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そろそろ年賀状の用意もしなきゃいかんな、ということで、出勤途中に郵便局に寄って、年賀状を買ったんですわ。 ま、それはいいのですが、年賀状を買ったら、色々なおまけがついてきた。 去年まで、年賀状を買うと、ポケットティッシュを何個かくれたものですが、今年はすごいよ。もちろんティッシュもくれたけど、それだけじゃない。 まずね、濡れティッシュ。これ、ありがたい。 それからね、カレンダー。これもステキ。 そして、なんと! リラックマ・・・じゃなくて、ポスクマちゃんのショッピングバッグもくれた。超きゃわいい! いやはや、えらいサービスぶりですな・・・。 ひょっとして、あれじゃない? 年賀ハガキの値段もあがって、ますます年賀状を書く人が少なくなるので、購買者へのサービスを盛り盛りにして、少しでも挽回しようっていう・・・ ま、それはともかく、なんか色々もらってラッキー! ということで、とりあえず年賀ハガキはゲットしたぜ。あとは自宅のプリンターで出力して、空いた時間に数枚ずつでも書いて、来月中旬くらいまでには投函できるようにしないとね。
November 27, 2025
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先週、家の近くの白山神社に詣でて、「マスコミへの露出が増えますように!」ってお祈りしておいたのだけど、お賽銭をはずんだ成果がいきなり出ました! まずね、『Forbes Japan』の最新号に記事が載りました。まあ、これは掲載されることになっていたんだから、不思議はないのだけど。 で、次に驚いたのが、某在京ラジオ局の某番組への出演が決まったこと。前にNHKラジオに出た時はアナウンサーさんと喋ったんだけど、今回は芸人さんとのからみだって。面白いねえ。週末は収録に行かなくちゃ! そして、あれあれと思っている間に、突然、6年前に出した本のキンドル版が再び売れ出したこと。多分、どなたか影響力の強い方がコメントしたんだと思う。これこれ! ↓ハーレクイン・ロマンス【電子書籍】[ 尾崎俊介 ] いやはや、こうも続けざまにいいことが起こると、怖くなるねえ・・・。 とにかく、こうなってくると近いうち、白山神社にお礼参りにいかないとまずいな。またまたお賽銭はずんじゃおう!
November 26, 2025
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昨日行われた井上拓真 vs 那須川天心戦、観ちゃった。 第1ラウンド、第2ラウンドあたり、那須川選手の方が断然有利で、一発、かなりいい奴をくらって拓真選手がグラッとするシーンもあったりして、あれ、これは案外、早い決着になるのかなと。 とにかくね、リーチの差が数字以上にあるというか。リーチの長い那須川選手に対し、リーチの短い拓真選手が圧倒的に不利で、拓真選手のパンチが全然届かないのよ。 ところが第3・第4ラウンドで若干、拓真選手が盛り返してきた。私の見立てでは、それでもまだ那須川選手が有利と思っていましたが、第4ラウンド終わった時点での採点では両者まったくの互角。おそらくこの採点を見て、拓真選手は「行ける」と思ったのではないでしょうか。 で、その後は拓真選手が至近距離からのアッパーの連打もあったりして、結構、有利に試合を運び、両者の点差は拓真選手有利に振れていく。で、そのまま、那須川選手が挽回することなく、最後まで行っちゃったと。 ワタクシの戦前の予想では、両者ともKOするだけのパンチがないので、判定勝負になるだろうなとは思っていて、判定になった場合、無敗神話という追い風もあるし、何事につけ派手な那須川選手の方に分があるだろうと思っていたのですが、その予想はいい意味で外れちゃった。 まあ、いいんじゃないの? 井上拓真選手はたたき上げのボクサーだしね。キックから転向してきてまだ2、3年とかの人に負けるわけにはいかないでしょう。ボクシング好きの玄人ファンは皆、井上拓真選手推しだっただろうし。 で、思うのは、那須川選手のこと。 なんだろう、本人は大真面目に精進しているのだろうけれど、いざ表に出るとなると、天性のビッグマウスというか、ちょっと外連味があり過ぎる。 彼は何かと言うと「シン・ボクシングを見せる」とか大口を叩くわけで、キックボクシング・ファンと那須川ファンにはそういうのも受けるだろうけど、生粋のボクシング・ファンからしたら「しゃらくさい」と思っちゃうのよ、どうしても。 だから、今後、那須川選手が、生粋のボクシング・ファンからも愛されたいのであれば、ああいうビッグ・マウスは慎んだ方がいいと思うし、控室でのボクシングを舐めたような動きや、派手な入場とかも慎んだ方がいいと思う。 今の那須川選手の立ち居振る舞いを見ていると、柔道の講道館杯に、覆面プロレスラーがテーマソングかけて入場してきたような感じに映る。このままだと、そういう「色物」のまま終わるよ。その才能を花開かせたいなら、周囲の人間も、参謀として、彼の振る舞いを変えてあげないと。余計なお世話だけど、ついそう思ってしまいますわ。
November 25, 2025
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昨年、斯界で大きな話題となったパーシヴァル・エヴェレットの『ジェイムズ』という小説を読んでみました。以下、ネタバレ注意ということで。これこれ! ↓ジェイムズ [ パーシヴァル・エヴェレット ] 本作はマーク・トウェインの傑作『ハックルベリー・フィンの冒険』のスピンオフというか、トウェインの作品がハックの視点で書かれているのを、ハックと行動を共にする黒人奴隷のジム(=ジェイムズ)の視点から語り直すという趣向。もっとも後半に至ると、元ネタを逸脱していくんですけどね。 で、全米図書賞だとかピューリッツァー賞とか、主要な賞を総ナメにしたというね。だから、まあ、一応はまだアメリカ文学者の端くれという立場からして、読んでおかないといかんのかなと思ったわけよ。 で、どうだったかって? それ、ワタクシに聞く? 大抵の人が「素晴らしかった!」と感心しまくる作品をワタクシがどう評価するか、敢えて聞く? 聞くなら答えるけど、まあ、大したことはないね(爆!)。 面白くなくはないです。噂に聞いた「ページ・ターナー」というのは確かにその通り。読み始めたら、すぐ読み終わっちゃうからね。だけど、じゃあ、これが『ハックルベリー・フィンの冒険』と同様の傑作かって言われたら、とてもとても。 なんかね、あちこち中途半端なのよ。たとえばジェイムズが「書くこと」に執着することとかね。ノートや鉛筆に執着していることはわかるのだけど、その結果、どうなったの? それが書いてない。まさかこの小説自体がジェイムズの作品とか? それならそれでいいけど、そう窺わせるようには書いてない。 あと、逃亡奴隷としてジェイムズが受ける様々な悲惨な事件にしても、なんかリアリティがないんだよね! たとえばジェイムズに鉛筆を渡すために、奴隷主から鉛筆を盗んだ奴隷が奴隷主に殺されるという場面とか。だって奴隷って、タダじゃないのよ。奴隷主にとってはひと財産だ。それを、たかがちびた鉛筆一本盗んだために殺すとか、そんなことありえない。悲惨さを演出するためにあり得ない作り話をしているところが興ざめもいいところ。むしろ「この奴隷、値段が高かったんだから長く使おう」という白人奴隷主の心根こそリアルであり、そっちのリアルさを批判すべきなのにね。 で、そんな風にあり得ない悲惨さをずっと描いていたのに、最後の最後になってジェイムズはいとも簡単に悪い白人を皆殺しにし、あっさり妻子を助け出して北部への脱出成功なんて、どんだけ都合がいいんだと。 あと、ジェイムズがハックの父親だったなんて、もう、あり得ないを通り越して噴飯ものよ。 なんつーの? さっきの「書くこと」にしても、ジェイムズが使い分ける言葉遣いの件にしても、あちこちで描かれる「パッシング」の事例にしても、ミンストレル・ショーのくだりにしても、ジェイムズの空想の中でのジョン・ロックやらヴォルテールやらとの会話にしても、作者のエヴェレットが研究者受けしそうな主題の餌をあちこちにバラまいているような感じがするじゃないの。そんな、これ見よがしに「拾え」と言われているものなんか、ワタクシは拾わないよ。 でも、そういうのを拾いまくって、研究発表する研究者とか、今後、やたらに出るんだろうな。「ジェイムズは、自ら語る/自ら書く主体となることで、白人支配の構図を鮮やかに逆転してみせたのだ」とかなんとか。やだねえ、そういう頭でっかちな結論。作者の思うつぼじゃないの。 っつーわけで、この小説、ワタクシにはあまり響かなかったのでした。同じ「ジェイムズ」なら、ワタクシはビリー・ジョエルの名曲の方を推すな。こっちはちゃんと「小説」してるからね。これこれ! ↓ビリー・ジョエル「ジェイムズ」
November 25, 2025
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頼まれている新書本執筆が滞っておりまして。こういうことは、ワタクシには珍しいのですが。 滞ると、当然、執筆がおっくうになる。執筆がおっくうになると、さらに滞る。これを悪循環という。ワタクシは今、まさにその悪循環にはまっているわけですな。 だけど、ここ数日、試行錯誤しつつ筆を進めているうちに、結局、これをやらないといかんのだろうな、というのが見えてきた。 見えてきたのは、今朝。眠りから覚めて、まだウトウトしている時。ワタクシの場合、この状態の時にアイディアがひらめくことが多いんですが、今日もそのパターン。 ずばり、言いましょう。なぜ、日本では自己啓発本に対して批判的な人が多いのか。 答え。それは日本人が自己啓発本の根本にあるキリスト教的発想を踏まえていないから。 結局、これだなと。だから、このことを書かないと、永久に日本人は自己啓発本の世界を完全に理解できないままになってしまう。 日本人は、アメリカから自己啓発思想が入って来た時に、それを儒教の立身出世主義に接ぎ木する形で理解しちゃったのよ。つまり神のない自己啓発思想として理解してしまった。 だけど、本来の自己啓発思想のポイントはキリスト教的世界観だから、それを儒教の発想で理解すると、最終的には誤解が生じる。この誤解こそが、日本人の自己啓発思想嫌悪の元なのだと。 だから、本当の意味で自己啓発思想を理解するためには、「神のいる世界」というものをベースにしないとダメよと。そしてそこを理解すれば、自己啓発思想に対する日本人の誤解は氷解するよと。 たとえば、アメリカの自己啓発思想では、直観を信じろ、という話がよく出てくる。 これ、日本人には理解できないわけよ。論理を突き詰めた結論よりも、パッと思い浮かんだ直観を上に置くって、どういうこと? そんなの非論理的じゃない?! というわけ。 だけど、違うのよね。そうじゃない。 本来の自己啓発思想では、そもそも宇宙の中心に神がいて、人間の中にも神の一部が埋め込まれているという想定があるのよ。つまり、人間は神から直通トランシーバーを手渡されているようなものなわけ。直観というのは、だから、そのトランシーバーを使って神が人間に「こうしなさい」と教えてくれているのと同意なの。 だから、人間が論理的に突き詰めた結論よりも、直観を重視するというのは、論理的なわけ。だって、神の論理の方が人間の論理よりも上だから。神と人間とどちらが優れているかを考えれば、直観の方が上だ、というのはまさに論理的な帰結なのよ。 そういうのが呑み込めていないと、自己啓発思想の本当のところはわかりません。 だから、新書ではそこを書けばいいのだ・・・・と、ひらめいたわけ。これもまあ、いわば、直観だよね! 神様がワタクシに「こうしなさい」と教えてくれたのだから。 ということで、当面はその方向で書き進めてみよう。何しろ、ワタクシには神様がついているのだからね。成功するかどうかわからないし、この先も詰まるかもしれないけど、その時はまたその時で、神がワタクシに方向を示してくれることでしょう。
November 24, 2025
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かつては熱狂的な好角家、でもモンゴル力士全盛時代に興味を失い、この二十年ほどほとんど相撲を見なくなったワタクシ。今もほとんど見ないのですが、今日はたまたま午後のコーヒー・ブレイクに相撲の時間が重なった上、千秋楽だったこともあって、結局、優勝決定戦まで見ちゃった。 で、安青錦の初優勝を目撃したというね。 最初にテレビをつけた時、たまたま安青錦と琴桜の一番をやっていたのよ。で、安青錦が勝ったのですが、ワタクシが驚いたのはその勝ち方。両者低く当たってこれ以上ないというくらい低く構え、膠着状態に入ったまさにその時、安青錦が内無双を切ったのよ。それで琴桜が前に落ち、勝負あり。 えーー。あの状況で無双を切るの?! 素晴らしい。さすが安治川親方のところの弟子だけのことはあるわ。安治川親方は現役時代、技能賞をやたらに取った技巧派だからね。 あの内無双ですっかり気に入った安青錦。それが次に優勝決定戦に出るということで、これは興味津々。 で、対横綱戦。やる気満々の豊昇龍に対し、ガチコンと当たって一歩も引かず、逆に横綱を押し込んで相手が引くのに乗じて横に回り込み、そのまま押しつぶして勝負あり。 外国人力士の通例とは異なり、安青錦はむしろ小兵と言っていいくらいの体格。それで横綱の突進に一歩も下がらなかったんだから、体幹が強いんでしょうな。小さい割に馬力もあるし。そして業師なんだから面白い。 ウクライナ出身というところも、ちょっと応援したくなるしね。 ということで、今日は思いもかけず、好角家だった昔に戻って、ついつい相撲に熱中してしまったワタクシ。まあ、そういうこともありますわ。 でも、安青錦は良かったね。弱冠21歳、来場所は大関だそうですが、果たしてこのまま横綱まで突っ走れるか。ちょっと楽しみですな。
November 23, 2025
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11月も後半に入って、そろそろあちこちから喪中はがきが届くようになりました。なんだか矛盾するようだけど、喪中はがきが届くようになると、そろそろ年賀状、用意しないとな、という気分にさせられます。 年賀状ねえ・・・。 最近、喪中ではないけれど、年賀状じまいをする、という人が周りにも増えてきました。家内なんか、何年か前からそうしているし。 一方、ワタクシは相変わらず年賀状を出し続けて入るのですが、最近、さすがのワタクシも、それってどうなのかなと思うようになりまして。 特に、昔の親しい教え子との年賀状のやり取りね。 教え子だって、ワタクシから年賀状をもらえば返さないわけにはいかない。ひょっとして既に年賀状じまいをしているのに、ワタクシに対しては出さなければと思って、面倒な思いをしているのかもしれないなと。 どうしようかな。今年あたりから、もう、出す相手を厳選して、出す量を半分くらいに減らそうかな。 とはいえ、さすがに全廃というわけにもいくまい。 まあ、とりあえず年長者に対しては今まで通りにし、年下の人に対しては、向こうから来れば返す、というスタンスにしておいて、年賀状をやりとりを続けるか止めるかの決定権を相手に渡す、というのがいいのかもね。 それにしても、とにかくそろそろ年賀状を買わなくては。週明けにでも、通勤途中に買っていきますかね。
