとしか言いようがないっていうかそもそも日経の社説担当も筆者の自主性を尊重とか寝言言ってないでダメ出ししろよ、編集チェックで。 だいたい、坂東眞砂子さんには凡人をムカつかせる要素が多すぎるんですよ。タヒチで悠悠自適の作家生活をやっているクセに、「私は生き物に相応しい田舎暮らしを生きているんだ!」みたいな自己陶酔をしながら現代人の能無しが仕方なくやっている都会暮らしを批判してみたりとか。アホか、死ね。さっき言ったように、あえて臭いものにはフタをしているところをわざわざ開けに来て、その持ち前の豪胆さで「やーいやーい」と一般人を睥睨しているところとか。ボケか、死ね。脆弱な男には持ちようのない、生命として強みである「女性」を思う存分振りかざしておられるところとか。バカか、死ね。なまじっか感覚的に理解できなくもないってことからして腹立ち加減が倍増します。羨ま妬ましい。テーゼに対してアンチテーゼを持ち出したぐらいで勝ち誇ってんじゃねーよ! より高次なものへの希望(信仰)が無いのは片手落ちだろうが! どうしてそんな段階で足を止めて、満足することができるんだよ! これだから女性作家って奴は! バーカバーカ! ……何か話がメチャクチャにズレているような気がする。まあ、いいか。面倒くさい。
2006/08/30
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朝からずっとおぶおぶおぶ。胃が痛い胃が痛い。薬に八つ当たりしてみるも、そんなことしたからって痛みがおさまるわけもなくってうがががが。このヘボ薬め、国が7割だったか8割だったか負担してそれでも2ヶ月分で云千円もしたくせにろくすっぽ効かないってケンカ売ってやがりますかガッデム。ライターで遠距離からチリチリ言わせたあと爆竹と一緒にゴミ溜めに放り込んで炸裂させてやろうか。あいたたた、あいたたた。 早く健常者になりたーい!
2006/08/29
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書くことがないなぁ……。 このところ、胃に限らず消化器系全般にガタが来ているようで、そのせいなのかは定かではありませんが、酷くダルイ。カロリー供給に問題が出てきてしまっているのやも。ふぅ。まったく。疲れる。考えごとを、夢の中の紛い物と取り違えるとき、響き渡った声は偽者であるというのに、それが偽であることに違和感を感じる今日この頃。夢を見過ぎているのかもしれません、一日に三本立ての大盤振る舞いなんてザラなのです。おいおい、そんな労力、どうせなら起きているときに使おうよ、と思うわけですが、身体は自分勝手なもので、耳を傾けてはくれません。 書くことがない、なぁ……。
2006/08/28
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憐れな歯車---------------◇イントロ◇ 何か書かないとダメだとつくづく思うのだけれど、思い浮かぶことと言えばとりとめのない内容ばかりであって、痺れるような頭を抱いたまま、わたしはこのまま生きて、やがて死ぬのだろうか。そう考えると、ぞっとしないものがある。 やっぱり、何か書かないとダメなのだ。とすると、いてもたっても居られない。不定形な思考の中から、何とかかたちになるものを引きずり出し、具体的な纏まりにしなければいけない。理屈としてはそうなる。だから、わたしは書こうとする。これからも書こうとするだろう、少なくとも当分の間は。 今日、ここに座って書き始めたときに、何を生み出すべきかと…いや、何を生み出すことが出来るかと考えると、わたしの持つ引出しの少なさを露見させることだから余り言いたくは無いのだけれど、過去のできごとを下敷きにしたものが無難だと思えた。わたしは余り物事を深く憶えていないたちで、写生文のようなことはまるきり苦手なのだけれど、そのアバウトさのために、記憶を種にして、芽を出させる作業には向いているようだから。だから今回は(今回も?)、そうやって書こうと思う。 どういったものが出来あがるかは知らない。途中で投げ出してしまうかもしれない。書いたことを後悔して、総てを無かったことにしてしまう可能性もないではない。けれど、わたしは書く。なぜなら、それは少なくとも、書かないよりはマシなことだと、もしくは書かないことより以下にはなるまいと思っているからだ。陳腐な開き直りかもしれない。でも、それはそれで、結構面白いことだと思う。つまるところ、これらは慰めなのである。 さて、どういったことを書こう? わたしはぼんやりと夢想する。もしかするとわたしは、この青写真を思い浮かべているときが、一番好きなのかもしれない。ふわふわしたぬるま湯につかり、そのぬるま湯の持つ要素の一つ一つを、何の責任も無いままに、自分の持ち物にしては捨て、捨ててはまた取り戻す。そんな傍若無人な行為が、許されるのがこの夢想期間である。だけど、ずっとそのままでは居られない。格好良く言えば、ヒナ鳥は巣から飛び立たなければならない。判りにくく言えば、私たちはとある指向性に、逆らうことは出来ない。 最初の一文字を書き始めた瞬間、わたしはふっと虚脱感に襲われる。でも、すぐ忘れてしまうのだ。◇序文◇ つい先ほど、駅前のスーパーで、何年かぶりにSの母親に会った。彼女は相変わらず聡明そうな顔立ちだったけれど、深く刻まれた老いはやはり隠しきれるものではないらしかった。その老いが、純粋な時の流れによるものだけでは無いことを知っている。彼女と私の接点であるSという男性が、何年も前に起こしたある出来事の記憶。それのおかげで、わたしの尊敬する数少ない女性の一人との会話は、まったく弾む様子もなく、気まずいままで終わってしまった。スーパーの自転車置き場で別れた際に、彼女が微かに見せた、寂しそうな表情が未だに脳裏にちらついている。 あの出来事を、彼女はどのようにとらえ、今まで過ごしてきたのだろう? 疑問とそれから、僅かばかりの不謹慎な好奇心が、わたしの心に見え隠れしている。けれども、その好奇心が満たされることは無いように思う。求めるものは危険な知恵の実、それは、手にとってはならないものだ。わたしは、今わたしが持っている平穏を捨てるつもりはさらさら無い。 今のわたしに出来ることといえば、過去のあの出来事を、何となしに思い返してみることぐらいである。記憶は霞んで風化しかけていたが、それでも時間をかければ、次第に鮮明になってゆく。まったく、何てくだらなく、そして訳の判らないことだったのだろう。不可解で陳腐な内容だ……と、思うのだけどそのわりに、記憶を手繰ると細部までことごとく憶えていた。 夕食の支度が、テレビの予約が、子供の世話がある。そのはずなのに、わたしはキッチンのテーブル座って、妙に一繋がりな、それでいてあてどない回想を始めた。わたしの悪い癖である。こうなってしまうと、ゾウガメのように動かない。◇回想1◇ 教習所の二階。講義室の窓からの夕焼けは、確か、くすんで見えていたはずだ。とはいっても、それが自動車の排気ガスによるものであることをとりわけて意識しなければ、赤々とした輝きは、十分に、感動するに価する。次の講義が始まるまで後15分、わたしは携帯のメールを打つ手を止めて、ぼんやりとガラスの外を眺めるのに終始していた。手先が不器用なおかげで、わたしにとってメール打ちは苛々するたぐいの作業なので、結局このときの打ちかけのメールは、送信されることもなく削除されてしまった。今となっては誰に送ろうとしたのかも、何を書こうとしていたのかも覚えていない。多分、どうでも良いようなものだったのだろうけれど。 当時わたしは、大学受験という峠を越えて、持て余すようになった時間を何とかするために、自動車教習所に通っていた。通い始めて一ヶ月ぐらい、あの日にあった講義は確か3時間。ようやく免許の取得まで半分来たか来ていないかぐらいだったのだが、わたしは少し飽き飽きしてきていた。カリキュラムによると20回余りもある学科講義は、今のところどれもこれも眠気を呼んだし、実際の運転はことさら神経を使うので、一日一時間が限度である。生活の単調さ改善するために通い出した教習所なのに、こなさなければならない予定が増えただけで、むしろルーチン化は加速していた。無味乾燥とした日々は作業そのもので、作業は幾ら量が増えても作業であることに違いはない。 多分そのとき、わたしは刺激に飢えていたのだと思う。だから、辺りで起きるどんなことも見逃すまいと、常に神経を張り巡らせていたのだ……。◇回想2◇ 講義が終わって、Sと連れ立ってやって来たNは教室から出ていったが、Sはそのまま講義室に残った。どうやらわたしと同じで、この次の講義も受けるらしかった。わたしは教本を弄りながら、何度かちらちらと斜め前のSを見ていたが、何年か前と全然変わっていないという印象しかなく、そのうち飽きてしまって次の授業の予習に移った。 しかし予習とはいっても、そう気の入ったものではないから、たった二十分の休憩が異様に長く感じられた。久々に出会ったSのことを、半端に意識していたものだから尚更だったのだろう。わたしはじりじりとして待っていた。外はもう随分暗く、何の感慨も沸かない。換気の悪い部屋が妙に息苦しく思えだした。重症である。こういったタイプの苛立ちはずいぶんと久しぶりだった。出会いたくはないたぐいの苛立ちである。 しばらく悶々として時を過ごした後、いきなりドアが開いたので私ははっと身構えたが、入って来たのは講師ではなくて、何の変哲も無い二人組の女性だった。ホワイトボードの上にある時計を見れば、まだ講義の開始までには十分余りも有ることが一目瞭然なのだけれど、そのときのわたしにそんな甲斐性はなかった。
2006/08/27
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◇回想3◇「どうも」 Sは言った。わたしは小さく会釈する。座りながらだから、不恰好に見えたかもしれない。「お久しぶり」 隣の席に腰を下ろしたSは、何冊かの教本を大雑把に机の上へとバラまいた。それから彼はわたしのほうを向いて、わたしの表情を読み取ろうと腐心しているようだった。どのように対処するべきなのだろう。わたしにとってのS、Sにとってのわたし。そのお互いの関係はあまりにも希薄過ぎて、具体性を生み出すだけのちからを持たない。「やっぱり確証はない? 自分としてはそんなに変わったつもりはないんだけど。まあ、そもそも僕のことなんて憶えていたくないだろうけどね。吹けば飛ぶような何処にでも居るクソガキだったわけだし」 Sは、まるで劇の台本でも読んでいるかのように、流暢に言った。◇回想4◇ 自転車置き場につくと、すぐに帰って、眠ってしまおうと思った。すっかり夜はふけていて、多分、21時を過ぎたぐらいだろう。午後の予定はガタガタに崩れてしまっていた。彼のせいだ。そしてその彼が追ってきた。走って来たのだろうか、少し息を切らしている。「……待って欲しい。僕には君が必要なんだよ」 まただ。そんなことは言わないで欲しかった。彼にしか判らない、わたしには判らないことを言われても、わたしにはどうすることもできないというのに。わたしはそのように伝えた、わけが判らない。「そう、そうだね、訂正しよう。僕には誰かが必要なんだ、僕ではない誰かが」 わたしはうんざりした。わたしは苛々する。彼が興味深い存在であることは否定しない。でも、わたしには彼を理解することができないのだから、彼の物言いはまったくもって自分勝手で、わたしへの配慮に欠けている。どうしろと言うのだろう、八方塞りだ。わたしは馬鹿にされたような気分になった。彼に浸食されることは、堪えがたかった。「わたしの居場所を浸さないで」 それだけ言うと、わたしは自転車にまたがった。家路へと着いた。Sはというと、自転車置き場の真中で、呆然として立ち尽していた。まるで取り残されてしまったように。 けれど、わたしの居場所は、わたしのものだった。◇エピローグ◇ あの日からどれぐらい経っただろう。わたしは今では結婚して、一児の母である。可愛い娘にはSと同じ名前が付いている。偶然、男だろうと女だろうと、Sの名前は通ったからだ。語感が好きだからというただそれだけの理由で、私の娘の名前はあの半気違いと同じなのだけど、その由来は娘自身にはもちろん夫にすら話していないから、特にこれといって問題はない。ほのかな秘密を含んだ我が子の呼び名に、ちょっとした誇らしさを感じてしまうぐらいである。 大学1年の秋、あの日は四月だったから、丁度半年ぐらいの間を空けて、わたしは始めてSの自殺を知った。中学の同級生同士での同窓会で話されていた噂話によったのだから、多分わたしの耳はかなり遅かったのだろう。なんでも、Sはわざわざ睡眠薬を飲んだあと、床のフローリングが汚れないように何枚も新聞紙を引いて、それから首を吊ったらしい。そのことを聞いて私は、他人の死に対する生理的な嫌悪感と、Sらしい入念なやり方だ、という感想を抱いた。それ以外にも印象があったような気もするけれど、元来あやふやなものなので、今となってはまったく憶えていない。それ以来、現実世界でのSとの関わりは、娘の名前以外、今日に至るまでさっぱり途絶えたままだった。というより、飛ぶように過ぎた大学の四年間や、就職、そして結婚といった重大事の中で、わたしはSのことを、ほとんど思い返す余地がなかったのかもしれない。 わたしの夫は職場の取引先で働いていたありきたりなサラリーマンで、危ういところが何処にもない、悪く言えば平凡な人だ。2年と少しの付き合いを経て、3年前に結婚した。わたしは彼をほどほどに愛していて、おそらく彼にとってのわたしもそういった存在だと思う。そのことに不満はないし、むしろとても望ましいとすら言える。過剰な感情は不愉快さしか生まないし、かといって少なすぎればバラバラに砕けてしまうからだ。わたしと彼とは丁度いいところでつりあっている。平凡な中流家庭。マンションの家賃の高さや、家事の面倒さにグチをこぼすこともあるけれど、わたしは今の生活に十分満足している。 ときたま、あの夜に見たSの表情を思い出すことがないではない。だけれど、その回想に特別な意味はまったくない。彼は今やB級のドラマみたいなもので、ある程度のカタルシスを生み出すためだけの、他人事の存在に過ぎなくなった。Sのもっていた他の人には無い危うさは、わたしにとって、もはや適当なエンターテイメントとしての効果しかなかった。その効果も、今やずいぶん薄れてきて、彼がわたしの中から消えてしまう日も、そう遠くないように思われた。駅前のスーパーからの帰り道に、ふっと西に見とめた夕暮れ。そんなときに、わたしは自分の記憶の不必要な部分が、たおやかに空へと散っていく気分がする。そのときの、そしてこれからのわたしにとって、Sはまったく何の意味もないのだろうと思われた。 わたしはただまっすぐに、光の中を歩んでいるのだ、と思う。かげりはちょっとしたスパイスに過ぎなくて。永遠の安定を思わせる生活、これ以上のものが、果たして何処にあるだろう? わたしは今を幸せに生きているのだ。そのはずである。◇後書き◇ ああ、疲れた。自分を切り刻むのはずいぶんと骨の折れる作業だ。けれど、この苦しみもまた、そのうち忘れてしまうだろう。そうでなくってはいけない。だってそうでないのなら、わたしはすぐさま重荷に押しつぶされてしまうに違いないのだから。恨めしい指向性がわたしを鞭打ったとしても、人の身体は生じた傷を快癒するように出来ている。少なくとも死なない限りは。 無責任な物言い? そうかもしれない。でも、今のわたしには、これが精一杯なのである。いつかそのうち、もっとスマートに物事を見つめることが出来るようになるのかもしれないけれど……明確な見とおしは、まだたっていない。----------- うーん、我ながら、成長してないなあ。
2006/08/27
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◇温暖化否定論に環境省が反論 まあ、無難な対応ってとこですね。今のところ確定なのは、世界規模で温暖化が進行中であることと、二酸化炭素に温室効果があるということの二つ。この二つが完全にリンクしているという証明は未だに成されておらず、温暖化の原因は他にあるのではないか……氷河期のサイクルが働いているためとか、記事にあるようなヒートアイランド現象のためとか……という意見が数多いのは事実ではあるものの、だからって二酸化炭素が無関係という証明はなおさら成されていないというのがことの現実なわけでして。二酸化炭素を減らしたって意味がないんだからムダな削減活動なんか止めろよ、と断言してしまうのは、根拠のない暴論もいいところです。 確かに、過去の教育において「温暖化の原因=二酸化炭素絶対論」みたいなのがハバを利かせていた時期があり、それは改善されるべきでしょうけれど、だからって逆方向に全力疾走するのは選択肢としてあり得ないっていうか実証科学を何だと思ってますか。そんなに簡単に結論が出るなら苦労は要らないっての。散々っぱらバカみたいに証拠固めをして、論理的に纏め、さらにそれが公の学会に認められてようやく、それが事実として認定されるのが科学のはず。おまけに事実とは認定されても確定されることはなく、論はいつまでも批判される余地を残していて、斬新な新論に根底から覆される可能性に常に怯えていなければいけない。そんな情け容赦ない学問が科学ってもののはずです。 僕は科学者になれません、そんなに冷静でいられる自信なんて何処にもないから。でも、僕はそういう科学に対して、偉大な芸術作品を眺めるような、尊敬の気持ちを抱いていようと思っています。信仰にならない程度の。◇苛めを苦にして自殺した中一の遺書がどうたら 自殺した本人がどうとかよりも、苛めたクソガキが云々よりも、まず何より「学校は許せない。どうしてもっと早く対応しなかったんだ」とおホザきになるお母様に、牛乳を拭いた後の雑巾を掴んだような嫌ーな感じを持たずにいられません。いやさぁ、子供が死んで腹が立つのは判るんだけどさぁ、自省とかしないわけ? 教師なんて幾ら理想論をあげつらったって所詮他人に過ぎないんだし、ガキを庇ったり相談に乗ってやったりするべき最大の存在はやっぱり親だと思うわけですよ。アンタは何かやったのかと問いたい。問いつめたい。苛められて沈んでいるガキに理由を尋ねたりとか、苛められてるって知ってたなら苛めたクソガキの家に怒鳴り込むとかさ。したの? それをやらずに「学校は何で何もしてくれないんだ!」とか言ってるなら、そりゃガキも行き場を無くして自殺しますわな、としか言いようがないんですけど。 ていうか、学校っていう組織が、効果が現れるのが緩慢な拷問器具だとしか思えない僻みきった思考回路を持つ僕としましては、なんでそこまで学校に期待をかけられるのか極めて疑問です。あんなのさぁ、ノウミソに価値観を植え付けるための洗脳システムじゃん。国家経営の。大名商売の役所とほとんど変わんないですよ、とくに公立の小学校中学校なんて。あれこそ必要悪の代表格であり、生きていくためには仕方ないんだって渋々受け入れなきゃいけないタイプのものでしょ。 学校は本来素晴らしいものであり、楽しいものである必然性があるっていう信仰はいったい何処から出て来ているんだろう。人間は考える葦だから? 知性信奉が根っこにある? 勉強なんて自分がやりたいって思ったことを自分でやるのが一番楽しいと思うんですけどね。家で独りで本を読むとか、知識を持っている人に教えを請うとかして。やらされるのは苦痛でしかないし、そうだとしたら、勉強をやらされる学校、主に義務教育という期間だなんて、堪えられないほどでもないけれど、しかし平気な顔をしているには神経を使うことこの上ない水準の、不愉快なひととき以外の何物でも無いと思います。 ……我ながら偏ってるな。
2006/08/26
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◇「勝機は十分ある」 by麻生さん そうですよね、十分ありますよね。なんかこれって負けが込んだ人のセリフのような気もしますが、それには目を瞑りまして。麻生さんがんばれー。 首相に重要なのはバランス感覚だと思うのです。安倍さんは片方(例えば保守とか)に寄っているきらいがあるのに対して、麻生さんは外相だけあって複数勢力の折り合いを付けることに長けているのではないでしょうか。 安倍氏が「闘う政治家」を標榜したのに対して、麻生さんが言い放った言葉がまた粋なもので、彼の政治家としてのポリシーが浮き彫りになっているように思えます。いわく、「自分は勇気ある政治家でありたい。国際社会は正しいから自説が必ず通る簡単な世界じゃない。勇気をもって引かなきゃいけないときもある」 うーん、いい。この明快明晰さは、かのウィンストン・チャーチルに通じるものがある、とか言うと大袈裟かもしれませんが。しかし、麻生さんが、日本を率いることのできるだけの器量を持つ、ひとかどの人物であることは間違いない、と断言してしまうことにしましょう。 バーチャル浪人生「新石司」は、口のひん曲がった麻生太郎大臣を応援しています。----------- ……(いまどき「ちゆ12歳」のパクリかよ!)
