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この春、信州方面に旅行に行った時、ホテルで迎えた朝、テレビをつけたら頭木さんが登場していましてね。で、そこで頭木さんは、ご自身が若い頃、大病して絶望していた時、カフカの本を読むことで立ち直れた、なぜならカフカも絶望ばかりしている人だったからだ、というような趣旨のお話をされているのを聴いたんですわ。で、面白そうだなと思ってこの本を買って読んでみた次第。
結果から言いますとね、この本、すごくいい本でした。話題になったのも納得。
これこれ!
↓
絶望読書 (河出文庫) [ 頭木 弘樹 ]
どの章もとても良かったのですが、私が特に感銘を受けたのは冒頭の第一章。
その中でも特に印象的だったのは、23ページに登場する「レベッカ」という19歳の女性をめぐるエピソードね。
レベッカは、少々知的障害がありまして、そのため現実生活に対応できず、いつもおどおどして、不安そうにしていたんですって。
ところがある春の日、レベッカが診療所の庭のベンチにすわっているところが目撃される。その時のレベッカは、いつものおどおどした様子ではなく、いかにも楽しそうに、少し微笑みながら春の一日を楽しんでいるようだった。それはもう、他の19歳のうら若き乙女と少しも変わらない様子だったと。
ではなにかレベッカを変えたのか?
「物語」だったそうです。レベッカは、春の新緑の頃を描いたある物語を読んだことがあり、その一節を思い出しながら、目の前の春の風景を楽しんでいた。つまり、「物語」という準拠枠がレベッカにはあったので、それを使って現実を十分に理解することができた。物語を一旦通過していたので、それを通して現実を観ることで、現実は彼女を脅かすものではなくなっていたんですな。
だから、「物語(フィクション)」というのは、人間に必要なものなのだ、と頭木さんは言います。意識はしないけど、誰だってレベッカと同じように、フィクションを経験していることで、それを使って現実を理解しやすくできるし、誰もが実際にそうしているのだと。
このレベッカの話、すごくいいなあと思うんですよね。
実際、人間って、物語の準拠枠を通して世界を見ているなって思いません? で、一旦そのことに気づくと、実際そうだ、否、それどころか、「そういう傾向がある」というのではなくて、100%そうだなって思いませんか?
このことがどうして私をかくも納得させたかと言いますとね、私が研究している自己啓発思想の中に、この頭木さんの主張と同じことを言っているものがあるから。
自己啓発思想の中には、「客観的に存在する世界などない」と言っているものがある。あるのは「あなたが創り出す世界」だけだ、と。あなたにとってこの宇宙に実際に存在しているのはあなた一人であって、あなたの周りには、大勢人がいるように見えるけれども、実際には誰もいないのだよと。
ね。こう言うと、スピリチュアルっぽいというか、馬鹿馬鹿しいと思うでしょ?
だけど、この自己啓発思想が言っていることというのは、頭木さんが言っていることと同じね。つまり、人間は、誰しも、自分が持っている物語(フィクション)を通して世界を見ているのだと。だからその世界はフィクションなのであって、ファクツではないのね。客観的な世界ではない。
で、フィクションとしての世界とファクツの世界が齟齬をきたすことがあります。自分的には順調だと思っていた世界が崩壊することがある。たとえば頭木さんのように、突然重病になるとか。あるいは結婚を約していた相手が死ぬとか。
そうなった時ですら、ファクツとしての世界は一部しか変わっておりません。重病になったこと、婚約者が死んだことだけが変わったのであって、そのほかの部分では、いつも通り、そのまんま。
だけど、人間はフィクションを通じて世界を見ているので、当人にとって、自分が重病になった時点で、あるいは婚約者が死んだ時点で、世界は崩壊しているわけよ。
で、世界が崩壊した結果どうなるかっていうと・・・そう、その人は絶望するわけ。もう、何も楽しくない。ファクツとしての世界が春だろうと、その人のフィクションの世界では暗黒の真冬なんだから。
ほら、人間って、客観的な世界に住んでないでしょ? 人間にとっての世界は、その人にとってのフィクションでしょ? 自己啓発本が「客観的な世界なんかない」と主張するのは、だから、実にまともなことを言っているんですな。
だけど、その「人間はフィクションの世界にしか住んでいない」というのが、ある意味では救いなのね。なぜなら、フィクションは書き直せるから。重病になったらなったで、婚約者が死んだのなら死んだで、そこから新しいフィクションを書き継げばいい。それができた時、その人は再生するはず。
ところがすぐにフィクションを書き継げるほど、人間は強くない。だから、絶望したならしたで、その絶望の時期をある程度の時間、過すことが重要だと、頭木さんは言います。急ぐなと。
で、その絶望の時期に何をすればいいかというと、やはり同じように絶望した人の物語を読めと。
ただその絶望の物語は、やっぱりフィクションがいいんですね。
なぜなら、絶望のファクツだけで構成された本って、実際にはそんなにないから。それにファクツとしての絶望本は、それ自体、絶望を加速させるかもしれないし。
だからむしろそういう時は、フィクションとしての絶望本を読むのがいい。カフカでもいいし、ドストエフスキーでも。そうすると、そのフィクションを準拠枠として使って、過酷な世界を理解することができる。ちょうどレベッカが、春の物語を事前に読んでいたことによって、現実の春を理解したように。そして、そういう時の読書というのは、もう、衣食住に先立つものにすらなり得る。「そういうものがあれば都合がいい、便利だ」というのではなくて、もはや「それが無くては生きていけない」というものにすらなり得ると。
だから、絶望読書は必要だと頭木さんは言うわけね。それは今、現在、絶望している人には絶対必要だし、今は絶望していない人も、「こういう絶望本がある」ということは事前に知って置いた方がいい。だって、その人だっていつ絶望するか分からないから。絶望してからでは遅いのね。災害が起こる前に災害に備えておくことが必要なように、絶望に備えて絶望本の存在を知っておくにしくはない。
というわけで、じゃあ、絶望本にはどんなものがあるのか、という風に話が進んでいくのですが、ここで頭木さんが推薦する本はどれも面白そう。本だけでなく、映画とかテレビドラマも推薦しておられるのだけれど、頭木さんに言われると、なんか急にそれらが読みたく(観たく)なってくる。
それは結局、実感が伴っているからですよね。頭木さんご自身が、実際にそれらによって救われたという事実があるから、その推薦には実がこもっている。その薬を飲んで病気が治った人から、「この薬は効くよ」と言われるようなものですからね。
というわけで、この本、私にはとても面白かった。そして、自己啓発思想を理解する上でもとても役に立ちました。この本、すっごくいい本です。教授のおすすめ!です。
絶望読書 (河出文庫) [ 頭木 弘樹 ]
もっとも、頭木さんは自己啓発本については苦々しく批判していましたけどね。重病で臥せっていた時、人に勧められて自己啓発本を読んだけれども、苦しくてとても読めたものではなかったと。苦しい時に「頑張れ! ポジティヴに行け!」などと言われたって、そんな風にはできないよ、と。
頭木さんがそうおっしゃるのは分かります。でも、それなら私にも言わせてもらいたい。頭木さんが読まれて救われたというカフカの本も、ドストエフスキーの本も、それ、自己啓発本ですから! 自己啓発本が人を救うのではなく、人を救う本が自己啓発本なの。だから、自己啓発本を読んで余計苦しくなったのならば、それは頭木さんが読むべき自己啓発本を間違えただけで、自己啓発本そのものが悪いわけではないのよ~。
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