November 22, 2025
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なんか、風邪ひいたっぽい。急に寒くなったからかしら? それでイマイチ、気力充実せず、今日は一日、モゾモゾと本を読んでおりました。読んでいたのは『西村賢太殺人事件』なる本。 以下、ネタバレ注意なんですけど、この本、1章から9章までは割と普通の本で、私小説家・西村賢太の内縁の妻だった人が書いた思い出の記なんですわ。で、生前の西村さんというのは、そういう人の立場から見るとこういう感じの人だったんだ、というのがよく分かる。西村賢太ファンからすれば、必読の本なのではないかと。 ところが。 第10章に入って、何だか様子がおかしくなる。 ご存じの通り、西村賢太は心臓発作か何かでまだ若いうちに急逝するんだけど、著者によると、あれは大がかりな組織による陰謀殺人であったと。で、著者自身も、その組織に追い詰められていると。 で、著者が西村さんと別れた後、彼女のバイト先の人たちや、住んでいたアパートの住人達、近所の子供まで、そういうのが全部グルで、寄ってたかって彼女に嫌がらせをし、自宅侵入を繰り返し、彼女を追い詰め、西村賢太を殺害したと。本書第10章は、その過程を事細かに明らかにしていく。そういう内容なのよ。 もう、ビックリ。お口あんぐり。これはもはやアレじゃない――令和日本版『ねじの回転』だわ。そもそも、本当にこの人は西村賢太氏の内縁の妻だったのか? それもひょっとしてすべて妄想だったのか・・・? これ、ワタクシが読むべき本ではなかったかもね。少なくとも体調が悪い時に読む本ではなかった。今夜あたり悪夢を見そう・・・。やばかったわ~。西村賢太殺人事件 [ 小林麻衣子 ]
November 21, 2025
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急に寒くなりましたなあ。 で、そんな話を家内としていた時、そう言えば子供の頃、寒くなると半纏を着させられたという話になり。 ああ! そう言えばそうだった。我が家でも中学生とか高校生の頃、家では冬に半纏を着ていましたわ。 ああいう半纏は、一体どこで買ったのか。なんか当時としては、スーパーの衣料部とかではなく、商店街にある呉服屋だか布団屋だか、そういうところの店先で、1500円くらいの安い値段で売っていたのではなかったかと。あいまいな記憶だけどね。 ほんと、そういうのを、カッコいいとか悪いとか、そういう判断なしに、寒いから着る、みたいな感じで着ていたなあ。自分だけでなく、たとえばテレビ・コマーシャルとかでも、受験生といえば半纏に鉢巻、みたいなのがこの季節の定番だったような。 懐かしいな。父母の膝下にいてなんの不安もなく過ごしていた頃、冬に着ていた半纏。 そんなことを考えていたら、なんだか、そういうのをまた着たくなってきた。 今、そういうのって、どこに行けば売っているのだろう? イオンに行けばいいのか? いや、楽天で買えばいいのか。これこれ! ↓久留米 半纏 メンズ はんてん 綿入り 半天 袢纏 男性用 どてら 日本製 丹前 冬 暖かい 部屋着 誕生日 ギフト 冬 ちゃんちゃんこ 男性フリーサイズ どんぶく 誕生日 プレゼント ギフト でもなんか、通販で買うのは面白くない。どこか旅先で、シブい商店街の店先でゲットするとか、そういうドラマ性が欲しいな。ちょっとヒマになったら、半纏探しの旅にでも出るか?
November 21, 2025
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日本の自己啓発本の研究していると、へえ~っと思うことがしばしばで、それはまあ、私があまりに日本史の知識がないからなんだけど、それにしても今更ながらなるほどと思わされることが多いですわ。 たとえば満州のこととか。 ワタクシは前々から、ある年代の人の中に「満州生まれです」という人が結構いる(たとえば池田満寿夫なんかもそうだけど)のはなぜなのか、どうして日本はあの時期、満州にそんなに執着したのか、不思議で仕方なかったんですけど、自己啓発本の研究をしていて、明治の後半、日本の就職事情が極端に悪化して、高等教育機関を出ても全然就職できないという時代があったことを知り、その絶望的な就職難を解決するための方策が満州進出だったんだ、ということが分かった。なるほど、そういうことだったのね! 今更納得! あと、二宮尊徳のことなんだけど、私は薪を背負って本を読んだ人、としてしか知らなかった。だけど、あの人は結局、荒廃農村の立て直し屋、凄腕のコストカッターだったのね。かつて日産を一時的に立て直したカルロス・ゴーンみたいな。 じゃあ、江戸時代、なんで地方の農村が荒廃したかっつーと、それは重税を課した幕府と、税金を支払えなくて困っている農村の弱みに付け込んだ高利貸による収奪だったと。で、もう食い詰めた村民は、村を捨てて行方をくらましたり、働くのをやめ、博打などに手を出すようになっちゃった。だから、農村の荒廃は、本当は社会システム上の欠陥が原因なんだけど、そこに二宮尊徳登場! 俺が来たからにはこの村を立て直す! だから俺の言うことは絶対聞け! とか言って、残っていた村民の生活態度の改善から取り組み、倹約・勤勉を強いて借金を数年のうちに返済させ、なんとか村の運営を正常に戻したと。 だから、社会システム上の欠陥を、個人個人の意識改革(=自己啓発!)によって乗り越えたのね。それがいいことだったのか、悪いことだったのかは措くとして。 二宮尊徳の剛腕コストカッターぶりを見ると、なるほど自己啓発思想というのは、大昔から社会悪には目をつぶり、個人の自己啓発を促すことだったのね、ということがよく分かる。 勉強になるわ~。 ということで、勉強すると、日々発見があるなと。そんなことを実感しているワタクシなのであります。
November 19, 2025
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このところ、明治維新以降の日本の自己啓発思想の流れについて、様々な本や論文を読破しております。私の専門はアメリカ文学だから、この辺の日本の歴史については無知以外の何物でもない。でも、アメリカの自己啓発思想の日本への伝播とそのプロセスを考えるためには、日本のことも知っておかなくてはならないのよ。 で、遅まきながら色々な資料を読んでいるんだけど、やっぱり知ることは面白いことであって、段々頭の中に、大きな絵ができてきた。 そう、ここで重要なのは、頭の中に大きな絵を描くことなのよね。大雑把に、大柄に、様々な事柄の流れを把握すること。 たとえば明治維新以前にも儒教的な自己啓発思想ってのはあって、勤勉といった美徳を重視する通俗道徳があった。 じゃあ、そういう通俗道徳と、明治維新以降の立身出世主義とはどう違うのか? 結局ね、職業がポイントなのね。 維新以前の通俗道徳だと、職業ということがあまり問題視されてない。なぜなら、それぞれが従事している職業は当たり前のことだったからね。士農工商制があるから、農民には農業という職業しかないし、商人には商業という職業しかない。だから、通俗道徳における勤勉とは、各々の仕事を一生懸命やれ、ということになる。 ところが維新後は、そうじゃないんだなあ。特に士族階級にとって、状況がガラリと変わる。 だって、維新によって、士族は職業を失うんだもん。無職化よ。そうなると、通俗道徳でいう、各々の仕事に精を出せと言われたところで、職が無くなっちゃったんだから、士族階級の連中にとってはまるで意味をなさない。 しかし、そうこうしているうちに学校なるものができ、学校を卒業すると官僚になれるという道ができた。この制度は、士族以外の人々にとって、特に豪農にとっては意味があったけれど、それ以上に士族にとって意味があったのよね。だって、無職の彼らには、この道を使うしかないんだから。 で、明治以降、この教育システムが出世の鍵となるんだけど・・・なにせ人はいっぱいいるのに、教育システムに乗れる人の数は限られている。このシステムに乗れなかった人が大量に出てくると。 そこで絶望して煩悶青年になっちゃう人が大勢出てきたんだけど、そこで出てくるのが、官僚にならなくてもいいじゃん?という発想。実業主義ですな。 そこでそれまで姦商とか言われて、すごく軽蔑されていた実業界の連中がクローズアップされてくると。で、そういう連中が、煩悶青年たちを実業界に引っ張る策略を始めるのだけど・・・ ま、そんな感じで、今、私の頭の中で明治時代の大きな絵が作られている真っ最中。この大きな絵が、段々、細密になって行った時、本が書けるという自信が出てくるわけだけど、まあ、そう先を急がず、今のところはできるだけ大きな絵を描くよう、頑張りましょうかね。
November 18, 2025
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来たるべき自宅リノベーションに備え、少しずつ断捨離を進めているのですが、今日は長年、役に立ってくれたサムソナイトの大型スーツケース2つに別れを告げました。 これ、今から27年ほど前、新婚の家内を連れてアメリカに1年間滞在した際に、二人お揃いで買ったものだったのよ。で、そういうものとして、上等なサムソナイトを買ったわけ。多少は家内にカッコつけたかったところもあったのかな? で、それ以来、海外に行く時は必ずこれを持って行ったので、都合13~14回くらいは一緒に飛行機に乗ったことになる。 もちろん、そういう意味で役に立ってはくれたのですが、その反面、こいつに悩まされたことも何度かありましたっけ。 スーツケースについている車輪が壊れたこともあったけど、それよりも大変だったのは、空港に向かうその日に取っ手が壊れたこと。重いスーツケースの取っ手がないとなると、これは結構、厳しいよ! でも、帰国してからそれを修理に出したりして、その後も騙し騙しずっと使っていた。それだけに愛着もひとしお。 でも、あれから四半世紀も経つと、スーツケースもどんどん進化して、今時、あんなにデカくて重いスーツケースを使っている人は見たことがない。最近のスーツケースは、もっとずっと軽いもんね。それに値段も安い。 それに最近のスーツケースは車輪が進化して、音もなく動く。我々のサムソナイトは、車輪も小さくて、すごく大きな音でゴロゴロいうんだよね! 何事かと、他の旅行者が振り向くくらい。 だから、昨年の今頃、ハワイに行った時は、さすがに新しくて軽いスーツケースを買い、それで行ったの。大分楽だった。 ということで、このサムソナイトはお役御免になっていたんだけど、捨てるのも面倒臭くて、そのまま家に置いてあったのよ。でも、今度リノベするし、もう置く場所もないから、処分しようかなと。 かくして今日、二つのサムソナイトは、中古品買取業者へと売られていきました。1個250円で。ドナドナドーナー、ドーナー・・・。 でも、250円とはいえ、一応は売れたのだから、いずれまた店頭に並び、買う人がいるのかもしれない。 また誰かがあのサムソナイトを買って使ってくれるのだったらいいな。
November 17, 2025
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名著の誉れ高いE・H・キンモンスの『立身出世の社会史』を読んだのだけど、これがまたすごい本だったんですわ。 キンモンスはアメリカ人で、当然ネイティブではないのだから、日本語は大学生になってから獲得した外国語なわけ。にもかかわらず、19世紀後半以降の日本語の文献、それもお堅いところから雑誌の類にいたるまで、公的な統計から大衆小説の類までを博捜し、そういう現物の資料を駆使して、明治維新以降の日本人の立身出世へのアプローチの変遷を、まあ具体的に、圧倒的な説得力をもって、論じている。 で、その過程で、従来の日本人研究者の研究、それも丸山真男レベルの学者たちの研究成果の誤謬やら根本的な見当違いをばったばったと暴いているところがすごいのよ。まさに完膚無きまでに、エライ先生がたのお説を木っ端みじんに粉砕している。で、その批判があまりにも説得力があるので、日本のことを調べている日本人研究者がいかにダメか、ということが明白になるという。 しかもこの論文、キンモンスの博士論文を元にしている。ということは、これを書き上げた時、キンモンスは二十代後半だったっていうね。これこれ! ↓立身出世の社会史 サムライからサラリーマンへ [ アール・H.キンモンス ] もう、こんなの読んだら、何も言えねー・・・。 日本人の大学院生が、アメリカ史の一側面、それも19世紀のアメリカ史の一側面、を調べて博士論文にし、それでアメリカのその分野を専門とする名高い研究者を完膚無きまでに遣り込める、なんてこと、あるかなあ? ほんっと、すごい人だわ。キンモンス。変な名前だけど。 差し当たり自分のことは棚に上げておくけど、今、日本のアメリカ文学の研究者で、こういう重厚な研究をしている人っているんだろうか。たまたまチラッと読んだそこそこ話題の作家・作品を気まぐれに選んで、ちょこちょこっと論じる程度のものしか最近読んでないぞ。論じている当の作家だって、10年持つかどうかわからないようなチンピラばっかだし。 キンモンスの本の中にラフカディオ・ハーンの話が出てくるのだけど、キンモンスが見たハーンって、ものすごい洞察力を持っているのよね。凄いな、この人って思う。 ハーンの本当のところを論じようとしたら、研究者が一生をかけるべき研究になると思う。でも、アメリカ文学研究者で、本格的にハーンを研究している人なんていないじゃん? アメリカの研究者だって、ハーンの日本観までは把握できないだろうし。 だったら、チンピラなんて研究してないで、ハーンを研究すればいいのに。二十年かければ、それなりにモノになる研究ができるんじゃないの? その辺の嗅覚のある若手も、今、アメリカ文学研究の世界で、いないんだよなあ。センスないよね。 とにかく、キンモンスはスゴイ。ビックリしました。
November 16, 2025
