食いしん坊ぽっぽの日記
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11月5日六本木ヒルズに行った 恵比寿でラーメン食べてそのあとヒルズね でも、本当の目的はこれ「安藤忠雄・建築との出会い、人との出会い」世田谷区民会館おいちゃんは折しも文化勲章を受章された直後で(でも、全然いつもと変わらない気さくな方でしたが・・)最近、お疲れモードで心配な限り。でもって、今の内に行ける講演は行っておこうということになったのよ。世田谷区民会館も日が暮れ写真には撮れなかったけど前川國男氏のもの。なかなか歴史のある物だったわ。あるブログに(世田谷区では世田谷区民会館(1959)と世田谷区役所の第一・第二庁舎(1961・1969)について、取り壊しの検討を進めている。でも、これらは優れた「都市的建築」だ。俯瞰的ないわゆる「都市計画」から入るのではなく、しかし建築家は単体の建物をつくれば良いというのでもなく、「建築から都市をつくる」という前川國男の姿勢がよく現れている。例えば、周囲の歩道に庇のようにせり出した建物外周や、切りつつつなげる中庭空間の計画、区民会館のロビーからテラスに向かうダイナミックな導線など、建築と土木の垣根を越えようとする、ル・コルビュジエ由来の前川國男のたくましさが実感できる。コンクリート打ち放しの壁面の、ダムのような荒々しさも見どころである。前川史上で随一ではないか。前者は坂倉準三の新宿駅西口広場(1967)につながるし、後者は吉阪隆正の大学セミナーハウス本館に似た性格といえる。さすが、ル・コルビュジエ三兄弟。同じ頃の折版構造ではあっても、前川のもう一人の師・アントニン・レーモンドの群馬音楽センター(1961)の軽快感とは、だいぶ印象が違う。これもモダニズム建築の脈絡を考えさせるポイントになるだろう。壊してしまうと、そんなことも判らなくなってしまう。東京にこれに類する建築は無い。戦前・戦後の郊外を牽引してきた歴史にふさわしい、世田谷区の名建築に値すると思うのだが。)とあった。歴史有る建築を如何にしてどのようにして残していくか、壊すのは簡単だけど考えなくちゃいけない課題だよなあ11月9日は箱根ドライブお天気は良かったけど寒かった~11月21日は秋葉原に行った。で、もってその帰りあるフェミリ-セールに連れて行ってもらった。
2011.01.01
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