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12日(水)朝、Y子さんのご主人が亡くなったことを知った。Y子さんは「葬式無用」という夫の遺言どおりに息子と娘たち家族だけで一夜を明かし、翌日、市の斎場で荼毘にふし、14日、信州の川のほとりで散骨、15日に奈良薬師寺に納骨した。17日にお参りしたが、小さな机の上に遺影をはさんで花束ふたつのみ。部屋の片付けを手伝う友人ふたりとわたしの前で、「涙は12日までにぜんぶ流しきりました」というY子さん。ピンピンコロリを実践した夫を心から尊敬していますと語っていた。入院見舞いをしたのは先週5日。「PCとY子の面倒見てね」と笑っていた顔が忘れられない。享年71歳。ご冥福を祈ります。
2005.10.17
昨日、ふるさとから町の広報誌到着。その中に「飛び火して道の果燃ゆ曼殊沙華」の佳句。eikoさんの作品。同窓会の記事を添付し送る。浜辺での出来事は後便で送ろう。
2005.10.15
▼こどもの成長や旅の記録などつづったアルバムが数十冊、部屋のかなりのスペースを占拠しています。アルバムだけでなくスライドをファイルしたものもかなりあり、いつも「片付けてね」と家人に催促されています。そこで還暦のころ決心しました。写真をスキャナーで読み取りパソコンに記憶させようと。▼しかし、アルバムを開くたびにさまざまな光景が飛び出してきます。ほめられた記憶。心ときめいた記憶。なにかを仕上げた喜びの記憶。なかには見なかったほうがよかったという写真もあり、それらを眺めているうちに日が暮れます。かくして作業は常に停滞しアルバムの山は崩れません。「いざとなったら、ぜーんぶ屑箱行きなのに」と家人はあきれています。▼あれから10年、古希という節目になりました。ようやくエンジンがかかったようです。青春時代のフォルダーを作りました。写真をながめながら日記をしたためてみようと思います。▼時々、古里の茅葺きの家に戻ります。樹木の手入れや家内外の点検が目的です。年とともに帰省の回数が減っていますが、囲炉裏を囲んで地元の若い人たちといっぱいやることが楽しみです。ひとりだけの夜は両親が遺した資料の整理です。この5、6年のあいだにかなりの量を処分しましたが、子どものころ使った道具や絵や成績表などがひょいと現れ、そんな夜はタイムマシーンに乗った気分になります。写真はこの8月の帰省の際に見つけたものです。■『屋上の狂人』!写真の左端に福村。帽子をかぶっているのは参。うつむいているのは椋野。こぶしを握り興奮しているように見えるのはぼく。体型がオヤジそっくり。袖を引っ張っているのはだれだ。巫子姿と姉さんかぶりの名前がでてこない。文化祭の一齣か。学年はいつか?ふと菊池寛の名前が浮かんだ。『屋上の狂人』ではないだろうか。インターネット上の「菊池寛アーカイブ」によると、時は明治30年代、瀬戸内の島。出演者は両親と息子、隣の人、下男、巫子と称する女ほかとある。舞台とマッチしている。戯曲は「狂人が幸福に暮らしていれば、無理に治すことはない。治療と称して、いっそう不幸にすることは馬鹿げている」という考えを示した一幕ものと説明している。《ト書き》長男が正面に見ゆる屋根の頂上に蹲踞して海上を凝視している。家の内部から父の声が聞える。父 早う降りて来いよ、お日さんにカンカン照り附けられて、暑気するがなあ。降りて来んと下から竿でつつくぞう。息子 (駄々こねるように) 厭やあ。面白い事がありよるんやもの。金比羅さんの天狗さんの正念坊さんが雲の中で踊っとる。緋の衣を着て天人様と一緒に踊りよる。わしに来い来い言うんや。なぜ、この戯曲を選んだのか。演出はだれだろう。
2005.10.10
きずな掲示板にきょう2本目の迷惑メール。明日のお土産「Da Capo」百部と写真数点をプリントした。
2005.10.01
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