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今朝、週末だというのに、朝っぱらからセットしたつもりのない目覚まし時計に叩き起こされまして。 ところが、何しろセットしたつもりがないので、どの時計が鳴っているのか分からず。で、音をたどって行って、ようやく書斎の本棚に飾ってあった時計(下の写真)が鳴っていることを発見。これこれ! ↓ なーんだ、お前が鳴っていたのか! これ、今から50年近く前、私がまだ小学生くらいの時に買ってもらったもので、セイコーの「フリップクロック」っていうの。見た目デジタルですが、実は全然デジタルじゃなくて、数字は紙芝居のフリップみたいなのに書いてあるの。 それで時間が経つと、このフリップがパタッと落ちて、次のフリップが出てくる仕組み。だから、まさに紙芝居よ。アナログもアナログ。人呼んで「パタパタ時計」。 でも、50年近く経った今でも、かなり正確に時を刻んでいる。上についているボタンを押すと、ライトがついて夜でもくっきり。 で、昨日、リノベーションの人が来るので部屋を整理した時、うっかりこの時計に触ってしまって、アラームをオンにしちゃったのよ。それで今朝、それが鳴り出したわけだけど、つまりは今でも目覚まし時計としてきっちり機能しているということになる。 セイコーの技術ってのは、昔から凄かったんだねえ。 この時計、買ってもらった時のこと、まだ鮮明に覚えている。たしか「もうすぐ中学に上がるんだから、少しは自立して、朝、親に起こされるのではなく、自分で起きよう」と決意し、それで買ってもらったのよ。当時住んでいた東林間の駅前の「イトオ時計店」で。 このティファニー・ブルーの色も自分好みでね。買ってもらった時は嬉しかったなあ。昭和の時代、こんなものでも自分のものになるというのは、子供心に嬉しいものだった。 小学生くらいの時に買ってもらって、それが還暦過ぎた今もなお、ちゃんと時を刻んでいるんだから、これはもう、まさに「おじいさんの時計」だよね! 50年休まずにチクタク、チクタクだ。 なんかそう思ったら、余計愛おしくなってきた! 今、この時計は「昭和レトロ」で大人気で、中古相場は2万円くらいするようだけど、これから先も大事にしよう。家をリノベーションしても、ちゃんと居場所を与えてあげよう。
November 15, 2025
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我が家のリノベーション計画ですが、今日、リノベを頼もうと思っている会社の人と初の対面での打ち合わせをして、結局、この会社にお願いすることになりました。施工後のアフターサービスなども含めて、結構しっかりやってくれる会社なので、安心かなと。 そうとなれば、こちらとしても色々間取りの希望とかも言えるので、現時点で思いつく限りのリクエストをして、その上で具体的なプランを作ってもらうことに。 実際に工事が始まるのはまだ3カ月くらい先ですけど、その間、決めるべきことは沢山ある。フローリングにするか、塩ビタイルにするか、壁紙はどうするか、造作はどうするか。風呂の仕様は? キッチンの仕様は? 書斎はどうする? 照明も決めなくちゃいけないし、まあ、ありとあらゆることを一つ一つ、決め手いかなくてはならない。 でも、もともと建築に興味があるので、それに自分で口出しできるなんて最高よ。これからしばらく、家の設計について、楽しい悩みごとに没頭することになりそう。このブログでも、時折、進行具合についてもご報告していきましょうかね。
November 14, 2025
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今日、英語の授業の時に、英語の例文の中に「彼らが出した新しいアルバムは、マスコミから酷評された」というのがありまして。 で、その途中、ふと「アルバム」というのが何を指すのか、学生たちはわかっているのだろうか?という疑問が生じ、聞いてみた。ねえねえ、アルバムって何かわかる? 写真帳じゃないよ、と。 そしたら、学生が「うん、うん」というそぶりを示したので、「ああ、通じているのね。そう、レコードのことだよ」と確認したら、「レコードってなんですか?」って逆に聞かれた。 そうか、アルバムはわかるけど、レコードはわからないのか。 まあ、そうか。そうだろうね。レコードなんて見たことない学生も多いだろうからね。 それにしても、私はつい「レコード」って言っちゃうのよ。それが実際に意味しているのがCDであったとしても。それは、下駄なんて一足も入ってなくても「靴箱」のことを「下駄箱」と言ってしまうのと同じで。 まあ、ジェネレーション・ギャップというのか、若い人と言葉が通じなくなるよね。 でも、こうなってくると、今必要なのは、老人にとっての国語の授業ではないかと。 昔は、大人は物知りで、子供は無知だから、無知な子供に大人の言葉を教えるというのが国語の授業だったわけだけど、今はそうじゃないもんね。若い人たちに話を通じさせるには、どの言葉がまだ生きていて、どの言葉はもはや通じないのかという区別を、老人向けの国語の授業として教えて欲しい。 あるいは、若い人たちが「アザ丸水産」と言ったら、それは「ありがとうございます」という意味であり、「ツラタモリ」と言ったら、それは「辛い」という意味なんだ、ということを、我々年寄りに向けて教えておいて欲しい。 そういう年寄り向けの日本語勉強会、市役所が主催する市民講座とかでやってくれないかな。
November 13, 2025
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なんかねえ、最近、大学ってところも、学生に対して妙な気遣いをすることが増えて、ほんとに妙なことになっておりますよ。 たとえばこの時期、大学から我々教員のところに頻々とメールが届く。曰く、「先生の授業を取っている学生の〇〇さんに配慮してください」と。 配慮って何? そう思うでしょ? 要するに、その学生には精神的・身体的問題があるから、授業の時に配慮しろと。沢山休んだとしても、単位出せと。 まあ、それはいいんだけど、加えて「で、そのことは他の学生に知られないようにせよ」とも書いてある。 これは困る。だって、普通の学生からしたら「○○さんはこんなに沢山休んでいるのに、どうして単位が出るんですか? 先生は、『5回休んだら期末試験受けられない』って言いましたよね? 〇〇さんは6回以上休んでいるじゃないですか?」ってなもんだよね? その学生の質問に対して、なんて答えればいいの? 「理由は言えません」っていうの? 配慮が必要な学生がいることはわかる。しかし、そういう配慮が必要なら、そのことを公開すべきだよね? たとえば公共の建物とかに障碍者用の駐車スペースがあるとして、そのスペースを利用するためには、クルマに障害者マークを付けておかなきゃいけないよね? 障碍者であることは公開したくないからといって、障碍者マークのないクルマをとめることはできないじゃないの。 配慮はしろ、でもそのことは内密にって、妙な話ですわ。 でまた、そういう学生が一人二人ならいいけど、昨今、「配慮して」という学生が山ほどいるのよ。で、またその配慮すべき理由が「頭痛」とか言うんだから参ってしまう。そういう学生は、社会に出てからも「私は頭痛持ちなので、会社に出勤したりしなかったりしますけど、配慮してください」って言うのかしら? もちろん、配慮のない世界もどうかと思うけれども、そういう制度に甘えすぎているところもあるんじゃないのかなあ。少なくとも、「配慮はしろ、だけど内密に」というのは、ちょっとやり過ぎな気がする。そもそも大学って、義務教育じゃないんだから、授業をちゃんと受けて、正当な試験を受けて、単位をとって卒業してもらいたいもんですわ。それができないなら、通信教育などの方法もあるわけだから、そういうのを利用するなりして、自力で大学卒業の資格をとってもらいたい。人の配慮におんぶにだっこで卒業するなんて、良くないですよ。
November 12, 2025
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昨日、菅谷大介アナを追悼したら、今日は仲代達矢か。毎日、人が死ぬな・・・。 黒沢明の説だったか、他の誰かの説だったか忘れちゃったけど、俳優の顔には色々なのがあって、捨てられた犬みたいな顔をした俳優はいい俳優だという説があり、その根拠となったのがジェームズ・ディーンと仲代達矢だったのよ。なるほどなと。 で、その黒澤明が『影武者』を撮っていた時、当初、武田信玄役は勝新太郎だったのだけど、彼が監督と喧嘩して降板し、ピンチヒッターで仲代がその役をすることになった。いわば猫顔の勝新から犬顔の仲代に代わったわけだけど、さて、この交代劇はどうだったのか。信玄のイメージからすると、勝新の方が「ぽい」感じがするけれど、すっかり偉くなってしまった黒沢からすると、自分のコントロールの利かない役者はお呼びでなかったんでしょうな。 で、自分の言うことを聞く犬顔の仲代は、すっかり黒沢に気に入られてしまい、次の『乱』でも主演をする。でも晩年の黒沢ってのは、偉くなってしまった宮崎駿みたいなもんで、もう抑えが効かないというか。『乱』にしても、黒沢が怖くて当時誰も言えなかったようだけど、ワタクシが思うに、駄作も駄作なのではないかと。でもそんな黒沢天皇に気に入られてしまった仲代は、『影武者』『乱』と立て続けに黒沢映画の主演をしてしまったことで、彼もまた祭り上げられてしまった。役者としては、むしろ不幸なめぐりあわせだったんじゃないかなあ。以後、ずっと捨てられた犬みたいな顔をして、苦悩する王様(例えば乃木希典のような)を演じつづけなければならなくなったんだから。 そういう意味では、役者をやる傍ら、無名塾を作って自分の好きなようにやれたのは、仲代にとっては良かったのかもね。無名塾からは、役所広司も出たことだし。 さて、今日はアメリカ映画についての授業をしていて、話題が『マトリックス』のことに及んだのだけど、学生の中でこの映画のことを知っている者は一人もいませんでした。1999年の映画のことすら欠片も知らないんだから、彼らに「そういえば仲代達矢が死んだね」なんて言っても、ポカーンとされるだけでしょう。 私の世代からすれば、仲代達矢はビッグネームだけど、彼も『マトリックス』も、私らおじさん・おばさんの記憶の中にか、もう存在していないのかもね。
November 11, 2025
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そうか、菅谷大介アナ、亡くなったのか。仕事を続けながら闘病中と聞いてはいたけれど、53歳とはあまりに早い。真面目な中にちょっと面白味のある人だなあと思っていて、好きなアナウンサーだっただけに、個人的にも残念。ご冥福をお祈りいたします。 それにしても、アナウンサーという仕事は、ある意味、面白いね。 仕事としては「ニュースを読む」だけであって、ニュースを作っている人ではない。力道山とか、大鵬とか、長嶋のように、それぞれの分野で画期的な業績を挙げたわけでもない。 だけど、テレビを通じてお茶の間に顔を出し続けることで、時代の顔になる。そこが面白い。 子どもの頃のことを思い出しても、八木治郎さんとか、芥川隆行さんとか、高橋圭三さんとか、宮田輝さんとか、小川宏さんとか、北出清五郎さんとか、もっと近いところでは松平定知さんとか、逸見政孝さんとか。みんな懐かしい。 菅谷さんも、もうちょい長く、仕事を続けられたら良かったのにね。歳をとると、同年代の人が亡くなることに敏感になるけど、菅谷さんなんて、ワタクシより10歳近く若いのになあ。 まあ、若い人が亡くなるのは、嫌なもんですな。
November 11, 2025
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レオナルド・ディカプリオ主演の『ワン・バトル・アフター・アナザー』を観ようと思っていたんですが、グズグズしているうちに、ロード・ショーが終わってしまった・・・。まあ、何たること。 それにしても、結構ハリウッドの大物が大勢出演している割に、何の話題にもならなかったですなあ・・・。だから、ロード・ショーの打ち切りも早かった・・・。 で、観ようと思っていた映画が観られなかったので、その代わりに週末、なんか映画を観ようと。それでふと思いついて役所広司さん主演の映画、『パーフェクト・ワールド』を観ることに。 この映画、役所さん演じる主人公が、公衆トイレの清掃の仕事をしているんだけど、その生活は静謐そのもので、しかもこの人は読書家。で、彼が読んでいる本が、なんとウィリアム・フォークナーの『野生の棕櫚』だったかな? とにかく、そんな感じで、アメリカ文学の研究者の間でも結構話題になっていたのよ。 で、以下、ネタバレ注意ですが、役所さん演じる三上は、施設で育ち、若い頃から組に出入したりしていたんですけど、その過程で人を殺めましてね。13年もムショ暮しですわ。で、出所して、今度こそ堅気の生活をしようと努力する。 だけど、過去が過去なだけに、なかなか普通の生活ができない。彼の支援をしてくれる周囲の人の手助けで、一応、アパートも借り、就職もするのだけど、ちょっとしたことで昔のクセが出てケンカしてしまったり。で、自棄になって、昔の仲間のところに戻りかけたりしてね。 だけど、それでもとにかく、頑張って頑張って、普通の生活ができるようになってきて、これで少しは幸せになれるかなと思ったのだけど、そのタイミングで持病が悪化し、亡くなってしまうと。 ん? アレ? 死んじゃったよ? 公衆トイレ掃除はどうしたの? フォークナーは読まないの?? あっけに取られているうちに、ようやく事情が分かりました。ワタクシと家内は、『パーフェクト・ワールド』を観ていたつもりだったんですけど、実際に観たのは『すばらしき世界』だったのでした。全然、別の映画よ。 最後の最後まで、まったく気がつかなかった。いつになったら公衆トイレの話が出てくるのかと、首を長くして待っていたんだけど、そりゃ、映画が違うんだから、そんなシーン、出てくるはずはないわな・・・。 それにしても、同じ役所広司主演で『パーフェクト・ワールド』と『すばらしき世界』って、ちょっとやめてよ~。紛らわしいじゃないの。誰だって『パーフェクト・ワールド』の和訳が『すばらしき世界』なのだろうと思うでしょうが。 で、また、映画の内容も紛らわしいのよ。 三上が就職しようとするけれども、なかなかうまくいかない時、役場の人が「あなたはムショに長くいたのだから、ムショでの作業のようなことはできるのでしょ。それなら、うってつけの仕事がある」とか言って、新しい就職先を紹介する場面がある。で、そのシーンを見て、「おお。いよいよ公衆トイレ掃除の仕事か!」と思うじゃない? だけど、実際には老人介護の仕事だったりして。 というわけで、結局、『パーフェクト・ワールド』は観られなかったのだけど、しかし、まあ『すばらしき世界』という映画も、割と面白かったので、損した、という気分にはなりませんでした。これは、これでいい映画よ。 でも、いつか近いうちにリベンジして、今度こそ本物の『パーフェクト・ワールド』を観るぞ!!
