この映像を見た後、私がすぐにアルバム『パープル・レイン』を(もちろん1980年代前半のことですから、LPとして)購入し、ひたすら聴きまくったことは言うまでもありません。そしてこのアルバムに入っている『Let's Go Crazy』や『Baby, I'm a Star』、そして『Purple Rain』といったシングルカット曲が次々とヒットチャートを駆け上るのを「さもありなん」と眺めつつ、プリンスがこの『パープル・レイン』以前に発表したアルバムにも次々と手を伸ばしてみた。
そして2年前の1982年に2枚組LPとして発表された『1999』を聴いて、プリンスが『パープル・レイン』以前に、既に驚くべき才能を世に顕していたことを知ったのでした。『Automatic』や『Lady Cab Driver』の怪しげで淫靡な世界から『Little Red Corvette』の爽快でポップな音作りまで、そこにプリンスがプリンスとして存在していたんです。
そして翌1991年、新しいバックバンド「New Power Generation」を前面に出した新譜『ダイアモンズ&パールズ』が出る。そして翌年には『ラブ・シンボル』が。その翌年にも、またその翌年にも、さらにその翌年にもプリンスは新譜を出し続け、結局、30年以上にも亘ってほぼ毎年のように新譜を、それも時には2枚組、3枚組、さらには4枚組の新譜を出し続けます。それも、常に時代の最先端を行く音作りで我々を文字通り驚かせながら。結果的には「最晩年」となってしまったこの2年ほどに限っても、新バックバンド「サード・アイ・ガール」を率いての『アート・オフィシャル・エイジ』と『プレクトラムエレクトラム』の2枚に加え、『ヒット・アンド・ラン・フェーズ1』『ヒット・アンド・ラン・フェーズ2』と都合4枚のアルバムを出し、そのいささかの翳りも見せぬ創作パワーを我々に見せつけている。
called an old friend of mine just the other day No congratulations, no respect paid All she did was wonder if the rumors were true I said, "No, I ain't dead yet but, uh, what about you?" I can count my friends with a little peace sign, one, two It was Sunday night, instead of doing what I usually do,
の下から2行目とか。
ああ、そんなことを言っていたら、プリンスのすべての歌詞に言及したくなってくる。
"Shy" という曲の冒頭、
After a month of just being alone he said, "I wonder what L.A.'s thinking" Streets he roamed in search of a poem amongst the wild and drinking When he sees cool dark skin in hot virgin white The search was over at least for tonight When she co-signed and then told him she was ...
Shy - Cool dark skin in hot virgin white Shy - Lips say won't but her body say might Shy - Looks like we're going to take the long way home tonight
そもそもプリンスはNY生まれでも、シカゴ生まれでも、南部生まれでもなく、ミネアポリスの出身。そしてそのギターは、ジミ・ヘンドリックスではなく、サンタナの影響を受けたもの。またアーチストとして最も強い影響を受けたのはカナダの白人女性シンガーソングライター、ジョニ・ミッチェルなのであって、そういう意味では、プリンスは白人文化の中で自らの芸術的センスを磨いた、とすら言えるでしょう。事実、シンニード・オコナーの『Nothing Compared to U』のように、プリンスの作った歌はしばしば白人女性によって歌われたりカバーされてまったく違和感がないし、またバックバンドについても、ロージー・ゲインズといった黒人女性シンガーとデュエットすることの多かった「NPG時代」より、リサとウェンディの白人女性コーラスを重用した「ザ・レヴォリューション時代」の方が、プリンス自身の声をより輝かせたような気がする。