2006/08/25
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父子家庭の話 偽者の我が子の話 その死体の可能性の話 最終的な妥協、つまりは年老いることについて ◇ 私は日本人で、日本人的ないい加減な宗教観を持っている。子供を作り出すことに、罪悪感は抱かない。私は仕事の取り引きでもするみたいに、いたって平静に契約を取り交わした。それは何年も、いや、そろそろ十何年になる以前から、決め込んできたことだった。予測していた通りにモノゴトは推移している。これが仕事の取り引きだったら、もしかすると、不慮の事態に遇し、状況把握に四苦八苦していたかもしれないのだ。何を騒ぐことがあるのだろう? 今という進行形の現状は、まったく文句の付け所がない、上出来な冷静さを保っているのに。 それなのに、この苛立ちはなんなのだろう。子供を作り出す。金銭を支払い、ケミカルな手段で、子供を作り出す。問題点なんて何処にも見当たらない、ギブアンドテイクがあるばかりだ。しかし、私は苛々していて、脂汗でも垂らさんばかりだ。それには私が不必要なだけの本を読んでいるゆえなのではないかと思われた。半端に西洋的なこの国で読み飛ばした、色々な通念を顕す文章の数々。それらに含まれる要素のうちには、ある種の宗教的価値観が含まれていて、私という精神を構築するに際し、そのような資材が使われたとしたら。なるほど、それは、放り棄てても構わない価値観だ。私は断言する、だが、苛々は消えない。私は断言する、というのは、ウソっぱちなのだ。精確に言えば、私が生み出した理論は断言する。だが、私そのものは断言なんて出来やしないし、そもそも断言する能力を持ち合わせない。 私は身体を捻り、後ろの窓の外を見やった。風景が移り変わる、ゆっくりと。車窓から見渡す都会の風景は、15年前から、そして30年前から変わらない。それぞれ、私が子供を作り出すことを考え出した年齢と、物心がついた年齢だ。もちろん、細々とした色合いは幾分変わっている。年数を重ねたビルディングは衰えて旧式に見えるが、先進的な建築物が建ち上がった地域には、世界を塗り替えたという自負心がかいま見える。だが、変化は見られない。そこには人間が住んでおり、人間が話しており、人間が笑っており、人間が死んでいる。そういう普遍性は、当たり前ながら、変わりようがないらしい。凄まじい剥離だと私は思う。私は日々年老いて、変わっているのに。変わらざるを得ないのに。 列車は小さな陸橋を通り過ぎた。眼下に、ほとんど剥き出しの川底を晒した小川が掠めた。ところどころがコンクリートで舗装された、在り来たりな、味気ない川だ。しかし、私はそこに1匹の生き物を見止めた。列車のスピードに姿を裁断され、その種類まではわからない。あれはいったい何だったのだろう? 私はその見も知らぬ、名前も知らない、姿さえもわからない生き物…いや、それどころか生き物ですらない、単なる見間違えにすぎないのかもしれない「それ」に対して、おかしな愛着を憶える。おかしな、というのは、私自身その愛着を、くだらなく、不必要なものだとつくづく自覚しているからなのだが、それは、それほど害のあるものではないので、許容している感情だった。ようするに、こういうことだ。私は思う。僕は足掻いているってわけだ、何とかならないものかって。なるわけがないって言うのに。どうしようもないってことは判っているくせに、悪あがきをしてみせるってポーズだけは取ってみる。そうでもしなきゃ、自己に筋道が立てられないってことかね。ふん、結構なことで。滑稽なことで。いやはや、良い御身分だなあ! 私は目を閉じ、左のこめかみを片手で押した。今はあまり、会話式の一人遊びをするような気分ではなかった。 だけどねえ、そうは言ってもさ。だが、悪あがきは所詮悪あがきであって、始まってしまったものは取り返しがつかないらしかった。私は座席への座りを浅くして、電車のつり広告を眺めながら、自分の頭の押し問答に聞き入り始めた。よろしい。僕はまだまだ若者なんだよ。外側の変化の少なさと、自らの変化の多さ加減を比べて、えこひいきだって苦情を述べ立てるぐらいにはね。自我肥大って奴さ、ありがちな症状だ。僕にとって世界とは僕の付属物に過ぎなくて、言うなれば、僕こそ神ってな自意識の下にあらかたは展開されていると思うわけだ。妄想極まってる。そんな妄想を受け入れてくれるほど現実ってのは甘くないし、甘さ辛さって基準で言うと、もっと辛口なのが現実そのものなんだよ、実際のところはね。ここまでは良いね? ああ、もちろん、私は了解している。 しかしねえ、辛口な現実を前にして、そろそろ僕は音を上げようとしている。僕の先行きは暗いってのは見え透いたことで、斜陽な企業みたいな悲哀を漂わせている。そうだ、私はもうじき33になり、祖父の享年の1/2に達しようとしているところまで来ているのだ。死というものを見据え始めたのは遥か昔のことだが、それに対する恐怖が失せ始めたのはそれほど昔のことではない。私は生命活動の過渡期に入っているのだと思われた。今までは生きる期間、そして今からは、死ぬ期間だ。だからこそさ。ふむ、そろそろ私には耳障りになってきた。今回の取り引きは、まさしく僕の防衛反応から出た虚栄心の集積なんだ。子供を作り出す、いや、あれは、子供ですらない、配偶者という別個の可能性と手を取り合うのを怖れた僕は、子供っていうのもおこがましい彼を、いや、言ってしまえば、「私」は「僕」を作りだそうとしているってことになる。倒産寸前の企業の経営者が、勃興期の活力にあふれる社内を夢見るように。五月蝿い。まったく、悲しいねえ、だが、笑える面もある。これこそ悲喜劇って奴か、どっち側の要素も持ってる。そんなことを言うと、本場の悲劇や喜劇に失礼になるけどね。五月蝿い。 だけどねえ、僕はちょっと言いたいことがある。僕ではない僕について、同情の念を禁じえないんだよ。そんなことはわかっている。だが、私はそれを承知の上で 僕は言ったって? そうだとしてもね、前任者の意見を少しぐらいは耳に入れて貰えないかな。次世代の僕は苦しむことになるし、彼は僕ではなく、つまりは僕でもある私でもある僕ではないのだから、結局求めるものとはならない可能性が腹の立つぐらいに高いんだよ。これはバクチで、極めて分の悪い賭け事。私はこのように言うだろう、だが、それ意外にどういう道筋が私の前に開けているのだ? 立ち止まることがあり得ない以上…云々。そう言われちゃ僕だって黙らないといけないな。立ち止まるのがあり得ないっていうのは、僕も同意するところなんだから。しかし、文句も言いたくなろうってものだよ、それは理解して貰えることと思う。子供の理屈? そうかもしれないなあ、だからって、話すのを止めようって気分には一向に…… アナウンスが響いた。目的の駅の名前だ。 扉が開いた。私は、逃げ出すように、車内からそそくさと出ていった。
2006/08/24
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◇子猫を投げ殺してみました by直木賞作家 いやー、フランスの法律に接触するって、たかだか個人の所有物に過ぎない飼いネコごとき(僕も大好きなんですけどね、ネコ。でもそれとこれとは話は別)を殺した程度で罪に問われるフランスの法律も大概だとは思うんですが、それよりもなによりも、こんな生理的嫌悪感を催すような内容の文章を、よりにもよって新聞の社説に寄稿するっていう作家の坂東眞砂子さん(48)の神経が理解できませんっていうかアンタぶっちゃけアホでしょ? みたいな。人類として並程度の想像力があれば、仔ネコを殺してます!なんて書けば読者の逆鱗に触れてボコられるってことは簡単に予測できるはずです。 何考えてんだか。 こんなことを書かなければならないまでにネタが無く、仕方なく彼女は批判を覚悟しつつネコ殺しを告白したんでしょうか? 多分、違うんでしょうね。僕の思うに、この方は文章を書く能力と周囲を観察する能力は卓越しているものの、倫理観とかそういうのは一般人以下なんじゃないかと。ようするに、文章バカってことです。 まあ、それでも、人間誰しも得手不得手があるのは仕方のないことですし、それは彼女の罪ではありません。文章表現力等は相当のものなのでしょうから、坂東眞砂子という人間そのものは、使い方を間違えなければ社会的に有用(のはず)です。ってことで、この件でしくじったのはおそらく「使う側」であるという推測が成り立ち、ゆえに、「おいコラもっと真面目にやれよ編集者! どこからどう見ても紙面に相応しくないクソエッセイじゃねえか! とっととボツ宣言して書き直させときゃこんなことにはならなかったんだぞ。それで給料貰ってんのか、アホ!」という結論になります。 ついでに言っておくと、個人的に、20世紀終盤以降の作家には、あんまり多くを期待しないほうが良いと思うわけです、はい。いや、だってさ、彼ら彼女らは確かに面白い興味深い文章を書くことが出来るんでしょうけど、だからって知性味溢れる議論をしたり、エッセイを書いたりすることなんて出来ると思います? 天にニ物を与えられたような人はともかく、大半の人は無理でしょ。作家=知識人という図式は、崩れ去っているように思うのです、何十年か前に。悲しいことにね。◇惑星が減るそうです おめでたいことです。 他の小天体と比べてとりわけ突出しているわけでもない、アメリカの科学者の名誉欲とプライドが醜く凝り固まった、地球から遥か彼方に浮かんでいる冥王星よ、さよーならー。◇イスラエルVSヒズボラはヒズボラの辛勝? 実際に勝ったのか負けたのかは、僕ごときに判断を下せることではないのでなんとも言えません。ただ、勝ったか負けたかで議論が紛糾しているという現状自体が、イスラエルにとっては逆風なのではないかと思います。中東最強のはずのイスラエル軍が、いくらイランやシリアその他から山のような支援を受けているからって、たかだか非政府の武装組織程度に苦戦したという事実そのものが。 イスラエル軍の中東における抑止能力は、低下していると見て間違いないでしょう。そして、抑止力の低下は、紛争勃発の可能性を著しく高めます。理想やモラルは、ここでは何の役にも立ちません。力を押さえ込めるのは力だけであり、その事実は、歴史の大勢が嫌というほど証明してくれています。腹立たしいことですが、仕方ありません。 僕は引き続いて、イスラエルを支持することでしょう。◇安倍さんが中央集権化を試みています 前回の記事と前々回の記事でボロクソ書いただけっていうのは流石にあんまりなので、安倍さんも一応それなりには自分の色というものをアッピールしているんですよー、というのを取り上げてみようかと思います。他には憲法改正を打ち出したり教育改革を唱ったりしているみたいですね。教育バウチャー制度(→参項リンク)については、正直僕としてはあんまり効果が無いように見えるんですが…(未だに不必要に過当競争な上位大学あたりには逆効果になる制度だと思う。馬鹿田大学に行く人間が増えて何か意味あるんでしょうか。大学進学率のムダな高さが、社会進出年齢の上昇を促し、結果として出生率を下げているという話も聞いた憶えがありますし)…ただ、識者の方でバウチャー制を支持する層が一定数いることを考えると、それなりに意味があると考えるのが妥当、なのかな。 さて、冒頭の記事に戻りますが、混迷期を迎えようとしている今の世界情勢の中で日本が賢く立ち回るためには、今までのような馴れ合い体質ではダメで、ある程度中央集権化して素早くかつ柔軟な対応が取れるようにしなければならない、というのは事実です。その点では、安倍さんのマニフェストは合理的なものだと思います。 んがしかし(結局けなすのかよ!)、中央集権化すればするほどリーダーの重要性が増すのは当然のことなんですが、僕としては安倍さんのリーダーとしての資質は未知数っていうか、資質薄そうじゃねえ? とか思っちゃっているわけです。リーダーの意志一つで俊敏に動けるというのは、リーダーが無能だと無様な千鳥足を晒す可能性も無きにしもあらずってことでもあります。おいおい、大丈夫か? と考えないでもありません。 っていうか、情報が一箇所に集まれば集まるほど、洩れたときにはヒサンなことになるわけですが、今の貧弱な内調だけで守り切れるのやら。ちまたでも有名ですが、この国は素晴らしいことにスパイ防止法がありません。駄々洩れのゆるゆるが今までのデフォルト。その辺の整備からやったほうが良いんじゃないかなあ、というのが、シロート考えな僕の持つ印象です。 とにもかくにも、やっぱ安倍さんはツラがマズ(以下略)◇総理大臣になるにはどうすればいいの?T垣「それはね、ボク! まず始めに、ある程度以上の地位にいる政治家と、金に寄りついてくる頭の悪い美人との間に生まれ、顔は母親似、性格は父親似で、しかも上等な頭を持ってなきゃいけない。顔がブサイクだと見てくれが良くないし、政治家譲りの傲慢さが無いと途中でクビ吊って死んじゃう率がぐぐっとアップするし、頭が悪けりゃドラ息子になるのがオチだからね! 運良く恵まれた顔と性格と頭を手に入れたのなら、次はオヤジが懐に貯め込んだカネをムダ遣いして、一流幼稚園に潜り込む必要がある。方法なんてどうだっていいさ。両親としてもガキが小さい頃から英才教育を受けることを期待しているだろうし、表口だろうと裏口だろうと、たいていの場合はしっかり協力してくれる。この段階はそれほど難しくない。 その次は幼稚園から大学までエスカレーター式にするすると昇るのさ。小学校から高校までの間は、不良にならないぐらいに勉強する必要はあるが、こっちも難しいって言うほどじゃないね。晴れて大学生にランク・アップしたら、国際政治学や経済学あたりを選択すること。選択するだけでいいんだ! 勉強なんてテキトーで構わない、浪人しない程度にブラブラやればいい。どうせ政治家になったって使いやしないんだから。 それで、大学を卒業したらさっそくオヤジに持ちかけてみるんだよ、秘書にしてください、お父さんの跡目を継ぎたいんです! …ってね。上手く演技すればオヤジは感激して友人に君を紹介したりするだろうから、そういうときには相手に自分をしっかり印象付けて置くこと。ここはけっこう難しいかもしれない。とりあえず、知的で礼儀正しいところをアピールするのが重要な点だね。たとえば、幾ら相手がバカなことを言ってるなあと思っても、反論したりなんかしちゃ絶対いけない。だって相手は反論を理解する能力を持っていないことが多いものだから、君に対する反感だけが残っちゃう場合が多いのさ。相手の言うことは平身低頭、いやはや、ごもっともですね!とかなんとか言って受け流すのがいい。適当に理屈っぽく相手の言い分を解説しつつ同意することができればベストかな。 ただし、中には本物のインテリってやつがいて、そういう連中はこっちの手のうちなんてすぐに見透かしてしまう。そんな奴らには、ヘタなことはしないでお手上げで行くこと。悪あがきをすると逆効果だからね、気を付けなくちゃいけない! インテリと無能を見分けることが出来るかどうかは、ほんとうに才能だから、ここは君の政治家としての適性が試されるところさ! で、そんなこんなで10年ぐらいぐうたらオヤジのカバン持ちをすると、そろそろオヤジが弱ってくる。そこで引退を勧めるわけだが、このときオヤジが自分の年齢も省みず権力にしがみ付くようなら、君の政治家人生はそこで絶たれる。こればっかしは運ってものだ、受け入れるしかない。まあ、タバコの吸い口に毒を塗るとか色々手段はあることはあるけれど、リスキーだからねえ! 私はお勧めしないよ、いやホント。 さあ、つつがなくオヤジがこの世を引退したなら、親父の地盤をまるまるそっくり譲ってもらって選挙デビューのときだ。君の一世一大の晴れ舞台になるだろう! まあ、だが、やることはほとんどない。爺さんや婆さんの汚い手を握りまわることになるだろうけれど、それには堪えなくちゃいけないってぐらいかな。世間には組織票ってものがあって、それが丸々君に入って来るから、落選することはまず無いんだよ。世の中って上手くできてるねえ。 晴れて議員になったら、次は党員の重鎮を詣でるんだ。ただし、落ち目の連中には入れ込んじゃいけないよ。さて、ここでは君の人を見る目が試されるわけなんだが、しかし10年20年後に生き残って権力のナタを振う勢力がどれか、なんてわかりゃしないから、結局ほとんどギャンブルみたいなものかもしれないね。なんならサイコロで決めちゃってもいいぐらいさ。君はどこかしらの派閥に入って、そこからは延々と下積み期間となる。 最終的には、30年ぐらい経って、君が派閥内でかなりの年長者=重鎮に成りあがることが出来ていれば、いよいよ総裁選に出馬って段取りなのさ。総裁選に勝ちさえすれば、君は栄光の総理大臣になることができるのさ! どうだい? わかったかな、ボク?」 とか言ってくれたら笑えるんですけどね。
2006/08/24