November 9, 2025
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ここ数日、楽天ブログがトラブル中で、全然更新できませんでした。ようやく、回復したのかな? というわけで、二、三日更新を休むとブログも調子が出なくなっちゃうんですけど、最近、ワタクシは何をしていたんだっけ? そうそう、断捨離だ。 前にも書きましたが、近々、自宅のリノベを考えておりまして、そのために少しずつ準備をしているところ。で、それを機に、断捨離をしているのよ。 結局、普通に生活していると、モノはたまる一方。しかもワタクシはモノへの執着が強いから、思い出のある品とか、捨てにくい。 だけど、せっかくリノベをするなら、自分自身もリノベしないとね。 というわけで、このところ、思い切って、色々なものを捨てております。 で、昨日は、近くにある家庭ごみ処分場に行って、クルマに積めるだけのものを捨ててきました。20キロ分くらい捨てたかな?と思ったけど、実際には60キロ分だったらしい。 だから、自宅も60キロ、軽くなったわけだ。大人一人分ですな。 まあ、でもこれは序の口で、この先、もっともっと沢山のものを捨てることになるでしょう。 思い出を捨てるってのは、ワタクシにとっては辛いことだけど、でも、それは今まで貯め込んだ人生の垢みたいなものを引きはがして、そこから自由になることでもある。その意味で今、還暦を過ぎ、人生の第3コーナーを回ったあたりで、余計な重荷を下ろすのも、いいことなのかもね。 そう思って、この際、バシバシと要らないものを思い切って捨ててやろうかな。
November 8, 2025
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近々、自宅マンションをフルリノベしようかと思っているんですけど、その場合、書斎をどんな風にしようかなと。 スペースは限られているし、しかし本は沢山あるし、どうしよう? そこで、ふと思い立ってAIに頼んでみた。これこれ、こんな感じの書斎が欲しいのだけど、ちょっとデザインしてみて!と。 すると、こんなん出ました~! ↓ なるほどね。結構、いいじゃん? それにしても、AIってのは、何でもできるんだね。すごいな。もう、この調子で、寝室も、リビングも、みんなAIに作ってもらって、それをデザイナーに見せて、「こういう風にして」と言えばいいじゃん。 まあ、とにかくAIとハサミは使いようですな。
November 5, 2025
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昨日、文化の日は、我等夫婦の結婚式記念日でもあったので、夜、塩釜口というところにある「ブラッスリー・クー」というお店で、奮発してフレンチを食べてきました。 何度も来ているお店ですが、昨日も美味しかった。特にホタテとエビの身の入った青りんごのドレッシングのサラダが絶品。オニオンスープも美味しかったし、魚料理も抜群。最後の鶏の煮込みも美味しかったのですが、この歳になると魚料理と肉料理を両方備えたフルコースはきつくて、最後まで食べたら満腹+アルファになっちゃった。 でも、記念日にふさわしい豪華ディナーとなりました。このお店、教授のおすすめ!です。 で、幸福にお腹を満たして、そのまま帰ればいいようなものの、そうならないのが私の常。 前にこのお店に来た時、お店の近くに「無人古着屋」なるものがあることを発見したので、昨日は帰りがけにそのお店に入ってみたのよ。何せこのところ、ワタクシは空前の古着ブームだからね。 で、無人古着屋というのには初めて入りましたけど、確かに店は開いているけど、店主・店員はいない。服を買いたい人は、料金箱に釣銭のないよう、値札通りの料金を入れる仕組み。 なるほど、無人の餃子屋さんとかと同じ仕組みですな。 で、早速、服を見始めたのですけど、店もそんなに広くはないので、あっという間に見つくしちゃった。 でもその中で一点、ちょっと気になる服がありまして。 それはバーバリーのコートでね。カーキ色で、毛布のようなライナーがついている。襟の形に個性があり、なかなか面白い。 で、羽織ってみると、これまたいい。バーバリーのコートが3千円なら、ちょっと考えるじゃない? 難点が一つあって、コートの内側に刺繍で「中村」というネームが入っている。これ、元は中村さんのコートだったんですな。 で、さんざん迷った挙句、今回は見送ることに。さすがに前の持ち主の名前が入っているのが気になるし、何度も羽織った結果、やはり少しだけ私にはサイズが大きいような気がしてきましたしね。 だから、収穫は無しだったんだけど、それでもアレコレ探したりするのは面白かったです。宝探しみたいなものだからね。 で、思ったのだけど、ブランド品って、古着になるとより一層、その価値が分かるね。 やっぱりデザインといい、品質といい、これはバーバリーだ、という主張がある。凡百の古着の中で、ブランド品は生き残る。生き残るだけのものを、ブランド品ってのは持っているんですな。 そういうことも、古着を楽しむようになってから分かってきたのであって、これも人生勉強よ。 とまあ、そんなわけで、昨日は美味しいフレンチと、古着の宝探しで、面白い夜を楽しんだのでした。
November 4, 2025
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最近、韓国の自己啓発事情について聞かれることが多くなってきたので、情報を仕入れるためにハ・ワンの書いた『あやうく一生懸命生きるところだった』という本を読んでみました。 ハ・ワンはイラストレーター兼エッセイストで、この本でも文章とイラストを両方担当している。なかなか可愛いイラストです。 で、この本は、いわばハ・ワンの自伝的エッセイなのですが、それによるとハ・ワンの生家は貧しかったと。で、貧富の差がもたらす劣等感をそれなりに味わいつつ成長するんだけど、絵の才能があったので、韓国で一番有名な美術大学を目指すんですな。 ところが最初の年には落ちてしまう。で、翌年も受験して落ちてしまう。この時は滑り止め大学に通うようになったのだけど、どうしても夢が諦められず、もう一度受験し、また落ちると。で、ようやく4度目の受験で合格する。 で、卒業後、3年ほどフリーターをする。しかし、さすがに背に腹は代えられなくなって某会社に就職。そこはかなり自由な社風で、仕事もさほどきつくなかったようですが、会社員生活に馴染めず、40歳の時に突発的に辞表を出してしまい、今日に至ると。 まあ、つまり、あまりパッとした人生ではないわけですな。それは本人が一番感じている。 で、そのパッとしない自分の人生の味を味わいながら、なんでこんなにパッとしないのか、どうして自分は、若い頃に思ったような理想の生活ができず、不満を抱えて生きているのかを考えるうちに、これは自分だけの責任ではなく、韓国の社会風潮や、親からの期待、そして自分自身への幻想などによってもたらされたものなのではないかと気づくわけ。 すべてをあきらめて、ありのままの自分を肯定してみたら、まあ、そんなに悪い人生でもないのではないか? ということも分かって来た。もちろん今も、成功者を見て羨ましいと思うことはあるけれども、前と違って今は自分に対する高すぎる期待も抱いていないので、とっても楽。ああ! 以前みたいに周囲に流されて、馬車馬のようにシャカリキに生きる羽目に陥らなくてよかった! 危うく一生懸命生きるところだった!・・・という話。 だから、この本も、一生懸命頑張れ、頑張れというアッパー系のものではなく、むしろ一生懸命頑張るな、というダウナー系の自己啓発本ということになります。 これが自己啓発思想の観点から見た、韓国の今の風景なんでしょうな。 でも、この本を読んでいて、色々なことが分かりました。 たとえば韓国経済が落ち込む転機となったのは1997年のIMF通貨危機だったとか。で、以後、韓国ではお金が重要、という概念が広まるんだけど、それに追い打ちをかけたのが2000年にとあるカード会社が打ったTVCMで、この中で有名女優が「お金持ちになってください」と呼びかけたのが大ブームとなり、「お金持ちになる」というのが韓国人共通の夢になり、物質万能主義社会になってしまった、とか。こういう庶民感覚での時代意識ってのは、なかなか日本に居ては分からないことだしね。 あと、『孤独のグルメ』が韓国では人気なんだけど、なんでもスマホで情報検索する韓国社会の風潮とは逆に、井之頭五郎が自分の勘だけを頼りに店を選ぶ、その手法が斬新なんですと。韓国では「いつでも誰かと一緒」というのが当たり前(108頁)なのだそうで、そういう、集団の圧力というものから離れ、一人で自分の好きなものを食べるという五郎の生き方が、羨ましいと。 あと、韓国は「正解社会」(170頁)だ、という著者の指摘も面白かった。誰もが正解を求めていると。だから、著者が選んだ「脱サラ」なんてのは、不正解もいいところなわけ。だけど、その不正解なところにこそ自由があったわけで、この本はそういう正解社会からの離脱、というのがテーマでもある。 あとね、『ユン食堂』という人気番組があるそうで、これは俳優が海外でレストランを経営するというリアリティー番組らしい。「競争の熾烈な韓国を飛び出し、ゆったりと外国で店を開くというロマン」(173頁)を見せたところが受けたのだそうで。逆にいうと、こういう番組が流行るほど、韓国社会は熾烈だ、ということですな。だけど、こういうのが流行ると、今度は韓国人全員がこぞって「海外でレストラン経営」という夢に群がってしまう。この時はこれが「正解」だったから。 とまあ、この本には、こういう韓国社会の風潮を交えながら、この風潮に捉われたら、常に他人と比較する幸福競争に巻き込まれ、結局、幸せにはなれないと。だから、ドロップアウトするのが賢明なのだよ、ということが色々な観点から書いてある。これが本書のダウナー系自己啓発本である所以なんですな。 ま、自己啓発思想を考える上で、大いに役に立つ本ではありましたね。それにしても、お隣の国に暮らすというのは、大変そうだねえ・・・。これこれ! ↓あやうく一生懸命生きるところだった [ ハ・ワン ]
November 3, 2025
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山口忠夫さんの書かれた『直傳靈氣 レイキの真実と歩み』という本を読了しましたので、ちょっとだけ心覚えをつけておきましょう。 レイキについては、前々から調べてみようとは思っていたのよ。というのは、精神療法とか、代替医療というのは自己啓発思想の中で重要な位置を占めるのでね。日本発祥の代替医療として、世界中で知られているレイキについて、まるで知識がなかったら、それは自己啓発思想の研究者として恥ずかしいからね。 で、とりあえずこの本を読んだのだけど、これで大体、レイキというものの歴史が分かった。 それは実にシンプルなもので、レイキ・・・というか霊氣なる施術法を発案したのは、臼井甕男(みかお)という人。この人は1865年生まれね。で、この人は色々な仕事をして生計を立てていたみたいなんだけど、そのうちに「人生の目的とは何ぞや?」みたいなことを考えるようになり、禅の世界に飛び込んで修行をし、京都の鞍馬山で断食修行していたら、ある時、脳に落雷を受けるような衝撃を受けて昏倒、気がついた時には手をかざすだけで人の悪いところを治療する術を身につけていたと。 で彼は「臼井靈氣療法」を確立するんだけど、その高弟に林忠次郎がいた。この人は元海軍大佐。で、この林と、その弟子でハワイ在住の日系人・高田はわよが、靈氣をハワイへ、そして世界に広めたと。ここから靈氣はレイキになっていくわけね。 で、この林忠次郎から靈氣を伝授された弟子の一人が山口千代子で、その千代子の息子が本書の著者である山口忠夫さんであると。 で、母親の千代子さんは、靈氣を当たり前のこととして日常で使っていて、忠夫さんも幼い時から火傷や怪我をした時、風邪を引いた時など、母親の千代子から靈氣をかけてもらって治療していたと。 