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Oct 21, 2020
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カテゴリ: カテゴリ未分類
アントン・チェーホフと云えば戯曲「かもめ」「三人姉妹」「ワーニャ伯父さん」「桜の園」の作者として知られるロシアを代表する劇作家ですね。


そのチェーホフの奥さんがオリガ・クニッペル。
彼女は帝政ロシアからソ連時代まで活躍した女優です。


チェーホフの奥さんといっても、ふたりが結婚したのが1901年。
しかしチェーホフは1897年には大量の喀血をして倒れてます。
一時は医師に転地を勧められて、クリミア半島南部のヤルタで静養したりしてましたが、チェーホフ44歳の1904年に結核で亡くなっていますので、実にたった3年あまりの夫婦生活だったワケです。
オリガはロシアの中流階級に育ったため、ちゃんと教育を受けていて、流暢にフランス語、ドイツ語、英語を話せたようです。
また画家として非凡な才能を見せると同時に、ピアノの才能もありました。

ところが1894年に父親が急死します。
そしたら、家族に隠して父親が多額の借金をしていたことが発覚。
たちまちにして、生活困窮者です。
5人いた召使いのうち、4人を解雇した上、小さな家に移り住みました。

母親とオリガは生活のために音楽と歌のレッスンを始めます。
オリガが社交界に出て行くことを諦めて、舞台俳優として成功を目指すためです。
その後、オリガはマリー劇場付属演劇学校を手始めに、フィルハーモニー学院演劇部に入校します。
そしてフィルハーモニー学院演劇部で運命的な出会いをします。
国民演劇の正統派として知られるヴラジーミル・ネミロヴィチ=ダンチェンコに師事するのですが、そのダンチェンコにコンスタンチン・スタニスラフスキーを紹介されるのです。
スタニスラフスキーは新劇好きの方だったら必ず知ってる、ロシア演劇の代表的な俳優で演出家です。
彼がフロイト心理学を応用して創り上げた俳優の教育法は「スタニスラフスキー・システム」と呼ばれ世界に多大な影響を与えました。

このスタニスラフスキーにオリガは新たな劇団の設立計画を練っていることを告白されます。
そして参加するようにと。

数週間後、首都モスクワに新劇団が設立されます。
それが「モスクワ芸術座」です。
奇しくもオリガはスタニスラフスキーと云う歴史に名を遺す演出家とともに、世界の演劇界に多大な影響を与えた劇団39人の設立メンバーのひとりとなるのです。

モスクワ芸術座を一躍有名にしたのはチェーホフの「かもめ」でした。

実は1895年に書かれた「かもめ」はその翌年にサンクトペテルブルクのアレクサンドリンスキイ劇場で既に初演されてたのですが、これがロシア演劇史上例がないと云われるほどの失敗に終わっていたのです。
しかし、モスクワ芸術座による再演は、俳優が役柄に生きる新しい演出「スタニスラフスキー・システム」によって、この劇の真価を明らかにし大きな成功を収めたのです。
オリガはモスクワ芸術座において、「かもめ」のアルカージナ役、「三姉妹」初演時のマーシャ役、「桜の園」のラネーヴスカヤ夫人役、「ワーニャ叔父さん」のエレーナ役と立て続けにチェーホフ戯曲の舞台を踏みます。
そして、その間にオリガとチェーホフは出会うのです。
それはオリガ30歳を迎えたとき。
「かもめ」のマーシャ役を下稽古中に当時38歳だったチェーホフと出会うのです。
当時、既にチェーホフは病に侵されており、ほとんどをヤルタで療養してました。
出会ってからの数年間はお互いに「電報」と「手紙」で連絡をとりあっていたのです。
1900年の冬、チェーホフは療養していたヤルタから戻ってモスクワへ向かってました。
彼は心の中の愛しい女優のため書いた新しい戯曲を携えていたのです。

チェーホフはオリガに書き送ります「"三姉妹"の中のどんな部分にも、私は あなたを念頭において書きました」。

オリガとチェーホフの書いた「三姉妹」の登場人物マーシャの間に多くの類似点がありました。
オリガは一男三女の兄弟の真ん中の娘を演じたのです。
4人のうち唯一の既婚者で、3人姉妹のうち最も才能ある人物です。

教養があり洗練された若い女性として描かれ、フランス語、ドイツ語、英語を話せる。
そして第一級のピアニストである。
まさにオリガ自身を写したものでした。
1901年、チェーホフとオリガは「歓喜の十字架教会」で挙式しました。
それは突然で、チェーホフの母と妹、オリガの母すら知らされない小さな結婚式でした。
1904年にチェーホフ最後の作品「桜の園」がモスクワ芸術座によって初演されました。
「桜の園」が初演された1月17日はチェーホフの44歳の誕生日でした。
そこで初演とチェーホフ筆歴25年を兼ねた祝賀が催されましたが、チェーホフはすでに病み衰えており、舞台に立ち続けることはできませんでした。
その年の7月、チェーホフは亡くなってしまうのです。
オリガは、その後もモスクワ芸術座を代表する女優として舞台に立ち続けました。
1959年、オリガはモスクワで、89年の生涯を閉じます。









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Last updated  Oct 21, 2020 05:14:50 AM
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