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ウェブ新聞の記事の傾向を見ても、ぼんやりとニュースを眺めてみても、世間様では総裁選が取り沙汰されていることは明白ですけれど、それではポスト小泉の政権がどのような課題を課されているのかというと、あんまり話されていないように思います。おおまかな印象だけで、話の大半が進んでいるように見えるのです。どうして安倍さんが一番人気なのか、という問いひとつ取り出してみても、世論においては、単純な知名度の差に帰してしまうのではないでしょうか。まあ、総裁選というのは、必ずしも世論が重要だということにはなりませんが……。それでも、何故、というところを分析することが少ないように見えるのは、果たして私の視界の狭さゆえなのでしょうか。 私自身、それほど知識のあるほうではなく、また、事態を総括する見識なんて望むべくもない人間ではありますが、そんな私の大雑把な見方でも見つけ出せる、次政権に課せられた課題は、主立って3つあるように思います。一つ目、増税。二つ目、集団的自衛権を行使出来得るようにするための何らかの処置。そして三つ目、小泉=ブッシュラインに代わる、新たな日米の関係線の構築。 まず、一つ目の増税ですが、いくら構造改革を唱ってみたところで、現実として政府が赤字な以上、最後には増税が来るのは判り切った話です。既得権潰しに奔走するよりも、新たに下々から徴収するほうが効率的なのです、残念ながら。谷垣さんの主張する消費税10%というのは、一見腹立たしい限りではあるものの必要悪であり、それどころかまだまだ甘いぐらいだと言えます。資料を発掘してくるのが面倒なので具体的な数字は出せませんが、どこぞのシンクタンクがオンラインで発表した白書に拠ると、このまま増税せずに突き進んだ場合、2010年には財政が破綻してえらい事になるという分析結果が出ていた憶えがあります。次政権で消費税アップはほぼ確実でしょう。段階的に上げていって、最終的には税率が10代中盤ぐらいで落ちつくのではないでしょうか。とすると、大衆感情が悪化して支持率が下落することになり、結果として次政権は、かつての橋本政権のように短命に終わる可能性が低くないと思われます。 次に二つ目、集団的自衛権の問題ですが、湾岸戦争の例を引くまでもなく、日本の札束外交というのは有効度が低く、カネをドブに棄てるだけという批判が渦巻いています。他国のように、日本もカネではなくヒトを出して、国際社会に貢献しなければいけません。その際ネックとなるのが、日本の掲げる平和憲法、特に第九条です。私としては、60年も姿を変えないカビの生えたような憲法なんてとっとと改正しちまえと思うのですが、日本流のやり方である憲法解釈の変更によって解決することになるやもしれません。なんにせよ、この件の落としどころを設定するためには、軍事的知識、および国際情勢を読み切る能力が求められることでしょう。 そして最後、日米のライフ・ラインの構築ですが、日本にとって日米同盟の安定は最も重大な要素であり、アメリカ主導のシーレーン確保が必要不可欠である以上、ニ国間の友好関係が薄まることは絶対に避けなければいけません。しかし、ここ数年の日米の蜜月は、少なからず小泉総理およびブッシュ大統領の相性の良さに依存している部分があり、ポスト小泉への移行、およびブッシュの退陣によって、手綱が緩んでしまう可能性を秘めていると言えます。それは、短期的には目立った影響はないかもしれませんが、長期的には大問題です。日本という国は、世情が安定していればこそ、その優秀な製品を売り捌いて儲けることができます。また、日本という国は、長年の貿易黒字の結果溜め込んだ資金の多くを、米債というかたちで保有しているのです。もはや日本と米国は運命共同体といっても過言ではありません。その関係に亀裂を入れるだなんて、無謀としか言いようがありません。それが良いか悪いかはともかく、これが現実です。新首相には、親米的な外交を第一に考え、その上で、他国(中国やEU諸国)との関係を上手く折り合いをつけるだけの手腕が求められます。 以上のことから、新首相に求められるエレメントを要約すれば、国民の支持率に拘らない断固たる気概があり、臨機応変に振舞える外交的知見と広範な戦略的知識を有し、そしてアメリカへの理解とパイプを持つ人間、となります。まぁ、そんな完璧超人な奴なんていないとしても、それに近い人間が首相となることが、日本の国益に適う、といって良いのではないでしょうか。 するてぇと。 ……安倍さんは無いよなぁ、と思わざるを得ない今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
2006/08/23
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こぼれたミルクは戻らない。英国人のことわざだ。だが、こぼれることの決まりきったミルクには、どのような対処をするべきなのだろうか? 答え。こぼれるままにすること。放っておけばいい。そんなもの、放っておくしかないのだ。 ◇ 自殺するひとへの理解は、私には無い。だからこそ、死を口にする可哀想な誰かしらに対して、私は「だったら、死ねばいいじゃない」と、あっさりと言い放つことが出来ると確信している。その結果その誰かしらが自らの命を絶ったとしても、私は罪悪感に苛まれることすらなく生き永らえるだろう。だってそれ以外、どういう方法論がある? 罪への意識? 懺悔? そんなもの、どうやって見出せばいいのやら。私は生という現実を見据え、死の風におもねる風見鶏となることを拒否している。それ以外、どういうやりようがある? それ以外、どのように振舞えば許されるのだろう? 古代人が好んで用いた大いなる観測者が存在しない以上、私たちにはモラルなんて無いも同然で、そうして、モラルとは形骸な言葉になったのだ。ウォー・モンガーの持つようなきちがい地味た行動原理が、私たちの、たったひとつの持ち物。世界をそれ以外の色合いで飾り立てることが出来得るひとがいるのなら、拝謁たまわりたいものだ。ただし、文学的なレトリックを弄したこけおどしを持ち出して来るのだけは、ご勘弁ねがいたい。一瞬、期待にうち震えてしまうだろうから。期待なんてしたくないのだ、可能性なんて、残酷なものだ。 ◇「詩人になりたいなあ!」 彼女は言った。「才能の切り売り。溢れ出す言葉を小奇麗に装丁して、精神の弱々しい人間からオカネを毟り取るってね。面白そうなサイクル」「だったら、なればいいじゃない」「無理、無理。わたしには詩才がないものだから。詩人っぽい言い方をすれば、わたしには自らの星が見えない」 彼女が誰かは知らない。知りたくもない。何故なら彼女は死者となるからだ。自らの命を絶つ。そのことを私は知っている。だからこそ、私は彼女のことをなにも知らない。知るべきではない。「わたしの言葉には可憐さが足りない。わたしの言葉には高揚感が足りない。わたしの言葉には希望が足りない。そのくせ、わたしの言葉には絶望が足りない。これでどうやって詩人になるかって言うと、無理の一言。せいぜい、くだらない雑誌の紙面埋めが限界ってとこ。ラーメンの食べ歩きとか、時事評とか? …でも、わたしの持ち物は文字しかないから、まだしもその方面で生きていけるのなら、まあ、おなぐさみって感じかな」「諦めるんですか、やってみることもせずに?」「やってみることもせず? やってみているよ、今だって、このときだってね。絶え間なく運び出されるめくるめく言葉の群れを、わたしは文章っていうかたまりにして、外側へと放り出そうとがんばっている。この会話だってそうなんだけど、どうしてそんなことをするかって言うと、文字っていうのもやっぱり、有機体であるわたしが考えたことだから、貯め込んでいると腐ってしまうのね。だから定期的に、在庫処分をしなきゃいけない。そのような義務に、わたしは囚われている」 彼女の発言には嘘が半端に紛れ込んでいる。彼女はそれなりに言葉が好きで、だからこそ言葉を操ろうと腐心しているのだ。ただ、その、好きというのが彼女にとって「それなり」で、何もかもを擲って飛びつけるような魅力的な物件ではないゆえに、事態はややこしく捻じ曲がっている。 けっきょく、彼女は死ぬしかないだろう。殺されるしかないだろう。彼女が、彼女として生きうることが出来るという可能性を目の前にちらつかされ続けていた彼女が、その先が断崖絶壁だと気付くときが果たしていつなのかと問えば、崖っぷちで足を踏み外して、虚空に身を投げ出してしまった後のことである、という答えが返ってくる。過ちを咀嚼する音を感じながら、彼女は自らのカラダが砕け散ることを受け入れる。受け入れざるを得ない。 砕けてしまった彼女について語ることはしない。そこまでやってしまったら、ことは彼女だけの問題では無くなってしまうからだ。打算的な、非情な判断によって、彼女の死体の存在は、すみやかに無視を決め込まれる。ついばまれて、腐って、風化して、土へと帰る。それはホモ・サピエンスの諸行ではないから、外側の出来事だと言える。そうならば、許容範囲内だということだ。
2006/08/22
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◇麻生さんの総裁選出馬について 安倍さんとの違いが定まらないぃぃ? 顔が違うって言っているじゃありませんか、顔が。アンパンマンみたいな安倍さんや脇役みたいな谷垣さんと比べてみてくださいよ、シンメトリーとはまかり間違っても言えない麻生さんのツラを。あのひん曲がった口もとを。ラブリーじゃありませんか。あのような特徴的なフェイスこそ首相に相応しいってなもんです。 っていうか、安倍さんとの違いも何も、そもそも安倍さんの主張自体がそうとう曖昧な気がするんですけれど。彼って、何か具体的なこと言いました? 属している派閥から、右派的なところがあるって推測が立つぐらいで、ほとんど無色透明に近いんじゃ。つーか、誤解を怖れずに言えば、小泉首相の腰ぎんちゃくっぽくありませんか、安倍晋三先生ってば。そのうえWikiの項を見ても、タカ派っていうかバカ派って言うほうが良さそうなぐらいマヌケな発言が多い。NTT火薬て。TNT火薬も知らないんですか、この人。軍事関係の知識ゼロかよ。ただの言い間違いであることを祈るばかりですが、小型の核なら持ってオッケー、みたいなアホ発言をしているところからして、本当に軍事面はさっぱりなのではないでしょうか。核に小型も大型もあるかっつーの。重要なのはミサイル誘導技術と核を炸裂させるためのノウハウであって、それさえ有ればその国は他国から核保有国として扱われることになります。別に核を持つなと決めて掛かるわけじゃないですが、核保有のカードを切るのが相当リスキーなことは間違いないわけですから、生半な見識で語るべきことでは断じてありません。ってか核保有=米国の核の傘から出るってことなんですけど、安倍さんってば保守は保守でも親米保守じゃないんでしょうか。だったら僕としては支持することはあり得ないナァ。え? 彼の著作? ありゃ何処のゴーストライターの仕事なんでしょうね。 まー、失言って言えばWikiの項を見ても判る通り麻生さんも結構ってか多すぎるぐらいあるんですが、彼のほうは笑えるのが多いので別に構わないんじゃないすか。フロッピー発言とか。けろけろけろっぴを思いだしました。キム野郎に感謝とか。まあ、ある意味感謝で間違ってはいないのですが、言うなよ、よりにもよって外相が。日本は単一民族みたいな流石に脇が甘いだろ的な寝言もありますけど。なんていうか、麻生さん本人は頭も良く表現力も高くてかなりの逸材なのに、それを横から磨き上げるブレーンがしょっぱいんじゃないかなーって雰囲気ですね。逆に安倍さんはブレーンの質が良くて、本人がブレーンの描いた作戦に乗っかってここまで来たって感じ。 周囲の人材も根回し能力も、総理の適性を判断する要素の一つって言えばそりゃそうなんでしょうけど、なんだか釈然としないなあと思うのです、僕としては。◇亀田選手がランダエタと再選 結果予想1.疑惑の判定再来で亀田選手の勝利。2.終始攻めるランダエタ選手に対してまたもや甲羅に閉じこもる亀ちゃん。流石に今度はランダエタ選手の判定勝ち。3.亀田選手のKO負け。ボクシング業界も彼を見捨てた。最期は華々しく散ってくれ。4.亀田選手が前回の経験を活かしてワンランク成長。苦戦したランダエタ選手を見事KOする。5.ベネズエラの郊外でフアン・ランダエタ選手の他殺体が発見される。防衛戦はお流れ。 うーん……この中だとどれでしょうねえ。本命「2」で、大穴が「5」かしらん。
2006/08/22
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8月17日 朝 さあ、目覚めの時間だ。良い気分ではないしばらく。突っ伏した顔を上げ、枕もとの時計を見やる。9時35分、しまった、寝過ごした。その苛立ちが杞憂に過ぎなかったのを知るのには、数秒と掛からない。何故なら今日から二日は予備校がお盆休みであって、早々に食事を摂って教科書を整理し、カバンを下げて家を出る必要性は何処にも無いからだ。 まったく、相変わらず抜けてるなあ。私はそう考え、私は立ちあがる。身体がみしりと言い、私は舌打ちする。ちぇっ。悪くない音だが、舌の筋肉が引き攣って、少しぞくぞくした。やるんじゃなかった。朝方にカラダを動かすのは、問題点が多過ぎる。 何分か苛立ってから、そそくさと着替えて、私は私の部屋を出た。聞き慣れた階段の軋む音を感じ、1階の台所に向かうと、電話の前に母親と祖母がいて、それなりに深刻そうな顔つきで話をしている。私は嫌な予感がする。馬鹿でもわかる話で、こういうときは、ロクな事情じゃない。それでも聞かずにはいられない、どのみち私に関係するなら聞かされることになるだろうし、関係ないことだったとしたら、聞かされるそのときまで不必要な怖れを抱かなければいけないから。聞かないというのは、純粋に不利益な選択なのだ。 どうかしたの? 損得感情に基づいて、私は尋ねる。「おじいちゃん、もうダメみたい。あと24時間以内だって」 母親が答えた。なるほど。数年前から死にかけている祖父に、ついに来(きた)るべき時が来たというわけだ。母親と祖母はそれからも話を続けているが、それはもうどうだって良かった。ずきり。胃が痛む。人の死だって? そんなもの、考えるには大き過ぎる問題だった。私の容量を越えた仕事以外のナニモノでもなかった。どうしろって言うんだ。死者になるだろう人の主観に依り付いて、巻き込まれるかのように、一緒に死んでいけっていうのか? 馬鹿げてる。私は祖父のことを忘れようと努力するだろう。私は周囲の関与を切り離して、個という孤立したフネとして浮かびつづけることを希望するだろう。私の理想的な展開はそのようなものだ。まあ、しかし、現実っていう性悪野郎を迎え撃つにあたって、希望通りだなんて望むべくもない。腹立たしい。 ずきり、ずきり。不愉快な痛みの隣に、これまた不愉快な空腹が存在し、私はけっきょく、後者を優先することになる。人は痛みと共に生きることはできるが、食物無しでは生きてはいけない。だからこそ、人は食べられないという状況に身が置かれる「可能性」すらも、極度に怖れる。ほんとうは、食べなくたってそうそう死にはしないのだが、少しの日数食べずにいたら、その人はとてもじゃないが、いい気分でなんて居れたものではないはずだ。 冷蔵庫の扉を吸着するマグネットを引き毟るのには、ずいぶんと筋力が要って、デリカシーに欠けている。新聞の合間に挟まったレトロな(そろそろ紙媒体も年貢の納めどきなのだ)チラシの、バラ色の未来を描いてくれる文言に拠れば、新式の機種ならばもっと賢く振舞ってくれるらしい。取っ手に触れた指先の熱量を感じ取り、私のような工学シロートにとっては半ばブラックボックスであるシステムによって、扉は半自動的に開かれるのだそうだ。もちろん、我が家の5、6年ものの冷蔵庫くん、灰色の装いがそろそろ見栄えがしなくなってきた彼は、そんな気の利いたことはしてくれない。買い替え時はもうじきだろうか? まだまだ先だろう、当分は彼にお世話になる予定のはずだった。なにしろ彼は耐久消耗材なのだから、それなりに耐久してくれないと、それはそれで困る。 お手玉のようにくるくる回る商品の買い換えは、製造産業を活性化させてくれはするけれど、早々に買い換える必要性の生まれるメーカーの商品の需要は先細るのが当たり前のことで、そうなると詰まらないことに、両要素の均衡するポイントで商品の耐久力(価格でも同じことだし、利便性もそうだ)が決定するという普遍的な末路になる。その均衡が崩れ去るとしたら、市場を独占するようなビッグな企業集合体が好き勝手をやったときぐらいだろうが、それは消費者にとっては望ましくない状態だから、独占禁止法というものがあり……ふむ、そんなことを考えている暇はない。私は、冷蔵庫のなかへと向けられた、注意力が抜け落ちた無意味な視線の遊泳を、無理やり中断させた。くだらない考えの群れは、見てくれが悪いし、何より胃に負担をかける。今から食事をしようとするのだから、痛みなんて少ないほうが、美味しく食べられるのに決まっている。 冷蔵庫のなかをもう一度ぐるりと見やって、電子レンジを通すだけで食べられるようなものが何もないことを知ると、私は傍の水屋に興味を移し、しまいにはインスタントのドンブリの素を引っ張り出した。冷蔵庫からは卵を二つ、それから天かす。玉ねぎは何処だろう? いつもの場所には見当たらない。えい、構うもんか。あんなもの、別にそれほど美味しくないのだし、それにネギ類は胃に悪いのだ。具が天かすのみというのは寂しいものがあるが、一貫性があるとも言える。国連追従で八方美人をやるよりも、アメリカ様におもねったほうが、利ざやが抜けるってこともあるものだ。 おかしな喩えだと思いながら、棚から小ぶりな手持ちナベを取り出し、コンロの火にかける。100ミリリットルの水道水を計り取り、ドンブリの素といっしょに放り込んだ。100ミリリットル程度、すぐに沸き立つ。湯の沸く間にタマゴを溶いてご飯を注ごうと思っていたわけなのだが、二つ目の仕事に取りかかる前に、ナベの中はぐつぐつという嫌な音を立て始めた。慌ててタマゴを流し入れると、フタを閉め、火を小さくする。大急ぎでご飯を注いだ。慌しい、苛々する。 慌しさに身を任せててんてこ舞いできるひとが、私は常々羨ましい。慌しさなんて、マイナスの数字みたいに突っ走る、苛立ちの対象にしかならないっていうのに。流れに身を任せよってことなのだろうか? 無為自然か、そりゃ、老荘思想じゃないか。そんなものは信じちゃいけないし、なにより信じることなんてできやしない。東洋的価値観というものが私は嫌いで、何故ってそれは、判り難く、明確ではないことが多いからだ。馬鹿にもわかるようにモノゴトは書かれているべきだとつくづく思う。その思いは、弱者である労働者が徒党を組んで、雇う側にいちゃもんを付けるようなものである。労働拒否とか、ハンガー・ストライキとか。ザコにはザコなりの生き方があるのだ。 ……ちくしょう、ザコだって? そんなふうに呼ばれる筋合いはない、筋合いはないが、客観的に見れば、私はどこからどう考えてもザコである。くそっ。コンロの火を止め、良い具合に半熟になったナベの中身を、ご飯の上にそそいだ。精神的自傷行為は良い加減止めておいたほうが良さそうだ。その、良さそうだ、というのは満場一致の考えだろう、非の打ち所がない。だが、止められやしないのが現状であって、傷つけようとする本能の独断専行と、傷つけまいとする理性の改善要求が、お互いにぶつかり合って、中途半端な妥協点を見出している姿というのが今の私そのもの。さっきの冷蔵庫の耐久力の話と似たような構図だ、だから私はそのような構図が大嫌いなのだ。その構図がもっとも正しいっていうのがセオリーなものだから、腹立たしさはさらに倍増するわけだ。まったく。どうしようもないな。 天かすのみの卵どんぶりは、マァ、期待した程度のお味。取り立てて美味くもないが、文句を言うほどマズくはない。食べ始めは嚥下するたびに胃がきりきりしたが、じきに慣れて来て、滑らかに食べられるようになった。一通り食べ終わると、早々に二階へと上がり、自分の部屋に篭って、布団に潜り込む。枕もとの本(伝記だ)を手にとって、しばらくぺらぺらとめくっていたが、頭の中で文面を朗読する声よりも身勝手な雑談のほうが多くなってしまったので、栞を挟み、ハードカバーを閉じた。今日は何かするべきことがあっただろうか? 確認する。何もない、はずだ。不明瞭な断言。でも、それは断言なのだから、信じるに越したことはないだろう。 それなら、眠ろう。起きたばかりのクセに、何故だか疲れてしまっているし、それに、眠りたい気分だった。睡眠とは逃避の意味を持つ。どうにも、逃げ出したい気分だったのだ。 あお向けになって瞼を閉じると、しばらくのあいだは私の意志の範疇外で喋り倒す私の頭部の、身勝手な振る舞いに堪えなければいけなかったが、じきに頭も疲れてしまったのか、静かになった。私は、眠った。イヤな眠りだったが、それは起きているよりかは、幾分マシな眠りではあった。いつものことだ。他のやりようが欲しいと私は思うが、能動的な改革を打ち出す気概だなんて、私には、高価過ぎる。 私は眠ったが、眠るその直前に、祖父の夢を見るのかもしれない、というようなことを考えた。それだけは勘弁して欲しかった。逃げ出した先に、逃げ出させた元凶が立ち塞がるだなんて、シュールな話だし、なにより、ホラーだ。