一方、世界に広まっていたレイキの施術者(レイキ・ティーチャー)たちは、レイキの原点を探そうと日本を訪れる人も多かったのだけど、その頃には臼井のことも林のこともよく分からなくなっていて、もう日本で本式の靈氣を学ぶことはできないんだ、という噂が流れていた。 ところが、たまたま山口千代子が、林忠次郎直伝の、ということはつまり臼井甕男直伝の靈氣を日常的に実践していることをつきとめたあるレイキ・ティーチャーがいて、その人が本の中にそれを書いたので、世界中のレイキ・ティーチャーたちが山口千代子さんのところに押しかけたと。 つまり、レイキが靈氣を再発見したわけよ。それが1999年のこと。だから、靈氣が再び脚光を浴びたのは、つい最近のことだったんですな。 で、その後、2003年に山口千代子氏は亡くなったので、今は山口忠夫さんが直傳靈氣を伝え続けていると。今は京都と東京の町田に本拠地があるみたい。 ま、レイキの歴史ってのはこんな感じらしい。 で、本書には臼井甕男が作り上げた靈氣の話も載っているのだけど、一つ面白かったのは「五戒」という話。 臼井は靈氣の治療をしていたのだけど、そうすると、一度治ったはずなのに、また病がぶり返して、再び臼井のもとに泣きついて来るヤツが大勢いると。 で、臼井は、靈氣で治療しても、治療された本人の人生に対する心構えが悪ければ、さすがの靈氣でも根本的な治療にはならないということを発見するわけ。で、その人生に対する心構えから治さなければならないってんで、「五戒」を考えたと。 その五戒というのは、コレ。 今日丈けは(だけは) 怒るな 心配すな 感謝して 業をはけめ(励め) 人に親切に なるほど! これは興味深いねえ! あのね、自己啓発思想史の中では、こういう呪文って、結構あるのよ。 たとえばエミール・クーエの「Day by day, in every way, I'm getting better and better.」とかね。あるいはハワイのホ・オポノポノの「I love you. I'm sorry. Forgibe me. Thank you. 」とか。 臼井甕男の五戒も、これに近いね。しかも、この5つの誓い、どれもみんな自己啓発思想の中で重視されるものばかり。なかなかの味わいだな。 あと、このほかに臼井は、明治天皇の御製(すごく説教臭い)を重視して、この中から百首を選び、朝に夕に唱えることを推奨していたのだとか。 ま、そんな感じ。 というわけで、とりあえず靈氣の何たるかはこれで分かった。この本、そちら方面に興味がある方にはおススメです。これこれ! ↓直傳靈氣 The Roots of REIKI レイキの真実と歩み [ 山口 忠夫 ] なお、今もなお山口さんはセミナーを開いているらしいので、8万5千円くらい支払うと、臼井甕男直伝の靈氣を習うことができるらしい。町田なんて、実家から近いから、私も行っちゃおうかな。
November 2, 2025
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必要があって、儒教のことを色々調べているんだけど。 ところで、一般の人って、儒教って何なんだか、分かっているのかしら? あのね、あれはね、自己啓発思想です。 そりゃそうだよね! だって、あれでしょ? 孔子様はさ、古の中国の偉大な王様のことを讃えて、世を統べる者、ああでなくてはいかん、という教えを伝えたわけでしょ? つまり政治のトップになるためには、人格を磨けと。 だから儒教って、科挙の出題範囲になるんじゃなーい! 儒教を学んで出世しよう!って。 だから、儒教は自己啓発思想なの。 で、その自己啓発思想が江戸中期の日本にも入ってきました。で、サムライたちはそれを学んだわけ。藩校とかで。 でも、日本の場合、それは、人格の陶冶には役に立ったかもしれないけど、自己啓発思想としては役に立ちませんでした。なぜなら日本には士農工商制度があったから。いくら人格を上げても、出世はできないのよ。身分固定(カースト)制だから。 ところが明治維新があって、この士農工商制が無くなる。その時に、アメリカから自己啓発思想が入って来る。ベンジャミン・フランクリンの思想が入って来るわけ。 で、フランクリン曰く、「自分の人格を高めれば、出世できるよ」と。 で、明治初期の日本人は思ったわけよ。「あーーー! それ知ってる! だって儒教で習ったもん!」って。 だから、儒教やってた日本人には、アメリカ流の、ベンジャミン・フランクリン流の自己啓発思想って、すごくよく分かるわけよね。だから、一気に浸透するわけ。 ・・・っていう構図は、アメリカの自己啓発思想を知っているから分かるのであって、日本史として儒教伝達史とかをクソ真面目に勉強している人たちには・・・分っかるかなあ? 分っかんねぇだろうなぁ。オー、イエィ。(by 松鶴家千とせ・・・って言っても、若い人には分からないか・・・) まあ、そのうちに、私が日本の儒教史に風穴を開けてやるよ。 というわけで、このところ儒教のことを勉強しているんだけど・・・ なんか、つまんない。だって、真面目な話ばっかなんだもん。 で、なんとなく、自己啓発本のあのいかがわしさ、インチキくささに触れたくなって、今日は「レイキ」の本を読んでいました。 レイキって、ご存じ? あの、気で病を治すってやつね。日本伝統の。 で、そのレイキ施術者の家に生まれた人の書いた本を読んでいたんだけど、その人のお母さんがレイキの使い手だったと。で、レイキで病人の身体に手をかざすでしょ。そうすると、病巣があるところには何か反応があるらしく、手からその気配を感じることができると。 で、戦時中、そのお母さんの夫、つまり著者のお父さんが戦場に行っていて、生きているか死んでいるか分からないと。 で、そのお母さん、遠隔で夫に向かってレイキをかけてみた。すると・・・ お父さんの病巣の手ごたえが返ってきたんですと。ということは、お父さんは戦場で、怪我はしているかもしれないけど、生きていることは確かだと。 で、実際、その夫は戦後、日本に引き揚げてきたそうな。 オ――――! 出た――――! この何とも言えないインチキくささ。これこそが自己啓発本研究の醍醐味だよね! ということで、まともな勉強をして少し弱っていた私の心が、このインチキくさいレイキの話で、ちょっと回復してきたのでございます。これもひょっとしたら、レイキの効能だったのかもね!
November 1, 2025
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昨日、セミナー講師の仕事を終え、ちょっと一息つきたかったので、今日は家内とIKEAと万代家具に行って、インテリア・グッズを見て来ました。 いや、実は、自宅マンションのフルリノベーションを考えているもので、新しい家具やら何やら、色々と準備しないといけないのよ。 で、IKEAと万代家具、両方に行って、クローゼットとか、照明とか、ベッドとか、ソファとか、そういうものを見てきたんですけど、色々勉強になりました。 特に衝撃だったのは、万代家具で見たベッドよ。 シモンズとか、シーリーとか、色々見て回ったのだけど、一番すごかったのは、テンピュール。 しかも、それの電動版。 テンピュールベッドの電動のヤツで、「ゼロ・グラビティ」っていうボタンがあって、それを押すとベッドがグイーーンって動いて、頭と足先が若干持ち上がるわけ。そうすると、繭に包まれたような感じになって、テンピュール独自の低反発素材とも相まって、もう、体重を忘れる寝心地となる。 もうね、それを一度味わってしまったら、他のベッドに目が行かなくなってしまうほど。 だけど、値段も高いんだよね! いいものは、お代も高いわけでありまして。 さてさて、どうしたものか。値段が高くても、これから先の人生における寝心地を重視すれば、こっちを買っておいた方がいいのか? 悩ましい限り。 あとね、電動のソファも見たけど、あれもいいんだよね! もう、あんなのに座ったら、リラックスし過ぎて勉強する気が無くなるんじゃないか? というわけで、新しい家具を物色しに行って、悩ましい選択に直面することになってしまったワタクシなのでした、とさ。
November 1, 2025
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今日は大学で授業をやった後、オンライン・セミナーで講演をして参りました。 これまでも動画には結構出ているんですけど、トークショー形式だったり、対談だったりが多かったのよ。 だけど、今回はレクチャー&質疑応形式で、ほんとにセミナーって感じ。もっとも、オンラインだから、聴衆の顔は一部しか見えないんだけどね。大半の人は、顔出ししないから。 でも主催者に聞いたら、今日は結構、受講者が多かったとのこと。 で、1時間ほどレクチャーして、後半の1時間は、聴衆の皆さんから出た質問を司会者の人がまとめてくれて、そういうのに答えたり、あるいは直接、聴衆の人からの質問を受け付けたり。トータル2時間以上しゃべっていたかな? まあ、ワタクシはこういうのは百戦錬磨だから。今日のセミナーに参加された方々は、結構、面白かったのではないでしょうか。 だけど、大学で授業をやった後、7時半から9時半過ぎまでやっていたので、自宅に帰りついたのは、10時半くらい。普段、そんなに帰りが遅くなることはないので、ちょっといつもと違う感じで、非日常の面白さはありましたね。 というわけで、今日は十分、働きましたので、明日はちょっと息抜きをしようかな!
October 31, 2025
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なんか、急に寒くなりましたなあ。昼間はまだいいけど、朝晩、結構冷える。 っていうか、ついこの前まで「10月なのに夏日?!」とか言ってなかったっけ? 最近は、「日本には二季がある」っていう言い方をするんだってね。昔は「四季がある」だったけど、今はもう夏と冬しかない。夏が終われば冬、冬が終われば夏。確かにそうだわ。 実はちょっと前にコットン・セーターを買いまして。セーターはセーターなんだけど、ウールではなくてコットンなので、それほど温かいわけではない。要するに、秋に着る用なわけ。 で、それをいつ着よう、いつ着ようと思っていて、でもついこの間まで結構暑かったので、「まだだな」と思ってとっておいたのよ。 で、ようやく昨日・今日あたりから着だしたのだけど、なんだかもう、これだけ着て外に出るのは寒いような気がしてきた。 秋服を着る期間は、1,2週間しかないのか! ひょっとして、秋服って、日本ではもう必要ないのかもね。昨日までTシャツ、明日からは分厚いセーターっていうことで。
October 29, 2025
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この時期、焼き芋が好きで、よく買うのですが、今年は当たり年だよね! 逆に、昨年はひどい不作の年でした。硬くて、筋が多くて、カスカスで、一体何度、がっかりさせられたことか! だけど、今年はいい。既に何回も買って食べたけど、どれもすごくおいしかった。 ちなみに、私はトロトロに柔らかい焼き芋が好き。ホクホクした感じのではなく、ねっとりと柔らかく、甘い奴。 歳をとると、「柔らかい=旨い」になってくるからねえ・・・。 で、今年の焼き芋は、大概、トロトロに柔らかくて甘いのよ~。ハッピー! あと、今年は柿もいいよね! 私の好きな、あの平たくて四角い種無しの柿、もう何度も食べたけど、どれも美味しかった。 こうなってくると、次に期待すべきは蜜柑、なんだけど、それはどうかな・・・? 昨年の蜜柑は、あまりよくありませんでした。で、今年の夏に食べた三宝柑に至っては、ボロボロというほどおいしくなかった。 そういう風に考えると、今年もあまり期待できないのかもね。夏の暑さがあれでは、蜜柑系はダメなのかも。 ま、とにかく、秋の味覚ってのは、なんとなく楽しいもんですな。そろそろ本格的な鍋のシーズンに入るし、色々、楽しみ!
