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October 7, 2013
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カテゴリ: 教授の読書日記
 訳あって、大学時代の恩師(S先生ではなくO先生の方)が1960年代から80年代にかけて新聞や雑誌に発表された文章を集め、それを暇な折を見てはパソコンに打ち込んでいるのですけど、これがまた結構な分量があって、既に10万字、すなわち原稿用紙250枚くらいの量にはなっているものの、まだ全体の半分くらいしか終わっていない感じ。全体では500枚くらいにはなるんじゃないかな。

 しかし、なにせ4、50年前の新聞記事ですから、今のと比べても文字が小さくてね! 打ち込むのも大変よ。眼鏡をはずしたり、つけたりで、疲れる、疲れる。だけど、そんな苦労をしながらも、恩師が若い時に書かれた新聞記事なんかをトレースしていると、結構面白くて。

 何が面白いかっつーと、もちろん先生が書かれた記事の内容自体も面白いのですが、それと同時に、1960年代から1970年代くらいまで、アメリカ文学の動向というのは日本人にとってもニュースだったんだ、ということがよく分って、それで面白いわけ。

 だって、新聞とか雑誌の記事なんて、新聞社や雑誌社が「何か、アメリカ文学関連のことで書いて下さい」ってな感じで適当な書き手に頼むわけでしょう? つまり、依頼されて書く文章なわけだ。

 で、我が師匠がこれだけの分量の文章を、新聞社・雑誌社に頼まれて書いていたということは、それだけアメリカ文学関連の文章がニュース・バリューを持っていたということなんじゃないかなと。

 今、一般の日本人が、「最新のアメリカ文学、どうなってんだ?!」なんてこと、気にしているとは思えないもんなあ。やっぱり、当時はまだ、文学が熱かった、ということなんじゃないでしょうかね。


 ま、今、日本人が気にする文学のニュースといえば、アレかな、ノーベル文学賞を誰が取るかということ・・・というか、村上春樹はノーベル賞を取るのか? ということくらいなものなんじゃないかしら。ある筋によれば、今年の候補第1位に挙げられているそうですが。

 どうかね? 

 ちなみに、2位はアメリカの作家、ジョイス・キャロル・オーツなんですが、これまたどうなんだろうか。私は、オーツがあまり好きではないので、正直、とらないで、って感じかな。



 ・・・と思っていたら、我が師匠O先生が、デビューから間もないオーツのことを書いている文章を発見! さて、師匠は飛ぶ鳥を落としていた頃のオーツについて、どんなことを書いていたのかな?


 (前略)一九六〇年代から現在に至るアメリカ小説の分野で、もっとも注目すべき新人の一人であることは確実であろう。彼女の短篇は、一九六七年度のO・ヘンリー賞第一席を獲得したばかりか、一九六三年以来今日まで、毎年恒例の幾種類かの短篇小説秀作選に彼女の作品がのらなかった年はほとんどないといってもよく、それらに関連した賞も非常に多い。そればかりか、今日でも、何々レヴューと名のつくお堅い文学評論誌やハイブラウな文芸雑誌などに、彼女の作品が掲載されていない月はほとんどなく、そのいずれもが一応水準以上であり、また、作品といっても小説ばかりではなく、時には詩もあり評論もあり、さらには戯曲にまで及ぶとあっては、まさに驚嘆に価するというほかない。


 ふんふん、なるほど。それで?


 (中略)これくらいの活躍を示していると、たいていジョイス・キャロル・オーツ論の一つや二つは出てもいいところだが、筆者の知るかぎりではそれもない。察するに、オーツ論を書こうにも、次々と生産される(こうなればまさに生産である)彼女の作品の応接に追われて、それどころではないのだろう。その上、写真で見るかぎりにおいては、彫りの深い一種神話的な風貌をたたえたなかなかの美人であり、年令も昨年中に三十四歳の誕生日を迎えたばかりのはずである。


 若いのに、すごいねえ。それで?


 ・・・もっとも、彼女の実際の容貌は、写真とはちがって、ぜんぜん美人などではないという。もしそれが事実であるとすれば、そのことと、彼女の著作用のジャケットの一面いっぱいにほとんど例外なく写し出されている映画スターばりのさまざまな美しいポートレートとのあいだに、なにやら彼女の本質にかかわりのある一種のキナくささが感じられないこともない。


 お! なんか風雲急を告げてきたぞ・・・。それで?


 (中略)その筆の速さは目を見はるばかりで、たいていの短篇は一晩か二晩で書き上げてしまうという。彼女の作品は、家庭と社会、老若の葛藤、社会の残酷さ、宗教、悪、愛情、性の問題など、広範な主題を透徹したリアリズムに女性らしい感受性を付与して追求し、ときにはアイロニックに、ときにはヴァイオレントに、ときにはゴシック風に、現代世界のさまざまな恐ろしさを描き出しているが、それらを見ていると、彼女の頭の中にはすでに個性をもった無数の人物がたえず宿っており、それらの人物が次から次へと彼女の筆にのってたえまなく表出されているかのようである。しかも、面白いことに、それらの人物はほとんど例外なく、彼女が生まれたあの一九三〇年代の不況と危機の暗い影をなんらかの形で背負っている平凡な市井のアメリカ人であり、存在の意味を意識せぬままに生活の悲惨さや社会の騒乱の中に吞みこまれている哀れな人たちである。そこに、私たちは彼女の現代社会についての危機意識や悲劇意識をさぐりあてることができるだろう。彼女のすさまじさを、頭から出てくるばかりの形の整わない未成熟なすさまじさだとする批判も一方にあるが、そういった危機や悲劇についての意識が、きわめて刺戟的な鋭敏さをもっていることは認めなければなるまい。


 筆は速いわけね。自動筆記みたいに、じゃんじゃん書ける人なんだ。それで?





 多才だなあ。それで?


 (中略)だが、正直な結論をいうと、この書物は才女が才に溺れたスキだらけの本ではないかと思う。なぜなら、シェイクスピアからイオネスコに至る作家や詩人たちの中で、筆者が多少とも知っている人たちに関する部分は、論旨の明快さにもかかわらずいずれもお粗末というほかなく(その委細を語ることはもはや紙数がつきたのでできないが)、それから推測するに、他の部分は筆者がよく知らないから面白いと思ったに過ぎないのではないかと怪しまれるのである。もし彼女が本格的な評論活動を目ざすのなら、もう少しスキのない武装が必要だろう。ただ、ここに展開されている悲劇論を、彼女自身の作品についてのコメントとして見るときには、それはそれなりに有益であるといえるかも知れない。しかし、その作品にしても、最近は質的にいささか下降していることは否めない。才女の自重を望みたいものである。


 ひゃあ! 「才女が才に溺れたスキだらけの本」だって! さすが師匠、言うよね!


 要するに、我が師匠O先生は、「オーツって、一応評判にはなっているけど、マユツバだぞ」と言っているわけですな。「本のカバーに載っているポートレートはすごい美人に写っているけど、実際の本人はそれほどでもないのと同じように、彼女の作品や評論もなんかウソ臭いぞ」と。





 ということで、ノーベル文学賞の選考委員の皆さーん! オーツに賞あげちゃ、駄目よ! by O先生&釈迦楽教授、ってことで、ひとつ、よろしく!





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Last updated  October 7, 2013 11:24:32 PM
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ゆりんいたりあ @ Re:スペイン優勝、そして早くもW杯ロス(07/20) 釈迦楽さん、 ご無沙汰しております。 お…
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