2006/08/21
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眠い……。
2006/08/21
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数日間更新が無いも同然ですみませんでした。故人の弔いもおおかた済みましたので、通常更新に戻りたいと思います。 今回亡くなったのは父方の祖父で、享年89歳でした。長寿を誇る日本人の平均を幾らか越えているわけですから、まあ、大往生といって差し支えないのではないかと思います。長年の闘病生活を経ての臨終なので、いくらかは差っ引いて考える必要があるのでしょうけれど。4年、いや、5年? それだけの期間、彼は病院をタライ回しにされながら、ほとんど自分の意志というものを持てずに生き続けて来ました。それは当人にとっては、実に不愉快な期間だったと思います。自由を奪われた緩慢な死への行進。想像するだけでも吐き気がするものです。ただ、それを堪えることが出来たというのは、死者の持ち得た堅固な精神力に寄るものだったのではないか……というと、身内びいきかもしれませんが。 ……んー、書き始めた当初は、もっとおちゃらけた雰囲気でスラスラと話そうと思っていたのですが、どうにも上手くいきません。悲しいという感情を私は「感情する」ことが出来ません、私にとって心持ちとは単なる二極化した快不快のテーゼに過ぎません、しかし、それでも、私も人間なのですから、さまざまな色合いの感情という萌芽を、何処かしらに携えている、それゆえに、でしょうか。確証はありません、アンチ・テーゼの存在、そして、さらなる高み? そんなもの、見たくはないし、見ることは出来ないはず。だけど、確証がありません、確証がありませんから、いつものように、私は判断を下せない。グズめ。どうしろって言うんだ。 一度眠ってから、明日、予備校に通ってから、改めて書こうと思います、死人について、近くの死人について。なるべく不必要な情報を排して、事実を事実めいた文体で。
2006/08/20
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葬式終了。疲れました。
2006/08/20
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ですから、お通夜葬式などでしばらくゴタゴタするので、更新が滞る可能性があります。ご了承ください。
2006/08/19
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「この先には何がある?」 女が言った。「さあ? それは判らない。あんたがその両足で潜りぬけて、その真実を自らの目で見ない限りは」 男が言った。 荘厳な門は、それが開くという機能を持っていることが信じられないぐらいに、どっしりと構えている。男は門の側柱に背を凭せ掛け、そっと指先を扉に這わせた。長年積もり積もった埃が削ぎ取られて、彼の指紋を灰色に浮きあがらせる。小さな小さな指先の軌跡が、門の表面に残っている。「僕が出来るのは、まあ、この程度でね。後はよろしく頼むよ、適材適所って奴さ。ん、それとも、義務権の行使って奴かね」「何が言いたいの?」「そりゃ、つまり、僕が男であり、あんたが女であるということだよ」「逃避? 無責任な話。貴方は片割れなのだから、それ相応の負担を担うべきなのに。開かずの扉を開けるのに、手を貸すべきではないの? その腕力は、知力はお飾り?」「そうだね、お飾りだっていうことにしておこうか。そのほうが体面が保てることだろう」「良く言ったものね、臆面もなく」「僕を殺すかね?」「ええ、そのうちにそうさせて貰うでしょう。でも、今は目の前に横たわる不快な仕事を、さっさと片付けてしまおうって考えている。貴方なんかにかかずらっている暇はないわ。いつだって出来ることは、後回しにしたって構わない」「それで、ほんとうに僕を殺せると思うのかね?」「さあ? だけれど、わたしには殺すしか道がないのだから、可否は無関係。貴方は殺されるしかあり得ないのだから、是非は意味がない。わたしは女で貴方は男で、殺害者と被殺害者であることは自明の理。今更くつがえすような気概なんてないでしょう?」「有るんだな、それが」「嘘つき」「さて、ね。どうだか」----------- テキストプレイ開始。眠い、眠いなあ、ああ眠い。どうしようもなく眠いぞ。昨日なんて13時間ぐらい寝ているのに、まだ眠気が全身に伸し掛かっている。不便なことですねえ、人間の平均睡眠時間って八時間足らずじゃありませんでしたっけ? ということは、普通のひとは、少なくとも一日に16時間ぐらいは自由になる時間を持っていて、その時間のなかで働いたり考えたり話したりものを書いたりすることができるわけですが、それに対して私は10時間ちょっとしか色々と行う時間がもらえない。不公平だ。っていうか、実質私が生きていられる期間的な割合がどんどん減っていっていることになる。普通の2/3ぐらいしか起きていられないのなら、寝ているあいだなんて何もしていないのと似たようなもの…まあ夢は見るし、それはそれなりに面白いこともあるけれど…なんだから、私の寿命って普通の2/3なんだな、と思わないでもありません。うーわー、不公平、不公平! 改善要求を出したいけれど、いったい何処に出せばいいんだろう。私の身体に対して? 出して改善されるぐらいならとっくの昔に出していたでしょうよ。眠気がやって来て、いくらか時間が経ち、布団に倒れ込む。眠ってしまって、起きたら朝の7時半。学校だ、学校だ。しかし、まだ眠りという充填は十分ではない。学校にはいかなければいけないが、眠りに抗するような能力なんて影も形もないものだから、学校をサボってしまうことになるか、それか、学校のスケジュールの何処かしらが居眠りで埋まってしまうことになる。そうやって学校生活を過ごしたものだから、さまざまな齟齬が湧いて出てきて、腹の立つことこの上ない。私が自分が必要だと思う最低限の眠りを確保したいと思い、さらには学校にも健康的に通いたいと思うなら、夜の8時半に布団に入り、いらいらとしながら眠りがやってくるのを待ちつづけ、9時をだいぶん回ってからようやく眠ることができるようになるだろうけれど、だからって、平凡な学生が毎日毎日9時に眠るだなんて、なんて馬鹿げたことでしょう。学生には学生なりに、付き合いもあるし、やりたいこと、やらなければいけないこと、それから何かしら作り上げたいと思うことがあるのです。それらを放棄してまで、私は、自分の生活時間帯を固定化させることを選択することは出来ませんでした。出来る人なんているのでしょうか? そこまで判り易い日々っていうのは重要でしょうか? 美しい生活サイクルなんてものが? どうだっていいじゃない、そう考え、私の生活時間帯は乱れに乱れたわけです。ざまあない。そんなことだから、色々と問題を引っさげて何年も何年も学生という身分に甘んじなければいけなくなる。だけど、元はと言えば私の身体が、赤ん坊のように多量の睡眠を求めるのが問題だというのが現実で、そんなことは治しようがなく、足元の床みたいに前提条件なんだから、ようするにけっきょく、これが私に課せられた生き方というものなのでしょう。それだからといって、受け入れられるというものではなく、腹立ちは隠し切れるものではありません。何故って、私はそこまで理性的にモノゴトを処断できるほど、冷静なタイプの人格ではないからです。理に適っていないことだって、平気で口走るし、怒るべきところでもない場所を引き合いに出して憤怒に燃えて、涙を流す必要性がからっきしのことにだって泣いてみせるんですから。あーあ、これじゃダメだ、どうしようもない。睡眠っていう具体性を引っ張り出すまでもなく、私の総てに問題があると見るのが妥当でしょう。あーあ。あーあ。テキストプレイ終了。------------ ヒューマニストであるトルストイは見栄えがいいけれど、僕はドストエフスキーのほうが好きなのです。何故なら、不純な僕は、ヒューマニストになんかなれやしないから。 僕は、人間が存在する限り、戦争は無くならないものだと思うのです。クラウゼヴィッツは言いました、戦争の本質はいつの時代になったって変わるものじゃない。様々な形態で行われれるのが戦争というものですが、突き詰めて考えれば、戦争というのはしょせん政治の一道具に過ぎないのです。そう、実利益というメインディッシュに、社会面や文化性といったスパイスをまぶしたのが戦争なのです。それが本質ってものです。 戦争は、国際法みたいな外側からの縛りで有る程度コントロール出来るのは確かですが、完全にコントロールし切ることは出来ません。何処かで予測不可能な事態にブチ当たるのです。だったら? だったら。現実を受け入れましょうよ? リアリストになろう? そんなだから、僕はヒューマニストになんてなれやしないのです。
2006/08/18
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◇自民党議員、加藤紘一氏の事務所が極右に放火される いやー、景気良く燃えていますね。事務所は結構大丈夫そうなのに、隣の家屋が真っ赤っ赤になっているところが、お茶目さんって感じですか。火つけをするならちゃんと狙いを定めましょう。 どうやらこのテロリスト、放火したあとに割腹自殺を試みたらしいのですが、今どき三島由紀夫の劣化コピーですか。しかも死に損ね。自衛隊を激励するつもりが隊員たちにボロカスに罵倒されるという醜態を晒した、日本文学界を代表する馬鹿野郎である三島大先生だって、しっかり自殺は完遂したっていうのに。良いとこナシですねえ。やーい。 別に右回りの考え方が悪いって言うわけじゃないのですが、やっぱり極端はダメですよね、極端は。◇漁船がロシアの国境警備隊に銃撃された件 日本の漁船側にも問題があったのはほぼ確実の模様。だからってハチの巣にして良いってことには到底なりませんが。っていうか、漁船の乗組員に英語での警告が理解できるとは思えない。もうちょっと他にやりようが有ったのではないでしょうか。 麻生外相も、厳重にロシアに抗議をする様子。……しかし、今回は流石の麻生さんも分が悪いと言えましょう。 参照 見てください、下段写真におけるロシア大使ガルーシン氏の、芸術的なまでの口もとの歪みっぷりを。これでは、日本屈指の歪み口を持つ麻生さんと言えども、太刀打ちできないのではないでしょうか。凄い。
2006/08/17
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僕の意見って、言ってしまえば山瀬まみの毒にもクスリにもならないコメントと大差ないんですよねえ。別段新進的な見方が出来るわけでもないですし、感情論なのだから、ニュートラルともとうてい言えない。昔の記事を読み返してみるに、つくづくそう思うのです。思うだけで、改善はしませんが。だってやりようがないのだもの。 さて、時事ネタ。オンライン新聞をざっと眺め見まして。つーか、終戦記念日を過ぎて靖国の話題が減ると思ったら予想が大はずれしやがるでやんの。目障り。いい加減だるいし、とうの昔に飽き飽きしているので、今後はよっぽどのことがない限り話題には取り上げない方向で。あ、ただ、カワセミの世界情勢ブログさんの8月16日付けの記事が、「そんなに騒ぐことじゃないでしょ、うるせえ。もっと大事なことがあるだろ」という点に限って僕の考えと一致していた喜びに関しては書いておきましょー。僕なんかとは比べ物にならない、モノホンの識者の方と意見が僅かなりとも合うっていうのは単純に嬉しいものです。はい。 そうそう、もう一つありました。重ね重ねすみませんが、日経の社説なんですけど、ざっくばらんに言ってしまうと純粋に文章がヘタ。読むに堪えない。なんとかしてください。そりゃ、僕だって言えたものではないって言えばそうなんですが、まあ、言うだけならタダですし。さしあたって、もう少しマシな社説委員を引っ張ってくるべきだと思います。◇ロシアの国境警備隊が漁船をヒットエンドラン 関連記事を読むに、ロシアの国境警備隊、予告も無しに民間漁船を正射して船員を軽々とブチ殺した上にフネを拿捕ったみたいなのですが、いやー、まさにロシアって感じ、とか言ってしまうとお亡くなりになった方への失礼に当たるのでしょうか。しっかし、撃って殺して悪いのは問答無用でお前らさ、ヘヘン! って物言いがほとんどチンピラで素敵過ぎますよね。流石、元共産主義国家で現露帝プーチン閣下の独裁国家はやることが違うぜ! あ、一応言っておきますと、僕は親露派なので勘違いなさりませんように。ブンガクおたくだし。 現時点では漁船側に問題があった可能性も低くはないので、はっきりしたことは言えませんが、ただ、リテラシーの欠如っぷりが凄まじいのがロシアっていうハードプレイヤーなんだなあ、ということを再確認した次第であります。プーチン閣下、ババアにキスされたりガキの腹にキスしたりする暇があるんなら、もうちょっとロスk…じゃない、ロシア国民の皆様の手綱取りに労力を裂いてくださいまし。がんばってよ。◇太陽系惑星が三つ増えるかもしれません。というか、この定義だと芋づる式に増えそうです ロマン溢れる話……ではあるのですが、惑星が増えまくってテストの暗記が面倒くさくなり、いたいけな少年少女たちが天文学なんてクズだ、お空の上のお星様なんて知るかよ、死ね! とか何とか考え出しはしないかと少し心配になってしまいます。え、僕? 9個の現状だって上記のように思っていましたが、何か? だから暗記はキライなんですって。◇いよいよレバノンへと国連軍が本格的に進駐 予想通りの展開になって参りました。主力はフランス? 相変わらずリベラル勢のお強いお国柄だことで。僕だってリベラルのはずなのに、フランスにはさっぱり共感できないのですが何故だろう? うーん、ソビエトの対外工作の煽りをモロに受けて、二次大戦後に共産主義者が暴れ回った記憶が焼き付いているのかな。つまり、古臭い文章の読み過ぎ、と。ダメダメ、今風の思考回路を身につけないと。ロートルは置いていかれるものなんだから……ってレバノンと何の関係があるんだ? 自分語りなんかしてるんじゃないよ、まったく。◇中国で猛暑…っていうかおそらく地球温暖化とエネルギー消費高騰のタブルパンチ あんがい、中国の崩壊はこういった自然の歪みに端を発するのかもしれない、とかいうトンデモを唱えてみたり。意外と馬鹿にならないじゃないでしょうか、なんだかんだ言っても、中国12億人の過半数は農耕従事者なのであり、そして農業に欠かせないのは気候の安定です。このままでは田畑が干上がってしまうところが出て来て、餓死者の数が急上昇してしまうでしょう。 国民を食べさせることの出来ない国家は国家失格であって、それは大前提なのであり、理屈ではありません。自然災害だろうが偶発的事件だろうが毛唐どもの蛮行だろうが何だろうが、至極最もな弁解だって聞いてくれやしないのが群衆心理というもの。事実、中国の王朝が倒れるのは異民族の侵入か、そうでなければ農民反乱が原因だというのがセオリー。古代、中世、近代、そして現代まで続く中華の歴史は、またもや中華らしい終焉を迎える、のかもしれません。 中国人じゃなくて良かった。プライドじゃメシは食えない。
2006/08/16