October 28, 2025
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いやあ、今年のうちのゼミ、やっぱ、すごいわ。 今日、4年生のゼミがあったので、オープニング、「この一週間で、なんか面白いことあった?」と訊ねたところ、二人の女性学生が「はーい!」と勢いよく手を挙げたと。 で、なあに?って尋ねたら、二人でスカイダイビングをやってきたと。 ん? なんだって? 聴き間違いかな? スカイダイビングって聞こえたけど? スカイダイビングやってきたんですと。 ウソだろ。マジか・・・。 で、色々聞いたのですが、兵庫県まで行って来たんですと。今、スカイダイビングって、5万8千円で出来るんですってね。「死んでも当方としては責任持たない」という書類に、やたらにサインさせられるらしいけど。で、プロのダイバーと二人羽織りで、ポーンと。 二人にその時撮影した動画を見せてもらいましたけど、まあ、恐怖なんてかけらもないようで、楽しそうに飛んでおりましたわ。実際、ワクワクしかしなかったんですと。 いやはや。 で、二人から話を聞いていると、しばしば「ヘリコプター」という言葉が混じるので、「ん? 今時って、スカイダイビングはヘリコプターからするの?」と訊ねたところ、一人は「はい!」と元気よく答え、もう一人は「いいえ!」と答える。 よくよく聞いてみると、どうやらセスナで上空に上がったようですが、一人の女子学生は、セスナのことをヘリコプターだと思っていたようで。 ふうむ。最近の学生は、ヘリコプターというものがどういうものかも知らないのか。 ちなみに、ヘリコプターではない、と答えた学生も、私の「セスナだろ?」という問いかけには、戸惑っておりました。 ふうむ、最近の学生は、セスナというものがどういうものか、知らないらしい・・・。 ヘリコプターもセスナも知らずに、よく、スカイダイビングするよね! というわけで、今日は私のゼミの怖いもの知らずの女子学生二人に、色々と驚かされたのでした。
October 27, 2025
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食欲の秋とはよく言ったものですが、最近、我が家では食欲の秋にはもってこいのニュースがありましてね。 家のすぐ近く、歩いて1,2分のところに美容院があったのですが、それがつぶれまして。で、その跡地がしばらく空いていたのですが、その後、なにやら改修工事があったんですわ。だから、何かのお店ができるんだろうなあと思っていたんですが・・・ で、最近、そこに看板が掲げられ、新しい店が何なのか判明したのよ。そうしたら・・・ バーガーキングでした! やった~!! 私がここに引っ越して来た当時、やはり家から1,2分のところにあるスーパーマーケットの中にマクドナルドが入っていて、まあ、買おうと思えば簡単にハンバーガーが買える環境だったのよ。ところがそのマクドナルドがかれこれ7,8年くらい前に撤退して、以後、ハンバーガーを買おうと思ったらちょっと遠くまで行かなければならなかったの。 で、そんなハンバーガー難民の我らのもとに、バーガーキング降臨! ひゃー! ありがたい! そりゃ、マクドナルドよりバーガーキングでしょうよ。ワッパー、旨いもんね! これからは、ジャンクフードが食べたくなったら、ここへ来ればいいわけだ。 ま、本音を言えば、サブウェイが入ってくれると一番良かったのだけど、バーガーキングならOKよ。 ファストフード系だと我が家は結構恵まれていて、歩いて1,2分のところにクリスピークリーム・ドーナツとスタバとココイチがあるんだけど、今度、これにバーガーキングが加われば鬼に金棒。便利になりました。 早くオープンしないかな、バーガーキング。オープンしたら速攻ワッパー食べにいって、アメリカの味を堪能しましょうかね。
October 26, 2025
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昨日・今日とゼミ生の卒論を添削しているんだけど、うーん、まあ、なんというか・・・ダメだね。 あのね、初めて論文書く連中が必ず間違うことって4つあるんだよね。その4つとは、①パラグラフ(段落)が長い。②歴史記述において、「古い時代のことを書いてから、新しい時代のことを書く」というルールを逸脱する。③同じ内容のことを、別な場所で繰り返し書く。④ワープロの変換間違いを含め、誤字脱字が頻出する。 この4つ。 で、それはあらかじめ分かっているから、授業でもそのことを取り上げ、口が酸っぱくなるほど注意するのよ。「いいですかー。皆さん、これから論文を書き始めると、必ずこの4つの間違いをやらかしますよー。絶対やらかすのは分かっているのだから、何度も見直して、絶対にそうならないよう、この4つの間違いに陥ってないかどうかだけはしっかりチェックして、そうならないように注意するんですよー」って。 で、実際に書かせるでしょ? そうすると、ゼミ生全員がこの4つの過ちの全部を、キレイに、余すところなく犯すのよ。 なんなんだ!っていうね。じゃあ、事前に指導した意味がないじゃん! 意味が分からないわ。 それだけ論文を書くということが、学生にはハードな課題なんですかね。 とまあ、そんな感じで、ため息をつきながら、論文の添削作業に没頭している今日のワタクシなのであります。論文指導本のケッサク! この本をちゃんと読んでほしいなあ・・・ ↓ゼロから始める 無敵のレポート・論文術 (講談社現代新書) [ 尾崎 俊介 ]
October 25, 2025
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我が家(マンション)のフルリノベを企てている我らなんですが、今日、その第一歩を踏み出しました! といっても、未だご相談の段階なんですけど、今現在、ここにお願いしようかな~、と考えているリフォーム会社の担当者と遠隔で面談し、リノベーションに際してのこちらの希望というか要望をお伝えしたんですわ。 で、今後、とりあえずリノベーション・プランを立てていただいて、それを見たり、さらに修正してもらったりしながら、本当にこの会社にお願いしていいのかどうか、こちらの腹を決めると。 で、もしここにお願いするということが決まれば、そこからは怒濤の進行となり、最短、来年4月上旬くらいに引き渡しとなるわけ。 しかし、今住んでいる自宅のリノベーションなので、工事がはじまれば、我々はどこかに一時的に引っ越さなくてはならないわけで、その辺の調整も、結構面倒臭いことになるのかも。でも、それは仕方ないですよね。 とまあ、これから身辺が忙しくなりそうな予感。 でも、これでリノベーションしたら、自分たち好みの、自分たちのライフスタイルに完全に合致した我が家を手に入れられるわけだから、その位の不都合は我慢しないとね。 さてさて、そうとなれば、こちらも準備をしなくては。ピンタレストでキッチンやリビングや書斎やトイレなどのデザインで、気に入るものを集めて、デザイナーさんに「こんな感じで」というのをお伝えする作業を、そろそろ本格的に始めるとしましょうかね。
October 24, 2025
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いやはや、今日はまたすごい悲報が入ってまいりました。 実家の近く、小田急線栗平駅前にある書店、「ブックポート203」が、今月末をもって閉店と・・・。 まあね、このところ日本全国で本屋さんが続々とつぶれていて、それが結構、新聞ネタになっていたりするのは知っておりましたが、ついについに、その悪しき流れがブックポートにまで及ぶとは。 このブックポートには思い入れがありましてね。私は毎年、大晦日にこの店で本を一冊買うことにしているのよ。で、翌日、元日にそれを読む。それをもって、年初の恒例行事にしていたわけ。 で、そのことは、私の著書『アメリカは自己啓発本でできている』の冒頭に紹介したエピソードでもあって、それを知ったブックポート栗平店は、私の本を山積みにして、長いこと店頭に置いておいてくれたのよ。 で、去年の大晦日にもこの店で本(『海外旅行なんて二度と行くかボケ!!』)を買って、本年最初の一冊として読んですごく面白かったという、いい思い出があったのに。もう、この恒例行事もできなくなってしまった・・・。これこれ! ↓海外旅行なんて二度と行くかボケ!! (わたしの旅ブックス 18) [ さくら 剛 ] めちゃくちゃ悲しい! ここ、いい本屋だったのよ。そんなに大きな店ではないのに、置いてある本のセレクトがすごく良かった。店長さん、店員さんのセンスが窺えるような、隠れた名店だったのに! しかし、今月末で閉店となると、お礼を言いに行きたくても行けやしない。つい先日、実家に戻っていた時に知っていれば、いくらでも行くチャンスはあったのになあ・・・。 それにしても、本当に日本各地から、書店が姿を消しているんですなあ。そういえば、名古屋の家の近くにあった夢屋書店も、つい最近、つぶれたしなあ。 日本人が本を読まなくなったから書店がつぶれる、書店がつぶれるから、ますます人は本にアクセスできなくなる。もう悪循環も極まれりじゃん。 もう、こうなったら早苗ちゃんにお願いして、書店保護、読書振興の政策を練ってもらうしかないかもね。そうじゃないと、ホントに日本の人文学は終わっちゃうよ! もう終わりかけているけど。
October 23, 2025
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フランスで元大統領のサルコジ氏が、かの有名な、かつてルパン(三世じゃない方)も収監されていたラ・サンテ刑務所に入れられたらしいじゃん? ま、確かに、サルコジって、見ようによってはルパン三世っぽい顔しているもんね。 それでまた面白いのが、サルコジが牢屋に持って行った本よ。デュマの『モンテ・クリスト伯』を持参したって言うじゃない? もう、脱獄する気満々っていうことじゃないの。これがフレンチ・ジョークか! しかし、脱獄するかどうかは別として、牢屋に持って行くのに『モンテ・クリスト伯』ほどうってつけの本はないよね。私もこれまでの人生で読んだ本の中で、ベスト10には入る本だし。 それにしても、大統領が牢屋入りって、割とよく聞く話だよね。権力を持つと、色々悪い誘惑があるんだろうね。 権力がまるでない私なんか、牢屋に入らずに『モンテ・クリスト伯』が読めるんだから、それはそれでいい人生なのかもね。
October 22, 2025
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今日は3年生のゼミがあったのですが、夏休み明け1回目のゼミだったので、あまり詰めたことはせず、夏休みの経験などを語ってもらいました。 で、親戚のいる金沢で夏を満喫したとか、サークルの現役最後の合宿を楽しんできたとか、人生10年ぶりくらいでハゼ釣りをし、釣ったハゼを天ぷらにして食べたとか、色々な話が出たのですが、一人、普段一番おとなしいA君の夏休み体験というのが面白かった。 A君によると、友人同士4人で一台のクルマを駆り、東北まで往復してきたと。 ほう! 私も学生時代、友人と二人でクルマで北陸を一周したことがあって、すごくいい思い出だったのですが、愛知から東北までとなると、かなりしんどそう・・・。 で、初日は愛知を出て仙台まで一気に行き、翌日は盛岡、翌日は青森の突端、函館の向かい側まで行って、翌日、なんと青森から一気に愛知県まで走り切ったと。 で、盛岡では、東北一番の盛り場に行ってみたけど、深夜に着いたので開いている店がほとんどなく、かろうじて入った居酒屋で食べた魚料理がめちゃくちゃ旨かったとか、青森で名物の「いちご煮」を食べようと思ったのだけど、これも提供してくれる店がなくて、結局缶詰を食べたとか。そんな話をしとりました。 あと、本州最北端を目指したものの、その場所は農家の並ぶ道の端にあって、全然「最果ての地に来た!」という感慨が湧かなかったのだとか。 まあ、旅先ではガッカリすることもありますが、それも含めての旅だからね。後から思い返して、そのガッカリもまた、いい思い出になることでしょう。 それにしても、人は見かけによらないというか、ゼミ内で一番おとなしいA君が、一番、青春っぽい夏を過ごしていたというのが面白いなと。 というわけで、今日はゼミの若人と話をして、ちょっと面白かったのでした。
October 21, 2025
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バームクーヘン、どうやって食べてます? うちは割とバームクーヘンが好きで、「ユーハイム」とか「クラブハリエ」のを買ってきて食べたりするのだけど、昨日、クラブハリエのバームクーヘンを食べる機会がありまして。 で、その時に話題になったのが、バームクーヘンの切り方よ。 日本ですと縦切りにすることが多いけど、本場ドイツでは掬うようにそぎ切りにする、などという噂がまことしやかに流れていますが、今まであまり本気にしてなかったのよ。だけど、昨日は「一度やってみるか」ということになりまして。 で、実際にやってみたら・・・ 違う! 断然違う! 実際に縦切りにしたものと食べ比べたのだけど、掬うようにそぎ切りにした方がずっとまろやかで旨い! あのね、縦切りにしたものを食べると、口に入れた瞬間、唾液を持っていかれる感じがするのよ。だけど、そぎ切りにしたものはそうじゃなくなるのよね。ほんと、まろやかないいお味になる。 噂は、本当でした。今まで、縦切りにして食べていたなんて、なんて馬鹿なことをしていたのか!! ということで、わが家ではこれからバームクーヘンは断然ドイツ流の切り方で食すことが決まったのでした。まさにあらたな歴史、バームクーヘン新時代の到来でございます。 ウソだと思ったら、是非ためしてごらんあそばせ!これこれ! ↓必殺! バームクーヘン「そぎ切り」
October 20, 2025
