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March 11, 2016
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カテゴリ: 教授の雑感
 先日、小学校時代の歌謡界の話を書きましたが、ああいうアイドル系・演歌系以外に、日本の歌謡曲界には何かこう、別な種類の音楽、いわば「それ以外の音楽」的な流れがあったような気がします。それは、ある面では人をおちょくったような、というか、反抗的なものを笑いに変化させたものであったりもするし、あるいは社会に背を向けて自分たちの世界だけを見つめたようなものもあるし、それらをもっと昇華させて新しい価値観を提示しようとしているものもある。具体的に言えば、ギャグ・ソングであったり、「(四畳半)フォーク」であったり、「ニュー・ミュージック」であったりっていうね。

 例えば私がかなり幼かった頃のヒット曲に「帰って来たヨッパライ」がある。1967年末。これはまあ、純粋なギャグ・ソングですけれども、酔っ払いが一度死んで天国に行くものの、そこから追放されてまた現世に戻ってくるという人を食ったような歌。

 それから「走れコータロー」、これもヒットしましたなあ、1970年ですか。もちろん、この曲にも取り立てて何か反抗的なメッセージがあるというわけではないのでしょうけれども、曲の合間に入る競馬の実況、あれは当時公営ギャンブル廃止を訴えていた美濃部都知事の口調を真似たものでしょ。さらにこの曲を歌っていたソルティー・ジュガーのメンバー山本厚太郎氏は、後に地球環境保護を訴えて参議院選挙にも打って出ている。やっぱり、どこか既成のものに対する政治的批判ってものはあったんでしょうな。

 あとね、この種のギャグ・ソングとして記憶に焼き付いているのは、「老人と子供のポルカ」ね。これも1970年。左卜全とひまわりキティーズ。これは「やめてけれゲバゲバ」ですから、ゲバ棒を振るう学生運動への明確な批判。結構政治的であります。学生運動自体が社会体制への批判ですから、その批判に対する批判。おちゃらけた歌の中にも、なかなか深い事情がありそうです。

 で、おそらくこのギャグ・ソングの延長線上に、例えばあのねのねの「赤とんぼ」とか、所ジョージの「正気の沙汰でないと」とか、そういうのが来るのでしょう。あるいはとんねるずの「ガラガラ蛇がやってくる」とか。

 一方、四畳半フォークでは、何と言ってもかぐや姫の「神田川」でしょうなあ。1973年。同棲する若い男女が一緒に銭湯に行くという渋いシーンを歌ったものですが、なんで女より男の方が長風呂なんだっていうファンダメンタルな疑問はおくとして、高度経済成長の日本でガンガン仕事して出世してやろうという世界観からドロップアウトした若者たちの姿が見えて参ります。

 また、あまり四畳半フォークという感じはしないですけれども、吉田拓郎の「結婚しようよ」が1972年。結婚する条件が「僕の髪が肩まで伸びて君と同じになったら」ですから、長髪の男の歌なのであって、やはり当時の日本のアングリー・ヤング・マンの歌なのでしょうが、怒っていてもロマンスはあるというね。前述したテレビドラマで言えば、『俺たちの旅』的な世界が、歌謡曲の世界にも存在していたと。

 で、こういう系統の歌が色々あった中で、いよいよ井上陽水登場。『断絶』が1972年、『氷の世界』が1973年。フォークではないし、社会抗議でもないし、ギャグでもないという。だけど、もっとパーソナルな狂気みたいなものが表現されていて、衝撃的。「東へ西へ」の中で、「満員電車の中で床に倒れた老婆が笑う」とか歌われると、シュールでしたからね。「都会で自殺する若者が増えているけど、自分にとって問題なのは、雨なのに傘がないこと」とかね。

 で、陽水恐るべしと思っていると、今度は荒井由美の『ひこうき雲』(1973年)が出てきて、これまた独自の哀しくも美しい世界が提示されて。荒井由美が出たことで、審美的かつ非論理的な若い女性の感性というものが初めて世に出たと言ってもいいのではないかと。



 そしてユーミンあたりから「四畳半フォーク」とはベースとなる世界観が異なる「ニュー・ミュージック」がバーッと出てくる。山下達郎の「Ride on Time」とかね。もちろん、ニュー・ミュージックの中にも温度差はあって、より一般のポップス寄りのところにはハイ・ファイ・セットとか原田真二が居たり。だけど、思うに、ニュー・ミュージックの真ん中の人たちってのは、テレビではなくラジオをベースにしている人たちっていう感じがしますな。それは単にラジオで彼らの曲が掛かるという意味ではなく、ラジオを通じた人脈とか、あるいはアーティスト自身がDJをやるとか、そういう意味でラジオの中にこそ彼らのベースがあった。

 だから当時、ラジオとかFMエアチェックにうつつを抜かしていた私の世代にとって、ニュー・ミュージックというのは、より一層身近だったわけだよね。

 で、それが1970年代後半のこと。

 これが1980年代に入るとね、またガラッと変わるわけ。まずジョン・レノンが殺されるでしょ。やっぱりそれは「何かの終り」を意味するわけで。それから日本ではYMOが出てくる。テクノ・サウンド登場。

 だけど、その辺のことは先の話なので、また後日。





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Last updated  March 11, 2016 03:35:35 PM
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Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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