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いや疲れる。マジ疲れる。だるい、死ぬ、うざい。イエーイ。イェイェイ。頭悪いなあ。さしあたってそこらの偉人のノウミソを移植していただきたいとか他人任せなことを考えている日々ですが、人間の思考の中枢がノウミソである以上、自分のノウミソを排除するということは自殺とほとんど意味が一緒なわけで、けっきょくそれをやっちゃうと単なる自爆以外のナニモノでもないというオチなわけですが、それでもやっぱりノウミソの移植を望んでしまうということは、もしかするとノウミソが人間の思考の源泉であるという認識が間違っているのかもしれません。もしかすると。もしかするとってことで。もちろん思考の大半をノウミソが生み出していることは間違いないのでしょうが、どうでも良いことで胃が痛んだり指先がちりりとしたり表情が引きつったりすることから、別の個所だって幾分思考認識に影響を与えているのかもしれないのですよ。内臓を移植したら性格が変わったっていう話も聞きますし。霊魂だの輪廻転生だの言うようなアホな話は信じていないので、やっぱり、心臓だの肝臓だのの内臓みたいな単なる補助機関に過ぎないように思われる身体システムだって、少しぐらいは自我の一環を担っているわけですよ。まあそりゃシステマティックな話で、コンピュータからマウスを抜いたりメモリを半分外してみたりグラボにキズをつけてみたりするぐらいの、無機的で味気ない、人間が人間の身体を見るときに得る感慨からはほど遠い乾いた現実感のかたまりなんでしょーけどね。バーカバーカ。悲しいなあ。とはいえ、今更、21世紀になってまで「美にして崇高なるもの」に傅くつもりなんてさらさらありゃしませんけどね。ブンメイジンなわけだから。ブンメイジンであると信じたがっているわけだから。どうしようもないなあ。前を見るでしょ? それは前ですよ、後ろじゃない。わかりきったことで、それぐらいに話すのもばからしいような内容なんですよ、だいたいのことはね。生きているという実感、つまりは世界において、ミケランジェロがダヴィデ像を大理石の一塊から抉り出すようなくりえいちぶなことなんて滅多にありゃしないっていうか、まったくありゃしないのです。ただ幻想として、そのようなものがあると信じることが、それなりの満足と、生きることという大前提と、理性という不完全なアイテムを持つことによって生じる弊害、つまりは死への憧れということの二つの要素のぶつかり合いによって産まれる不愉快さを緩和してくれるんですよ。団塊世代のオヤジがさ、テレビの前に張りついてビールをかっくらいながら巨人を応援してるでしょ? 似たようなもんですよ、あらゆることが。結局前は前にあることは覆しようがなくて、これは後ろだって言い張ってみることは根拠の無い強がりなんですから、素直に麻薬に手を伸ばして、ジャンキーになって自堕落に過ごせばいいんです。ちなみに、表題のテキストプレイというのは、こうやってダラダラとテキストを書きまくり、そして書いたセンテンスをひとかけら足りとも削らずに投げっぱなし置きっぱなしにするという、とあるウェブサイトにおいて行われた衝動的かつ突発的、ちょっと自虐的で、面白味のあるイベントのことなのですが、まあ、そのサイトに書かれた注意書きの通りに私が書いているかというと、そんなことはないのです。ちょっとぐらいは削ってみたり、書き直してみたり、後になって考えを変えてみたりしています。何故なら、私がこうやって文章をウェブ上に公開するということの目的が、端的に言って自己陶酔にあるからです。他の人に文章を見てもらいたいとか、考えを発信したいとか、誰かに信じて貰いたいとか、そういうのではないのです、私の文章を書く目的は。きっと。目的というのを具体的に言いましょう、つまりは自己陶酔の説明ですが、それは、私が書いた文章を私自身が目を通して、私はこれだけの秩序物を形成するだけの能力を持っているのだと、確信し、盲信し、喜び、ちょっとした自己嫌悪に陥る。そういうことのために書いているんです。おそらくそうなのです。判り易い話です。だって、外側の何かしらに向けて書いているというような広がりのある恐ろしい大義名分よりも、自分のために、自己満足のために書いているとしたほうが、暖かい布団の中のように狭苦しくて愛らしいですし、なにより恐ろしくありません。前にも何処かで書き殴ったような気がしますが、そとって怖くありませんか? 私は日本に住んでいて、その日本という外的機構に守られているわけですが、その防御壁はなんて幸運で、なんて堅固で、なんともの珍しいものでしょうか。数千、数万ぶんの一の可能性によって生み出されたシールドが私を守っているんです、怖いなあ。もしそれが何者も守ってくれなかったら? 可能性について考えてしまいませんか? 考えるなだなんて無理な話ですよ。私は生物についてのドキュメンタリーを見ることが多いですけど、それらに登場する生き物は実に可愛らしく、保護欲や所有欲をそそります。だけれどその生き物の内面を鑑みるに、生きている限りに可能性という恐怖に向き合わなければいけず、ある日ある時ある瞬間、野蛮…という言い方は語弊があり、人間の思い上がりも甚だしいというものですが、まあそれはさておき、野蛮な肉食原生動物の腹の足しになってしまうか、おかしな病原菌に侵されて身が朽ち果てるか、それか足を踏み外す…まあ、色々な危険と隣り合わせなわけですよ。だからね、彼らは恐怖っていう感情を理解しようなどという、理性という不必要な持ち物を背負おうだなんて、これっぽっちも考えないのですよ。理性、こんなもの、担うこと自体が偉いことで、素晴らしいぐらいに腹の立つ負担です。しかし、人間にとってその理性は、別に欲しかったから手に入れたわけじゃなく、過去より綿々と列なる進化というタペストリーの先に、つい偶然、額のしるしとしてくっついてしまったものなんですよ。ったく。ついてないなあ。こんなもの要らないよ。だってね…って20分経った。本来のテキストプレイは1時間なのですが、私の根性なんてその三分の一ぐらい発揮出来ていれば上出来でしょうから、この辺で終わりにして、明日の予備校の予習をして、本でも読みながら、ラリらないように気をつけて睡眠薬を飲み下し、眠って明日への不毛な階段を登るべきでありましょう。かったるいなあ。文章、文章、書くのは楽しい? ウソをつけってものです。楽しくなんかない。苦しくもないが、少しばかり不愉快ではあって、でもそれは他のあらゆることよりかはまだ幾分マシであるから、こうやって唯々諾々と歩き続ける奴隷みたいにやり続けている。救いを求めるのは宗教的な感情だというのが定説ではあるけれど、それは本当でしょうか、宗教っていう胡散臭い単語を求める必要があるだろうか、宗教なんてクソッ食らえで、入信するぐらいなら自分で新興宗教の教祖になるつもりですが、教祖だって信者だって、信じているものが他人であるか自分であるかの差異しかないわけだから、結局同類項、同じ穴のムジナってものなのですよ。だから私が私教を作り上げようが、イスラミックジハドが天国の処女を目当てに特攻劇をかましてゲラゲラ笑われようが、似たように崇高で、似たように下品であり、似たように在り来たりな類似製品のパチモンなんでしょう。あーあ。それならガンダムだってガンガルだってどっちもカッコイイんじゃないか。何でいきなりロボットの話になるかというと、今さっきニュースサイトを読んでいたら、何とかかんとかという題名のロボアニメーションについてそのサイトの管理人様が語り明かしておられたからなのですが、ロボットというのは、所詮、変身願望の現れなのだから、人間に代わって敵と戦ってボロボロになる合金製のロボットの憐れさについて、考える必要があるのではないでしょうか。必要性はないかな、だって、壊れても痛みを感じないからこそ、壊してみたくなるというのが人情というものなのだから。自分の死を目の前でエミュレーションすることを、人間は望んでいるのだと私は思うことがあるのです。でも、人殺しは犯罪です、何故なら人殺しが犯罪でないのなら、圧倒的多数が生き残るという40億年の生物連環から考えて甚だ不条理な現代社会という秩序が保てないからです。だから人間は人間の代わりにロボットとか人形とかもしくは架空の人間とかを殺してみるのではないでしょうか。そんなふうに思います。危険思想なのかもしれませんけどね、殺しだなんて口にするのも恐ろしい、おこがましい、道徳に反している、外道の極みだ。そうなんでしょう、そうかもしれない、そうであることも考えられなくもない。だけれど、考えることは七面倒くさく、フォアグラに食物を詰め込みすぎて破裂したみたいな徒労感がある。だったら考えなくてもいいわけなのだけれど、私は20分で止めるつもりだったのに、けっきょく25分も書いて書いて書きつづけて、馬鹿じゃないだろうか。馬鹿ですね、そう、まったく馬鹿野郎で、産まれついての卑劣漢で、札付きの悪ってなもんですよ。それで結構。悪漢小説は大嫌いだけれど、それは自分の反転が文章として表されているからなんでしょう。ん、偽悪趣味はほんとうに趣味が悪いなあ。とっとと書くのを止めて、予習に移るべき、止めた、止めた。だいたい、書き過ぎて指が痛くなってきた。ペンを持つと指が痛いから文章を書くのが大嫌いで、そのせいでパソコンで文章を書くことはラクでいいとか考えているくせに、パソコンで文章を書くことが苦痛になるほど文章を書き続けるだなんて本末転倒もいいとこ、アホの考え休むに似たりというけれど、バカのお仕事迷惑千万ってなもんですよ。ったく。とっとと止めろ、止まりなさいよ、指。止めることもできないのか。できませんか、そうですか、そりゃノーベル賞級の意志の弱さだ。イグノーベル賞かもしれない。ゴールデンラズベリー賞かもしれない。馬鹿め、そんな猛々しく雄々しい賞が、お前なんかに相応しいと思っているのか。世間様の笑いと非難と蔑みを正面から受け止める、八百長のプロレスみたいに男気溢れるエンタテイメントを、お前なんかに出来るわけがないだろう。事実私にはそんなことは出来ず、出来ることはといえば、このように指先が痛む馬鹿らしいくだらない不愉快至極な三文芝居を、ウェブという広過ぎる界隈の片隅で、気の狂ったピエロのように演じつづけることだけなのです。ふう、本当に疲れました。疲れました。疲れてしまった。
2006/08/16
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◇小泉首相の靖国参拝について 僕は紙新聞を読んでいないのですが、その代わり、日経だの毎日だの朝日だののオンライン新聞を読んでおり、このブログのそこかしこにウェブ記事へのリンクがあるのを見ても判る通り、更新のネタもその辺から仕入れて来ています。なんですが、どうもこのところ、一番の目当てである政治経済欄が何処もかしこもヒドいことになっていてゲンナリします。靖国の話題ばっかし。ヒサンなところになると、2/3が靖国関連の記事で埋まっていたりする。読む気が失せます。いや、読むけどさ。マスメディアに携わる皆さんも更新のネタが無いのだなと思うことしきり。イギリスのテロは未遂もいいとこで尻すぼみだったし、中央アジアやアフリカでの事件なんて誰も興味を示さないから編集チェックを通らないだろうし、エキセントリックな犯罪も起こってないし。あーあ、面白くないなあ、いっそのこと北朝鮮が核実験でもやらかさないかなあ(おい) まあ、それでも終戦記念日である本日に小泉首相が参拝したことを持ちまして、靖国に関する報道は峠を超えることでしょう。そして、靖国問題を紙面埋めやタイムスケジュール埋めに多いに活用していたマスコミの皆々様は、大掛かりな飯のタネを一つ失うことになるでしょう。やーい、ザマミロ。靖国後のネタ探しに奔走する連中の姿を想像するに、笑いを禁じえません。情報の自転車操業なんかやってるからそうなる。事件をセンセーショナルに報じて散々煽っておきながら、旬を過ぎるとあっさり放り棄てるというマスコミの投げっぱなし路線は、以前から色んな媒体で飽きるほど取り上げられていることですが、いい加減改善したら? 共産党の張り紙乱舞や極右の街宣車じゃあるまいし、派手に喧伝したって面白くも何ともないんだからさ。とっとと事実のみを怜悧に報道する健全な情報提供機関に生まれ変わりやがりなさい。 え? お前にとって面白いとか面白くないとかは本格的にどーでもよく、今のような形態が社会の多数派に需要されているのだから、マスコミの体質が今後劇的に変わることはないだろうし、お前のあげつらう自転車操業的な産業機構だって、なによりそれで利益が出ているのだから、とやかく言われる筋合いは何処にもない? 多数派に属することの出来ない日陰者は、その名前の通りに、庭石の裏でダンゴムシのように丸まって生き存えてろ? 強者であり道化でもあるマスメディアというサンドバッグを叩いて粋がってるんじゃない? ぎゃーす。事実をいっちゃいけない、事実を。少数派で、不適応者で悪かったですね! けれど、ミミズだってオケラだってアメンボだって生きているんですからね。それを忘れないでいて貰いましょう。海より深い思いやりを要求する! ちくしょー、泣いてやる。 ……さて、いつもの自虐は置いといて、話の軸を適正化しましょう。今回の小泉首相の靖国参拝ですけど、やっぱりこれってバカみたいに騒ぐべきことじゃないですよねえ。日本人の9割と中韓人の6割は普通に予想していたことでしょうし、はっきり言ってというか、はっきり言う必要すらなく、極めてサプライズに欠ける。公約通りなんだし。マスメディアの体質がどーたらというのを脇に置いても、実際に騒がれているほどの話題性があるとは思えないんですが。 だいたい、首相が靖国に参拝したからって何が起きるんだ? 小泉首相の祈りに答えて神社の敷地が真っ二つに割れて、成虫モスラがその両翼を大空にはためかせるんですか? 燐粉を撒き散らしながら? そんなわきゃないですわな。中国政府や韓国政府の対日感情が悪化するんですか? いくら戦犯連中が合祀されているからって、たかだか右翼系の戦死者慰霊施設に首相が公人ですらなく私人として参拝した程度で国家間の関係が悪化するのなら、アメリカの大統領が就任時に聖書に祈りを捧げた瞬間、世界中のイスラム国家から政府公式の抗議が怒涛のごとく入っているでしょうし、イギリスなんて思い当たることが多過ぎてとっくの昔に世界経済から孤立しているんじゃないかと思うんですけど。ブリテン島の白人どもの悪事なんて数え切れませんよ? カッコイイですよね。他にもフランスは武器を売り回り過ぎですし、ドイツは戦争起こし過ぎですし、そしてイタリアは弱過ぎる。中国歴代王朝の侵略回数なんて数えるのもバカらしいですし、朝鮮半島の被侵略回数もまた然り。エトセトラ、エトセトラ。国民感情はともかくとしても、この程度のことで暗雲立ち込める国家関係というのは、元から何かしら問題を抱えているのではないかと疑問視されても文句は言えないはずです。 そしてまた、中国も韓国も、国内事情の安定のために、日本という非難先を必要としているという現実があります。つまり、靖国を非難する必要があるから非難しているのではなく、非難する必要があるから靖国を非難している可能性が高いわけです。それなら、良いじゃないですか、言わせてあげれば。国の安定を国家が追い求めるのは至極もっともな話なんですから。だいたい、中国のクソッタレ共産党体制が崩壊なんかしたら、近所で不発弾が爆発するみたいなものであって日本にとっても大迷惑ですよ? 朝鮮半島が情勢不安定になって最終的に赤化統一なんてやられた暁には泣くに泣けませんよ? 隣の部屋でヤクザが賭けマージャンをやりつつ自分の悪口を言っているからって、わざわざ部屋を飛び出て文句言いに行きますか? イヤですよ、そんなアホなことやるの。別に殴り合いに勝つとか負けるとかそういう次元じゃなく、何の利益も見込めないリスクを負うのは、マヌケの極みってものです。 過去の記事で何度も言っていますけど、けっきょく靖国問題っていうのは日本国と他国との外交問題なんですって。そうとしか思えねー。で、するてぇと、靖国という外交問題を語るにおいて、損得感情以外に何の正統性があるんですか? 得なら公式参拝でも何でもやればいいし、損なら靖国にテポドンでもスカッドでもブチ込んで粉砕するってだけの話だと思うのです。国民の利益を優先しない国家ってナニモノですか? それに、よっぽど酷い人権蹂躙とかをやるのでない限り、非合理的な国家ほどはた迷惑なものはありません。今後どういった行動を取るのか、計算が立て辛いからです。まあ、撹乱戦術というのもアリといえばアリなので、一概には言えませんけど。 そもそも、僕なんて、問題として表面化する以前は靖国神社なんて存在すら知りませんでしたし、知った今だって、こうやってダラダラと駄文を書き殴るためのネタとしての興味の対象でしかありません。そりゃ、もちろん、精神的な支えとして靖国神社を必要とする人もいるんでしょうけれど、それが民主主義国家日本において多数派だとはどうしても思えない。っていうか、ぶっちゃけ少数派でしょ? それなら放っておきましょう。靖国が大事だって、朝の連続テレビドラマが大事だって、ドラクエが大事だって、ブンガクが大事だって、みんな一緒。見栄えはともかく、本質的には同レベルなわけですよ。基本的人権という言葉も在る。疑わしいものだけど、表面的には在るという前提でモノゴトは成り立っている。なら、お互いに不可侵のまま、あやふやなままで良いじゃありませんか。日本人的価値観とか、モラルとか、そんなものはどうだっていいんですよ、今は一朝有事のときじゃないんですから。騒ぐなと言いたい。五月蝿いんだから。目障りなんだから。面白くもなんともないんだから。くだらないんだから。 てなわけで、ウェブ新聞の記者の皆々様は、もっと面白いネタを何処かから引っ張り出してきて欲しいものです。テポドン3の情報はまだですか?