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姉が「これ、もう捨ててもいいよね」というので、何かと思ったら父の昔の給与明細でした。 昔の給与明細、実はワタクシも全部取ってあって、いつの日か自分の総合獲得給与総計というのをやってみようかな、なんて思っているんですけど、皆さんはどうしてます? まあ、それはいいんですけど、父の場合はもう亡くなってますから、こんなもの取っておいても仕方がない。捨ててしまいましょう。 ・・・という話になったのだけど、なんとなく興味本位で、父が昔、どのくらいの給与をいただいていたのか、見てみたのよ。すると・・・ ガーン! ショック! 20年以上前の父の給与の方が、今のワタクシの給与の1.5倍くらいあるじゃないの! ひゃー! どゆこと?! 父も大学教授だったのですが、父の場合は私立大学なのよ。私は国立大学。それにしても、この給与の差は何? いやはや。私立と国立の大学教授の給与の差って、こんなにあったのか・・・。 それにしても、それにしてもですよ。ちょっとあまりにも情けなくないか? 今の国立大学の教授の給与の低さはひどすぎるよ。 子供は親を超えられないとはいうけれど、その真実を今日は嫌というほど理解させられてしまったのでした。
October 19, 2025
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昨日は時間の都合上、法要の後、墓参りができなかったので、今日は朝一で父母の墓参り。まあ、今回は母の法要がらみなので、母7割、父3割くらいの感じで墓参りをしてきました。 で、今日の夕食はバーべQ。ずっと以前は夏休みにやっていたんですけど、あまりにも暑いということで、秋口に移すことにしていたんです。昨年は母が亡くなるという緊急事態があったのでもちろんできませんでしたので、一年ぶりの秋バーべQ。 で、まず鶏のもも肉を炭火で香ばしく焼き上げてオムスビと共に食し、続いて大きなソーセージとトウモロコシを焼き、ついで牛カルビを焼いて、最後に焼きそばで締めるというコース。どうしたってビールのすすむ状況でありまして、今日もよく食べ、よく飲みました。 父や母が元気なころは、やはり一年に一度のバーべQを楽しみにしていてくれて、家族全員でワイワイやったものですが、残念ながらもう父母ともにいなくなっちゃって、そこは寂しい限り。でも、二人とも天国から我々の姿を眺めてくれていたものと考えることにしましょうかね。 ということで、今日は墓参りとバーべQで一日が暮れたのでございます。今日も、いい日だ。
October 18, 2025
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はーい、今日は母の一周忌法要をしてまいりました~。 結局、葬儀をやった葬儀社(サンライフ)の場所をお借りしまして、そこで葬儀の時にもお願いしたお坊さんに来ていただいて読経してもらい、そのあと、そこで親戚だけで食事会までやったんですけど、なんというか、勝手知ったる場所ですし、担当の方も葬儀の時にお世話になった方だったので、万事、うまいこと運んで下さいましたし、ここにすべてお願いしてよかったかなと。 でまた今日の東京は抜けるような青空、見事な秋空だったので、その意味でもよかった。これで雨でも降られると、辛気臭いですからね。 それにしても、歳を取ると思わぬところに「行きつけ/顔なじみ」ができるもので、葬儀社ともお坊さんとも顔なじみになっちゃうし、仏具店にも行きつけができるし、司法書士・公認会計士にも知り合いができるし、妙なもんですわ。 この感じだと、来年の三回忌も、同じ葬儀社、同じお坊さんに頼もうかな。 とにかく、今日は万事うまいこと法要ができてよかった。母もあの世で喜んでくれていることでしょう。そう思うことにして、ありし日の母の姿を思い出しつつ、今日は残りの時間を静かに過ごすことといたしましょう。
October 17, 2025
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明日、母の一周忌の法要があるもので、今日は大学を早引きして午後から実家に戻りました。 実際の祥月命日は今月21日なので、少し早めの法要なんですけど、まあ、母が亡くなってから大体1年が過ぎたのは確か。 昨年の今頃は、名古屋と東京を行ったり来たりして、右往左往していたんですわ。なんだか遠い昔のことのような気もするし、ついこの間のことのような気もしますなあ。 そうそう、母を見舞いながら病室で校正作業をしたんだった。その本も、もう世に出ましたが。 それで母が逝ったときは、たまたま私一人がついていたので、最後の最後、母がこの世を去るのを一人、見守ったんだよなあ。 なんかね。思い出すとね。あれから1年か。 ということで、明日は法要に行って参ります。こういう時、仏になった母は、我々のことを上の方から見ているのかしら。そう言えば、今朝方の夢に母が出てきたので、きっと母も法要があることを知っているんじゃないかな。
October 16, 2025
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やばいな、最近、高橋哲雄にハマってしまった。今日は高橋さんの『先生とはなにか』という本を読んでおりました。 この本、タイトルの通りで高橋さんが「先生」という存在は、一体、何だろう?という自ら出した問いに答えんがためのもの。最初に高橋さんが中学時代に影響を受けたという「難波江通正」という先生のことがチラッと書いてあって、これはまさに心の師、メンターに相当したと。 で、それを踏まえて、本書の本体では、大野英二という、高橋さんより9つ年上の、そして高橋さんが京大時代にゼミ生として師事した経済学者との学問的・人間的な関係を主として綴り、それと対比するように、大野先生以外にお世話になった色々なタイプの先生とのことも綴りながら、最初の問い、すなわち「先生って何?」という問いに深く深く考察していくわけ。 で、その大野英二氏なんだけど、これが学者としては非常に優秀で勉強家なんだけど、人間的には少し硬いというか、清濁併せ呑むというところがなくて、なんでもシロクロハッキリさせたがる人なんですな。だから、弟子を見る目も、自分に完全に心酔していればよし、そうでなければ敵、みたいに二分してしまう。 そういう先生に、高橋さんは振り回されるわけね。一時は心酔し、師事し、やがて兄事するようになり、批判し、破門され、復縁し、それでも時々、また破門か?というような冷やっとしたこともあり・・・というような付き合いが続くと。 で、そういう一連の「先生ー弟子」関係の変遷を読んでいる内に、私は、「アレ? これって、あの本にそっくりだな」という思いが強まりまして。 私が「あの本」というのは、四方田犬彦氏が、大学時代の恩師である由良君美との関係を綴った『先生とわたし』という本。あれも、若く眉目秀麗でキレ者だった由良と、そのゼミ生となった俊英・四方田との出会いと絶縁の物語だったわけですけど、由良ー四方田の関係性と、大野ー高橋の関係性って、ほんとそっくりよ。 で、本書を読み終わって「あとがき」を読んでビックリ。 そこには、この本の執筆動機が書いてあるのですが、それによると、高橋さんが四方田犬彦の『先生とわたし』を読んで、「これおもしろいよ」と親しい編集者に告げたら、その編集者は高橋と大野の関係を知っていて、「だったら、高橋さんも大野さんとのいきさつを書けばいい」と勧めた、というわけ。で、最初は断っていた高橋さんですが、その編集者が大病を患い、余命いくばくかとなったのを機に、その編集者との最後の共同作業としてこの本を書くことを決めたと。まあ、そういうことだったらしい。 どうりで! しかし、高橋さんがこの本の「終章」で書いている次の一節は、私としてもホントに納得っていう感じ。ちょっと抜き書きしてみましょう。 先生がいろいろであるように弟子もさまざまである。どうもこの世には先生を必要とする人としない人、もちたいと思う人と思わない人の、二種類の人間がいるのではないかという気がする。それは先生をもつ人ともたぬ人の違ちがいとも微妙に重なる。 私はこの本を書きながら、ほんんど会う人ごとに「あなたには先生と呼べるような人はいましたか」と訊ねてきた。何の留保もなくイエスと答える人はごく少なく、「先生が何かによるな」とためらいながらも「いた」と答える人は意外に少なくて、そのかなりは仕事の面で目標とする人、影響を受けた人を挙げた。つまり実際的な役割の、「余計でない部分」の先生を挙げた。「いなかった」という人の多さにおどろかされた。りっぱな学歴をもっている人でそうなのである。 私の物語は前二者、つまり先生を必要とし、もちたいと思い、そして幸か不幸かもってしまった人だけに縁のあるお話である。後者の人びとは変化を望まず、「触媒」の必要を感じず、自分が別人になったという感動をしらないままに一生を終える。不幸とは言わないが、「ソクラテスの幸福」、すなわち己を知り人を知る幸せは彼や彼女のものではなかった。(239) これねー、ホントにそうなのよ。私も事ある毎に「あなたには先生と呼べる人、いる?」と訊ね、高橋さんが書いているのとまったく同じ回答を得てきたからね。人間には先生を必要としない人が大勢いて、ごく少数だけど、幸か不幸か先生を持ってしまう人がいて、その両者の間には深い溝があるの。もちろん私は後者で、だから高橋さんのこの本がよく分かるし、四方田さんの『先生とわたし』もよく分かる。私自身、私版の「先生とわたし」を二冊も書いたもんね。『S先生のこと』と『エピソード』の二冊。 ということで、この本、分かる人には分かるし、分からない人には分からないんだろうなと思いつつ(実際、アマゾンレビューなんかみても、正反対のレビューが出ているもんね)、私にはとっても面白い本なのでした。高橋さんは、果たして、私の『S先生のこと』は読んでくれたかな?これこれ! ↓先生とはなにか 京都大学師弟物語 [ 高橋哲雄 ]
October 15, 2025
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自己啓発本関連の著書を書いているんだけど、なかなか進まなくてね。 自己啓発本、あるいはそのベースとなる自己啓発思想というのはこういうものだ、というのは書きやすいのよ。 だけど、今度の本では、そういう歴史的なことではなくて、この自己啓発思想が、いかに我々の日々の役に立つか、っていう話をしたいわけ。 だけど、この思想が役に立つことを示すためには、その前提として自己啓発思想とは何か、ということを書いておかなくてはならないでしょう? で、その後で、それをどうやって応用するかを書くわけだけど、そうなると、本の内容が前半と後半で分かれちゃうわけよ。 かといって、自己啓発思想の役に立つ部分だけを取り出して書いたとしても、説得力がないのね。 ということで、歴史も書かなくちゃならない、効用も書かなくちゃならないとなると、一体、どう書けばいいのか、わからない。それで、なかなか進まないのよね・・・。 まあ、こういうのは足掻くしかないので、足掻いているんだけど、一向に先が見えない。 なんか、デッドロックにぶち当たったようで、とっても困っております。だから、書く作業が嫌で、つい本を読んじゃうんだけど。 まあ、とにかく、がんばりますわ。
October 14, 2025
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一昨年亡くなられた脚本家・山田太一さんが書かれたエッセイ集『月日の残像』を読みました。 私は山田太一という人が何となく好き。そういうのってあるじゃない? よく知りもしないのだけど、何となく好き、あるいは何となく嫌い、というのが。俳優なんかでもそういうのがあって、この俳優は何となく好きだから、この人が出ていると見ちゃうけど、この俳優は何となく嫌いだから、この人が出ていると聞くだけで見る気を失うとか。 で、私は山田太一という人が何となく好き。ろくに知りもしないけど。あの、ちょっと鼻にかかって甘えるような、優しくねっとりした喋り方も好き。顔も好き。『男たちの旅路』も『今朝の秋』も好き。寺山修司の友達だったということも好き。 だから、『月日の残像』も好き。読む前から好き。 読む前から好きなんだから、別に感想を書かなくてもいいんだけど、一応書くか。 一応、伝記的なところもあるエッセイ集だけど、別に若い頃のことから順々に書いてあるわけではなく、連載中のその都度その都度、心に掛かっていたことを元に書いているので、話に一貫性はなく、すべてが独立したエピソードになっているんですな。 だけど、当然のことながら、この本のどこを切っても、その切り口に山田太一が出てくる。それも、脚本家としての山田太一が。 じゃあ、脚本家としての山田太一って、何よ。 それはね、「一つの事柄について、あっちからも、こっちからも、昔からも、今からも、自分の目からも、他人の目からも、見る人」。 一つの事柄を、そういう風に多面的に見るとどうなるか? ドラマになるんだよ! ドラマって、そういうことだから。だから、この本は紛れもなく脚本家・山田太一の仕事ということになる。 たとえば、こんな昔話のことが書いてある。 山田さんが高校生くらいの時、友達と映画を観に行った。その上映館では、中学を出て映写技師見習いとしてその映画館で働き始めた元同級生がいた。そこで山田さんと友人は、その共通の同窓生に頼んで「金がないから、こっそり映写室から映画を見せてくれ」と頼むわけ。 すると映写技師見習いの友人は「金がないのか?」と何度も尋ねた挙句、やっぱり見せられない、そういう規則だからと言って山田さんたちの頼みを断る。 仕方なく、山田さんたちは、自腹を切ってその映画を観るんだけど、観ている途中で肩を叩かれる。例の技師見習いの友人で、外へ出ろと。 で、その見習いの友人は、「金がないと言っていたのに、何故映画を観ているんだ、金はあったんじゃないか」と山田さんたちをなじるんですな。で、山田さんたちはそれに対し、お前が入れてくれないから払うしかないじゃないか、規則だなんていって友達甲斐がない、と逆に見習いの友人をなじる。まあ、よくある高校生のケンカです。 すると、そこで見習いの友人が一言吠えたと。まるで犬のように。そしてサッと踵を返して行ってしまった。 その見習いの友人の怒りとも悲哀とも諧謔とも言えない、それらがまぜこぜになって咆哮となった一言に、山田さんたち二人は打ちのめされるわけ。もうそのまま死にたくなったと。 その時、どういう言葉で彼が吠えたのか、それは書いていないのでわかりませんが、ドラマの脚本で言えば、ト書きに、「友人:吠える。だが音声は入れない」みたいな感じなのでしょう。 その見習いの友人が何を吠えたのかは分からないけど、この場面で、色々なことが分かるじゃない。高校へ進学できた山田さんたちと、中卒で就職しなければならなかった見習いの彼の境遇の違い。「金がない」と言われて、規則をやぶろうかどうしようか悩んだ彼の懊悩。でも、規則を破ることの怖さ。しかし実際には金を持っていた山田さんたちの裏切りを知った時の衝撃。一方、そういう見習いの彼の心も知らず、平然とそういうことをしてしまった山田さんたちの後悔。この間まで同窓生だった友人と、まったく人生が変わってしまったことの驚き。 そして今でもこの時のことを思い出すたび、「いまでも私は、映写技師見習いの友人を思い出して、誰がいつどういう人間になるかもわからないという怖さのようなものをかかえている」って言うの。 いいでしょ? ドラマでしょ? この本は、要するに、こういうことよ。 このほか、印象的なエッセイがいくつもあって、寺山修司とその母のことを書いた「寺山修司」とか、ロシアの画家と西ヨーロッパの印象はの違いを書いた「ロシアの話」とか、非常に面白かった。 まあ、読む前から好きな本だったんだけど、読んだ後もやっぱり好きだったのでした。この本、教授のおすすめ!です。これこれ! ↓【中古】 月日の残像/山田太一【著】
