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March 13, 2016
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カテゴリ: 教授の雑感
 町田。小田急線ユーザーにとって、新宿に次ぐ都市にして、東京でも23区、八王子市に次ぐ人口を誇る大ベッドタウン。

 群馬の絹が八王子で織物となり、それを鎌倉に運ぶ道が鎌倉街道であるわけですが、その関東シルクロードの道筋に栄えた宿場町が元。それが1960年代あたりから山崎団地・木曽団地といった大団地群を擁する東京のベッドタウンとなり、今日に至る、みたいな感じの町ですな。我が東林間からすると、電車で二駅しか離れていないのですから、東林間で事足りないけれども新宿まで行くほどではないといった買い物は、とりあえず町田で済ますというのが通例でありました。

 だけどね、あそこはもともと「町田」ではなかったんだよね。覚えています?

 あそこは小田急線と横浜線が交差するところなのですが、横浜線の駅が「原町田」で、これに対して小田急線の方の駅は「新原町田」でした。だから、私が子供の時は「新原町田」だったんですよ、あの町は。で、私がまだ小さすぎて「しんはらまちだ」と言えず、「ちんからまちだ」と言っていたというのが、我が家で私をからかう時によく出るエピソードなのでございます。

 だけど、どういうわけかその区分が無くなり、横浜線も小田急線もいつのまにか「町田」になっちゃった。

 ま、言語学的には面白い現象で、これに似た現象としては英語の「napron」という言葉がある。今で言う「エプロン」ですよ。だけど、英語には冠詞が付きますから「a napron」ですな。それがいつの間にか、「an apron」と分けるのではないかと誤解され、「n」の字が単語の方ではなく、冠詞の方に移っちゃった。こういうのを言語学的には「異分析」というのですが、それで今では「apron」の方が一般になってしまったわけ。これと同じで、「新・原町田」と分けるべきところ、「新原・町田」と異分析され、「新原」がとれて「町田」が単語として残ったと。

 どうでもいいか。

 で、新原町田時代の町田は、今と比べるとずっと素朴な町でありまして、今の駅ビル、すなわち小田急百貨店なんかなくて、駅の脇に平屋だったか、あるいは二階建てくらいの小田急ストアがあった。屋上にちょっとした遊園地があったんじゃないかな。その小田急ストアの向いに不二家があって、ペコちゃんが立ってたのを覚えております。



 この当時の町田って、ザ・昭和って感じの町で、バラック建ての小店舗とか、鰻の寝床状の闇市的なマーケットみたいな「都南商店街」なんてのがありまして。その当時の雰囲気は今でも「仲見世商店街」に残っております。さいか屋の前に、小さな緑色の噴水のある自転車屋とかあったなあ。

 あと駅前には、本屋の久美堂があり、これは今も同じ場所にありますね。それから同じ南口には、楽器とレコード屋さんがあって、ここでわが家はレコードを買ったものです。そう「鈴木楽器店」か。あと、南口といえば忘れられないのはジーンズの「マルカワ」。敷地は超狭いのだけど、6階建てだったか7階建てだったか、全フロアがジーンズ売り場でね。これも今もあるんじゃないかな。

 あと大きな文房具屋さんの「なかじま」というのがあって、文房具なら何でも揃うという。ここにも随分お世話になりました。

 それからさいか屋から道路を隔てた西側に宝永堂という宝飾店があって、これも今もあるんじゃないかな。

 だけど南口も境川を越えた西側となると、これまたちょっとヤバい感じの場所がありまして、千寿閣とか町田ボウリングセンターとか家具の大正堂まではまだいいとして、その先となるとラブホテルがあったり、もっと露骨な売春街があったり、怖くて子どもが足を踏み入れることのできない場所でしたね。今は、JRの町田駅に隣接してヨドバシカメラができましたが、私なぞは昔のイメージが焼き付いているので、ヨドバシ以外には今でもこちら方面に足を向けたくないという。

 で、駅の北側、特に今西友がある辺りは何もなかった。北口では、新宿よりに「ミドリ屋」というデパートが一軒あるきりでしたけど、我が家の電気製品はすべてミドリ屋で買ったという記憶がある。特にカラーテレビを買った時のことはよく覚えておりますよ。嬉しかったものね。ちなみにミドリ屋はかなり前に撤退して、当時の建物は今雑居ビルになっていますね。一時期、古本屋の高原書店がこの雑居ビル内にあった時期もありましたが。

 そんなもんよ。

 それが1971年でしたか。南口に隣接したところに大丸百貨店が出来た。また北口に西友が出来たのも同じ年だったかな? この頃から町田の大発展が始まるわけ。

 大丸が出来た時はすごかったですよ。オープンの日に電車で町田駅を通過したのですが、店を取り巻く十重二十重の人の列が電車からも見えた。

 そして1976年、小田急線の駅舎の建て替えに伴って小田急百貨店町田店が出来た。これで、それまで町田のデパートとして長年栄えてきたさいか屋がたまらず閉店して「ジョルナ」という専門店モールに業務転換してしまった。長年、さいか屋に親しんできた者としては寂しい限りでございました。そして1980年に東急百貨店がさいか屋の隣に出店。いつの間にやら、町田はデパートの町と化したのでございます。今では東急百貨店も二棟に増え、JR駅にも駅ビルとしてルミネや丸井があり、今は無くなりましたけど東急ハンズがあった時代もありましたしね。

 だけど、その割にまだ旧態依然とした個人商店が残っていたりして、大店舗と小店舗が混在しているという点では、ちょっと吉祥寺に似たところもあり、また昼と夜の顔がまったく異なるという点では、あまり例のない町でもあるのかな。夜は結構、こわい場所ですからね。


 で、そういう町田の進化をずっと見守ってきたわけですけれども、私から見てやっぱり懐かしいのは、せいぜい大丸が出来た頃までの町田かなあ。日曜日に家族で出かけて、さいか屋の地下のお好み食堂でミートソースとソフトクリームを食べて、それで十分に幸せだった時代。

 子どもの頃の私は、今と違って、人ごみとかもあまり嫌いではなかったし、むしろ大勢人がいて楽しいな、くらいの心持だったんですよね。だから、町田に行って、デパートに行って、人が沢山いて、それで楽しかった。

 そういう意味から言いますと、私にとって町田よりももっとステキなところがあった。小田急線のターミナル、新宿でございます。

 で、そんな新宿のお噂については、また次回のこころだ~!





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Last updated  March 13, 2016 04:18:55 PM
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Comments

釈迦楽@ Re[3]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  ああ、やっぱり。同世代…
丘の子@ Re[2]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 釈迦楽さんへ そのはしくれです。きれいな…
釈迦楽@ Re[1]:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 丘の子さんへ  その見栄を張るところが…
丘の子@ Re:『2001年宇宙の旅』を知らない世代(09/13) 知らなくても、わからなくても、無理して…
釈迦楽 @ Re[1]:京都を満喫! でも京都は終わっていた・・・(09/07) ゆりんいたりあさんへ  え、白内障手術…

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