2006/08/15
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3000字ぐらいの長文を書いたら、ブログ管理システムの操作ミスで電子の海のモクズと消えました。最悪。もうヤダ。不貞寝します。 ちなみに内容は、いつもの時事ネタニュースと、近況報告と、それから一人称についての思考文。おおまかに要約すると、僕は「僕」っていう一人称が好きではなく、「俺」というのは論外であり、「私」はそれなりに好みであり、「わたし」は柔らかい創作に向いていると思うけれど、そのくせ「あたし」は作り物っぽくてキライであり、「我」とか言っちゃうとそれは何処のマルキシストですかって感じだし、「拙者」なんて言えば軍国主義者と勘違いされるだろう。だったら「麿」だの「わらわ」だの時代が来たってことですか? そんなわきゃないわな。みたいな内容でした。 内容がないよう。
2006/08/14
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今日から僕は「新石司」です。 ……変わってねーじゃん、ですって? 変わってるんですよ。何が? 読み仮名が。 しん・いしつぐ → しんいし つかさ いやー、司で「つぐ」って読むのは古臭い用法らしいんですよね。で、古文みたいな朽ち果てた暗記科目が校舎に火を放ちたくなるほど大嫌いな僕としましては、今風の読み方に改めたく思ったわけなのですよ。 というわけで、以後ヨロシク御願いします。
2006/08/13
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50日足らずで100本越えということは、一日2回強更新しているということ。お前、書き過ぎ。その割りに中身は薄く、論旨に説得力は無く、表現には華美が足りません。やれやれ、もうちょっとマシにならないものかなあ。無理か。 さて、例によって時事ネタ、行ってみましょう。◇イギリスでのテロ未遂事件について まず言っておきたいのは、良く防いだ、感動した! ……ってなところでしょうか。現実問題としてテロの恐怖というのが日常化しているのが今の先進国であって、また、今回のテロが実際に勃発した場合には第2の9.11と成ってしまうことが想像に難くありませんから、防げたという事実には、諸手を挙げて賞賛の意を示すものであります。テロが起こることによる経済的損失って、ほんとうにバカになりませんからねえ。何だかこのことを意図的なんだか天然なんだか知りませんが考慮に入れない人が結構いるので言っておきますけど、9.11テロによる米国の経済的損失は1000億ドル、全世界規模に換算すると3500億ドルに昇ると言われています。「9.11はアメリカが中東に侵攻するための自作自演なのであーる!」とかいう寝言をおっしゃっている人々は、その辺を良く考慮に入れて発言していただきたいものです。 しかし、それはそれとして、今回のイギリス政府の公式発表、および報道には幾分疑問が残るのも確かです。20人あまりを一斉に逮捕することができたということは、以前からかなり捜査が進展していたということは間違いないわけで、するてえと、最高度のテロ警戒レベルにする必要は、実質ほとんど無いはずです。主要犯が20何人も掴まってしまえば、計画も完全に駄々漏れで、実行に移せる可能性はゼロに等しい。それなのにわざわざこれほどまでにテロの可能性を煽りたてるというのは、やっぱり国民にテロの危険を知らしめるための、政治的パフォーマンスの一面を含んでいる、のではないでしょうか。まあ、それが悪いって言うわけじゃなく、プロパガンダの使い方としては、良いやり方だと思いますけれど。9.11から5年。そろそろ先進国住民も平和ボケて来た頃ですし、煽るだけ煽って良いカンフル剤にしよう、と。まあ、悪くないんじゃないです?◇レバノン政府が停戦に合意 イスラエルがヒズボラをボコりつつチンタラ引き上げる>国連軍が治安維持に介入 予想通りのパターンになりそうな雰囲気濃厚です。また日本は金をせびられるんでしょうねえ。やだやだ。面倒くさい。イスラエルばんざーい!
2006/08/13
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雨は好きだ。私の生きる空間に満ちた、あらゆる喧騒を、耳障りというほどではないけれど、あからさまではないけれど、やっぱり存在する喧騒を、覆い隠してくれるから。 朝、夜明けのその直前、私は目覚めて、音を感じ始める。もっとも判り易いのは、電車が線路を打ち鳴らす音。始発は確か、午前5時前。私は布団に身を埋めながら、音に触れる。ごとん、ごとん。ら、ら、ら、ら。ふぃー…っ。音たちは、普通ならば、無害なものであるはずなのだけれど、その普通という基準は、実に曖昧で、ほんとうのところ、確固たる線引きなんて在りはしない。都会の空気の有害性、河川の水を汲み出して飲み干すときに、身体の中に入り込む異物の存在。日々着実に重ねゆく老い、など、など。似たようなもので、結局、判断の基準になるのは、人が認識出来るかどうかであり、また、その判断基準は所詮、気休めに過ぎない。実際とはかけ離れている可能性が、ずいぶんとある。 音。音、音。いつも私の傍にいて、ときおり私の認知は、彼ら音に対して、ああ、これは危険だ、苦しい、消えてください、と、思う。でも、振り払う私の腕をすり抜けて、彼らは纏わりついて来るので、結局、最後には諦めて、瞼をしぱしぱとまたたき、脹脛に指をそっと這わせ、かすかな、それが、そうだ、と確信できるぎりぎりの程度の頭痛を、甘んじて受ける。 人々が目覚め始める時刻、朝の六時とか、七時とかになると、音が当たり前のものになって、頭痛は消えて無くなる。いえ、その、無くなる、というのは正しくない。認知できなくなる、のだ。当たり前になりすぎて、握り締めた私の指の隙間から、音の危険性が零れ落ちていく。音のダメージは私に着実に被害を与えているはずなのに、その事実を私は認知できずにいる。そのようになる。おそらく、そうなのだ。だって、認知できないから、おおかたは推測の域を出ていない。 でも、私は雨が好きで、雨の音が好きで、そのさらさらとした感じが好きなのだから、半ば間接的に、日々私が暮らす空間における音の、その有害性が、証明されているのではないだろうか。雨への好意。庇護してくれる者に対する愛情とか、逃避に見られる快感とか、眠りへの喜びとかいったものに似て。 雨が降っている、その雨の中に入り込んで、身体を濡らして、感触の明晰さと感覚の曖昧さの狭間に潜り込みたい、と、考える。でも、理性的な部分が少しは残っているから、そんな馬鹿なことは、せずに済んだ。
2006/08/13
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このところ正直な話ロクなことがありません。どうやら胃炎が再発し始めているようですし、眠れないからって睡眠導入剤を処方してもらったらさっぱり効かない上、モノの見事にラリっちゃって家族に大迷惑をかけてみたり。延々とくどくどしく喋っていたそうなのですが、しっかりと意識は保てていたので、僕がこれから薬物および酒類にハマることはまず無かろうと思われます。だってアレ、全然楽しくないじゃないですか。醜態を晒す自分を認知しながら、しかしその現状を覆すことなんて出来やしない薬物という強権の存在を感じている。こんなに腹の立つことなんて、そうありゃしませんって。アル中やジャンキーの人ってある意味尊敬できますね。それほどまでに自分を振い棄てることが出来るだなんて。特攻隊とかに向いてるんじゃないですか? 僕は無理、どうやったってそんなこと、不可能ですよ。だって自分が可愛い、何よりも、我が家で飼っているハムスターよりも。僕の価値基準では、それはずいぶんとハイクラスな一品なのです。判りにくい? ほっとけ。 胃炎は胃炎で、なんで再発しているかっていうと、一日6回飲まなきゃいけない薬を2~3回しか飲んでいないこと、なんですが、これは薬を出してもらった1ヶ月ほど前から涙が出るほど判り切っていたことだったりします。いや、だって、無理ですって。人生丸投げに近い状況に追い遣られても大した対処策も練れないような、半精神病患者のボケナス根性無しが、毎日毎日一日6回、散薬と錠剤とカプセルのコラボレーションを受けて立つだなんて、亀田三兄弟に格闘技なんてかじった程度の僕ごときが素手で闘いを挑むぐらい無謀ってものです。誰かピストルをくれ! ってそういうわけじゃなく、単純に、せめて錠剤かカプセルに統一するか、もしくは飲む回数を減らしてくださいよ。ヤブ医者、頼むからさ。散薬飲むのマジ面倒くさい。おまけに、そのカッタルイ散薬に限って飲むべき時間帯がよりにもよって「食間」なんですから始末に終えない。アホか。食事の2時間後だなんて、予備校だっつーの。自習室でコツコツと鉛筆を走らせるふりをしながら意味不明な考え事をしている真っ只中に、突然立ちあがり、トイレの洗面台の前に向かって胃の痛みにアブラ汗を浮かべながら散薬を飲み下すだなんて、そりゃ何処の映画の悪役メンヘル気違いですか? 見栄えしなさ過ぎ。見栄えとかそういうの以前に、面倒くさすぎる。だいたい、浪人生まがいの暇人である僕ならともかく、普通に日本経済に貢献してらっしゃる方々に、一日6回も薬を飲むタイミングを捻出できるのかっていうと偉く疑問なんですが、お役所仕事と同レベルの安定生活である羨ま妬ましいドクトルの皆々様にとっては、そのような疑問点なんて大事の前の小事に過ぎませんか、そうですか。死ね。ちくしょう高給取りめ、妬ましいったら妬ましい。社会底辺層の恨みツラミを舐めるなよ! 大したことなんて出来ませんけどね、こんちくしょー。
2006/08/12
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帰って来ました。だるい。
2006/08/11
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行って来ます。
2006/08/11
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◇フランスの女性大統領候補(52歳)のビキニ姿がよりにもよって盗撮されたそうです。 青き十代である僕としましては20年遅いんだよと言いたいところですが、っていうかゴシップ誌なのか知らないが編集者は夏で脳がイカレたのかと思ったのですが、流石に実物を見ずに審判をくだすのはモラルに反しているので、ウェブを巡回して画像を探すと、ロンドンタイムズのオンライン版に目当てのブツが載っていました。>>52歳の大統領候補であるオバサン これで52歳? 結構若く見えますね。画像を改竄してるんじゃないの。肌も悪くないし、顔はサングラスのおかげで良い具合に誤魔化せてる。胸だって年齢のわりにそんなに崩れてない……とか初見でそんなオヤジくさいことを思ってしまう自分が大嫌いでス。◇レバノン ヒズボラトップの皆々様はとっとと一般大衆の面前に現れて割腹自殺しろ。そうすりゃ歴史的な評価が得られるかもしれない。かなりの確率で笑い話としての評価だろうけど。イスラエルが増援を出して戦線拡大? ああ、はいはい、わかったわかった。もうパァーっとやっちゃって、パァーっと(やけくそ)。ここまで来るとイスラエルの一人勝ちは決定なわけで、レバノン政府は、せいぜい自分の内政能力および外交能力の足らなさっぷりを悔やんでください。元はと言えばヒズボラに対処し切れなかった自分たちが悪いのであり、言うなれば自業自得。 あと、イランは早々に米帝閣下の足下に跪くべし。面倒くさい。長い物には巻かれろという理屈が未だにわからないだなんて。朝鮮半島を見習いましょう、彼らは千年単位で実践してるんだから。それからシリアは身のほどを弁えろ。ヒズボラへの武器給与に味を占めてるとそのうち火傷するぞ。するまで気がつかないんだろうなあ。さらに言えば、今回のレバノンに限らず、世界中の紛争地帯に軽火器を売り歩いている中国は死ねばいいと思います。お前、曲がりなりにも大国だろ? 日本も人のこと言えないけど、少しは自分の身の丈に合った責任を取れよ。これだから中華野郎って奴は。 なんか好き放題言っていますが、ただ、忘れてはいけないことは、日本はもはやアメリカと一蓮托生と言って良いほどに経済的に偏った国であり、そして当のアメリカは、中東の安定のための橋頭堡としてイスラエルという国を必要としているということです。日本にとってもイスラエルは必要であり、いくら心情的に納得できないといっても、それが現実です。中東の国々がアメリカという世紀の支配者に対して反感を持つのは、腹の立つほどに良くわかる話ではあるのですが、けっきょく我々先進国の住人は、「持てる者」であって、彼らは「持たざる者」であるという前提を、見過ごすべきではないと思います。純粋な感情に基づいて処断を下すことは避けなければいけません。人間は高尚な生き物ではないのです、だからこそ理性を信奉しているのです。 さらには、それを知りつつも、行動に移せる人が、最も尊敬すべき人種なのだと、僕は考えます。 ……何か最後はマジメな話なつもりなのに、中身は薄いなあ。◇BC級戦犯合祀、靖国神社が非公表を要望していたらしい 前の天皇メモも似たような感じでしたが、この手のネタが立て続けに湧いて来るということは、国もA~C級戦犯の分祀の方向に動き出したってことですかいな? 世論を分祀オッケーの論調に誘導しようとしているように見えるぞ。面倒くさいなあ。靖国なんてホントどーでもいいと思うんだけどなあ。まあ、僕が靖国が現状のまんまで良いと考える理由は、戦犯合祀が明らかになったときに世論&他国から騒ぎになるほどの反発が出なかった=合祀を受け入れていたわけだから今更蒸し返さなくても、ということなので、世論が分祀バンザイになってしまえば、それに反対するような理由も別段見つからないわけですがー、どっちにしろ、面倒だということには変わりがありませんよねえ。つーか、靖国神社、埃出て来すぎ。不況でニッチもサッチもいかなくなった大企業の醜態みたい。ダイエーじゃあるまいし。 いっそのこと北朝鮮のテポドンが靖国に直撃すりゃいいんじゃない? そうすれば新慰霊施設を建設することになっても、「まあしょうがないかな?」と思えるし、北鮮強硬派の意見も説得力を持つようになるでしょ。北鮮が崩壊すると日本としても困るので、締め付け過ぎるのもなんだけどさ。それか、神社を脇にやって特大レジャー・ランドを造って人を呼びまくるとか。カミカゼ特攻の気分を体験できるアトラクションなんてどうすか? 不況もそろそろ終わりだと騒がれていることですし、バブル真っ只中の熱気を再現するってことで一つ。まー、いつ風向きが悪くなるかわからない怪しい景気回復ではあるけどさ。もしくは、靖国に変形機構を導入して対宇宙人用の決戦兵器へと一新。地球の平和を乱すメリケン星人を打ちのめすヤスクニアス3として……って、ここまで来ると悪ふざけも良いとこだな。◇夏の風物詩、市民プールで子供が死んで何故かマスコミが大盛りあがり 頭の悪いアルバイトに管理の任された市民プールで、頭の悪い両親が無謀にも単独行動を許した、年齢的に頭の悪いことが当たり前のガキ一人が死んだことぐらいで、どうしてこんなに大騒ぎしているのでしょう。よくわかりません。7年ぐらい前に近所の市民プールで似たようなバカが似たような死に方をしたけど、そりゃ近場では騒ぎになったとはいえ全国的な騒ぎになんて微塵もならなかったんですけど。何だかこのところ、秋田のハタケヤマだかバカケヤマだか言う殺人事件みたいに、どーでもよさそうな事件が第三次世界大戦でも勃発したかのように報じられているような気がするのですが、どうなんでしょう。よくわかりません。まったくよくわかりません。どうでもいいや。
2006/08/10