October 13, 2025
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アメリカの女優、ダイアン・キートンさんが亡くなりました。享年79。 ダイアン・キートンといえば、やっぱり『アニー・ホール』・・・という人もいるかもしれないけれど、私にとっては何と言っても『ゴッド・ファーザー』のケイ役に止めを刺しますかね。 若き軍人としてのマイケル・コルレオーネに惚れて彼と付き合うものの、そのマイケルは次第に家業であるマフィア・ビジネスの方に肩入れするようになり、その過程で二人の仲は一旦、裂かれてしまう。しかし、再度マイケルから猛烈なアタックを受け、結局、結婚を承諾。しかし、マフィアの世界にどっぷり浸かっていくマイケルにケイは次第について行けなくなる。 マイケルの親父さんであるヴィトの伴侶となったカルメラとはキャラも時代も異なり、ケイにはマイケルのやっていることにまったく口を出さず、ただ何の気苦労もなく毎日無邪気にニコニコ微笑んで過ごせるような(多分、マイケルはそういう人であってほしかったのだろうけれども)奥さんにはなれなかったわけですよ。一方、マイケルも、確かに有能なボスではあるけれど、ヴィトのような深みのある男ではないからね。そこにこの二人の悲劇があるわけだけど、その悲しい妻の役を、ダイアン・キートンは見事に演じていた。 その後のキートンは、先に挙げた『アニー・ホール』、それから『レッズ』ですかね。でも、それだけじゃない? だから彼女が活躍したのは1970年代から80年代のほんの初頭だけで、あとはそれほど活躍していない。 それでも、「ダイアン・キートン」という大名跡を保ったのだから、彼女は記録より記憶に残る女優だったと言えそうです。 しかも彼女、アル・パチーノやウォーレン・ベイティ、あるいはウディ・アレンなど、共演男優と浮名を流しつつ、結婚はしていない。その辺も、おお・・・っていう感じがする。自立した女だったんですかねえ。っぽいけど。 というわけで、私にとっては「ケイ・コルレオーネ」の印象の強い大女優ダイアン・キートンさんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
October 12, 2025
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今日は色々仕事をしようと思っていたのですが、たまたま書棚に置いてあった高橋哲雄さんの『東西食卓異聞』という本を手にとってパラパラめくってしまったのが運の尽きで、結局、今日一日、この本に読みふけっている内に終わってしまいました。 高橋哲雄さんは、経済学の畑の人のはずなんですが、以前、『ミステリーの社会学』という本を読んで、え、この人、文学者としても一流じゃん、と思ったことがあって、その時にこの本をポチっと買ってしまったんですな。そのまま、読むチャンスを失していたんですけど、今日、そのチャンスが来たと。 で、読んだらものすごく面白かった。いやあ、やっぱりこの人は文学と経済学のあわいを歩いている人だわ。 っていうか、この一年のうちに読んだ全部の文学論より面白かった。 この本を文学論として読むなら、第2章の「食のさざめき」が出色。鴎外の好物「饅頭茶漬」から鴎外その人の十字架を読み取る「鴎外のミスマッチ」、おどろくべき鍋文学論たる「鍋びいき、鍋ぎらい」と「一人鍋はせつないか」、マルクスの盟友エンゲルスの人となりをワインの好みから読み取る「ワインの秘密」、料理を盛る皿について以外な側面から論じた「皿に向かって作る」など、背後にある教養といい、発想の妙といい、素晴らしいの一語。 で、この章も面白かったんですけど、「食のときめき」と題された第3章は、食を通じた自伝とも言うべきもので、これはこれでものすごく面白かった。高橋さんは、決してド派手なまでに変わった経験をしてこられたわけではなく、この程度のエピソードなら、まあ、誰でも多少なりともするだろうという程度のものではあるのだけど、それでもやっぱりそれを上手に生き生きと描いているものだから、ちょっとこう、小説を読んでいるような趣があるんですわ。 そして最終章となる「食のかなしみ」は、そのタイトル通り、とっても悲しい話です。ここでは内容には踏み込まないけどね。 っつーことで、食についてのエッセイ集って色々あるけれど、ここまでのレベルのものって、そうそう書けないと思う。その割に、高橋さんって、エッセイストとして名前が売れてないよね・・・。こういうすごい本が、あまり人に知られずに存在しているということ自体、なんだかものすごく罪な気がする。 まあ、読んでごらんなさいな。できれば文庫化でもして、多くの読者を獲得すべき本だと、私は思いますねえ。これこれ! ↓東西食卓異聞 [ 高橋哲雄 ]
October 11, 2025
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我が家は毎年、この時期、中津川栗きんとんツアーを実施しております。で、今年はそれが今日だったと。 で、お昼前に家を出て1時前くらいに現地到着。まずは「ちこり村」へ。 なぜ「ちこり村」かと申しますと、最近、ここで「栗きんとん生食パン」なるものを販売していると聞いたから。1斤の食パンに7個分の栗きんとんが練り込んであると聞けば、食べてみたくなるじゃないですか! が、結局、買えず。なぜならば、予約の客とバスツアーの客だけに売るから。通りすがりの客は、そんなもの買えないの。 まあ、評判がいいからそういうことになっちゃうのかもしれないけど、変な話だよね! だって、わざわざそれを買うために現地に行っているのに、買えないんだぜ。それって、おかしくない? テレビで宣伝しておいて、現地に行くと買えないって、どういうことよ。これこれ! ↓栗きんとん生食パンのCM というわけで、期待もむなしく栗きんとん生食パンを断念した我らが次に向かったのは、19号線沿いにある「満腹大食堂」。狙いは「皿台湾」。 「皿台湾」ってわかる? 要するにね、汁なし台湾ラーメンみたいな感じ。これがね、850円でめちゃくちゃ旨い。ちこり村の栗きんとん生食パンの恨みは、ここで晴れました。これこれ! ↓皿台湾 で、お腹がいっぱいになった我らは、中津川駅前の「にぎわいなんとか館」みたいな地元の物産館に行き、色々な種類の栗きんとんを大量ゲット! 中津川の栗きんとんは、旨いからね! そして、買うものを買ってから次に向かったのは、19号線沿いにある栗きんとんの名店「すや」がやっている「栗しるこ」のお店へ。ここの栗しるこ、9月一杯は「冷やし栗しるこ」で、10月に入ると温かいヤツになるんだけど、今年は温かい方をいただきました。これを飲むとね、寿命が延びる。 で、すっかり満足した我らが次に向かったのは、中津川の隣町・恵那の方にある「横井照子ひなげし美術館」。 ここは今回初めて行ったのですが、横井照子さんというのは海外で活躍された日本の画家で、たまたま「恵那川上屋」の創業者が知り合いだったことから、恵那に横井さんの美術館ができたというもの。横井さんの画風は、ちょっとカトランに似ている感じがするんだけど、なかなか可愛らしいの。これこれ! ↓横井照子ひなげし美術館 JAFの会員証を見せると入館料300円、しかも上等な抹茶と栗のお菓子つきですから、実質タダみたいなもの。これは行った甲斐がありました。 で、ついでに隣にある恵那川上屋で、栗のお菓子をさらに買い足しちゃったりして。 そして美しいものを堪能した我らが次に向かったのは、そう、古着屋さん。「ヤード・ウェアハウス」というのが中津川にあるので、そこに行ってみた。 だけど、ここは基本、ヴィンテージものだから、高いのよ。我々が期待するような感じのものはなく、収穫なし。でも、見て回るだけで面白かったけどね。 そして帰りしな、近くにあるその名も「珈琲屋」というカフェで一服してから名古屋に戻った次第。 というわけで、今日は一日、中津川で遊んじゃった。栗きんとんをはじめ、美味しそうなものを沢山お土産に買って帰ったので、しばらくは栗三昧ができそう。楽しい一日でした。 それにしても、ちこり村の「栗きんとん生食パン」の販売方法に関しては、思い出すたびに頭に来るなあ。「怒らずの誓い」を立てた身としても・・・。
October 10, 2025
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姉から頼まれていたもので、今日、大学に出勤する途中、行きつけの(?)「おぶつだんの三千堂」という仏具店に寄って「お鈴」の下に敷く座布団(?)みたいなものを買ってしまいました。 そういうものを買ったことがないので、相場がいくらくらいなものなのか分からず、5千円くらいするのかな?なんて思ってお店の人に聞いてみたら、600円くらいからせいぜい1000円くらいなものだと。で、7,8種類出してもらって比べた結果、シンプルな600円のものにすることに決定。いい買い物ができました。 それにしても、ここ数年、この仏具屋さんからモノを買うことが増えたなと。 実際、素晴らしくいいお店なのよ。店員さん(多分、ご家族経営)はどなたも感じがいいし、親切。親身になってくれる。 でまた、「こんなもの、売ってないだろう」というようなものまで売っているんだ、これが。 一番最初にここでモノを買ったのは、父が亡くなった時。お墓の花受けが古くなって割れちゃったので、それを買いに来たのだけど、その花受けはねじの溝が切ってあって、お墓に直接、ぐるぐるとねじ込んで固定するタイプなのよ。そんな花受け、売っているとも思えないじゃない。 ところが、このお店には売っていたの。「ああ、そういうの、ありますよ」とこともなげに。しかも、二つ買っても1000円しないくらいの値段だった。その時、仏具屋さんって何でもあるんだなと思い、かつ、この店はいい店だなと思ったの。 それ以来、何度となくこのお店で買い物をしましたよ。数珠を買ったのもここだし、昨年は母の位牌(すごくモダンな奴)を作ってもらいましたしね。それから線香に火をつけるライターも買ったっけ。 で、いつも思うのよ。この店は欲しいものが何でもあって、こちらの予想しているのよりはるかに安くて、いつも親切で、温かみがあると。 で、この店に来るまで、仏具屋さんって行ったことがなかったんだけど、行きつけになってみると、結構、仏具屋さんに来る人っていうのは、いるのね。地元の人たちに支えられているのがよくわかる。住民にとってもその地域に一軒はないと困る的な。 この年になってわかることって、あるもんですなあ・・・。 ということで、とにかく今日はお鈴の座布団が買えたのは良かった。今度、母の法要で実家に帰る時に持っていきましょう。
October 9, 2025
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今日は10月8日かあ・・・。ということは、京大で集中講義をやってからちょうど1カ月たったわけだ。 一か月前、京都に一週間も行かなきゃならんのか、面倒くさいなあとか、集中講義って初めてやるけど、上手くできるかなあ、とか、あれこれ考えてちょいと憂鬱だったんですけど、終わって、一か月経ってみて思うのは、「あれ、結構楽しかったなあ」ということ。 そういうことって、あるよね? 面倒くさいなあ、嫌だなあと思っていたことが、後から考えてみたら、案外楽しかった、という風に変わること。 そう考えると、新しい体験っていうのは、幾つになっても、トライしないとダメだってことですな。人生なんて、「あれは面白かった」という思い出の数で、クオリティが決まるような気がするもんね。 それを言ったら、今月末、ズームでセミナーみたいなのやることになっていて、初めての体験で、ちょっと面倒臭くて嫌なんだけど、これこそまさに、だよね! 終わって、しばらく経てば、「あれは案外面白かった」ということになるに決まっているんだから、その感じを先取りして、今から楽しみにして準備しないとね。
October 8, 2025
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