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ええと、睡眠時間11時間半。疲れていたみたいです。 にしても、昨日の更新、ヒッドイなあ。全体から頭の悪さが滲み出ていて、題名にだけ僅かに理性が残っている。まさしくウワゴトですな。だいたい、知性至上主義ってどのクチがそんな科白ホザきますか。恥性の間違いじゃねえのか。 ついでに昔の更新を見返したら、誤字脱字だの、書き間違えだの、事実誤認だのを山のように見つけたので、訂正。なんか、消費税を下げるのは仕方ない、とか書いてありました。どうやってこれ以上下げるんだか。上げなきゃ破綻するまでなんだから、上げる以外に道はないでしょー。バカみたいなミスが多すぎる。何とかしろ。誰かもっと高尚な脳ミソをください。 あーあ、だるい。もう一度寝ます。おやすみなさい。
2006/08/10
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「確かに、宇宙というのは魅力的な物件です。突き詰めて行くことは実に正しく、信じるに値する。しかしですね、それは、実際にそうするということは、本質の枝葉に過ぎないのです。なにより、Flankly Speaking...ようするにぶっちゃけた話をしますと、ですね。私は知性至上主義者なのですよ。人間の理知性を突き詰めれば、「最終的には」何事も正解に到達する、そんなふうに考える理想主義者なのです。ですから、人間は学問をすべきですし、さまざまなことを色々な角度から考察すべきですし、文学を読みこなすべきですし、詩歌をたしなむべきであり、そしてまた人類愛について深い洞察を繰り返すべきだと思うのです。妄想高じて現実を見る目を失っている? まあ、確かにそうかもしれませんが、代わりのものが手に入るほど大層な頭をしておりませんもので。十年近く前から現役なこの考え方を、未だに使用しなければならないのが私という人間なのです。 ローマだったかの古い思想にコスモポリタニズムというのがありますけれど、おそらく私の考えは、それに近いのではないかと思います。地球市民、つまりはこの星に息づく総ての人が手と手を取り合うということ、ようするにつまり何処ぞのヤクザが言っていた人類皆兄弟と同レベルであって、まったくとてつもない話です。どれぐらいとてつもない話かというと、今現在それを声高に叫ぶのは不可能としか思えないぐらいにです。叫べば叫ぶほど、逆効果になるのは目に見えていますから。右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せと誰かは言っていましたが、そんなことをすれば左の頬を裂けんばかりに張り倒された後、鼻っ柱をヘシ折られ、気絶したところをハイエナされるのがオチでしょう。アバウトなたとえですが、現実はそういったふうなのです。 かといって、絶対に不可能だということではありません、おそらく。何十年何百年、試行錯誤を繰り返して、よりよい方向に世界は向かうだろうと思われます。今はただの妄想レベルな地球市民という価値観だって、現実化しないとは言い切れません。ただ、問題なのは、バケツの水がいつしか腐り始めるように、恒久的な安定は根本の腐敗を生むということ。平家物語の冒頭がまさしくこの現象を示していますね。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。アテネはペリクレスによる最盛期をもって衰退を迎え、ローマは五賢帝を経て軍人皇帝へと下って行きます。現代だって同じこと、ベトナム戦争によって米国は下り坂を転げ落ち、バブルが崩壊して日本は低迷を迎えました。もっと簡単に言えば、人だって何時しかは衰えて、やがては土に帰るのです。ようするにつまり、ずっと頂点に留まり続けることは不可能だということ。私がさっき理想として言った地球市民という価値観だって、果たしてそれが達成されたとしても、どれだけ持つのかはっきりしたことは判りやしません。100年200年の安定をもたらすかもしれないし、10年で崩れ去るかもしれません。そんな半端なものを理想とするのはどことなく不安に思えて来ます。となると人間の常として、その不安を打ち消すべく、半端さを解消するための何らかの手段を模索するのです、私も人間らしく、実際そうします。そうして私は「何らかの方向性」という概念を引きずり出しました。バケツは停滞しているからこそ腐敗する、それならたゆたう流れを創り出してやればいい。まったく単純で、まったく合理的で、それから流れというのはまったく綺麗なものですから、丁度良いのではないでしょうか、投げ槍という意味で? えーっと……私達は今、何を主題にしようとしていたいたのですっけ。確か、宇宙開発? そう、そうでした。宇宙について話そうとしていたのです。有り触れ過ぎていて手垢に汚れた宇宙についての不確かな発言を繰り返そうとしていたのです。ああ、実に自虐的な衝動が脳裏を掠めました、しかし今私はそれを無理に振り払います。何故というなら私はこの頃、少々一般から言って正常な道というものから外れてしまっているらしいのです。理性を持ってすれば簡単に喝破できるハズの簡単な論理矛盾が、さっぱり目に見えない、言うなれば精神的な盲目状態にあるようなのです。そういうわけですから、多少のあやふやさ、道程の荒さ、結論の惨めさには目を瞑って頂きたいのです。誰に言っているのか? もちろん私の想定する仮想の読者の皆々様に対してではありますが、実はそれ以上に、自分自身のために話しているのです。言い訳は浅ましいものですが、時には、今みたいな不安定な場合には特に、一時的な麻酔みたいな役割を果たしてくれます。麻酔とは麻薬であり、心身を著しく害する薬物ではありますから、常用は禁物ですが、それしかないという緊急の状態においては、使用もやむなしではないでしょうか? そういった理屈、というよりも屁理屈から、薬物に全身を蝕まれてしまう弱者が後を絶たないという事実を、私は「事実としては」重々知っております。だけれどこれはどちらにしろ、ギャンブルみたいなものなのです。というより、あらゆることがギャンブルめいた要素を持っていて、それらを我々人間の理性は鋭く拒んでいますけれど、本質、大脳新脂質のその奥に存在する本能を司る多量の中枢は、そういった要素を実のところ、望んでいるのではないかと思わないではありません。そういえば何処かしらの学者が「人間というのは遺伝子に寄生されている肉の塊に過ぎない」と言っていましたが、その言葉、つまりは理論に私は賛同しないにしろ、発言によってもたらされる印象には、賛同する面がそれなりにあるのかもしれません。その印象は、私のいつも言っている印象という言葉の例に漏れず、話し辛く、たとえ話したとしても実に陳腐なものになってしまうという大変不愉快かつ鬱陶しいものです。しかし私は言わざるを得ないでしょう、どうしてかといえば、それ以外にどうすることができたでしょう? そう、まさしくバケツの中に安定した水は腐敗するのです。方向性、イコール言葉の流れを私は求めてきました。それこそ私の偏執狂的な言葉に対する執着、なのかもしれません。断定はできません、だってそうしたら、私は安定して、何時しか同じように腐敗してしまう。立ち止まることは許されず、奴隷は奴隷らしく歩き続けましょう。そうでなくてはいけないのです。だから私は、今日のこの時間にも、今言った言葉の通りに振舞いましょう。私は今から、さっきの遺伝子についての話における「印象」を説明しようとするわけです。インスピレイションいわく、人間には誰しも常に自分自身を観測する視点を持っていて、その視点に色々な名前をつけて、その名前からさらに色々な概念を発展させているのです。名前にはたとえば神だったり、我思うだったりし、概念は神学であり哲学であり、科学であり言葉であり文章であり、はたまた理想であったり、そして無の精神だったりするのです。……ああ、陳腐、実に陳腐だ。印象はやっぱり、言葉にするとその輝きの大半を失ってしまう。かといって自分の内にしまっておけば、輝きを失い腐ってしまう。まさにジレンマですね。しかし、完全な解決があり得ない以上、私はベターな選択を取らなければいけないのです。ですから私はこれからも書き殴って醜態を晒しますし、思索に耽って周囲に迷惑を振りまき、一方的な会話によって他者の気分を害するでしょう。実に不愉快な話ですが、それが一番「マシ」なので、そうするしかありません。私は実際、当分はそうし続けるでしょうよ、少なくとも、人格の6割ぐらいが入れ替わってしまうまでは。まったく、不毛な。 ……ああ、そういえば。肝心の宇宙開発に対して、さっぱり話していませんね。え、何ですって? 大ウソつき? なんてこと! 貴方たちは勘違いをしている、その単語は私に対する非難になんかなりゃしませんよ。褒め言葉です、それは、私にとっては、いつまで経とうとね!」
2006/08/09
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これってもう完結しているわけだから、「連載小説を書いてみようはぁと」などと言うカテゴリにはまったくそぐわないような気がします、が、まあ、いいか。◇5人のマネキンシリーズ短文をテキトーに加筆して5万字あまりの長編として無理やり纏めてみました。 そのあまりの泥縄っぷりは既にギャグとしか言いようがありません。序文を抜粋してみましょう。-------以下引用------- この文章群は、小説としては重大な欠陥を抱えています。理路整然とした流れは存在しませんし、5人の登場人物……化石みたいなアナーキスト、夢見がちな美大生、若くして枯れた投資家、悪い意味で女性らしい女性、そして、曖昧な浪人生……のそれぞれも、確固たる造形を与えられてはいません。さらには、表現のすべては遠まわしなほのめかしであって、断言は何処にも見当たりません。これを小説だと言い張ることそのものが、好い面の皮なのかもしれません。 しかし、その曖昧さこそが、私の持ち物の抽象であって、なにより半端な私自身なのです。そしてまた、私の同族である、意志薄弱で先を見通せない、哀れな今を生きる若者たちなのではないかと思うのです。だから私は、このような外殻の外れた、見苦しい代物を、ひとまずの完成品だと言い張ろうと思うのです。-------以上引用------- 自分で書いておいてナニですが、これほどツッコミどころ満載の文章もそんじょそこらじゃ見られませんよ。個別に化けの皮を剥がしていきますと、>この文章群は、小説としては重大な欠陥を抱えてい~>~のそれぞれも、確固たる造形を与えられていません。 ったりめーだバーロー。短編をブラックジャックの顔面みたいにツギハギにしたんだから、纏まりだの一貫した流れだのキャラの造形だの、あるわけがないのです。いやー、事実を歪曲した開き直りっぷりもここまで来ると見苦しいを通り越して清々しいっていうか、自分がやってることなんだから恥を知れって感じですねごめんなさいすいません。>これを小説~好い面の皮なのかもしれません。 ええ、ええ、まさしく好い面の皮ですとも。滑稽過ぎてヘソで茶が沸きます。>しかし、その曖昧さこそが~私自身なのです。 まあそれはあるかもね。書いたの僕だし。しかし、>私の同族である~若者たちなのではないかと思うのです。 この言い訳は人類としてどうなのかと思われます。今を必死に生きるスタンダードな若者を、生物学的に劣位であって被淘汰種族である自分と同列に並べるなよ、恥知らず。そのくだらない生き様に全身で後悔を表現しつつ、泣きながら懺悔した後に頭髪剃り落として出家でもしとけ。どうせいらんことに脳みそ使い過ぎてて若ハゲは決まったようなものなんだから、ちょっとしたタイムラグが生じるぐらいで一緒だろ、結果的には?>だから私は~完成品だと言い張ろうと思うのです。 もう極めつけ。この文章が完成品だとしたら、世界中のあらゆる完成品は神の見えざる手によって生み出されたオーパーツもかくやなシロモノですな。素直にその場の気まぐれで造り出した、不良品のひび割れ部分をセメントで埋めて「はいオッケー!」って物体に過ぎないということ認めるべきです。 てーか、そもそも、何でこの文章がこんなに中途半端な造りになっているのかと言えば、ぶっちゃけた話脳内ストーリーを全部描ききるのが面倒だったのでブチブチに千切って特定の場面だけを抜粋したからのくせに、さも「これが僕の狙いだったんですヨー」ってなふうに開き直るのは止めましょう。アホか。5流評論家の文書評論みたいなこと言ってるんじゃない。お前の羞恥心はシロアリ以下か。正常人なら今日は国恥記念日になるぞ。死ねよや。 ……とまぁ、そんな感じの文章群なんです。お察しください。自分の文章をネタにして良い気になっていることも、ついでにお察しください。
2006/08/08
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◇ジョン少年の怨念の詰まった空飛ぶベッド(inDQ6) 一言で言うと……酔うんじゃないでしょうか。磁力で浮かぶってことは、そんなに安定度が高くないですよね? 体重を掛けたところがガックンガックン下がって、寝ながら船酔い気分が体験出来るに一票入れておきます。◇めぐみさん拉致映画、劇場公開 流石ハリウッド! プロパガンダのメッカと言われるだけあるぜ! ちなみに、この映画が公開されることによって最も利益を得るのは日本ではなくアメリカです。どうしてかと言えば、今のところ日本の国益に適うのは、非情なことながら、拉致問題の解決よりも北朝鮮の現状維持だからです。現状、日本にとって、北朝鮮に圧力を掛け過ぎるのはよろしくないのです。何故なら、北朝鮮が崩壊すると最も困るのはもちろん南朝鮮であり、次に中国、そしてロシアなのですが、その次に困るのは他ならぬ日本なのですから。 北朝鮮が崩壊した場合、山のような難民が周辺国に流入されることが当然予想されます。朝鮮半島と日本との間には海という自然の障壁がありますが、しかし、渡って渡れないものではありません。ボロ船に貧乏人を満載した難民ボートが日本海を席巻し、命からがら辿りついた朝鮮人の皆々様は、日本海沿岸地域の治安を著しく悪化させてくださることでありましょう。おまけに、湾岸戦争やイラク戦争の例を引くまでもなく、朝鮮半島が混乱に陥れば米軍が治安維持に介入せざるを得なくなり、その結果日本は莫大な金銭的協力を迫られることになるでしょう。つーか、いつものパターンってやつですか。戦費供与は日本経済に冷や水を浴びせる結果となり、ようやく上向いて来ている景気はあっさりと崩れ去って、またもやあの「10年の停滞」の再来が、我々の目の前に重々しく鎮座することになるのです。たーすけてー。 アメリカとしては、偉大なる太平洋が間に横たわっているおかげで、空港をチェックするだけで良いから、ラクなもんですよねえ。羨ましい。いや、妬ましい。なんで日本の北がロシアで東が中国と朝鮮で西がアメリカで南は海なんだ! まともな国家はドコデスカ! 一番マシなのがアメリカって、もう、世も末ってやつですね。皆でハワイにでも亡命しますか。ハワイもアメリカ領だけど。◇安倍官房長官 関西財界に協力要請 言ってることは昨日の谷垣さんよりマシに見えるんですが、ただ、これって癒着してるって言わんばかりですよねえ。ノンプロ集団と財界団体……財界団体のほうがまだマトモとは思うのですが、結構究極の選択の赴きですな。◇ればのんのん レバノン政府の「停戦要求を呑めっていうのなら、イスラエル軍も出ていけよ!」というセリフは至極もっともなのですが、イスラエルのシンパであるアメリカが国連を取り仕切っている以上、いくらもっともな話だといえども、聞き入れられることはないでしょう。お粗末様。イスラエルサイドの外交的勝利。いつものことですね。
2006/08/07
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◇チャンピオン亀田は大晦日の試合を渋っているようです こんな感じっすか。TBS 「亀田さん!落ちついてくれ!大晦日に試合さえすれば・・・」 TBS 「うっ!TBS本社に連れて来たんだ、ここで話せば・・・離れていろ!顔を潰されるぞ!」 記者 「確かめたい事があります!気にしないでいいですよ」 TBS 「チンピラ親父だぞ!?」 記者、亀田父にインタビュー開始。TBS 「正気か!エセチャンピオンもその親父も・・・!」 記者 「大切な事なんです!黙っていてください!」 TBS 「・・・試合拒否?」 亀田父 「憶えているかい? TBS」 TBS 「な、何を?」 亀田父 「あんたが息子の三階級制覇を約束してくれたことがあったろ?子供たちがただのチンピラで、おかあちゃんは俺に愛想をつかして逃げちまった頃さ」 亀田父 「あのおだては嬉しかった。俺のヤクザな人生最高のプレゼントだった」 TBS 「ごめん、憶えていない」亀田父 「そうか・・・そうだろうね!あんたは約束を破り、興毅の対面など絶ち切ってランダエタに金を渡した!」 TBS 「違う!亀田さんだって息子さんが大晦日に戦えば、俺の言おうとしている事は解ってくれる」 亀田父 「お前は興毅の経歴を・・・傷つける!」 TBS 「うっ・・・亀田さん!」 TBS 「亀田さん!・・・ああっ!」 記者 「わああっ!」 TBS 「うっ・・・!自分がチャンピオンの親父だと思いきってる!」 TBS 「何が不満なんだ!この興行業界に!」 ……さて、テレビ業界には「子供と動物を番組に使うのは、思い通りにならないので止めといたほうがいい」という至言があるそうです。その言葉を前提にして考えると、今回はTBSが全面的に悪いってことになりますね。てなわけで、僕は全面的に亀田家族を擁護することにします。 おいTBS、自業自得だ、ザマミロ。ははははははは。
2006/08/06
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◇レバノン情勢 敵対行為の全免停止への決議案 イスラエルとしては、やりたい放題やった後の事後処理を国連に丸投げといういつもの形に持っていく気マンマンで、実際に現実もその方向に流れています。相変わらずユダヤ人というのは老獪で、外交がうまい。日本も見習うべきですね。 あ、ちなみに僕は帝国時代のイギリス大好きな外道野郎ですので、そのへんヨロシク。理性的にモノゴトを処断した場合、倫理面はけっこーどうでも良いと考えているのでございます。 最低限のラインを踏み超えなければ、ですが。◇たかだか不審車両に向かって警官が発砲 おまけに七発も。お前ら、ようするにテッポー撃ちたかっただけとちゃうんかと。「よっしゃ逃げやがった、これで夢にまで見た射撃許可ゲットォーッ」とか考えてたんじゃねえだろうな。悪いことは言わないから、そのニューナンブ(今の制式拳銃はスミス&ウェッソンだっけ?)を僕に貸しなさい(おいこら)◇高校野球について ホントどーでもいいです。もっと面白い番組を企画してください。つーか、あんな炎天下で延々とうら若き高校生の身体を酷使させるだなんて、どっかの人権団体から抗議が入っても良いレベルだと思うんですが、なんで何処の団体も気に掛けないんでしょうね。可哀想に。◇谷垣総裁候補について 靖国を争点にするのが僕としてはまず論外なんですが、それにも増して、NPO法人への寄付金控除額を引き下げとか寝言をおっしゃっている時点で、ああ、こりゃダメだ、みたいな感想がずももももっと湧いてくるのですが。この人消費税10パーセントとか言ってるんじゃなかったっけ? 消費税上げといてノンプロへの優遇処置ですか。エクセレント! さよなら、もう出て来なくて良いヨ。 まあ、このまま行くと破綻が見えている財政を再建するために、最終的に増税が必要だというのは火を見るよりも明らかで、そうなると消費税を上げるっていうのは至極最もな話なんで、そのことに反対するつもりはあんまり無い(もっと地方公務員の給料カットとかやって財政のスリム化をする努力をしろとは思うが)んですが、労働者の負担を増やす傍らで、よりにもよってノンプロの肩を持つだなんて。勘弁してください。 ノンプロの何が問題かって言うと、市場経済の淘汰機能が完全に働いていない非営利団体っていうのには、もちろんマトモな組織もあるんでしょうけど、営利団体に比べて素晴らしく高い確率でクズが混じっているんですよね。設立者とシンパの自己満足と自己陶酔で成り立つアイタタタ集団とか、非営利とは名ばかりの単なる企業のペーパーカンパニーとか、悪いのになると犯罪集団まがいの社会規律の侵害野郎Aチームだったりします。また、ボランティアにしても、見栄えは良いかもしれませんが活動内容が非効率的な団体がひじょーに多いのです。この前の環境問題の話のときに寄付についてボロクソ書きましたが、あのようなトホホな話がそこいら中に散りばめられている。一見の華々しさに比べて、実際にはNPOというのは大して社会に貢献していないんじゃないかと、僕は思うわけです。 てなわけで、ノンプロなんか補助するぐらいなら、今から中小企業への補助金案でも練っときゃいいじゃん。どうせ増税したらまた景気が悪化するんだからさ。絆とか寒々しいことは言わずに。まー、総裁選を控えてそんな地味なことばっかりも言っていられずに、ハデにぶち上げる必要があるんだろうけどさ。
2006/08/06
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◇ジダンの頭突きについて この中国人はバカなのか天才なのかどっちでしょう。……多分バカですね。◇靖国について Web新聞の政治欄を見ると、もう素晴らしいぐらいに靖国一色。く、くだらねー。流石に飽きて来ました。そんでもって、靖国参拝の是非が自民党総裁選の最大の争点なんだそうですが、ホントもう、勘弁してください。もっと議論の俎上に上げるべき問題あるでしょ、憲法改正論議とかさ。後二年足らずで中国が混迷を迎え始めるというのに、死者について話し合うだなんてケッタイな。悠長極まりない。何十年も前に天に召された人々なんかどーでも良いので、もっと今をしぶとく生きる我々に関わる問題を取り上げて欲しいものです。靖国なんてほっときゃ収まるって。参拝は個人の自由でス! あ、唯一建設的な話題を見つけたので取り上げておくと、 麻生大臣が解決法案 まずは「宗教法人」解散を 妥協案としては悪くないんじゃないかと。靖国問題って、表沙汰は日本が国として戦死者慰霊施設を持っておらず、靖国神社という一宗教法人をその代用としていることに端を発しているわけですから、まずはそこから改革するというのはアリだと思います。ただし、A級戦犯の分祀云々はまるまる棚上げであり、結局何にも解決になっていないじゃないかという見方も出来ますが、まぁ、国際世論に向けて「一応問題解決に向けてがんばってはいるんですよ」というパフォーマンス&時間稼ぎにはなるわけで。 それはそうと、ちょっと話がズレますが、世論ではA級戦犯のことばっかり語られていますけど、A級を分祀するんならB級とC級もいっしょくたにすべきだと思うのですが。AもBもCも罪状の内容を区別するための単なる記号であって、CよりもB、BよりもAの方が重罪だ、とかいうことはありません。事実、懲役刑で済んだA級戦犯がいるのに対し、銃殺刑になったB級C級戦犯がいるのです。であるからして、戦争犯罪人だから、という理由で分祀するのなら、AだけではなくBもCもしなければいけないはずなんですが……なんで滅多に国内で議論にならないんだろう? やっぱり「A級戦犯=有名=何となく一番悪そう」だからなんでしょうか。そうだとすれば、やっぱり、くっだらねー、としか言いようがありませんです、はい。 なんで21世紀までなって20世紀前半の死人についてここまで大モメしなきゃいけないんだか。バカらしい。まあ、こうやって僕が話のネタにするおかげで、僅かなりとも火にアブラを注いでいるわけで、言える立場ではないのですが。でも感情的に考えると、言わずには居られません。アホくさ。◇イラク情勢について イラクにおける7月の他殺体、1855人 うへー、世界最強のアメリカ軍も、ゲリラ的な反抗には弱さを露呈せざるを得ないんですねえ。どうせ世界中のアンチ・アメリカどもが地元の組織を山のように援助しているんだろうなあ。そして、散々っぱら不合理な死を演出しておきながら、いざ声明文を出すときには「悪いのはアメリカ。アメリカこそ悪。そして我々こそ正義なのだ」みたいな歯の浮くような文言を口角泡を飛ばしておホザきになりまくるんだろうなあ。んな無産的なことをするぐらいなら、マジメに働けよ、としか言いようがありません。 壊すのは簡単なことですが、我々は人間ですし、もちろん彼らも人間です。人間であるのなら、創造に手を染めるべきだと思うのですが……やっぱり、そういう教育を受けていなければ、発想が出来ないんでしょうね。憐れなことです。
2006/08/05
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◇ボクシング試合の疑惑の判定について もうこれで良いじゃない。亀田父 「ランダエタ死ねよや!」 ランダエタ 「ちいいっ!」 ランダエタ 「観衆の前で斯くも、ボクシングのフェアプレイを潰そうとする!俺も殺そうとする!」 亀田父 「お前がそれをさせるのだよ!」 ランダエタ 「何故罪を重ねるんだ!?」 亀田父 「我が息子の経歴を虚飾で飾り立てるために罪も罰も一身に受ける!」 ランダエタ 「くうう!」 亀田父 「スポンサーの力を使え!」 ランダエタ 「この力・・・どこからくる?」視聴者 「八百長なのに・・・どうしてさ!?」 ランダエタ 「俄かファン!見るんじゃない!この試合は異常なんだ!」 亀田父 「TBSの力は無限だ!さもなければ、お前が視聴率の欲しさに応えて買収劇は組まなかった!」 11ラウンド経過。ランダエタ 「映像を都合良く見せる力もついてる?」 視聴者 「あっ」 視聴者 「亀田のパンチ、効いてるように見せてるの?」 ランダエタ 「TBSの面の皮のせいだ」 ランダエタ 「TBSとヤクザは・・・亀田、あなたの頭の悪さにつけこんでる。任せっぱなしにすると、あなたの死体が海に浮くぞ!」 亀田父 「チャンピオンベルトを取る!興毅の望みだ!それさえ出来ればそれで結構!」 視聴者 「ボクシング協会!あの人を止めないと大変な事になる!」 亀田父 「喜べ我が子よ!おまえの願いは私が叶えてやる・・・!ヤクザの想いを受けて生まれた金の力は無敵である!」 またブレンかよ、というツッコミはさておき。 まあ、実物の試合を見てないんですが。興味ないですし。ボクシングなんて興行でしょ? 格闘技みたいなバイオレンスなスポーツはそのスジの人間が良い具合に利権に群がっているというのが万国共通ですから、買収も八百長もあり得ないことじゃないでしょうし。 ただ今回の疑惑判定は、亀なんとかとか言う外側にアッピールして金を引き出すスポーツとしてそりゃどうよってな人の試合で起きたため、大量の俄かボクシングファンが目の当たりに(瞬間視聴率44%ですっけ?)することになりました。その結果、”今後ボクシング界にお金を落としてくれるようになるかもしれない潜在的格闘好きでボクシングに好意的な俄かファン”のボクシング熱を一気に冷ますどころかマイナスに直行させてしまった可能性が高く、ボクシングの裾野を広めるどころか、むしろダーティなイメージを植え付けてしまったということで自爆もいいとこなんじゃないかなあ、と思うわけです、はい。 亀なんとか選手については……うーん、当て馬のはずのランダエタのほうがどう見てもカッコイイんですが、っていうか、殴られ過ぎて試合後半の顔がえらい事(注:Youtubeの動画です)になっているのですが、これを応援しろと? 無理ですね、無理無理。◇アクセス数について なんか数日前に創作の更新停止を宣言して以来、がっくりとアクセス数が6割ぐらいに落ち込んでしまったのですが、もしかしてあのアホ駄文を読みに来てらっしった菩薩のような方がおられたのでしょうか? むう、そうだとしたら、期待外れのダメニュースサイトもどきになってしまって申し訳ありません。ごめんなさい、すいません、生まれてすみません。 ……ん? でも待てよ。アクセス数が6割に減ったってことは、今までの9割が自動巡回BOTだという仮説と合わせて考えると、二度目の更新(駄文書き)のときに飛んで来ていたクソッタレのBOT野郎がカウンタを回していかなくなっただけってことじゃないか? するてぇと、何ですか、今回のアクセス減は、9割が自動巡回BOTだっていう仮説を一段補強したってだけのことですかい。とほほ、やっぱりこのサイト、ほとんど見られていないのね。まあ、ロクに宣伝もしていないので、当たり前のことではあるのですが。 とほー。◇ドラクエ5の夢について 広々と生い茂る草原のあいまに、ときおりぽつりと落葉樹が伸びている。なだらかな平地の景色は、ずうっと似たような姿をし続けていて、抑揚がない。北方に視線を向ければ、遥か彼方に、まるで絵画の背景のように現実味のない山々が、かろうじて存在感を主張している。そして西、草。さらに東、草。最後に南、草。地上はどこもかしこも草ばかりであり、そして空はというと、こちらもそれほど代わり映えはしなくて、一面の黒である。淡い輝きの半月がそれなりの自己主張をしているものの、めくるめく夜闇の威力には、やはり敵わない。「ぎゅる、ぎゅるる、ぎゅ……」 ピエールは、大きく欠伸をした愛騎の口元を静かに撫でてやった。魔界のスライムであるリックは、未だに地上の生活サイクルに慣れ切っていない。まったく、人間どもの這いずり回るこの世界というのは、なんて強引な場所なんだろう。外側から、無理やりな矯正を強いられるだなんて。ピエールは思う。魔界には朝はなく、気候は画一的に安定しているのだ。しかし、極寒という死神の手を振り払う、太陽の優しい暖かさは、やはり魔族にとっても、人間と同じように魅力的であることは確かなのである。 と、夜闇に紛れて、斥候に出した小柄なドラキーが帰って来た。「キィ、キィ。ピエール隊長、ヤツら、どうも、キャラバンじゃないみたいですぜ」「そうか。何人だ?」「そこまではわかりやせんでした、見張りにひょろっちい男が立ってて、他は馬車のなかで眠っているようでいしたが」「こんなところで野営か。見張りはひとり? 無用心だな、それとも、腕にそれだけ自信があるか」「へえ。丸うく草を刈って、そのまんなかで焚き火をしていやした。……どうするんでえすか?」「フム……」 先ほどからピエールは決断をくだしかねていた。さて、ここでひとつ、演習がてら動いてみるべきか? 馬車一台、見張りがひとり。どう見積もっても、5人以上はいるまい。首尾よく襲って、討ち漏らしなく仕留めるのは、そう難しいことではない。仮に見張りの男がてだれだったとしても、ピエールの剣の筋のよさは、魔界においてもそれなりに名を知られているほどだ。勝算は十分にある。しかし……。 ピエールは背後に控える新参者の部下たちを見やった。このラインハット地方の魔物を纏め上げ、小回りの利く旅団を結成するという使命を帯びたのは、ほんのニ週間ほど前のことだ。ピエールはさっそく ここまで書いて飽きた。◇小泉首相の靖国参拝について 朝日新聞オンライン版の社説 けっきょく、中国との経済的結びつきよりアメリカの軍事的結びつきを優先したんですね、ってとこですか。前者は信頼がなくても金さえあれば何とかなるのに比べ、後者は在る程度の(相手が裏切らないと思わせる程度の)信頼が必要なため、正しいっていうか、自明の理な結果のように思います。中国の反日感情はたしかにビジネス上問題になることもありますが、ただ、靖国参拝を止めたら反日感情が沈静化するのかっていうと、反日が共産党の国策だというところからして、そんなわけはないのです。 靖国参拝のモラル上の問題に関しては、前に書いたので、こちらをご参照ください。過去になぁなぁで問題が出てなかったんだから別にいいじゃない、ってことです。わざわざ穿り返しても金の無駄になるだけですよーっと。 ……んー、それにしても、やっぱり僕って保守的なのかもしれませんね。どうして保守的なのかといえば、現状を改革するのが面倒くさい、つまりは意欲に欠けるから。それは若者にあるまじき傾向であって、未だに十代である僕としては、こんなことじゃいかん、とは思うのですが、しかし、どうしようもない。若年寄なのかなあ? それともどこか病んでる? むむむ。
2006/08/04
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